「勤労の権利および義務」憲法27条1項をどう考えるか【3/3】国民に強制労働を強いる意味ではない・・が、そういう意味だと主張したい人が日本にはいる。小此木啓吾「モラトリアム人間」論は「労働の権利と義務」を義務的に解釈しようとする人たちの流れのもの、産業報国会の流れのもの。それに気づかない、自分は「レッテル」貼られる側にはならないと勝手に決めつけてる塾風人間。

[第570回]
  憲法第27条
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
② 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
③ 児童は、これを酷使してはならない。
( e-GOV 法令検索 憲法 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION )
  これを有倉遼吉監修『口語六法全書 憲法』1964.11.20. 自由国民社 )ではどう書かれているかを見てみます。
《 労働する権利・義務の性格
 この勤労の権利は、25条の権利と同じくいわゆる生存権的基本権に属する。
 勤労の権利という概念は、一般に二つの意味をもっている。
第一は、労働の能力をもつ者が国家に対して労働の機会の提供を要求し得るという意味であり、
第二は、これよりもせまく解して、労働の能力をもつ者が私企業に就業できることを理想とし、これが得られないときに国家に対して労働の機会の提供を要求し、もしそれが不可能な場合には、それに代わる相当の保護を要求できる権利という意味である。
  第一の意味の勤労の権利は、社会主義ないし共産主義の国家においてのみ法律上の権利として意味をもつことができる(たとえばソ連憲法118条)。 しかしながら、資本主義の国家においては、社会主義思想の影響によって勤労の権利の観念が生まれたにしても、そこでは現実として第二の意味の勤労の権利しか認められない(たとえば日本国憲法やワイマール憲法163条2項)。そこでは現実として第二の意味の勤労の権利しか認められない(たとえば日本国憲法やワイマール憲法163条2項)。そこでは私有財産が保障され、したがって、生産手段の私有が認められているのであるから、第一の意味での勤労の権利は認められない。 そこで国家が財産の私有の権利を認めることによって、富める者の生存を保障する一方、その保障によっては、恩恵を受けない、すなわち労働力がその唯一の財産である労働者に対して、労働の機会を与え、その生存権を保障しようとするのが、この条文での労働の権利の意味である。
  この勤労の権利は25条の生存権と同じように具体的な法律上の権利ではない。すなわちこの条文を根拠として、国民が国家に対して直ちに、職を与えよと要求できる具体的・現実的な権利ではなく、国家が労働の機会、または25条の場合と同じく、これに代わる保障を与えることによって、国民の生存権を確保することに努力し、そのことを政治ないし立法の方針とすべき責務を負うことにとどまる。
  また、資本主義社会が前提とされているわが国のような場合、いわゆる完全雇用や完全な生活費の支給の実現は、理想であっても、実際においては困難であり、また使用者には、労基法3条・19条・20条、労組法7条による制限はあるが、原則として、解雇の自由は認められよう。したがってこの条文によって要求される国家の責務は、直接には職業安定法(1条)、失業保険法(1条)などのように、職業の安定や失業の救済のための立法によって具体化されている。》
  カール=マルクスは、社会主義国は資本制経済が発達した国において最初に出現するであろうと考えたはずだったが、最初に社会主義革命が起こったのは、ヨーロッパでも資本制経済が未発達なロシアにおいてだった。それはなぜか・・というと、ひとつの見方として、イギリス・フランスなど西ヨーロッパの国においては、資本と労働、経営者・使用者と従業員の間で交渉がおこなわれ、資本の側が労働・労働者・勤労者・従業員の側にいくらかなりとも譲歩・妥協することによって資本制の経済体制を維持して行くシステムができていたのに対して、大国ではあっても社会のあり方としては必ずしも先進国ではなかったロシアにおいてはそういった資本と労働との間で交渉をおこなって資本の側がいくらかなりとも譲歩・妥協して資本制の経済を維持して行くというシステムはできておらず、根底からひっくり返すしかなかったからだという説があるようだ。これは、和田春樹『ヒストリカルガイド ロシア』(2001.4.20. 山川出版社)↓ で見たと思ったのだが、同書を読み返してみても見つからないので他のもので見たのかもしれない。
ロシア (ヒストリカル・ガイド) - 和田 春樹
ロシア (ヒストリカル・ガイド) - 和田 春樹
〔 資本制経済をとる国においても、経済史的に見たならば、そこに存在する会社はすべての会社が均質に変化しているわけではない。日本においても、資本・経営の側が労働・労働者・従業員の側に妥協するものは妥協し、譲歩するものは譲歩することで存続をはかるという姿勢がある会社もあれば、ロシア革命前夜のロシアのような「根底からひっくり返すしかどうしようもない会社」も存在している。〕

  もうひとつ、ロシアという国は大国だったのか後進国だったのかというと、政治的に大国であり、軍事的にも大国だったのだが、片方でロシアの国内の企業は多くをイギリスなどの外国資本が支配していたということがあったらしい。ロシアの歌というと「わしぁ貧乏やからなあ。ええなあ、長嶋はあ。うらやましいなあ、ほんまにええなあ。わしぁ日陰の月見草や」みたいな歌が多いのだが(実際にはそうではない歌がないわけではないのだけれども(^^)/ )、ロシアという国は大国で周囲の国に対しては、第一次世界大戦頃までの「列強の海外侵略」と言われた時代において、ロシアは侵略・進出する側か侵略・進出される側かというと侵略・進出する側の国だったはずなのに、なんで、「地主はええ思いをしてからに。わしぁ貧乏やからな」「イギリス人はええなあ。うらやましいなあ」みたいな歌詞の歌が多いのか・・と思ったのだが、そういう歌の中には、たとえば、ドビヌーシカ(日本では「仕事の歌」)の最初の頃の歌詞では、少々自虐的な意味で「イギリス人は水や火を使って工夫をして楽に仕事をしようとする。それに対して我がロシアの農民ときたら、仕事がつらくなったら歌を歌うんだ。なつかしいドビヌーシカの歌を」というそういう歌詞もあるのだけれども、「イギリス人はええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ。わしぁ貧乏やからな。わしぁ日陰の月見草や」みたいな歌詞のものが多いのはな~んでか?・・・というと、ロシアは政治的にも軍事的にも大国であって、周囲の国に対して侵略・進出する側の国だったが、片方でロシア国内の企業をイギリスなどの外国資本が支配していたということがあったからではないか・・と思う。だから、「この長嶋みたいなやつ」という怨念パワーがロシア革命を引き起こして、イギリスなどの外国資本によって支配された企業を国有化して「社会主義国」になったものの、片方では対外的な大国主義は残り、結果として「社会帝国主義」になった・・のか。こう考えると、もとより、ソ連が「社会帝国主義」になる要素、「国営資本主義」になる要素はロシア革命の前から存在していたのかもしれない。
  その西側の国でおこなわれた、資本と労働が交渉をおこなって、資本の側が譲歩・妥協することで資本制経済を維持していくというシステムとして、《 労働の能力をもつ者が私企業に就業できることを理想とし、これが得られないときに国家に対して労働の機会の提供を要求し、もしそれが不可能な場合には、それに代わる相当の保護を要求できる権利という意味 》での憲法第27条第1項 《 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。》のうちの「権利」の方、《 すべて国民は、勤労の権利を有し、》、「労働の権利と義務」の「労働の権利」の方なのだろう。 

  「労働の義務」の方はというと、
《  また、この条文の勤労の義務も国民の具体的な法律上の義務ではない(たとえば、ソ連憲法12条「働かざるものは食うべからず」というような労働の義務ではない)。それは資本主義社会を前提としているし、そこでは個人責任主義がとられているので、その勤労の義務の規定によって、国家が国民を強制的に働かせることはできないとされる。 》
( 有倉遼吉監修『口語六法全書 憲法』1964.11.20. 自由国民社 )
とある。
  有倉遼吉監修『口語六法全書 憲法』(1964.11.20. 自由国民社)の著者は、
有倉遼吉:1914年生まれ。早稲田大法学部卒。早稲田大教授。
星野安三郎:1920年生まれ。東北大法学部卒。東京学芸大助教授。
時岡弘:1920年生まれ。早稲田大法学部卒。拓殖大教授。
小林孝輔:1922年生まれ。早稲田大法学部卒。青山学院大教授。
藤馬竜太郎:1928年生まれ。同志社大法学部卒。同志社大法学部助教授。
新井隆一:1928年生まれ。早稲田大法学部卒。早稲田大法学部助教授。
永井憲一:1931年生まれ。早稲田大法学部卒。立正大助教授。
浦田賢治:早稲田大助手。
鍋沢幸雄:早稲田大助手。
佐藤司:早稲田大助手。
松本昌悦:早稲田大法学部卒。中京大助教授。
・・の11人で、有倉遼吉が監修 ということになっている。1971年3月の第13刷の奥付の経歴欄によるものなので、今は肩書が変っている人が多いのではないかと思う。たとえば、「早稲田大学助手」となっている浦田賢治さんは《ウィキペディアー浦田賢治》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E7%94%B0%E8%B3%A2%E6%B2%BB を見ると、現在は早稲田大学名誉教授らしい。《ウィキペディアー有倉遼吉》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%80%89%E9%81%BC%E5%90%89 によると、 監修者の有倉遼吉教授は1979年6月10日に65歳で他界されたらしい。
  この憲法第27条の部分は誰の執筆によるものかはわからない。

  結局、
片岡 曻『労働法(1) 総論・労働団体法』(2007.6.20. 有斐閣双書)
阿久沢亀夫『図解 労働法〔補訂版〕』(1981.8.1.補訂版 立花書房)
有倉遼吉 監修『口語六法全書 憲法』(1964.11.20. 自由国民社)
のいずれを見ても、「労働の権利と義務」の「義務」の方について、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」新倉(男。1980年代初め当時、60くらい? 元自衛隊)が言うような「健康を害して体調が悪いなどの理由で働けない人間は収容所に入れて強制労働につかせるか、そうでなかったら死刑にしないといけない」という意味とは考えていない。

  新倉は「働かざる者、食うべからずだ。日本という国はねえ、国土が狭い国に人間がひしめき合ってくらしている国でねえ、働かない人間を生かしておいてやる余裕はないんだよ。だから、共産党の人間とか社会党の人間とか日教組とか労働組合の人間というのは死刑にする必要があるんだよ。病気だとか言って働かないような人間は収容所に入れて強制労働につかせるか、そうでなかったら死刑にしないといけないんだよ」などと言っていたのだが、そもそも、新倉というその「カウンセラーの先生」は、24時間勤務で次の24時間は休み、また次の24時間勤務でその次の24時間は休みという勤務形態であり、日吉台学生ハイツにいる時というのは夕食時間後であっても、それは終業時刻を過ぎたけれどもまだ帰らずに残っているというわけではなく、日吉台学生ハイツにいる日は夕食時間後でも勤務時間中なのだ。それなにに、夕食時にべっろんべっろんになるくらいに酒のんで酔っ払って、その酔っ払いが日吉台学生ハイツのロビーを徘徊して入館者(入居者)にからんみまくって遊んでおったのだから、新倉こそ「働かざる者、食うべからず」に該当したはずであり、新倉こそ「収容所に入れて強制労働につかせるか死刑にする必要がある」人間に該当したのではないのだろうか。そう思いませんか?
  そういう文句を言った場合、なぜか、それに該当するのは「自分以外の誰か」と勝手に思っている人というのがいるのですが、これは小此木啓吾のビョーキ本シリーズを読んで感動している連中と共通すると思います。小此木啓吾のビョーキ本シリーズを読んで、「そうだなあ」とか思っている人間て、慶應の学生に多いのですが、そういう連中というのは、そこに書かれている「◇◇人間」「☆☆シンドローム」「▽▽症候群」とかなんとかかんとかいうのは、すべて「自分以外の誰か」に該当するものだと確信を持っている、それらの「精神医学的レッテル」を貼りつけられるのは「自分以外の誰か」だと勝手に決めつけているのです。そして、「ふ~む、これはあいつがそうだな」とか「こっちはあの人間が該当するな」とか、勝手に「自分以外の誰か」に小此木啓吾謹製の「精神医学的レッテル」をぺったんこぺったんこと貼り付けて喜んでいるのです。なによりも、内部進学小此木啓吾「おまえはそんなにえらいのか」症候群こそ、それをやっているのです。「おまえはそんなにえらいのか!」と小此木啓吾に言ってやりたいところでしたが、もしも、うかつにそんなこと言うと、「ふ~む、この人は典型的な▽▽シンドロームだ」とか「診断」されて「レッテル」を貼りつけられる危険があるので、もう、ほんま、怖いこわい怖い怖い! 「診断」されると次に「治療」される危険もあります。「逮捕監禁療法」(=「入院療法」)・「薬漬け毒盛り療法」(=「薬物療法」)・「強制労働労働搾取療法」(=「作業療法」)・「心理療法」「カウンセリング」(=「マインドコントロール」「精神支配」「洗脳」)とか、それから「緊縛療法」とか「電気ショック療法」 ↓ とか、
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( ↑ 「電気ショック療法」 )
「ロボトミー」「精神外科」とか・・・、もう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい!!!!!
「なんでもやってみようの精神」で何されるやらわからん
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  もう~お、内部進学独善主義小此木啓吾にかかったが最後、「なんでも病気にされる」。 極力、かかわらん方がええ・・・と私などは思うのだが、ところがどっこい、自分は「病気」に「診断」されることは絶対にない、小此木啓吾謹製の「病名」つけられるのは「自分以外の誰か」だと勝手に決めつけている人というのがいるのです。特に慶應大の学生に多いと思いますが、そういう人のことを「思考が柔軟な慶應ボーイ」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか言うみたいですが、要するにそういう連中です。
  慶應大学の「近代思想史」という講義でN教授が「私のゼミにいる人で『ナチスのようなものは悪くないと思う』と言った人がいたので、それで私は『あなた、《ナチスのようなものが悪くない》と言うのなら、それは、あなたがナチスの親衛隊とかそういう立場にいるのが悪くないということではないのですよ。あなたがユダヤ人の立場になってガス室に送られて殺されるということが悪くないという意味なのですよ。わかっていますか』と話したのです」と話されたことがあった。小此木啓吾のビョーキ本シリーズを読んで、小此木啓吾謹製の「精神医学的レッテル」を「これは、▽▽にあてはまるな」「これは☆☆のことだな」とか、勝手に「自分以外の誰か」に該当すると思い込んで、自分がその「レッテル」を貼られる立場になることはないと、理由もなく自信もっている人間というのは、いわば、「ナチスのようなものは悪くないと思う」などと自分はナチス親衛隊か何かになると思い込んでいて、自分がユダヤ人の立場でガス室に送られて殺される立場だとは一切考えないでいる人間みたいなものだ・・と私は思う。

  東京都文京区の南部に湯島天神がありますでしょ。今では湯島天神の周囲というと、北に東大の本郷キャンパスとちょっと前に傷害事件があった弥生キャンパスがあり、東には東京芸大があり、南には駿台予備校があり明治大学・東京医科歯科大学などがあり、学校に囲まれた場所で「文教地区」みたいなイメージがあって区の名前も文京区ですが、夏目漱石『坊ちゃん』には「湯島の陰間」という言葉が出ており、かつては「陰間茶屋」というものが湯島にあったそうで、東大本郷キャンパスの西の菊坂のあたりは赤線だったとか、北の根津のあたりにもそういう店があったとか、不忍池のあたりには「出会い茶屋」なんてのがあったと『鬼平犯科帳』なんかにも出てきますし、実は東大本郷キャンパス・弥生キャンパスというのは周囲をそういうのに囲まれていたみたい・・・ですが、その話は置いておきまして、その「学問の神さま」湯島天神の南のあたりの御茶ノ水には、駿台予備校があって明治大学があって東京医科歯科大学があって、かつては日大とか他にも私立大学があったはずなのですが、1980年代、「朝日ジャーナル」に載っていた話ですが「御茶ノ水界隈においては駿台予備校の生徒の方が明治大学の生徒よりもえらそうにしている」というのです。 今は昔、「週刊読売」に「おもしろ英語」なんてコーナーがあって、
 Sunday is not Today.
なんてのが載っていたのですが、
「スンダイはトーダイではない」
と読むそうなのです。 高校卒業時に東大の入試には落ちてしまったけれども、駿台予備校の東大受験クラスには合格したので、来年は間違いなく東大に合格・入学できるだろう・・なんて思っていたら、そうとは限りまへんでえ~え。来年もまた落ちるかもしれまへんでえ~え・・という意味らしいのだ。他に載っていたもので覚えているものとしては、
 Bus Stop.
「ブス、乗るな」と読むそうです。
   それで、駿台予備校の東大受験クラスの受講生というのは、それなりの高校を卒業して大学受験に落ちたとはいえ、東大に進学したいと思っている人間であり、どこでもよかったら・・なんて言っても、どこでもいいわけないのですが、もしも「どこでもよかったら」どこか通る所はあった人間で、「明治大みたいなもん、行く気ないけど、もし受けてたら絶対に通ったわ」と思っておるわけで、「なんやねん。明治大みたいなしょーもない大学行きやがってからに」と思っておるわけですが、しかし、そうであっても、やっぱり、立場は「浪人」「傘張り」であり、あんまり強い立場ではないわけですが、それでもやっぱり、「なんやねん。俺は明治大みたいなもんに行くために浪人してんのとちゃうわ」とか思っておるわけです。

  「働かざる者、食うべからずだ。日本という国はねえ、国土が狭い国に人間がひしめき合ってくらしている国でねえ、働かない人間を生かしておいてやる余裕はないんだよ。だから、共産党の人間とか社会党の人間とか日教組とか労働組合の人間というのは死刑にする必要があるんだよ。病気だとか言って働かないような人間は収容所に入れて強制労働につかせるか、そうでなかったら死刑にしないといけないんだよ」と言いまくって、そして、おのれは勤務時間中にべっろんべっろんになるまで酒を飲みまくっていたおっさん、「私はねえ、何と言ってもカウンセラーだからねえ。カウンセラーというのはメンタルな仕事だからねえ。酒を飲まないことにはおれないんだよ」とか言って勤務時間中に酒を飲みまくっていたヨッパラーのおっさんは、その「働かない人間を生かしておいてやる余裕はないんだよ」に該当するのは「自分以外の誰か」だと思い込んでいたのですが、勤務時間中の大酒飲んでべろんべろんになって入館者にからみまくっていたおっさんこそ「働かざる者、食うべからずだ」というそのおっさんの発言により、辞めてもらった方がよかったのではないか・・と思うのだが、ヨッパラー新倉はそうは思っていなかったようだった。
  「病気だとか言って働かないような人間は収容所に入れて強制労働につかせるか、そうでなかったら死刑にしないといけないんだよ」と新倉は言い、大学に入学しても体調不良で留年したりする学生は「収容所に入れて強制労働につかせるか、そうでなかったら死刑にしないといけないんだよ」と新倉は言っていたのだったが、そして、どうも、私もそれに該当すると言いたいらしかったのだ。「強制労働につかせるか死刑にする必要があるんだよ」と言ってからんできたのだった・・・が。
  引越した先の家主さんが「慶應大学ならちょっとくらい浪人しても留年してもエリートですよ」と言ってくれたのでしたが、「朝日ジャーナル」に「御茶ノ水界隈においては、駿台予備校の生徒の方が明治大学の生徒よりもえらそうにしている」と書かれていたように、駿台予備校の生徒でなくても、東大もしくはそのくらいの大学に行こうと思っている浪人生の意識としては「明治大みたいなもん」と思っているし(これは別に明治大学に恨みがあるとかいうことではなく)、「しょーもない私立大学」に行ったやつに比べたら、東大もしくはそのくらいの大学に行こうとして浪人している人間は何も気兼ねする必要なんかないはずだと思っていると思うのだ。
  うちの父親は私が高校生の時にはこう言っていた。「東大に行くために下宿して大学に行くのなら下宿して行ったらいいし、下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應か早稲田かに行くのなら下宿する価値はあるけれども、そんなもん、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら東洋大やたら何やらわけのわからん私立大学に行くようなやつが下宿してまで大学に行く必要あらへん。大阪にもアホ大学はあるんやから、アホ大学に行くやつは、もしも大学に行くのなら家から通える大学に行くべきや。だいたい、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら東洋大やたらそんなアホ大学に行くやつが大学に行くというのが間違ってる。なんも、そんなやつ、大学に行く必要なんかあらへん。そんなやつは全員、自衛隊に入れてやるべきや、自衛隊に。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては」と、そう言っていたのだ。私もそんな感じで思っていた。だから、東大でなくても京大でもそういう大学に最終的に通るかどうかはさておき、そのくらいの大学に行きたいと思っている人間が浪人したとしても、それまで一生懸命勉強してきたのだから、大学入試において行きたいと思った所に行くためには、もしも現役で合格できなかったならば浪人もいたしかたないと思ったが、あんまり下の方の大学みたいなもんに行くようなやつなんて、「別に大学に行く必要あらへん」かどうかはともかく、なんやねん、そんなやつ、高校までの勉強をしてきていない人間があつかましくも大学に行くやなんて・・・と思っていた。
  もしも、大学在学中に体調を悪くして留年するようなことがあったなら、それもまた、やむをえないことだろうし、又、早稲田大学などでは、留年した人間の方がエライ(?)なんてお話まであるくらいで、人に決められたレールを只管歩むのではなく、大学生の時に自分がこういうことをやりたいというものをやって、その結果、留年しちゃった・・というのなら、別にいいじゃないか・・と認める風潮が昔からあったとかいうお話があるくらいだ。〔就職の際のことを考えると留年は不利になるかもしれないけれども。〕
  どうも、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」のヨッパラー新倉は「体調を悪くして留年するような者というのは収容所に入れて強制労働につかせるか、そうでなかったら死刑にしなきゃだめなんだよ」と言うのでしたが、新倉の息子というのはどこの大学に行っていたかというと、どこだったか聞いたのだけれども忘れてしまったが、亜細亜大だったかなんかそんな所に行っておったはずなのです。新倉自身もそんな感じの所の出身らしいのです。ですから、それを考えると、東大・京大なり慶應大・早稲田大なりに行った人間が体調を悪くして留年しても、「誰がこんな所に行くもんかあ」と思って受け直して1年余計にかかっても、受け直して通っても、またもや落ちても、新倉の息子が行ったような私立大学に行ってるやつに比べたら優秀な方であり、そんな大学にバカ息子を行かせているような男で、かつ、本人もそんなところ卒の男で、勤務時間中に酒飲んでべろんべろんになってるヨッパラーに、東大・京大や慶応大・早稲田大に行った人間が留年しようが休学しようが、なんだかんだ言われる筋合いなんてないんですよ。とりあえず、勤務時間中にべろんべろんになるまで酒飲むのはやめた方がいいし、「何と言ってもカウンセラーはメンタルな仕事なものだからねえ、メンタルな仕事だから酒は飲まないわけにはいかないんだよ」などと言って、その「メンタルな仕事」をやる限り勤務時間中にべろんべろんになるまで酒を飲まないとおれないということならば、その人にはその「メンタルな仕事」は無理だということですから、「カウンセラー」はやめた方がいいでしょう・・し、新倉自身が「働かざる者は食うべからずだ」と言っていたのですから、「カウンセラー」としての職務を果たせない人は他の仕事でならどうかはさておき「カウンセラー」としては「食うべからず」でしょう。

  うちの母親は私が小学生・中学生の頃は「親というものは、息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやってつきたい仕事につけるようにと思って、それで、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と、そう言っていたのです。ところが、そうではなかった。そんなヨタ話を信じた私は愚かだった。私が実際に大学に進学する時になると態度を豹変させた。
  うちの父親は毎日叫んでいた。「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしに、わしにじゃ、わしに。わ、し、にい~い。あ~いらいらあ」と。そして言うのだった。「わし、今まで、あんたに、わしに孝行せえなんてこと、一言として言うたことないやろ。いっぺんとして言うたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と( 一一)
  ・・・あんた、今、言うたやろうが。あんた、まさに今、言いまくっておったやろうが。あんた、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言いまくってきたやろうが〔⇒《YouTube-およげ!たいやきくん》https://www.youtube.com/watch?v=1uP9nw4S3Qc 〕・・・と思うのだが、ところが、おっさんは「わし、今まで、あんたに、わしに孝行せえなんてこと、一言として言うたことないやろ。いっぺんとして言うたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と言い、「あんた、そんなことすらもわからんのんかあ!」と言うのだが、そんなこと言われても、あんた、まさに今、言うたばっかりやろうが! あんた、今、まさに言いまくっておったやろうが。あんた、まさに今、「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わ~しに孝に、わしに孝に。わしにじゃわしにじゃ、わしにわしにわしにい~い。わしに孝行せえよお、わしに孝行せえよお。すべてをすべてをわしの為に! 犠牲にする、犠牲にする、すべてをすべてを犠牲にしてわしの為にささげ尽くす、ささげ尽くす、わしにわしにわしにわしにささげ尽くす!、とってちってたあ~あじゃあ~あ。わしに孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ。ま~んまんまんまんまんまんまんまんまあ~あん。ち~ん♪ あーめん」と言うておったやろうが。あんた、毎日毎日、言いまくって、あんた、毎日毎日、呪文を唱えまくってきたし、あんた、まさに今、言うたばっかりやろうが・・・と思い、「さあ~あ・・・」と口にすると、
「はあ~あん。わしは今まで、あんたに『わしに孝行せえ』などということは、たったの一度として口にしたことはないのんにからに、こいつはそんなことすらもわからん、クズカス人間なんか。困ったなあ、こいつには。どうしようもないなあ。こいつ、絶対に病気やわ。これは病気がこいつにこういうことを言わせよるんや。こいつにロボトミーとか電気ショックとかやって治療してやらんといかん。わしは今までこいつに『わしに親孝行せえよ』などとは、たとえ一回といえども口にしたことはないのんにからに、それすらもわかりよれへん。こいつ、電気ショック療法やって治療してやらんといかん。こいつに電気ショック療法やって、こいつがこういう口を二度ときけんようにしてやらんといかん。電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」
と言うのだった。
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」。 )

  うちの母親は私が小学生・中学生だった時には「親というものは息子が大学に行く時には、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、やりたい勉強をやってつきたい仕事につけるようにと思って、それで無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていたのだったが、実際に大学に進学する時になると正反対のことを言いだした。
  結局、うちの親は、そういうことを言うことで、それならと思って努力させておいて、そうやって入試で高得点を取れるようにした上で、その成果をすべて親が横取りしてやろうと最初から考えていたようだった。
うちの親は言うのだった。
  「うちは大学院に行かすような金持ちとは違います」と。私が北野高校に合格して入学した時、うちの父親が勤め先の社長の息子で、その時はまだ若くてうちの父親よりも役職は下だった東大卒のにーちゃん(その頃はにーちゃん)を連れてきたのだが、私は、せっかく、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのだから、会社員なんかにならされたのでは何のために勉強してきたのかわからなくなってしまう・・と思っていたのだった。夏目漱石『三四郎』には「野々宮さん」という人が登場して、「野々宮さん」は穴倉みたいな所にいて、いつも、穴倉から天体を見ていて、たまに地上に出てくるという生活をしていたらしく、「野々宮さん」のモデルは寺田寅彦だったというが、『三四郎』などを読んで私は大学生というものはその「野々宮さん」みたいな生活をするものだと思っていたのだ。もしくは、西田幾多郎は京都の「哲学の道」を歩きながら思索にふけったとか、大学生というものはそういうものをするものだと思っていたのだった。高校の先生をやっている人には、大学院に進んで大学の教員になりたいと思ったがなれずに、結果として高校の教諭になったという人がいたが、大学院への進学というものが易しいのか難しいのかはわからなかったし、大学の教員になるのも難しいのか難しくないのかもわからなかったが、ともかく、せっかく小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのだから、大学に進学してから後も、「野々宮さん」か西田幾多郎のような生活を送りたいものだと思っていたのだが、もしも、大学の教員になるのが難しくてなれなかったという場合には、高校の先生か中学校の先生になって教えながら自分がやりたい勉強も続ければいいのではないかと思ったのだが、うちの父親は「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います」と言うのだった。
  しかし、私は慶應大学の学生相談室に行って大学院進学について聞いたのだが、今は制度が変っているかもしれないが、1980年代では日本育英会奨学金は高校と大学については学業成績と親の年収とで受給できるかどうかが決まるが、大学院の場合は親の年収は関係ないそうで、日本育英会奨学金を受給できれば別に親に大学院の学費を出してもらわなくても行けるし、もしも、生活費が不足するということなら、アルバイトを少しやればやっていけるようなことを聞いた。それを話したのだ・・・が、ところがうちの親はこう言うのだ。「何を勝手なこと言うとるんじゃ、チャンコロ」と。「おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきゃがったがために、おまえをここまで育てるのにカネかかっとるんじゃ。そやから、これからおまえには会社に勤めてせっせと働いて、それをまどてもらわんといかんのじゃ。誰が大学院みたいなもん行かすかあ」と。・・ということは、大学の先生は無理だということだ。 うちの父親が勤め先の社長の息子を連れてきた時、私は「会社員みたいなもん」にならされたくないと思っていたので、「学校の先生になるには・・」と口にしたところ、うちの父親が「そんなもん、高校や中学校の先生みたいなもんにならんでもええやろ」と言うので、「高校や中学校の先生みたいなもん」と「高校の先生」「中学校の先生」というのは、うちの父親は好きではなく、評価が低いらしいとわかったので、「大学の先生」ならいいだろうと思ったのだが、「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」となると「大学の先生」は無理だということになる。
  そして、「うちは学校の先生になんかならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのだった。しかし、北野高校で「地理A(系統地理)」を教えていたH先生は、我が家と同じ「☆☆〇丁目」に住んでいて、我が家と同じくらいの大きさの家に住んでいたので、同じような場所で同じくらいの大きさの家に住んでいる人が高校の先生になっているのなら、うちだって高校の先生になって良さそうに思ったし、又、H先生よりずっと近い、我が家のはす向かいあたりの家の主人は同じ学区の別の高校の「数学」の先生をされていたし、住んでいる家の大きさだけですべて決まるわけではないとしても、そこの家の方が我が家よりも小さい家に住んでいたから、特に金持ちでなくても「学校の先生」になっている人はいるように思えた。又、うちの母親から私が小学生の時に聞いた話だが、戦前の師範学校はタダだったので、学校の勉強はよくできるけれども家庭は金持ちではないという人が学校の先生になることが多かったと聞いていたので、だから、学校の先生というのは「学校の勉強はできるけれども、家庭はそう金持ちではない」という人がなっていい職業なんだと思い込んでいたのだったが、私が大学に行く時になると、うちの父親は「うちは学校の先生になんか、ならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのだった。しかし、うちの母親の兄(私からすると伯父)はうちの父親と同じ年齢で早稲田大学を卒業して大阪府立の高校の教諭になっていたのだが、あのおっさんがなっているのだから、私がなって悪いということはないはずだと思い込んでいたのだったが、違うらしかった。
  さらには「たとえ、学校の先生になるにしても数学か英語の先生でなかったら絶対になってはいかん。国語とか社会科とかの先生なら家庭教師のアルバイトができません。家庭教師のアルバイトをやるには数学か英語でなかったらいかん」と言うのだった。
  そして、「京大はアカやから行ってはいか~ん」と言うのだった。そう言われたら東大に行くしかないことになる。
  そして、「マスコミに勤めるのなら産経新聞にしなさい。産経新聞か、さもなくばNHKにしなさい。朝日はアカやから勤めたらいか~ん。毎日もアカやから勤めたらいか~ん」と言うのです。「産経新聞なんて、首をもがれても絶対に嫌です」と言ったのだが、「何を言うとんのんじゃあ。ええかげんにせえよお、ええかげんに。このチャンコロろすけっ! このわしが産経新聞がええと言うとるんじゃ、産経新聞が。朝日はアカじゃ、毎日もアカじゃと言うてやってやってやってやったっとんのんじゃ」と言うのだった。「朝日はアカやからいか~ん。マスコミに勤めるのなら産経がええ」と何度も言うので、それで私は「産経はアホやからいか~ん。マスコミに勤めるのなら朝日がええ」と、こう言ったのだが、「何を言うとんのんじゃ。このチャンコロめがチャンコロろすけイタコ浪商!!! ええかげんにせんかあ! 甘ったれるなあ! わ~しが産経新聞がええと言うてやってやってあげてやってあげてやってやったっとんねんぞお。朝日はアカやからいか~ん、毎日もアカやからいか~んとこう言うてやってやってやってやったっとんのんじゃ」と。
  「うちは医学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのでしたが、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずです」と言ったのだが、「6年間、行かないといけない学部ではなく4年で卒業できる学部にしなさい。うちは6年も大学に行かすような金持ちとは違います」と言うのだった。それならば、自治医大ならば学費はタダで、全寮制で寮費もタダですから、「それなら自治医大に行きます」と言ったのだが、「わしが行かんでもええ言うておるんじゃ、このわしがあ。んが、んが、んがァ~あ」と言うのでした。「わしは産まれてこなかったら良かったおまえが産まれてきたおかげで、これまで迷惑しておるんじゃ。そやから、4年で卒業できる大学を卒業して勤めて、それで、これまでにかかったカネをおまえにまどてもらわんといかんのじゃ。なんで、自治医大みたいなもんに行かせてやってやってやらんといかんのじゃ」とそう言うのだった。
  そして、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのでした。「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずです」と言ったのだが、そうするとうちの母親が「何を甘ったれたこと言ってますのん。百パーセント絶対に国立大学に通るとは限らんでしょうが。たとえ、0.1%でも0.01%でも国立大学を落ちる可能性があったら国立大学でも工学部は受けてはいかんでしょうが」と、そう言うのだった。しかし、だ。うちの父親の弟、私からすると叔父の息子で私より1つ年下のやつが、大阪府立の住吉高校から京都工芸繊維大学しか行けないくせしやがってからに工学部に行きやがったのだ。「なんで、あいつは工学部に行ってもいいの?」と言うと、うちの母親は「あそこの家はお父さんが脳卒中になってあの子は苦労してきているから、だから、工学部に行かせてもらったんやわ。あんたはそうじゃないんやから工学部になんか行ってはいかんでしょうが」と言うのだった。そうかな?
  私が幼稚園の年長組の時、12月に幼稚園で先生が「幼稚園から皆さんにクリスマスプレゼントがあります」と言って、正方形で4×4で16マスある所に1から15までの数字が書かれた小さい正方形が入っていて、それを1マスの空白を利用して並べ替えるゲームをもらったのだったが、我が家は3人兄弟で上のお姉さんも幼稚園で同じゲームをもらっていたようだったが、下のお姉さんは幼稚園でそれをもらわなかったようだ。ところが、12月に「幼稚園からのクリスマスプレゼント」として私がもらった15ゲームを、正月に叔父夫婦がイトコ2人(私より1つ年上の女と1つ年下の男)を連れてくると、うちの親は私に、私が12月のクリスマスに幼稚園でもらった15ゲームをイトコにやれと言うのだった。子供が12月のクリスマスにもらったばかりの物をそれから1週間ほどしか経っていない正月にイトコにやれなどと言う親がどこにあるかと思ったが、我が家にあったのだ。うちの母親は私に、上の姉がもらった15ゲームと私が幼稚園でもらったばかりの15ゲームを「どちらかをあの子らにあげなさい」と言うのだったが、信じられなかった。それまで、私が自分の物でもない物をよその子にあげるなんて言おうものなら、うちの親はかんかんに怒ったものだった。だから、姉がもらった物については「それはお姉ちゃんのや」と言い、「それはお姉ちゃんのやから、お姉ちゃんにきいて」と言ったのだが、うちの母親は「わかった。それなら、こっちをあげなさい」と言って私が幼稚園で1週間前にもらったばかりのものをイトコにやれと言うのだった。「なんで、そんなもの、あげないといけないの」と言い、「それ、1週間前にもらったばかりのものやで」と訴えたのだが、「それなら、こっちをあげるか」と言って姉の物をあげなさいと言うのだったが、「だから、それはお姉ちゃんのやから、お姉ちゃんにきいて」と言って訴えたのだが、「甘ったれなさんな。それなら、こっちをあげるということでええねんな」と言って、私が幼稚園でもらったばかりの物をイトコにやれと命令するのだった。信じられなかった。
ハナヤマ かつのう 15ゲーム
ハナヤマ かつのう 15ゲーム
( ↑ 15ゲーム。)
結局、うちの母は姉がもらった物の方をイトコにくれてやったのだが、イトコだって幼稚園に行っていたわけで(私より年下の男はその時は年少組、1つ年上の女はその時は小学校1年だったが)、イトコが15ゲームを幼稚園でもらわなかったとしても、イトコが行っていた幼稚園で別の物をもらった可能性が大きいので、もしも、私が私が行った幼稚園でクリスマスにもらった物をイトコにやらないといけないのならば、私はイトコが幼稚園でもらった物をもらう権利があるはずだったが「やらずぶったくり」にされた。「巨人みたいなやっちゃ」
私は「工学部になんか行かすような金持ちとは違います」で、そのイトコは工学部に行っていいのか? 叔父はまだ30代の時に脳卒中になってしまって働けなくなり、それで叔父夫婦の家庭はけっこう大変だったと聞いていたのだが、それを聞くと我が家と叔父夫婦の家庭とならば叔父夫婦の家庭の方が貧乏みたいな感じだったが、イトコは「工学部になんか」行っていいのか? ・・と思ったのだ。それを言ったのだが、そうすると、うちの母親は「あそこの家は貧乏だから、だから、あそこの子は子供の頃から苦労してきているから、だから、工学部に行かせてもらったんや」と、そう言うのだ。どうも、我が家はピンポイントで貧乏で、ピンポイントで金持ちだったらしい。我が家よりほんの少しでも金持ちの家庭ならば「あそこは金持ちやから行かせてもらえるんや」ということになり、我が家よりほんの少しでも貧乏な家庭ならば「あそこは貧乏で苦労してきているから、だから、行かせてもらえるんや」ということになるらしかった。
  叔父は私が小学生の時、叔父がまだ30代だった時に脳卒中になってしまったことから、けっこう大変だったらしいが、だから、私は私が幼稚園の年長組の時に、イトコだって幼稚園に行かせてもらっていたのだから、何も私が幼稚園でクリスマスにもらった物を正月に取り上げて持ち帰らなくても、イトコだって幼稚園でクリスマスに何かもらっていたはずなのだが、それなのに、それでも私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を取り上げて持ち帰らないといけないくらい、そこまでものすごい貧乏な、ものすごいかわいそうな家庭の子なのかと勘違いしていた。その頃、住んでいた家の近所にYアパートといって見るからに貧相なアパートがあって、うちの母親は「誰とでも分け隔てなく遊びなさい」と言っておきながら、片方で「Yアパートの子とは遊んだらいかん」とも言い、どっちやねん? と子供としては困ったものだったのだが、親としては、前者は一般論で、後者の方については、実際問題としてそのYアパートの住人の子というのはガラが悪い子が多かったので、それで悪影響を受けると思ったらしかった。しかし、小学校に入学すると同じクラスにそのYアパートの子もいたので、そこに遊びに行ったりもしたのだが、我が家は豪邸ではないけれども一応戸建の家に住んでいたのだが、そのトイレ共用・洗面所共用・風呂は銭湯という見るからに貧相なアパートの住人の子は、私なんか買ってもらえない4000円のゴジラのプラモデルを買ってもらって持っていた。だから、住んでいる家が貧相な家でも我が家なんかよりよっぽど豪勢な物を子供は買ってもらっているということだってあったのだ。私の場合は、我が家は特別ものすごい金持ちではないだろうと思っていたが、いくらなんでも、そのYアパートの住人よりは金持ちではないかと思っていたのだが、それでも、私は幼稚園や小学校の同じクラスの子や近所の子と比べて、どう考えても私の方が欲しいという物を買ってもらえないことが多かった。我が家は子供が欲しいという物を親が買わないことが多い家庭だった。Yアパートの子よりも買ってもらえない私から、幼稚園でクリスマスにもらったクリスマスプレゼントを奪って持ち帰らないといけないくらい、叔父夫婦というのはもんのすごい貧乏で気の毒な家庭なんだ・・と私は思い込んだのだった。しかし、違った。叔父夫婦は公団に住んでいたが、公団というのは賃貸のものだと思い込んでいたが、叔父夫婦が住んでいた公団は分譲の公団だったらしい。共同住宅でも「持ち家」だったのだ。あれえ、なんか話が違うんやけどお・・・。又、叔父が30代で脳卒中になってしまって働けなくなってしまったというそういう家庭なんだと思い込んでいたのだが、それは、イトコが私から15ゲームを奪い取って帰った私が幼稚園の年長組だった年よりも後のことで、私が幼稚園の年長組だった年の頃は叔父はうちの父親と同じ会社に勤めていて営業の仕事をしてそれなりの役職もつけてもらい、けっこうはぶりがいい時期だったらしいのだ。なんや、騙された。なんで、そんな人の子供に私が幼稚園でクリスマスにもらった物を奪われて持ち帰られなければならないんだ? ・・・結論を言うと、たぶんだが、それはうちの父親が「ええかっこしい」だったからだろう。うちの母は、その叔父が結婚する前、結婚することになった叔母とデートする際に、うちの父親が「よそで食べたらお金がかかるから、うちで食事しなさい」と言って、その頃はうちの父親の給料が安くて生活に困っていたのに、それなのにすでに働いている叔父がデートする費用までうちで出さされた・・と怒っていたのだが、それと一緒だ。 あるいは、私が小学校1年の時、うちの父親の会社の社員旅行に小豆島に一緒に連れてもらったのだが(「連れてもらった」といっても私や下の姉の旅行費用はうちで出していたのであって会社からとか社員旅行に行った人からとか出してもらったわけではない)、その帰りの時、うちの父親は小学校1年生だった私が持っていた鉄腕アトムの絵柄が書かれたごく小さい水筒を「それ、貸してんかあ」と言って奪い取り、「配給、配給、お茶の配給です」と言って、特にお茶を欲しいと言っているわけでもない大人の会社の人に入れてまわり、小学校1年の私が「のどかわいた。お茶ほしい」と言うと、「ないねん。もう、お茶ないねん」などと言ったことがあったのだが、それと一緒。「ええかっこしい」だったのだ。そういうことをやって、それで「ええかっこしい」やっているつもりだったのだ。さらには、私が小学校1年の時、「ヤマハの音楽教室」というオルガンを中心とした音楽教室に週1回通っていたのだが、その際、よその子は新しくヤマハの電気式オルガンを買ってもらっていたのだが、私だけは家に前からの足踏み式オルガンがあったので、新しい電気式のものを買ってもらっている人間はええなあ・・とは思ったものの、前から家にあった足踏み式オルガンを使って毎日練習していて、そして、練習が終わると毎日、布で鍵盤から外側から葺いて磨き上げていたのだったが、ところが、ある日突然、「オルガンもらいに来ました」と言って男性何人かがクルマでやってきて、そして、小学校1年生が毎日毎日、それで練習しているオルガンを取り上げて持ち帰ってしまったのだ。「なんで、オルガン持っていくのお」「ぼく、そのオルガンで毎日、練習してるんやで」「ぼくが練習に使ってるオルガンをなんで持っていくの」と訴えたが、その男たちは子供の言うことなんてまったく耳を貸さずに私が毎日練習していたオルガンを持ち去ってしまった。「オルガンなんか、要ら~ん」とうちの父親は会社から帰ってくると言うのだったが、要らんわけないだろうが。私は毎日、そのオルガンで「ヤマハの音楽教室」の課題を練習していたのだ。「あしたから、いったい、どうやってオルガンの練習したらいいの」「ぼく、どうやってオルガンの練習したらいいの?」と私は言ったのだ。ソ連映画『シベリア物語』では「ルビンシュタインはピアノがない場所では板の上で指を動かしてピアノの練習をした」と登場人物が言う場面があるが、うちの親はそう言ったかというと、うちの母親はそうではなく「うちはピアノがあるから、ピアノで練習すればいいでしょう。オルガンよりもピアノの方が上だから、ピアノがあったらオルガンよりもいいから」とアドリブで言うのだったが、オルガンとピアノは鍵盤を見ると似ているけれども、鍵盤を指で叩いた感触も違えば音色も違う。やっぱり、オルガンはオルガンでありピアノはピアノであり、又、ヤマハの音楽教室ではオルガンの上位の楽器はエレクトーンと考えており、ピアノがオルガンの上位の楽器とは考えていなかった。オルガンをあげた相手というのは、最初は会社の従業員かと思ったのだが、うちの家に時々来るような人ではなかった。又、うちの母親もまったく知らない人だったようだ。最近になってうちの母親は「あれ、いったい、どこの人やったんやろ」と言うのだが、ひとつの可能性として、たまたま、うちの父親が入った喫茶店で隣のテーブルにいた人が「オルガンがあったら、うちの娘にオルガンの練習させるんやけどなあ」とか口にするのを耳にして、それで、うちの父親は「また、ええかっこしいやったろ」と発案して、「そしたら、うちに要らんオルガンありまっさかいに、クルマで取りにきてもろうたら、オルガン、あげまっさあ」とか言いよったのではないかと思うのだ。うちの父親は「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と言うのだったが、なんで要らんねん? 私が毎日、練習しているオルガンじゃないか。よその子は新しい電気式オルガンを買ってもらっていたが、私は古い足踏み式オルガンで毎日練習していたそのオルガンじゃないか。なんで、「オルガンみたいなもん、要らん」のだ? ・・と思うのだが、うちの父親というのは、そういうおっさんやった。そういうように、常に「また、ええかっこしいやったろ」と常に考えて子供の物を取り上げてよその子やよその大人にくれてやるおっさんやった。私が小学校の低学年の頃、うちの父親の勤め先は化粧品会社だったのだが、美容部員の女性がつきあっているらしい男性のことを「それは遊ばれてるでえ」とか言って心配してやっていたのだが、なんで、この人がそんなこと心配するのやろう、自分の娘とか妹とかなら心配してやればいいけれども、美容部員さんなんて他人やろうが・・と思ったものだったが、その後、うちの姉が結婚するとかどうこういう時になると、自分の娘のためになら、ちっとも頑張らないおっさんやった。よその娘のために力になったろとか考えるのならば、もっと自分の娘の為に尽力したらどないやねん!・・・と思ったものだった、このおっさんも変わってるな・・と思ったものだった・・が、世の中には「自分の娘の為には頑張らないが、よその娘のめんどう見たがるおっさん」てのはけっこういるみたいで、よその娘のめんどうみたがるくらいなら、もっと自分の娘のめんどうみたらどうなのだ・・と思うのだが、どうも、「よその娘のめんどう見る」というのは、おっさんにとって楽しいらしい( 一一) バッカじゃなかろかルンバ♪ ・・て感じがするが、そういうおっさんやった。
※ 《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs
  私が毎日練習しているオルガンを取り上げてよその人間にくれてやる、私が肩から下げていた子供用の小さい水筒を取り上げてお茶をよその人に配ってまわる、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりのゲームを奪い取ってよその子にくれてやる・・・と、私が小さい頃からそんなことばっかりやってきたおっさんやった。そして、私が20歳になる年、うちの父親はこう言ったのだ。「あんたには、小さい頃から、よその子とちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも、ええもんばっかし買ってきてやってやってやってきたから」と。はあ? そんなわけないだろうが! それで、私は言ったのだ。「そんなことない。絶対にそんなことない!」と。そうすると、うちの父親はこう言ったのだ。「はあん。こいつ、こんなこと言いよる。難儀なやっちゃな、こいつは。こいつ、電気ショック療法やったらんといかん、電気ショック療法。あるいはロボトミーやったらんといかん、ロボトミー」と。「ロボトミーやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん!」・・・と、うちの父親はそう言ったのだった。
  バチスタ政権から裁判にかけられたフィデル=カストロは裁判において、自分自身が自分の弁護士の役割を果たして、裁判でこう語った。「私に死刑を宣告せよ。そんなことは問題ではない。歴史が私に正義を宣告する」と。
私も、うちの父親に同じことを思った。「私にロボトミーでも電気ショックでも何でもやるがいい。歴史が私に正義を宣告する」と。
わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
  うちのイトコが私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物を正月に取り上げて持ち帰っておいて、それでいて、うちの母親から「あそこの子は、あんたとは違って子供の頃から苦労してきているから、そやから工学部に行かせてもらえるんやわ」と言ってもらっていた。しかし、後で気づいた。そうではない。父の弟である叔父の子のイトコは「子供の頃から苦労してきた」のではなく「子供の頃から私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を正月に奪い取って持ち帰っていた」のだった。 『聖書』には「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪い取られるであろう」と書かれているがまさにそうだ。イトコは幼稚園の時に私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を奪い取って帰ったのと同じく、大学に進学する時もまた、私よりも成績悪いくせしやがってからに、京都工芸繊維大学なんてものしか行けないくせしやがってからに、私なら「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われた工学部に行きやがったのだった。くっそ、腹立つな、あん畜生、京都工芸繊維大しか行かれへんやつ!!!
  そいつらも幼稚園に行っていたのだから、15ゲームは幼稚園でもらっていなくても、それ以外の何かをもらっていたはずだが、私が幼稚園でクリスマスにもらった物を奪い取って持ち帰るのであれば、「相互主義の原則」としてあいつらが幼稚園でもらった物を私に渡すのが筋であろう。ところがどっこい、そうではなく「やらずぶったくり」「巨人みたいや」てことをやりやがったのだった。しかも、うちの父親が、うちはこいつにはいつでも何でも欲しいという物は買ってやってやってやってやったってるんやからと、事実と正反対のことを言った上でイトコに15ゲームを渡したものだから、イトコは逆にいい気がしなかった。自分の親が侮辱されたような気になって不快な思いをしながら持ち帰ったのではないかと思う。だから、うちの父親の葬式にはそのイトコは2人とも来なかった。
そして、私から15ゲームを奪い取っていったイトコは京都工芸繊維大学しか行けないくせしやがってからに工学部になんか行って、私はそれより上の大学に行けた可能性があったけれども、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います」と言って受けさせてもらえなかった。 ロボトミーでも電気ショックでも何でもやればいいだろう。私に死刑を宣告せよ。そんなことは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する。
  「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います」と、うちの父親は言うのだった。それでいて、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は北野高校卒業後、「私は両親が離婚したから」「私は家が貧乏だったから」と「貧乏」を自慢しまくりながら、それでいて神戸大の文学部しか行けないくせしやがってからに、ふんぞり返って文学部に行ったのであり、かつ、私はうちの父親から「うちは高校の先生みたいなもんにならすような金持ちとは違います」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたのだが、ところが、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」「私は家が貧乏だったから」と「両親が離婚した」「父親が離婚した」ということと「家が貧乏だったから」というのを何よりも自慢の種にしていた旧姓作野礼子はくそどあつかましくも神戸大文学部なんか行きやがったのだったが、あれはいいのか? なんで、旧姓作野礼子は「私は家が貧乏だった」と「貧乏」を自慢しまくり人間症候群なのに「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と私が言われまくってきた文学部になんか行ったのだ? 旧姓作野礼子に「電気ショック療法」とか「ロボトミー」とかやってやった方がいいのか?
   うちの母の叔母の子供は3人兄弟で上と下が女だったのだが、上の方の女性の結婚相手は天王寺高校から現役で東大文科一類に合格して東大法学部を卒業して国家公務員上級試験(現在は1種試験)に合格して国家公務員になっていたのだが、母の叔母の家庭と我が家とでは、住んでいる家は我が家の近所で、住んでいる家の大きさも同じくらいかと思えたし、叔母のダンナの職業はというと小学校の先生だったから悪くはないとしても特別無茶苦茶年収が多いというわけでもない職業かと思われたのだが、国家公務員になっていたのだが、そういうのはどうかというと、「国家公務員は転勤が多いからなってはいけません」とうちの父親は言うのだった。「あんたには、わしの老後のめんどうを見てもらわんといかんのやから、国家公務員のような転勤が多い仕事はいけません」と言うのだ。なんだか、おっさんの為に生きているみたいだなあ・・と思うと、おっさんは言うのだった。「すべてをすべてをわしの為に。すべてをすべてをすべてをすべてを、わしの為にささげ尽くす、ささげ尽くす。とおってちってったあ~あ♪」と。
  北野高校を卒業して「旧帝大系国立大学もしくは早慶」くらいを卒業した人の仕事で、転勤はあんまりない仕事というと、高校教諭・中学校教諭、地方公務員、弁護士といったものが考えられる。司法試験に合格した場合、裁判官・検察官・弁護士のどれかになることができるが、「裁判官は転勤があるから、なってはいけません」とうちの父親は言うのだ。
  さらに「司法試験なんて、40過ぎても通らないでいるという試験でしょうが。そんなもの、受けてはいかんでしょうが」と、うちの母親は言うのだった。それならば、司法試験よりも、もう少し易しい試験というものもあるはずだ。司法試験現役合格をめざして、同時に比較的試験科目が似ている国家公務員1種試験も受けて、司法試験は大学在学中に合格できなかったが国家公務員試験1種は通って国家公務員になったという人もいたが、「国家公務員は転勤が多いからなってはいけません」と言うのだった。
  それなら・・・、労働基準監督官というのはどうか・・と考えたことがある。具体的に受けていないので試験の内容はそれほど詳しくは知らないのだが、司法試験よりは易しいのではないかと思うのだ・・・が、「そんなもん、ならんでもええとわしが言うてますねんで」と、うちの父親は言うのだった。
  ・・結局、いいものは何もないのだ。
  残るのは、「会社のために、会社のために。滅私奉公。撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ~あ」という仕事しか、私がついていい仕事というのは残らないのだった。それならば、何も、あそこまで、小学校1年から同級生が遊んでいる時も勉強する必要だった。騙された。
  「商社は海外勤務があるようやから、ようない」とも、おっさんは言いよったと思うのだが、そこまで「親の為」にばかり人生を生きないといけないものか・・・と思ったのだが、「すべてをすべてをわしの為に。産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたという罪をつぐなうために、すべてをすべてをすべてをすべてをわしのために、わしの為に、わしの為に、ささげ尽く~す。とってちってたあ~あ!」と言うのだった。「『産まれてこなかったら良かった』者なら産まなかったら良かったのと違うのですか」と言ったのだが、「何を勝手なこと言うとるんじゃ、このチャンコロは!」と言うのだった。「おまえが産まれたんじゃろうが。ひとのせいにすんな。おまえが産まれたおかげでわしは迷惑なんじゃ、わしは。産まれなかったら良かったのに産まれてきたのはおまえじゃろうが。産んだもんは悪いことないねんぞ、産まれなかったら良かったのに産まれたおまえがすべて悪いねんぞ。産まれてきたということを心の底から反省しろ、チャンコロっ!」と言うのだった。
「よくも、産まれやがってからに。よくも、産まれやがってからに。よくもよくも、産まれなかったら良かったのに産まれおってからに、このチャンコロ浪商めが、この浪商チャンコロ!」と言うのだった。
  民間企業で比較的転勤がない仕事というと、電力会社・ガス会社・電鉄会社などの公共事業は地元勤務が比較的多いのではないか・・と思うが、それで、うちの父親は「あんた、阪急電鉄に勤めなさい」と言うので、阪急電鉄だけは勤めてなるものかと思った。いくらなんでも、そこまで親に決める権利があるというのはおかしいと思うのだ。
  さらに、「あんた、箕面市役所に勤めなさい」とうちの父親は言うのだが、箕面市役所みたいなもんに勤めるのなら、何も、あそこまで勉強しなくてもいいじゃないか。よくも、そういう口がきけるもんだ・・と思うのだが、そうすると「大学を上か下かという見方をしてはいかん。箕面市役所ええでえ~え。すべてをすべてをわしの為に。すべてをすべてをわしの為に。産まれてこなかったら良かった人間を産んでもらってあげていただいてくださってもらってやってやってもらってやってもらった大恩あるこのわしに恩返しをするために。すべてをすべてをわしの為に」と言うのだった。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言って、なんだか、両親が離婚していない人間というのは、よっぽど甘ったれた、よっぽどけしからん人間みたいに思っているようで、特に私は「お父さんがいるんだから」とよっぽど得しているみたいに言いまくるのだったが、あの父親がいなかったなら、自分自身で自分が行きたいと思う大学学部に行ってやりたい勉強をしてつきたい仕事につくということができたはずだったが、あのおっさんがいたおかげで、
1.文学部・理学部・工学部・医学部はいかん。
2.大学院はいかん。大学の教員はいかん。
3.高校・中学校の先生はいかん。
特に、数学・英語以外の科目は絶対にいかん。
4.国家公務員はいかん。
5.司法試験はいかん。特に裁判官はいかん。
6.商社は海外出張があるからいかん。
7.マスコミは産経新聞かNHKでなかったら勤めたらいかん。⇒マスコミはいかん。
・・・・ということで、結局、いいものなんて、ほとんど残ってないということだ。
「親に感謝、親に感謝、親に感謝、感謝、感謝。わしに感謝、わしに感謝、わしにわしに感謝せえよお。産まれてこなかったら良かったのに、それを育ててやってやってやってもらった恩を決して決してゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ」と言うのだったが、そして、その上で「わし、これまであんたに『わしに感謝せえ』なんてことは、ただの一言として口にしたことはないはずや。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と言うのだった・・・が、
あんた、今、言うたばっかりやろうが。あんた、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けてきたやろうが・・と思ったのだが、それでも、「親に感謝、親に感謝、親に感謝、感謝、感謝。わしに感謝、わしに感謝、わしにわしに感謝せえよお。産まれてこなかったら良かったのに、それを育ててやってやってやってもらった恩を決して決してゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ」と言い、その上で「わし、これまであんたに『わしに感謝せえ』なんてことは、ただの一言として口にしたことはないはずや。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と言うのだった。
  「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わ~しに孝に、わ~しに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃ、わしにじゃ、わしになんじゃ、イライラぁ~あ。すべてをすべてをわしの為に。すべてをすべてをわしの為にささげ尽く~す。とおってちってたあ~あじゃあ~あ。あ~あ、いっらいっらしてきた。すべてをすべてをわしの為に、為に、為に。わしの為にささげ尽く~す。いっらいっらしてきたあ~あ。
ど~んが~んどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃああ~あん♪ 〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》 https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕」
と毎日毎日朝から晩まで叫びまくってきあのおっさんがいなかったら、何なりと自分が付こうと思う仕事につけるようにできたはずで、常に、この仕事につきたいと思ったらその仕事につけると決まっているわけではなく、採用してもらえない場合もあるだろうけれども、それでも、自分自身で努力してこの仕事につきたいと思うものを目指して進むことができたはずだが、あのおっさんがいたおかげで、ほとんど、つける仕事がなくなってしまった。
「惜しみなく親は奪う」て感じだった。
惜しみなく愛は奪う (角川文庫) - 有島武郎
惜しみなく愛は奪う (角川文庫) - 有島武郎
  そして、うちの父親は言うのだった。「わし、今まであんたに、こういう学部に行かんといかんとかこういう所には行ってはいかんとか、こういう大学には行ってはいかんなんて一言でも言うたことはないやろ。こういう会社に勤めなさいとか、こういう会社には勤めてはいかんとか、そういうことは今までたったの一言でも言うたことないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と。
  はあ? はあ~あ? はああ~あ?
  あんた、言いまくってきたやないか。 ↑ ↑ ↑ のように毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言いまくってきたやろうが。「京大はアカやから行ってはいか~ん」言うてきたやろうが。「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います」と言うてきたやろうが。「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います」とか言うてきたやろうが。「朝日はアカやから勤めてはいか~ん、毎日もアカやから勤めてはいか~ん。マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい」と言いまくってきたやろうが。私が「産経はアホやからいか~ん、マスコミに勤めるなら朝日がええ」と言ったら、「ええかげんにせんか、このチャンコロ。このエッライえっらいエッライえっらい、謙虚な謙虚なケンキョ、ケンキョ、ケンキョ、ケンキョのこのわしが朝日はアカじゃ、毎日もアカじゃ。産経がええ~えと言うてやってやってやってやたっとんのんじゃ。わからんのか、このチャンコロめが、このチャンコロろすけイタコ浪商!」と毎日毎日、朝から晩まで言いまくってきたやろうが。

  そういえば、1992年頃だったか、阪神タイガースの岡田彰布(あきのぶ)が選手としての晩年にさしかかった頃、中村勝広監督からスタメンをはずされ、かわりに亀山・新庄が出てきた頃、「阪神ファンの漫画家」岩見せいじ が4コマ漫画で描いていたものだが、
監督の中村が岡田に「わし、これまで、おまえに何かひとつでも嫌がらせしたようなことがあるか!」と言い、岡田が「開幕からずうう~っと嫌がらせされまくって、ずうう~っとベンチにおりまんがな」と言うという話があった・・がそんな感じ?
「わしは、これまで、あんたにわしに感謝せえなんてこと、一言として言うたことないはずや」て、
毎日毎日、朝から晩まで言いまくってきたがな。
「わしは、これまで、あんたにわしに親孝行せせえなんてこと、一言として言うたことはないはずや」て、
毎日毎日、朝から晩まで言いまくってきたがな。
「わしは、これまで、あんたにあんたを育てるのにカネかかったなんてこと、一言として言うたことないはずや」て、
毎日毎日、朝から晩まで言いまくってきたがな。
「よく言うわ♪」・・・

  「すべてをすべてを、わしの為に。親こっこっこ、親こっこっこ、親こっこっこ、コッコ、こっこ、国庫、こっこ、国庫、コッコ、こっこっこっこ。クォ~ッ、クォ~ッ、クォ~ッ、クォ~ッ! わし、今まで、あんたに、わしに親孝行せえなんてことは、これまで一言として言うたことないやろ」
と、おっさんは言うのだった。
はあ?  はあ~あ? ・・・
あんた、今、言うたやろうが。あんた、まさに今、言うたばっかりやろうが。あんた、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言いまくってきたやろうが。
・・そう思ったのだが、ところが、「あんた、わしは、これまで、あんたに『わしに親孝行せえ』なんてことは、たとえ、一言でも口にしたことはないはずや。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん。そのくらいのことはわかるわなあ」と言うのだったが・・、どうも、ようわからんのだ。どう考えても、あんた、今まさに言うたばっかりやろうが。
それで、「あんた、今まさに言うたばっかりでっしゃろうが」と言うと怒りよるので、それで「さあ~あ・・・」と言うと、
「はあん。こいつ、おまえ、わしは今まであんたに『わしに親孝行せえ』なんてことは、たったの一言とすら口にしたことがない聖人やのにからに。おまえは、そんなことすらもわからんカスクズ人間なんかあ! おまえはその程度のことすらもわからんカスのカスのカスなんかあ!」
と言うのだった。・・そんなこと言われても、あんた、まさに今、言いまくっておったやろうが。
「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしにじゃ、わしにわしに、わ・し・にい~い! すべてをすべてをわしの為にじゃ。戸締り用心火の用心、マッチ一本、火事の元~お。とってちってたあ~あ!
世界は一家、人類は皆兄弟。とってちってたあ~あ♪
こっこっこっこ。コッコ、こっこ、国庫、コッコ」と言うておったやろうが。
「わしに親孝行せえよお、わしの親孝行せえよお。わしにじゃ、わしにじゃ、わしにじゃ、わしにい。すべてをすべてを親コッコッコのために。すべてをすべてをわしの為に。わしにささげ尽くすんやぞ、わしに。わしの為にすべてをすべてを犠牲にして、わしにささげ尽くすんやぞ、わしに。すべてを犠牲にしてわしの為に。わしに親孝行せんと、バチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞお~お! ま~んまんまんまんまん、ま~んまんまんまんまん、ま~んまんまんまんまん。チーン♪ あーめん」
と、毎日毎日、言うておったやろうが、あんた。いくらなんでも、そこまでやるか・・てくらいに呪文を唱えまくてきたやろうが。 
「わし、これまで、あんたに『わしに親孝行せえ』なんて、絶対に一言として言うたことはないはずや」て・・・、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ ⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g
  聞いているのは私だけではないのだ。うちの下の姉が「あの人(うちの父親)、自分の親が生きている時には『親コッコッコ』なんて一言として口にしないで、自分の親は両方とも死んでいなくなった。息子はいるとなると、突然、『親コッコッコ』『親コッコッコ』と言いまくるて、あれ、ずるいのと違う~う?」と言っていたのだが、私もそう思う。
どう考えても、絶対にズルイ!!!

  うちの父親は「わし、これまで、あんたに、これだけカネかかったなんてことは、一言として口にしたことないやろ。いくらなんでも、このくらいのことはわかってもらわんといかん」と言うのだったが、はあ~あ?
あんた、これまで、言いまくってきたやろうが。
「あ~めん、そ~めん、ほっかいどお~お♪
あ~めん、そ~めん、ほっかいどお~お♪
あれだけ、出すのにどれだけきついか、きついか、きついかあ~あ♪
あ~めん、そ~めん、ほっかいっどお~お♪」
と、毎日毎日、朝から晩まで言いまくってきたやろうが。
⇒《YouTube-February 24, 2019》https://www.youtube.com/watch?v=f4Y45J4-gKY
  「わしは、キリストで釈迦で孔子で孟子で聖徳太子のお父さんであってやなあ、わしは今まで、あんたに、あんたを育てるのにどんだけかかったとか、そういうことは一切口にしたことはないはずやのにからに、おまえは、そんなことすらもわからんカスのカスのカスなんかあ」と言うのだった・・・が、そんなこと言われても、あんた、言いまくってきたやろうが。まさに今、言うたやろうが。「あーめん、そーらん、ほっかいどお~お」とか言うておったやろうが。
「ためになったっしょ」

  それで・・だ。 上記のように、我が家は私が小学生・中学生の頃はうちの母親は「親というものは、息子が大学に行く時には行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って、やりたい勉強をやって、つきたい仕事につけるようにと思って、それで無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っておいて、大学に行く時になると、逆の態度を取り続けたのだが、いくらなんでも、そこまで親の言いなりにならなければならないものなのか・・・と思って、上記 ↑ の「なってはいかん」とか「勤めてはいかん」という所に勤めたとしたならば、これは、憲法に規定されている「労働の義務」に反しているということになるのだろうか?

  「朝日ジャーナル」には、御茶ノ水界隈では駿台予備校の生徒の方が明治大学の生徒よりもえらそうにしているという話が載っていたのだが、そうだろうなあと思ったのだが、ところが、私が高校を卒業する年、東大を落ちて浪人したところ、同じ中学校の同学年だった男で、我が家より少しだけ駅と逆側に住んでいた男がいて、そいつが駅のあたりに行く場合、たいてい我が家の前を通るのだが(どうしても通りたくなければ別の道を通るルートもあったが、我が家の前を通ることが多かった)、1浪中の私の母親に、我が家の前で立ちどまって、いつも話し込んでいくのだった。なんで、あいつ、いつも、うちの前で止まって話しこんでいくんだ・・と思ったが、うちの家の前の道は公道であり、公道上で立ちどまろうが自由であろうし、それは別に何か犯罪を犯しているわけでもないが、なんで、あいつ、毎回、うちの家の前で立ちどまってうちの母親と話し込んでいくんだろうなあ、さっさと行けよお・・と思ったものだ。うちの家に前で立ちどまって悪いということはないし、うちの母親と話して悪いということもないのだが、窓から見ていると、な~んか長いこと話し込んでいくのだが、なんで、あいつ、うちの母親と話し込んでいくのかと思ったものだった。
  そいつが来ると、うちの母親は必ず私に言うのだった。「Rくんは現役で大学に行ったのに、おまえはなんで浪人しているんや」と。
  はあ~あ?  「現役で大学に行った」と言っても、Rが行った大学て、中京大学やろうが、中京大学!・・まあ、別に中京大学でも本人がいいと思って行くのなら俺は別にいいけどさ・・・。
俺、何も中京大学に行くために浪人したんじゃないんだけどなあ・・・・。 中央大学なんて行きたいと思ったことは一度もないが、もしも受けたならば・・東大・京大あたりに行きたいと思っている受験生には「早稲田みたいなも~ん」とか「慶應みたいなも~ん」とか言う人がおり、「関関同立なんて落ちたら眼かんで死なんといかん」とか言うやつもいるのだが、そういうことを言っていると、その「みたいなも~ん」を落ちてみたり、さらには「眼かんで死なんといかん」所を落ちてみたりするということが「あること」であり、だから、あんまり、「・・みたいなも~ん」とか「眼かんで死なんといかん」とかそういうことは口にしない方がいいと思うし、口にしないだけでなく、そういったことを思わない方がいい、ともかく、ある程度以上の所を受けるからには「絶対に通る」などということはないと認識するべきであり、「みたいなも~ん」だの「眼かんで死なんといかん」だのといった文句は口に出すべきではないのみでなく、そんなことは思わない方がいい・・・と思うけれども、それにしたって中京大「みたいなもん」、もしも受けたら落ちるわけないわ・・・と思ったのだが、ところが、うちの母親はRがうちの前で立ちどまってうちの母親と話し込んでいくたびに、「Rは現役で大学に行ったのに、なんで、おまえは浪人してますのん」と、私が高校3年の時には「こいつ、現役で大学に行ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、な~にがなんでも落してやらんといかん」と言って、ホウキでボコボコ殴りつけたり、椅子に座っている状態から背後にひっくりかえしたり、私が使用していた部屋の照明を洗面所のブレーカーを落として消して学習できないようにしたり、高校から帰宅するとインタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして、雨戸などすべて戸を閉めて入れないようにした上で高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん」と叫んだりといったことを繰り返した・・なんてことをして大学受験を必死で妨害したなんてことはどこかにやってしまって言いまくるのだった。
  それにしても、Rはうるさいやつやった。なんで、あいつ、いちいち、毎度毎度、うちの家の前で立ちどまって、うちの母親と話し込んでいくんだ、あの野郎は!・・・さっさと行けよお!・・・と思ったのだが、但し、Rからすると、別に「俺は現役で通ったのに、お宅の息子はなんで浪人してまんねん」と言うために立ちどまって話し込んでいったわけでもないとは思うし、別にRは「俺は現役で通ったのに、お宅の息子はなんで浪人してまんねん」なんてことはRは言わなかったと思うのだ。 Rだって、「現役で大学に行った」と言ったって、行ったのは中京大学やあ・・・て本人だってわかってるわけで、Rは別に「俺は現役で通ったのに、お宅の息子はなんで浪人してまんねん」と言うためにそういうつもりでいたわけではないと思う・・・のだが、うちの母親は、Rが来るたびに「Rくんは現役で大学に通ったのに、なんで、おまえは浪人してるんや」と毎度毎度、言うのだった。それも、私が高校3年の時には、「こいつ、現役で大学に行ったら、思いあがってのぼせ上った人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落したんねん。こいつ、絶対に落して浪人させたんねん」と言って、私が、夜、自宅で学習していると、背後からホウキでボコボコ殴りつけたり、椅子に座っていると背中の服をつかんで背後にひっくり返したり、私が学習している部屋の電気のブレーカーを分電盤で落として照明がつかないようにして学習できなくしたり、あるいは高校から家に帰ると、すべての雨戸をしめて、照明を消して、インタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして、家に入れないようにした上で高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん」と言うとか、クラス名簿で上から順番に電話して言うとか、そういったことをして妨害して現役で大学に合格できないようにできないようにと必死で尽力した母親が、いったん浪人したとなると、「Rくんは現役で大学に行ってるのに、なんで、おまえは浪人してるんや」と、中京大学みたいなもんに行ったやつのことを「現役で大学に行った」などと言って、そういうことを言うのだった。

   うちの父親の親友で医者屋のM川という男〔 1980年前後頃当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際は、ドバカ息子を私立金権関西医大に「患者」を薬漬けにして貯め込んだカネで裏口入学させたというのをM川は自慢していたが、M川自身も私立金権関西医大卒か、そうでなくても「かわいいキンタマ」(川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大=かわいいキンタマ)くらい卒ではないか。又、「陸士(陸軍士官学校)と海兵(海軍兵学校)の両方通った」とも言っていたようだが、M川はうちの父親よりも5歳程度年下で、1945年の「敗戦」だか「終戦」だかの時、学徒動員で明石の高射砲隊だかにいたらしいうちの父親が大学生だったわけだから、M川が大学に進学する時点では陸軍士官学校・海軍兵学校はもう募集していなかったはずであり、募集していないものに合格することは不可能のはずで、詐称と思われる。又、「柔道三段・剣道三段」とも言っていたが、それも嘘だろう。剣道やっていた人に聞いた話では、剣道は初段までは比較的簡単に取れるが二段から上は難しいそうで、又、小堀住研(株)に勤めていた時に警察官の人に契約してもらったことがあり、その時に「警察官の人って、剣道とか柔道とか強いのでしょ」と私が言うと、その人は「強くないです」と言われ、「一応、剣道初段・柔道初段もってますけれども、仕事がけっこう忙しくて剣道や柔道の練習している時間がなかなか取れないんですよ。だから、警察でも国体とかに出るような人は強いですけれども私なんかは強くないです」と言われたのだが、いったん、就職すると、その仕事に関係ある資格の勉強・練習は比較的やりやすいが、その仕事に関係のない資格の学習・練習はなかなかできないことが多い。警察官なら柔道・剣道は関係ありそうだが、それでも、なかなか練習する時間が取れないそうだ。それから考えると、医者屋という剣道や柔道と関係のない職業についた男が「剣道三段・柔道三段」というのはいかにも嘘くさい。それ以上に、もしも、本当に剣道三段・柔道三段を取得していたのならば、それはエライのではなく、どれだけ仕事が楽だったか、どれだけ仕事をさぼっていたかということになるだけだ・・・が、そんなものが自慢になると思っていた男だった。〕が、「患者」を薬漬けにして稼いだカネでドバカ息子を私立金権関西医大 に裏口入学させたというのを自慢していたのを聞くと、うちの父親は私にこう言ったのだ。
「裏口入学なさったお方の爪の垢を飲みなさい」と。
はあ?  はあ~あ?
裏口入学した人というのは何かエライのですか? なんで、裏口入学した人の爪の垢みたいなもん、飲まなきゃならんのですか?」
と、私は言ったのだ。すると、うちの父親は、
「わからんのか。おまえは、そんなことすらもわからんのんか。おまえは、その程度のことすらもわからんクズなんか」
と言うのだった。
「はあ、ぼく、頭わるいのんか、どうも、ようわかりませんねえ」
と言うと、うちの父親は、
「裏口入学なさったということは、思考が柔軟やちゅうことなんじゃ。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。M川先生の息子さんは、おまえとは違って裏口入学やねんぞ、裏口入学。思考が柔軟やから関西医大裏口入学やねんぞ。どうじゃ、わかったかあ! 『わかりました』と言いなさい」
と言うのだった・・・・が、どうも、ようわからん。
「思考が柔軟やったのならば、その柔軟な思考力を活かして、狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でも、実力で現役でさっさと通って行かれたらよろしいのと違うんですか? なんで、その柔軟な思考力があるお方が、私立金権関西大やなんてどこの馬の骨かわからんような所に、裏口入学やなんて汚らわしいことやって行かんとあきませんのん?」
とそう言ったのだ・・が、
「何を言うとんのじゃ、おまえはあ。M川先生の息子さんは、おまえとは違って思考が柔軟なもんやから裏口入学なんじゃ。裏口入学なさったお方の爪の垢を飲みなさい」
と言ってきかないのだった。
  さらには、うちの父親の親友のM川の同僚でK田という女(1980年前後頃、40代くらい? )はバカ息子をアホ大学2つも行かせたそうだったが、それもまた、「K田先生の息子さんは大学を2つも行っておられるんやぞ。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。わかっとんのか、チャンコロ」と言うのだった。
  大学を2つ行く人というのはある。北野高校の「倫理社会」のA先生は大阪大学の法学部を卒業した後、大阪大学の文学部哲学科に行き直して卒業して、そして高校の「倫理社会」の先生になったそうだ。朝日新聞編集委員だった本多勝一は、伊那地方の出身でお父さんが自宅で薬屋をやるといいと思っていて、それで薬学部に行かせたかったらしいが、本人は薬学部は気が進まず、いったん、薬学部を卒業したなら行きたい所に行っていいということで親子間の妥協ができて、それで千葉大薬学部を卒業した後に京都大農学部に行ったらしい。そういう人はいる。大学をまるまる2つ行くのではなく、学士入学とか2年次編入とかで同じ大学だが学部を2つ行く人というのもいる。 しかし、そういう人というのは、多くが「国立大学もしくは早慶」くらいの大学の人だが、K田の息子はそうではないようなのだ。
  ところが、K田は私にこう言ったのだ。「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないんだから、あんたなんか、高校には行ってはいけないはずやのにからに、あんたが北野高校に行ったというのは、それは甘ったれてるから余計なものを行ったんや」と。なんで、このおばはんにそんなこと言われなければならないんだ?  小学校:公立、中学校:公立で、高校も公立でその学区で一番の高校に行ったのに、なんで、私立のアホ大学2つも息子に行かせたようなおばはんにそんなこと言われなければならないんだ?
  それで、おばはんの息子はいいのか? おばはんの息子は義務教育でもないのに高校に行っていいのか? 義務教育でもないのにアホ大学を2つも行っていいのか?・・・というと、いいらしいのだ。なぜ、いいかというと、医者だからだそうだ。
うちの父親は言うのだ。「医者というのはなあ、普通の人間とは違って、特別にえらい階級やねんぞ。M川先生とかK田先生とかは医者やねんぞ。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違って医者やねんぞ。特別にえらいねんぞ、特別に。普通の人間とは違うねんぞ、普通の人間とは」と。 だから、医者屋の息子というのはアホ大学を2つ行く権利と義務があるらしいのだ。それに対して私はどうかというと、うちの父親はこう言うのだった。
「おまえはなあ、おまえは産まれる時点で天の神さまというお方が『この人間は浪商』『この人間はチャンコロ』とお決めになって、それで産まれてきた人間やねんぞ、おまえは。おまえは産まれなかったら良かったのに産まれてきやがった人間やねんぞ。反省しろよ、産まれてきたことを。心の底から、産まれてきたことを反省しろよ、この浪商でチャンコロ。おまえは浪商やねんぞ、浪商。おまえはなあ、おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商やねんぞ、浪商。『自分は浪商であ~る』と心の底から思え、浪商!」
と言うのだった。
「小学校と中学校は義務教育やから浪商でも小学校と中学校は行かせてやらんといかんけれども、高校は義務教育とは違うんやから、浪商は高校には行ってはいかんねんぞ。それをおまえは浪商の分際で北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれておるからであって、のぼせあがっておるからであって、つけあがっておるからであって、根性腐っておるからであって、根性ひんまがっておるからやねんぞ。わかっとんのか、浪商。高校行くな、浪商! 浪商のくせして北野高校に行くな、浪商!」
と言うのだった。そして、「K田先生の息子さんの爪の垢を飲みなさい」と言うのだった。
なんで、そんなやつの爪の垢を飲まされなきゃならんのかと思ったが、どうも、私は世界中の人間の爪の垢を飲まなければならないという運命に産まれてきたらしい。「天の神さま」というやつがそういうように決めたらしいのだ。

  それで、日本国憲法第27条第1項だが、「労働の権利と義務」のその「義務」の方だが、医者屋の民族の息子に産まれたことから、アホ大学を2つも行ってるやつというのは、それは「労働の義務」を果たしていないから、だから、そいつは「カウンセラー」が言うように「収容所に入れて強制労働につかせるか、死刑にする必要がある」と考えるべきだろうか。
  それとも、医者屋の民族という特権階級の息子は、「患者」を薬漬けにしたカネで私立金権関西医大とか裏口入学で行かせてもらう当然の権利というものが、医者屋の息子という「特別にエライ階級」であることから「天の神さま」という御方から認定されており、逆に私の場合は「チャンコロの民族で浪商の階級」と産まれてきた時点で「天の神さま」という御方から決められて産まれてきた人間であるのだから、だから、学校はK田が言ったように小学校と中学校以外は行ってはいけない人間であり、北野高校に進学したというのは、それは、うちの父親が言うように「それは決して許されないこと」であって、日本国憲法第27条1項の「労働の義務」の規定に反することであるから、だから、私が北野高校に行ったというのは、それは、うちの父親が言うように「決して許されない罪」であり、日本国憲法第27条第1項の規定により「収容所に入れて作業療法(強制労働)させるか、もしくは死刑にする必要がある」ということになるということか?

  医者屋の息子というのは、なんで、裏口入学しないと大学にいけないような人間が大学に行くのだろうか。なぜ、彼らはそれを認められるのだろうか。 なぜ、そういう裏口八百長族の「爪の垢を飲みなさい」とガチンコ族は言われなければならないのだろうか。

  日吉台学生ハイツの「カウンセラー」のヨッパラー新倉が言う「働かざる者、食うべからずだ。日本という国はねえ、国土が狭い国に人間がひしめき合ってくらしている国でねえ、働かない人間を生かしておいてやる余裕はないんだよ。だから、共産党の人間とか社会党の人間とか日教組とか労働組合の人間というのは死刑にする必要があるんだよ。病気だとか言って働かないような人間は収容所に入れて強制労働につかせるか、そうでなかったら死刑にしないといけないんだよ」という発言と似たことを言っていたのが、それが慶應大学医学部助教授で慶應内部進学、「揺り籠から墓場まで慶應」(=from cradle to tomb )〔小学校:慶應、中学校:慶應、高校:慶應、大学:慶應、勤務先:慶應〕という「筋金入りの慶應」「サラブレッド的慶應」・・というのか「ほとんどビョーキ」というのかの小此木啓吾の「モラトリアム人間」論だ。
  私はうちの父親から耳鳴りがするくらいに言われ続けた。「アルバイトするのを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる」と言うのだった。そうして、私はうちの父親から無理矢理、父親の勤め先にアルバイトに行くことに決められてきた。北野高校の同じ学年やひとつ上・ひとつ下あたりの人間で私みたいにアルバイト漬けの生活をしている人間なんて私以外に誰もなかったし、慶應大学の学生でもなかった。夏休み前、「夏休みは2か月もあるんだから、このくらいの課題はできるでしょ」と言って教授が課題を出されることがあったが、私には2か月の夏休みなんてなかった。ほとんど、休みなんてなかったのだ。だから、夏休みの課題なんてできなかった。夏休みの2か月間、7月後半から8月いっぱいと9月の頭まで、保養所の「雑務」、要するに下男を泊りがけでアルバイトをしたところ、後期の初め、少人数の授業の時に、助教授が夏休みはどうしていたかときかれて、「保養所の雑務のアルバイトを泊りがけでやっていました」と正直に答えたところ、「きみ、そんなもの、やってたら勉強できんだろう」と言われたのだが、我が家はそうしないと「モラトリアム人間病にかかっているからアルバイトをするのを嫌がるのだ」と「診断」される家庭だったのだ。小此木啓吾が慶應大学医学部の学生だった時に私みたいにアルバイト漬けの生活をしていたかというと・・・⇒アホか、慶應内部進学がそんなもの、やるわけないだろうが!!! 「幼稚舎から慶應」がそんなもの、やるわけないだろうが!!! 小此木啓吾という男は、自分はアルバイト漬けの生活なんてしてきていないくせしやがってからに、ひとに「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気にかかっている人間です」とかそういう勝手なことを言う人間なのだ。いかにも内部進学て感じがする。
  もともと、慶應の内部進学の人間というのは、公立高校出身者というのは””ドジン””だと思っている人間であり、公立高校出身者というのは””ドジン””だと教育されてきた連中であり、””ドジン””の女は強姦していいと慶應義塾高校では教育しているので、だから、慶應義塾高校出身者で性犯罪を犯す人間が多いのである。小此木啓吾という男はその類の人間であり、その類の人間の中でも典型的な人間である。いわば、””内部進学揺り籠から墓場まで症候群”” の典型的な人間が小此木啓吾である。
  「作家で精神科医」の なだ いなだ が『パパのおくりもの』(文春文庫)で、「精神分析教の信者はあまり身勝手な解釈はやめた方がいいと思う」と書いていたが、私もそう思う。
「小此木啓吾は、あまり身勝手な解釈はやめた方がいいと思う。」

パパのおくりもの (文春文庫 113-1) - なだ いなだ
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おっちょこちょ医 (集英社文庫) - なだ いなだ
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  慶應大学の教授でも、すべての人が翼賛系ということでもなく、リベラルな人も中にはおられるようで、「労働法」の講義を担当された阿久沢亀夫教授も「労働法」の講義において、日本国憲法第27条1項の《 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 》は、「この『労働権と労働義務』については、あまり義務的に考えてはならないというのが通説です。」と話され、そして、「労働義務の方は、産業報国隊から来た発想です」という説明もされたのだ。
  戦中の産業報国隊の思想の影響を受けているのが、それが、この日本国憲法第27条第1項を義務的に解釈したがる人であり、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」のヨッパラー新倉であり、慶應大学医学部助教授の小此木啓吾の「モラトリアム人間」論である。
  「小此木(おこのぎ)」という苗字はそんなに多い方の苗字ではないはずだが、神奈川県の自民党の国会議員に小此木なんとかさんという人がいたと思うのだが、小此木啓吾もその系列の人間なのか? ・・・という感じがするが、そうであるのかないのかはわからない・・・が、小此木啓吾の「モラトリアム人間」論というものが、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」で元自衛隊のヨッパラー新倉の説と共通するものがあるのは間違いないことである。

   元自衛隊の日吉台学生ハイツのヨッパラーや小此木啓吾といった反動勢力が力を持って、ファッショ的に国民を強制労働(作業療法)させる社会にならないよう祈りたい。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
  準戦時体制の長期化にともなって、政治勢力の一元化・強力化の主張が高まり、一国一党的政党と広範な国民組織の結成が考えられた。1937年(昭和12年)の国民精神総動員運動をはじめとして近衛を党首とした新党結成計画や、産業報国会への労働組合の改組、産業組合の拡大などによる農民の再組織などは、そのあらわれであった。 1940年(昭和15年) 近衛文麿が、枢密院議長の職を辞して新体制運動の先頭にたつことを声明すると、政党はいっせいに解党してこれに参加し、また各団体も合流の姿勢を示した。こうして7月に成立した第二次近衛内閣のもとで、10月に大政翼賛会(総裁は総理大臣)が成立したが、当初目ざした政治組織とはならず、官製の上意下達機関となってしまった。 のちには産業報国会・大日本婦人会などをふくむあらゆる団体をその傘下におさめ、太平洋戦争下においては、戦争遂行に国民を動員するのに大きな役割を果たした。・・・・

 産業報国会・・・1938年(昭和13年)、協調会が中心となって資本家団体や労働組合幹部をあつめて産業報国連盟を結成し、各職場に産業報国会を結成した。1940年(昭和15年)、大日本産業報国会に改組したころは、単位会数7万、組織人員418万人であった。
( 井上光貞・笠原一男・児玉幸多『詳説 日本史 新版』1977.3.5.山川出版社)
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  「慶應タイプ」が喜ぶ小此木啓吾の「モラトリアム人間」論というのは、憲法第27条1項を義務的に解釈して、国民を国のために・会社のためにせっせと働け、働かない者は「モラトリアム人間」病という病気であり医学的に「治療」するべきだという主張であり、ナチスなどと共通する思考であり、気持ち悪い。
  世の中には、誰もが否定できない一般的な意味合いの言葉の中に自分勝手な特殊な意味合いを紛れ込ませて発言する人というのがいる。慶應関係者で「慶大生らしい協調性」といったことを言う人があり、協調性が悪いということではないが、どうも、本来の「協調性」という言葉とは異なり、翼賛的態度・権力迎合の態度のことを「協調性」と言う人がいるように思え、違和感を覚えていたのだが、この《 1938年(昭和13年)、協調会が中心となって資本家団体や労働組合幹部をあつめて産業報国連盟を結成し、各職場に産業報国会を結成した。》とあるように、産業報国会・大日本産業報国会のもとになった団体のひとつとして「協調会」というものがあったというのを見ると、なるほど、「協調性」という言葉をそういう意味合いで使う人がいたのか・・とわかる。

  (2022.1.17.)


☆「勤労の権利および義務」憲法27条1項をどう考えるか
1.滅私奉公・夜討ち朝駆けを繰り返してきた安月給の者と従業員を安月給で使って一族だけ高い収入を得ている一族経営者はどっちが「働いている」のか「働いてない」のか。薬漬けで高収入を得ている医者屋というのは「働いている」のか「働いてない」のか。野球やって高給とってる人間というのは「働いてる」のか「働いてない」のか。「職業としての宗教」やってる者は「働いてる」のか「働いてない」のか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202201/article_3.html
2.本来は「勤労の権利」実現の為の職安は目的から逸脱している。茨城大卒の男が人事部長なんかなるな。「勤労の義務」は産業報国会の流れ。「病気で働かない者は収容所で強制労働につかせるか死刑にする必要がある」と主張するヨッパラーの「カウンセラー」。早期就職支援センターを叩き潰せ。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202201/article_4.html
3.国民に強制労働を強いる意味ではない・・が、そういう意味だと主張したい人が日本にはいる。小此木啓吾「モラトリアム人間」論は「労働の権利と義務」を義務的に解釈しようとする人たちの流れのもの、産業報国会の流れのもの。それに気づかない、自分は「レッテル」貼られる側にはならないと勝手に決めつけてる塾風人間。〔今回〕

☆ 「カウンセリング」「カウンセラー」の問題点については、
慎腹風呂愚
【1】「男は強姦できるから女よりえらいんだよ」と「心理学の学説」たれる「カウンセラー」、「カウンセラーはメンタルな仕事だから酒飲まずにはおれないんだよ」と勤務時間中に泥酔する「カウンセラー」、入居者にからむストーカー「カウンセラー」、若い人間に相手になってもらおうとロビーをうろつく「カウンセラー」・・・ https://shinkahousinght.at.webry.info/202112/article_10.html
【2】 《「いい子で育つ」と問題がある大人になる》という「心理学」の「学説」の間違い。《「叩きこむ」カウンセリング》と「弥陀の本願によりて」身に着く「カウンセリング」の違い。「自分をえらいと思っている人」と人を罵る自分をえらいと思っている自称「カウンセラー」 「セラピスト」の言うことを聞く前に「セラピスト」を見てください。https://shinkahousinght.at.webry.info/202112/article_11.html 

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