同志社今出川校区見学【7/13】寒梅軒、牛の像と大日如来石碑。有終館、致遠館、正門からすぐの良心の碑

[第445回]
   クラーク記念館の後ろ(北側)の位置に 「寒梅軒」 があります。
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( ↑ 寒梅軒。 西側から見たもの。)
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( ↑ 寒梅軒。 東側から見たもの。)
↑ 西側、庭に面した側などは茶室風のつくりかとも思えますが、クラーク記念館を左回りに一周まわって来て東から見ますと、「普通の家みたい」です。

( ↑ 「 i 」マークが 寒梅軒。 )
「寒梅軒由来記」として、現地に書かれている説明書きによると、
≪ 幕末の頃、二条斎敬公が関白になり、これを祝って水戸の烈公こと徳川斎昭が殿舎を今出川通東入に新築した。この時 寝殿につづく廊下の端に建てられたのがこの茶室である。 維新の際には会津の松平肥後や一橋慶喜など徳川方の要人等の密議の場所となったと伝わっている。 
   昭和29年(1954年)、女子大学増築の為、現在の大学図書館の位置に移転されたが、移転と造庭に要した多額の経費は裏千家御家元、及び茶道部先輩諸氏の寄付に依った。
移転と共に新たに、
裏千家十四代御家元淡々斎宗匠に軒名をお願いした処、同志社創立者新島襄先生の
「庭上一寒梅、笑侵風雪開 不争又不力 自占百花魁」
の漢詩より「寒梅軒」と命名して下さったのである。
   その後、昭和43年(1968年)、大学図書館新設の為
現在の地に移転し、またその折に広間の増築を行なった。
平成13年(2001年)には、二階部分の増築を行ない、現在の茶室に至る。≫
というものらしい。 最初、西側から見たところ、茶室風の作りで、茶道をする人のために作られた建物なのかな・・・と思ったのですが、東側から見ると「普通の家みたい」で、説明書きの最初の部分にあるような「幕末の頃」からある建物のような感じは、少なくとも東側から見た印象では受けなかったのですが、移築したり増築したりしているうちに、「幕末の頃」という感じではないものが加わったのかもしれません。

   クラーク記念館の西に牛の像があります。↓
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↑ 牛の像というと菅原道真が思い浮かびますが、ここはキリスト教系の大学で、北野・天神・天満・菅原系の神社ではない。 もしかして、北野・天神・天満・菅原系の神社の摂社か末社かがかつてあったなごりとかだろうか・・・とも思ったのですが、「大日如来」なんて掘られた石碑が手前に建っています。 《ウィキペディア―大日如来》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5 には、≪ 大日如来(だいにちにょらい、梵: Mahāvairocana)は、真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。 ≫ と出ています。  《ウィキペディア―新島襄》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E8%A5%84 によると、同志社は≪ 明治8年(1875年)11月29日、かねてより親交の深かった公家華族の高松保実より屋敷(高松家別邸)の約半部を借り受けて校舎を確保し、京都府知事・槇村正直、府顧問・山本覚馬の賛同を得て旧薩摩屋敷5800坪を譲り受け官許同志社英学校を開校し(新島襄が)初代社長に就任する。≫として設立されたもので、その前は高松保実の屋敷であった部分と旧薩摩藩屋敷であった部分からなり、「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」の展示によると、薩摩藩屋敷であった部分というのは北側の相国寺からの借地だったということですから、もしかして、高松家の屋敷か薩摩藩屋敷のいずれかにあった大日如来を祀るものが残っているのか、それとも相国寺に由来するものなのかなのでしょうか。 もっとも、大日如来と石碑には書かれていても大日如来の像があるわけではなく、牛の像とはどういう関係があるのかもよくわかりませんが。 それとも、キリスト教系の大学としての同志社を運営していく上で、仏教系のもの・神社系のもので残っていたものをここに持ってきたということで、北野・天神・天満・菅原系の神社の祠がどこかにあってそこの牛の像が残っていたのと、大日如来を祀る寺のお堂の石碑が残っていたのを、いずれも、宗教に関するものですから粗末にするべきものではないが、キリスト教系の大学として祀るというわけにもいかず、ここに安置した・・というものなのでしょうか・・・。

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  ↑ クラーク記念館の前に「1876」 「第二寮跡」という石碑が横たわっています。 クラーク記念館が建つ前、「第二寮」がそこにあったということでしょうか。1876年というと、「岩魚ごっそり(1875)、千島樺太交換条約」の1875年の翌年。クラーク記念館の竣工の年かつ「一躍 清(1894)を攻める日清戦争」の年の1894年の19年前、ということは、この1876年というのは、「第二寮」が設立された年ということなのでしょうか。
  クラーク記念館の東側の「待辰館(たいしんかん)」の前だったでしょうか、「第一寮跡」という石碑も横たわっていました。 かつては、第一寮・第二寮というのがこの付近にあったということなのか。

   寒梅軒の手前にクラーク記念館がありますが、クラーク記念館の前から南南東の方向に行くと見えてくるのが、「有終館(ゆうしゅうかん)」(重要文化財)↓です。
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〔 ↑ 「 i 」マークが 有終館(ゆうしゅうかん)です。 〕
クラーク記念館の南側から南方を見て、有終館(ゆしゅうかん)の右手前にあるのが「弘風館(こうふうかん)」、左手前にあるのがウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計という「致遠館(ちえんかん)」、致遠館の手前が神学館。有終館の東に「良心碑」があります。 ↑の写真で右手前に見えているのが「弘風館」のようです。 
   「弘風館(こうふうかん)」は、≪教室棟、日本語・日本文化教育センターの拠点で、入学センター、広報課や校友課もある複合施設です。1957年3月に第一期工事が竣工し、第二期工事が完了した1959年3月に現在の姿になりました。館名は、現在の至誠館の位置にあった同名建物の名称を受け継いでいます。  ≫( 《同志社HP 建物紹介》https://www.doshisha.ac.jp/information/facility/buildings/imadegawa.html#kofukan_building )というものだそうです。有終館やクラーク記念館と違ってわりと新しそうに見えますが、私が生まれるより前からあった建物らしい。ということは、円満字洋介が生まれるよりも前。朝鮮戦争勃発が1950年、東京オリンピックが1964年ですから、弘風館の竣工の1957年は朝鮮戦争と東京オリンピックの真ん中ということになりますね。

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↑ 有終館、東面。 玄関左側に「同志社大学」、右側に「学校法人 同志社」と縦書きにされた木の札が掛かっています。クリックすると大きくなるので大きくして見ていただくと、一部分の文字が読めますが、その右下に金属のプレートで「重要文化財 同志社有終館 ・・・・」と書かれたものが貼られています。
   円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドマップ』(2011.10.31.エクスナレッジ) には、
≪ レンガ建築の再生事例 同志社 有終館 1887年 D.C.グリーン ・・・≫
≪ 礼拝堂に続いてグリーンの完成させた旧図書館の有終館は、礼拝堂とはうってかわってレンガの模様貼りを駆使した華やかな建築だ。元は南側が入り口だったのはなぜだろう。 おもしろいのはどっちから見ても同じ十字形プランになっていることだ。
  この建物は1928年の火災で内部を焼失し解体の危機にあったが、武田五一が指導して、内部を鉄筋コンクリートで補強して再生させた。レンガ建築再生の、ごく初期の事例としても貴重な作品だ。≫
   設計者のグリーンは、パサディナのギャンブル邸の設計者のグリーン兄弟(グリーン&グリーン)〔チャールズ・サマー・グリーン(1868~1957)とヘンリー・マザー・グリーン(1870~1954)〕ではなく、礼拝堂と同じくダニエル=クロスビー=グリーン(1843~1913)である。

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 ↑ 有終館 北面。


 ↑ 「 i 」マークが 有終館。 その北東(右上)にあるのがウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計という「致遠館」。 東から見ても、北から見ても、似たような縦長の面があると思ったが、これは東と北だけではなく南と西にも同様の面があって上から見ると十字の形になっているようです。 もっとも、「世界の丹下健三設計」という東京カテドラル聖マリア大聖堂にしても、「上から見ると十字の形に見える」というのですが、そんなもん、カラスじゃあろまいし、誰が上から見るねん、そんなもん・・・てところはあるのです。 東京カテドラル聖マリア大聖堂は、もしかして、某国の諜報機関からの指示により「世界の丹下健三」が某国の戦闘機が上空から見た時に、東京の文京区関口に×字型が見えて、それが爆撃する際の目印になるように設計して建てさせたのではないか、某国の諜報機関からの指示に従って設計して建てさせたのと引き換えに、その諜報機関が、言うことをきく男で使い出がある場合ということで、実はどうってことない設計者を「世界的建築家」に祭り上げた・・・・なんてことないか? なんかありそうな・・・・なんて思うような建物であったのですが、ダニエル=クロスビー=グリーンの有終館の場合は、上空から見てもそれほど十字形が目立つわけでもないと思えるので、そういうものではないと思います。 「世界の丹下健三」の東京カテドラル聖マリア大聖堂は、せっかく東京都内に広い敷地があるのに、なんとももったいない作り方をしており、十分に採光が採れる敷地なのに、わざわざ、洞窟みたいな内部にしてしまっている建物ですが、ダニエル=クロスビー=グリーンの有終館は外からしか見ていませんが、外から見て判断する限り、「十分、使える建物」ではないかと思えます。
※ 東京カテドラル聖マリア大聖堂 の写真は、《「建築家」と「建築屋」と「建築士」はどう違うのでしょうか???(2011.1.) 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_3.html に掲載していますのでご覧ください。
  有終館の前に出ている説明書きによると、設計者のダニエル=クロスビー=グリーンは同志社の教員であったらしく、施工は京都の棟梁の三上吉兵衛で、最初は南側に入口があったが東側に変更されたのは、南側を東西に通る今出川通りが拡幅されたことによるようです。 火災で内部を焼失した後は、外壁内側を鉄筋コンクリートで補強して再使用することになったらしい。

  有終館の前に、新島襄の言葉が出ていました。↓
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↑ ≪ 時論は変換の憂いなき能わず
     高徳は万古不易なり
           ―――新島 襄

       (出典 同志社編『新島襄書簡集』岩波文庫 279頁 ・・・) ≫
その時その時に役立つものもまた必要かもしれないが、時代に関係ない真理は貴重であるという考え方を新島襄は持っていたということでしょうか。
  教学社の大学別入試問題シリーズの『京都大学』で、京都大学設立の趣旨として西園寺公望が、すでに東京帝国大学があるが東京は首都であり、首都というのはどうしてもその時その時の政治の影響を受けやすいものであるが、学問はその時その時の社会の動きをは関係なくもっと長い目で見て研究を進めるべきものがあるはずであり、その為に、東京から離れた地であるここ京都に京都帝国大学を作ることとする・・・といった文章が掲載されていたのを覚えています。

   
↑ 有終館の北東、弘風館の東にウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計という「致遠館」があります。山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)には、
≪ 同志社には(アーモスト館の)他に致遠館および啓明館(旧図書館)など、大正期のヴォーリズの建築がある。 ≫と出ています。

   有終館の東、致遠館の南、正門を入ってすぐの所に、「良心碑」があります・・・・が、良心碑の説明書きの写真は撮ってきたものの、良心碑の写真を撮るのを撮ったつもりで忘れてきてしまいました。
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↑ 「良心碑」の説明書き。
≪ 「 良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来ラン事ヲ
                                 新島襄 」

 同志社の創立者、新島襄(1843-1890)が同志社普通学校5年生の横田安止(やすただ)に送った手紙(1889年11月23日付)の中の一節。
新島の自筆を拡大して刻む。
「一国の良心」となる人物の養成を使命とした新島の教育理念を端的に示す。同志社創立65周年記念日(1940年11月29日)に除幕。
裏面に徳富蘇峰の筆で碑の由来を彫る。・・・・・ ≫ とある。

↑ 「 i 」マークが「良心碑」。 その上(北)が致遠館。 左(西)が有終館。 下(南)の東西の通りが今出川通り。東の南北の道を北に行った突き当りに相国寺
1889年というと、新島襄が他界したという1890年の前年、1894年の日清戦争の5年前。
1940年は、盧溝橋事件、日中戦争開始の1937年の3年後、太平洋戦争開始の1941年12月の前年。「敗戦」だか「終戦」だかの1945年の5年前。

   良心碑のすぐ南東の出入口が「正門」ということになっていますが、一応、門はありますが、「正門」というほどものすごい門があるわけではありません。 東大の本郷なんかは、赤門という元 加賀前田家屋敷の門が有名であるとともに、伊藤忠太設計の「正門」というのがその隣にあって、それより内側は学問の世界であると外の都会との間に結界を設けていますが、たいそうな門がある方がいいのかどうかは何とも言えません。慶應なんかは、むしろ、「門のない大学」などと言って門がないことを自慢にしていますが、まあ、どっちがいいかは何とも言えないと思います。
   「正門」はそれほどものすごい門でもないのですが、正門を入ってすぐの位置に「良心碑」があるというあたりは正門を意識した造りなのかもしれません。

   次回 、啓明館・・・

   (2019.3.4.)

☆ 同志社 今出川校地 見学
1.共学同志社見学。JRと京都地下鉄の駅名のつけ方。母親の自慢を本気にする男 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_1.html
2.裏口入学は「庶民」か? 「思考が柔軟」か? 西門、彰栄館。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_2.html
3.グリーン設計の礼拝堂。「パンのみにて生きるにあらず」を理解する者しない者 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_3.html
4.「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」、大学からなくなるスピーカーズコーナー https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_1.html
5.明徳館、『同志社のシンボルとなっている塔』のある建物。「美しき水車屋」の娘? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_2.html
6.千葉教会と同じリヒャルト=ゼール設計の「大志を抱け」とは別人のクラーク記念館 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_3.html
7.寒梅軒、牛の像と大日如来石碑。有終館、致遠館、正門からすぐの良心の碑 〔今回〕
8.啓明館。ヴォーリズ設計は新島遺品庫。栂と黒松。京都御苑から相国寺 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_5.html
9.アーモスト館。パラディアンウインドウ、ギャンブレル屋根。「アマースト大学」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_6.html
10.同志社女子大栄光館。武田五一知ってる? 学校は建築家が完成させない方が良い https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_7.html
11.大丸ヴィラ・日本ナザレン教団上京教会・日本聖公会聖アグネス教会ほか https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_9.html


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