受験経験のない人間が指示指導するYMCA予備校は無茶苦茶。大学受験でも「成功」した人は成功でない部分も成功と考える。社会科論述式問題の表記のしかたについて。小此木啓吾の本を喜ぶ人間はキャバクラに行ってキャバ嬢に説教する男と一緒。「フォアグラ型文治派」と「文武両道型文治派」――受験生へのエール【4/ 】

[第493回]
  1970年代後半のことですが、北野高校の2年の時、進路を決める参考にするための 適性テスト というものを、希望者は受けることができたけれども、私は、たとえ、適性テスト にこの方向が向いていると診断されても、自分が望まない方向には行きたくないし、適性テストに向いてないと診断されても自分が望む方向であれば行くべきだと思っていたので、それならば、適性テストを受けて「診断」されることで、かえって、頭が混乱することになる、もしくは、判断の妨げになるということを考えて受けなかった。ジョレス=メドヴェージェフ・ロイ=メドヴェージェフ『告発する! 狂人は誰か』(三一書房)では、ソビエト連邦において、「精神病院」に監禁されたジョレス=メドヴェージェフが、最近の研究成果が低迷しているのは「精神疾患」によるものだと「精神科医」が「診断」したことに対して、その「精神科医」は、その分野を専門とする学者よりもその分野の研究について、優秀か拙劣か判断する能力がなぜあるのか? と指摘しているが、実際、「心理学者」とか「精神科医」などと称するイカサマは、自分がよくわかってもいないことについて「診断」と称して勝手な断定をおこない、「患者」や世間に被害を与えている。
  小此木啓吾独善主義のビョーキ本シリーズは、最初から胡散臭いと思っていたが、小此木啓吾の””ビョーキ本シリーズ””を喜んで買って喜んで読んでいた人がいたが、そういう人の過半数は、そこに書かれているものを自分ではなく誰か他の人間にあてはめて、「そうだよなあ、ああいうヤツはいかんなあ。ああいうヤツは治療してやる必要があるなあ」とかおのれのことを棚に上げて喜んでいたようだ。そういう勝手に自分は関係ないみたいに決めつける性格であるクズのクズによるクズのための書物が小此木啓吾のビョーキ本シリーズだったのである。東大や京大と違って慶應という学校は「全体が経済学部」みたいな体質のある学校で、経済学部文学科・経済学部法律学科があるみたいな大学だと思ったが、小此木啓吾は慶應内部進学だけあって、経済学部「精神医学」科の助教授だけあって、クズの本を売りつけて儲けるという「商売人」だったようだ。小此木啓吾の本を買って読んで喜んでいた「読者」というのは、小此木本で、なんとか症候群・なんだかんだシンドロームとボロクソに言われる人間というのは、それは自分ではなく、他の人間だと勝手に決めつけて喜んでいるのであり、自分ではなく他の人間のことだと思いこんで喜ぶアホウが一定数以上いるということを小此木啓吾は認識して、そのマーケティング戦略にのっとって、そういう軽佻浮薄な人間が喜ぶ本を書きまくり出版しまくって印税で儲けまくったのである。 最近、「本当にあった笑える話」だかで見たのだが、キャバクラに来た若い男から、キャバクラ嬢が「若い頃からこういう仕事をしているとろくなことがない。考え方が甘ったれてるからこんな仕事してるんだ」とか説教されたそうで、友達か何かからキャバクラ嬢なんてやめなよと言われるのならわかるが、自分が客としてそういう店に来ておいて、なんで、自分自身がキャバクラに客として来たような人に、そんなこと言われなければならないのよ と思った、という話が出ていたが(実際そうだ、そんなこと思ってるのなら自分がそこに行かなきゃいいのであって、自分が客として行っておいて何言ってやがる! てとこだ)、小此木啓吾のビョーキ本シリーズを読んで、”小此木理論” を適用されるのは自分ではなく他の誰かだ! と勝手に決めつけて喜んでる男および女というのがいて、そういう連中に喜ばれた本を小此木は大量生産して儲けまくったのだが、小此木のビョーキ本シリーズを喜んでいたような人間というのは、自分自身がキャバクラに客として行っておきながら、そこでキャバクラ嬢に、こういう仕事をしているような人間は・・などと説教するようなアホと精神構造が共通している、と思う。小此木啓吾という男もそのタイプではないかな・・・。父は「共産党は死刑にしろお! 日教組は刑務所に叩きこめえ! 朝日新聞の記者は死刑である。毎日の記者も死刑にしろお! 朝日新聞は焼き討ちじゃあ!」とか叫んでいた(あくまでも、「家で叫んでいた」。まさか、外でも同じだけ言っていたのではない・・と思っていたが、まさか・・)のだが、そういうおっさんというのは、懲役・禁固に該当する犯罪を犯したわけでもない人間を「刑務所に叩きこめ」とか死刑に該当する犯罪を犯したわけでもない人を「死刑にしろお」と言う時、刑務所に入れられたり死刑にされたりするのは自分ではないと勝手に決めつけているのだが、小此木啓吾の本を読んで喜んでいるヤツというのもそれに似ている。小此木啓吾に「病気」扱いされるのは、あくまでも自分ではない誰かであって自分は小此木から「病気」扱いされることはない・・・と理由もなく勝手に決めつけて喜んでいる軽佻浮薄な人間なのである。慶應大学の「学生相談室」の「カウンセラー」で慶應大学文学部心理学科の講師だった高橋という女が、小此木啓吾のことを「あの方は、精神分析学などについてずいぶんと博学なんですよ」などとナマ言っていたが、それは、他の職業についた人間よりも、小此木は精神分析学などの本を読む時間を多く持っていた、というだけのことだ。大工が他の職種の人間よりも大工仕事についてよく知っていても当たり前、左官屋が他の職種の人間よりも左官屋の仕事についてよく知っていてもあたりまえ、八百屋が魚屋よりも野菜についてよく知っていても当たり前、大学の経済学の先生が経済学の本を他の職業の人間よりよく読んでいても当たり前、哲学の先生が哲学書をほかの人間よりよく読んでいても当たり前・・て、そういう話だろうが! バカ言ってんじゃないわ♪ ・・てところである。

  高校2年の時、「適性テスト」というものを上記の判断で受けないことにしたのだが、結果としては、たとえ、適性テスト を受けなかったとしても、勝手に「あなたはブンケー(経済学部、サラリーマン養成所、「会社のために、とってちってたあ♪」学部)よ!」と「診断」して、親に媚を売ろうとする女が担任だったので、自分では、適性テストに適性を「診断」されるのではなく、自分自身で自分の適性は診断した方がいい、自分で考えた自分の適性と適性テストが「診断」した自分の「適性」が一致すればいいが、一致しなかった場合は自分の判断の方を優先したいと考えているのなら、最初から受けない方がいいと考えたけれども、「適性テスト」として「診断結果」を書面で本人に渡してもらえて、その「診断結果」に従うも自由、従わないも自由だという適性テストと異なって、本人が「ブンケー(経済学部、サラリーマン養成所、「会社のために死ぬまで働~く! 会社の為に会社の為に、死んでも働く死ぬほど働く、とってちってたああ~あ!!!」学部)」を望んでいないにもかかわらず、そういう所に無理矢理行かせてやろうという人間に対抗するためには、むしろ、「適性テスト」は受けておけば、むしろ、その「適性テスト」の「診断結果」は、「会社のために死んでも働~く!、死ぬほど働く。犠牲の精神! 会社のために、犠牲になれええ! 犠牲になったらうれしいうれしい、もっともっと犠牲になりたいなりたいなりたいという気持い!!! とってちってたあ~あ! どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃあ~あん! じゃああ~あ。気合じゃ気合! 根性じゃ根性。寝ずにや~る、気合でや~る、根性でや~る! 木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ~あ!!! ロスケどもをやっつけてや~る! 日教組は刑務所に叩きこめえ! 共産党は死刑であ~る! 朝日新聞は焼~き討ちじゃあ~あ! 原発に反対するようなやつは、全員、刑務所に叩きこめえ~え! 甘ったれとてはいかんぞ甘ったれとっては、とってちってたあ~あ! 撃ちてしやまん、い~ちおく、火の玉~あ!!! とってちってたあ~あ!!!」学部 に向いているというものにはなっていなかったはずなので、そういう所に行かせて、そういう人生を送らせてやろうという人たちにたいする抵抗力にいくらかなりともなった可能性があった、と思うのです。だから、受けておけばよかったなあ・・と後から思ったのでした。

   高校3年の時、母が「こいつ、現役で東大に行くと思いあがった人間になって女を泣かせよる。こいつ、絶対に現役で東大に合格させてはいかん」と言い、「こいつ、絶対に落したるう~う! こいつ、絶対に合格させてなるものかあ、こいつう~う!」と言って、私が、夜、家で学習していると、後ろから服をつかんで背後にひっくり返し、箒でボコボコ殴りつけ、私が使用していた部屋の電気を洗面所にあったブレーカーで落として照明がつかないようにして学習できないようにして、さらには、高校から家に帰るとインタホンのソケットを電源から抜いて、家に鍵をかけて雨戸をすべて閉めて、中に入れないようにして、その上で、高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん!!!」と言い、さらに、高校の同級生やらクラブの人間やらで知っている人間の家に電話して「息子がかえってきませんね~ん!」と言うという、そういうことをやって学習を妨害し、私が「それなら、どこならいいのですか」と言っても、「そんなこと何も言うてへん」と言って、さらに、箒でボコボコ殴りつけるというのを毎日やり続けたのだったが、私は、高校の教諭というものは、そういう家庭の問題に対して、少しは協力してくれるものか、そういう家庭の問題に苦労している高校生のために少しは力になってくれるものかと、勘違いしていた。そうではなく、北野高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子は、むしろ、そういう親の方に精力的に加担していた。卒業後、あの女は、なぜ、あんな態度を取ったのかと疑問に思ったのだが、私は、自分自身が、もしも、高校の教諭になったならば、できる限り生徒の力になってあげたいと思っていたが、旧姓作野礼子はそうは考えず、親と生徒とでは親の方に全面的に加担するのが高校教諭として生きていくのに正解! と考えたようだ。そうやって、「こいつ、絶対に落したるう~う! こいつ、絶対に合格させてなるものかあ、こいつう~う!」と言って、私が、夜、家で学習していると、後ろから服をつかんで背後にひっくり返し、箒でボコボコ殴りつけ、私が使用していた部屋の電気を洗面所にあったブレーカーで落として照明がつかないようにして学習できないようにして、さらには、高校から家に帰るとインタホンのソケットを電源から抜いて、家に鍵をかけて雨戸をすべて閉めて、中に入れないようにして、その上で、高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん!!!」と言い、さらに、高校の同級生やらクラブの人間やらで知っている人間の家に電話して「息子がかえってきませんね~ん!」と言うという、そういうことをやって学習を妨害し、私が「それなら、どこならいいのですか」と言っても、「そんなこと何も言うてへん」と言って、さらに、箒でボコボコ殴りつけるというのを毎日やり続ける親に加担すれば、親は「作野先生はええ先生や。あの人はさすがは北野高校出てるだけのことはあるわ。あの人は女でも神戸大出てるだけあるわあ」などと言って喜び、ますます、「こいつ、やっつけたらんといかん、こいつう~う!!!」と言って私は箒でボコボコ殴られることになるのだった。あれが教師か、と思ったが、あれが教師だったのだ。

   私は、東大を受けたけれども、最初から東大に行きたいと思っていたわけではなく、高校生の時に、日本で一番魅力を感じていた大学は京都大学だった。しかし、私はあの家を出たかったのだ。ともかく、あの家をなんとかして出たかったのだ。そのためには、大阪から離れる必要があったのだ。そして、父は「京大なら家から通うべきや。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言い、我が家の近所から京大に行っていた人は誰もが下宿して行っていたものを、私には片道2時間以上かかるものを家から通えと言ったことと、「京大はアカやからいか~ん! 甘ったれとってはいかんぞ。京大は甘ったれとるからアカなんや、アカ、あか、アカアカ~あ!!!」と言うので、かつ、阪大なんて高校よりも近い場所にある大学で、我が家の近所に阪大の学生部なのか何部なのかから「阪大に通う学生さんを下宿させてあげてください」とかいうお願いのチラシみたいのが来たりしていたような場所であり、そんな場所の大学なんて絶対に問題外であり、そうなると、東大に行くしかなかったのだ。
  但し、高校3年の時の担任だったO谷は「別に、京大と東大とでは、特に東大の方が難しいということはありませんよ」と言ったし、私も実際に受けてみて、京大と東大では「一般的には」ということなら特に東大の方が難しいということではないと思った。時々、進学校でも何でもない高校から東大に行ったり京大に行ったりする人があるが、そういう人にとっては、特別、東大の方が京大より難しいということはないのではないかと思う。しかし、「一般的には」特に東大の方が京大より難しいということはない、ということであっても、京都大学合格者数1位の高校に行っていた者にとっては、京大の方が組みしやすく、東大の方が対応しにくかった〔京大合格者数1位の高校に行っていると、高校のカリキュラムや授業の内容や高校の試験の問題と京大・阪大の問題とは相関関係が大きいのに対して、東大の問題とは相関関係がそれほど大きくなかった、ということがあるが、それとともに、京大なら周りに受ける人間がいっぱいいて、「あんなやつになんか負けるかあ」と思うところが、(そう思っても、その「あんなヤツ」が通って自分が落ちることだってあるのだけれども)、東大の場合はそういうのがなかった。又、京都は大阪の続きの場所であるのに対して、東京は大阪とは別の場所であり、大阪から京都に試験を受けに行くのは、大阪府内に試験を受けに行くのと特に違いはないが、大阪から東京まで試験を受けに行くのは、いわば、「アウェー」の場所で試験を受けるようなもので、だから、いい点数は取れないというものでもないはずなのだけれども、京阪神地区の試験会場に受けに行く場合に比べて、問題を解くことと別の部分で精神的に緊張感とでもいうようなものがあった。〕。ある程度以上の進学校には「仮想受験校」のようなものがある。京大合格者数1位の高校に行っていたならば、京都大学にはそうでない高校に行っている人よりも行きやすいが、東大には行きやすいということはない。もし、東大に行きたいのであれば、東大合格者数1位の高校でなくてもいいけれども、2位でも3位でも5位でも6位でもいいが、「京大には何人も合格者を出していても東大合格者は多くない高校」ではなく、「京大よりも東大に多くの合格者を出していた高校」に行っていた方が有利だったと思う。それなら、阪大(大阪大学)はどうなのか、京大を目指していたが、模擬試験の成績を考えて阪大を受けることに目標修正して阪大に入ったという人が時々あるが、京大と阪大では、京大と東大の違いというものはないのか、というと、あまりない。なぜなら、京大と東大では、入試の科目と配点と出題傾向に違いがあったのに対して、京大と阪大は、試験科目はまったく同じではなかったけれども、比較的試験科目が似ていて配点も似ていて、出題傾向も似ていたからだ。神戸大も京大・阪大と試験科目と配点と出題傾向は似ていたと思う。試験科目と配点と出題傾向が比較的似ている所であれば、目標修正してもそれほど問題はないのに対して、試験科目と配点と出題傾向が違う所に変更する場合はそうではない。それが原因でペースを崩すこともある。だから、私の場合は、もし、なんとかしてあの家を出たいということがなければ、京大か阪大にしておいた方が東大を目指すよりも組みしやすかった・・が、そんなことは言ってられなかったのだ。まず、第一に、「京大はアカやからいか~ん!」とおっさんが言うのである。「神戸の経済」なんてのは「慶應の経済」とともに、そんな不潔な所だけは首をもがれても行かされたくないと小学生の時から思ってきた所であったし〔私が最も嫌いだった「慶應の経済」と「神戸大の経済」というのは、うちの父親が最も好きだった大学学部であり、その点で私とうちの父親とは認識が正反対だったのだが〕、家の近所に阪大があるのに神戸大なんて行けるか! てところもあった。もうひとつ、私は大学卒業後、大学院に進んで研究者になりたいと思っていたのだが、大学卒業後、会社員になるのなら阪大か神戸大でもいいのかもしれないが、大学の研究者になるのなら、東大か京大卒でないと厳しいのではないのか、と思ったのだ。本の後付けに著者略歴が書いてある場合が多いが、「学者」になった人というのは東大か京大卒の人が多いし、北野高校の3年の時の担任だったO谷は「多いというだけのことですよ」などと言うけれども、「多いというだけのこと」というのは《「多いというだけのこと」でしかない》のか、《「多いというだけのこと」はある》のか? やっぱり、《「多いというだけのこと」はある》のではないか、と思ったのだ。だから、同じ中学校から同じ北野高校に行って、阪大の法学部に現役で言って、阪大に入学して5年目に司法試験に通って弁護士になったK村は、弁護士になりたいと思っていたようだから、弁護士になって大阪で勤務するのならそれでよかったのかもしれないが、研究者になりたいと思うなら京大か東大のどちらかに意地でも行くようにした方が良いのではないかと思ったのだ。(株)エイブル に勤めていた時、お客さんで、どこの大学だったかの助手だったか講師だったかやっていた人から聞いた話では、日本の国立大学の「学者」というのは、東大・京大・阪大の3つの大学の大学院の出身者が大半を占めていて、しかも、東大・京大の大学院は東大・京大の出身者でない者が入るのは難しく、阪大の大学院だけは私立大学出身者でも入れてくれるということで、その人はどこかわからんが私立大学出身で阪大の大学院に行って、どこだったかの大学の助手だか講師だかの仕事にありついた、と聞かせてもらったことがある。慶應の先生からも教えてもらったのだが、日本の大学の教員というのは、「八百長」とまでいかないけれども、その仕事につけるかどうかというのは、出身大学によって相当影響を受けて、実際問題として、どうも東大出身者が有利のようだ、というのだ。そういうことを考えると、京大か東大、京大志向の高校に行ったのなら京大を目指したいところだったが、「京大はアカやからいか~ん!」と言われたのでは東大に行くしかないことになってしまうのだった。
  しかし、実際問題として、毎日毎日、「こいつ、絶対に落したるう~う! こいつ、絶対に合格させてなるものかあ、こいつう~う!」と言って、私が、夜、家で学習していると、後ろから服をつかんで背後にひっくり返し、箒でボコボコ殴りつけ、私が使用していた部屋の電気を洗面所にあったブレーカーで落として照明がつかないようにして学習できないようにして、さらには、高校から家に帰るとインタホンのソケットを電源から抜いて、家に鍵をかけて雨戸をすべて閉めて、中に入れないようにして、その上で、高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん!!!」と言い、さらに、高校の同級生やらクラブの人間やらで知っている人間の家に電話して「息子がかえってきませんね~ん!」と言うという、そういう家庭はきつかった。本当にきつかった。

  それから、人間には「文治派」と「武断派?(スポーツ派、体力派)」があって、なおかつ、「文治派」には「文武両道型文治派」「フォアグラ型文治派」とでもいうようなタイプがあるように思う。 加藤裕治『弁護士をめざして 56歳からの挑戦 司法試験一発合格』(2014.5.5.法学書院)を見ると、加藤裕治さんは、体力づくりと称して、毎日、何キロ走ったとか、嫁さんとテニスやったとか書いていたが、やって悪いことはないが、「体力づくり」のためならやりすぎのような感じがするし、それは「体力づくり」「健康維持」を大義名分にしてやりたいことをやっとったんじゃないのか、て感じがするのだが、それでも、それがその人の生活リズム・ペースであるのなら、そのペースは維持してやった方がその人にとってはうまくいくのではないかと思う。私は、加藤裕治さんほど、「武断派」というのか「スポーツマン派」ではないけれども、それでも、「文武両道型文治派」であって、決して「フォアグラ型文治派」ではなかったのだ。
  「フォアグラ型文治派」というのは、どういう人のことかというと、世の中には「スポーツなんて嫌も嫌、嫌いも嫌い」という人がいるのだが、フォアグラというのは鴨を下半身を地面に埋め込んで動けないようにしてその上でたらふくエサを食べさせると肝臓肥大になってしまい、その病的な肝臓が世界の珍味で私なんかには死ぬまで口にすることはないだろうし、そんなもの食いたくもないが、それが「フォアグラ」だが、そんな感じの人というのがいるのだ。それが「フォアグラ型文治派」である。

  慶應大学に在学した時、毎日、昼食は日吉の生協食堂で140円のカレーライスばっかり食べていたところ、父から「おまえ、140円のカレーライスなんて、そんな贅沢なもん、食うてええんか、おまえが。おまえはもっと安いもんにしろ。140円のカレーライスなんて贅沢すんな、チャンコロ! チャンコロは140円のカレーライスなんて贅沢なもん食うな、チャンコロ!」と言われて、それよりも安いものを捜したが、どんなに捜しても140円のカレーライスよりも安い食事は見つからなかった。ほかほか弁当の店で弁当を買って食べたことがあるが、何を食べたかというと、のり弁当―のり弁当ーさけ弁当ーのり弁当ーのり弁当ーさけ弁当ー・・・と安い方から1番目と2番目のローテーションで、ほかにもメニューはあったはずだが、その2つしか食べたことはない。「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤・・・」みたいなもんで、「のり弁、のり弁、さけ弁当。のり、のり弁当、さけ弁当。・・」と安い方から1番目と2番目しか食べることはなかった。〔たしか、『築地魚河岸三代目』だったか他のものだったかそんな漫画で見たが、本来の「海苔(のり)弁当」というのは、海苔を脇役ではなく主役とした弁当のことを言ったらしいが、今では「のり弁当」というのはお弁当の中で一番安いものを言い、海苔が主役にはなっていない場合が多い。〕 うちの父親は、新幹線で東京―新大阪間を乗る時には「あんたはとんかつ弁当がええ。あんたはとんかつ弁当や」と「決めた」のだった。「わしは、いつも、鰻弁当を食うんやけどな」と。おっさんが鰻弁当を食べたければ食べればいいけれども、なんで、「あんたはとんかつ弁当や」とひとの食べるものを決めるのか。食べる人間がいいと思うものを選べばいいことと違うのか・・と思ったのだったが、父が他界後、東京駅のお弁当売場で見てその理由がわかった。東京駅およい新大阪駅のお弁当売場で売っている弁当で、一番高いのが鰻弁当で一番安いのが「とんかつ弁当」だったのだ。それで、「おまえはとんかつ弁当がええ」と「決めた」のだった。わかった。「民族の違いを忘れるな」と父は毎日毎日言い続けたのだが、なるほど、「鰻弁当」の民族と「とんかつ弁当」の民族と、「天の神さま」は「民族」を分けてお造りになっておったのだった。食事だけではない。私は小学校の5年から近視になってしまったが、母と一緒に眼鏡を作りに行った時は、母は「フレームは安いのでもいいけれども、できるだけ近視が進まないようにレンズはいいものにしてください」と言って、5種類ほどあったレンズの中で上から二番目のものにしたが、近視が進行して次に父と一緒に作りに行くと、父は「一番安いのがええ、一番安いのが。どうせ、すぐ、悪なるねん。安いのん、安いのん、やっふ~いの~おん!!!」と言って、5種類のどあったレンズの中で一番安いレンズにして、フレームも「フレーム代がもったいない。前のフレームに入れたらええ」と言って前のフレームに入れることになった。私が中学校3年の時、眼鏡屋のおっさんが、学習用のスタンドは蛍光灯はちらつくので眼の為には白熱灯の方がいいと言ったことから、電気器具店に白熱灯のスタンドを買いに行くことになったのだが、父と一緒に行くと、父はそこでも「やふいのん、やふいのん、安いのんがええ、一番安いのんが。やっふ~いのお~おん♪」と言い、その店で売っていた白熱灯のスタンドの中で「一番安いのん」を購入して帰宅したが、机の上に置いて点灯すると、まぶしくてぎらついて、およそ使えるものではなかった。父が買った「一番やふ~いのお~ん」というのは、それはピアノライトと言って、アップライトピアノの上に載せて上から楽譜や鍵盤を照らすためのライトであって、学習用の机の上に置いて読書や学習をするためのものではなかったのだ。そうやって、子供の頃から一貫して「やふいのん、やふいのん、やふいのお~ん!!!」と言われてきた。小学校の2年の時だったのではないかと思うが、同級生とその兄弟とそのお母さん一緒に、大阪の天王寺のあたりに母と行く用事があって、食事時、同級生のお母さんが「そこ、入りましょ」と言って入った店は、対面して注文する寿司屋で、私はその頃までそんな店なんて入ったことは一度もなかったが、同級生とその兄弟はそういう店に入りなれていたようで、入ると、親に断りもなく、寿司屋のおっさんに、ネタの名前を言って注文し、その同級生のお母さんは私に「〇〇くんは、何すんの」などと言うのだったが、小学校2年の時の私は寿司のネタの名前なんか知らないし、寿司というものは1人前を寿司桶に入れて持ってくるものだと思っていて、寿司屋の親父に対面してひとつひとつ注文する店なんて知らなかったし、それまで、外で親と一緒に食堂に入ることがあっても、その場合、メニューを親が見て「あんた、これでええか」と言って指定し、それに「うん。ええ」と言うと親が注文してそれを食べたもので、子供が親に断りもなく寿司屋であれ何屋であれ食堂の店員に直接注文するなんて我が家では考えられないことで、もしも、そんなことをしたならばえらい怒られたところだった。又、親が「あんた、これでええな」というものは、一番安いものというわけでもなかったが、高くない方のもので、それより高いものを食べたいなどと言ったことはないが、もし、言ったとすると「いけません」「何、言ってんの、この子はあ」と怒られたと思う。親から「あんた、こっちとこっちだとどっちがいい?」と訊かれたなら、「こっち」とどちらかを指定した方がいいが、そうでなければ、「◇◇を食べたい」などと言うことは許されないことだった。それを、同級生の兄弟は、親に断りもなく寿司屋の親父に直接、ネタの名前を言って注文するのでびっくりした。こいつらの家では、こんなことやって許されるのかとびっくりした。ところが、そいつらのお母さんは私に「〇〇くんは、よう注文せんの。大事に育ててもらってるもんやから、よう注文せんのやねえ」などと言うのだった。そして、「なんか注文したら。よう注文せんのお?」などと言うのだった。今から考えると失礼な口をきくものだと思う。さすがに、それを聞いて私の母は怒った。「なんで、あんたはよう注文せんの! あんたはあ」と。そんなこと言われても、今まで、我が家では親と一緒に食堂に入った時、そいつらみたいなことしたら、えらい怒られたもので、そういうことはしてはいけないものと我が家では教育されてきたはずだったのだ。しかし、よそのお母さんが逆のことを言うと、我が家の親はその時限定でよその親の基準に合わせることになる。だから、「なんで、あんたは注文できませんのおん!」と言って私が怒られることになったのだ。同級生のお母さんは「大事にされてるもんやから、あんた、よう注文せんのでしょ。何が好きなん? 何? 何がええのん? 言うてみたら」などと言うのだが、一生懸命、言おうとしてもネタの名前なんか知らないから、だから、知っているものとして「タマゴ」と言ったのだ。そうすると、同級生のお母さんは「タマゴやてえ。タマゴしかよう食べへんのお。あんた、親に大事に大事にされてるもんやからタマゴしかようたべへんのやねえ。もうちょっと他のものも食べられるようにしたらあ」と言うのだ。それで、「キュウリ」と言ったのだ。「キュウリ~い?!? あんた、タマゴとキュウリしかよう食べへんのお。大事に大事に育てられてるとそうなるんやねえ。タマゴとキュウリしかよう食べへんのやねえ」と言うのだったが、どんなに頑張っても他のネタの名前なんか知らないでどうしようもないのだった。今でも、「まわってる寿司」は好きだが「まわってない寿司」は嫌いだ。寿司職人と対面して食べる寿司屋は嫌いだ。いい思いがしない。何より嫌だったのは、普段、自分が息子と一緒に食堂に入った時には、息子が親に無断で店員に食べたいものを注文したりすると激怒したくせに、よその子供がそれをやると、「あの子らはあんたと違って積極的や。この子はあ」と言って怒る母親が嫌だった。但し、今現在、親であってもおかしくない年齢・祖父であってもおかしくない年齢になって考えると、寿司屋の親父と対面してネタの名前を言って注文する寿司屋というのは、小学生には早いと思う。自分で生活費を稼いでいない小学生の子供が親と一緒に食堂に入った時に、自分で代金を払うわけでもないのに代金を払う親に無断で店員に注文するというのはおかしい。私が親なら、その時の同級生の親の方が間違っていると考えたと思う。カネがあるかないかの問題とは違う。だが、ともかく、我が家は、そうやって、よその子供が何かするとそれがいいと評価されて、私がそれを真似ると、「あんた、何やってんの」と怒られるという家庭だった。いったいどっちすればいいのかさっぱりわからんかったが、そういう家庭だった。寿司屋の親父と対面して注文する寿司屋というのは、小学生を連れていくのは適切ではないと私は思うが、同級生の親はそうは考えなかったようだったが、我が家ではよその親に引っ張られて入店する場合でもなければ、そんな店に入ることはなかった。「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」という時代だった・・ような気がしたが、最近、同年代の人と話をすると、「それは戦前のこと」であって、戦後もそうだったのは我が家だけだったようで、よその家ではそういう時代ではなかったらしい。そういう食事をしてきた者にとっては、フォアグラなんて関係ない。そんなものは、海原雄山とか大原社主とか金持ちの京極さんとか、若い嫁さんもらった人間国宝の唐山陶人さんとか、そういう人が食べるもんだ。私が小学校に行く前、家ですき焼きをやった時、父が、鍋に油を敷くための脂肪の塊を「おまえ、こういうの好きやろ。おまえ、こういうのが好物のはずや。おまえ、これ、食え、食え、食え!」と言い、私が「それは、食べるものなんですか」と言うと、父は「そうじゃ。食うもんじゃ。知らんのか、おまえは。これ、うまいぞお~お」と言い、私が「それなら、お父さんが食べたらどうですか。おいしいんでしょ」と言うと、父は「何を言うとるんじゃ。こういうのは若い者が好む物なんや。おまえが食うもんや、おまえが。わしは赤身を食うんや、わしは。おまえ、これ、食え、食え、食え」と言い、私が「え~え、それ、食べるのお?」と言うと、「食わんかあ。おまえ、食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食べ物は好き嫌いせずに食わんといかんだろうが。食え、食え、くえっ、クエッ、くえぅ、クエックエックエッ、くえ~っ!」と言われ、しかたなしに食べようと口に入れたが気持ち悪くて、無理にのどの奥に流し込もうとしても入れることができず苦しんだ経験があったが、あれは、鍋に油を敷くためのものであって食べる物ではないということを私は30過ぎてから知ったが、あの気色悪い感触は今も忘れられない。そんなものばっかり食べさせられてきた者としては、フォアグラだのトリュフだのカラスミだの「丹波産マツタケ」だのなんて、そんなもの、何の関係もない。慶應大学に在学した時、父が「いらいらっとしたから仕送り送るのやめたってん♪」と言って送金しなかった時、1週間ほど水だけ飲んで過ごしたが、その際、自動販売機の下に100円玉か50円玉でも落ちてないかと思って日吉の街を歩き回り、ある自販機の下に50円玉が落ちているのを見つけて、道に腹ばいになって引っ張り出して、その50円と財布に残っていた10円玉3枚ほどとを合わせて、メロンパンを買って食べたが、あの時のメロンパンほどおいしいと思ったものはなかった。私が自販機の下に落ちていた50円玉を道に腹ばいになって引っ張り出した時、日吉台学生ハイツに住んでいた兵庫県の甲陽学院高校から1浪で東大に行って国家公務員1種試験に通って外務省に入った加藤という男が日吉でもけっこう高いレストランから何人かの連れと一緒に出てくるのを見た。同じような学生でも、食べるものも違えば生活も違うものだと実感した。その時、私の頭に流れた音楽はロシア民謡の「ドビヌーシカ」だった。「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う、ドビヌーシカの歌を」と。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
  片方で私立の高校から東大に行ったヤツは、アルバイトなんて家庭教師のアルバイトすらやらないで国家公務員試験の勉強をさせてもらって高いレストランで食事をする、私は、「アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお! とってちってたあ~あ!」と言われ、「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってる。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ。大学は勉強する所とは違うねんぞ、大学は。心得違いを起こしたらいかんぞ、チャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロ、分かっとんのんか、チャンコロ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! おまえはチャンコロの民族やねんぞ、わかっとんのんかチャンコロ! わしはドイツ人の民族で、おまえはチャンコロの民族やねんぞ。民族の違いを忘れるな! とってちってたあ~!」と毎日毎日言われてきた者とは、「食べるものからして違う」のだった。加藤はモラトリアム人間病と違うのか? 「アルバイトを嫌がるモラトリアム人間病の重症患者と違うのか?????」と思ったが、「心理学」によると、そうではないらしかった。「作家で精神科医」の なだ いなだ が『お医者さん』(中公新書)で書いていたが、月に5万円、酒代に使う男がいて、アル中だと言われるが、その男は納得しない。なぜなら、その男が飲みに行く店に、月に10万円、酒代に使う男がいるのだが、その男は月に10万円を酒代に使ってもアル中とは言われない。おかしいではないか、と。しかし、月に10万円、酒代に使う男は年収が多く、月に10万年を酒代に使っても生活に困ることはないのに対し、月に5万円を酒に使う男は年収が多くないので、月に5万円も酒に使えば生活できなくなることから、アル中だと言われる。アルコール中毒という「病気」の判断が難しいのはそのあたりにある。それと似たところがあり、甲陽学院から1浪で東大に行った加藤は、浪人してもどうと別に言われないのに対して、私は浪人すると、「こいつのおかげで離婚できんようになってしもうたんやあ」と母親から言われ、父親からは「電卓、でんたく、電卓。こいつが浪人しおったおかげで、大学の受験料が〇万円、交通費が〇万円、ホテル代が〇万円、願書だすときの切手代が〇円、封筒代が〇円、予備校の学費が〇〇万円、それに・・・、電卓、でんたくう、電卓、でんたく、電卓でんたく電卓でんたく」とやられたものだが、加藤はそんなことは一切言われない。そのあたりに私と加藤には「民族の違い」があったのだ。 そして、加藤は東大に入ると、今度はアルバイトなんて家庭教師のアルバイトもしないでひたすら学業に専念させてもらえて、そして、自分で生活費を稼いでいない者が高いレストランで食事をする。それに対して、私は「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。アルバイトを嫌がるようなら治療せんとあきません」とか言われて、他の人間が勉強している時に工場のアルバイトをさせられて、その上で、加藤が高いレストランで食事をしている時に、自販機の底から拾った50円玉でメロンパンを食っていた。「民族の違い」は明らかだった。たしかに「民族の違い」があった。「不忘民族恨(民族の恨みを忘れるな!)」「不忘階級苦(怪獣の苦しみを忘れるな)」。加藤は、今では出世してフォアグラとかトリュフとかカラスミとか丹波産松茸とか食っとるんじゃないか。私が丸亀製麺のきつねうどん食ってる時に加藤はフォアグラ食ってるのじゃないか。私がすき家の牛丼食ってる時に加藤はカラスミ食ってるんじゃないか。私が吉野家でアジフライ定食食ってる時に加藤は丹波産松茸食ってるのじゃないか。たしかに、「民族の違い」は明らかだ。父から「民族の違いを忘れるな」と毎日毎日言われてきたが、その言葉が今も耳元でわんわんうなっているが、「忘れるな」と言われなくても忘れようがない。私が自販機の底から拾った50円玉でメロンパン食った時におのれで生活費を稼いでいないくせして日吉の不二家で食事していたヤツ! たしかに、加藤と私では「民族の違い」があり「階級の違い」があったようだ。『美味しんぼ』で丹波産松茸が取れなくなってきているとかいう話が出ているが、そんなもの、完全に取れなくなったとしても加藤には関係あっても私には何の関係もない。140円のカレーライスなら関係あるが、フォアグラだのトリュフだのカラスミだのなんてどうでもいい。もともと、食ったこともないし、死ぬまで食うことはないだろう。食いたいとも思わない。

  それで、だ。私は体育はそれほどできる方ではなかったけれども、スポーツは嫌いではなかったのだ。片方で、『シェイプアップ乱』という漫画に、「走るためだけに生まれてきた女 カール=ルイ子」という女性が出てきて、「人は彼女のことを、こういう、『走るため「だけ」に生まれてきた女』と。『走るためにうまれてきた女』ではなく『走るため「だけ」に生まれてきた女』と」というフレーズが書かれてきたのだが、そういう人間というのも好きではなかった。それに対して、「フォアグラ型文治派」みたいな人というのもいるのだ。そういう「フォアグラ型文治派」の人と私のような「文武両道型文治派」とはタイプも違えば、思考形式からして違うような感じがする。私のような「文武両道型文治派」の人間というのは、「考える」とか「覚える」というのは基本的には頭でやるものであっても、「頭と体」で考えて「頭と体」で覚えているようなところがあるのに対して、「フォアグラ型」の人はそうではなく頭だけで生きているみたいな感じで、体は歩くためとかだけにあるみたいなのだ「文武両道型文治派」の人間は、誰しもどんなに忙しい時でも何時間かの睡眠はとり、食事もとれば、う〇こ をする時間もとるのと同じように、スポーツをする時間というのも少々は取った方がうまくいくのだ。そこが「フォアグラ型」の人と「文武両道型」との違いだと思う。
  「文武両道型」人間としては、高校でも体育の授業くらいは出たかったのだが、ところが、母は「高校は勉強しにいく所であって体育しにいく所とは違うでしょうが」と言って、1限目が体育の授業だと家を出させてくれなかったのだ。私は出たかったのだが、出れなかったのだ。ところが、高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子は、私には、「きょうは、体育の授業はお休みなの」とか言って文句を言うくせに、それなら、担任の教諭ならば、懇談の時でも、親に「体育の授業も出席させてあげてください」とでも言ってくれればよさそうなものだったのだが、懇談の時になるとそうではなく、親と大同団結したのだった。なんで、この2人が大同団結できるのだろうか? と理解に苦しんだが、旧姓作野礼子というのはそういう女だったのだ。旧姓作野礼子としては、内容はどうでもいいから親に加担しておくのが教諭の仕事だと考えていたようだった。高校の教師としてはクズである! 「神戸大しか出てないからクズ」なのか「神戸大でててもクズ」なのかどっちからわからんが、どっちにしても、クズである!

   結果として、浪人してしまい、大阪府高槻市にあったYMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」というのに行ったのだが、そこで、最初に「適性テスト」という「心理テスト」を受けさせられた。私は、この時点で、なんとか、親を説得するのに、「適性テスト」を受けておけばよかったのにと思っていたので、抵抗なく受けたのだが、しかし、この「心理テスト」だか「適性テスト」だかの実施はおかしい。
   こういう「心理テスト」「適性テスト」というものは、
(1) 本人が希望したこと、
(2) 「診断」の結果は、本人にのみ渡し、本人以外の者には知らさない、
というのが原則のはずである
ところが、YMCA予備校はそうではなく、「心理テスト」「適性テスト」の結果を本人には渡さず、本人には知らさず、本人には見せず、YMCA予備校の職員のみが保持し、YMCA予備校の職員だけが見ていたのだった。 そういう「心理テスト」「適性テスト」は害がある。むしろ、そういう「心理テスト」「適性テスト」の強制は人権侵害と言うべきである。YMCA予備校の講師には京都大学の大学院生も来ていたが、あいつらは京大の大学院にも行って、この程度のことすらも理解できないのか?・・・というと、理解できない連中だったのである。

  私は、大学入試でも浪人の場合と資格試験受験は、独学が基本だと思っている。大学入試の場合だが、予備校ではなく高校の場合は、1つには、大学受験資格を得るには高校卒業か大検(大学入学資格検定)〔2005年度(平成17年度)より高等学校卒業程度認定試験(高認)と名称が変わったようだ〕合格かで18歳以上でないと受けられない、かつ、大検に通るのはけっこう大変らしいので、それなら、ともかく、どこの高校でも卒業しておいた方が「大学受験資格」は得やすいから、だから、高校はともかく行った方がいい、ということと、北野高校は行きたいと思って行った高校だったから合格した時はうれしかったが、今から考えてみると、そんなにいい学校ではなかったなあ・・と思うが、それでもそこで学んだものがなかったというわけではなく、さすがに、まったく独学で最初から学習してというのは大変ではないかと思われる面もあるので、高校は行っていいだろうし行ってそこで学ぶものは学んだ方がいいだろうけれども、浪人の場合は、すでに高校を卒業しているし、大学受験についても、「その高校の卒業生で現役でまともな大学に行くような人間なんて1人もないというような高校」出身の人、たとえば、慶應大学で、一時、空手の同好会に入っていた時があったのだが、そこにいた千葉クロマティ高校卒(でよっぽど甘ったれた性格なのか文学部に行っていた)富永という男とか、そういう男は予備校に行った方がいいだろうけれども北野高校のようなある程度以上の進学校出身の浪人生は、大学受験を一度経験しており、現役で通った人間と落ちた人間では、本人にとって通った方がいいのは間違いないとしても、通った人間はすべてにおいて成功で、落ちた人間はすべてにおいて失敗だったというわけでもなく、誰もが成功した部分と失敗した部分があって、その結果として取った点数が合格最低点より上回ったか下回ったかということであり、落ちた人間といえども何から何までだめだったわけではないのであり、同じ高校から京大とか阪大とか東大とかに通った人間は大学生として高校生の家庭教師をやったりしていたのであり、ちょっと前まで同じ高校で同じ教室で授業を受けていた人間が「教える側」をやっているのであり、逆に、YMCA予備校では、各科目の講師というのは、京都大学・大阪大学などの大学院生か助手、もしくは、京都や大阪の私立大学の教授のアルバイトである人が多く、専任の講師もいたけれども、YMCA予備校という予備校は講師・教師よりも事務職員が実験を握っていて、事務職員が教職員に指示していたのであり、その事務職員というのはどういう人かというと、たとえば、YMCA予備校の高槻校では3人いたが、一番若い浜野くんなんてのは「三流の私立大学を出たばっかり」と顔に書いてあったし、「京大東大文系クラス」の担当だった藤井という男は、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低3度は言わないと生きていけないという男だったが、もともと、「早稲田の政経」というのは「学歴詐称の定番」であり、あの男の「早稲田の政経」は絶対に学歴詐称であって実際は亜拓大東帝国かそこらの「大学」卒だと思うのだが、そんな人に「指導」なんて受けたのでは、かえって害がある。 
  私は藤井が「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と言うのを聞いて早稲田大学というのはくだらない大学なんだなあと思い、又、早稲田大しか出てないような男が、なんで、「京大東大文系クラス」なんてのを担当するんだ?!? とも思ったが、それから10年ほど後、東京で会社にも努めてみて、また、人事担当として求職学生やその親と接する経験もしてみて、そういう問題ではなく、「いくらなんでも、あんな早稲田ないわあ」・・・と思うようになった。あの男は絶対に学歴詐称である。かけてもいい・・・といっても貧乏人のことゆえ、あまり高いものはかけられないが、牛丼かカツ丼くらいならかけてもいい。いくらなんでも、あんな早稲田ないわ。最初、早稲田でもスポーツ入学か内部進学かとも思ったのだが、そういう問題ではなく、学歴詐称だろう。実際は、藤井は亜拓大東帝国くらいの「大学卒」だろう。その程度の人が「主事」というよくわからん職種について勝手なことを言いまくっていたのだ。前年、たとえ、落ちたとはいえ、京大なり東大なりを受けた経験のある者と、亜拓大東帝国しか出てないおっさんと、どちらが大学入試についてわかっていると思うか。こういうことを言うと、というよりも、私は自分の父親にも母親にも言ったのだ。うちの父親は「専門家の言うこと、専門家の言うこと」と言うので(そういう「専門家」信仰の強い男だった。T=W=アドルノ他『権威主義的パーソナリティー』青木書店 にも、「専門家」信仰の強い人間というのは、権威主義的パーソナリティー・サドマゾ人格とともにファシズム的傾向が強い人間につながる性質であると指摘されているが、実際、うちの父親はそういう人間だったと思う)、「あんなやつ、専門家と違うよ」と言ったのだ。父は「先生の言うこと、先生の言うこと」と言うので、「藤井は先生じゃないよ。あの男は事務員であって先生じゃないよ」と言ったのだが、それでも「せ~んも~んくぁああ、せ~んもお~んくわああ~あああ!!!」と言ってきかないので、「いったい何の専門家なんですか? あんなヤツ、専門家じゃないよ。何もわかってないよ。大学だって早稲田しか出てないらしいし」と言ったのだ。実際は、藤井の「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」というのは学歴詐称だったと思うが、高校卒業1年目の私は早稲田大学というのをよく知らなかったし、予備校とはいえ学校という所に学歴詐称する人間がそのへんにいると思わなかったので、それで、「早稲田しか出てない男」に京大や東大の受験生にえらそうな口をきくのはやめてもらいたいものだと思ったのだ。こういうことを言うと、「人間を学歴だけで判断してはいかんだろうが」とか言う人が出てくるのだが、それは、他の職業であれば、「自分は学校ではあまりいい成績ではなかったけれども、仕事についてからは真面目に努力して成果を残した」とかいう人もいるかもしれないけれども、京大東大に合格しようという受験生の指導は、京大か東大に合格した経験があるか、合格できなかったとしても受けた経験のある人間でないと、それはできないはずだ。 すでに一度、京大なり東大なりを受けた経験がある京大・東大受験を考えている浪人生に、亜拓大東帝国あたりしか出てない男が、なんで、指導できるんだ!!! 英語が話せれば日本ではプラスの評価を受けるが、しかし、英語が話せたとしても、それはひとつの能力であって人格が優れているとか劣っているとかいう問題ではないはずだけれども、もしも、通訳を依頼するということならば、英語ができる人に通訳をお願いするのではないか。「英語ができるかどうかで人の値打ちを判断するのはおかしいだろうが」と言うのなら、私もそう思うが、だから、英語なんてちっともできない人に英語の通訳を依頼するか? しないだろう。自動車学校の指導員というのは、普通自動車の運転免許は取得していて、他の能力はともかく自動車の運転については人並みくらいにはできる人になってもらうべきものではないか? 「自動車の運転ができる人間がえらい人間というわけではないだろうが」と言うならそうだと思うけれども、自分自身が自動車の運転免許も持っていない人に自動車の教習を受けたいとは思わないだろう! 但し、京大なり東大なりにすんなりと現役で通った人と、1年浪人して通った人、2年浪人して通った人、浪人したが模擬試験の成績を見て目標を修正して阪大くらいに行った人、浪人したがまた落ちてしまって慶應なり早稲田なりに行った人とでは、受験を指導する立場になった時、どちらがいいかは何とも言えないとは思う。相撲の高砂親方(元大関朝潮)が、横綱の朝青龍を指導できないのは元大関の親方だから横綱を指導できないのだと言われたことがあったが、スポーツ新聞に載っていた話だが、高砂親方が、それは違うと思うと述べていた。元大関の親方というのは、力士を引退した後も、「なんで、俺は横綱になれなかったんだ。どこが悪かったんだ。どうすればよかったのか・・・」といつまでもいつまでも考える。それに対して、元横綱の親方というのは「達成した」という意識の人が多い。だから、大関にはなれたが横綱にはなれなかった親方の方が、むしろ、その気持ちを弟子の指導にぶつけるので、親方としていい結果を出せる、と述べていたが、そういう面もあるとは思うので、すんなりと現役でさっさと通った人が常に絶対にいいとは限らないとは思う。実際、すんなりと現役で通った人には、「なぜ通ったのかわからないうちに通ってしまった」みたいな人も中にいるのではないかと思う。しかし、すんなりと現役で通った人間と浪人して通った人間と浪人しても行けなかった人間とではどれがいいかはいちがいに言えないとしても、そういう大学を受験するなんて最初からありえなかった人というのは、そういう人がいいかというと、それは違うと思うのだ。他の職業ならば、「学校の勉強はできなかったけれども、職場についてからは一生懸命努力して成果を出したんだ」という人だってあるかもしれないが、大学受験の予備校というのは、特に「京大東大文系クラス」と名づけたようなものは、京大か東大に行った人か行こうとしたが行けずに早慶くらいに行ったか方向修正して阪大くらいに行った人かが携わるべき仕事だと思うのだ。
  母は「自分が受けた経験がなくても、ひとを指導する経験がある人でしょうが」と私に言うのだったが、たしかに、自分がやるのと人を指導するのは同じではないだろう。私自身も、家庭教師をやったり塾の講師は雇ってもらえなかったけれども応募した際に、生徒に教えてみてくださいと言われてやったことがあったが、自分がやるのと教えたり指導したりするのは同じではなく、野村克也は阪神の監督になってミーティングをやっても阪神の選手はほとんどの人間が話を聞かずに時計ばっかり見ていたとか書いていたが、家庭教師について、こうやってみたらと言ってもやらない人間にはどうすればいいのか、そもそも、家庭教師に行くことになっている曜日のその時刻に行くと、遊びに行っていないというようなやつを、どうしたらいいのかとか、自分がやるのとは勝手が違ったし、「替わったろか」と何度も思ったことがあったのだが、たしかに、自分がやるのとひとを指導するのは同じではなく、「自分が経験があるだけでなくひとを指導した経験もある人間」と「自分がやったことはあっても人を指導した経験はない人間」なら前者の方がいいということはあるかもしれないが、「自分がやったことはないけれども、ひとを指導したことがある人」なんてものはありうるのか? いつだったか、テレビで、プロ野球のかつての光景というのが映っていて、近鉄のブライアントがどうも打撃成績が良くないということで、三振して首をかしげながらベンチに戻ろうとすると、スタンドにいたファンのおっさんが、身振り手振りで、こう打つんだよとアドバイス(^^)/ ブライアントはおっさんにどう対応したものか困っていたが、そうすると、次の打席でタイムリーヒットだかホームランだったかをかっ飛ばした♪ 観客のおっさんの指導のたまものか??? すげえ!♪!♪! てところだったが、YMCA予備校の「主事」の学歴詐称のおっさんの「指導」なんてそれ以下である。自分がやったことないものを、どうやって指導するんだよ!!!  たしかに、中学校の先生には、あまり高い評価でない大学しか出ていない人もいて、そういう先生でもその学区で一番の高校に進学する生徒にも、「進学指導」をしていたが、その場合でも、私が中学校3年の時の担任だったF先生は、「きみのことだから、勉強のしかたとかは自分で考えてやればいいと思うけれども」と言ってくれて、その上で、「過去の生徒を見る限りでは、ぼくはこう思うな」という言い方をしたもので、そういう言い方をする人の場合には、その情報は役に立つと思うのだが、YMCA予備校の「主事」の藤井の場合は嘘が多すぎるし、嘘が多いというのは「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」は絶対に嘘だと思うが、そういう嘘なら、アホはほっとけ、てところですませていいかもしれないが、受験情報について次から次へと嘘を言いまくるのであり、それはマイナスである。嘘ばっかり言いまくるやつの話を「自分が受けた経験がなくても、ひとを指導する経験がある人」と評価していいかというと、そんなもの、評価できない。
  YMCA予備校の問題点として、「洗礼を受けていること」というのが採用条件にあるらしいのだが、その条件を満たした人というのが、その職業に適した人かどうかよりも優先して判断されているというところに問題がある。又、藤井の場合は、「ぼくらはクリスチャンとして、洗礼を受けて、日曜ごとに教会に行って礼拝に出て、献金払ってるんだ。それでいいことであって、聖書みたいなもん、あんなもん、読むもんと違うんや、あんなも~ん! 聖書なんてあんなもん、いいことなんて何一つとして書いてないんやから、あんなもん! 聖書なんて読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんてまかり間違っても絶対に考えてはいかん! 聖書なんてあんなもん読まんでも、洗礼うけて、日曜ごとに教会に行って礼拝に出て、献金はらっておけばそれでええんや、それで。聖書なんて絶対に読んではいかん!!!」と日夜、「伝道」していた男だったのだが、どうも、キリスト教の教会における「洗礼」というのはそういう考え方の人間が受けるものらしいのだ。そういう考え方の人が採用される仕事がYMCA予備校の事務職員だったのだ。私は藤井のその発言を最初に聞いた時、「そんなこと、思ってるのなら洗礼なんて受けなきゃいいのに」と思ったのだ。やっぱり、洗礼というものは、自分自身で『聖書』を読んでその意味を考えて、その上で、洗礼を受けていいのかどうかと自分自身でよく考えた上で受けるべきものであって、「ぼくらはクリスチャンとして、洗礼を受けて、日曜ごとに教会に行って礼拝に出て、献金払ってるんだ。それでいいことであって、聖書みたいなもん、あんなもん、読むもんと違うんや、あんなも~ん! 聖書なんてあんなもん、いいことなんて何一つとして書いてないんやから、あんなもん! 聖書なんて読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんてまかり間違っても絶対に考えてはいかん! 聖書なんてあんなもん読まんでも、洗礼うけて、日曜ごとに教会に行って礼拝に出て、献金はらっておけばそれでええんや、それでえ」などと思っているのなら、何も洗礼うけなくていいじゃないか・・・と思ったのだ、「なんで、この人、洗礼うけるんだ?」と不思議に思ったのだったが、それは、キリスト教の教会で洗礼を受けると、
1.YMCA予備校で職業にありつけること、
2.私の母みたいな人間から「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人ではない」などとアホなことを思ってもらえること、
及び、「あの人はクリスチャンはクリスチャンでもYMCAで主事になっているくらいだから、並のクリスチャンではない。相当にえらいクリスチャンのはずや」とかアホなことを思ってもらえる
・・という2つの御利益があったわけで、その御利益を得ることができるということを考えれば、「コストと利益を比較考量して」考えて、(1)洗礼を受ける、(2)日曜ごとに教会に行って牧師先生が「けっこうなお話」をされる間、黙って座っている、(3)献金を払う、という「クリスチャンの三大義務」を果たしたとして、「利益/コスト」は割が合う話だったのだ。くっだらねえ~え、「クリスチャン」というのは偽善者のことなのか? という感じがするが、実際問題として、「クリスチャン」という人には、「なんとなくクリスチャン」の人と「敬虔なクリスチャン」の人がいて、藤井のような「敬虔なクリスチャン」には
(1)洗礼を受ける、
(2)日曜ごとに教会に行って牧師先生が「けっこうなお話」をされる間、黙って座っている、
(3)献金を払う、
の「クリスチャンの三大義務」さえはたせば、「聖書みたいなもん、あんなもん、読まんでもえんやあんなもん。聖書なんて読んでええことなんて何一つ書いてあれへんのやから、あんなも~ん!!!!」という人間で、そして、藤井のように「ぼくらはクリスチャンだから」と何かと言いまくる、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低3度は言わないとおれないというのと同様に言いまくらないとおれない、という人が多い。そういう人を見ると、自分も「洗礼」うけてそのタイプの「クリスチャン」になろう♪ 「洗礼うけて教会に行って牧師先生のけっこうなお話を聞いて献金はらえば私もあなたもクリスチャン♪」 ・・・という気持になる人もいるらしいのだが、私なんかはそういう人を見ると、「クリスチャン」てのはくだらんなあ~あ・・と思って嫌悪感を覚える。そういう人のことを「クリスチャン」と言う人もいるのだろうけれども、私なんかはその逆の方の人間なので、そういう人たちと「聖なる交わり」をするために教会に行きましょうよ♪・・なんて誘われても、むしろ、吐き気がしてくる。

   私は資格試験の学習は独学が基本だと思っているけれども、宅地建物取引士の試験は、東京リーガルマインドが出しているテキストやカセットテープは利用したし、日建学院の無料模擬試験採点会に参加させてもらったということなどはあったものの独学で通ったけれども、インテリアコーディネーターは1次(学科)は独学で通ったものの、2次(製図・論文)は独学でもどうもうまく書くことが出来ず、ハウジングエージェンシーのインテリアコーディネーター2次対策講座を受講して講師の先生がこういう練習をしてくださいと言われたことをやることでなんとか合格することができた。キッチンスペシャリストも学科は独学で通ったけれども、製図は独学では相当いろいろなことをやったものの合格答案を作成することができず、これもハウジングエージェンシーのキッチンスペシャリスト製図試験講座を受講して、講師の先生がこういう練習をやってくださいと言われたことをその通りやることでなんとか合格できた。もし、ハウジングエージェンシーの製図対策講座に参加しなければ、絶対に通らないということはないかもしれないが、さらにあと何年か合格までにかかったか、それとも途中で断念したかいずれかだったと思う。だから、合格までに満たさないといけないものがいくつかあって、そのうちの8割は自分自身で独学でクリアできるが、2割は自分自身ではクリアするのが難しいが、その対策をやってくれる講習に出ればできるようになる可能性が十分にあるということならば、「試験は独力でカネをかけずにさっさと通る」というポリシーを多少曲げてでも講習に参加して通る、というのは、それはありだと思うのだ。
  大学受験の場合、「その高校から一流大学に現役で通った人間なんて1人もない高校から、1浪で慶應あたりに行ってやろう」という人は、浪人して行った予備校がうまく合って合格できたという人がけっこういるようだが、そうではなく、ある程度以上の進学校出身の人間の場合は、基本的な学習法なんてのは本人が一家言(いっかげん)〔「いっかごん」ではなく「いっかげん」が正しいらしい〕持っているのであり、一家言もっている者に対して、亜拓大東帝国あたりしか出てないような人がなんだかんだ余計なことを口出すというのは、マイナスにしかならない。しかし、たとえば、大王製紙の二代目の社長は北野高校から東大を受けたが合格することができず、慶應大に進学卒業したが、息子はなんとしても東大に行かせたいと思い、息子は筑波大付属駒場高校だったかから東大に合格進学卒業して三代目社長となった・・・が、ラスベガスでしょーもないことしよったあ~あ、あ~あ、東大でてもアホやんけえ~え・・・、て話だったが、私も東大なり京大なりに行った人か行こうとしたが行けなくて息子には何としても行かせてやりたいと思っていたというお父さんの息子というのは本当にうらやましいなあと思ったものだが、私が父親だったら、「一流大学」出てない親よりは息子に役に立てると思うし、アドバイスできると思うものはある。「もしも、今から自分が受けるとすれば、私ならこうする」というものがある。その視点で見て、もし、自分が高校の教諭か予備校の講師か職員になっていたならば、どうも、変な方向に努力しているように思えるのだが・・・という人がいたならば、私はそれはその大学の受験にはあまり役立たないと思う、むしろ、こうした方がいいのではないかと思う、ということは言える場合があると思うし、「東大でているとか京大でているとかの父親か、東大に行きたいと思ったが行けなかったので息子には何としても行かせてやりたいと思っているとかいうような父親の息子」ではない、その逆みたいな親の息子に、父親のかわりの役割を果たしてあげることはできたと思うし、今でも、ある程度以上できると思うのだ。高校の教諭とか予備校の講師・職員というのはそういう人がなるべきであって、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」とか学歴詐称すれば「ひとは言うことをきく」みたいに思っている「敬虔なクリスチャン」が向いている仕事ではないと思う。
  具体的には、東大の二次試験の問題では、特に社会科、日本史・世界史については、「・・・について、800字以内で述べよ」というような問題が出たのだが、私は、北野高校の中間考査・期末考査でも模擬試験でも、業者の模擬試験でも「全国総合模試」のような模擬試験では、他の科目はさておき、日本史・世界史については比較的いい成績を取れたのだが、どうも、東大二次の形式の試験でうまく書けなかったのだ。他の大学の入試問題だと一番いい成績を取れた社会科(日本史・世界史)が東大の二次の問題になると、逆に一番成績の悪い科目になってしまった。これはきつかったが、「全国総合模試」のような問題や北野高校の模擬試験の問題などではある程度以上の成績を取れていたのだから、東大の二次の問題への対策を取ることができれば、その部分において「のびしろ」があると考えることもできたわけで、日本史・世界史の成績はずっと伸びる可能性があるとも考えることもできた。
  ひとつの考え方として、日本史・世界史に関しては、京大・阪大型の問題なら京大・阪大の受験生の中でも上の方の成績を取れたのだから、あえて東大を目指さずに京大か阪大を目指すようにすればいいのではないかという考え方もあったが、逆に、日本史・世界史については「全国総合模試」とか北野高校の模擬試験とかではけっこういい成績を取れたにもかかわらず、東大二次試験の問題になるとどうもうまく書けないということは、入学試験で何点取れるかというのはその科目そのものの学習とその試験問題についての対策の2つから決まるわけで、前者、日本史・世界史の学力そのものはある程度以上のものがすでにあるのなら、1年間、浪人するのなら、その1年間に後者の方を徹底してやれば、相当、点数は伸びるのではないか、という見方もできたのだ。 だから、「京大東大文系クラス」なら、当然、東大の二次試験対策をやってくれるだろうから、それをやれば、日本史・世界史の得点は相当伸びることもありうると考えて「京大東大文系クラス」には期待したのだったが、ところが、YMCA予備校の「京大東大文系クラス」は実質的にちっとも京大東大文系クラスではなかったのだ。
   YMCA予備校でも、単なる「文系クラス」ではなく「京大東大文系クラス」というものが高槻校にできて、単なる「文系クラス」よりも学費もいくらか高かったのだから、当然、そういった対策を取ってくれるものだと思って、それを期待してYMCA予備校でも、我が家からでは豊中校の方が近かったが高槻校の「京大東大文系クラス」に行ったのだ。ところが、YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」というのは「看板に偽りあり」で京大や東大の文系学部の問題に対する対策なんてまったくやらない予備校だったのだ。カネ返せ! と言いたいくらいのものだった。
  どうも、「カネ返せ」と言いたい気持ちになる受講生は私以外でいたようで、YMCA予備校高槻校京大東大文系クラスの「主事」の藤井は、そう言われていることを感知していたようで、それで、この男はこう言ったのだった。「ぼくらは、あくまでもきみらの親からカネをもらっているのであって、きみらには1円ももらってないのやからなあ。だから、ぼくらは、きみらの親のために働く義務はあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんやからなあ」と。そう言いやがった。それを聞いて、うちの父親は喜んだのだ。「ええ~えこと、言いはる♪ そうや、その通りや。親がカネはろとるんや、親が。そやから、親のために働く筋合いがあるんであって、子供のために働く筋合いはないんや。ええ~えこと言いはる!!!」と。しかし、私が親ならそうは考えない。たとえ、予備校にカネを払ったのが親であったとしても、その親は、あくまでも、息子なり娘なりのために役立ってもらおうと思って払っているのであって、「きみらのために働く筋合いはないんやからな」などという暴言をはくようなヤカラに払った覚えはないのである!!!
  北野高校の3年の時、日本史の授業で、日本史の教諭のO谷が「元寇が失敗した原因は何か。何だと思いますか」と言い、「たとえば、何百字で述べよ、なんて論述の問題で、ズバリ一言、『下痢』なんていうのは、それは正解だと思いますか、間違いだと思いますか」なんていう話をしたことがあった。そりぁ、いったいなんだというと、「元寇が失敗した原因」というのは、戦前は、「朝廷をはじめ全国の寺社が敵国調伏を祈りつくしたことから」とか言ったのだが、戦後はそうではなく、「1.西日本を中心とした御家人が元の軍隊に対して力を尽くして戦ったこと、2.元の支配地の住民は必ずしも元に心から服従していたわけではなく、元に対して抵抗する動きはあり、そのため、元は日本侵攻にすべての力を注ぐことができなかったこと、3.台風シーズンに入り、台風で元の軍船が流されたこと」という3つが原因だとされるのだけれども、その台風シーズンになぜ入ってしまったかという理由なのだが、2回の元寇のうちの片方は、もう少し早い時期に攻める予定だったらしいのだが、なぜ遅れたかというと、元の軍隊を指揮する大将が病気になってしまい、かわりに誰を大将にするかというのを検討しているうちに日が経って台風シーズンに入ってしまったということがあったらしく、その病気て何だったのかというと、ズバリ、「下痢」だったというのだ。だから、「元寇が失敗した原因を700字以内で述べよ」というような問題が出た場合に、ズバリ、「下痢」と2文字で答えたとすると、はたして、これは正解か間違いか? ・・・間違いということではないのかもしれないけれども、「下痢」と2文字だけ書いたとして、どういう点数になるのだろうか・・、という話。
  もうひとつ、「第二次世界大戦中のファシズムの国家とその指導者の名前を3つ書け」という問題で、「この答え、どう書くのが正解だと思いますか」と言うのだが、「ドイツ・・・ヒトラー、イタリア・・・ムッソリーニ」はたいていの人間が書くとして、もうひとつが問題で、「日本・・・天皇」は正解なのか? 「日本・・・軍部」と書いた人がいたが「軍部」は人ではないし、「日本・・・東条英機」と書いた人がいたが、東条英機はA級戦犯として処刑されたが、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニに比べると位置づけがずっと小さい。「ソ連・・・スターリン」と書いた人というのもいたらしいのだが、こう書かれると採点者もどうしたものか困ったところだろう。逃げ方として、「スペイン・・・フランコ」というのがあった、というのだ。さて、出題者はどれを正解と考えていたのでしょうか・・・というのだ・・・が、大谷はこういう話はして、こういう話はなかなか面白いとは思うが、しかし、実際には「下痢」とだけ書く人間はあまりない・・というよりも、もし、書くときは本当に試験会場で下痢でもして2文字しか書く気力がなかった時か何かだと思うし、「第二次世界大戦中のファシズムの国家とその指導者の名前を3つ書け」なんて問題が毎度出るわけでもなく、出たならその時の話で何なと書くしかないのだ。大谷は、学校のあり方がどうのとか、試験というものは・・とかそういう話をしたがる男だったが、それはして悪いということはないのだが、他方で、実際に進学校の生徒が大学受験で受ける場合に、どう対応すべきかといったことには無関心な男であった。「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言い、「大学はどこでも一緒や」とかぬかしてる男、「人間の値打ちはどの大学に行ったかで決まるのではない」という、一見、もっともそうに聞こえるが、実際は、行きたいと思う大学の入試の問題を吟味してそれに即した学習をすれば京大なり東大なりに行ける可能性がある人間を「大学はどこでも一緒や」とか言って関関同立くらいに行かせてしまうというのがそれが良心的な教諭なのか? ・・というと、違うと思うのだ。大谷がやっていた市民教養講座みたいな日本史の授業をやりたい男は、進学校の日本史の教諭をやるよりも、あまり進学校ではない、高校卒業後、就職する人が多い高校の教諭をやった方が向いていたのではないかと思う。
  まず、「700字以内で述べよ」とか「800字以内で述べよ」という問題を書けるようにするには練習がいる。共通一次試験より前の京大の二次試験も「記述式」であったが、それは、日本史・世界史の人名・地名・事件名など単語を「記述」するか、せいぜい、「50字以内で述べよ」というもので、「50字以内で述べよ」というような字数ならば、それほど練習しなくても、50字というのはどのくらいかというと、「50字というのはどのくらいかというと」で18字、「練習しなくても日本史がわかっておれば書けるというものだろうか」で30字、「日本史の記述式問題で得点するには、特に練習しなくても日本史がわかっておれば書けるというものだろうか。」で、それできっちり50字なのだ。だから、50字程度までのものなら、「〇字内で述べよ」という問題に、どうすれば書けるか、それほど、何字で書くということに苦労はしないのに対して、東大の二次試験で出た「700字以内で述べよ」「800字以内で述べよ」というのは、これはそういう字数で書く練習をしないとなかなか書けないのだ。それで、私は苦労したのだ。それを書けるようにと思っても、東大の二次試験で出題された問題を解くための問題集なんて、教学社から出ていた過去問シリーズで『東大の日本史(過去問集)』『東大の世界史(過去問集)』くらいで、他に出ていない。『東大の日本史(過去問集)』『東大の世界史(過去問集)』にしても、問題と解答が書いてあるだけで、どうすれば、そういう文章を書けるようになるか、というのは書いてないのだった。たしか、私が高校1年の時だったか2年の時だったかの夏休み前、北野高校の門の前で、河合塾の人が夏期講習の案内を配っていたのだが、それに、「東大日本史対策講座」だか「東大世界史対策講座」だかいうものがあったと記憶している。私はそういうものをYMCA予備校の京大東大文系クラスに期待したのだった。それに対して、募集する時は「京大東大文系クラス」と言って募集しておきながら、入ると、「主事」だという藤井が、「今年から共通一次試験が始まって、理系の人も社会科を2科目受けないといけないことになりましたので、社会科の先生が不足していますので、社会科の授業は1科目だけです。もう1科目は、教科書を読んでおけばできます」などと言ったのだ。はあ? そんな「京大東大文系クラス」があるかあ? 教科書なんて、もう何回も読んでる。それ以上のことを相当やっている。 それ以上のことをやってきたけれども、それでも、東大の二次試験の問題はうまく書けなくて苦労していたのだ。だから、その対策をやってもらいたいと思ってYMCA予備校京大東大文系クラスを受講したのに、「教科書を読んでおけばできます」て、アホか!!!

  「なが~い論述式の問題で、ただ一言、『下痢』と書く」というのは、それは正解なのか0点なのか、部分点なのか? 採点する側であると、どう判断したものか迷うところではあるが、自分が試験を受ける側の場合には、「ただひとこと、『下痢』と書く」なんてことする人は少ない。問題は、「800字以内で述べよ」という「800字以内」でその内容をうまくまとめられるかどうか、である。
  それとともに、「800字以内で述べよ」という問題では、いったい、具体的に何字で述べるのが一番いいのか? ということがある。1990年代、ハウジングエージェンシーが実施した インテリアコーディネーター試験の二次試験(製図・論文)対策講座で、講師の方が「論文」試験について言われたのは、
1.字数をオーバーしてしまったら問題外。それは絶対に避けないといけない。
2.最後の枡までぎりぎり書くというのは、それは規定内だけれども、あまり良くはない。
3.一番いいのは、解答用紙の最後の行の途中、できれば、最後の行の途中の後半、あと何字か残るというくらいで終わるのが最高。
4.下から2番目の行の途中で終わって、最後の行は1行まるまま残っているというのは、それはあまり良くない。
5.「書きかけ」はいけない。特別に優秀なものでなくても、ともかく、なんとしても完成させないといけない。
・・・ということを言われたが、そして、その指示に従った文章を書いて、インテリアコーディネーター試験の二次試験にはなんとか合格することができたのだが、これはインテリアコーディネーター試験の二次試験に限ったことではなく、論述式試験全般に共通することではないかと思う。
  北野高校の日本史の教諭だった大谷郁三は、「なが~い論述の問題で、ただひとこと、『下痢』と書く、というそういうのを、はたして、正解と考えるのか間違いと考えるのか・・」という話はしても、そういう話をして悪いとは言わないけれども、実際には、そういう書き方を入試でする人は多くはないわけで、多くの人間が悩むのは、最後の枡まで埋めるのはいいのか良くないのか、最後の行の途中で終わることができればいいけれども、下から2行目で終わりそうな時は無理してでも最後の行まで文章を引っ張った方がいいのか、下から二行目の途中か下から三行目の途中で終わってもいいのか、というそちらの方なのだ・・・が、大谷はそういう話は一切しなかった。する気もなかったようだ。
  そして、YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」の「世界史」の授業では、「京大東大文系クラス」ならば、そういう話をしてこそ、「京大東大文系クラスの世界史」ではないかと思うのだが、そういう話は一切しなかった。そんな「京大東大文系クラス」があるか!!! と思うのだが、「看板に偽りあり」だった。

  「今年から共通一次試験が始まって、理系の人も社会科を2科目受けないといけないことになりましたので、社会科の先生が不足していますので・・」というのは嘘だ。この藤井という男は、本当に嘘をつくのが大好きな男だったが、理系クラスで社会科の授業を2科目やるようになったのなら、社会科の先生が不足することもあるかもしれないが、共通一次試験で理系学部を受ける人も社会科は2科目やらないといけないことになったとしても、それでも、YMCA予備校が理系クラスで社会科の授業は1科目だけしかやらないのだから、文系クラスで社会科の先生が不足するということはないはずなのだ。こういう嘘を次から次へとつくのが大好きというのがそれが「敬虔なクリスチャン」という藤井という男だった。さすがは「敬虔なクリスチャン」だけのことはある。 そして、「世界史」の授業というのは、およそ、東大の二次試験対策などとは縁もゆかりもないものだったし、「世界史」の講師は、およそ、東大二次試験対策なんてできるような人ではなかった。明らかに「看板に偽りあり」だった。
  私が小学生くらいの時、1960年代後半だったか、母のイトコが、天王寺高校から1浪で東大の文科二類に進学したのだが、母の叔母が、私がYMCA予備校に行ったというのを聞いて、「YMCAなんて、東大に行かないでしょう」と言ってくれたらしいというのを後から聞いた。母の叔母・・というと私から見ると「大叔母」ということになるのか、大叔母はそのあたりをわかっていたようだった。どうも、母のイトコは、現役の時に東大を落ちた後、駿台予備校も落ちてしまったらしく、代ゼミの東大受験クラスに行って東大に1浪で通ったらしいのだが、駿台と代ゼミでどちらがいいかは絶対にどちらということはないと思うが、東大に行きたいと思うのなら、「東大受験クラス」に行っておくべきで、単なる「国立大受験クラス」とか「私大受験クラス」に行くよりも「東大受験クラス」に行っておいた方が東大に合格するには有利であるのは明らかだ。YMCA予備校は「京大東大文系クラス」と表記していたにもかかわらず、実質は「京大東大文系クラス」ではなかった。 YMCA予備校高槻校の古文の講師で自称「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教諭」だという山之内というおっさんが、「駿台とか代ゼミとかにいたら通るというものとは違うの。どこの予備校に行ったかは関係ないの」などと授業中に発言したのだが、予備校の講師の人間にそういう口はきいてもらいたくないものだ。特に、予備校の中では学費が高めの予備校の講師にそういう口はきいてもらいたくないものだった。山之内のおっさんが言うようなことなら、それならYMCA予備校なんて行く必要はない、ということになるではないか。そうでしょ。

   東大二次の日本史・世界史についてだが、単純なことととして、「700字以内で述べよ」とか「800字以内で述べよ」とかいう問題で、原稿用紙みたいな枡目の解答用紙が配られた際、年号はどう書くべきか、ということを私はずいぶんと悩んだのだ。 たとえば、「権利のいろはく権利章典」1689年というのは、これは何字と考えるべきなのか。「1689」で1文字なのか? 「1969」は4文字なのか? 「1969年」で2文字か? 5文字なのか? ・・そう思って、教学社から出ている『東大文科 過去問集』『東大 日本史過去問集』」『東大世界史過去問集』の「解答」を見ると、「1689」で2文字のスペースを使っているように印刷されているのだった。たしかに、数字の1で1文字、6で1文字、8で1文字、9で1文字とするよりも、「16」で1文字、「89」で1文字として「年」で1文字として記入した方が、文字のバランスは取れている。『東大文科 過去問集』『東大 日本史過去問集』『東大世界史過去問集』の「解答」はそういう書き方だったのだ。さらに、浪人中に、河合塾から『東大オープン 世界史過去問集』『東大オープン 日本史過去問集』というのが出版されて購入したのだが、その「解答」を見ても、やはり、「16」で1文字、「89」で1文字、「年」で1文字という書き方をしてあったのだ。しかし、それなら、問題文の指示の、枡目1つに1文字で書けという指示に反するのではないか、枡目1つに1文字だと、「1689」で1文字か「1」で1文字、「6」で1文字、「8」で1文字、「9」で1文字かどちらかではないか。それとも、「1689年」でこれで1文字と考えるべきなのか? それはないと思ったし、さすがに1枡に「1689年」と書くのは大変困難だし、どう考えたものかと思ったのだ。まがりなりにも、「京大東大文系クラス」なら、そのあたりを説明してもいいはずだと思いませんか? 「京大東大文系クラス」の「世界史」の授業なら、そのあたりを説明してもいいはずだと思いませんか?  ところが、YMCA予備校というのは予備校の中では高い方の学費をとっておきながら、そんな話なんてする気もない、そんなところに気づかないような人しか講師やってなかったのです。
  その頃は、パソコンなんて使う人はいなかったし、「全角」「半角」なんてそんなの知らなかったのです。結論を言うと、東大の二次試験では、数字も「全角」で1枡1字で書けという指示だったけれども、教学社から出ていた『東大文科 過去問集』『東大 日本史過去問集』『東大世界史過去問集』の「解答」も河合塾の『東大オープン 世界史過去問集』『東大オープン 日本史過去問集』も、解答は「半角」で印刷していたので、それで、数字は1枡に2文字を記入したような書き方になっていたのであり、実際の試験では、数字でも、1枡に2文字を書くのではなく、1枡に1文字を書く、「全角」「半角」で言えば「全角」で記入するべきだったのです。私は、これは、最後の最後まで、どう考えたものかと悩み、東大の駒場キャンパスの少し西の方、小田急線「東北沢」駅の東のあたりにあった河合塾駒場校まで行って、「私はここの生徒ではないのですが、河合塾から出ている『東大オープン過去問集』の解答を見て、これはどう考えてものかと思って、教えていただけないかと思って来たのですが、教えていただけませんでしょうか」と尋ねてみたところ、 『東大オープン 世界史過去問集』『東大オープン 日本史過去問集』の解答で、1枡に2文字書いているように見えるのは、それはあくまでも印刷の都合であって、1枡に1文字ずつ、1689年だと、1689で4文字を使い、「年」で別に1文字を使って書くというのが正しい書き方で、その書き方だと、見た目が、数字の部分でずいぶんと空いているように見えても、それは関係ない、と教えてもらったのでした。河合塾はその予備校の生徒でもなく単に河合塾が出している本を買ったのと模擬試験を受けたことがあるというだけの人間にでも、きっちりと親切に説明してくれたのですが、それに対して、「敬虔なクリスチャン」がやっているらしいYMCA予備校は何十万というカネとっている受講生にもきっちりと説明しなかった・・・というよりも説明する能力がなかったし、それ以前に誠実に対応しようという姿勢が欠落していた。「京大東大文系クラス」を運営する能力のない者なら、そんな名称をつけて募集しなければよさそうなものですが、YMCA予備校は、「京大東大文系クラス」と名づけて募集すれば学力のある浪人生が集まり、その受講生に高校卒業時に受けた大学よりも下の大学を受けさせるようにすれば合格者が増えて、たとえば、高校卒業時に京大を受けて落ちた人間に阪大を受けさせて合格させれば「YMCA予備校から阪大に合格」と言えてYMCA予備校の評価があがる! と考えて、その商法で「京大東大文系クラス」というのを作ったようでしたが、そのやり方で評判が上がると思ったようでしたが、そんなやり口で評判は上がったかというとそうではなく、そんなやり口の予備校は実際は評判は下がったようで、その結果・・・、つぶれた!

  YMCA予備校の人間でも、すべての職員が無茶苦茶ばっかり言っていたわけでもない。京大東大文系クラスの英語の臨時講師にきた京大文学部の大学院生で、1浪で京大の文学部に合格したというにーちゃんは、「ぼくの経験から言うと、ほかの科目は知らんけれども、英語に関しては、YMCAのテキストと授業とをすべてやっておけば、それ以外は何もやらなくても、どこの大学でも通ると思う」と発言したのだが、これは、あくまでも、「量的に」ということでだが、「量的に」はそれで正しいと思う。北野高校の授業は1コマ50分であったのに対して、YMCA予備校の授業は1コマ90分であり、45分のものが2コマあるようなものだった。だから、英語の授業が、訳1・訳2・訳3・英文法・英作文、それに、京大東大文系クラスだけの臨時授業が1コマあると、それだけで、6コマ。2コマ分/コマ×6コマ=12コマ ということになる。私が行った時の北野高校の英語の授業は1年で週に6コマ、2年と3年は週に5コマあったのに対して、YMCA予備校の京大東大文系クラスは、高校の授業だと12コマ分も週に英語の授業があることになるわけだからそれに対しての予習をやるだけでも相当の分量になるわけであり、それ以外にも、Idioms という熟語集を覚えろというテキストでの学習があったわけだから、「英語に関しては、YMCA予備校のテキストと授業だけで、どこの大学の問題にもそれでいけると思う」というのは間違いではなかった。しかし、それは「量的には」である。
  しかし、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」「失敗と書いて成長と読む」と野村のじいさんも、あっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりしていたごとく、1浪後は京大の文学部の試験に合格した人の言うことだけあって、実際には成功か失敗かどちらとも言えないものを「成功」ととらえてしまっているところがあった。 その講師の人は1浪してYMCA予備校に行って京大の文学部に通ったかもしれないけれども、もしも、その時、京大の文学部の合格最低点がもう一回り高かったとしたら落ちていたかもしれないのだ。そうすると、その学習法は失敗だったということになるのか? 通ったら成功で落ちたら失敗なのか? そうではないと思うのだ。たとえ、合格できたとしても、すべてが成功だったということではないし、成功なのか失敗なのかよくわからないというものだってあるはずなのだ。ある努力をしたとして、その努力によっていくらか得点アップしたとしても、「コストと利益を比較考量して」考えた場合、「利益/コスト」が十分大きいものだったのか、それとも、利益はあるものの、「利益/コスト」で見ると、あまり効率はいいと言えないものだったのか? 利益(得点アップ)がなかったわけではないとしても、「利益/コスト」(かけた労力・時間に対しての得点アップの度合い)で見るとあまり効率のいいものではなかったというケースもあるはずなのだ。
  又、YMCA予備校のテキストで英語の学習をしてある程度の点数を取れたとしても、その「ある程度の点数」というのはどの程度なのか? 他の科目でけっこういい点数を取れたことから、英語で「致命傷ではない点数」だったから通ったのか? 「致命傷ではない点数」ではなくそれよりいい点数だけれども、「他の受験生と比較して、まあまあの点数」を取れたので、ほかの科目で稼いだものが生きて合格になった、というものなのか? ほかの科目はあまり良くなかったけれども、英語で相当の高得点を取れたので、「致命傷ではない程度の点数」だったほかの科目の点数を英語で挽回して、総合点数として合格最低点を上回る程度の点数を取れたのか? 通ったからそれで「成功」と思っているのなら、それは違うはずなのだ。野村のじいさんも言うておったように、「誰しも、成功からは学習せんもんなんや」てところで、通った人というのは、落ちた人間なら「あれはあまり良くなかったのかもしれない」と思うような学習法を、「このやり方で通った」と合格する学習法みたいに認識しているという場合がある。YMCA予備校の臨時講師に来ていた京大文学部の大学院生もそんなところがあったと思う。
  YMCA予備校のテキストは、訳1・訳2・訳3と英文法・英作文、それにIdioms という英文→和文の熟語集とその逆の『英作文の鍵』という和文→英文 のものだったが、訳1は、英文解釈の問題を集めたもので、これを和訳したものを書けというのはわかる。しかし、訳2は、これは、英語の文章があって、それを読んで「下記の問題に答えよ」として、「下記の問題」として、「下記の英文のうち、上記の英文に内容が一致するものはどれか」、とか、「下記の日本語の文章のうち、上記の英文の内容と意味が反するものはどれか」とか、「下線部を言い換えた下記の英文の( )内に適切な英単語を入れよ」とか、そういった問題が並んでいたのだが、YMCA予備校の「主事」の藤井は「YMCA予備校では、英語はすべて訳を書いてもらうことになっていますから」と言って、すべての英文を日本語に訳してそれをノートに書きだせと言うのだったが、これは英語の学習法としてどう考えてもおかしいものだった。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で書いていたが、このタイプの問題まで、普段の学習ですべての英文をいちいち日本語に訳していちいちそれを紙に書いていたのでは、実際の試験においても、そのタイプの問題が出題された時に、いちいち、すべて日本語に訳して、しかも、それを紙に書きださないと問題を解けなくなってしまう。そうではなく、このタイプの問題は、全文を訳さなくても解けるようにしておかないと、実際の試験の時にも、全文を訳してそれを紙に書きだしてしないと解けなくなってしまい、そのやり方では試験時間中に全問を回答することができなくなって、それが原因で試験に落ちることになってしまうから、このタイプの問題は普段から全文を訳して紙に日本語の文章を書きだすようなことはしないで解くようにしないといけない、というのだが私もそう思う。柴田孝之はその点で言っていることは正しい。それに対して、YMCA予備校の「主事」の藤井はその逆を言っていたのだが、それに何か論拠があったのかというと何もなかったのだ。それが好ましい学習法か? 違うと思う。 訳3は、英語の長文を集めたもので、これは、本来、長文を読む練習と、長文を読みながら、そこに使用されている英単語・英熟語を覚えて語彙を増やすためのもののはずで、それならば、英語のままで意味を理解するようにするべきで、いちいち日本語にして紙に日本語の文章を書きだしてということをしていたのでは、時間がかかってしまって、この訳3というテキストの趣旨に反する、単語熟語の語彙を増やすという目的にも、長文の全体の意味をすばやく把握する練習という趣旨にも反することになる。なぜ、趣旨に反することをさせたがるのか、というと、これも理由はなかったのだ。藤井が何もわかっていなかっただけである。
  英文法については、YMCA予備校が作成した不完全な英文法のテキストを、講師が前から順番にやっていくというものだったが、京大東大文系クラスに来ている受講生ならば、英文法はひととおりは高校までで学習してきているのだから、一度やったことをまたやるよりも、むしろ、京大・東大の試験問題に絞った対策をとるべきであったはずであった。
  英作文はというと、短い日本語の文章を並べただけで、それを英語に訳してこいというもので、授業ではどこかの私立大学の教員をやっているらしいアルバイトの講師が答え合わせみたいなことをやって、それだけでは時間が余るので、たいして面白くもないおしゃべりをして時間をつぶしていたが、あれは効率が悪い。単なる答え合わせならば、YMCA予備校のテキストとアルバイトの講師による答え合わせではなく、市販の英作文の問題集で自分で作文して、自分で解答を見て答え合わせをすればいいことで、その方がよっぽど効率的だった。  又、東大の二次試験の英作文は、他の多くの大学の入試問題と比べて長い文章を英訳せよというものが出題されたのだが、長い文章というのは、要するに短い文章の組み合わせであるから、長い文章だから難しいということでもなかったのだが、それでも、やはり、その長い文章の英訳というものに慣れていないと、試験の時に面食らうところがあったので、そういうものをやるべきだったにもかかわらず、YMCA予備校の英作文の問題集というのは、「京大東大文系クラス」においても単なる「文系クラス」と同じテキストで、同じ内容をやっていたのであり、実質、京大東大文系クラスではなかったのだ。それなら京大東大文系クラスの授業に出ている意味はあまりない。そうではなく、「京大東大文系クラス」というのなら、京大・東大の二次試験の問題とそれを回答するための技術の習得に時間をかけるべきであり、単なる「文系クラス」と同じことをやって、残った時間はおしゃべりの時間にしていたのでは、それでは高槻まで時間をかけて往復する意味がなかった。
  又、訳1にしても、英作文にしても、授業は単なる答え合わせでしかなく、単なる答え合わせであれば、予備校に行かなくても問題集で自習できるわけで、問題集で自習した方が効率はいいはずで、授業の価値というのは、答えあわせではなく、英文解釈・英文和訳の問題ならば、こういう書き方よりもこちらの書き方の方が採点者の評価は高いはずだとか、この書き方だと減点されるだろうとか、そういった指摘があってこそ価値があるはずだったが、そういうものは何もなかった。 答え合わせしかできない講師の授業ならば正解がきっちりと記載されている問題集で自習した方がよっぽどいい。あれならば、問題集で自習する方が効率は良かったはずだ。そして、何よりも、京大東大文系クラスなのに、なぜ、単なる「文系クラス」と同じテキストなのか。駿台では東大受験クラスと単なる国立大受験クラスがあったはずで、代ゼミでは東大受験クラスと国立大受験クラスと私大受験クラスがあって、授業の内容は違ったはずだが、YMCA予備校の場合は、「京大東大文系クラス」と単なる「文系クラス」で、テキストも授業の内容も同じであり、単に、「京大東大文系クラス」の方が、最初の時点で学力のある生徒が来ていたというだけの違いだった。それでは京大東大文系クラスではない、それでは「京大東大文系クラス」とは言えないはずだった。そんなテキストと授業を受けるより、もっと適した授業のやり方があるはずだ。
  YMCA予備校の京大東大文系クラスの臨時講師に来た京大文学部の大学院生は、そのあたりを理解できていなかったのか、理解していたがYMCA予備校からアルバイトに雇われてきている者なのでYMCA予備校の事務職員が決めたことに反することは言えなかったのか。 亜拓大東帝国あたりしか出ていない事務職員の指示にしたがって言われた通りやっているような京大か阪大の大学院生、京都かどこかの私大の教員というのは、亜拓大東帝国あたり卒の人間に命令されてやっているアルバイトのやることなんて、たいして価値のあることではなく、自習した方が効率はいいと思われた。又、「YMCAのテキスト」というものを「主事」の藤井は「YMCAのテキストは市販されていなくて、YMCAのテキストを欲しいという人がいっぱいいるのだから」とかまたもや嘘をついていたが、YMCA予備校のテキストというのは、全国の大学入試の問題を集めて表紙にYMCA予備校と印刷しただけのもので、そんなものは、一般の書籍から同様のものは市販されており、かつ、市販されているものの方が誤植はずっと少なく信頼性があった。又、市販されている問題集には解答がついているのに対して、YMCA予備校のテキストには解答がついておらず、答え合わせしかできない講師にとっては問題集に解答がついていない方がやりいいかもしれないけれども、受験生にとっては解答がついている問題集で自習した方が効率は良かったのだ。
  そもそも、京大東大を目指す受験生ならば、受けもしない大学の過去問なんてどうでもいいのだから、京大と東大の過去問、それに、他の大学で受けることになる可能性があるかもしれない所として、阪大あたりの問題と慶應大・早稲田大あたりの問題と共通一次試験の対策だけをやればいいことで、受けない大学の問題なんてどうでもいいことだったのに、どうでもいい問題も大量に集めた問題集というのは、そういうものについての授業時間が多すぎて、本当に必要なことをやる時間を奪っていた。
  たとえ、それでも、「量的には」YMCA予備校のテキストと授業は、英語に関しては十分な量であったことから、それで、京大の文学部に通る人もあったであろうけれども、京大なり東大なりにそれで落ちる人だってあったはずだ。 「量的に十分」というのはいいとは限らない。それだけ、量が多いということは、京大東大の試験に直結しないものを「量的に十分な量を」させられるということであり、それが京大東大の試験対策に費やすべきであった学習時間を奪うことにもなるのだった。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」であり、そんな学習法でも京大文学部に通る人はあったわけだが、それよりもっと効率的な学習法を取っておれば通ったのに、そんな効率の悪い学習法を強制されたことで落ちた人だってあったはずで、「人間は成功したものからは学ばんものなんや」ということで、京大文学部に合格してしまったことから、相当問題点のある学習法を、「英語に関してはだけども」としても、「YMCA予備校のやっていることでそれでいいと思う」と思うようになってしまっていたのだった。 「勝ちに不思議の勝ちあり」で、その京大文学部に通って大学院に行っていた人は、まだまだ、問題点を抱えていたにもかかわらず、それに気づいていなかった、ということである。かえって、落ちた人間の方が問題点に気づき、通った人間は、決して最高ではない学習法を「通る学習法」のよう認識してしまっている、というケースはあるのだがその例だと考えても良かったのではないかと思う。

   YMCA予備校の「心理テスト」「適性テスト」の扱い方の間違いについて、今回、述べるつもりであったが、その前段の問題として、YMCA予備校の問題点を少しだけ述べておきたいと考えたが、その少しだけでもかなりの字数になったので、YMCA予備校の問題点は、この稿ではこの程度にして、それは後に別の稿にてじっくりと述べることにして、YMCA予備校の「心理テスト」「適性テスト」の扱い方の間違いについては、次回、述べることにしたい。

  なお、ここで述べた大学入試の話は、私が高校を卒業した1970年代後半から1980年代前半にかけて、昨日のことのような気がするのだけれどもふと気づくと40年ほど前の話であり、現在でもあてはまるものもあれば、現在では変わっていてあてはまらないものもあると思います。受験生の方で読んでくださる方があった場合は、今もあてはまるものか、基本的な考え方としては変わらなくても今現在ではそのままはあてはまらないものか、自分自身で吟味分別して考えていただきたいと思います。

  (2020.4.29.)

★ 受験生へのエール
【1/ 】 『家族の政治学』に苦しむ人へ。高校教諭を信頼するな! https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_2.html
【2/ 】「あと5本なら工夫すれば」「後期は阪急に3つ勝てば他は全敗しても」という姿勢か逆かで合否は変わる。「ID野球 弱者の戦術」から考える大学受験における姿勢。拝み屋の「家族の名前を変えなさい」ははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_3.html
【3/ 】「適性テスト」で向いていると言われても行きたくない学部・向いていないと言われても行きたい学部があると思って受けなかったが、勝手にひとに「適性テスト」をやる女が教諭にいた、という話。飛込自殺した人にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_6.html
【4/ 】 受験の経験のない人間が指示指導するYMCA予備校は無茶苦茶。大学受験でも「成功」した人間は成功でない部分も成功と考える場合がある。社会科論述式問題の表記のしかたについて。小此木啓吾の本を喜ぶ人間はキャバクラに行ってキャバ嬢に説教する男と一緒。「フォアグラ型文治派」と「文武両道型文治派」――〔今回〕
【5/ 】 「適性テスト」「作文のテスト」に読書調査までやって受講生を統制しようとするYMCA予備校は害がある。気に入らない人間には「文学的素養がない」と悪口雑言を浴びせる「敬虔なクリスチャン」。「民族の違い」を作った「神は死んだ」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_1.html
【6/ 】 なぜ、地方国立大学は論文・小論文を試験に課したか。地方大学で「論文」「小論文」「面接」が試験にある大学を受ける場合 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_2.html
【7/ 】
弁護士をめざして56歳からの挑戦―司法試験一発合格 - 加藤 裕治
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現代精神医学解体の論理 (1975年) - 森山 公夫
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現代社会学大系〈12〉権威主義的パーソナリティ (1980年)
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基督信徒のなぐさめ (岩波文庫) - 内村 鑑三
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野村克也 100の言葉 - 野村 克也
野村克也 100の言葉 - 野村 克也
《 「失敗」と書いて「成長」と読む。
・・・「なぜ打てなかったのか」、「何が足りないのか」。負けた試合は反省するが、勝った試合の反省はあまりしない。短所や弱点と向かい合おうともしない。大切なのは次に失敗しないように、考えること。成功や勝利にただ満足してはいけない。 》
( 野村克也『野村克也 100の言葉』2016.11.25.宝島社 ↑ ) 

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