父にとって息子はライバルでなくエネミー、後継者でなく「部下」の場合がある-同志社今出川【12/13】

[第451回]
  同志社大学および同志社女子大学 今出川キャンパス、及び、烏丸通りの日本聖公会 聖アグネス聖堂・大丸ヴィラなど見学シリーズ。これまで見てきた建物で、
[A]教会堂に該当するものというと、
同志社 礼拝堂 1886年 ダニエル=クロスビー=グリーン 重要文化財
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クラーク記念館 1894年 リヒャルト=ゼール 重要文化財
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日本聖公会 聖アグネス教会 聖堂 1898年 ジェームズ=マクドナルド=ガーディナー 京都市指定文化財
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日本ナザレン教団 上京教会 1920年
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[B]ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計のものとしては、
啓明館 1915年、1920年。 登録有形文化財
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致遠館 1916年。
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アーモスト館(本来はアマースト館?) 1932年 登録有形文化財
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大丸ヴィラ(旧下村正太郎邸) 1932年(アーモスト館と同年) 京都市登録有形文化財
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新島遺品庫

[C]重要文化財指定は、
彰栄館 1884年 ダニエル=クロスビー=グリーン
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同志社 礼拝堂 1886年 ダニエル=クロスビー=グリーン
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有終館 1887年 ダニエル=クロスビー=グリーン
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ハリス理化学館 1890年 A=N=ハンセル
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クラーク記念館 1894年 リヒャルト=ゼール 
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[D]国登録有形文化財は、
同志社女子大学 ジェームズ館 1914年。 武田五一
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啓明館 1915年、1920年。 ウィリアム=メレル=ヴォーリズ。
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アーモスト館 1932年(大丸ヴィラ・同志社女子大 栄光館と同年)。 ウィリアム=メレル=ヴォーリズ
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同志社女子大学 栄光館 1932年(アーモスト館・大丸ヴィラと同年。) 武田五一
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[E]京都市登録有形文化財は、
日本聖公会 聖アグネス教会 聖堂 1898年 ジェームズ=マクドナルド=ガーディナー 京都市指定文化財
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大丸ヴィラ(旧 下村正太郎邸) 1932年(アーモスト館と同年) 京都市登録有形文化財
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ということになるでしょうか。 

  「関西のキリスト教系の大学」というと同志社と関学 と多くの人間は思い浮べるのではないかと思いますが、
(1)関学上ヶ原キャンパスはウィリアム=メレル=ヴォーリズが全体の構想を考えて設計し、その後に周囲に作られた建物も一粒社ヴォーリズ設計事務所がそれまでのものとの調和を考えて設計したもので、全体が「ヴォーリズ建築」でできていますが、同志社今出川キャンパスの場合は、ダグラス=クラウディア=グリーン・リヒャルト=ゼール・ウィリアム=メレル=ヴォーリズに武田五一・大倉三郎といった何人もの人たちが設計した建物が同居しながらも全体の調和がはかられているというもので、どちらがいい悪いというのはなかなか言えませんが、そういう点に違いがあります。
  しかし、何人もの人が設計した建物が同居しながらも調和している・・というのはいいのですが、そして、「世界の丹下健三」みたいに自己顕示欲の塊で、先住建物がどういうものかなど知ったことじゃないという態度で、自分が造りたいものを造るという姿勢がいいとは毛頭思いませんし、もしこの今出川キャンパスに「世界の丹下健三」の設計の建物なんかたとえ1つでも建てられたなら、せっかくのそれまでの景観が完全に破壊されて無茶苦茶にされてしまうのは明白ですが、しかし、片方で、↑の写真を見ると、何人かの設計者による建物が同居しながらも調和している、というのはいいとは思うのですが、しかし、何人もが設計したにしては、なんだか「似てる」・・と思いませんか? 調和しながらも、それぞれの特色を出すというのではなく、もちろん、そういうところが全くないとまで言うつもりはありませんが、「何人もの人が設計しながらも調和している」ということはいいとは思うのですが、「何人もが設計したにしては、なんだかどの建物も似ている」という面もあるように思ったのです。
(2)もうひとつ、《ウィキペディア-同志社大学》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%BF%97%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6 によると同志社は≪ただし同志社大学は、キリスト教を広めることそのものを主な狙いとする大学ではない。同志社は自らを、(「キリスト教」ではなく)「キリスト教主義」の学校と言う。≫ というのですが、そう言われて振り返ると、たしかにキャンパスの雰囲気も、関学はキリスト教の布教の機関として作られたものが大学になったのに対し、同志社は「キリスト教を広めるための学校」ではなく「キリスト教主義の学校」というところは、キャンパスの雰囲気にもあるようにも思えてきます。そう言われるとそんな気がしてきたのであって、言われなければ感じない程度だけれども。

  同志社の今出川キャンパスに行ってみようと思ったのは、私の父が同志社に行っていたはずだったのだ。「はずだった」というのはどういうことかというと、父は「わしは天高(天王寺高校)やぞお」と言っていたのだ・・が、なぜか明星高校から同窓会の案内状が来ていたのだ。な~んでだ? と長年不思議に思ってきたのだが、同志社の方は嘘ではなさそうだった。「わしが行ってた頃は、『同志社大学法学部経済学科』やったんやけど、今は『経済学部』になったんか」とか言ってましたので、そういうことを知っているということは詐称でないのだろう。1970年代後半、大阪府高槻市にあったYMCA予備校高槻校で「主事」というよくわからん職種についていた藤井という男が「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と1日に最低3度は言わないとおれない症候群の男だったのだが、私は藤井の話を聞いて、なんだか、早稲田大学というのは程度の低い大学なんだなあ~あ・・と思ったものだったが、その後、東京で実際の早稲田大学の学生や卒業生に出会ってみると、たしかに、早稲田大学というのは国立大学と違って、スポーツ入学もあれば内部進学もあり、私立なので裏口だっていくらかはあるだろうし、「玉石混交の大学」という性質が強い大学かもしれないが、しかし、それにしても、藤井みたいなあんなの、あんな早稲田いくらなんでもないわなあ~あ・・と思うようになった。あれは、まず、学歴詐称だろう。貧乏人のことゆえ、あまり高いものはかけられないが、牛丼かカツ丼かならかけてもいい。いくらなんでも、あんな早稲田、絶対にない!あの男の卒業した大学は実際はおそらくせいぜい亜拓大東帝国くらいだろう。
  そのYMCA予備校高槻校に「現代国語」の講師として来ていた大学教授の先生というのが、自己紹介として「ぼくは、東大の文学部を卒業して、今は私立の女子大の教授をやってます。弟は京大の文学部を卒業したのですが、できの悪いやつで、あんなのでも京大の文学部に行けたんですから、だから、私なんかの時代は今(1970年代後半)よりずっと大学は行きやすかったんです。 国立大学でも難しいのは東大と京大くらいで、東北大なんて入りやすかったし、法科万能時代といって難しいのは法学部で、文学部なんてのは落ちる人間がいたのは東大と京大くらいで、それも難しかったのは東大だけで京大の文学部は落ちる人間がいたことはいたけれども入りやすかったんですよ。だから、私なんかの世代の人間で『最近の若い者は』なんて言うのがいますけれども、そんなの気にすることないですよ。自分、若い頃、何だったんだてものです」と話されたことがありましたが、弟さんがどうだったのかはさておき、その話は正直な話でしょう。藤井の場合は「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低三度は言わないとおれない男でしたが、本当に早稲田大学に行ったのなら、「早稲田大学に在学した時、・・なことがありました」とか、「早稲田大学を受験した時、この点は成功しましたが、この点は失敗でした」「大学受験の時、・・という工夫をしましてそれは良かったと思うのですが、・・というのは効果はなかったですね」とかそういった話が1つくらいあってもよさそうなものですが、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と毎日毎日、もうそれ聞いたよ、ということを繰り返し繰り返し反復して言いまくるものの、「早稲田大学に在学した時、こんなことがありました」とか、「早稲田大学を受験した時、この点は成功しましたが、この点は失敗でした」「大学受験の時、・・という工夫をしましてそれは良かったと思うのですが、・・は効果はなかったですね」とかそういった話がひとつもない・・ということは、その点からも学歴詐称の可能性が高いと考えるべきでしょう。 私は高校を卒業してすぐの頃、世の中に学歴詐称する人というのはいるとしてもそれほどいっぱいいると思っていなかったし、予備校とはいえ学校という所にいるとは思わなかったのですが、実は世の中には学歴詐称する人なんて、ゴマンといるのでした。今なら、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と言われても、「ああ、そうですか」と思うだけのこと、というより、「早稲田の政経」というのは“学歴詐称の定番”ですね。
  YMCA予備校高槻校の「現代国語」の講師の先生が話されたように、大学の入学の際の難易度なんて、その時代によって違いますし、父が大学に行った頃は「大学」というものに行く人が少なかった時代であり、それ以前に、「同志社なんてもの・・」みたいに私は思っていたのですが、父は「わしは同志社大学という立派な立派な大学を出ています」と言うておったので、「ああ、そうですか」と思い、また、その「立派な立派な大学」を出ても、そんなもんか・・とも思っていたのでした。
  父は、もともとは「わしは同志社大学という立派な立派な大学を卒業しています」と言うておったのでしたが、ある時から、「わしは慶應やぞお。わしはほんまは慶應じゃ。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ! おまえとは違ってわしはわしは慶應。わしは慶應でおまえは拓殖で亜細亜大じゃ、この拓殖、浪商! チャンコロ!」と言うようになりました。父は「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」だそうで、私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で亜細亜大で浪商の民族」だそうです。毎日私の顔の鼻か眼のあたりを指さして「民族の違いを忘れるな! チャンコロっ! 階級の違いを忘れるな、浪商!」と言うのでしたが、毎日そう言われますと、言われた側といたしましては、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)。階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と言いたくなり、さらに「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく抑圧は間違っている)」「革命無罪(革命は無罪である)」とも言いたくなってきます。
  なんである時から同志社から慶應に宗旨替えをしたのかというと、それは私が慶應に行ってしまったからです。「このチャンコロめが、チャンコロ! おまえはなあ、おまえは慶應大学に行ったと思うておるかもしれんけどなあ、おまえはほんまは拓殖やねんぞ、この拓殖。おまえが慶應大学に行けたのは、おまえが努力したからやのうて、わしがえらいからやねんぞ。おまえが努力したから慶應に行けたのとは違うねんぞ、この浪商! 産まれなければよかったのに、よくも生まれやがってからに浪商めがこのチャンコロぉ!」と言うのでした。さらに、「おまえはなあ、おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけどなあ、おまえはほんまは浪商やねんぞ、この浪商めが、浪商!このチャンコロぉ!」「おまえが北野高校に行かせてもらえたのはおまえが努力したからやのうて、わしがえらいからやねんぞ。この浪商めが、浪商! このチャンコロ!」と言うのでした。この言い回しですが、それは、1970年代の終わり頃、父の「親友」の医者屋のM川(男。当時、50代前半。自称、石川県金沢市出身で、自称「金沢大学医学部卒」だが嘘くさい。実際は、関西医大裏口入学かそのあたりではないか)がドバカ息子を私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを、「わしは、バカ息子に言うたりますねん。『おまえが大学に行けたのはおまえが努力したからとは違うねんぞ。わしがえらいからやねんぞ。心得違いを起こすなよ。おまえは何の努力もしとらんねんぞ。わしがえらいからそやから大学に行かせてもらえてんぞ。』と、そない言うたりますねん」と父に何度も言っていたのだったが、その言い回しを真似たものだった。しかし、まず、この医者屋のM川は大きく心得違いをしている。M川のドバカ息子が金権関西医大に裏口入学させてもらえたのは、医者屋のM川がえらいからではなく、M川のおかげではなく、M川に薬漬け・検査漬け・毒盛りされたかわいそうな「患者」とその家族のおかげであって、M川がえらいからではない。M川は「わしに感謝せえよお」とドバカ息子に言うらしいが、ドバカ息子が感謝するべきは「金沢の薬売り」にではなく、M川に薬漬け・検査漬け・毒盛りされたかわいそうな「患者」に対してであるはずである。「心得違いすんなよ」と言われなければならないのはドバカ息子の前にM川である。そして、M川のドバカ息子はM川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして儲けたカネを金権関西医大に寄付金として渡すことで裏口入学させてもらったということだが、私は慶應大学には、さまざまな悪質な妨害をされた結果、格下の大学に行かされるはめになってしまったのであって、裏口で入れてもらったのではない。ましてや、北野高校というのは大阪府立で公立であり、私立高校の場合は裏口入学というのも多少あるらしいが公立の北野高校に裏口入学なんてない(少なくとも私が知る限りは)! 私は入学試験で合格最低点より上の点数をとって合格して入ったのであって、医者屋のドバカ息子のように「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして入ったのではないし、そもそも、医者屋のM川のように「金のなる木」とも言える薬漬け・検査漬け・毒盛りする材料としての「患者」は我が家には存在しない。なにより、うちの父親には息子を裏口入学させるなどという才覚はない。「バカ言ってんじゃないわ!」と思うのだが、そのバカを毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれていやになっちゃうくらいに父は言いまくってきた。
  遠藤周作が「息子というものは父親にとってどういう存在か」として、まず、息子は父親にとって自分の分身であり、自分の後継者であり、そして、ライバルでもあるとどこかで述べていたが、それを読んで10代後半の私は、そうだろうなあと思ったのだった・・が、そう思う父親もいるのだろうけれども、うちの父親などはそうではなかった。大王製紙の2代目の社長は北野高校から東大に行こうとして行くことができずに慶應に行き、そして、息子には何としても東大に行かせたいと思い、息子は筑波大付属駒場高校だったかから東大に行ったらしいが、その東大に行った息子がラスベガスのカジノで大金使って新聞記事になった。カジノで損する人なんて珍しいわけではないが、どこがいかんかったかというと、特別背任罪の容疑ということで、要するに社長の小遣いで遊ぶ分には損してもそれだけのことだが、会社のカネをつぎこんだようだ。東大でても、アホやんけ!・・ということと、オーナー社長には自分の個人のカネと会社のカネの違いを心得ていない人がけっこういるのだが、大王製紙という会社は大きな会社のようで、社長は会社のカネと社長のカネの違いを心得ていなかった、そういう会社だったのか・・ということになる・・がそれはさておき、大王製紙の二代目は自分が東大に行こうとしたが行けなかったことから、息子には何としても東大に行かせたいと思ったというあたりは、わかる。私は父親というものは、たいていそういうものだろうと思っていたのだが、私の父の場合はそうではなかった。私の父にとって、息子は「ライバル」ではなく「エネミー」で、「分身」でも「後継者」でもなく「すべてをわしのために」尽くす下僕だった。だから、「わしはおまえとは違って慶應やねんぞお、わしはあ! おまえは浪商でチャンコロじゃ、チャンコロ!」と言うのだった。
  「京大志向の北野高校」からは京大・阪大には行きやすいが東大を目指すのは有利ではなかったが、それにしても、2浪もしたのだから、あの父親の息子でなかったら・・、まあ、通ることができた可能性が高かったと思うが、父としては自分で自分の意識を自覚できていたかどうかわからないが「自分より上の大学」には何としても行かせたくなかったようだ。父は私に「・・・かねえ」という口のきき方をしたのだが、それは《「会社のエライ人」が部下に口をきくきき方》を意図的にしていたようだ。父にとって私は「無茶苦茶しても絶対辞めない『会社の部下』」だったのだ。母は父が自分を「無茶苦茶してもやめない女中さん」の扱いにすると怒っていたのだが、父は私を「無茶苦茶しても絶対にやめない会社の部下」としたかったのだ。嫁は離婚することができるが息子は父親と離婚できない。会社の部下は配属替えを希望することもできるし、辞めることもある。実際、父の部下で辞めた人もいたらしいが息子は辞められない。辞めたいと思って逃げても追いかけてくる。「親には息子には所有権があるんじゃ」と言って。「産まれなければよかったのにおまえが産まれて迷惑なんじゃ。育てるのにかかったカネをこれからおまえに働いてまどてもらわんといかんのじゃ」と父は言っていた。「産まれなければよかったのに産まれたという罪をつぐなうために、すべてをわしのために、ささげ尽く~す! とってちってたあ!」と。

  家族・親子というものは、通俗小説家 菊池寛の小説とか通俗小説家ではないが通俗小説も1部書いている芥川龍之介の『杜子春』とか太宰治の『走れ メロス』とかみたいなそういう通俗小説的な楽天的なものではない。もっと、ぎすぎすしたえげつないものがある。ロナルド=レイン『家族の政治学』・デビッド=クーパー『「家族」の死』(いずれも、みすず書房)などに描かれる「家族」こそ本当のものであり、通俗小説に出てくる毎度ばかばかしいお話は害がある。
  父は私に、毎日毎日「すべてをわしのために、捧げ尽く~す。とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしのために」と言い続けた。父親とは「そういうもの」であるのかどうかはわからないが、うちの父親はそういう男だった。「感謝せえよお、わしに。『親に感謝』じゃ、とってちってたあ~あ! わしに感謝、わしに感謝。すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために」と毎日毎日叫んでいた。「とってちってたあ~あ!」
  父の「親友」の医者屋のM川は、親友だけあって、父の希望を知り父に知恵をつけたようで、父がなんとか私を少しでも「下の大学」に行かそうとするのに加担したのだが、自分の息子を金権関西医大に裏口入学させるような根性の人間というのは、自分の息子を正規入試なら入れない大学に入れるだけではなく、ひとの息子の大学進学を妨害するものだということをM川を通じて私は理解した。
  父は「わしかて、家が貧乏やなかったら、間違いなく絶対に慶應大学に行ってました。家が貧乏やったから慶應に行きたかったけれども受けさせてもらえんかったんや。受けさせてもらえてたら間違いなく絶対に通ってて慶應に行ってます。あんたとは違うねんぞ。おまえとは。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ! このチャンコロめ、産まれなければよかったのに産まれおってからに、このチャンコロ!ちゃんころ! チャンコロ! ちゃんころ!」と言うのだった。 母は父が生きていた時はそれに同調していたが、父が他界して10年超えるとマインドコントロールが解けてきたようで、言うことが変った。「あの人、よくそういうことを言うねえ」と。「あの人が慶應に行きたかったというのは知ってたよ。あの人、慶應に行きたかったけれども貧乏やから受けさせてもらえなかったのじゃなくて、受けたけれども落ちたから行けなかったんでしょうが。よく言うわ。あの人のお父さん、船場の商社で出世して、新聞の一面に出るような人だったんじゃないの。私が結婚した頃は戦争でだめになってお金のない家だったけれども、あの人が大学に進学する頃は、ものすごい羽振りがよくて、女中さんが家にいる家だったでしょうが。あの人、毎日、女中さんに送り迎えしてもらっていた人でしょうが。家が貧乏やったから慶應を受けさせてもらえんかったて、よくそういうことを言うわ」・・・と言うのだった。そういうことだったようだ。しかし、よその息子に嘘言いまくって、自分の息子にはよその人間の嘘を見破って、「おまえ、あんなヨタ話、本気にするなよ」と教えるのが父親というものではないのかと10代から20代の頃の私は思っていたのだが、父親にもいろいろあるようで、うちの父親はよその息子には協力しても、自分の息子には、そういう嘘を言う男だった。
  その同志社も、どうも、「推薦入学」らしいのだ。もともと、YMCA予備校の「現代国語」の講師の先生が↑のように述べたように、法科でも国立大学でも東大や京大は難しかったけれども、旧帝大でも東北大なんてのは入りやすかったし、経済学部・文学部は入りやすかった、という時代であり、同志社なんて私立大学の経済学部なんて、「推薦入学」でなくても入りやすかったのではないかと思うのだが、そういう同志社の経済学部に「推薦入学」だったらしいのだ。で、誰が「推薦」してくれたのかというと、大阪のある教会の牧師さんらしい。牧師さんが「推薦」すると同志社に一般入試合格者と別に何人か合格できるという枠があったらしいのだ。その枠に、それまで、教会なんて行ったことは一度もない、『聖書』なんて1頁も読んだことはない、という人間が入れてもらって「推薦」で同志社に入学したらしい。なんで、それまでは教会に一度も来たことがない人間で、『聖書』なんて1頁も読んだことがないという人間が「推薦」してもらえたんだろう? 祖父はいったいどうやってそんな牧師さんを見つけてきたんだ? 私は、自分が高校生や受験生であった頃は、裏口入学する人間・させる人間なんて極悪人だと思っていたのだが、自分が受験生の親であってもおかしくない年代になってくると感じ方もいくらか変わった。どう変わったかというと、そういう裏口入学のコネクションをどこやらから見つけてくる人というのは、ある意味、たいしたもんだな・・・と。私なんか、そんなコネなんて・・・どこにもないし、見つけてくる才覚も、ないわ。あるのは、「I D野球式学習法 弱者の戦術」として実力で合格最低点を上回る点数をとる方法である♪ ・・・が、それにしても、よくそういうコネを見つけてくるものだと感心する。祖父にしても、我が家はもともとは浄土真宗であり、祖父も教会なんて行ったことない人間であり、そういう人間がいったいどこからそんな牧師さんを見つけてきたのか・・。
  その際、「推薦」する条件というのが、「洗礼を受けること」だったようだ。それで、祖父は自分の家の宗教を浄土真宗からキリスト教に改宗して息子を同志社大学に入れたようだ。父方の祖父と祖母は大谷本廟でお世話になっているが、父は同志社に入学する時にキリスト教の洗礼を受けたのでキリスト教会で葬式は行った。そのおかげで、我が家には「家の宗教」が2つできてしまった、扱いが大変だ。「推薦」の条件だが、「洗礼を受けること」だけではなく、もうひとつ、「特別献金をすること」というのがあったはずだ。たいてい、キリスト教会では、洗礼を受けるひとは「特別献金」をするものだ。で、その「特別献金」というのは、もしかして、別名「袖の下」とか言う・・・てことないか? ・・とか思ったりもしたのだが、今となってはよくわからない。
  父は「推薦入学」で同志社に行ったけれども、それでも、本当は行きたかったのは同志社ではなく慶應だったらしいのだが、残念ながら、祖父は同志社に「推薦」してくれる牧師をどこやらから見つけてきたらしいが、慶應に「推薦」してくれる人を見つけることはできなかったらしい。父はそれが不満だったようで、「わしはほんまは慶應やねんぞお。おまえとは違うねんぞ、おまえとは、このチャンコロ!この浪商め! わしはほんまは慶應やぞ、わしは。おまえとは違ってわしは慶應やねんぞお、このチャンコロめ! 産まれなければよかったのに産まれおってからに」と毎日毎日言い続けた。

  私は、父が『聖書』なんて読んでいるのを見たことがない・・が、「キリスト教主義の大学」である同志社を卒業しただけあって、キリスト教的なことを言うことはあった。「世の中はな。自分ではやらずにひとに命令したりひとに号令かけたりする人間と、自分のことを常にひとに決められて、常にひとから命令されてひとに号令かけられてせえっせせっせ、せえっせせっせとやる人間の2種類の人間がおってこそ成り立つものなんや。片方ではいかんのや。そやからやな。天の神さまは大変賢明なお方であって、わしいのように、自分ではやらずに常にひとに命令し号令かけるのが向いている人間と、あんたあのように自分のことを常にひとから決められて、何でも何でもひとから命令されて、ひとから号令かけられるのを喜ぶ人間、ひとから命令されてひとに号令かけられてせえっせせっせせえっせせっせと働くのが適している人間と両方の人間をお造りになっておるわけや。これは人間が産まれる時点において、天の神さまがお決めになったことであってやなあ、ひとがそれを変えることは決してできないし、変えようなどとは決して考えてはならないし、変えようなどと考える者を天の神さまは決してお許しにはならんのや。わかっとんのんか、チャンコロ!」と言うのであった。「民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかはひとに命令してひとに号令かけてひとを支配するための民族。チャンコロは常にひとから命令されてひとに号令かけられて、せえっせせっせ、せえっせせっせと働くことを喜ぶ民族なんや。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族。そんでもって、あんたはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商じゃ。わしはドイツ人で慶應で、あんたはチャンコロで浪商やねん。これは産まれる時点で天の神さまがそのようにお造りになったんや。決してそれを変えようなどと思いあがって考えてはならぬぞ、チャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロ! そんでやなあ、天の神さまは大変憐み深いお方であってやなあ、チャンコロにもまたチャンコロとしての人生を用意してくださっておるわけや。即ち、あんたのようなチャンコロには常に服従する人生というものを天の神さまは用意してくださっているのであ~る。神さまに感謝しろお!!!」と言うのであった。「天の神さま」というのはそういう存在らしい。
  「『自分ではやらずにひとに命令したり号令かけたりするのが得意』なんて、そんな人間、いない方がいいのと違うのですか」と言ってやったことがあったのですが、どうも、「天の神さま」というのはそういう疑問を呈するような不心得者を決してお許しにはならないらしい。
  だから、私にとっては、その「神さま」というもの、「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」の人たちにとっての「神さま」というのは「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族」らしい私にとっては仇敵である。

  大阪府箕面市の日本基督教団箕面教会のS田牧師は「家が貧乏やったから慶應なんかは行かせてもらえんかった。家が貧乏やったから一番学費の安い大阪経大に行ったんや」と言いまくっている男だった。それが「牧師説教」だったようだ。そんな話をして「祈りましょう」とか言うようだった。私は母に言ったのだ。「『家が貧乏やった』のなら、私立の大阪経大じゃなくて、学費の安い国立大学に行けばよかったのと違うんですか。東大に行けばいいでしょう」と。すると、母は「何を言ってますのん。東大なんか行ったら下宿代や交通費がかかるでしょうがあ」と。私は「それなら、阪大(大阪大学)に行けばいいのと違うのですか。大阪大学の方が大阪経大より安いのと違いますか」と。母は言うのだった。「それは、阪大より大阪経大の方がいいからでしょうよ」と。はあ? 阪大より大阪経大の方がいいかあ・・?
  父は私の顔の鼻とか眼のあたりを指さして言うのだった。「S田牧師さんは、おまえとは違って大阪経大やねんぞお~お。慶應なんか行かせてもらってないねんぞお。家が貧乏やから慶應なんか行かせてもらえないから、だから、大阪経大やねんぞお。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ!」と。それで、私は言ったのだ。「家が貧乏やったけれども慶應に行きたかったのなら、日本育英会奨学金から奨学金をもらって慶應に行けばよかったのと違うのですか?」と。母は言うのだった。「何を、あんたは甘ったれてますのん。慶應なんか行ったら下宿代と交通費がかかるでしょうがあ」と言うのだった。しかし、今もあるかどうかは知らんが、1980年前後の頃、慶應大学には日吉に、2食付きで風呂は週2回付で月1万2千円という大学の寮があったのだ。慶應の場合、慶應義塾奨学金という制度があって、日本育英会奨学金から学費分を出してもらった人には自動的に「生活費」を支給するという制度があったのだ。慶應はブルジョワの大学みたいなイメージがあるが、大学に関しては「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」の学費であるとともに(「野人」とか言ってる早稲田大より安いし)、そういった金持ちでない人でも行けるようにという制度がある大学である。 だから、「家が貧乏やったから」でなおかつ慶應に行きたかったということなら、日本育英会奨学金から学費分を出してもらい、慶應義塾奨学金から生活費を出してもらい、その上で大学の寮に入るなどすれば行けたはずなのだ。大阪と東京都の間の交通費なんて言っても、夜行バスは片道5000円くらいのものだから、年に3往復しても3万円である。そのくらい、どうにでもなるだろ。 
  そんなことよりも、S田さんは「家が貧乏やったから、慶應なんか行かせてもらえなかったから、だから、大阪経大に行ったんや」と「牧師説教」で言いまくるようだが、しかし、東大でても京大でても牧師になることはできないのと同様、大阪経大を卒業しても牧師にはなれないはずなのだ。牧師になるには、同志社の神学部とか関学の神学部とかを出ないといけないはずなのだ。S田牧師は、大阪経大を卒業した後、トーシンダイ(東京神学大学)に行って卒業して、それで、牧師になったらしい。なんで、東大に行くのは下宿代と交通費がかかるから東大には行けなくて、トーシンダイなら行けるのかマカ不思議であるが、トーシンダイに行くには下宿代と交通費はかからないのか?
  ともかく、私はその牧師屋さんのおかげで、父親から「S田牧師先生は、家が貧乏やったから大阪経大やねんぞお。おまえみたいに慶應なんか行かせてもろとれへんねんぞ、チャンコロ! わかっとんのんかわかっとんのんかわかっとんのんか、チャンコロ! 大阪経大に行った人の爪の垢を煎じて飲みなさい!」と毎日毎日言われてきたわけのだが、家が貧乏なら努力して学費の安い国立大学に行くようにするか、奨学金をもらって行くか、もしくは自治医大とか防衛大・防衛医大とか学費が要らない大学に行くかすればよさそうなものなのに、だいたい、大阪経大の学費が「私立大学の中では安い方」であったとしても、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)と私立大学を2つ行ったら学費は余計にかかるのと違うんかい! と思うのだが、それでも、父は「S田先生はおまえとは違うねんぞ、チャンコロ。家が貧乏やったから大阪経大やねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ! 大阪経大の人の爪の垢を飲みなさい!」と言うのだった。・・なんか、教会って疲れる。
  (2019.4.26.)

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