辻元清美の「ヒョウ柄」は大阪人が迷惑するからやめてもらいたい。「大阪の為」より日本全国の為に「大阪都構想」検討が必要ではないか。辻元は大阪の地価が激下がりて知ってるか?

[第519回]
  「大阪の立憲民主党」が、「ヒョウ柄のズボンをはいたおばちゃん」を「大阪の女性」だとして描いたポスターを作成し、「大阪に余計なことせんといてほしいわ」と言うチラシを配った・・・ということにはがっかりした。 立憲民主党という党というのは、特に「大阪の立憲民主党」というのは、その程度の政党だったのか・・・と幻滅を感じた。
  「ヒョウ柄のズボン」とかはいたような、そういうセンスのない変な格好した女性というのが、それが「大阪の女性」だと罵るというのは、それは大阪嫌い・関西嫌い・アンチ阪神の東京もん がやりたがる「決めつけ」であり、それを大阪の人間が追認してどうするんだ!?! 特に、大阪の政治家がそんなものを「大阪の人間」だと追認してどうするんだ!?! アホと違うか・・・。
  私は大阪市の生まれで、小学校の途中から大阪府の北摂地区に転居し、今は在東京圏関西人、「日本とは東京のことだ」と主張したい東京もん の認識からすると「在日関西人」ということになる。 そういう華僑のごとく母国 大阪を離れて暮らしている在東京圏関西人、非関西に居住している関西人・大阪人として、この辻元清美ら立憲民主党の行動には幻滅させられた。 私の親兄弟や親戚、友人・知人、近所の住人まで含めても、東京もん の おっさん が、これが「大阪のおばちゃん」だと言いたいらしい「ヒョウ柄のズボン」とかはいたような、センスの悪いそういう変な格好した人なんて一人もいない。
  但し、たとえ、変な格好であれ、センスがいいとは言えない格好であれ、個人としてやるのなら、それはその人の自由だが、そういうものを「大阪の女性」だとアピールするようなことはやめてもらいたいし、特に、そんなアピールを大阪の政治家がやるというのは、もってのほかである。

  《(ヤフーニュース)  辻元清美氏「82歳の母から借りた」ヒョウ柄で演説 日刊スポーツ》https://news.yahoo.co.jp/articles/caf56d4e63551b3eb028d2bb27b914e91de3d25e には、
《 「大阪市廃止にNO!」をテーマに掲げた街頭演説。ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック、大阪のおばちゃんスタイルでマイクを握った辻元氏は・・・ 》
《 この日、初めてヒョウ柄を身に着け街頭演説した辻元氏は「82歳の母から借りてきた」と話し、「大阪の女であることを誇りに思ってきた。ヒョウ柄は大阪の女のど根性」とコブシを振り上げた。・・》
などと書かれている。
  「大阪の女であることを誇りに思ってきた」というのはいいと思う。しかし、 「ヒョウ柄」を「大阪の女のど根性」と決めつける態度、向きを変えて、「大阪の女のど根性」というのは「ヒョウ柄」なのか? 「ち~が~う~だ~ろ、このボケぇえ~え!」、「ちがうだろ、ちがうだろ、ちがうだろお~お!」

  辻元清美の頭では、その「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」というセンスの悪い、下品な格好というのが、それが「大阪の女」で「大阪の女のど根性」なのか? ・・まず、その認識を改めてもらう必要がありそうだ。
  《ウィキペディアー辻本清美》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E5%85%83%E6%B8%85%E7%BE%8E によると、辻本清美は、1960年に奈良県で産まれたが、大阪府高槻市で育ち、名古屋大教育学部付属高校卒で、早稲田大教育学部卒だが、年数を計算すると、27歳で卒業したようで、高校を卒業してから大学に入るまで間があったようで、少々、変わった経歴をしている。少々、変わった経歴をして悪いということはない。むしろ、政治家になるような人間は、少々、変わった経歴でも経験してきた方がいいくらいかもしれない。 ・・それで・・、大阪府高槻市で育ったというだけあって、本人の意識も自分は大阪人だという意識のようだが、辻元の場合、
(1)学歴としては早稲田大学教育学部卒。
(2)これまで、居住してきたらしい場所としては、大阪府高槻市だけではなく、名古屋・東京でも居住してきたことがある。
・・という人らしい。 一般に、学歴の低い人で一定の場所にしか暮らしたことがないという人には、「▽▽の中のカエル」的思考になってしまっている人がいるが、「▽▽の中のカエル」的思考にならないようにするには、
(1)学問的努力により、科学的思考を身に着ける、
(2)比較的若い時期に生まれ育った所とは異なる所で暮らす経験を持つ、
というこの2つが有効だと思うのだが、辻元清美の経歴を見ると、経歴を見るとその2つを満たしているように思える・・・のだが、そのわりに、変な「大阪人」観・変な「大阪の女」観を持っている。
  大阪府高槻市で育ったとしても、他の所で暮らしているうちに、特に 東京もん と一緒に過ごしているうちに、東京もん が押しつける「大阪人」観・「大阪の女」観を身に着けてしまったのか? そういう「大阪人」観・「大阪の女」観に洗脳されてしまったのか?  東京もん と暮らすために、東京もん の「大阪人」観・「大阪の女」観を受け入れる奴隷根性を身に着けてしまい、それを「大阪の女のど根性」などと主張する勘違いな感性を身に着けてしまったのか。
  アメリカ合衆国の黒人について、「ニグロ」(negro)は普通の言葉だが、「ニガー」(nigger)は蔑称であり使用するべきではないとされる。「カラード」(colored)という言葉があり、本多勝一の文章によると、アメリカ合衆国の黒人には、「ニグロ」(negro)と呼ばず「カラード」(colored)と呼ぶように要求する人がいるが、これは本末転倒の主張で、「カラード」(colored)というのは白人(white)を基準において、それに「色付けされた」という意味であって、白人を基準・基本とする不適切な言葉であり、「カラード」(colored)こそ差別用語であり、使用しないように求めるべきもののはずなのに、差別される側で生きてきた人には、本来、差別用語であるものとそうでないものを逆に考えてしまう場合が出てくるようだ、という話があった・・・が、辻元清美が「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」とか、そういったものを「大阪の女」の象徴のように主張したり、「大阪の女のど根性」であるかのように主張するというのは、それは「カラード」(colored)と呼ぶように主張する黒人のようなものであり、本末転倒の態度・言動である。

  大阪の女性で、「ヒョウ柄のズボン」だの「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」だのというものを着用している人がいるならば、いますぐ、そのスタイルはやめてください。迷惑です。
  もしも、そういうものを「大阪の女」の特徴だということにして、大阪をけなす材料として「東京もんのおっさん」が使っていなければ、そうでなければ、私はそういうのは、どう考えてもセンスがいいとは思えないし、それが「庶民」だとも思わないし、それが「大阪」だなどとは毛頭思わないが、誰がどんな格好をしようが、それはその人の自由であり、私が「センス悪いなあ」と思ったとしても、その人がいいと思うのならその人の自由です・・・が、その格好というものを、「東京もん のおっさん」が「大阪の女性」はみんなそんな格好をしているものだ、そういうのが「大阪の女性」なのだ! と決めつけて、大阪と大阪の女性を蔑む材料として利用しているという現実を考えるならば、大阪の女性でそのような格好をしている人がもしもいるのなら、その格好は今すぐやめるべきだ。今すぐやめてもらいたい。
  最近ではそうでもなくなったかもしれないが、かつて、欧米の人間には「日本の女性というのは芸者だ」と思っている人というのがいたようなのだ。なぜ、そんなことを思うようになったかというと、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』に原因があると思う。あのオペラはどう考えても日本人と日本の女性をバカにしている話である。あれは「国恥オペラ」である。日本の女性は誰もが芸者であるわけではない。それにもかかわらず、あのオペラだけを見た欧米人には、日本の女性というのは誰もが芸者であり、欧米人の男が日本人の女を捨てて母国に帰れば、長々とその男を待つものだ・・・と勘違いした日本人観・勘違いした「日本の女性」観を持つに至るようになった。
  もうひとつ、川端康成の小説『雪国』というものにも原因はあると思う。なんで、あの程度の小説が「ノーベル文学賞」なのか・・。しょせんは日本語がわからない人間が選考した「文学賞」だということか。 ああいう小説もあって悪いことはないのかもしれないが、特別にものすごく優秀な作品というものでもないはずなのだ。なぜ、それが「ノーベル文学賞」に選ばれたかというと、それは、欧米人の場合は、避暑・避寒、休暇を過ごすという場合、家族とともに避暑地・避寒地などに出かけて過ごすというのが普通だが、欧米人には理解しずらいことだが、日本人の場合はそうではなく、妻や子は置いておいて、男性が1人だけで温泉地に出かけて芸者とともに過ごすというもので、これが日本人の休暇の過ごし方というもので、それを欧米人に紹介するのに、この『雪国』という小説はもってこいのものだ・・・というのだ。原文の通り、引用したかったのだが、どうも、整理が悪くて、川端康成『雪国』(新潮文庫)をどこに置いたかわからなくなってしまったので、しかたなしに、趣旨を述べるが、アメリカ合衆国人の「文学者」だか「文学評論家」だかが言うにはそういうものらしいのだ。・・しかし、欧米人がこの小説を読むと、「ほお~お。日本人というのは、こういう休暇の過ごし方をするものなのかあ。欧米の人間とはずいぶんと違うものなのだなあ。いい勉強になった・・・」と感心するのかもしれないが、そういう日本人も中にあるのかもしれないが、私なんかは、そんな過ごし方をしたことなんて一度もない。おそらく、死ぬまでそんな過ごし方をすることなんてないだろう。 だいたい、川端康成という人というのは、小さい頃に両親を亡くしたらしいけれども、引き取られた祖父母というのが相当裕福な家庭だったらしく、『伊豆の踊子』にしても、なんだか、相当上から見下ろしたような態度の書き方だし、休暇を芸者とともに過ごすようなそういうご身分のお方だったようだ。 新潮文庫の日本人の解説文によると、モデルになった芸者さんというのは実在したらしいが、会ってみると、川端康成『雪国』で描かれているよりも、はるかに「水っぽい」人だったらしい。そのあたりは、小説というのは「お話」だから、モデルになった人とまったく一緒でないといけない理由はない・・が、そういう話らしい。
  なぜ、川端康成『雪国』が「ノーベル文学賞」に選ばれたのか・・という理由については、「欧米人に、日本人というものは休暇を過ごすのに妻と子は置いておいて温泉地に出かけて芸者とともに過ごすというのが日本人の休暇の過ごし方だと紹介するのにもってこいの小説だ」という理由とともに言われるのは、戦後、「日本はアメリカ合衆国のメカケ」という位置づけが定着したことから、アメリカ合衆国さんが、「アメリカ合衆国のメカケ」である日本の国際的地位を上げようとお考えになって、それで、ボクシングの世界チャンピオン・ミスユニバース、それにノーベル賞受賞者というものを日本人から出そうとお考えになったようで、ボクシングの世界チャンピオンというのは、勝たなきゃなれないけれども、全盛期のチャンピオンと敵地で対戦するとなると「噛ませ犬」の役をさせられることになるが、力が落ちてきたチャンピオンと日本国内で対戦することができれば、世界タイトルを奪取できる可能性が大きくなり、そういう段取りができるかどうかで世界チャンピオンを出せるかどうかは変わってくる。ミスユニバースなんて、こんなものは最初から全体が八百長みたいなものだから、ある年の世界一に日本人を選定させようと思えばできる。ノーベル賞だが、ロボトミーの研究だかでノーベル医学賞だかを受賞したおっさんもいたようだし、もともと、ノーベル賞なんていいかげんで賞なのだが、特にノーベル平和賞とノーベル文学賞についてはいいかげんというのか、ノーベル文学賞の選考委員て何か国語も読めるのか? ・・日本国内の文学賞よりノーベル文学賞の方が価値があると思っている人がいるが、日本語の読めない人が選んだ文学賞というものに、どれほどの価値があるのか?・・・という問題もあるが、これも、「アメリカ合衆国のメカケ」という位置づけが定着してきた日本の国際的地位を上げるために、誰か「生きてる人」にノーベル文学賞を受賞させようということになり、何人かの日本人が候補にあがったが、三島由紀夫なんてのに受賞させたのでは「ノーベル文学賞作家」という肩書のもとに自衛隊の駐屯地に日本刀もって乗り込むとかされたのではかなわん!・・ということで、「危ない系」の三島由紀夫は忌避するとして、井上靖あたりは穏健な人柄っぽいし、書いている作品も「リベラル」であって左翼とかではないし、戦後、GHQが推し進めたという「戦後民主主義」に合うし良さそうだけれども、『天平の甍』とか『敦煌』『蒼き狼』とか中国方面を題材にした小説を書いていることから中国の文学者ともつながりがあるのではないか・・と考えると、台湾の方の中国ならともかく、「毛沢東思想」とか言っていた頃の中華人民共和国とつながりがある作家というのはまずい、ということで忌避され、志賀直哉はというと、どうも、ノーベル賞というものに対して胡散臭いものという印象を持っていた男のようで、うかつにそういう男に受賞させて、サルトルのように辞退されたのではかなわん・・ということで、志賀直哉も忌避して、消去法で残ったのが人畜無害そうな(どうでもいいて感じの)川端康成で、元A級戦犯 笹川良一の小学校の時の同級生らしいし、川端康成で「トンネルを出るとそこは越後湯沢だった」というやつでいこうか・・・ということで決まった・・・のかどうか、そんな感じがしないでもない。もしかすると、上越新幹線の停車駅を越後湯沢にもってくるというのも、その頃から画策されていたのか? ・・・というとそのあたりはよくわからんが、まあ、その程度の小説だと思う・・・「ノーベル文学賞受賞作品」でなければ今頃、絶版になっていてアマゾンで中古書なら手に入っても新刊書はない・・という状態になっているかもしれない本だが、日本人というのは欧米人とは違って、妻や子を自宅に残して男だけが温泉地に出かけて芸者とともに過ごすというのが、それが日本人の休暇の過ごし方というものだ・・と欧米人に紹介されたのでは、それでは日本人として迷惑のようにも思うのだ。私なんて、そんな過ごし方したことなんて一度もないし、何より、芸者さんと過ごすようなそんなカネなんてないわ!!! 
  「首都」というものはどういうものか。アンブローズ~=ビアス『悪魔の辞典』(角川文庫)には「イナカ根性の砦」と出ている。フランツ=ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房)には、「首都」というものの嫌らしさが指摘されている。「首都」の嫌らしさを克服しようとして、人工的に新しい街を作って首都を移転させても、ブラジリアだとかキャンベラだとかいう街は、それまでの首都以上に嫌らしい性質を持つ街になったと指摘される。 日本の東京という「首都」もまた、そういう性質を持っていると思う。
   東京もん のおっさん というのは、大阪人が東京で大阪弁を話すと、「おい~い。ここは大阪じゃないんだから、標準語を話せよお」とか言うでしょ。彼らが言う「標準語」というのは東京弁のことですからね。そして、アメリカ合衆国人が東京でアメリカ合衆国弁を話すと、「おい~い、ここは日本なんだから日本語を話せよ」とは絶対に言わないでしょ。そうではなく、一生懸命、アメリカ合衆国弁を真似ようと、へこへこ、へこへこ、へこへこあざらく、へこへこざめらく・・・とやるでしょ、東京もん てやつは。その奴隷根性、その植民地根性!!! それを得意がってるでしょ、東京もん は! そして、「大阪のおばちゃん」というのはこういうものだ・・・と決めつけて大阪人を蔑もうとして考えついたものが、それが「ヒョウ柄のズボン」だの「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」だとか、そういうものを「大阪のおばちゃんスタイル」だとして大阪の人間・大阪の女性をバカにして喜んでいるのです。まさに植民地根性丸出しです。魯迅『阿Q正伝』の阿Q とそっくりでしょ。 それが 東京もん の特徴です。
  特に、慶應大学の学生とか卒業生にはそういう人間が多いように思います。彼等「慶應タイプ」はそういう態度のことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか「自我が確立されている」とか「思考が柔軟」とか言うのです。なんで? ・・と思いますけれどもね。思いませんか? こういうことを言うと内部進学の人は「受験勉強の悪影響だと思います」とか言うのだが、《福沢諭吉と何の関係もないものに「福沢」の名前をつけて主張したがる症候群》が「受験勉強の悪影響を受けていない」だという主張は身勝手。そっちこそ「受験勉強の悪影響」と違うのか? ””大学受け取らんにもかかわらず「受験勉強の悪影響」シンドローム””。 福沢諭吉と関係のないものに福沢諭吉の名前を使わないでもらいたいものだと思うのですが、「慶應タイプ」の人、特に内部進学の人は福沢諭吉と関係のないものに「福沢精神」と言うのが大好きです。
 福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎の出身という意味での『いなかもの』というのは、これは別に悪いということはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これはよくない」と語ったようだが、東京もん には「精神面がイナカモノ」が多いと思うし、特に慶應関係者には「精神面がイナカモノ」が多いと私は思う。1980年代だが、東急東横線「日吉」駅の西側、慶應大学日吉キャンパスとは逆側にある山村書店で、慶應大学鉄道研究会編著『シティ電車』などという本が置いてあるのを見たが、それなどにも見られるように、『シティ電車』とか 《何かと「シティ」とか言いたがる症候群》というのは、これは「精神面がイナカモノ」の特徴・徴候・病状である。
  東京もん には 《自分の方が「精神面がイナカモノ」でありながら、ひとに「いなかも~ん!」と言いたがる症候群》の人間が多い。私も、最初に東京圏に住んだ時、普通に話したら、東京もん から「いなかも~ん!」と言われたことがあるのだが、そして、言われた私としては「なんで、こんなイナカモンに『いなかもの』言われなきゃならんのだ」と思ったのだが、私などは東京圏での暮らしが長いので関西弁が薄くなってしまったし、他の地域にも住んだのでいろいろな地域の言葉が混ざってしまったのだが、最初に東京に行って暮らすと、東京弁を話そうと思っても話せないので、そのまま、大阪の言葉を話すと、東京もん は「いなかも~ん!」と言う、言いたがるのだが、そういう根性こそ「精神面がイナカモノ」と言うべきであろう。特に、関西人が関西弁を話すと、「ここは東京なんだから標準語を話せよ」などと言って「東京弁」を話させようとしながら、アメリカ合衆国人がアメリカ合衆国弁を話すと、「ここは日本なんだから日本語を話せよ」とは絶対に言わず、逆に、一生懸命、アメリカ合衆国弁を真似ようとへこへこへこへこする・・という東京もん の奴隷根性・植民地根性は、それは「イナカモン根性」とも共通するものである
  大阪および大阪の人間は、少なくとも東京よりは「イナカモン」ではないと考えられるのは、ひとに「いなかも~ん!」などと言いたがる人間は少ない、という点がある。それぞれの地域にそれぞれの特徴があるのであって、自分の所を中心に考える思考=「天動説」の人間というのは、その分だけ「精神面がイナカモノ」であり、その基準で考えるならば、東京の人間というのは大阪の人間よりも間違いなく「精神面がイナカモノ」である。そして、大阪では「じじむさい」という言葉があり、これは、「あか抜けている」の逆の言葉であり、本来、大阪および上方(かみがた)は東京のイナカモノと違って、「じじむさい」ことはないはずなのだ。それから考えると、辻元は、なんで、わざわざ、「じじむさい」格好をしてみせて、それが「大阪の女」だなどと変てこりんなことを言い出すのか? その格好はあまりにも、「じじむさい」格好であり、大阪にそぐわない。大阪に似合わない格好である。

   もしも、「東京もん の 植民地根性の一部分としての大阪攻撃」の道具として、「ヒョウ柄のズボン」だの「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」だのを「大阪のおばちゃん」だと決めつけるということがされていなければ、大阪の女性誰もがそんな格好をしているかというとしていないはずですが、もしも、千人に1人でも2人でも、1万人に1人でも2人でも、そういう格好をしている人がいるのなら、どんな格好をしようがその人の自由ですが、《「東京もん の 植民地根性の一部分としての大阪攻撃」の道具》として、「ヒョウ柄のズボン」だの「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」だのを「大阪のおばちゃん」だと決めつけるということがされているという現状がある以上は、もしも、大阪の女性でそんな格好をしている人がいるのなら、今すぐ、そういう格好はやめてください。たとえ、その人がよくても、その人のおかげで、「大阪の人間」「大阪の女性」はそういうものだと間違った紹介をされて、いわば、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』のおかげで日本人の女性は誰もが芸者みたいに勘違いされて、日本人の女性というのは白人の男に捨てられて去られると永遠に待ち続けるものだと思われてしまう、川端康成『雪国』のおかげで、日本人というものは休暇を過ごすのに家族と一緒に過ごすのではなく、妻や子を自宅に残して男が1人で温泉地に出かけて芸者と一緒に過ごすものだ・・と勘違いされてしまうのと同様に、その「ヒョウ柄のズボン」だの「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」だのと大阪の女性は誰もがそういう格好をしているものだ、大阪の男性もまたそれに対応するようなものだと勘違いされてしまいます。迷惑ですから、そういう格好をしている人がいるのなら、今すぐやめてください!

  1980年代、川崎市幸区に住んでいた時、JR南武線「鹿嶋田」駅の近くで、阪神の縞の帽子をかぶった男性を見かけました。「東京で阪神の帽子かぶって歩いて何がいかんのじゃあ」というのは悪くないと思います。特に、阪神タイガースがCクラスを低迷していた時にこそ、「最下位のチームの帽子かぶって歩いて何が悪いんじゃ、何があ!」というのは悪くないと思います。
  1990年頃だったと思うのだが、中山ラマダという漫画家が、プロ野球が終盤になり、アナウンサーが街の人たちに優勝チームの予想をきくという設定で、「セリーグはどこが優勝だと思いますか」と尋ねたところ、ためらうことなく、「阪神!」と答えた男に、東京もんのアナウンサーが「はあ~あ? 阪神は最下位ですよお~お♪ それも、ダントツの最下位ですよお♪ 5位と無茶苦茶離れてますよおお♪ これから全勝したって勝ち越しもできませんよお♪ なんで、阪神なんですか~あ?」とうれしそうに言うのに対して、「じゃかましいわあ! 阪神はなあ、阪神は最下位でも優勝するんじゃあ! 阪神は全敗したってそれでも阪神は優勝するんじゃあ、このボケえ!!!」〔⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕と言うという話を書いていたが、そういうのは悪くないと思うのだ。そういうのを「大阪人のど根性」と言うのなら言ってもいい。しかし、「東京もん の 植民地根性の一部分としての大阪攻撃」の道具として使われている「ヒョウ柄のズボン」だの「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」だのを、それが「大阪のおばちゃん」だと決めつけるというようなことはやめてください。 それは大阪人をバカにしています。それは、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』や川端康成『雪国』が日本人を誤解させるのと同様に、大阪人を誤解させるものですから、今すぐやめてください。

  生まれ育った場所から外に出たことがほとんどないという人で、学識がない人には、そこでずっと暮らしてきたことから、かえってその場所について適切な理解ができないという場合があります。 佐賀県出身の大隈重信は、地方の若い者は、生まれ育った所にずっといたのではだめで、大学は東京か関西か生まれ育った場所とは異なる所の大学に行って、生まれ育った所とは異なる場所で暮らすという経験を持つべきだと言って早稲田大学を作ったというのですが(そういう経緯があるので早稲田大学は慶應大学などと比べて地方出身者が多いというのですが)(田舎出身の人間が多いということを「野人(やじん)」と言うのだと言う人もありますが)、それは地方の人を想定したものであって京阪神地域の人間を想定して言ったものではないと思いますが、たとえ、関西や東京圏の生まれの人間でも、生まれ育った所と異なる所で暮らしてみる経験というのはあった方がいいのではないかと思います。 その点、辻元清美さんは、大阪府高槻市の生まれで自分自身の認識として「大阪の女」だと認識しているらしいものの、早稲田大学に行って東京で過ごした経験があり、名古屋大教育学部付属高校卒らしいので名古屋で暮らした経験もあるらしい人ですから、そのあたりについては、他の地域に住んだ人間としての視点というものがあって良さそうに思えますし、又、「早稲田大学教育学部卒」というのは、「早稲田みたいなも~ん」と思う人もあるかもしれないけれども、世間一般から考えれば、学歴としては上の方の学歴の人ではないかと考えられるはずですから、そのあたりについて理解できていて良さそうに思えるのですが、このヤフーニュース(日刊スポーツ)の記事に出ている言動は理解に苦しみます。


  「大阪都構想」について、「大阪の自民党」は反対の立場らしいが、「自民党そのもの」はそうでもなくて、菅首相は「大阪都構想」については「静観」の姿勢らしいが、基本的には「地方自治の原則」からすれば、何党であれ、大阪のことは大阪の人間が決めるべきであり、隣接する兵庫県・京都府・奈良県・和歌山県あたりの人間や現在は他の都道府県在住者でも大阪出身とか、大阪に土地建物を所有しているとか、大阪に墓があるとか、そういう人間にとては関係あるとして、原則として、その地域の人間が考えて決めることであって、他の都道府県の人間が決めることではない・・ということになると思います。 実際のところ、「自民党そのもの」としてはどちらでもいいのではないか。
  しかし、大阪のあり方 という点においては、他の都道府県、特に西日本の他府県の人間にとっては関係ないことはないはずなのです。
(1) もしも、大阪が今よりもさらに経済的・政治的に地盤沈下したならば、西日本の地方都市は、大阪が経済的・政治的に地盤沈下した分だけ地位が上昇するか?
(2) もしも、大阪が今よりも経済的・政治的に地盤沈下したならば、名古屋は「大阪越え」をして日本で第二の都市圏になって栄えることになるか?
・・・いずれも、「否」でしょう。 大阪が経済的・政治的に地盤沈下すれば、それに合わせて、西日本の地方都市もまた地盤沈下するでしょう。 大阪が「西日本の地方都市の1つ」になってしまったならば、名古屋もまた「地方都市の1つ」「完全に浜松・豊橋・岐阜の仲間」になるでしょう。
  安倍晋三が万国博覧会を再度、大阪で開催しようということにしたのも、山口県を選挙区とする政治家として、大阪が元気になってもらわないと山口県は困るという意識があったのではないのか。 九州や山口県などにとっては、大阪が経済的・政治的に地盤沈下をすれば、それに連動して自分の所も地盤沈下を起こすはずで、大阪にこれ以上、経済的・政治的に地盤沈下を起こしてもらっては困るはずなのです。

  1980年代、私が慶應大学の商学部に在学した時、ある経済学の先生が「地方の都道府県で、企業を誘致しようと努力している所がありますけれども、こういうことを言うのは申し訳ないけれども、実際問題として、東北地方の北3県と福岡県以外の九州は厳しいでしょう」と言われたことがあった。 これは、東京都(および神奈川県)にある大学の先生の発言だということがあるとしても、この先生の話が適切だと仮定して、「福岡県以外の九州」を救う方法は1つあるのです。 それは、「東京にしか東京がない」という状態を改めて、「大阪にも東京を作る」ようにすればいいのです。 もっとも、大阪人は今さら、大阪を「東京みたい」にしてもらいたくもないかもしれないが、今の日本はあまりにも何でも東京に集中しすぎであり、これは東京のためにも良くありません。 大阪の経済的・政治的地盤沈下を食い止めて、大阪を「東京に準ずる」状態にすれば、「福岡県以外の九州」は救われるはずなのです。 ですから、「地方自治の原則」から考えれば、「大阪都構想」をどう考えるかは大阪の人間が考えることでしょうけれども、大阪府以外の人間、特に西日本の府県の人間にとって関係ないことはないはずです。

  橋下徹の発言について、私は右翼政党の人間の発言という点に抵抗を感じるのですが、もっともなこと、もしくは、一理あることを言っているものもあります。
  大阪市は、「東京都23区」や横浜市・千葉市などに比べて面積が小さい。 最近、大阪市の面積が増えたようですが、それは、かなり無理な埋め立ての結果、埋め立て地の面積が加わったからでしょう。 何であれ、「大阪で開催したい」ということになった場合、「大阪に設けたい」ということになった場合、「大阪市に」ということですと、場所がものすごく限られてしまう。 北側は豊中市・吹田市は大阪市ではない。東側は守口市・門真市・大東市は大阪市ではない。東大阪市の西よりも八尾市の西よりも大阪市ではないし、堺市の北部も大阪市ではない。 「東京都23区」なら「東京都23区」に含まれているはずの場所が大阪市ではない。横浜市なら横浜市内になっているはずの場所が大阪の場合は大阪市ではない。 もしも、大阪市が今よりもひと回り広い範囲であったならば、「大阪で開催しよう」「大阪に設けよう」ということを考えた時に、今よりもずっとやりやすいはずなのです。
  もうひとつ、大阪府と兵庫県との境目はなぜ豊中市・池田市と尼崎市・伊丹市・川西市の間にあるのか。 なぜ、猪名川が大阪府と兵庫県の境目になっているのか、という問題があります。 大阪平野は、北西部の六甲山地・北部の老坂山地(おいのさかさんち)・東部の生駒山地・金剛山地・南部の和泉山脈と南西部の大阪湾で囲まれた区域で、かつての摂津・河内・和泉の3国の地域です。 なぜ、摂津の国の西半分が兵庫県になっているのか。 「大阪平野とそれを取り囲む山地」を大阪府にしたはずなのに、摂河泉3国(摂津・河内・和泉)を大阪府にしたはずなのに、なぜ、大阪平野の北西部分だけ兵庫県になっているのか。
  もしも、かつての河内・和泉とともにかつての摂津の国全域が大阪府であったなら、尼崎市・伊丹市・川西市・西宮市・芦屋市・宝塚市、それに神戸市の東部中部も大阪府であったなら、「大阪で開催する」「大阪に設ける」ということを検討する場合に、今よりもずっとやりやすい。 今よりも、ずっと広い可能性で考えることができるはずなのです。 東京もんのおっさん に「阪神は兵庫県の球団であって大阪の球団じゃないんですよお」などと言われることもないし・・・。
  もとより、猪名川の東側と西側というのは一続きの地域のはずなのに、なぜ、別の都道府県になっているのか。

  兵庫県の旧摂津地域を大阪府と合併するというのは、これはそう簡単ではないかもしれないけれども、一続きの地域ですから、その前提で計画が立てられるようになった方がいいはずなのですが、ところが、「大阪で開催」「大阪に設ける」という場合、尼崎市・伊丹市・川西市・西宮市・芦屋市・宝塚市は兵庫県であって大阪府ではない・・ということから除外されてしまうことになりやすい。

  「東京都23区」と違って「大阪都構想」でネックになるのは、東京都の場合は「東京都23区」を別にすれば政令都市は他にないのに対して、大阪府の場合は堺市も政令都市に指定されており、「大阪都」が実現した場合に、堺市の扱いというのがややこしい・・・という点がある。 だから、維新の会は、最初、先に「大阪市と堺市が合併した上で・・」ということを言っていたのでしょう。
※ 《ウィキペディアー政令指定都市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E4%BB%A4%E6%8C%87%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82

  「大阪をどうするか」は基本的には大阪の人間が決めること・・だとしても、片方で、「東京にだけ東京があるのではなく、大阪にも『準東京』がある、というようにした方が、日本全体のためにいい」ということはないか? ・・ということは、国民全体で考えてみるべきことのはずで、政権担当政党としても考えてみるべきことのはずです。

  「地方自治の原則」という点から考えるならば、「大阪都構想」をどう考えるかは大阪人(大阪府の住人・大阪府に土地・建物を所有している人・大阪府出身者・大阪に本籍を持つ者)が考えるべきことですが、 「東京だけではなく、大阪にも『準東京』があった方が日本全体のためにいい」といったことは、日本人全体が考えてみるべきこと、特に東京より西側の地域の人間は考えてみるべきことのはずで、各政党も「大阪の議員」だけが考えるのではなく、党として考えてみるべきことだと思います。

  民主党政権の時、全体として株価がずいぶんと下がり、安倍政権の時に相当回復したことについて、「株を持ってない人はどうすればいいんですか」と言われて、佐藤ゆかり が「株を持ってない人は、株を買えばいいのと違うのですか」とどこかで言っていたことがあったと思う。
  ところで、ここしばらく、大阪の地価は東京圏の地価に比べてみると、無茶苦茶安くなってしまっている・・・というのをご存じだろうか? ・・ということは、大阪府およびその周囲で土地を所有している者は、東京圏で土地を所有している者に比べて、相当損をしている。もしくは、東京圏の地価を基準に考えるならば大阪府およびその周囲の地価は無茶苦茶下がっている・・ということになる。 これ、「どげんかせんといかん」と思いませんか? 
  大阪府で土地を所有している人間は、東京圏の地価を基準にして考えて大阪の地価が半分になったなら自分の財産が半分になったのと同じなんですよ。「どげんかせんといかん」と思いませんか? この傾向がますます進むなら、大阪で土地もっているよりも東京圏でもつようにした方が得だということになります。ある会社の株を持っていたら株価がどんどこ下がってしまった、回復する見込みがあるならともかく、ますます下がりそうということなら、「損切り」した上で上がりそうな株に買い替えた方がいいのと違うか・・・というのと同じ理屈で、「株価がまだまだ下がりそうな株みたいな大阪の土地」なんて「損切り」で売り払ってそのカネで東京圏でひとまわり小さい土地でも買った方がいいのと違うか・・ということにもなります。そんなことなら、大阪を捨てて東京圏に完全に移るかあ? ということにもなってきます。 この問題、「どげんかせんと」、大阪を「損切り」した方がいいか・・と考える人が出てきます。現実に私の親戚でも、ふと気づくと東京圏に住んでいる・・なんて人がいます。 「損切」して東京圏の土地に買い替えるか、それとも、そのまま、大阪府で土地を所有して自分の財産価値が低下するのを受け入れるか? これ、現実に相当深刻な問題のはずなのです。 辻元さん、あんた、「ヒョウ柄ルック」なんてアホなことやってる時と違いまっせ! そう思いませんか?
  辻元は、安倍政権でその前の民主党政権よりも株価が上がった時に、「株価なんて上がっても株を持ってる人が得するだけでしょう」などと言ったことがあったと思うが、「株価が下がる」というのは「景気が悪化した」というのと連動している場合があるわけで、「株価なんて上がっても株を持ってる人が得するだけでしょう」といった文句は簡単に口にしてもらいたくない。辻元はそのあたりの感覚が貧困ではないのか。

   立憲民主党には、自民党が「一強」になって暴走しないように・・という点においては頑張ってもらいたい・・と思ってきたのだが、しかし、 「ヒョウ柄のセカンドバッグ」、「ヒョウ柄のタートルネック」に「ヒョウ柄のズボン」だのというのが「大阪のおばちゃんスタイル」だなどと大阪の人間をバカにした主張をしているようでは・・・、もしかして、この党には何を期待しても無理と違うのか・・、こんな程度の低い人たちには期待する方が間違っているのではないのか・・という印象を受けてしまう。

  維新の会という右翼政党のやることという点に抵抗を感じる。又、「大阪都構想」としての新しい「区」の分け方は適切とは思えない。
  しかし、他方において、「大阪都構想」に反対の意思表示をしている政党というのは、どういう点に反対なのか? 「大阪に余計なことせんといてほしいわ」と言うのなら、なぜ、「余計なこと」なのか?  「大阪都構想」でどういうマイナスが出るのか、プラスの面を上回るマイナスはどういうところで出るのか・・そのあたりをきっちりと述べるべきはずなのに、「ヒョウ柄のズボン」はいた「変なおばちゃん」が寝転がって、何やんのもいややねん・・て感じの顔している・・というそういうチラシでは説得力がない。
  ましてや、「ヒョウ柄ルック」を女性議員が着て、それを「大阪のおばちゃん」だと決めつけて大阪人をバカにするような態度をとり、東京圏と比較すると大阪府の地価が下がりまくっているという現実があっても、たとえ1ミリでも動かしてほしくないと、「余計なことせんといてほしいわ」と主張するというのでは、そういう態度というのは、「保守」でもなく、単に「やる気ないだけ」と違うのか? という印象すら受ける。 反対の主張をする政党は、どういう理由で反対なのかということをきっちりと説明するべきであり、「大阪に余計なことせんといてほしいわ」とか「ヒョウ柄ルック」のおばはんに言わせるとか、あるいは、「名古屋や横浜のように政令都市に戻りたいと思っても戻れない」とか、そういう感覚的な面に訴えることばかり言っているというのは、どうも、評価できない。 むしろ、その「たとえ1ミリでも現状を変えたくない」みたいな姿勢・態度というのは、それでは大阪はじり貧になってしまうだろうという印象を受ける。

  維新の会という右翼政党には今以上に力を持ってもらいたくないのだが、それ以上に、「ヒョウ柄」が「大阪の女」だとか勝手なことを言って「大阪の女」を侮辱する政党の言うことはききたくないように思う。 辻元って、ここまでアホやったん? ・・て感じがするのだが。
  「たとえ、1ミリでも現状を変えたくない」という姿勢では、大阪はますますだめになってしまうだろう。 そんなことでは、いずれ、大阪は「埼玉や千葉より下」になってしまう可能性がありそうだ。 かつて、オリンピック開催地候補として、大阪と横浜で争った時、大阪と横浜の勝負だと微妙だろう・・と思ったら、横浜市は、前橋市とか関東地方の東京都以外の県庁所在地などと連合を組んで大阪と対抗するという対応をしたので、横浜が相手ならともかく、いくらなんでも、前橋とか千葉とかそういう所を相手にしたならば、「腐っても鯛」というのか、さすがにそういう所に大阪が負けることはないだろう・・と思ったら、思った通り、大阪が選ばれた・・・が、世界の都市との競争になると、選ばれるのは絶望的で、「最下位だけは避けたい」などと、まるで「阪神みたい」なこと言っていた、ということがあった。
  その頃は、「横浜が相手なら勝負は微妙」という印象だったが、さすがに「前橋・宇都宮・水戸・千葉・甲府」といった所を相手にしたならば、いくらなんでも大阪の方が強いだろう・・と思われたが、「たとえ、1ミリでも現状を変えたくない」というそんな姿勢ならば、いずれ、「前橋・宇都宮・水戸・千葉・甲府」にも負ける日が来るのではないか・・・という感じがする。
  ・・・・とりあえず、辻元議員は、何を勘違いしたのかわからんが、その「ヒョウ柄ルック」を「大阪」だとか「大阪のおばちゃん」だとか言って大阪人をバカにする態度は改めてもらいたいものだ。 「気は確かか?」て感じがする。私は、この人のこと、ここまでアホとは思わんかった・・・。 その「ほとんどビョーキ!」みたいの、やめてほしいんだよねえ・・・。迷惑なんだよ・・・、在東京圏大阪人としては。

   ・・・それで、「大阪都構想」を進めたいという主張に対しての疑問としては、大阪市を変な分け方で4つに分けなくても、「大阪市」を「大阪区」にして、これまでの「西淀川区」「淀川区」「此花区」「福島区」「北区」・・・といった区を「小区」と名称変更して、大阪市と大阪府とで、担当する部分を再調整すればいいことと違うのか・・・て気がしないでもないのだが、どうなのか。その上で、たとえば、北区と福島区の合併とか、区の分け方を今までと変更した方がいいと思われるものは変えてもいい、そういうのはあってもいいかと思うのだが、どうなのだろう。
  大阪市がやるのか大阪府がやるのか、東京は東京都が運営する大学だけなのに、今では東京より経済的地位が下になってしまった大阪では、大阪市が運営する大学と大阪府が運営する大学があるというのを改めたいのなら、大学については大阪府がやるということにすればいいことと違うのか、という見方もできる。
  大阪市を変な分け方で4つの「区」に分けなくても、大阪市をそのまま「大阪区」にして、大阪府を大阪都にするということだってできるのではないか、とも思える。

  とりあえず、《「ヒョウ柄のズボン」だの「ヒョウ柄のセカンドバッグ、ヒョウ柄のタートルネック」だのという変な格好した下品なおばはん》が大阪の女性だと変なアピールをするのはやめてもらいたい。迷惑です。
  かつて、もともと、大阪の人間でもなかったのに大阪府知事になった太田房江だかいう女性が、大阪府知事に立候補する時に、大阪の人間に受け入れられようとして「阪神ファン」になったということにしたようで、近鉄バファローズの梨田らが府庁舎を訪ねて、「近鉄ファンになってくださいよ」とアピールしたところ、「考えておきます」とかわされたという記事を見たことがあるが、「阪神ファン」になるというのは大阪府知事として大阪の人間に受け入れてもらおうというのに役立っても、「近鉄ファン」というのはたいして役に立たない。阪神タイガースは単に「阪神沿線の阪神」ではなく「大阪の阪神」「阪神地域の阪神」「関西の阪神」であり大阪の人間全般に受け入れられているが、近鉄バファローズというのは「近鉄沿線の近鉄」であり、一時期、「大阪近鉄バファローズ」を名のったことがあったが、近鉄に「大阪」を名のられたくない・・と思った大阪人だっていたはずだ。 「ヒョウ柄ルック」というのが大阪の人間に好感を持たれるか・・というと、そういうのが好きだという人も百人に1人か千人に1人くらいもしかするといるのかもしれないが、そういうのはやめてもらいたいという人間の方が多いのではないかと思う。特に、辻元が選挙区としていたはずの北摂地区・三島地区の人間でそういうのを好む人というのは多くないと思うのだ。
  辻元さんは、大阪府高槻市で育ったということで、選挙区もそのあたりだったはずですが、私は高槻市在住の親戚もいるし、高槻市にあった予備校に通ったこともあるのだが、私は高槻市でそんな変な格好した人というのは見たことがない。 多いか少ないかは別として、そういう人が大阪府のどこかにいたとしても、辻元清美や立憲民主党の支持層というのは「ヒョウ柄ルックの大阪のおばはん」という東京もんが大阪に押しつけたがるステレオタイプのような層とは違うはずだ。太田房江が「阪神ファンです」と称して「にわか阪神ファン」になったというのは、大阪の人間に受け入れてもらおうという努力としてマイナスにはならなかったと思うが、「ヒョウ柄ルック」なんてものをアピールしたのでは、そのあたりを勘違いしているのであるならば、辻元議員は、支持者を減らし、次回、票をなくす可能性が考えられる。

  これを言うと、抵抗感じる人もいるかもしれないし、反感を覚える人もあるかもしれないが、あえて言うと・・・、
「近鉄バファローズが、『河内近鉄』を名のるのならまあいいが、『大阪近鉄』を名のらないでもらいたい」と思う感覚、
「いてまえ打線」とか言ってるような「近鉄」に「大阪」を名のらないでもらいたいと思う感覚と、
「『あおり運転の男』に『天王寺高校卒』を名のらないでもらいたい」と思う感覚と、
「『ヒョウ柄ルックの女』に、それが大阪の女だと主張しないでもらいたい」と思う感覚・・というのは共通しているように思うのだ。
  このあたりの感覚を辻元が理解できずにいるというのは、もしかすると、辻元は自分を「大阪の女」と認識していても、大学は東京だというのはいいとしても、高校も大阪ではなく名古屋で、高槻市で育ったといっても生まれたのは高槻市ではなく大阪府でもなく奈良県であり、必ずしも、「大阪人の感覚」というものを十分に身に着けていないから、「百パーセント大阪人」ではないから・・ということが可能性として考えられる。
  実際問題として、問題あるかもしれないが、あえて言ってしまうと・・、
「『ヒョウ柄の女』をやりたいなら阪急沿線に住まんといてちょうだい」・・と思う人は間違いなくいるはずなのだ。
もっと言ってしまうと、
「『ヒョウ柄の女』やりたいなら、近鉄の沿線に住めばいいのに」と思う人だっていると思うのだ。
これ、差しさわりがあるかもしれないが、現実にそう思う人は間違いなくいるはずなのだ。・・いると思うぞ。ほんと・・・。
  さらに、口に出して言うと差しさわりがあると思うのではっきりと口に出しては言わないけれども、
「そんな『河内のおばはん』か『西成のおばはん』みたいな格好したいのなら、この人は阪急沿線に住まないで、そういう場所に住んでもろうた方がええやろ」・・と思っている人間、間違いなくいると思うぞ。はっきりと文章にしてしまうと差しさわりがあるから、文章にして言わないとしても。 間違いなく、そう思っている人間、いると思うぞ。
  それがわからんという辻元は、その部分、アホとちゃうか・・・という感じがする・・・し、「大阪の女」の条件を満たしていないのではないか、という感じがする。 
  (2020.10.27.)

  大阪は、西日本を中心として他の地域から人が流入してくる都市だった。だから、もともとの大阪の人間ではない人も入ってきて、そして、いつしか同化して「大阪の人間」になっているが、辻元がやったような「ヒョウ柄ルック」などという格好をしている女性というものが、もしも、大阪にいたとしても、そういう人というのは、もとからの大阪の女性ではなく、他から大阪に入って来た人の方である可能性が大きく、もともとの「大阪の女」の格好ではないと思う。
  又、田舎出身の人間で「精神面がイナカモノ」の人もおれば、田舎出身かどうかと関係なく「精神面がイナカモノ」という人もいるのだが、辻元がやった「ヒョウ柄ルック」というのを大阪の人間でやっている人がもしもいるのなら、その人は大阪の人間は大阪の人間でも、大阪の人間の中では「精神面がイナカモノ」の方の人であろうそういう人がたとえ大阪の人間にいたとしても、それが「大阪の人間」ということではない、「大阪の人間」というものがそういうものということではないはずで、そのあたりの認識が辻元はおかしい。
  今は昔、大阪府の生まれではなく横浜市生まれの今 東光(こん とうこう)というなまぐさ男が、大阪府八尾市に住んで「八尾の人間はスケベエ」と広めて、八尾市の住民から「八尾の人間は誰もがスケベエではないし、八尾について実際とは違う悪評を広めた」と言われたことがあった。清原とだんじり祭りのおかげで、岸和田出身の人間というのはガラが悪いと決めつけられて迷惑している・・という岸和田出身者もいる。そういうマイナスのステレオタイプを広められると、そういうステレオタイプを喜ぶ人がいるのならそういう人にとってはいいのかもしれないが、嫌な人間にとっては迷惑である。辻元もまた、今東光と同様に、大阪府の生まれではなく奈良県産まれで・高校時代は名古屋で過ごして・大学は東京の大学に行ったという、大阪府で過ごした時期があったとはいえ、百パーセント大阪人ではない女が「大阪の女」を実際とは違うように広めて、「大阪の女」の悪評を広めようとしており、今 東光 の女性版のようなことをやっている。このあたりの感覚を理解できないというあたりを見ると、経歴から考えられるものとともに、辻元は実質的に「大阪の人間」「大阪の女」と違うのではないか
  (2020.10.29.)

☆ [第514回]《大阪市、区再区分するなら私ならこう分ける―「大阪都構想」に関して。》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202010/article_1.html 
[第519回]《辻元清美の「ヒョウ柄」は大阪人が迷惑するからやめてもらいたい。「大阪の為」より日本全国の為に「大阪都構想」検討が必要ではないか。辻元は大阪の地価が激下がりて知ってるか?》 〔今回〕
[第520回]《消えた大阪屋證券、はびこる東京スタイルと「東京帝国主義スタイル」、それに「大阪のおばはん」ー「大阪と辻元清美をどげんかせんといかん」》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202011/article_1.html 

アメリカ合州国 (朝日文庫) - 本多 勝一
アメリカ合州国 (朝日文庫) - 本多 勝一
新・アメリカ合州国   朝日文芸文庫 ほ 1-40 - 本多 勝一
新・アメリカ合州国 朝日文芸文庫 ほ 1-40 - 本多 勝一
悪魔の辞典 (角川文庫) - アンブローズ・ビアス, 奥田 俊介, 倉本 護, 猪狩 博
悪魔の辞典 (角川文庫) - アンブローズ・ビアス, 奥田 俊介, 倉本 護, 猪狩 博
地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子
地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子
故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫) - 魯迅, 藤井 省三
故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫) - 魯迅, 藤井 省三

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック