父の日に(19ー3)【4/4】「何でもわしに絶対服従」という男との間に「中間の立場」はなかった

[第462回]
  芥川龍之介『杜子春』なんてのは、太宰治『走れ メロス』と同様に菊池寛的通俗小説であり、くだらないだけで、芥川龍之介の作品では『河童』とか『歯車』の方が優れた作品だと思う。『トロッコ』は勝ちか負けかというと、まあ、勝ちの方・・かなと思う作品である。最終場面、
≪ 良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い坂のある路面が、細細と一すじ断続している。・・・・・・≫
(芥川龍之介『トロッコ』 〔 芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫他 所収〕
という文章で終わるが、この≪その時の彼を思い出す事がある。≫ ≪薄暗い坂のある路面が、細細と一すじ断続している。・・・・≫というあたり、実は私も似たことがあるのだ。
  父の勤め先の会社の社員旅行で小豆島に行くのに下の姉と一緒についていき・・・といっても、私と姉の交通費や宿泊費を会社もしくは会社の人に出してもらったわけではなく我が家で出して行ったのだが、その際に、帰りのフェリーボートの中で、自分が肩からさげていた子供用のごく小さい水筒の中のお茶を大人にすべて奪われたあげく、「売店でジュースこうたろ」と父から言われて船の売店に行くと売店は閉まっていて、「弁天埠頭についたらこうたる」と言われ、弁天埠頭に着くと「バス来てる。弁天町の駅についたらこうたる」と言われ、弁天町の駅に着くと今度は「弁天町の駅のプラットホームでこうたる」と言われ、弁天町駅のプラットホームに行くと、「電車来た、電車来た。天王寺の駅に着いたらこうたる」と言われ、天王寺駅に着くと「電車来てます。電車来てる。南田辺の駅に着いたらこうたる」と言われ、そして、もうそこからは家まで歩くだけで「バス来てる」も「電車来てる」もない南田辺駅に着くと、「もうすぐ、家です。もうすぐ、家!」と言われ、自分が肩からさげていた水筒のお茶を自分自身が飲むことをできず、渇きに苦しみのたうちまわりながら、小豆島から大阪の弁天埠頭に向かう船の中から東住吉区の家まで「ジュースこうたる」「ジュースこうたろ」と言われ続けて買ってもらえずにひっぱられた・・・という経験。まさに、それが私の人生そのものだった。

  小学生の時、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、やりたいと思う勉強をして、つきたいと思う仕事につけるようにと思えばこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言われ、そういうものかとそんなヨタ話を本気にしてしまった。愚かだった。中学校に行っても、よその子供はクラブ活動もさせてもらっていたが私はさせてもらえなかった。高校に行けば、その学区で一番の高校に合格して行けば、そこまで達成したのは自分なのだから、少しは認めてもらえるのではないかと思ったのだが、そうではなかった。「大学でやりたい勉強をしてつきたい仕事につけるように」とかは母は小学生や中学生の頃、言っていたはずだったが、日本で一番嫌いな大学の一番行きたくない学部である「経済学部および商学部・経営学部」に行かされてしまい、そして、最初の夏休み、父は「あんた、あしたから、うちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」と突然、言うのでびっくりした。北野高校のクラブのOBで京都大学や大阪大学に行ったような人というのは、家庭教師のアルバイトを週2回のものを1件か2件もっているというような人はいても、夏休みに工場労働者をやっている人というのはなかった。東大に行った人というのもいたが、東大に行った何人かは家庭教師もやっていなかった。父は言うのだった。「大学は勉強する所とは違うねんぞ、大学は。心得違いを起こすなよ、チャンコロっ!」と。それなら、何をする所なのかというと、アルバイト漬けをする所だというのが父の認識だったようだ。私は父に言ったのだ。「年にいくら、私に用意してほしいのか、それを言ってもらえませんか」と。夏休み2ヶ月の間、時給600円かそこらのアルバイトをずっとしてもらえる金額分だけ負担してもらいたいということなら、仮に1日5000円と考えて、2カ月で50日行ったとすると、5000円/日×50日=25万円。 春休みも同様に2ヶ月すべてアルバイトをして25万円をかせぐと、計50万円。冬休みは短くて2週間だけで、仮に10日と計算して、5000円/日×10日=5万円、3つあわすと合計55万円になる。年に55万円、負担してもらいたいということなら、月にすれば4万5千円ちょっとである。それならそれで、あらかじめ、言ってもらえば、まず、その時、入居していた日吉台学生ハイツよりも安いアパートはあるから、日吉台学生ハイツを出て安いアパートに引っ越せば、月1万円か2万円は節約できる。食費はもともと安い物しか食べていないし、服も「毛沢東は冬でも綿の服を着ていた」ごとく私もそんなものだったからそれ以上の節約は難しい。月2万円住居費で節約できれば、残りは2万5千円ちょっと。 家庭教師の口というのは、これは、
(1)地元の高校卒、
(2)あらかじめ、何らかの知り合い、
(3)その地域で一番の大学の学生、
(4)女性
が有利である。
(1)は、高校生の家庭教師を大学生に頼む場合、その地域の高校出身の人間なら、家庭教師で見てもらう側の高校生と異なる高校の卒業生でも、その高校がどんな高校かいくらかわかるし、知っている人間でその高校に行っていた者がいたり、その高校の人が進学した大学の学生に知り合いもあったりするということとともに、下宿して大学に行っている人間というのは夏休み・春休みに出身地に帰ってしまう可能性があり、家庭教師を頼む側としては夏休みも見てもらえる人に頼みたいというところがあるので、地元の人に頼みたいというところがある。
(2)は家庭教師というのは自宅にあがってもらって見てもらうことになるので、誰でも彼でもは入れたくないということもあり、特に娘を男子大学生に見てもらおうというような場合には、前々からよく知っている人ならいいが、知らない男性に見てもらうわけにはいかないと考える親がある。
(3)は、知り合いで手ごろな大学生がいない時に、どこかの大学の学生部などに家庭教師をやりたいという学生を紹介してもらおうと考えた時、どの大学に行くかというと、どうしてもその地域で一番の大学に行くことが多い。だから、東北地方出身で慶應に来ていたような者には「東北大なんてあんなアホの行く大学」とか言って東北大をボロクソに言う者が何人もいたが、東北大学は宮城県では一番の大学であるのに対して、東京で一番の大学となると東大になるので、東大の学生は学生部だか何部だかに行くと家庭教師の口にはありつきやすいらしかったが、慶應の学生はなかなかそうはいかなかった。
(4)は、家庭教師を頼みたいという高校生は男である場合も女である場合もあるが、「一流大学」の大学生というのは男の方が多く、かつ、男子高校生を女子大学生に見てもらうというのはかまわないが、女子高校生を男子大学生に家庭教師をしてもらうというのは避けたいと考える親があるようで、その結果、大学生が家庭教師のアルバイトをしたいという場合は女子大学生の方が家庭教師の口にはありつきやすかった。
だから、家庭教師の口にありつくことができれば、月2万何千円かもらえたのではないかと思うが、私はなかなかありつけなかった。母の知り合いの人の娘で、北野高校から大阪大学の薬学部に進学した人がいて、「家庭教師やります」と書いてダイエーだかの無料掲示板に貼ったところ、「お願いしたい」と言う話がいっぱい来たと父は聞いて、「あんた、なんで、家庭教師の口がないんや。やってくれいう話がいっぱい来る言うぞ。甘ったれとったらいかんぞ、甘ったれとったら」と言うのだったが、その母の知り合いの人の娘の場合、(1)地元の中学校・高校卒で、(3)大阪では大阪大学は京都大学と同程度の評価の大学であり、かつ、出身高校の北野高校は大阪ではブランドであり、(4)女性であったから、(1)(3)(4)とも条件は良かったのに対し、私の場合は、(1)(2)(3)(4)とも条件を満たしておらず、その娘とは全然条件は違ったのであり、条件が異なるものを「やってくれいう話がいっぱいくる言うぞ」とか言うおっさんの発想が理解できなかった。
  もし、月4万円、自分で負担してもらいたいということなら、それまでより安いアパートに引っ越して、さらに生活を切り詰めることで月2万円分を節約し、月2万円を何らかのアルバイトをして稼ぐということは不可能ではない。しかし、それは計画的にやらないと、大学生の本業は学業であるはずで、本業を損なうことにもなり、又、「2浪の功」として「英語力がつく」と「朝日新聞」の「声」の欄に書いていた人があったが、これは私自身も経験してそう思ったのだが、たとえ、入学試験や模擬試験で獲得できる点数が高校卒業時から最終受験時まで横ばいであったとしても、横ばいでは浪人した意味がないかのように思えて必ずしもそうではない部分もあり、数学などの考える科目は3年続けて同じことをやるというのはそういいことではないかもしれないし、日本史・世界史などは「大学受験の日本史」「大学受験の世界史」を長くやるよりも、受験から離れて日本史・西洋史・東洋史を学習するようにした方がいいかもしれないが、英語については、たとえ、試験で獲得する点数が大きく伸びなかったとしても、「覚える科目」である英語の場合は、長くやった人間というのはそれだけ頭に定着している・・ということがあると思う。だから、私は2年も浪人してしまって、結局、東大の試験には落ちてしまったが、2年も浪人してしまったことで、英語力はついたと思った。だから、その勢いで、夏休みなど利用して、英語検定1級を取得したいと思ったのだ。ところが、夏休みを最初から最後まで昼間全日のアルバイトを「決めてきた」とされると、夜と通勤の往復の電車中しか学習できないことになり、その結果として、「2浪の功」として身に着けた英語力は低下していくことになる。私は東大に合格したいと思って浪人した人間であり、結局、2浪もして落ちてしまったが、特に最後の年はどこか1つか2つ条件が異なれば通ったのではないかと思っているし、慶應大学に入学した時点では、慶應大学の平均的な学生に比べれば私の方が英語力は上だったはずである・・・・が、「アルバイトぉ、あるばいとお、アルバイトぉ、アルバイトオ」とアルバイト漬けにされた結果、入学時においては私よりも英語力は下だった人間に卒業時には抜かれてしまった。 どこかの会社に応募しても、英語検定1級とかTOEIFL・TOEICで何点とかだと評価されても、アルバイト漬けでこういう工場で何を作りました、ペンキ屋の手伝いの仕事で丸太を運びました、保養所の下男やって風呂掃除しました・・・とか言っても誰も評価してくれない。ばかばかしい限りである。
   母の知り合いで娘が北野高校から大阪大学薬学部に行ったという人の息子、阪大薬学部に行った人の弟は箕面高校から関西大学に進学したらしい。母が私のことを「息子が働くのを嫌がる」と言うと、その人は「あらあ。どうしてかしら。うちの息子なら、お父さんにアルバイト先を捜してもらったら喜ぶのに、どうしてお宅の息子さんは嫌がるのかしら」と言ったというのだ。しかし、その息子が「喜ぶ」としても、それは、「うちの会社でこういうアルバイトを募集しているけれども、もし、おまえがそれに行きたいなら俺からうちの息子を雇ってもらえないかと言うこともできるけれども、行くか?」と尋ねられて、本人が自分で考えて行きたいと判断してのことなら、それなら、行くにしても断るにしても、そういう話をもらえるということについて「喜ぶ」ことになっただろう。しかし、我が家はそうではない。夏休みに家に帰って来て、3日目くらいに、父は「あんた、明日からうちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」と本人に無断で「決めてきた」のである。そういうことをされて「喜ぶ」人間てあるだろうか? もし、18を過ぎた人間で、そういうことをされて「喜ぶ」人間がいたら、むしろ、その人間は人間として欠陥があるのではないだろうか。父は「もし、どうしてもということなら、明日からやのうて明後日からにしてやってもええし、さらにどうしてもということなら明々後日(しあさって)からにしてやってもかめへんでえ。わしはあんたの希望をきいてやる人間やねん。ありがたいお父さんやなあ、ほんま」と言うのだった。それで、父の勤め先の工場に工場労働者としてのアルバイトに行かされた。もちろん、アルバイトであっても、職場で働くことから得るものというものもあるだろう。しかし、そうやって、「2浪の功」として2年歳を行くとともに、そこなら高校卒業時にでも通ったのではないかと思える大学に行かされてしまったかわりに身に着けた英語力をドブに捨てて、又、夏休みの課題を作成する時間を奪われて、かわりに安い時給で工場労働者やって、それが「コストと利益を比較衡量して」プラスになるかというと、マイナスが大き過ぎる・・・と思ったが、しかし、父は「働くのを嫌がる人間は、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえっらい先生がそうおっしゃってる」と言うのだったが、しかし、慶應内部進学小此木啓吾が慶應大医学部に行っていた時にそういうアルバイトをやっていたのか? ・・というと、やってないと思うぞ。まず、小此木啓吾こそ「モラトリアム人間病」であろう。
  父が信仰していた「M川教」の教祖である医者屋のM川はドバカ息子を「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネで私立金権関西医大に裏口入学させたというのを自慢にしていたのだが、M川のドバカ息子は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネで裏口入学しただけでなく、金権関西医大の「大学生」であった時も、M川が「患者」を薬漬け・検査漬けにして儲けたカネでゴルフバックを買いゴルフをして楽しんでいたようだ。工場労働者のアルバイトなどしていないが、それでも、「モラトリアム人間病」とは「診断」されることはない。「作家で精神科医」の なだ いなだ が『お医者さん』(中公新書)で書いていたのだが、「アルコール中毒」というのは診断が難しい。ある男が、月に酒代として5万円使うということで、そんなに酒代に使われたのでは生活できなくなるのに使ってしまう、アル中だと言われる。しかし、彼は納得いかない。なぜなら、彼が飲みに行く店には月に10万円、酒代に使う男がいるのにその男は「アル中」だとは言われない。なぜかというと、その月に10万円を酒代に使う男は年収が多いので、月に10万円を酒代に使っても、それでも、家族からは「お父さん、体に気をつけてね」とか言われるくらいのもので、「アル中」とは言われない。月に5万円を酒代に使う者が「アル中」で、月に10万円を酒代に使う者は「アル中ではない」というのは、その男にとってはどうも納得がいかないのである、と。 これと似ているようなところがある。私の場合は、「2浪の功」として英語力もついたことだし、それを活かさないのは愚かであり、検定試験といったものは勢いのある時に合格最低点を上回る点数を取って通るべきであり、大学入試の後、その勢いのまま、夏休みなどに学習して1級もしくは1級には落ちたとしても2級に通っておけば、卒業後に就職する場合にも少なくとも不利にはならないだろう・・・と思い、「大学は勉強する所だ」と思い、「夏休みは学校は休みでも勉強は休みではない」と考えて学習したいと考えたがそういう人間は「モラトリアム人間病にかかっているから働くのを嫌がるのだ」と「診断」されてしまうことになり、M川のドバカ息子の場合は、私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬けにしてせしめたカネで裏口入学して、入学後も、「患者」を薬漬け・検査漬けにしたカネでゴルフやって遊んだりしていても、それでも、「モラトリアム人間病」と「診断」されることはない! というのは、5万円を酒代に使う男は「アル中」と診断されて、10万円を酒代に使う男は「アル中ではない」と「診断」されるというような、いわば、そんなものである。
  夏休みに私が父の勤め先の工場に工場労働者としてのアルバイトに行かされた帰り、阪急宝塚線の「石橋」駅で、同じ小学校・中学校から同じ北野高校に行って、大阪大学の法学部に現役で進学したK村と会った。彼が「どこに行って来たん?」ときくので、正直に・・・実際は何か尋ねられたからといって何でもかんでも正直に答えないといけないこともなかったのだろうけれども、私は正直というのか馬鹿正直というのか馬鹿というのかだったので・・・、「うちの父親の勤め先の工場にアルバイトに行って来た」と言ったところ、K村から「へえ~え。そんなもん、やってんのおん」とバカにしたように言われた。彼に「どこに行ってきたん?」ときくと、「阪大の図書館で法律の本を読んできた」と彼は言うのだった。彼が≪バカにしたように≫言ったのかどうか、別段、彼はバカにしたつもりはなかったかもしれない。しかし、実質的に、やっぱり、≪バカにしたように≫言っていたのだ。私からすると、近所に住んでいて同じ小学校から同じ中学校に行って、同じ高校に行って、大学は同じではなくてもそれほど評価が変わらないくらいの大学に行っても、生活が全然違うのであり、彼がどういう意識であったかにかかわらず、実質的に「バカにされていた」のである。その頃は、司法試験は今のような法科大学院大学の制度ではなく、旧型の司法試験のみの制度だったのだが、K村は大阪大学の法学部に4年ではなく5年行って5年目に合格したようだ。K村のお母さんは「司法試験も現役で通ったんですう」と近所に言ってまわっていたらしいが、そういうしょーもないことはしない方がいいと思う。他の仕事と違って弁護士というのは弁護士名簿というものがあり、何年に司法試験合格というのはそこに書いてあるのだ。この弁護士名簿というのは買うにはけっこう高いが、買わなくても、ある程度大きな図書館に行くとあるので、そこで見ることができる。彼は阪大に入学して4年目の年の試験ではなく5年目の試験で合格していた。「しょーもないこと言い」のお母さんというのは時々いて、「女だからしかたがない」とか「まあ、お母さんというのはそんなもの」とか言って許容されることもあるが、そうは言っても、できれば、あんまり、「しょーもないこと」は言わない方がいいと思う。「できれば」と言ってもそのお母さんはできないかもしれないし、息子も「そういうしょーもないこと、言わないで」と言えない息子だったのかもしれないが。K村は、アルバイトは2時間を週に2回の家庭教師をやっていただけで、夏休みに全日の工場労働者なんてやっていなかったが、それでも、「モラトリアム人間病にかかっているから働くのを嫌がるのだ」と「診断」されることはないのに対し、私は夏休み中、工場労働者をやってもそれでも、「モラトリアム人間病にかかっているから働くのを嫌がる人間なのだ」と「診断」されることになった。これは家庭の違いということである。我が家の息子に生まれたが最後、「モラトリアム人間病」と「診断」されるのを防ぐ方法は存在しないのである。
  K村は、私が夏の暑い時期に冷房なんてあったのかどうかわからないがあっても効かない工場で、工場労働者として肉体労働をしていた時、冷房の効いた図書館で座って法律の本を読んでいた。そして、阪大に入学して5年目に司法試験に合格した。条件が全然違った。冷房の効いた図書館で座って法律の本を読んでいた男は司法試験に通る。そいつが冷房の効いた図書館で座って法律の本を読んでいるまさにその時、冷房なんて効かない工場で汗を流しながら肉体労働をやっていた者は司法試験なんて通らない。K村が司法試験に合格した時、何新聞だったかに司法試験合格者の氏名が掲載されていたのを父は切り抜いて送りつけてきた。そこに添え書きが書いてあった。「K村くんの爪の垢を煎じて飲みなさい!」と。そして、届いた日に電話がかかってきた。「手紙、着いたかあ~あ。K村くんの爪の垢を煎じて飲めよお~お」と言って。
  父はその「K村くんの爪の垢を煎じて飲みなさい」と書いて送りつけて届いた日に電話をしてきて、「読んだかあ~あ。K村くんの爪の垢を煎じて飲みなさい」と言うので、「ああ、そうですか」と言ったのだが、そうすると、「ああ、そうですかとは何じゃ!」と言うので、「ですから、K村くんの爪の垢を飲むんでしょ」と言うと、「そうじゃ。飲めよお、おまえはあ。K村くんの家に行って、『お願いですから、爪の垢を分けてください』と頼んで来なさい。わかっとんのんか、チャンコロっ! わかっとんのんか、チャンコロお!」と言うので、「はい、はい、はい、はい」と言ったところ、今度は「はい、はい、はい、はいとはなんじゃ!」と言うので、それで、「いいえ、いいえ、いいえ、いいえ」と言ったところ、「いいえとは何じゃ!」と言うので、「ですから、『はい』と言うとお気に召さないようなので、それで、『いいえ』と言ったのですが、良くないのでしょうか」と言ったところ、「いいえとはなんじゃと言うておるんじゃ」と言うので、「そしたら、『はい』」と言ったところ、「はいとは何じゃ」と父は言うので、「そしたら、『いいえ』」と言ったところ、「『いいえ』とは何じゃ、おまえはあ~あ」と言うのだった。うちの父親はそういうおっさんだった。石橋駅でK村と会った時には、近所に住んでいて同じ小学校から同じ中学校に行って同じ高校に行ってそれほど評価の変わらない大学に行ってもずいぶんと条件が違うものだとは思ったけれども、それでも、少々条件が悪くても、そんなものに負けるもんかあ~あ・・と思ったものだったが、「そんなものに負けるもんかあ~あ」と闘志をわかせて奮闘すればなんとかなるという程度の条件の違いではなかった。実際のところ、我が家では無理だと思う。K村の爪の垢を煎じて飲めば、K村と同じような条件、2時間を週に2回の家庭教師をやるくらいで、他は冷暖房の効いた部屋で座って法律の本を読んで勉強させてもらえるということならば、爪の垢でもち〇ぽの垢でも大喜びで飲むわ!!! あれだけ、条件が違ったのでは、これでは、王さん1枚で将棋させられているようなものだ。今、裁判官とか検察官とか弁護士とかになっている人間というのは、男であれ女であれ、私が冷房なんて効かない暑い工場で肉体労働させられたり、ペンキ屋の仕事でジェットコースターの一番高い所まで丸太をかついで登ったり、保養所の風呂掃除をしたり、相当の風雨の日にも新聞配達をしたりしていた時に、冷暖房の効いた部屋で椅子に座って法律の本を読んでいたというそういう人達である。そういう人達の爪の垢もしくはち〇ぽの垢を飲めば、そういう人達と同じ条件を得られるのであれば、爪の垢でもち〇ぽの垢で飲みたいものである。「女は男に比べて不利だ」とかいう女性が時々いるがそうでもないと思う。女でも私が肉体労働をしていた時に冷房の効いた部屋で座って法律の本を読んでいた人はいるはずである。川崎市幸区に住んでいた時、自宅の近くの停留所から川崎駅に行く川崎市バスに乗っていて、窓から外を見ていたら、「ホスト募集」なんて貼紙がしてある家があった。「ホスト」というのがどういう仕事なのか、その時はよく知らなかったたのだが、それを見た時に思ったのは、「女は、カラダを売るということができて、いいよなあ」ということだった。男にはそういう選択肢はないのだから、その点、むしろ、女性の方が有利なところもあるのではないかと思ったのだった。
  私は父に言ったのだ。「そんなに、モラトリアム人間病にかかっているから働くのを嫌がるのだとか言うのなら、もともと、慶應みたいなもん、行きたいと思ったことは一度もない大学ですし、むしろ、行かされたくないと思っていた大学だし、辞めて、自分で働きながら自分で納得の行く大学に行きます」と。父は「そんなに、自分が行きたいと思う大学に行くとか言うのなら、新聞配達して大学に行け」と言うので、「それなら、新聞配達します」と言ったのだ。但し、私は実際に新聞配達という仕事を少しだけだがやったのだが、新聞配達というものをやって学校に行っている人を「えらい」とか言う人があるが、新聞配達というのは日本にある職業のひとつであって、あまり特別扱いはしない方がいいと思うのだ。実際に新聞屋で配達をしながら、専門学校とかに行っている人はいるのだが、こういう言い方がいいかどうかわからないが、体を動かすのは苦手ではない人で、頭脳の方はそれほどではないという人に向いている仕事であり、旧帝大系国立大学や早慶くらいに行く人なら、ほかに向いている仕事があるのではないか・・・という仕事です。大学に行くのに生活費が不足しているということなら、新聞奨学生というのはあくまで、ひとつの選択肢であり、他にも選択肢は考えられ、他の選択をしている人よりも新聞奨学生をやっている人がエライとかいうものでもないように思います。
  私が「それなら、新聞配達やります」と言うと、その後、父は読売新聞の「新聞奨学生募集」と印刷されたものをどこやらから手に入れてきて、「あんた、読売新聞が奨学金をくれるらしい。あんた、これやりなさい」と言ってきた。「そうですか。それなら、それに応募して、慶應は辞めて、自分が行きたいと思う大学に行くことにします」と言ったのです。その時点で頭の中にあったのは、九州大学の医学部、それに自治医大でした。私は、もともと、それほど東大に行きたいと強く思っていた人間ではなく、むしろ、高校時代に最も魅力を感じていた大学は京大だったのですが、父が「京大なら家から通うべきや」と言い、その時点で、大阪府の住んでいた家から京大までは片道で2時間以上かかったし、あの家を出たいという気持ちが何より強かったし、父が「京大はアカやからいか~ん!」と言うので、それなら東大に行くしかないじゃないか・・ということになったのですが、浪人したり慶應に行ったりしているうちに年齢がいってしまい、そうなると、大学院に行って臨床心理学とか哲学・倫理学・宗教学とかの研究者になろうとしても、その分、不利ではないかと思い、一般の会社に勤める場合、「2年遅れまで」という話があり、その点、医学部に行けば、あまり年齢を行くと不利かもしれないが、「2年遅れまで」ではなく3年とかなら可ではないかと考えた、北野高校で同じクラブにいたひとつ年上の人で、1浪で大阪大学の工学部を落ちて二期校の静岡大学工学部に行ったけれども、そのまま、静岡大学卒になる気になれないということで、静岡大学の2年の時に下宿を引き払い、受け直して3年遅れで大阪大学の歯学部に行ったという人がいたが、その人なども、「工学部とかだと3年遅れだと不利だろうから、歯学部なら3年遅れでもと思った」と言っていたのだが、実際には「会社」という所でも、別段、「2年遅れまで」というのはそういう法律があるわけでもなく、会社によっては「3年遅れ」くらいまでいいにする会社もあるようなのですが、私が考えたのは医学部なら2年と3年の間の差は小さいのではないかということと、もし、東大法学部に合格できるなら、国家公務員の場合も2年遅れと3年遅れの差は小さいのではないか、という点でした。九州大学の医学部というのは、あの家に戻りたくなかったし、京都や神戸の大学なら家から通えという話になってしまうという点と、医学部の場合、内科や外科にはそれほど関心がなく、心身医学、「心のありようと体の調子との関係」というものに関心があり、完全に「異常」とされた人のことではなく、一般の人間が心配事から体調不良になったり、試験の日など緊張から下痢をしたりとかそういったものへの対処を扱いたいと思っていて、九州大学医学部に池見酉次郎という心身医学の教授がおられて、高く評価されているらしいということから、九州大学医学部というものを考えたのと、我が家は、父の先祖は九州の出であり、「東の方」より「西の方」の方が親しみがあったということ、自治医大は、これは、全寮制で卒業後にへき地の医療施設に何年か勤務するという条件で学費タダ・寮費タダというありがたい大学なので、「おまえは、高校は義務教育ではない以上は行くべきではないんやぞ。ましてや、おまえは大学には行くべきではないんやぞ。わかっとんのんか、チャンコロっ!」という家、しかも、日本育英会奨学金を受給しようとすると親の年収がオーバーするので受給できないという家庭の息子にとってはもってこいの大学だった、というところからでした。何より、慶應の経済学部だの商学部だのを卒業してしまうと、勤め先というと「会社のために、会社のために。滅私奉公。すべてを会社のために捧げ尽くす、とってちってたあ~あ。会社のために、会社のために、シュシュポポ、シュシュポポ、シュシュポポ、シュシュポポ・・!!!」という仕事に着かされることになるのに対し、自治医大に出も行けば、ともかくも、医者になって「会社」ではなく「病院」に勤めることができるので、その方が絶対にいいと思ったのでした。
   私が「それなら、新聞配達をしながら受験しなおして、九州大医学部か自治医大かに行きます」と言ったところ、父は「何、言うとるんじゃ、何を。そんなもん、行かんでもええ」と言うのでした。「なんで、ですか。行きたい大学の行きたい学部に行くというのなら新聞配達をして行けと言われるわけでしょ。ですから、慶應みたいな行きたくない大学は辞めて、新聞配達をしながら受験しなおして、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くと言っておるわけでしょ。お父さんが行きたい大学の行きたい学部に行くのなら新聞配達して行けと言われたのでしょう」と言ったのですが、「そやからやなあ。大学は慶應でええとわしが言うとるんじゃ。そんなもん、なんで、九州大の医学部なんか行かんといかんのじゃ。わしが慶應でええ言うとるんやで」と言うのです。それで、「それなら、なんで、新聞配達なんてしなきゃならんのですか。私は行きたくないけれどもお父さんが行かせたいという大学に行かされるために、なんで、新聞配達なんてしなきゃならんのですか」「学費を出してもらうわけでもなく、生活費を出してもらうわけでもなく、むしろ、お父さんがいらっしゃるおかげで日本育英会奨学金を私は受給できないわけで、自分で学費も生活費も稼ぎながら大学に行くのに、なんで、お父さんにどこに行けだのと指定されなきゃいかんのですか」と言うと、父は「ええかげんにせんか、おまえは、このチャンコロ!」と言うのだった。「大学をどこに行くかとかそういうことは大事なことやねんで。そやからやなあ、そういうどこに大学に行くかとか、誰と結婚するかとかそういう大事なことはあんたが決めるのやのうて、わしのようなえらいえらいえらいえらい人間が決めるもんであって、あんたは決める役とは違うんやぞ。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロ!」と言うのだった。そして、「あんたが新聞配達をやりたいと言うもんやから、そやからやなあ、あんたの希望をきいてやってやってやってやったって、そんで、これをこのわしがわざわざ捜してきてやってやってやってやったってんでえ~え」と言うのだった。
  父は「あんたが新聞配達をやりたいと言うから、あんたの希望をきいてやってやってやってやあってやって、そんで、あんたの希望をきいてあげてやってあげてやってやってやろうと思うて、そんで、わしはこれを捜してきてやってやってやってやあってやってやってやったってんでえ」と言うのでしたが、そんなもの、朝日でも毎日でも読売でも産経でも、新聞屋の奨学生の募集なんて、捜さなくても、「アルバイトニュース」「アルバイト情報」に毎号掲載されているし、新聞社に問い合わせれば奨学生募集の部署を教えてくれるでしょう。何を、「あんたの希望をきいてやってやったってろうという気持ちから、このわしがわざわざ捜してきてやってやってやって・・・」とかわけのわからんことを言っているのか。
  そして、父は「奨学生」「奨学金」という意味を取り違えていたのです。日本育英会奨学金は学業成績が一定以上の人で親の年収が少ない人に学費分を供与するというもので、慶應義塾奨学金というのは日本育英会奨学金を受給した人に生活費を供与するというものでしたが、新聞屋の奨学金というのは、名称は「奨学金」であっても、日本育英会奨学金とか慶應義塾奨学金とは性質はまったく異なり、それは「給与の一部分」です。会社によって「家族手当」とか出す会社がありますが、「家族手当」と言っても「給料の一部分」であるのと同様、新聞屋では、配達・集金・拡張の3業務のうち、一般従業員はこの3つをおこなうのに対し、新聞奨学生は配達だけで、それに対しての報酬は「月給+朝夕の食事+アパートの部屋+本人が指定した学校の学費」で、その本人が行くことにした大学・短大・専門学校・予備校その他ともかく学校でさえあればいいのですが、その学費分を「給与の一部分」として出すというもので、新聞屋の配達の業務をした者に対しての報酬をそういう払い方をしていたのであって、日本育英会奨学金とか慶應義塾奨学金とかとは性質はまったく違うのです。父はそれをまったく理解できておらず、「読売新聞が奨学金をくれるらしいでえ」とか言ってきたのですが、今、思うと、あのおっさん、「アホちゃうか」という感じがします。父は「わしは、世の中のことは何でも何でも何でも何でも知ってる人間やねん」と言っていたのですが、そのわりに何も知らない。
   父は「あんた、この読売新聞の配達やって慶應に行きなさい」と言うので、「なんで、そんなもん、せんといかんのですか」と言ったのですが、父は「わしは、あんたが新聞配達をやりたいと言うもんやから、そやから、あんたの希望をきいてあげてやってあげてやってあげてやってやってやろうと思うてやなあ、そんで、わざわざ、このわしがこれを捜してきてやってあげてやってあげてやってあげてやってやってやったってんでえ~え」と言うのでしたが、「別に、捜してきてあげてやってあげてやってあげてやっていただかなくてもいいですけど」と言ったのだ・・・が、「何、言うとんねん。ええかげんにせえよ、おまえは。このわしが、あんたの希望をきいてあげてやってあげてやってあげてやってあげてやってやってやろうと思うて、これをこのわしが捜してきてあげてやってあげてやってあげてやってやなあ」と言うので、「ですから、あげてやってあげてやってあげてやっていただかなくてけっこうですと申しておるでしょうが」と言ったのだった。

   結局、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行けて、やりたい勉強をして、就きたい仕事につけるようにと思うからこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言われて、そんな話を本気にして努力した果実は、すべて奪い取られた。

   いくらかなりとも譲歩すれば・・・などと考えたこともあったが、心理学の研究者になるためには、大学の文学部心理学科か教育学部教育心理学科に行って卒業後は大学院に進んで学ばないといけないが、大学院を修了した後、どうなるかよくわからない。それに対して、医学部に行って心身医学か精神医学を専攻すれば、「医者」になることができるので、「医者」になった方が職業として安定するのかもしれない、といったことも考えた。その頃、私は、心理学・教育心理学・精神医学・心身医学・精神分析学といったものがどう違うのかよくわかっていなかった。ともかく、薬物中毒とか外傷による「精神異常」といったものには特に関心はなく、「普通の人」が緊張から実力を発揮できないとか、心配事から体調不良をきたすとかそういったものをどう対処するかに関心があったので、それから考えると、心身医学の方が近かったかと思う。私は、心理学よりは精神医学・心身医学の方が職業・年収として安定するかもしれないから、父はその方が喜ぶかと考えたりもした。又、どうしても、社会科学系学部に行かされてしまうとしても、その場合は、経済学部・商学部・経営学部よりも法学部の方がいいと考えていた。しかし、私が法学部を前提に考えると、「会社に勤めるなら経済学部の方がええ」とか言い出すので、いくら、譲歩しても、結局は、一番嫌なところに無理矢理行かされてしまうということになるのだった。
  当初、私がプラス10と言い、父がマイナス10と言うのなら、父の人生ではなく私の人生なのだし、私が小学校の1年から努力して勉強してきた成果として大学に行くのだから、私が決めるもののはずであったが、それでも、父に譲歩して、もとの「プラス10」から大幅に譲歩して我慢して、「プラス6」まで譲ったとして、そうすると、今度は父は「プラス6」と「マイナス10」の間で譲歩させようとしてくるのだった。さらに「プラス3」まで譲歩したとすると、今度は「プラス3」と「マイナス10」との間で譲歩させようとしてくる。「おまえの主張ばっかししてたら話は成り立たんやろうが」と言って、そして、最終的には「マイナス10」まで持っていかされることになる。それなら、譲歩して我慢したのが間違っていたということになる。
  「まん中をとる」という性質のものでもないが、もし、しかたがない、すべてを失うくらいなら、「まん中をとる」のでも我慢するしかないかと考えて、「プラス10」と「マイナス10」の「まん中をとる」ことにして「ゼロ」と言ったなら、今度は「ゼロ」と「マイナス10」の「まん中をとる」ことを要求され、もしも、「ゼロ」と「マイナス10」の「まん中をとる」ことに応じて「マイナス5」にしたならば、次には「マイナス5」と「マイナス10」の「まん中をとる」ことを求められて、最終的には全てを失うことになる。
何度も何度も空しい努力をして、その結果、わかった。
  互いに考えを持っていて、それをすり合わせて、両方がなんとか納得のいくところを捜そうとしているのなら「中間の立場」もありうることだったが、父の場合は「おまえは産まれてくるべきではなかったのに産まれてきたのであり、自分が産まれてきたということを反省しろ! このチャンコロ! 自分が産まれてきたことを反省して、すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために!」と言うのだったが、「すべてをすべてをわしのために」と言う人、「すべてわしの言うことに絶対服従」と言う人との間には「中間の立場は存在しない」のだった。
  父は「おまえの結婚はわしが決めたるわあ」と言うので、そんなもの、決められてたまるものか! と思ったのだが、これを下の姉に言うと、「何を言ってんの。あの人に、そんなもの、結婚相手なんて捜してくる能力あるわけないでしょうが。あの人がもっと社会的地位のある人ならあの人に好かれようとして女の子でも紹介しようという人もあるかもしれんけど、そんな人と違うでしょ。社会的地位なんてなくても、たとえば、☆☆さんとかなら、たまたま会ったような女の子にでも、『うちの親戚にこういう男性がいるんだけど、会ってみない』とか言ってみるという能力があるけれども、あの人はそういう能力だってない人でしょうよ。何もできない人じゃないの」と言うのだったが、姉は意味を誤解している。父は結婚相手に良さそうな女性を自分が捜してくるなどとはひとことも言っていないし、そんな気持ちなんてない。父が言っているのは、「おまえが、このわしのお眼鏡にかなうような女を何人か用意してわしの所に連れてこい。そしたら、その中から、このわしが、どいつがよりわしのお眼鏡にかなうか見たるわ。そんで、もし、その中にわしのお眼鏡にかなう女がひとりもおらんかったら、どいつもあか~ん言うたるから、そしたら、また、おまえが何人か女を用意して連れてこい。そしたらまた、その中で、このわしのお眼鏡にかなう女がおるかどうか、わしが見たるわ!」と言っていたのであって、父が捜してくるなどとは言っていないし、そんなつもりは毛頭なかったのだ。父は私に「よもや、このわしに無断で女とつきあうなどという思い上がった真似はしてはおらんやろうなあ」と言うのだったが、そもそも、つきあって、この人と結婚しようということになったのなら、男性が女性の親にでも、女性が男性の親にでも会いに行くべきだろうけれども、つき合っているわけでもない男性から、「うちの父親の所に来てくれ」などと言われても、「なんでやのおん?」とたいていの人間は言うのではないかと思うのだが、ところが、父は「つきあう前に、女をわしの所に連れてこい」と言うのだった。毎日毎日、そんなことを言われ続けて、お嫁さんなんて、要らんわ・・・と思うようになってしまったが、ところが、父は「甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ! 甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ! おまえが女を用意してわしの所に連れてくんねんぞ。甘ったれておってはならんぞ、チャンコロ! 女を何人か用意してわしの所に連れてこい。この謙虚な謙虚なこのわしが、その女を見て判定したるわ」と言うのだったが、「要りません」と何度言っても、「のぼせあがるな! このチャンコロ! 謙虚になれ、チャンコロ! このえらいえらいエッライエッライ聖徳太子でキリストで英雄ヒットラー総統のこのわしが、女を見て判断してあげてやってやると言うておるんやぞ。『ありがとうございます』と言わんか、チャンコロ! おまえとこのわしは民族が違うねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ! わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族やねんぞ。おまえはロスケでイタコでチャンコロで浪商の民族やねんぞ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんが、おまえは北野高校に行っても浪商やぞ、この浪商めが、産まれなければ良かったのに産まれおってからに。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と言うのだった。

  あのおっさんが働きに行って会社からもらってきた給料で食べさせてもらって成人したのはたしかで、その点については感謝もするべきであろう。しかし、大学進学においては、あのおっさんのおかげでやりにくかった。ましてや、「わしのお眼鏡にかなうような女を何人か用意してこのわしの所に連れてこい」とかいう要望については・・・なんか疲れる・・・・。
  1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校→神戸大文学部卒。その後、結婚して苗字は変わるが、さらにその後、離婚したかどうかはそれは知らん)が「私は両親が離婚したから」と自慢にしていたが、そんなもの、自慢することと違うんちゃう? と思うとともに、「両親が離婚」して母親の方についていったらしいが、そういう父親なしで育った人というのは、「父親」というものを実際よりもいいもののように思う人というのがいるようだが、旧姓作野礼子がどういう認識だったか知らないが、実際の「父親」というのは常にいい存在でもないのであり、そのあたりを理解できない旧姓作野礼子は高校教諭には適性がないと思われるし、もしも、それでも、教諭をやりたいのなら、せめて、「両親が離婚した」女生徒専門の教諭になってもらった方が、その方が世の為ひとの為だったであろうと思われる。旧姓作野礼子から「私なんかは両親が離婚したから、だから、私なんか、浪人なんてやりたいと思っても絶対にさせてもらえなかったわ」と言って浪人中に浪人したということをずいぶんと責められたが、しかし、そういうことを言うのならば、「私なんか、神戸大の文学部なんて、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえなかったわ」「神戸大でなくても、京大でも東大でも、『うちは文学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな』と毎日のように言われ続けたわ」「『うちは学校の先生になんか、ならすような金持とは違います。甘ったれなさんな』と毎日毎日言われてきたし、『たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語の先生でなかったらなってはいかん! 数学か英語でなかったら家庭教師のアルバイトができないから、国語とか社会科とか理科とかの先生にはなってはいかん!』と毎日毎日言われ続けてきたわ」・・・、旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と自慢し、「両親が離婚したから」だから、母親に育てられたので家庭が金持ちではなかったから、「浪人なんてとてもやりたいなんて言えなかった」と言うのだが、そのわりに、「文学部みたいなもん、行かすような金持とは違います」「学校の先生なんてならすような金持と違います」「学校の先生でも、英語か数学の先生以外はなってはいかん。国語やたら社会科やら理科やらの先生はなってはいかん」と父が言うところの文学部に行き、「学校の先生」でも「国語の先生」になっていたのであり、実は旧姓作野礼子というのは、あの女はよっぽど金持ちの家庭の娘だったのではないか。
  もし私が高校の教諭になっていたならば、高校生には「できる限り、現役で通るようにした方がいいですよ」と言うであろうけれども、すでに浪人してしまった人間に、浪人したということを責めても、それは苛めているだけであり、そういうことは私が高校の教諭になっていたならば言わないだろう。私は旧姓作野礼子に言われて、それをなんとか挽回できないかと一生懸命考えたが、すでに浪人してしまったものを、それを浪人していないことに改良するというのは、それはどんなに努力してもできないことであり、努力してもどうもできないことを責めてもしかたがないし、そういうことはするべきことではないと私は思う。そういうことをしたがる女が北野高校の教諭になっていたが、あの女は、特に浪人中の者には害がある。

  6月の第3日曜が「父の日」。2019年は6月16日(日)が「父の日」であった。「父の日」に合わせて、「父の日」に思うことを公開するつもりで打ち込んだが、長くなって、16日に間に合わなくなったが、本日、公開する。
6月の第3日曜、2019年は6月16日は「父の日」、↑のようなおっさんの日。「わしほどえらい人間はおらんねんぞ、このチャンコロっ! わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族やねんぞ、このチャンコロッ!」と言うおっさんの日である・・が過ぎてしまった。
   (2019.6.20.)

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