「精神疾患」と思われる人に「アホ」と言うアホ。農作業かスポーツをすると根性がつくか。数学の問題は根性で解けるか? ∴ 農作業かスポーツをやると「根性で数学の問題を解く」ことができるか? 「あんたにやってもらったものは何もない」と言う父親の日―「父の日」に2 

[第543回]
  うちの父親は、「わしいが、あんたあの為にやってやってやってやったったものは、いっぱいあるけれども、わしが、あんたにやってもらったというものは、これまでに何ひとつとしてないし、今後とも未来永劫に渡って何ひとつとしてないからなあ」と毎日毎日、何度も何度も言いまくってきた・・・。又、「この家は、すべてわし一人で築いたものであって、わし以外の人間が何かやったというものは、何ひとつとしてないんやからな。おまえがこの家のためにやったものというのは、およそ何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何にと~つ!」と毎日叫んでいた。うちの母親はそれを聞いて「家庭の主婦」というものが何も働いてないみたいなその言い草に怒っていたが、おかまいなしに叫びまくっていた。
(1) しかし。 最近では鰹節というのは、すでに削られたものがパックに入ったものを買う方が普通のようになってきたが、1960年代ではそんな商品はなく、鰹節を削り器で食べる分を削って食べたものだったが、私がまだ小学校に行く前、我が家では鰹節を削るのは小学校就学前の私の仕事で、私が毎度、鰹節は削っていたが、おっさんは私が削った鰹節を食ったはずだったのだが、「わしは、これまで、あんたに何かしてもらったというものは、およそ、何ひとつとしてないんや、何ひとつとして。何ひと~つ! 何ひと~つ! 何ひと~つ!」と何度も何度も言うておったのだが、そんなこと言うなら、鰹節、食うなよ、何度も何度も食っておきながら、何をぬかすか・・と思ったものだった。
(2) 船瀬俊介『買ってもいい 食卓編』(カッパブックス)にも出ていたことですが、ゴマというのは大変栄養分がある食品らしいけれども、ゴマを食べる際に気をつけることとして、ゴマはすって食べるという点があるようだ。なぜ、すって食べるという必要があるのか、そのまま飲み込んではいけないのかというと、ゴマの殻というのは大変硬くて、すって食べるようにしないと、殻は小さくて歯で噛み砕かれることもなく、胃の中に入っても胃液で溶かされることもなく、そのまま排出されてしまうらしく、せっかくのゴマの栄養分を体に吸収しようとすると、「必ず、すって食べる」ということが必要らしい。
買ってもいい 食卓編―安心・こだわりの逸品厳選276 (カッパ・ブックス) - 船瀬 俊介
買ってもいい 食卓編―安心・こだわりの逸品厳選276 (カッパ・ブックス) - 船瀬 俊介
  我が家では、私が子供の頃、その「ゴマをする」という作業は小学校に行く前から私の仕事になっていた。家庭の仕事を手伝わない子供もいたようだが、私はけっこう手伝っていた。すったゴマはほうれん草とかにかけて食べていたはずで、うちの父親は私がすったゴマを食っていたはずだった・・・が、それにもかかわらず、「わしがあんたの為にやってやってやってあげてやってやっていただいてもらってくださってあげてやったものは、いっぱいあるんやけども、わしがあんたにやってもらったというものは、およそ、何ひとつとしてないんやからな。何一つとして。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!」と、毎日毎日、何度も何度も叫びまくるのであった・・・が、あんた、私がすったゴマを食っただろうが。食ってないとでも言うんかい。食っただろうが。よその子供では、子供の頃から、家の仕事を手伝うことなく、子どもは遊ぶのが仕事だとかいう調子でいた子供もいたけれども、私は決してそうではなかった。「わしは、今まで、あんたに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ!」と言いまくるのだったが、よく言うよなあ・・・と思ったものだった。ユニークな性格しとんなあ・・と思ったものだった。
(3)  小学校の4年の途中で、大阪市東住吉区から大阪府の北摂地区の阪急沿線に引越したのだが、東住吉区に住んでいた時は、ちょうど、スーパーマーケットというものが出現しだした頃で、私が小学校に行く前くらいの時には、母が買い物に近所の商店街や市場に行くのについていったものだったが、そのうち、近所の商店街ではなく、そこから少しだけ離れた別の商店街の方に、サカエ・ニチイ・万代百貨店などのスーパーマーケットが出現して、今ではスーパーマーケットというのは「安い」ということよりも、そこで一通りのものがそろうという利便性の方が中心になってきているけれども、その頃は、スーパーマーケットというのは一般の小売店よりも「安い」というのが特徴で、そこに買い物によく行ったものだった。店によっては、「ほうれん草1束 1円。1人1束限り」とか「玉子1パック(12個入り) 1円。1人1パック限り」なんていうセールをやるスーパーもあったが、うちの親としては、それは買いたいと思って、1人1つ限りなら何人かで行けば多く買えるということで、小学生だった私も一緒に行かされたが、「玉子1パック 1円。1人1パック限り」は子供でも売ってくれたが、「ほうれん草1束 1円。1人1束限り」というのは「子供はだめです」と言われた。
  そういう呼び込むため、来場を促すための商品だけでなく、その頃のスーパーというのは一般の小売店より安い値段で販売されていたので、それで、私が小学校3年から4年くらいの時には、日曜ごとに、その少し離れた場所のスーパーなどの所に、うちの父親と一緒にか母親と一緒に自転車で買い物に行っていた。 その頃、我が家には大人用の「一般的な自転車」(いわゆる「ママチャリ」)と私が乗っていた子供用の自転車があり、その2台で買い物に行き、前の籠と後ろの荷台に買ったものを載せるとともに、前のハンドルに買い物袋をかけて、せいいっぱい積んで帰ったものだった。そうやって、「消費の場」における費用節約に貢献していたはずだった。よその子は日曜日になると遊びに出かけていた子が多かったが、私はそうではなかった。小学生でも、生活費の節約に貢献するためにと思って、毎日曜日はそのために費やされた。それにもかかわらず、「あんたがわしや我が家の為に貢献したというものは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとして。何ひと~つ、何ひと~つ!」と、うちの父親は叫びまくるのだった・・・が、よく言うよなあ・・と思ったものだった。
(4)  小学校4年の途中で転居して小学校も北摂地区の市立小学校に転校したのだが、そこでは自転車で買い物に行くような場所にスーパーはなかった・・というよりも、山の中腹の場所で、自転車も、引越す時に、私が乗っていた子供用の自転車は廃棄して行き、我が家に自転車は大人用の「ママチャリ」1台だけになり、山の中腹の場所なので、私はそれでも自転車に乗って苦労して坂を上り下りしていたが、うちの父親も母親も坂道を自転車で乗ることはしなかったので、自転車でスーパーに買い物に行くということはなくなったが、そのかわり、大阪市内に住んでいた時よりも郊外というのかイナカというのかの場所で敷地が広い土地だったので、自宅の庭で、茄子・胡瓜・トマト・かいわれ菜などを栽培して、それを自宅で食べたのだが、小学校高学年から中学校にかけては、私は、毎週、土曜・日曜は朝から晩まで農作業をしていた。
(5)  「あそこの家、植木屋が年に2回も入ってるわ」というのは、そこの家が「もうかってる」「調子がいい」ことを表す言い回しとして言われてきたけれども、私は、若い頃、なんで、2回も植木屋に来てもらう必要があるのか・・と思っていた。年に1回でいいのと違うのか・・と思ったのだ。しかし、そうではない。
  理由は2つあると思う。
(ア) 1つは、人間の頭の散髪でも年に1回、散髪すればいいというものではなく、年に何度かしないと伸びてくるのと同じように、植木というのは、年に一度、切ってもそのうちまた伸びてくるので、年に1回ではなく、何度か刈った方がいいのだ。
(イ) もうひとつの理由は、花が咲く木の場合、花が咲き終わった後くらいに刈るのがよく、花が咲く前に刈るのは避けたい。しかし、それならいつ刈るのがいいかということになると、花が咲き終わってもしばらくすると、もう次の年の蕾が出てくるので、刈るのに最適な時期というのは長くないのだ。だから、花が散ってそれほど経たないうちに刈るのがいいのだけれども、その木によって花が咲く時期が異なるので、年に1回だと、すべての木をちょうどいい時期に刈ることができないことになる。 同じ時期に花が咲く木を植えるようにすれば、刈る時期も同じ頃にできるかもしれないが、そうすると、庭に何本かの木が植わっていても、ある月にすべての木の花が咲いて、他の月にはどの木も花はないということになってしまう。ある時にいっせいに花が咲いて、それ以外の時はまったく咲かないというよりも、順番に花が咲いていくようになった方が樹木を植えた価値が出てくることになるが、そうなると、刈るのに適した月も異なってくる
  うちの父親は、近所の家を見て、「あそこの家、植木、伸びたままになってるけど、植木屋、頼まれへんのかなあ。うちとは違うんやな」とか言っていたのだが、うちの家は年に何度も植木屋に頼んでいたのかというとそうではない。お寺に行くと、お寺の庭は、なんだか、年中、植木屋がちょきちょきやってるような感じがするのだが、普通の家はそんなに何回も植木屋に来てもらうことはできない。それなら、うちの家はどうしていたのかというと、植木屋には年に1回来てもらっていただけだけれども、それ以外に私が何度も刈っていたのだ。うちの父親は「わしがあんたにしてやってやってあげたものはいっぱいあるけれども、わしがあんたにやってもらったというものは、何ひとつとしてないんやからな」と言い、「この家は、すべて、わしひとりで築いたものであって、あんたがこの家のために何かやったというものは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と言いまくっていたが、今から考えると、そんなこと言われるなら植木なんか刈らなきゃよかったかと思う。
(6)  又、うちの父親は「うちの門扉はいつまで経ってもちっとも錆びないやろ。隣の門扉は錆びてきとる。やっぱり、きっちりした所で家は建てんといかんいうことや。やっぱり、うちは小堀住研で建てただけあって、門扉も隣とちごうてちっとも錆びない。さすがは小堀住研や」などと言うておったのだが、「よく言うわ♪」・・・うちの門扉は、私が小学生の時も中学生の時も高校生の時も、時々、私がペンキ塗装していたのだ。隣の家には私より1つ年上の息子と1つ年下の息子がいたが、どっちも門扉のペンキ塗装なんてやりよらんかったのだ。だから、うちの門扉は錆びないのに対して隣の門扉は錆びたのだ。「この家の為に、あんたが何かやったというものは、ひとつとしてないんやからな。わかっとるな。何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ♪」と叫びまくっておったが、そんなこと言うならやらなきゃよかったか・・という気がする。

  1970年代後半、YMCA予備校高槻校の「主事」という藤井という男が「地方の大学なら易しいと思うようだけれども、そうじゃないんだからなあ。地方の大学は地方の優秀な生徒が受けるし、地方の受験生というのはきみらみたいな都会の受験生とは違って根性があるから、数学の問題なんかでも泥臭い解き方でも根性で解くんだからなあ」などと「ガイダンス」で言っていたのだが・・・、数学の問題を「根性で解く」・・・なんてことができるのなら、ぜひともその方法をご教授いただきたいものだ。アホか。しょーもないこと言うんじゃねえ。
  まず、「地方の国立大学」というのは入試難易度は易しいか易しくないかというと、結論として、地方国立大学というのは、京都大学とか東京大学とか大阪大学とかと比べると易しいだろう。但し、あまりなめてかからない方がいいとは思う。 「地方の優秀な生徒」が受けると言っても、実際問題として、「地方の優秀な生徒」というのは、東京圏や関西圏の「優秀な生徒」と比べると、ちっとも「優秀な生徒」でなかったりする・・ということが現実にある。「地方の優秀な生徒」の方には申し訳ないけれども、現実にそういうことはある。
  むしろ、地方国立大学というのは、最近は地方国立大学を卒業しても、全国企業に勤める人も出てきたようだけれども、一般に、その地方とのつながりが密で、行く人もその地方の人が多く、卒業後の就職先もその地方の企業が多いという傾向があり、国立大学だからという理由で京大・阪大・神戸大などと同じようなものだと思い込んで行くと、行ってから、「なんか違う」という気になって、「こんな所、行ってられるかあ」という気持になってしまう・・・ということになる可能性もあるので、受けるのなら、そのあたりについて考えてからにした方がいいと思う。
  それから、これは福島県に住んでみると実感しますが(福島県でなくても山形県でも岩手県でもそのあたりに住むと実感するのではないかと思いますが)、東北大学というのは旧帝大系国立大学だと言っても、東大・京大・阪大と同じような大学だとは思わない方がいいと思います。むしろ、福島大・山形大・岩手大の仲間だと思っておいた方がいいのではないか。東北大は、少なくとも、東大・京大・阪大の仲間という性質よりも福島大・山形大・岩手大の仲間という性質の方が強いのではないか・・と思う。こういったことも、予備校は(言い方を気をつけないと攻撃を受けるでしょうけれども)わかっていない受験生には教えてあげるようにした方がいいと思うのです。北海道大も東北大と似たところがあるのではないか・・な。いいとか悪いとかいうことではなく、現実にそういう性質はあると思うのです。
  そして、東大というのは全国大学だと私は大阪にいる時には思っていたのですが、全国大学という性質もあるのですが、同時に、東京地方大学という性質もある大学だ・・と東京圏でしばらく住んでみると思うようになりました。昨年だったか一昨年だったか、大学合格者数を掲載した「サンデー毎日」に、「京大の全国大学化、東大の東京地方大学化」という文章が載っていたのですが、これは、過去には東京圏の高校卒の人で京大を受ける人はそれほど多くなかったのに対して、最近では、東大は「私立6年制受験校出身の人の行く所」みたいになってしまって、東京圏の公立進学校出身者で京大を目指す人がけっこう出てきているということでしたが、一般に「東京の人間」というのは関西嫌いの人間が多いので、無茶苦茶多くはならないとしても、京大は最初に設立される時に、「東京に帝国大学があるが、東京は首都であり首都というのは政治の影響を受けやすい場所であるが、学問というのはその時の政治・社会の移り変わりとは別に長い目で取り組まないといけないものもあるはずであり、その為、首都とは離れた場所である京都に京都帝国大学を設立する」という西園寺公望公の発言とともに設立されたという経緯があって、設立時から「その時の政治・社会の動きとは関係なく学問をおこなう所」として作られた京大と、国にとって有能な人材を輩出する所を作る為ということで作られた東大とでは、設立趣旨として「政治に関係なく学問をする所」という設立趣旨の京大の方が全国大学化しやすい要素もあったのではないかと思います。・・で、それでも、東大は東京地方大学という性質もあってもやっぱり全国大学ではあるのですが、東京圏にしばらく住んでみると、関西にいる人間の感覚よりも東京地方大学という性質は強いと思います。こういったことも、予備校のスタッフは受講生に話をしてあげることができれば・・とは思うのですが、YMCA予備校の「主事」とかいうような連中にそんなものを期待しても無理でしょう。結論として、「なにしろ、アホですから」。
  それから、もうひとつ。会社という所に勤めると、どうも、「少数派になると損」みたいなところがあるのですが、大学においても、できれば、そこに行った場合に「外様」になる大学に行くよりも、「親藩」「御三家」まではさておき、「譜代」になれる大学に行った方が得ではないか・・という面もあるように思うのです。慶應は「最低でも高校から行った人間が本物の慶大生」と言う大学で、講義の最中に教授が「北野高校の人間というのは『どうして、私立だったらいいんですかあ』なんて言うでしょう。バカか。私学だってことはいいってことじゃないか。こんな常識がわからんのか」と人の出身校を固有名詞をあげて悪口を言うような大学ですから、なんか、大学だけ慶應に行った人間というのは、内部進学の人の盛り立て役というのか、内部進学の人の値打ちを上げるために行ってあげてるみたいな感じがある大学で、そうでなくても、「私立だってことはいいってことじゃないか。この程度の常識もわからんのか」とおっしゃる大学で、何もそんな歓迎されないような大学に公立進学校出身者がわざわざ無理して行くことないのじゃないか・・て感じもします。東大も、最近では「私立6年制受験校の人の行く所」みたいになってしまっている所があるので、公立進学校出身者は「別に東大に行くことないのじゃないか」「私立6年制受験校の人に行かせておけばいいじゃないか」みたいなところもあるように思うのです。それを考えると、私立6年制受験校卒の人は東大に行けるなら行った方がいいでしょうけれども、公立進学校出身者の場合は東大よりも京大の方がいいかもしれない・・・という考え方だってあるようにも思うのです。・・実際には、どこに行っても絶対にいいというものはないと思いますし、本人が納得いく所に行けるならそれでいいのではないかと思いますが、できれば・・ですが、できれば、「外様」にされてしまう大学よりも「譜代」になれる大学に行けた方がいいのではないか・・という面だってある・・ということは予備校のスタッフは教えてあげることができれば・・と思いますが、YMCA予備校のスタッフには最初からそんな能力はないので期待しても無理でしょう。
  慶應大と早稲田大は「早慶」とセットみたいに言われることがありますが、入試科目は早稲田大の科目と問題よりも慶應大の科目と問題の方が国立大学との併願の人には受けやすかったと思うのですが、大学の体質としては早稲田大の方が東大など旧帝大系国立大学と似たところがあるかもしれない。慶應大の教授から聞いた話ですが「早稲田大の人というのは『野人』とか『反権力』とか早稲田大学のことを言ってますが、嘘ですからね」と。しかし、実際、「野人」とか「反権力」とか早稲田大の人間は言ってますよね。それは何なんだというと、実は早稲田大学の体質は反権力ではなく権力志向が相当強いところがあって、そうでありながら、自分の所よりも強力な権力志向が強い大学として東大があるので、その結果として、権力に近づこうとして近づけないものだから、結果として「反権力」みたいになる時があるということであって、本来は「反権力」なんかじゃない、というのです。言われてみると、そうかもしれません。私などが高校を卒業した頃なども、早稲田大を「私学の東大」と書いたものを見たのですが、早稲田大のことを「私学の東大」と言っても慶應大のことを「私学の東大」と言うものは見たことがなく、その違いは何なのかと思ったのですが、早稲田大を「私学の東大」と言うのは、誉め言葉なのだろうと思っていたのですが、実は半分は誉め言葉ですが、半分はけなし言葉だったのです。「私学のくせに東大の後ばっかり追いかけている独立自尊の精神に欠ける大学」という意味でのけなし言葉だったのです。その点では、むしろ、慶應大の方が「向こうは向こう。こっちはこっち」みたいなところがあるかと思います。それで、そのけなし言葉の意味での「私学の東大」という体質が早稲田大にはあるので、その結果として、旧帝大系国立大学を目指していた人が早稲田大に行った場合、もしかすると、慶應大に行った場合よりも馴染みやすいかもしれない。あくまで「かも」ですが、「東大の後ばっかり追いかけまわしている大学」と「向こうは向こう、こっちはこっち」の大学となら、大学とは東大みたいなものだと思っていた人にとっては「東大の後ばっかり追いかけまわしている大学」の方が、あくまで「どちらかといえば」ですが、馴染みやすい・・ということはあるかもしれない。・・さらに、これも、人にもよるかもしれませんけれどもね・・・。こういった話も、予備校ならできるスタッフがおれば、その方がいいと思うし、そういうスタッフがいてこそ予備校ではないのかと思うのですが、亜拓大東帝国あたり卒のくせに「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と学歴詐称すれば「人は言うことをきく」と信仰しているような「信仰の人」がやっているYMCA予備校には、マア無理でしょう。
  さらに言えば、経済学部と商学部と経営学部はどう違うか、入学するまで知らずに入学している人が多いのではないかと思いますが、慶應大の場合は「商業学・経営学・会計学なども扱うけれども経済学に比重がある」のが経済学部で「経済学も扱うけれども商業学・経営学・会計学などの方に比重がある」のが商学部です。一橋大の経済学部と商学部の関係も同じではないでしょうか。神戸大は商学部はなくて経済学部と経営学部がありますが、慶應大・一橋大は「経済学も扱うけれども商業学・経営学・会計学などの方に比重がある」という学部を商業学を代表させて商学部と名付けたのに対して、神戸大は「経済学も扱うけれども商業学・経営学・会計学などの方に比重がある」という学部を経営学を代表させて経営学部と名付けたのでしょう。大阪市大は経済学部・商学部・経営学部と3つあったと思いますが、慶應・一橋は経済学部と商学部の2つに分けて、神戸大は経済学部と経営学部の2つに分けたものを、大阪市大は3つに分けたのではないでしょうか。東大・京大・阪大には経済学部はあっても商学部・経営学部はありませんが、慶應・一橋の商学部、神戸大の経営学部に該当するものがないわけではなく、経済学部の中にあるのではないか。東大は経済学部に経済学科と経営学科があったように思います。関学(関西学院)は経済学部と商学部は同じ試験科目でしたが、同志社は商学部だけが経済学部や法学部・文学部とわずかに試験科目が違っていましたが、おそらく、経済学部と商学部を同じ試験科目にすると、どっちが上か下かというように見えてしまうので、それで、経済学部と商学部はどちらが上とか下とかではないとしたいことから商学部は経済学部と試験科目をわずかに変えていたのではないかと思います。オーナー企業の社長の息子で東大の経済学部に行った人は経営学科の方に行く人が多いようなのですが、慶應大の場合はオーナー企業の社長の息子というのは商学部ではなく経済学部に行きたがる人が多い。それは、元は「理財課」と言っていて、後に「経済学部」と名称変更した学部を、戦後に2つに分けて片方に「経済学部」、もう片方に「商学部」と名前をつけたのが慶應大の経済学部と商学部であって、慶應大の商学部は何もない所に新たに作った学部ではなく、経済学部が「理財課」の後身ではなく、経済学部と商学部の両方が「理財課」の後身であるはずなのですが、オーナー企業の社長の息子とか、慶應の内部進学とかの人には「名前を取る」という選択をする人が多く、経済学部と商学部の両方が「理財課」の後身だといっても、それでも「慶應の経済」という「名前がほしい」ということで経済学部に行きたがる人が多いのです。その結果、「慶應の経済」というのは、慶應大の中でも一番、「いかにも慶應慶應している学部」になって、そういうのが好きな人もいるのかもしれないけれども、何と言うのか、そういう「ほとんどビョーキ」みたいのは好きじゃないという人もいるわけで、又、「慶應の経済」というのは学生の3分の1以上が内部進学の学部であるのに対して、商学部は慶應大の社会科学系学部の中では内部進学の人の比率が一番小さい学部であり、そういうことを考えると、一橋大の経済学部と商学部、神戸大の経済学部と経営学部、大阪市大の経済学部と商学部と経営学部、関学大の経済学部と商学部、同志社大の経済学部と商学部は、自分が学びたいのはどちらなのかという点から選ぶといいかもしれませんが、慶應大の場合はそういう「いかにも慶應慶應している学部」が好きなのか、そういう「ほとんどビョーキ」みたいの(と言うと怒られるかもしれないけれども)はあまり好きじゃないのか、ということから考えた方がいいかもしれません。公認会計士の試験を受けようという人にとっては、経済学部と商学部なら商学部の方が公認会計士試験の内容とは関連が大きいようですが、それでも「名前を取る」傾向が強い人は「慶應の経済」に行って公認会計士試験を受ける人もいるようで、受けて通る人もあるようです。田中真紀子さんの息子も「慶應の経済」卒で公認会計士になったみたいですし。予備校の人間て、こういうことを、ちょっとくらい教えたらどうかと思うのですけれどもね。YMCA予備校高槻校の人間なんて、結論として「アホばっかし」でしたから、こういう話なんてできる人間は1人としていませんでした。言うことというと、「地方の受験生というのは、きみらみたいな都会の人間とは違って根性があるんだからなあ。地方の人間はきみらと違って根性で数学の問題を解くんやからなあ」などとトンチンカンなことばっかり( 一一) ( 一一)
( 一一)
「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じのことばっかり言っていました。
  入試の難易度としては、関西の受験生は、どうも、東大に落ちると「やっぱり、東大は難しい」と考える人が多いのに対して、早稲田大に落ちると「早稲田みたいなもんに」と考える人間が多いのですが、そのとらえ方はあまり正しくないように思います。むしろ、『ドラゴン桜』の登場人物の弁護士が「教えてやる。東大は簡単だ」と言っているように、東大に通ろうと思ったら、まず、「東大は簡単だ」と思うことが合格への第一歩ではないかと私は思います。
ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス) - 三田紀房
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では、どうすれば「簡単」に通ることができるかというと、東大に通るような学習をすれば・・です。京大・阪大受験を対象とした学習をしてきた者にとっては東大は試験科目にも配点にも違いがあり、出題傾向にも違いがあるので、実際以上に難しく感じるのです。早稲田大は旧帝大系国立大学を目指す受験生がけっこう落ちることが多かったのですが、それは試験科目が違うということが大きく、又、慶應大の問題は比較的素直な問題が出題されることが多かったのに対して早稲田大の問題は「少々、癖がある」問題で、おそらく、それは、旧帝大系国立大学をめざして落ちた人が早稲田大に来てもいいけれども、早稲田大を目指していた受験生にも早稲田大に来てもらいたいと考えたところから、試験科目を旧帝大系国立大学とは違うものにして、試験問題に「少々、癖がある」問題にすると早稲田大を第一に考えている受験生がその分だけ有利になって早稲田大を第一に考えていた受験生の合格比率が高まると考えて意図的にそうしていたのではないか・・なと思います。関西の受験生は「早稲田みたいなも~ん」と思っていて、落ちたら「早稲田みたいなもんに」と思うのですが、そう考えるのならば東大もまた「東大みたいなも~ん」と考えるべきなのです。原理は同じはずなのです。京大・阪大あたりを念頭に学習してきた受験生にとっては、東大は試験科目と配点と出題傾向が京大・阪大とは違うという点で、早稲田大は京大・阪大などとは試験科目と配点と出題傾向が違うというところから、「早稲田みたいなも~ん」などと思っていても、けっこう旧帝大系国立大学をめざしていた者が落ちることがあるというのと共通する問題が東大を受験する場合にはある。東大を受ける場合には、京大と東大、阪大と東大の違いは、どちらが難しいかという視点で考えるのではなく、試験科目のと配点の違い、出題傾向の違いという点の方を重視して考えるべきです(念のため、断っておきますが、私が受けた1970年代後半から1980年代初めにかけての話です。今もその通りかどうかはわかりません)・・というあたりも、予備校のスタッフは説明してあげるべきだと思います・・・が、実際は亜拓大東帝国あたりしか出てないくせに「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低3回は言わないと気がすまないというようなYMCA予備校の「主事」には、期待しても無理です。

  「数学の問題」というのは「根性で解く」なんてことができるのか・・・というと、そんなもん、できてたまるか。できるわけないだろうが! アホか! 体育会系の人は「体育会の人間は学力はないが根性がある」とか言いたがる人が多いのだが、「根性」ていったい何やねん・・というと、1980年代、慶應大学の「体育理論」という必修科目では、体育会の教授が「たとえば、この春、体育会の陸上部に入部した何とかくんなんかは、入部した時には、陸上のトラックを1周するだけでひいひい言っていたのだけれども、半年経ったら、今ではもう、4周でも5周でも平気で走るようになった。これは、根性がついたということだ」・・とおっしゃったのだ・・が( 一一)・・・・、「せ~んせえ~え、それって、『根性がついた』のではなくて、『体力がついた』のと違うんですかあ~あ」と言いたかったのだが、なんか逆らうとうるさそうだったので言わなかった・・・ということがあったのだが、「体育会の人間は根性がある」・・とかいうのは、マア、そんなもんだ・・( 一一) それで、学習の合間に、別の科目を学習する前に、気分の切り替えと体力づくりと思って腕立て伏せをやったり腹筋運動をやったりというのは、それは私もやったのだが、やっていいと思っていたし、やっていいけれども、別に腕立て伏せをやったからといって、あるいは、腹筋運動をやったからといって、「数学の問題」を「根性で解く」ということができるようになるか? ・・というと、ならんと思うぞお・・( 一一) 
  もしも、スポーツの練習を相当やって体力をつければ「根性がつく」ことになって、「根性がついた」ならば「根性で数学の問題を解く」ということができるようになるのなら、江川なら慶應大学の入試には間違いなく通ったであろうけれども・・・慶應、落ちよったやんけ( 一一)
  「最近の若い人は」なんて表現はしたくないが、「最近の若い人は」知らんかもしれないので説明すると、今は昔、「春やすこけいこ」という女性漫才師がいて、
「ちょっと、知ってる~う? 江川、アホやでえ~え」
「ええ? アホやった~ん。なんでえ~え?」
「慶應、落ちたやんか・・」
・・というのをやっとった。
  体育会で「根性」をつけたなら、「根性で数学の問題を解く」ということができるのなら、何十年に1人の逸材と言われ「怪物」と言われた江川卓なら(そのわりに、選抜大会では、私が見に行った時に江川の作新学院は目の前で広島商業に負けよったけど)「数学の問題を根性で解く」ということくらい、へのカッパ・・であったはずで慶應大の入試くらい楽々と通るはずだが、そうはいかんかった・・ようだ。江川でなくても、野球の甲子園大会で大活躍した高校生で、できたら早慶に行きたいと言いながら、法政とかに行く人ているでしょ。
  慶應大学卒で社会人野球を経て西武ライオンズに入団した鈴木哲という投手がいたが、福島県の進学校の福島高校卒で、高校卒業時にプロから誘われていたけれども慶應大学に行きたいということで2浪して慶應大に入学した上で、卒業後、社会人野球に2年行ってからプロ野球に入ったが・・、なんか、あんた、アホなことやってへんかあ・・プロ野球選手になりたいのなら、大学に入るのに浪人に2年、大学で4年、社会人野球で2年、合計8年も費やしたら、高校卒業してプロ野球に入るやつと比べて、すでに8歳も歳を食ってるねんでえ、プロ野球選手になりたいのなら、何もそこまで遠回りせんでもええのとちゃうのん・・・て感じがしたのだけれども、彼が卒業した高校は、福島県では、磐城高校(いわき市)・安積(あさか)高校(郡山市)と並ぶ進学校の福島高校(福島市)で、高校卒業時にプロ野球の球団から誘われていた選手だったらしいが、高校卒業時にプロ野球の球団から誘われるくらい「根性がある」のなら、かつ、「根性で数学の問題を解く」ということができるのなら慶應大の入試くらい軽々と通りそうなものだが、(鈴木哲が高校を卒業した時は慶應大に運動選手の「推薦入学」の制度ができる前だったために、)2年も浪人しよったあ・・・て、やっぱり、「根性で数学の問題を解く」なんてことは、なかなかできるものではないようだ。YMCA予備校は「ガイダンス」で変なこと言わない方がいいと思う・・が嘘・デタラメを言わなきゃおれないYMCA予備校だった。
  「泥臭い解き方だけれども」という部分については、これは、これこそ、予備校は受講生にきっちりと説明をしておくべきだと私は思ったのだけれども、YMCA予備校の「主事」になっているような亜拓大東帝国あたりしか出てないおっさんには理解できないようだった。私が「え?」と思ったのは、高校3年の時、代々木ゼミナールの東大模試を受けた時だった。旺文社から出ていた『傾向と対策 数学1』『傾向と対策 数学2B』とかに出ていた解答などと、代ゼミの東大模試での解答とでは、どうも、表現が違うように思ったのだ。それで、東大の数学で合格できる点数を取るためには、代ゼミの東大模試の模範解答みたいな書き方をしなければならないものなのだろうか・・・と悩んだのだ・・が、結論としては、要するに、数学の問題というのは「解ければいい」のだ。
  採点者がどう思うかの問題というのはあると思う。インテリアコーディネーター試験を受けた際にハウジングエージェンシーが実施したインテリアコーディネーターの二次試験(製図・論文)対策講座を受講した時、講師の先生が「製図にしろ、論文にしろ、採点者が合格と思いそうな答案を書く。採点者というものはキリストか釈迦か孔子か孟子かそういう人だと思わないで、せいぜい並みか並みの下くらいの人間が採点してるのだと思って、並か並の下くらいの人間が合格と思うような答案を書くようにする」と言われた。柴田孝之『司法試験機械的合格法』(実業之日本社)にも、答案の採点をする人というのは、相当の量を採点しているのであり、司法試験の論文の試験の採点というのは夏の暑い頃に採点しなければならないのであり、ものすごい人格者が採点していると思って書くのではなく、並の人間が採点してるんだと思って、並の人間が合格と思うように、ともかく書けばいいというのではなく、できるだけきれいに、読みやすく書くようにするべきだ・・・といったことを書いていたと思う。そういうことはあるだろう。実際に採点している人が「並か並の下くらいの人間」なのか「キリストか釈迦か孔子か孟子かみたいな人」なのかどうかはわからないが、たとえ「キリストか釈迦か孔子か孟子かみたいな人」が採点していたとしても、それでも答案を書く側としては「ともかく書けばいい」という姿勢でではなく「せいぜい並か並の下くらいの人間が合格と思いそうな答案」を書くようにした方が好ましいでしょう。
  しかし、模擬試験を受けて、採点された答案が返送されて、それに同封されて模範解答が送られてきた時に、その模範解答を見て、どうも、自分が今まで学習してきた問題集の模範解答とは違う表現がされているように思った・・としても、別にどちらの表現であってもいいと思うのだ。模擬試験の模範解答として書かれているものは、その模擬試験の実施団体によって、表現のしかたがいくらかずつ違うように思います。それを見て、自分が今まで表現してきた書き方と違う物を見ると、その模範解答のような表現をしないといけないものなのだろうか・・などと思ってしまうことがありますが、数学の証明問題というのは基本的には「解ければいい」のであり、表現法についてはそれほどこだわらなくてもいいのではないか、と思います・・が、模擬試験などは、できれば1社ではなく何社かのものを受けるようにして、それぞれの実施団体はどういう模範解答にしているのか、目を通しておくようにした方がいいのではないかと思います。
  柴田孝之『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)を見て、柴田が書いていたことを読んでわかった。「大学への数学」という東京出版が出していた月刊誌があって、月刊誌とともに、増刊とかいう形での単行本も出ていたのだけれども、「大学への数学」に出ていた解答の表現というのは、柴田孝之の言い回しによると「エレガントな解法」だったのだ。そういう「エレガントな解法」を見ると、そういう表現をしたくなってくるものだ・・・けれども、別にその「エレガントな解法」でなくても「泥臭い解法」でも解けておれば正解と評価してもらえるはずなのだ。だから、別に「エレガントな解法」で表現しなければならないということはない・・と考えていいのではないか。そして、《「大学への数学」に出ていたような「エレガントな解法」》をマスターしているかどうかは、都会の人間か地方の人間かの問題とは違うはずなのだ。地方でも「大学への数学」を手に入れようと思えば手に入れることはできたはずだ。都会か地方かの問題とは違うはずなのだ。
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
<法科大学院&新司法試験対応>司法試験機械的合格法 - 柴田 孝之
<法科大学院&新司法試験対応>司法試験機械的合格法 - 柴田 孝之
  YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井は「ガイダンス」で「地方の受験生はきみらと違って根性があるんだからなあ」と言うのだったが、「地方の受験生」というのは「都会の受験生」と比べて「根性がある」のかあ???  ・・この藤井という男は、なんか、次から次へとしょーもないこと言いまくる男である。「地方の人間」というのは、「都会の人間」とどう違うのか。「地方の人間」は「都会の人間」とは違って、「農作業をやっている」というのならば、だ。 農作業やると「根性で数学の問題を解く」ということができるようになるのか? ・・・なったらおもろいわ( 一一) 
  運動選手なら話は違うかもしれませんよ。地方の人間というより、何か体を動かすような仕事を子供の頃からやっていた人が、それで体を鍛えられて運動選手になった時に成果を出せた・・というのなら、ありそうな話ではあるでしょう。もっとも、中学生くらいで、「体力づくりをかねて」と言って新聞配達やる人がいると聞きましたが、15歳未満を働かせていいのか・・というと、今となっては何十年か前、産経新聞社の奨学生募集のセンターの人に聞いた話では、教育委員会から許可を得た上でさせているそうでしたが、私は新聞配達の仕事を実際にやったことがあるのですが、最近の都市圏の道路というのは大部分がアスファルト舗装もしくはコンクリート舗装されていて、又、マンションの廊下や階段というのはモルタル打ちっぱなしなどの仕上げになっていて大変硬く、そこを走ったりすると膝にこたえます。『あしたのジョー』では、丹下段平が矢吹丈をトレーニングで走らせる時に、走りにくい細い道ばかり選んで走るので、なぜ、こんな走りにくい細い道ばかり走るんだと矢吹丈が言うと、丹下段平が「広い道は舗装されていて硬すぎて足腰によくないんじゃ」と言って土の道を選んで走らせていたという場面がありましたが、今現在では、土の道を選んで走ろうと思ってもなかなかないくらいで、ましてや、新聞配達では走るのに適した道を通るのではなく、新聞の購読を契約してくれたお客様の家がある所に行かないといけませんし、マンションの廊下や階段なんて土でできた所なんかありませんから、私が新聞配達をやった時も、配達を終わると両膝に痛みを感じたもので、あんまり、健康にも体力づくりにもプラスになりそうにありません。むしろ、その作業を毎日やることによって体を傷める可能性が考えられます。 又、野村のじいさんがラジオで話していたものによると、「漁師の子であった稲尾は船の櫓をあやつることで、手首と足腰が鍛えられた」という話があるけれども、そのシーズンに活躍した選手をハワイ旅行に行かせてあげるということがあって、稲尾と一緒にハワイに行った時に、ボートに乗ろうということになって、稲尾が「俺が漕いでやる」と言って漕ぎ出したのはいいけれども、同じ所ばっかりぐるぐるぐるぐる回ってちっとも前に進まなかった・・だから、あの「漁師の子であった稲尾は船の櫓をあやつることで、手首と足腰が鍛えられた」というあの話は絶対に嘘やと思った・・そうで、あやしい話はいっぱいあるようです。プロレスラーのアンドレ=ザ・ジャイアントは木こりをやっていた時にスカウトされた・・という「お話」があって、たしか梶原一騎 原作『プロレススーパースター列伝』にも載っておったように思ったのですが最近ではその話は嘘だというのが定説になってきているようですし。プロレスの場合はもともと「エンターテインメント」であって、最初から意図的にそういった「お話」を作ってる場合もあるようですが、いいかげんな話はいっぱいあるみたいですね。
  怪しい話はいっぱいあるとしても、運動選手なら事務や営業の仕事をしてきた親の子供よりも、体を動かすような仕事の親の子供の方が子供の頃から親の仕事を手伝ったりしたことで体が鍛えられた・・ということは、可能性としてはないことないかもしれない。しかし、「数学の問題」て、農作業やったら「根性で解く」なんてことが、できるようになると思うかあ??? ( 一一)
( 一一) ( 一一)

・・というよりも、「地方」でも「地方」に住んでいる人間というのは誰もが百姓であるわけではないし、実際に「地方」に住んでみると、田んぼ持ってる百姓の息子とそうではない農地なんか持っていない者の息子となら、百姓の息子というのは農家を継ぐことを親も考えているから、進学熱というものがないということではないとしても、それこそ、息子の尻叩いて勉強させて東大でも行かせて卒業する時になったら「うち、田んぼあるから百姓継げ」なんて言ってやったらかわいそうでしょうが・・・、と思うと、「地方」でも、農地がある家というのは、勉強できない方がいいわけではないけれども、そんなに無茶苦茶勉強せんでもええよ・・みたいなところがある・・と思う。だから、むしろ、「地方」でも農地を持たない会社員や公務員の息子の方が勉強熱心だったりするのだ。YMCA予備校は受講生の思考を混乱させようとしてしょーもないこと言うんじゃねえ!!!
  そして・・・だ。 もしも、「地方」の受験生が、農作業の経験があるということから「根性で数学の問題を解く」ということができるのであるならば、うちだって、実は「兼業農家みたいなもの」だったのだ。私は、子供の頃、「兼業農家」というのは、週の大部分は農作業をしていて、週に1回か2回、アルバイトみたいに勤めに行ったり、農閑期に出稼ぎに行ったり、農業の傍ら、内職で何かを作ったりということをしているのかと思い込んでいた・・・のだが、(株)一条工務店で、福島県いわき市で勤務して、「本物の兼業農家」「実物の兼業農家」の人と会って・・というよりも(株)一条工務店の従業員でも「兼業農家」の人はいたのだが、田植えと稲刈りの季節は農作業は忙しいようだが、そうでない時期というのは「正社員として普通に勤めている」のだ。え? こういうのを「兼業農家」て言うの? ・・と都会で育った者として、最初、びっくりしたのだが、「兼業農家」だといっても、普段、普通に仕事もって普通に勤めて仕事してるのだ。それで、「兼業農家」成り立つみたいなのだ。 それなら、私が小学校高学年や中学生だった時の我が家だって、考えようによっては「兼業農家」みたいなものだ。我が家は庭で茄子・胡瓜・トマト・かいわれ菜といったものを作って食べていたのだ。私は毎週、土曜・日曜といえば、朝から晩まで農作業させられていたのだ。だから、あれだけ、農作業やったからには、相当「根性で数学の問題を解く」ことができるようになって良さそうなもの・・と思うが、今もって「根性で解く」という秘法は習得できない。
YMCA予備校、「バカ言ってんじゃないわ♪」「よく言うわ♪」。「YMCA予備校の高槻の主事てのは、なんか、嫌なやつらしいなあ」という話を「まわりまわって」別の所から耳にしたのだが、よくもまあ、あれだけ、無茶苦茶なことを「ガイダンス」だなどと言ってマイクに向かって話すものだ・・とあきれる。
  YMCA予備校、特に高槻校の「主事」の藤井という男が、次から次へと無茶苦茶ばっかり言いまくるということは、私はうちの親にも話したのだが、うちの父親は「専門家やがな、専門家。専門家の言うことやがな、専門家」と言って、私がせっかくきっちりと指摘してもきかなかった。しっかりした父親なら、父親が息子に、そういうアホなやつは無視しろと教えるものだが、うちの父親は息子の方が感知して、親に教えても、それでも、「専門家やがな、専門家。専門家の言うことですがな、専門家」「専門家の言うことはきかんといけませんがな、専門家」と言ってきかなかったのだ。
  そして、『新約聖書』の「福音書」には「預言者、故郷に入れられず」という言葉があるが、「あんな男が専門家だと言うのなら、私の方がよっぽど専門家だ」と言っても、又、実際、そうであったはずだが、うちの父親というのは、絶対にそれは受け入れない男だった。「親というものは、自分の息子のことはええようにええように思うもんやから」とか「親というものは、自分の息子の言うことは、どうしてもきくもんやから」という「心理学の学説」を口にするのだったが、どこがやねん! そういう親も世の中にはあるのかもしれないが、あんた、ちっともそうじゃないじゃないか! あんたは逆だろうが! あんた、「自分の息子のことをええように」なんてちっとも思ってないじゃないか。むしろ、「隣の芝生は緑に見える」という諺の方があんたにはあてはまっているだろうが。あんた、「自分の息子の言うこと」なんてちっともきかないじゃないか。 「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」・・それにしても、 「心理学の学説」というのは、ほんとにまあ、次から次へと無茶苦茶ばっかり、よくもまあ、おかしな「説」を捏造するものだとあきれる。
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36) - なだ いなだ
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36) - なだ いなだ

  YMCA予備校 高槻校の「主事」の藤井は「地方の受験生はきみらとは違って根性があって、数学の問題だって根性で解くんやからなあ」と発言したのだが、「YMCA予備校 高槻校 京大東大文系クラス に来ている人間⇒都市圏の人間⇒根性がない⇒数学の問題が解けない」ということにしたいらしかったのだが、同じクラスに和歌山県海南市から、わざわざ、大阪府高槻市まで来ていた受講生がいて、隣のクラスには奈良県南部からわざわざ高槻市まで来ていた受講生もいたのだが、彼らも「都市圏の人間⇒根性がない⇒数学の問題が解けない」ということにしたいみたいだった。 しかし。誰かが書いていたのだが、和歌山市の住人というのは、和歌山市は和歌山県の県庁所在地でありながら、和歌山市だけは大阪府だ・・みたいに思っているという話があるのだが、南海本線とJR阪和線が走っている和歌山市までは「大阪府」だとしても、和歌山市の南側の海南市になると「もう、大阪府では通じない」のではないかと思うのだ。そうなると、「大阪府」ではなく「和歌山県」の住人、「和歌山市以外の和歌山県」の住人だった彼は「地方の受験生」ではないのか。「和歌山市以外の和歌山県」の住人だった彼は「地方の受験生⇒根性がある⇒数学の問題が解ける」ということにならないのか。 この場合、和歌山市の住人であったなら、和歌山市までは大阪府だと認定して「都市圏の住人⇒根性がない⇒数学の問題が解けない」ということになるのか、和歌山市も和歌山県だと認定して「地方の受験生⇒根性がある⇒数学の問題が解ける」ということになるのか。 「地方」に住めば「根性がある⇒数学の問題が解ける」ということになるのなら、一時的に、「地方」に住むようにすると、それで数学の問題が解けるようになるのか。
  YMCA予備校は、しょーもないこと言うんじゃねえ・・・と思うが、言わなきゃおれないYMCA予備校と「主事」の藤井だった。そういう人のことを「敬虔なクリスチャン」と言うらしい。キリスト教の教会と牧師屋が《「献金」と洗礼》と引き換えでそういう人を「敬虔なクリスチャン」と認定してくれるらしいのだ。「天国の沙汰もカネ次第」てものだ。あーめん。
「あーめん、そーめん、ほっかいどー♪ あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あれだけ、出すのに、どれだけ きついかきついかきついかあ~あ♪
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪ あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あれだけ、出すのに、どれだけ きついかきついかきついかあ~あ~あ~あ~あ♪ 」
※ 《YouTuve-February 24, 2019 やーれんそーらん北海道》https://www.youtube.com/watch?v=f4Y45J4-gKY

  YMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」は、「京大東大文系クラス」と名前をつけて募集していたにもかかわらず、内容はどう考えても「京大東大文系クラス」になっていなかったのですが、今から考えると、あれは「ジャロに言うたった方がよかったのではないか」・・とも思います。「京大東大文系クラス」でない内容のものを「京大東大文系クラス」と称して募集するというのは、「京大東大文系クラス」という「広告」は不当表示でしょう。そう思いませんか? 〔⇒《YouTuve-JARO 白雪姫篇》https://www.youtube.com/watch?v=OyGtVTySYEo 〕

  うちの父親は、「わし、これまで、あんたに学費や生活費を出すのが大変やなんて一言でも言ったことはないやろ」と言うのだった・・が、はあ? はあ~あ?  あんた、「あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あれだけ、出すのにどんなけ、きついかきついかきついかあ~あ♪ あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪」と言うとったやろうが。 「わし、あんたに、わしに感謝せえやなんて、一言として言うたことないやろ。このくらいのことはわかってもらわんといかん」と言うのだったが、はあ? はあ~あ? あんた、「わしに、感謝♪ わしに、感謝♪ わしに感謝感謝感謝感謝♪」と毎日叫びまくっておったやろうが。 「わしの恩は天より高く、海より深し~い。とってちってたあ~あ!」と、毎日叫んでおったやろうが。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに、わしに、わしに、わしに。すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために。てってこっこてっててって、らったらったらったら~あ♪」と毎日毎日叫んできただろうが。「わし、今まで、たとえ、一言でも、わしに感謝せえやなんて文句は、口にしたことないやろ」て、はあ~あ? 「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」  毎日、毎日、「すべてをすべてをわしのために。撃ちてしやまん、一億火の玉~あ!」と叫んできただろうが。 「あんた、わしがこれまで、あんたに『わしに感謝せえ』やなんて、一言として言うたことはない、というそのくらいのことは、いくらなんでも理解せんといかんでえ」と言うのだったが、はあ? はあ? あんた、今も言うたばっかりやろうが。「わしに感謝、わしに感謝、わしに、わしに、わ、し、にい~い! あ~いらいら」と言うたばっかりやろうが。・・・そういうおっさんやった。
※ 《YouTuve-February 24, 2019 やーれんそーらん北海道》https://www.youtube.com/watch?v=f4Y45J4-gKY

  我が家で食べる分と、たまに知り合いにあげたこともあったかもしれないが、そのくらいしか作らなかったけれども、それでも、農作業に小学校高学年から中学生にかけての私は相当貢献したはずだった・・・にもかかわらず、うちの父親は、「おまえが、わしの為に何かやったこととか、この家の為に何かやったものというのは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!」と言いまくるのだった。なんか、やらなきゃよかったみたいな感じだ。
(7) さらには、おっさん、私が刈った芝の上で、ゴルフのパットの練習やっとったはずだが、それでも、「わしは、あんたに何かやってもらったものというのは、何ひとつとしてないねん」と言いまくったのだったが、「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」てものだった。
(8) サツキとツツジというのは同類でそれほど大きく違いがあるわけではないらしいが、そのサツキだったかツツジだったか、花が咲く寸前の時期に、「これ、切って小さくしなさい」とうちの親から命令されたのだ。小学校高学年の時だったか中学生の時だったか、どちらの時だったか忘れたが、どちらかの時だ。しかし、すでに花芽がついている木をどうやって切ればいいのかわからなかったので、「どうやって切ればいいの」と母にきいたところ、「何、言ってますのん、あんたはあ。そのくらい、できませんのん、あんたはあ。そのくらい、自分で考えてやりなさいんかあ」と言われ、しかたなしに、一番外側を切ってひと回り小さくするようにしたのだった・・・が、ところが、うちの父親がそれを見て、「あ~、あ~、あ~、あ~、あ~あ。こいつは、いったい何をしくさるんじゃ、こいつはあ。もうすぐ咲くという花芽をみんな切ってまいよったがな。何をさらすんじゃ、おまえはあ。何、考えとんのじゃ、おまえはあ!」と激怒。「しかし、切れと言ったでしょう」と言うと、「誰が花芽を切れと言うた。おまえの頭はどうかしとるんか。花芽を切らんようにして、小さく切れと言うとんのんじゃ。おまえは、その程度のことすらもできんのかああ~あ、このあほんだらめがああ!」と怒られたのだった。・・で、それなら、もう、やらんわと思って部屋に引き上げたところ、うちの父親と母親と2人で庭の掃除をした上で、かき集めた草などを籠に持って、それを私がいた部屋に持ってきて私めがけてぶちまけたのだった。・・・それで、1か月未満のうちに咲くというツツジだかサツキだかを花芽を切らないようにして切って小さくするというのは、いったいどうやればできるのだろうか・・・と何十年間にわたって疑問に思ってきた。「こいつ、何さらしよんのじゃ、このボケナス。おまえはその程度のことすらもできんのかあ~あ。花芽を切らんようにして、それでもって小さくなるように切れと言うとんのんじゃ。その程度のことすらもおまえはできんのか、このクズ、このアホンダラ、このボケナスがあ!!!」と言われたのだったが、いったい、どのようにやればよかったのだろうか・・・。それで、うちの父親が他界した後のことだが、プロの造園屋に依頼することがあった時に、 「あと1か月未満で花が咲くというツツジとかサツキとかを花芽を切らないようにして小さく切るには、どうやったらうまく切れるのでしょうか」と尋ねてみたのだ。そうすると、どういう返事がかえってきたかというと、「それは無理です。1か月未満のうちに花が咲くというツツジとかサツキを花芽を切らないように切ってくれなんて言われても、そんなことは絶対にできません」と、そういうことだった。「それでも、どうしてもと言われるのなら、一番外側だけ刈るようにすれば、ひと回り小さくなって、その内側の花芽の分は咲きますから、そうすることならできますけれども。そやけど、もう1か月経たないうちに咲くということなら、刈るのは咲いてからにされた方がええのと違いますか」・・とそう言われたのだ。要するに、私は、プロの造園屋が「それは無理です」ということを「おまえは、その程度のことすらもできんのかあ。このクズ、このボケナス、このアホンドラあ! その程度のことすらもできんカスめがが!」と言われて、芝や雑草を投げつけられたのだった。私はそうやってきたはずだったのだが、しかし、「おまえがこの家のためにやったというものは、何ひとつとしてないねんぞ、何ひとつとして。この家はすべてわし一人の力で築いたものであって、おまえがこの家のためにやったというものは、何ひとつとしてないんやぞ。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!!!」と叫びまくるのだった。そういうおっさんやった・・。
  だいたい、プロの造園屋でも「それは無理です」ということをやれとは無茶苦茶やろうが・・と思うのだが、うちの父親はそういう事を云うことはよくあった。うちの父親は私に「同時にやる、何でも何でも同時にやる、七つも八つも同時にや~る」と私に号令かけるのだったが、「そんなもん、七つも八つも同時になんてできません」と私は言ったのだ。すると、うちの父親は「できんのか、チャンコロ! チャンコロ、できんのか、チャンコロ! チャンコロはそんなこともできんのか。そんなもん、わしいとかM川先生とかT子さんとかのドイツ人なら、そんなもん、ちょちょいのちょいやぞお。できんのか、チャンコロ。チャンコロはできんのか、このチャンコロめがチャンコロ!!!」と言うので、「それなら、そのドイツ人がやってみてくださいよ。ドイツ人が七つも八つも同時にやってみせてくださいよ」と言ったところ、「な~にをのぼせあがった口をききよるんじゃ、このチャンコロめがあ!!! ええ~えかげんにせえよ、このチャンコロ!!! なんで、ドイツ人がそんなもん、せんといかんのじゃ、ええかげんにせええ!!! なんで、ドイツ人がそんなもんやらんといかんのじゃ。チャンコロがやんなさいか、チャンコロがあ!!!」と言うのだった。だから、「ドイツ人」というのは、「ドイツ人なら七つも八つも同時にやるなんて、ちょちょいいのちょい」と言いながら、実際にはそんなもの、できないということがよくわかった。「ドイツ人」というのはそういう「民族」で「階級」のようだ。

(9) そして、「わしがあんたにやってあげてやってあげてやってやってやってやったったものはいっぱいあるけれども、それに対して、わしがこれまでに何かあんたにやってもろうたものは何ひとつとしてないけれども、今後とも、わしはあんたに何かやってもらうというようなことは、未来永劫にわたって何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!」と言いまくりよった・・のだが、そのわり、おっさんが他界した後、そのおっさんの墓の掃除を毎年毎年やってきた。「墓の掃除なんてたいしたことない」なんて思う人もいるかもしれないけれども、そうでもないですよ。けっこう大変ですよ。「わしは、今後とも未来永劫にわたって、わしがあんたに何かやってもらうというようなことは、何ひとつとしてないんやからなあ。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!」と叫びまくったおっさんの墓をなんで掃除したらんとあかんねん・・・という気持になりながら、毎年毎年掃除してきた。
(10) 1990年代の初め、うちの父親が他界する前、病院に入院した時、うちの母親が「前に回生病院に入院した時には〇〇が大阪にいたから着替えとか持って行ってくれたけれども、今は東京にいるから持って行ってもらうということはできないから」と言ったところ、「そんなもん、回生病院に持ってきてもらったことなんて、そんなもん、あったかあ~あ」と言い、うちの母親が「あったでしょうよ。なんで、覚えてないの」と言うと、「知らんなあ。そんなもん、一回として持ってきてもらったことなんてない~い」と、そう言いよったらしい。あのおっさんあらしいなあ、ほんまにあのおっさんらしいなあ、「ドイツ人の民族」で「ほんまは慶應の階級」だけのことあるなあ・・と思う。

  それで、1960年代後半、大阪市東住吉区の家に住んでいた時のことだ。

  1960年代後半のことだが、大阪市東住吉区の私が1年から4年の途中まで通った市立小学校の近くに、「精神障害者」なのか?・・という感じの男性が2人、住んでいて、小学生が登下校する時、通学路に立って小学生を睨むような眼でいつも見て、時として後をついてきて、私なども怖かった・・ということがあった。「精神障害者」の人が誰もが「怖い」わけではないが、その人は顔つきも変で、いつも、小学校の近くの交差点の所付近に立っていて、小学生が下校する時に小学生を見ていて、しばしば、後をついてくることがあり、眼を合わさないようにすればいいのかというとそうでもなく、大人なので小学生よりも大きく力も強いと思われ、本当に怖かった。
  具体的に何をされたということではなかったけれども、何かされそうな感じで、又、どう考えても後をついてきているとしか思えないということが何度もあり、しかも、兄弟なのか双子なのか、2人いたので、1人が向こうにいるからこちらの道を通っていこうとしても、もうひとりが他方の道にいるということもよくあった。先生に言っても先生も何もしてくれなかった。実際、はっきりと児童が何かされたということではなく、いつも、小学校の近くの道に立っていて小学生の方を見ている、時々、小学生の後をつけてくる・・というだけでは、近所の人に対して何もできなかったのかもしれない。
  眼を合わさないようにするといいかと思ってもだめ。走って通り過ぎるといいか、それとも、さりげなく「普通の歩調」で通った方がいいかというと、どちらもだめ。 どこの家の人なのかはっきりとわからないが、小学校の低学年の子供としては本当に怖かった。今から考えると、小学校の先生は、生徒の下校時刻くらいには、学校の外まわりの掃除でもしているふりをして様子を見て、小学校の周囲に先生がいるというようにしてくれればよかったのに・・と思うのだが、そういう配慮をしてもらえるということはなかった。

  それで。 我が家は小学校よりも北の方にあったのですが、↑ で述べたサカエ・ニチイ・万代百貨店などがあった商店街のエリアは、私が通っていた小学校のすぐ北のあたりで東に曲がって直進していったあたりにあったのですが、日曜日、買い物に行く時だったか、それとも、小学校の我が家とは逆側の公園に行った時だったか、私が「小学校の近くに変な人がいつも立っているから、だから、小学校のすぐ近くで曲がるのじゃなくて、それより手前で曲がるようにしたい」と言ったところ、うちの父親が何と言いよったかというと、「そんなやつ、気にすることあらへん」と言うのでしたが、「そうはいかないよ。怖いんだから、ほんとに」と言ったところ、「そんなやつ、『アホウ』て言うたったらええねん、『アホウ』て言うたったら」と言うので、「そんなこと、言ったら、余計に追いかけてくるでしょう」「そんなこと、言ったらだめです」と言ったのだ。
  ところが・・・・。 あのおっさん、相当ユニークな性格していると思う。 日曜日、うちの父親と一緒に ↑ の商店街のスーパーに行く時、うちの父親が前を自転車で走って、私がその後ろを自転車で走っていたら、その「精神疾患」かという感じの人が立っていたのですが、そうすると、うちの父親はその人の横を自転車で通り過ぎる時に、「アホウ!」とその人に言って走り抜けたのでした。なんで、そんなことするの? そんなことしたらだめです、そんなことしないでください・・とあらかじめ話していたのに、それでも、やらないとおれないシンドロームのおっさん・・( 一一)
  そして、家に帰ってくると、「そら。言うたったぞ。『アホウ』て言うたった。『アホウ』て言うてやった」などと言ってはしゃぐのでした・・・が、困るなあ、そんなことされたら。明日から私はいったいどうしたらいいの?

  おっさんは、その時、徒歩で歩いている人の横を「アホウ!」と言って自転車で走り抜けたのであり、翌日はその場所には行かないのですから、もうそれでいいのでしょうけれども、私はその人が立っていた場所の前にある小学校に、その翌日も翌々日も通わなければならないのであり、それも、自転車で行くのではなく歩いていかないといけないのであり、その日曜日はうちの父親の後から自転車で走っていたから自転車で走り抜けることができたけれども、翌日からは自転車で小学校に通うのではなく歩いて小学校に行かないといけないのであり、うちの父親から「アホウ!」と突然言われた人は、言ったおっさんよりもその後から自転車で走ってきた私の方を見て私の顔を覚えた可能性が考えられたのです。そんなことされて、明日から、いったい、どうすればいいの?
  それに、だいたい、昔から「人に『アホウ』言うもんがアホや」なんて言葉がありますでしょ。その人は、小学生には、いつも、道路のカドの所に立って小学生を見て、しばしば後をつけてきたのでしたが、うちの父親には何かしたわけでもないのであり、その何かしたわけでもない人に、おっさんは、自転車で横を通り過ぎながら、いきなり、「アホウ!」などと言って通ったのであり、その場だけ見ておれば、どう考えてもうちのおっさんの方こそ、「アホウ」であろうというものでした。なんで、この人、こんなことするのだろう? と思ったし、なんで、こんなことされるのだろう? ・・とも思いました。
  ほんと、あしたから、どうすればいいのだろうと思ったのです。それまでは、私は単なる小学校の通学児童でしかなかったのだけれども、それから以降はその人に自転車で通り過ぎながら「アホウ」などと言ったおっさんの連れになったのです。いったい、どうすればいいのでしょうか。うちの父親は「あんなやつ、どうってことない。『アホウ』言うたれ、『アホウ』て」と言うのですが、大人にとっては「どうってことない」人でも子供にとっては、相手の方が体も大きいし力も強いし、怖いのです。 なんで、うちの父親というのは、こんなことするのか・・・と思いました・・・が、それこそ、うちの父親の特徴だったのです。それ、やってこそ、あのオッサン。それをやるのがあのおっさんだった、ということをそれから何十年か経ってわかりました。あのおっさんは「そういうおっさん」だったのです。だから、父親と一緒にどこかに行った思い出が忘れられないといった子供のお話がありますが、我が家の場合は、あのおっさんと一緒にどこかに行くと、たいてい、何かしよる・・ということがあったので、あまりうれしくなかった。
  遠山啓(ひらく)『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)では、遠山啓(ひらく)は、父親とは息子を外敵から守ってくれる存在であ~る・・などと書いていたが、嘘です。そういう父親も世の中にはあるのかもしれないけれども、そうでない父親もいる。外敵を引っ張り込んでくる父親というのもいる。
  又、遠山啓は、父親というものは、息子に「世間知」というものを教えてくれる存在であ~る・・などと書いていたが、嘘です。そういう父親というのもいるのかもしれないけれども、そうでない父親というのもいる。もとより、教えるも何も自分が「世間知」なんて持ち合わせていない父親というのもいる。息子より「世間知」がない父親というのもいる。

  6月の第3日曜日は「父の日」。 2021年(令和3年)は、6月20日(日)が「父の日」。 「精神疾患」か? という感じの人が立っている横を自転車で通り過ぎながら、いきなり「アホウ!」と言って、それで「『アホウ』言うたった、『アホウ』言うたった」とはしゃぐおっさんの日です。
  かなわんなあ、あんなことされたら・・・・。 なんで、あんなことするんだろうなあ・・と思ったのですが、「そういう人」なのですからどうしようもないみたいです。そういう人のことを「世界一沈着冷静なお父さん」とか「百戦錬磨のお父さん」とか「スーパーマンのお父さん」とか言うそうです。
 私が20代前半の時、「あんたはわしのことをもしかすると『普通のお父さん』やと勘違いしていたかもしれんけれども、実は違ってんでえ。実はわしはスーパーマンやってん。知ってたかあ」と言うのでしたが、知らんかった。パーマンかと思うとった。「知らんかったのなら、今すぐ、認識を改めた方がいいねえ。わしはスーパーマンやねん」と言うので、「はあ。スーパーマンなんですかあ」と言うと、「そやねん。スーパーマンやってん」と言うのです。「空、飛ぶのですか?」と言うと、「アホか。そんなもん、飛ぶわけないやろ」と言うので、「しかし、スーパーマンなんでしょ。スーパーマンなら空、飛ぶのと違うのですか」と言ったところ、「飛ぶか、そんなもん。何、言うとんのんじゃ」と言う。「それなら、どこがスーパーマンなんですか」と言うと、「だから、スーパーマンなんじゃいうて教えてやってやってあげてやってあげてやってやったっとんのんじゃ。わしのことをスーパーマンやと思うて崇拝しろよ、スーパーマンやいうて」と言うのでした。そういうおっさんでした。これは、どうも、うちの父親の親友の医者屋のM川(男。1980年代前半当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住)が「おとうさんは、スーパーマンやから」とか言うと、この男は調子に乗りのぼせあがる、この男は簡単にのせられると思ってそのようなことを言ったようでしたが、そういう人に簡単にのせられる人でした。だいたい、せめて「空、飛ぶのですか?」と言われた時点で、気づけよお・・と思うのだが、気づかん男やった。・・疲れる。6月の第3日曜日はそういう人の日。

 (2021.6.19.
  2021.6.20.の「父の日」の前日 )

☆ 2021年の「父の日」に。
1.ある日、突然、いなくなった柴犬と「子供は女が育てるもの」と言うわりに犬を飼いたがる男。治療費より新しい犬を買う金額の方が安かったら「新しい犬を買った方がいい」か? 人間について「故障」と言う男。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202106/article_2.html
2.「精神疾患」と思われる人に「アホ」と言うアホ。農作業かスポーツをすると根性がつくか。数学の問題は根性で解けるか? ∴ 農作業かスポーツをやると「根性で数学の問題を解く」ことができるか? 「あんたにやってもらったものは何もない」と言う父親の日〔今回〕

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