大谷本廟参拝【3/5】玄関だけ前に出た建物は変か? 会社に私用の電話を他人の女に毎日かけさせる男

[第414回]
   二天門をくぐって進むと、向こうに「明著堂」が見えてきます。↓
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≪ 明著堂は親鸞聖人の墓所である祖壇の前に位置する拝堂で、東西五間、南北十間、内部に柱のない建物≫(「大谷本廟HP 境内地図」http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/html/n1c1p3.html )だそうです。
   背後に、親鸞聖人の墓所である「祖壇」があるということで、「大谷本廟HP 境内地図」http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/html/n1c1p3.html に掲載の境内地図に、「祖壇」かと思われるものが掲載されていますが、現地に行っても「祖壇」は見えません。

   (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/  の福島県いわき市の営業所に在籍した時、1990年代ですが、「設計」担当の春田靖(男。当時、20代。東洋大建築学科卒)が、和風で建てる契約客との打合せの際、家相の上では、玄関が引っ込んだ家というのは凶で、玄関が前に出た家は吉とされており、いわき地区では古くからの家では玄関部分だけが前に出た家というのがけっこう建っているのですが、それを「玄関だけ前に出すというのは変ですよ」と言うので、そうかな・・・と思ったことがありました。 しかし、↑の写真、見てください。大谷本廟の明著堂なんて、「玄関部分」が相当前に出てますよね。 (株)一条工務店の場合、玄関部分だけ前に出すということをあまりやりたくないというのは、玄関部分だけ前にだすと、その部分について、横方向に筋交いが入らないことになるので、前に出た部分が横方向の力に対して弱くなるということから玄関部分だけ前に出すというのはあまりやりたくないということがあると思うのですが、しかし、春田が「玄関だけ前に出すというのは変ですよ」と彼はいつも言っていたのですが、その認識は必ずしも適切とは言えないと思います。 彼は、玄関だけ前に出た家というものでいいものをあまり見ていないのではないかと思います。
   神社の造りというのは、高校の日本史の資料には、
神明造り・・・伊勢神宮
大社造り・・・出雲大社
住吉造り・・・住吉大社
春日造り・・・春日大社
流造り・・・上賀茂神社・下鴨神社
八幡造り・・・宇佐八幡宮
日吉造り・・・日吉神社
権現造り・・・日光東照宮
・・・と出ていたように思います。 権現造りについては、宮城県の大崎八幡宮では、日光東照宮よりも大崎八幡宮の方が、この構成で先に建築していることから「権現造り」と言わずに「石の間造り」と言っているらしい。京都の北野天満宮も石の間造りになっている。 この他にも、「〇〇造り」というのがいっぱいあって、それぞれの神社によって違うようなのですが、この8つの変形のようなものが多いようです。 数としては、日本の神社では、流造り(ながれづくり)が一番多いらしいのですが、私は、どうも、流造の社殿というのは面白みがないというのか、一番簡素にできるので、それで、小規模な神社は流造で作ることが多いのかと思ったのです。しかし、京都の上賀茂神社を見学に行って、そうではないのではないかと思ったのです。上賀茂神社は流造りでできているのですが、本殿は相当迫力があります。 ひとつには、上加茂神社の本殿はでっかいですから、だから、迫力があるということもあります。ブルーノ=タウトは高層ビルについては否定的で、『建築とは何か』(鹿島出版会)では、大きい建物であるから迫力があるとかいうのは建築の芸術的な在り方としては邪道であって、建築が芸術的に優れているかどうかは大きさによらず、小さいものでも評価できるようなものでないといけない、といったことを述べていたと思います。しかし、上賀茂神社の場合、本殿はでっかいのですが、でっかいからというだけで迫力があるのかというとそうではない。上加茂神社には境内摂社・境内末社というのがいくつもあるのですが、規模としては小さい流造りの社でも、なかなかのものです。「なかなかのもの」というのをどう説明すればいいか、それは実際に見に行っていただいた方がいいと思うのですが、でっかい本殿だけでなく、規模としては小さい摂社・末社の流造の社殿でも、決して「つまらない」などということはないのです。 ですから、それまでに見た流造の神社で、流造りは石の間造りなどと比べて面白みがないとか思ったのは、それは、あまりいい流造を見ていなかったからではないかと思ったのです。
   同様に、入母屋造の屋根の家というのを嫌がる若い人がけっこう多いのですが、一般に雨仕舞ということでは寄棟・切妻の方が優れており、入母屋は屋根が複雑になることでかえって雨仕舞は悪くなるところがあるのですが、見た目・デザインについては、若い人で嫌がる人がけっこう多く、私も実は「入母屋の家なんて・・・」みたいに思っていた時期があったのですが、これも、もしかすると、入母屋の屋根の家を嫌がる人というのは、あんまりいい入母屋を見ていないからということはないか・・・といったことを考えたのです。姫路城の天守閣というと、美しいとかかっこいいとか思う人がけっこう多いようですが、あれは入母屋の屋根でできていますよね。入母屋の屋根が姫路城だと良くて、一般の住宅だと嫌がられる理由て何だろうか?  そして、(株)一条工務店の いわき地区の「設計」の職種についていた春田靖(男。当時、20代前半)が「玄関だけ前に出すのは変です」と言い張ったのも、玄関部分だけ前に出た建物でいい建物をあまり見ていなかったからではないか。
   (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ という会社は、「『バカでも入れる私大の建築学科』出たばかり」という人間を矢鱈と尊重させたがる会社でした。私は、いわき地区で「設計」の職種についていた春田という男が未熟であったとしても、その点にはそれほど責めようとは思っていないのです。私だって最初は未熟だったのですから。問題は、未熟な「設計」担当者を矢鱈と尊重させたがる(株)一条工務店のバカ経営者の方です。まず、「3人寄れば文殊の知恵」と言うように、「設計」だけでなく営業から工事担当・コーディネーター・大工その他の職人・業者、そしてお施主様と住宅建築業に関わる多くの人間が智恵をだしあっていい家を作って行けばいいことであって、誰であれ何でもわかっている人間なんてないのですから。ところが、(株)一条工務店の場合、営業本部長の天野隆夫(男。当時、40代。最終学歴:中卒)が、「設計にはどんなことでも服従しろ」などと言って黙らせようとするのです。「バカでも入れる私大の建築学科」出たばかりという右も左もわからないアホに、ベテランのこちらに「服従」させようとするのです。この天野隆夫というアホがいる限り、この会社はだめだと思いました。野村克也が楽天の監督をやっていた時、田中将大が打たれて敗戦した後、「もっと、捕手の言うことをきかんか!」と言ったことがありました。最近では、今年だったか昨年だったか、中日の建山捕手が、先発した若手の小笠原投手が捕手のサインをことごとく拒否して自分が投げたいように投げまくったのに、途中で怒ったという記事をみました。 「おまえ、いったい、何、考えてんの!?! おまえ、そんなことなら、もう、ひとりでやれよ! ひとりで最後まで投げろよ」と。建山捕手が怒っていたのは、どうすれば打ち取れるか一生懸命考えている捕手を軽視した態度と、その試合を最後まで1人で投げるのなら、自分が投げている間、打ち取ることができればそれでいいでしょうけれども、試合の途中まで投げてその後、他の投手に投げてもらうのであれば、1試合全体を考えて、交代した後も、相手の打者にそれまでの印象がその後の打席に守備側に有利に影響するようにしないといけないのに、交代した後のことを少しも考えていない、自分が投げている間だけ抑えればいいと思っているのなら「最後までひとりで投げろよ」ということだったようです。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」と言うのですが、「バカでも入れる私大の建築学科」出たばかりで右も左もわからんやつに「どんなことでも服従しろ」と言われて「服従」したのでは、せっかく契約してもらっても、片っ端から解約されていくのです。野村克也がどこかで書いていたのですが、ヤクルトの古田が選手兼任監督になった時、ヤクルトのキャンプを見に行ったところ、古田が若手投手の球を受けながら、「ストライクさえ投げられれば、後は俺が何とかする」と言っていた、それを聞いて、どこかで聞いたセリフだなと思った、それは野村がかつて言っていたセリフだった、と。私は(株)一条工務店というヘボ設計だらけの会社で、「ストライクさえ投げられれば、後は俺が何とかする」という姿勢でやってきたのであり、普通は、営業所長とかになっている人というのは、設計であれ工事担当であれ、新人は所長などが引き受けるもののはずだが、(株)一条工務店で《「一条工務店の土台を気づいてきた人たち」と自称している人たち》というのは、むしろ、経験のある人間に自分の契約の担当をさせて新人に新人の仕事を担当させるようなことをしてきたのであり、私は入社以来、片っ端から新人をまわされてきて、そして、「わかったわかった、経験のある者は所長にまわせ、新人はすべて俺の所にまわせ、俺がすべて面倒見てやる」、「ストライクさえ投げられれば、後は俺が何とかする」という姿勢でやってきたのです。それを、営業本部長の天野隆夫は「余計なことすんなあ」などと言ったのです。あきれました。「私は今までからこの人のことを『特別に賢い』などとは思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」。 天野隆夫は初代社長の大澄賢二郎の嫁の弟だからということで営業本部長になっていたようですが、このアホがいる限り、特にこのアホが営業本部長やっている限り、この会社はだめだと思いました。

  1993年、私が福島県いわき市の営業所に赴任した時、「設計」の春田靖は新卒入社2年目か3年目だったはずですが、最初、彼を見てびっくりした。「佐藤さん」という「彼女」から、毎日毎日、朝から晩まで、ひっきりなしに展示場に電話がかかってくるのです。会社の電話というものは、基本的には私用でかけるものと違うはずなのです。もしも、親が危篤であるとか、子供が交通事故にあったとか、隣の家が火災で焼けて自宅にも影響が出たとか、何かそういうことがあって、緊急に連絡する必要があった場合などはしかたがありませんが、そうでもないのに、又、家族でもない者が会社に私用の電話をかけて良いわけありません。 (株)一条工務店の営業の場合は、毎日、夜遅くまで客宅に訪問していましたので、家族と離れて赴任したような場合には、家族が連絡を取ろうと思っても自宅に電話してもいないということが少なくないので、親戚の誰やらが亡くなって葬式に出席しないといけないとか、誰々が結婚式をあげるので出ないといけないとかそういった連絡をしようとしても、会社にかけるしかないというケースがありますが、そういうケースでの電話はやむをえないと思います。しかし、「設計」の春田靖にかかってきた「彼女」という「佐藤さん」という女性からの電話は異常でした。そこは会社である、そこは職場である、そこは仕事場であるという認識がまったくないのです。まず、私用の電話を会社にかけていいかということを考える必要があります。私用の電話を会社にかけていいのは緊急の用事などの場合、もしくは深夜まで客宅に訪問して帰宅が遅い営業などの場合に限るということもありますが、もうひとつ、会社にかけてもいいのは基本的には親兄弟か配偶者など親族に限るという点があります。「彼女」というのは、基本的にはだめです。「内縁の妻」というのは「微妙」ですが、「婚約者」というのも、結婚してからにしてください! と考えるべきでしょう。 そして、「彼女」だと称していたけれども、結局、春田靖はその女とは別れて他の女と結婚したのです。ということは、あの「佐藤さん」という女性は他人だったということです。他人からの電話が毎日毎日、朝から晩までかかってきたのです。私はそれを取らされてきたのです。普通、私用の電話を取ってもらったならば、「どうも、すいません」くらい言うのは社会人としての常識ですね。違いますか!?!  それを、春田靖は、毎日毎日、取次いでもらってきて、「どうも、すいません」「ありがとうございます」と言ったことが、一度もない。アタマおかしいんじゃないのか、この男は。今日に至るまで、他人からの私用の電話を仕事中に取ってもらったこと、取り次いでもらったことについて、この男は「どうも、すいませんでした」「ありがとうございました」と言ったことがまったくない。この男はいったいどういう教育を受けてきたんだい?!? この男の親はいったいどういう人間なんだ?!? この男の親というのは、いったい何やってる人間なんだ??? と思ったのですが、中学校の校長先生だそうです。まったく、な~るほどなあ~あ! と思いました。なるほど、中学校の校長先生やってるような人間の息子だから、だから、こういう非常識なことをするんだ。なるほど、なるほど、なるほどなあ! と思いました。もっとも、普通、学校の先生というのは、学ぶ仕事で教える仕事ですから、学校の先生の息子というのは、東大とか京大とか行くものと違うのか、なんで、こいつ、東洋大なんてどこの馬の骨かわからんわけのわからん私立の「大学」行ってんだ? とも思いました。 こいつの親なんかに受け持たれたら、学校の成績下がるんじゃないか、通るものも落ちるようになるんじゃないか、という感じです。

〔 ↑ 1990年代、「佐藤さん」という「新人類」の女性が(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の殿様第一設計部の春田靖(男。当時、20代前半。東洋大建築学科卒)に(株)一条工務店の会社の電話に、毎日四六時中、電話してきた(株)一条工務店 「いわき東」展示場があった 総合住宅展示場 JTいわきハウジングパーク があった場所。今は総合住宅展示場はなくなって スーパーの「マルト」の平尼子店http://www.maruto-gp.co.jp/shop/iwaki/2152/ になっている。 福島県いわき市平尼子町3 〕
   普通は、勤務時間中に、春田靖に「佐藤さん」という女性がかけてきたほど、毎日毎日、朝から晩まで会社に会社の電話に電話してくるのでは、使用者、まず、所長が「いいかげんにしないか」と注意するものです。ところが、(株)一条工務店の場合は、総務部長の天野雅弘(男。当時、40代。最終学歴:高卒)が「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います。所長の仕事は売ることであって、管理したり指導したりするのは所長の仕事と違います」とい言う会社でした。 「管理したり指導したりするのは所長の仕事と違う」ということならば、所長の手当てというのは何に対してもらっているのか? タダ取りか!?!  もしも、「管理したり指導したりするのは所長の仕事と違う」というのであれば、(株)一条工務店の所長は「所長」と名のらずに、「スーパー営業」とか「営業スペシャリスト」とかなんかそういう名称を名乗るようにした方がいいでしょう。 もしも、「管理したり指導したりするのは所長の仕事と違う」のであれば、所長以外に普通なら「所長」という人がやる仕事をやる人間がいないといけないことになります。誰がやるんだ? ・・・というと、誰もないのです、(株)一条工務店では。 しかし、勤務時間中に毎日毎日朝から晩まで僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいにひっきりなしに電話がかかってくるのです、その「佐藤さん」というどう考えても社会人として異常な女性から。 また、私は中途入社で(株)一条工務店に入りましたので、入社しての年数は春田と同じくらいでしたが、春田靖は新卒入社で入っていましたので、年齢は私の方が10歳程度上だったのですが、普通、10も年上の人間に、毎日毎日、私用の電話を取らせて、取ってもらって平気でいる男というのは、これはやっぱりおかしいと思うのです。普通は「所長」というような人が注意するものですが、(株)一条工務店では「所長は管理したり指導したりするのは仕事と違います」と「一族」らしい本社の総務部長が言うのですから、本社の総務部長にそう言われたのでは所長も手も足もでないことになります。うかつに口出して「越権行為」だの「余計なことすんなあ」だの言われたのではたまりません。実際問題として、その「佐藤さん」という女性から「設計」の春田靖という20代前半の男にかかってくる電話というのは営業妨害・業務妨害もいいところだったのですが、ところが、本社の総務部長の天野雅弘は「管理したり指導したりするのは所長の仕事と違います」と言うのです。しかも、営業本部長の天野隆夫は「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」などと言うのです。ということは、春田靖に「彼女」だと称する他人の女が毎日毎日四六時中私用の電話をかけてくるのを取らされるというのも、「服従しろ」ということなのでしょうか。 違うと思いますよ、それは。まず、従業員は会社使用者との間で労働契約を結んで勤務しているのですが、従業員は会社に対して、「勤務時間中において」「会社の業務であること」に従事する義務がありますが、勤務時間中であれ勤務時間外であれ、業務でないことをおこなう義務はないのです。 「バカでも入れる私大の建築学科」出たばっかりの若造に「彼女」と称する他人の女が非常識に毎日毎日朝から晩までひっきりなしにかけてくる私用の電話をとるのは私の「業務」と違うのです。「服従しろ」などと営業本部長の天野隆夫(男。当時、40代。中卒)に言われる筋合いはないのです。むしろ、社長は営業本部長の天野隆夫にその態度・言動を注意する義務があります。
・・・まあ、しかし、変な会社だったと思います。  (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ は「バカでも入れる私大の建築学科」でたばかりという20代前半の人間をつけ上がらせるのがオーナー経営者の趣味という会社でもありましたが、おかしいと思いますよ。

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↑ 左は明著堂で、右が「第一無量寿堂」(納骨堂)です。
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↑ 左が「第二無量寿堂」(納骨堂)。 右の屋根は、仏殿(本堂)の裏側(東側)です。
  ちなみに、「世界的建築家 磯崎新(あらた)設計の」「ポストモダンの集大成」と言われる、二級建築士試験のテキストにも名前が出ている「つくばセンタービル」の「ノバホール」てのがあるのですが、「つくばセンタービル ノバホール」は、↑の「第一無量寿堂」「第二無量寿堂」とそっくりです。 どちらが先にできたかというと、「第一無量寿堂」「第二無量寿堂」の方が間違いなく先ですから、「世界的建築家 磯崎新」大先生は、もしかして、「納骨堂のイメージ」を実現しようとして「つくばセンタービル ノバホール」をご設計なさったのかもれませんね・・・。
※ 「つくばセンタービル ノバホール」の写真は、
[第21回]《『がきデカ』に学ぶリフォームの勧め~つくばセンタービル 再登場 〔引越掲載〕》 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_23.html
に掲載しましたので、ご覧ください。 「納骨堂みたい」でしょ。 さすがは「世界的建築家」だけあって、いいセンスしてられます・・・?

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↑  明著堂の右手前、第一無量寿堂の手前、「戦没者記念堂」
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↑  明著堂の左手前、「殉教碑」
「殉教碑」と書かれているのですが、いつのどういう殉教についてのものなのかは、現地に説明書きはなく、大谷本廟のホームページhttp://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/ を見ても見当たりません。

   私が慶應大学に在学していた時の夏休み、↑に述べた(株)一条工務店の「設計」の春田靖と同じくらいの年齢の時、箱根の保養所で泊りがけで「雑務」のアルバイトを2カ月近くやりました。「なんで、慶應の学生がこんな所にアルバイトに来るのお」と言われました。なんで、私だけがこんなことやらないといけないのかと思いましたが、ともかく、やりました。その際ですが、夕食時、食堂に配膳した後に、その三井系の会社の従業員と家族が食事に来るのですが、追加で出すものがあった時に持って行った時、そのしょーもない従業員のおっさんが、「おい、にーちゃん、どこの大学だあ」などとえらそうに言ってきたのです。 そういうアホに答えるのは仕事ではないので無視していたのですが、嫌でした。玉川大の学生のアルバイトの男が「なんで、答えないの。愛想ふるまけばいいじゃん」と言うのでしたが、「慶應大学」と言うわけにいきませんでしょ、相手のおっさんは、「こんな所で下男やってるような男なんて、どこかしょーもない大学だろう」と思って、しょーもない「優越感」もって言ってるのですから。
   その時、神奈川大学の学生が「雑務」のアルバイトに来ていたのですが、どこの大学かときかれると「東横線沿いのK大学」と答えると言っていたのです。「東横線沿い」にある「K大学」というと、「日吉」にある慶應と、「白楽」だか「東白楽」だかにある神奈川大学と2つあるのです。神奈川大学の学生で大学の名前をきかれた時に「東横線沿いのK大学」と答える人がいるそうです。 又、その後、2006年、(株)エイブルhttps://www.able.co.jp/ に勤めた時、(株)エイブルの千葉支店で「次長」になっていた(といっても、ここの会社もまた役職はバブルですから、「次長」なんて言うとどんなけエライのかと思うと、なんや、こんなアホか・・て男ですが)門倉という男(当時、30代)が、海浜幕張店に母親と息子の2人で来場した息子が千葉工大に入学したという親子に、「千葉工大ですか。さすがですねえ。さすがですよ。すごい、すごい、すごい、すごい。すごいですよお。さすが、さすが、さすが、さっすっがっ、さすがさすが、すごいすごいすごお~い、すごい。さすがさすがっ! さすがですよお、さすが!」と言いまくったのを店長のO(男。20代)が見て、「東大にでも通ったというならまだしも、千葉工大みたいなもんに行ったようなやつを『さすがさすが』って、なんかなあ」と言っていたが、あれではほめてるのではなく茶化している、馬鹿にしてるとしか思えないと思ったのですが、門倉は、「すごいですねえ、さすがですよお。さすがさすがさすが。すごいすごいすおお~おい! さすがさすが、すごいすごい」などと言っているのは、実際、ほめてるのではなく、茶化していた、バカにしていたのです。(まがりなりにも、自分の会社に仲介手数料を払ってアパートを借りてくれる人に対してそういう態度はいかがなものかと思います・・・が、門倉はそういう意識がない男だった。) その2つをもとに考えたのです。保養所で、「にいちゃん、どこの大学だあ」とひとをバカにしたように言ったなかば酔っ払いのおっさんに、どう答えるべきかですが、「東横線沿いのK大学です」と言ってやれば良かったのじゃないか。 そうすると、「東横線沿いのK大学てどこだ。神奈川大かあ」と言うでしょうから、「はあ、まあ、そんなところです」とでも言い、「御主人さんは、どちらの大学でられたのですか」とでも言ってやれば、おそらく、得意がって、「俺かあ。俺は法政だ」とかそんな感じで言うのではないか。まあ、あのおっさんなら、三井系の会社に勤めていても出た大学は法政か専修かそこらでしょう。「法政大学ですかあ。すごいですねえ、さすがですねえ。さすがさすが、さすがですよお。すごいすごいすごいすごい、すごいですよお~お。私なんか、そんな大学、たとえ行きたいと思ってもとてもじゃないですけど、行かせてもらえませんでしたよお。さっすっがっ! さすがさすが、すごいすご~おい!」とでも言ってやれば、「そうかあ」とでも言って得意がるでしょうから、「そうですよ、すごいですよ。私ら絶対にそんな学校行かせてもらえませんでしたよお。すごお~い! さぞかしお勉強なさったんでしょうねえ~え」とでも言ってやれば、「おう。頑張って勉強したぞお」とか勝手なこと言うでしょうから、「さすがですね、さすが、すごいですね、すごいすごいすごお~い!」とでも言ってやればよかった。「私なんか、そんな大学、たとえ行きたいと思ってもとてもじゃないですけど、行かせてもらえませんでしたよお。」というのは嘘じゃない。私が高校3年の時、なんとか東大に行きたいと思って学習していると、母は「こいつ、東大に行ったら思い上がった人間になって女を泣かすから、こいつ落としてやる。こいつ、現役で大学に通ると思いあがった人間になって女を泣かすようになるから、こいつ、絶対に現役で合格させてなるものか。こいつ、絶対に落としてやる」と言って、背後から来て服のえりのあたりなどをつかんで、「こいつ、勉強すんなあ、こいうつう~う!」と言って後ろにひっくり返したり、また、「こいつ、絶対に勉強させるかあ!」と言って私の部屋の電気のブレーカーを落として真っ暗にしたり、高校から帰るとインタホンの電源を切って鳴らないようにして家に入れてくれなかったりといったことをありとあらゆることをして妨害したものでした。浪人すると、今度は、父は「あんたが浪人したおかげで、▽▽円の損。電卓、でんたく、デンタク、でんたっく、でんでんでんでんでんたっく!」と電卓で計算したものでした。父は「高校は義務教育じゃないんだから、おまえは高校には行くべきではないのにからに、北野高校に行きおってからに、こいつめが、このチャンコロ!」と言い、「おまえは高校行くな、おまえはあ。ましてや、大学みたいなもん、行かんでええんじゃ、こいつめがあ、このチャンコロ」と毎日のように言っていました。ましてや、法政だの専修だのなんて、行きたいなんて思わなかったけれども、たとえ、行きたいなんて言っても「ふざけるな!」と言われるのがオチであり、そんな「大学」に行きたいなど、およそ口にするということはありえないことでした。京大とか東大とかを目指した人間にとっては、京大や東大に通るかどうかはさておき、慶應とか早稲田とかいうと「慶應みたいなも~ん」とか「早稲田みたいなも~ん」とか思ってる人間が多いのですが、それならその「・・・みたいなも~ん」というのは絶対に通るのかというとそうでもなく、落ちることはあります。さらに「関関同立なんてそんなもの落ちたら目かんで死なんといかんわ」とか思ってるかもしれませんが、それも落ちることはあります。「目かんで死なんといかん」わけで大変です。しかし、さすがに法政とか専修とかいう所は落ちないと思いますが(試験会場まで行ったけれども、あほくさいから白紙で出してきた、とかいうケースは別ですよ)、我が家なんかでは、そんな所を、もしも、「受けたい」なんて言ってもまず受けさせてもらえませんでしたから、だから、「私ら絶対にそんな学校行かせてもらえませんでしたよお。すごお~い!」というのは本当のことです。絶対、行かせてもらえませんでした。私が高校3年の時、父は「大学でも国立大学か私立でも慶應・早稲田くらいなら行ったらいいけれども、そんなもん、専修だの法政だの東洋大だの国士館大だの拓殖だの東海大だのなんだのかんだのてそんな私立大学に行くようなそんな甘ったれたやつなんて、大学行くことあらへん。そういうヤツは全員、自衛隊に入れるべきや。そういうヤツは全員、自衛隊に叩き込むべきや!」と言っていたのです(なんだか、世の中、自衛隊が矢鱈多くなりそうですが、戦中、大学生は徴兵を免れたのに対して、大学に進学しなかった人は軍隊に入隊させられた時期があった、というものからきた発想かもしれません)。 ところが、不思議なことに、そういう「大学」に行った人というのは、なんか、「いい大学」に行ったみたいに思っている人がいて、しかも、4年になると、「同じ大学なのに、大学によって差別するのはおかしい」とか、ふんぞり返って言ったりするのです。 はあ? と思いますが、「高校は義務教育じゃないんだから、おまえなんか、高校には行くべきではないのにからに、こいつめ、北野高校に行きおってからに、このチャンコロめが、このチャンコロ!」と毎日毎日言われてきた者としては、法政とか専修とか神奈川大とか東洋大とかそういう「大学」に行ってふんぞり返っている人間を見ると、なんか、異国の人間というのか異星人を見るような気がします。「新人類」か「異星人」かという印象です。

   私が小学生の頃から、母は「親というものは、子供が大学に行く時になって、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたいと思う勉強をして就きたいと思う仕事につけるようにと思って、それで、たとえ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていた。それを聞いて、私はそのヨタ話を本気にしてしまった。それで、一生懸命勉強すれば、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をして就きたいと思う仕事につかせてもらえるものだ・・・などとない夢を追ってしまった。 私が高校3年になると、父母の言うことは正反対に変わった。浪人するとさらに厳しくなった。「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と父は言うのだった。「うちは学校の先生になんかならすような金持とは違います」「たとえ、学校の先生になるにしても数学か英語の先生でなかったらなってはいけません。数学か英語でなかったら家庭教師のアルバイトはできないから、たとえ、学校の先生になるにしても数学か英語以外の先生はなってはいけません」「国家公務員は転勤が多いからなってはいけません」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持とは違います。甘ったれなさんな」「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいか~ん」「医学部とか歯学部とか6年行かないといけない学部はやめなさい。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」・・・ということで、結局、首をもがれても行かされたくない学部であった経済学部(および、商学部・経営学部)しか行かせてもらえる所はなくなった。そして、「すべてを会社のためにささげ尽く~す、とってちってたあ~あ!」しか勤めてよい仕事はないことになった。「親というものは、子供が大学に行く時になって、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたいと思う勉強をして就きたいと思う仕事につけるようにと思って、それで、たとえ、無理にでも勉強させようとするものなんや」などというヨタ話を本気にした私はつくづくバカだった。
  特に、「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」については、私立大学の場合は、法学部・経済学部・文学部よりも工学部・理学部は学費がずっと高いのですが、国公立の大学ならどの学部でも学費は同じはずなので、「国立大学なら、工学部でも何学部でも学費は一緒のはずや」と言ったのですが、それに対して、母は「国立大学に100パーセント通るとは決まってないでしょうが。落ちて私立大学に行くことになる可能性もゼロとは違いますでしょうが。可能性がゼロじゃない以上は、工学部なんて受けてはいかんでしょうが。甘ったれなさんな」と言うのだった。我が家よりは貧乏らしい父方の叔父の息子(私からすればイトコ)が京都工芸繊維大に行ったので、「なんで、あいつが工学部に行くんだ」と言うと、母は「それは、あそこの家は貧乏だから、あの子はあんたなんかと違って子供の頃から苦労してきたから、だから、あんたなんかと違って工学部に行かせてもらえるんや」と言うのでした。しかし、そう言われて考えてみると、私が幼稚園の年長組の時の正月、そのイトコ(男。私より1つ年下)とその姉(女。私より1つ年上)の2人が来て、そして、帰りに、私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの数字合わせゲームを「それ、もらって帰る」と言い出し、母は「あの子たちは、あんたなんかと違って、家が貧乏で苦労している子なんだから、これをあの子らにあげなさい」と言い、私は「それ、クリスマスに幼稚園でもらったばかりなんやで」と言っても母は「甘ったれなさんな」と言って、数字合わせゲームをイトコにやった、ということがあった。大学に進学する時、「あの子らは子供の頃から苦労してきているから、だから、大学はあんたなんかと違って工学部に行かせてもらえるんや」と言ったイトコは、子供の頃、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりのものを、「それ、もらっていく」と言って持ち帰ったのである。取り上げられたのは私であって、取り上げたのはイトコであり、決して取り上げたのは私ではない。『聖書』には「持つものはさらに与えられ、持たざる者はさらに取り上げられるであろう」と書かれているが、まさにその通りである。「子供の頃から苦労してきた」のはイトコだろうか? 違うと思う。少なくとも、その部分においては「子供の頃から苦労してきた」のは私であってイトコではない。幼稚園の時に取り上げられたものは大学に進学する時にもさらに取り上げられることになり、幼稚園の時にひとがクリスマスにもらったばかりの物をとりあげてもらって帰る者は大学に進学する時にもまた、私よりも成績は悪いくせしやがってからに、工学部に行かせてもらったのである。『聖書』に書かれていたことはまさに真実であった。
   イトコが行ったのは京都工芸繊維大学の土木学科だったと記憶しているが、ともかくイトコは、東大・京大ではないとしてもそれでも京都工芸繊維大という国立大学に行った。それに対して、(株)一条工務店のいわき地区にいた「設計」の春田靖は国立ではなく私立の東洋大学などという「バカでも入れる私大の建築学科」などというものに行った。春田靖の父親は中学校の校長先生だということだが、中学校の校長先生というのは大金持ちらしい。中学校の校長先生というのはもんのすごい高給とっているということだ。そうでなかったら、東洋大の建築学科なんて、普通は行かすものではないはずだ。我が家は、父親は超優良大企業とかではないが、ともかくも会社の役員をやっていたが、それでも、「うちは貧乏ですから、たとえ、国立大学でも工学部になんか行かすことはできません。甘ったれなさんな」と父から言われたものだった。それを、国立ではなく私立のそれも「バカでも入れる私大の建築学科」などに息子が行くということは、中学校の校長先生というのは常務さんよりもずっと高給とっているということだ。「世の中、なんやかんや言うてもカネや」ということか。春田靖の父親は中学校の校長先生で高給とっている人間だったので、それで、国立大学でもない私立のそれも「バカでも入れる私大の建築学科」に進学させてもらった。私は「親というものは、子供が大学に行く時になって、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたいと思う勉強をして就きたいと思う仕事につけるようにと思って、それで、たとえ、無理にでも勉強させようとするものなんや」などと親から言われてだまされて小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきて、そして、「会社のために、すべてを捧げ尽く~す、とってちってたあ~あ!」の学部に行かされてしまった。日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学生の時から思ってきた学部に暴力と脅迫と強制で行かされてしまった。あげくのはてに、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫から、「設計にはどんなことでも服従しろ!」などと言われてしまった・・・・が、しかし、やっぱり、それはおかしい。「設計にはどんなことでも服従しろ!」などという(株)一条工務店の天野隆夫の言いぐさ・主張は人権侵害である。 「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」、こういう天野隆夫の非常識な主張は人間としての存在にかかわる問題であり人間として社会人として会社員として絶対に認めるわけにはいかない。天野隆夫は、いったん、会社に採用して自分の部下の立場になった人間には何やってもいい何を言ってもいいと思っていたようであるが、そうではない。人間としての存在をかけて、天野隆夫のような不合理な主張は断固として認めてはならないものである。

※ 大谷本廟HP http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/

   次回 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_4.html 、納骨の想い出と、大谷本廟参拝の想い出について・・と、「親が離婚した」という人はエライのか? について。

   (2018.10.14.)


☆ 大谷本廟参拝
1.西本願寺・大谷本廟(西大谷)・北御堂が本願寺派。江戸時代の石橋、円通橋 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_1.html
2.総門・守衛所・仏殿・読経所。自宅に植木がなくても寺社に見にいけばという考え方 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_2.html
3.玄関だけ前に出た建物は変か? 会社の電話に私用の電話を他人の女に毎日かけさせる男 〔今回〕
4.納骨の際、お骨を落とすな。普通に電車に乗るのも恩着せようとする父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_4.html
5.自分が空腹でなければ子供にも食べさせない父親。子供に脂の塊を食わす父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_5.html 

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