大谷本廟参拝【2/5】総門・守衛所・仏殿・読経所。自宅に植木がなくても寺社に見にいけばという考え方

[第413回]
   東大路通り(府道143号)と五条通り(国道1号)が交差する「東山五条」交差点から大谷本廟に入り、江戸時代に築造された石橋の円通橋を渡り、階段を登ると、「総門」に至ります。↓
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「完全紅葉」もいいですが「紅葉なりかけ」も悪くありません。↑ 
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↑ 総門のすぐ外側(西側)。 「紅葉はじめ」はなかなかきれいです。

    今回、「大谷本廟 お西さんスタンプラリー」なるミニ冊子が総門脇などに置かれており、総門・仏殿・明著堂の3か所と西本願寺で1か所、スタンプを押してきましょうと4つのスタンプのスペースが設けられ、「境内見どころMAP」として、二天門(にてんもん)・石窟・覚信尼公碑・唐獅子型留蓋瓦・金灯篭・鐘楼・守衛所・手水舎・めがね橋(円通橋)があげられています。
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↑の建物。 総門を入ってすぐ左(北)にある建物ですが、「守衛所」です。 守衛所ですから、これまで、それほど気にせずに通り過ぎてきたのですが、「大谷本廟 お西さんスタンプラリー」で、≪インスタ映えするおすすめ撮影ポイントいっぱい!≫!としてあげられた9カ所のうちの1つとしてあげられているので、あらためて見ると、なかなかのものです。

( ↑ 「旗」マークが「守衛所」。)
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↑が守衛所の「2階」部分。
「守衛所」は総門をくぐってすぐ左と、二天門をくぐってすぐの場所と2ヵ所ありますが、総門を入ってすぐ左の方の守衛所です。
これって、やっぱり、守衛所として建てられたものなのでしょうね。 総門入ってすぐ脇の位置ですから、元は他の用途だったものを守衛所として使用しているというわけでもなさそうに思うのですが、守衛所としては、なかなかのものです。 守衛所として建てたものであるならば、敷地全域をひとつの建築として考えてその一部分を構成するものとして作られたとすれば、その考案者のセンスは評価できるのではないでしょうか。 やっぱり、「守衛所だからスーパーハウスでいい」というような発想は寺社にはそぐわないと考えるべきです。 自販機も、最近は「ラッピング」して設置場所に調和した色合いにすることができますから、「ラッピング」で「お寺色」にすることもできるでしょう。

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↑ 仏殿(本堂)。
大谷本廟は祖父母がこちらでお世話になっていることもあり、何度も訪問している所ですので、今回は《「紅葉しかけ」の樹木と建物との調和》という「テーマ」で写真は樹木と建物がともに入ったものを中心に撮影し、ここにもそういうものを中心に掲載することとしました。
   多くの寺において、本堂はその寺の奥の位置に配置されていることが多いのですが、大谷本廟では、本堂である仏殿があってその後ろに明著堂があります。 仏殿(本堂)と明著堂との関係はどういうものなのか、そこでは誰が祀られているのか、というと、仏殿(本堂)には≪寂如上人御作の阿弥陀如来像を中心に、歴代宗主、左余間には七高僧・聖徳太子、右余間には覚信尼さまのご絵像が奉懸されています。≫(「大谷本廟HP 大谷本廟について」http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/html/n1c1p3.html )ということで、仏殿(本堂)の背後の位置の明著堂とはどういうものかというと、≪親鸞聖人の墓所である祖壇の前に位置する拝堂≫だそうで、≪祖壇の周囲には、歴代宗主やお裏方の廟墓祖壇納骨所があります。≫ということです。
   浄土真宗では、阿弥陀如来が重視されるのですが、大谷本廟の場合は親鸞の墓所ですから、阿弥陀如来の像を祀る本堂よりも親鸞の墓所である祖壇の前に位置する拝堂である明著堂の方が後ろにあるということかと思ったのですが、浄土真宗の寺の場合、西本願寺では、御影堂と阿弥陀堂(総御堂)が御影堂が南、阿弥陀堂が北に南北に並び、御影堂の方が大きい。 東本願寺では、やはり、御影堂と阿弥陀堂が、こちらは御影堂が北、阿弥陀堂が南に南北に並び、こちらも御影堂の方が大きい。 西本願寺も東本願寺も、親鸞の像を祀る御影堂の方が阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂よりも大きいのです。 ここで、はて、西本願寺と東本願寺はどちらも御影堂と阿弥陀堂が左右に並んでいたのですが、大阪の北御堂・南御堂はどうなっていたかしらん? 東京の築地本願寺はどうなっていたかしらん? ・・・・と考えるのですが、どうも、北御堂も南御堂も築地本願寺も御堂が2つあったように記憶しないのです。だいたい、かつては「御堂さんの鐘が聴こえる所で商いをする」というのが船場の商人のステータスだったとかいうお話があるそうですが、今現在は、南御堂なんて、行ってみると貸しホールか葬儀場みたいですしね。セレモとどこが違うのかようわからん・・て感じです。 北御堂・南御堂はようわからんし、今や南御堂はお寺というよりも貸しホールか葬儀場みたいですが、西本願寺・東本願寺は「お寺っぽ~い」感じしますし、西本願寺には国宝・重要文化財に指定される建物もいくつもありますし、決して「葬儀場みたい」ではなく「貸しホールみたい」でもなく、「いかにも、お寺やってる♪」て感じしますし、本願寺派・大谷派にとっては、西本願寺・東本願寺が本山ですから、本山の伽藍配置が基本に考えるとしますと、どうも、他の宗派では本堂が一番大きい建物であることが多いのに対して、浄土真宗の本願寺派・大谷派の本山である西本願寺・東本願寺では親鸞を祀る御影堂の方が大きいのです。 だから、大谷本廟でも、本堂(仏殿)より明著堂の方が奥に位置しているのだろうか・・・とか思ったりもしたのですが、やっぱり、ここではそういう問題よりも、明著堂は親鸞の墓所である祖壇の拝堂である、ということの方が、仏殿(本堂)と明著堂との並びを決める理由ではないかと思います。

   仏殿(本堂)の建物は、≪ 1661(寛文元)年に創建され、1867(慶応3)年に隣接する二天門からの出火で焼失しました。現在の建物は、1870(明治3)年に再建されたもの ≫(「大谷本廟HP 大谷本廟について」http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/html/n1c1p3.html )だそうで、≪1709(宝永6)年、第14代寂如上人の時代に造営され≫たという明著堂の方が、建物は古いようです。
   仏殿(本堂)が焼失した1867年は明治維新の1868年の前年。 仏殿(本堂)が再建された1870年は明治維新の1868年の2年後、「藩と言わない(1871)、県と言う」の廃藩置県の1871年の前年、「岩波(1873)ほど大きくない明六社」の明六社設立の1873年の3年前です。 17世紀なかば過ぎに創建された仏殿(本堂)は、19世紀後半、明治維新の直前に焼失して明治維新の直後の再建された、ということになります。
1600年 関ケ原の戦い
1614年 大坂冬の陣
1615年 大坂夏の陣
1661年 大谷本廟 仏殿(本堂)創建
1689年 権利章典 (イギリス)
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1858年 愛琿条約 (ロシア・中国)
1860年 北京条約 (ロシア・中国)
       桜田門外の変
1862年 坂下門外の変
1867年 大谷本廟 仏殿(本堂)焼失
1868年 明治維新
1870年 大谷本廟 仏殿(本堂)再建
1871年 廃藩置県
1873年 明六社設立

   火災で焼失する前の仏殿(本堂)が建てられたのは1661年、江戸時代初期で、明著堂が建てられたのは1709年。 これらの竣工年から考えると、まず、先にあったのは祖壇で、祖壇の前の位置に仏殿(本堂)が建てられ、仏殿(本堂)より後ろの祖壇の前に祖壇の拝堂として明著堂が建てられた、ということでしょうか。 そういう順番を考えると、阿弥陀如来像を祀る本堂より奥に親鸞の祖壇の拝堂があっておかしくないことになります。
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↑  樹木がきれいに手入れされています。
   こういうのを見て思ったのですが、私が小学校の4年の時、それまでに住んでいた大阪市内の家から北摂地区の家に引っ越したのですが、引っ越した地域はその時点では「いなか」でしたので、大阪市内の家よりも広い敷地で庭の部分がけっこうありました。良さそうに思えるでしょうけれども、庭に植木を植えますとその手入れは私がしないといけないのです。南側には「南仙栽」ということで植木を植え、東側の庭にはトマト・胡瓜・茄子・貝割菜などを植えて「家庭菜園」を楽しむ・・・のならいいのですが、楽しみたい人が楽しむのならいいのですが、そのおかげで、私は小学校の高学年の時には土曜・日曜は同級生が自転車に乗って遊びに行ったりしていた時、クラスの人間で私ひとりだけが、「農業」をやっていたのです。今から考えると、なんで、あんなことやらなきゃならなかったのだろうなあと思います。
   農家でも、「専業農家」と「兼業農家」という言葉があり、最近は兼業農家が増えてきたと言われますが、私は都市部で育った人間でしたので、農家のことをそれほど知りませんでしたから、「兼業農家」というのは会社員が1つの会社に勤めながら、その会社の給料は高くないので休日に1日別の仕事をするとか、そういうのを「兼業」というのか、週に5日か6日は農家やって1日か2日だけどこかに勤めに行く人のことを「兼業農家」と言うのかと思っていたのですが、1990年代、(株)一条工務店 に在籍していた時、福島県いわき市に勤務しますと、同僚に「兼業農家」の人もおり、また、「兼業農家」の方にも契約してもらいしたのですが、そういう「兼業農家」の人というのは普通に仕事を持っているのです。決して、アルバイトとかパートタイマーとかではなく、「専業会社員」と同じように勤めているのです。「専業会社員」との違いとしては、田んぼがある以上は転勤は困るという点があるようですが、勤め方としては、毎日、普通に「専業会社員」と同じように出勤して仕事をしているのです。それで、「農家」は成り立っているようなのです。で、言われるわけです。「けっこう、田んぼて大変ですから、こんなのなんであるんだろうなんて思ったこともありますけど、でも、副業で百万稼げる仕事って、田んぼのほかにあんまりないでしょ」とか。で、田植えの時期の稲刈りの時期というのは忙しいみたいで親戚中集まって「猫の手も借りたい」くらいらしいのですが、内田康夫『沃野の伝説』にも兼業農家の話が出ていますが、どうも、今の農業は田植えの時期とかは別として普段は土日農家で成り立つみたいなのです。
   1970年代後半ですが、大阪府高槻市のYMCA予備校高槻校で、「主事」というよくわからん職種にいた藤井という男が「みんな、地方に行くと地方の大学は易しいだろうなどと考えるみたいだけど、そうじゃないんだぞ。地方の大学は地方の優秀な人間が受けるんだから、地方の大学は易しいなんてことないんだからな。地方の人間というのはきみらみたいな都会の人間とは違って根性があるから、数学にしても泥臭い解き方でも根性で解くんだからな」などと言うので、こいつ、変なこと言うやつだなと思ったことがありました。なんで、「地方の人間」は「都会の人間」よりも「根性がある」のですか?  「根性がある」人間は数学の学習をしなくても「根性で解く」ことができるのですか?  もしも、「根性がある」人間なら数学の学習をしなくても数学の問題が解けるようになるのなら、数学の問題を解けるようになるためには数学の学習をするよりも「根性をつける」ことをやった方がいいことになるのですが、どうすれば「根性がつく」のでしょうか。毎日、腕立て伏せを百回くらいやれば「根性がつく」のでしょうか。もしも、毎日、腕立て伏せを百回やれば根性がついて数学の問題が解けるようになるのであれば、数学の学習なんかしないで、毎日、腕立て伏せを百回でも二百回でもやった方が数学の点数アップにつながっていいことになります。
   昔から、運動部・体育会関係者は「運動部の人間は根性がある」とか言いましたよね。慶應の「体育理論」という必修科目で教授が「体育会の人間は学力はないが、根性がある。今年陸上部に入ったある男も、入学したばかりの頃は、トラックを1周するだけでもひいひい言っていたんだけれども、半年も経つと、4周まわっても5周まわっても平気になった。これは根性がついたということだ」などとおっしゃった。それで、私は「せ~んせえ~え。それって、『根性がついた』のではなく『体力がついた』のと違うんですかあ~あ」と言いたかったのですが・・・、なんか、逆らうとうるさそうな感じでしたので言いませんでしたが、やっぱり、それって、「根性がついた」のではなく「体力がついた」のだと思いますね。京大では体育は「基本体育」と言って、小学校から高校までの体育の授業と同じようなものが1年に週に1コマ、2年に週に1コマあるのに対し、慶應は週に1コマの「基本体育」と夏休みなどにまとめて実施される「選択体育」というものと2つが必修科目になっていて、「選択体育」はさまざまな種目から選ぶことができました。私は、せっかく選ぶことができるのであれば、他ではできないようなものを選ぼうと考えて「馬術」を選択したのですが、夏休みに2週間ほど実施されたものは、それぞれの種目の専門の教員がおこなうのかと思っていたら、慶應の体育会馬術部の部員が講師役をやっておこなったのです。体育会の人間、普段、スポーツばっかりやってる人間はそうでない者よりも「根性がある」のではなく「体力がある」わけで、逆に私みたいに2浪もすると体力は低下します。特に私はその頃、体調があまりよくなかったのですが、そうすると、彼らは、ランニングなどすると、「こらあ、根性がないなあ」などと言って突き飛ばすのです。なんで、こいつに突き飛ばされなければならないのだろうか、と思いました。毎日、運動ばっかりやってる人間が体調の悪い人間を突き飛ばして、そういう態度のことを「体育会の人間は学力はないけれども根性がある」と教授は言うのです。慶應の体育会の教授の言う「根性」とはそういうもののことです。 そういう「根性」があったら、数学の学習しなくても数学の問題は解けると思いますか?  数学の問題を解けるように努力した者よりも、ひとが数学の問題を頭をひねって考えている時に、運動やって「根性」つけた人間の方が数学の試験でいい成績をとれると思いますか???
   で、なんで、「地方」の人間は「都会」の人間よりも「根性」があるのですか? どこからそんな理屈が出てきたのですか?  『巨人の星』には、登場人物の左門豊作はまき割りをやることで腰などを鍛えた・・・とかいう話が出てきて、そして、「漁師の子である稲尾は櫓を操ることで手首や足腰が鍛えられた」とかラーメン屋の息子であった王貞治はラーメンの出前で片手でラーメンの載った盆をスープをこぼさないように気をつけながら持って片手で自転車を運転することで手首が鍛えられたとか、そういう話が出ていたけれども、しかし、それならラーメン屋の息子は誰もが王貞治みたいになったかというとなってないし、そもそも、きょうびのラーメン屋は出前するにしても、クルマで出前やっていて、自転車で出前なんてやってないし。(株)一条工務店の佐野展示場にいた時に持って来てもらった中華料理屋は、ラーメンはスープがこぼれないようにサランラップを貼って持ってきたが、熱いラーメンの表にサランラップを貼ってラーメンのスープがラップにあたった時にそれが溶けてスープにまざらないかと思い、その店には食べに行く時はともかく出前を頼む時には汁物は頼まないようにしたということがありましたが、そこなどは、自転車じゃなくて自動車で出前していたし、こぼれないようにサランラップを表面に貼っていたので、「あつあつの汁がこぼれないように片手で丼の載った盆を持ち、片手で自転車を運転することでスナップ(手首)が鍛えられて」とかいう『巨人の星』の話はあんまり関係ないみたいでした。 野村克也がラジオの野球中継の解説に出て言っていたが、昔、現役の選手の時、シーズンオフにそのシーズンに活躍した選手をハワイに行かせてあげるということがあって、稲尾と一緒に行ったことがあり、その際、ボートがあって、稲尾が「俺が漕いでやる」と言って漕ぎ出したのはいいが、同じ所をぐるぐるまわるばっかりでちっとも前に進まない、それを見て、「ああ、あの『漁師の子である稲尾は櫓を操ることで手首や足腰が鍛えられた』とかいうあの話、絶対、嘘やとわかった」と言っていた。だいたい、『巨人の星』のおかげで、熊本というと・・・→左門豊作がまき割り! というステレオタイプが日本全国に広まったが、何年か前に熊本に行った時に、街中も周辺部も歩いてみたのだけれども・・・・、まき割りやってる人間なんて、どこにもいねえよ!!! なにより、まき割りやったら腰が鍛えられるか、腰痛めるか、わからんでしょうが。腰痛めるかもしれんよ!!!
   まあ、しかし、どっちにしても、「農家の人間」て「都会の人間」よりも、「根性がある」と言われると、一瞬、なんか、そうかいなあ~あ・・・とか思いそうになりませんか。なんか、そんなイメージありませんか?  しかし、「農家の人間」はどういう理由で「根性がある」のか?  もしも、農作業をやると「根性がつく」ということであるのならば、私だって、小学校の高学年の時、土日、同級生が遊びに行っている時に、トマトとか胡瓜とか茄子とか貝割菜とか作る作業をやりましたよ。あれは、土日だけのもので、あくまで、自宅で使う分だけ作っていたのであって売って収入を得ていたのではないけれども、それでも、それを自宅で使っていたわけであり、その点で「兼業農家」といえば兼業農家であったのです。で、トマトとか胡瓜とか茄子とか貝割菜とか作ったら、「根性がついた」かというと・・・・、なんか、違うように思うけどな・・・・。 まったく、YMCA予備校高槻校の藤井という「主事」と称する男は、次から次へといいかげんな「情報」を吹き込み、受験生を混乱させようと信念もって画策する男だった。とんでもない野郎だと思ったのですが、それを言うと、父は「専門家の言うこと、専門家。せんもんか、センモンカ、専門家、すえ~んむお~んくわぁ~あ!」と言ってきかず、母は「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない」「あの人はYMCAで主事をやっているくらいだから、クリスチャンはクリスチャンでも並みのクリスチャンではない。相当にエライ、特別のクリスチャンのはずや」などと言ってきかなかったのです。「ぼくは早稲田の政経でてるんやけどな」ときかれもしないのに1日に最低3度は言わないと気がすまない男であった(まずそれは学歴詐称であると思われる)YMCA予備校の藤井がアホなことを言っても、「しょーもないこと言いやがってからに、このアホは」と思って「あんなアホ、相手にするな」と息子にきっちりと教える親と、そうではなく、「専門家の言うこと、専門家。せんもんか、センモンカ、せんもんか、すえ~んむお~んくわあ~あ!!!」とか言ってきかない親とでは、息子は大学受験においては条件は全然違いました。
   「地方の人間はきみらみたいな都会の人間と違って根性があるんやからなあ」というYMCA予備校高槻校の藤井の屁理屈はぼけっと聞いてると、そうかいなあ・・と思いそうなところがありますが、なぜ、「地方」の人間は「都会の人間」より「根性がある」かというと、理屈なんてないのです。「農家の人間」は「根性がある」のか、農作業すると「根性がつく」のか? 「都会の人間」でも、私だって、小学生から中学生にかけて土日は「農作業」やったのです。又、「地方の人間」は誰もが農家なのかというと、そうでもないのです。 「地方」に住んでいる人間で、「農家の人間」と東京なり大阪なりに本社がある会社から転勤でその地域に赴任した人間の息子・娘となら、都市部から転勤できた人間の息子・娘や「非農家」の息子・娘の方が全体としては学校の成績はいいのではないかと思います。「地方」で農家の息子と国立大学出て医者やってるとか弁護士やってるとかの人間の息子となら、国立大学でて医者やってる人間・弁護士やってる人間の息子の方が勉強はできる場合が多いでしょう。「農家の人間」は農地があるからそこで生活していきたいわけで、なまじ、息子の尻たたいて勉強させて東大でも行かせて東大卒業する時になって、「うちは田んぼがあるから百姓継げ」て、そういうのはちょっとかわいそうだと思いますし、だから、「地方」にも「進学熱」というのはないわけではないけれども、都会ほどではないのです。だから、「地方」でも「農家の息子」が誰もができが悪いなどということはありませんが、全体としては「農家」と「非農家」なら「非農家」の方が進学熱心なところはあると思いますし、その結果として、「非農家」の息子の方が全体として見れば数学の成績だっていい場合が多いと思います。「農家の息子」はYMCA予備校の藤井が言うような「根性で解くから都会の人間よりできる」などということはないはずです。 だいたい、「根性で解く」て、いったいどうやって解くんですか? そんな方法あるのなら、ぜひとも教えていただきたいものです。「寝言言ってんじゃねえよ!」てとこです。
  「地方」に行かなくても、北摂地区の我が家の付近でも、私が行った中学校と隣の学区の中学校なら、私が行った中学校の方が全体の学力は高かったのですが、なぜかというと、私が行った中学校の方が、よそから転入してきたサラリーマンが多く、隣の中学校の方が「地元の人」が多かった、「地元の人」というのは「家業がある人」が多く、「家業がある人」というのはその家業を息子に継がたいと考えている親が多く、家業がない家と家業がある家とでは家業がない家の方が進学熱心であり、その結果として「家業がない家」が多い学区の中学校の方が「家業がある家」が多い学区の中学校よりも学力水準は高くなったのです。「家業がある家」の息子は「数学の問題でも根性で解く」のかというと、違うと思いますよ。そんなに根性があるならその「根性」で数学の学習をもっとやって「根性で解く」のではなく数学の実力で解けばいいのと違うのですか。テレビの「遠山の金さん」では遠山金四郎が「黙って聞いてりぁ、やいやいやいやい」と言う場面がありますが、実際、YMCA予備校高槻校の藤井という男の言うことは、「黙って聞いてりぁ、やいやいやいやい」という内容が多過ぎました。

   東側の庭で「家庭菜園」やっていたのに対し、南側は「南仙栽」で植木が植わっていたのですが、植木屋は年に1回来てもらっていましたが、樹木というのは年に1回、剪定すればそれで1年中きれいな状態にあるのかというとそうではないのです。 又、その木によって剪定するのがふさわしい季節というのが異なるのです。だから、昔から、金持ちの家のたとえとして、「あそこの家、植木屋が年に2回も来ている」という表現がありましたが、本当は年に1回ではなく最低2回は剪定に来てもらった方がいいのですが、植木屋に支払うカネは必ずしも安いものではないので、貧乏人は来てもらうにしても年に1回くらいになったのです。 だから、我が家は、プロの植木屋でないと剪定できないような木は別として、小学校の時から高校まで、私が植木を刈っていたのです。 父は、よその家で、植木屋に頼まない家とか年に1回だけ植木屋に来てもらっている家で、植木が伸び放題になったりしている家を見ても、自分の家ではそうはならないのが当たり前みたいに思っていたようですが、私が刈っていた、というより、刈らされていたのです。 私が20代の時、父は「わしがあんたの為にやってやってやってやったったものはいっぱいあるけれども、あんたがわしの為にやったことは今までにも何ひとつとしてないし、今後も絶対に何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!!!」と私の鼻の頭を指さして、毎日毎日叫んでいましたが、そんなこと言うなら、植木なんて刈らなきゃよかった。
    小学校の5年か6年の時であったか中学生の時であったか、5月頃だったか、父母がツツジを刈れと私に言ったのですが、しかし、もうすぐ花が咲こうという状態のものをどうやって刈ればいいのかわからないので、母に「刈るって、これ、どうやって刈ればいいの」と言うと、母が「何を言ってますのん、あんたはあ。こんなもの、刈れないの。そのくらい、自分で考えて刈りなさい」と言うので、しかたなしに、ひと回り小さくなるように、外周部の芽は落ちてもその内側の花芽は残るように刈りましたが、そうすると、父が来て、「ああ、ああ、ああ、ああ。こいつはいったいなんちゅうことをいよるんじゃ、こいつはあ!!!  大事な花芽を全部刈り落としてしまいおった。いったい、なんちゅうことをしよるんじゃ、こいつはあ。いったい、何考えとるんじゃ、このアホはあ! 無茶苦茶しおるがな。何しよるんじゃ、おまえはあ」と言って激怒。 「刈れって言ったでしょ」と私が言うと、父は「アホか、おまえはあ。いったい、どこの誰が花芽を刈れと言うた! 花芽を落とさんように刈らんかあ、このボケが。ええかげんんいせんか、おまえはあ! いったい、何考えとんじゃ、こいつはあ。頭おかしいのか、こいつう~う!」と言って怒り、そして、母は「なんで、花芽を落とさんように刈れないの。あんたはあ」と同調して激怒。 「だから、どういうように刈ればいいのと尋ねたでしょう」と言うと、「なんで、あんたはそんなもの、教えてもらわないと刈れないの。教えられなくても、花芽を落とさんように刈るのが当たり前でしょうがああ」と言い、父も「そうじゃ。おまえはいったい何を考えとんじゃ、このボンクラ、この人間のカスめがあ!」と激怒。 そんなこと言うのなら、もうやらんわ、と思って、部屋にひきあげたところ、父と母は2人で庭の掃除をやって、そして、かき集めた芝やらなんやらを籠に入れてそれを持って来て、部屋の私めがけて、「こいつめがあ」と言って浴びせかけたのでした。
   それ以来、何十年にわたって私は疑問に思ってきました。あと1ヶ月未満で花が咲くというツツジ・サツキというのは、いったい、どうやれば、花芽を落とさずに刈れるのだろうか? ・・・と。 その後、父が他界した後、私がプロの植木屋に依頼して植木の剪定をやってもらった時、何十年間にわたって疑問に思ってきたことを尋ねてみました。 「あと1ヶ月未満で花が咲くというツツジ・サツキというのを、花芽を落とさないように刈るのは、いったい、どうやればいいのでしょうか」と。 植木屋さんの答えは次のようなものでした。「それは、無理です。絶対無理です」と。「あと1ヶ月ほどで花が咲くというツツジ・サツキを花芽を落とさないように刈ってくれと言われても絶対に無理です。どうせ、あと1ヶ月で花が咲くのなら、刈るのはその後にされた方がいいと思います。どうしても、花が咲く前に小さくしたいと言われるのなら、周囲だけ刈って内側を残すようにすれば、咲く花は減りますけれども、それでも、内側のが咲きますけれども。 まあ、それでも、せっかく、もうすぐ花が咲くということなら、咲き終わってから刈るようにした方がいいと思いますけどな」ということでした。 だから、私がやったように、外周部を刈って内側を残すという刈り方しか、プロの植木屋でもやりようがないということだったのです。 そのプロの植木屋でもできないことを小学生だったか中学生だったかの私にやれと言って、「なんで、おまえはその程度のこともできんのじゃあ。このカスがあ、このボケナスがあ」と父と母は2人よってかんかんに怒っていたのです。
   我が家は「特別に金持ではない」が「特別に貧乏でもない」というくらいじゃないかと私は子供の頃、思っていたのです。住んでいる家も、特別に豪邸ではないが、一応、戸建ての持家で、同級生の家に遊びに行っても、我が家と同じくらいの大きさの家が多く、我が家より大きい家もあればいくらか小さい家もあったと思うのですが、中には、集合住宅の借家に住んでいる家もありました。私は、子供の頃、集合住宅というのは借家なんだと思っていたのですが、そうでもなく、公団とか公営住宅でも、賃貸のものもあれば分譲のものもあるらしいのですが、賃貸でも分譲でも集合住宅には庭はありません。 だから、その点では、戸建住宅で庭がある家の方がいい・・・みたいな感じもしましたが、しかし、庭があると、植木の剪定をさせられるのです。 同級生が遊びに行っている土日に、我が家は、毎週、土日は農作業だったのです。今から考えると、なんであんなものやらなきゃならなかったのだろうか、と思うのですが、毎週、土日は農作業でした。 本でも、読みたい本をお金を出して買うことはできたとしても、読んだ本をどうするか。「価値のある本」は置いておいてまた読めばいいとしても、いつ、次、読むかわからない本を置いておくと、蔵書は増えていって、本の置き場のために部屋が狭くなることになります。その際ですが、専門書、あるいは一般書でも、図書館に無いような本があり、そういうものは自分で手に入れて持っておくしかありませんが、一般書の場合は、買おうと思えば買うお金はあっても、図書館で借りて読むようにすれば、その本は図書館が責任をもって管理して保存してくれますから、次に読みたい時には、図書館で借りてまた読めばいいことで、自分で持つ必要はない、という考え方があります。それと同様に、最近、寺社や庭園を見に行って思うのですが、自宅に庭を持って、せっせと植木の手入れをしなくても、寺社や庭園(この場合の庭園というのは、兼六園とか東京の北区の古河庭園とか、あるいは東大の三四郎池とかそういうものを言います)に行って楽しめばいいことではないか。そういう考え方もあると思うようになったのです。 大谷本廟は、最近は外国人の来訪者を見ることもありますが、かつては、西本願寺には観光に行く人があっても、大谷本廟は親か誰かの遺骨をお世話になっているという人間でもなければあまり行かない所で、入場するのに拝観料は要りませんし、西本願寺も拝観料は払わなくても入らせてもらえたと思いますが、たとえ、拝観料を求められる寺社でも、特別に高い金額ではないのですから、そういう所に行って庭は楽しめばいいのではないかとも思うのです。 なにより、息子に植木の剪定させておいて、「わしがあんたの為にやってやったったものはいっぱいあるけれども、わしがあんたにやってもらったというものは、今までにも何一つとしててないし、今後も何一つとして絶対にないんやからなあ」と毎日言いながら、それでも当たり前のように植木の剪定させるというのは、なんか、そういう庭って、もしかすると、ない方がいいのかもしれない・・・などと思ってみたりもします。

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↑ 仏殿の右隣(南隣)、渡り廊下でつながった建物、「読経所」です。 前の樹木は何の木かわかりませんが、紅葉してきてきれいです。

( ↑「旗」マークが「読経所」。)

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↑ 仏殿(本堂)の横(北側)、「二天門」です。 右側のお堂が仏殿(本堂)です。
規模は小さいものですが、「大谷本廟 お西さん スタンプラリー」には「境内 見どころMAP」「インスタ映えするおすすめ撮影スポットいっぱい!」として、その1番目に出ています。

※ 大谷本廟HP http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/

   次回https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_3.html  、明著堂・・・

   (2018.10.14.)

☆ 大谷本廟 参拝
1.西本願寺・大谷本廟(西大谷)・北御堂が本願寺派。江戸時代の石橋、円通橋 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_1.html
2.総門・守衛所・仏殿・読経所。自宅に植木がなくても寺社に見にいけばという考え方〔今回〕
3.玄関だけ前に出た建物は変か? 会社の電話に私用の電話を他人の女に毎日かけさせる男 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_3.html 
4.納骨の際、お骨を落とすな。普通に電車に乗るのも恩着せようとする父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_4.html
5.自分が空腹でなければ子供にも食べさせない父親。子供に脂の塊を食わす父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_5.html

沃野の伝説〈上〉 (角川文庫)
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≪ 「まだお父さんからの連絡は、何もないのですか?」
「ありませんよ、あれば警察だって分かるはずじゃないんですか?  盗聴機を仕掛けてるんだから」
「ははは、まさか警察がそんなことしませんよ」
「嘘、神奈川県警で、そういうことがあったそうじゃないですか。それに、うちの前の電柱に登って工事していました。あれは絶対にNTTの工事じゃありませんよ」
「ほう、いろいろ考えるもんですねえ」
 竹村は苦笑した。
「これだけ苛められれば、少しは賢くなりますよ」
 悦子はにこりともしないで言った。・・・ ≫
( 内田康夫『沃野の伝説 (上)』2011.角川文庫 ↑)  

"大谷本廟参拝【2/5】総門・守衛所・仏殿・読経所。自宅に植木がなくても寺社に見にいけばという考え方" へのコメントを書く

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