クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた経験[下]-正月と1月の想い出【4/5】

[第432回]
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   1960年代、叔父(父の弟)の夫婦とその子の家族が我が家より電車の駅で2駅くらい南に住んでいた。 その叔父夫婦と子供(私からすればイトコ)2人が正月に我が家に来た。私が幼稚園の年長組の時だったと思う。イトコは上が女で私より1つ年上、下が男で私より1つ年下だった。我が家でイトコと一緒に遊んだが、彼らが帰る頃、母が私を彼らがいない「茶の間」に呼び、私がクリスマスに幼稚園でもらったばっかりの「数字合わせゲーム」をイトコに「あげなさい」と言い出した。びっくりした。母がそう言いだしたひとつの理由として、私がクリスマスに幼稚園でもらったものと、色違いのものを上の姉も幼稚園でもらって持っていて、それが《私の「おもちゃ箱」》ではなく《我が家の「おもちゃ箱」》に一緒に入っていたので、我が家にはその「数字合わせゲーム」が2つあるように見えたということがあったようだ。だから、「2つあるんだから、どちらかをあの子たちにあげなさい」と母は言うのだったが、しかし、姉が幼稚園でもらったものは、それは姉のもので、姉がもらったものを私がほかの人にあげていいだの悪いだの言うことはできない。母は「あの子らにあげなさい」と言うのなら私に言うのではなく姉に言うべきあったはずである。
   母は「あの子らは、あんたなんかと違って、何でもを買ってもらえない子だから、だから、2つあるんだから、どちらかをあの子らにあげなさい」と言うのであった。これは受け入れられない。「あんたなんかと違って、何でも買ってもらえない子だから」と言われても、これまで述べてきたように、どう考えても私は幼稚園の同級生や近所の子供などと比較して、よその子よりも何でも買ってもらえてきた方の子供ではないのだ。母は「あの子らは、買ってもらえない子だから」と言うのだが、そうであっても、だから私がクリスマスに幼稚園でもらったばっかりの物をイトコにやれというのは理不尽である。「2つあるんだから」と言っても私の物は1つで、我が家は3人兄弟で3人いても2つしかなかったのである。私の物が2つあったのではない。
  母は「あんたは2つ持ってるけど、あの子らは1つも持ってないらしいから、どちらか1つあの子らにあげなさい」と言うのだが、しかし、私が「2つ持ってる」のではない。姉は2人いて、上の姉が幼稚園でもらったのが1つ、私が幼稚園でもらったのが1つで、下の姉は幼稚園でその「数字合わせゲーム」はもらわなかったので、だから、我が家は3人兄弟だったが「数字合わせゲーム」は3つではなく2つしかなかったのである。何より、私だって幼稚園の同級生とか近所の子供の家とかに行った時、私が持っていなくてよその子が持っている物があったことなんて何度でもあったが、だからと言って、よその家で自分が持っていない物をよその子が持っていたという時、あるいは、よその家に兄弟が2人いたから2つあったとしても、「それ、もらって帰る」などと言ったことはないし、そんなことを言おうものなら、私は親からえらい怒られたものである。私がその時のイトコと同じように、よその家で、「それ、もらって帰る」などと言おうものなら、母はかんかんに怒ったはずなのに、それなのに、イトコが「それ、もらって帰る」などと言い出すと、「どちらかあげなさい」などと言い出したのである。母の態度が理解できなかった。
  よその家に行って、そこの家の兄弟姉妹が2人いて、2人いるから同じようなものが2つあったとして、私が1つも持っていなくて、「いいなあ」と思っても、父も母も「よそはよそ、うちはうちです」と言って、よその子が持っているからといって買ってくれるということはなかったし、ましてや、よその子が持っているものを「それ、もらって帰る」などと私は言ったことはないが、もし言おうものなら激怒したはずである。それを、イトコが「それ、もらって帰る」と言うと、「これ、どちらかあげなさい」などと言い出したのには驚いた。
  母が、「どっちをあげるか決めなさい」と言い、「こっちをあげるか」と言って私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物を指して言った時にはびっくりした。「それ、幼稚園でクリスマスにもらったばっかりのものなんやで」と言った。母の態度が信じられなかった。もし、幼稚園でもらった物でも、それから何年か経って、もうそのゲームで遊ぶような年齢でなくなったという時に、「あんた、もう、これで遊ぶことないだろうから、あの子にあげるわけにいかんか」と言うのならわからないこともない。しかし、自分の子供が幼稚園でクリスマスにもらってまだ1週間経つか経たないかの物を、それを「あの子らにあげなさい」て、そういう言葉が母親の口に出るというのが信じられなかった。「それ、幼稚園でクリスマスにもらったばっかりやねんで!」と言い、いったい何を言いだすのかと抗議した。すると、母は「そしたら、こっちをあげなさい」と言って姉が幼稚園でもらった物を指した。私は「それはお姉ちゃんのや」と言った。姉がもらった姉の物を私がひとにあげていいとか悪いとか言うことはできない。「それはお姉ちゃんのやから、お姉ちゃんにきいて」と私は母に言った。すると、母は「そしたら、こっちをあの子らにあげるんやな」と言って、再度、私が幼稚園でクリスマスにもらって1週間経つかどうかの物の方を指して言ったのだ。それが母親のすることか?!?と驚いた。
  まず、私が持っている物でイトコが持っていない物があったとしても、逆にイトコが持っている物で私が持っていない物だってある可能性があるし、幼稚園の同級生の家とか近所の子供の家に遊びに行った時、私が持っていない物をよその子が持っていることなんて珍しくも何ともないことだった。だからといって、「それ、もらって帰る」なんて私は言ったことはない。こういうことを言うと、「あんたは、何でも欲しい物を買ってもらってきたから、だから、よその子が持っている物でも欲しいと思わなかったんや」とか言われそうだが、そうではない。これまで述べてきたように、我が家はよそと比べて、決して何でも買ってもらえた方の家ではないし、たとえ、よその子が買ってもらえていても、「よそはよそ、うちはうちです」と父も母も言ったものだった。なんで、イトコにはそう言わないのか、わけがわからなかった。又、もし、私がよその家に行って、私が持っていない物をよその子が持っていたとして、「それ、もらって帰る」などと言おうものなら、父も母もかんかんに怒るはずだったのに、なんで、イトコが言い出すと、「これ、どちらかあの子らにあげなさい」などと言い出すのか。特に、私が幼稚園でクリスマスにもらったばっかりのものを、母親が「これ、あの子らにあげるか」などと平気で言えるのか理解できなかった。
  私が「それ、幼稚園でクリスマスにもらったばっかりの物なんやでえ」と母の態度が理解できないことを訴えたところ、母は「それなら、こっちをあげなさい」と言って姉が幼稚園でもらった物を指して言ったので、私は「だから、それはお姉ちゃんのやて言ってるでしょ。お姉ちゃんにきいて」と言うと、母は「勝手なこと、言いなさんな。どっちもあげたらいかんなんて我儘言うたらいかん」と言うのだ。しかし、姉がもらってきた姉の物を私がひとにあげていいなんてことを言えるわけはない。だから、「だから、それはお姉ちゃんのやから、あげたらいかんのや、それは。お姉ちゃんの物をお姉ちゃんに無断でひとにあげたりしたらあかんのや」と言うと、母はまたもや、「それなら、こっちをあげるんやな」と言って私が幼稚園でもらったばっかりのものをイトコにあげようとして持っていこうとした。「なんで、それ、あげないといけないの。それは幼稚園でもらったばっかりの物なんやで。なんで、幼稚園でもらったばっかりの物をあげないといけないの」と訴えたのだが、母は「わかった。それやったらこっちをあげるということやな」と言って姉が幼稚園でもらった物の方をイトコの所に持って行った。私は「あかん。それはお姉ちゃんのや。あげたらあかん」と言ってすがったが、それでも母は姉が幼稚園でもらった物の方をイトコに渡し、イトコはそれを強奪して持ち帰った。
  姉は私と11、歳が離れていて、その時、高校生だったので、もう、数字合わせゲームで遊ぶことはなかったかもしれないが、姉がもらった姉の物は、やっぱり、イトコにあげていいかどうかは姉にきくべきであって私にきくべきではないし、姉はそれから何年か後に結婚して子供ができたのだが、姉としては自分がそれで遊ぶことがなくても、弟に使わせてもいいけれども、イトコにあげるつもりはなかったと思うし、姉としては将来自分の子供にやりたかったかもしれない。イトコはもらったなら「ありがとう」くらいは姉に言うべきであったはずだが、結局、「ありがとう」の一言も言わずにもらって当たり前みたいに持ち帰った。私がよその家で何かをもらったなら、母は「ありがとうと言いなさい」と言い、私はそう言われなくても「ありがとう」と言ったものだが、イトコは姉の方も弟の方も言わなかった。「当然の権利」だから「ありがとう」などと言うのは不当みたいに思っていたようだ。
  母は「幼稚園があんたに渡した物というのは、それは親が幼稚園にお金を払っているから、だから、幼稚園はあくまでも親に渡しているのであって、あんたにあげたのとは違うんや」と言うのだった。それは一理はあるだろう。1970年代後半、YMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん役職の藤井という男は、「ぼくらは、あくまでもきみらの親にカネを払ってもらっているのであって、きみらには1円としてカネもらってないんやからな」と発言し、父はそれを聞いて、「そうや! その通りや。ええこと言う」と言って喜んだのだが(そういうおっさんやった)、私が父親なら、そういう発言はおかしいと思うし、そういうことを言うヤツを見ると、「なんだ、こいつ」と思う。 たとえ、予備校の学費を親が出したとしても、親は息子なり娘のために役立ってもらおうと思って出しているのであり、藤井が言うように親からカネはもらっているが生徒からは1円もカネはもらっていないから、YMCA予備校の職員は親のために働く必要はあっても生徒のために働く筋合いはないという主張はおかしいはずなのである・・・が、私の父母はそういう自称「敬虔なクリスチャン」藤井(「聖書なんてあんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなもん」と常に口にする奇妙な自称「クリスチャン」)の発言を聞いて喜んだのだった幼稚園もまた、親がカネを払っているので、親がカネをはらったから幼稚園は親に渡したのであって、幼稚園の生徒に渡したのではないというのが母の見解だったようだ。だから、私はクリスマスに幼稚園からもらったばかりの「数字合わせゲーム」を母親がよその子供に「これをあげなさい」と言うのを信じられないと思ったが、母としては、それは子供が幼稚園からもらったものではなく親が幼稚園からもらったものなので、親がそれをよその子にあげるのは親の当然の権利だと認識していたようだった。しかし、それならば、幼稚園の先生の渡し方が良くない幼稚園の先生は「幼稚園から皆さんにクリスマスのプレゼントがあります」と言って渡したのである。だから、子供はその「数字合わせゲーム」は自分がもらったものだと思い込んでしまった。そうではなく、「幼稚園から皆さんのお父さんお母さんに渡す物があります。これは皆さんにあげるのではありませんのでそのままお父さんかお母さんに渡してください」と言って子供に預けるべきであった。そうすれば、子供は自分がもらったものではないと思い、そのまま、親に渡したはずで、親が幼稚園からもらったものをよその子供にあげようがそんなことは子供は知ったこどではないことになったであろう。なぜ、幼稚園の先生は幼稚園児にではなく親に渡す物なのに「幼稚園から皆さんにクリスマスのプレゼントがあります」などと言って渡したのか、それがわからない。
  私が大学に進学する時、それまで、「親というものは、子供が大学に進学する時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って、やりたい勉強をして、つきたいと思う仕事につけるようにと思って、それで無理にでも勉強させようとするものなんや」と言い続けてきたくせに、北野高校のクラブのOBで東大の文学部に進学し、哲学科で大学院に進学しようとしていた人がいたのだが、その人のことを「ああいうのだけはやめておきや」「ああいうのにはなってらあかんで」と言い出したのだ。なんで? いくらなんでも、このタイミングでそういうことを言い出すというのは無茶苦茶と違うのか?
  それなら、どうしてもらいたいのかというと、父は「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います」「うちは医学部なんか行かすような金持とは違います。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは大学院になんか行かすような金持とは違います」「うちは学校の先生になんかならせるような金持とは違います」「たとえ学校の先生になるにしても数学か英語の先生でなかったらなってはいかん。数学か英語の先生でないと家庭教師のアルバイトができんから社会科とか理科とかの先生はなってはいかん」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持とは違います」「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやからいかん。毎日もアカやからいかん」・・・と言い、そして、「わしは、あんたにどの学部に行かんといかんとか、どういう職業につかんといかんとかなんて、ひとこととして言うたことはないで」と言うのであったが、↑のように、「・・・はいかん」と言いまくって、いかんものばっかりであり、結局、「会社のために、滅私奉公! とってちってたあ~あ!」の学部しか残らないことになり、それしか「進路」はないことにされてしまったのである。それでは、これまでいったい何のために同級生が遊んでいる時も必死で勉強してきたのか。いったい何のために生きてきたのかわからない。私の頭にはヴォルガ川の船曳人夫の歌がバックミュージックとして流れた。〔⇒《 Song of the Volga Boatmen(「ヴォルガの舟唄」) - Red Army Chorus(赤軍合唱団) - Leonid Kharitonov - Леонид Харитонов(レオニード=ハリトノフ) 》https://www.youtube.com/watch?v=uNb54rwDQJM 〕 父は「人間は『向き不向き』があって『適材適所』の扱いをせんといかんのや。わしなんかはひとに号令かけるのが向いている民族、あんたあはひとから号令かけられることに快感を感じる民族。あんたは号令かけられて命令されたとお~り、せえっせせっせやるのが得意でうれしいねん」と言うのであった。「うれしくないですけど」「私、そんなもの、得意じゃないですけど」と何度も言ったが、「何を言うとるんじゃ、チャンコロ! チャンコロは服従する民族。チャンコロは号令かけられることを喜ぶ民族。民族の違いを忘れるな!」と父は言うのであった。
  私が高校3年の時、母は離婚すると言い出し、そして、どうせ、本当に離婚することなんてできないのではないかと私は見ていたけれども、それでも心配したものだが、母は「こいつ(私)がこの人の血を引いているから女を泣かせるから、だから私は離婚するんや」と言い、「こいつの血を全部抜いて入れ替えたろかと思うんや」とか言っていた。恐ろしいことを考えるものである。気に食わない人間の血を全部抜いて入れ替えるというのは簡単ではないが、「化学的ロボトミー」によって「人間による人間の加工」は現代の「精神医学」によってかなりできるようである。恐ろしいことである。母は「こいつ、絶対に現役で合格させてなるものか、こいつう。絶対に落としてやる、こいつう。何が何でも合格させてなるものか、こいつう!」と言って、夜、私が自宅で学習していると、後ろから来て服の襟のあたりをつかんで背後にひっくり返したり、箒で後ろからボコボコ殴ったり、私が使用している部屋の電気のブレーカーを落として照明がつかないようにして見えないようにしたり、高校から帰ってくるとインタホンの電源を抜いて鳴らないようにして家に入れないようにし、さらにその上で高校に電話して「息子が帰ってきませんねん」とか言ったりとか、ありとあらゆる妨害を加えた。
  母は、私が高校3年の時に、下の姉が内蔵を悪くして実家である我が家に帰ってきて近くの病院に入院し、上の姉が2番目の子供を産むということでその間、1番目の子供(姪)を預かったりしたことを、「受験で大変やのにからに子供を預けられた」と今でも言うのだが、たしかに、今、考えても姉の結婚した相手は、上の姉はダンナの実家に何なりとやりに行ったり何かを持っていったりしていたのに対し、自分の実家には1番目の子供を産みに帰ったり2番目の子供を産む時に1番目の子供を長期にわたって預けたりと、まるで、嫁の実家はダンナの実家のために尽くすのが当たり前みたいな態度をとっていたがそれはおかしい。下の姉は結婚してすぐに内臓を悪くして入院してしまったが、その際も、まるで家庭用電気製品の保証期間みたいに実家に帰して実家で治して戻すのが当然みたいに実家で実家の近くの病院に入院させて母が着替えなどを持って行ったりしたが、それもおかしい。嫁の実家が協力して悪いということはないが、ダンナの実家はやってもらう方ばっかりで、負担は嫁の実家の方にかけるという姿勢というのは、ダンナの実家というのはいったい何様なんだということになるが、私が父の立場なら、ちょっと向こうは認識が違うのではないかと思い、「不快感の表明」くらいしてやるところだが、父はそういうことをできない人間で感知することもできない人間(要するに、アホやんけ)だった。
  それで、母は、「受験で大変なのに」と言うのだったが、どう大変だったかというと、「こいつ、絶対に落としてやる、こいつめが!」「こいつめ、現役で通ると思いあがった人間になるから、絶対に落としてやるんじゃ、こいつめこいつめこいつめ」とか言って、箒でボコボコ殴ったり、服をつかんで椅子から後ろにひっくり返したり・・といったことを毎日やるのに大変だったということだった。母は「私は心臓が弱くて・・」とか「血圧が高くて・・」とか言っていたので、そういうところを見て「心臓や血圧の悪い人を困らせてはいかんでしょうが」とか私に言う人がいたが、実際に心臓や血圧が悪いのかどうかよくわからなかったし、母がかかっていた内科医は「〇〇さんは、そんなに血圧とか悪くないと思うんですけど。気持ちの問題でしょうか」とか言っていたようだったのだが、ともかく、私に箒でボコボコ殴りかかったり、服をつかんで背後にひっくり返したりする時は、けっこう力も強いし、「私は心臓が・・」とか「あ、血圧が・・」とかいうようなそんな感じではないのだ。片方で、「私は心臓が・・」「あ、血圧が・・」と言うのは、なんだか二刀流みたいでずっこいような気がしたのだが、ともかく私が悪いらしく、悪いのは私だった。そして、父と母は離婚することにしたかしないかというと、私が東大を落ちたことにより、母は「あんたが大学に通ったら離婚しようと思っていたのに、浪人したために離婚できんようにされてしもうたやないか。おまえが悪いんや」と私が悪いことにし、父もまた「そうや。その通りや。すべて、おまえが悪いねんぞ、こいつめ」と言って私が悪いことにされ、それで父と母の離婚の話は消えた。なるほど、そういう離婚話の解消法があるらしい。あんたら、ちょっと前まで離婚するとかしないとか言ってもめていたのに、なんで、その2人が「こいつが悪いんやあ」と2人して言って大同団結できるんだあ? とびっくりしたが、うちの親はそういう人間だった。要するに私をこいつが悪いと「人身御供」として供することで「夫婦の危機」を回避した・・みたいなものだ。「離婚する」と母が言いだして、私を口実に使ってとりやめたのは、私が幼稚園児だったかの時にもあり2回目であり、「また、やられた」と思った。離婚しようがしまいが夫婦で決めればいいが「息子を口実に離婚をとりやめる」という手法はやめてほしかったが、もしかすると「そのために息子を産んだ」のかもしれない。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒。結婚して、寺地礼子。その後、離婚したかどうかは知らん)は「私は両親が離婚したから」ということを最大の自慢にしていたが、「両親が離婚した」というのはそれは自慢することだろうか。旧姓作野礼子は母親の方についていったらしいが、父親がいないからだから自分はしっかりしているんだと言いたいらしく、北野高校の教諭には「作野先生は両親が離婚されただけあって、しっかりしてはる」などとアホなことを言う先生がいたが、おかしいと思う。父親がないよりあった方がいい時もあるかもしれないが、父親があることで苦労することだってあるし、「両親が離婚した」人というのはすでに離婚している以上はさらに離婚することはないだろうが、離婚していない両親を持っていると「離婚する」と言われて「おまえが悪いから離婚するんや」と自分のせいにされて、さらに「おまえのために離婚できんようになったんや」と離婚をとりやめる口実に使われることだってあるのだ。別れるにしても別れないにしても俺を口実に使うのはやめてほしいと思ったが、「私は両親が離婚したから」とそれを最大の自慢にする女は、こういう思いをしたことなんてないだろう。旧姓作野を「あの人は両親が離婚したから、だからしっかりしている」などと言う北野高校の先生があったが「しっかりしている」のではなく「思い上がっている」だけと違うのか。母は父が気に入らない点があったのだろうけれども、結局、すべて私が悪いという事になって、離婚の話はなくなった。そして「息子が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行けるようにと思って、それで、小さい頃から無理にでも勉強させようとするんや」という話も消えて、「すべてをわしのために、ささげ尽く~す。とってちってたあ!」にされてしまった。「すべをやぞ。産まれなければよかったのに産まれてきた罪をつぐなうために。産まれなければよかったものを産んでいただいてもらった恩に報いるために。すべてをわしのために、捧げ尽く~す。とってちってたあ!」とされてしまい、「上かあ下かあ」の学部、小学生の時から絶対に行かされてたまるもんかと思い続けてきた学部に強制と脅迫と暴力で行かされ、日本で一番嫌いな大学に行かされてしまった。
  イトコの姉の方は神戸外大に進学したものの、画家になるなどと言って大学をやめてしまったらしい。イトコの弟の方は京都工芸繊維大学しか行けないくせに工学部に行かせてもらい、卒業後、けっこういい会社に就職したらしい。おかしいじゃないか、どう考えても。イトコの家は、幼稚園や小学校の同級生、近所の子供のどの家と比較しても、よその子供よりも欲しいと思った物も買ってもらえない家庭だった私よりも、なお何も買ってもらえない「かわいそうで特別に貧困な家庭」であったはずなのに、なぜ、私が「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います」なのに、なぜ、そのイトコが私よりも高校までの成績は悪くて、高校だって私が行った高校よりも下の高校にしか行っていなくて、大学も京都工芸繊維大学しか行けないくせに、工学部に行かせてもらうて、どう考えてもおかしいじゃないか!
  それで、私は母に言ったのだ。「なんで、『うちは工学部になんか行かすような金持とは違います』のに、◇◇の子は、「かわいそうな家庭の子」なのに京都工芸繊維大学しか行けないくせして工学部に行かせてもらえるんや?」と。「◇◇の子のところ(イトコの家)はうちよりも貧乏なんだよねえ。それなのに、なんであいつは京都工芸繊維大しか行けないくせに工学部に行かせてもらえるの? なんで?」と言ったのだが、母は「それは、あの子らは家が貧乏で、あんたとは違って小さい頃から苦労してきているから、だから、大学は行きたいところに行かせてもらえるのでしょうが。あんたは小さい頃から恵まれてきたのだから、だから、大学は親が行かせたいと思う大学の親が行かせたい学部に行って、親が勤めさせたい会社に勤めて親孝行するのがあんたの義務でしょうが。当たり前でしょうが!」と言うのだった。

  しかし、どう考えてもおかしい。クリスマスに幼稚園でもらったばっかりの物を正月にとりあげられたのは私であってイトコではない。母は私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの「数字合わせゲーム」か姉が幼稚園でもらったものかどちらかをあげなさいと言ったのだが、姉がもらった物をあげていいと私が決めることはできないわけで、そうなると、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物をイトコにあげるしかないことになったのである。結果として、母は姉が幼稚園でもらった物の方を姉の承諾を得ずにイトコにあげたのであるが、それは結果としてで、母は、姉が幼稚園でもらった物か私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物かどちらかをイトコにあげようとしたのであり、どっちになるかはほぼ五分五分であったのであるから、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物をイトコに取り上げられたのとほとんど変わらない。なんで、幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物をとりあげられた者が「あんたは子供の頃から恵まれてるから」などと言われなければならないのだ? なんで、ひとが幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物をとりあげて持ち帰ったヤツの方が「子供の頃から苦労してきているから」などと言われるのだ? おかしいではないか!?! 子供の頃から、幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を正月にとりあげられたのは私の方で、子供の頃から、ひとが幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を「ありがとう」も言わずに持ち帰ったのはイトコの方であるはずだ。なんで、ひとが幼稚園でもらったばかりの物を正月に「ありがとう」も言わずに奪い取って持ち帰ったヤツの方が「子供の頃から苦労しているから」になるんだ? おかしいじゃないか!

  フランツ=ファノン『地に呪われたる者』の「序」ジャン=ポール=サルトルが書いているのだが、そこでサルトルは次の言葉を書いている。
 「『悪人』が、自分は悪人ではないぞと気づく時、革命は始まっている」と。
長年にわたって、イトコの姉弟は「かわいそうな家庭」で「子供の頃から苦労してきた」と私は親から教え込まれてそうかいなあと思ってきた。そして、イトコの姉弟と違って、私はイトコよりも恵まれてきたと私の親は言い続けてきた。だから、イトコは、画家になるとか言い出すとその方向に進ませてもらえるのであり、工学部に行きたいと言えば京都工芸繊維大しか行けないヤツでも工学部に行かせてもらえるのに対し、私は「とってちってたあ」「会社のために滅私奉公」の日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に無理矢理行かされるのは当然だと言われ続けてきたが、どう考えてもそれはおかしい。イトコの方が私から奪っていったのであって、ひとが幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を奪い取っていったのはイトコの方であって私ではない。決して逆ではないのである。「『悪人』が俺は悪人ではないぞと気づく時、革命は始まっている。」ついに、気づいた。

  その頃、我が家は特に豪邸とかではないが、ともかく戸建ての持家に住んでいたのに対し、叔父夫婦とイトコは「公団」に住んでいた。「公団」というのは集合住宅で、その頃の集合住宅というものは賃貸のものだと私は思いこんでいた。私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を正月にもらって帰らないといけないくらいかわいそうな家庭なんだから、家だって賃貸なのだろうと思いこんでいたが、しかし、実は違ったらしい。「公団」というのは賃貸の「公団」と分譲の「公団」があって叔父夫婦が住んでいたのは分譲の「公団」で、集合住宅だけれども持家だったらしいのだ。それならば、我が家の近所に☆☆アパートというのがあって、私の親は片方で「誰とでも分け隔てなく一緒に遊びなさい」と言いながら、片方で「☆☆アパートの子とは遊んではいかん」とか言っていて、いったいどないせえちゅうねんてところだったが、その☆☆アパートに住んでいた小学校の同級生Fは、(10)で述べたように、私が買ってもらえなかった4000円のゴジラのプラモデルを買ってもらって持っていたのである。だから、住んでいる家が賃貸でそれも相当オンボロの賃貸の家であっても、だから、持家に住んでいる子供よりも何でも買ってもらえていないとは限らないのである。Fは父が「ふえ~え。ひえ~え。ぎょえ~え」と言って私が買ってもらえなかった4000円のゴジラをそのかなりオンボロのアパートの住人の同級生は「足し算」トーナメント大会に優勝なんてしていないにもかかわらず当然のように買ってもらっていたのである。イトコが住んでいたのは「公団」でも賃貸の公団だとばっかり私は思っていたが、実際は分譲の「公団」だったらしい。叔父(父の弟。イトコの父親)はこのすぐ後、東京に出張中に、30代で脳卒中になってしまい働けなくなってしまったらしく、その点でその後、叔母などは大変だったのではないかと思うが、しかし、正月に「数字合わせゲーム」をイトコが奪い取って帰った時には、私はそこまでしないといけないくらい特別にかわいそうな家庭の子なんだと思い、それは叔父が脳卒中で倒れて働けなくなったことに原因があるものと思っていたのだが、実はそうではなかったらしい。イトコが「数字合わせゲーム」を奪い取って持ち帰った時点では、叔父はまだ脳卒中にはなっておらず、むしろ、会社では営業の仕事についてけっこうはぶりが良かった時期だったらしいのだ。はぶりが良かった時期だから集合住宅とはいえ分譲の「公団」を購入したりもしていたようなのだ。だから、実は、イトコは、世間一般から考えれば、それほど特別に「かわいそうな家庭の子」ではなかったのだ。それなのに、なんで、どう考えても、よその子供よりも、何にしても買ってもらえないことが多い私から、「数字合わせゲーム」を取り上げて持ち返らないといけないのか?
  落ち着いて考えてみると、イトコの親が裕福か貧乏かは別として、イトコの姉弟もまた幼稚園には行っていたのである。電車の駅で2駅ほど離れた所に住んでいたので、私が行っていた幼稚園とは別の幼稚園だが、イトコは幼稚園に行かせてもらえなかったのではなく2人とも幼稚園に行っていたのだ。だから、イトコだって私と同じように幼稚園でクリスマスのプレゼントといった物をもらっていておかしくないのである。その幼稚園によって何を子供に渡すかは異なるだろう。キリスト教系でない幼稚園でもクリスマスは幼稚園でやっていたようだけれども私が行った幼稚園はカトリックの幼稚園だったので、「キリスト教色」が強いクリスマスをやり、クリスマスのプレゼントとしても、年少組の時には「マリア様の像」をもらい年長組の時には「ヨセフとマリアと子供の頃のイエスの3人の像」をもらったが、年長組の時には同時に「数字合わせゲーム」ももらったのだが、キリスト教系でない幼稚園に行った人は「マリア様の像」とか「ヨセフとマリアとイエスの3人の像」とかをもらうことはなかったと思う。ともかく、イトコの姉弟もまた幼稚園に行っていたのであるから、もし、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を「それ、もらって帰る」と持ち帰るのであれば、「相互主義の原則」を適用してイトコもまた自分が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を私に渡さないといけないはずであるし、姉が幼稚園でもらった物を持ち帰るのであれば自分が幼稚園でもらった物を姉に渡さないといけないはずである。「ひとの物は自分の物、自分の物は自分の物」という態度、まるで、「巨人みたいや」て態度は許すわけにはいかん。特に関西人は「巨人みたい」な態度はは許せないのである。
  クリスマスの幼稚園でもらった物を正月にイトコに奪われた私が、「うちは工学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われて、小学生の時から「そこだけは嫌!」「お願い、そこだけはやめて!」と思い続けてきた「経済学部および商学部・経営学部」に、「無理矢理やるのが好きなタイプ」の父親から無理矢理行かされてしまったのに対し、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を奪い取って持ち帰ったイトコは、京都工芸繊維大学しか行けないくせしやがってからに、ウルトラどあつかましくも、工学部に行きやがった。すでに、イトコが京都工芸繊維大学を卒業して30年以上経つのであるが、何年経とうが関係ない。今、思ってもけったくそ悪い。なんで、ひとが幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を正月に奪い取って持ち帰らないといけないような「かわいそうな家庭」の子供がくそどあつかましくも工学部に行くのか?
  そもそも、イトコは金持ちなのか貧乏なのか、恵まれた家庭の子だから工学部に行かせてもらえるのか、かういそうな家庭の子だから工学部に行かせてもらえるのか? 結論として、イトコの親はそれほど特別に「かわいそうな家庭」ではなかったのではないかと思うのだ。我が家はどうかというと、カネがあるかないかの問題ではなく、父が「すべてをわしのために捧げ尽く~す。とってちってたあ! 会社のために滅私奉公! どんがんどんがらがったちゃちゃちゃちゃちゃあん♪ 贅沢は敵だあ!木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ! 撃ちてしやまん、一億火の玉」と言う人間(あくまで私に「言う人間」で自分に自身に言う人間ではない)であったので、それで、「とってちってたあ」の学部に無理矢理行かされたのであって、金持ちか貧乏かという問題とは別ではないかという気が今はしますが、ともかく、我が家は「とってちってたあ」の学部に行かされてしまう家庭であり、そんな学部に行かされるくらいなら大学なんか行かない方がいい、慶應なんて女たらしの大学、強姦魔の大学に行かされるくらいなら大学なんて行かない方がいいと私は何度もはっきりと言ったが、それでも「無理矢理やるのが好きなタイプ」である父親から「無理矢理」行かされてしまったのであった。
  父は何度も言っていた。「わしいは、ひとのことを決めるのが得意やねん。わしは自分ではやらずにひとに号令かけるのが得意の民族。あんたは、自分のことを自分で決めるのではなく、何でも何でもわしとかM川先生とかに決められて決められたとお~り、せえっせせっせとやるのが得意でうれしいねん。あんたは号令かけられることに快感を感じるねん」と。「私、そんなもの、号令かけられることに快感なんて感じませんよ。号令かけられることなんてうれしくないですよ」と言ったのだが、父は「何を言うとるんじゃ、このチャンコロめが」「チャンコロは号令かけられることを喜ぶ民族。チャンコロは号令かけられることに快感を感じる民族なんや。あんたはチャンコロやねんぞ。そんでもってわしはドイツ人やねん。民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロ! 階級の違いを忘れるでないぞ、チャンコロ!」「世の中はやなあ、自分ではやらずにひとに号令をかける民族と、常にひとから号令かけられる民族の2種類の民族がおってこそ成り立つのであって、片方ではいかんわけや。天の神さまは大変賢明なお方で、この世の人間をこの2つに産まれる時点ではっきりと分けてお造りになっているのでR。即ち、ドイツ人とかアメリカ人はひとを支配する民族、ひとに号令をかける民族で、わしなんかはドイツ人でアメリカ人や。それに対してチャンコロはひとから命令されるのが向いている民族で、ひとから号令かけられることに喜びを感じる民族で、あんたはチャンコロや。民族の違いを決して忘れてはならぬぞ、チャンコロ。これは神さまがお決めになったことであって、それを変えようなどとはゆめゆめ考えてはならぬぞ、チャンコロ!」と言い続けた。「『自分ではやらずにひとに号令かけるのが得意の民族』なんていない方がいいのと違うのですか」とも言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、チャンコロ! のぼせあがるな、チャンコロ!」と父は言うのであった。だから、私が努力してある程度の点数を取ったなら、その点数で行ける大学学部から父が「よっしゃ。わしが決めたろ」と決めるのが「それが何より、あんたのためなんや。感謝しろ、チャンコロ!」ということだったようだ。いくら努力してもその成果は「ドイツ人」に横取りされるのが「あんたのため」だったようだ。
  イトコが「かわいそうな家庭」であったのかどうかというと、違うように思う。違うと思うけれども、しかし、よその家に行って、目ざとく2つある物を捜し、「それ、もらって帰る」と主張するというそういう「教育」を受けてきた人間だというのは、そういう「教育」を受けて身に着けた「能力」が生きる時だってあるのかもしれないが、かわいそうな「教育」を受けてきとるなあとも思う。私が親なら、よその家に行って、「それ、もらって帰る」とか子供が言い出したなら、「なんで、おまえがもらうんだ?」「よそはよそで、うちはうちだ。欲しかったら家に帰ってから俺に言え。よその家でみっともないこと言うと承知せんぞ」と怒るだろう。イトコはそういう態度をとると賞賛されたのではないか。そういう態度で得することもあったかもしれないが、かわいそうな人間だと見ることもできると思う。よその家に行くと、何をもらって帰ろうかと物色する子供よりも、よその家に何があろうが「よそはよそ。うちはうち」という認識を持つ人間の方が、物質的にどうかはさておき、精神的に豊かであると言えるのではないかと思う。
  イトコは父の葬式に姉の方も弟の方も来てくれなかった。叔父は体が悪くて動けかなったらしいが、叔母は来てくれた。なんだかんだ言っても来てもらったことに感謝したいが、イトコがどちらも来てくれなかったというのは、父が「うちは、そんなもん、いくらでもこうてやってやってやったっとんねんから」という事実と正反対の態度をイトコに対しても取ったのが不愉快だったのではないか。実際は「何でも何でもこうてきてやってやってやったった」なんてちっともそんなことなかったのに。
  最近、90を過ぎた母にこのことを話したことがある。何十年も前のことを責めてもしかたがないが、それにしても、なぜ、私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物をイトコにあげようと考えたのか、もしくは、姉が幼稚園でもらった物を私にあげていいか訊いたのか。そして、イトコも幼稚園に行っていたのであり、私が幼稚園でクリスマスに何かをもらったなら、イトコもまた何かをもらったはずであり、「数字合わせゲーム」をもらわなかったとしても何か他の物をもらっているはずであったのだから、自分がもらった物を差し出すことをせずに、ひとがもらった物をもらって帰ろうというのは、それはムシが良すぎるし、よその家に行ってそういう態度をとるというのは、マナーが悪すぎるのではないか。 もしも、私が父の立場で、弟の子供がそういうことを言い出したとしても、決してそんなものをきかないし、むしろ、弟に、「おまえの家は、子供にあんまりいい教育をしていないようだな」というひとことくらい言ってやるところである。「おまえ、自分のところの子供によその家に行ってそういう態度をとらすのなら、もう、うちに来るなよ」とでも言ってやるところである。なんで、母はそれを、「これをあの子らにあげなさい」などと言ったのか。90を過ぎた年寄を責めてもしかたがないかもしれないが、むしろ、何十年か経ったことであるから冷静に考えられるのではないかと思って言ったのだ。
  ところが、母は「そういえば、そんなこともあったなあ。あの人、おかしいなあ」と、まるで、「このどちらかをあの子らにあげなさい」と言ったのは父であって、自分は関係ないみたいな言い方をするのであった。推測するならば、「このどちらかをあの子らにあげなさい」と私に言ったのは母であったのだが、母にそう命令したのは父だったのではないか。父が、要するに「ええかっこ」しようとしたようである。「わしは、こんなもん、子供には何でも何でもええもんばっかしいつでもこうてやあってやってやっとるねんぞ」というアピールをしたかったのだろう。実際にはちっともそんなことないのに。私が父親ならば、弟が妻と子2人を連れて正月に来て、その子供、自分の子供が幼稚園でクリスマスにもらったばっかりの物を姪と甥の2人が姪と甥も幼稚園に行っていて姪と甥だって幼稚園でもらったものがあるはずなのに欲しがったとしても、子供がよその子が持っている物を欲しがることがあってもそれは時としてあることであっても、だからあげないといけない理由はないのであり、「行儀の悪い子供だな」と心の中で思って無視するだけで、姪と甥がそれでもきかないようであれば、弟に「おい。おまえの家では子供にあんまりいい教育をしていないようだな」と皮肉の一言でも言ってやるところであるし、それでもきかないようなら、弟に「おい。よその家に行ってそういう態度をとるなら帰れや。もう今後来なくてもいいよ」とでも言ってやるところである。よその家に行って、「それ、もらって帰る」とか言い出す行儀の悪いしつけのなってない子供をよその家に連れて行くというのは非常識である。
  ところが、父はそうは考えなかった。父は、チャンスだと思ったのではないか。「わしは子供にはいつでも何でもどんなもんでも、ええもんばっかし、欲しいというものは何でも何でもこうてやあってやってやってやったっとるんや、おまえとこの子はうちの子みたいに買ってもらってないやろうから、だから、うちの子が持ってる物が欲しいならやるがな、なんぼでも」という態度をとって見せたかったのではないか。実際には、「いつでも何でもどんなもんでも、ええもんばっかし、欲しいというものは何でも何でもこうてやあってやってやってやったっとる」なんてそんなことちっともないのに。それで、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物をイトコに「あげなさい」と母に命令したのだろう。

  母は父と結婚してすぐの頃、父の給料が本当に安くてやりくりに苦労したと言い、そうであるにもかかわらず、父の弟(叔父)に見合いをして結婚予定であった女性(叔母)と「デート」をするのに「外で食べたらカネがかかるからうちで食べるようにしろ」と言って、すでに働いて収入のある叔父とその結婚予定の女性の分まで毎回食事代を出させたと今もこぼすが、そういうおっさんだったのだ。おのれは特に年収が高いわけでもないのに、弟とその結婚相手に「ええかっこ」しようとしたのだと思うが、同様に、子供に何でも買ってやってる家なんかではなく、むしろ逆だったのに、「うちは子供には何でも何でもこうてやったっとるんやから、あの子にあげなさい」と言う態度をとって私が幼稚園でもらったばっかりの物をイトコに渡して「ええかっこ」してやろうと考えたのではないか。この2つの行動は自分の家族に「しみったれ」のくせによその者に「ええかっこしい」という父の共通する姿勢がある。(9)の子供の水筒をとりあげて、「配給、配給。お茶の配給」と言って配ってまわったり、(11)の私が毎日練習していたオルガンをどこの誰かよくわからん人にあげてみたり・・というのも自分の子供が幼稚園でクリスマスにもらった「数字合わせゲーム」を正月に弟の子供にくれてやろうというのと同じ系統の行為だ。そういうことをする人を「英雄」「人格者」とか「謙虚」とか言うらしい。

  母は「オットに逆らえない女」であったから、だから、言われた通り、私に「これ、あの子らにあげなさい」と父から命令された通り、私に命令したということであろう。父が生きている間は「オットに逆らえない女」である母は父の命令をきいていたが、父が他界して20年以上経ち、マインドコントロールが抜けたのか、「そういえば、そんなこともあったな」と父がやったことはおかしいと言うようになったのだ。その「おかしい」指示に自分が従って、息子から息子が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を取り上げて姪と甥にやろうとしたのは自分であったということなんて完全に忘却して。
  よその子供が持っているものを奪い取って帰ったイトコの兄弟は、片方は神戸外大に行ったにもかかわらず画家になるとか言って大学をやめてしまったそうで(かつ画家として大成したなどという話は聞かない)、他方は京都工芸繊維大学しか行けないくせに工学部に行かせてもらい、けっこう高い評価を得ている会社に就職した。「結婚するには」私なんかと結婚するよりイトコの弟の方と結婚した方が女性のとっては幸せとであろうが、それでも、私はよその家に行って、よその子供が自分が持っていない物を持っていたからということで、「それ、もらって帰る」と強奪して帰るヤツ、よその家に行くと、何をもらって帰ろうかと目ざとく見まわしている子供というのは、そういうヤツは好きではない。イトコとはいつしかつきあいがなくなった。私は、特別に好きでも嫌いでも関係なく、親戚というものは「つかず離れず」つきあっていくべきものと思っていたが、イトコは父の葬式にも来てくれなかったように、つきあいはなくなり、おそらく、母が他界することがあっても葬式には来てくれないであろう。叔父がなくなった時も連絡はなかった。叔父は30代で脳卒中になってしまって働けなくなり、その点では男として情けない人生だったかもしれないが、私にはけっこう優しい叔父さんだったと思っている。母も、叔父を片方で情けない面もあったが叔父よりは出世した父よりも叔父の方が同じ兄弟でも優しいところがあったように思うと言っている。叔父の葬式にはできれば行きたかったが、連絡もなかった。おそらく、私が死んでもこのイトコの姉弟はおそらく来てくれないだろう。姉の「数字合わせゲーム」を守ることができなかった罪滅ぼしに、姉の子(姪)が子供を産んだ時、姪の子に私が幼稚園でもらった方の「数字合わせゲーム」をあげようかとも思ったのだが、母は私が家にいないうちにそれを廃棄してしまったようですでになかった。今、購入しようとしてもインターネットで検索しても見つからない。

 次回、「年玉よこせ」と言って追いかけてくる40代ストーカーhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_11.html

  (2018.1.1.)

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