父の日に(19-1)―いったん「買ってやる」と言ったら買うべき。お年玉は子供から取り上げるべきでない

[第457回]
  1970年代、北野高校の2年の時、国語の教諭だったU村が「現代国語」の授業の時に、「どうも戦争とかで死ぬ時は、たいてい『おかあさ~ん』と言って死にますな。『おとうさ~ん』とは言ってもらえない。父親というのはそのあたり、分が悪い」と話したことがあったが、ええがな、「おかあさ~ん」と言ってもらえる女性というのは自分の嫁はんやろうが。男の気持ちからすると、息子なり娘なりが「母の日」として母親に喜んでもらおうとしてくれるなら、それが父親にとっても喜びではないか・・と自分が父親でもおかしくない年齢になると思うようになった・・が、そうも思わないおっさんもいるようだった。うちの父親なんかは、思わない人種だったようだ。もし、男が自分自身で納得がいく女性と結婚することができて、自分が愛する女性が子供を産んでくれたなら、その子供が「母の日」にお母さんに何かしてあげようと思うのを見たなら、男として、自分が愛する女性が産んでくれた子供が自分が愛する女性に「お母さんに・・・してあげたい」と思う姿を見るのはうれしいことで、その姿を見ることができたなら「父の日」なんてどうでもいいよ・・てところだろうけれども、そういう結婚をすることができず、そういう夫婦の関係を構築することができない男は、「わしに感謝せえよお。わしにい~い!」と年中言うようになるのかもしれない。うちの父親はそういうおっさんだった。
  1990年代はじめ、警備員の仕事をアルバイトでやったことがあったが、私の父と同じくらいの年齢の男性が、6月の「父の日」すぐ後、なんだかおしゃれな帽子をかぶって出勤してきたので、「Kさん、その帽子、父の日のプレゼントですか」ときくと、「そうだよ。みんなで買ってくれたんだ」とうれしそうに言うので、この人は子供を大事にしてるんだなあ、娘に優しいお父さんなんだなあ・・と思ったということがありました。我が家は関西の家系でしたが、母方のイトコ(女性)が結婚して結婚相手の転勤で東京圏に住んだ時、「道を歩いていると、パパが乗ってるクルマと同じクルマが道に停まっていたのを見て、パパのことを思い出して涙が出てきた」と話したという話を聞いたので、あのおっさん、娘に優しいお父さんだったんだなあ・・と思ったことがありました。母は「うちの娘なんかはそんなこと言ったことない」と言いましたし、うちの父親はおよそそんなこと思ってもらえるようなおっさんではなかった・・と思ったのですが、当人はそうは考えないようで、「世の中にはなあ、ダメ父もおれば、カス親もおるので、わっしのような えっらいエッライお父さんばっかしと違うんや。もしかすると、このわしのことを『普通のお父さん』と思うておったかもしれんけどもなあ、違うねんぞ。わしは『特別に特別にえらいお父さん』やってんぞ。知っとったか?」と言うのでした・・が、知らんかった。というより、「普通のお父さん」の方がええわあと思ったものでした。父は「わしは聖徳太子でキリストでヒットラー総統のお父さんやねん。知っとったか?」と言うのでしたが、知らんかった。「わしはドイツ人やねんぞ。おまえとは民族が違うねんぞ」と言うのでした。親子なら「民族」は同じかと思っていたのですが違ったようです。父が「ドイツ人」だとすると、私は何人なんだ? というと、「おまえはチャンコロやねんぞ。よくも産まれやがってからに、このチャンコロ、ロスケ! イタコ! ニグロ! プエルトリコ! よくも産まれやがってからにこのチャンコロ!」と言うのでした。私は産まれなければ良かったのに産まれた人間だったようです。『聖書』を読むと、父親が息子に「祝福を与える」という場面が何度も出てきますが、父は私にその逆を何度もやってきたようです。父が「ドイツ人」で私は「チャンコロ人」だとすると、母と2人の姉は何人なんだ? と言うと、いつもいつも何かのおりにさりげなく寄ってきて父に加担する上の姉は父のお気に入りでしたから、「T子さんはおまえとは違って、ドイツ人やねんぞ」と言うことでした。父と上の姉は「ドイツ人」らしい。で、母と下の姉は「日本人」のようです。で、私が「チャンコロ人」と。父の認識としては「天の神さまはなあ、大変賢明なお方やねんぞ。この世の中はなあ、人に命令し号令かける人間ばっかしでも成り立たんし、かといって人から命令され号令かけられてせえっせせっせせっせと働く人間ばっかしでもいかんわけや。その両方の人間がおらんといかんわけや。天の神さまは大変賢明なお方であって、この世に2種類の人間を分けてお造りになったのであ~る。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかは人に命令し号令をかけるための民族で、わしとかT子さんはドイツ人でアメリカ人なんや。それに対して、チャンコロ!というのは常に人から命令され人から号令かけられて人に服従してせえっせせっせせえっせと働くのが向いていて、何より人から号令かけられることを喜ぶ民族なんや。あんたがそうや。あんたはチャンコロであって、常に人から命令され、人から号令かけられてせえっせせっせ、せえっせせっせとやるのが向いておって、あんたは何より号令かけられることがうれしい人間なんや。そんでもって、天の神さまは大変憐み深いお方であって、ドイツ人にだけではなく、チャンコロにもまたチャンコロとしての人生を用意してくださっているのであ~る。即ち、チャンコロには常に服従する人生というものを神さまは用意してくださっているのでR! 神さまに感謝しろ~お! チャンコロ!」と言うのであった。「天の神さま」というのはそういう存在らしい。「ドイツ人」は何でも何でも常にひとに命令し服従させなければならないと「天の神さま」がお決めになった「民族」らしいのですが、しかし、「日本人」は「ドイツ人」を見て時々思うようでした。「なんで、ドイツ人がチャンコロ人に命令し、チャンコロ人はドイツ人の命令をきくのに、日本人は命令し服従させることを認められないのか。不当ではないか!?!」と。下の姉は時々言いました。「なんで、あんたは私の命令をきかないの!?!」と。ドイツ人が中国に租借地を持つことが認められるのに日本が中国に租借地を持つことをドイツ・フランス・ロシアの三国干渉によって妨害されたというのはいかにも許しがたい!・・という意識だったようです。「日本人」は時々思ったようです。臥薪嘗胆、三国干渉で「ドイツ人」などに妨害された「チャンコロ人」を支配する「正当な権利」をいずれ取り返してみせるぞ、と。私は子供の頃は気づいていなかったのですが、どうも、我が家はそんな構図だったようです。父と上の姉は「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」だそうで私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族」なのだそうです・・が、もっとも、フリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』には、「神は死んだ!」と書かれているのですが、案外、「ドイツ人のお父さん」というのは、その「人間を2種類に分けてお造りになった」という「神は死んだ」というのを知らなかったかもしれません。
※「ドイツ人」→《YouTube-ワルキューレの騎行 》https://www.youtube.com/watch?v=0EUckxAgZ_E

  1980年代後半、コンピュータ関連のある会社で、入社式のすぐ後くらい、社員教育を担当する部署のおっさん(当時、50くらい?)が、「皆さん、子供が親から何かをもらったり何かをしてもらった時と、親が子供から何かをもらったり何かをしてもらった時とは、どこが違うか知っていますか」と言い、「教えてあげましょうか。教えてあげましょうか。教えてあげましょうか。教えてあげましょうか」と何度も何度も言ったものの、誰ひとりとして「教えてください」と言う者はなかったので、「そうですか。それならやめておきましょう」と言うか、それとも、「要りませんか。まあ、そう言わずに聞いてくださいよ」と言って話すかどちらかだろうと思っていたら、そうではなく、「はい。わかりました。それでは、教えてあげましょう」と言って話し出したので、それでは日本語としておかしいのではないか、と思ったということがあった。
  その人は「子供が親から何かをもらったり何かをしてもらった時と、親が子供から何かをもらったり何かをしてもらった時とは、どこが違うか」と言ったのかというと、「子供が親から何かをもらったり、何かをしてもらった時には、それはその物に対して喜ぶのです。それに対して、親が子供に何かをもらったり、何かをしてもらった時には、物に対して喜ぶのではなく、気持ちに対して喜ぶのです。それが子供と親との違いなんです。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか。わかりましたか」とまたもや、「わかりましたか」というのを何度も何度も言うのであったが、違うと思うぞおと思ったが、たいした会社ではなかったがともかくも会社の社員教育の担当部署のおっさんの言うことなので黙っていた・・が、そう思って黙って聞いている人間が多いと、あのおっさんは、あの間違った認識をその後も何度も何度も言いまくることになったであろうけれども、教えてあげて文句言われてもかなわんと思うと黙ってよかな・・と思う人間が多かったのではないかと思う。まったくつくづく、社員教育というのはくだらんなあ・・と思ったものだったが、なぜか、ああいうことを言いたがる症候群みたいなおっさんとは世の中にいる。
  1960年代なかば、私が小学校の1年の時、担任の先生が足し算・引き算・掛け算・割り算の計算について先に正答を言ったものが勝ちという試合をおこない、トーナメント大会で優勝者と準優勝者には「連絡帳」に「大変優秀でした」と書いてくれるというものを実施した。父が「次、優勝したらプラモデル買ってやる」と言い、そして、次、優勝した。家から小学校までの間に文房具店・プラモデル店が何軒かあり、店先のショーウインドウには子供が欲しがるようなものが並べてあった。当時、ゴジラとバラゴンという怪獣のプラモデルが置かれていて、同級生では両方とも買ってもらって持っていた者、片方だけ買ってもらって持っていた者が何人かいたが、持っていた者にきくとその頃の価格でゴジラは4000円したというので、「プラモデル買ってやる」と言うからには買ってくれるのだろうけれども、4000円もするものはよそは買ってもらえるだろうけれども我が家はまず無理だとあきらめていた。きっと、それよりもずっと安い物を「買ってやったった」ということになるだろうと思ったのだが、父が「あんた、どういうのが欲しいか」と質問するので、どうせだめだろうけれども、一応、言うだけ言ってみようと思い、「ゴジラが欲しいんだけれども、4000円もするから無理だと思う」と言ったのだ。そう言えば、「そうやなあ。いくらなんでも、4000円もするものは買えんわ。もうちょっと安いもんはないのか。プラモデル屋に一緒に行って、もうちょっと安いものはないかきいてみようや」とでも言うだろうと思っていったのだ。ところが、予想に反して父は「なんでいかんねん。4000円したってええやないか。何をわけのわからん心配しとんねん。4000円したってこうたるがな。心配いりませんて。他でもないこのわしがこうたると言うとるんやないかい。あほな心配すな。わしがこうたると言うたからには4000円しようがいくらしようが絶対にこうたるがな。よっしゃ、買いにいこ。ゴジラこうたる。心配すな。絶対にこうたる」と言ったのだ。これまでの経験から、よその子が買ってもらっているものでも我が家は買ってもらえないということが多かった。当時、『三匹の侍』というテレビドラマが放映されていて、金属製のおもちゃの刀を買ってもらっていた同級生がけっこうあったが我が家はそれより安いプラスチック製の刀しか買ってもらえなかったが、これなどは安いか高いかよりも、刃はついていないとはいえ金属製の刀は子供には危ないので買わないというのはわかったし今の私ならそれは買わない方が正しいと思うが、そういう場合でなくても、近所でアイスクリームを売っている店があって、当時、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームを売っていたが、我が家は10円のアイスクリームは買ってもらえたが20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえず、同級生も同じようなものだろうと思って、「あれ、一度でいいから20円のアイスクリームを食べてみたいなあ」と言ったところ、「なんでえ。そんなん、ぼく、何度も買ってもらって食べたでえ~え」と言われたことがあった。そういうことはしょっちゅうだった。だから、ゴジラもよそは買ってもらっていても我が家は無理だと思っていた。近所に◇◇アパートという貧相なアパートがあって、そこに住んでいた同級生Fも4000円のゴジラを買ってもらって持っていた。世の中、貧相な家に住んでいて実は会社の社長で相当年収がある・・なんて人もいることはいるけれども、よその家の懐具合なんてはっきりとはわからないけれども、それでも、どう考えても金持ちの家には見えなかったけれども、それでも、Fはゴジラを買ってもらっていたけれども、我が家は父は「わしはえらいねんぞお。わしはあ」とか言っていたが実際はそれほど「えらい」ことないだろうと思っていたけれども、Fの家に比べれば豊かだろうと思ったが、それでも、たとえ、「Fくんも買ってもらっていたよ」とかたとえ言ったとしても、「よそはよそ。うちはうちです!」と言われるだろうと思ってあきらめていた。しかし、その時は予想に反して、父は「こうたるがな。何をわけのわからん心配しとんねん。4000円が何やねん。心配せんでもこうたるて。このわしがこうたるといったん言うたからには絶対にこうたるがな。アホな心配すな。絶対にこうたる」と言ったので、びっくりするとともに、今回は買ってもらえるんだあ~あ♪ と思ってものすごくうれしかった。ところが、プラモデル屋に父と一緒に行き、父がプラモデル屋の奥さんに「その、ゴジラいうの、いくらしまんの?」ときくと、奥さんが「ゴジラは4000円です」と予定通り答えたところ、父は「ひえ~え。ふえ~え。ゴジラやなんて怪獣のプラモデルが4000円もしまんのか。冗談やないで、ほんま。怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円やなんて絶対に出したらいかん。出したらバチあたる。出したらいかん」とプラモデル屋の店で言うのだった。「4000円したって絶対に買ってあげますて。ほかでもないわしがこうたると言うたからには絶対にこうたるがな」と言われてプラモデル屋に行ったのに、プラモデル屋の店で「ふええ~え。ぎょええ~え。ひええ~え。冗談やないで、ほんま。たまったもんやないで、ほんま」とか言われたのでは、「冗談やないで、ほんま」「たまったもんやないで、ほんま」と言いたいのはこっちの方だった。そして、父は「あんた、ゴジラでないといかんのか」と言うので、「バラゴンでもいい」と言いました。ゴジラとバラゴンは同じように陳列棚に並んでいて、同級生でゴジラとバラゴンの両方を買ってもらって持っていた者がいました。足し算トーナメントで1回戦負けでも。近くの貧相なアパートの住民の息子も4000円のゴジラを買ってもらって持っていました。今の物価ではなく1960年代なかばの物価で4000円というのはものすごく高いのですが、私は、同級生で買ってもらっていた者が何人かいましたし、近所の貧相なアパートの住人でどう考えても金持ちではないだろうと思える家庭の息子も買ってもらっていましたので、よそとの比較で考えるならば我が家も買ってもらっても悪いということはないことになりますが、それまでの例から考えて我が家は無理だろうと思っていたのですが、父が「4000円したってこうたげますて、あんたあ」と言ったので、買ってもらえるのだ♪ と思ったのですが、ゴジラとバラゴンでは、世間一般にはゴジラの方が知名度が高いけれども、子供にとってはどちらも魅力的で絶対にどちらということはなかったのです。だから、「バラゴンでもいい」と言ったのです。しかし、プラモデル屋の奥さんは「バラゴンはもっと高いですよ。ゴジラは4000円ですがバラゴンは4200円です」だったか言いました。父は「何、バラ、バルゴン?」と言い、プラモデル屋の奥さんは「バルゴンなら安いです。バルゴンは200円です」と言い、父は「それがええ、それが。それでええことや、それで。あんた、バルゴンにしなさい、バルゴンに。それ、ください、バルゴン」と言って、4000円のゴジラを買ってもらえるものと思ってプラモデル屋まで行った私が「バルゴンでもいい」とは一言も言っていないにもかかわらず、「あんたはバルゴン。バルゴンください、バルゴン」と言って、200円のバルゴンを買ってしまったのでした。
  帰り道々、言うのだった。「あんた、バルゴン買ってもらった。バルゴン、ばるごん、バルゴン、ばるごん♪ 良かったねえ~え。あんた、うれしいねえ~え! しあわせやねえ~え! あんた、恵まれてるねえ! あんた、うれしいうれしいうれしいうれしい♪ バルゴン買ってもらって、うれしいねえ~え。良かった、良かった、あんた、ほんまに良かったね~え」と何度も何度も、家に着くまで言い続けたのだった。嫌だった。喜べなかった。最初に私が「ゴジラがいいけれども、4000円もするから無理やと思う」と言った時に、「そりぁ、いくらなんでも、4000円もするものは買えないわあ。そやけど、もうちょっと、安いもんで何かないのかなあ。200円かそのくらいのものであったなら買ってやるけど、そのくらいのものはないか、一度、プラモデル屋に行ってきいてみようや。200円くらいのものがあったらこうたるわ」と父が言って、それで一緒にプラモデル屋まで行って尋ねたところ、200円のバルゴンがあったのでそれを買ってもらった・・ということなら、それなら喜べたでしょう。それなら、同級生で4000円のゴジラを買ってもらっていた者もおれば、4000円のゴジラと4200円のバラゴンの両方を買ってもらっていた者もいたが、我が家はそのどちらも買ってもらえず足し算トーナメント大会で優勝しても200円のバルゴンでお茶を濁されたとしても、そのでも喜んだでしょうし、喜べたでしょう。しかし、行く時は、「な~にをわけのわからんことを心配しとるんや、何を~を。4000円したってこうたるがな。ほかでもないこのわしがこうたると言うとるんやぞ。分かっとんのんか、あんた。このわしがいったんこうたると言うたからには、絶対にこうたるがな。心配いりませんて。絶対に買ってあげますて。よしゃ、ゴジラ、買いに行こ」と父は言って、それで、「え。うちは無理だと思っていたけれども、買ってもらえるのか♪」と思って行ったら、「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」、「冗談やないで、ほんま。かなんな、ほんま。かなんな、ほんま」とか言われて、200円のバルゴンでごまかされたあかつきには、「ふええ~え」「ひええ~え」「ぎょええ~え」「冗談やないで、ほんま」「かなんな、ほんま」と言いたいのはこちらだった。1980年代後半、〇〇コンピュータサービス(株)の社員教育担当部署のおっさんが言った「子供は、親から何かをしてもらったり、何かをもらったりした時、あくまで、物に喜ぶのであって気持ちに喜ぶのではないんです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましか」という発言内容は嘘である。子供は気持ちに喜ぶのではなくあくまで物に対してだけ喜ぶなんてことは絶対にない!
  3年ほど前に母方の叔父が他界した。この叔父は私が相当嫌いだったようなのだが、姉2人には優しい叔父だったらしい。母は5人兄弟の上から2番目でこの叔父は一番下で、母と叔父とは15歳離れていたので、母が22で結婚して23で長女(上の姉)を産んだ時、叔父はまだ8歳、叔父が15で高校生になる時、上の姉は7歳、下の姉は5歳。叔父が高校生で15~18の時、上の姉は7~9歳、下の姉は5~7歳だったが、高校生の叔父が家に来て、ちびすけ2人を近所の神社の夜店に連れていったことがあったらしい。夜店でお人形さんを売っていて、ちびすけ2人がそれを欲しがったらしく、それほど高いものではなかったようで、高校生の叔父が持っている財布でも買える程度のものだったらしいが、高校生の叔父にとっては女の子が持つようなお人形さんを買うというのはとても恥ずかしいことだったが、ちびすけ2人が欲しがるのを見て、高校生だった叔父は一生懸命頑張ってそれを買ったらしい。ちびすけ2人は、そのお人形さんを買ってもらったのがとてもうれしかったらしく、「Mにいちゃんに買ってもらった、買ってもらった」・・としばらく言っていた・・・と父が言っていた。やっぱり、「子供はあくまで物に喜ぶ」などということはなく、高校生の叔父が一生懸命頑張って買ってくれたというのは子供にもわかったのではないかと思う。
  ・・で、父は自分の息子には、4000円のゴジラを「そんなもん、4000円したってこうたるがな。ほかでもないこのわしがこうたると言うとるんやないか。心配いりませんて」とか何とかかんとか言いまくってプラモデル屋に行ったあげく、「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」「冗談やないで、ほんま」「たまったもんやないで、ほんまあ」とか言って200円のバルゴンでごまかしたのだが、娘にはどうだったのかというと、↑の「4000円のゴジラ→200円のバルゴン」の話を下の姉にしたところ、「あんた、私とほんとによく似た経験してるねえ~え」と言うのだった。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず・・てものなのか、下の姉は父からけっこう高いお人形さんをこうたると言われて一緒に買いに行って、そして、私にと同じように「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」・・・と言われたらしい。違いは、私は4000円のゴジラが200円のバルゴンに変ったのに対して、下の姉はお人形さんがチョコレートに変った、という点だったらしいのだ。人間て、なかなか変わらんもんなんだなあ・・と思います。「子供は気持ちに喜ぶのではなく物に喜ぶものなんです」とか「社員教育」しているおっさんて、あんまり豊かな精神面してないように思いますね。「子供」てそんなものじゃないと思いますよ。

  父は、私が19歳の時、「あんたには、よそとはちごうて、子供の頃から、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも、ええもんばっかり、こうてきてやあってやってやあってやってやったったから」などと言い出したので、びっくりして、「そんなことないですよ!」と言った。↑のように、同級生で足し算トーナメント大会に優勝なんてしなくても1回戦負けでも4000円のゴジラや4200円のバラゴンを買ってもらっていた者がいたわけですから、よそとの比較で考えるならば買ってもらっても悪くはないことになり、同級生との比較で考えるなら特別に贅沢な物を買ったということにはならないはずですが、私は買ってもらえない・・だけならまだいいが、足し算トーナメント大会に優勝した上で、父が「たとえ、4000円したってこうたるがな。な~にをわけのわからん心配しとんねん。ほかでもないこのわしがこうたると言うたからにはこうたるがな」と言われてプラモデル屋に買いに行って、「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひええ~え」「冗談やないで、ほんま」「かなんな、ほんまあ」とやられた、それはその時だけでなく、いつもそんな調子だったにもかかわらず、いったい、どこからそんな事実と正反対のことを言いだすのかとびっくりした。ところが、私が「違う。絶対にそんなことない」と言ったところ、父は「はあん。こいつ、こんなこと言いよりますわ。かなんなあ、ほんまあ。あんたには、子供の頃から、いつでも何でも、どんなもんでも欲しいという物は何でも何でもこうてきてやあってやって、やあってやってやってきてやあってやったったというのがわからんのか、おまえは! こいつ、絶対にビョーキやわ、こいつ。ビョーキがこいつにこんなこと言わせよるんですわ。こいつ、間違いなくビョーキや。かなんな、ほんま。わしのような聖人のお父さん、キリストのお父さん、聖徳太子のお父さん、ヒットラー総統のお父さんから、こんなどうしようもないカスのクズのチャンコロの息子ができたというのは、これはビョーキによるものですわ、間違いないわ。こいつ、クスリ飲ませたんといかん。こいつ、クスリ飲ませて治療したらんといかん。それも相当大量に飲まさんと、このビョーキは治らんわ。ドイツ人のえらいえらいエッライエッライ聖徳太子のお父さん、ヒットラー総統のお父さんにこんなカス人間ができるというのは、普通ならありえないことや。これは生物学上の突然変異学説によってこいつは産まれたんやろ。生物学上の突然変異学説や、こいつは。」・・と、父はそう言ったのだ・・・が、私は子供の頃から、欲しいというものはどんなものでも、何でも何でも、ええもんばっかり買ってきてやあってやって、やあってやってもらったなどということはない。首をもがれても、ロボトミーで大脳を破壊されても、絶対にそのようなことはない!

  (株)一条工務店に勤めていて福島県いわき市の営業所に勤務していた時のことだが、双葉郡に住まれていた住宅展示場に来場されていた方のお宅に訪問したところ、奥さんから「一条工務店って、K野さんて所長さん、まだおられるの?」と言われたことがあった。「一条工務店て、あんな人しか所長になる人いないんですか」と言われた。あのおっさん、何やりよってん?・・と思い、「どうされましたか。所長が何か不都合なことでもいたしましたか」と言うと、「ご存知ないんですか。あの人がどんな人か」と言われた。「あの人ねえ、前にうちに来られて、帰りがけ、うちの子供に『次、来る時にはアイスクリーム買ってくるからねえ~え』と言って帰って、それで、次に来る時、買ってこなかったんです。うちはまだ一条工務店で契約したわけじゃないから何かを買ってもらう権利があるわけじゃないし、うちは金持ちじゃないけど乞食じゃないから、K野さんにアイスクリームを買ってもらわなくても、アイスクリームを子供に買ってやりたいと思えば買ってやれますけれども、それでも、子供に『次、来る時にはアイスクリームを買ってくるからねえ~え』と言って帰ったなら、買って来るものと違いますか。子供にじゃなくて私ら親になら、それをされても、『ああ、この人は言うだけの人なんだな』と思って終わりですけれども、買ってくるつもりがないなら子供に買ってくると言わないでほしいんですよ。子供はK野さんが言ったことを覚えていて、次にK野さんが来ると『アイスクリーム、アイスクリーム』と言うでしょ。あの人、子供の気持ちを何だと思ってるんですか。それ、1回じゃないんですよ。あの人、それを同じことを何回やったと思いますか。子供にそんなことをしに来るなら来ないでほしいんですよ。一条工務店はあんな人しか所長になる人ないんですか。一条工務店てよっぽど人材が不足してるんですね」・・とそう言われた。K野さんは、(株)一条工務店で年間最多契約数を獲得したこともある人で営業として優秀な部分もある人でたいしたもんだなあと思う部分もあった人ではあったのですが・・、そこのところは、まあ、なんとも困ったおっさんやなあ・・と思いました。その話を聞いた時、私は2つのことを思ったのでした。ひとつは、それはいかんなあ、そんなことをしては・・というもの。もうひとつは、そんなこと、我が家ならしょっちゅうやったわ・・という気持ち。我が家はそういうのはしょっちゅうでした。

  最近では幼稚園は3年行く人が増えてきたようで、又、幼稚園ではなく保育園に行く人も増えてきたようですが、1960年代中頃、私が幼稚園に行ったころは、保育園は少なくて、幼稚園も2年保育が普通で、私が行った大阪市内の幼稚園も、年長組が2クラス、年少組が2クラスで、たまに3年行く人があってそういう人は年少組を2回やっていました。私は2年保育で行きましたが、その年少組の時のお正月のことです。私は自分の親からお年玉をもらいました。「ありがとうと言いなさい」と言われて「ありがとう」と言いました。親戚のおじさん・おばさんからもお年玉をもらい、やはり、「ありがとう」と言いました。我が家は、幼稚園の同級生や近所の子供と比較しても、よその子供が買ってもらって持っている物で私が買ってもらえない物は多く、逆に私が買ってもらってよその子供は買ってもらっていないというものは少なかった。但し、父は勤め先はメーカーで、メーカーというのは原料・材料を仕入れて商品を作り、それを瓶に入れて化粧箱に入れて段ボールにつめて問屋に売り、問屋が小売り屋に売って小売屋が一般消費者に売って成りたっていたけれども、父は会社で「買ってもらう側の部署」ではなく「買う側の部署」に勤務していたので、どうも、世の中というものは「買ってもらう側の部署」に勤務するよりも「買う側の部署」にいた方がお中元とかお歳暮とかはもらえることが多いようで、父の勤め先はそれほどたいした企業でもなかったと思うが、同じ役職でも父は「買う側の部署」にいたので、「買ってもらう側の部署」にいた人よりもらえることが多かったようで、又、「お子さんに」と言って何かを持ってくる人も時にはあったようで、そういう物は、幼稚園の同級生や近所の子供が欲しがって親が買うような店とは違う店で買っているので、そのため、我が家にはよそにはない物というのも中にはあったようです。しかし、結論を言うと、よその子が持っている物で私が持っていない物は多く、私が持っている物でよその子が持っていない物というのは多くなかった。特に、子供が「あれ、欲しい~」と言った時に買ってもらえるかどうかという問題においては、我が家はまずだめでした。このくらいなら可能性があるというのと、言ってもだめというのは、ある程度、子供にもわかるので、よその子が「あれ、欲しい~」と言う場面でも私はうちは無理だと思って言わないということが少なくありませんでした。しかし、それでも、よその子が買ってもらって持っている物を見て、「ぼくも欲しいなあ」と思うものはけっこうあったのです。だから、お年玉をもらった時、それまで、よその子が買ってもらって持っている物で自分は買ってもらえなかった物いくつかのうち、どれかひとつをそのお年玉で買わせてもらえるだろうと思ってうれしかったのです。
  ところが。お正月が終わり、お年玉としてもらえる金額が確定されると父は言い出したのです。「あんた、お年玉、それ、使ったらもったいない。それ、全額、貯金しなさい!」と。いったん、お年玉を子供に渡しても、しぶちん・しみったれは、後から「それ、もったいない」と思い出すようです。「嫌や! 絶対に嫌や! せっかくもらったのに、取られるのは嫌や。絶対に嫌や!」と言いました。頑張りました。
  ところが、そういうことがあると「ドイツ人のお姉さん」というのは、さりげなくすぐそばに寄ってくるのです。「ドイツ人のお姉さん」である上の姉は、その頃、高校生でしたが、ふと気づくと横にいて、「違うねん、違うねん。あんた、貯金というのは取られるのと違うんねん」と言うのです。今から考えると、あの女、ひどいことをしやがると思います。もし、高校生の時の私に幼稚園児の弟か妹があって、お年玉としてもらったものを、父親が全額貯金しなさいなどと言い出したなら、「ちょっと、それはいくらなんでもかわいそうだよ。もしも、あまりにも高額な金額のお年玉をもらったというような場合に、半額を貯金しなさいというのならわかるけれども、そうでもないのに、全額を貯金しなさいなんて、それはかわいそうだよ。お年玉はそれで本人が欲しいというものを買わせてあげないと。それで、買い物の経験というものをさせてあげるものだと思いますよ」と言うでしょう。高校生の時の私ならそう言ったでしょう。ところが、「ドイツ人のお姉さん」というのは、さすがに「ドイツ人」だけあって「チャンコロ」の私とは「民族が違う」ようで思考が異なるようでした。貯金というものは、銀行にお金を渡して、銀行にお金を取られるのではなく、銀行に預けて、何年か後に利子がついて戻ってくるというものだ・・ということくらいは幼稚園児も知っていたのです。母が国鉄(現 JR)の最寄駅のそばにあった都市銀行の支店に行くのに私はいつも一緒に行っていましたし、そこのホールで銀行員の人からドロップをもらったことがありましたし、貯金というのは「お金を取りあげられる」というものとは違うということくらいは知っていました。バカにすんなて感じです。しかし、お年玉としてもらったものを、父が「あんた、それ、使ったらもったいない。全額、貯金しなさい!」と言って貯金させられるということはどういうことか。もう、わかりますよね。父は、いったん、子供に渡したお年玉を、「もったいない」と渡してから思うようになったわけです。
  親戚が子供を連れて来たり、親戚の家に子供を連れて行ったりした時に、親戚のおじさん・おばさんが子供の頃の私にお年玉をくれた時、私の親も親戚の子供にお年玉をあげていたのです。だから、親同士では「お互い様」であったのです。1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいたS藤さん(男。当時、40代)が、「おまえは30過ぎているのに、まだ結婚しないで子供を作らない、少子高齢化対策に貢献しない非国民だ! 俺の子供はまだハタチにもならないのに子供を作ってお国のために貢献している。おれは孫がある人間であり、非国民のおまえから年玉をもらう権利があるんだ。こらあ、年玉、よこせ、非国民!」と言って、逃げても逃げてもストーカーとなって追いかけてくるということがあり、かつ(株)一条工務店は「あの人、なんとかしてください」と言っても絶対に対処しない「保護義務違反」の会社でしたが、子供のある者同士の場合は、よその子供にお年玉をあげるかわりに、うちの子供にもお年玉をもらう、もしも子供のない人から自分の子供にお年玉をもらった場合には、お年玉ではなく何か別の形でお返しをするというもので、それが礼儀であり、それがマナーであり、それが子供が欲しいと思いながらも子供ができずにいる人に対する人間としての思いやりであり、私の親は子供のない人から自分の子供がお年玉をもらった時にはそうしていました。(株)一条工務店のいわき市の営業所にいた佐藤さん(男)は「将来、お国の為に役立つ人間を産んで育ててる者に年玉を渡すのは非国民の義務だ」と主張するのですが、その子供が「将来、お国の為に役立つ」か、その子供が「お国のため」にも周囲の国民のためにも迷惑かけるかなんて、わかりませんでしょ。「将来、お国のために貢献する人間を産んで、育ててるんだ」などというあつかましい文句は、実際に社会に貢献してから言ってもらいたいものですね。社会に貢献するか迷惑かけるかわからない段階で「社会に貢献する子供を産んで育てている」などとあつかましい文句は言わないでほしいですね。というより、S藤さんみたいな人間を拡大再生産されてもむしろ迷惑なんですけどね。私の親は、その点、(株)一条工務店のS藤さん(「宗教右翼」霊友会構成員)みたいなことはありませんでしたが、しかし、父はよその子供にお年玉をあげたかわりに私がお年玉をもらったので、結果としては、私が親からもらったお年玉も親戚のおじさん・おばさんからもらったお年玉も、どちらも、親が渡したものだと考え、そして、それを子供に使われるというのはなんとも「もったいない」と考えたようでした。それで、何とかそれを取り返したいと考えた。
  父は「ほらほらほら。T子さんも言いはったやろ。しっかりしたお姉さんが言いはった。さすがはしっかりしたお姉さんや。しっかりしたお姉さ~ん。しっかりしたお姉さ~ん! さすがやなあ~あ」と言うのでした。「あんた、しっかりしたお姉さんも言いはったようにやなあ、貯金というものは預けると利子がついて増えて得するものなんや。とられるのとは違うんや。こいつは貯金ちゅうもんがわからんから、そやから、こういうことを言いよるんやな。そやないんや。5年の定期預金に預けるやろ。そしたら、毎年、利子がついて増えて得するねん。そんで、5年後には増えて返ってくるねん。得するわけや。どや、わかったやろ」と言うのですが、幼稚園の年少組の時の私はそんなことを言っているのではないのです。もし、我が家が、子供が「あれ、欲しい~」と言えばすぐに何でも買うような家だったなら、別に今さらお年玉で買わなくてもよかったのかもしれませんが、そうではなかったのです。よその子が持っていて私が持っていないもの、よその子が「あれ、欲しい~」と言えばよその家では買ってやるものを私は言っても「いけません」と母から言われ、「そんな贅沢してはいかん」と父から言われて買ってもらえないことが多かったのです。だから、お年玉をもらった時、もともと、幼稚園児の頃の私よりよっぽど何でも買ってもらっていた子供でもお年玉はもらっていたのですが、よその子と比較してどうという話ではなく、ともかく、お年玉をもらったのですから、よその子と同じようにそのお年玉で自分が欲しいと思う物を買わせてもらえると思い、あれを買えるかなあ~あ・・と考えたりしていたのに、それを「あんた、それ、使ったらもったいない。全額、貯金しなさい」と言われて取り上げられたのでは、普段からよその子は買ってもらえても私は買ってもらえない物が多かったのに、またもや、お年玉まで取り上げられることになってしまうのです。
  父は「5年の定期預金」に預けろと言ったのですが、だいたい、5歳児にとって、5年というものがどれだけ長いものか。40代や50代の者にとっては5年なんてあっという間ですが、5歳児にとっては自分のそれまでの人生すべてと同じだけの長さなのです。そして、5年経って、増えて得したとしても・・・と言っても、その頃は「高度成長期」でしたから、利子もそれなりについて5年後に受け取る金額は増えたでしょうけれども、物価も上昇していましたから、物価の上昇と比較して考えると、実質的に増えたわけでもないのです・・・が、ともかくも、名目上の金額は増えたとして、それで、5歳の時に、「あれ、欲しい~」と思ったものを、10歳の時に利子がついた分だけ多く買ったとしても、それがいったい何の意味があるのか? 5歳の時に「あれ、ほしい~」と思った物は、10歳になったら、別段、欲しいものでもなくなる・・ということは子供でも知っていたのです。
  そして、「5年の定期預金」に預けて満期が来たとします。父はそれを10歳になった私に使わせてくれるか?・・というと、そんなもの、使わせてくれるわけありませんね。「それで、勉強のものを買いなさい」と言うか、もしくは、「あんた、それをまた、5年の定期預金に預けなさい。また増えてあんたが得するんや、あんたがあ~あ!」と言って、またもや、定期預金に入れられて、結局、いつまで経っても実質的に自分のものにはならない・・ということは眼に見えていたのです。上の姉だって私の父と私の母の子供ですからこのくらいのことはわかって良さそうに思うのですが、「ドイツ人のお姉さん」「しっかりした方のお姉さん」はわからなかったようです。
  一般に、「しっかりしたお姉さ~ん」とか言ってほめられた人、成功した人、自分をえらいと思っている人という類の人には見えなくて、ぼろくそに言われた方の人、必ずしも成功しなかった人には物事の構成が見えるという場合があります。私が大学に進学する時も、私が「うちの家みたいなこと、普通はしないでしょう。よそはうちの家みたいなことしてないよ」と言うと、下の姉は「あんた、うちの家は『普通の家』と違うでしょ」と言うので、そうかもしれんな・・と思ったということがありましたが、上の姉に同じことを言うと、「何を言ってるのよ。いったい、どこが普通じゃないのよ。普通の家でしょうよ」と言うのでした。上の姉が父から「しっかりしたお姉さ~ん」「ドイツ人のお姉さ~ん」と言われ続けたのと違い、下の姉は「アホな方の女の子」「アッポのお姉さん」と父から言われてきた人間だったので、上の姉と違って我が家の構図がある程度見えたのでしょう。しかし、それでも、見えない部分があった。私がハタチを過ぎると、父は私に「あんたの結婚相手はわしが決めたるわあ」と言うので、こんなおっさんに決められてたまるもんか! と思ったものでしたが、下の姉にそれを話すと、「あんた、何を言ってるの。うちのお父さんにそんなもの、できるわけないでしょうよ。あの人にそんな力なんてないでしょうよ。もっと、社会的地位のあるお父さんとか、その人に恩義を感じている人がいるというお父さんなら、この人、どうでしょうかとか話を持ってきてもらえるかもしれないけど、あの人、そんな力ないでしょうよ。それに、たとえば、☆☆さんとかなら、社会的地位はないけれども、たまたま、会った女の子にでも、『うちの親戚にこんな男性がいるんだけど、会ってみない~い』とか話をしてみるとかいう能力があるけれども、うちのお父さん、そういうことのできるような人と違うでしょう。何を言ってるの」と言うのでしたが、それを聞いて、下の姉もまた、その「うちのお父さん」のことがわかってない女だなと思いました。父は、私が結婚相手がなかなか決まらないという時に、自分が苦労して努力して良さそうな人を捜してきてあげるなんて、そんなことは一言も言っていないのです。父が言ったのは、「おまえの結婚相手はわしが決めたるわあ。そやからやなあ。おまえが、このわしのお眼鏡にかなうと思われる女を何人か用意してわしの所に連れてこい。そしたら、その女の中から、どいつが一番わしのお眼鏡にかなうか見てやるわ。その中にええのがひとりもおらんかったら、『みんな、あか~ん!』て言うたるから、そしたらまた、おまえが、わしのお眼鏡にかないそうな女を何人か用意せえ! その中にええのがおったら、『こいつにせえ』言うて決めたるわ。そないして決めたらええ」と言うのでした。私は「決めていりませんけど」と言ったのですが、父は「何を甘ったれたことを言うとるんじゃ、このチャンコロはあ! あんた、結婚というものは大事なものやで。わかっとんのんか。大事なもん。そやからやなあ、そういう大事なものは、わしいとかM川先生(父の親友の医者屋)とかに決めてもらうもんや。のぼせあがるなよ、チャンコロ! 増長するでないぞ、チャンコロっ! おまえが決めるのとは違うねんぞ。おまえは女を用意するねんぞ。おまえが女を用意して、わしとかM川先生とかいったえらいえらいえらいえらいえらいえらい、特別に特別にえらい人間が、どの女がええか決めたるとこない言うとるんじゃ。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロっ! わしとかM川先生とかいったえらいえらいドイツ人で謙虚な人間に決めてもらうものやねんぞ、チャンコロッ!」と言うのでした。毎日毎日、そう言われ続けて、なんかもう、お嫁さんなんて、要らんわあ・・・という気持ちになりました。そもそも、「このわしのお眼鏡にかなう女を用意せえ!」と言うのなら、その女性は私の嫁ではなく、父のメカケにした方がいいのではないのか・・とも思うのですけれどもね。そんなもので、「チャンコロ人」「ひとから命令され号令かけられてせえっせせっせと働くのが適している民族」だそうな私と、「日本人」の下の姉と、「ドイツ人」「常にひとに命令をかけ、常にひとに号令をかけるのが適している民族」らしい上の姉とでは、私に見える構図が下の姉には見えず、下の姉に見えるものが上の姉には見えなかった・・ということがあっても不思議ではありません。
  父は「銀行は貯金をとりあげたりせえへんでえ」と言い、そして、「もちろん、わしも、そんなもん、取り上げたりなんて絶対にせえへんでえ」と言うのでしたが、5年後、私が10歳の年にその定期預金が満期になると、父は、予想通り、「あんた、それ、また、もう5年の定期預金にしなさい」と言って、さらに5年の定期預金に預けさせられたのでした。そして、それがまた満期になってそしてどうしたか・・・というと、どうも、そこからは記憶がはっきりとしません。どっちみち、幼稚園児がお年玉としてもらって、幼稚園児にとってはものすごい大金であったとしても、そんなものはハタチ過ぎた人間にとってはたいした金額でもないのです。もう、別にどうでもいいようなものです。
  「また5年の定期預金に預けなさい」と命令されなかったとしても、そうでなかったなら「あんた、それで、勉強のもんを買いなさい」と命令されたでしょう。「勉強のもん」なんて、お年玉をもらわなくても、どうせ嫌でも買われたのです。そして、私が大学に進学する時になると、母は私が小学生や中学生の時には「親というものは、将来、子供が大学に行く時には、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くことができて、やりたいと思う勉強をやって、つきたいと思う仕事につけるようにと思って、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていたので、小学生や中学生の頃の私はそんなヨタ話を本気にして、そして同級生が遊んでいる時も勉強したのでした。大学に進学する頃になると、父はこう言ったのです。「おまえが産まれなければ良かったのに産まれてきおったおかげでわしは迷惑してきたんじゃ。おまえを育てるためにカネかかって迷惑なんじゃ。おまえを育てるためにかかったカネをこれから働いてまどてもらわんといかんのじゃ! 本人が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部になんて、なんでそんなもん行かさんといかんのじゃ。産まれなければ良かったのに産まれてきたということを反省し、すべてをすべてをわしのために!」父はそう言うのでした。「勉強のもの」を買われて必死で勉強しても、それは「すべてをわしのために」だったのです。「それで、勉強のものを買いなさい」とか言われて「勉強のもの」を買っても、父は「ほらほら。あんたのために、あんたの物を買ってやったってんでえ。何も取り上げてないでえ」と言うけれども、実質、取り上げられたのです。「勉強のもの」なんてお年玉がなくても他の所からお金を出して嫌でも買われたのですから。
  1月、第3学期が始まると、幼稚園では「〇〇くんは、お年玉で何を買ったあ?」といった話題が園児の間で出ました。「ちょき~ん!」なんて答えるのはクラスで私ひとりだけでした。「チョキンて、それ、いったい何やあ?」と同級生何人もから言われました。そう言われるのがまた嫌でした。なんで、私だけ、お年玉を取り上げられるのだろうと思いました。

  自分が親でもおかしくない年齢になって考えると、子供に買ってやった方がいいかどうかはケースバイケースと思いますが、いったん買ってやると言ったものは買うべきではないか、買ってやる意志がないものを「買ってやる」とは言うべきではないと思います。お年玉は、あまりにも高い金額をもらった場合に半分を貯金させるというのはいいけれども、全額、「貯金」という名目でとりあげるくらいなら、お年玉なんてない方がいいと思います。
  1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(北野高校→神戸大文学部卒。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」というのが何より自慢で私は耳鳴りがするくらい言われましたが、父親というものはあるから苦労する時だってある。その程度のこともわからない女は高校教諭に不向きですし、たとえ高校教諭をやるにしても「両親が離婚した」女生徒専門の教諭でもやってもらった方がみんなの為でしょう。
 (2019年父の日の16日に先立ち6月8日公開)

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