生き死にの間際に。知らぬ間に「天国」に行った叔父へのレクイエム。数珠を貸すな

[第434回]
  アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(奥田俊介・倉本護・猪狩博訳 1975.4.10.角川文庫)は大変面白い。たとえば、
METROPOLIS,  n. 【首都】いなか根性の砦(とりで)。
FLAG, n. 【旗】軍隊の上にかかげて運ばれたり、砦や軍艦の上に掲げられたりする極彩色のぼろ。 ロンドンの空き地で見られるある種の立て札と同じ目的のためにあるようである。“ くずはここに捨ててよし ” と。
ABSURDITY, n. 【不条理】自分自身の意見とは明らかに相容れない所説ないし信条。
・・・ほか、なかなか鋭い。
  特に、「首都」については、慶應大学の学生というのは何かと「シティ」とか言いたがるのが多く、「こいつら、イナカくせえ」と私が思ったところに、この本を読んだところ、上記の文章があったので、まさにその通りと思ったものだった。1980年代、横浜市港北区日吉の東急東横線「日吉」駅の西口に山村書店という書店があって、そこに慶應大学 鉄道研究会編という『シティ 電車』などと題名をつけた本が置かれていた。「イナカくせえ~え」と思うとともに、それにしても、慶應の人間というのは、ほんとに、「シティ」とか言いたがる人間が多いもんだとあきれた。中学生の時、大阪大学の大学祭をのぞきに行ったことがあったが、その時、大阪大学の鉄道研究会の展示を見たが、大阪大学の鉄道研究会は「シティ電車」などとは言わないし、そういうことを言ってやろうという発想はない。それに対して、慶應の学生というのはなにかと「シティ」とか言いたがる。「慶應って、なんかイナカくせえ~え」と私は思ったのだが、そう思わない人もいるようで、そういう私が「イナカくせえ」と思ったようなものを「都会的」とか「スマート」とか「ギャルにもてもて」とか思う人もいるらしい・・が、私はそんなのが「都会的」とは思わない。福澤諭吉は「イナカモノという言葉には2通りの意味がある。田舎の住人とか田舎の出身とかいう意味のイナカモノというのは別段悪いことはない。しかし、精神面がイナカモノというのは、これは良くない」と言ったというのだが、慶應の人間にはその「精神面がイナカモノ」という者が多いように思った。なにかと、『シティ電車』とか言いたがるというのは、それは「精神面がイナカモノ」ということだ。こういうと怒り出す内部進学もしくは「アタマが内部進学」がいると思う。殴りかかってくるのもいるだろう。あたっているから怒るのではないか。 関西出身の人間には「東京はイナカだ」と思う人間が少なくない。これは田園地帯だという意味ではなく、「精神面がイナカモノ」が多いという意味であり、『シティ電車』とか言いたがるようなのが多いという意味である。
  「旗」もまた、慶應大学の学生を見て思ったものだ。「六旗のもとに」とか。そういうのは応援団とか空手会とか、そういった右翼的学生が好むものだが、そういうのは、ある程度以上の大学においてはないだろうと思っていたのだが、私の予想ははずれた・・と考えるべきか、もともと慶應はそんなものだったのか、どちらかだろう。いずれにしても、「旗」というもののもとに集まりたがるような連中というのは、「くずはここに捨ててよし」というごとく、独立自尊の精神を持たない、精神的に貧弱な連中だと言って良いだろう・・・と私は思うのだが、ところが、そういう人間に限って、「独立自尊」とか言いたがるのだ。なんで、そういうのが独立自尊なんだよ! と思うのだが、こういうことを言うと「おまえはそれでも慶大生か」とか言われるわけだ。「おまえはそれでも日本人か」という文句を戦中戦前はよく言われたことを、慶應大学医学部卒で「作家で精神科医」の なだ いなだ が『人間 この非人間的なもの』(ちくま文庫)で、「おまえはそれでも◇◇か」という言い方は、自分とは異なるタイプの人間の存在を認めないファッショ的な思考であることを述べているが、慶應大学の学生というのは「おまえはそれでも慶大生か」「慶大生らしくねえよ」といったそのファッショ的傾向の文句を口にするのが大好きという人間が大変多かった。だから、そういう学生が多い大学が「独立自尊」とか呪文か念仏みたいに言いまくっても、あんまりありがたみがなかった。そもそも、「独立自尊の精神」とは何かというと、それは、まず、自分自身で「独立自尊」とはどういうものか、どういう態度のことを「独立自尊」と言うべきかと自ら考えるところから「独立自尊」は始まる。すばらしい学校であれなってない学校であれ、特定の学校に入学すれば「独立自尊」だなどと、そんなおかしな独立自尊はないはずだ・・が、こういうことを言うと、慶應では「おまえは独立自尊の精神が欠けている」とか言われるわけだ。要するに、「あれっ、それって変じゃないか」と思って口にすると「独立自尊の精神が欠けている」と言われ、気づくこともできずにおかしな状況に雷同する者は「独立自尊自尊の精神を身に着けている」とか「自我が確立されている」とか言われ、「それは変ではないか」「それって逆と違うのか」と言うと、「自我が確立されていない」「アイデンティティーを身に着けていない」「未成熟」とか「なんちゃらシンドローム」とか「診断」されることになる。この塾風用語と「精神医学」「心理学」用語を駆使した詭弁につきあうのは疲れる。慶應という学校はそんな学校だった。しかし、わかる人はわかるはずである。「六旗のもとに」とか言って、「なにかと『旗』のもとに群れたがる連中」というのが「独立自尊の精神」を身に着けている人間なのか、逆なのか。アンブローズ=ビアスは↑のような指摘をしているのだ。
  なにより次のようなものもある。
DICTIONARY, n. 【辞典】一つの言語の成長を阻止し、その言語を固定した融通の効かぬものにするため工夫された邪念のこもった文筆にかかわる装置。ただし本辞典はきわめて有益な作品である。
・・・と。たしかにそうかもしれない。アンブローズ=ビアスが「首都」について指摘しているものは、フランツ=ファノンもまた『地に呪われたる者』(みすず書房)にて指摘している・・が、「慶應タイプの」「塾風を身に着けた」「シティボーイ」というのはファノンなんて読まないようだ。ファノンなんて読んで考える人間というのは「思考が硬い」とか言われ、そういうことをまったく考えないような人間のことを「思考が柔軟」とか言うわけである。それって、逆と違うのか? と思うのだが、「嘘でも百回言えば真実」みたいに逆を広めてファッショ化を進めてやろうと考えている人間がいるのではないか。

  その アンブローズ=ビアスの作品に『いのちの半ばに』(岩浪文庫)という作品がある。残念ながら、この書物はまだ読めていないのだが、ビアスは「辞典」がかり作成しているのではなかったのだ。『岩波文庫 解説目録 1987.(2)』(岩波書店)によると、
≪ ジャーナリストとして辣腕をふるった当時、ビアス(1842-1914?)はニガヨモギと酸をインク代りに用いると評された。その皮肉と酷薄は短篇からも見てとれる。収録の七篇はいずれも死を前にした人間の演ずる悲喜劇をあつかったものだが、ここでは死さえも人間の愚かさを示す一つの材料であるにすぎないのだ。≫
という内容らしい。

  それで。「死さえも人間の愚かさを示す一つの材料」かもしれない。私自身も身内の他界および葬式の際にそういうものを見てきた。
  母は5人兄弟で一番上と一番下とが男で中は女の兄弟だったが、叔父(母の弟)は私が嫌いで、このおっさんは、自分自身も80近くなっても、それでも、「千里の道を遠しとせず」母の所まで大阪府から千葉県まで遠路はるばる訪ねて来て私の悪口を言うというそういう男だった。 いったい、このおっさんにどういう恨まれることをしたかというと、してないと思うのだが、それでも、そういうおっさんだった。
  そのおっさんが4年ほど前に他界したようだ。「ようだ」というのは、普通、親戚には他界を知らせるものではないかと思うのだが、他界の通知も葬式の通知もなかったのだ。このおっさんはとことん私が嫌いだったらしいのだが、それでも、父方の祖母の葬式の時も父の葬式の時も来てくれたし、父が他界する前にも病院にも来てくれた人であり、そういう際には、親戚の他の人間が来てくれないような時でもとるものとりあえず来てくれる人だったので、たとえ、私が嫌いだったらしいおっさんでも、それでも親戚であるし母の弟であるのだから、やっぱり、どんなに私が嫌いらしいおっさんの葬式、私の悪口を言うためなら「千里の道を通しとせず」やってくるおっさんであっても、葬式には行くべきであろう・・とも思ったのだが、嫌われているのに行くことないかという気持ちもあったが、やっぱり、それでも出席くらいはするべきではないか・・と思っていたのだが、結局、そういう判断をこちらがする以前に、葬式の連絡もなかった。そういうおっさんだったのか・・とも思ったが、イトコの結婚式には私は出席したのだし、イトコは連絡くらいしてくれても良さそうなものだとも思ったが、連絡もなかった。私の悪口を言うためなら「千里の道を通しとせず」大阪府から千葉県まで精力的にやってくるおっさんだったので、悪口を言いまくってきた相手は連絡しても来てもらえないだろうと思って連絡がなかったのかもしれない・・が、そうであっても寂しい気持ちはある。

〔1〕 祖父(母の父)の葬式の時だ。葬式が一通り終わった後だったように思うのだが、お寺の座敷に親戚一同らがいたところに、「香典、中身はいってないのん、2つあったようやでえ。そのひとつは◇◇さんらしいわあ」と大声あげて入ってきたおっさんがいたのだ。たしかに、葬式の時、香典の中身を入れ忘れるというのは愚かであるが、時々、やってしまう人がいるようで、私の父の葬式の時も近所の人が渡してくれた香典袋に中身がないものが1通あったようだが、その時は、悪気ではないのだろうと思って特に言わなかったのだが、ところが、叔父は言うのだ。それも、親戚中集まっているところで、その「そのうち、ひとつは◇◇さんらしいでえ」というその◇◇さんがそこにいるところで。もし、香典の中身が入っていなかったのなら、こそっと「申し訳ありませんが、香典袋の中に入っておりませんでしたが」とその相手にだけ言えばいいことで、何も、親戚中集まっている場所で、大声張り上げて言う必要はないだろうが・・・と思うのだが、そのあたりが体育会系! 大声で言うのが美徳と考えていたのではないか。私ならそんなことはしないが、そういうことをするおっさんだった。

〔2〕-1 次には父が体を悪くして、もう長くないと言われた時のことだが、大阪府北部の病院に叔父は来てくれたのだが、病人は体が弱っているので、病原菌など病室にできるだけ持ち込まないように土足厳禁であったが、叔父は土足で病室まで来た・・というのは気づかなかったということだろうからしかたがないとして、私が目の前にいるのに、「T子ちゃん、T子ちゃん」と言って私をよけるようにして上の姉を捜したのだった。このおっさん、よっぽど俺が嫌いらしいな。そんなに「T子ちゃん」がいいのなら「T子ちゃん」を相手にすればいいだろう。
〔2〕-2 父は、他界する直前、話ができなくなってしまったが、それでも意志はあるようで手を動かしたりして何かを伝えようとすることはあった。ところが、この叔父は病室に来ると「もう、こうなったら、あとしばらくのことやと思うて対処せんとあかん」とか、まだ、おそらく本人はまだ療養して回復するつもりでいるであろう病人の前で言うのだ。このおっさんはそういうおっさんやった。 
〔2〕-3 そして、葬式の時、この叔父は私にこう言った。「これからは、あんたは死ぬまでうちには頭はあがらんのやからな。今後は、就職する場合でも、保証人になったもらおうと思ったら、頼む相手は俺しかおらんのやから、俺にはあんたはどんなにしたって頭はあがらんのやから、それを覚えておいてもらわんとあかんからな。うちの息子は男が何人もおるから保証人もなりあいすることができるけれども、あんたは女しか兄弟はおらんのやから、保証人を頼むのはうちしかないんやから、今後はあんたはうちの人間には絶対に頭はあがらんのやからな」と。そう言ったのだ。葬式の日に。このおっさんはそういうおっさんなんだな、と思った。何があっても、このおっさんにだけは保証人は頼みたくないなとも思った。このおっさんに頼むくらいなら首くくって死んだ方がマシと思った。

〔3〕-1 そして、祖母(母の母)の葬式の時だ。私が子供の頃は、イトコには年賀状を出したことがあったが叔父に出すことはなかったが、今後は叔父に年賀状くらいは出しておいた方がいいと考えて、伯父(母の兄)にも叔父(母の弟)にも出すようにした。その時、私は(株)一条工務店に勤めていて、福島県いわき市の営業所に勤務していたが、いわき市の住所を記載して年賀状を叔父に出したのだが、ところが、伯父(母の兄)の方は私が年賀状を送れば伯父も年賀状を送ってきてくれた。歳をいってふるえるらしい手で頑張て書いてくれたらしい年賀状を送ってくれたのだが、ところが、「今後はあんたは俺とかうちの人間には死ぬまで頭はあがらんのやからな。これは覚えておけよ」と私の父の葬式の時に行った叔父は、そう言うだけ自分たちはエライと思っていたのか、私が年賀状を出しても自分は私に年賀状は返して来なかった。その件を叔父が「T子ちゃん、T子ちゃん」と私が目の前にいても私を避けて捜した「T子ちゃん」に話したところ、その「T子ちゃん」には叔父は年賀状を出していたらしいのだ。そういうおっさんだった。「T子ちゃん」と叔父とは互いに年賀状を出し合う関係だったが、叔父は私が年賀状を出してももらいっぱなしであり、それが常識と考えていたようだった。さすがは体育会系だけあって、それが「体育会系の礼儀」というものらしい。
   私は、私が叔父に年賀状を出しても叔父はもらいっぱなしにして、姉には年賀状を出しても私には父の葬式の時に「これからは、あんたは俺とかうちのもんには絶対に頭はあがらんのやからな。保証人になってもらおうと思っても、俺かうちのもんしかあんたにはおらんのやから、あんたは俺とかうちのもんには絶対に頭はあがらんのやから、心得ておけよ」と葬式の時に言ったおっさんは、祖母(叔父の母)の葬式の時、私に、私から「福島県いわき市・・・」と住所を記載した年賀状を何度ももらっておきながら、かつ、私から年賀状をもらっても自分は私には出さずにもらいっぱなしにしておきながら、私に、「俺は、あんたが今、どこにいるのかなんて、いっこうに知らんのやけどな」と、そう私に言ったのだった。私から「福島県いわき市・・・」と住所を記載した年賀状を何度ももらっておきながら、自分はもらいっぱなしで私に出さなかったおっさんは。それで、もう、あほくさいから、その後は、このおっさんには年賀状は出さないことにした。
〔3〕-2  さらに。祖母の葬式の日、私は叔父に「株式会社 一条工務店」と会社名を書いた名刺を渡したのだが、叔父はそれを私から受け取っておきながら、「俺は、あんたがどこの会社に勤めてるのか、いっこうに知らんのやけどな」と、そう言ったのだ。私から会社名を記載した名刺をもらっておきながら、受け取っておきながら、そういう口をきいたのだ。そのあたりが「体育会系」なのかもしれない。そのあたりが「体育会系らしい礼儀正しさ」というものなのだろう。
〔3〕-3 そして、真打ち。祖母の葬式の後、焼き場に行き、骨拾いを終えた後、叔父のクルマに乗せてもらったのはいいが、「ちょっと、そこ、寄って行こう」と叔父は言い出した。祖父の葬式の時は伯父(母の兄)が喪主をやっていたが、伯父は高齢にもなり息子がいないということから、その後は叔父と叔父の息子(私からするとイトコ)がその家の行事はとりしきるということで、叔父が喪主になっていたのだが、伯父が喪主としてやった祖父の葬式の時は家まで戻って、お骨は仏壇の前に置き、それから「しあげ」をして帰ったものだったが、ところが、叔父は自分の家まで親戚に来られるのが嫌だったようで、焼き場の近くの喫茶店に入ろうと言ったのだ。 喫茶店に入って悪いことはないが、お骨を持っているのなら、とりあえず、お骨を仏壇の前まで持ち帰り、それからにしても悪くはないのではないかと思ったのだが、叔父は家まで来られるのが嫌だったようだ。それならそれで、喫茶店に入るのであれば、そのお骨は持って喫茶店に入るものだと私は思っていた。ところがである。叔父は骨箱を助手席の椅子の上に、ぽ~いと置いて、「さあ、行こう」と言うのでびっくりした。こんなことやっていいのか? ・・と思った。叔父は自分の母親の遺骨だから、息子で喪主の自分がいいならいいのだと思っていたかもしれないが、祖母の遺骨というのは、母の母の遺骨でもあり、伯父の母の遺骨でもあり、私の祖母の遺骨でもあったのだ。私は、子供の頃、かわいがってくれた祖母の遺骨を、そういう粗末な扱いにされるのが嫌だった。骨というのは、しょせんは骨であって、もはや、その人ではないと言うのかもしれないが、そうであっても、喫茶店に入るのに、お骨をクルマの助手席にぽいと置いて、「そこ、入ろう」と言うというのは、それは、体育会系の人にとってはそれが「体育会系」の正しい礼儀作法なのかもしれないが、私の感覚では人間としてあんまり良い態度ではないのではないかと思う。私はそれが嫌だった。伯父が喪主をしていたならば、そういうことはしなかったと思った。

  その叔父が他界したようだ。「千里の道を遠しとせず」大阪府から千葉県まで私の悪口を言うために母を尋ねてきた叔父に、母はお土産を渡したいらしかったが、自分で買い物に行けないので私に買ってきてくれと言うのだったが、私としては私の悪口をいうことを目的にわざわざやってくるおっさんのために私がお土産を私が買ってくるというのはそれは理不尽であり、母に「うちのお父さんが、☆☆病院に入院していた時に、あの人が来た時も、私が目の前にいても『T子ちゃん』『T子ちゃん』と言って、わざわざ『T子ちゃん』を捜しはったでしょ。そこまで、あの人は『T子ちゃん』がいいのだから『T子ちゃん』に買ってきてもらえばいいでしょ。なんで、私の悪口を言うためを目的に来る人に私がお土産を買ってこないといけないの」と言ったのだが、ところが、叔父が好きな「T子ちゃん」はそういう手間はかけてくれないのだ。だから、私は私の悪口を言うために来る男のために千葉県のお土産を買ってきたのだった。おっさんはそれを大阪府まで持ち帰った。毒は入っていないが、自分の悪口を言うために来る男のためにお土産を買いに行かされる男の気持ちなど、おっさんは考える頭はなかったであろう。そのあたりが体育会系なのだろう。

  叔父は、自分の母親の遺骨をクルマの助手席にぽいと置いて喫茶店に入ろうという男で、親戚中が集まっている所で「香典、中身が入ってないのん、2通あったようやでえ。そのうち、1軒は◇◇さんらしいわあ」とその◇◇さんがそこにいる所で大声はりあげる男だったが、片方で気持ちの優しいところもある男で、叔父が高校生であった時、まだ私が産まれていない時だが、小学校にまだ行っていなかった姉2人を連れて、近くの神社のお祭りの夜店に連れていってくれたことがあったらしい。父の話では、姉2人が、その夜店で、お人形さんを売っていたのを欲しがったそうだ。そのお人形さんはそれほど高いものでもなく、高校生だった叔父が持っていた財布でも買えるものだったが、もっと歳をいって自分に子供があってもおかしくない年齢になっていたならばそうでもなかったのであろうけれども、高校生の叔父にとっては、お人形さんを買うというのはとても恥ずかしかったらしい。しかし、ちびすけ2人が欲しい欲しいと言うのを見て、高校生だった叔父は一生懸命がんばってそれを買ったらしいのだ。
   私が小学校1年の時、担任の先生が足し算・引き算・掛け算・割り算の計算についてクラスでトーナメント大会を開催した。隣同士の席に座っている者2人で、先に正解を答えた者が勝ちで、その列ごとに勝ち抜き戦をやり、列ごとに勝ち残った4人から、隣の列の勝者と対戦して、最後に残った2人で、勝った者が優勝、決勝戦で負けた者が準優勝と、優勝者と準優勝者は連絡帳にそれを先生が記入してくれた。父は私に「次、優勝したら、プレモデルを買ってやる」と言ったのだ。で、次、優勝した。それで、「プラモデルを買ってやる」と父は言ったのだから、買ってもらえるものだと思った。その頃、我が家から小学校まで行く途中の道にあったプラモデル屋のショーケースには、ゴジラのプラモデルが置いてあり、いいなあといつも思っていたのだった。しかし、同級生でそのゴジラを買ってもらって持っていた者は何人かおり、ゴジラと同程度の値段のバラゴンを持っていた者も両方買ってもらって持っていた者もいたが、我が家はそういうものは買ってもらえない家庭だった。ゴジラのプラモデルは、その前を通るたびに、いいなあと思って通っていたので、同級生で買ってもらって持っていた者に、いくらしたか訊いて値段を知っていた。その頃、1960年代後半、アイスクリームは10円のものと20円のものがあったという時代に、4000円。アイスクリームの値段による「物価スライド制」を適用して考えるならば、今の物価なら4万円ということになるか。アイスクリームの値段による物価スライド制が適切かどうかはわからないが、ともかく4000円といってもその頃の4000円は今の4000円より高いのは間違いない。だから、同級生で買ってもらっていた人間が何人かいたとしても、我が家は無理だと思って私はあきらめていた。トーナメント大会で優勝した後、父が「あんた、どういうプラモデルが欲しいか?」と訊くので、その4000円のゴジラは言っても買ってもらえないと思ったが、とりあえず、言うだけ言ってみようと考えた。「ゴジラが欲しいんだけれども、そうやけど、4000円もするから、ゴジラは無理やと思う」と言ったのだ。そう言うと、おそらく、父は「それは、いくらなんでも、4000円もするものは買えんわ。もうちょっと安いもん、ないかな。200円か300円、せいぜい、500円くらいまでのものはないか。そういうのがあったら買ってやるけれども、4000円のものはいくらなんでも買えんわ。一度、プラモデル屋に行って、もうちょっと安いもんがないか、訊いてみようや」とでも言うのではないかと思ったのだ。ところが、父は私の予想に反して、「なんで無理やねん。ええがな。こうたろ。4000円したからて何やねんな。そんなもん、怪獣のプラモデルが4000円もしますかいな」と言うのだが、しかし、クラスでそれを買ってもらって持っていた人間は1人ではなく何人かあり、その誰に訊いても4000円だったと言っていたのであり、4000円するのだ。「4000円だったとYくんもFくんも言ってたよ」と私は言ったのだが、父は「たとえ、4000円したってこうたげるがな。何を心配しとんねん、このわしがこうたると言うとるねんがな、他でもないこのわしが。わしが、いったんこうたる言うたからには絶対にこうたるがな。心配いりませんて。このわしが、いったん、こうたると口に出した以上は、4000円しようがいくらしようが絶対にこうたるがな。さあ、買いに行こう」と言うのだった。買ってもらえるんだ、よそは買ってもらえても、我が家は4000円もするゴジラはまず買ってもらえないと思い込んでいたら、買ってもらえるんだ♪ と思い、うれしくて、喜び勇んでプラモデル屋に行った。いつも、前からショーケースは見ていても、中には入らないプラモデル屋の中に入り、父が、「あの、ゴジラはなんぼでっか?」とプラモデル屋の奥さんに言うと、奥さんは予定通り、「ゴジラは4000円です」と答えた。すると、「4000円したってこうたるがな。他でもないこのわしがこうたると言うとるんやぞ、このわしがやぞ」と言っていたおっさんは、「ふええ~え。ひええ~え。ぎょええ~え! 怪獣のプラモデルが4000円もするんか。ひええ~え! ぎょええ~え! たまったもんやないで、そんなもん。冗談やないで、ほんま。怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円も出すやなんて、とんでもない。そんなことは絶対にしたらいかん! そんなもん、出したらいかん! 冗談やないで、ほんまにい~い!」と言い出したのだ。「冗談やないで、ほんまにい」という文句は私が言いたかった。私は最初から、4000円もするから(同級生で買ってもらって持っている人間は何人もいたけれども我が家は)無理だと思うと言ったのだ。私が「無理だと思う」と言ったにもかかわらず、「何をわけのわからんことを言うとるねん、何を~お。 そんなもん、4000円しようがいくらしようが、絶対にこうたるがな。そんなもん。lこのわしが、こうたると言うたからにはこうたるがな。わしが言うとるねんぞ、このわしが、こうたると」と何度も何度も言ったのは、その「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」と叫んでいるおっさんだったのだ。 まさに、「冗談やないで」という文句は私が言いたい文句だった。そして、結局、4000円のゴジラを買ってもらえるものと思ってプラモデル屋に行って、帰りにはそれが200円のバルゴンに変わった。帰り道々、父は言うのだった。「そんなもん、怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円もつこうたらいかん。怪獣のプラモデルみたいなもん、200円くらいのもんで十分なんや」と。 その文句をプラモデル屋に行く前に言うのなら、それはそれで一つの考え方であって悪くはないと思う。 子供に4000円のゴジラのプラモデルを買った親はその親は親で買えるなら買ってやればいいじゃないかとひとつの判断をしたのだと思うし、買わないのもまたその親の判断であり、絶対にどちらがいいというものでもないだろう。行く時にそう言われて言って、そして、200円のバルゴンを買ってもらったのなら、たとえ、同級生で、足し算・引き算のトーナメント大会で1回戦負けでも4000円のゴジラを買ってもらっている人間が何人もいても、それでも、200円のバルゴンを買ってもらったことを喜んだと思うし、喜べたと思う。しかし、プラモデル屋に行く時には、「そんなもん、心配いりませんて。4000円しようがいくらしようがこうたるがな。他でもないこのわしが、こうたると言うておるんやぞ。あんた、それが信頼できんのか。わしがこうたると言うたからには何があっても絶対にこたるがな。心配いらんがな」と言いまくっていたおっさんが、実際にプラモデル屋に行ってプラモデル屋の奥さんから「4000円です」と言われると、とたんに「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」「たまったもんやないで、ほんまあ」と言い出されて、おまけに帰り道々、「あんた、バルゴン、買ってもらった。あんた、うれしいねえ~え。あんた、ほんまにうれしいうれしい。あんた、ほんまにうれしいねえ」と何度も何度も言われたのでは、買ってもらったバルゴンがどうかという問題ではなく、父のその態度を子供として喜べなかった。
  この話を下の姉にしたことがあったのだが、すると、姉は「あんた、なんだか、私と似た経験してるねえ」と言うのだった。姉も父から同じような態度を取られたことがあるらしいのだ。どこが違うかというと、私の場合は、4000円のゴジラを「こうたるがな。いくらしたって」と言われてプラモデル屋に行って200円のバルゴンに変わったのだが、姉の場合は、お人形さんがチョコレートに変わったらしい。「年年歳歳、花相似たり、歳歳年年、人同じからず」か。要するに、そういうおっさんだったのだ。
  1970年代後半、大阪府立北野高校で2年の時の担任だった旧姓 作野礼子(女。当時、20代前半。北野高校卒→神戸大文学部卒。結婚して、寺地礼子。その後、離婚した・・かしないかは知らん)が、「私は両親が離婚したから」というのを最大の自慢にしていたのだが、そして、同校の教諭には「作野さんは、両親が離婚されただけあって、しっかりしてられる」と称賛する教諭がおられ、そういう話を聞かされて、高校在学中は、そうかいなあ・・みたいに思った時もあったのだが、それは絶対に違うと思う。そもそも、「両親が離婚した」などということは、自慢することと違うと思うのだ! そうだろ。その人たちにはその人たちで何か事情があったのだろうから、離婚したのもしかたがないのかもしれないが、しかし、だからと言ってそれは自慢することとは違うと思うのだ。「私は両親が離婚したから」と自慢たらしく何度も何度も言うのだったが、今なら言ってやるところである。「それは、私が離婚させたのですか?」と。俺が何か離婚する原因を作ったということなら、「そりぁあ、えらいすんまへんなあ」くらい言った方がいいかもしれないが、「ち~が~う~だ~ろ!」。そんなもん、旧姓作野礼子の親が離婚しようが再婚しようが再離婚しようが、そんなもん、知ったことか! 旧姓作野礼子は「両親が離婚した」時に母親の方についていったらしいが、だから、父親がある息子・娘というのは恵まれている・甘ったれている・・・とかなんとか言いたいらしかった。なんだかんだ言っても、そのおっさんが働きに行って毎月もらってきた給料から生活費を出してもらって成人したのだから、その点については、そのおっさんに感謝もするべきであろうし、そのおっさんの給料がない人よりもあったという点は有利だったかもしれない。しかし。だから、いついかなる時も父親があった方がいいかというと、そうでもないと思うのだ。父親がない娘は、4000円もゴジラを買ってやると言われてプラモデル屋まで連れて行かれて、「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」「冗談やないで、ほんま、たまったもんやないで、ほんま」と、その文句はこっちが言いたいわと思う文句を言われ、帰り道々、「あんた、バルゴン、買ってもらった。あんた、良かったねえ! あんた、うれしいねえ。あんた、恵まれてるねえ! あんた、うれしいうれしい。あんた、楽しい楽しい。良かったよかった良かったね!」などと何度も何度も言われるなどということもなかったはずである。お人形さんを買ってやると言われて買いに行って、帰りにはそれがチョコレートに変わっていた、そして、やっぱり、「良かったよかった良かったね」と何度も何度も言われる、ということもなかったはずである。父親はあった方がいつでもいいというものでもない、あるからややこしいということだってある・・というこの程度のこともわからないような人間が高校の教諭になるな! と思うのだが、ところがどっこい、高校の教諭というのは、土日休みだし夏休みも春休みもあるし、1限目に授業がなければ2限目から出勤すればいいし、6限目がなければ5限目で帰れるし、深夜勤務なんてないし、危険業務もないし、えらそうにできるし、親方日の丸だし、「私は両親が離婚したから」とかしょーもないこと自慢できるし、「女性にはもってこいの仕事」であり、旧姓作野礼子は私が入学した時の入学式の時には有給とって海外旅行に行って入学式を欠席したし。こんなけっこうな仕事やめられるかいな・・てところだろう。
   姉だって、最初から「その値段のお人形さんは申し訳ないけれども、買ってやれないわ」と父が言って、よその子は買ってもらえているのを買ってもらえないのはかわいそうだからとチョコレートを父が買ってくれたということならショックではなかったであろうけれども、私と同じように、「こうたるがな、そんなもん。心配いらんがな」と言われて買いに行って、「ふええ~え」「ぎょえええ~え」「ひえええ~え」となって、お人形さんがチョコレートに変わったとなると、喜べなかったようだ。
  1980年代、☆☆コンピュータサービス(株)という会社(本社:東京都)の入社式の後、社員教育担当の部署のおっさんが「皆さん、親が子供に物をもらったり何かをしてもらったりした時と、子供が親から物をもらったり何かをしてもらったりした時と、どう違うか知っていますか」と言い、「教えてあげましょうか。教えてあげましょうか。教えてあげましょうか。教えてあげましょうか」と何度も何度も言ったものの、誰ひとりとして「教えてください」と言う者はなかったので、「それなら、やめておきましょう」と言うのか、それとも、「まあ、そう言わずに聞いてくださいよ」と言って話すのかどちらかであろうと思っていたら、「そうですか。それなら、教えてあげましょう」と言って話しだしたので、あれ? それって、日本語としておかしいのと違うのかと思ったことがあった。その社員教育担当の部署のおっさんの説では、「いいですか。子供が親から何か物をもらったり何かをしてもらったりした時には、その物に対して喜ぶのです。それに対して、親が子供から何かをもらったり何かをしてもらった時には、その物に対してではなく、その気持ちに対して喜ぶのです。この点が、親が子供からもらった時と子供が親からもらった時との違いなんです。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか」と何度も何度も言うのだったが、それは違うのではないかと私は思ったのだった。私は、父から最初から4000円のゴジラは買えないけれども200円くらいのものなら買ってやれると言われてプラモデル屋に行って200円のバルゴンを買ってもらったのなら喜べたが、行く時には「4000円が何やねん。4000円したっていくらしたってこうたるがな。他でもないこのわしがこうたると言うておるんやぞ。わからんのか。わしがこうたるといったん言うたからにはこうたるがな」と言われてプラモデル屋に行って、それで、「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」と言われて200円のバルゴンになった、しかも、帰り道々、「あんた、バルゴン、買ってもらった。うれしいねえ~え。楽しいねえ~え。良かったねえ~え。楽しい楽しい、うれしいうれしい。あんた、恵まれてるねえ~え。あんた、良かったねえ~え」と何度も何度も言われたのがその父の態度が嫌だったのだ。姉もそうである。断じて、「子供は気持ちにではなく物に喜ぶ」などということはない! その社員教育担当部署のおっさんは、そのおっさんこそ、教育されなおす必要がありそうだ。その後、父が他界する前、入院した時、父はチャイコフスキーの『くるみ割り人形』を聴きたいと言ったので、それで、私は東京都大田区のアパートからFM放送から録音した『くるみ割り人形』の演奏が入ったカセットテープを持って病院に行ったのだが、そうすると、父は「あんた、それはFM放送から録音したもんやろうが。そんなもん、このわしが聴けるかあ! 持って帰ってんか、そんなもん! 持って帰りんか! このわしが、FM放送から録音したもんなんか、そんなもん、聴けるかあ! 持ってかえりなさい、あんたあ!」と言うのだった。なんか、話が違うやんけ! 「親というものは、子供から何かをしてもらった時は、物に喜ぶのではないのです。親は気持ちに喜ぶのです。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか」というのと違ったんかいな・・・というと、まったく違ったのだ。その社員教育担当部署のおっさんは、まったく何もわかってないアンポンタンだったのだ。そういうおっさんが、なんで社員教育担当しているのかと思うのだが、そもそも、本来、その会社では、コンピュータのプログラミングとかの「社員教育」をやるはずだったのだが、なぜか、そのおっさんは「親が子供から何かをしてもらった時と、子供が親から何かをしてもらった時とは、なんちゃらかんちゃら・・」という話をするのが社員教育だと思い込んでいたようだったが、おっさん、あんた、自分の親で苦労したことないんかい!?! ・・というと、ないおっさんだったのかもしれない。
  4000円のゴジラが200円のバルゴンに変わった私、お人形さんがチョコレートに変わった姉は、いずれも喜べなかったのだ。買ってもらった「物」が悪いということではなく、その時の父の態度が嫌だったのだ。それに対して、高校生だったらしい叔父がまだ小学校に行く前だったらしい姉2人を連れて神社の夜店に行った時、ちびすけ2人から、欲しい欲しいと言われたお人形さんを、高校生だった叔父は、それほど高いものではなかったらしいが、それでも、高校生にとっては買うのはものすごく恥ずかしかったらしいが、それでも、欲しいというちびすけのために、頑張って買ったらしい。「子供は気持ちに対して喜ぶのではないのです。子供はあくまでも物に対して喜ぶものなのです」と「社員教育」したおっさんというのは、なんとも貧困な人間観を持った人間だと思う。子供はそうではなかったようだ。高校生の叔父が一生懸命頑張って買ってくれた・・・というのは、子供にもわかったらしい。だから、ちびすけ2人は、「物」にではなく気持ちに対して喜んで、その後も、叔父を親ったらしい・・と私は思っていた。
  ところが。叔父が他界した後、私はその話を2人の姉にしたのだ。「あんたら、お人形さん、買ってもらったんでしょ」と。ところが、買ってもらったはずなのに、「知らんわ。そんなん」と言うのだ。 叔父は、父が他界する前、病院に尋ねてきて、目の前に私がいるのに、わざわざ、私をよけるようにして、「T子ちゃん、T子ちゃん」と言って上の姉を捜したのだった。なんやねん、このおっさんはと思ったのだが、その「T子ちゃん」も、「そんなん、知らんわ」と言うのだった。なんか、かわいそうなおっさんやなあ・・・。せっかく、頑張って、チビスケのためにお人形さん、買ってやったのにからに。「そんなん、知らんわ」て。かわいそうな男。・・それを聞いて、それまで、私の悪口を言うためなら、「千里の道を遠しとせず」「万難を排して」やってくる男に対して、私から住所を記載した年賀状を何度ももらっていても、「あんたがどこに住んでるかなんて知らんねんけどな」とわざわざ言う男、勤め先の会社の名称を記載した名刺を受け取っておきながら、その直後に、わざわざ、「俺はあんたがどこに勤めてるのかいっこうに知らんねんけどな」と言う男に対して、この野郎! と思い、いい気がしなかったのだが・・・、なんか、かわいそうなおっさんやなあ・・・。せっかく、頑張って、お人形さん、買ってやったのにからに、「そんなん、知らんわ」て。かわいそうやなあ。なんか、死ぬ時まで、人生のつらさを味わって死んだみたいで・・・。ほんまにほんまに、「男はつらいよ」やなあ。ほんま。姪になんか、お人形さん、買ってやるもんじゃないよなあ、ほんま。 かわいそうなおっさんやなあ、ほんまにい~い・・・と思ったのだった。

〔4〕  自分の母親の葬式の後、骨上げの後、そのお骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて、喫茶店に入ろうと言った叔父から、父方の祖母の葬式の時だったのではないかと思うのだが、私が数珠を持っていなかったことから、息子(イトコ)に持っていた数珠を貸してやれと言い、私はそれを渡されたことがあった。しかし、焼香の時に、数珠をひとに貸したり借りたりするのがいいのか、借りたり貸したりするくらいなら、数珠なしで焼香した方がいいのかというと、どうも、おのれの母親のお骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて喫茶店に入る男の認識は間違いのようだ。日本の古寺研究会編『日本の古寺 100の秘密』(2018.9.19. 彩図社)には次のように出ている。
≪ 現在では、数珠は持ち主と浄土世界との縁を強め、仏に自分の念をより強く送るために用いられている。故人や仏に感謝の想いを伝えるために、数珠の使用が奨励されているのである。
  その使い方だが、意外なことに不浄を意味する左手で持つのが基本。
  人間の象徴である左手を、数珠の導きで仏を意味する右手に合わせる。そんな意味が、この行動には込められていたのだ。大事な導きであるため、椅子や床に直接置かず、数珠袋かハンカチに包んでバッグなどにしまうのが望ましい。
  なお、合掌の作法は宗派によって微妙に異なる。浄土宗では両手の親指にかけて房を垂らすし、真言宗では左右の中指に数珠をかける。故人の宗派の数珠や作法を覚えて行くのが一番だが、もしもわからなければ、そこまでこだわらなくてもいい。気持ちがこもっていれば、それで問題ないはずだ。
  忘れたときは数珠なしでもいいが、使いまわしは厳禁。数珠は持ち主を守護するお守りであるため、家族や親しい友人であっても、貸し借りはしないようにしよう。 ≫
と出ている。数珠とは何なのか、焼香の場での貸し借りがいいか悪いかも、諸説あるようですが、父方の祖母の葬式の時の叔父の態度は、あれは数珠を持参させた自分の息子にそれを私に貸させることで、うちの息子はあんたより年下なのにきちんと数珠を用意しとるんやぞと誇示させるという目的があったようだ・・と最近気づいた。焼香の場での数珠の貸し借りはしない方がいいという説には、そういった人間心理も理由にあるのではないか。

  叔父は、私の父の葬式の時、「これからは、あんたはうちに世話になるしかないんやからなあ。これからはあんたは俺とかうちのもんには死ぬまで頭はあがらんのやからなあ」と言ったのだが、しかし、祖父(叔父の父)の葬式の時には「香典入ってないのん、2件あったらしいでえ。そのうち、1件は◇◇さんらしいでえ~え」と何人もがいる所で、その◇◇さんがそこにいる所で、大きな声で言うのを見て聞いて、私の方は、この人、こんなにアホやったかなあ・・と思ったのであり、そして、祖母(叔父の母)の葬式の時、おのれの母親のお骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて、喫茶店に入ろうと叔父が言い出した時には、この人と関わりたくないなあ・・と私は思ったのだった。叔父は自分がそんなこと思われていたたとは少しも思っていなかっただろう。「これからは、俺とかうちのもんには、あんたは一生、頭はあがらんのやからなあ。就職するのに保証人になってもらおうと思っても、☆(伯父)なんかは年寄やし子供は女しかおらんし、あんたの兄弟はあんた以外は全部女やし、うちに頼るしかあれへんのやからなあ。これからはあんたは俺には死ぬまで頭はあがらんのやからなあ」と私の父の葬式の時に言った男は、結局、死ぬまでその「保証人」てやつに一度もなることはなく、口ばっかりえらそうな口をきいて死んでいった。そのあたりが「体育会系」であり「スポーツマンシップ」であり、「スポーツマンらしいさわやかさ」とかいうものなのかもしれない。

〔5〕 なにより、自分自身が他界した葬式には連絡もよこさなかった。叔母(叔父のつれあい)は叔父を自分のオット、イトコは自分の父と思っていたのだろうけれども、叔父は母の弟でもあるわけで、叔父の姉である母くらいに連絡しても良さそうなものだし、私は嫌いだったらしいが姉の「T子ちゃん」は好きだったらしいからその「T子ちゃん」には連絡すれば良さそうなものだったが、こちらから連絡するまで他界したことも言わなかった。そういう流儀のおっさんだったのだろう・・が、祖父母の息子でもあり、小さい頃、祖父母の家の遊びに行った時、帰りに、その時代にはどこでも売っていないコマをもらったことがあったが、後から考えてみるとそれは叔父が子供の頃に遊んでいた物だったのではないかと思う。叔父の子供にやらずに私がもらって良かったのかと思ったりもした。叔父が私を嫌いであっても、そういう縁もあったのだから葬式には行くべきではないかとも思っていたが連絡もなかったので行きようなかった。

  父は、生前、何度も言っていた。「わしは、当然、死後は天国に行く人間やねん。あんたは地獄に行く人間。これは、産まれる時に神さまがお決めになっていることなんや」と私の鼻の頭を指さして、何度も何度も言っていた。良かった。死んでまで、あのおっさんとつきあわんですんだ。助かった。
  父と一緒の墓に入れられるのはそれだけは嫌だと思っていたのだが、母が言うには「親には息子に対しては、所有権という権利がある」「あんたの体はあんたが産んだのとは違うでしょうが。あんたが自分で産んだのとは違うんやから、あんたの体は産んだ者に所有権があるはずや」ということで、出した者に所有権があるということは、俺って う〇こ みたい・・と思ったものだったが、父はそうではなく「子供というものは、女が産んだと思ってはならぬぞ、チャンコロ。女は単なる畑であって、畑が産んだのとは違うねんぞ。心得違いを起こすでないぞ。畑に種を植えてやってあげてもらっていただいてくださってあげてもらってくださったお方のおかげで種が畑から芽を出したのであって、畑が芽を出したのとは違うねんぞ。茄子でも胡瓜でもそうやろ。それでやなあ。芽が出たなら、それを育てるのは畑の役目なんじゃ。心得違いを起こしたらいかんぞ。子供ちゅうもんは畑が育てるもんやねんぞ。間違ったらいかんぞ。子供は女が育てるものやねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ。そんでもって、育って実がなるようになったら、種を植えた者に権利があるわけなんや。畑に権利があるのとは違うんや。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわけがない。わかっとんのんか、茄子! わかっとんのんか、胡瓜! わかっとんのんか、チャンコロ!」と言うのだった。ということは、父の説に従っても母の説に従っても、私の体は私のものではないわけであり、ということは、私が死んだ時には、その体に由来する骨は本来の所有権者の所に返還されるのは当然のことであり、それを嫌だとかどうこういうのが間違いだったのだ。
  「間違いなく天国に行く人間」らしい父の遺骨が入っている墓は、私が生きている間は、時々は掃除もすれば、生えてきた雑草を抜いたりもする。どうも、隣の墓は手入れに来る人が少ないようで雑草がかなり生えていることがあるが、我が家の墓は私が生きている限り、雑草を抜いたりはするだろう・・が、私が死んだ後は、その時は知らん。その時は、私は「地獄に行く人間」と産まれる時点で「天の神さま」がお決めになったことであるから、「間違いなく天国に行く人間」というおっさんと会うことももうないはずである。

  叔父のお骨は先祖代々の墓の入ったはずであり、お寺の墓で祖父母と同じ墓で、便利の悪い場所でもないから時々は行ってみよう。叔父は私に来られてもうれしくないだろうが、祖父母の墓でもあるのだから行かせてもらっても悪くはないだろう。

  「レクイエム」というと、モーツァルトの『レクイエム』を思い出す。ベルディの『レクイエム』は音楽としては悪くないが、あんまり、レクイエムという感じではない。
※ 《YouTube-モーツァルト 《レクイエム》 全曲 リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ管 》https://www.youtube.com/watch?v=sGascpwLfHU

  (2019.1.20.)

☆ 冠婚葬祭に見える人間模様
1.生き死にの間際に。知らぬ間に「天国」に行った叔父へのレクイエム。数珠を貸すな 〔今回〕
2.白ネクタイは結婚式場に問合せるべき。当事者でもないのに文句言うおばさん。あまりにも執拗に文句を言うなら相互主義の原則を採用する可能性も。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_13.html
・・ 

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