通知簿の相対評価と絶対評価。通知簿を書き換える教諭。腹立ちまぎれに生徒を殴る小学校教諭は傷害罪で告訴すべし。大学受験生は「偏差値」を重視してきたか。

[第541回]
  今回は、小学校の通知簿の相対評価と絶対評価、高校および大学受験における「点数」と「偏差値」「順位」の是非について述べたいと思います。
  私は小学校の4年の途中に家を引越して、小学校も4年の1学期の途中に、大阪市東住吉区の市立小学校から大阪府の北摂地区の市立小学校に転校しました。 1年から4年の初めまでいた大阪市東住吉区の小学校では、通知簿は「5段階相対評価」で、1年の1学期だけ「3段階相対評価」でした。
  それが、4年の途中から転校した北摂地区の市立小学校では、各科目ごとではなく、それぞれの科目の中でも細分化されて、この科目のこの項目について・・ということで、項目ごとに「3段階絶対評価」をしていました。
  「相対評価」と「絶対評価」はどう違うかというと、相対評価というのは、5段階なら、1~5までの評価をクラスの生徒の人数のうち、何パーセントを1,何パーセントを2・・というようにあらかじめ決めて、3が真ん中で、4がそれより優秀、5が一番優秀で、2は少々劣っている、1は一番劣っているという評価です。 私が行った東住吉区の小学校では1年の1学期だけ「5段階相対評価」ではなく「3段階相対評価」にしていたかというと、それは、1年の1学期、最初から「1」をつけるのはかわいそうだという考え。「1」をつけられて、やる気をなくすようなことがあってはいけないという親心だったようで、この場合の「3段階相対評価」は1・2・3のどれかがつけられるのではなく、2・3・4のどれかがつけられるというもので、1年の1学期については、「1」と「5」をつけられる生徒は誰もないというものでした。
   4年の途中で転校した北摂地区の市立小学校は、1~5の相対評価ではなく、「3段階絶対評価」で、それも、科目ごとではなく、それぞれの科目をいくつかに細分化して、この科目のこういう項目については・・・・という評価で、各科目のいくつかの項目について「〇」「◎」「⦿」の3段階に評価され、「〇」を「いちじゅうまる」、「◎」を「にじゅうまる」、「⦿」は実際の記号は〇の内側に黒丸なのですがこれを「さんじゅうまる」と言っていて、「⦿」が一番良くて「〇」が一番だめということですが、小学生には、あまりマイナスのイメージのある評価をするのはかわいそうで、マイナスのイメージのある評価をしてやる気をなくすようなことにならないようにという配慮らしく、3段階でも、「〇」「△」「×」ではなく、「⦿」「◎」「〇」という3段階として、一番低い評価でも「×」ではなく「〇」になるようにしていたようです。1年から4年の初めまで行った小学校で1年の1学期に、1~3の3段階相対評価ではなく、2~4の3段階相対評価にして「1」は誰にもつかないようにしたというのと、「〇」「△」「×」ではなく「⦿」「◎」「〇」という3段階として一番低い評価でも「×」ではなく「〇」になるようにしていたというのは似ているかもしれません。
   相対評価と違って絶対評価というのは、この評価の人は何人とあらかじめ決まっているわけではないので、相対評価の場合には「本人が一生懸命頑張ったのに、他の生徒がもっといい成績を取った時には成績が下がる場合もある」のに対して、絶対評価の場合はそうではなく、あくまで、その生徒自身が向上したかどうかという基準で見るので、他の生徒の成績がどうであるかとは関係なく採点される・・というものでした。小学生の成績というものはひととの比較で上だ下だと言うのは適切ではなく、その生徒が向上できるようにということで評価されるべきだ・・という考えで、絶対評価の方がいいのだ・・というように、小学校4年の途中で転校した北摂地区の市立小学校では「3段階絶対評価」としていたようです。

  大学の入学試験では、私立大学の場合は、合格者のうち、国立大学や他の私立大学を受験して通った受験生や自分の所でも複数学部を受けて複数の学部に通った受験生が何人か入学辞退するであろうことを見越して、多めに合格者を発表する大学がありますが、国立大学の場合は、普通は入学してもらおうという定員の数だけ合格とします。この場合、試験で相当優秀だと思われる点数を取る受験生がいても、試験で良い成績を取った方から順番に合格者を決めていって、定員までいったら、それより下の成績の人は一般的には悪い成績ではない人でも不合格になります。
  私の母の叔母の息子・・だけれども、母は6人兄弟の一番上の女性の5人兄弟の上から2番目の娘でしたので、下から2番目の叔母というのは叔母というより姉くらいの年齢だったようで、その「姉くらいの年齢の叔母」の息子であるイトコが、大阪府立天王寺高校から東大を受けて高校卒業時には落ちた時、小学校の教諭をやっていたその父親(母からすると叔母のダンナ)が、不合格だったというのを聞いて、「かわいそうだ」と言って頭から布団をかぶって泣いたという話を聞きました。 「勉強せん者が落ちるのはしかたがない。しかし、勉強する者が落ちるのはかわいそうだ。何も勉強したくないなんて言ってないんだ。勉強したいと言ってるのに、なんで、落すんや」と言ってお父さんが泣かれたそうです・・・が、そんなこと言っても、東大とか受ければ、通る場合もあれば落ちる場合もあります。
  私なんかも、「慶應で満足できないなんて、あつかましいわ。俺なんか、専修でも満足して行ってるのに」とか言われたりしましたが、「おまえと一緒にすんな!!!」と思ったものでした。母のイトコにしても、東大ではなく、もう少し合格しやすい国立大学を受けていたならば合格したのではないかと思いますよ。でも、「もう少し合格しやすい国立大学」でいいという気持にはなれなかったのでしょう。 ボクシングで世界チャンピオンと対戦すれば、勝てるかもしれないけれども負けるかもしれない。負けたくなければ弱い相手とだけ対戦すればいいのです。しかし、『あしたのジョー』でも矢吹丈は言いますでしょ。「俺は相手が強ければ強いほど燃える男なんだ!」と。相手が世界チャンピオンであってこそ倒してやるという気持になるんだ・・・と。易しい所を受ければ通ると言われても、そんな気持ちになれない人間だから、だから、東大にでも通るかどうかという成績を取れるのです。母のイトコは、結局、1浪で東大の文科二類に合格したようですが、本人は高校卒業時に落ちても「かわいそう」とかいうようには思わなかったでしょう。合格最低点より高い点数を取れなかったのは自分だし、何より、易しい所を受けて通るという選択をしなかったのも時分なのですから。 しかし、母の叔父というのか叔母のダンナが「勉強せんもんが落ちるのはしかたがない。勉強するもんが落ちるのはかわいそうや」と言ったというのは、それは、 「しょーもない私立大学」を受けて落ちたような人間が、「東大落ちたなんて贅沢や。俺らは法政でも通らんのにからに」とか何とかかんとか勝手なことを言うやつが多いのですが、そういう人間が「かわいそう」かというと、そんなもん、「かわいそう」なわけない。「勉強せんもん」が落ちるのはしかたがない。それに対して、東大とかに行こうとして落ちた者の方が「かわいそう」やと言うのです。
  東大の入学試験というのは絶対評価ではなく相対評価で、他の受験生が優秀なら自分もそれなりに優秀であっても合格最低点より低ければ落ちます。それが嫌ならもっと合格しやすい所を受けることですが、誰がそんな「もっと易しい所」なんか受けるもんかあ! ・・と思うから、難しい所を受けているのです。だから、そういう所を受ける人は、通る場合もあれば落ちる場合もあるけれども、「そういうもの」であり、しかたがない。
※ 《YouTuve-明日への叫び~あしたのジョー2のテーマ》https://www.youtube.com/watch?v=YM-9qTdaS8c

  しかし、小学生の場合は、特に、小学生であまり成績が良くない方の小学生にはそういう評価のしかたは好ましくないのではないか・・・ということで、相対評価よりも絶対評価の方がいいという考え方が出てきたようなのです。

  北野高校の通知簿の成績は、毎学期の成績は試験の点数を中間考査・期末考査の平均を記載して、年度末には「5段階絶対評価」だったと記憶しています。なぜ、相対評価ではなく絶対評価なのかというと、相対評価にしてしまうと「1」の生徒が何人か出てくることになりますが、高校では、2~5が合格で「1」は不合格で、1が2科目以上あると留年になってしまいますので、高校としてはできるだけ留年にはしたくないのに、5段階相対評価にしてしまうと、「1」の成績を何人かにつけざるをえなくなってしまうので、それで、相対評価ではなく絶対評価にしていた、ということもあるのではないでしょうか。何人か、間違いなく「不合格」にしたいわけではないのですから、「1」は不合格という前提での5段階相対評価は適切ではないのでしょう。
  北野高校の音楽のN先生が、音楽では筆記試験はしないで、歌の試験とギターの試験での実技試験だけで成績は決めますとしていて、それは「音楽というものは、理屈ばっかりわかっていてもだめで、実際にそれを音楽として演奏できてこそのものだから」と言われていたのですが、そういうこともあるかもしれないけれども、N先生が筆記試験はやらないことにしていたのはそれだけが理由ではなく、筆記試験をやると期末考査の前に、芸術科目である音楽の試験勉強をしないといけないことになって、数学・英語・国語・理科・社会科の学習時間を奪うことになり、又、筆記試験をやると、悪くすると0点とるやつが出てくる可能性が出てくる、0点でなくても5段階絶対評価で不合格点の「1」に該当する成績を取る生徒がでてくる可能性があるのに対して、実技試験だけで採点すれば無理矢理にでも全員に合格点になる「2」以上の成績をつけることができるので、それで、京大・阪大や東大を目指す生徒は多くても芸大・音大を目指す生徒は少ないという高校においては音楽の成績で不合格点の「1」はつけたくないということからの親心だったのではないかと思います。そのあたりは、良心的だと思いますよ。
  それから、北野高校のコーラス部のOBで京都大工学部に行った某(新北野中学校卒)が「私はN先生に嫌われていましたから、音楽は3でした」とか言っていましたが、嘘ですからね。N先生は「好きなやつは5で嫌いなやつは3」なんて採点をしていたのではなく、たとえ実技試験でも、きっちりと基準を設けて基準に基づいて採点していたはずで、好いていたか嫌っていたかで「5」か「3」か決めていたのではありませんからね。時々、自分が「3」の評価しかしてもらえない演奏しかしていないくせして「嫌われていましたから、音楽の成績は3でした」とか言う人がいましたが、嘘ですから。曲がりなりにも京都大学という大学に行った男が、しょーもないこと言わない方がいいと思います。自分の値打ちを下げます。実際に自分が良くても「3」くらいの評価の内容でしかない演奏しかしていないのに「5」をつけてもらえないのは嫌われているからだと勝手な解釈をしたがる人が他にもいましたが、違いますからね。

  今はどうなっているか知りませんが、1970年代後半、北野高校では「高校の模擬試験」というものが3年の時に3回、実施されました。これは、数学・英語・国語・理科・社会科で、各科目100点で500点満点で採点されましたが、点数と学年順位が出された。 いわば、絶対評価の点数と相対評価の学年順位が出されたのです。
  大学受験を考えるにおいては、点数と順位の両方から見るというのは大事です。なんだかんだ言っても、京都大学とか大阪大学とかいうような大学の大学入試は入学試験の問題で上から順番に定員まで合格ですから、「みんながよくできたのであって、合格最低点より低くても一生懸命頑張ったんですう」なんて言っても、「小学生とは違いますう」と言われるだけですから、他の受験生よりも高い点数を取る必要があります。いいか悪いか言っても、「そういうもの」なのですから、しかたがない。
  この場合、点数と順位の両方で見るべきだというのは、点数だけで見たのでは、少々いい点数を取ったとしても「その時、易しい問題が出ただけ」の可能性もあるし、少々悪い点数を取ったとしても「難しい問題が出ただけ」である可能性もありますから、易しい問題が出たから高得点が取れただけなのに「手の舞、足の踏むところを知らず」みたいに喜んでもアホですし、難しい問題が出たから少々低めの点数しか取れなかったのにしょげかえっても、そんなことでしょげるのは、しょげることがマイナスになります。点数だけで判断するのではなく、学年順位を点数と合わせて両方で判断するようにすれば、易しい問題が出たから高得点なのに喜んだり、難しい問題が出たから低めの点数なのにしょげかえったりという馬鹿らしいことはしなくてすみます。
  もうひとつ、順位については、学年順位とクラス順位の両方を見た方がいいと思います。私は、高校3年の時、1回目の模擬試験の学年順位より2回目の模擬試験の学年順位の方が、わずかに悪かったのですが、クラス順位では、むしろ、2回目の方がわずかに良かったらしいのです。 学年順位ははっきりと何番と教えてもらったと思うのですが、クラス順位は明記されたものはもらえませんでしたが、3年の時の担任が「クラス順位なら1回目よりいいのだけれどもなあ」と言うので、わかりました。 学年順位ならわずかに下がったけれども、クラス順位ならわずかに上がった・・ということならば、もしも、その模擬試験がその高校の3年生と卒業生だけが受験するのではなく、もっと広い範囲で受験していたならば、クラス順位ならわずかに上がったが学年順位ではわずかに下がったけれども、もっと広い範囲の受験生の中では、むしろ、わずかに上がっていたという可能性だってないとは言えないと思うのです。ですから、順位で見るにしても、学年順位だけで見るのではなく、学年順位とクラス順位の両方から見るというようにした方がいいのではないかと思います。
  「業者の模擬試験」というもの、1970年代後半に私が受けたものでは、駿台予備校・河合塾・代々木ゼミナールとか、旺文社・福武書店・・ほかの「業者」が実施した模擬試験の場合は「学年順位」とか「クラス順位」というものはありませんが、「偏差値」というものが出ていたと思います。これも学年順位と似たものとして、同じ実施団体がおこなう模擬試験で同じ形式の模擬試験を2回以上受けた場合には、前回よりも点数が上がった場合も下がった場合も、点数だけで判断するのではなく、偏差値と合わせて判断するようにした方がいいでしょう。点数だけで判断したのでは、単に易しい問題が出たから高い点数を取れただけなのに大喜びしたり、難しめの問題が出たから低めの点数であったのにしょげかえったりといった馬鹿げたことをしてしまう可能性があります。
  ですから、こういったことを考えると、大学入試においては、点数と「学年順位もしくは偏差値」を合わせて両方で判断するべきであって、片方だけで判断するべきではないと言えます。

  資格試験の場合は、ともかく、一定の水準を超える人は何人でも合格にしようという資格試験と、毎年の合格者数を何人くらいにしようという構想があって、その構想のもとに合格最低点が決められているという試験とがあるようです。
  普通自動車第1種免許というのは、私が横浜市港北区の自動車学校に行った時、指導員の人が「自動車の免許というのは、これは誰でも取れる」と話されたのですが、この言い方では、なんだか、楽に取れるみたいですが、実際はけっこう大変です。学科講習は大学の夏休み・春休みといった時にまとめて受講すると、受講すること自体は簡単ですが、いったん、受講しそこねると、講義が始まった期間に夕方から夜にかけて受講しようとすると、受講できていない講座がぴったりとその時間になくて苦労しますし、実技講習は、それまで、クルマの運転なんてしたことない人間が最初にクルマを自分で運転するというのが怖いこと怖いこと・・・で、けっこう大変ですが、毎年の合格者数を決められているわけではないので、一定以上の基準を達成できれば合格して「普通自動車第一種免許」は取得できます。 私は実技講習を次の段階になかなか進めなくて苦労しましたが、学科試験は「こんなもん、落ちたらアホや」と思っていたのですが、ところが、1980年代前半に普通自動車第一種免許を取得してすぐ後に、東京圏で除草剤の散布作業のアルバイトをしたところ、そこの会社の正社員のおじさんが、私と同じ頃に普通自動車第一種免許を取得できたそうで、ずいぶんと喜んでいたのですが、そのおじさんは実技はそれほど苦労しなかったらしいのですが、学科試験に3回落ちた・・・といって、それを苦労して苦労してやっと通ったと言って大喜びしていたのですが・・・、なんで、あんなもん、落ちるねん、落ちるような試験とちゃうやろうが・・・と心の中では思ったのですが、そのおじさんにとってはその学科試験に通るのが相当大変だったようでした。
  そういえば、2002年、(株)一条工務店でフォークリフトの資格を取ってくれと言われて、東京都あきる野市 に受けに行ったのですが、実技試験は無茶苦茶しごかれてへとへとになりましたが、学科試験なんて落ちるような試験ではなかった、「ほとんど日本語の試験」みたいなものもあった・・と思ったのですが、試験官というのか採点者というのかの男性が「ボールペンではなく、必ず、鉛筆で書いてくださいよ。私は採点する時に消しゴムを持ちながら採点するんですからね。消しゴムで間違いを消して訂正した上で採点してるんですからね」なんて言われるので、ええんかいやあ・・と思ったのですが、フォークリフトの試験を受けるにーちゃん・おじさんというのは実技はできても(これから試験を受ける人ですから無茶苦茶うまいわけではないとしても)学科試験で合格するのが難しいという人がいるらしく、なんで、そんなもん、間違えるねん、そんなもん、単なる日本語の問題やろうがという問題を間違える人がいるらしかった。(株)一条工務店という会社は40を過ぎた私にそういう資格を取らせたのです。(株)一条工務店という会社はそういう会社です。私が入社した1992年頃は、「一条工務店なんて、まったく聞いたことないわ」とか言われてバカにされた会社でしたが、最近、知名度が上がって「いい会社じゃないですか」などと言う人がいますが、あの不良企業が「外面ばっかりいい会社」になったのでしょうか、アホなこと言う人が時々いますね・・( 一一)
  普通自動車第一種試験というのは、「誰でも取れる資格」なんて言う人がいますが、だから何の苦労もなく誰でも楽々と取得できるのかというとそうでもなくて、けっこう大変ですが、しかし、他の受講生と競争しなくても、合格定員といったものがあるわけではありません。合格の基準を満たした人は何人いても合格にしてもらえる試験のはずです。
  例として、普通自動車第一種免許、それに、フォークリフト技能 という資格は、これは一定以上の能力があるとその試験で認定されれば取得したいという人が多くても少なくても合格という試験です。

  それに対して、 「だいたい、毎年、何人くらい、合格ということにしよう」という構想がある資格試験というものもあるようです。私が合格・取得したものでは、インテリアコーディネーター(私が合格した1996年においてはインテリア産業協会が実施して通産省認定国家資格でしたが、小泉ええかっこしい内閣の「行政改革」で、今はインテリア産業協会が実施する民間資格になりました)・キッチンスペシャリスト(私が合格した2001年においては日本住宅設備システム協会が実施していましたが、その後、日本住宅設備システム協会は解散してインテリア産業協会が資格と試験を管理するようになりました)は、どちらも、毎年、何人くらい合格にしようということを考えて合格最低点を決めているようです。
  雇用能力開発機構 が今は高齢・障害・求職者雇用支援機構に変わりましたが、2004年だったと思うのですが、雇用能力開発機構の「就職コンサルタント」が「就職相談」というのを無料でおこなっていて、その頃はそれを受けると、失業保険受給のための月2回以上の求職活動にカウントされたこともあって、雇用能力開発機構 千葉センターの「就職コンサルタント」がJR「船橋」駅の南側のビルに来て実施されたものを受けてたのですが、私は戸建住宅建築業の会社に長く勤めてきて、会社や上役から取得してくれと言われて、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・二級建築施工管理技士・宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格を取得しましたが、それまで勤めてきた会社においても、このうち、どれか1つを取得・保持していた人は何人かいましたが、この4つを4つとも取得していた人は私以外には1人もいませんでしたし、このうち、1つでも「受けたい」と言いまくっていた人は何人もいて「受けた」という人もけっこういましたが、1つだけでも「通った」という人はそれほど多くなかったのです。私は、せっかく、戸建住宅建築業に関連する資格を苦労して努力して取得しましたので、会社によってそういったものを評価する会社と評価しない会社、評価する経営者と評価しない経営者がいますから、できるだけ、こういった資格を評価してくれる所に勤めたいと話したのです。ところが・・・、その雇用能力開発機構の「就職コンサルタント」のおっさんは何と言ったかというと、「そんなもん、インテリアコーディネーターだのキッチンスペシャリストだの宅地建物取引主任者だのなんて、誰でも受けさえすれば通るう~う。 そんな資格なんて、誰でも、ともかく、試験会場まで行って住建番号と氏名さえ書けば、間違いなく絶対に通る資格だ。そんな誰でも通る資格なんて持っていても仕方がない。甘ったれるな!」とそう言ったのです。このおっさん何を言うかと思い、「そんなことないですよ。誰でも通るなんて資格ではありませんよ。これまで勤めてきた会社でも、インテリアコーディネーターにしても宅地建物取引主任者にしても持っている人と持っていない人なら持っていない人の方が圧倒的に多いですよ。ましてや、4つとも持っているのは私一人だけですよ」と話したところ、「嘘つくなあ! そんなことない。インテリアコーディネーターなんて、誰でも受験番号と名前さえ書けば間違いなく絶対に通る。宅建主任なんて試験会場に行って受験番号と名前さえ書けば誰でも間違いなく絶対に通る資格だ。甘ったれるなあ! いいですか! 私はあなたの為を思って言ってあげているんですよ。いいですか!!!」とおっしゃるのでした・・・が、このおじさんは「私は石原都知事の知り合いなのだけれども」というお方だったそうですが、石原慎太郎の知り合いか何か知りませんが、インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても二級建築施工管理技士にしても宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 にしても、「受けさえすれば誰でも間違いなく絶対に通る」試験ではありません。もしも、本当に「受けさえすれば、誰でも間違いなく絶対に通る」試験であったのなら、私自身も間違いなく1回目の受験で通ったはずですが、私自身の受験経験を述べますと、
(1)宅地建物取引主任者〔⇒宅地建物取引士〕
1989年 不合格
1990年 (未受験)
1991年 (未受験)
1992年 合格
1993年 実務経験にかわる講習を受講の上、登録。
(2)インテリアコーディネーター
1993年 1次 不合格
1994年 1次 不合格
1995年 1次 合格  2次 不合格
1996年 1次免除  2次 合格
1997年 登録
(3)キッチンスペシャリスト
1994年 不合格
1995年 学科 合格  製図 不合格
1996年 学科免除  製図 不合格
1997年 学科免除  製図 不合格
1998年 学科免除  製図 不合格
1999年 学科 合格  製図 不合格
2000年 学科免除  製図 不合格
2001年 学科免除  製図 合格
2002年 登録
・・・・と、宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)は1回落ちて2回目の受験で合格、インテリアコーディネーターは3回落ちて4回目に合格、キッチンスペシャリストに至っては7回落ちて8回目にやっと合格したものであり、「誰でもともかく受けさえすれば、間違いなく絶対に通る試験だ」だの「受験番号と名前さえ書けば間違いなく絶対に通る」だのというような、雇用能力開発機構(現 高齢・障害・求職者雇用支援機構)の「就職コンサルタント」のおっさんが言うような試験ではないのです。私は事実を事実として、あなたがおっしゃることは違いますよ・・・と心を尽くし礼儀を尽くし懇切丁寧にお話したのですが、「石原慎太郎都知事の知り合い」のお方は「いい~んや。そんなことない。宅建主任なんて受けさえすれば誰でも間違いなく通る資格だ。インテリアコーディネーターだのキッチンスペシャリストだのなんて、ともかく試験会場に行って受験番号と氏名さえかけば誰でも絶対に間違いなく通る資格だ。私はあなたの為を思って言ってあげているんですからねえ。いいですかあ。あなたの為を思って言ってあげているんですからねえ」とおっしゃるのでした。「あなたの為を思って」言ってくださるのはけっこうなのですが、そんなこと言われても、決してそのおっさんがおっしゃるような「受けさえすれば通る試験」ではないし「受験番号と氏名さえ書けば誰でも間違いなく絶対に通る試験」でもないのです。むしろ、雇用能力開発機構⇒高齢・障害・求職者雇用支援機構の「就職コンサルタント」こそ、「石原慎太郎都知事の知り合い」でさえあれば、誰でもなれるのではありませんか? ・・・たぶん、そうだと思いますよ( 一一)  ・・・まあ、「その程度の人」を相手に議論しても「疲れるだけ」ですから、「求職活動」として月に2回という失業保険の給付を受けるためのポイント獲得だからいいのするか・・・くらいにでも思って、無駄足ふんでしまったなあ・・・と思って帰りましたが、あのおっさんはいったい何だったのでしょうねえ・・・( 一一)
  あんな「就職相談」なんて、それを受けると失業保険を受給するための月2回以上の就職活動にカウントされるということにして単に無能なおっさんに仕事を作ってあげているだけ・・でしかありませんよ。「早期就職支援センター」もまた、そんなところがあったな。なんか、早期就職支援センターのおっさんに「早期就職」を「支援」するための「センター」みたいなもので、「早期就職支援センター」というのは、早期就職支援センターというものを作ることでそのおっさんの「早期就職」には役立っても、そんな所にクライアントとして行っても害こそあれ益になるものはない・・みたいです。なんか、変なこと、やっとる・・て施策があるように思います。

  かつ、なぜか、「いっきゅうけんちくしい~い」というものに対して変な信仰を持っていて、「建築会社に勤めたいと思うのなら、最低でも一級建築士を持っていないといかん」とおっしゃるのでしたが、まず、建築士の受験資格が最近、ちょっと変わったようですが、私が最初に戸建住宅建築業の業界に勤めた1980年代からその「就職相談」を受けた2004年頃までは、二級建築士の資格試験の受験資格は4年制大学の建築学科卒なら実務経験ゼロで受けることができて、土木学科卒なら実務経験1年で受けることができて、一級建築士は建築学科卒なら実務経験2年で受けることができたのですが、建築学科・土木学科以外の学部・学科卒の場合には実務経験が7年で初めて二級建築士の受験資格を得ることができて、一級建築士は二級建築士を取得してからさらに実務経験2年を経て初めて受験資格を得ることができるという資格で、この場合の「実務経験」というのは、勤め先が建築会社であっても、営業ではだめで、人事・総務・経理とかいう仕事ではだめで、職人もだめらしく、設計か工事管理の仕事でないと「実務経験」と認められないらしく・・・、実際には「オットが設計事務所やってました」なんておばさんというのは、たいてい、設計事務所やってるおっさんというのは「税金対策」で、ろくすっぽ仕事してない嫁はんを従業員で給料払っているという扱いにしている場合が多くて、建築会社に実際に勤めて営業の仕事をしていた人間は実務経験にならないのに、設計事務所のおっさんの嫁はんは実際は設計事務所の仕事なんて何もやってないのに、なじかは知らねど「実務経験」になってしまって、二級建築士試験受けることができて合格して・・・となって、それで「私は二級建築士ですから」とふんぞりかえったりして・・・という資格なのです。・・まあ、その程度の資格( 一一)
  実際は、営業の場合でも、「売るだけ」の営業はだめですが、図面も書けば工事管理もやるという営業の場合は、この「実務経験」になるかならないかというのは名刺に職種が何と書かれているかが問題であるのではなく、実際に図面を書いたり工事管理の仕事をしているかどうかで判断されるのであり、「設計課」「工事課」に所属していても、「設計課」「工事課」に所属していただけで設計の仕事も工事管理の仕事もしていないという場合は本来は実務経験にはならないはずで、図面も書けば工事管理もやり営業もやるという仕事を会社によって名刺には「工事課」と書いた方がお客さんの受けがいいと思って「工事課」と書く会社と「営業課」と書く会社がありますが、工事課と名刺に書いてあれば受験資格になるが営業課と書いていたなら受験資格にならないというものではなく、名刺に書かれている文言は「営業課」であっても図面を作成したり工事管理をしたりもするような「営業課」の場合には受験資格にはなるはずで、それは、「証明」する会社が認めれば認められていたのです。
  もっと言えば、設計事務所か工務店で1年間、事務員やっただけのおねーちゃんが二級建築士を受けたいと言えば、「じゃあ、ぼく、証明してあげますよ」なんて親切で女性に優しいおじさんがいて、1年間、事務員やっただけのおねーちゃんを「7年間の実務経験がある」と「証明」してもらうと、二級建築士を受けて通って「1年間、事務員やったおねーちゃん」が「二級建築士の先生」なんてものになったり・・・・て、ええんかいやあ・・と思う人もあったようで、姉歯さんの事件頃から「実務経験」については前より厳しくなったとかいう話ですが、そういう資格でした。
  一級建築士は「バカでも入れる美大の建築学科」卒でも「アホでも入れる私大の建築学科」卒でも、ともかく4年制大学の建築学科卒なら、二級建築士に通らなくても卒業後2年の実務経験で受験資格を得ることができましたが、社会科学系学部卒では建築士の試験に関しては「学歴なし」の評価になって、「不良の行く工業高校」の建築学科卒よりも「学歴は下」の評価になってしまう・・のですから、なんか、あほくさいなあ・・という受験制度の資格でした。 又、建築学科には「工学部・理工学部系の建築学科」と「芸術学部・美術学部系の建築学科」があるけれども、小学校から高校までの勉強は慶應の教授(内部進学)(アホ)が言うような「害がある」というようなものではなく、「工学部・理工学部系の建築学科」というのは小学校から高校までの数学・物理・化学・生物といったものを学んできた者が行く所・「芸術学部・美術学部系の建築学科」というのは小学校から高校までの美術や日本文化史・世界文化史などを学んできた者が行く所と考えると、「バカでも入れる美大の建築学科」だの「アホでも行ける私大の建築学科」、カネさえあれば入れる大学、裏口入学ではないのかもしれないが裏口入学みたいなもんて感じの大学、いわば「カネで買ったような受験資格」の連中よりも、小学校の時も中学校の時も高校の時も数学も物理も化学も生物も美術も技術家庭も日本史も世界史もすべて、そんな「カネで買ったようなバカでも入れる私大の建築学科卒」よりもずっといい成績を残してきたのに、なんで、俺に受験資格がないんだ?!? ふざけんな!!!・・・て感じで、ガチンコで受けることができる資格を受けてガチンコでインテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・二級建築施工管理技士・宅地建物取引士と取得してきたのに、なんで、「カネで買った受験資格」で私らが「夜討ち朝駆け」やって労基法違反の長時間時間外労働やっていたまさにその時に「ぼく、日建学院♪」とか言いやがって日建学院行って、それで通ったやつ・それでも落ちたやつ・・・、そんなやつの二級建築士だの一級建築士だのをありがたがるんだ。そんなやつの二級建築士・一級建築士なんて、八百長みたいなものなんだよ、八百長みたいなもの!!! 貴闘力も貴闘力チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCNxyWUfEIBTV4I1C9E4OyCg で言うとったでしょうが。「大乃国だって2回しか優勝してないけど、白鵬の44回なんてそんなもの要らないんだよと思ってるはずだ。俺だって1回しか優勝してないけど、輝ける優勝なんだよ。白鵬の44回なんかとは意味が違うんだよ」と言うとったでしょうが。俺のインテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・二級建築施工管理技士・宅地建物取引士は、「バカでも入れる美大の建築学科」だの「アホでも入れる私大の建築学科」だののやつが「ぼく、日建学院」とか言って日建学院に行って講習受けて通ったり落ちたりしたような八百長の資格とは違うんだよ。そいつらがさっさと仕事を切り上げて日建学院言ってるまさにその時もお客様宅に「夜討ち朝駆け」やって、ない時間の中で学習して通った資格なんだよ! 「バカでも入れる美大の建築学科」だの「アホでも入れる私大の建築学科」だのが取得した「いっきゅうけんちくしい~い」なんて、いわば「白鵬の44回」みたいなものとは違うんだよ!!! 反則の肘撃ち攻撃やって勝ってるやつなんかとは違うんだよ。「石原慎太郎の知り合い」こそ「甘ったれるな!!」てものだ。 ・・で、そんな二級建築士・一級建築士なんてのは、社会科学系学部卒の人間にとっては、そんなもん、あほくさくって受けられるかあ!!!・・・という資格だ・・し、会社は建築学科ばっかりではだめで法学部卒の人間も必要なら商学部卒の人間も必要のはずで、「建築学科卒+一級建築士」だけでなく「商学部卒+インテリアコーディネーター」と「法学部卒+宅地建物取引士」の両方がいてこそ会社は発展するはずなのだし、商品の開発は建築学科的発想でやってはだめで商学部的発想でやらないといけません。 実際、俺の「インテリアコーディネーター+キッチンスペシャリスト+二級建築施工管理技士+宅地建物取引士」は労基法違反の過酷な仕事をこなしながら苦労して努力して工夫して取得した資格であり、「バカでも入れる私大の建築学科」が至れり尽くせりの条件を用意してもらって「カネで買ったような受験資格」のもとに合格した八百長みたいな「いっきゅうけんちくしい」なんかとは違うんだよお!!! そんなやつと一緒にするんじゃねえよお!!!
  そもそも、会社という所は、建築業の会社であっても、建築学科卒の人間ばっかりで運営しようとしてはだめで、建築学科卒の人間もいていいけれども、法学部卒の人間や経済学部・商学部卒の人間もいて、両方の人間が両方の能力を発揮してこそ、会社は発展するものであり、社会科学系学部卒の者に「建築会社に勤めたいなら一級建築士を持ってなきゃいかん!」などとアホなこと言うおっさんは、たとえ、「石原慎太郎都知事の知り合い」であっても、そんな人、「就職コンサルタント」にはならないでもらいたいものです。石原慎太郎は何もわかってない変なおっさんを自分の知り合いだからということで、雇用能力開発機構の「就職コンサルタント」なんてものにならすんじゃねえ!!! このあほんだら!
  ・・・それで、少々話がそれてしまったが、インテリアコーディネーターとかキッチンスペシャリストとかいうのは、これは、その資格を持っているからといって、法的に何をやっていいというものがあるわけではなく、その資格を持っていないからといって法的に何をやってはだめというものがあるわけでもない「能力認定資格」ですから、こういうその資格を持っていなければやってはいけないと法律で定められたものは何もない「能力認定資格」の場合には、その資格を所持している人間の数がある程度あってこそ認知されるけれども、あまりにも多くなってしまうとその資格の価値が下がってしまうという資格なので、それで、毎年の合格者数をどのくらいにしようかということも考えて合格基準は決められているはずなのです。又、雇用能力開発機構の「石原慎太郎の知り合い」が言うような「誰でも受けさえすれば間違いなく通る」資格にしてしまうと、その資格の意味がなくなる、その資格の価値がなくなることになってしまいますから、一定以上の難易度は確保しておくことが、その資格を存続させるために必要なのです。だから、「誰でも受けさえすれば通る」だの「受験番号と名前さえ書けば通る」だのというような難易度にはしない、意図的に一定以上の難易度に設定されているのです。「石原慎太郎の知り合い」というのは、よっぽどバカじゃないか・・・!

  ・・で、回り道をしてしまったが、小学校の通知簿は前半に行った小学校は「各科目5段階相対評価」で、後半に行った小学校は「各科目項目ごとに3段階絶対評価」だった。どちらがよりいいのかは、いちがいには言えない。 「フライデー」に載っていた話では、松島みどり さんが「私は文教地区として知られる豊中市の中でも学業成績が優秀ななんとか小学校でオール5でした」とか『東大入試合格作戦』(エール社)で書いておったらしいが、そういうことを書くから、だから、それから何十年も経ってから「フライデー」にそれを引用されて、まったく、嫌な女やな、この女は・・・・みたいな調子で書かれるのだが、しかし、そういうのは別に松島みどりさんだけのことではない。
  私は、小学校1年に入る時、大阪教育大付属小学校平野校舎を「受験」しているのだが、「不合格」だったのだ。どこが悪かったのかはさっぱりわからないが、もともと、自分が行きたいと思って受けたわけでもなく、ある朝、突然、母親から「行くでえ」と言われて、いったいどこに行くねん?・・・と思いながらも、ついていくと、最寄りのバス停からバスに乗せられて、それまで、家の近くの道でバスが走っているのは見ていても乗ったことはなかったので、そのバスに乗れるというのはうれしかったけれども、行った先が大阪教育大学付属小学校平野校舎で、なんか、跳び箱とか、それから、前に絵本みたいのを出されて、「これは何でしょう?」みたいな質問されて、そのできばえは悪くはないと思ったのだったが「不合格」だったのだ。な~んや・・・みたいな感じだったが、もともと、自分が行きたいとか受けたいとか思った学校ではなく、ある朝、突然、「行くでえ」と言われて何が何やらわからんままに行って、気づくと「試験」が終わっていたというものだったので、通ろうが落ちようがどうでもよかったし、結局、最寄りの市立小学校に行くことになったが、どっちがいいのか悪いのかもよくわからなかった・・・が、母親は「落された」ということを屈辱に思ったらしく、私が小学校の3年の時だかに私の通知簿を母の叔母のダンナで隣の区の市立小学校の教諭をやっていた母の叔母というのか厳密には母の叔母のダンナに見せたそうだが、その小学校教諭をやっていた母の叔母のダンナがそれを見て、「ほとんど、5ばっかりやないか」「え~らい、ええ成績やねんなあ~あ」とびっくりしていた・・ということで、母としては不合格にした大阪教育大付属小学校平野校舎に対して「ざまあみろお」という気持だったようだが、その地域で一番の公立進学校に行くような人間というのは、松島みどりさんだけではなく、そんなものだ。

  点数だけ見て、いいと思っても易しい問題が出たから高めの点数だったのかもしれないし、低めの点数でも問題が難しかっただけという場合もあるという例をあげます。模擬試験というものは、大学入試の模擬試験でも資格試験の模擬試験でも、一般に実際の試験・本番の試験に比べていくらか難しめの問題が作成・出題されることが多いのですが、出題者は「いくらか難しめ」の問題を作成したつもりで実際には「こんなもの、できなくたって、それがどうした」みたいな「無茶苦茶難しい問題」になっている場合もあります。
  1970年代後半だが、共通一次試験が始まってからのことだ。東京都墨田区両国に両国予備校という医学部歯学部専門の予備校があって、そこが実施していた共通一次試験を想定した模擬試験を、その頃は国鉄だったが今はJRの「新大阪」駅の東のあたりにあった新大阪予備校という所で受けたのだ。今、インターネットで見ても、新大阪予備校は見つからないので、なくなったのかもしれない。両国予備校は《ウィキペディアー両国予備校》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%9B%BD%E4%BA%88%E5%82%99%E6%A0%A1 によると、2005年2月に閉校したらしい。
  その時、受けた模擬試験は共通一次試験の模擬試験だったのだが、医学部歯学部受験を想定した予備校が実施する共通一次試験用模擬試験だったので、一般に模擬試験というのは入学試験の模擬試験でも資格試験の模擬試験でも、本番の試験よりもいくらか難しめの問題が出題されることが多いと言われているのだけれども、英語・国語・社会科については、一般の模擬試験と同様に「やや難しめ」くらいの問題だったのだが、医学部歯学部受験を対象とする予備校が実施する模擬試験だっただけに、意図的に理系科目は難しめにしていたようで、数学と理科2科目については「やや難しめ」ではなく、本番の共通一次試験の問題の難易度から考えると「無茶苦茶難しめ」の問題だった。だから、その時に受けた共通一次試験を想定した形式の模擬試験については、数学と理科2科目に関しては、試験問題の難易度が本番の共通一次試験よりも「無茶苦茶難しめ」の問題だったから、採点結果を見るより前に、点数としては「共通一次試験の点数としては」低い点数であろうとわかったし、「共通一次試験の点数としては」低い点数であっても、最初からそういう問題が出題されているのだから、低めの点数になっても当たり前であって、それでどうこう言う必要はまったくないもの・・・と、試験終了と同時にわかった

  他の例として、私は宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)の試験に1993年に合格したのだが、同試験は10月の前半にあって、私はその時、東京都に住んでいたので東京都の試験会場として、蒲田駅から歩いた所にあった専門学校に受けに行き、できてそれほど経っていない東京都庁に合格発表を見に行くと、自分の受験番号があった♪・・というものだった。 宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士の試験は学科試験だけなので、「独学で通った」のだけれども、「独学で通った」と言っても受験予備校といった所に受講生としては行かなかったということであって、受験予備校といったような所の情報を利用しなかったというわけではありません。東京リーガルマインドが無料でくれた「出る順宅建の紹介」という『出る順 宅建』という東京リーガルマインドが発行しているテキストの紹介と宅地建物取引主任者試験の合格法についての東京リーガルマインドの講師による説明のカセットテープは聞かせてもらい参考にさせてもらったし、そういった「受験予備校」に受講料を払って受講生としては行かなかったけれども、そういった所の情報は利用させてもらっているのであり、そういった情報も利用していないという意味ではない。東京リーガルマインドの他に、日建学院が、宅地建物取引主任者試験の願書を提出した人に、無料で宅地建物取引主任者試験の「模擬試験受験と採点会受講」をさせてくれたのだが、それを五反田校に受けに行った。
  今もそうかどうかわからないが、その頃は50問出題されて、合格最低点はその年によって異なり、過去数年間の合格最低点は、50点満点で低い時で30点・高い時で35点だった。問題が難しめの時は合格最低点が低めに設定され、問題が易しめの時には合格最低点が高めに設定されたのでしょう。私は1992年の受験で合格できましたが、受験後の自己採点の結果は35点だったか36点だったかで、過去何年かの合格最低点は一番高い時でも35点で、自分が受験した感覚としてこの年の問題は過去何年かの問題と比較して易しいとは思えなかったので、おそらく通っただろうと思いました。後から聞いた話ではこの年の合格最低点は30点だったという話なので、点数としては十分合格の点数だったと考えていいでしょう。
  本番の何か月か前に受けた日建学院で無料で受させてもらった「模擬試験と採点会」は、実際の宅地建物取引主任者試験は50問だが、日建学院が実施した無料の「模擬試験と採点会」では、形式は宅地建物取引主任者試験の問題と同じ形式だったが、短時間でおこないたかったようで、問題数は実際の試験よりもずっと少ないものだった。なおかつ、その問題の難易度が、実際の本番の試験の難易度よりも、「難しめ」ではなく「無茶苦茶難しい」問題だった。その「模擬試験」が終わった後、「採点会」になったが、私もできなかったが、他の人もできていなかったようだった。日建学院としては、その日のうちに完結する予定で、あらかじめ、何点以上なら合格可能性が高い、何点から何点までなら可能性十分、何点から何点ならがんばってね・・で、何点以下なら「人事を尽くして天命を待て」みたいな感じの「判定」がされていたのだったが、〔大学入試の模擬試験で4段階か5段階かの「判定」で一番下の場合に「人事を尽くして天命を待て」という文句が書かれていたが、あれはいったいどういう意味なんやろなあ?・・ 〕・・それで、私もその時は最低の「判定」だったが、出席者はほとんどの人が最低の「判定」だったようだ。 「難しめ」の問題を「模擬試験」に作ったのはいいけれども、結果として「難しめ」ではなく「無茶苦茶難しい」問題になってしまい、「こんな問題、できなくて当たり前」みたいになってしまっていたのだった。受けてわかったから、だから、その時の点数は低くても、「そんなの、関係ねえ♪」と思った。
  なにしろ、大学受験において2年も浪人してしまったことから、入学試験とか資格試験というものは「ともかく、通ればええんや」という認識を持つようになり、その認識こそが「勝負強さ」であり、そもそも、野球のホームランというのは外野のフェンスを越えたらホームランであって、場外ホームランを打っても余計に点数をもらえるわけでもないのと同じく、宅地建物取引主任者試験というのも、「ともかく、通ればええんや」と考える姿勢こそ「勝負強さ」だと心の底から思っていて、そんなもの、「合格者最高得点答案」なんてそんなもの、書いてたまるか! ・・通りさえすればそれでええんや、通りさえすれば・・・と思っていたし、だから、《誰もができない「模擬試験」》の点数なんて、気にする必要もないし、気にする暇はない・・と認識した。こういう考え方を普通にできる人と、わかっている人間にとっては当たり前のことだが、こういう考え方ができない人というのがいるのだが、やっぱり、「受験のベテラン」・・てのは2年も浪人しても合格できなかった者としてはそんな「ベテラン」なんて自慢になるものではないのだけれども、野村のじいさんも「『失敗』と書いて『成長』と読む」と言うておったように、「落ちた経験」から学んだものは、たしかにある。

  もうひとつ、「偏差値」というものについて、述べておきたい。「偏差値」というのがいかんという人がある。なぜ、いかんのかというと、この「偏差値」というものを、あまりにも絶対的なもののように考えて、それで人間の価値が決まるみたいに考えてしまうなら、それは大きく害があるのではないか・・・というのだ。たしかに、あまり、固定的に考えるべきものではない。
  「偏差値」というものが良くないと言われる理由として、そのルーツが良くないと言う人がいる。どういうところからでてきたものかというと、「偏差値」というのは、もともと、戦争中に銃の精度を見るために、的からどれだけずれるかを示す数値が「偏差値」だったらしい。上にずれるか下にずれるか。上に大きくずれるか小さくずれるか、下に大きくずれるか小さくずれるか。そういう数値だったらしい。それを人間にあてはめて、中間より上の人間だとか下の人間だとか言うのは不適切だ・・と言うらしい。 しかし、まず、それはそういう言い方をするのが間違っているのであり、そういう使い方をするのが間違っている。
  大学入試においては、高校が実施する模擬試験では、点数だけで判断するのでは、易しい問題が出たから高得点を取っただけなのに大喜びしたり、問題が難しかったから低めの点数だったのにしょげかえったり・・ということをやりかねない。だから、点数だけでなく学年順位を合わせて考えるようにした方がいい。又、学年順位だけで見ると、今度は、その年、その学校の生徒全体のできが良かった場合、実際より悪い評価をしてしまうことになるし、その学校の生徒全体の成績がその年は良くなかったという場合には、学年順位だけで見ると実際よりもいいように解釈してしまうことになる。
  又、順位ばかりを見て考える思考は、「人との比較で考える思考」につながり、いついかなる時も人との比較でしか考えることができないような人間になってしまうと、そんな人間というのは、「人との比較で見て」比較的高得点を取得することができても、まったくだめではないとしても、「人との比較でしか考えられない人間」というのは、あんまり、一流の人間ではない・・・ということにもなる。

  世の中には、高い評価を受けている大学に合格した人、高い評価を受けている大学を目指していた人間は「偏差値」というものが高いだろうと思っている人がいて、又、高い評価を受けている大学に通った人・目指していた人というのは「偏差値」が高いと自分で思っているのだろうと勝手に思い込んでいる人というのがいる。どんな人がそんなことを思っているかというと、「慶應の教授(内部進学)」なんかはそう思っていらっしゃるらしいのだ。
  1984年、慶應大学商学部で「会計学総論」という講義の時だが、黒川行治助教授先生さま(男。当時、30歳。慶應中等部⇒慶應義塾高校卒⇒慶應大学工学部卒⇒慶應大学大学院⇒慶應大学商学部助教授)(その後、「教授」におなりあそばして、さらに現在は「名誉教授」先生さまになっておられるらしい)が、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。わかってんのかあ~あ。おまえらはみんな、自分たちは偏差値が高い優秀な人間だとか思ってるんだろう。フン! そんなものが何の価値があるものか。小学校から高校までの勉強は害があるんだあ! わかってんのかあ! その点、我々、内部進学の人間は塾風というものを持っているんだ。我々内部進学の人間はおまえら『(慶應義塾の)外部の者』とは違うんだあ! わかってんのかあ! 我々内部進学の人間と、おまえら『(慶應義塾の)外部の者』とは違うんだぞお。わかってんのかあ。経済学部なら内部進学の人間が多いから、おまえら『(慶應義塾の)外部の者』は内部進学の人に教育してもらうことができるんだけれども、商学部の場合は内部進学の人間が少ないから、だから、中等部から慶應に行っているこの僕が、おまえら『(慶應義塾の)外部の者』を教育してやってやろうと言ってるんだ。わかってんのかあ。内部進学のこの僕が、おまえら『(慶應義塾の)外部の者』に話をしてやってるんだぞ。もっと、かしこまって聞きなさい。もっとかしこまって。わかってんのかあ~あ!」と、こうおっしゃったのだった。
  とりあえず、その「我々はおまえら外部の者とは違って塾風というものを持っているんだ」とおっしゃるその「塾風」て、それはいったい何なんだ? ・・・というと、どうも、「慶應の内部進学の人が持っている何か」らしく、戦中、「ヤマトダマシー」なんてよく言われたらしいが、その類のもの、いわば「子供だまし~」みたいなもの・・みたいです。もしくは、「内部進学はエライ⇒次いで、私立高校出身はエライ⇒公立高校出身者はドジン」といったそういう「内と外」思考を「塾風」とか「福沢精神」とか「独立自尊」とか彼らは言っているようです。
  ・・まず、なんで、「内部進学の人」とかいう特権階級か「上級国民」かみたいな連中、
「種無し葡萄(デラウエア)を食べるのに、人に皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人」・
「蜜柑を食べる時には、人に皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食べる人」・
「agriculture を agriculture と発音せずに、agriculture と発音する人」・
「公立高校出身者はドジンだと思っている人」・
「女子大生を騙して集めて強制猥褻行為を繰り返している人」・
「女子高にブルマー盗みに行く人」・
「福沢諭吉の著作や伝記など1冊も読まないで、『福沢精神』『福沢精神』と叫びまくる人」・
「福沢諭吉の墓参りはしても福沢諭吉の著作は読まない人」
から、なんで、「教育」されんといかんのじゃ! のぼせあがるのもたいがいにしろ、このアホンダラ! 内部進学独善主義黒川行治、「ほとんどビョーキ」黒川行治!
  実際のところ、ファーストベースがそこにあったら投げてやりたいところでした・・・が、あいにく、誠に残念ながらファーストベースがそこになかったので投げることができなかった。
※ 《YouTuve-ブラウン監督退場!】ベース投げ!ベース埋め!》https://www.youtube.com/watch?v=FkBRnT0dcvQ
  それで・・・・、内部進学黒川行治さま は、「おまえらは、自分たちは偏差値が高い優秀な人間だとか思ってるんだろう。そんなもの、何の役にも立つものか。小学校から高校までの勉強は害があるんだ。その点、我々、内部進学の人間は塾風というものを持ってるんだ。・・」とおっしゃったのですが、しかし、他の人がどうかは知りませんが、少なくとも、私は大学受験において「偏差値」なんて、そんなもの、ほとんど考えたことないよ。 だって、そうでしょ。模擬試験を受けて、その試験の受験生の平均から考えていくらか上かいくらか下かというのが「偏差値」ですよ。受験者層の学力レベルが高い模擬試験を受ければ自分の「偏差値」は低めになりますし、受験者層の学力レベルが低い模擬試験を受けると自分の「偏差値」は高めになります。 もしも、高い「偏差値」を獲得したいのなら、受験者層の学力水準が低めの模擬試験を受けるようにすればその試験での「偏差値」は高くなりますが、そんなことをしても意味はありません。そうではなく、自分がそこに行きたいと思う大学を対象とした模擬試験を受けるべきです。もしも、東大に行きたいのなら、私が受けた頃、1970年代後半から1980年代にかけてならば、河合塾の東大オープン・駿台予備校の東大模試・代々木ゼミナールの東大模試といった東大の試験形式で実施されるものを受けた方が、その試験と実際の入学試験との相関関係が大きく役に立ちます。
  1970年代後半、YMCA予備校高槻校〔その頃は、YMCA予備校は大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校、神奈川県に菊名と関内の2校あったが、すべてつぶれて今は1校もなくなった〕の京大東大文系クラスの「主事」の藤井という男が、「YMCA予備校の模擬試験はすべての大学・学部に対して絶対的に相関関係がある」と言うので、私は「そんなものは存在しない」と言ったのです。「その模擬試験によって、どの大学・学部の試験には相関関係が大きく、どの大学・学部の試験にはそれほど相関関係は大きくないというものがある」と説明してあげたのです・・・が、ところが、せっかく私が自分自身の経験に基づいて教えてあげたのに、「そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はすべての大学のすべての学部に完全に相関関係がある」と言いはってきかないのです。それでいて、「過去にYMCA予備校にいた女子生徒なんだけれども、YMCA予備校の模擬試験では相当いい成績を取っていて、京大の文学部に間違いなく合格するという成績を取っていたんだけれども、本番の試験では京大の文学部には何度受けても落ちたんだ」と言うのです。「何度受けても」なんて言っても、実際のところ、その人が京大の文学部を何回落ちたのかというと、高校卒業時と1浪時と2浪時の3回で、特に2浪目は、一期校では京大の文学部を受けたとはいえ、二期校の宮崎医大を受けて宮崎医大は通って行ったということですから、2浪目は、むしろ、医学部進学の方を考えていたのではないかと思われますから、京大の文学部を完全に目指して落ちたのは高校卒業時と1浪時の2回ということですから、そんなに「何回受けても」というほど何回も受けて落ちたわけでもありません。まず、模擬試験というものは、どこが実施する模擬試験でも、模擬試験の成績と実際の本番の試験の合否とが百パーセント完全に一致するような模擬試験なんて、そんなものはありません。あくまで、相関関係が大きいかそれほど大きくないかの問題です。ところが、YMCA予備校の「主事」の藤井という男はそれを理解できないのです。私がせっかくわかりやすいように懇切丁寧に説明して教えてあげても、頑固で意地を張って理解してたまるかという態度を取るのです。それだけではなく、YMCA予備校の模擬試験では京大の文学部に「絶対合格」みたいな「判定」を出したのに落ちられた・・ということから、それについて言い訳したいと考えて、そして、どういう言い訳を考えたかというと、藤井はこう言うのでした。「やっぱり、京大の文学部は模擬試験ではどんなにいい成績を取っていても、文学的素養がないやつは落ちるんだ」と。さらに「京大の文学部なんかは、模擬試験でどんなにいい成績を取っていても、文学的素養がないやつとか人間性に問題があるやつは落ちるようになってるということだ」と、そこまで言ったのですよ。いくらなんでも、ひどいと思いませんか? 私はその女性と会ったこともないので、どんな人か知りませんが、どんな人であったとしても、YMCA予備校としては自分の所にお金を払って受講してくれていた「お客さん」でしょうが。通ってもらった方が「YMCA予備校の宣伝になる」かもしれないけれども、たとえ、落ちられたとしても、そうであったとしても、「文学的素養がないから落ちたんだ」だの「人間性に問題がある人間は落ちるようにできているんだ」だのと、なんで、そこまで言わないと気がすまないのか? むしろ、YMCA予備校と藤井の方こそ「人間性に問題がある」のと違うのか!?!
  また、藤井がこういうことを言うと、私は、この人は来年は、この藤井が「文学的素養がなくて人間性に問題があるから模擬試験の成績は良くても京大の文学部の試験には落ちたんだ。文学的素養がないやつは模擬試験ではいい成績を取れても京大には通らないようになっているんだ。人間性が悪いやつは模擬試験でいい成績を取っても本番の試験では落ちるようになってるんだ」など悪口雑言罵詈讒謗を浴びせたのと同様に、この男は俺のことも来年の受講生に何か言うのじゃないか・・・と思ったのですが、ところが、世の中には、こういう藤井のような人間がいると、そうは考えずに、「俺は、人間性が悪くないから、その女性とは違って大学入試に通るだろう」「俺は人間性が悪くないから、来年以降も悪いように言われることはまずないはずだ」とか勝手に決めつけて思う人間というのもいたようです。世の中、そういう人もいるようですね( 一一)
  それで、私は藤井に言ったのです。「もしも、YMCA予備校の模擬試験と京都大学の文学部の本番の試験との間に相関関係が大きいのなら、YMCA予備校の模擬試験で『合格確実』の『判定』をもらっていた人なら通るのと違うのですか。落ちたという人がいるからには、百パーセント相関関係があるわけではないということですね」と。そうすると、YMCA予備校の「主事」の藤井は「いいいや。そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はすべての大学のすべての学部に対して完璧に相関関係がある。YMCA予備校の模擬試験と京都大学の文学部の本番の試験とは完璧に相関関係がある」と。「しかし、現実に落ちた人がいたのでしょう」と私が言うと、「それは文学的素養がないから落ちたんだ。文学的素養がないやつとか人間性に問題があるやつは模擬試験ではいい成績を取っても大学の本番の試験では落ちるようになってるんだ」と言うので、「もしも、YMCA予備校の模擬試験と京都大学の文学部の本番の試験との間に完璧に相関関係があるのなら、文学的素養がない人でも人間性に問題がある人でも通ったのと違いますか。文学的素養がない人とか人間性に問題がある人は京都大学の文学部の本番の試験には通らないということで、かつ、YMCA予備校の模擬試験と京都大学の文学部の本番の試験との間に完璧に相関関係があるのなら、YMCA予備校の模擬試験でも文学的素養がない人とか人間性に問題がある人は良い成績は取れないのと違いますか」と、私はそう言ったのです。そうでしょ。そういうことになりますでしょ。そうすると、このYMCA予備校高槻校京大東大文系クラスの「主事」の藤井という男はどう言ったかというと、「きみも文学的素養がないから文学部は受けても落ちるから文学部は受けてはいかん。それから、きみのような上司に逆らう人間は会社ではやっていけないから経済学部は受けたらいかん」と、そう言ったのです。YMCA予備校というのは、受講生の方がお金を払って行っているのであって、YMCA予備校の職員の藤井らがお金を払って受講生を雇用しているのではないはずです。この藤井という男はいったいいつから、YMCA予備校の受講生の「上司」になったのでしょうか。「きみは文学的素養がなくて人間性に問題があるから文学部は受けたら落ちるから受けてはいかん。それから、きみのような上司に逆らう人間は会社ではやっていけないから経済学部は受けてはいかん」と、この男は私にそう言ったのです。そして、””返す刀で””「野口は人間性が良くて、しっかりしている。彼はきみとは違っていいわ。きみとは違って彼は通るわ」と、この男は私にそう言ったのです。別の表現をすると、野口要という男は、いついかなる時も、学校という所の職員からそういう扱いを受ける人間、そういう扱いを受けようとする人間だったのです。 
  普通に考えて、藤井のようなYMCA予備校の事務職員というのは、予備校の受講生の「上司」と違うのです。この男、いったい何様なの? 藤井という男は「ぼくは早稲田の政経(政治経済学部)でてるんだけどな」と、毎日最低3回は言わないと気がすまないという男で、「もう、その話、何度も聞いたよ」とあきあきしましたし、それを聞くたびに、「早稲田大学というのは、くだらない大学なんだなあ」と思ったものでしたが、実際は、それは早稲田大学という大学がいい大学かくだらない大学かの問題ではなく、藤井は学歴詐称していたのだと思います。あの男の卒業した大学は、いいとこ、亜拓大東帝国かそこらでしょう。いくらなんでも、あんな早稲田ないって・・( 一一)
  そもそも、会社員はなぜ上役の業務命令に従わないといけないのか・・というと、これは財産権が形を変えたものです。会社は誰のものかというと株主のものです。株主の財産権が形を変えたものが経営権です。その経営権を株主は取締役会に委任して、代表取締役が取締役会を代表して会社を経営するのです。株主の財産権が形を変えたものが会社の経営権で、それを代表取締役が実際に行使する時に、従業員に業務命令を出して従業員はその業務命令に従わないといけないのですが、それなら従業員はなぜ業務命令に従わないといけないかというと、それは従業員と会社との間に労働契約が結ばれていて、会社は従業員に給料を払わないといけないけれども、それに対して従業員は会社の業務命令に従って働かないといけないのです。YMCA予備校もしくはYMCA予備校の「主事」の藤井はYMCA予備校の受講生に給料を払いましたか? 払ってませんでしょ。給料を払っていない人間、むしろ、給料をもらっている側の人間が、何を勝手に「上司」になったつもりでいるのでしょうか。アタマおかしいのと違うか?!?
  自分が理屈の通らないことを言いまくって、その矛盾を指摘されると、指摘した人間にまで、「きみも文学的素養がないから」だの「きみも人間性に問題がある」だの、さらには勝手に「上司」になって「きみのような上司に逆らう人間は会社ではやっていけないから経済学部には行ってはいかん」だのと、次から次へとまったくつくづく、よく言うものだと思いました。
  普通、予備校というのはカネを払っているのは受講生の側であって、予備校の職員はカネをもらっている側で払っている側ではないということくらいわかると思うのだが、藤井はその程度のことを理解できない男だったようだ。彼は””「先生」と読んでもらいたい人間シンドローム””の「病人」だったのだが、「先生」というのは何かを教える職業の人のことを言うのであって、藤井は何の科目であれ「教える」という仕事はしていなかった。彼はYMCA予備校の事務職員で、事務職員が悪いとは私は言っていないし、事務職員で悪いことはないはずだったが、「先生」と呼ばれたいらしかった。『新約聖書 福音書』には「あなたがたは、先生と呼ばれない方がよい」というイエスの言葉が載っているのだが、藤井は自称「敬虔なクリスチャン」だけあって「『聖書』は決して読んではいけない」という「クリスチャン」の教えを守っている男だったので、『聖書』に書かれていることなど、慶應の内部進学の人が福沢諭吉の著作なんか読まないから福沢諭吉の発言や生き様と逆行するようなことを「福沢精神」と主張しても平気であったのと同じく、「先生と呼ばれない方がよい」というイエスの教えなんて、頭の隅っこにも置いていないようだった。「高校の先生」の場合は、教員資格というものがあって、教員資格を持たない人でも戦前は大学卒の人が少なかったので教員になることができたらしいが、今は教員免許を取得していない人は東大でていようが京大でていようが高校・中学校の教員の仕事につくことはできないが、他方で「バカでも入れる私大」卒でも教員免許を取得することはできる・・が、京大や東大に進学しようという人を指導するとなると、教員免許は持っていなくても自分自身が京大や東大に合格したか、もしくは受けたが合格できなかったか、目指したが直前に目標修正して阪大あたりに行ったか、そういった人でないと指導はできないでしょうし、又、高校では物理・化学・生物の先生というのは理学部物理学科・化学科・生物学科卒の人がなることが多いのだけれども、予備校で京大東大文系クラスの物理・化学・生物を担当する講師というのは、YMCA予備校では生物の講師は京大の大学院生がやっていたが、生物学科に行った人だけあって「生物」の勉強するのが好きな人だったようだが、京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部、東大の文科1類・2類・3類に合格しようという人間にとっては、特に二次試験には理科はない東大の場合は、理科については相当の時間を費やして高得点を取ることよりも《「壊滅的な成績は避ける」「致命傷は避ける」という程度の点数は取れるように》ということにして、その分、英語・数学・国語・社会科の学習に時間をまわすようにした方がいいという考え方があるはずだが、理学部生物学科に行ったような人にはそういう思考は完全に欠落しており、その人などを見て、「京大東大文系クラス」といった所の理科の講師というのは、理学部物理学科・理学部化学科・理学部生物学科に行った人よりも、過去に京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部や東大の文科1類・2類・3類を受けて通った人か落ちた人かが担当した方が向いているのではないか・・とも思ったのだった。予備校の講師をやるのには教員免許は別に必要はないが持っているならマイナスの評価にはならないだろう。藤井という男は、教員免許を持っていたのかというと持っていないし、自分自身が京大や東大を受けた経験があるのかというとないし、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と1日に最低3度は言わないと気がすまないという男だったけれどもまず嘘だし、教員免許を持っているわけでもなく、京大東大を受けた経験があるわけでもなく、なぜ、そういう人が「先生」の扱いをしてもらいたがるのか・・・。おそらく、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3回以上学歴詐称すれば「人は言うことをきくようになる」という変な信仰を持っていたのと同様に、「先生」になれば《「先生」の言うことを「人は言うことをきく」》と思っていたので、「先生」になることで「先生」の肩書で「言うことをきかす」ようにしたかったのでしょうけれども・・・、ちっぽけな野郎だなあ・・と思いました、まったく、なにかと浅はかな男だ・・・が、このあたりを説明しても、それでも、うちの親は「先生でしょうが」と言ってきかなかったし、私が「あの藤井という男は、まったく何もわかっていないどうしようもないアホだから、どうか、お願いだから、あいつの言うことはきかないで」と言っても、うちの父親は「専門家の先生やがな、専門家の先生。専門家やがな、専門家。せ~んもお~んくぁあ~あ! せんもんか、せんもんか、せんもんか」と言い、「あんなやつ、専門家と違いますと言っても「専門家です、専門家、専門家です、専門家」と言ってきかず、「あいつが専門家だと言うのなら、俺の方がよっぽど専門家だ」と言っても、「何を言うとんねん、何を。専門家の先生です、専門家の先生」と言い、うちの母親は「先生に向かってそんなことを言う。こいつはあ」と母は言い、「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない。あの人はYMCAで主事をやっている人だから、クリスチャンはクリスチャンでも並のクリスチャンではない。相当上のクリスチャンのはずや」と言ってきかなかったのです。これは、つくづくきつかった・・。数学者で教育論者の遠山啓(ひらく)は『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、父親というものは息子を外敵から守ってくれる存在であ~る・・などと書いていますが嘘です。そういう父親というものも世の中にはあるのかもしれませんが、そういう父親を持った息子を心の底からうらやましいと思ったものでしたが、外敵を引っ張り込んでくる父親もいます。
  うちの母親は私が嫌いで小学校の時からの同級生だったN口要という男が大好きで、この時から40年以上経った今でも「N口は京大に通ったのにあんたは通らんかったやないかあ」と言いますが、一番大きな違いとして、N口の親はうちの父親みたいに藤井を「専門家やがな、専門家。専門家の先生やがな、専門家」などと言わない、うちの母親みたいに「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」とかそういうことは言わなかったはずです。むしろ、もし、私が親であったなら、「ああいうアホは相手にしないようにしろ」と息子に教えます。それを息子の方が親に教えているにもかかわらず「専門家やがな、専門家、専門家、専門家」とか、「あの人はクリスチャンの中でも特別にえらい栗酢茶餡のはずや」とかアホなこと言う親( 一一)・・て、あんまりそんな親おらんと思うがなあ・・というのか、うちの親くらいだったのではないかな・・・( 一一) 母は90代になった今でも「あんたではあかん、あんたでは」と言うのです。「あんたが30代で産まれたおかげで私は迷惑した」とずいぶんと言われたものでしたが、「30代で産まれた」息子がいるから、90代になっても、まだ、「親の世話できる息子」がいるのです。もし、20歳で産んでいた息子なら、母親が97歳にもなったら息子も77歳です。「あんたさえ産まれなかったら」とずいぶんと言われてきたものですが、「なんで、産んだの? 産まなかったらよかったのに」と何度も言ったものですが、どうも、「産まれてしまった」みたいです。うちの母親はそのN口という男が大好きで、ずいぶんと応援していましたが、N口はうちの母親からずいぶんと応援してもらったのだから、90代のうちの母親に何かひとつくらい恩返しやってもよさそうにも思うのですが、何ひとつとしてやりません。
  「なんで、私を産んだの? よその子を産んでおけば幸せになったのに、なんで、よその子を産まずに私を産んだの?」と言うのですが、実際、なぜ、よその子を産まずに私を産んだのか。母は「親というものは自分の息子のことをよその子よりもええようにええように思うもんやから」と言いまくっていたのですが、絶対に違う。ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授のトマス=サズが『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)において「彼らがが言っていることを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用していますが、 「親というものは自分の息子のことをよその子よりもええようにええように思うもんやから」などと「心理学の学説」を主張している人がいるらしいのですが、そんなもの、絶対に嘘ですからね。「よく言うわ♪」と思います。「バカ言ってんじゃないわ♪」と思いますね。それにしても、 「心理学」というのは、よくもまあ、いいかげんな「学説」を捏造するものだとあきれます。
  大学生に家庭教師のアルバイトを頼むのなら、普通、旧帝大系国立大学とかに行った人に頼みます。それに対して、高校の教諭は底辺の大学卒でも教員養成課程を履修して教員免許を取得すると高校教諭の資格を得ますが、東大でても京大でても教員養成課程を履修していなければ今は高校教諭にはなれません。ですから、たとえば、旧型司法試験の制度だった時、司法試験予備校なんてところの講師をやっている人は司法試験に合格した弁護士とかが講師をやっていたようですが、およそ、司法試験なんて合格できるわけがないというような人が講師になったりはしていなかったと思うのですが、高校の教諭の場合は、京大・東大などにはおよそ行けるわけがないという人でも高校教諭の資格を取ることはできて、教員になれます。そういう先生もおられるようでした。他の仕事なら、「学校ではあんまり勉強しませんでしたけれども、職場についてからは真面目に努力して成果をだしました」という人もおられるでしょうけれども、「京大東大文系クラス」という所では、やっぱり、京大や東大を受けて通った人か、もしくは目指して受けたけれども落ちた人か、そういう人がやるべきで、およそ、箸にも棒にもかからなかったという人は「黙っててもらえませんか」というものです。YMCA予備校の「主事」の藤井がそれだったのです。京大東大のような大学を受けたこともない、教員資格も持っていない人で、あんた、黙っててくれないか・・というものだったのです・・・が、それを「専門家やがな、専門家。専門家の先生やがな、専門家の先生」とうちの父親は言い、母親は「先生に向かってあんたはあ」などと言ってきかなかったのです。「あんなもの、先生と違います」と言っても「先生でしょうがあ。あんたはあ」と言ってきかない。本当にきつかった。
  「YMCA予備校て、2浪の人も入れるの」と、たしか、隣のクラスのやつがきいた時に、藤井と組んでいた女性事務職員の松嶋というおばさんが「YMCAは、2浪の人の場合は、誰でもは入れないの。1年目を見て、いい人だけが入れるの」などと言うので、変なことを言うおばさんだなあ・・と思ったのでした。高校受験か大学受験の際に面接で「いい人しか入れない」とか言うならまだわかりますが、予備校で前年に自分の所にいた人間を「いい人」と「よくない人」とに人間を分けるそうでしたが、自分の所にいた人間をそういう目で見て分けるという態度・姿勢て、いったい何なんだ・・と思いました。そう思いませんか。あんたら、いったい何様? そもそも、もしも「よくない人」なら、その「よくない人」にしたのは誰? 「よくない」状態にしたことにあんたらは責任ないの?・・というのもあります。「よくない人」に分別された人にしても、自分の所の予備校にいた人間でしょ。よそにいた人間を「いい人」「わるい人」に分別するならともかく、自分の所にいた人間を「よくない人」に分別するのですか? それを聞いて、もしも、2浪することがあってもYMCA予備校には、たとえ、来てくださいと言われても来たくないものだな・・と思いました。
〔 ちなみに、翌年、模擬試験を受けに行った会場で、YMCA予備校で同じクラスにいた人と会いました。「去年、YMCAにいたよなあ」と言って、「2浪やろお。実は、俺、3浪やね~ん」と教えてくれたのでしたが、その人にしても、YMCA予備校にもう1年行きたいとは少しも思わなかったみたいです。私の方からは何も言わなかったのですが、「去年行ったあそこは、ちょっとなあ」と向こうから言ってきたので、「この野郎」とYMCA予備校と藤井に対して思ったのは私だけではなかったみたいです。
  YMCA予備校の「主事」の藤井は昨年の受講生の悪口を今年言い、今年の受講生の悪口を来年言い・・やると、結果として「勝ちはYMCA予備校の価値、負けは受講生の負け」とすることができて、それでYMCA予備校の評価が上がると考えていたようですが、実際はそうではなく、めぐりめぐって、「なんか、YMCA予備校の高槻の主事というのは、嫌なやつらしいなあ」という評判を「ぐるっとまわって」別の方から耳にしたりしました。そういうのを、私が親なら息子に「予備校も変なやつ、いるから、こいつ、おかしいと思ったら相手にしないようにした方がいいぞ」と教えるところですが、そういったことを息子に教えることができる親と、そうではなく、うちの父親みたいに息子が親に教えてもそれでも、「専門家やがな、専門家。専門家の先生やがな、専門家」と言って、言っても言ってもきかない男、うちの母親みたいに「聖書みたいなもん、あんなもん、ええことなんて何ひとつとして書いてあれへんねん。あんなもん、まかり間違っても絶対に読んではいかん。聖書なんて読まんでも、洗礼うけて、日曜ごとに教会に行って礼拝に出て、そんで献金はらっておけばそれでええねん。聖書なんてまかりまちがっても絶対に読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんて決して考えてはいかん。たとえ、読むにしても相当歳いってからよんで『はあん、そんなもんか』と思えばええことであって、若いうちに読むようなことは絶対にいかん」と何度も何度も言いまくり、それを「クリスチャンの伝道活動」と考えている男のことを「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない♪」などとアホなこと言いまくっていた親というのは、うちの親以外にはあんまりなかった・・と思います。この差は相当大きかったと思う。大学入試において「親の力」の差は相当大きいと思う。あれは、つくづくきつかった・・し、うちの親のそういう性質につけこみまくったYMCA予備校の藤井という男は、つくづく骨の髄から根性の汚い男だったと思います。息子がいたと聞きましたが、おそらく、その息子も今頃、似たような人間になっているのではないでしょうか。〕
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇
  藤井からこのようなことを言われたのは私だけではなかったようで、その後、クラス全員に「ぼくらは、あくまでも、きみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてカネはもらってないんやからな。だから、ぼくらは、きみらの親の為に働く筋合いはあるけれども、きみらのためになんか働く筋合いはまったくないんやからな!」とそう宣言したのでした・・・が、この話をすると、うちの父親は喜んで、「そうや。その通りや。親がカネ払っていおるんや。そやから親のために働く筋合いはあるけれども、おまえの為に働く筋合いはないねんぞ、おまえの為には。わかっとんのか。心得違いを起こしたらあかんぞ、心得違いを起こしたら」とそう言うのでした・・・が、私が親ならばそうは考えないですね。たとえ、カネを出したのが親であったとしても、親は、予備校に息子なり娘なりの為に役立ってもらおうと思ってカネを払っているのであって、「きみらの為に働く筋合いはまったくないんやからなあ」などとぬかすようなアホにカネ払った覚えはないのです。又、うちの母親はこの藤井のことを「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない」などと言い、さらに「あの人は、YMCAで主事をやっているくらいだから、クリスチャンの中でも並のクリスチャンではない。クリスチャンの中でも特別にえらいクリスチャンのはずや」などと言っていました。なんだか「クリスチャン」てのは、なんともちっぽけな連中みたいですね・・( 一一)
  どんなに良くできた模擬試験でも「すべての大学のすべての学部に完璧に相関関係がある」などというものは存在しません。あるのは、共通一次試験には共通一次試験を想定した模擬試験の方がそうではない模擬試験よりも相関関係は大きいと予想され、東大に通りたいなら東大オープン・東大模試など、京大に行きたいと思うのなら、京大の入試問題と相関関係が大きい試験、駿台予備校の京大模試・河合塾の京大オープン、あるいは北野高校の模擬試験とか、その頃なら、大阪北予備校が実施していた「三大学判定模試」(「三大学」とは京大・阪大・神戸大の3大学です)といったものも相関関係は比較的大きそうでしたが、そういった模擬試験の方がそうではない試験よりも相関関係は大きく、又、「全国総合模試」といった名称の模擬試験でも、比較的相関関係が大きい大学とそれほどでもない大学があり、自分が行きたいと思う大学と相関関係が大きい模擬試験を受けるようにした方がいいはずでした。しかし、それでも、たとえば、私は結局2浪してしまいましたが、2浪した年の河合塾の東大オープンでは、「この模擬試験を昨年受けた人で、この科類でA判定を受けた人は何人で、そのうち、実際に受けた人は何人で、そのうち合格した人は何人、落ちた人は何人でした。それをパーセント表示にすると〇パーセントでした。B判定を受けた人は何人で、そのうち、実際に受けた人は何人で、合格した人は何人、落ちた人は何人でした。それをパーセント表示にすると◇パーセントでした。C判定を受けた人は・・・」とそういう表現がされていました。良心的な表現だと思います・・が、A判定を受けた人といえども全員が合格したわけではなく、D判定を受けた人でも合格した人はおり、決して、A判定なら絶対に通るというものではなく、D判定なら絶対に落ちるというものでもないのですが、しかし、それでも、A判定を受けた人の方がB判定の人よりも合格した人の割合は大きく、B判定の人はC判定の人よりも合格した人の割合は大きく、C判定の人はD判定の人よりも合格した人の割合は大きい・・けれども、D判定の人でも合格した人はおり、A判定の人でも不合格だった人はいたのであり、A判定なら絶対に通るというものではなく、D判定なら絶対に落ちるというものでもなかった。河合塾は東大オープンという模擬試験について、良心的に事実を事実として、そういった述べ方をしていたのです。こういう模擬試験とこういう分析は参考になりますが、それでも、模擬試験の成績と本番の試験の合否が完璧に一致などしないのです。模擬試験というものは、もともと、そういうものなのです。ましてや、YMCA予備校の模擬試験なんて、河合塾の東大オープンなどに比べるとどの大学に対しても相関関係は間違いなく低いはずであるにもかかわらず、「YMCA予備校の模擬試験はすべての大学のすべての学部に完璧に相関関係がある」などと事実に反することを言い張り、なおかつ、「YMCA予備校の模擬試験ではいい成績を取っておきながら、京大の文学部に落ちたやつというのは、文学的素養がなくて人間性に問題があるから落ちたんだ」などと悪口雑言罵詈讒謗を浴びせるという卑劣な態度。さらには、そのおかしな発言のおかしなところを指摘した者にまで、「きみも人間性に問題があって文学的素養がないから文学部は落ちる」だの「きみのような上司に逆らう人間は会社員としてはやっていけないから経済学部は受けたらいかん」だのと、次から次へと、よくもまあ、そこまで言えたものだ・・・と思いました。むしろ、藤井こそ「人間性に問題がある」のではないのか。かつ、小学校の時から、同じクラスにいた野口要という男は、なぜか、そういう質の悪い人間に好かれるのでした。
  それで・・・、東大オープンとかそういった模擬試験を受けると、「偏差値」というのは東大オープンの受験生の平均から見てそれより上か下かという数値ですから、あまり高い数値にはなりません。「偏差値」で高い数値を得たいならば、もっと学力レベルが低い受験生が受けるような模擬試験を受けないと「偏差値」は高くなりません。しかし、東大に行きたいと思ったなら、学力レベルが低い受験生が受けるような模擬試験を受けていてはだめで、河合塾の東大オープンとか駿台予備校の東大模試とか代々木ゼミナールの東大模試とか、そういったものを受けないとだめです。YMCA予備校の模擬試験もだめです。むしろ、YMCA予備校の模擬試験はどこの問題にも対応していない問題でありながら回数が多すぎて受験生から時間を奪うものになっていました。
  だから、慶應大学商学部の黒川行治先生さまは「おまえらは、自分たちは偏差値が高い優秀な人間だとか思ってるんだろ」と教壇の上でマイクに向かっておっしゃったのですが、少なくとも、私はそんなこと思ってないですね。学力レベルが低い受験生が受ける模擬試験で高い「偏差値」が出ても意味ありませんからね。この人、変なことを言う人やな、やっぱり、内部進学だけのことあって「ほとんどビョーキ」やなあ・・・と思いました・・し、なんで、こんな白痴に「教育」されんといかんのじゃ、こんな白痴に!!!・・とも思いました。のぼせあがるのもたいがいにせえ、この内部進学独善主義シンドローム!!! この「ほとんどビョーキ」症候群!!!
  ・・・というよりも、まずその前に、黒川行治せんせえ様は、なんだかんだ言っても大学の先生やっておられたのですから、「偏差値」というものはどういうものなのか・・・ということくらい理解できて良さそうなもので、その模擬試験で受験者の平均よりどのくらい高いか低いかを出す数値である「偏差値」などというものは、東大や京大に合格しようという受験生にとっては、「そんなの関係ねえ!」ということくらい、わからんのか・・と思うのですが、内部進学黒川行治さんは、わからんようです。その程度のことも・・( 一一)
  又、慶應大学に大学から行った人というのは、高校卒業時には法政も通るらないのではというくらいの人が1年間、浪人して、行った予備校とうまくあって、慶應大の入試科目だけ学習して、最初から目標としていた「1浪で慶應の経済」かもしくはそれを落ちてそのすべり止めとしての「1浪で慶應の文学部」にやっとこ通って行ったというような人が多い。慶應大というのはそういう人が行く大学ですが、そういう人というのは慶應大の入試科目だけしか学習していない人であり、「目標早稲田大学で(行けなくても目標にするのは自由だ)結果としては私立大学一般」を考えて学習していた人は、同じような入試科目の私立大学いくつかを検討した上で「私立大学一般」を対象とした模擬試験での「偏差値」を考えて通るかどうかというくらいの私立大学をいくつか受験して通った私立大学の中で一番「偏差値」が高い所に行くということをする人がいるようですが、慶應大は私立大学でも他の多くの私立大学とは入試科目が異なっていたので、そういう受け方をする人の対象ではなく、入試科目に全学部に数学があったことから、英語と国語と社会科1科目の3科目での受験ができた早稲田大などに比べると模擬試験における「偏差値」という数値で見ると低めになりがちでした。それで受験生に「なめられてしまう」ということがあったらしいが、だいたい、模擬試験における「偏差値」で見ると東大よりも早稲田大の方が「偏差値」は高かったくらいだった。試験科目が少ない大学と試験科目が多い大学、試験科目に数学がない大学と試験科目に数学がある大学とでは、試験科目が少ない大学・試験科目に数学がない大学の方が模擬試験における「偏差値」は高くなりがちで、今はどうなっているか知らんが、その頃は慶應大は入試科目に数学があったことから、早稲田大に比べると模擬試験における「偏差値」は少し低かったように思うのだ。しかし、東大と早稲田大では模擬試験での「偏差値」では早稲田大の方が「偏差値」が高かったとしても、だから、東大と早稲田大と両方通ったら早稲田大に行くかというと、そういうことをする人はあまりないし、模擬試験の「偏差値」で早稲田大の方が「偏差値」が高かったとしても、それは試験科目が少ないからそうなっていただけのことであって、早稲田大の方が難しいとかいうことでもなかったはずなのです。黒川行治先生様は、曲がりなりにも大学の先生なら、曲がりなりにも「研究者」ならば、もうちょっと、科学的に分析して物を言うようにすればどうだろうか・・・と思うが、それができない、そんなことやってたまるか!・・という姿勢を貫くのが内部進学独善主義の使徒信条で、そういう態度・そういう姿勢を「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「思考が柔軟」とか「アイデンティティーを持っている」とかいうように「慶應心理学」は「診断」するのでした。「慶應心理学」はクズの「心理学」です。
  どうも、慶應の内部進学の人というのは、「自分が教育されなきゃならない人間なのに、人を『教育』したがる人間シンドローム」の「病人」が大変多い。そういう人は「病識がない」という特徴がある。 「このビョーキはおそらく、一生治らない」と思われる。そういう人間のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を持っている」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「思考が柔軟」とか「診断」するようで、こういった批判をすると「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」とか「未成熟」とか「モラトリアム人間病」とか「受験勉強の悪影響だと思います」とか「診断」されることになる。まったくもう、こいつら「どんなけえ~え」、「まったく、なんて日だあ~あ」・・て感じがする。まさに、トラブルバスターやったろか、こいつらあ・・て感じだ(ドゥフフ・・)。 慶應の内部進学の学校というのは、わざわざ、そういう人間を育成するような「教育」をしているようで、その世界観に基づいて作られたものが「慶應心理学」である。

  時々、「大学入試が『偏差値』というものに支配されている」とか言う人がいますが、私なんかは、高校入試においてはともかく、大学入試においては「偏差値」なんて、そんなもの、知りませんからね。(ドゥフフ・・・)

  そして、今回、「相対評価」と「絶対評価」、「偏差値」というものの利用のしかたによるプラス面とマイナス面・・といったことを述べてきましたが、一番、述べたかったこととして、私が4年の途中から6年卒業する時まで行った大阪府の北摂地区の市立小学校が実施していた「3段階絶対評価」が、「〇」「△」「×」の3つではなく、「⦿」(〇の内側に●を入れたもの。図形としては三重丸ではないが、これを「三重丸」と呼んでいた)と「◎」(二重丸)と「〇」(一重丸)の3つとしていたのは、成人した人間、特に東大・京大なり司法試験予備試験とか公認会計士試験とかのような難関試験でも受けようというような人なら「〇」「△」「×」で「×」をつけられても、どうってことないかもしれないけれども、小学生に「×」はつけたくない、特に、あまり成績がいい方ではない生徒に「×」ばっかりつけるということはしたくないので、すべての生徒に「〇」以上がつくようにした・・・ということがあったようですが、それだけがこの3つにした目的ではなく、もうひとつ、目的があったようなのです。
  どういう目的かというと、知簿にはその評価のスタンプを押して生徒に渡していたのですが、「1」「2」「3」の3段階評価とか「2」「3」「4」の3段階評価とか、「〇」「△」「×」の3段階評価なら、一度、通知簿に押したものを他のものに書き換えるということはできない、少なくともしにくい・・・のに対して、「⦿」「◎」「〇」の3段階評価なら、一度、評価したものを書き替えることができるのです。「⦿」「◎」「〇」の3段階評価の場合はそれができた・・という特徴があったのです。気づいてましたか?


  実は、私、小学校6年の時、筆記試験の成績からすると「⦿」であるのが妥当と思われたにもかかわらず、又、前回の評価は「⦿」であったにもかかわらず、「〇」にされていたことがあった。それだけなら、自分では「⦿」だと思っていたけれども、担当の教諭の判断は「〇」だった・・という可能性だってないとは言えないかもしれませんが、それだけではなく、よく見ると、「〇」の内側の「●」が砂消しゴムで消した跡があった・・・ということがあったのです。
  大阪府の北摂地区の市立小学校で、6年の時のことです。「家庭科」の授業というのが、小学校では5年・6年にあって、中学校に行くと、「技術・家庭」という科目名になり、教科書も「技術・家庭(男子用)」「技術・家庭(女子用)」に男と女とで別れて、同じ時間に授業をしても、内容が違いました。高校では女子だけに「家庭科」が1年・2年にあって、女子が週に2コマ、「家庭科」をやって体育は週に2コマだったのが、男子は「家庭科」はなくて週に4コマ、体育の授業がありました。
  小学校の「家庭科」の授業ですが、5年・6年の時の担任だった「はな◇◇」(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)は「家庭科」を教えることができないので、5年の時は40代くらいの女性の教諭が「家庭科」の授業を担当し、6年の時は20代後半くらいかと思われる女性の教諭が「家庭科」を担当していたのですが、妊娠されて出産のために休まれ、その間、他の女性の教諭(30代前半くらい?)が臨時の教諭としてかわりにこられました。私は「高校までエリート」でしたので、「家庭科」の授業も真面目に受けていましたし、成績も悪くはない方だったはずで、又、刺繍とかもきらいではなかったし、もとより、小学校の「図画工作」の成績はいい方で小学校の「図画工作」も中学校の「美術」も好きでしたし、高校受験の際の「美術」の内申書の成績も10段階相対評価で「10」でしたから、小学生の時の私の気持ちとしては、刺繍なんてのも「図画工作」「美術」と同じようなものであって、別に「女の子がやるもの」という意識はなかったのです。料理については、小学校5年の時に、最初に作らされた料理が「フレンチドレッシング」で、相当苦労して作ったものの、食べても酸っぱいだけで、なんか、「フレンチドレッシング」ておいしくないものだなあ・・と思ったのを覚えているのですが、今から考えると、料理というよりも料理につける「ドレッシング」である「フレンチドレッシング」というものを、一番最初に作らせる「料理」として指定するというのは、あまり適切ではないのではないか、「料理」というものを「おもしろくないもの」、「苦労して作ってもおいしくないもの」という印象を与えることになるのではないか、もうちょっと、作ることですぐに役立つようなものを最初のものには選ぶようにした方が良かったのではないのか・・と思います。これは家庭科の先生が選んだわけではなく、「家庭科」の教科書で「フレンチドレッシング」が指定されていたと記憶しており、なんで、「家庭科」の教科書は「フレンチドレッシング」なんてものを最初に作る料理として指定したのだろうか・・と疑問に思います。
  それで・・・・、小学校6年生の時、最初に「家庭科」の先生だった女性が「産休」で休んだ後に臨時で来た「家庭科」の女性教諭は、どうも、生徒が騒いでも何も言わない人で、いつもいつも、「わあわあわあわあ」教室が騒がしくて、私などは「家庭科」でも真面目に話を聞きたかったので、「どうして、先生は注意しないのだろうか」といつも思っていたのでした。
  しかし、なかなか難しいのは、そのクラスの同級生と調和してやっていこうと思ったら、クラスの生徒がわあわあ騒いだり、イタズラみたいなことをした時には、ある程度は参加しないと孤立してしまうところがあり、片方で、真面目に授業を受けたいという気持がありながらも、クラスの同級生に合わせないといけないという相反する2つの条件に苦労していたのです。その家庭科の臨時の教諭もそうですが、担任だった「はな◇さ」もまた、「家庭科」の授業の時には教員室にいたとしても、ずいぶんと騒いでいるのはわかっていたはずでしたから、「家庭科」の臨時の女性教諭が生徒に注意できないのであれば、担任の教諭として注意すればいいのに、どうして注意してくれないのか・・と、ずっと思っていたのでした。
  北野高校の2年の12月に修学旅行があって、山陽新幹線で「博多」駅まで行き、太宰府天満宮にバスで行って、それから平戸島に行き、平戸島のホテルで宿泊したのですが、その際、他のクラスの生徒で部屋で酒を飲んだ生徒がいて、見つかって「謹慎」だかそういう文言を言い渡されたということがありました。なんでも、1部屋に8人の部屋だったが、7人が酒を飲んで1人だけ飲まなかった・・という話でしたが、ある先生が「なんで、1人だけ飲まなかったんだと言う人がいるけれども、俺はそうではなく、なんで止めなかったんだと言いたい。北野高校の生徒なら、『おい、止めておけ』と言って止めることができるはずだ」と、そうおっしゃったのでした・・・が、しかし・・・、ある程度以上の年齢になると、酒飲んだくらいなんやねん・・・なんて言うといかんのかもしれんけれども、酒を飲んだと言っても、酒を飲んだということで女性に強制猥褻行為を働いたとか「慶應ボーイ」がよくやるようなこと・「慶應ボーイ」の得意技(そういうことをする人のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」と「診断」します)をやったわけではないし、あくまでも、「飲んだ」だけで、又、飲みたくないという1人に強制して飲ませるようなこともしていないのですから、「飲んだくらいええがな」なんて言ったらいかんのかもしれませんが、「高校生の修学旅行」だからいかんのでしょうけれども、ハタチ過ぎたら「たいしたことない」というのか、飲みたくないという1人にはその意思も認めていたわけですし、そんなに悪質なものでもなかったのではないかと思うのです。但し、私も時分が高校生の時には、「酒を飲んだ」ということについて、相当問題があることをやりよった・・みたいな感覚はありました。
  その時ですが、「なんで、止めなかったんだ」とある先生がおっしゃったのですが、その1人の立場からすれば、止めにくいと思うのです。だから、自分は飲まないけれども、飲む人間が飲むことについては干渉しないという態度を取ったのではないか。
  それと似ているのですが、小学校6年の時、「家庭科」の授業で、クラスの大部分の生徒がわあわあ騒いで、授業を聞き取れないような感じでいた時、隣の席は女性だったと思いますが、前の席の男とか後ろの席の男とかから「・・・やろうぜ」と誘われて、断っても断っても誘われて困ったのです。やっぱり、同じクラスの人間とは仲良くやっていきたいじゃないですか。だから、むげに断るのもなんだし・・・、そうは言っても、授業は真面目に聞いて学びたいし・・・ということで長く困っていたのです。
  それで、前の席の男が、黒板消しを教室の出入口の前側の引戸の上の部分にはさんで、引戸を引くと同時に上から落下する仕掛けを設置しようと誘ってきて、最初、それを何度も断ったのですが、何度も何度も誘ってきて、それで、とうとう断り切れずに一緒に引戸にはさみに行ったところ、そこに担任の「はな◇さ」がなぜか来て、そして、「はな◇さ」の前で黒板消しが落下したものだから激怒し、いきなり、私の顔面を思いっきり殴りつけたのでした。殴られたのは私と私に黒板消しを引戸にはさもうと誘った男と2人でしたが、「はな◇さ」が殴りたかったのは、どうも、私だったようです。
  この「はな◇さ」(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)は、前々から、こういう男でした。それまでから、「家庭科」の授業の時には、その臨時教諭の女性が担当してからは、いつもいつも、ざわざわざわざわ、わあわあわあわあ騒がしくて、私などは真面目に授業を聞きたかったのですが、なかなかそういかなかったという状況が続いていたのでしたが、「はな◇さ」は担任の教諭で、しかも、学年主任だったのですから、「家庭科」の授業自体は自分が担当でなかったとしても、その状態を改善するべくなんらかの対処をするべきであったはずでしたが、この男はまったくそういう対処をしなかったのです。それでいて、自分の目の前に黒板消しが落下すると、突然、激怒して、そして、今から考えると、この男は自分が気に入らない生徒めがけて突進してきて、その気に入らない生徒だったらしい私に思いっきり殴りかかってきたのでした。
  この男のこういう行為はこの時が初めてではなかったのです。小学校の5年・6年の時、この男はM下とN口 要という2人の男は特別扱いにしていたのです。私なんかは、その時は気づかなかったのですが、今から考えると、なんか「目をつけられていた」ようなところがありました。 5年の時、クラスで順番に「日直」というものをやり、日直の時には、人より遅くまで残ることになっていたのですが、M下は自分が日直の日でも「ええわ、そんなもの」と言って帰ってしまうのでした。いいのか、そんなの?・・・と思ったのですが、「はな◇さ」は松下にはそれを認めたのです。え? いいのか?・・・と思っていた時のことでしたが、私が「日直」の番の日でしたが、うっかり、日直だったことを忘れて帰ってしまったのですが、そうすると、「はな◇さ」は私に「おまえ、日直なのに帰ったんだから、罰則として、日直を倍やれ」と言うのでした。こんなおかしな話はない。たしかに、うっかり忘れてしまって帰ってしまったという点では私のミスでしたが、松下が日直の日でもおかまいなしに帰っても、「はな◇さ」は松下がやったものについては、まったくかまわないということにしたのです。なぜ、この男は生徒に対して、このような不公平なことをするのでしょうか。
  ・・・こんな不公平な態度を認めてはならないと思い、私は、「はな◇さ」が日直を倍やれと言っても、松下はさっさと帰っても、2倍どころか1日分もやらずに、それでも「はな◇さ」は松下をとがめるようなことはせず、むしろ、称賛していましたので、こんなおかしな対応はないと思い、1日、忘れて帰ったからということで、2日、日直をやって2日、遅くまで残っておれと私には言うのなら、そのような要求は断固として絶対にきいてはならないと思い、断固として、さっさと帰ることにしました。そうすると、「はな◇さ」は面白くなかったようで、「おまえ、俺が日直を倍やれと言ってるのに、なんで、帰ったんだ。倍やれと言ったのに帰ったから、今度は4倍やれ」と命令するのでした。それで、絶対にそのような要求はきいてはならないと考えて、その日もさっさと帰ってやったのです。そうすると、「はな◇さ」は、「おい、おまえ、俺が4倍やれと命令したのに、なんでやらないんだ」と言うのです。なんで、やらないのかというと、「はな◇さ」は松下が日直をやらずに帰ったことについては、松下には「倍やれ」などとは言わないで私にだけ要求するから、そのような要求をきくのは反社会的であると判断して、絶対にそのような要求はきいてはならないと考えて、さっさと帰ったのです。「おい、わかったな。おまえみたいに教師の言うことをきかないやつには絶対に言うことをきかせてやる」と言って、「わかったな。今度は4倍の倍だから、8倍、8日間、おまえが続けてひとりで日直やれ」と言うのです。それで、そんなもの、誰がやるものかと思い、さっさと帰ってやったのです。そうすると、「はなぶさ」はさらに面白くなかったようで、「おい、松下、こういうやつ、どう思う? こういう学校のルールを守らないようなやつをどう思う?」と松下にきくのです。「こういうルールを守らないようなやつには、何が何でも絶対にルールを守らせるようにしないといけないよなあ」と松下に言うと、松下は「はい」と返事しよったのです。「ほら、松下もそう言ってるだろうが。おまえのようなルールを守らないやつはなんとしても懲らしめてやるからなあ」と「はなぶさ」は言い、「おまえ、向う1か月間、ずっと一人で日直やれ。わかったな」と言うので、絶対にそんなものに従ってはならないと思い、さっさと帰ってやったのです。そうすると、「おまえはいったい、なんというやつだ。こいつは」。 そして、結局、最後、根負けしてしまって、私は2か月ほど、一人で日直を続けてさせられてしまいました。そして、「よく反省しろよ。おまえは」と言われたのでした。
  「はなぶさ」が特別扱いしていた松下は、小学校5年の時、隣の席に座っていたFの腕をめがけて、突然、彫刻刀を投げつけた・・ということもありました。彫刻刀を腕に投げつけられた男はどうなったかというと、その彫刻刀が上腕にぶすっと刺さり、それを見て「あ、刺さったあ」などと言ったのです。いきなり、彫刻刀を投げつけられた、「あ、刺さったあ」はないはずですが、松下には逆らえない、松下に逆らっても、担任の教諭の「はなぶさ」は間違いなく松下の方につくというのはクラスの生徒は全員がわかっていましたから、だから、いきなり、彫刻刀を投げつけられても、「あ、刺さったあ」などと言ってへらへらしているしかなかったのです。私はいくらなんでも、いきなり、隣の席の人間めがけて彫刻刀を投げつけるなどということはしませんが、もしも、投げつけたのが私であったなら、F島は相当怒ったところでしょうが、F島は彫刻刀を投げつけたのが松下だったから、だから、この相手には逆らっても勝てないと判断して、腕に彫刻刀を突き刺されても、「あ、刺さったあ」などと言って、へらへらしていたのでした。
  4年の時にも、同じクラスに少々精神薄弱みたいな生徒がいて、朝、掃除をしていた時、校庭に、毒キノコ・・だったのかどうかはわからないがえたいの知れないキノコが生えていて、それを松下がその精神薄弱の同級生に「食ってみろ」と命令して食わせたということがあった。「はなぶさ」はそれを知って救急車を呼んだけれども、救急車の空きがなかったらしく、パトカーが来て病院に連れていって吐き出させたらしかった。その時も、「はなぶさ」はキノコを食ったというのか食わされたというのかの生徒だけをボロクソに言い、食わせた者についてはおかまいなしだった。私なら、「食ってみろ」なんて同級生から言われても冗談だと思って食わないし、私は同級生に誰にであれ「食ってみろ」なんて言わない。その精神薄弱の子は、食ってみると同級生が喜ぶと思って、それで食ったりするということもあったらしい。それを食わせたやつというのは、けしからんのだけれども、しかし、それでも、しょせんは小学校の4年生ですから、担任の教諭はそういうことをやりかねない生徒はあらかじめ見ておかないといけない。小学校4年生の時でも、「小学校4年の時の私」なら精神薄弱の子がクラスにいてもえたいのしれないキノコが校庭に生えていたとしてそれを「食ってみろ」なんて言いませんが、言う生徒もいるのです。松下は言う生徒の方あったのです。「はなぶさ」はそういう生徒はあらかじめ気をつけて見とかないといけない。ところが、そうではなく、そういうことをやりかねない生徒をヨイショヨイショして持ち上げてまくっていたのでした。
  前回、[第540回]《自分の不勉強を原因に生徒をクラス全員で大笑いさせる教諭。「十三湖(じゅうさんこ)」は干拓地の一例。「十三(じゅうそう)」は「面白くもなんともない地名」で「大歩危小歩危」は「面白い地名」だという理由て何なの? 「中学校の校長先生」の給料は高すぎるのではないか。》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202105/article_3.html で述べたように、小学校5年の時、「社会科」の授業の時に、担任の教諭だった「はなぶさ」が、「日本の干拓地としてはどういうものがあるか」と「社会科」の教科書で干拓地として児島湾・有明海・八郎潟というものがあると書かれているものを目の前に置いて私に質問するので、教科書に載っているその3つ以外にどこか知っているものがあるか? という質問だと思い、『力の5000題 社会科』(教学研究社)に掲載されていた「十三湖(じゅうさんこ)」(青森県)を私が言ったところ、「十三湖(じゅうさんこ)やて、それ、いったい何やあ。何をわけのわからんことおまえは言ってるんや、おまえは」と言って、そして、クラスの生徒にけしかけて、クラス全員で大笑いさせた・・・ということもあったのですが、その時、ほとんど全員で大笑いしていたものの完全に全員だったわけではありませんが、松下は間違いなく「はなぶさ」に調子を合わせて大笑いしていました。これは間違いありません。
  そして、前回も述べましたが、もしも、「十三湖(じゅうさんこ)」と述べたのが私ではなく、N口 要(かなめ)であったなら、「はなぶさ」は、クラス全員にけしかけて大笑いさせるなどということは絶対にしませんでした。 こういう扱いの違いというのは、これはなぜなのか?
  うちの母親なども、PTAの集まりに行くと、「はなぶさ」が「松下くんには負けるわあ。陸上競技やっても、松下には走っても勝てないわ」とかなんとかかんとか言ってヨイショするので、その度が過ぎることに対して、うちの母親でも、「いいかげん、うんざりした」と言っていたのです。なぜ、松下は「はな◇さ」から特別扱いしてもらえたのか。そんなに権力者の息子とかだったのか・・というと、府営住宅だかに住んでいて、住んでいる家から判断するとそんなにものすごい金持ちの息子みたいに見えなかったのだけれども、まあ、世の中には、家賃の安い市営住宅とか町営住宅とかに住んでベンツに乗ってる社長とかもいますからわかりませんが、一説には、府営住宅に住んでいて、M下のお母さんがスピーカーなものだから、M下のお母さんを敵にまわすと、担任の評価が下がってしまうから、だから、M下をヨイショすることで「はなぶさ」は自分の評判をあげてもらおうとしていたのではないか・・という話がありました。
  この「はな◇さ」という教諭は、「俺は陸上部にいたけれども、M下と走ったら、松下には勝てないわあ」とか言って、松下をヨイショしていたのですが、そこまでM下がスポーツができたのか・・・、松下は桑田か清原かみたいになったのか・・というと・・・、なってないやんけ!・・ちっともなってないやんけ( 一一) ・・・といっても、桑田か清原かみたいになる人間の方が少ないのですから、ならなくてもしかたがないのですが、それでも、なっとらんやんけ・・、そこまで持ち上げるほどのものでもないやろうが・・・という持ち上げ方をする男でした。
  それより、スポーツに関してでも、「はな◇さ」は教諭なら、もう少し、教えたらどうかと思うのです。教諭というのは、できる生徒を「たいしたもんやあ」とほめるのが仕事ではなく、できる生徒はよりできるように、あまりできない生徒にはできるように指導するのが仕事のはずなんです。そうでしょ。私、中学生の間、「クロール」と思って、足はバタ足やりながら、腕は水車のように回転させて、時々、頭をぐいっと左に上げて息継ぎするという「泳法」を「クロール」だとばっかり思ってやっていたのです。水泳の授業は他のクラスと合同でおこなわれたため、これ、隣の組の「今井の信ちゃん」という教諭が水泳の授業の時に「教えてくれた」というのか、「教えられた」というのかの「泳法」だったのです・・・が。 これ、「クロール」じゃないですからね。「ターザン」という雑誌があって、その「ターザン」の水泳特集号を見てわかったのです。いつ、わかったかというと、30過ぎてからわかったのです。日本の小学校では、まず、「浮く練習」をやって、次に「バタ足」の練習をやって、その次に「バタ足」に、「腕をかく」という行為をつけたすことをして、その次に「息継ぎ」として頭を左か右にぐいっと曲げることを覚える・・というようにして、それを「クロール」だと教えていましたでしょ・・・なんていっても、そんな「クロールもどき」を教えられたのは私くらいなのかもしれませんが、そういう「クロールもどき」を教えられたおかげで、私はそれを「クロール」だとばっかり、長年にわたって思い込んでいたのでした・・・が、違いますからね。 「クロール」というのは、「体のうねりで進む泳法」だと理解する必要があります。それから、「クロール」でバタ足はつけたしみたいなもので、「クロール」というのは「体のうねり」+「腕で水をかく」ことで進む泳法であって、「平泳ぎ」は腕と足と両方で進みますが、「クロール」は腕の方の比重が圧倒的に大きい。体の右を下にした時に右腕で水をかき、その時、左腕は上にあがり、次に、体の左を下にする時に左腕で水をかき、その時は右腕は上にあがり、それを交互に繰り返すわけです。体の右が下になった時、顔も左を向いていますから、その時、ちょっとだけさらに上を向くと水面上に顔が出ますから、そこで息継ぎをします。足はバタ足をやりますがつけたしみたいなものです。それで進むのです。水面にぺったんこに腹ばいになってバタ足をやり、水車のように腕を回転させる、その腕の回転2回に1回、頭をぐいっ・・・お、いてててて・・・、ぐいっ・・いてててて・・とやるという「今井の信ちゃん」が教えてくれたのは、それは「クロール」じゃないですからね。
  「はな◇さ」は、松下をヨイショしたいらしかったけれども、彼がスポーツができてもできなくてもいいけれども、ヨイショしまくっていたわりには、結局、彼は桑田・清原みたいにならなかったし、牛島・香川みたいにもならなかったけれども、それはならない人間の方が多いのだからしかたがないとして、彼をヨイショすることよりも、教諭ならもうちょっと、生徒に「教える」ということをやったらどうか。ヨイショするだけなら、そんなもの・・・、アホでもできる( 一一)
  「クロール」だけじゃないですよ。 ソフトボールでも、私はフライを捕るのが苦手だったのですが、インターネットでプロ野球選手の野球指導というのを見ていたところ、たしか、ヤクルトスワローズの選手だったような気がするけれども違ったかもしれない。フライの取り方として、「ボールというのは、上にあがったボールはいつか、必ず、下に落ちてくるからね。だから、フライを捕る時は、決して自分から捕りににいこうとしないこと」と、誰だったか野球選手が指導していたのをYouTuveで見ました。これ、私はそれを聞いて、なるほど・・と思ったのですが、こういうことを、何もプロの野球選手でなくても、小学校の体育の授業で小学校の先生て、なんで、教えてくれなかったのか・・と思うのですね。特に、フライを落としてしまうと、次はな~んとか捕らなきゃと思ってしまって、落ちてくる前に手を伸ばしたり飛び上がったりして掴もうとしてしまいがちなのです。しかし、それをやってしまうと、むしろ、落してしまうのです。そうではなく、そのプロ野球選手が「野球教室」で教えていたように、「上にあがったボールというのは、必ず下に落ちてくるから、決して自分から取に行ってはだめで、落ちてくる所の下で待っているようにすること」と、それだけ教えてくれれば、それだけでも上達したはずなのです。体育の「授業」というのは、どうすればできるようになるかを教える場・学ぶ場のはずなのに、なんで、「は◇◇さ」は教えないのか。教えない男を「教諭」とか「教師」と言えるのか?
  打つ方だって、右打者なら左腕の脇を占めて、右腕の方は腕から開けてもいいから、そして、ボールをよく見る・・というのは、気持ちをボールをよく見るということを意識して・・て当たり前かと思う人もいるかもしれないけれども、実は私、栃木県佐野市に住んでいた時、「安佐バッティングセンター」というバッティングセンターで、打席の向こうに穴が3か所あって、そこにボールが入ると「ホームラン」ということでウーロン茶をくれて、かつ、それが記録されて上位何人が張り出されて、年末に景品をくれたのですが、1999年だったか2000年だったか、私、年間上位5位だったかそこらに入賞したのです。もともと、そんなに体育ができた方ではないけれども、バッティングセンターでは、最初はボールが当たらなかったのが、そのうち、当たるようになって、さらにそのうち、正面にライナー性の当たりが飛ぶようになり、もしも、野球の試合であったならヒットだろうというあたりをとばすことができるようになったのです。それなども、こういうようにすれば打てるんだよ・・・て、なんで、体育の授業で教えないのか。「は◇ぶさ」のおっさんは、M下をヨイショするばっかりではなく、曲がりなりにも教諭なら、生徒に、こうやるとできるようになるんだよと教えたらどうか、こういう練習をすると上達すると思うよということを教えたらどうかと思うのでしたが、なんで、あの男、教えないのか。「野村のじいさん」が「野球は頭でやるもんや」なんて言っていたけれども、それは、プロの運動選手になるのは体力が優れた人間がプロの運動選手になるのだけれども、プロの運動選手になった人間同士の競争になると、今度は頭を使って工夫するかどうかの勝負だ・・と「野村のじいさん」は言っていたけれども、実は、プロの運動選手になれるかどうかは身体能力の勝負だがプロの運動選手になってからはどれだけ頭をつかってやるかどうかで勝負は決まるという面もあるかもしれないけれども、そうではなく、小学校の体育のレベルくらいのものにおいても、体力だけではなく工夫をしてやるかどうかの違いということもあると思うのです。なんで、教諭はそのあたりを教えないのか?・・・もしかして、アホやからか??? 教える能力がないからか? 教諭なんていない方がいいからか???
  能力がないからなのか不親切だからなのかわからないものもあります。小学校の5年の時、体育の授業でソフトボールをやった時、私は、セカンドからファーストにトスのように投げることは問題なくできたのですが、ショートの深い所からファーストに投げるのにうまく投げられなかったのです・・・が、後でその理由がわかった。要するに、ボールの握り方が間違っていたのです。野球のボールというのは、硬式野球のボールでも軟式野球のボールでも、人差し指と中指と親指の3本でボールを握って投げます。ピッチャーが変化球を投げる時にどうというのは別として、内野手・外野手がボールを投げる時には、この人差し指・中指と親指の3本の指をつかってボールをつかんで投げるのです。しかし、砲丸投げの場合は違います。砲丸投げの砲丸は硬式野球の球や軟式野球の球に比べてひと回り大きいのです。砲丸投げの球は硬式野球の球や軟式野球の球よりも大きくて重いので、手のひらと5本の指全部をつかって砲丸をつかんで押し出すように投げます。・・それで、ソフトボールはどうなのかというと、ソフトボールとして販売されている球には硬式野球や軟式野球の球と同じくらいの大きさのソフトボールとそれより大きい砲丸投げの砲丸くらいの大きさの球と2種類あって、普通、ソフトボールをやる場合には、大きい方、野球のボールより大きい球でやります。大きいけれども砲丸投げの砲丸みたいに重いわけではありません。ですから、投げ方として砲丸投げみたいに押し出すように投げる必要はありませんが、ソフトボールの球を人差し指・中指と親指の3本指でつかんで投げようとすると、ごく近くに投げる場合はよくても、要するにセカンドからファーストくらいの距離ならいいけれども、ショートからファーストくらいの距離になるとうまく投げられないのです。それなら、どうすればいいかというと、砲丸投げのように5本の指全部をつかってボールを投げるのです。それが大きい方のソフトボールの球を使ったソフトボールの投げ方です。私はそれを知らなかったのです・・というよりも、うちの父親が、「わしは同志社の時に野球やっとって、野球は得意やねん」と言うておったうちの父親が私に教えよったのです。「ボールは5本の指でつかむのではなく、人差し指と中指と親指の3本でつかんでなげるものなんや」と。そう教えられて、それで、苦労してその3本でつかんで投げていたのですが、それは間違いで、硬式野球や軟式野球の球なら人差し指と中指と親指の3本でつかんで投げていいけれども、それよりも大きいソフトボールの球は5本の指全部を使ってつかんで投げるものだったのです。・・今から思うと、「はな◇さ」は曲がりなりにも教諭なのに、体育の授業やっているのに、なんで、それを教えてくれないのか・・・と思うのですが・・・、「まあ、そういう人」だったということでしょう。
  ソフトボールに関しては、試合をやった時に対戦チームの側で一塁をよく守っていたMくんは内野からの送球を捕球はできていたけれども、なんか変な取り方しているなあ・・という印象を受けたのでしたが、何年か後になってその原因がわかった。一塁手というのは、右利きの者なら右足を一塁ベースにつけて、左半身と左手を伸ばして捕るように、左利きの者なら左足を一塁ベースにつけて右半身と右手を伸ばして捕球するようにすると、相当広い範囲に投げられた球を捕ることができるのですが、Mくんは右利きなのに、いつでも左足の方を一塁ベースに置いて捕球時に右足を上げて捕っていた。だから、なんか変な捕り方してるという印象を受けたのです。それでも、捕球できていたけれども、右利きの者は右足の方を一塁ベースに置いて左半身と左手を伸ばして捕るというようにした方が広い範囲にきた球を捕球することができますし、打者走者が一塁に走って来た時にもぶつかりにくいはずです。テレビのプロ野球の中継を見ても、プロの野球選手の一塁手は右利きの選手は右足の方を一塁ベースに乗せて左半身と左手を一塁ベースから話して広い範囲で捕球しようとしているはずです。こういったことにしても、「は◇◇さ」は、なんで教えてあげないのか・・・と思うのですが、「その程度の人」だったのでしょうか。
  「はな◇さ」は元陸上部だったと自称していて、「陸上は得意」と自分で言っていたのです・・・が、それなら、もうちょっと「教える」ということをやったらどうか。『あしたのジョー』では、丹下段平が少年院で青山という男性にコーチしてランニングをさせるさいに、「ほい、ほい」「はっ、はっ」と調子をとって息をさせる場面がでていたのです。あれ?・・・と思ったのですが、ある程度、長距離を走る際ですが、息のしかたとして、「吸って、吐いて。吸って、吐いて」ではなく、「ほいほい、はっはっ」だと、「吸って吸って・吐いて吐いて」なのです。あれ? ・・・と思って、それで何だったか忘れてしまったけれども、陸上競技の長距離走の息のしかたというのを見ると、「吸う方は大きく1回、そして、吐く方は2回」と書いてあったのです。それで、やってみたのです。 その息のしかたが最適なのかどうかは今もわかりません。しかし、少なくとも、そういったことを考えて、どういう息のしかたをしながら走ると長距離走では走りやすいか・・て、「陸上は得意」と「はな◇さ」は自称していたのなら、体育の授業でそれを教えたらどうなのでしょうか? なんで、この人、教諭なのに教えないの?
『あしたのジョー』で丹下段平が青山にさせていた走る時の呼吸は「ほいほい、はっはっ」でしたから、「吸って吸って、吐いて吐いて」だったと思うのですが、私が読んだ陸上競技の本では、「大きく吸って、吐いて吐いて」「1回大きく吸って2回吐く」だったのですが、実際にやる人間がいいと思う方法でやればいいのかもしれませんが、そういったことを考えてやるとそうでない場合よりもやっていても面白いし、成果も出ると思うのです・・・・が、「俺は陸上は得意」と称していた教諭は、なんで、こういったことを教えないの???

  小学校の6年の時、学級委員には、前期に男子2人・女子2人、後期に男子2人・女子2人が選ばれた。合計4人ですから、45人のクラスの中から4人選ばれるということは、約1割が学級委員になったということです。しかし、後期、私とM下の2人が同じ得票数で選ばれたにもかかわらず、「はな◇さ」はあくまでも学級委員は松下であって私は学級委員ではないという態度を取り続けたのです。曲がりなりにも生徒の間で選挙をやって2人選ばれたのに、片方の人間だけを学級委員だとして扱って、他方の人間は生徒の選挙で選ばれたのに学級委員ではないという扱いにする教諭・・・て、この人、何なんだろう・・と思いました・・・・が、何なんだろう?・・というと、要するに「そういう人」だったのです。

  北野高校の2年の12月に行った修学旅行の時に、部屋で酒を飲んだ者がいて、8人の部屋で7人が飲んで1人は飲まなかったということについて、「どうして、1人だけ飲まなかったのかではなく、どうして止めなかったのかと俺は言いたい」と言った教諭がおられたのですが、そういう見方もあるかもしれないけれども、もっと反社会的な行為ならば、「おい、やめておけ」と止めた方が良かったかもしれませんが、何をやったかというと、「酒、飲んだだけ」であって、酒を飲んだ上で何か反社会的な行為をしたわけでもありませんからね。そして、その1人からすると、酒、飲もうや・・と飲み始めた連中とも仲良くやっていきたいし、ましてや、「チンコロ」なんてしたくないし・・というところだった・・のかもしれません。
  だいたい、噂では、私のクラスの担任だった女性教諭の旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大学文学部卒)が、その男子の部屋に押し入って酒を飲んでる現場を押さえた・・と伝わっていたのですが、伝わってきたものがそのまま正しいのかどうかわかりませんが、もし、そうだとすると、 「修学旅行の時に、ホテルの部屋で単に酒、飲んだだけ」の人間と、「入学式の日に有休休暇とって観光の海外旅行に行った女」とどっちが問題が大きいか「1限目に自分が授業を持っていない日は、しばしば1限目は遅刻してきていた遅刻常習の教育労働者」とどっちが問題が大きいか・・・というと、「酒、飲んだだけ」ではない方の方が問題が大きいのではないのか・・・て気もしないでもないのです。

  どう思いますか? もっと大きな問題ならば、もっと反社会的な行為をやろうとしていたのなら、「おい、やめておけ」と止めた方が良かったと思います。しかし、「酒、飲んだだけ」と「だけ」と考えていいのかどうか、私も高校生の時には「酒を飲む」というのは高校生として相当の非行みたいに思っていたのですが、ある程度、歳をいくと、酒を飲んだ上で問題のある行為をおこなったというのなら良くないし、それならば「おい、やめておけ」と止める者がおれば、止めた者は評価するべきだと思いますが、「酒、飲んだだけ」で、それもアルコール中毒を起こすような大量に飲んだわけでもなく、同室の生徒で飲みたくないという者にはその者の意志を尊重して無理強いしたりもせず、飲んだ上で何か問題がある行動をとったわけでもなかった・・ということから考えると、自分は飲まないけれども、飲む人間がいても、それについてどうこう言わない・・という選択肢というのはありではないのか・・とも思うのです。少なくとも、気持ちはわかる。
  小学校6年の時、「家庭科」の授業の時に、クラスの人間の大部分がわあわあ騒ぎ、ざわざわざわざわして、授業中であるにもかかわらず遊びまくっていた時、私は自分はその「家庭科」の授業を聞きたかったのだけれども、同時にクラスの人間とも合わせていきたかった・・というのは、これは、今から考えても、その立場は「わかる」のです。
  それで、前の席の男に何度も何度も誘われて、それで、黒板消しを教室の前の出入口の引戸にはさむということにつきあったけれども、それだって、正直なところ、あまりやりたくなかったのです。
  それでも、「つきあいで」というのか、断り切れずに一緒にやったところ、そこに「はなぶさ」がやってきて、自分の目の前で黒板消しが落下すると、気に食わない生徒めがけて、思いっきり殴りかかってきたのです。
  おかしいでしょ。 大人が小学生に思いっきり殴りかかるというのは、好ましいことではないし、これは「教育的措置」などというものではないけれども、それだけではなく、なんで、私ともう一人にだけ殴りかかるのか?  私よりも、もっと騒いでいた生徒は何人もいて、私は、むしろ、先生は注意してくれたらいいのに・・・と思っていた方の生徒だったのです。
  卑怯者はどこの会社にもいますし、どこの学校にもいますが、それでも、事実関係はその時にいた人間はわかっていたはずです。私と私の前の席の男だけがやったわけでもなく、クラスの大部分がざわざわざわざわ、わあわあわあわあ騒いでいたのであり、私は「断り切れずにつきあった」というだけだったのですが、「はなぶさ」はその前々からざわざわざわざわ騒いで真面目に授業を受けていなかった人間には注意するべき立場でありながらまったく注意せずおかまいなしで、「断り切れずにつきあった」だけの人間めがけて一直線で殴りかかったのだという事実を、その場にいたクラスの生徒全員と「家庭科」の臨時講師の女性は見て認知したはずです。「はなぶさ」だって自分ではわかっていたはずです。自分ではわかっていたから、だから余計に、その後「戦前なら、もっと殴られたものだ。あんなもの、たいしたことない」と加害者が「たいしたことない」とクラスで何度も叫びまくっていたのです。「たいしたことない」ことありませんからね。こちらは、その後、1週間ほど頭がガンガンと痛んで苦しんでいたのですからね。

  本当に、思いっきり、力の限り殴りかかってきたのです。 その後、1週間ほど、頭ががんがんうまっていました。これは、傷害罪に該当する。 傷害罪で告訴する・・といったことは小学校6年生の私にはそういうことをする能力はなかったのですが、私が父親ならば、やりますよ。 明らかに傷害罪の構成要件に該当し、違法・有責な行為です。「黙っていたらなめられる!」。
  しかし、うちの父親というのは、そういう対処ができる男とは違うのです。どういう男だったかというと、「子供っちゅうもんは、女が育てるもんなんやからな。勘違いすんなよ、心得違いをすんなよ」と言いまくっていた男でした。戸建住宅建築業の会社に勤めて、1989年のことですが、千葉県の松戸市役所に法規制を調べるために訪問した時、松戸市役所に「子育てをしない男を父親とは言わない――厚生省」と書かれたポスターが貼られていたのを見ましたが、うちの父親の思想はその逆でした。「子供ちゅうもんは女が育てるものなんやからな。心得違いを起こしたらいかんぞ、心得違いを起こしたら。父親が育てるなんぞと甘ったれたこと考えておってはいかんぞ、甘ったれたことを考えておっては」と毎日のように言いまくっていた男でした。厚生省の役人の考え方というのは「心得違い」で「甘ったれとる」そうでした。うちの父親は毎日のように叫んでいました。「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わ~しに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしに。すべてをすべてをすべてをすべてを、わしの、ために。わしの、ために。わしの為にわしの為に、捧げ尽くす、捧げ尽くす、すべてをすべてをすべてをすべてをわしのために、捧げ尽く~す! とってちってたあ~あ♪」と、叫んでいました。「女が子供を産んだなんぞと心得違いを起こしてはいかんぞ」と言っていました。え? 女が産んだのでないなら、あんたが産んだのか? いったいどこから出したんや? もしかして、ち〇ぽの先の穴から出したんか? さぞかし痛かったのじゃないかあ~あ? ・・というと、こういう理屈だったようで、「茄子でも胡瓜でもそうやろ。畑が産んだのとは違うんや。畑に種を植えてくださってあげていただいてもらってあげていただいてくださってやってやってやってあげてやっていただいてもらってやっていただいてくださったお方のおかげで種が芽を出したわけや。畑が芽を出したのとは違うんや。女は単なる畑でやってやなあ、その畑に種を植えてあげていただいてもらってやってやってくださっていただいてもらっていただいたというありがたいお方のおかげで種が芽をだしたわけや。そんで、種が芽を出したなら育てるのは畑の役目じゃ。心得違いを起こしたらいかんぞ、心得違いを起こしたら。育てるのは畑の役目なんやぞ、畑の役目。そんでもって、畑が育てて実がなるようになったら、種を植えた者に権利があるわけや。畑に権利があるのとは違うねん。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわ~けがない。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては、この茄子! わかっとんのか胡瓜! 種を植えてやっていただいてくださってもらっていただいてあげてやったやっていただいたお方に権利があるねんぞ。わ~しの権利じゃ、わしの権利じゃ、権利じゃ、権利じゃ、わしの権利じゃ、わしの権利じゃ」と毎日言い続けていました。それで、その上で「最近の若い者というのは、権利ばっかり主張してからに、甘ったれとる!」と言うのでしたが、さっきから「権利じゃ、権利じゃ、わしの権利じゃ」と叫びまくっておったのは「最近の若い者」ではなくてあんたと違うんかい?・・・と思ったものでしたが、うちの父親というのは、そういうおっさんでした。
 「子供っちゅうもんは女が育てるもんなんやぞ。甘ったれとってはいかんぞ。心得違いを起こしてはいかんぞ」とうちの父親は毎日言っていた男で「畑から種が芽を出したら育てるのは畑の役目であって、種を植えたものの役目とは違うねんぞ。心得違いを起こしたらいかんぞ。そんでもって芽が育って実がなるようになったら種を植えたものに権利があるんじゃ。心得違いを起こすなよ」というおっさんでしたので、小学校の教諭から「芽」が何をされているかなんてことは「女がなんとかするもんじゃ」と思っているおっさんでしたが、そんなことよりも、いざ、なんとかしようという時に対処する能力もなければ、対処しようという姿勢もない男だったのです。だから、息子が小学校の教諭から暴力ふるわれて怪我させられても、何もしない男だったし、何もできない男だったのです。
  私が父親ならば、黙っていませんよ。あれは、どんなに詭弁を弄しても「教育的指導」などというものではなく、暴力であり、傷害罪に該当する犯罪です。又、松下なら、いきなり、隣の席に座っている生徒めがけて彫刻刀を投げつけるようなことをしても、何ら注意しないだけでなく、「松ちゃんはたいしたもんやあ」と、いつもいつも、一生懸命、ヨイショしまくり。 野口要は、座席のくじ引きなどしないで、「AKB総選挙」しなくても常に「センター」。なんだ、この男は!?!
  もしも、「家庭科」の授業の時に、授業ではないイタズラをしようとしたということをとがめるのなら、私ではなく、他にもっととがめないといけない生徒がいっぱいいたはずなのです。それを承知の上で、「はなぶさ」は、なぜか私が気に入らなかったようで、その気に入らないやつめがけて一直線に来て殴りかかったのです。
  なんで、「はなぶさ」は私が気に入らなかったのか?  ひとつには「AKB総選挙」しなくても常に「センター」の野口 要を「野口くんは優秀だ」とここでもヨイショして持ち上げたかったのだけれども、どうも、私がその「対抗馬」みたいになる危険があると感知したようで、それで、「日本の干拓地にはどういうものがあるか」と質問した時にも、私が「十三湖(じゅうさんこ)」と教科書に掲載されていないものでひとつ答えた時にも、「なんや、それ。十三湖(じゅうさんこ)やて、おまえ、いったい何をわけのわからんこと、言っとるんや。何、言ってるんや、おまえはあ」などと言って、自分が笑うだけではなく、クラス全員に一緒に笑うようにけしかけて、そして、ほとんどクラス全員で大笑いさせたのでしったが、そのあたりも、同じ答えをしたとしても、もしも、N口 が答えていたのなら、その場合にはヨイショ、ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ~お♪ とやってことが推定されます。
  今から考えると、あの教諭、けしからんやつだったなあ・・と思います。
  その「はなぶさ」がヨイショする生徒の双璧だった、松下と野口要の2人ですが、あの親にはどういうコネクションがあったのかな・・と思うのですが、野口の母親というのは、どうも、 ””他の生徒とその親を支配しようとする症候群””で、息子もそれに同調していて、野口の支配下に入っているグループみたいな人間が何人かいたのです。北野高校に進学して大阪大法学部に行って弁護士になったK村と一橋大経済学部に行ったK野はN口 要とワンセットで、慶應大経済学部に行って兵庫県庁に勤めたS本はその3人のパシリでその3人のパシリになることを喜んでいた人間でした。私ならそんなもの、喜びませんが、S本は喜ぶ人間でした。そういうやつとはつきあわない方がいいと思うに至りました。なにしろ、そいつは「イヌ」ですから。「イヌ」という言葉は体制・権力の手下という意味で使われる場合もありますが、この場合は「イヌ」という言葉の意味は、これは岩井志麻子という漫画家が書いていたものを読んでなるほどと思ったのですが、「イヌ」というのはどういう意味かというと「いついかなる時も人間を序列化した上で、自分を『下から二番目』に置きたがるやつ」という意味です。S本はそれなのです。そういう「イヌ」の人間と平等・対等につきあおうなどとはしない方がよろしい。そういうやつと平等・対等につきあおうとすると、そいつは自分と平等・対等につきあおうとする人間というものを「自分と平等・対等につきあおうとするということは、こいつは『下』なんだ」と考えだします。だから、S本は「N口・K村・K野のグループのパシリ」という立場がうれしい男なのです。ついでに、慶應という学校ではそういう精神構造の人間のことを「独立自尊」と言います。・・え? なんで? 逆と違うのん? ・・なんて私などはつい考えてしまいますが、慶應という学校では、特に「慶應心理学」ではそういう精神構造を「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」と言います。京大の経済学部に行ったF地はN口・K村・K野のグループとつながりはあったけれどもその3人ほどは「密」ではなかったようだった。最初、私はそういったことがわからなかったが、今はわかっている。北野高校に進学した人間ばかりではなく、それより下の高校にしか行けなかった人間にもN口要の親は「支配人脈」みたいなものを築いていたようで、「ははあ~ん、あいつは・・で、あいつは・・かあ・・( 一一)」みたいな人間がいます。会社という所においても、たとえば、あらかじめ「致命傷にはならないような話」を誰かに話してみて、その話が誰と誰に伝わるかを見ておいて、なるほど、こいつに話すとこいつとこいつに伝わるのか・・というのを把握しておいて、こいつには気を許して話してはいかんなあというのを認識しておくようにする・・といったことを言ったりしますでしょ。私なんかはそういうのがあまりうまい方ではなかったのですが、何度も痛い目に合わされた結果として少しくらいはそういうものも身に着けました。
  それで、もしも、私が小学校の教諭になっていたならば、そんな「人間山脈」(アンドレ=ザ=ジャイアントとは違いまっせ)を築こうとする親がいたとしても、そんなものは尊重しません。むしろ、そのようなものは教育の弊害になるものであり、人間のあり方として好ましいものとは考えません・・・が、ところが、担任の教諭の「はなぶさ」は、その「人間山脈」みたいなものに同調していたフシがあります。私などはその点、「おぼこかった」と言えばおぼこかったし、行った幼稚園がカトリックの幼稚園で「誰とでも分け隔てなくつきあって分け隔てなく遊びなさい」と幼稚園の先生から教えられて、又、大阪市東住吉区の市立小学校の1年・2年の時の担任の先生もキリスト教の教会に行っていた人だったらしく、「誰とでも分け隔てなくつきあい、分け隔てなく遊ぶもんや」と生徒に教えていた人でしたから、私は「そんなもの」みたいに思ってしまって、「人間山脈」を築いて支配するような人間がいるとは思いもよらなかった・・というあたりは愚かでした。
  私は最初、そういうものがあったということを知らなかったのです。あっても、私などは小学校4年の時に引越して転校してきた人間でしたが、昔からその場所に住んでいる人の方が人的つながりは深くて多いということか・・くらいにしか考えていなかったのですが、そういう自然発生的なものではなく、人為的に「人間山脈」を築こうとしないとおれない症候群の親というのが存在したのです。
  又、小学校の教諭というものは、そういうものに支配されてはいけないはずで、転校する前の東住吉区の大阪市立の小学校での1年・2年の時の担任だった I 教諭などは、教師というものはすべての生徒に平等に接するべきもので、すべての生徒のために働く存在だという意識を持っていた人だったと思うのですが、「はなぶさ」は逆だった。そうではなく、どうも、周囲の生徒とその親を支配しようとするような親の息子をヨイショする習癖の男だったようです。

  但し・・・。 「はなぶさ」が、別に他の生徒と比べて特別に授業中に騒いでいたわけでもなく、むしろ、そうではない方だった生徒めがけて暴力をふるい、それも、軽くたたいたとかいうことではなく、大人が力の限り、子供に殴りかかったのであり、そういう態度について批判的に受け取る生徒もいたようで、親に話す生徒もいたのではないかと思うのです。そこから、「はなぶさ」は批判も受けたのではないかと思われます。なぜ、「思われる」かというと、批判を受けたのがさらに面白くなかったようで、その後、さらに、「あんなもん、〇〇は、本来ならもっと殴ってやるべきなんだ」と、今度は私に何度も誘った男は除外して、私一人だけを指名して「もっと殴ってやらないといけないんだ」と何度も何度も言うのです。「戦争中やったら、もっと殴られるもんや。あんな程度ですんだらあかん」と言うのです。
  私が親なら言いますよ。「戦争中と違いますでしょ」と。そして、「『殴ってやるべきや』と殴っていいとおっしゃるなら、とりあえず、大の大人が子供を力まかせに殴る狂暴な人間であるあんたを殴っていいですか」と言ってやった方がいいかもしれませんね。
  大学の体育会ならば、もともと、「殴る」のが好きな人か、「殴られる」のが好きな人、要するに、サドマゾみたいな人が自分の意志で入る所ですから、それでもいいのかもしれませんが、小学校というのはそういう所とは違うのです。「戦争中」どうであっても、それがいいことならやればいいけれども、良くないことであれば、「戦争中」におこなわれていたことでも、おこなわれていないことでも、やるべきではありませんね。 たとえ、「戦争中」におこなわれていたとしても、私は、今、おこなってもらいたくないのです。 
  私が大阪市東住吉区の大阪市立の小学校にいた時、1年・2年の時の担任だった I 先生は生徒に「男の子が男の子を殴るというのも、いいことではない。しかし、男の子が女の子を殴るということはもっと良くないことだ。女の子は男の子よりも力が弱いのだから、力が強い者が力が弱い者を殴るというのは、それは卑怯だ」と言われたものでした。 その考え方を採用するならば、力が強い大人の男が、力が弱い子供を殴るというのは、それは卑怯です。

  私、その時、1週間くらい、頭ががんがんと痛んだのです。後遺症は残らなかったけれども、ああいう殴り方をすると、後遺症が残る可能性だってあるはずです。「はなぶさ」にはそういったことを考えるオツムはなかったようです・・が、その程度のことも考えられないような人間は小学校の教諭を仕事にしない方がいいのではないでしょうか。 彼は「俺なんかは、あんまり、頭がいい方じゃなかったから、だから、池高(池田高校)から大阪教育大に行ったんやけど」と言っていたのですが、頭がいいとか悪いとかいうよりも、腹立ちまぎれに子供を大人が殴るやつというのは、そういうやつは小学校の教諭にはならない方がいいと思います。

  「戦争中は」と言うようだが、「『戦争中』じゃねえんだよお!!!」。 「殴るくらい当たり前だ」と「はなぶさ」は言うのですが、それなら、おまえ、殴ってやろうか・・・という話です。「殴ってあたりまえだ」と言う時、この男は自分が殴る側になることばっかり考えているのです。
  「拳でなぐったのではなく平手でなぐったんだから、かまわないんだ」と「はなぶさ」は言うのでしたが、殴られた側の人間が「拳で殴ったのではなく平手で殴ったのだから」と言うのならともかく、人を殴った側の人間が「拳でなぐったのではなく平手でなぐったんだから、かまわないんだ」と言っても、よくねえんだよ、それでも!!!
   貴闘力チャンネルでも、貴闘力は言ってましたでしょ。張り手で脳震盪おこして倒れる力士がいるというのは、あれは、強烈に顔を張ると首が衝撃を受けるのだ・・・と。拳で殴った場合の方が、打撲でのダメージは大きいかもしれないけれども、平手で殴っても首を傷めるのは同じか、むしろ、平手で殴った方が強いかもしれないくらいなのです。
   腹立ちまぎれに大人が子供を思いっきり殴りつけるといった行為を働いた男。「平手で殴ったんだからいいんだ」て、殴られた側が言うのならともかく、殴った側の人間が「平手で殴ったんだからいいんだ」なんて言っても、今の日本の刑法はそういう言い訳を認めてないんだよ。そういう言い訳を!

  それから、「はなぶさ」は、野口の親というのが、周囲の生徒と親を従えようという親で、松下の親というのはスピーカーであることから、この2人は教師として機嫌をとっておくべきだと考えていたようだ・・・と言われていたのです・・・が、あさはかと言えばあさはかのようにも思うのです。
  その市立小学校では1学年4クラスありました。私がその小学校を卒業して行った市立中学校はその小学校ともう隣の小学校と2つの小学校の生徒が行きました。 私と同じ学年で、北野高校に男ばかり12人、行きました。灘高校に行ったやつが1人いたので、そいつを合わせると13人ということになりますが、13人とも住んでいる場所は私が行っていた小学校の区域でしたが、これは、教育熱心な地域とそうでない地域があることからでしょう。やっぱり、「地元の人」で「家業」があったり「田んぼ」があったりする家の息子よりも会社員の息子の方が進学熱は大きいし、「いい高校」に進学する傾向があります。
  その13人のうち、中学校の時に他の中学校から転校してきたのが2人いました。その2人を除くと11人ですが、私が4年の時に転校して入った「はなぶさ」が担任だったクラスの者が、そのうち、5人。4クラスあったのに、そのうちの1クラスに5人が集中していて、残りの3クラス合わせて6人、「はなぶさ」が担任だったクラスだけが45人のクラスの中に5人いて、他の3クラスは合わせて6人、平均すると他の3クラスは1クラスあたり2人だった。なんでか、わかりますか? 「はなぶさ」が教諭として優秀だったからではありませんよ。「単に偶然」なんてことは、普通はありませんでしょ・・。
  なんでか?・・・・[答え]「学年主任の先生が担任のクラスに息子を入れてください」と頼む親があったから・・でしょう。
頼んだら、「学年主任の先生のクラスに入れてもらう」ということができるのか?・・・できるんですよ、実は。
実は、うちも、父親が知り合いの市会議員のおっさんに「いい先生のクラスになるようにしてください」とお願いしよったのです。しかし、「いい先生」のクラスにしてくれと言われても、市会議員のおっさんとしても、どの先生が「いい先生」かなんてわかりませんから、だから、「学年主任の先生のクラスにしてください」と頼んだらしいのです。それで、「はな◇さ」が担任のクラスになったらしいのです。実際に、学年主任の先生が「いい先生」かどうかなんてわかりませんけれどもね。若い先生だって真面目ないい人はいると思いますよ。若い先生でも真面目ないい人はいるとは思いますが、そうではない人もいるでしょう。実際、この人、なに~い? て人、いましたよ。
  それで、うちは、「いい先生が担任のクラスにしてもらえませんか」とはうちの父親は頼んだらしいのだけれども、あくまで、それだけ。それで、おしまい。それ以上、何か要求したりはしていないし、市会議員のおっさんにしても、その程度ができる限度だったのではないかな。しかし、教諭の方としては、自分のクラスに転校生が何人か入ってくるということについて、なぜ、自分の所のクラスなのか・・と、少しは考える頭があってもいいのではないか・・と思いませんか。ないみたいですけど。
  愚かだなあと思うのは、「はな◇さ」はそういうのを知らんのですよ。ドンカンな男だと思います。普通に考えてみてくださいよ。その小学校の出身の人間で、北野高校に進学した人間が10人、灘高校に進学したやつが1人、合わせると計11人のうち、4年の時に「はなぶさ」が担任だったクラスに5人いたのです。しかも、そのうちの3人は4年の時に転校してきたのです。なにか、感じませんか? たぶん、何らかのツテで「学年主任の先生のクラスにしてください」と「お願い」したのはうちだけではないと思いますよ。
  「はなぶさ」は生徒の親で何らかのコネクションを持っていたり、「パワーユーザー」だったりするのは野口要の親と松下の親だと確信していて、私などは何もないと思い込んでいたようですが、野口要の親と松下の親だけということはないと思いますよ。うちなんて「たいしたことない」けれども、うちよりも力がある親だっていたのではないかと思いますよ。
  そういう親の中には、腹立ちまぎれに気に入らない生徒に殴りかかるような暴力教師というものを、いいように思わない人というのも、中にいたとしても、たとえ、暴力ふるわれるのが自分の息子でなかったとしても、いいように思わない人というのも、いたとして不思議はない・・・と思いませんか・・。

  たぶん、誰か、「そういったところで生徒に暴力をふるうのは教師として好ましくないのではないか」と言う人があったのではないかと思うのです。推測ですから、断定はできませんけれどもね。 それで、「はなぶさ」はそういうことを言われて、余計に腹立てたのでしょう。それで、「もっと殴ってやるべきなんや」とか、「戦争中なら、もっと殴られるもんや」とか、何度も何度も叫ぶのでした。こちらは、まだ、頭がガンガンしている最中に。 「はな◇さ」は小学生は傷害罪で告訴する能力なんかないと思って自身もっていたようだが、そして、うちの親はそういったことに対処できる能力がある親ではなかったが、私が親なら傷害罪で告訴したな。「黙っていたらなめられる」。・・で、実際、私は「はな◇さ」からなめられていたのだった。

  それで、「はなぶさ」が腹立ちまぎれにやった行為は、それだけではないようなのです。 筆記試験の成績から考えると、その学期の「家庭科」の成績は私は「⦿」(3段階で一番上)だったはずなのです。その前の学期も同じくらいの成績で「⦿」だったのです。・・ところが、その学期は、通知簿を見ると、「家庭科」の成績は「〇」(3段階で一番下)にされていたのです。筆記試験の成績から判断すれば「⦿」(3段階で一番上)のはずなのに。
  そして、よく見ると、「〇」の内側に砂消しゴムで消した跡がついていたのです。もともとは「⦿」だったのに砂消しゴムのカドで内側の「●」を削り取って「〇」に変えた形跡があったのです。 ・・誰が、砂消しゴムで内側の「●」を消したの? 「家庭科」の臨時教諭の女性か担任の「はなぶさ」か?・・・
  結論として、「家庭科」の教諭の女性は筆記試験の成績のまま、採点していたと思いますよ。なにしろ、生徒の顔と名前と完全に一致していなかったと思いますし、「はなぶさ」が腹立ちまぎれに殴りつけた生徒の名前が誰だったかもわかっていなかった可能性が大きいですしね。
だから、「家庭科」の教諭が筆記試験の成績や「家庭科」の実技の内容から判断して通知簿に「⦿」(3段階で一番上)をつけたものを、「担任の「はなぶさ」が後から、砂消しゴムのカドで内側の「●」をこすって消して「〇」に変えた・・ということでしょう。その可能性が大きい・・と判断せざるをえません。
  かつ、「⦿」(3段階で一番上)といったん「家庭科」の臨時講師が採点してつけたものを、後から内側の「●」を砂消しゴムで削って 「〇」(一番下)に変更されたのは何度も何度も誘われて断りきれなくなってつきあった私だけであって、私に何度も誘った男は殴りつけられたけれども、通知簿の「⦿」(3段階で一番上)を「〇」(一番下)に砂消しゴムで内側の「●」を削って後から変更されたということはされてないと思いますよ。なんでか・・といっても、だって、そいつ、最初から「⦿」(3段階で一番上)じゃないも~ん。「⦿」から真ん中の「●」を砂消しゴムで削り取ることはできても、「◎」から外側の「〇」を残して内側の「〇」だけを砂消しゴムで削り取るというのは難しいし・・。
  私は、その時、何も言わなかったのだけれども、今から考えてみると、「これ、なんで、『⦿』じゃなくて『〇』なんですか? それも、いったん『⦿』をつけられたものを、後から砂消しゴムで内側の「●」を削り取っての「〇」なんですか?」と、「はなぶさ」にきっちりと質問してやるべきだったなあ・・と今は後悔しています。しまった。ああいう行為は、きっちりと問うてやるべきだった。
  しかし、それにしても、そこまでやるかなあ・・・と思いますが、「陰湿」、かつ「執拗」「偏執的」な性格、「ちっぽけな野郎だなあ」て感じの男です。
  ・・・その男が、そのうち、日本の干拓地として「十三湖(じゅうさんこ)」を知らず、「十三湖て、それいったい何やあ。何をおまえはわけのわからんこと、言うとるんや、おまえはあ」と言ってクラス全員で大笑いさせた男が、「中学校の社会科の先生」に変わり、さらには、自分が気に食わない生徒に殴りつけて、1週間ほど頭ががんがんするような怪我を負わせた、その暴力教師が「中学校の校長先生」におなりあそばしたらしい・・・。
  ・・・「中学校の校長先生」なんて「そんなもの」か・・・。

  それで、相対評価であれ絶対評価であれ「5」「4」「3」「2」「1」の5段階評価、「3」「2」「1」の3段階評価、「4」「3」「2」の3段階評価、「〇」「△」「×」の3段階評価ですと、いったん、その評価のスタンプを通知簿に押すと、後から砂消しゴムで消して別のものに変えるということはやりにくい・・のに対して、「⦿」「◎」「〇」の3段階評価ですと、いったん「⦿」がつけられたものを、後から内側の「●」を砂消しゴムで削り取って「〇」に変えるということができるという特徴があるのです。大阪府の北摂地区のM市立N小学校の「はな◇さ」のような教諭にとっては、好ましい採点記号だということになります。「3」「2」「1」の3段階評価、「4」「3」「2」の3段階評価、「〇」「△」「×」の3段階評価ではなく、「⦿」「◎」「〇」の3段階評価としていた本当の目的はそこにあったのか?・・・・
  こんな採点なんて、八百長でしょうが、八百長!!! そう思いませんか?
まったく、この八百長野郎!!! ・・で、なんか、そういう教諭とうまくつきあって優遇してもらうやつ・・てのがいたのです。「あの子はしっかりしてますわあ。大人ですわあ」とN口の母親は自分の息子のことを言いまくっていたのですが、私とは扱いが違うやつてのがいたのです。「しっかりしていますわあ」なのか「大人ですわあ」なのか何なのかそういうのが・・・( 一一)

  「⦿」「◎」「〇」の3段階評価というのは、小学生にはどんなに成績が悪い生徒にでも「×」はつけない、一番悪い成績でも「〇」になるようにして、通知簿の成績から「やる気を失ってしまう」ということにならないようにしよう・・という意味合いはあったようですが、同時に、「⦿」「◎」「〇」の3段階評価だと「家庭科」の教諭が「⦿」をつけたものを担任の教諭が内側の「●」を砂消しゴムで削り取って「〇」に変えてしまう・・・ということができる♪・・・という特徴があって、担任の教諭にとっては「実にいい制度」だということになります。
  「いい制度」・・なのか? そういうのが???

  (2021.6.2.)
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毛沢東の青春―その秘められた日々 (1976年) - 蕭 瑜, シャオ・ユー, 高橋 正
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《 次の山の麓まできた時、彼(毛沢東)は小ぎれいな身なりの少年が、老僕といっしょに、大きな木陰に腰を降ろして休んでいるのに出会った。隣に腰かけながら、毛沢東はその少年に声をかけた。・・・
・・・
「・・・きみ、どこへ行くの? 学校へ行ってる? どこの学校?」毛沢東はやつぎばやに質問した。よその人間と初めて出会ったので、好奇心でいっぱいだったからである。
「漣浜小学校。湘郷の町には小学校が二つあってね、町はずれにある方は東山小学校っていうの」
 毛沢東は東山小学校のことや、西洋学校での生徒たちのことを、よく知っている少年に会えて喜んだ。そして、長い間夢見てきたことを、できるだけ確かめておきたいと思った。で、李少年に向かって質問の雨を降らせ始めた。
・・・・
「西洋学校じゃ叱る時、手を杖でぶつっていうけど・・・」
「ううん、杖でぶつのは彭先生だけ。あの先生はとても恐いよ」
「ぶたれてもじっとしてるのかい」
「だって、仕方ないもん」
「そんな、杖でなぐるなんて、ひどいじゃないか」
「でも、ぼくたちは子供だし、先生は大人だから・・・・」
「そりぁ、そうだよ。だけど、きみたちは大勢だし、先生は一人きりだろう? 先生をやっつけるぐらい簡単じゃないか」
「うん、だけど相手は先生だもの。先生は尊敬しなきゃいけないんだ。きみ、わからないかもしれないけど・・・・」
「そんなひどいことをされても、尊敬しなくちゃいけないのかい?」
「先生は恐いから、なにも言えない。なにもできないんだよ」
「きみたち、馬鹿だな」
「笑ったって構わないけど、きみだって学校にくれば同じだよ、きっと」
「ぼくが? いや、ぼくならそんな先生ばらしちゃうな。簡単だよ」
「ばらしちゃうなんて、そんなこと言うもんじゃないよ。ぼく、母さんから、道端ではだれとも話さないように言われてるんだ。もう話したくないよ。ぼく行くから・・・」
「ぼくを恐がってんのか? 心配するな。心配なら、あのじいさんに守ってもらえばいいじゃないか。先生をばらすなんて冗談さ。もう少し聞きたいことがあるんだけどな」・・・》
( シャオ=ユー(粛瑜)『毛沢東の青春―その秘められた日々』〔原題『毛沢東と私は乞食だった(『MAO TSE-TUNG and I were beggars.』by Siao-yu )〕高橋 正 訳。 サイマル出版会 ↑ ) 

"通知簿の相対評価と絶対評価。通知簿を書き換える教諭。腹立ちまぎれに生徒を殴る小学校教諭は傷害罪で告訴すべし。大学受験生は「偏差値」を重視してきたか。" へのコメントを書く

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