「津田沼ザ・タワー」に関し、弁護士法違反で告発状を提出した結果について。及び、弁護士と関わると、本当に疲れる。「弁護士は役に立たない」原因、考えられる2つの理由。自分たちの居住地域の南側に巨大な人工の岩山が造られようとしているならば、住民はみんなで対応するべきではないのか。

[第561回]
  習志野市谷津1丁目、JR「津田沼」駅のすぐ南、千葉県船橋市と習志野市の市境界が東西に走っていて、すぐ北は船橋市という習志野市に、足元の習志野市側がすぐ北側の船橋市側に何ら相談することなく・何ら意見をきくことなく、「やったもん勝ち」みたいに・「巾着切り」みたいに実力行使で建ててしまった「津田沼 ザ・タワー」と称する人工の岩山の建設において、[第468回]《「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_3.html などで述べてきたように、この巨大な人工の岩山建造の事業者は、
三菱レジデンス(株) 執行役員街開発事業部長 岡田友裕 氏・
三井不動産レジデンシャル(株)・ 執行役員千葉支店長 各務 徹 氏・
野村不動産(株) 住宅事業推進二部長 守島 洋 氏
の3者で、
設計者は、
(株)フジタ一級建築士事務所 赤木寛 氏、
施行者は、
(株)フジタ 千葉支店 支店長 高橋時男 氏、
です。
ザタワー表示9 .JPG
( ↑ クリックすると大きくなるので大きくして見てください。
又、習志野市の条例では、事業者は住民からの問い合わせには応じて説明しなければならないという文言があったはずなのですが、ところが、建築現場の「この標識は習志野市特定建築行為に係る手続き等に関する条例第8条第1項 の規定により設置するものです」ということで表示されている看板には、
「この内容についてのお問い合わせは次の連絡先にお願いします。
(事業に関する問い合わせ先)氏名 株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所 高浦
  電話番号 03ー3868ー3001 」
と書かれているのですが、この(株)オリジナルワーク一級建築士事務所 の 高浦氏はどういう人かというと、(株)オリジナルワーク一級建築士事務所 という会社の代表者・経営者で、会社としては一級建築士事務所であるが高浦氏は一級建築士ではなく、そして、何よりも弁護士ではないそうです。御本人から聞いたことですから間違いないでしょう。

( ↑ 習志野市谷津1丁目。 「津田沼 ザ・タワー」 )

  ・・要するに、これ、弁護士法違反ですよね。違いますか? 違いませんでしょ。
  日本国の弁護士法では、弁護士でない者は報酬を得て法律行為の代行をおこなってはならないことになっています。又、弁護士法どうこうとは別に、こういった巨大な人工物を建造しようという場合には、住民に対しては事業者は、当然、誠意をもって対応すべきであり、事業者とは別の者に「文句を言うものをあしらわせる」役割をさせるといった態度は良心的ではありません。習志野市建築指導課の山本氏は「もし、オリジナルワーク一級建築士事務所の方で必要だと判断すれば事業者の方に連絡するでしょう」などと発言したのですが、その文句をそのまま理解すれば、(株)オリジナルワーク一級建築士事務所が必要ないと言えば、事業者は対応しないということになります。習志野市の条例はそういう対応でいいとは規定していないはずです。

  弁護士法第72条 とは、
《 (非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
弁護士法第72条
 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。 ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りではない。

というものです。罰則規定もあります。
《 (非弁護士との提携等の罪)
第77条 次の各号のいずれかに該当する者は、2年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処する。
一 第27条(第30条の21において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
二 第28条(第30条の21において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
三 第72条の規定に違反した者
四 第73条の規定に違反した者 》
※ 法令リード 弁護士法 https://hourei.net/law/324AC1000000205

  ここで問題があるのは、第1点として、「・・・鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすること」という文言ですが、どこまでやったらそれに該当することになるのか・・という点です。
「法律事件」とは、「事件性は必要か」ということが議論されるようですが、実際問題として「法律事件」と言うからには「事件性」はあるはずなのですが、
1.不要説⇒「法律事件」とは、紛争性の有無にかかわらず全ての法律事務をいう(日本弁護士連合会の基本的立場。)
2.必要説(広義説)⇒72条に列挙された訴訟事件その他の具体的例示に準ずる程度に法律上の権利義務に関して争いや疑義を有するものであることをいう(多くの裁判例)
3.必要説(狭義説)⇒弁護士法72条にいう「法律事件」とは、訴訟などが裁判所等の公的機関に提起された場合の事件をいい、その事件に付随する法律事務も含まれる。それゆえ裁判外で法律事務を扱っても、弁護士法に違反しない。 法律事件とは裁判における事件(裁判では損害賠償請求事件、慰謝料請求事件などと事件名をつける)と同義であり、現実に裁判になっていない法律事務を弁護士でない者が行っても弁護士法に違反しない(日本司法書士連合会、日本行政書士連合会の立場)
・・・この1~3は、『日本不動産仲裁機構ADRセンター 調停人候補者研修テキスト <倫理、活動に関する研修> <法的知識に関する研修>』より引用させてもらいました。
  弁護士としては、弁護士でない者には、できるだけ弁護士がおこなうような業務に参入してもらいたくないということで、「法律事件」を広く解釈したいということで「不要説」、司法書士・行政書士は司法書士・行政書士も、少々の「法律事件」は扱えるようにしてもらいたいということで「必要説(狭義説)」ということか・・・と思われますが、不動産仲裁機構の研修では、この「2.必要説(広義説)」が今現在は有力だという話でした。
  しかし、そう言われましても、「72条に列挙された訴訟事件その他の具体的例示に準ずる程度」と言われても、「72条に列挙された訴訟事件その他の具体的例示に準ずる程度」て、どの程度なんだよお??? ・・ということにもなってきます。
  検察官が嫌がらずに起訴して、かつ、裁判官にためらわずに有罪の判決を出そうと決断してもらおうとするならば、この法律の条文の解釈が法律論としてどうかと別の問題として、その「程度」は大きめである方がいいことになります。

  問題点として、第2点は、「ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りではない。」という部分です。
「別段の定め」として例外規定があるわけです。具体的には、
(1)消費者契約法「認定を受けた消費者団体(適格消費者団体)」が「差止請求権の行使」をおこなうことが「差止請求の要否、内容を検討する部門への助言者」として弁護士が関与するという条件で認められている。
(2)ADR法「認証を受けた団体(認証紛争解決事業者)」が「民間紛争解決手続」を「手続実施にあたり、弁護士の助言が受けられるような措置」がなされているという条件で認められている。この例として、日本不動産仲裁機構ADRセンターの調停人がある。
 その他に、弁護士法第72条の例外ではなく、弁護士法第73条「何人も、他人の権利を譲り受けて、訴訟、調停、和解その他の手段によって、その権利の実行をすることを業とすることができない。」の例外として、サービサー法で「許可を受けた業者(サービサー)」が「債権の管理・回収等」を「取締役に弁護士」がいるということが条件で認められているようです・・・が、問題はこの弁護士法第72条の「この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は」に該当するものとして、この(1)消費者契約法で認められている「認定を受けた消費者団体(適格消費者団体)」と(2)ADR法で認められている「認証を受けた団体(認証紛争解決事業者)」の2つ以外にどういうものがあるのか。弁護士法第72条にはそれが明記されていない。明記された法律書も思いあたらない。インターネットで検索しても、はっきりと記載されたものが出てこない。そこで、この際、相談料「30分5000円と消費税」を払ってでも「法律相談」で弁護士に尋ねて確認しようと判断したのでした・・・が、弁護士に「法律相談」で尋ねたところ、どうなったか⇒[第546回]《法律相談で「わからないですね」で相談料を盗る東京第二弁護士会と弁護士 鎌倉一樹氏(三宅坂法律事務所)~「津田沼ザ・タワー」と非弁行為に関して》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202108/article_1.html で述べたように、東京都千代田区霞が関の弁護士会館の3階の東京弁護士会・東京第二弁護士会が実施している「法律相談」で先払いで5000円×1.1=5500円を払って「法律相談」として話したところ、三宅坂法律事務所の弁護士 鎌倉一樹くんは、こう言ったのです。「わからないですね」と( 一一)

  大部分の弁護士と関わると不快指数が上昇する。建築屋の従業員には「不動産屋とかかわると不快指数が上昇する」と言う者がいますが、不動産屋以上に弁護士とつきあうと不快指数が上昇する。
  弁護士という職業の人間と関わるのは難しくて、日常会話でもうかつに話していると「はい、30分、話したから5000円と消費税」とか請求されそうで、「おまえ、いったい何様なんだ!」て感じですし、それなら、おまえこそ、俺と会話させてもらえたということに対してカネ払えよと言ってやりたいようなところがあります。
  「法律相談」ではなく訴訟代理人を依頼した場合はもっとひどくて、ゴルゴ13にカネ払って依頼したならば、料金は高くても、いったん請けた仕事は絶対に遂行するのに対して、弁護士というのはどういうものかというと、今は昔、1980年代、「ぴあ」という雑誌があって、記事の両端に「はみだし ゆう と ぴあ」という読者投稿欄があって、そこに載っていた話ですが、「友人の◇◇ちゃんのクルマの誘導。「おーらい、オーライ、おーらい」ゴッツン!「あ、ぶつかったあ(^^♪」・・て、そんなもの。要らねえって、そんな弁護士。おまえ、それでカネとるのか? むしろ、損害賠償金払ってもらいたいくらいだ。
  時間を約束して「法律相談」やっていても、誰やらから弁護士に電話が入ると平気で電話に出る。長々と話をして、その間も「法律相談」の時間に計上されている。おまえら、詐欺師の集団と違うのか?
  弁護士というのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区〕 にいたE本と一緒で人と約束すると必ず遅刻する。自分の方から〇時△分から打ち合わせをしましょう・・と言って時間を指定しておきながら、高額の着手金を払った依頼者がそれよりも前から行って待っているのに、すでに約束の時刻を過ぎているのに隣の部屋で大声あげて笑って談笑している。何分も過ぎて入ってきて、普通なら「すいませんでした」くらい言うものだが弁護士は絶対に言わない。「どうもお」て、アホか、おまえは! 「どうもお」ならまだいい。「弁護士は忙しいですから」とか言うのだが、おまえ、隣の部屋にいただろうが。隣の部屋で誰やらと大声で笑っておっただろうが 「弁護士は忙しい」から午後2時30分からの打ち合わせは無理だというのなら、最初から午後3時からの打ち合わせにすれば良かったのだろうが。最初から「依頼者には待たせるもの」と考えておったということだ。弁護士は依頼者の時間はいくらでも無駄につぶす権利があるみたいに思っている。
  そもそも、「弁護士は忙しいですから」と言うのだが、法廷に遅刻してくる弁護士というのは、いったい何に忙しいのか?  「弁護士は夜の方が忙しいですから」とか「土日は弁護士は忙しいですから」とか言って、打ち合わせはすべて、依頼者に仕事を休ませて平日の昼間にさせるが、裁判所の法廷は夜はやっていない、すべて平日の昼におこなわれるはずで、法務局で登記簿を閲覧しようとしても法務局も平日の昼間しかやっていないはずだ。いったい、夜と土日に何が忙しいのか? そして、高額のカネを払った依頼者に仕事を休ませて平日の昼間に打合せをやるということで、依頼者が打ち合わせの時刻より少し前に言って待っていると、すでに約束の時刻をかなり過ぎているにもかかわらず、隣の部屋で大声で「はあっはっはあ」とか笑って談笑している。そもそも、深刻な問題でそこに行っている依頼者が待っている部屋の隣で大声でノー天気に笑うがいったい何が面白いのだ?
  法定の開始時刻前に裁判所で会う約束をしていると約束の時刻には必ず来ない。弁護士が約束の時刻を相当過ぎても裁判所に来ないので法律事務所に電話して、法律事務所職員に「◇◇地裁のロビーで〇時に会う約束をしているのですが、まだ来られないのですが」と言うと、普通、「そうですか。申し訳ありません」と、まず言うものだと依頼者は思うのだが、法律事務所職員はそうは考えない。「さあ。こちらには来ておられないですねえ」て、アホか、おまえは!!! 法律事務所事務職員というのはアホの集団か?
  相当深刻な問題で話をしに来ている依頼者を待たせている部屋の隣で、法律事務所職員は遊びに行く相談をして盛り上がる。「はあっはっはあ~あ♪」と大声あげて笑うが、あまりにも無神経。葬儀社の職員でも遊びに行きたい時もあれば仲間と談笑したい時もあるだろうが、葬式の最中に「わあっはっはあ~あ♪」と大声あげて笑ったりはしない。法律事務所職員でも遊びに行きたい時もあり、遊びに行く相談をしたい時もあるだろうけれども、そういう時は深刻な問題で話に来ている依頼者が待っている部屋の隣の部屋でやらずに喫茶店にでも行って談笑するとか、そのくらいのことは考えるべきだが、それを考えることができないのが法律事務所職員で、そこが葬儀社の職員と違うところだ( 一一)
  結果を法律事務所職員に裁判所まで見に行ってもらって報告してもらうと、「負けてました。ハハハハ♪」と笑う。民事であれ刑事であれ敗訴したら法律事務所職員は何か面白いのか? おまえの給料は誰が払ったカネから出てると思ってるんだ!?! おまえの給料になるカネを払ってくれている人間の裁判を敗訴させたら面白いのか? うれしいのか? 法律事務所の所長というのは自分の所の職員にそのあたりの社員教育をしないのか?
  「〇日までに着手金を〇十万円、振込んでください」と言うので、ないカネを無理して大急ぎで振り込むと・・⇒働かない。まさに、着手金泥棒! まさに、振込め詐欺!!! 弁護士こそ、振込め詐欺だ!! 大変な目にあって、へとへとの状態で依頼して、無理してないカネを払うと働かない、まさに、火事場泥棒!
  「・・について、書いて送ってください」と言うから書いて送ると読まない。読まないのなら「書いて送ってください」と言うな。そして、さらに同じものを「・・について、書いて送ってください」と言うから、すでに送ったものを、再度、書いて送ると、またもや、読まない。あげくのはてに「こんなに、いっぱい送られても読めない」などとぬかすが、いっぱいあるのは、同じものをすでに書いて送っているのに読まずに、さらに何度も何度も「書いて送ってください」と言うから、同じものが何通も届いているのであろうが! いいかげんにしろ!
  法廷の予定が入っている日に裁判所に行って待っていると、弁護士から携帯電話に電話がかかってきて「きょうの法廷は延期になりました」と・・( 一一)  はあ? はあ? はあ~あ???  「それは、今、決まったのではありませんでしょ。もう少し、前に連絡もらえないのでしょうか。もう、私は今、裁判所にいるのですけれども」と言っても、普通、そう言われたら「申し訳ありません」くらい言うものではないかと思うのだが、弁護士というのは絶対に言わない。弁護士の辞書には「すいません」という言葉はないらしい。「ああ、そうでしたか」て。おまえ、親からいったいどういう教育受けてきたんだ?!? 親の顔が見たい!・・・と言っても実物を見せられてもしかたがないが、「親の顔が見たいわ!」て感じ・・というのが弁護士! その日のために、こっちは一日、仕事を休んでるんだよお!!!
  野球にたとえれば、こちらが投手だとして、「ど真ん中のストライク」を「ボール」と判定されて、そんなおかしな話があるかあ!!・・というようなものを、「ストライクかボールかはっきりわかりません」ということでの「和解」にして、それを「勝訴的和解」とか言うが、そんなものが「勝訴的和解」なのか? 結局、弁護士というのは、こちらが投手の時に「ど真ん中のストライク」を「ストライクかボールかはっきりとわかりません」という内容の「和解」にもっていく・・という程度のことをするのが関の山の人間のようだ。その程度の能力でもあったら、弁護士としては優秀な方・・みたいだ。
  弁護士は「本人訴訟では無理です」とたいてい言うのだが、だからと言って弁護士に依頼すると・・⇒働かない。そもそも、本人訴訟よりも役に立つ弁護士なんて、百人中何人いるんだ? 百人中、どんなに多く見積もっても二桁はいないだろう!
  「この野郎! 殺してやりたいくらい」と思う相手でも、殺すわけにはいかないから、しかたなしに裁判に訴えている相手方の弁護士に、裁判所でめくばせする弁護士! なんだ、その態度は! ・・依頼者としては「殺しても殺したりない相手」と裁判やっており、相手方の弁護士というのは意図的にこちらに対して悪質極まりない誹謗中傷を裁判において繰り返している人間、これも「殺しても殺したりない相手」だが殺すわけにはいかないから我慢して殺さないでいるという相手なのだが、引き受けた弁護士としては、依頼者としては「殺しても殺したりない人間」である相手方の弁護士というのは「お友達」だったり、相手方の弁護士の方が「先輩」だったりするようで、「こんの野郎!」と思いながらも我慢してそれを口には出さずにいる相手に、裁判所でへこへこへこへこしてみたり、めくばせしてみたりする。 そういうやつって、大金払って訴訟代理人を頼む価値はないのではないか・・・と思うのだが、ところが、弁護士というのはそんなやつばっかり( 一一)
  元阪急ブレーブスの投手 山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で、山田久志は、他チームの野手と仲良くなると、対戦する時に気持ちが鈍ると思い、自チームの選手とは仲良くして、特に自チームの野手とは話をして打者の気持ちを理解するようにしたが、他チームの野手とはあまり仲良くしないようにしたと書いていたが、弁護士の場合、弁護士仲間とのつきあいにおいて、そういった配慮をしようという者は、あまりない弁護士に依頼するということは、要するに「相手方のまわしもの」を城内に引き入れるようなもの・・という性質がある。
プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
  弁護士に相手方の書面を読ませるのは危険である。弁護士に相手方の書面を読ませると、捏造だらけの相手方書面に弁護士は洗脳されてしまう。事実に反するものだらけの相手方書面を読んだ弁護士はそれに洗脳されてしまって、自分に大金払って依頼してくれた依頼者(当事者)に事実に反する話を前提に説教を始める。「それは違います」と言っても、いったん、洗脳されたやつはどうしようもない。
  大阪の陣では、真田信繁(幸村)・後藤又兵衛などが、全国的には徳川が優勢でも大阪限定では豊臣が完全に支配していた初期の状況を利用して、徳川方の関西での拠点の伏見城をまず落して、「豊臣が徳川方の城を落とした」という話を全国に広め、それにより徳川が勝つと思って豊臣に加担することをためらっている「豊臣恩顧の大名」に豊臣に加担しようという気持にならせ、徳川に加担しようとしているもともとは豊臣方でも徳川方でもない外様の大名が徳川につくのをためらわせるようにして、東方から遠路やってきて疲れている徳川軍を宇治・瀬田付近で叩くという作戦を主張したのに対して、「軍学者」小幡景憲(おばた かげのり)は、古来、宇治・瀬田での戦いに勝利はないと主張して大阪城に籠城することを主張し、秀頼は小幡景憲の主張を入れて大阪城に籠城することになったが、いかに大阪城が堅固な城であっても、城に籠るのが有利なのは、城に籠って持ちこたえておれば、そのうち、城を攻めている軍勢よりも多勢の味方が他からやってくることが期待できる場合のことであり、大阪の陣においては、大阪城に籠った軍勢が豊臣方のすべてであって他から援軍が来ることは期待できないし、守っているだけでは負けを先に延ばすことはできても勝てない・・にもかかわらず、小幡景憲が大阪城に籠城するように主張したというのは、小幡景憲はもともと、徳川方から大阪城に派遣されていたスパイ、徳川のまわしものだった(右翼勢力から民主党をぶっつぶすために民主党に派遣されていた前原誠司みたいなもの?)・・という説があるようだ・・・が、うかつに弁護士を依頼すると、「小幡景憲を城内に入れるようなもの」になりかねない。・・こう言うと弁護士は「せっかく、やってもらっているのに、そういう口をきくのは失礼ですよ」とか勝手なことを言うのだが、どっちが失礼だ! 小幡景憲こそ依頼者に失礼であろうが!  とりあえず、法廷に遅刻してくるな! とりあえず、裁判所で相手方の弁護士にめくばせするな!
戦国闘将伝 十文字槍の天才軍師 真田幸村 - 戦国歴史研究会
戦国闘将伝 十文字槍の天才軍師 真田幸村 - 戦国歴史研究会
  「せっかく、やってもらっているのに」と弁護士は言うのだが、タダでやってるのか? 「ち~が~う~だ~ろ! このボケ~え!」、カネもらってやってるのだろうが。相当、高額のカネを受け取ってビジネスとしてやっているのだろうが。違うか? 何が「やってもらってる」だ?!? 何が「やってあげてる」だ!?! 「やってあげてる」と言うのなら、それに見合うだけの仕事をしろ!!!  「週刊実話」「週刊大衆」「アサヒ芸能」なんて「ヤクザ3紙」「実話誌」なんて読まなかったのだが、山口組の分裂以来、なんかけっこう買って読んでしまったのだが、「アサヒ芸能」だったかに、「現役ヤクザに聞いた話」だかが載っていて、「ヤクザのしのぎ」にどんなものがあるか・・という話で、「立ちんぼう」という道路に立って客をとる売春婦の「けつもち」というのがあるそうで、「体を張って生きている女なんだから、守ってやらなきゃという気持になるだろうが」と言うのだが・・・、記者が書いていたのは、もしも、カネをもらわずにやっているのなら「体を張って生きている女なんだから、守ってやらなきゃという気持になるだろうが」という言葉を聞くと、たいしたもんだと感動するところだが、きっちりとカネ取ってやっているのである・・ということだったが、弁護士というのはそれに似ている。もしも、タダでやってくれているのなら、「やってあげている」「やってもらっている」と言ってもいいだろうけれども「ち~が~う~だ~ろ!」。きっちりと報酬もらってビジネスとしてやっているのだろうが。相当の大金もらっておいて、ろくすっぽ働かない者が、何が「やってあげている」だ!?! 何が「やってもらっている」だ!?! いいかげんにしろ・・・と思っても、弁護士のその態度は絶対に改まらない。そもそも、裁判に疲れるだけでなく、弁護士とつきあうことに疲れる。それも、相手方の弁護士とつきあうのに疲れるのはしかたがないとしても、自分が頼んだ方の弁護士とつきあうのに疲れる。
  どうも、弁護士というのは司法試験という難しい試験に合格したということで、自分たちは「ろくに働かなくても大金を依頼者からもらう資格」というものを取得したと思い込んでいるフシがある・・のだが、そんな勝手な資格はないはずだ・・・が、それを弁護士にわからせようとしても、極めて難しい。
  法律事務所のホームページを見ると、◇◇弁護士は過去に・・という裁判・・・という裁判でこんなに尽力しましたとかいったことが掲載されているのだが「ひとの裁判で頑張らなくてもいいから俺の裁判でもうちょっとまともに働いてくれ」、他人の裁判でこんなに尽力しましたとホームページにづらづらと書き連ねられても、自分の裁判ではヌケ作では話にならない。
  今となっては何十年か前だが、プロ野球選手を扱う4コマ漫画を描いていた やく みつる に「試合ではちっとも頑張らないのに、契約更改の時になると矢鱈と頑張る選手がいますが、そういう選手にプロ野球選手会の役員になってもらうというのはどうでしょうか」と尋ねたところ、「自分のためだけにしか頑張らないのじゃないですか。『みんなのために闘う』というようなタイプではないように思います」と答えていたが、弁護士もそんな感じの人間が多い。「試合では頑張らないくせに契約更改の時になると頑張る」選手のごとく、相手方との裁判ではちっとも頑張らないくせして、依頼者に対しては無茶苦茶強い、依頼者に対しての要求は遠慮ない。「おまえ、相手方から報酬もらった方がいいのと違うのか」と言いたくなるやつが多い。
  自分の裁判で努力してもらおうと思って菓子折り(けっこう高いもの)を持って行くと、普通は「どうも、ありがとうございます」くらい言うものだが、弁護士というのはそれも言わない。「ああ、はい」て、アホか! おまえは人から物をもらった時の返事のしかたも知らんのか!?!・・と思うが、弁護士というのはそういうものらしい。不快指数が上昇する。持って行くんじゃなかった・・という気持にならされる。
  裁判をやる際には裁判所に郵券(郵便切手)をある程度の量を予納するが、裁判が終わると使わなかった分を裁判所は返してくれるのだが、ところが、弁護士というのはそれを裁判所から弁護士が受け取っても依頼者(当事者)から請求しなければ弁護士は返さないネコババ野郎、まったくミミッチイ野郎だ。相手方とは闘わないくせに、依頼者からはそんなものまでせしめようとする。
  世の中には、建築業においては「一級建築士」というのは「なんか、エライ」みたいに思い込んでいる人がいて「三流一級建築士」をありがたがる奇妙な人がけっこういるのだが、同様に、弁護士というのは世間一般の人間よりも賢いみたいに思い込んでいる人がいるが、決してそんなことはない。むしろ、アタマの思考力の大部分を司法試験合格までに使ってしまって、それ以外の問題については世間一般の人間よりもはるかにアホではないか・・という人間が多い。
  『モンダイの弁護士』(宝島社)には、「革新系」「人権派」の弁護士でも、問題がないというようなことはない・・と書かれていたが、私もまさにそうだと思う。特に「共産党系」の弁護士というのは日本共産党がおこなっている訴訟などを重要視して一般依頼者の仕事はそれより下の扱いにする。それが当然だと彼らは思っている・・だけでなく、はっきりと口に出して依頼者にそう言う。そういう文句は依頼する前にききたかった。依頼者としては自分の仕事を第一に考えてもらいたいものであり、それは誰もが思うことであって、すべての依頼にたいして第一に大事なものとして対応してくれる人に頼みたかった。「あなたの問題よりもっと大事なことを私はやっている」とか大金払って依頼してくれた依頼者に面と向かってぬけぬけと口にする「共産党系」の人間というのは、そんな政党の人間には選挙の際にも入れる気になれない。
  これは私自身が実際に弁護士に依頼した経験から述べたもので、ここに述べたことは複数の弁護士が実際にやったことである。あくまでも例示である。列挙しようとするときりがない。それらは別の機会にひとつひとつ述べていきたいと思うが、ここではこの程度にとどめることにする。
  ・・・そういう連中だ。その状況を改善するにはどうしたらいいか。司法試験に合格さえすれば高年収を得ることができる・・というのではなく、これまでよりも合格しやすくして司法試験合格者を増やして、そのかわりに、合格後に競争をさせることで、対応が悪い者は淘汰されるようにした方がいいのではないかという考え方がある。アメリカ合衆国の「司法試験」は日本の司法試験より合格しやすく、「弁護士」の数は日本よりずっと多く、日本と違って、弁護士になりさえすれば食えるというものではないらしく、「アンビュランスチェイサー」(救急車の後を追いかける者)と言って、怪我・病気をする者がいると後を追いかけていって、訴えて損害賠償金・慰謝料とってやりましょうと弁護士がセールスするとかいう話もあるらしいが、どちらがいいのかはわからないが、本来、司法試験に合格さえすれば、ろくに働かなくてもふんぞりかえって高額のカネを得ることができると考えている日本の弁護士屋どもの状況がいいとは言えないのは間違いない・・・が、司法試験合格者を増やして、合格後に食べていけるかどうかの競争をさせるようにした方がいいかというと、今度は「易しい試験にしか通っていない人は、やっぱりあかん」という面もあるとも言われるらしい・・ので、なかなか難しい。
モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))
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懲戒除名―“非行”弁護士を撃て - 内田 雅敏
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  東京弁護士会・東京第二弁護士会が東京都千代田区霞が関の弁護士会館の3階の霞が関法律相談センター https://www.horitsu-sodan.jp/soudan/kasumigaseki.html での「法律相談」で三宅坂法律事務所の弁護士 鎌倉一樹くんもで「わからないですね」カネだけ盗ったのだが、泥棒もいいところである。
  三宅坂法律事務所の鎌倉一樹くん(栃木県立宇都宮高校卒・一橋大法学部卒らしい)もまた、「法律相談」で「わからないですね」と言って、それで報酬もらえると確信もっている男だったようだ。船田 元(船田 中の息子)の出身校でもある栃木県立宇都宮高校というのは、そういう教育をやっているのか?

  「ビッグコミックスペリオール」にかつて連載されていた、青木雄二 監修の『こまねずみ常次郎』という漫画で、法律事務所で弁護士に「法律相談」を受けたおばさんが、帰りがけに「相談料、1万円や」と言われて、「アホ! 1万円の価値のある相談なんかやってないやろ」と言って払わずに帰り、弁護士が「無茶苦茶なおばはんやなあ」という場面があったのを読んだことがある。その時には、たしかに満足のいく答えをもらえなかったのかもしれないが、だからと言って相談料を払わずに帰るというのは、「無茶苦茶なおばはんやなあ」と思ったものだった・・・が、そうではなく、無茶苦茶な弁護士の方が多いのではないかと思うようになった。
   会社・使用者と労働者・従業員との間で問題が発生した時だが、どちらに問題があるかというと、それはケースバイケースであろうけれども、どちらに問題がある場合が多いかと言うと、間違いなく使用者の側がずるすぎるか、使用者が法律を知らなすぎるというケースが多いと思われる。
  警察と「被疑者」というよりも、もともとは「一般市民」との関係において、冤罪事件について述べた本を読んだ人には、「こんなひどいことを警察はやったのか。どうして、その警察署の警察官はそんなことをしたのだろうか」と考える人がいるようだが、何を言うてんねん、そんなもん、警察がいつでもやってることやんけ・・・てものだ。別に珍しいものでもない。佐藤優氏は『国家の罠』(新潮文庫)および『憂国のラスプーチン』で、自分が検察から不当な扱いを受けたのは「国策捜査だから」だと書いており、そう思っているようだ。狭山事件の石川さんは「元部落」出身者だからと言われ、部落解放同盟は「部落差別」によるものと訴えたようだ。島田事件の赤堀さんは、少々、精神薄弱の人だったということにつけこまれたということがあった、又、その頃、静岡県警はなんとか犯人をあげなければとあせっていたからとも言われるらしい。足利事件の捜査がおかしな方向にいったのは、ひとつには栃木県・群馬県・の県境付近で起こった事件であることから、管轄がどちらなのかという問題があったとか言われることもあるらしい・・が、しかし、実際はどうかというと、別にそんなことなくても、「国策捜査」でなくても、「元部落」出身者でなかったとしても、精神薄弱でなかったとしても、県境付近における事件でなくても、そんなものは、誰にでも起こるもの、誰でも犯人にされる可能性はあるものだ。もしかすると、警察シンパか、警察ファンクラブみたいな人、あるいは「警察官と似たり寄ったり」みたいな人間は犯人にされにくいというようなことはあるかもしれないが、元外務省の佐藤優氏はけっこう鋭い指摘をした文章を書いていて感心するのだけれども、警察・検察の対応については「国策捜査だから」そうなったと思いこんでいるようだが、違うと思うぞ。別に「国策捜査」でなくても、「そんなもの」だと思うぞ。
  それで・・・、『こまねずみ常次郎』に登場したおばさんは、弁護士の「法律相談」の内容に納得いかないからということで相談料を払わずに帰ってしまったのだが、弁護士としてはそうされないようにと考えるのか、霞が関の弁護士会館3階の東京弁護士会・東京第二弁護士会の法律相談でも、30分の分を先払いとして払わされることになっている。だから、弁護士は安心♪・・・と弁護士は思っているらしいが、弁護士が安心できる状況というのは、クライアントの方にとっては逆だということになる。
  弁護士というのはソープランド嬢よりもたちが悪い。風俗店で先払いをしても、「やることやる」はずなのだ。それに対して弁護士というのは、「わからないですね」でカネだけ盗る。それでは泥棒だろうが。弁護士こそ泥棒ではないか! 「弁護士は泥棒の始まり」と言うべきか。

  私は東京第二弁護士会に行って言ったのだ。「『わからないですね』でカネだけ盗るというのはおかしいでしょう」と。「弁護士だって、何から何までわかっているわけではないでしょうし、得意分野・不得意分野というのもあるでしょうから、自分がよく知らない分野について質問されることだってあるでしょう。その場で答えられないようなことをきかれる場合もあるでしょう。それならそれで、『後から調べて連絡します』と言って、後から調べた上で連絡して答えるようにするか、そうでなかったなら、質問に答えることができていないのですから、相談料は返すべきでしょう」と。
  どうも、弁護士というのは自分たちは特別の立場だという意識が強いようだ。無能のくせして何様なんだ・・と思うが、そういう連中のようだ。 第二弁護士会の職員が、〇月△日の◇時に電話してくださいと言うので、その時刻きっちりに電話をしたところ、第二弁護士会の担当の弁護士が電話に出たようだが、結局、「子供の使い」やった( 一一)

  その電話に出た弁護士、男性で、声の調子から判断すると比較的若そうな声だったが、どうしたかというと、三宅坂法律事務所の鎌倉一樹くんの所に、クライアントからこう言われていますけれどもと伝えて、鎌倉くんが前から言っていた「もう、終わってますから」という意味不明な返答を、またもや、文書に記載した上で、でっかいハンコをついて郵送してきた。でっかいハンコをつけば、それで威厳が出るとでも思っているのか?・・・みたいな対応は弁護士がよくやるあほくさい手口であるが、結局、手間かけさせられただけで、第二弁護士会がやったことは「単なる子供の使い」でしかなかった。もったいばっかりつけて、やることというと「子供の使い」しかできないようやった( 一一)

  これより前にも、なんで、こんな「法律相談」にカネを払わなきゃならんのだ・・と思ったことがある。それは千葉県弁護士会の船橋支部が実施していた有料の法律相談でのことで、弁護士の名前はその時は憶えていたが、何年か経つうちに忘れてしまった。・・もしかすると、何かの拍子に思い出すかもしれないが、今は思い出せない。
  今となっては十数年前のことだが、それはどういう「相談」をしたのかというと、船橋市内でクルマを運転していて、踏切を渡り切った所に左右の道路があり、左折のみできるという場所だが、その付近に行って見ていると、右折禁止に気づかずに右折するクルマが現実に時々ある。私は右折禁止の所で右折しようとしたわけではなく、右折禁止は知っていたし、左折するつもりで渡ったのだが、渡って、クルマ1台分の停車スペースはあり、そこで、いったん、停まったのだが、ブレーキペダルから右足を離した後、右から来るクルマを見て、再度、ブレーキペダルを踏もうとして踏み損ねたのだ。
  なぜ、そんなことをしたのか。そういうミスをしたのは後にも先にもその時、一度だけだ。考えられることとして、その時、運転席の椅子を後ろ気味に配置していたということが考えられた。もうひとつは、これは、あくまでも「もしかすると」だが、その時に運転していたクルマは今のようにCDではなくカセットテープで音楽を聴けるようになったオーディオ設備だったのだが、カセットテープで民事訴訟法の条文のテープを流して、運転しながら流しておけば自然と頭に入るだろうと思って流していたのだが、もちろん、交通状況は見て運転していたつもりだったが、携帯電話で話しながら運転すると、自分では交通状況を見ながら運転しているつもりで頭の思考が携帯電話の方に行っていることがあるので携帯電話で話しながらの運転はいけないと言われるようになったのと同様のことがいくらかあったのかもしれないと思った。それで、その後は、カセットテープ、および、今現在、乗っているクルマではCDで聴くのは、歌のない音楽か、外国語の歌詞の音楽か、もしくは外国語に限ることとして、その時にかけていた民事訴訟法の条文など日本語のものや、日本語の歌詞の歌はかけないようにした。歌のない音楽か歌があっても外国語の歌であるか、もしくは外国語の会話であれば、それほど影響はないと思われるが、日本語のものは自分では運転の方をおろそかにしていないつもりで、つい、テープ・CDの方に頭がいってしまう危険があるのではないかと思い、運転中は流さないことにした。
  それで・・、ブレーキペダルをふみそこねたものの、いったん停止していた状態から動き出したものなので、クリープ現象でとろとろと前に出たというもので、決してスピードはでていないのだが、右から来た車の脇腹をこすることになってしまった。同じような状況で立場が逆の時には私は停まってあげたと思うのだ。どちらが悪いかではなく、たとえ、相手の方が悪かったとしても、「危ない」と思ったなら停まればいいではないか・・・と私は思って、立場がまったく逆の場合は私は停まってあげてきたはずだった。私はそういう運転をしてきたつもりだったが、その時の相手は「こちらはまっすぐ進んでいるだけだから」と言うのだった。たしかに、直進が優先の場所ではあるが、それでも「危ない」と思ったら止まってくれてもいいではないか。運転免許の更新の時には、そのたびに「『だろう運転』ではなく『かもしれない運転』をするようにしましょう」と言われるものだ。「『あのクルマは飛び出てこないだろう』という運転ではいけません。そうではなく『あのクルマが飛び出してくるかもしれない』という『かもしれない運転』をするように心がけてください」と運転免許の更新のたびに言われてきた。「こちらはまっすぐ進んでいるだけだから」、だから、横のクルマが出てくることはない「だろう」という運転ではなく、横から出てくる「かもしれない」という運転をするようにしてくださいと警察官なのか交通なんとか委員職員なのかが毎度毎度言いまくってきたはずだった。たしかに、事故の負担比率としてはこちらの方に非が多いのはわかる。しかし、それでも、横からクルマが出てくるのがわかったなら、「危ない」と思ったならば、それでも「こちらはまっすぐ進んでいるだけだから」とか言ってそのまま進まなくても、止まってくれてもいいではないかと思ったし、立場が逆の時には私は止まってきたはずだったが、その時のドライバーはそうは考えなかったようなのだ。
  ひとつ、不快感を覚えたのは、「子供が乗ってるんだけど」と運転していた若造が言ってきたことだ。接触したという点においては、こちらの方に非が大きいのはわかっている。悪くないと言うつもりはない。しかし、子供が乗っていようが乗っていまいが関係ないだろうが! むしろ、「子供が乗っている」のであれば、たとえ、横から出てくるクルマがあっても接触しないように運転するべきだったのに、その男はそういう運転をしていなかったのだ。「何、言ってんだ、こいつ」と思ったが、接触したこと自体はこちらの方が非が大きいのは間違いないので、そのあたりは我慢していたのだが、それでも、「何、言ってんだ、こいつ」という部分はあった。
  どうも、「子供が乗ってます」ということにすれば、それで周囲のドライバーは自分たちに気を使ってくれるのがあたりまえと考える人間というのがいるらしく、それが女性の場合は「女だからしかたがない」とか、「母親というのは、そんなところがある」とか言って許容されることがあるのだが、ところが、最近、男でもそういう「女みたいな男」がでてきた。 女なら通じても男はそれでは通じないはずなのだが、通じないことを通じさせようというあつかましい、子供っぽい男というのが現実にけっこういる。
  事故そのものは、こちらに非が大きいし、それを争おうとは思わないのだが、「子供が乗ってるんだけど」て、だから、何なの?・・ということを言う若造には不快感を覚えた。さらに、損保ジャパンの対応にはそれ以上に不快感を覚えたのだが、それは別の機会に述べることにしよう。
  それで、事故そのものは、こちらに非が大きいということについて争うつもりはなかったのだが、ところが、事故後に、相手方が言ってくることが事実に反するものが多すぎるのだった。事故現場の建物の配置なども、その場に行って見れば、たちどころにわかるような嘘を書いてくる。よく、そういうことをするとあきれた。
  それで・・、千葉県弁護士会の船橋支部の実施していた法律相談に行って、事故そのものはこちらに非が大きいのはわかるし、それを争うつもりはないのだが、相手方が事実に反することをあまりにも言いすぎる、あまりにも限度を超えているということを話し、たとえ、事故自体はこちらに非が大きいものであっても、その後、事実に反することを相手があまりにも言ってくることについて、それに対して慰謝料を請求するなどはできないのかということを「法律相談」で話したのだ。
  実際には、慰謝料までこちらがもらわなくてもいいが、これ以上、事実に反する主張をするのならば、そういったこともありえますよと示すことで、相手方のおかしな言い草を抑止させたいと考えたのだった。
  ところが、千葉県弁護士会の船橋支部の弁護士、名前はその時は覚えたのだが忘れてしまった。失敗した。私より少々若いくらいの男だったが、何と言ったかというと、「事故はあんたの方が悪いんだろ。それなら慰謝料はあんたの方が払うもんだろ。相手が払うもんじゃないだろ。そのくらいのことはわかるわなあ」と説教しだしたのだ。弁護士のような「先生業」の人間には少々下手にでても、気持ちよく対応してもらおうと思って下手に出たが、今から考えると、それは間違っていた。そもそも、「そのくらいのことはわかるわなあ」とは何だ、その口のききかたは!
  私は事故については、こちらの方に非が大きいという点について争いたいと言っているのではない。そうではなく、事故そのものはこちらに非が大きいのは認めるが、しかし、そうであっても、事故後、あまりにも事実に反することを相手方が言いすぎる、たとえ、事故そのものはこちらに非が大きいものであっても、事故後、事実に反することを言いまくっていいというものではないし、又、「子供が乗ってるんだけど」などとアホな男が言うのだったが、子供が乗っていても乗っていなくても関係はないし、むしろ、子供が乗っていたならば、周囲のドライバーが不適切な運転をしても接触したりしないような安全運転をするべきであったにもかかわらず、そういう安全運転はしていなかった者が、自分の子供を乗せて運転している父親が子供を乗せて運転していたという点については責任を感じることなく、周囲のドライバーにばかり「子供が乗ってるんだけど」と勝手な主張をしているという点について、それは「ち~が~う~だ~ろ!」ということを言いたいということを私は言ったのだ。そういう「子供」を掲げれば自分は殿様ヅラすることができると考えるバカパパはそのまま認めるのは好ましくないと判断したのだ。それも、少々なら我慢もしたし、我慢してきたのだが、限度を超えていると思われたのだ。
  その千葉県弁護士会の弁護士、男性でそれほど年配ではない方、私より若い男だったがは、自分よりも年上の人間に対して、「あんたの方がミスして事故が起こったんだから、慰謝料払うのはあんたの方だろ。相手が慰謝料払うもんじゃないということくらいはわかるわなあ」と言うのだが、それでは質問に対する答えになっていない。それでは法律相談になっていない。
  私は何度も言ったのだ。「事故そのものは、こちらの方に非が大きいというのは認めていて争いたいわけではないのです。しかし、事故そのものはこちらに非が大きかったとしても、その後の話をするのに、嘘ばっかり言いまくるというのは、たとえ、事故そのものについては被害者側であっても許されることではないでしょう」と。私は事故そのものについて、事実に基づいて話をしようとしていたのに、相手方が嘘ばっかり主張しまくるので、たとえ、事故そのものについては被害者側であっても、それは許されることではないであろう、これ以上、嘘を言いまくるのであれば、嘘を言いまくったことに対して慰謝料を請求するとか、何らかの方法でそういう態度を抑止することはできないか・・ということを「法律相談」したのだ。ところが、その千葉県弁護士会の弁護士は「だから、事故はあんたの方が悪いんだろうが。そのくらいはわかるだろうが。わからないのか! 相手は悪くないんだから、慰謝料払うのはあんただろうが。相手が払うものじゃないだろうが」と言うので、「だから、事故について話しているのではなく、事故後に相手が嘘ばっかり主張するという点について私は、今回、ここに来て話しているのです。わかりませんか」と言ったのだが、結局、その弁護士野郎は最後の最後まで私が話した内容を理解できず、それでいて、結局、法律相談で私が質問したことにまったく答えず、それでいて、勝手に人に説教して得意がって、カネだけ盗った。ああいう態度は弁護士だから通じてしまっていることであって、弁護士以外の普通の仕事ならば通じないことであるはずだ。
  『こまねずみ常次郎』に出ていた、弁護士事務所で「相談料、払うような法律相談なんかやってないやろうが」と言って相談料を払わずに帰るおばさん の話を読んで、これはいかんなあ・・と思ったことがあり、すばらしい対応であるかそうでもないかにかかわらず、相談料を払わないわけにはいかんだろうと私は思ってきたのだったが、しかし、この時の千葉県弁護士会の船橋支部の「法律相談」・・船橋市に法律事務所をおいている弁護士も何人かいるようだが、船橋市に事務所を置いている弁護士がやっていたのか、会場が船橋市だったということで、船橋市以外に事務所を置いている千葉県弁護士会所属の弁護士だったのかはわからないが・・は、法律相談としての仕事をしていない、質問事項に答えていなかったのだから、それに対して報酬を払う必要はなかったと思う。払ってしまったがそれは間違っていた。
  元兵庫県警の松井なんとかさんが書いていた本に、クルマ同士でのクルマの物損事故で、基本的には被害者の側だが、事故後には加害者側の女性に、「俺は◇◇組のもんじゃ。どうしてくれるんじゃあ」とすごんだヤンキーというのかドキュンというのかのにーちゃんが、警察官の松井なんとかさんがそこに行っても、それを言い続けるので、松井なんとかさんがその◇◇組に電話して、◇◇組の組員何人かに来てもらったところ、◇◇組の組員が「おにいさんは◇◇組のどこの方でっか」と質問しても答えることができず、「よっしゃ、わかった。そしたらうちの組に来てもらおう。ヤクザもんのしつけちゅうもんを教えたろうやないか」と言って引っぱっていこうとすると、その場にへたりこんで小便をたらし、「おまわりさん、助けてください。わしはヤクザやないです。連れていかれたら殺されます。助けてください」とすがりつきよった・・・なんて話が出ていた〔整理が悪いので、この本をどこになおしたか、見つからないので原文そのまま引用できないが、この内容のことが書かれていた。〕。交通事故について被害者側であっても、その後、どういう態度をとってもいいというものではない。2000年代、私が船橋市内で経験した事故においては、相手方は別に「◇◇組のもんじゃ」とか言ったわけでもないが、あまりにも事実に反することを言いすぎるので、そこまで嘘を言うのでは、むしろ、それは問題があるのではないのかということを私は法律相談で言い、法的にそういう態度をやめさせることはできないものかということを言っていたのだが、ところが、船橋市内の会場での千葉県弁護士会が実施していた有料の法律相談では千葉県弁護士会所属の弁護士(男性。その時点で30代くらい?)は「あんたの方に事故に非があるんだから、あんたが慰謝料払うもんだろ。相手が慰謝料払うもんじゃないという、そのくらいのことくらいわかるだろ!」とか勝手なことばっかり言って、「相談料」と称してカネをタダ取りしたのだった。あの男は実質、法律相談なんてやっていないのだから、実質、あの「法律相談」は泥棒もいいところだ。
「弁護士は泥棒の始まり」とでも言うべきか。
  損保ジャパンが紹介した交通事故の事故内容を確認する会社の担当者と一緒に事故現場を私が運転するクルマで見に行った際にも、私達が走っていた県道のすぐ横から飛び出してくるクルマがあり、「ほら。今のクルマもけっこうな速さで飛び出してきましたでしょ。私はブレーキ踏んで止まってあげたでしょ。あれ、私がブレーキ踏まなかったらぶつかってますよ。今回の事故だって相手がブレーキ踏んでくれていたら接触しなかったんですよ。私はいったん停止してから、アクセルはまったく踏まず、ブレーキペダルからはずした足をブレーキペダルにもう一度踏み下ろそうとして踏み損ねたのであって、あくまで、クリープ現象で前にとろとろ出てしまったというだけですから、さっきのクルマなんかよりもずっと遅い速度だったんですよ。だから、さっき、私がブレーキ踏んで止まったから事故にならなかったのと同じように相手がブレーキ踏んでくれれば接触しなかったんです。それを『こっちはまっすぐ走ってるだけだから』という考え方は違うのじゃないですか。クルマの運転というのは自分が間違ってなければいいというものではなく、ミスをするクルマが周囲にあっても危ないと思えば減速したり止まったりするものでしょ。私はそうしてきましたよ。『こっちはまっすぐ走ってるだけだから』と、だから、危ないと思っても減速しないで突き進むというのは考え方が違いますでしょ」と言いました。実際、そういうものだったのです。ところが、その後、相手は事故について嘘を言いまくったのであり、事故が相手の方が悪いというのではなく、事故後のその態度はあまりにも悪質だということを私は言っていたのです。(もっとも、事故現場の確認をする会社の人は「さっきのように、けっこうなスピードで飛び出してくるクルマがあると『危ない』と思ってブレーキ踏むんですけれども、ゆっくりとろとろ出てくる場合には『止まるだろう』と思ってそのまま進むドライバーがいるんです」と言うのでしたが。)
  私は我慢に我慢を重ねてきたが、後から考えて、あの弁護士には報酬を払うべきではなかった。あの千葉県弁護士会所属の弁護士は法律相談としての仕事をしていないのだから、仕事をしていない人間に報酬を渡すというのは反社会的である。「相談料」を先払いで盗って、それでまともに法律相談せずに報酬だけ盗るという千葉県弁護士会のやった行為というのは、これは反社会的であり、そういったニセ法律相談を放置している千葉県弁護士会は「反社会的勢力」と考えることもできる。
  たとえ、交通事故そのものは、自分の方が非は小さく相手方に非が大きいものであっても、その後にその事故について嘘を言いまくっていいというものではないし、その限度が過ぎるならば、嘘を言いまくったという点についてなんらかのペナルティーを課されることになっておかしくないはずだ。私はそれを言っていたのだが、弁護士やっているような頭の悪い男には理解できなかったようだ。
  今現在ならば、とりあえず、できることとして、そういう不良弁護士については、とりあえず、この場で氏名を公表するというくらいのことはできるのだが、その時点では、まだ、ブログも始めていなかったし、そもそも、ブログというものも知らなかった。
  千葉県弁護士会所属の弁護士には、他にもろくでもないのが何人もいるのだが、それらについては、また他の機会に述べたいと思う。

  「法律相談」という場で、先払いでカネ盗っておきながら、実際に「法律相談」やらずに勝手な講釈ばっかりたれて相談料を泥棒する泥棒弁護士をのさばらせるのは市民としての義務を怠ることになる。そういう反社会的勢力は日本国民として許すべきことではない。 しかし、弁護士というのは、やり口が汚い。弁護士というのは、先払いだとして、先にカネだけ盗って、「法律相談」で「わからないですね」と言って、それで「もう、終わってますから」とは、どういう了見なのか。
  まだ、終わってねえんだよ! この野郎! 簡単に終わると思うなよ! 鎌倉一樹と三宅坂法律事務所。

  それで、東京第二弁護士会の対応は「子供の使い」だった、かつ、でっかいハンコついた紙を送りつければそれですむという、考えようによっては「弁護士らしい」あほくさい対応やった・・。
  ・・ひとによっては、「でっかいハンコ」がついてあると、それに威厳を感じて「言うことをきく」「従わないといけないと思う」ようになる人もいるのかもしれないが、弁護士等と何回か関わった者としては、「またか」て感じがするだけだ。ハンコの大きさとその人間の値打ちは決して正比例しない( 一一)  ・・実は私もかつて、「でっかいハンコ」ついた方がいいか・・なんて考えたこともあったのだが、””「でっかいハンコ」ついてるたいして値打ちのないやつ”” というのを見て、ああいうのと一緒になりたくないなあ・・とか考えて、””「でっかいハンコ」つくという手法”” はとうの昔にやめた。

  東京第二弁護士会の他に、こういう不正・不当な商売・・というよりも、商売とは言えない泥棒行為を働く者を取り締まる部署はないのかと思い、消費者センターに言いにいったのだ。
  「消費生活センター」https://www.city.funabashi.lg.jp/shisetsu/shiminkatsudo/0001/0002/0001/p011273.html は千葉県船橋市のJR「船橋」駅と京成「船橋」駅の間にあるフェイスビルの5階、船橋市役所の出張所と同じフロアにある。国がやっているのかと思っていたが、インターネットで検索すると船橋市役所のホームページに掲載されているので船橋市がやっているのだろうか。
  「法律相談」と言うからには、相談者が質問したものに答えてこそ「法律相談」であり、「わからないですね」でカネだけ盗るのでは泥棒と一緒であり、法律相談やっていないのだから「相談料」は返すべきだということを私は話したのだ。クライアントとしては、弁護士という資格を持つ人間と一緒に過ごしたいのではなく、法律に関する質問に答えてもらうことが目的であり、30分あたり5000円と消費税ということにしているのは、報酬の金額を計上する際に、どれだけ役に立ったらいくらというのでは金額を算定しにくいので、仮に時間あたりということにしているということで、その時間、弁護士が勝手な講釈をたれれば、それにカネを払わないといけないという性質のものではなく、弁護士はその時間に対して報酬を受け取るからには質問に答えないといけない。但し、弁護士にも得意分野・不得意分野というものもあるであろうし、弁護士といえども法律に関するものなら何でも即答できると限らないであろうから、時としてその場では「わからない」というものがあってもしかたがないとしても、「わからないですね」でカネだけ盗るというのでは、それでは弁護士ではなく泥棒である。もしも、その場で即答できない質問をされたのなら、即答できなかったとしてもそれはしかたがない。しかし、それならそれで、「後で調べて連絡します」と言って後から連絡して答えるか、もしくは自分はその分野については詳しくないということならば、その分野は最初から担当しないで、その分野に詳しい弁護士が担当するようにするべきであって、「わからないですね」でカネだけ盗る権利が弁護士にあるわけではないはずだ。私はそれを船橋駅前のフェイスビル5階の「消費生活センター」の受付で話したのです。
  ところが、「消費生活センター」の「担当者」というのが顔も出さないのです。

  これより前にも、この「消費生活センター」に相談したこともあったのですが、どうも、「ある程度の大学を卒業して、お勉強はある程度はできたおばさんが、家庭の主婦になったけれども、子供の手が離れたことから、それほど大変でもない仕事にパートの勤務時間でパートよりも評価の高いハイソサエティーみたいな仕事につきたい」というような感じの人が担当者であり、この程度の人で役に立つんかい?・・という印象を受けたこともあったのです。担当者は1人だけではなく何人かいるようなので、人によっても違いはあるのでしょうけれども、一般的にそんな感じの人が多いようです。
  ・・・で、なんで、担当者は顔も出さないのか。とりあえず、顔くらい出してもいいのではないのか。そう思いませんか?
  ところが、受付の男性職員が「消費生活センター」の担当者が言うには・・・と伝言ゲームみたいなことをする。なんで、自分が出てきて言わないのか?  それで、もったいつけてるつもりなのお? なんか、弁護士みたいなことするねえ・・・( 一一)

  船橋駅前のフェイスビル5階の「消費生活センター」の担当者が言うには・・ということで受付らしい男性職員が言うには、「弁護士は消費生活センターの対象外ですので、こちらではお話は聞けません」と言うのです。なんで、弁護士は「消費生活センター」の対象外なの? 弁護士は泥棒やってもいいの? 弁護士は報酬だけ盗って仕事しなくても「消費生活センター」の対象外だということなの? 何、それ???
 
  おかしいと思いませんか?  風俗店で先払いでカネ払ったとしますよ。ソープランド嬢は「やること」やるでしょ。カネだけ盗って「やること」やらないなんてことはないでしょ。弁護士は弁護士としてやることやらないで、なんで、カネだけ盗ることが許されるの?
  そういう法的弁護士を「消費生活センター」は許していいの? なんで、弁護士は「消費生活センター」の「対象外」なの? 「消費生活センター」というのは、相手が弁護士だと「手ごわい」から逃げるということなの? 相手が弱かったらやっつけるけども、相手が強かったら逃げるの?
  「消費生活センター」の担当者というのは報酬もらっているはずなのに、まず第一に、なんで出てこないの?

  そういうことで、弁護士が何やっても、「消費生活センター」としては対応しないそうです。 なんか、あんまり値打ちのない「消費生活センター」やなあ・・・・( 一一)  まあ、 ””「ある程度の大学でて専業主婦やってきたけれども、子供も手が離れたことだし、なんかやろうかいなあ。スーパーのレジ打ちとかコンビニのバイトなんかよりも知的で人から高く見てもらえるようなことしたいなあ。そやけど、大変な仕事は嫌やなあ」みたいなおばさん”” に、あんまり大きなことを期待しても「もとから無理」なのかもしれませんけれども・・・。

  それで・・・、霞が関法律相談センターで、三宅坂法律事務所の弁護士 鎌倉一樹くんに私が質問して「わからないですねえ」と言われたのは、
《 (非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
弁護士法第72条
 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。 ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りではない。

《 (非弁護士との提携等の罪)
第77条 次の各号のいずれかに該当する者は、2年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処する。
一 第27条(第30条の21において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
二 第28条(第30条の21において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
三 第72条の規定に違反した者
四 第73条の規定に違反した者 》
この第72条約のうちの但し書き、《ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りではない。》に該当するものとして、消費契約法で「認証を受けた消費者団体(適格消費者団体)」・ADR法で「認証を受けた団体(認証紛争解決事業者)」がそれにあたるということは私は知っているが、この2つは、「津田沼ザ・タワー」においての 株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所 高浦 氏には該当しないが、それ以外に《ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りではない。》というものは何があるのか、それは「津田沼ザ・タワー」においての 株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所 高浦 氏に該当する可能性はあるのか・・・というものでした。
  ところが、それに対して、報酬だけ盗った三宅坂法律事務所の弁護士 鎌倉一樹氏は「わからないですね」と発言したのだった。「わからないですね」でカネだけもらえると思っているのは弁護士くらいのものではないかな・・・。

  弁護士はなぜ役に立たないのか?
  とりあえず、考えられる理由が2つある。
《1》 弁護士というのは、どういう人間がなっているか。自分自身が法的に争わざるをえない立場に立たされて、それで本人訴訟をやった人が、その後、本人訴訟をやろうと思うが自信がないという人を援助しましょうということで弁護士をやっているのではなく、自分自身は本人訴訟をやった経験もなく、弁護士に依頼して訴訟をやったこともない、やったことがあるのは「ひとごと」の訴訟代理人を報酬をもらってやったという経験だけ・・という人間がなっているという点。
  だから、彼らが練習してきたのは、ろくすっぽ働かない弁護士に怒りを持った依頼者を「あしらう」技術ばっかり( 一一)

《2》 今は昔、1980年だったか、同じ中学校から同じ高校に行き、大阪大学法学部に現役で合格して進学したK村哲二という男がいて、阪急宝塚線の「石橋」駅、最近、「石橋阪大前」駅と名称が変わった駅でたまたま会ったのだが、そいつが「どこ、行ってきたん?」ときくので、「うちの父親の勤め先の化粧品会社の工場でアルバイトをしてきた(させられてきた)」と正直に話したところ、「へえ~え、そんなもん、やってんのお~おん」とバカにしたように言われた・・ということがあった。K村がそう言うので、こちらも「どこ、行ってきたん?」と言ったところ、「阪大の図書館に行って法律の本を読んできた」・・・彼はそう答えたのだった。・・弁護士というのはそういう人間がなっているのだ。逆ではないのだ。
  同じ中学校から同じ高校に行って、同じくらいの世間的評価の大学に行っても、そこでの生活が全然違う。夏休みに自宅に帰ってきて2日目だったか3日目だったか、うちの父親が「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ♪」と言うので、びっくりした。はあ? はあ~あ???
  「わしは、ものごっつい気持ちの優しい人間的にできた人格者なもんやからな、そやから、あんたがどうしてもと言うのならば、あさってからにしてもらうとか頼んでやってやってやってやったっても、それでもええで。なにしろ、わしはドイツ人で人格者なもんやから」と言うのだった。
  うちの父親は言うのだった。「ええか、わかっとるか。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロ! 大学は勉強する所とは違うねんぞ、大学は。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言うのだ。「勉強する所とは違う」のならば、大学は何をする所なのか? ・・・というと、「アルバイトする所やねんぞ。うちの会社にアルバイトに来てる大学生のやつ、ぴ~ん大(桃山学院大)のやつとか、き~ん大(近畿大学)のやつとか、大阪け~大(大阪経済大学)のやつなんかも、いつも、アルバイトしとる。おまえもうちの会社の工場でアルバイトせえ、アルバイト。おまえも、ぴ~ん大のやつとか、き~ん大のやつとか、大阪け~え大のやつとおんなじようにせえ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては、このチャンコロ、ロスケっ! イタコ! 浪商! アルバイト、アルバイト、アルバイト、アルバイト♪」・・・と言うのだった。
  「そんなに、アルバイトばっかりやっていたら勉強できません」と言うと、「のぼせあがるのもたいがいにせえよ、このロスケっ!」と言うのだ。「アルバイトを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいエライえらいエライえら~い♪ というものごっついエライ先生がそうおっしゃってる。甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ! のぼせあがるでないぞ、ロスケ! つけあがるなよ、浪商!」と言うのだった。・・その後、うちの母親に、うちの父親というのは自分が同志社大に行っていた時、そんなにアルバイト漬けの生活をやっていたのか?・・と尋ねたことがあるのだが、結婚前から近所に住んでいたので知っていたという母が言うには、うちの父親は同志社大の学生だった時は自分はアルバイトなんてまったくやらないで、軟式野球のクラブにはいって野球ばっかりやっとった・・そうだった。自分自身はそれでも「モラトリアム人間病」ではないそうだ。そういうおっさんやった( 一一) まず一番の問題として、「モラトリアム人間病」という「病名」を小此木啓吾が発明したのは比較的最近のことであり、うちの父親が大学生だった頃は、まだ、「モラトリアム人間病」という「病名」は発明されていなかった。
  うちの父親とその親友の医者屋のM川が言うには、うちの父親というのは「ドイツ人の民族」で「慶應の階級」だそうで、医者屋のM川は「ドイツ人の民族」で「医者の階級」だそうであり、それに対して私は「チャンコロの民族」で「浪商の階級」だそうだった。私は、うちの父親から、毎日毎日、指で眼をつきさされるように指さされて言われてきた。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と。
  「わかっとんのか、おまえは。おまえはこの世に産まれてくる時点において、『天の神さま』というお方から『この人間はチャンコロである』『この人間は浪商である』と決められて産まれてきた人間やねんぞ、おまえは。それに対して、わしとM川先生とは『この人間はドイツ人である』と決められて産まれてきた人間でやなあ、M川先生は『医者の階級』、このわしは『慶應の階級』と『天の神さま』から使命を受けてこの世に産まれてきてんぞ。わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、浪商! おまえは北野高校に行って卒業したと思うておるかもしれんけれどもなあ、たとえ、北野高校に行っても卒業しても、それでもおまえは浪商やねんぞ、浪商! わかっとんのか、浪商! 義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育やないねんぞ、浪商! 浪商は高校行くな、浪商! 浪商の分際で北野高校に行くな! この浪商めがあ、この浪商! このチャンコロ~!」と、毎日毎日、朝から晩まで、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきた。
  私は浪商高校なんて、行きもしなければ受けてもいないし、阪急京都線のどこかの駅が最寄駅らしい〔その頃は浪商高校は大阪市東淀川区の阪急京都線の駅が最寄駅の場所だったかにあって、同校の生徒は阪急に乗って通勤・通学していた人間から「ヤクザみたい」と恐れられていたが(本当に)、インターネットで見ると、今は「大阪体育大付属浪商高校」という名称に変わって、阪急京都線の沿線ではなく大阪府でも南部の方に引越したらしい〕ということくらいしか知らないが、「天の神さま」から「浪商の階級の人間」と決められて産まれてきた人間なのだそうだった。民族は日本人だとばっかり思っていたのだが、実は「チャンコロの民族」だったらしい。 うちの父親はというと、おっさんは日本人なのだろうと思っていたのだが、実は「ドイツ人の民族」だそうだった。おっさんは私が子供の頃から「わしは天高(天王寺高校卒)やぞお」と言いまくっていたので、本人がそう言うからには天王寺高校卒なのだろうと思ったが、そのわりに明星高校から同窓会の案内状が来ていたので、なんでやろうなあ・・・と思っていたのだったが、母にきいてみたところ、実際に卒業した高校は明星高校で、母がなんで結婚前のことを知っているかというと、お見合いで結婚したけれども、まったく知らない人とお見合いしたわけではなくて、近所に住んでいた人とお見合いして結婚したので結婚前のこともある程度知っていたということと、何よりも、正真正銘、明星高校卒で早稲田大に進学した母の兄(伯父)と明星高校でうちの父親は同級生だったらしいのだ。・・で、「天高やぞお」というのは何かというと、フリードリヒ=ニーチェが「精神の貴族」という表現で「精神的にけだかくあれ」と言ったごとく、「精神の天高」ということみたいだった。うちの父親は「わしは天高で慶應やぞお、わしはあ。おまえは浪商で拓殖で亜細亜大じゃ、おまえは」と言うのだが、うちの父親は大学は同志社大卒だと私が子供の頃は言っていたはずだったが、私が慶應大に行かされてしまったことから、宗旨替えしたみたいで、それまでは「わしは同志社大学という立派な立派な大学をでてます」と言うておったのだが、ある時から「わしは慶應やぞお、わしは慶應。おまえとは違うねんぞ、おまえとは、浪商のおまえとは違ってわしは慶應やねんぞお、わしは慶應」と叫びまくるようになった。私は「精神の浪商」で、うちの父親は「精神の慶應」だそうだった。そう思って見ると、うちの父親というのは、小学校も中学校も高校も大学も慶應には行っていないが、なんか「いかにも慶應」て感じの男だった。
  「民族の違いを忘れるな、チャンコロ!」「階級の違いを忘れるな、浪商!」と「ドイツ人で慶應の民族で階級」のおっさんから、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けて、そして、私は思うようになった。
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」
「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」

・・と。
  また、「この『民族の違い』『階級の違い』というものは、『天の神さま』がお決めになったものであって、チャンコロで浪商のおまえがそれを変えようなどと考えるのは、およそ、許されない罪であり、たとえ変えようと考えても変えることは決して決してできないことであるし、また、変えようとする者を『天の神さま』は決してお許しにはならないことなんじゃ。わかったか、このチャンコロ! この浪商めが! よくも産まれやがってからに。このチャンコロ、浪商! 産まれてこなければ良かったのに産まれてきやがってからに、この浪商! このチャンコロめがあ!」と言うのだった。
  そう言われて、その「チャンコロで浪商」は次のように思うようになった。
「造反有理(造反には理由がある。)」(反逆は正しい)
「革命無罪(革命は無罪である。)」

・・・と。
  ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)には、「起来(チーライ)」という中華人民共和国国家らしい歌の文句が掲載されている。
「起て! 奴隷となるな、わが人民!
我らの血肉で築こう、新たなる万里の長城を。
お叫びあげて、いざ、闘わん、
起て! 起て! 起て! 」 
  「ドイツ人で慶應の民族で階級」の人間・「ドイツ人で医者の民族で階級の人間」とは「民族が違う」のであり「階級が違う」ということは骨身にしみてわかった。「民族の恨みを忘れるな」「階級の苦しみを忘れるな」ということだ。
  私は結果として2浪してしまったが、慶應大の学生に多い、たとえば、ステューデントカウンセラーズというサークルにいた田名という男は、最初から「1浪で慶應の経済」を目指していた男で、「見事、目標を達成♪」して「一浪で慶應の経済」に入学したという男であり、昭霊空手会と偽装していた、実質は「「愛塾」奨励空手会」という、自分たちが主張する「愛塾」を奨励し、自分たちが奨励する「愛塾」だけが愛塾であってそれ以外の愛塾を愛塾とは認めないという態度の空手使いの右翼団体が慶應大にあったが、そこにいた富永という千葉クロマティ高校卒の不良は、本人も「俺は高校卒業時点では入れる大学なんかなかった」と自分で言っていたように、高校卒業時に行ける大学なんかないような不良だったのが、浪人して、「慶應の経済」と「慶應の文学部」の試験科目だけ受験勉強して、それで、「1浪で慶應の経済」は「通ったらもうけもん」だったが通ることはできず、「1浪で慶應の文学部」の方は幸運にも通ることができたということで、御の字も御の字で「1浪で慶應の文学部」に合格できて入学した・・という男だったが、その田名とか富永とかとは私は違う。私は結果として2浪してしまったが、慶應みたいなもんに行かされるために浪人したのじゃない。《最初から「1浪で慶應の経済」を目指していて「見事、目標達成♪」の田名》だの「クロマティ高校卒の富永」だのとは違う。一緒にされたら迷惑だ。私は高校卒業時でも、どこでもよかったらどこか通る所はあった・・なんて言っても「どこでもいい」訳ないのだけれども、又、「慶應なら浪人なんかしなくても通った」と思っても、実際に受けていない以上は、もしも受けていたならどうなったかは「わからない」と考えるべきではあるだろうけれども、しかし、それでも「慶應みたいなもんに行かされるのなら、浪人なんかしなくても高校卒業時に通った」ような気がした・・し、国立大学も東大を受けたから落ちてしまったが、他のどこかを受けていたならば通った可能性は小さくない。それも、「どこでもいいなら、どこか通っただろう」なんて言っても「どこでもいい」わけないのだけれども、それでも、田名だの富永だのはまず合格できるわけがない所に合格できただろう。
  私が高校生くらいの時、1970年代、「朝日新聞」の「声」という欄に、2浪して大学に入学した人が、「2浪の罪、2浪の功」として、2浪すると、どういうマイナスがあり、どういうプラスがあるか・・ということを書いていた。そこで、「英語力がつく」というものを「2浪の功」としてあげていた。これは、私もあると思う。但し、「2浪の功」と言っても、私と同じように、北野高校くらいの高校の卒業生で、高校卒業時でも、「どこでもいい」わけないけれども、どこか国立大学で・・というくらいならどこか合格できる所はあるという人が、大学受験において作戦に失敗して落ちてしまい、結果として2浪したという場合のことであり、田名みたいな「最初から『1浪で慶應の経済』を目標にしていた人間で、『一橋大の経済を受けた』と言っているけれども、それはオリンピック。『受けることに意義がある』というだけで受けたもの」という男とか、富永のようなクロマティ高校卒の不良で「1浪して、『慶應の経済』『慶應の文学部』の試験科目だけ受験勉強して、『慶應の経済』は落ちたが『慶應の文学部』はラッキーにも通った」というような男のことではない。
  私のように、高校卒業時でも「旧帝大系国立大学のどこか」というくらいなら、どこか通った可能性は十分あったという者が、作戦に失敗して結果として2浪してしまったという場合には、高校卒業時でも英語力はある程度はあったわけで、浪人すると、英語の点数は飛躍的に伸びるのかというと、実はそうとも言えないのだけれども、たとえ、点数が横ばいであったとしても、高校卒業後、英語の点数を「横ばい」、その点数を維持だけの英語の学習をしたならば、他の科目なら別だが、英語の場合はそれだけ頭に定着して忘れにくくなっている。だから、その意味で、試験で獲得できる点数が上がればその方がいいが、たとえ、点数が「横ばい」であった場合でも「英語力」はついていると考えていいと私は思うのだ。他の科目の場合は事情は違う。数学なんかは長くやっても大学入学後、特にそれが役立つわけでもないように思うし、「東大の日本史」「東大の世界史」は私が受けた1980年前後頃においては「・・・について800字以内で述べよ」といった問題が出たが、そういう「論述式」の問題を解く練習をしていると、司法試験二次試験の論述式試験とか国家公務員1種の論述式試験を解く際に役立つかもしれないが、日本史・世界史の知識そのものは現役で通った場合と2浪した場合とで特に大きく変わるというものでもないのではないかと思う。むしろ、日本史・世界史などは、さっさと現役で大学に入って、入学後に試験と関係なく学んだ方がいいのではないかと思う・・・が、英語に関しては「受験の英語」もそれ以外の英語も「英語は英語」みたいなところがあり、「高校卒業時にはたいした大学には行けなかった」富永とか田名とかが浪人した場合と違って、私のように「高校卒業時でも、旧帝大系国立大学くらいでどこか合格できた可能性が大きいという者」が東大に行こうとして2浪してしまったという場合には「英語力がつく」という「2浪の功」はあったと思う。
  しかし、そういう「2浪の功」で「英語力がつく」というメリットというのか、2年も浪人したのに、高校卒業時でも通ったのではないかと思われるような大学に行かされてしまった者にとっての「せめてもの恵み」があったので、夏休みに集中的に学習すれば、英検1級合格できるのではないか。1級に合格できなくても、今なら準1級、最低でも2級、ともかく、そういった英語の試験を受けるのならば、大学入学後、早いうちに受けるようにした方が、「2浪の功」で覚えたものを忘れてしまうことがないのでいい・・・と思われた・・のだったが、そこに「あんた、あしたから、うちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」と言われたのだった
  「わかっとんのか、チャンコロ。アルバイトを嫌がる人間は、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる。治療してやらんといかん、治療してやらんと。電気ショックやったらんといかん、電気ショック、電気ショック、電気ショック♪」と、おっさんは言うのだった。
  そうやって、おっさんの勤め先の化粧品会社の工場にアルバイトに行かされて、夏休み中、冷房なんか効かない暑い所で、乳液とか作らされたのだった。その間、K村哲二は阪大の図書館に行って、冷房の効いた部屋で椅子に座って法律の本を読んでいたのだった。同じ中学校を卒業して同じ高校を卒業して、同じくらいの評価の大学に行っても、それだけ、生活が違ったのだった。 私が化粧品屋の工場で汗流しながら乳液作っていた時に冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた男、おそらくK村哲二も「ドイツ人で慶應の民族」だったのではないかと思うのだが、阪大に入学して5年目に司法試験に合格した。K村哲二が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた時、冷房なんか効かない工場で汗流しながら、もちろん椅子に座っていたら仕事にならないので椅子になんか座らずに、安い時給で乳液作らされていた男は、当然、司法試験なんか通るわけがない。
  K村哲二のお母さんは「うちは大学には現役で通りました。北野高校の先生から『京大でも通る』と言われました。『阪大なら絶対に通る』と言われました」と近所中にラッパを吹き鳴らしながら叫びまくり吹きまくり、うちの母親なんかは影響を受けやすい女なものだから、そのラッパを聞かされて、「川村は現役で通ったのに、なんで、あんたは浪人してんの」とか言って、なんとも迷惑したものだった。「京大でも通る」のなら京大を受けて行けばよかったのと違うのか?  誤解せんといてほしいねんけども、わし、川村に「すいませ~ん。お願いですから京大は受けんとってくださ~い」やなんて、そんなこと、頼んだこといっぺんもないで。〔むしろ、私の方が、うちの父親から「京大はアカやから受けてはいか~ん!」と執拗に言われたものだった( 一一) 〕「京大でも通ります」のなら京大を受けて行ったら良かったのと違うんか。京大を受けずに阪大を受けて阪大に行ったのは自分の所の息子だろうが! 違うのか! 京大を受けられないように私が何かしたとでも言うのか?!? ち~が~う~だ~ろ! 自分の所の息子が自分で阪大を受けると決めて阪大に行っておいて、何をしょーもないこと言ってやがる。・・なんか、ほんま、うるさいおばはんやなあ、ほんまにい・・・( 一一)
  だいたいなあ・・・、「北野高校の先生」は「阪大なら絶対に通る」なんて、普通、そんなこと言えへんでえ( 一一) 私は彼が模擬試験でどのくらいの点数を取っていたか知らないが、仮に「京大でも合格できる可能性がある点数」を模擬試験で取っていたとしても、「京大でも合格できる可能性がある点数」を模擬試験で取っていても、だからといって「阪大なら絶対に通る」かというと、そんなことはない。なぜなら、阪大はそこまで易しいわけではないからだ。もしも、「京大なら、通った人5人・落ちた人5人」という点数を模擬試験で取ったとすると、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験であったなら合格最低点の点数を取ったと考えていいだろう。それより1点でも高い点数を取れば「百パーセント合格」だ。その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験であったならば「通った人6人・落ちた人4人」の点数を取った者は「6割合格で4割不合格」ではなく「百パーセント合格」だ・・・が、それは模擬試験であって本番の試験ではないわけで、「通った人6人・落ちた人4人」の点数を取った者は本番の試験では10人中4人は落ちているということになる。それならば「通った人9人・落ちた人1人」くらいの点数を取ればいいだろう・・・と思っても、普通に考えて京大とか東大とかに行こうとする者が「通った人9人・落ちた人1人」なんて点数て、そんなに簡単に取れると思うか?  そういう点数を模擬試験で取らないと受けてはいけないなどという主張は、いわば「場外ホームランを打てないなら打席に入ってはいけない」と言っているようなものだ。野球でホームランというのは外野のフェンスを越えたらホームランであり、場外ホームランなんか打たなくていいのだ・・と考える思考こそ、「勝負強さ」であり、「何が何でも場外ホームランを打ったる」とか大学入試で考えるなら、むしろ、それは「落ちる方の要素」だと私は2年も浪人した結果、考えるようになった。結果として、その本番の試験が本番の試験ではなく模擬試験であったなら「通った人9人・落ちた人1人」というくらいの点数を取ったという人は中にいるのではないかと思うが、それはあくまでも「結果として」であり、受ける前にそんなこと思っていたら、むしろ、その意識は「落ちる方の要素」だと私は思う。むしろ、「ともかく、通ればええんや」という意識で取り組む方が「通る方の要素」だと思っている。私が北野高校の3年の時の担任だったOも言っていたのだが、模擬試験で「京大で通った人5人・落ちた人5人」という点数でも、「阪大なら絶対に通る」というような点数かというとそんなことない、そうではなく、「京大で通った人5人・落ちた人5人」という点数なら「阪大でも通った人6人・落ちた人4人」というくらいのものであって、「絶対に通る」なんてことはない! 又、模擬試験というのは、あくまでも模擬試験であり、高校3年の時の同級生で河合塾の東大オープンでA判定をもらって、さらにシャープペンシルだか何だかを賞として河合塾からもらったということで、よせばいいのに、わざわざ高校にそれを持ってきて見せびらかしていた男がいたのだが、そいつはどうなったかというと・・⇒落ちよった( 一一)  「そんなもの」なのだ、模擬試験というのは。私自身にしても、模擬試験で「A」の判定をもらい、それも「A」の中でも上の方の「A」だったところを、そういう判定なら通るだろう・・なんて思って受けたら、落ちてもうたあ~あ・・という経験はある。そんなことは珍しくもないことだ。もしも、私が「北野高校の先生」だったならば、たとえ、模擬試験で相当いい成績を取っていても、それでも「絶対に通る」なんてそんなことは絶対に言わない。むしろ、逆に「最後の最後まで何があるかわからない」と言ってあげるだろう。「最後の最後まで何があるかわからない」と認識して受けるならば、少なくとも「絶対に通る」などと意味不明な自信を持って受けるよりも、その分だけ1%でも2%でも合格の可能性が大きく、勝手に「絶対に通る」とか思い込んでいるのなら、その意識はその分だけ1%でも2%でも「落ちる側の要素」だと思う。普通、「北野高校の先生」は「絶対に通る」なんて言わないし、高校の3年の担任でも体育の先生が担任になっている場合もあれば、たとえ大学入試に試験科目としてある科目を担当していても自分自身は京大・阪大や東大などを受けた経験がない先生もいるので、中に大学入試についてちっともわかっていない先生が担任を持っているという場合もあるかと思うが、「絶対に通る」なんてことは「高校の先生」は言うべきではないし、たとえ、言ってもそんな発言を本気にするべきではない。たとえ、模擬試験で相当いい成績を取れていても「最後の最後まで何があるかわからない」と考えるべきである。又、阪大は決して無茶苦茶易しいわけではなく、あくまでも、「京大と阪大なら、いくらか阪大の方が易しいかもしれない」という程度のものであり、無茶苦茶易しいなどと勘違いして受けるならば、その意識は「落ちる方の要素」であるし、K村がどうということではなく、誰であれ、ある程度以上の所を受ける以上は「絶対に通る」などということはありえない。もしも、京大か阪大かに行こうと考えているような人が亜拓大東帝国か関東上流江戸桜かなんかそういう所を受けるのならば、さすがに落ちるということはあんまりないだろうけれども、逆にそんな所に通っても行く気になれないのではないか。もし、完全に満足できるかどうかはさておき、行く気持ちになれるかもしれないという所を受けるのならば、どこを受けるにしても「絶対に通ります」などということは「ありえない」と考えるべきだ。現実に「☆☆みたいなもん、落ちたら眼かんで死なんといかん」とか勝手なこと言ってたやつが、その「眼かんで死なんといかん」所を落ちよった( 一一) ・・なんて話はいくらでもある。「あんな所を落ちたら眼かんで死なんといかん」とかそういう文句は口にしない方がいいと思う。その「眼かんで死なんといかん」所を落ちるということは、実際に「あること」であり、そんなことを本気で思っているならば、その意識は「落ちる方の要素」だと認識するべきだ。もしも、私が「北野高校の先生」ならば生徒にこのように話してあげるだろう。「阪大なら絶対に通ります」なんて、私が「北野高校の先生」ならば絶対に言わない。もしも、万一、本当に言った教諭がいたのならば、その教諭がアホだというだけのことだ。 
  K村哲二のお母さんというのは、K村哲二や私が高校を卒業した年、「うちは大学は現役で通りました。北野高校の先生が『京大でも通る』と言われました。『阪大なら絶対に通る』と言われました」と近所中に言いまくっていた、話してまわっていたようだったが、最初、私は「お母さんというのは、そんなものかなあ」とか「あいつのお母さんにとっては、自慢の息子だということか」と思っていたのだったが、それにしても、「ええかげん、うるさいなあ、あのおばはんも」と、そのうち、思うようになった。ひとつには、同じ中学校から同じ北野高校に進学した同期の人間で、京大法学部に現役で通った人間・京大経済学部に現役で通った人間というのが近所にいて、私は落ちたとはいえ東大を受けたので、それで、阪大に行った自分の所の息子は、京大法学部・京大経済学部に行った人間よりも下みたいに見られたくないという気持があり、東大を受けた人間に比べて「阪大に通った」人間というのは「勇気なし」みたいに思われたくないという意識があったのかもしれないが、それにしても、「ええかげん、うるさいなあ、このおばはんは」というものだった。うちの母親などはそういうものに反応しやすい女なので、「K村は現役で通ったのにからに、なんで、あんたは浪人してるんや」とか言って毎日毎日、責めるのだったが、K村のあのおばはんのおかげでなんとも迷惑やった。
  K村が阪大法学部に入学して4年目ではなく5年目に司法試験に合格すると、K村哲二の母親のおばはんは、今度は「司法試験も現役で通りました」と、またもや、近所中にふれまわるのだった。「うるさいおばはんやなあ、ほんまにい」というものだが、まず第一に、「司法試験に現役で通りました」と川村の母親は近所中にふれまわるのだが、「司法試験に現役で通る」というのは法学部4年間のうちに通るもののことを言うのであって、普通なら4年で卒業する大学の法学部を5年行って、その5年目に通ったというものを「現役で通りました」とは言わないのだ。また、他の職業ならば、実際には5年目に通ったのに4年目に通ったみたいにふれまわったとしてもわかりにくいのだが、弁護士の場合は他の職業とは違って『弁護士名簿』というものがある程度大きな図書館にはあって、それを見れば、何年に司法試験に通ったかというのが記載されているので、「あ、あのおばはん、嘘ついとった」というのがわかるのだ。すぐばれるような嘘なんか、つくなちゅうんじゃい! 弁護士のくせして、「すぐばれる嘘」なんかついたら、かえって裁判官の心証を悪くしてマイナスになる・・とか考えんのか?  さらに最近ではインターネットが普及して、法律事務所もホームページを持っている方が普通で、「弁護士紹介」というタブをクリックすると、何大学を卒業して司法試験には何年に通りましたあと書いていることが多く、K村哲司も法律事務所のホームページに自分で合格年を記載して公表しており、それを見るとまさに「私の母親は嘘を近所中にふれまわってましたあ」と本人が自分で言っているようなものである。
  『司法試験機械的合格法』の著者の柴田孝之は東大法学部の4年の時、東大法学部に入学して4年目に司法試験を受けたけれども、口述試験の後、落ちたと思い、合格発表も見に行かなかったところ、友人から電話がかかってきて「おめでとう」と言われ、何のことかわからなかったが、落ちたと自分では思ったが通っていたようで、合格発表の掲示に柴田の受験番号があったということだったらしい。そういうものを「司法試験も現役で通りました」と言う。あるいは、慶應大の「民法」の先生に聞いた話だが、慶應義塾高校から慶應大に進学するのは、一般入試で東大・京大に合格する場合、慶應大・早稲田大に合格する場合と違って、「高校の勉強」「大学受験の勉強」というのをそれほどやらなくても進学できるので、その条件を利用して高校1年から司法試験の勉強をして慶應大法学部4年の時に司法試験に合格したという人がいたそうで、さすがに大学の1~3年の3年間で通ろうとするのと高校1~3年と大学1~3年の計6年間で通ろうとするのなら6年間で通ろうとする方が有利ということがあったようだが、川村みたいに普通なら4年で卒業する阪大法学部を5年行って5年目に司法試験に通ったというようなものは、そういうのを「司法試験にも現役で通りました」とは言わない。1年余計に大学に行っとるやんけ! 何を言うとんねん、おばはんは。しょーもないこと言うな、しょーもないことを!!! 弁護士のくせして「すぐばれる嘘」なんかつくなちゅうんじゃい!
  ところが、だ。川村が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた時、私に冷房なんか効かない工場で、やっすい時給で乳液作らせたうちの父親は、「大阪新聞」だったかに司法試験合格者氏名が掲載されていて、そこに川村哲二という名前があったのを切り抜いて、私の所に郵送してきたのだ。「川村くんの爪の垢を飲みなさい」と書いて。
  なるほど、それが「天の神さま」というやつがお決めになった宿命だったようだ。川村が冷房の効いた図書館で法律の本を読んでいた時に、冷房なんか効かない工場で汗だらだら流しながら乳液作らされていた者は司法試験なんか通るわけがない。その時は「なにくそお」と思って頑張ったが、いくら、頑張っても、将棋でも「飛車角落ち」とか「飛車角・香車桂馬落ち」とかならば、工夫して努力すれば何とか抗戦できるかもしれないが、「王さん1枚で戦え」言われたらどうしようもない。「王さん1枚」では勝てない。いわば、私は「王さん1枚」で戦わされてきたようなものだったのだ。なるほど、「王さん1枚」で戦わされてきた者は、「飛車角香車桂馬、全駒完璧にそろった条件」の川村哲二の爪の垢を飲まないといけないという義務があるらしい。「天の神さま」というやつはそういうように人間の運命というものを作るヤカラらしい。
  インターネットで検索すると、そいつは今では神戸大学法科大学院大学の先生さまになっていらっしゃる。まさに、爪の垢を飲まされなければならない存在だ。私が化粧品屋の工場で汗だらだら流しながら、やっすい時給で働かされていたまさにその時に、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいたやつ、私が「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる」と言われてアルバイト漬けにされていたまさにその時、川村哲二はアルバイトなんて、本人が言うには「1回2時間の家庭教師を週に2回やっている」というそれだけで、他は冷暖房の効いた部屋で椅子に座って法律の本を読ませてもらうという生活を送らせてもらって、それで阪大に入学後、4年目ではなく5年目に司法試験に通った・・と。なるほど、なるほど。そりぁ通るだろうぜ。落ちたらアホやろうが。落ちたら。この「長嶋みたいなやつ」!!!
まさに「民族の違い」「階級の違い」というものがそこにあった。八百長だろうが、八百長!
※ 《YouTube-【ヤクルトスワローズ】東京音頭 くたばれ読売》https://www.youtube.com/watch?v=5pD6NjDEDXE
《YouTube-巨人 阪神 東京ドーム 最終24回戦の商魂こめて》 https://www.youtube.com/watch?v=PPC6oECFuQM
  なるほど、「天の神さま」から「爪の垢を飲ませるための民族・階級」と指定されて産まれてきた川村一族と、「天の神さま」から「爪の垢を飲むための民族・階級」とは、産まれる時点で「民族の違い」「階級の違い」というものがあったのだ。「飛車角香車桂馬他、全駒そろった状態で司法試験の勉強させてもらう男」と「王さん1枚」の男とでは、「爪の垢を飲ます側」と「爪の垢を飲まされる側」の違いが結果として出るということだ。
殺す側の論理 (朝日文庫) - 本多 勝一
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殺される側の論理 (朝日文庫 ほ) - 本多 勝一
殺される側の論理 (朝日文庫 ほ) - 本多 勝一
  それから何か月か後には、うちの父親は私に「おまえ、キャディーやれ。アルバイトでキャディーやれ」と言ってきた。うちの父親の親友の医者屋のM川(1980年頃当時、50代前半。当時、豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際は、私立金権関西医大卒か、もしくは「かわいいキンタマ」〔崎医大+知医大+沢医大+埼医大〕あたり卒か、そんなところだろう)のドバカ息子は、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネから私立金権関西医大 に裏口入学した上で、やはり、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでゴルフバッグを買ってもらい、私立バカ大学の学生なのに、やはり、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで、バカ大学の大学生なのにゴルフやっていたとその父親から聞いたが、うちの父親は私にこう言うのだった。「裏口入学なさったお方のキャディーバッグをかつがせていただきなさい」と。 「甘ったれておってはならんぞ、甘ったれておっては、このチャンコロ、ロスケ、イタコ、浪商! おまえのように、キャディーをやるのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいものごっついエライという先生がそうおっしゃってる。治療してやらんといかん、治療してやらんと。電気ショックやったらんといかん、電気ショック、電気ショック♪」と言うのだった。
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )
  うちの父親は「キャディーをやるのを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~い先生がそうおっしゃってる」と言い、私のように「なんで、ガチンコの人間が裏口八百長の人間がゴルフやるためのゴルフバッグをかつがされなきゃならんのだ!?!」と言う人間というのはモラトリアム人間病という病気であり、そういう人間は「電気ショック療法」とか「ロボトミー」とかそういうもので「治療」してやる必要があるそうで、「患者」を薬漬け・毒盛りして貯め込んだカネで私立金権関西医大に裏口入学した医者屋の息子の八百長野郎は、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネでゴルフバッグ買って、父親が薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでゴルフやるのは「モラトリアム人間病」ではなく、ガチンコの人間が八百長裏口野郎のゴルフバッグを担がされるのを嫌がると「モラトリアム人間病」で「電気ショック療法」とかで「治療」されなければならないということになるのか、なぜ、そうなるのかわからんと言うと「心理学」によって「病識がない」とか「診断」されることになるのだが、どうも、そのあたりが「民族の違い」「階級の違い」というものらしかった・・が、逆らうと「電気ショック療法」とかされる危険があるのでうかつに逆らえないのだったが、それでも、なんで、ガチンコの人間が八百長裏口野郎のゴルフバッグを担がされなきゃならんのか、さっぱりわからんかった
  貴闘力チャンネルで、貴闘力が言ってましたでしょ。「八百長で優勝するようなやつよりも、ガチンコで相撲とって7勝くらいで勝ち越せるかどうか言ってるやつの方が、そっちの方がかっこいいと思わない?」と。 うちの父親はガチンコの私に八百長裏口野郎が、父親が「患者」に薬漬け・毒盛りして得たカネでゴルフする際にそいつのゴルフバッグをかつげと命令したのだった。そして、私に言うのだった。「裏口入学なさったお方の爪の垢を飲みなさい」と。
  なんで、ガチンコの人間が八百長裏口の人間の爪の垢を飲まされなきゃならんのだ、なんでえ??? ・・・と思ったのだが、うちの父親が言うには「M川先生の息子さんは、おまえとは違って裏口入学やねんぞ。わかっとんのか、このチャンコロ浪商! 裏口入学ということは、おまえとは違って思考が柔軟ちゅうことなんじゃ。裏口入学なさったお方の爪の垢を飲めえ!」と。
  私は、裏口入学のやつのゴルフバッグをかつがされるために「天の神さま」というやつからこの世に産まれるように命じられた民族で階級だったらしい。もちろん、「司法試験に大学入学5年目に通った川村哲二」なんて「巨人みたいなやつ」は裏口民族のゴルフバッグなんかかついてでいないが、不思議なのは私の場合は川村哲二が冷房の効いた部屋で椅子に座って法律の本を読んでいる時に冷房なんか効かない部屋で汗だらだら流して安い時給で乳液作らされて、せっかく「2浪の功」で身に着けた英語力も失ってしまいしても、それでも私は「モラトリアム人間病」と小此木啓吾先生は「診断」されることになるらしいのに、私が化粧品屋の工場で乳液作ったり、その他の肉体労働のアルバイトをさせられているまさにその時に、アルバイトなんかちっともしないで冷暖房完備の部屋で椅子に座って法律の本を読んできたやつは「モラトリアム人間病」ではなく、又、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネで裏口入学して、入学後も父親が毒盛りして得たカネでゴルフバッグ買ってゴルフやっていたやつは「モラトリアム人間病」ではないという点だ。なんでなんだ? おかしいじゃないか!・・と思ったが、それが「心理学」というものらしかった。「心理学」ではそういう「診断」になるらしかったのだ。
まさに「民族の違い」「階級の違い」というものだったようだ。
「民族の恨みを忘れるな!」
「階級の苦しみを忘れるな!」

というものだ。
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
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南京への道 (朝日文庫) - 本多 勝一
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  そういえば、うちの父親が「いらいらっとしたから、仕送り、送るのやめたってん」と言って、仕送りを送金しなかった時、食べるものがなくて、1週間ほど水だけで何も食べずに過ごしたことがあったが、自販機の下に硬貨でも落ちてないかと思って日吉の街をうろつき、ある自販機の下に50円玉が落ちていたのを発見して、それを道に腹ばいになって腕を伸ばして、それでも届かないので、まわりを見まわしたところ見つかった棒を延ばして手元に引き寄せた上で拾って、その50円と財布に残っていた10円玉3枚とを合わせて、80円でメロンパンを買って食べたということがあったが、あの時のメロンパンほど、今まででおいしいと思ったものはない。まさにその時のことだ。日吉にあった不二家というけっこう高いレストランから、同じ日吉台学生ハイツの同じ階に住んでいた加藤という男、兵庫県の私立の甲陽学院高校という、おそらく灘高校には行けなかったから甲陽学院高校に行ったのではないかと思うが、その甲陽学院高校から1年浪人した上で東大文科1類に行き、東大法学部卒で国家公務員1種試験合格で外務省に入省することが決まったという男が友人と一緒に出てきた。川村哲二は1回2時間で週に2回の家庭教師のアルバイトをやっていると本人が言っていたが、加藤はそういうものすらもやっていなかった。およそ、アルバイトなんて何一つやらなくても、加藤はそれでも「モラトリアム人間病」とは「診断」されないらしかった。なんで、加藤はアルバイトなんかちっともしなくても「モラトリアム人間病」ではないのだ? なんで、私だけ、アルバイトばっかりさせられなきゃならんのだ!?!
  まさに、そのあたりが「民族の違い」であり「階級の違い」だったようだ。「天の神さま」というやつはそのように「人間を産まれる時点で分けてお造りになった」そうだった。
「民族の恨みを忘れるな」「階級の苦しみを忘れるな」
「造反有理(造反には理由がある。反逆は正しい)」「革命無罪(革命は無罪である)」
あの加藤という男も、おそらく、あの男も「ドイツ人の民族」だったのだろう。
私はうちの父親から「お前はロスケでイタコでチャンコロで浪商でプエルトリコじゃ」と毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきた。
「ロスケ」とはロシア人のことで、裏切者・卑怯者を意味し、
「イタコ」とはイタリア人のことで、根性なしを意味し、
「チャンコロ」とは中国人のことで、《「天の神さま」から「いついかなる時も、ひとに服従するのがふさわしい民族」と定められてこの世に産まれてきた民族》を意味するそうだ。うちの父親がそう言ったのだから、そうなのだろう。
「プエルトリコ」はというと・・、これは単なる語呂合わせだと思う。
「ちゃちゃっちチャンコロ、ちゃん高楼♪」と、「ドイツ人で慶應の民族で階級」らしいうちの父親は毎日、私の眼を指でつきさすようにして、そう叫んでいた。
その「ロスケでイタコでチャンコロで浪商の民族で階級」らしい私は常に思うようになった。
「階級の苦しみを忘れるな」「民族の恨みを忘れるな」と。
私が食べるものがなくて自販機の底をあさっていた時、アルバイトなんか何ひとつしないで高いレストランで食事していた加藤という男も、あの男もおそらく「ドイツ人」だったのではないか。・・私はその頃から「ドイツ人」てやつが嫌いなのだ。
なにしろ、「わしぁ、日陰の月見草」・・・。
※ 《YouTube-ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
  その頃から私にとって最大の愛唱歌は「ロシア民謡」の「ドビヌーシカ」になった。
「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。懐かしいドビヌーシカの歌を」・・。
川村哲二とか加藤とかそういった「ドイツ人」には、このドビヌーシカの歌に込められた思いは理解できないだろう。軍艦マーチでも喜んで聴いてろ! 「ドイツ人」には軍艦マーチあたりが似合いだ。

  少々、話がそれてしまったが、「弁護士が役に立たない」理由の2点目。それは、どういう人間が弁護士になっているか。決して、「同じ中学校から同じ高校に行って同じくらいの評価の大学に行った者が冷暖房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいたまさにその時に、冷房なんか効かない化粧品屋の工場で汗だらだら流しながら乳液作らされていた者」の方が弁護士になっているのではなく、「同じ中学校から同じ高校に行って同じくらいの評価の大学に行った者が化粧品屋の工場で安い時給で冷房なんか効かない状態で汗だらだら流しながら乳液作らされていたまさにその時に、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた者」の方が弁護士になっているのだ! ・・という、まさにその点だ。 「ロスケでイタコでチャンコロの民族」が弁護士になっているのではなく「ドイツ人の民族」が弁護士になっていらっしゃるのだ。
  神戸大学法科大学院大学の先生さまというのは「ドイツ人の民族」がなっていらっしゃるのだ、私が冷房なんか効かない化粧品屋の工場で安い時給で汗だらだら流しながら乳液作らされていたまさにその時に、アルバイトなんて週2回、家庭教師のアルバイトやってるだけで、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいらっしゃったお方、まさに、爪の垢を飲まないといけないようなおえらいお方、まさに「巨人みたいなやつ」がなっていらっしゃるのだ。神戸大学法科大学院大学なんて「そんなもの」ということだ。
  司法試験に合格すれば、「わからないですね」と言えばそれだけで、自分よりも年収が少ない者からカネを盗れる・・司法試験というのはそういう資格を得る試験だと認識しているやつが弁護士になっている。それが「弁護士は役に立たない」原因の2つ目だと私は認識している。

  そうやって弁護士になったような連中というのは、たぶん、「行きたい国を1つあげるならどこですか」ときかれると、「ドイツ」とか答えるのではないか。うちの父親も「ドイツ人で慶應の民族で階級」だけあってドイツが好きで、身につかなかったけれども60過ぎてもドイツ語の勉強していた。
  私は、フランスは嫌いではないが「フランスが好きな日本人」というのは好きではない。だいたい、国の名前に「お」がつくのはフランスだけであろう。 フィリピンも嫌いではないが「フィリピンが好きなおっさん」てのも好きになれない。何しに行くねん、おっさん?!?
「韓国が好きな日本人のおっさん」てのも、韓国の空港につくと「韓国の友人」と称する韓国人女性が空港で待っているらしく、何日か一緒に過ごしてまた、おっさんは日本に帰ってきよるらしいのだが、あんまりいいとは思わん。
ドイツも、海外でドイツ人と出会うと、どうも、日本でステレオタイプ化されている「ドイツ人」とはずいぶんと違うので驚くのだが、そういうドイツ人は嫌いではないのだが、《日本で「わしはドイツ人やねん」と言う日本人のおっさん》というのは好きになれない。そういう人というのは、もしも、ナチズム・ファシズムの政治体制になったならば、自分はナチス親衛隊か何かになるものだと勝手に思っているおっさんであり、決して自分はユダヤ人としてガス室に送られるなどということはありえないと勝手に決め込んでいるおっさんだからだ。おそらく、神戸大法科大学院大学の学生もそんな人間が大部分だろう。自分たちは「人に爪の垢を飲ますための民族」とか思っているのではないか。
  ・・で、私は「ロスケでイタコでチャンコロの民族」らしいが、ロシアの歌というのはなかなかいい。「わしぁ日陰の月見草」みたいな歌詞の歌が多いが、そうでない歌もある。「わしぁ日陰の月見草」みたいな歌もそうでない歌も、どちらもなかなかいい。
  それで、弁護士みたいなもんになっているやつというのは、「好きな国はどこですか?」ときかれると「ドイツ♪」と答えそうなヤツが多い。 そんな連中なのだ、そんな連中。私とは違うのだ。なにしろ「わしぁ、日陰の月見草」・・・。「ええなあ、うらやましいなあ、川村は。わしが化粧品屋の工場で乳液作らされたりしている最中に冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでからに。ええなあ、ほんまにええなあ、長嶋は」・・・
※ 《YouTuve-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA
《YouTube-【阪神タイガース 大合唱】開幕戦の"商魂こめて"は凄まじい》 https://www.youtube.com/watch?v=jqA-_IY2Gu8
〔 そういえば、昔、ロザリオなんていたよなあ( 一一)  「神のお告げ」でさっさと帰ったグリーンウェルとか。自分から当たりにいくデッドボールが得意技のキンケードとか・・( 一一) 〕

  それで、弁護士法第72条の「非弁行為」(弁護士でない者が弁護士の業務をおこなう)に、「津田沼 ザ・タワー」に関して、「株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所 高浦」氏がやっていることは、該当するのか、弁護士法第72条の例外規定に例外として規定されるものがあるのか・・・というと、例外規定で該当するものはないようだ。
  私はそれを霞が関法律相談センターに行って代金を払って「法律相談」したのだけれども、三宅坂法律事務所の弁護士 鎌倉一樹くんは「わからないですね」と言って返答を拒否しておきながら、カネだけ盗ったのだったが(泥棒やろうが、それでは)、どうしてわかったかというと、もはや、弁護士に「法律相談」してきくのはあきらめて、告発状を作成した上で千葉地方検察庁に持参したところ、検事が答えてくれたのだ。

  例外とする規定は別にない。しかし、問題点もあった。
どういうものか。
  私としては、その掲示板(↑ に写真を掲載)に、本来、事業者が対応しないといけないことを自分に言ってくれと明記して表示している時点で、すでに明らかに弁護士法第72条違反であると認識していた。見ていただきたい。違反でしょう。どう考えても。「法律事務」をやっていますでしょ、明らかに。
  しかし、高浦氏がやったのはそれだけではないのです。それだけではなく、習志野市役所建築指導課の山本氏私に「御名前と電話番号を教えてください」と言うので、匿名で話さないといけないものでもないし、名前を教えて困るようなことは話していないので教えたところ、その翌日、「株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所 高浦」氏から電話がかかってきた。
  そこで、高浦氏が話したことは何点かあるのだが、
1.今からでも、高さを低くするということはできますかと私が言ったのに対して、技術的にはできるがやらないと返答した。
2.法規制について、敷地を自転車置き場などに提供することでの容積率緩和を使っているということを高浦氏は話したが、それは、あらかじめ、その土地を所有している者が建てる場合に、道路・公園や自転車置き場などに敷地の一部を提供するかわりに、それ以外の部分に建てる建物について通常の容積率よりも大きい容積率を適用するということができる制度のことで、「津田沼ザ・タワー」の場合は、もとから事業者である三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動産(株)が所有していた土地ではなく、もともとは習志野市の私有地だった所であり、道路を広くしたいとか公園を設けたいとか、あるいは公営の自転車置き場を設けたいということならば、習志野市の私有地がそこにあったのだから、「容積率緩和」をするかわりにということで提供してもらわなくても、習志野市の私有地に設ければよかったことであり、それは制度の趣旨に反するものです。 容積率緩和の制度を悪用したものであり、習志野市は本来ならば、そういった制度の悪用を取り締まらないといけない機関であるはずであるにもかかわらず、習志野市がその制度の悪用に加担しており、習志野市のその姿勢には大いに問題があります。
3.「津田沼ザ・タワー」は、明らかに北側の住居系用途地域の住民には居住環境にマイナスの影響をもたらすものであり、もしも、このまま建築を実行するのであれば、それならば金銭的に補償するということで北側地域の住人に金銭を払うという意志はありますかと私が述べたのに対して、「いや、それは」と拒否した。
  しかし、2については高浦氏は「容積率緩和を利用しています」と、あくまでも説明したものであるが、1と3については、事業者ではない高浦氏が返答してはならないものであり、事業者に取り次ぐという取次係ということならまだしも、事業者ではない者が事業者に取り次ぐこともなく返答しているということは、私が「弁護士法違反にならないかということは考えないのですか」と言ったことに対して高浦氏は「違反にならないように気をつけてやってます」と言ったのだが、「気をつけて」やっているも何も、もうすでにきっちり違反していますでしょ。
  だいたい、高浦氏が私の所に電話してくるということがおかしいのです。もしも、事業者が電話するのであれば、事業者は高浦氏でも株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所でもないはずなのです。事業者でないものがそういった「法律事務」をおこなってはならないはずなのです。

  それで、千葉地方検察庁に告発状を持参したのです。警察は警察が気に食わないと思った相手には無実な相手でもいちゃもんをつけて逮捕したり送検したりしますが、警察・検察ともに市民が告訴・告発すると、な~んとかして取り下げさせようと必死になることが多く、告訴状・告発状を持参しても、な~んとか持ち帰らせようとすることが多いのですが、今回は、ともかくも、事務官なのか書記官なのかが受け取ってくれたのです。
  それからしばらく経ちました。だから、受付てもらえたのかと思ったのです。しかし・・・。

  しばらくして、検事から電話がかかってきました。弁護士法第72条について、その例外規定であてはまるものはないようでした。検事がそう言うのですから確かでしょう。 三宅坂法律事務所の弁護士 鎌倉一樹くんは、なんで、それを答えなかったのでしょうか。

  鎌倉一樹くんは2つのことを言ったのです。
1つめは「わからないですね」と。 カネをとって「法律相談」やっているのに「わからないですね」はないだろうが! 
2つめは「訴えなくていいですよ」と。訴えるべきか、訴えなくていいかは弁護士が決めることではないのです。大きなお世話です
  言うべきでないのに言わなかったものとして、
3.私は、法令で規定されている建築工事現場の掲示板に、事業者ではなく自分の所に問い合わせてくださいという旨の表示をしているという時点で、すでに明らかに弁護士法第72条違反であると考えるべきで、事業者でもないのに私の所に電話をしてきた、又、その電話で高さを低くする意思はない、低くしないからといって北側住民に対して金銭的補償をする意思はないという旨の発言をしたという点については、「さらに」というものであって主張なものではないと考えて重視していなかったが、検事の話ぶりによると、そちらの日時というのが重要のような話しぶりだったのだが、私はそれを知らなかったので、特に記録もしなかった。「法律相談」をカネ出して受けている以上は、弁護士ならば、その日時について、家庭の電話にかかってきた場合は通話録音もできるが、携帯電話にかかってきた場合には録音できないかわりに自動的に着信履歴に日時が記録されるが、放置しておくと古い方から記録が消えていくので、携帯電話の着信履歴の日時が消える前にそれを写真に撮影しておいた方がいいですよ・・ということをアドバイスするべきであったはずだ。それを言わない・言えない弁護士というのは、弁護士として無能であり、「法律相談」として30分、話をしただけで5000円取得する仕事をしたとはいえない。
  ・・実際問題として、弁護士の「相談料」30分5000円ということは、2時間2万円ということになり、「リーズナブル」な方のソープランドと同じくらいの値段であろう。それだけのカネを取るからには、それに見合った仕事をしないといけないのではないか。 私が大学生の時に行かされたうちの父親の勤め先の化粧品屋の工場のアルバイト料は1時間620円だったか630円だったかそんなものだった。新帝国警備保障のガードマン(交通誘導警備)の仕事は1時間1000円だった。弁護士は「相談料」として「わからないですね」で答えるべきものを答えずに、説明しておくべきものも説明せず、雨の日に雨に打たれても、冬の寒い時も夏の暑い時でも、クルマの排気ガスを浴びる屋外に立ち、時には自分が誘導していたトラックにひかれて重傷を負う人も出たりしていたガードマン(交通誘導警備)の仕事の10倍の報酬化粧品屋の工場のアルバイトの15倍を超える報酬を取得して、「わからないですね」で答えていないのだから相談料を返してくださいといっても断固として返さない。彼らこそ、反社会的勢力ではないか。

  慶應大学に在学中、商学部の先生が「商業学総論」という講義の時に、東北大卒で国家公務員をやっている人から言われたという話をされたことがあったのですが、「慶應大学というのはいい大学ですねえ」と言われたということで、どこがいいかというと、「まず第一に慶應大卒の人というのは、就職後、大変よく伸びる」と言われたという話だったのですが、「多少は御上手もあるかもしれないけれども、そう言われた」ということで、それに対してその先生は「いや、東北大とか旧帝大卒の人だって優秀な人はいるでしょう」と言ったところ、その人が「ところがねえ。国立の旧帝大卒の人にはねえ。中に『伸びきったパンツのゴム』みたいな人がいるんですよ」と言われたという。 「伸びきったパンツのゴム」というのはどういう意味かというと、大学合格までがすべてで、「伸びきったパンツのゴム」のように、そこまでは伸びたけれども、その後はもう伸びない・・という意味らしい。
  大学ごとに見て実際にどうかはわからないし、それは東北大卒で国家公務員になっている人が慶應大卒で慶應大の教授になっている人に言われた話なので慶應大の学生に対してのほめことばは「多少のお上手はあるかもしれない」話だったし、慶應大卒の人間がそんなに優秀かというと「?」と感じる部分もある、何より「慶應タイプの強姦魔」だのが「よく伸びる」だのとはとても思えなかったし、思考の硬い内部進学独善主義が職場で昇進させてもらっていても、彼らはたいてい社長の息子とかだから、彼らが職場で昇進しても彼らが「よく伸びた」かどうかとは別のはずだが、実際問題として「伸びきったパンツのゴム」みたいな人というのは現実に存在する。
  弁護士というのにも「伸びきったパンツのゴム」みたいな人はいるのだが、他の資格ならば、資格試験に合格したとしても、それで終わりではなく、資格試験合格が始まりであり、それを基礎・基本としてそこから前進しようという人はいくらでもいるのだが、ところが、弁護士の場合は、どうも、司法試験合格で「達成した」という意識になる人が多いように思う。 貴闘力チャンネルで、貴闘力が息子の王鵬関が十両に昇進した時、「ここから始まるんだから」と言っていたが、弁護士の場合、司法試験合格から始まるのであって、そこで終わりじゃないという意識を持てない人が多いのではないか。実際に弁護士やっている人間を何人も見てきた上で言わせてもらうと、他の職業の人間に比べて司法試験合格の時点で止まっている人というのが他の職業に比べて多いように思う。
  又、小学校の前半、どの先生からだったか忘れてしまったが、「物は使うと減る。しかし、頭は使えば使うほど増える」と言われた記憶がある。頭は何かに使ったら、他のものを理解できなくなるということはない、勉強すればするほど、他の勉強もやりやすくなる・・ということのようで、小学校の先生はそういうことを言う人、言いたがる人が多いように思う。但し、大学入試くらいになると事情は同じではなく、柴田孝之は『東京大学機械的合格法』だったかで、「何をやるか」を考えるだけでなく「何をやらないか」を考えるべきだと述べていたと思うが、私が大学を受けた時のことを考えてみると、そのあたりの思考が不足していたように思う。特に旧帝大系国立大学など試験科目が多い大学の入試では「何をやるか」だけでなく「何をやらないか」も考えた方が「合格への近道」だろう。それは試験合格の作戦だ。しかし、一般に「勉強した人」と「勉強していない人」ならば「勉強した人」の方が社会的判断力もある場合が多いし、たとえば、森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、岩崎弥太郎が「学者書生をその外面を俗化させるは易し。俗子弟を教育して学者書生の気概を養わしむるは難し」と言ったように、一線の仕事ならともかく、管理者的能力については現場での経験だけではなかなか身につかないことを指摘しており、私も実際に会社という所に勤めてそうだと実感したのだが、ところが、弁護士やっている人間の場合はなかなかそうはいかない人が多いように思うのだ。彼らを「その外面を俗化」させようと思っても、かなり重症であって「その外面を俗化」させようと思っても困難であり、そして、頭がいいかというと、頭の大部分を司法試験合格までに使ってしまって残りはほとんどなく、司法試験に合格したという点以外はウルトラのバカ!・・・という感じの人が大変多い。
「ウルトラの母(はは)」ならぬ「ウルトラのバカ」である。
「ウ~ル~ト~ラのバカがいる。ウ~ル~ト~ラのバカがいる~う♪」て、そんな感じ・・( 一一) 〔「ウルトラマン太郎」の歌に合わせて歌ってもらうといい。〕
※ 「ウルトラマン太郎」の歌を知らない人は⇒《YouTube-ウルトラマンタロウ/武村太郎、コーラス:少年少女合唱団みずうみ》https://www.youtube.com/watch?v=LiXp3Xm9hMs
  もしも、違うと言いたいならば、↑ に述べたように、依頼者と打合せを〇日の◇時からやりましょうと自分の方から時刻を指定しておいて、自分の方が毎度毎度遅刻しておいて、「すいません」の一言すらも言わないというその態度くらい改めたらどうかと思う。 法廷に出るために裁判所まで来ている人間の携帯電話に電話してきて「きょうの法廷は延期になりましたあ」て、小学生でもそんなことせんぞ・・て対応は改めたらどうかと思うのだ。相手方書面に書かれていることについて当事者に事実を確認して、当事者が7回も8回も「これは違います」と答えて、そのたびにうなづいておいて、それを「認める」と書いて当事者に無断で裁判所に書面を提出するというそういうことはやめたらどうかと思うのだ。そんなことばっかりやってる連中をそんな連中に大金払わされてきた者が「ウルトラのバカ」と言っていったい何が悪いか!
  ところが、世の中には弁護士というのは世間一般の人間よりもエライと勘違いしている人がおり、そして、弁護士やっている人間にも自分たちは「えらい、えらい、えらい、えらい」とほめてもらう権利があるみたいに思っている人間がおり、そして、「法律相談」なのに頼んでないのに「人生相談」やりだすヤカラがいるのだ。バカのくせに。そんな「権利」なんかないんだよ・・とわからせてあげようと思っても、バカはなかなか理解しない。「一級建築士と名のれば人は言うことをきくと勝手に思い込んでるシンドローム」の「患者」が建築業界にはけっこういて、こいつも「治療」してやろうと思ってもなかなか困難なのだが、それと似たところがある。
  自分たちは世間の人間から法律知識・法的認識と別の部分で「えらい、えらい、えらい、えら~い」と言ってもらう権利があるみたいに思っているアホが大変多い。司法試験に合格したという点以外は「ウルトラのバカ」のくせに。「人生相談」やってくれなんて頼んでないんだよ、弁護士みたいなもんに!

  鎌倉くんの場合、もしかすると、自分自身が「タワーマンション」なるものの住人で、自分のやっていることは悪くないと思い込んでいる人間のひとりなのかもしれない。これは調査したわけでもなく、そうかどうかわからないが、可能性のひとつとしてはありうることかもしれない・・・が、「訴えなくていいですよ」て、何だ、それは。訴えるべきか、訴えなくていいかなんてことは弁護士がどうこう言う問題ではないだろうが。そんなこともわからんのか! 一橋大しか出てないからわからんのだろう・・と考えるべきか、一橋大まで出てるくせにわからんのか・・と考えるべきなのか。どっちか知らんが、どっちにしても、その程度のこともわからんのか・・・と思うが、わからんようです。

  それで・・、千葉地方検察庁の検事から言われたのは、株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所の高浦氏から電話があったのは何日の何時頃なのかということをはっきりさせてもらいたいということでした。 こういう建物は困るので、もう少し低いものにしてもらえないかということと、それをしないのならば、主として北側住民に対して金銭的補償をする意志はありますかと私が言ったのに対して、いずれも否定する発言を高浦氏はしたのですから、当然、弁護士法違反の構成要件に該当しますし、違法・有責な行為ですが、それがいつなのかはっきりさせてもらいたいということでした。
  しかし、私の方では、法令で工事中現場に掲示しなければならないとされている表示看板に、事業者でもない者に問い合わせてくださいと表記している時点ですでに弁護士法違反だと認識していましたので、私の所に電話してきたのがいつだったのか、いつ頃ということはわかりますが、はっきりと何日だったかは忘れてしまっていたのです。そして、携帯電話にかかってきたのですが、携帯電話には着信履歴が残るので何日かは見ればわかるのですが、永遠に記録が残るわけではなく古い方から消えていくようで、その時点ではすでに消えてしまっていたのです。
  それで、私は私が使用している携帯電話の会社のNTTドコモに問い合わせてきこうとしたのですが、インターネットで見ても、NTTドコモの問い合わせ先がわからない。 それならと思い、携帯電話機を購入したドコモショップの店に問い合わせたのですが、ドコモショップでは過去の着信履歴を調べることはできないと言うだけでなく、それならどこに問い合わせればいいかと尋ねても、「こちらではお答えできません」と拒否するのです。「これは、裁判において必要なものですから」と言っても答えてもらえないのです。
  一個人が問い合わせても、なかなか答えてもらえない場合でも、警察もしくは検察が問い合わせれば答えるということが多い。実際には、警察・検察による問い合わせでも、何でも答えていいというものではなく、答えるのが好ましい場合と答えてはならない場合があるのですが、どうも、警察・検察が相手だと答えるべきでないものでも答える人がけっこういるようです。
  たとえば、慎腹風呂愚 [第571回]《佐野警察署(栃木県) 警察官がさせる宅地建物取引業法違反。警察がさせていることこそ犯罪である。》https://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_3.html で述べた件などは、たとえ、相手が警察官であっても犯罪捜査でも何でもないもので、入居者の勤務先なんて家主であれ不動産屋であれ教えてはならないし、不動産屋が理由もなく教えたならば、それは宅地建物取引業法45条「宅地建物取引業者は、正当な理由がある場合でなければ、その業務上取り扱つたことについて知り得た秘密を他に漏らしてはならない。」という規定に違反することになりますから、1998年私が犯罪を犯していたわけでもなく、犯罪を犯したと疑われていたわけでもないのに、佐野警察署の警察官に仲介したアパートの入居者である私の勤務先を教えたと思われる川〇不動産の人間は宅建業法違反の犯罪を犯したことになり、聞きだした佐野警察署警察官はその不動産屋に犯罪行為をおこなわせたということになります。佐野警察署の警察官に私の勤務先を教えたのはおそらく家主ではなく不動産屋の方でしょう。アパートには家主が誰でどこに住んでいるかなんて書かれていないのに対して、不動産屋の名称と住所・電話番号はでっかく書かれた看板が出ていますから、それを見て不動産屋に行って、答えて当然みたいに不動産屋に答えさせたのであろうと考えられますが、佐野市の川〇不動産は宅建業法第45条違反の犯罪を犯したのであり、佐野警察署警察官は川〇不動産に犯罪を犯すように要求したわけです。
  そういった違法行為はおこなってはいけませんが、しかし、今回、私の携帯電話の着信履歴を調べるというのは、それは私が承諾していることであり、株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所 高浦氏の弁護士法第72条違反について調べるためのものですから、NTTドコモはそういう調査には協力するべきであり、警察もしくは検察はNTTドコモに調査に協力してくださいと言って悪いことはないはずです。

  もしも、それが何日であったか正確な日付を確認できなかったとすると、そうであっても、法令で規定されている現地の掲示看板に事業者でもない者が自分に問い合わせをしてくれという文章を明記しているのですから、それだけでも、すでに弁護士法第72条違反と考えるべきであると私は考えますが、検察庁が起訴するかどうか、検察が起訴したとして裁判所が有罪の判決を出すかどうか・・となった時、実際に、高さをもう少し低くしてもらえないかという点と、低くしないのならば主として北側の住民に対して金銭的に補償する意思はあるかという私の発言に対して、事業者でもないのに否定の発言をしたという事実が述べられる場合とそうでない場合で変わってくることが考えられます。

  それで、そのあたりもふまえて、千葉地方検察庁の検事は私に「弁護士に相談されたらどうでしょうか」と言ったのです。告訴状・告発状は弁護士が作成しないといけないという決まりはありません。一般人が作成して訴えていいし、書面ではなく口頭でしてもいいはずですし、弁護士でなければ訴えられないとなるとそれは問題なのですが、どのように論理を組み立てて訴えるかによって、その後の進展が変わってきますから、弁護士の資格を持っている者かどうかよりも、そういった能力があり、そういった経験がある者かどうか、そういう経験と能力がある者がやるかどうかで展開は変わってくるでしょう。ですから、その検事が「弁護士に相談されてはどうでしょうか」と言うのもわかります。
  しかし、私は弁護士に相談しないで告発状を作成して千葉地検に提出したわけではなく、弁護士にカネを払って「法律相談」したところ、「わからないですね」と言われてしまったから、だから、しかたなしに自分で考えて告発状を作成して千葉地検に提出したのでした。
  検事だって、弁護士に相談したら「わからないですね」と言われたとは思っていなかったみたいです。

  それで、NTTドコモに問い合わせようとしても、どこに言えばいいのかわからない。ドコモショップに、どこにきけばいいか教えてくださいと言っても「こちらでは教えられません」と言われたわけです。さて、どうやって調べればいいか。
  もしくは、少々弱いとはいえ、工事現場の掲示に事業者が対応するべきものを自分に問い合わせてくださいと表記しているだけでも違反・違法であるからということで進めるのか。

  それで、「一度、告発状は戻しますので、そのあたりを検討してください」と検事から言われたのですが、実際のところ、「もう、疲れてしまった」。 なんで、私が一人でそこまでやらなきゃならないのか。
  いったい、船橋市の市会議員は何やってるのか。何のための市会議員なのか?
  自治会は何やってるのか。自治会長は何もやらないのか? なぜ、自治会長は対応しないのか? 何のための自治会長なのか? 何のための自治会なのか?

  そう思いませんか?

  ・・・長くなりましたので、自治会の対応などについては、次回に述べたいと思います。

  船橋市の市会議員では、神田ひろえい氏は「私は推進派だ」と言い、それだけでなく「船橋市では、高さ30メートルを超える建物は禁止なんて、そんな規制を作られてしまって迷惑だ」などとそういう口もきいたのですが、この人はそれでも船橋市の市会議員なのか?・・という感じがします。
  船橋市と習志野市の市境界はJR「津田沼」駅付近で東西に走っており、JR「津田沼」駅の南側はほとんどが習志野市ですが、北側は東半分が習志野市で西半分が船橋市になっているのですが、東半分は習志野市といっても、そのすぐ北は船橋市であり、習志野市である部分は商業地であり、上に住居専用の岩山が人工的に作られると、足元の商店は「お客さん」がそこにできるメリットがあって、すぐ足元の店にとっては人工の岩山が高くても低くても居住するのにそれほど大きく関係はないのに対して、北側の船橋市の住居系用途地域の住民にとってはメリットはなく、マイナスの面がほとんどなのです。それを「私は推進派だ」などと言うのがおかしいし、それ以上におかしいのは、賛成か反対かにかかわらず、市境界付近にこれだけ大きい人口の岩山を作るのに、船橋市側に何の相談もなく、何ら意見をきくことなく、習志野市側だけで進めているという点について、船橋市の方の市会議員が「推進派だ」などと口にするのがおかしいのです。神田ひろえい氏は、市会議員でない方の職業が開発屋さんだという話もあるようですが、そうであっても船橋市の側の市会議員であるならば、習志野市と船橋市の境目付近の習志野市に船橋市の側にマイナスになるものを習志野市側だけで計画を進めてしまうということに「推進」とか「賛成」とかするのはおかしいはずなのです。

  ・・次回、自治会などについて述べたいと思います。

  今回は、[第546回]《法律相談で「わからないですね」で相談料を盗る東京第二弁護士会と弁護士 鎌倉一樹氏(三宅坂法律事務所)~「津田沼ザ・タワー」と非弁行為に関して》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202108/article_1.html の続きです。 次回、自治会などについて述べたいと思いますが、それと合わせて三部作になると思います。

  (2021.11.18.)

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  ↑ 2021.11.22.(月) 霧の中の「津田沼 ザ・タワー」。
  こんな霧の中に住んでいいとも思わないけれどもね・・。山地に住んで霧が出るというのは悪くはないだろうけれども、市街地なのに自分の部屋は霧の中という不自然な環境というのがいいと思わないけれども、そういう所に住みたいという人間のおかげでそうでない者の生活環境まで破壊されるというのは、それはおかしいのではないかな。
  又、こういった「高層マンション」では高層階の住民がエライ人間で下層階の住民はそれより下みたいに書いたものを見ることがあるが、「アホと煙は高い所、登る」とかいう言葉があるが、なんか発想が変なのではないか。たまに、出かけた時に、たとえば東京都庁舎とかの高層階の展望室に行って眺望を楽しもうというのは悪くはないとは思うが、普段から人工の岩山の高層階に住んで先住住民の居住環境を破壊して楽しもうというのは、その貧困なる精神構造とおのれらの精神の貧困さを自覚しない態度はいかがなものかと思う。
  習志野市・船橋市といった郊外地において、このような「高層マンション」と戸建住宅・中層マンションは共存はできない。習志野市都市計画課の小口氏は、私が「今後、この地域には戸建住宅には住むなと言いたいのですか」と言ったところ、小口氏は何と言ったかというと「住みたいなら住んだらいいじゃないですか」と、そういう傲慢な口をきいたのです。「高層マンション」と称する人工の岩山を作られて、その下の人工の盆地、もしくは人工の谷底にされたような場所にでも住みたいような卑しい人間なら住めばいいだろうが・・・と、小口氏はそういうことを言ったのです。それが習志野市都市計画課の職員なのです。小口氏は都市計画課は辞めた方がいいと思います。市役所職員を辞めろとまでは言いませんが、都市計画課職員は辞めて外の部署に変わらせてもらうべきです。

  又、私は小学校の低学年の頃、親から「誰とでも分け隔てなく遊びなさい」と言われたものでした。これは物の考え方で、慶應の内部進学の人の親などはその逆を考えており、慶應内部進学は特定の似たような家庭の人間の息子・娘とだけつきあうように「教育」しているようですが、そういった「教育」を受けて育った人間は公立高校卒の人間というのは””ドジン””だと認識し、慶應内部進学は公立の学校に行っている娘は強姦していい・・という思想を持つようになります。そういう「教育」が好ましいと思っているのが元慶應大塾長の石川忠雄で、内部進学石川忠雄は「小学校も慶應幼稚舎のように、『自由』を尊重してどの小学校に行くか選べるようになった方がいい」などと中曽根臨教審で主張しましたが、なるほど、慶應内部進学らしい独善的な主張だなと思いました。
  うちの母親などはその逆の考え方をしていました。私が産まれた頃は普通の家でしたが、母が子供の頃は、母の家は比較的裕福だったらしいけれども、母が行ったプロテスタント系の幼稚園では帰宅時間に家の者が迎えに行くことになっていたらしいのですが、母が仲良くしていた「おなごし」さん(女中さん)で、その頃は12歳くらい、今の小学校6年くらいの人が迎えにきてくれた時、まだ、幼稚園の庭で「お遊戯」をしていて、その「おなごし」さんが、まだ終わってないみたいだと思って帰りかけたところ、シスターが「◇◇さん、帰らないで。どうして帰るんですか。一緒にやりましょう」と言って呼び戻し、その「おなごし」さんと一緒に「お遊戯」をしたというのが母は忘れられないと言っていました。仲がよくて兄弟のようにしていた「おなごし」さんに対して、シスターが、その人がその家の「ごりょんさん」であるか「おなごし」さんであるかなんてことはシスターにとっては何の関係もない・・という態度をとってくれたということが本当にうれしかったと母は話していました。そのあたりが慶應内部進学とは正反対の考え方です。
  慶應大学で「幼稚舎から慶應」の人がいて、その人から私は言われたことがあるのです。「おまえ、種無し葡萄(デラウエア)なんて、よく、そんなもの食うなあ」と。はあ? 「そんなもの、ひとつひとつ、ちぎって口に入れるなんて、よく、そんなめんどうくさい、おかしなことするなあ」と。「人に皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うのなら食うけれども、自分でひとつひとつちぎって口に入れるなんて、そんなおかしなことできるかあ!」と「幼稚舎から慶應」の内部進学様はそうおっしゃるのです。「種無し葡萄(デラウエア)というのは自分で房からちぎって口に入れるのではなく、人に皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」というのが、それが「慶應幼稚舎流種無し葡萄(デラウエア)の食べ方」らしいのです。かつ、かれらはそれが「スマート」だと思っているのです。そして、私は言われたのです。「こらあ! むけえ!」と。少し前、母が体調を悪くした時、種無し葡萄(デラウエア)を食べたいというので、もうデラウエアは置いていない季節に何軒もまわって見つけて買ってくると、今度は、自分で口に入れることができないようでしたので、私が種無し葡萄(デラウエア)の皮をむいて、スプーンで口に入れたところ食べてくれましたが、大きな葡萄ならばともかく、種無し葡萄(デラウエア)は粒が小さいので自分で食べるのではなく人に食べさせるために皮をむくのは大変でした90代のおばあさんに食べさせるために皮をむいてスプーンで口に入れてあげるのならいいと思いますが、元気な10代や20代の男のために、種無し葡萄(デラウエア)の皮をむかされる人て、女中さんなのか執事なのか何者なのか知りませんが、慶應内部進学の家にはそういうことをする人がいるらしいのですが、人間のやることではないと思います。10代や20代の元気な男のために種無し葡萄(デラウエア)の皮をむいてお皿に盛る作業をさせる人間なんて人間ではないと思うし、いくら高い給料もらっていても、そんな作業をさせられてやっている人間も人間ではないと思います。 そういうことを人にさせて得意がっているのがそれが慶應内部進学であり、そういう態度を「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「慶應心理学」は「診断」するのです。ユニークな「独立自尊」だなあと思います。そういう態度を「福沢精神」と言うのですが、慶應内部進学の人は福沢諭吉が述べたことやおこなったことと何の関係もないことを「福沢精神」と言うのが大好きです。そういう「教育」がいいと思う人も世の中にはいるようですが、そう思わない人もいるようです。
  何の雑誌だったか忘れたが、鳩山由紀夫が話していたものですが、鳩山由紀夫は小学校は学習院の初等部に行ったけれども、祖父だったかが「学校を小学校・中学校・高校・大学と4つ行くのなら、4つとも同じ学校に行くのではなく、少なくとも1つは違う学校に行った方が成人するまでに様々な人と出会うことができていい」とアドバイスしてくれて、それで、小学校は学習院に行ったが、中学校・高校は筑波大付属駒場高校に行き、大学は東大に行ったということでした。慶應の内部進学の人とは正反対の考え方です。私は内部進学から言われたのです。「こらあ! むけえ!」と。慶應内部進学は大学だけ慶應に行った人間のことを「(慶應義塾の)外部の人間」「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部のやつら」と言います。又、彼らは「最低でも高校から慶應に行った人間が本物の慶大生」と言います。だから、大学だけ慶應に行った人間というのは彼らにとってはニセモノなのです慶應内部進学にとっては、「外部のやつら」「外部の者」というのは内部進学の人からすると下男・婢であり、特に公立高校出身の人間というのは””ドジン””なのです。彼らは””ドジン””にはそういう態度を取らないといけないと「教育」されてきているのです。彼らは自分たちを植民地の白人支配者のように認識しており、白人支配者が””ドジン””を強姦してもいいのは当然・・・みたいな認識でいます。彼らはそういう「教育」を受けてきており、そういう態度・そういう思想が「独立自尊」で「スマート」で「自我が確立されている」と「教育」されてきており、そんな教育はいかんなあ・・と言う人間というのは「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らっている」とか「診断」します。だから、うかつに言えません。怖いこわい。
  うちの母親はそんな教育は良くないと思っていたようで、だからこそ、私が小学生だった頃には「誰とでも分け隔てなく遊ぶようにしなさい」と教えたのでした。私が行ったカトリック系の幼稚園の先生も「誰とでも分け隔てなく遊びなさい」と園児に言っていたし、私が行った公立の小学校の先生もそう教えました。そのあたりは慶應内部進学とは正反対の教育をしていたようです。そのあたりを慶應の教授(内部進学)はおもしろくないようですが、彼らからののしられるのなら、むしろ、「喜び喜べ。天にてその報いは大きいであろう」とでもいったところです。但し、うちの母親は「誰とでも分け隔てなく遊びなさい」と私が子供の頃、言っていたのですが、片方で「(近所にあった)☆☆アパートの子とは遊んではあかん」とか言ったりしたので、子供としては「どっちやねん」て思ったものでした・・が、その「☆☆アパート」という見るからに安もんアパートの子というのは実際問題としてガラが悪く、親としてはそういう影響を受けさせたくないと思ったようで、子供は正反対のことを言われたように思ったけれども、実際には、慶應内部進学みたいに自分たちと似た人間とだけつきあって自分たちを特権階級だという意識を持って育つのではなく「誰とでも分け隔てなく遊びなさい」という考えと、ガラの悪い家庭の子とつきあってその影響を受けさせたくないという考えは正反対ではなく、両方必要な考えと思っていたようでした。今は私はその気持ちはわかります。
  母の弟(叔父)は私が嫌いだったようですが、そのルーツとして、まず、私が子供の頃、母の下の妹(叔母)は息子2人とその叔父とつきあわせたのに対して母は私をそれほどその叔父とつきあわさないようにしていたということが面白くなかったということがあったみたいでしたが、母はその叔父が高校生くらいだった時はまだ小さかったうちの姉とつきあわせていたのに、その後、なぜ、息子の私とはあまりつきあわせたくなかったかというと、なにしろ、日体大卒でラグビーの先生になりよったそのおっさんは「アタマがラグビー」でできていて、うかつに息子をつきあわせると「ラグビーばっかりやって、ちっとも勉強しよれへん」というのを教えよるもんで、それも悪気ではなくて《「ラグビーを教える」のではなく「ラグビーばっかりやって、ちっとも勉強しよれへん」というのを教えよる》もんで、それで、あまり深くつきあわせたくなかったみたいだった。その気持ちはわかる。かつて、愛媛県の松山では、大学進学前の息子がいる親は、息子を正岡子規とつきあわさないようにしたとかいう話があり、なぜかというと、正岡子規は東大文学部に進学したのはいいが東大文学部の講義がくだらんと言って、さっさと東大やめて荷物まとめて松山に帰ってきよって、松山に戻ると「東大なんかくだらん」と言いまくりよるので、大学進学前の息子を持つ親は正岡子規とつきあわせてその影響を受けて「東大なんかくだらん」と思って進学やめられたのではかなわんと考えたらしかったが、それなども特定の家庭の子弟とだけつきあわせようという考えとは別物でしょう。私にしても、息子・娘を「慶應内部進学の強姦魔」とか「種無し葡萄(デラウエア)を人に皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人」(「本物の慶應ボーイ」)なんかと関わらせて悪影響受けさせたくないですから。
  中曽根臨教審で慶應大塾長で慶應内部進学の石川忠雄が「自由を尊重するために、慶應幼稚舎のように小学校からどこの小学校に行くか選べるようにするのがいい」と主張したのに対して、東京都立大学教授で教育学者だった山住正己は「大学ならば、自由を尊重するために、行く人間がそれぞれの人間の考えによって選べるようにした方がいいであろうけれども、小学校の段階では、そうではなく、誰もが同じ小学校に行ってこそ、異なる家庭の子弟と交わり経験を持つことができて視野が広がるのであり、小学校の段階から行く小学校を選ぶようになるならば、むしろ、特定の層の家庭の子弟ばかりが集まり、逆に子供の自由を奪うことになる」と指摘していましたが、私も山住正己の言う通りだと思います。やっぱり、石川忠雄は慶應の内部進学だけあって思考がおかしい、「アタマが内部進学」だなあ・・と思いました。慶應大学でこういうことを口にすると内部進学の人から殴りかかられますけれどもね。彼らはそういう態度が「愛塾」で「福沢精神」で「独立自尊」で「自我が確立されている」で「思考が柔軟」で「ギャルにもてもて」だと思っており、そう考えるように観念的に「教育」されてきている人たちなのです。〔最後の「ギャルにもてもて」てやつは、「似た者同士(「あんなのがええの~ん?」てやつ同士)くっついとるだけ」だと思いますけどね・・〕
  ・・で、私が親の立場であったなら、やっぱり、片方でああいう家の息子・娘とはあんまりつきあわせたくないなあ・・という親はありますが、基本的には「様々な家庭の子弟と関わって育ってこそ、人間的に成熟した視野の広い人間になることができる」と考えており、慶應内部進学みたいのは、ああいうのは良くないなあ・・・と今も思っています。彼らは私なんかが何を言おうが「ドジンの言うこと」くらいに思っているでしょうけれども。
  それで・・・、今でも、自分が親の立場ならば、基本的には「さまざまな家庭の子弟と関わって育ってこそ、視野の広い成熟した人間に育つ」と思っているのですが・・・、他方において、「津田沼ザ・タワー」みたいな所の住人の子供とは、あんまりつき合わせたくないという気持にもなります。彼らは「侵略者」としてそこに人工の岩山を作って住んでいるのです。先住民からすると、彼らは「侵略者」なのです。「さまざまな家庭の子弟と関わって育ってこそ、視野の広い精神的に成熟した人間に育つ」という考え方と「侵略者」の子供とはつきあわせたくないという考え方は、正反対の考えではなく、物事の別の側面であり両立する考え方だと思います。
  先住民のことなんかちっとも考えないで人工の岩山を「巾着切りのごとく」出現させて居住している侵略者どもの子供とは、あんまりつき合わせたくないと思うのは人間として自然なものであり、その「高層マンション」が人工的に盆地・谷地にした下の盆地・谷地の戸建住宅に住んでいる者を上から踏みつけるようにして傍若無人に住んでいるような侵略者の子供とつきあえという方が不自然でしょう。

  私だって、もしも、都内でけっこう忙しい仕事についている場合に大人だけが住むのならば、短い通勤時間で住める都内で「高層マンション」で妥当なものがあったなら住むことを検討するかもしれませんよ。しかし、せっかく、郊外地に住むのに、なんで、わざわざ、コンクリートの箱で、しかも、地面から遠く離れた空中に住まなきゃならんのだ・・と思いますね。そのあたりを考えて都市計画はおこなうべきであり、そのあたりを考えることができないようなら学校行きなおして勉強しなおしたらどうなんだ・・・ということになると思うのですが、千葉工大という「大学」は、その「学校行きなおして勉強しなおした方がいいのと違うのか」という人が教員になって教えている「大学」みたいですね。行きなおすべき「学校」は建築学科とは限りません。むしろ、この場所に向いているものは何か、この場所は何によって評価される場所か、どういうものを作るとマイナスの影響が出るか・・といった思考は、むしろ、建築学科よりも主として商学部・経営学部的発想かもしれません・・が、建築学科卒でもそういう発想・そういう思考がない人間、郊外地に向くものと都心部に向くものの違いといった思考も欠落した人間というのは建築学科卒の人間としても困りものです。
  
東京の都心部よりも通勤に時間がかかる習志野市・船橋市の良い所は「ここまで来れば戸建住宅(もしくは低層の集合住宅)に住める」であり、都心部と違って自然環残されているいる」であったはずで、高層の岩山に住みたい人は、それならそれで都内に住めばいいのです。違いますか。
 「習志野ザ・タワー」のようなものの建造を認めたのでは習志野市・船橋市の良さが失われると考えられ、「高層マンション」は、「高層マンション」としては都心部の「高層マンション」とではまず競争に負けるでしょう。
  ベートーベンは交響曲第6番「田園」で、「田園地帯についたここちよい気持ち」を音楽にしていると言われますが、「郊外地に住めたうれしい気持ち」を破壊する人工の岩山を見たならば、ベートーベンも怒るでしょう。怒ると思いますよ。
※ 《YouTube-ベーム ウィーンフィルの「田園」ライヴ 1975年》https://www.youtube.com/watch?v=WW-a9-pq1Vo

  (2021.11.22.)


☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201905/article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場
「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンション https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_1.html
[第468回]「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_3.html
[第469回]「本人訴訟の一般人には相当大きく安全側に要求し、弁護士にはよほどのことがないと」の裁判所書記官の対応と、「三菱」「三井」「野村」の言うことならきくのか? 独立自尊の精神に欠ける習志野市建築指導課!https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_4.html
[第470回]都市計画法による用途地域の趣旨を守るために建築基準法の規定があり、逆ではない。マンション屋の為の都市計画課なら存在価値はない。岩山マンションによる環境悪化・財産価値低下に補償することもせずに「意見の違い」など認められない。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_5.html
[第471回]船橋市各所から見た「津田沼 ザ・唯我独尊タワー」船橋市各所から南方に岩山として眺望を妨げ、同類が建てば通風も妨げると思われる「津田沼 ザ・タワー」。なにゆえ、市民はこのような遮蔽物を人工的に造られねばならぬのか!?! https://tetsukenrumba.at.webry.info/201908/article_1.html
[第474回] 権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201911/article_1.html
[第478回] 富士山のそばに人工的岩山を造られても国民は文句は言えないか? 夜空を照らす照明塔岩山マンションははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_1.html
[第479回] 3階建か4階建の建物を前提に規定された数字を160mを超える岩山建造に適用は不適切。権威づけ神輿の建築学科教授山本明氏・倉斗綾子氏はこの程度のこともわからないのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_3.html
[第480回] 夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_4.html
[第482回]「津田沼 ザ・タワー」の「容積率緩和」適用は制度の趣旨に反する。「仲よし幼稚園跡地活用事業」「審査委員」の選定は八百長か。商学部経営学部系教員を選考委員に入れないのは、八百長計画に異議を唱えさせないためなのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_6.html
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[第484回]「津田沼ザ・タワー」は北側に大きな窓を設ける権利がなぜあるのか? 夜、光らせる権利がなぜあるのか? 及、猫の頭なでるだけなでて糞や小便を他家の庭やガレージでさせる猫の飼主は横暴ではないか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_9.html
[第485回]「津田沼ザ・タワー」”最高のロケーション”と称賛する「投資家カズのトレード日記」は精神病理学上の問題ではないかとすら思える。邑楽タワーの失敗と「津田沼ザ・タワー」の居直り。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_10.html
[第486回]「津田沼ザ・タワー」に反対はあっても賛成はありえない2つの理由。60年安保闘争には2種類の反対があった、て知ってますか。「大学教授」であっても「知識人」ではない千葉工大の大学教授。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_11.html
[第487回] 地下鉄と「高層マンション」は文明ではない。モンパルナスタワー・ナポリ副都心に該当する配慮は見られない「津田沼ザ・タワー」。「津田沼ザ・タワー」は建築学科課題としては落第点である。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202002/article_1.html
[第488回] 「津田沼ザ・タワー」はパチンコ屋みたいに、夜、光りだしたが、パチンコ屋より傲慢。屋上のペントハウスを光らせて、マンション屋と「購入者」は何か得するのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202002/article_2.html
[第491回] 遠藤周作『花鳥風月を友として』で考える「津田沼ザ・タワー」。船橋市・習志野市での「田園まさに荒れなんとす」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_4.html
[第497回] 都心の区がビルの新築に際し住居スペース確保を求めるごとく、郊外の駅前では商業施設の割合を確保させる規定を設けるべきである。都心に向く建物と郊外に向く建物は違う、ということくらい建築学科教授ならわかりそうなものだが。「1年の契約社員」の募集を「正社員」募集と言う会社はいかがなものか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_5.html
[第498回] 雲の中のトドラが棲息する場所のマンション、バルタン星人の3倍の高さのマンションなんて、人間にとって非本来的だと思いませんか?ー『ウルトラQ』『ウルトラマン』で考える「津田沼ザ・タワー」の貧困なる精神。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_6.html
[第504回] 外観・内観・機能のいずれも目的にない「津田沼・ザ・タワー」。「外」重視のシドニーオペラハウス、「巨大な彫刻」東京カテドラル聖マリア大聖堂などと比較して考える。今こそ失ってはならない日本人の美徳と日本の美。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202007/article_1.html
[第505回] 雲より高いマンション、雨雲の中のマンション、雲霧に埋没するマンションは、建築として住居として本来的ではないだろう。「津田沼ザ・タワー」は非人間的・・で家相も良くない・・だろう。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202007/article_2.html
[第521回] せっかくの郊外で、なぜ星や月を見ずに、人工の照明を見せられなければならないのか? 「津田沼ザ・タワー」屋上の人工照明を喜ぶ人はその貧困なる精神を反省すべきです。及、星・星座というのはプラネタリウムで見るのではなく、夜、空を見上げてみるものだ、と知ってますか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202011/article_2.html
[第533回]「しぶんぎ座流星群」はよく見えなかった。明るすぎるマンションの照明。「ジャコビニ流星群」時と違って照明を消そうという動きのなくなった世相と風物をめでようという心の喪失。都心部のマンションと郊外のマンションの違いも理解できない「三流一級建築士」。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202101/article_2.html
[第546回]法律相談で「わからないですね」で相談料を盗る東京第二弁護士会と弁護士 鎌倉一樹氏(三宅坂法律事務所)~「津田沼ザ・タワー」と非弁行為に関して https://tetsukenrumba.at.webry.info/202108/article_1.html
[第561回]《「津田沼ザ・タワー」に関し、弁護士法違反で告発状を提出した結果について。及び、弁護士と関わると、本当に疲れる。「弁護士は役に立たない」原因、考えられる2つの理由。自分たちの居住地域の南側に巨大な人工の岩山が造られようとしているならば、住民はみんなで対応するべきではないのか。》 〔今回〕

「慎腹風呂愚」
[第759回]《高山の町並にて。「和風のドーマー」は違和感なく存在。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。—高山の町並みにて(1)》https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_10.html?1584263851


☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_2.html
[第803回]地下鉄「新大阪」駅の変化と「千里中央」駅付近の変化ーセンスの良い新大阪駅の休憩室。千里丘陵になぜニュータウン計画を否定する高層ビルを作るか。及、プラウドタワー船橋 により谷底化される船橋駅北口 と ザ・千里タワーにより谷底化される千里中央駅・セルシー付近。https://shinkahousinght.at.webry.info/202010/article_11.html 

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
「慎腹風呂愚」
[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_27.html
[第803回]地下鉄「新大阪」駅の変化と「千里中央」駅付近の変化ーセンスの良い新大阪駅の休憩室。千里丘陵になぜニュータウン計画を否定する高層ビルを作るか。及、プラウドタワー船橋 により谷底化される船橋駅北口 と ザ・千里タワーにより谷底化される千里中央駅・セルシー付近。https://shinkahousinght.at.webry.info/202010/article_11.html 

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_11.html 
で述べました。   

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