衆院議員選挙に。見解の合わない相手と協力は可か? 立憲民主党議員は靖国神社参拝を奨励する人と共闘していいか? 巨大な岩山を周囲の住人の意見をきかずに計画を進める者に加担する人と共闘していいのか? 聖教新聞の押売り・子供手当により子供がない者からカネを奪う公明党は支持できない。

[第559回]
  次の日曜日、10月31日(日)が衆議院議員の選挙の投票日になっている。自民党の総裁・総理大臣が選挙の直前に変わるというのも考えてみると変な話で、選挙で大敗した時に総裁・総理大臣に責任があるから辞任して変わるとか、不信任案が可決したから選挙をするというのならわかるが、通常の選挙の直前に総裁・総理大臣を変えるということは、もしも、選挙で大敗したなら、変わったばっかりの総裁・総理大臣が変わるのか。なったばかりだから、なったばかりの総裁・総理大臣の責任ではないということでそうはならないのか。
  戦後、日本で長命だった内閣を見ると特徴があって、第一に「アメリカ合衆国さんに逆らわない」内閣というのが大きい。吉田茂・佐藤栄作・中曽根康弘・小泉純一郎、そして、安倍晋三と。もうひとつ、「小泉純一郎ええかっこしい内閣」はなぜ長命だったかというと、ひとつにはその「ええかっこしい」に原因があると思う。要するに「選挙に強い」内閣だという点だ。森喜朗が選挙の直前に「中間層は選挙に行かずに家で寝ていろ」なんてアホなことを言ったものだから、それまで、「選挙に行かずに家で寝て」いようかみたいに思っていた「非自民の側の中間層」が選挙に行って「自民党ではない方」に投票しようという気持になり、結果として選挙で自民党は大敗し、そして、「私は今までからあの人のことを『特別に賢い』なんてことは思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」という田中真紀子さんの歴史的名言を生んだ。森喜朗がそういうアホなことを言っても森喜朗自身は落選しないが、自民党の当落線上の議員が落選する。だから、そういうことを言うようなおっさんは総裁・総理にはならないでほしいと「当落線上の議員・候補者」は考えるのではないか。だから、森喜朗内閣は短命になり、選挙向けの「ええかっこしい」内閣の小泉政権は長続きした。「また、ええかっこしいやったろ 思うてはるう」と辻元が言っていたが、実際そうなのだが、私も「また、ええかっこしい やったはるう」という印象を小泉純一郎には持ったけれども、その「ええかっこしい」が選挙においては役だったことから、小泉純一郎は「当落線上の議員・候補者」から支持されたのではないか。
  もうひとつ、顔の問題もあると思うのだ。「どうでもいいみたいな顔」してる人「特徴がある顔」している人とでは「特徴がある顔」の人が総裁・総理や野党なら委員長になっている方が選挙には「受ける」ように思うのだ。その点でも森喜朗と小泉純一郎では小泉純一郎の方が「選挙向け」だったのではないか。
  自民党の場合は「あまりにもタカ」「あまりにも右翼」は国民から警戒されることになり、第一次安倍内閣が短命になったのも右翼安倍晋三が正体を丸出しにしたからで、第二次安倍内閣が長命になったのは「右翼色控え目」にしたからだろう。
  顔で判断するならば、自民党の総裁選挙に出た4人では河野太郎が良さそうに思えたのだが、選ばれたのは岸田文雄だった。高市早苗では第一次安倍内閣の「右翼色丸出し」「タカ派そのまんま」だから野党としては高市早苗が総裁・総理大臣になってくれれば戦いやすく、河野太郎では立憲民主党の支持層の票まで河野太郎に持って行かれそうだから、野党、特に立憲民主党としては高市早苗が総裁・総理大臣になってくれれば「差別化」をはかることもできて、第一次安倍晋三内閣が短命になったのと同じく、自民党が大敗する可能性だった考えられたが、河野太郎なら立憲民主党の票まで持って行かれてしまうおそれがあったのが、宏池会の岸田文雄と、宏池会というと大平正芳・宮澤喜一の流れだったはずで、自民党内では比較的ハト派・自民党内では比較的穏健派だが、河野太郎の父親の河野洋平みたいな「筋金入りのハト派」ではない・・というあたりに落ち着いたみたいだった。河野太郎が総裁選の決選投票で負けたのは、決選投票の相手が「右翼の高市早苗」ではなく「どっちかというとハト派の宏池会」「とっちかというと穏健派の宏池会」が相手だったからということと、もうひとつ、大きな原因としてありそうなものとして、自民党という政党は昔からタカとハトがいると言われてきて、ハトの何割かは民主党に出ていったが今でも「自民党は出たら損」ということで残っているハトはいるわけで、河野太郎もその1人のようだが、安倍晋三は自分の内閣を支持してもらうためにハト派の河野太郎を大臣に取り込んだが、しかし、自民党では「タカ派の総理大臣の内閣にハト派を大臣に入れてとりこむ」ことは認められても、「筋金入りのハト派」を総理大臣にはならせたくない・・と強く拒否反応を示す層がいるのではないか。そういう層にとって岸田文雄は許容範囲だが河野太郎は範囲外・・という判断をした人がいたのではないかな・・。それで、選挙用なら河野太郎が4人の中では一番強いが、自民党内タカ派としては河野太郎は何かの大臣にするまではいいとしても総理大臣にならせるのは許容できないということで、許容範囲の岸田文雄になった・・て感じ。 しかし、インターネット上にも顔写真が出ているから見てみるとわかるが、「顔で判断すると」岸田文雄は「特徴ある顔」系か「どっちでもいい顔」系かというと、「どっちでもいい顔」系の顔だ。

  私が住んでいる千葉県第4区・船橋市 では、長く野田佳彦が衆議院議員で、対抗馬をしばらくやっていた「永田町の女たらし」「慶應タイプの女たらし」と言われた藤田みきお はやめたみたいで、今回の自民党の候補者はというと・・ええ~っと、誰だっけ?・・・という状態ということは、千葉県第4区は野田佳彦が相当優勢ということだろう。なにしろ、2人だけしか出ていない選挙区で、相手の自民党の候補者は「ええ~っと、誰だっけ?」なのだから。
  千葉県第4区の候補者は《選挙ドットコム 千葉県第4区》https://shugiin.go2senkyo.com/49/senkyoku/38881?search=true によると、立憲民主党の野田佳彦と自民党の候補者は木村てつや で、木村てつや氏は《選挙ドットコム 木村てつや》https://go2senkyo.com/seijika/25199 によると、船橋市の生まれで、学歴としては千葉工大の経営工業経営学科という所を卒業して、その後、ようわからん所にごちゃごちゃ行って卒業してから、船橋市市会議員・千葉県県会議員になり、2017年の衆議院議員選挙で比例区で当選したらしい。
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  比例区だと自民党の上位に記載されておれば通るだろうけれども、船橋市では「ええと、誰だっけ・・」て感じだよなあ。もうひとつ、「藤田みきお じゃなかったの?」てのもある。
  藤田みきお は「永田町の女たらし」と言われ、実際にそうであるのかないのかは知らんけど、顔で判断すると「なんか、慶應タイプの女たらし」て感じ、「いかにも内部進学」て感じの顔、女をだますことばっかり考えてそうな顔(実際にそうかどうかは知らんで)・・をしていた・・と思ったのは私だけではないと思うのだ。
  ・・で、藤田は今では「一般人」だからあんまりボロクソに言わない方がいいのかもしれないが、これはそれほど無茶苦茶ボロクソに言っているわけでもない。どうボロクソではないかというと、《選挙ドットコム 千葉4区》https://shugiin.go2senkyo.com/49/senkyoku/38881?order=r&mode=list&search=true を見て思ったのだが、木村てつや ・・て、「こまわり みたい」・・。 そう思ったのだ。顔の下半分がふくらんでいて、「こまわり みたいな顔」・・・。 それから考えると「永田町の女たらし」「慶應タイプの女たらし」藤田みきお の方が顔は良かったかもしれない・・か?  ・・で、もうひとりの野田佳彦の顔を見ると、あれ? 野田佳彦も顔の下半分が上半分よりふくらんでる・・。
・・なお、「こまわり」を知らない人も若い人にはいるかもしれないので、そういう人は ↓
がきデカ 第1巻 - 山上たつひこ
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  今回、立憲民主党は日本共産党と共闘することにしたらしいが、これはプラスになるかマイナスになるかわからない。少し前、大阪では維新の会の候補者に対抗するために、自民党と共産党が同じ候補者を応援していたことがあったが、自民党の支持層からすると「共産党の候補者」に見えて、共産党の支持層から見ると「自民党の候補者」に見える・・という面もあったのではないかと思う。そうなると、両方の票を獲得できるのではなく、両方から投票してもらえないということになりかねない。

  なんらかの提携をしていいのかどうか、あまりにも見解が違う相手と共闘すると、「数合わせ」で何でもいいのか? あまりにも節操がないのではないか? ・・と受け取られる場合があるが、他方で、どういう相手と組むかの基準を逆にあまりにも厳しくすると、どことも誰とも組めなくなることになるおそれもある。そのあたりをどう判断するかが難しい問題なのかもしれない。

  2021年10月26日(水)のことだ。千葉県船橋市の我が家の近所を野田佳彦の選挙カーが通った。もし、野田佳彦自身が乗っているのなら、「元総理大臣」てどういう顔してるおっさんかいなあ~あ・・と見物に行こうかと思ったが市会議員の選挙とは違って本人が乗っているわけではないらしい。
  大変、気になった・・というよりも、抵抗を感じたのは、野田佳彦の選挙カーの うぐいすおばさん が、「只今、選挙カーの助手席に神田ひろえい市会議員が乗っております」とマイクで何度も叫んでいたことだ。それが何か野田佳彦にプラスになるとでも思ったのだろうか?
  神田ひろえい氏は、私がこのブログで何回かとりあげた、船橋市の前原・飯山満・駿河台地区の第一種低層住居専用地域のすぐ南に巨大な人工の岩山を建造する「津田沼 ザ・タワー」に「賛成派だ」と称した男であり、「津田沼 ザ・タワー」だけではなく、船橋市内では高さ30メートルを超える建造物は禁止としている地域が多いのだが、それを「あんな規制を作られてしまって」などと言っている男であり、自分自身も前原地区の低層住居専用地域で戸建住宅に住んでいる住人のはずなのに、人工的岩山を船橋市・習志野市に作って戸建住宅住民の環境を破壊しようとしている男である。
  船橋市・習志野市というのはどういう所かというと「ここまで来れば戸建住宅に住める」という所、「ここまで来れば自然環境が悪くない場所に住める」という場所であり、そういう場所に巨大な岩山を人工的に作るというのは不適切・不向きであり、それを推進した千葉工大建築学科教授⇒名誉教授のなんとかは「何、考えとんねん。おまえ、それでも建築学科教授か?」というものだ。
  それよりも、もっと大きな問題は、習志野市にも条例による規制がまったくないわけではないが、高さ10メートルを超える建物については周囲何メートル以内の土地・建物の所有者と住人(所有して住んでいる人間と、所有しているが住んでいない人・所有はせず借りているものだが住んでいる人)に説明しないといけないという規定があるのだが、高さ10メートルというのはどういう建物かというと3階建ての建物で10メートルを超えるか越えないか・・というものだ。3階建ての建物で基礎を高く取って各階の高さを高く取って屋根を寄棟なり切妻なりでけっこう急勾配にすると10メートルを超えるが、3階建ての建物でも基礎を低めにして各階の高さを建築基準法上の「居室」として必要とされる高さ210cmをわずかに超える220cmとかにして、屋根は金属系の屋根材を使用して勾配を緩くすると10メートル以内におさまる場合がある。そういう高さが10メートルである。習志野市の規定はそんなもので、それを「津田沼 ザ・タワー」はその規定よりも広めの範囲に説明しましいたあ~あ・・などとナマ言っているのである。バッカじゃなかろか! 3階建ての建物を対象として設けられた条例の規定をもとにして、百何十mの「一人前に山」の建物に適用して「規定よりも広めに説明したんですう」て、「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕

  習志野市と船橋市の境目付近の習志野市にそのような人工の岩山を作らせるということを、なぜ、習志野市が阻止しないのか?・・というと、ひとつには都市計画課は県ではなく市に存在して、用途地域やその他の規制は市がおこなっていて、JR「津田沼」駅は船橋市と習志野市にまたがって存在し、JR「津田沼」駅の南側はほとんどが習志野市だが北側は東半分が習志野市で西半分が船橋市で、そこから北は船橋市になっており、それゆえ、「船橋市の住人のことなんて『習志野市』は知ったことではありません」とは言わないけれども、実質的に「習志野市」は北側の船橋市の第一種低層住居専用地域など住居系用途地域の住人のことなんて考えておらず、習志野市域のみのことを考えてやっているということがある。
  しかし、だからこそ、千葉県議員や千葉県知事、そして、国会議員でも千葉県選出国会議員はそのあたりについて考えてほしい。市だけで都市計画を立てたのでは、自分の市のことだけ考えて境界付近に隣接市にとってマイナスになるものでも平気で作る・作らせるということになりかねないのであり、「津田沼 ザ・タワー」はその例である。

  神田ひろえい氏が自分自身も「津田沼 ザ・タワー」のすぐ北側の低層住居専用地域で戸建住宅に住んでいたと思うのに「津田沼 ザ・タワー」など巨大な人工の岩山を作ることに「賛成派だ」と自称するのかというと、市会議員ではない方の職業が「開発屋さん」だからだという話があるようで、「津田沼 ザ・タワー」の工事で利益をあげたのかどうかは私は良く知らないが、一般にそういった「開発」はあった方がもうかる方の人だという話があるようだ。
  そういうことならば、自分が住んでいる所にとってマイナスになる建設工事にでも賛成するというのは「わかる」。そういうことだと断定していいのかどうかまでは私はわからないが、ありそうな話ではある。

  しかし、市会議員ではない方の職業で人口の岩山を作る工事がおこなわれれば得する立場にあったとしても、神田ひろえい氏はそれでも市会議員でもあるわけで、市会議員であるならば、用途地域として第一種低層住居専用地域として、2階建てくらいの戸建住宅の居住環境を守りましょうと船橋市が指定した地域の環境を悪化されるようなものに「賛成派だ」というのはおかしいはずなのだ。
  又、市会議員であるならば、隣接市が自分の所の市の都市計画に反することをやっていることに「賛成派だ」というのもおかしいはずなのだ。隣接市が自分の所さえ良ければ北隣の市のことなんて「知りまへ~ん」てことをやるのなら、「ちょっと待て」と言うべきではないか。それが市会議員の仕事と違うのか? 市会議員でない方の仕事には熱心だが、市会議員の方の仕事は市会議員でない方の仕事のはしためであるのなら、そういう市会議員なら辞めてもらった方がいいのではないのか。

  それ以上に大きな問題として、「津田沼 ザ・タワー」ほど巨大な岩山を人工的に作るのであれば、その周辺の住人に「意見をきく」ということが必要であるはずで、もしも、現在の法律で周囲の住人に「意見をきく」ことは必要ないとなっているのならば、それは「法に欠缺がある」ということで、「まっとうなことをやっている」というのと「法の欠缺を利用する」のは同じではない。

( ↑ 「津田沼ザ・タワー」 )

  まず、「津田沼 ザ・タワー」のような巨大な岩山を人工的に作ろうとするのならば、周囲の住人、この場合は「所有していて住んでいる」人だけではなく「所有しているがその時点では他の場所に住んでいる」人・「所有はしていないが住んでいる」人を含めて「意見をきく」
ということをした上で計画を進めるべきであり、船橋市と習志野市の南北の境界付近で、すぐ北側は船橋市の習志野市に巨大な岩山を作ることによって足元の商店街は住宅専用の巨大なマンションができることで需要ができて得するとして、マイナスの影響が出るのはその北側の戸建住民であるという場合に、プラスの影響が大きい足元の商店街の人間にだけ「意見をきく」ということをして進める「習志野市」と千葉工大建築学科教授⇒名誉教授の某のやり口は、民主主義を否定するものである。議員というものは、何党の議員であれ、市会議員であれ県会議員であれ国会議員であれ、民主主義を否定する動きには加担してはならないはずである。
  船橋市と習志野市の市境のすぐ南側に習志野市側だけで話を進めてしまうという「巾着切り」「コソ泥」みたいなやり口には、市会議員であれ県会議員であれ国会議員であれ「賛成派」にはなってはならないはずだ。神田ひろえい氏はそのあたりを理解できていない。私はこういうことを理解できていない人は市会議員であれ県会議員であれ国会議員であれ議員になってもらいたくないのだ。

  実は、私は衆議院議員の選挙では、「絶対にこの人がいい」がここしばらくいなかったので、消去法で入れたくない方の人を避けていって残った人として野田佳彦に投票してきたのだ。今回もそのつもりでいた・・が、神田ひろえい氏などと提携か共闘かしているとなると、そうなると話は別だ。
  なんでも、誰とでも組めばいいというものではないはずなのだ。

〔 顔で判断しても消去法だと「こまわり」顔の木村てつや の方が先に除外されて、消去法だと野田佳彦の方が残るのだが。
 何年か前、橋下徹が「政治家の中で最もイケメン」に選ばれて「『う〇こ の中では最も形のいいう〇こ』と言われているみたいでうれしくない」と言ったことがあったが、「言いえて妙」みたいなところがあるような・・ 〕

  もうひとつ、根本的な問題、大きな問題がある。神田ひろえい氏はけっこう熱心で、我が家などにもポスティングをよくされているのだが、「靖国神社に一緒に行きましょう」とかいう誘いがあったりするのだ。
  「民主党内右翼」の前原誠司が小池ゆり子と手を組んで「民主党をぶっ壊す」というのを、かつて小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」というのを「自民党は改革政党になった」とかいうのと同じくひとつの表現として言ったのとは違い、比喩とかひとつの言い回しとしてではなく実際に「民主党をぶっこわす」というのをおこなった時、「小池ゆり子+前原誠司」の「希望の党」という希望のない党に入れてもらえなかった民主党の議員が何人もいて、野田佳彦もその一人だったと思ったが、枝野などが立憲民主党を作ると立憲民主党の支持層はもともと一定以上いるので、むしろ、「家庭内離婚」みたいな状態だった民主党が「離婚」して「すっきりした」みたいに立憲民主党は議席を獲得した。しかし、さらに立憲民主党が議席を伸ばそうとして、日本共産党と共闘するとなると、「日本共産党とは立場は違うが共闘してもいい」と考える人と「個々の問題について主張が一致するものについての共闘はしてもいいが選挙を通じて一般的な共闘まではちょっと」という人がおり、後者の人には、だから立憲民主党には入れないという人と、それでも立憲民主党でやっていこうという人がいて、野田佳彦などは日本共産党との共闘にはあまり積極的ではない方だが立憲民主党が日本共産党と共闘するとしても立憲民主党でやっていこうと考えるというくらいの位置の人ではないかと私は見ている。そういう立憲民主党に期待している層というのは「自民党よりは良心的」「自民党よりは知的な姿勢」「自民党よりはリベラル」「自民党よりは平和路線」といったあたりを期待しているのではないかと思うのだ。
  靖国神社というのは「神社」という名前がついているが、日本の神社でも住吉大社とか出雲大社とか北野天満宮とか今宮戎神社とかそういう神社とはかなり事情が違う・性質が違う「神社」であり、靖国神社はもともとは戊辰戦争の時に「官軍」側で死亡した人を祀る東京招魂社だったはずで、戊辰戦争の時の死者でも「賊軍」とされた側の死者は祀られない「神社」であり、第二次世界大戦での死者でも敵方の死者は祀られないし、国内でも戦争反対したことで殺された人などは祀られない。戦争推進した人で亡くなった人を「神」として祀る「神社」であり、中国や韓国の人が首相の靖国神社参拝に抗議するのはもっともなことなのである。戦争で亡くなった人を祀ると言っても、戦争推進に尽力して死亡した人を「英霊」として神様扱いする「神社」であり、戦争は終わった今となっては「すべての戦没者を悼みたい」というものではなく、むしろ「すべての戦没者を悼みたい」という考え方とは正反対のものです。
  「靖国神社に行く」と言っても、「靖国神社てどういう場所なんだ?」と見物に行くのと、「戦争を推進して死亡した人を英霊として祀る神社に、戦争推進を称えるために参拝する」のとは同じではない。もしも、「どんな場所なのか見てみよう」と思って行く人がいるのなら、個人として行くのは自由だろう。しかし、政治家が政治家の立場で「参拝」するとなると事情は同じではない。
  
  立憲民主党は「自民党よりも良心的」「自民党よりはリベラル」「自民党よりは教養水準が高い」「自民党よりは信教の自由を守る」という政党として期待される政党のはずだ。そうであるからには「靖国神社に一緒に行きましょう」と呼びかける市会議員の神田ひろえい氏などと共闘しているというのは、これはおかしい。
  民主党の政権が崩壊したのは、民主党政権の時に株価がずいぶんと低かったというのは、福島第一原発事故の影響もあるだろうし、福島第一原発事故は民主党が起こしたわけではなく、民主党政権の時に事故が起こったからまだしもかなりのものが表に出たのであって、もしも自民党政権の時に原発事故が起こっていたならば、もっと隠されたものが多かったのではないのか・・という感じがするし、民主党政権の時に起こらずに自民党政権の時に起こっていたならば、再稼働ももっと早く進められたかもしれない。だから、民主党政権は株価が低かったということはあっても、だめなものばっかりだったわけではないと私は思っているが、なぜ民主党政権が崩壊したかというと、政権を取るために「非自民・非共産」なら誰でもいい・・みたいに入れてしまったことで収集つかなくなったのではないか・・と思う。
   それを「民主党内右翼」というのか「右翼から民主党に送りこまれたトロイの木馬」というのかの前原誠司が「民主党をぶっ壊す」というのをひとつの言い回しとしてではなく実際に実行したことで民主党は「家庭内離婚」がかなり解消されたことにより、立憲民主党は本来の立憲民主党の支持層から指示されて議席もかなり回復した。

  しかし、そうであるにもかかわらず、その立憲民主党の議員で、元総理大臣の議員が「靖国神社に一緒に行きましょう」と市民に誘っている市会議員のおっさんを選挙カーの助手席に乗せているというのは・・、何それ???
  「選挙カーの助手席に乗っている」というのは、「ちょっとそこの駅まで行くのに乗せてくれへ~ん」「ええでえ。乗っていきい」というので「乗っている」ではないはずだ。そうではないはずなのだ。もしも、立憲民主党が「靖国神社に一緒に行きましょう」のおっさんを「乗せる」のならば、立憲民主党の存在意義・存在価値がなくなってしまうおそれがある。
  野田佳彦という人は松下政経塾とかかわりがあった人らしく、立憲民主党の中では「あんまり左でない方」の人で日本共産党との共闘については「あんまり積極的でない方」の人ではないかとは思っているが、それでも立憲民主党の議員であり、党として、靖国神社公式参拝などには賛成できませんという立場を取っているはずであり、そういう党の議員が、「靖国神社に皆さん、一緒に行きましょう」と市民に誘いかける市会議員のおっさんなんかを「乗せる」ということになると、それは党の方針にも反するのではないのか?

  あの野田佳彦の選挙カーというのは、野田佳彦の選挙カーなのか、それとも神田ひろえい氏の選挙カーなのか?  神田ひろえい氏にとっては「只今、選挙カーの助手席に神田ひろえい市会議員が乗っています」と何度も叫ぶことで「衆議院議員で元総理大臣の野田佳彦と組んでますよお」とアピールするのはプラスになるであろうけれども、野田佳彦と立憲民主党にとっては「神田ひろえいさんが助手席に乗っています」というのはマイナスになってもプラスにはならない・・と思える。まず、マイナスになってもプラスにはならないはずだ。あの選挙カーは野田佳彦の選挙カーだと称していたが実際は神田ひろえい氏の選挙カーだったのか? 
  「誰とでもともかく組めばいい」という姿勢だと、かつての民主党政権が崩壊した時の失敗の繰り返しだ。片方で完全に主張が一致する相手でなければ組まないとすると組める相手が相当限定されてしまうので、ある程度は妥協しなければしかたがないとはいえ、許容範囲を超える相手ということはないのか・・という思考も必要であろう。
  あの選挙カーは屋根には「野田佳彦」と書かれた看板がのっかっていたけれども、実質的には野田佳彦のための選挙カーではなく、「元首相 野田佳彦」を利用して神田ひろえい を宣伝するための宣伝カーだった・・というのは疑いの余地がないものでしょう。船橋市議の 神田ひろえい という男もずるい男だなあ・・・( 一一)
 
  2011年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に正式に倒産〕の社長の長谷川が倫理研究所(=倫理法人会)という「宗教右翼」と言われる団体にはまってしまい、従業員に倫理研究所の「研修」に行かせたり、さらには従業員の給料をけずったカネを倫理研究所(=倫理法人会)に払ったりしていたのだが、倫理研究所(=倫理法人会)が推薦する議員というのがいて、それはすべて右翼系議員であり、社長の長谷川の机の上には前原誠司のチラシも載っていた。
  さらに、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は正式に倒産する前から会社は閉店状態になっていて、私も給料は未払いの状態のままで倒産されてしまったのだが、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の郵便箱には従業員の給料払わず・業者に支払うべきカネも払わずに逃げている社長宛に倫理研究所(=倫理法人会)から郵便が来ていたとともに、倫理研究所(=倫理法人会)が推薦する右翼系議員からも従業員に給料払わずに逃げている社長宛に手紙が来ていた。逃げている社長宛に手紙が来ていた議員で、今、覚えている名前では「田沼たかし」という議員の名前がある。そういう社長宛に手紙が来るということは、従業員の給料払わずに逃げている・業者に支払うべきカネも支払い期限をとうに過ぎているのに払わずに逃げている社長に「おカネちょうだい♪」という趣旨で手紙が来ていた・・ということか?
  ・・そんなやつには投票したくないものだ・・と思う。・・思いませんか?

  「立憲民主党に考えは近いけれども日本共産党と共闘はしたくない」という層はいると思うのだ。国民民主党はうまくやるとそういう層の票を獲得できそうに思うのだが、ふと気づくと「民主党をぶっ壊す」というのを無責任にやった前原誠司、従業員の給料払わずに逃げていた社長に「おカネちょうだい」の類の前原誠司も日本民主党に所属しているみたいなのだ。あんなやつが入っているのなら支持できないと「立憲民主党に考えは近いけれども日本共産党と共闘はしたくない」という層の人でも思う人はいるはずだ。
  前原誠司は自分が民主党の委員長だったか党首だったかの時に小池ゆり子と組んで「希望の党」という希望のない党を作って民主党をぶっ壊したという点について自己批判しないのだろうか? 議員としてやっていくのは、一通り、自分自身で自己批判をおこなって、それからではないのかと思うのだが、前原誠司にはそういう認識はないのか?
  国民民主党の人間は前原誠司が無責任に「民主党をぶっ壊す」というのをやったことについて自己批判する必要を感じないのか?

  公明党がまたもや「子供手当」とかいいうのを出すとか言っているらしい。職場において、もともと「家族手当」として仕事の内容は一緒なのに子供がない従業員よりもかなり高い給料をもらっている従業員が「うちは子供があるから」と称して、その事業所全体の仕事を子供が欲しいと思いながらできずにいる従業員・ふさわしい結婚相手と巡り合えずにいる従業員に押しつけて先に帰り、そして、税金の上でも扶養控除を受けて、そういう「子供がある者」に税金から「子供手当」をくれてやるということは、「子供がない者」が払った税金から「子供がある者」にカネをくれてやろうということだ。 民主党も「地域振興券」という公明党が主張した「子供手当」と似たものを出した時があったが、その時は私は(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の営業所にいたのだが、佐野展示場にいた「子供がある」S藤(男。当時、30代なかば)が「子供がある」K岡(男。当時、40代前半)に「地域振興券て、あれ、子供の物を買うか?」と言ったところ、K岡は「バカか。子供のための物なんか買うわけないだろうが。俺の物を買うに決まってるだろうが!」と言ったということがあった。要するに私から奪った金をK岡にくれてやるというのが、それが公明党の「子供手当」と民主党の「地域振興券」だったのだ。 それをまたもややろうと主張する公明党には入れたくない。・・そう思いませんか?
  創価学会の人、公明党全般を支持するのは創価学会の人ならそうするでしょうけれども、「子供手当」については、たとえ、公明党の主張であっても、おかしいと思いませんか?
  ましてや、そんなものが「少子高齢化対策」になるなどとアホなこと思いますか? 「バカ言ってんじゃないわ♪」て思いませんか?

  2001年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の展示場に勤務していた時だが、創価学会員のT木義夫さん(男。当時、50代。元自衛隊・元トヨタカローラ)が佐野営業所にいて、選挙の時になると「〇〇さん、選挙は公明党に入れなきゃだめだよ。絶対に他の所に入れちゃだめだよ」と言って後を追いかけてきて難儀しました。もしも、創価学会の構成員同士で話をする際に「〇〇さん、選挙は公明党に入れなきゃだめだよ。絶対に他の所に入れちゃだめだよ」と言うのならわかりますが、私のように別に創価学会や公明党と敵対はしていないけれども、創価学会員でもなければ公明党のはっきりとした支持者でもないという者に公明党に投票してくれと言うのであれば、「公明党は・・・という主張をしています。これを実行すると・・・という成果が期待できるのです」とかそういった話をするべきで、そういうものはまったくなしで「公明党に入れなきゃだめだよ。公明党以外に入れちゃだめだよ」と言って執拗に後を追いかけてくる・・・というのは迷惑なだけです。
  ジャン=ポール=サルトルは一時期、「共産党の同伴者」のように言われ、ソビエト連邦やフランスの共産党に近い存在のように言われた時期があったが、その後、「距離を置く」ようになったが、サルトル・ガヴィ・ヴィクトール『(鼎談)反逆は正しい』(人文書院)でサルトルが述べているものでは、共産党の人間と話をすると、サルトルは自分自身の意見を言うのに対して共産党の人間というのは「常に党の見解を言う」と言っている。たしかに、共産党の人が努力しているものもあるのだけれども、そうであっても、常に自分が思ったこと・自分が考えたことを言うのではなく常に「党の見解」を言うというのは、それは人間のあり方としてどうなのだろうか・・・といったことをサルトルは考えたようだ。サルトルのそういった見方を読んだ上で、日本共産党の人を見ると、フランスの共産党の人間だけではなく、日本共産党の人にもそういったところはあるのではないのか・・というように私は感じるのだ。「党の見解」はなかなかもっともなことを言っているものもあるのだけれども、そうであったとしても「常に党の見解を言う人間」というのはどうなのだろうか。
  ・・そういうところはあるとしても、それでも日本共産党の人にはその「党の見解」というものがあり、「党の見解」を聞かせてもらうことはできるのだ。それに対して「創価学会のおっさん」は「党の見解」もないのだ。ともかく、「公明党に入れなきゃだめだよ、公明党に」「絶対に公明党に入れるんだよ、公明党に」て、そればっかり( 一一) 「わかりました、わかりました。はい、はい、はい、はい」と言っても執拗に追いかけてくる。・・もう、勘弁してほしいわ、公明党は・・・という気持になった・・ということは「T木のおっさん」の選挙活動はかえってマイナスになっていたということだ・・「あんまり営業力ないな」てことだが、「T木のおっさん」にそれをわからせるのは極めて難しい。
  そして、「聖教新聞を購読しろお~お!」と言ってストーカーとなって追いかけてくる。・・もう、イヤ! もう~う。もう、いいかげんにしてっ!!!  「聖教新聞というのは、いいことを書いていますから、創価学会の会員でない人にも役立つものがありますから、一度、購読してみませんか」ではないのです。「こらあ! 聖教新聞を購読しろお~お!」と叫んでストーカーとなって果てしなく追いかけてくるのです。この聖教新聞の押売りはなんとかしてほしいわ、ほんま( 一一)  〔 読売の押売りなら、まだしも洗剤とか無茶苦茶色落ちしておよそ使い物にならん安物のタオルとか置いていきよるけども、聖教新聞の押売りはそれもあらへんしな・・。千葉マリン球場のロッテー日本ハム戦の内野席チケットでも持ってくれば、「そうやな。3か月だけなら購読してみようかな」とか思うかもしれんところでも、それも持ってきよれへんし・・〕 また、会社は職場で「聖教新聞を購読しろお~お!」と叫んでストーカーとなって果てしなく追いかける「T木のおっさん」みたいな人には「職場でそういうことはやめてください」と注意するべきで、「T木のおっさん」のそういう行為を放置していた(株)一条工務店は「保護義務違反」として債務不履行責任を問われるものであるはずだ。
  「T木のおっさん」は本人が「聖教新聞の配達をやっている」〔2001年時点で現在進行形〕と言っていたのですが、そうなると、聖教新聞というものに朝刊と夕刊があるのか朝刊のみなのかよく知りませんが、夕刊の「配達をやっている」のなら(株)一条工務店の勤務時間中に他の仕事をやっていたということになるし、たとえ、会社の週休日のみに「配達やっている」のでも、あるいは始業時刻よりも前の時間帯に朝刊の「配達をやっている」のでも、たいていの会社には副業禁止規定が就業規則にあり(株)一条工務店の就業規則にもあったと思うのですが、それに反することを「T木のおっさん」はやっていたということになります。本人、悪いことしていると思っていないから、だから、職場の事務所で勤務時間中にきかれもしないのに自分から話していたのです。会社は(「傾向経営」の会社である場合を除き)従業員を採用する時に宗教による差別はするべきではないと言われるけれども、うちの父親などは(仏教でもキリスト教でもいいのだけれども、臨済宗でも曹洞宗でも浄土宗でも浄土真宗でも、カトリックでもプロテスタントでもいいのだけれども)「創価学会の人は実際問題として歓迎しないなあ」と言っていたのですが、なぜ歓迎しないかという理由として創価学会というものが好きとか嫌いとかいうことではなく「創価学会の人間というのは会社の用事と””学会””の用事がぶつかるとためらうことなく””学会””の用事を優先する」ということを言ってていました・・が、(株)一条工務店の場合は地方都市中心の会社であり、地方では「農家と兼業」の人がけっこういて、そういう人の場合は普段は会社の仕事の方が優先だけれども「田植え」「稲刈り」に関しては会社の仕事よりも優先になるみたいでしたが、しかし、地方では兼業農家の人はけっこう多く、それをだめだと言うと該当してしまう人はけっこういることになったのではないかと思うのですが、しかし、地方で「田んぼ」が(株)一条工務店の仕事と別の仕事としてあるというのと「聖教新聞の配達やってる」というのは意味は同じではないように思うのですがね。そう思いませんか?
  (株)一条工務店では本社から各展示場に「通達」という書類が郵送で送られ、それを展示場勤務の従業員が回覧板のように自分が読んだら下の方に自分の名前のハンコをついて次の従業員に回すというようにしていたのですが、「T木のおっさん」(男。2001年当時、50代なかば)はその会社の「通達」の真ん中に公明党のチラシをはさんでまわすということをしたことがあり、私が「T木さん、会社の通達の真ん中に公明党のチラシをはさんでまわすのはやめていただけませんか」と言ったところ、「なんだと、この野郎!」と言ってつかみかかってきた。これは刑法上、暴行罪・傷害罪に該当する犯罪です。私はこの人にこういったことで何度もつかみかかられており、大怪我ではないとはいえ怪我させられたこともあり、怪我とはいえ軽度のものであるからいいというものではないのです。(株)一条工務店はそういった行為は会社として防止しないといけないはずのものであるにもかかわらず「保護義務違反の(株)一条工務店」は断固として無視してきたのであり、保護義務違反として債務不履行責任を問われる性質のものです。そういうことを「学会員」にさせている創価学会≒公明党 には投票したくないですね。

   今回の稿は2021年10月26日(水)に野田佳彦の選挙カーが「只今、助手席に神田ひろえい市会議員が乗っています」と連呼していたのを聞いて「ええ~え?」と思い、すぐに公開したいと思ったのだが、このブログを作成して食べているわけでもなく、他にもやらないといけないことがあって、とうとう、選挙の前日に公開することになってしまった。少々、公開が遅くなってしまったが、読んでくださった方、おかしなことは述べていないと思うので、誰に投票するにしても、私がここで述べたことは参考にして投票していただきたいように思う。

  千葉県第4区(船橋市)は、圧勝かどうかはともかく、まず、野田佳彦は当選しそうだ。対抗馬として自民党が出している木村てつや は比例区で「復活当選」する可能性はあるみたい。
  今、日本全国でばかでかい人工の岩山がいっぱい作られている。そういうものがふさわしい場所に造るのなら造って悪いことはないだろうけれども、その場所にふさわしいと思えない場所に造られているものが多いように思う。 何党の人間であれ、国会議員になる人はそのあたりについても考えてほしいと思う。
  愛知産業大学の建築学科の通信課程に在学した時、スクーリングの際にM先生が「高さを競うなどというのは、それは後進国の発想だ」と言われたことがあったが、私もそう思う。「高さを競う」のではなく、「その場所にふさわしい高さ」というものを考えるべきだ。

  「信教の自由」というのは国民にとって大変重要なものだ。人間の存在の根幹にかかわるものだ。靖国神社というのは、参拝を強制することで国民の「信教の自由」を侵害してきたという歴史を持つ。そのあたりを理解できない市会議員と手を組むならば、立憲民主党の存在価値が危なくなる・・と私は思う。


  武田邦彦のYouTubeを聞いていて気づいたのですが、日本国憲法には、
第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
② 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。
・・・という規定があるのです。この「全国民を代表する選挙された議員」という文章ですが、比例代表区というのは合憲と考えていいのかどうか、微妙て感じがしませんか。

  もうひとつ、衆議院議員選挙と同時に最高裁判所判事の国民審査も実施されるはずだが、新聞は選挙については報道しても、最高裁判所判事の国民審査についてはほとんど報道がない。もう少し、報道すべきだと思いませんか。 「裁判官はやりたい放題」ではだめです。たとえ、わからなくても、国民審査について何らかの判断をして「×」をつけるか「 」にするか決めるべきで、その為には、「経歴が気に食わん」でも「顔が気に食わん」でも、それじゃ無茶苦茶じゃないかと思うかもしれないけれども、「何の判断もしない」よりは「顔が気に食わん」でも判断する方がましだと思うのだ。
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  インターネット上で捜すと、これまでの裁判でどういう判断をしたか、書かれているものもいくらかはあるようです。↓  
※ 東京新聞 最高裁の裁判官をチェックしよう 対象11人のこれまでの判断は? https://www.tokyo-np.co.jp/article/139501
日本経済新聞 国民審査を受ける最高裁裁判官11人 関与した判決など https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE125EH0S1A011C2000000/
朝日新聞デジタル 最高裁裁判官の国民審査 https://www.asahi.com/senkyo/kokuminshinsa/
赤旗 最高裁裁判官の国民審査 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-10-25/2021102512_01_0.html
  信任の場合は「〇」を書くのではなく無記入「 」で、不信任の場合だけ「×」を記入するという方式なので、わからないからということで無記入にしてしまうと信任したことになってしまう。だから、わからない場合は無記入にするのではなく、この人は信任していいと思った人には無記入「 」にして、そうでない人にはすべて「×」にするという選択がある。
  衆議院議員選挙には投票したいが最高裁判所国民審査はわからないので、わからないのに信任とも不信任とも投票したくないので棄権したいという場合、無記入で投票箱に入れてしまうと衆議院議員選挙の場合と違って無記入は棄権ではなく信任になってしまうので、衆議院議員選挙には投票したいが最高裁判所国民審査には棄権したいという場合はどうすればいいのか・・という問題ですが、インターネットで検索していたら、そういう場合には「×」以外のもの、「〇」とか「△」とかを1つでも記入すると無効になるので、最高裁判所判事の国民審査については棄権したいという場合は「〇」とか「△」とかを1つでも記入すると棄権できる・・と出ていました。なるほど、そういう方法もあるのですね。

  2021年10月31日(日)が投票日だが、「信教の自由」を侵害する人と組むのは立憲民主党の立場とは相容れないように思う。

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(↑ 「千葉日報」2021.10.27.(水)<朝刊>)
  ↑ まあ、野田佳彦は当選するでしょうね。なにしろ、もうひとりの候補者が「ええ~っと、誰だっけ?」ですからね。もしくは「ええ? 藤田みきお じゃなかったのお?」ですからね。これは強いですよ。 顔で勝負したとすると、藤田みきお の「女たらし顔」と野田佳彦の「そのへんのおっさん顔」だと顔は互角かと思われるが、木村てつや の「こまわり顔」となら野田佳彦の「そのへんのおっさん顔」の方が上か・・。
  木村てつや は、写真の撮り方・写り方が良くないということもあるかと思います。自分がどんな感じに見えるかを考えて、いいように見えるような写り方・いいように思われるような撮られ方をするべきですが、その意識が欠けているように思われます。1980年代末、小堀住研(株)にいた時、東京都は新宿に支店があった東京支店と池袋に支店があった池袋支店に分かれていたのですが、池袋支店にいた人で全国10位以内の営業成績を残していたおっさんがいたのですが、私が新宿の東京支店に用事で行くことがあった時にその人がたまたま来ていて、「なんや、このにやけた感じの感じの悪い男は」と思っていたらその人だった・・ということがありました。聞いた話によると、その人はハーフだったかクウォーターだったからしく、その風貌が人によっては””イケメン””に見えるが人によっては「なんや、このにやけた感じの男は」と否定的に見えたようで、私には後者のように見えました・・が、その人が「えらい」というのかだったのはそれを自分で自覚していたらしく、小堀住研(株)では営業の服装は、替えズボンをはいて背広とズボンが一致しないという服装は「工務店の営業」がよくやる服装なので「うちは工務店ではなく一部上場企業です」という姿勢を会社として取っていることから、替えズボンをはいての背広とズボンが異なる服装は禁止とされていて、かつ、色合いは紺かグレーのどちらか、ワイシャツは白かブルーのどちらかでピンクのワイシャツなんてのは禁止としていたのですが、私は新卒入社する前にそういったことを知らずに、高校の時の世界史の先生が茶系の背広に緑系のネクタイをしていることがあって女生徒がそれを「おしゃれだ」と言っていたのを覚えていて、それを参考に茶系の背広上下を購入してしまっていたことから、入社直後の合宿研修の時に講師役の課長に「茶系の背広上下を買ってしまったのですが、いけませんでしょうか」と言ってみたところ、「ん~。まあ、きみの場合はちょっとくらいはええわ。むしろ、少々、もっさりした感じがするから、もうちょっと、おしゃれした方がいいと思う」と言われたということがあったのですが、その池袋支店の全国10位以内に入っていたという人は逆で、自分は人によっては「なんだ、このにやけたやつは」と見られるということを自覚していたらしく、それゆえにできるだけそう見られないようにと考えて、会社としては背広上下は「紺またはグレー」でワイシャツは「白またはブルー」としていたのを、自分自身で自分に関しては背広上下は「必ず紺」でワイシャツは「必ず白」としていた・・ということでした。たしかに私が見かけた時もそういう色合いの服を着ていました。但し、それでも「にやけた男」という感じはしましたが。
  もう、10年以上前ですが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドがおこなっていた「就職支援セミナー」に出た時に、講師の人が履歴書の写真は「カラーでも白黒でもいいのですが、白黒の方がアラが見えないから白黒の方がいい」と言われたことがありました。それで、私はそうかいなあ・・と思ったのですが、うちの母親にそれを話したところ、「あんた、別にアラなんかないじゃないの。それは顔にアラがあるような人のことでしょ。あんたはカラー写真の方がいいよ」と言われて、たしかにそうだ。「白黒にした方がアラが目立たない」というのは、「カラー写真だとアラが目立つ」というのはカラー写真だと「なんだかなあ~あ」て顔の人の場合で、むしろ、「私はこういう顔なんです」とアピールした方がいい人間はカラー写真にした方がいい。 その後、千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ に入社した時に建設部担当の取締役だったO澤さんは「人相が悪く眼つきが悪い」「ヤクザ顔」のおっさんで、入社する際、「こんなヤクザ顔の人が取締役の会社に入っていいのかなあ」と不安に思ったものでしたが、その後、O澤さんが社長になったようで(さらにその後すぐに退任したが)同社のホームページにO澤さんの写真が出ていたのですが、O澤さんもまた、自分が正真正銘「人相が悪く眼つきが悪い」「ヤクザ顔」・・というのか「不動産屋顔」というのかだということを自覚していて、それで、ホームページに掲載されていた写真では一生懸命、頑張ってニコニコした顔を作って掲載されていました・・が、「それでもやっぱりヤクザ顔のおっさん」「疑いの余地なく筋金入りで人相が悪く眼つきが悪い男」の場合は一生懸命がんばってニコニコすると「かえって気色悪い」ところがありましたが、それでも「ヤクザ顔なりに努力している姿勢は認めたい」という面はありました。そういう人の場合、もうひとつのやり方として、似顔絵を掲載するという方法があります。まったく似ていない似顔絵では嘘になりますが、カラー写真よりも白黒写真の方が「アラが目立たない」が白黒写真でもまだだめという人の場合には似顔絵という手があります。O澤さんなんかは一生懸命がんばってニコニコした顔をするよりも似顔絵にした方がまだ良かったのではないのか・・と思います。
  ヤフーニュースとか見ていると、何らかの犯罪の容疑者が逮捕されたという時に掲載されている写真を見て、コメント欄に「いかにも悪いやつて顔をしている」とかコメントを入れる人があるのですが、日本国の法律では犯罪というのは、検察が起訴して裁判所が有罪の判決を出してそれが確定して犯罪であり、警察に逮捕されても本人は否定している・・という段階ではまだ犯罪者と確定しているわけではなく、その人が犯人でない可能性だって残っているのです。なによりも、「写真を見ても悪人て顔をしている」とかコメントを入れる人がありますが、それはそういう写真をそこに掲載しているということであって、そういう写り方の写真を選んでいるのではないでしょうか。実際には善人みたいな顔している人が凶悪犯罪をやることもあり逆もありますしね。1990年頃だったと思うのですが、中山ラマダという漫画家が、漫画の中で、今度、ソフトバンクホークスの監督になるらしい、その頃はダイエーホークスの内野手だった藤本博史のことを「顔を見ると、どんなに考えても信じられないけれども、スケベエじゃない!」なんて書いていて、野球選手は自分のことを話題にしてもらえてこその仕事とはいえ、それに関しては藤本博史は本気で怒っていた・・というのだが、中山ラマダ氏には「スケベエ顔」に見えてもスケベエとは限らない・・ようです。
  ・・で、木村てつや 氏は、もうちょっと写真の写り方や、自分の服装とか髪型とか考えた方がいいと思います。「こまわり」顔であるだけでなく、木村てつや氏のホームページとか見ると、そこに掲載されている写真を見ると、「えらそうにしている」し、「悪人顔」です。経歴見ると、千葉工大卒ですしね。東大卒とかではなく、千葉工大卒ですがそれだけに何でも遠慮なく私に言ってください・・という態度ならいいのですが、「千葉工大卒のくせにえらそうにしている」という写真なのですよ。だから、小堀住研(株)の池袋支店にいたなんとかさんとか、東海住宅(株)で社長になってすぐに退任したO澤さんとかは、自分がどんな感じに見えるかを自覚していて、そのマイナスの見え方をできるだけしないようにという努力をしていたのです。それに対して、木村てつや さんにはそういう努力が見えないのです。「こまわり顔」の木村てつや 氏を見ると、「女たらし顔」の藤田みきお の方がまだ顔は良かった。・・私が木村てつや氏の選挙事務所のメンバーなら言いますよ。髪型とか服装とか姿勢とか、考えてみた方がいいと思います。
  『憂国のラスプーチン』という元外務省の佐藤優氏がモデルの漫画で、佐藤優氏がモデルの憂木護(まもる)という人物が拘置所の中の散髪屋で、丸坊主にしてくださいと言ったところ、散髪屋の親父が「それはやめた方がいいな」と言う場面があった。「あなたは無罪を主張するのでしょ。無罪を主張する人は無罪の人のような格好をしないといけない。もし、丸坊主にしたら悪人の顔になってしまう。だから、やめた方がいい」と言ってくれたという話がでていました。
  それから、(株)一条工務店にいました時に、1992年、神奈川県の藤沢展示場の所長だったTさんから、近視の人で眼鏡をかけている人で、眼鏡のない顔の方がいい顔の人はコンタクトレンズに変えた方がいいと言われて、それで私は眼鏡をかけていたのをコンタクトレンズに変えたのです。Tさんから「8割の人間は眼鏡のない顔の方がいい顔だけれども、2割は眼鏡がある顔の方がいい顔の人がいる。あなたは眼鏡がない顔の方が絶対にいい顔だから眼鏡はやめてコンタクトレンズにした方がいい」と私は言ってもらったのでしたが、中には眼鏡のある顔の方がいい顔の人もいるのです。東海住宅(株)のO澤さんなんかも、似顔絵にするというのがひとつの方法ですが、それとともに、特に眼が悪くなくても度なしの眼鏡を作ってかけてみる、もしくは、年齢から考えて老眼が出てきてもおかしくない年齢だったはずですから、老眼用の眼鏡をかけた顔の写真の方をホームページなどに使用するという方法もあったのではないかと思います。木村てつや氏も眼鏡をかけた顔を鏡で見てみて、もし、眼鏡をかけた顔の方がいい顔ならば、そちらをホームページなどでは使用するようにするというのもひとつの方法だ・・と思うのですが、そういった工夫がまったく見られません。・・もしかして、「こまわり顔」がいい顔だと本人が思っているのなら・・そのあたりはあんまり評価できないですね・・。わざわざえらそうにした格好で写真に写っているのか? ・・て感じの写真もありますしね。えらそうな態度がいいと自分で思っているのなら、そういう人は支持したくないですね。

  (2021.10.30.)(10.31.部分的に補足)


  先ほど、投票に行ってきました。 そこで、これはいかんなあ・・と思ったことがありました。小選挙区⇒比例区・国民審査 という順番になっていましたが、比例区と国民審査が記入台が共通になっていて、投票箱が2つ並んでいたのですが、国民審査の投票箱の前で国民審査の投票用紙を持ってどうしたものか、判断に迷って立っていたおじいさんがいたのですが、それを投票所の係員の男性が見て、「何も書かなくて大丈夫です」・・なんて言ったのです  続いて「不信任にする人がなければ何も書かなくていいです」と言いました。
  だめでしょ、そんなことを投票所の係員が言っては。その投票所の係員は「不信任にしたい人」と「信任したい人、及び、信任でも不信任でもない人」と2つに分けて、「不信任にしたい人」でなければ「何も書かなくて大丈夫です」と思っている人だったのでしょう。しかし、その見解はあくまでもその人の見解であり、「不信任にしたい人」は「×」を書くとして、「信任したい人」は無記入「 」にするとして、「信任したいか不信任にしたいか判断に迷う人」についてどうするべきかは、それぞれの国民が自分自身で判断すべきことで、それを投票所の係員が「何も書かなくて大丈夫です」なんて言ってしまってはだめでしょう。
  (1)「信任したいか不信任にしたいか判断に迷う人」については、この際、全員に「×」をつけるべきだと言う人もいます。最高裁判所の判事の国民審査なんて、どうせ、不信任で辞めさせられることなんてないと決めつけてて自信もたれては良くないので、「迷ったら×」というのもひとつの考え方です。 (2)わからない場合、「わからないから信任」というのは良くないので、この際、「顔が気に入らん」でも「名前が嫌い」でも「出身校が嫌い」でもそんなの無茶苦茶やんけ・・と思うかもしれないけれども、それでも何も判断しないよりマシ!・・という考え方もあります。 (3)「こんな国民審査なんて方法が良くないから制度に対しての抗議の意思表示として白票を投じたい」と思って「何も書かなくて大丈夫です」なんてことをしたのでは「信任」したことにされてしまいますから、棄権の意思表示をはっきりと示したいということなら、全員に「×」以外のものを記入する、「△」とか「◇」とか、特に気に入らないやつに「アホ」とか書いてやれば無効にできます・・が「アホ」と書いたら顰蹙買うと思うなら「△」か「◇」か記入すれば無効になるので棄権したことにできます。
  ともかく、投票所の係員は「わからないから棄権したいのなら『アホ』と書いてください」なんて言うわけにはいかないでしょうけれども、「何も書かなくて大丈夫です」なんて投票所の係員が言ってはだめでしょう。 選挙管理委員会なのか、管理者はそのあたりをきっちりと言うようにしてもらいたいと思います。
  最高裁判所の裁判官の国民審査については、どうしていいのかわからないという人はけっこういると思いますが、中には、わからないから、衆議院議員選挙には投票したいが最高裁判所判事の国民審査は棄権したいという人もいるはずで、そういう人に「何も書かなくて大丈夫です」なんて投票所の係員が行って「信任」させるようにしむけるということは、これはあってはならないことです。
  目の前で見ていたのなら、「そういうことは言ってはいけませんでしょう」と言うべきだった。なぜ黙っていたのだろう。失敗した・・。
  (2021.10.31.)

  2012年の選挙の時には[第119回]《「泥鰌すくい」野田vs「女たらし」藤田vs男ゴコロをそそる女・三宅、草薙の剣か「女子高にブルマー」か》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201212/article_1.html を公開していた。 それからもう9年経つことになるが、その時の選挙では、野田佳彦の所属政党は民主党で、他の候補者は自民党が藤田みきお で、他に「みらいの党」公認の三宅雪子、共産党の斎藤和子の4人が出ていたようだ。 三宅雪子は《2019年12月30日から行方不明となり、家族が捜索願を出していた。2020年1月2日、東京湾岸署が大田区城南島の海岸において三宅の遺体を発見した。入水自殺と見られている。》(《ウィキペディアー三宅雪子》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E9%9B%AA%E5%AD%90 )ということで、まだ54歳で亡くなってしまった。何党の人間であれ、何も死ななくても・・と思う。悲しい。 長く、野田佳彦のライバルだった「永田町の女たらし」というニックネームをもらった藤田みきお は「うまみがない」と思ったのか、衆議院議員でない方の仕事が成功したのか・・どうかしらんがもうやめたらしい。「こまわり」と比べたら「女たらし」の方がまだ良かったのとちゃうのん?・・て感じもしないでもないが、藤田には藤田の都合もあったのだろう。
  日本共産党は当選するか否かにかかわらず候補者は出す場合が多いが、今回、千葉県第4区では候補者は出さなかった・・というのは立憲民主党との選挙協力によるものかと思われる。 その理由からも、野田佳彦は「靖国神社にみんなで行きましょう」と呼びかけたりしている船橋市議の神田ひろえいを「野田佳彦の選挙カー」に乗せて、それだけではなく「只今、助手席に市会議員の神田ひろえいが乗っております」と何度も何度も連呼するというのは、それはいかんのではないか・・と思うがな。野田佳彦の場合は、別に日本共産党が候補者を引っ込めなくても当選した可能性が大きいけれども。それでも、いかんのではないかな・・。
  木村てつや という名前はなかなか覚えられない。もし、投票用紙に「こまわり」と記入したならどうなるだろうか。無効か? それとも、「こまわり」と言ったら木村てつや のことだとわかる♪・・ということで有効になるか?
  (2021.11.2.)

  選挙の結果だが、全国的には、維新の会が大阪府で全勝するなど大きく議席を増やし、自民は微減、立憲民主党の他の野党との選挙協力の成果は「朝日新聞」の一面は「限定的」と表現していたが、たしかに、石原伸晃が落選したとか、そういったところでは選挙協力は成果を出したと考えることができるかもしれないが、片方で、立憲民主党と日本共産党は支持層が違うので、むしろ、立憲民主党と日本共産党の選挙協力がマイナスになった選挙区もあったかもしれない。
  大阪府で維新の会が全勝したというのは、もともと、大阪は「自民党が強くない所」で、「東京もんのおっさん」は、たとえば(株)一条工務店に私がいた時の同僚の「木南さん」(仮名)などは「自民党が強くない所」というと「大阪は共産党の街だ」とか言いだすのだが、「自民党が強くない」と「共産党が強い」は同じではないわけで、維新の会のような右翼政党が伸びる要素はもともとあった場所だ。「大阪をどげんかせんといかん」という大阪人の意識に維新の会はうまく乗ったところがあるかと思う・・が、第一次世界大戦後後にナチスが躍進したドイツのような状況が大阪にあるのか? ・・と思うと大阪での維新の会の「躍進」は気持ちが悪い。
  千葉県第4区(船橋市の中南部)では予想以上に野田佳彦が圧勝した ↓ ・・が野田佳彦が強かったたというよりも、他の候補者が「こまわり」しかいなかったから・・というのが圧勝の原因としてある。野田佳彦は安定していたかもしれないが、ここまで圧勝したのは野田佳彦が強かったのではなく対抗馬が弱すぎた。そうでなかったら、野田佳彦はそれでも当選した可能性が大きいけれども、ここまで圧勝はしなかったと思われる。
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( 「朝日新聞」2021.11.2.(火) <朝刊> ↑ )
「こまわり」木村てつや は比例代表区でも自民党の小選挙区落選候補者の中で惜敗率が最悪で、比例代表区での復活当選はできなかったようだ。 ↓
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( 「朝日新聞」2021.11.2.(火) <朝刊> ↑ )
↑ 比例代表区 南関東ブロック は、定数22 のうち、自民9・立憲5・維新3・公明2・国民1・共産1・れいわ0・社民0・N党0 となったようだ。社民党は厳しそうだ。かつて、社民党に期待した層の人は立憲民主党か共産党かのどちらかに投票している場合が多いのではないか。今回、立憲民主党が野党共闘をおこなったが、「朝日新聞」一面が「成果は限定的」だったか書いていたように、選挙区によっては成果が出た選挙区もあったようだが、比例区では「日本共産党と提携しない立憲民主党」なら立憲民主党に入れた人で「日本共産党と提携する立憲民主党」と国民民主党なら国民民主党の方に入れたという人もいるのではないかな。 大阪では立憲民主党の辻元を自民党議員が応援したりして落選したらしいが、これも、そういった応援はかえってマイナスになる可能性がある。
  千葉4区(船橋市中南部)について、自民党の「こまわり」木村てつや は、もしも、次回も選挙に出るのなら、自民党は次回も木村てつや を候補者として出すのなら、木村てつや は自分のキャラクターをもう一度、考え直した方がいいと思う。
  木村てつや のホームページなど見た人はどう思うか? ・・それを自分自身で考えてみた方がいいと思う。
「こまわり」「ブサイク!」・・・もしくは、
「千葉工大しか出てないのにえらそうにして感じ悪い!」・・と思いませんか?
いるでしょ、「会社ちゅうところ」には、こんな感じのが。「えっらそうにしとるもんだから、せめて早稲田かそのあたりでも出てるのかと思ったら、なんや、駒沢か・・( 一一)  駒沢のくせしてあんなにえらそうにしとったんか」とかいうの。「なんじゃ、こいつ!」てのが。〔ある程度、会社つどめの経験を踏むと、「そのタイプかな」とある程度気づいたりもするのですけども・・〕 木村てつや のイメージはそんな感じ! いるでしょ、職場に。そんな感じのが。
そのあたりのイメージを考えた方がいいと思う。 顔は生まれながらのものと、人生を生きた過程で作られるものとがあるが、それだけではなく、どう演出するといいかという工夫も影響する。髪は長めにした方がいいか短めの方がいいか、髪を分けるならどのような分け方がいいか、服装はどんな色合いやデザインのものが自分には合うか。眼鏡のある顔とない顔ならどちらがいいか・・とか、木村てつや は何も考えてないのではないか。「自民党の公認さえもらえれば比例区で復活当選できる」とそれしか考えてないなら、最初から選挙に出なくてもいいのではないか。
  ””「えっらそうにしとるもんだから、せめて早稲田かそのあたりでも出てるのかと思ったら、なんや駒沢か
( 一一)」て感じの会社のおっさん””キャラ・・
てプラスにならないと思いますよ。 「こまわり」も印象として良くないと思いますよ。
もうちょっとシェイプアップすればいくらかなりともかっこよくなるのなら、まず、とりあえず、「走れ!」・・というか、体が引き締まるような運動でもするか、そうでなければルームランナーででも走るなりするか、何なりやった方がいいと思います。・・なお、こういうことを言うと、時々、「おまえはどうなんだ」とか言う人が出てきますが、そんなもん、知るか! だって、俺、候補者じゃないもん(^^♪ 候補者なら考えるけど。
  私が自民党の本部か千葉県連か何かなら、木村てつや氏は「戦力外通告」「自由契約」・・かな。 次回、もう一度、出しても勝てそうにないもの。まだしも「慶應タイプの女たらし」の方が勝てる余地が考えられる・・と思う。
  無茶苦茶言ってると思うかもしれないけれども、間違ってないと思よ。木村てつや氏は「戦力外通告」されたくなければ、「自由契約」になりたくなければ、もうちょっと自分自身のキャラを考えた方がいいと思う。別に、直接に恨みも恩もないから、問題点を改善して「自由契約」「戦力外通告」寸前が復活して大活躍しても、俺は別にかまわんし・・・。
  (2021.11.2.) 

  「信教の自由」というのは人権の中でも大変重要度が高い問題で、人間の存在にかかわるものです。何党の候補者であれ、「信仰の自由」「思想・良心の自由」は守る方向で努力してもらわないと困ります・・が、靖国神社というものは、戦前・戦中、「信仰の自由」を侵害するものとして存在しましたし、戦後においても「信仰の自由」を侵害する性質のものとして存在しています。靖国神社法案であったり、首相の靖国神社公式参拝であったりするものは、これは認めては国民の「信仰の自由」が守られないことになります。
  一般の人間が行くのは、これは行くなと言うものではないでしょうけれども、しかし、靖国神社というものはどういうものなのか、一度、見てみようということで行くのと、戦争遂行の方向に尽力して死亡した人を「英霊」として祀り、戦争に反対して殺害されたような人は祀らないという「神社」にみんなで行きましょうと誘う人というのは、それは単に靖国神社というものはどういう所なのか一度見てみようというのとは異なるものだと考えざるをえません。
  「保守」と「反動」は同じなのか違うのか、わかりますか? 「保守反動」なんて言葉が言われることもあり、私も子供の頃、「保守」と「反動」は同じかと思っていたのですが、意味は違います。慶應大学のある講義で教授が説明されたのは「『保守』というのは資本制の経済体制を守りながら民主主義を実現していこう、社会を進歩させていこうというもので、『革新』というのは急激に変えるか徐々に変えるかはともかく、究極的には社会主義の経済体制に移行することで民主主義の社会を築こう、社会を進歩させていこうとする立場のことで、『反動』というのはすでにそれは間違っていると評価されたものを復活させようとしたり、過去の遅れた社会に社会を戻そうとしたりする立場を言うもので、『保守』と『反動』は違うのだ」と言うのです。「『保守』であって『進歩』ということはありうることで、日本では『保守』を名乗る政党が『反動』みたいなことをやってきたから、『保守』と『反動』は同じだと思っている人がいるけれども、『保守』と『反動』は本来は違うのです」と。ですから、この定義で考えると、『革新』=『進歩』と決まっているわけでもなく、考えようによっては『革新』で『反動』ということも概念としてありうることになります。
  但し、1991年にソビエト連邦が崩壊した際には、ソビエト連邦の体制を守ろうとする人たちのことを「保守派」とか「守旧派」とか新聞に書かれたりもしましたので、そうなると、「保守」という言葉の概念が錯綜してきます。
  とりあえず、ロシアにおいてどうかはさておき、日本においては、「保守」は資本制の経済体制を維持した上で民主主義の社会を築こう、社会を進歩させていこうとする立場のことで、「革新」とは急激にか徐々にかすぐにか否かは別として究極的には社会主義の経済体制に移行した方が民主的な社会が実現できると考える立場のことで、究極的には社会主義の経済体制のもとで民主的な社会を築こう、社会を進歩させていこうとする立場のことであり、「反動」というのは「保守」と同じではなく、すでに間違ったものと評価された過去のものを復活させようとしたり、社会を遅れた状態のもの、民主的でない社会に戻そうとする立場のことを言うもので「革新」の対義語ではなく「進歩」の対義語である、と考えていいでしょう。
  そう考えた時に、戦争推進に尽力して死亡した人を神さま扱いして祀る靖国神社というものにみんなで参拝しましょうと誘いかけたりする人というのは、これは「保守」でも「革新」でもなく、「進歩」でないのは明らかであり、間違いなく「反動」の人なのです。
  自民党(自由民主党)というのは、長く政権を担当してきた政党ではあるものの、必ずしも教養水準の高い人の政党でもなく、「自由で民主的な党」かというと、そうとも言えないところがあって、「保守」ではなく「反動」の党ではないか・・と思われるところがあったのです。
  かつて、社会党が分裂して日本社会党と民主社会党⇒民社党 に分かれた後、民社党は「社」と入っているものの「自民党より右」の政党になりましたが、民主党が分裂して立憲民主党と国民民主党に分かれ、特に「民主党内右翼」の前原誠司が国民民主党の方に入ったことで国民民主党というのはかつての民社党みたいな政党? ・・みたいに思われたところがあったのではないかと思います。
  そこで、「自民党よりも良心的で寛容で平和志向の政党」として立憲民主党にはけっこう期待する人がいて、そして、民主党分裂後の選挙では立憲民主党はけっこう善戦した・・ということだと思います。しかし、日本共産党と個々の政策で主張が一致するものについて共闘するのはいいとして、選挙を通じて全般的に共闘するということには抵抗を感じる人たちもいたでしょうし、その共闘が選挙においてもプラスに出るかマイナスに出るか微妙なところが感じられました。
  千葉県第4区(船橋市中南部)においては、日本共産党は立憲民主党との共闘により今回は候補者を出さなかった。千葉県第4区では野田佳彦は、たとえ、日本共産党が候補者を出していても当選した可能性が大きいと思われますが、今回の選挙で野田佳彦が圧勝したのは、競合相手の自民党候補が明らかに弱かった(実際問題として、南関東ブロックの自民党小選挙区候補者の中で惜敗率が最低だったし)ということがあるとともに、日本共産党として千葉県第4区(船橋市中南部)では小選挙区では立憲民主党の候補者に入れてくださいという態度をとり、はっきりと日本共産党のチラシでもはっきりとそう言った ↓ ことから、日本共産党が候補者を出していたならば日本共産党の候補者に入れたであろう人も野田佳彦に投票した・・ということもあったでしょう。
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↑ 「信仰の自由」を守ろう、靖国神社への首相の公式参拝はやめようというのは、これは「日本共産党の主張」というものではなく、国民として当然の認識であり、立憲民主党の支持層の主張であり、この点については、立憲民主党と日本共産党はもとから主張は一致していたはずで、どちらが譲歩するといったものは必要ない部分であったと思われます。立憲民主党の支持層というのは、別に今すぐ社会主義の社会にしたいといったことは考えていないが、自民党のような「政権担当政党が何でも好きなようにやる」というのは困る、維新の会や自民党タカ派のような「明治維新体制に戻す」というのは困る・・と考え、資本制経済のもとで日本国憲法の精神・趣旨を尊重して民主的・進歩的な社会を実現しようという人たちではないでしょうか。その点で究極的には社会主義の経済体制にしようという日本共産党とは異なるところがあるとはいえ、「信仰の自由」を守ろう、戦前・戦中のように戦争遂行の方向に力を注いで亡くなった人を神さま扱いする靖国神社を国として祀ろうとするような人、戦争遂行に力を入れる人を神さま扱いする「神社」にみんなで行きましょうと誘いかける人のような態度は認められないという点では立憲民主党と日本共産党は認識が「すりあわせる」とか「互いに譲歩する」とかではなく、その点においては最初から認識が一致しているという部分だったはずです。
  しかし、↑ の日本共産党のチラシでも「共産党が一方的に降ろすのではなく、相互に譲り合った結果です。」と書かれているように、「野党共闘」をしていなければ日本共産党が候補者を立てていたところを候補者を出さなかった小選挙区があり、千葉県第4区(船橋市中南部)も日本共産党は今回は候補者を出さず、野田佳彦は日本共産党が候補者を出していても当選していた可能性は大きいけれども、日本共産党が候補者を出していたならば日本共産党の候補者に入れたであろう人も野田佳彦に投票したことが野田佳彦の圧勝の原因のひとつになった、と思われます。
  《「信仰の自由」を守ろう、戦前・戦中のように戦争遂行の方向に力を注いで亡くなった人を神さま扱いする靖国神社を国として祀ろうとするような人、戦争遂行に力を入れる人を神さま扱いする「神社」にみんなで行きましょうと誘いかける人のような態度は認められない》というのは「日本共産党の主張」というわけではなく、「もとから、立憲民主党の主張」だったはずですが、そうであるにもかかわらず、船橋市民に「一緒に靖国神社に行きましょう」といった誘いかけをやったりしている船橋市議の神田ひろえい氏を立憲民主党の野田佳彦の選挙カーの助手席に乗せて、しかも「只今、市会議員の神田ひろえい が助手席に乗っております」と、なんだか、野田佳彦の選挙カーなのか神田ひろえい の選挙カーなのかどっちかようわからん・・みたいな文句をうぐいすおばさんがマイクで叫んで選挙カーを走らせていた・・というのは、それはこれまで立憲民主党と立憲民主党の候補者に投票してきた人間に対する裏切りであるとともに、選挙協力・共闘をした日本共産党に対しての裏切りでもあったのではないでしょうか。野田佳彦という人は、もともと松下政経塾と縁があったりする人で民主党・立憲民主党の中で「左の方ではない人」ですが、そうであっても「信教の自由」を守る、靖国神社への首相の公式参拝などには賛成できないというのは立憲民主党としての立場であり姿勢であったはずですから、それに反する人を選挙カーの助手席に乗せてはいかんのではないか、ましてや「只今、助手席に市会議員の神田ひろえい が乗っております」と何度も何度もいったいその選挙カーは野田佳彦の宣伝の選挙カーなのか神田ひろえい の宣伝の選挙カーなのかどっちなんだ? て感じで何度も叫ぶというのは、それは選挙での野党共闘の趣旨を踏みにじるものではないか。今回は圧勝したとはいえ、そういう姿勢だと入れたくないなあ・・と思いだす人もいてもおかしくないでしょう。そう思いませんか?
  (2021.11.3.) 

  今回の選挙の敗北により、枝野幸男が立憲民主党の代表を辞任すると言い出したらしいが、それについて、維新の会の代表の松井一郎が「責任をとるような負け方をしたかと言えば、それは違うのではないか。」と言ったらしい。(《 朝日新聞 維新・松井代表、枝野氏は「責任とるような負け方とは違う」》https://www.msn.com/ja-jp/news/politics/%E7%B6%AD%E6%96%B0-%E6%9D%BE%E4%BA%95%E4%BB%A3%E8%A1%A8-%E6%9E%9D%E9%87%8E%E6%B0%8F%E3%81%AF-%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E3%81%A8%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E8%B2%A0%E3%81%91%E6%96%B9%E3%81%A8%E3%81%AF%E9%81%95%E3%81%86/ar-AAQfFBY?ocid=msedgntp 
  私も、枝野幸男は「責任をとる」ということで辞任する必要はないのではないかと思う。2017年、4年前、民主党内右翼・「『自民党より右』なのになぜ民主党にいるのか不思議」(自民党に入りたかったけれども入れてもらえなかったから民主党? 維新の会にも入れてもらえないの?)の前原誠司・「右翼勢力から民主党に送り込まれたトロイの木馬」前原誠司が党外の人間である小池ゆり子と手を組んで「民主党をぶっ壊す」を実行した後、枝野らが結成した立憲民主党が選挙で善戦したのは、旧民主党の支持層だけでなく国民一般の間で前原らのやり口に対して不快感を覚えた者が多く、それが立憲民主党への追い風になったということがあったが、その国民の期待に応えるだけの実力が立憲民主党にあったかというと必ずしもそうではなかったのではないか。だから、その時の勢力を維持するならともかく、さらに急激に拡張しようとしてもそう簡単でもなかったというのが今回の結果だったのではないか。又、その時の「追い風」が永遠に吹いているわけではないので、その時より全体として議席を減らしたとしても「ありうること」だったかもしれない。だから、今回の立憲民主党の敗戦は必ずしも枝野の責任でもないように思う。
  ・・というよりも、かわりに誰がなるのか? という問題がある。インターネット上の記事を見ていると、蓮舫が有力とか出ていたが、蓮舫なら枝野幸男の方がいいと私は思う。まず、蓮舫と辻元清美はキャラがかぶっていて、「ともかく、女がぎゃんぎゃんギャンギャン言えば受けるだろうキャラ」というのは、「実際問題として二人も要らない」。 競合候補者に対するネガティブキャンペーンをやって悪いということはないが、ネガティブキャンペーンは10回発言するうちの1回か多くて2回までで、それ以上やったら自分の方の評価が下がる。「ともかく女がぎゃんぎゃんギャンギャン言えば受けるだろうキャラ」の人は、その党の主要人物が何人かいたとして、そのうちの2番目以降の人間で1人くらいいてもいいけれども、委員長とか代表とかには不向きであるし、トップ5人のうちに2人もいるとかいうのは多すぎる。・・実際問題として、私なんかは「ともかく、女がぎゃんぎゃんギャンギャン言えば受けるだろうキャラ」の人は「もう、ええよ・・」て感じ、食傷気味だ。
  辻元も、今回の落選を機会に、もう一度、自分のキャラを考え直してみた方がいいと思う。「女がぎゃんぎゃんギャンギャン言えば受けるだろうキャラ」だと限界があると思うのだ。・・そう思いませんか?
  ・・そういったことを考えると、今の立憲民主党で枝野幸男が辞任したとして、かわりに代表になるのにふさわしい人間がいるのならともかく、そうでなければ、枝野がもうしばらくやった方がいいのではないか・・と私は思う・・けれども。
   (2021.11.3.)
靖国神社法案の問題点―その矛盾を衝く (1976年) - 東京弁護士会
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国家神道 (岩波新書) - 村上 重良
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反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
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絶望の裁判所 (講談社現代新書) - 瀬木 比呂志
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狂った裁判官 (幻冬舎新書) - 薫, 井上
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「ごめん」で済むなら警察はいらない―冤罪の「真犯人」は誰なのか? - 柳原 浩
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  2013年に、
[第192回]《「マルチ商法」と「良い商品」について。原理研そっくり、○○ウェイの勧誘。職場を悪用してのマルチ勧誘。》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201308/article_2.html
で、千葉市中央区鵜の森町 にあった新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産。)で、職場内や車中の相手が逃げられない場所で、アムウェイの勧誘を断っても断っても執拗に続ける男の話を掲載したが、傍若無人なアムウェイの勧誘に困る人は他にもいるようで、インターネット上の産経新聞2021.11.11.に掲載されていました。
《 (ヤフーニュース) アムウェイに違法勧誘 容疑で京都府教育庁職員ら逮捕 11/11(木) 22:01配信
産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f2ef89fd81ec1d8a600b02b5f6960508e41666e
  日本アムウェイ(東京)に入会させる目的を告げずに、マッチングアプリで知り合った女性(23)をエステに連れ出し、入会を勧誘したとして、京都府警は11日、特定商取引法違反の疑いで、京都府教育庁の主事、森口卓也(26)=京都市中京区=と自称自営業の岡田真理(38)=同市山科区=の両容疑者を逮捕した。2人は「勧誘することは事前に伝えていた」などと容疑を否認している。
  逮捕容疑は共謀して3月27日、マッチングアプリで知り合った京都市の女性に対し、アムウェイ入会への勧誘であることを隠して誘い出し、「この化粧水がおすすめ。会員になったら安く買える」などと入会を勧誘したとしている。
  府警によると、女性はその場で入会し、化粧水の購入を契約したが、翌日に府警に相談した。
  府警は森口容疑者がほかにもマッチングアプリで知り合った女性20人以上を勧誘したとみて調べている。
  府教育庁は「容疑が事実であるならば、公務員としてはあってはならない行為。事実を確認の上、厳正に対処する」とのコメントを発表した。》
と出ていた。その人間こそ、教育される必要がある人間であるにもかかわらず、「教育してやらんといかんからなあ」とかウルトラのぼせあがった口をききたがる人間というのは慶應の内部進学に多いのですが、それ以外にもいるようで、京都府教育庁にも教育される必要がある人間でありながら「教育庁」に勤めていた人がいたようだが、毎度、アムウェイと倫理研究所(=倫理研究会)の押しつけには閉口させられる( 一一)
  ・・それから、2001年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の営業所にいた「高木のおっさん」(創価学会員。2001年当時、50代。)は「聖教新聞を購読しろお」と叫んでストーカーとなって執拗に追いかけてきて困ったが、かつ(株)一条工務店という会社は「保護義務違反の(株)一条工務店」で通常ならそういうことをする人には「職場でそういったことはやめてください」と注意するものだが、(株)一条工務店は「あの人にちょっと言ってください」なんて頼んでも絶対に対処しない会社だった。
   アムウェイ・倫理研究所(=倫理法人会)・聖教新聞 、この ””職場の三大押売り”” は勘弁してほしい( 一一)
ー・ー・ー・ー・ー
  「子供」のある家庭にだけ給付金を渡そうという公明党の主張によるものらしい自公政権の対応は、あれはどう考えてもおかしい。
「そこのけ、そこのけ『子持ち』が通る」
「『子供』作れば天下無敵!」

みたいな態度は、どうかしている。
  (2011.11.12.) 

  又、男であれ女であれ、すでに結婚できて子供もできた者に、
まだ、ふさわしい相手と巡り合うことができず、結婚できていない男女、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる男女から奪ったカネを渡せば、それが「少子高齢化対策」になるとか主張する者がいるようだが、
それは、どう考えても逆であろう。

  又、「将来、日本の社会に貢献する子供を育てているのだから」とかのぼせ上った口をきく者がいるが、笑止である。そういう口をきくのは実際に「日本の社会に貢献」というものをやってからにしてもらいたいものである。 実際問題として、その子供が、将来、「日本の社会に貢献」する人間になるか、日本の社会に迷惑かける人間になるかなんて、わからないじゃないですか。もしも、「日本の社会に貢献」しなかったなら、その時には「倍返し」で返してくれるんですか?  実際に貢献していないのに「将来、日本の社会に貢献する子供」などというのぼせ上った口をきくのはやめてもらいたいものです。
  (2021.11.15.)

 ともかく、性交やって子供つくれば、まだ結婚できていない人間・結婚はできたが子供ができない人間を自分たちの召使のように扱う権利がある、まだ結婚できていない人間・結婚はできたが子供はできない人間が払った税金からカネをもらう権利がある・・みたいに心得違いを起こす バカママ症候群・あほパパシンドローム を拡大再生産されても迷惑である。
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
  (2021.11.15.) 

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