同志社今出川校地【4/13】「ハリス理化学館同志社ギャラリー」、大学からなくなるスピーカーズコーナー

[第442回]
   礼拝堂の前(南)を東に進むと、左手(北側)に「ハリス理化学館」、右手(南側)に「明徳館」があります。今回は北側の「ハリス理化学館」
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 ↑ 礼拝堂の前から東に進んで左側(北側)の「ハリス理化学館」です。重要文化財に指定されている建物ですが、内部は「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」として同志社と新島襄についての展示がされており、無料で入場見学できます。ハリス理化学館の建物自体も1890年(明治23年)竣工の重要文化財に指定される歴史的建造物ですが、誰でも内部を見学することができます。
  「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」で展示されているのは、
同志社のあゆみ
新島襄の人と思想
同志社の今
世界の中の同志社
京都の中の同志社
J.N.ハリスと同志社
と 企画展示 で、企画展示は何か月かごとに内容が変るようです。
新島八重 てどこかで聞いたことがあるような気がしますが、《ウィキペディア―新島八重》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E5%85%AB%E9%87%8D によると、2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の登場人物ですが、会津藩の砲術師範の娘として生まれ、会津戦争の鶴ヶ城籠城戦では自ら銃と刀を持って奮戦したとされ、後に京都に行き、新島襄の妻となり、同志社女学校(後の同志社女子大)の設立にも尽力したらしい。

   円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)には、礼拝堂・明徳館・クラーク記念館・有終館・啓明館・アーモスト館・同志社女子大学栄光館が掲載されており、このうち礼拝堂・クラーク記念館・有終館の3つが重要文化財、啓明館とアーモスト館の2館が国登録有形文化財に指定されており、慶應の三田キャンパスで重要文化財に指定されているのは曾禰・中條建築事務所設計の旧図書館と演説館の2つであるのに対し、同志社の今出川校地はこれだけでも3つと重要文化財ですが、円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)にとりあげられていないものでも、「ハリス理化学館と彰栄館も重要文化財に指定されており、計5館が重要文化財、2館が国登録有形文化財ということになります。
  この同志社の今出川校地というのは、同志社の建物が建てられる前はどうなっていた場所なのかというと、薩摩藩の屋敷があった所で、北側にある相国寺からの借地だったらしく、そこに同志社が建てられたらしい。東大の本郷キャンパスは加賀前田家の屋敷だった所で、慶應の三田キャンパスは島原藩の下屋敷だった所らしいが、いずれもどこかの藩の屋敷だった所と考え、東大の本郷を思い描いて慶應の三田に行ってみると、「なんか、狭いな」と思うのですが、考えてみれば、福沢諭吉という人は大分県の中津藩の下級氏族の出で、洋学者になり徳川家に仕えた幕臣とはいえ下級氏族だったわけですから、単に下級氏族でしかなかった福澤諭吉が築地鉄砲洲でやっていた慶應義塾が手狭だからもう少し広い所に移れないかと考えていたところ、廃藩置県が実施されて藩の屋敷だった所が誰の所有になるのか不明確になった時期があって、その時にうま~く安く買っちゃった♪ というのが三田キャンパスだ・・・・と福澤諭吉自身が『福翁自伝』(岩浪文庫)に書いていますから、そうなのでしょうけれども、うま~く安く買っちゃった♪ としても、下級氏族だった人が買っちゃったものですから、オカミが設立した東京帝国主義大学の敷地と比べると狭いとしても、それはしかたないかもしれない。同志社の今出川校地はどうしたのかというと、「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」に出ていたものによると、もともとは薩摩藩の屋敷で北側にある相国寺の借地だったらしい。《ウィキペディア―新島襄》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E8%A5%84 には≪明治8年(1875年)11月29日、かねてより親交の深かった公家華族の高松保実より屋敷(高松家別邸)の約半部を借り受けて校舎を確保し、京都府知事・槇村正直、府顧問・山本覚馬の賛同を得て旧薩摩屋敷5800坪を譲り受け官許同志社英学校を開校し初代社長に就任する。≫とある。新島襄は群馬県の安中藩の氏族だったらしいが、「ハリス理化学館同志社ギャラリー」に出ていたものによると、安中藩の上級士族の息子で江戸藩邸にて生まれたらしい。福澤諭吉は大分県の中津藩の下級氏族の息子だったというが、新島襄は上級士族の息子だったそうな。で、なかなか、冒険家精神の旺盛だった男のようで、《ウィキペディア―新島襄》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E8%A5%84 には、≪当時は禁止されていた海外渡航を思い立つ。  元治元年(1864年)、アメリカ合衆国への渡航を画策し、「快風丸」に乗って開港地の箱館へと向かう。・・・6月14日(7月17日)、箱館港から米船ベルリン号で出国する。上海でワイルド・ローヴァー号に乗り換え、船中で船長ホレイス・S・テイラーに「Joe(ジョー)」と呼ばれていたことから以後その名を使い始め、後年の帰国後は「譲」のちに「襄」と名乗った。 慶応元年(1865年)7月、ボストン着。 ワイルド・ローヴァー号の船主・A.ハーディー夫妻の援助をうけ、フィリップス・アカデミーに入学することができた。 ≫と書かれているように、キリスト教を学ぶために、アメリカ合衆国に当時は禁止されていた海外渡航を密航という形で実行したらしい。で、ともかく、福沢諭吉のような下級氏族ではなく上級士族の息子であったとは、京都府知事が賛同したとはいえ個人が設立したものなので、東大の本郷などに比べると敷地は狭い。 同志社のホームページを見ると、「今出川校地」といった書き方がされているが、《ウィキペディア―同志社大学》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%BF%97%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6 を見ると、今出川キャンパス・ 新町キャンパス・ 室町キャンパス・ 烏丸キャンパスのこの付近の4ヵ所を「今出川校地」と言い、 京田辺キャンパス・ 多々羅キャンパス・ 学研都市キャンパスの3か所を「京田辺校地」と言っているらしい。慶應の三田は小山になっているので階段を登って入らないといけないが、同志社の今出川キャンパスは平地なので階段を登らなくても入れるという点はいい。
   同志社の今出川キャンパスには、それほど広いわけではない敷地に需要文化財だらけで、重要文化財に指定されていない建物にしても、ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計の致遠館(ちえんかん)とか、由緒ありげな建物が多い・・・・のはいいのだけれども、そして、「ハリス理化学館」にも、↓のように、
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↑ ≪重要文化財 ・・・・ 大切に使用し貼紙掲示喫煙等は遠慮してください≫と書いてあるのですが、たしかに、歴史的建造物というものは、重要文化財に指定されているかいないかにかかわらず大切にするべきで、破損するおそれのあるような貼紙掲示は控えるべきではないかと思うのです・・・・が、片方で、「それなら、どこに落書きすればいいの?」・・・・なんて思ってみたりもするのです。こう言うと、「なんで、落書きせんといかんねん」とか言い出す人がいるかもしれませんが、大学の校舎というのは、多少の落書きはある方が健全ではないのか・・・なんて思うのですよ。
   私はしませんよ、今の私は。ここは自分が卒業した大学でもありませんし。もう、落書きする年齢じゃなくなってしまいましたしね。庄司薫が『バクの飼い主めざして』に、庄司薫は散歩が好きで特に学校が好きなのだが、小学校とかをうろついて変質者と思われてもいけないので、その点、大学なら大丈夫と大学の構内を歩いたりすることがあり、合格発表の時なんて発表を見に来ている受験生を見て過去の自分を思い出したりすることがあり、そういう際、サークルの勧誘をやってるにーちゃんたちに誘われたり・・・なんてのを30過ぎるくらいまでしたことがあった、そういう30過ぎるくらいまで大学の新入生と間違えられるという「実力」もしくは「実力のなさ」があったと書いていたが、実は私も、30前に何の用事だったか慶應の日吉に入学式の後くらいに行ったことがありまして、「新入生の方ですか」とサークルの勧誘やってるにーちゃんから誘ってもらったという「実力」もしくは「実力のなさ」がありましたが、最近はさすがに大学に行っても大学生と間違えてもらえませんね。
   何年か前か、卒業証明書だったかを学生部で出してもらう用事があって慶應の三田に行った際、昔と違って今は求人票というのはパソコンに入っているようで、その検索の仕方を教えてくださいと大学生のねーちゃんから頼まれたことがありましたが、なんで、そんなもん、俺にきくんだよお! と思ったのですが、どうも、事務職員と思われたみたいです。 教職員ではなく事務職員と思われるというあたり、長年の会社勤めが体にしみついたということでしょうか。教授のふりして「この私に向かって!」とか言ってやると面白かったかな? ・・・まあ、そんなアホの真似はやめましょう。「アホな真似」じゃないですよ、「アホの真似」ですよ。1980年代終わり頃、「就職ガイダンス」というものに、慶應の講堂か大ホールみたいな大教室で実施されたものに出た時、就職部長だという経済学部のT教授が演壇でマイクを持ち、そして、何を話されたかというと、「先日、三田のキャンパスを歩いていたら、私の横で大声で『お~い』と叫ぶバカがいて、何を私に怒鳴りつけるのかと思ったら、遠くの方に友達がいたらしくて、それで大声で呼んでいたらしい。この私がそこにいるのにだよ! 殴ってやろうかと思った! そういうヤツは会社ではクビだ! 社長がそこにいるのに大声で怒鳴りつけるようなヤツはクビだ! だから、私はそいつを殴ってやろうかと思ったのだが、頭、おかしいのじゃないか」とマイクに向かって言われた、ということがあった。その教授先生の方が「頭、おかしいのじゃないか」と思ったのだが、そういうと、「そんなこと言うヤツは、クビだ!」とか言い出すでしょうから、黙ってましたが、慶應の教授というのはそういう人が多いもんだと、毎度のことながらあきれました。その教授が三田のキャンパスを歩いていたところ、近くで大声を出して「お~い」と言う男がいたらしいのですが、その男は私ではないし、私はその場で見ていたわけではないので、状況はその教授先生のお話から判断するしかありませんが、その男は、別段、その教授先生に怒鳴りつけたわけではなく、遠くに友人がいて、そいつに気づかせようとしたが、小さい声で言ったのではわからないので、それで大きな声で叫んだ、ということだったようです。その時、たまたま、その教授先生がその間の位置を歩いておられたらしい。その教授先生は自分はエライ人であり学生は誰もが自分を尊重して遠慮するのが当然だと思い込んでおられたらしいのですが、その学生はその教授先生を知らなかった。私もそのT居教授をその時始めて見たし、名前もその時始めて聞いた。「この私に向かって」とおっしゃったけれども、そう言われるからには「おエライ方」なのかもしれんけれども、正直なところ、「誰やねん、このおっさ~ん」て感じやった。慶應のその頃の教授で有名人というと、「プロ野球に詳しい」ということで有名な(わりに大学での専門は何をやっておられるのか知ってる人間は少ないというのが)政治学科の池井優教授、大学入試で現代国語が試験科目にある国立大学を受けた者には知っている人間が多かったのが「現代国語頻出作家」(というほど頻出でもなかったが、「頻出作家」として名前が出ていた)哲学科の沢田充茂(のぶしげ)教授、「講義の最中に『恋かな、イェイ♪』と歌を歌いだすという噂があったがたぶん違うと思うのが政治学科の速水融教授・・は早見優と読みが同じで別人、それに塾長で臨教審、中曽根康弘の仲間で教育勅語復活を画策する石川忠雄教授とかそういう人はけっこう知っている学生が多く(といってもそれらの人についても知ってるのは名前であって顔が知られているのは塾長くらいのものだと思うが)、他は自分が履修している科目の先生とか西川俊作『経済学 第2版』(東洋経済新報社)とかテキストの筆者の先生だと名前くらいは知っている(慶應の商学部の学生の間で有名な経済学者は? というと、これはアダム=スミス・カール=マルクスやケインズ並みに有名なのが西川俊作教授でした(^^)/)けれども、T居教授なんて知らんがな・・・なんて言うと激怒されるのでしょうけれども、実際問題として、御本人がそう言われるからにはおエライ方なのでしょうけれども、知らんで、そんな人なんて〔「プロ野球に詳しい」らしい池井優教授にしても新聞のスポーツ欄で名前を見るので名前は知っていてもどんな顔の人かなんて知らんし、沢田充茂(のぶしげ)教授にしても講談社現代文庫の著者名で名前は知っていても顔は見たことないし、顔でわかるのは中曽根臨教審で新聞にもしばしば顔写真が出ていた石川忠雄塾長くらいのものだわ〕・・・・てところで、その学生も、遠くに友人がいて、小さい声で言ったのでは聞こえないと思ったから、だから大きな声で「お~い!」と叫んだわけで、その間を歩いているおっさんが「この私に向かって」とかいうようなそんなおエライ人だなんて知らんがな・・・てところだったのでしょう。その教授先生のお話を聞く限り、事実関係は何もその先生に怒鳴りつけたとかいう話ではないようです。ましてや、「殴ってやる」なんておっさんが思ってるとは露知らず。本当に殴られたらびっくりしただろうなあ・・・。「頭、おかしいんじゃないか」とその教授先生はマイクに向かっておっしゃったのですが、殴られたなら殴られた学生の方が、いきなり殴りかかられて、「このおっさん、頭おかしいんじゃないか」と思ってのではないかと思います。ましてや、その時は何も言わずに、後になってから、「就職ガイダンス」の場で、演壇でマイク持って千人以上を前にして「殴ってや~る!」と叫ぶというのは・・・・、まあ、おエライ方らしい、少なくとも御本人は自分をエライ人と思っておられたようですが、なんだかなあ~あ・・・・と思いましたね。だいたい、「社長に向かって怒鳴りつける者はクビだあ!」とおっしゃるのですが、しかし、その先生はあくまでも大学の教授であって会社の社長と違いますでしょ。社長になりたかったのなら、大学の教員にならずに会社に勤めて社長になれば良かったのでしょうよ。違いますか? 又、社長だからといって、簡単に「クビだあ!」なんてその先生みたいに言われたのではたまりませんね。会社の社長は「クビだあ!」とその先生みたいに言うことができるかというと、少なくとも法的にはできませんし、会社の運営ということから考えても社長になっている方にそんな態度はとっていただきたくない、高い役職についている人は、そうであればこそ、「クビだあ」などというようなことを簡単に口にしていただきたくないですね。もっとも、「社長に向かって」ではなく誰に向かってであれ「話は穏やかに」するのが望ましいとは思いますが、議論が白熱して少々激しい口調になることがあったとしても、だからといって、簡単に「クビだあ」とか言い出すような社長はその社長の方が困りものです。 法的には、社長が従業員に怒鳴りつけられたからということを理由にしての解雇は認められるかというと、「解雇権の濫用」と評価されるはずですが、それにしても、「社長に向かって」でも「社長が」でも話は穏やかにするのが好ましく、怒鳴りつけるという話し方は避けた方がいいでしょうけれども、もし、社長の方が怒鳴りつけられてもしかたがないような行為をしておきながら、「社長に向かって」とか言い出したということならば、怒鳴りつけられなければならないような行為をした社長の方が問題があると評価される可能性もあります。
   もし、大学の構内を歩いていて、横で大声を出されて自分が怒鳴りつけられたのかと思って驚いたが、実際はそうではなく遠くにいる友人に気づかせるために大声出したというものだったが、自分は怒鳴りつけられたのかと思ってびっくりしたということなら、それならそれで、その時は何も言わないで後になってから千人以上も前にしてマイク持って「殴ってや~る!」などと叫ぶのではなく、その時その場で、「おいおい、びっくりするじゃないか。あなたは友達を呼んでいるつもりだったかもしれないけれども、その間を歩いている者もいるんだから、間を歩いている者は自分が怒鳴りつけられたのかと思ってしまうだろう。もし、会社に勤めたら、上役によっては自分が怒鳴りつけられたと思ってそれで怒り出すような人だっているかもしれないよ」とでも言ってあげればよかったのではないか。 その時は何も言わずに・・・というより何も言えずに、後になってから何千人と前にしてマイクに向かって「殴ってや~る!」て、なんか、おエライ方か知らんけど、言うと怒るだろうけれども、なんだか、ちっぽけなおっさん・・・て感じがしたが(また、たぶん、このおっさん、内部進学だろうなあ・・とも思ったが)、言うと怒ると思うから私は言わない・・・けれども、なんだか、慶應の先生というのはそんな人がけっこう多い(かつ、慶應にも他大学出身の先生もおられ、そういう方は私と同じようなことを感じられることもあるようで、「ここの学校の先生は・・ねえ~え・・・」などと言われることもあるのだが)、慶應義塾大学という大学は、講義の休講の掲示には東大なら「◇◇教授 休講」と書くところを「◇◇君 休講」と記載して掲示し、それは「先生というのは福澤諭吉だけで、ほかは誰もが慶應義塾で学ぶ仲間であるからである」とか言いますが、しかし、「この私に向かってえ」とか「殴ってや~る」とか講壇で何千人を前にしてマイクに向かって叫ぶようなそんな教授先生を休講の掲示だけ「◇◇君 休講」なんて書いてもあんまり意味ないような感じがするのですが、そんな大学です。その求人票の検索のしかたを私に教えてくれと言ったねーちゃんですが、私は学生には見えないが、どう見ても教授先生には見えなかった、ということなのでしょうね( ^)o(^ )  「この私に向かって!」とか教授のふりしてそのT教授みたいに言ってみたらどうなったか・・・なんて思わんこともないけれども( ^)o(^ )、そういう「アホな真似」ではなく「アホの真似」はせんとこ・・・(^^)/ いつの頃からか、大学に行っても大学生とは間違えてもらえなくなってしまったのですが、実際にはある程度以上の年齢になって再度大学に行く人だってあるわけですが、ともかく、落書きするような年齢では残念ながらなくなってしまいました・・・・が、私はやらないけれども、20歳前後くらいの大学生にとっては、大学の校舎の壁、トイレの壁、教室の机、教室の壁、廊下の壁といった所の「落書き」というものは、これはない方がいいのかというと、そうではないように思うのです。 私が20代の頃、大学の「落書き」を見ていると、青春もの・政治もの・猥褻もの、いずれもなかなかの名作があって、読むと面白いものがけっこうありました。1980年、早稲田大学の商学部の入試で「不正」があったという時など、慶應の日吉の壁には、
「 どうして、あそこだけ、あんなことがあったのだろうか―外部生
 どうして、あそこだけ、あんなことがばれたのだろうか――内部生」
なんてのがありました。日吉の大教室の机には、
「公立小学校―公立中学校―公立高校―現役京都大学 これこそ、最高のエリート」
と書かれたものがありました。そういうコースを進むはずだったのに、な~んでか、慶應みたいなもんに行ってしまったという人が、その慶應で内部進学のアホがえらそうにしやがってからに・・・と思って書いたのでしょう。その隣に別の字で
「慶應幼稚舎―慶應中等部―慶應義塾高校―慶應大学経済学部 これこそ、最高のエリート」
と書かれていました。内部進学のそういう思想の人が書いたのでしょう。第2校舎というサークルの部室が入っていた棟の壁には
「中村 勝範 死ね!」
なんてのもありました。知らない方のために説明しますと、中村勝範というのは慶應の政治学科の悪名高い右翼教授で、『正論自由―赤い国の人々の嘆き声を聴け』とかいうような本がその講義の「教科書」だか「参考書」だかで、「諸君!」「正論」「サンケイ」とほとんど変わらんて人、ほとんどビョーキ! て感じの人です。今は名誉教授になっているのではないでしょうか。 1985年というと阪神タイガースが優勝した珍しい年ですが、慶應の日吉キャンパスに新図書館が竣工したのですが、その「東大の建築学科を卒業されて慶應で教えておられる槇文彦先生」という竹中工務店の会長の孫で小学校は慶應幼稚舎だそうなビッグネームの「建築家」が設計されたという新図書館ですが、なんだか、デザイン・装飾にばっかりこって使い勝手なんかどうでもいいみたいな感じ! というのがその時の私の印象だったのですが、一番気に入らないと思ったのは、トイレの壁で、ツルツルの素材で落書きしようと思っても書けない素材を使用していたのです。これは絶対にいけない! と思いました。 私は大学の落書きというのは青春もの・政治もの・猥褻ものといずれもなかなかの名作が多く、見ていると面白いのですが、そうは言いましても落書きですから、積極的に奨励するべきものではない、とは思いますが、しかし、必死になって書かすまいとするのはそれは良くない、特に、「落書きである以上は積極的に認めるということはしない」というのならともかく、「書こうと思ってもかけない素材を使用することで書けなくする」というのは、これはけしからん! そういう態度・対応というのは、それは「言論の自由」を抑え込もうという姿勢と判断されるのではないか。 ロンドンのハイドパークにはスピーカーズコーナーという区域があって、そこでは、いつも、何人もの人が演説をぶっている。そこでは「女王の悪口以外は何を言ってもいい」とされており、同時に、「それに対する反論もまた何を言ってもいい」とされている。 大学の構内というのは、それに近い所があったかとも思ったのですが、1980年代の慶應なんて「原理研と浄霊だらけ」で、うかつに立ちどまると原理研にまとわりつかれるという状態でした。さらに、御茶ノ水に明治大学があって、横を通ると、明治大学というのは慶應にくらべると「大学っぽ~い」雰囲気をもっていたのですが、いつしか、御茶ノ水の明治大学は敷地の中に校舎があるという大学式のつくりではなくなり、オフィスビルみたいな高層ビルにかわってしまいました。 その新しいオフィスビルみたいな高層ビルの校舎を、「建築家」と称するようなしょーもないおっさんは「名建築」とか言ってヨイショしているのです。 大学を、学生たちが自ら学び意見を述べて議論しあう場ではなく、教員の指導により学生が型にはめられたものに形成されていく場にしていく建物が「名建築」だと言っていいのか? そのあたりを考えてこそ価値のある建築家ではないのかと思うのですが、だいたい、建築屋ではなく「建築家」とか称すればひとは自分を高く評価してくれるだろう・・・とか考えているようなヤカラなんて、ろくなのいませんからね。
   日本の大学からはスピーカーズコーナーはどんどんとなくなっていくのでしょうか。京大でタテカンを立てるのがいかんとか言い出した人がいるようですが、愚かだと思いますね。自分の首を絞めているようなものではないでしょうか。 ・・・・で、同志社の今出川キャンパスを見まして思ったのは、ここまで重要文化財だらけだと、落書きするのに困る・・・・て、私が落書きするのではないのですが、歴史的建造物への落書きはいかんと思うし、歴史的建造物への貼紙掲示も控えた方がいいとは思うのですが、片方で、「スピーカーズコーナー」、何を言ってもいい、何を書いてもいい・・・というコーナーが大学からなくなる、大学にないというのもまたいいとは言えないように思ったのです。 大学という所は、タテカンのひとつくらいある方が健全で、落書きというのは歴史的建造物にはやめてくれというのは大いにもっともだと思いますが、そうでないものには、むしろ、どういうものにしろ、少々あった方がむしろ健全ではないのか、などと思ったのです。もし、大学からタテカンをすべてなくし落書きをすべてなくしたなら、それが健全だと思っている人がいるのなら、その人の頭の中こそなにより不健全ではないか? そう思いませんか? ・・・とはいえ、重要文化財だらけの今出川校地を見ると、そういう建物に落書きするわけにもいかんし、それはいかんだろうなあとも思うのでした。
   円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)の作者、円満字洋介という男は私より少し年下で京都工芸繊維大学の建築学科卒だそうですが、私などは高校を卒業した頃は父親から「うちは工学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われ続けたもので、「国立の大学は何学部でも学費は一緒や」と言っても母は「100%絶対に国立の大学に通るとは限らないでしょうが。たとえ、1%でも落ちる可能性がないわけじゃないでしょう。落ちたら私立に行かないといけないのだから工学部なんか受けてはいかんでしょうがあ」と言われたものでした。その結果、小学校の時から、そこだけは絶対に行きたくない行かされたくない、そんな所に行かされるくらいなら大学は行かない方がいいと思っていた学部であった経済学部(及び、商学部・経営学部)に無理矢理強制的に脅迫と強要と暴力で行かされてしまいました。私にとっては建築学科なんて行きたいと思っても行かせてもらえない学部だったのです。東大の理科一類に通ったか、京大の工学部建築学科に通ったかというとそれはわかりませんが、国立大学で京都工芸繊維大学よりも評価の高い所にというくらいなら合格できた可能性は低くないと思っています。円満字陽介という人は京都工芸繊維大しか行けないくせして工学部に行かせてもらったということは金持ちの息子だったということなのでしょうね。うらやましい限りです。そういう人の書いた本には、私がここで述べたような、「大学落書き論」なんて出て来ませんでしょ。人畜無害なことしか書かないでしょ。 この本、けっこう使い出があると思って重宝してるんですけれどもね。 それでもやっぱり、私と同年代で私より少し年下の男で京都工芸繊維大学しか行けないくせして工学部に行かせてもらったヤツの書いた本なんだなという思いはします。
   「建築家」を名のりたいような人の書いた本には、「ここまで重要文化財だらけだと、どこに落書きすればいいのだろうか」なんて文章は載ってませんでしょ。それを書くあたりが、私のブログがそういう「建築家」の本より優れているところですよ(^^♪ ぶふふ(^^)/ ・・・念のため、お断りしておきますが、私は落書きしろとは言ってませんからね。「槇文彦設計の慶應日吉新図書館」のトイレの壁みたいに「言論の自由を抑え込むような姿勢」で落書きしようと思ってもできない素材を使ったり、必要以上に落書きを取り締まったりするのはよくないとは言っても、決して、歴史的建造物に落書きしろなんて言ってませんからね。逆に、歴史的建造物への落書きは慎むべきだと言ってますからね。しかし、同時に、「言論の自由」という観点から、大学から「スピーカーズコーナー」がなくなるのはその大学にとっても日本の社会にとってもいいことではないと言っているのであって、重要文化財に指定されていようがいまいが価値のある建築を破損するような行為を奨励なんてしてませんからね。 世の中、実質、「言論の自由」を押さえつけるために落書きをさせまい、貼紙掲示をさせまいとする者、そういう態度が「大人や」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「スマート」とか「そういう人間が企業から歓迎される」とか、さらには「ギャルにもてもて」とか言い出すヤカラがけっこういますが、そういう連中というのは、要するに、「自我」だの「独立自尊」だのといった用語を悪用しておのれのイヌころ根性を正当化しようとしているだけであって、その者こそ「自我が確立されている」状態に反するものであり「独立自尊の精神」に逆行するものであることが多いのです。、「ここまで重要文化財だらけだと、どこに落書きすればいいのだろうか」なんて言うと、そういうヤカラからの攻撃を受けそうですが、私は「言論弾圧を目的としたような貼紙掲示の禁止」には加担できないが、だからといって、「歴史的建造物を守るための貼紙掲示を控えること」がいかんとはまったく言ってませんからね。

   「ハリス理化学館」には、なんだか、「煙突みたいの」がついている。↓
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↑ 左側(西側)、
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↑ 右側(東側)。
  「理化学館」という建物で、そこに煙突があるということは・・・・、もしかして、そこで人体実験でもして、その死体を燃やすための煙突か・・・・????・・・・・なんて都市伝説でもできそうな煙突・・・なのかな、これは?
  「ハリス理化学館」という名称の「ハリス」さんというのはどういう人かというと、「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」でいただいてきたリーフレットには、≪同志社の理化学教育の起源は1890(明治23)年に正式に開校したハリス理化学校に遡ります。 その何あるようにJ.N.ハリスの援助なしには同校誕生はありえませんでした。≫ ≪J.N.ハリスの寄附をもとに1890(明治23)年に竣工したハリス理化学館は、ながらく同志社における理化学教育の拠点となった建物であり、現在では重要文化財に指定されています。≫と記載されています。同志社大学HP 「ハリス理化学研究所について」https://harris-riken.doshisha.ac.jp/overview/overview.html には、≪ 今出川校地にあるハリス理化学館は、創立者新島襄の科学に対する熱意に共鳴した米実業家J.N.ハリスの寄付によって1890年に竣工したもの。掲げられた石のレリーフには「(18) SCIENCE (89)」と刻印されています。ハリス理化学研究所はこの伝統の上に立ち、革新的な研究を続け、現在は京田辺キャンパスの理化学館にて脈々と受け継がれています。≫と出ています。 理化学校設立に際してそのための寄付をしてくれたアメリカ合衆国人の実業家がJ.N.ハリスさんだったということのようです。

   内部の写真を撮らせてもらっていいのかどうかわからなかったけれども、一般に、お寺とかは外観はいいけれども内部は控えてくださいという所が多いけれども、こういう展示館の場合は展示されているものの撮影はやめてもらいたいが建物はかまわないという所が多く、2階ホールは展示物はないのでいいだろうと判断させてもらい撮らせてもらいました。↓
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   同志社今出川キャンパス内には、さまざまな樹木が植わっています。 栂・黒松というのが東側、同志社女子大に近い側にありましたが、「ハリス理化学館」の右手前(南東)に、梅が植わっており花が咲いていました。↓
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↑ 撮影は、2月下旬です。
「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ
    ――菅原道真」

↑ 「 i 」マークが「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」。 それより左(西)に見える鳥居マークが北野天満宮。 同志社から「出町柳」駅まで同志社HPの「アクセス」https://www.doshisha.ac.jp/information/campus/access/imadegawa.html によると徒歩15分程度ということなので、北野天満宮までその倍と考えて30分も歩けば行けるようだ。 花粉症の季節が去ったなら、同志社から北野天満宮まで歩いてみてもいいかもしれない。

   (2019.3.1.)

  次回 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_2.html 、明徳館・・

☆ 同志社 今出川校地 見学
1.共学同志社見学。JRと京都地下鉄の駅名のつけ方。母親の自慢を本気にする男 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_1.html
2.裏口入学は「庶民」か? 「思考が柔軟」か? 西門、彰栄館。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_2.html
3.グリーン設計の礼拝堂。「パンのみにて生きるにあらず」を理解する者しない者 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_3.html
4.「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」、大学からなくなるスピーカーズコーナー 〔今回〕
5.明徳館、『同志社のシンボルとなっている塔』のある建物。「美しき水車屋」の娘? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_2.html
6・・

走馬燈―その人たちの人生 ―
新潮社
2013-04-01
遠藤周作

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↑ 遠藤周作『走馬燈』では、遠藤周作は、「観光地」とか「ここを見てちょうだい」とかガイドブックに掲載されていないような所に足を運ぶという。 「ここを見なさい」と指定された所ばかりに行く、指定されない所には行かない、という姿勢は、すでにその姿勢がファッショの動きに支配されていると考えるべきではないかと思う。 最近、「痴漢注意」なんて大きな看板が出ている所が我が家の近所にもあるが、あれは、うかつにその付近に近づくと痴漢扱いされますよということで、自由に市民が歩けないようにしてやろうという警察の策略なのかもしれない。そういう警察の戦略が浸透している社会というのは、その分だけ、ファッショの方向に進んでいるということだ。 大学から「スピーカーズコーナー」がなくなるのは、その大学にだけ不幸であるのではなく、日本の社会全体にとって不幸だと思う。 ・・・だからといって歴史的建造物に落書きしろとは私は言ってないからね。(2019.3.1.)

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