クリスマスはイエスの誕生の日ではないらしいが、それでも認められない 山下達郎「クリスマスイブ」なる冒涜ソング。及、今も存在するドイツ人の文化的覇権主義。及、夜空を照らす「津田沼 ザ・タワー」は住民に迷惑です。

[第475回]
   もう、12月になってしまった。三菱地所レジデンス(株)が代表事業者になって、千葉県の船橋市と習志野市の境目付近の習志野市、千葉県習志野市谷津1丁目15、JR「津田沼」駅の南の建造している「津田沼 ザ・タワー」という最高高さが160mを超える野蛮・醜悪な建造物、巨大な人工の岩山は、私がそういうものを造ってもらっては困ります、と言っても無視して、ますます工事が進められており、最近では、屋上の「ペントハウス」ができてさらに高くなって視界を塞ぐようになりました。 こういう「高層マンション」の広告を見ると、「すばらしい眺望」「完璧な眺め」とかいうコピーが出ていることが多いのですが、自然な地形の山側に住んでそれなりの眺望の所に住んでいた者の眺望を阻害するものを人工的に造っておいて、なにが「すばらしい眺望」だ、なにが「完璧な眺め」だとその傍若無人な文句にはあきれます。
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  ↑ 12月に入って、屋上にペントハウスができた「津田沼 ザ・タワー」(2019年12月12日撮影)。 ペントハウスがなくても目障りな障害物でしたが、なおさらのものになってきました。 我が家は、北が高く南が低い土地の家屋に住んだのです。南にこのような巨大な障害物がある土地に住んだのではありません。付近に↑ のようなものが建っている工場地帯か何かに住んだのではないのに、なにゆえに、↑のようなものを造られなければならないのか? そもそも、↑のような巨大な箱に住みたい人は、なにも、JR「津田沼」駅まで快速に乗って帰ってこなくても東京都内に住めばいいことなのです。そう思いませんか?
 さらに・・、「津田沼 ザ・タワー」は何を考えているのか、夜間、光るようになってきました。
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迷惑な話です。事業主である三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動産(株)と施工者の(株)フジタ、及び、この「マンション」の購入者は、船橋市民・習志野市民から夜を奪うつもりなのでしょうか?  彼らは自分たちにそのようなことをする権利があるとでも思っているのでしょうか? 


  さて、12月というと、12月24日は、街の雰囲気があんまり好きではない・・けれども、戸建住宅建築業の会社に勤務していた時は、「締め日」が12月25日でしたから、年末、最後の契約をしてもらえるかどうかという時期で、「クリスマスどころじゃない」状態でした。

  クリスマスというのは何の日なのか? クリスマスケーキを食べる日なのか? 「会社」という所においては、忘年会と一緒くたになってしまっている場合もあるのですが、これはキリスト教の行事のはずでした。 大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(1978.4.20.みすず書房)に所収の「真理への畏敬」(1961年12月2日に催された「矢内原忠雄先生信仰五十年記念講演会」における講演の記録。藤田若雄・富田和久・大塚久雄『真理への畏敬』みすず書房 1962年4月 )には、
《 これも皆さんが十分ご存じの事実でありますが、私、二、三年前のこと、十二月二十四日つまりクリスマスの前夜にたまたま都心に出る用事がありまして、夕方近くタクシーで銀座から新橋を通りかかり、そこであのタクシーの洪水の中に巻き込まれて、出るに出られなくなってしまいました。それで、どうにもならないで、その混雑の解けるまでその中でじっとしていたのですが、いろいろな物を見ることができました。私は足が悪いので、ふだんはあまり外に出ません。それで、こういうことは極めて稀なので、あまりにも強い印象を受けたのかもしれません。が、私は正直なところを申しまして、それから十二月の二十四日をクリスマス・イーブと言うのがいやになってしまいました。いったい、あれは何という醜態でしょうか。はっきり申しますが、「私は真理を証しするものである」、そして「その真理はあなた方に救いを得させるであろう」、「・・・・自由を与えるであろう」と言われた方、「私は道であり真理である」と言われた方の、いやしくもそういう方の、それもですね、富豪の息子や貴族の息子として生まれたのではない、貧しい大工の息子として、生まれたときは飼葉桶のなかに寝かされたという、その人の誕生を祝うのにふさわしいことなのでしょうか。あそこに見られるものは浪費また浪費であります。この時代の徴候を皆さんは何とお感じになるのでしょうか。このごろ浪費は美徳であるという言葉をさせ聞くようになりました。それはどういうことか。物をたくさん売ってはもうけるには人々に浪費させた方がいいというような考えから来ているのかもしれませんが、とにかく、そこでは何か生産的な勤労を尊び、それで他人に奉仕しようという心の持ち方は、どうやら消えてしまっているようであります。・・・ 》
という文章が出ています。私は、最初、経済学者というのは、ブタ人間みたいな人格の人間がなるものかと思っていたのでしたが、大塚久雄は経済学部の教授でも経済史の学者ですが、そうではなかったのです。これを読んで、クリスマスについて、やっぱり、思う人は思うんだなあというのが私の感想でした。

   クリスマスというのは、ナザレのイエスが生まれた日・・と言われてきたように思います。私はカトリックの幼稚園に行っていましたので、幼稚園の時から「クリスマス」というものは「イエスさまのお生まれになった日」みたいに言われてきました。 大阪市の私が住んでいた地域には、カトリックの幼稚園と生長の家の系列らしい幼稚園とがあったのですが、小学校ではこの2つの幼稚園の出身者が同じ市立の小学校に行ったので他方の幼稚園の様子も聞きましたが、生長の家の系列の幼稚園に行っていた人も幼稚園では「クリスマス」はおこなっていたようでしたが、やっぱり、カトリックの幼稚園の方が「キリスト教のクリスマス」、「本来のクリスマス(にいくらかなりとも近いクリスマス)」をやっていたようでした。
   最近では、幼稚園は3年保育が多くなってきたようですが、私が幼稚園児だった1960年代なかば頃は2年保育が普通で、年少組2クラス、年長組2クラスがあり、毎年、年長組のどちらかのクラスが「イエスさまの誕生」の劇をクリスマスに演じていました。すべての園児が何かの役をできるように配慮されていましたが、私は、「救世主がお生まれになった」というのを知ってかけつける3人の賢者のうちの1人、2番目の人の役だったように思うのですが、セリフは一言だけありました。 イエスの役をやりたい♪・・てたいていの園児は思ったと思うし私も思ったのですが、まず、先生が「じゃあ、イエスさまは◇◇くん」とまっさきに決めてしまい、その◇◇くんて、先生が主役に抜擢するくらい優秀なのだろうか・・なんて思ったものでしたが、大人になって考えると、あれは、幼稚園の経営者の縁故かそれとも多額の「特別献金」した人の息子なのか何かなのか・・なんて「大人の事情」を憶測してみたり・・、いかにも、なんかありそうな・・て思いませんか?  今は昔、「大学への数学」という月刊誌がありまして、読者投稿欄というのが巻末にあって、そこに、
「 【問題】下記の文章の空欄に適切な言葉を下の選択肢より選べ。
 シダイはやっぱり(  )シダイ。
 [選択肢] 九州 努力 カネ コネ 運 大阪  」
なんてのがありましたが(笑)、もしかして「天国の沙汰もカネしだい」・・てとこ?????
  幼稚園児の頃は、イエスさまの役・・なんてやりたかったけれども、今となってはそんなのやりたいと思わないですね。何の役をやりたいかというと、イエスの劇だと、やはり、イスカリオテのユダの役とか、もしくは、「あなたもあの人の仲間のはずだ」と言われて「あんな人はまったく知らない」と言い張るペテロの役とか、十字架につけられたイエスに隣から「人を救ったがおのれを救うことはできない。もし、おまえが神の子なら、今すぐ十字架から降りて自分を救ってみろ」と言う盗賊の役とか、もしくは、イエスを罰することに逡巡するピラトの役とか、「キリストというイエスかバラバか、どちらを助けてほしいのか?」とピラトから言われて「バラバ~ス!」と大声で叫ぶ男の役とか。そういうのを今ならやりたいですね。あるいは、目隠しされたイエスを後ろから殴りつけて、「おまえが神の子なら、今、殴ったのが誰かあててみろ!」と言う男の役とか〔「この野郎、特別献金で主役とりやがって。思いしれえ」て思いきり本気で殴ったりして・・(笑)〕。なにしろ、神さんちゃいますから、神さんの役なんてけっこうです。

  それで、クリスマスというのは、「イエスさまがお生まれになった日」と、たしか、カトリックの幼稚園で先生から教えられたような気がするのだけれども、ところが、そうではないという説があるらしい。常識のウソ研究会編『みんなが誤解している雑学ーあなたの常識を覆す200の雑学』(2019.10.22.彩図社)の「86 クリスマスの由来はキリスト教ではない」に、
《  クリスマスはキリスト教が由来と思いきや、実はその起源は異教の祭りと言われている。
  古代ローマでは冬至の日に「不敗の太陽神(ソル・インウィンクトゥス)」の再生を祝う祭典があった。そして同時代、キリスト教が公認される前のローマ帝国で、古代インド・イラン発祥とされるミトラ教が広まっていた。ミトラ教は太陽神ミトラを信仰する宗教で、ミトラ教徒はローマの「不敗の太陽神」とミトラを同一視し、当時の暦で冬至である12月25日にミトラの再生を祝うようになった。
  ミトラ教は帝国全土に広まったが、次第にキリスト教が発展し始めた。当時はキリストの誕生を祝う習慣がなかったが、キリストがこの世を照らす光とされていたこともあり、ローマ教会は太陽神ミトラとキリストを重ね合わせた。そしてミトラの再生を祝う祭日である12月25日が、キリスト教ではキリストの誕生を祝う日として定められ、クリスマスとして現在まで続いているのである。なお、12月25日はキリストの「誕生日」ではない。以上の理由から、あくまでキリストの「誕生を祝う日」なのだ。
と出ている。

  なるほど。12月25日は、ナザレのイエスの「誕生を祝う日」であって、ナザレのイエスの「誕生日」ではないそうだ。それはわかった・・けれども、だ。だから、12月24日のクリスマス・イブなどを「聖なる日」ではなく「性なる日」に変えてしまってオッケー・・てことになるか? 私はならないと思う。
  12月25日がイエスの「誕生を祝う日」であって「誕生日」ではなかったとして、だから、山下達郎の不愉快な歌を無理矢理聴かされるのを我慢せえ、と言われなきゃならんのか? 違うと思うぞ。 「誕生を祝う日」であるか「誕生日」であるかは関係ないと思うぞ。
  《ウィキペディアー山下達郎》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%8E を見ると、「経歴」に《1968年4月、都立竹早高校に入学。都立の進学校入学の褒美として、以前から欲しかったドラムセットを買ってもらう。子どもの頃から興味のあった宇宙物理学者・天文学者を目指すも音楽に傾倒。また、進学校特有の管理的体制への違和感と国立一期校(当時)受験一辺倒なクラスメートからの孤立感に悩み、教員からは長髪を理由に恫喝を受けた。》と出ているが、私は関西の出身なので東京圏の高校をあまりよく知らないのだが、たいていの学校では卒業生にはいろいろな人がいるもので、「ガラケーの女」と一緒になって「あおり運転」やったおっさんが天王寺高校卒であったとしても、天王寺高校出身者が誰もがあんなことやっているわけではないのと同じく、竹早高校出身者にもいろいろな人がいるのではないかと思うけれども、もしも、仮に山下達郎みたいな野蛮人が「都立竹早高校」出身者だとするならば、そんな高校は「進学校」じゃないな。
  世間では、「クリスマス」はキリスト教徒でなくても、「なんとなくクリスます」やっていて、まあ、やっていけないとまで言うつもりはないが、それでも、やっぱり、「キリストの誕生日」でなくても「キリストの誕生を祝う日」であるからには、そのあたりをわきまえて、そのあたりを考える日であるべきであり、クリスマスを「彼女とべたつく日」にしてやろうとしてあちらこちらで耳を塞ぎたくなる山下達郎の下品な歌を流すのはやめてもらいたいものだと思う。

  「すき家」では、クリスマスあたりに流すバックミュージックに、これを流してほしい♪ と思う歌を募集しているそうな。 とすると、私なら、『マタイ受難曲』を聴きたい。 たしか、『讃美歌 第二編』にも、『マタイ受難曲』の中で歌われる歌、『クリスマスオラトリオ』でも歌われる歌が入っていたと思う。 ともかく、日本でクリスマスというと、私の印象として、キリストが生まれた日というよりも、キリストが十字架に着けられた日・・て、なんだかそんな感じがする日なのだ。
  山下達郎の「クリスマスイブ」という歌は大変、不快感を覚える歌である。もしも、山下達郎の「クリスマスイブ」なんてあんなものが好きだという人がいるのなら、自宅で聴いてもらいたい。強く不快感を覚える者がいるということを理解してほしい。強く不快感を覚える者がいるからには、公共の場であの「歌」を流さないでもらいたいのだ。


  昨年だったか一昨年だったかの12月、近所のファミリーマート 船橋飯山満町店 で、山下達郎の「クリスマスイブ」という不快指数が上昇する「歌」がかかっていたので、経済制裁とまでのつもりはなかったが、ともかく、不愉快なので、その時から向こう1か月はファミリーマート船橋飯山満町店は利用しない・・・ということにした。 近所だし、ファミリーマート船橋飯山満町店ができる前はその場所はガソリンスタンドで、そのガソリンスタンドもよく利用していた店だったし、けっこうよく利用していた店だったのだが、ともかくも、それから1か月間は利用しない、ということにした。コンビニなんて他にいくらでもあるから、だから、その店を利用しないことにしても他のコンビニを使えばいいことだし。
  それで・・・、最初は前からのくせで、クルマを運転していると、うっかり入りそうになったのだが、「いかん、いかん」と思ってやめるということを何度かおこなったところ、他の店を利用していると、それで困ることもなくなり、1か月を過ぎた後、もう、山下達郎の不愉快な歌も季節外れになっただろうし、そろそろいいかな・・・などと思ったのだが、ところが、不思議なことに、1か月少々利用しないでいると、体がそれを覚えて、今度は、「別に、不愉快な歌をかける店なんて、無理に利用しなくても、コンビニなんて他にもあるんだから他の店でいいかな・・・」なんて思うようになり、それ以来、ファミリーマート船橋飯山満町店は利用しなくなった。「経済制裁」までしたつもりはないし、私が利用しなくても他に利用する人はいるだろうけれども、まあ、そんなもんだな。
  「すき家」の、クリスマス頃に流してほしい歌の募集にも、「これは流さないでもらいたい歌」という逆募集があれば、「山下達郎の『クリスマスイブ』という不真面目な歌だけはやめてほしい。もし、流したらその店は利用はやめます」と書いて応募してやるのにな。


  それから。 かつて、ドイツという国とドイツ人は「世界に冠たるドイツ」などと傲慢なことを言って、自分たちが世界を指導し世界に命令するみたいなことを言うておったことがあった。 さすがに、戦後はそういう考え方はいかん! とドイツ人自身が考えるようになったようだ・・・・と思っていたのだけれども、ところが、そうとも言い切れないようで、ある知人から言われたのだが、ドイツ人で、クリスマスに山下達郎の「クリスマスイブ」などという「聖なる日」を「性なる日」に変えてやろうというような歌を、それが好きな人が自宅で聴くのならまだしも、世間一般にそういうものを流すのは、ちっとも悪くない、と主張し、それを日本人に教えてやろうという人というのがいるらしいのだ。まるで、慶應の内部進学の人間みたいなヤカラだと思う。
  慶應大学という学校は「最低でも高校から行った人間が本物の慶大生」などという学校で、1980年代、慶應大学の内部進学の生徒は「外部の連中(慶應の内部進学の人間は大学だけ行った人間のことを『(慶應義塾の)外部の者』『(慶應義塾の)外部の連中』と言う。えらい悪かったなあ!)を教育してやらんといかんからなあ!」などと口にするのだった。慶應の内部進学の学校に行くとそんな人間になるということだ。agriculture を agriculture と発音するやつ、種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うやつが、「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」などとふんぞりかえって言うわけだ。なんで、おまえなんかに「教育」されんといかんのじゃあ! と思うのだが、そういうことを口にすると、慶應心理学から「自我が確立されていない」とか「未成熟」とか「不適応」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とかなんとかかんとか「診断」されるおそれがあるから怖い、こわい、コワイ、怖い!!!  「治療」と称して「人間による人間の加工」をされてしまう危険もある。 「朝日新聞」に、昔、載っていた話だが、王貞治は台湾人で、子供の頃からお父さんに「我々はここでは外国人なんだ。だから、周囲の人に好かれるようにしないといけないんだ。決して人に嫌われてはいけないんだ」と教えられたそうだが、「慶應義塾大学という所においては、大学だけ行った人間というのは外国人・異邦人なんだ。だから、ここではそれを認識して生きるようにしないといけないんだ」と、そんな感じだった。「会計学総論」という講義の最中、黒川行治というその時、30歳だった助教授(その後、教授になり、今は名誉教授らしい。あんなやつが)がマイクに向かって、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだあ! わかってんのかあ。内部進学のこの僕がおまえら外部の者に話をしてやってるんだぞ。わかってんのか。内部進学のこの僕がおまえら外部の者に口きいてやってるんだぞ。もっと、ありがたく思って畏まってききなさい。わかってんのかあ~あ!」と絶叫なさった・・ということがあった。それが内部進学の人の「常識」でありそれが慶應義塾という学校の本質であり、それが「福沢精神」でそれが「独立自尊」というもので「慶應心理学」はそういう人のことを「思考が柔軟」とか「自我が確立されている」とか「診断」するようだった。 なんだか、「ドイツ人」というのは慶應の内部進学の教授みたいな民族のようだ。種無しブドウを人に皮むいてもらってスプーンですくって食うのかもしれん!!! 「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」というもので、そういう食べ方をすると「ギャルにもてもて♪」・・・となるのかもしれん!!!(そういう人というのは、たいてい、社長の息子とかなので、私なんかと結婚するよりは、そういう種無しブドウをひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う男と結婚した方が女性にとってはよっぽど幸せでしょうし、その意味で「ギャルにもてもて♪」であるのは間違いないでしょう。一緒に食事すると「メシがまずくなる」のは間違いないけれども。)

   私は、父から「わしはドイツ人やねんぞお。わしはドイツ人でアメリカ人やぞ、わかっとんのか、チャンコロっ! おまえはロスケでイタコでニグロでプエルトリコでチャンコロで浪商じゃ、おまえは! わかっとんのか、浪商! わかっとんのか、チャンコロ!!! 民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と毎日毎日言われてきたので、「ドイツ人」というものが嫌いになったのだ。父は「わしはドイツ人でアメリカ人の民族であって、慶應の階級じゃ。わかっとんのか!」という民族・階級だそうで、私は「おまえはロスケでイタコでチャンコロじゃ! おまえはチャンコロの民族で浪商の階級じゃ! おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもおまえは浪商じゃ、この浪商めがチャンコロっ! 浪商の分際で北野高校に行きおってからに、このチャンコロ浪商!!!」と私の鼻の頭を指で押しつぶすように、もしくは眼を指で突き刺すようにして、毎日毎日、何度も何度も叫ぶのであった。毎日毎日、そう言われ続けてきたので、「民族の違いを忘れるな!」「階級の違いを忘れるな!」と毎日毎日言われてきた者としては、それに対して、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と常に思うようになった。それから、「造反有理(反逆には理由がある)」とも。
   そういうことで、我が家では父は「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」で私は「ロスケでイタコでチャンコロで浪商の民族」であったので、だから、「ドイツ人」と「慶應」は嫌いなのだ。たしかに、言われてみると、父は慶應みたいなところがあったように思う。「わしはおまえとはちごうて慶應やぞお」とか言うておったが、たしかにそう言うだけあって、父は慶應出てなくても慶應みたいなところがあった。私は、ともかくも、慶應大学の卒業証書をもらったけれども、卒業はしても、人間としてはあんまり慶應的ではないし、「慶應タイプ」ではない。
   それで、なんでも、聞くところによると、ドイツ人というのは今でも「世界に冠たるドイツ」みたいに思っている人がいて、キリスト教の基準から考えて良いか悪いか、ドイツ人が非ドイツ人に「教えてやる」という思想・意識・認識の人がいるらしいのだ。そういうドイツ人が、山下達郎の「クリスマスイブ」というのを、「ちっとも悪くないですよ」とお決めになって「日本人に教えてくれた」らしいのだ。
   しかし。父は「おまえはロスケでイタコでチャンコロじゃ」と言うので、私はそういう「民族」らしく、父が「ドイツ人でアメリカ人」なら私もそうなのかというとそうではなく、「わしいのような優秀な人間にあんたあみたいなカスが生まれてきたというのは、これは生物学上の突然変異学説によるものなんや」という話だったので、私は父とはDNAはつながってないらしいので(すっとした♪)、私は「ドイツ人でアメリカ人」ではないらしく、良かった、ほんとに良かった・・てところなのだが、ともかくも、日本人である私としては、その「世界に冠たるドイツ人」とかいうおえらい民族に、キリスト教とか、クリスマスとかについて、「教えてもらう」必要はないのであって、マルティン=ルターが「聖書に帰れ」と言ったように、キリスト教の教えに合致しているかいないかを考えるものさしは『聖書』以外には何物もないのであって、かつ、『聖書』の教えに合致しているかいないかはそれぞれの人間が自分自身で判断するものであり、ドイツ人に教えてもらう必要はまったくないし、そのドイツ人という人は、慶應の内部進学みたいに「教育してやらんといかんからなあ」などという態度を非ドイツ人にとるのはやめてもらいたいのだ。もしかして、その「ドイツ人」というのも、種無しブドウをひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う、という「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」をやってる類の人なのか・・・それはどうか知らんが、「ナザレのイエスの誕生日」であるのか「ナザレのイエスの誕生を祝う日」であるのかにかかわらず、クリスマスのあり方について、「ドイツ人」とかいうおえらい民族に決められる筋合いはないし、「ドイツ人」に「教育」される筋合いもないのである。 むしろ、そのような傲慢な態度でいるようでは、ドイツは大丈夫か? ネオナチの復活とか心配ないのか? ・・・という思いがする。

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〔 ↑ さいとう たかを『ゴルゴ13』「五十年の孤独」 (「ビッグコミック」1994年16・17・18号に掲載)
 さいとう たかを『My First BIG ゴルゴ13 プレミアム アンコール [SILENT MEMORIES(サイレント メモリーズ)]』2012.6.6.所収 〕
・・ちなみに、イスラム教の立場では、十字架につけられたのはイエスと似ている別人であってキリストであるナザレのイエスはユダヤ人によって十字架につけられてはいないことになっており、その認識に基づけば「キリストを磔刑にかけたユダヤ人を抹殺するのがキリスト教徒の義務だ」といった発想が出てくることはありえないないことになる。
  いずれにせよ、何がキリスト教の考え方から正しく何が間違っているか、かつて、「キリストを磔刑にかけたユダヤ人を抹殺するのがキリスト教徒の義務」だと言い張った者がいた「ドイツ人」(そんなものがキリスト教徒の義務ではないはずだが)に教えられたくはないものである。

  映画『マルコムX』では、キリスト教の牧師だったか聖職者が西洋の絵を見せながらキリストの生誕の話をしていたところ、マルコム=Xが「その絵は間違っている」と言う場面がある。「イエスはイスラエルの人間であり有色人種のはずだ。白人の姿に描かれているその絵は間違いだ!」とマルコムは言う。 「聖者と悪魔との戦いだな」と言ってマルコムの論戦に応じた白人の聖職者のごとく、日本人にキリスト教とクリスマスについて「教えてやる」という姿勢で、山下達郎の「クリスマスイブ」という歌はちっとも悪くない! と日本人に教えてやろうというドイツ人というのは、いわば、マルコム=Xにキリスト教を教えてやるという姿勢で臨んだ白人の聖職者のような意識・精神の人間なのだろう。そういう人間のその傲慢な意識を改めさせようと思っても、慶應の内部進学の人の「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」という傲慢な意識を改めさせようとしても不可能であるごとく、絶対に無理である。そういう人がドイツ人なのか? ドイツ人にもいろいろな人がいるのではないかと思うが、ネオナチそのものの傲慢な意識のドイツ人もまたいるのは事実として否定できないようだ。

  今年も、山下達郎の「クリスマスイブ」というキリスト教を冒涜する歌を流す店は何軒かあるのだろう。そういう店ではその日の月とその次の月、1か月少々はその店は利用しないようにする、と私は決めている。 その後、どうするかは決めていないが、一度、利用をやめると、その後、「別に無理に利用しなくてもいいよなあ」という気持ちになることがある。

  ちなみに、常識のウソ研究会編『みんなが誤解している雑学ーあなたの常識を覆す200の雑学』(2019.10.22.彩図社)によると「インド人はほとんどターバンを巻かない」そうで、普通のインド人は日常的にタイガー=ジェット=シンみたいな格好しているわけではないらしい。たぶん、サーベルも持ってないだろう。

  (2019.12.12.) 

  きょう、すき家 船橋市場店 に行ったら、なんと、山下達郎の「クリスマスイブ」という不快指数が上昇する歌がかかっていたのだ。この店はよく利用する店だったが、残念だが、残りの12月と1月末までは、すき家 船橋市場店 は利用しないことにする。 まことに残念である。 (2019.12.12.)

  千葉県船橋市と習志野市の境目付近の習志野市に「津田沼 ザ・タワー」と称する人工的岩山を造り、そこに入居者を大量に入れれば、その周囲の店舗は繁盛する、それにより、その北側の船橋市域の戸建住民や中層マンション住民が迷惑しても知ったことじゃない! という姿勢で、習志野市商工会議所はこの「津田沼 ザ・タワー」の建造を推進したらしいが、船橋市民はそういうことをする習志野市商工会議所の傘下の商店で買い物する必要はないし、習志野市商工会議所の傘下の業者に仕事を依頼してやる必要もないわけだ。 我が家などは船橋市と習志野市の境目に近い船橋市に住んできたので、船橋市で買い物するか習志野市で買い物するかなんてそれほど難しく考えないで生きてきたけれども、習志野市商工会議所が習志野市の業者が儲かれば船橋市域の住民の環境がどうなってもかまわん! という姿勢でいるのなら、何も物好きにそんな商店・業者に利益をあげさせてやる必要はないわけだ。そうでしょ。そう思いますでしょ!!!
  (2019.12.12.) 

みんなが誤解している雑学
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生活の貧しさと心の貧しさ
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マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)
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ナチスの時代―ドイツ現代史 (岩波新書 青版 419)
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