お年玉を貯金の名目で取上げられた経験。心理学にかかればどうしたって外罰的性格-正月の想い出【1/5】

[第429回]
1. 「お年玉はちょき~ん!」
   子供の頃、我が家は金持ちか貧乏かというと私は「中くらい」ではないかと思っていた。実際に「ちょうど真ん中」より上なのか下なのかはわからないが、一番上でないのは間違いないし一番下でもないと思っていた。住んでいる家も近所の家と同じくらいの大きさだったが、「近所の家」というのは似たような大きさである場合が多いので「近所の家」と比較してもあまり意味はないかもしれないが、同級生の家に遊びに行っても同じくらいの大きさの家が多かった。幼稚園の同級生で医者屋の息子がいてそいつの家は矢鱈と庭が広かったのを覚えている。父は「わしは会社ではえらいねんぞお」と言っていたので本人がそう言うのならエライのかなと思ったが、片方で「うちは金持ちと違います」とも言っていたので、その2つの発言をたして割ると「中くらい」なのかなとも思った。
   金持ちか貧乏かということと子供がそれ欲しいと言った時に買ってもらえるかどうかは同じではない。金持ちでもないのに子供に贅沢なものを買っているケースを見ることがある。それは親の教養水準が低いからそんなことをするというケースもあるが、金持ちではないので子供にみじめな思いをさせたくないと思って無理してでも買ってやりたいと思ったというケースもあるかもしれない。ともかく我が家はよその家と比較すると、あれ欲しいと言っても買ってもらえないことが多い家だった。
(1)アイスクリーム
  1960年代、近所にアイスクリームなどを売っている店があり、その頃は、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームを売っていたが、我が家は10円のアイスクリームは時々買ってもらえたが、20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえなかった。よそも同じようなものだろうと思って幼稚園の同級生に「一度でいいから20円のアイスクリームを食べてみたいなあ」と言ったところ、「なんでえ。そんなん、ぼく、何度でも食べたでえ」と言われた。
(2)マスカット
  母が買い物に行くのに一緒に商店街に行った時、果物屋に黄緑の色のマスカットが置いてあるのを見て、一度、食べみたいと思ったが、我が家は紫色の「巨砲」や「種無しブドウ」(デラウエア)は買ってもらえたがマスカットは絶対買ってもらえなかった。よそも同じようなものだろうと思って幼稚園の同級生に「一度でいいから、あの黄緑の色のブドウ、食べてみたいなあ」話したところ、「なんでえ。ぼく、そんなん、何度でも食べたでえ」と言われた。
(3)シスコーン
  シスコーン・コーンフレークには大きな箱と小さい箱があって、大きな箱には「おまけ」が入っていた。シスコーンは嫌いではなかったけれども、シスコーンより「おまけ」の方が欲しかった。しかし、我が家はお菓子屋に行って、「あれ、欲しい」と言うと、母は必ず小さい方の箱、「おまけ」が入っていない箱を買い、「大きい方をほしい」と言っても「いけません」と言って「おまけ」が欲しい子供に「おまけ」が入っていない箱を買うのだった。幼稚園の同級生の家に遊びに言った時、そこのお母さんが買い物に子供を連れて行くのに私も一緒に言った時、同級生がシスコーンの大きい箱を「あれ、欲しい」と言うと、驚いたことにそこのお母さんは「はい」と言って「おまけ」が入っている大きい方の箱を子供に買い、私にも同じ物を買ってくれた。よそは「おまけ」が入っている箱を買ってもらえるんだと驚いた。
(4)昆虫採集セット
   小学校の通学路に文具屋兼プラモデル屋兼おもちゃ屋みたいな店があり、小学生が欲しがるようなものを陳列ケース並べていた。昆虫採集セットなんてものを買ってもらって持っているやつがいたが我が家は買ってもらえなかった。
(5)野球盤とモノポリ
  幼稚園や小学校の同級生で、男の子の家に行くと、たいてい、野球盤がありおもしろかったが、我が家にだけなかったし欲しいと言っても買ってもらえなかった。男の子の家でも女の子の家でも「モノポリ」というゲームがあって、ものすごくおもしろかったのだが我が家にだけなかった。
(6)自転車
  小学校の4年の時の同級生は10段切り替えだったか20段切り替えだったかのサイクリング用自転車を買ってもらっていたが、私にはそんな物は買ってもらえなかったし買ってほしいなんて言えなかった。我が家にはいわゆる「ママちゃり」しかなかった。
(7)ドッチボール・サッカーボール
  小学校の同級生の家に行くと、ドッチボールがある家、サッカーボールがある家などあったが、我が家には何もなかった。
(8)自販機清涼飲料水
  親と外出した時、「清涼飲料水」の自動販売機で「ジュース」を噴水のように出していた機械があり、一度、それを飲んでみたいと思ったが、「あれ、飲みたい」と言うと、「あかん。あんなん、ばっちいから飲んだらいかん」と父は言い、母も同様に言ったが、実際に「ばっちい」のかどうかはよくわからないが、よその家は飲ませてもらっていたようだが私は一度も飲ませてもらえなかった。
(9)お茶とジュース
  小学校の1年の時、父の会社の社員旅行で小豆島に2泊3日で行くのに下の姉と一緒に連れてもらったことがあったが、その際、母は家を出る時、姉に普通の家庭用の水筒を持たせ、それと別に私に子供用の小さい水筒を持たせた。ところが、帰り、旅館を出る時、姉が「旅館で水筒にお茶を入れてもらっていこう」と口にした時、会社のある男性社員が「お茶なんか要らん。入れてもらわんでもええ」と言い、姉はその「命令」に従って家庭用の水筒にお茶を入れてもらうのをやめ、小学校1年だった私が持っていた子供用の水筒にだけお茶を入れてもらった。小豆島から弁天埠頭までのフェリーボートの中で、会社のある女性社員が私が水筒を持っているのを見て「お茶、ちょうだい」と言い、私がお茶を分けてあげると、父は「それ、貸してんかあ」と言って私から水筒を取り上げて、「配給、配給。お茶の配給」と言って、特にお茶を欲しいと言っていない人にまで飲ませてまわり、そして私が「喉がかわいた。お茶欲しい」と言って飲もうとすると、「もう、お茶ないねん」と言うのだった。そんなバカな話はない。子供が肩からかけている水筒をとりあげて大人がみんなよって飲んで子供が「のど渇いた」と言うと「ないねん」て。そんなことする人、あんまりないと思うがなあ・・と思うが、あったのだ。〔子供が持っている物を「ちょうだい」と言う会社の人間も良くないが。〕父は「売店でジュースこうたろ」と言って船の売店に一緒に行ったが閉まっていた。「弁天埠頭についたらこうたる」と父が言うので弁天埠頭まで我慢することにしたが、弁天埠頭に着くと父は「バス来てる。弁天町の駅に着いたらこうたる」と言い、弁天町の駅にバスが着くと「プラットホームの売店でこうたる」と言い、大阪環状線「弁天町」駅のプラットホームに行くと「電車来た。天王寺の駅に着いたらこうたる」と言い、天王寺駅に着くと今度は「電車きてる。南田辺の駅についたらこうたる」と言うのだった。天王寺駅はターミナル駅で、たいてい「電車きてる」が電車は来ていてもなかなか出ない。その時もなかなか出なかったのだ。「まだ、電車でないから」と必死で訴えても父は「もうでる、もうでる」と言って長時間待たせ、やっと発車して南田辺駅に着き、この後は家まで歩くだけで「電車きてる」も「バスきてる」もない、今度こそ買ってもらえると思うと父は「もうすぐ家です、もうすぐ家」と言い家まで我慢させられた。こんなことする人、あんまりないと思うがなあと思った。幼稚園や小学校の同級生で親からそういうことをされた人間というのはあんまりないと思う。
(10)プラモデル
  小学校の1年の時、算数で足し算・引き算・掛け算・割り算を学習した時、担任の先生は、それぞれについてトーナメント大会を開催し、優勝者と準優勝者には「連絡帳」に「優勝 よくできました・・・」みたいなことを書いてくれた。父は「次、優勝したら、プラモデルをこうたる」と言い、そして、次、優勝した。小学校から我が家まで帰る途中にプラモデル屋があり、その陳列ケースにはゴジラ・バラゴンのプラモデルが置いてあった。同級生では「足し算」「引き算」のトーナメント大会で1回戦負けでもさっさとゴジラもバラゴンも買ってもらっていたやつが何人もいた。「いくらしたの」と尋ねたところ、「4000円」ということだった。その頃、アイスクリームが10円か20円だった時代の4000円である。我が家は絶対無理だと思ったがそれでもいいなあと思っていた。父が「どういうのを欲しいか」と言った時、無理だとは思ったが、言うだけ言ってみようと思って、「ゴジラのプラモデルが欲しいけれども、4000円もするからそれは無理だと思う」と言った。そう言えば、父は「それは買えんわ、4000円もするようなもんは。もうちょっと安いもんないんか。◇◇円くらいまでのもんならこうたる」とでも言うかと思ったのだったが、ところが予想に反して父は「なんであかんねん。そんなん、怪獣のプラモデルに4000円もせえへんやろ」と言うのだが、しかし、するのだ。それで、私は「本当に4000円するって。YくんもFくんもゴジラを持っていたけれども4000円だって言ってたよ」と言ったのだが、父は「大丈夫や。たとえ、4000円したってこうたるがな。4000円が何やねん。このわしがこうたると言うておるんやないか。このわしが、いったん、こうたると口に出したからには絶対にこうたるがな。4000円が何やねん。絶対に買ってあげます。ほかでもないこのわしがこうたると言うとるんじゃ」と言うので、買ってもらえるんだと思って喜んで父とプラモデル屋に行き、そして、父がプラモデル屋の奥さんに「そのゴジラ。それナンボですか」と言うと、奥さんは「4000円です」と答えた。父は「4000円したってこうたるがな。ほかでもないこのわしがこうたると言うたからには絶対にこうたるがな」と言ったのであるから、4000円出して買ってもらえるものだと思い込んでいたら、父は「ふええ~え。4000円もすんのか。ひえ~え! ぎょえ~え!!! かなんな、ほんま。たまったもんやないで。ひえ~え! ぎょえ~え! ふえ~え! とんでもない話や」と言い出したのだ。ちょっと前まで「たとえ、4000円したって絶対にこうたげますて」と言ってたのはあれは何やねんと思ったし、「このわしがいったん、こうたると言うたからにはこうたるがな」とも言ったはずだったが、あれは何なんだ? と思ったものだった。「あんた、ゴジラでないといかんのか。ほかの怪獣ではいかんのか」と父が言うので、「バラゴンでもいい」と言うと、プラモデル屋の奥さんが「バラゴンはもっと高いです。バラゴンは4200円です」と言ったが、父は「何? バラ、バルゴン?」と言い、奥さんが「バルゴンなら200円です」と言うと、父は「それがええ、それください」と言い、200円のバルゴンを買われてしまった。帰りみちみち、父は「そんなもん、怪獣のプラモデルに4000円やなんて絶対に出してはいかん。200円くらいのもんでええんや。あんた、バルゴン、買ってもらってよかったね~え。あなた、うれしいねえ。あなた、うれしいうれしい。わしにバルゴン買ってもらって、よかったねええ。しあわせやねえ」と何度も何度も言うのだった・・が、最初から「4000円もするものは買えないけれども、200円くらいのものなら買ってやるが、そのくらいのものはないのかプラモデル屋に行ってきいてみよう」と言われてプラモデル屋に行って200円のバルゴンを買ったのなら、たとえ、同級生でどう考えても我が家より貧相な家に住んでいてどう考えても我が家よりも年収は低いと思われる家の息子が4000円のゴジラを買ってもらっていて、「足し算」トーナメント大会で1回戦負けのやつでも4000円のゴジラと4200円のバラゴンを買ってもらっているのに優勝しても200円のバルゴンしか買ってもらえなかったとしても、それでも買ってもらえたと喜んだと思うが、しかし、行く時には「何を心配しとんねん。4000円が何やねん。このわしがこうたると言うたからには絶対にこうたるがな」と言われて買いに行って、それで、「ふえ~え。ぎょえ~え。ひええ~え」と言われ、帰り道々「あんた、よかったねえ。うれしいねえ。しあわせやね~え。楽しい楽しい、うれしいうれしい」と何度も言われたのでは喜べなかった。父のその態度が嫌だった。そういう経験を幼稚園や小学校の同級生が誰もがしていたかというと我が家だけだと思う。
  私が20になるかならないかの頃、父は「わしはどういう人間かというと、人格者で英雄で謙虚やねん。わしはドイツ人でキリストで聖徳太子でヒットラー総統やねんそ」と毎日言っていたのだが、「ひえ~え。ぎょえ~え。ふえ~え」と言って、4000円のゴジラを200円のバルゴンにすりかえて「よかったねえ。あんた、幸せやねえ、うれしいねえ。よかったよかったよかったね♪」と何度も繰り返すおっさんのことを「人格者」で「英雄」で「謙虚」と言うらしい。私が20代前半の時、父は「世の中にはカス親もおればダメ父もおる。それに対してこのわしは特別に特別にえらいエライ英雄のお父さんやねん。あんたはもしかするとわしのことを『普通のお父さん』とか思っていたかもしれんけれどもな。違うねんぞ。このわしは『特別にエライお父さん』やねんぞ」と繰り返し言うのだったが、「英雄のお父さん」よりも「普通のお父さん」の方が良かった。〔⇒《YouTube-カラヤン指揮 ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55『英雄』 第1楽章》https://www.youtube.com/watch?v=64RRk9O4BWI 〕
(11)オルガン
 小学校の1年から2年にかけて、ヤマハのオルガンを中心とした音楽教室に通わされたが、そこに来ていた生徒は、たいてい、新しくヤマハの電気式オルガンを練習用に買ってもらっていたのだが、我が家だけは家に足踏み式のオルガンがあったので私はそれを使用して練習した。教室と同じ電気式オルガンを買ってもらえたらその方が良かったのだが、家に足踏み式オルガンがあるなら、あえてもう1台買うこともないとは思ったが、しかし、自分用に新しく買ってもらう人間と旧式のものを使って練習するのなら新しいものを買ってもらう人間の方が「得している」「恵まれている」と私は思っていたが、父はそうは考えなかったようだ。ある時、突然、「オルガンをもらいにきました」とクルマでやってきた人がいた。母はその話を聞いていなかったらしい。オルガンを持ち出そうとする人が来たので、小学校の1年生だった私は母に必死で訴えた。「なんで、オルガン、持っていくのお」「それ、僕が毎日、練習してるオルガンやでえ」と。そして、「あしたから、いったい、どうやって、オルガンの練習したらいいのお?」と。旧ソ連の映画『シベリア物語』では、「ルビンシュタインはピアノがない場所では、板の上で指を動かして練習をした」という話が出てくるが、父母は小学校1年生に板の上で指を動かして練習させようとしたのだろうか。そうではなく、父は子供が毎日そのオルガンで練習していても、知ったことではなかったのだと思う。その時、オルガンを取りに来た人は、中古楽器屋の人が引き取りにきたのかと思ったのだがそうではなかったようだ。父が「オルガン、あげまっさ」とでも言ったらしい。誰に言ったかというと母の知らない人だったらしい。会社の人や取引先の人でも、家にも来るような人、家に電話してくるような人なら母は知っているのだが、そういう人ではなかったらしい。父はその後も、私が大学生であった時、たまたま、喫茶店で会った人に、オーディオ設備を「あげまっさ」と言ったらしく、母が外出中に取りに来て持ち出したそうで、母が家に戻ったらなかったのでびっくりしたということがあったらしい。そういうことをするおっさんだった。それで、どうせ、その時も、「たまたま、喫茶店で隣のテーブルにいた人」かが「オルガンあったら子供に練習させるんやけどな」とか会話している人がいてそれを聞いて、「そしたら、うちにオルガンあるから、クルマで取りに来てんか」とでも言ったのではないか。そんなところではないかと思う。それで、その人がクルマで取りに来て、私が毎日練習して、練習後は布で磨き上げていたオルガンをとりあげて持ち帰ったんではないか。そして、そのオルガンを息子か娘に与えて練習させようとしたが、息子だか娘はちっとも練習せずに上達もしなかった・・というそんなところではないか。
(12)お古の服
  姉は「あんたは何でもあってええなあ~あ」と何度も私に言ったのだが、最初、「そうかな」と思ったけれども違うと思う。小学校の同級生で兄弟の1番上である者は上の子に買った物はないので新しく買うのに対し、我が家は姉に買った物があったので私はそれを使わされることがあった。だから、「何でも」はないが、あらかじめあるものがいくつかあった。しかし、あるからいいかというとそうでもない。新しく自分用に買ってもらえるのとお古を使うのとどちらがいいかというと、新しく買ってもらえる方がいいに決まっている。但し、「お古」を使わされるというのは特別に絶対に嫌だったかというと必ずしも常にそうでもなかった。使えるものなら使えばいいではないか、それで節約した費用をより有効に活用すればよいではないかと思っていた。しかし、たとえば、彫刻刀とかは「お古」でも嫌ではなかったけれども、嫌だったのは服だった。さすがにスカートをはかされることはなく、着せられるのはセーターとかシャツとかだったが、セーターとかシャツには女物も男物もないように思えてどこかに特徴があったり、たとえもともとは「男女共用」であっても、女性が何年か着ていた服というのは女性の体形がその服にくせとしてついていたりして、どうも、嫌だった・・がしかたがないと思って着ていた。
  しかし、私が20になるかという頃になって、父が「あんたには、子供の頃から、よそとはちごうて、どんなもんでも何でも何でもええもんばっかりこうてきてやってやって・・(繰り返し)・・やってやったったから。よそとはちごうて、欲しいと言うもんは何でも何でもええもんばっかりどんなもんでもこうてきてやったったから」と言い出したので、「絶対にそんなことない」と言ったのだが、すると父は「こんなこと言いよるわ。難儀やな、こいつ。これは病気やからこんなこと言いよるんやわ。これは薬を飲ませて治療してやらんといかんわ。相当いっぱい薬飲まさんとあかんわ」と言うのだった。あんたこそ「ほとんどビョーキ」ではなく、どう考えても絶対に「ビョーキ」と違うのか! と思ったが、そういうおっさんだった。「わしは。わしは英雄で人格者でキリストで聖徳太子でヒットラー総統やねんぞ。わしはドイツ人やぞ、わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で、おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族やねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。分かっとんのんか、浪商! 民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と父は言い続けたが、「英雄でキリストで聖徳太子のお父さん」「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」とはそういう人のことを言うらしい。だから、私は慶應が嫌いだ。たしかに父はいかにも慶應て感じがする。
  こういった経験を述べ出すときりがない。ここで述べたものはあくまでも「例示」であり「列挙」なんて無理。

  我が家はそういう家庭だったが、私が幼稚園児であった時、正月に親からお年玉をもらい、そして、親戚の叔父さん叔母さんからもお年玉をもらった。うれしかった。これで、今まで、よその子は買ってもらっていたが私は買ってもらえなかったものを買える♪ と思った。 幼稚園の同級生は、もらったお年玉で、よっぽど変な物でなければ、「お年玉で、◇◇を買っていい?」と親に尋ねると、たいてい、「いいよ」と言ってもらって買わせてもらっていたようだった。だから、我が家もそうだと勘違いしてしまった。 ところが、我が家はそうではなかったのだ。親からお年玉をもらい、親戚の叔父さん叔母さんからもお年玉をもらったのだが、そうすると父は言い出したのだ。「あんた、お年玉を使ったらもったいない。それ、全額、銀行に貯金しなさい」と。ショックだった。「嫌や。せっかくもらったのに、取り上げられるのは嫌や。絶対に嫌や」と。
  父は「何も取り上げられるのとは違うねん。貯金いうのは、取り上げられるのと違うねん。貯金すると利子がついて得するねん」と言うのだったが、「貯金」というものは銀行にカネをとりあげられるというものではないということくらい、幼稚園児でも知っている。私が言ったのは、お年玉としてせっかくもらったものを、「貯金」という形をとって親がとりあげて、それから何年か後に、「それを、また、〇年の定期預金に入れなさい」と言われて、永遠に「定期預金」に入れられてしまうか、もしくは、何年か後に、「あんた、それで勉強のもんを買いなさい」と言われて「勉強のもん」を買われてしまうかどちらかになるということは、目に見えているのであり、「貯金」というものは銀行にカネをとりあげられるというものではないとしても、お年玉を全額銀行に貯金するということは、実質、親にお年玉を取り上げられるのと一緒であるということを認識していたからそれを言ったのである。
  父は執拗に「あんた、お年玉を使ったらもったいない。それは使ったらいかん。それ、全額、銀行に貯金しなさい」と言い、幼稚園児だった私は「嫌や。せっかくもらったのに。取り上げられるのは嫌や。絶対に嫌や」と言って抵抗した。ところが、「ドイツ人」である父と同じく「ドイツ人」と父から認定され、「アホの方のお姉さん」「アッポちゃん」と父から言われていた下の姉と違って「えらいお姉さん」「しっかりしたお姉さん」「えらい方のお姉さん」と父から言われ、その後、私が20歳くらいになった頃からは父から「ドイツ人」と認定されたその時は高校生だった上の姉がさりげなく寄ってきて、「貯金というのは、とられるのと違うねん。貯金すると利子がついて金額が増えて得するねん」と父に加担するのだった。「貯金」というのは、銀行にカネをとりあげられるというものではないというのは、そんなことは、今さら、高校生の姉に教えられなくても幼稚園児でも知っていた。銀行の人が家に来ることがあって、母が対応した際、「幼稚園から小学校低学年向け」の「学習百貨」みたいな「粗品」をもらったこともあった。今、覚えているのは、「太陽系の惑星一覧」の図を銀行の人からもらい、それで太陽系の惑星を覚えた。そういう経験もしているし、姉は知らなかったかもしれないが、母が買い物に行く時に商店街についていったように母が近くの銀行に行く時も幼稚園児だった私はついて行ったし、その際、銀行員の人からドロップをもらったことがあった。だから、銀行というものはお金を預ける所ではあってもお金を取り上げられるわけではないということくらいは高校生から教えられなくても十分に知っていた。しかし、高校生だった「しっかりしたお姉さん」「えらい方のお姉さん」「賢い方のお姉さん」というのは、父と同じ「ドイツ人」であり、「ドイツ人」である父の同盟者だったのだ。母が嫁入りした時、父は祖母(父の母)とは仲が良かったらしいが、祖父(父の父)とは口をきかない人間だったらしい。祖父母もあまり仲は良くなかったらしく、母は祖母からいじめられたというが、祖父にはかわいがってもらったと言う。その結果、「祖父+母 対 祖母+父」という構図ができ、その後、祖父が他界して上の姉が生まれ、上の姉は父と祖母につき、「祖母+父+上の姉 対 母」の構図になり、下の姉が生まれた時には「父の同盟者」「ドイツ人」という得な椅子はすでに上の姉が占めていたので、下の姉は「母の同盟者」になり、「祖母+父+上の姉 対 母+下の姉」という構図、「ドイツ人 対 日本人」の構図になった。「日本人」は常に思うのだった、「なぜ、ドイツ人やロシア人が中国に租借地を持つのを認められるのに、日本人は認められないのか」と。そのうち、祖母は高齢化して体力がなくなり老人ホームにはいり、家中では「父+上の姉 対 母+下の姉」という構図になったが、少し年齢を離れて生まれた3番目の子供(私)はその構図に気づかなかった。そして、「父+上の姉」という「ドイツ人」と「母+下の姉」という「日本人」に加えて、「チャンコロ」がそこに誕生したのだった。下の姉から言われたことが何度かある。「なんで、あんたは私の命令をきかないの。あんたは」と。下の姉からすれば、「ドイツ人」である父と上の姉の命令を「チャンコロ」がきくのに、なぜ、「チャンコロ」は「日本人」である下の姉の命令に従わないのかと不満だったということだろう。しかし、子供はその構図に気づいていなかったし、下の姉がなぜ不満を持っているのかもよくわからなかった。だが、父が私に何かを言って私がそれに抵抗した時、上の姉は常にさりげなく寄ってきて父に加担した、という事実は、それから何十年か経ってはっきりと認識できる。あの女は「ドイツ人」だったと。
   「父+祖母  対 母」の構図において上の姉は常に「父+祖母」の側に加担し、それによって「ドイツ人」「しっかりしたお姉さん」「えらいえらいお姉さん」「賢い方のお姉さん」と認定してもらった。だから、父が、私が幼稚園児だった時に、幼稚園児に「あんた、お年玉、使ったらもったいない。それ、全額貯金しなさい」と言い出した時も、「ドイツ人のお姉さん」「しっかりしたお姉さん」「えらい方のお姉さん」としての本領を発揮して「ドイツ人」の父と同盟関係を結んでいる者として同盟者に加担し同調する行為に出たのだった。そして、取り上げられた。「貯金」という名目で。「貯金」という形式で。
   1月になって幼稚園に行くと、同級生の間ではお年玉で何を買ったという話題がしきりとされた。「〇〇くんはお年玉で何を買ったあ?」と訊かれて、「ちょき~ん」などと答えるのはクラスで私ひとりだけだった。悲しかった。「貯金て、それ、いったい何やあ~あ?」と何人もから言われた。たしか、5年の定期預金に入れたと思うのだが、預金通用を見ると、たしかに利子がついて金額は増えていた。父は「ほらほら、あんた、利子がついてもうかった、得した得した。あんた、よかったねえ~え。あんた、うれしいねえ~え。ほらほら、得した得した、あんた」と何度も言うのだったが、利子がついて金額が増えたのはわかったが、必ずしも喜べなかった。そして、たしか、5年後、父は再び「あんた、それ、さらに5年の定期預金に入れなさい」と言ってそうさせられたように思う。そして、それがその後、どうなったかは、どうも記憶がはっきりしない。それで、「勉強のもんを買いなさい」とされたのか、どうなったか・・というよりも、実際問題としてどうでもいいのだ。幼稚園児にとっては大金でも、それは大学生くらいにとってはたいした金額ではないのだ。父が他界した後、父の遺品を整理していたところ、ソープランドに行った日と相手をした女の源氏名を日報にして書いてあるのが出てきた。世の中にはソープランドに行く男というのは珍しくもないので、「ドイツ人のお父さん」「英雄で謙虚なお父さん」とかいうおっさんが行ったことがあったとしても、特別のことでもないのかもしれないし、「しろうとさん」を相手にしてややこしいことになるくらいならよっぽどいいのかもしれないが、しかし、日報つけるかあ~あ?・・と思ったが、同時に思ったのは、あの私がいったんもらったお年玉というのは、おっさんがソープランドに行くカネに化けたと解釈することもできないことはないのではないか、ということだった。どっちにしても、父が受け取って来た給料から出たカネだったから、それはおっさんの自由だったのかもしれない。しかし、子供にいったん渡したお年玉を、「貯金」を名目にとりあげて、そのカネが結局どうなったかはっきりと記憶がないのだが、父が直接そのカネでソープランドに行ったのではないとしても(だいたい、幼稚園児のお年玉なんて、ソープランドに1回行くだけの金額には足らないのではないかと思う)、幼稚園の同級生はもらったお年玉で「◇◇を買っていい?」と親に尋ねて、よほど変な物でない限り、「いいよ」と言ってもらって買っていたのに対し、私はそれを全額「貯金」にされて、そして、父は「何も、わしが取り上げるわけやないで」と言うのだが、「わしのもんを買うのやないで」ということでどうしたかというと、おそらく、「あんたの勉強のもんをこうてやってやってやってやる」とかいうことになったのではないかと思うのだ。ということは、「あんたの勉強のもん」なんてものは、お年玉で買わなくても、どうせ、嫌でも無理矢理でも買われてしまうのであり、「勉強のもん」を買われて勉強して成績があがったとしても、「すべてをわしのために捧げ尽く~す。親孝行のためにじゃ、親孝行。すべてをわしのために捧げ尽く~す、とってちってたあ~あ! 贅沢は敵だあ! 撃ちてしやまん、一億火の玉! 欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ! 戸締り用心、火の用心。マッチ一本火事の元お! どんがんどんがらがったちゃちゃちゃちゃちゃあ~あん!♪!〔《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕」ということになり、すべてを父のために、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に暴力と強制と脅迫で行かされてしまうのだから、結論として、取り上げられたのと一緒である。

   山本有三『路傍の石』には、吾一が焼きイモ屋で焼きイモを買った時、吾一が「一銭」と言ったのをイモ屋のおやじが聞き違えて十銭分の焼きイモを袋に入れていったん渡した後、一銭銅貨を見て、袋からイモを引っ張り出して減らすのを、いったん多いものを渡してそこから減らされるのは嫌だと感じる場面が冒頭にある。
≪ そのとき、吾一は学校から帰ったばかりだった。はかまをぬいでいるところへ、おとっつぁんが、ひょっこり帰ってきた。おとっつぁんは、彼に銅貨を一つ渡して、焼きイモを買ってこいと言った。よっぽど腹がすいているらしく、いやにせかせかしていた。
  吾一は、急いで路地を駆けだして行った。
  ちょうど、おやつ時刻だったので、焼きイモ屋の店さきは、ふろしきを持った小僧だの、オカモチをさげた女中だのが、黒光りのする、大きなカマの前に、いっぱい立っていた。なかなか順番がまわってこないので、吾一はいらいらしたが、やっと、彼の番になった。
 「おつぎは、おいくら。」
 イモ屋のおやじは長い竹のハシを動かしながら、忙しそうに言った。
 大きな店の小僧たちが、十銭も二十銭も買って行くなかで、少しばかり買うのは、吾一はなんとなく、きまりが悪かった。彼はちいさな声で、「一銭。」と言った。
 「おいきた。」
 主人は威勢よく答えて、カマの中から、なれた手つきで、ひょいひょいとイモをはさみあげた。
 きょうはバカにまけてくれるんだなあ、と吾一は思った。やがて新聞にくるんでくれた焼きイモを受け取って、厚いカマのふちの上に、一銭銅貨を置くと、
 「あっ、ちょっと待った!」
 と、おやじはとんきょうな声を出して、吾一から急に包みを取りもどした。そして、三つ、六つと勘定しながら、包みの中のものを、カマへ返しはじめた。おやじは一銭を十銭と聞きちがえたものらしい。向うがまちがえたのではあるけれども、いったん、包んでくれたもののなかから、数をへらされることは、こっちが悪いことでもしているように見えて、ひどくきまりが悪かった。吾一はカマの前に立っていることが苦しくなって、逃げだしたくなった。
 その時、
 「はいよ。」
 と言って、おやじが、ちいさな袋を渡した。吾一はそれを持つと、どろぼうのように、こそこそと店さきから姿を消した。・・≫
( 山本有三『路傍の石』 新潮文庫)
  4000円のゴジラのプラモデルを最初から買えないと言われたのならともかく、いったん買ってやると言われたものを「ふええ~え、ぎょええ~え」と言われて買ってもらえなくなる、お年玉を最初からもらえないのならともかく、いったんもらったものを「貯金」を名目にとりあげられるというのは、子供にとってはつらいものだった。

   上の姉は「ドイツ人のお姉さん」「しっかりしたお姉さん」「賢い方のお姉さん」で、そうであるから父が「貯金」を名目に幼稚園児からお年玉を取り上げようとした時にさりげなく寄ってきて「ドイツ人」の同盟者である父に加担したが、もし高校生の時の私に幼稚園児の弟か妹があって、父が幼稚園児がもらったお年玉を「貯金」を名目に取り上げようとしていたのを見たならば、「貯金というのは取り上げられるのと違うねん。貯金は、増えて得するねん」などとは言わず、そうではなく、「それはいくらなんでもかわいそうだよ」「そんなことするもんじゃないと思うよ」と一言は言ったと思います。だから、私なら「ドイツ人のお父さん」(=金持ちか貧乏かにかかわらず、実質、「根性がしみったれのお父さん」)が子供からお年玉を取り上げようと画策してもそれに加担したりはしないので、それで、私は「ドイツ人」には認定されないのです。何に認定されたかというと「あんたはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族でR!」という「民族」に認定され、「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と毎日朝から晩まで言われることになったのです。「ドイツ人」に同調すればそう言われることはなかったでしょうけれども、たとえ首をもがれても、幼稚園児がいったんもらったお年玉をそれを取り上げてやろうと画策するようなおっさんに加担するわけにはいかない!

   私が中学校2年の時、下の姉がお見合いをして、いったんその人と結婚すると言ったものの、やっぱり、あの人は嫌だと言い出したことがあった。どこが嫌かというと「顔が嫌だ」と言うのだが、私はそれを聞いてこの話はだめだと思った。「なんで、私はあんなブサイクな人と結婚しないといけないんだろう」と言うのだが、その文句だけ聞くと、「おまえ、いったい、何様じゃ」「おまえ、自分はそんなにものすごい美人だとでも思ってるのか。こんちくしょう」と言いたくなってくるし、相手の人は、特別にブサイクとかいうことではなく「普通の顔」だったと私は思うのだが、そういう意味ではなく、「顔が嫌い」というのは、どこが嫌というのではなく、結論として絶対に嫌だと意識しているということで、もうだめだと私は思ったのだった。しかし、父は言うのだった。「ええかげんにせえよ。おまえは◇◇短大しか出ておらんだろうが。それに対して相手は関西大学経済学部卒やねんぞ。どっちが上かあ、下かあ!」と言うのだった。しかし、どっちが上だか下だかにかかわらず、本人が嫌ならしかたがないではないか・・と私は思ったのだが、「上かあ下かあ」という思考のおっさんはそういう考え方を離れることはできなかったようだ。
   私はそれを聞いた時から経済学部が嫌いになった。それだけが理由ではないが、たとえ首をもがれても経済学部・商学部・経営学部という学部にだけはずえったいに行かされてなるものかと思ったし、「会社っちゅうところ」には就職したくないと思った。大学は行くのであれば経済学部・商学部・経営学部でない学部に行き「会社」でない所に勤めたいと思うようになった。しかし、父は「会社のために、とってちってたあ!」と私に毎日言い続け、「会社に勤めるのを嫌がるような人間は、モラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらい先生がおっしゃってる。会社に勤めるのを嫌がるような病気の人間は薬を飲ませて治療する必要があります。甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ」と言い続けるのであった。
   男と女の関係は「上か下かあ」というものではないと思うのだ。上であろうが下であろうが、本人が嫌だというのならしかたがないではないか。その人にはほかにいい人がきっとあるだろう。あろうがなかろうが、嫌だという人間と一緒になっていいことはないと思う。父は中学生の私に「あんたはどう思うか」などと言い出したので、このおっさん、父親として娘の結婚についてどう対処するか中学生に教えてもらわないと判断できない人間なのかとあきれたのだが、中学生だった私は「本人はどう言っているの? はっきりと断ってほしいと言っているのなら断るしかない」と言うと、父は「それがようわからんねん」と言うので、「それなら、『断ってほしいのか、それとも、迷っているので、どうするかしばらく考えさせてほしいということなのか、どうしてほしいのかはっきりしろ』と言ったらどうですか」と言ったのだ。父は「無理矢理やるとええと思うねんけど。そう思えへんか。無理矢理、無理矢理、無理矢理」と言うので、私は「いかん。本人が納得しないのに、無理矢理やるなんてそんなことは絶対にしてはいかん」と言ったのだった。父は「そうか? 無理矢理やるとええと思うねんけどな。無理矢理無理矢理無理矢理無理矢理」と言うのだった。何かと「無理矢理やるのが好きなタイプ」のおっさんだった。私は「はっきりと断ってほしいのか、それとも、この部分は納得いかないのでそこは改めてほしいけれども、それさえ改めてもらえるのなら結婚したいということなのか、本人にはっきりと訊いて、その上で結論が出ないのなら、とりあえず結婚を何か月か延期してもらうようにしたらどうですか」と言ったのだ。父は「そんなん、延期したいと言ってきいてもらえるやろうか」と言うので、「きいてもらえないのなら、この話はなかったということにしてもらうしかないでしょう」と私は言ったのだ。父は「相手が納得するやろか」と言うので、私は「だから、いったん、この相手と結婚したいと言っておきながら断るのだから、そこは頭を下げて謝るしかないでしょうね」と言ったのだった。しかし、この時点で、私は父が「少しでも頭を下げることができない男」だということを十分認識できていなかった。娘のために頭を下げなきゃならんなら一度でも二度でも下げてやるわと考えるのが父親と違うのかと思いこんでいたが、我が家のおっさんはそうではなかった。
   ともかくも、延期してほしいと言ったらしいのだが、「そんなん、できまわんわ。もう、会社の人に〇月◇日に結婚式あげますと言ってあるのに、早めるならともかく先に延ばすなんてしたら男の人は出世にさしつかえますわ」と言われて、父は言い負かされて「そうだんなあ」と帰ってきたらしい。アホちゃうか・・と思ったが、そういうおっさんだった。父は相手の親なのか間に入った人になのかに言い負かされて帰って来て、下の姉にそれを話すのをその場で聞いて、私は「そんなこと言わないで」と言おうとしたところ、下の姉が「わかったわ。私が犠牲になったんねん。私があんな男と結婚させられて犠牲になったんねん」とヤケクソみたいに言いやがったので、それで、「そんなこと言わないで」と言おうと思ったのを、ひとが心配してやっているのにそんなヤケクソみたいな態度をとるのなら勝手にしろという気持ちになって言うのをやめた。父は「なんで、わしがこんなことにならんといかんのじゃあ~あ。ええかげんにせえよ、A子。ええかげんにせえよ。ええかげんにせんよ。なんでわしがこんな目に合わんといかんのじゃああ」と叫ぶのを聞いて、「なんやねん、このおっさん」と思った。父親なら、娘が困った立場にあるということならなんとかしようと立ち向かうものと違うのか。努力してもなんともできない時もあるかもしれないけれども、それでも父親ならばなんとかしようと立ち向かうものと違うのか?!?  「なんで、わしがこんな目にあわんといかんのじゃあ。ええかげんにせええよ。ええかげんにせえよ」と言って逃げていくおっさん。情けないおっさんやなあとあきれた。
  下の姉は、結局、「私が犠牲になったんねん」とヤケクソみたいなことを言ってその相手と結婚したものの、1ヶ月も経たないうちに離婚した。そして私が父から言われることになった。「A子さんは素直ないい子なのにそれを離婚させられたのはおまえが悪いねんぞ。ひとのせいにすんなよ! このチャンコロめが。A子さんは本来なら離婚なんかするような人間やないのにからにそれを離婚させられたというのはすべて100%おまえが悪いねんぞ。ひとのせいにしてはならんぞ、チャンコロ。よくも産まれやがってからに。チャンコロ!」と。
   なんで、私が悪いんだよ!・・と最初は思ったのだ。私がはっきりと本人が嫌だと言っているのに「無理矢理」結婚させるようなことをしてうまくいくわけがないから、ともかく、どんな相手であろうが、本人がこの人ならいいと判断した相手と結婚するようにするべきで、嫌だという相手と結婚させるようなことはしてはいけないとはっきりと言ったにもかかわらず、「上かあ、下かあ」とか言って気が進まない結婚をさせたのはあんただろうが! と思ったのだが、そういう考え方は間違っているそうで、そういうことを言うと「外罰的性格」と「心理学」は「診断」するそうだ。そうではなく、私が産まれてきたために、下の姉は「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」と言われて、そのために、気が進まない相手と結婚してそれで離婚することになったのであり、すべて、私が悪いそうだ。私さえ産まれてこなかったならば、「〇〇が高校に行くまでに結婚してくれ」と言われることはなかったから、だから、あせることなくじっくりと考えて納得のいく相手と結婚することができたのに、私が産まれてきたことが災いしてしまった、ということらしい。だから、「よくも産まれやがってからにこのチャンコロ!」ということになるらしい。
   しかし、私は「私が高校に行くまでに結婚してくれ」なんて一言も言ったことはないのに、なんで、そんなこと言われなければならないんだ、いったい、誰がそんなこと言ったのかと思ったのだが、たぶん、母ではないかと思う。今では、30前後くらいの女性で見た目もそんなに若く見えるわけでもない女性が「まだ、若いんでえ」なんて言ったりすることがあるが、その頃は「女はクリスマスケーキ」などと言われ、その言葉の意味は「24までは売れるが、25になるととたんに価値が下がり売れなくなる」という意味で、下の姉は、私が高校1年の年に25の誕生日を迎える年齢だったことから母は「24までに結婚するようにした方がいい」という意味で「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてほしい」と言ったのだと思う。ところが、姉にはその言葉がプレッシャーになったらしい。その結果、父は「すべておまえが悪いねんぞ。ひとのせいにすんなよ、このチャンコロめが!」と言うようになったのだ。「おまえさえ産まれなければ、A子さんは離婚なんかするような人とは違ってんぞ。おまえがすべて悪いねんぞ。おまえにA子さんを離婚させられてからに、わしは迷惑しとるんじゃ、わしは。ひとにせいにしてはならぬぞ、チャンコロ! おまえみたいに、『たとえ、何があったとしても、自分の結婚である以上は、自分で責任をとらんといかん』とかそういうこと言うやつのことを、心理学では外罰的性格と言うねんぞ。わかっとんのんか! おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえがA子さんを離婚させて、そのためにわしは迷惑しとるねんぞ。A子さんを離婚させて申し訳ございませんでしたと地面に頭をすりつけて、このわしに土下座せんかこのチャンコロ! 産まれなければよかったのに。んが、んがあ!」と父は言うのだった。
   それで、私は言ったのだ。「産まなければよかったのと違うのですか」と。「なんで、産まれなければ良かったような子供を産んだのですか」と。「ええかんげんにせんか。おまえは、このチャンコロ。おまえが産まれてきたのがいかんのじゃ、おまえが。ひとのせいにすんな。よくも産まれやがってからに」と言うのだった。産まれてからのことはともかく、産まれる時点までは産んだ者の方に責任があることであって産んだ母親とはらませた父親に責任のあることで、はらませた男に文句を言われるのは筋違いと私は思ったのだが、そうではなく、産まれるべきでない子供は腹の中で自覚して死産で産まれるようにするべきであった・・ということだろう。
   しかし、たとえ、そうであったとしても、それでもやっぱり、中学生の私としては姉を守ろうとして必死で頑張ったのであり、父には「たとえ世間一般にはどんなにすばらしい人であっても本人が納得できないような相手とは無理矢理結婚させるようなことは絶対にいけない」と何度も言い相当頑張ったのだが、「おまえみたいになあ、どんなことがあったとしても、自分の人生である以上は自分で責任とらないとしかたがないとか、そういうことを言うやつのことを、心理学では外罰的性格と言うねんぞ」ということになるのだった。ともかく、「心理学」にかかったが最後、世界中の罪を背負って十字架にかけられない限り、「外罰的性格」と「診断」されるようだ
  父が「あんたはどう思うか」と言った時、このおっさん、中学生に教えてもらわんと判断できんのか、情けない男やなと思ったのだが、実際は、父としては判断をききたかったのではなく、
(1)「無理矢理やる」ということをやりたかが自分で最終決定するのは怖かったので「無理矢理やる」行為について「背中を押す」ということをしてほしかったということと、
(2)そのやり方でやってうまくいけば、「やっぱりわしの判断は正しかった」ということにするつもりだが、うまくいかなかった時には、「あんたがこないせえ言うたからそうしたらこないなってんで」と言って私が悪いことにして「わしは悪ないねんぞ。わしは」とするという「保険をかける」目的があったように思う。
そういうおっさんだった。「英雄のお父さん」「ドイツ人のお父さん」というのは。「無理矢理やるとええと思うねん」という父の主張に私が「そうだんなあ」なんて言っていたら、「あんたが無理矢理結婚させるとええ言うたために離婚させられてんで」と言われることになっただろうけれども、「本人が納得できないものを無理矢理結婚させるなんてしては絶対にだめだ」と私が言ったのでそうはならなかったが、それでも、「おまえが産まれてきたために素直なA子さんが離婚させられてわしは迷惑しとるねんぞ」とやっぱり私が悪いことにされた。「心理学」によると、そうやって息子のせいにする父親が「外罰的性格」ではなく、産まれてこなければ良かったのに産まれてこなければ良かったのに産まれてきた息子の方が「外罰的性格」と「診断」される
   下の姉がその相手と結婚するのかしないのか言っていた時、上の姉はすでに結婚して家にいなかったが、もし、いたならさりげなく寄ってきて父に加担したのではないか。それにより「ドイツ人」「しっかりしたお姉さん」と認定されただろうが、私は「本人が納得できない相手と無理矢理結婚させるなんて絶対にしたらいかん」と言い続けたので、私は「ドイツ人」とは認定してもらえず、「おまえはチャンコロでロスケじゃ」と認定されることになった。だから、私は「ドイツ人」と「心理学」が嫌いなのだ。

  次回、【2】ええもんばっかり買ってやったと言う父親https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_8.html
  (2018.1.1.)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック