同志社今出川校地見学【2/13】裏口入学は「庶民」か? 「思考が柔軟」か? 西門、彰栄館。

[第440回]
   地下の鉄道というのは、地下2階の位置を走っていることが多いらしい。 だから、大阪市地下鉄四つ橋線を「西梅田」から北に延伸して「十三」経由で「新大阪」まで伸ばそうと考えた時、すぐ北に阪神「梅田」駅があるので、そこをどうやってくぐるかという問題が出てくるらしい。 それなら、地下鉄四つ橋線を掘り下げて地下3階を走るようにすればいいのではないか・・・というと、難儀なことに、桜橋のあたりで、地下2階を走る地下鉄四つ橋線の下、地下3階の位置をJR東西線が走って地下鉄四つ橋線の下をくぐっているらしく、地下3階を走らせるようにするとJR東西線とぶつかるらしい。それで、最初は阪急京都線を「十三~新大阪~淡路」と路線を敷いて「十三~淡路」間を南方経由の現京都線と合わせてその部分を複々線にするという計画だったのが、阪急としては京都線の乗客に新大阪で地下鉄御堂筋線に乗り換えられたのでは運賃収入も減るし梅田界隈の阪急関連の施設も利用が減るし「うまみがない」ということで「十三~新大阪~淡路」ルートは中止していたところを、それなら大阪市営地下鉄四つ橋線を「西梅田~十三~新大阪」と延伸すればどうかという案が出たものの、今度は、どうやって阪神「梅田」駅をくぐるかという技術的な問題が出てきたらしい。で、結局、なにわ筋線を新設して、南海電鉄に「新難波」駅を作り「新難波」駅から、JRは関西線「JR難波」駅からなにわ筋線に入り、JR「大阪駅」の北に「北梅田」駅を作って、JRは梅田貨物線(といっても今は客車が走っているのだが)に入って新大阪から京都に至り、南海の電車は十三から新大阪に至り、「北梅田~十三~新大阪」という部分は阪急が運営することにした・・・らしい・・・が、そういう計画になったらしい・・・がけっこう先の予定らしいので、まだまだどうなるかわからんだろう。なにしろ、阪神なんば線(西九条~難波)の計画なんて私が小学生の頃、1960年代後半からあっていつまでも実現しないのでもうこの話はなくなったのかと思っていたら、村上世彰(よしあき)さんが阪神の株を買い占めたとかいうことから、阪神と阪急が一緒の会社になるというなんかすごいことになって一気に実現した。他方、国鉄に篠山線というのが福知山線の「篠山口」から「篠山」を経由して「福住」まで走っていたが、これを「福住」から山陰本線の「園部」まで伸ばす計画があったのだが、これなんかは、計画が実現しないばかりか篠山線が廃線になってなくなってしまった。だから、相当先の計画のものなんて、そうなるかもしれんがならんかもしれん・・くらいに思っておいた方がいいのかもしれない。京都市地下鉄烏丸線は、大阪府豊中市から同志社に通っていた男がアルバイト先にいて、そいつが「もし、地下鉄敷くのに人出がいるということなら、同志社の学生で労力提供する人間いくらでもいると思う」と言うておった。夏休みでも春休みでもタダででも働けば阪急「烏丸」から同志社の前までの路線を敷いてくれるのならタダ働きでもやる! という人間いるというのだったが、タダ働きしなくても今は烏丸線が開通した。
   で、ずいぶんと脇にそれた話をしたが、何が言いたいかというと、京都市交通局地下鉄「今出川」駅のプラットホームは地下2階の位置にあって、そこからエスカレーターなり階段なりで上がった位置が地下1階。 この地下1階から地上に出ることもできるが、そのまま同志社の構内に入って同志社の構内で地上に出るということもできるのだ。すご~い♪!♪ ・・・・ということが言いたかったのだ。 そのために、地下2階を地下鉄は走っているという話をするために、西梅田駅やら新大阪へのルートの話やらにお付き合いしてもらった。ご苦労さん。
   一般の出入口から出るとここ↓ で出ることになる。
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そのすぐ左に同志社 今出川キャンパスの「西門」がある。↓
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↑ 円満寺 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイド』(2011.10.31.エクスナレッジ)には、≪ 当ルート(西陣・同志社ルート)へは、今出川通り西門からアプローチする。左手の礼拝堂は、とても大きい。・・・・≫書かれているが、この同志社今出川キャンパスというのは、↑の「西門」が正門なのかというと、西門を入ってすぐの位置に掲示されていた案内図↓によると、そうではなく、もっと東寄りに「正門」があるらしい。
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( ↑ クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。)
  もっとも、その「正門」にも行きそこから出入りしたのだが、「正門」と「西門」とどっちが大きい門かというと同じようなものだったし、そこから入った中の経路の展開も同じようなものだった。 相国寺に至る参道の東西の両側に今出川キャンパスがあり、その西側の方が敷地が広く、その参道南側から西側のキャンパスに入る門を「正門」と言っているだけの正門であり、それほどどちらが「正」で「副」だというものでもなさそうな感じだった。
   東大の本郷は南側の龍岡門なんてのは本富士警察署の警察官御用達て感じで「要注意!」イメージだし、北東の弥生門はいかにも裏門て感じだし、南側の春日門なんてのは通用口というのか勝手口みたいな感じで、問題は西側にある赤門と正門はどっちが正門なのか、という点。東大の門というと、何と言っても「赤門」てのが有名だから赤門が正門かと思っていたのだが、しかし、赤門のすぐ横に「正門」てのがあるわけだ。「伊藤忠太設計」というブランドもんの門が。しかし、赤門の方がブランド力は強そうなのだが、その門を入った後の経路の作りを見ると、「正門」を入った後、直進すると安田講堂とその前の広場に至る。そのあたりの構内の通路の構成を考えると「正門」が正門として作られているとわかる。 それに対して同志社の今出川キャンパスの場合は、「正門」と「西門」は別にどっちが正門でもいいけれども、「正門」の方が真ん中に近いから正門でいいんじゃないのお~お・・・みたいな感じ。
※ 東京大学HP 本郷地区キャンパスマップ https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/map01_01.html
※ 同志社大学HP 今出川校地 https://www.doshisha.ac.jp/information/campus/imadegawa/imadegawa.html

   今回はどこから入ったかというと、「地下経路」から入らせてもらった。 「地下経路から入った」なんて言うと、なんだか、「地下にもぐっていた」みたいで、実際、京都駅から「地下にもぐった」わけで、地下鉄烏丸線で地下を通ってきたのだけれども、「地下にもぐっていた」と言っても非合法な組織とともに思想警察からのがれるために「地下にもぐっていた」わけではない。 地下鉄で来ただけのことだ・・・・が、地下から地上の公道に出ることなく大学の構内に直接出ることができる♪ というのは驚いた。↓
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↑ ・・・・となると、そこから入ってみたいと思うのが人情でしょう(^^♪

   「地下経路」を通って大学の構内に出るというのは、なんだかわくわくする♪ ところで、裁判所というのは、どうも、一般人には明らかになっていない部分というのがあるようだ。 裁判所の内部に案内図が書いてあるけれども、グレーゾーンというのか、な~んかどうなっているのか明かされていない部分がある。 法廷で見ていると、裁判官というのは、どうも、よくわからん変なところからヒョイと出てきてヒョイと消えていく。 あれは、やっぱり、やましいことやってるから、だから、よくわからん所から出て来て、よくわからん所から消えていくように、裁判所の建物というのは忍者屋敷みたいにできているということなのだろう。 孔子は「仁こそ人の安宅なり」とおっしゃったのだが、そうでない生き方をしているヤツラというのは、忍者屋敷みたいな造りを必要とするようだ。

   地下鉄から地上の公道を経ずに大学の構内に入れる♪ という魅力にひかれて、つい、そこから入ってしまった。 入ってから気づいた。 「大学はやっぱり正門から入るべし」という原則を忘れていた、ということに。 私はね、世の中、な~にが嫌いと言って裏口入学ほど嫌いなもん、ないんですよ。裏口入学は人間のすることやおまへん!  1970年代終わり頃、私の父の親友という医者屋のM川(男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。「金沢大医学部卒」と自称していたが嘘くさい)がドバカ息子を金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ というのに裏口入学で入れた! というのを自慢にしておった。 普通、裏口入学というのは、たとえ、やるにしても、もうちょっとと「恥ずかしそうに」「こっそりと」やるものと違うのだろうか? 裏口入学した・させたなんて、そんなもの、自慢するものかあ~あ??? と思ったのだが、それは私のような「正規入試合格入学派」「非医者屋族」の考えることで、「裏口派」「医者屋族」からすると「裏口入学こそ王道」だったようです。 M川は「わしなんかは思考が柔軟なもんやから、そやから、バカ息子は関西医大に裏口入学なんや。そのあたりがわしの思考が柔軟なところなんや」と言いまくっていた! 父はそう言われて、「そうでんなあ。先生は思考が柔軟なもんやから、そやから、息子さんは裏口入学なんや」といかにもいかにも同意し賛意を表明し、そして、私に言うのだった。「おまえは思考が硬いから裏口やないんやぞ。M川先生の息子さんは思考が柔軟なもんやから、そやから、関西医大に裏口入学やねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ! M川先生の息子さんはチャンコロとはちごうて思考が柔軟やから、関西医大裏口入学やねんぞ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロッ! 」と言うのだった。それで、私は言ったのだ。「なんで、思考が柔軟なら裏口入学なんてせんとあきませんの?」と。 「そんなに思考が柔軟なら、その柔軟な思考力を生かして頭狂大学理科三類でも狂徒大学医学部でもさっさと現役で実力で合格して行ったらよろしいのとちゃいますのん? なんで、そんなに柔軟な思考力のある人が裏口入学なんてせんとあきませんの?」と。 そうすると父は言うのだった、「そういうことを言うあたりが、おまえは思考が硬いんじゃ、おまえは。M川先生はおまえとはちごうて思考が柔軟なもんやから、そやから、息子さんは裏口入学なんじゃ、反省しろ、チャンコロ! わかっとんのんか、このチャンコロめが、産まれなければよかったのに産まれおってからに、このチャンコロめがこのチャンコロっ!」と。 毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいにこう言われ続けてきて、裏口入学なんて自分がさせてもらおうなんてたとえ考えても、私にはそんなものさせてもらうようなカネもなければコネもないわけであり、そうなると、「日陰の月見草」としては、「わしぁ貧乏やからな」という者としては、ロシア民謡の「ドビヌーシカ」(日本語訳では「仕事の歌」と訳される)の日本語訳の歌詞には「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌♪」という歌詞があるが、そんな感じで、「医者屋の息子は利巧だからカネとコネで裏口で入る。 私ら日陰の月見草は努力して自ら合格最低点を上回る点数を獲得して入る」というものだ。そのためには「I D野球式学習術」でも「ドラゴン桜式受験術」でも何でもやって合格最低点を上回る点数をとるのだ。裏口で入る医者屋族は「医者屋流大学入学術」(俗に言う裏口入学)で入るだろうけれども、そんなコネもカネもない者は正門から入るのだ!
  さらに、世の中には、成績が悪い人間、ろくに努力せずにまともな成績をあげることができず裏口入学で入るようなヤツのことを「庶民的」などと摩訶不思議なことを言うヤカラがいるが、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネ、および、そういうカネから「給料」と称して得たカネから「寄付金」を金権関西医大に払ってドバカ息子を裏口から入学させる人間、裏口から大学に入る人間というのが、なにゆえ、「庶民」なのか、さっぱりわからん! こういうことを言うと、M川は「そのあたりがきみは思考が硬いんじゃあ」とか言うだろうけれども、硬いか柔らかいか知らんが、いずれにしても、私にはそういうルートはなく、かわりに、旧帝大系国立大学に「I D野球式学習術」であれ「ドラゴン桜式受験術」ででも合格してみせようではないかという能力と気概がある。M川とそのドバカ息子には金権関西医大に裏口から入るコネとそれを「思考の柔軟さ」「庶民的」と言い張る詭弁力があり、関西医大に払う寄付金を捻出するための「カネのなる木」とも言うべき「患者」を持っているが、旧帝大系国立大学に「 ID野球式学習法」「ドラゴン桜式受験術」ででも実力で入学しようという能力と気概・意志がない。私は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネで関西医大に裏口入学するさせる者が「庶民」だの「思考が柔軟」だのとはとんでもないことで、旧帝大系国立大学に「 ID野球式学習法」「ドラゴン桜式受験術」ででも実力で入学しようという能力と気概・意志がある人間の方が「庶民」だと思うが、逆を言い張る人間がいるのだが、理解に苦しむ。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》 https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
   それにしても、な~んで、正規の試験を受けて大学に入ろうとする者が、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしてためこんだカネで裏口入学させてドバカ息子を「大学」に入れた男に、「わしは思考が柔軟なもんやからな」とか自慢されなきゃならんのだ!?!  おかしいと思わんか。 だから、私はお寺でも神社でも、出るのはどこから出てもいいが、入るのは正門から入るようにしているのだ。 ましてや、大学は正門から入るものだ! としていたのだが、ついうっかりと、「正門」から入らずに「地下経路」から入ってしまった・・・・が、同志社の場合、ここは初回の訪問ではなく過去何十年か前に来たことがあるはずなのだ。 同志社卒の人や在学中の人にはこんなことを言うのは申し訳ないが、大学入試の時、「誰がこんな所、行くもんか」とか思いながら試験を受けたことがある。それが、同志社のどこだったかは記憶がはっきりしない。 その頃は建築学徒ではなく、絵画や彫刻は好きだったが建築にそれほど関心はなかったこともあり、どういう建物かも気にしていなかった。今、行ってみると、同志社の今出川キャンパスというのは重要文化財だらけであり、関学の仁川キャンパスもきれいだけれども、ここもまた、「なかなか」のものだと思うのだが、試験を受けた会場はここだったのか、それとも、室町キャンパス・烏丸キャンパス・新町キャンパスといった所だったのか、もう記憶がはっきりせずわからないが、ともかくも、同志社には過去に来たことがあるはずだから、だから、初回の訪問ではないと考えると、まあ、どこから入ってもいいだろ。 西門にしたって、地下からの入口にしても、「袖の下」とか「特別献金」とか渡して通してもらうわけでもなし。 ということで、今回はポリシーを曲げるとかどうこう言う前に「地下経路」から構内に入ってしまった。まあ、いいじゃろ。裏から入ったわけじゃないのだし。「特別献金」払ったわけでもないし。

   京都市地下鉄烏丸線は名前の通り、烏丸通りという南北の通りの地下を走っており、「今出川」駅はその烏丸通りと今出川通りが交差する場所にある。 東西の通りである今出川通りはどこも「今出川」なのだが、「今出川」駅に関しては、ほかの人がどう感じるかはわからないが、私の場合、「今出川」というと「同志社の南、京都御苑の北」という印象があるので、「十条」「五条」「四条」「丸太町」「鞍馬口」といった東西の通りの名前だけの駅名に感じる違和感は「今出川」駅にはそれほど感じない。
   交差点の北東に地下鉄からの出入口があり、その北隣あたりに「西門」があり、地下1階の部分から同志社構内に入って同志社構内で地上に出る場合は、「良心館」という比較的新しそうな建物の所で地上に出る。 今回、この「地下経路」を通って地上に出たので、「門」から入るということはなかった。
   円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイド』(2011.10.31.エクスナレッジ)では西門から入って東に進むように記述されている。同志社の学生にしても地下鉄「今出川」駅から行くことは今は多いのではないかと思うが、京都市のバスに「同志社前」というバス停もあり、それはもっと東にバス停はあるので、「同志社前」でバスを降りた場合は「正門」の方が近いことになるかもしれない。
   円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイド』(2011.10.31.エクスナレッジ)では、
礼拝堂 1886年 D=C=グリーン
明徳館 1952年 大倉三郎
クラーク記念館 1894年 ゼール
有終館 1887年 D=C=グリーン
啓明館 1915、1920年 ウィリアム=メレル=ヴォーリズ
アーモスト館 1932年 ウィリアム=メレル=ヴォーリズ
同志社女子大 栄光館 1932年 武田五一
の7館が掲載されており、このうち、礼拝堂・クラーク記念館・有終館(ゆうしゅうかん)の3館が重要文化財に指定されており、円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイド』(2011.10.31.エクスナレッジ)に掲載がない建物でも、彰栄館(しょうえいかん)・ハリス理化学館が重要文化財の指定を受け、同志社の今出川キャンパスでは計5館が重要文化財の指定を受けていることになる。。ヴォーリズの設計の啓明館(けいめいかん)・アーモスト館の2つは国登録有形文化財の指定。 山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)にはアーモスト館が掲載されているが、同書によると、同志社にはヴォーリズの建築はアーモスト館と重要文化財に指定されている啓明館のほかに致遠館(ちえんかん)があるようだ。烏丸通りを南下すると、京都御苑の南西、地下鉄烏丸線「丸太町」駅を出てすぐの場所にウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計の「大丸ヴィラ」(旧 下村正太郎邸)〔京都市指定有形文化財〕があり、山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)にも掲載がある。 慶應の日吉や三田では建物は「〇号館」といった名称になっているが、同志社の今出川校地では、すべての建物に「愛称」というのかニックネームというのかがつけられている。

   「地下経路」から出てすぐ右、「西門」から入るとすぐ左の位置にあるのが「彰栄館(しょうえいかん)」〔重要文化財〕↓がある。
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( ↑ 「 i 」マークが 同志社 彰栄館。 )
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※ 同志社大学HP 今出川校地 キャンパスマップhttps://www.doshisha.ac.jp/information/campus/imadegawa/overview.html

   西門を入ってすぐ右(南)、彰栄館の北の比較的新しい建物は図書館らしい。その前あたりに↓が立っていた。
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↑ 「一粒の麦」
≪ 祭で礼拝するために上ってきた人々のうちに、数人のギリシア人がいた。彼らはガリラヤのベッサイダ出であるピリポのところにきて、「君よ、イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。ピリポはアンデレのところに行ってそのことを話し、アンデレとピリポは、イエスのもとに行って伝えた。すると、イエスは答えて言われた。「人の子が栄光を受ける時がきた。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。・・・・≫
( 『新約聖書 ヨハネによる福音書』11章20節ー26節 日本聖書協会口語訳 )

   次回 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_3.html 、礼拝堂・・・

   (2019.2.28.)

☆ 同志社 今出川校地 見学
1.共学同志社見学。JRと京都地下鉄の駅名のつけ方。母親の自慢を本気にする男 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_1.html
2.裏口入学は「庶民」か? 「思考が柔軟」か? 西門、彰栄館 〔今回〕
3.グリーン設計の礼拝堂。「パンのみにて生きるにあらず」を理解する者しない者 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_3.html
4.「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」、大学からなくなるスピーカーズコーナー https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_1.html
5.明徳館、『同志社のシンボルとなっている塔』のある建物。「美しき水車屋」の娘? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_2.html
6.千葉教会と同じリヒャルト=ゼール設計の「大志を抱け」とは別人のクラーク記念館 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_3.html
7.寒梅軒、牛の像と大日如来石碑。有終館、致遠館、正門からすぐの良心の碑 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_4.html
8.啓明館。ヴォーリズ設計は新島遺品庫。栂と黒松。京都御苑から相国寺 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_5.html
9.アーモスト館。パラディアンウインドウ、ギャンブレル屋根。「アマースト大学」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_6.html
10.同志社女子大栄光館。武田五一知ってる? 学校は建築家が完成させない方がいい https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_7.html 
11.大丸ヴィラ・日本ナザレン教団上京教会・日本聖公会聖アグネス教会ほか https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_9.html






≪ ポターニンは1868年、自由剥奪と懲役刑の判決を受けてスヴェアボルク要塞監獄の懲罰中隊に送られる。スヴェアボルクはフィンランド湾、ヘルシンキ沖にある小さな島で、今日では、もちろんフィンランド領になっていてスオメンリンナと呼ばれる。フィンランド語で、「フィンランド城(リンナ)」といった意味である。≫

〔 ↑ スオメンリンナ(スヴェアボルク) 〕
≪ポターニンはここでの生活を出獄後、ヤドリンツェフに次のように書き送っている。
 スヴェアボルクでのくらしがどんなものだったか、書きたくないのだが、きみのたってもの求めにおうじて、簡単に述べてみよう。最初の一年半は広場で働いた。斧で石を砕き、のこで薪を引いた。そして「ドビーヌシカ」をうたった。(シロフスキー 103)
  「ドゥビーヌシカ」とは、日本では「仕事の歌」と訳され、戦後間もなくは、たぶんシベリア帰りの捕虜たちが持ち帰ってよくうたわれたロシア民謡の一つである。私が高校生のときに聞いて、強く心引かれた二番目の、次のような一節がある。
  イギリス人は利巧だから
  水や火などを使う
  ロシア人は歌をうたい
  自らなぐさめる
というのであるが、いかにもロシア人が好きそうなせりふではないか。しかし原文をいろいろとさがし出してしらべてみたけれども見つからない。そこで、これは日本人の捕虜が、おもしろがって勝手に作って、つけ足したのかもしれない、とすれば、何としゃれた日本人がいたものだと思っていた。ところが、原文が見つかったのだ。
  私はロシアの歌集を買い集めたり、ロシアの人から歌集をもらうと大切にとっておく。その中でただ一つ、1993年にカルムイク共和国エリスタで出版されたのには、10番まであるドゥビーヌシカが含まれている。その四番目にあるのを、だいたい意訳するとこうなる。
  イギリス人はずる賢いから、仕事を楽にしようと、
  次から次へと機械を発明する
  ところが我がロシアの百姓ときたら、
  仕事がやり切れなくなると
  あのなつかしいドゥビーヌシカをうたうんだ

このような歌はほんとうは合唱するには向かない。ドストエフスキーも囚人の歌が「合唱でなく」、「もの思いにしずみながら」「一人でうたうのである」と記している。私も、ロシアの録音で、荒くれ男が、泣き叫ぶようにしてうたったようなドゥビーヌシカが一番好きである。まるで自分をどこまでも絶望に陥れて、身の置き場もなくしてしまうような歌い方である。≫
( 田中克彦『「シベリアに独立を!」 諸民族の祖国(パトリ)を取りもどす』2013.6.18.岩波現代全書 ↑)

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