電車で「上座」に座りたがる男、電車の窓側席に座って週刊誌を読む男-父の日に思う【4/4】

[第383回]
   今は昔、1980年代なかば、下の姉の夫婦が大阪の家に来て泊まったことがあり、その際、父と母と私と姉とそのダンナの5人が一緒に食事についた。その際、長方形のテーブルにつくのに、父は「それじゃ、ぼくは、ここに座ろうか」と言って短編側の補助席みたいな所に座るので、なんで、この人、そんな補助席みたいな所に遠慮して座るのだろう? 何をいじけてるのだろう? なぜ、義兄に一番いい席を譲るのだろう? などと思ったのだが、ふと気づいた。あれは、あのおっさんとしては「上座」に座っているつもりだったのだ。
   父が座った場所は長方形のテーブルの短辺側で、かつ、後ろには庭に面した掃き出し窓がある場所で、普通はそういう場所を「上座」とは考えないと思うのだ。会社でも「エライ人」というのは奥の方に座っていることが多い。 だから、すぐ後ろに掃き出し窓があって、そこから庭に下りるような場所は、普通は「上座」とは考えないと思うのだ。しかし、我が家の場合、玄関が北西側にあった。我が家の敷地は南と西に道路がある角地で、山地なので、道路より敷地が高く、南東の隅が道路との高低差が最も小さく、次いで北西の隅が道路との高低差が小さかった。普通は、南東側から入るように設計するのではないかと思うのだ。ところが、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と称した小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)・・・(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕の設計・営業は北西側から入るように設計した。今の私なら、「そんなおかしな入り方ないのと違いますか」と言うところだが、図面の打合せをしていた時、私は小学校の3年生だったので、父が「専門家の言うこと」と言うのを聞いて、「専門家」がそれがいいというのなら、そうなのだろうかと思ったのだが、住宅建築業の会社に長く勤めてきて、やっぱりおかしい、と思うようになった。家相から考えても、使い勝手から考えても、南東から入るのが一般的で、「北西は主(あるじ)の座」と家相では言われるその北西に穴を開けて玄関にしていたのであり、「主の座」から入るようにした結果、南東が出入口から最も遠い位置になったのだ。だから、父は玄関から最も遠い位置が「上座」だと考えてそこに座りたがったようだった。しかし、南側に応接間と和室を設けて、北東にダイニングルームを設けて、北東の部屋を最も多く使うという変則的というのか、なんか変な間取りにした設計だったのだが、そのダイニングルームの東は、洗濯物を干したりしていた楽屋裏みたいな庭であり、「庭園」的な庭は南側にあって、楽屋裏みたいな庭を背にして座りたがるおっさんてのは、なんだか変な感じがした。
   もしも、和室で床の間があれば、床の間の前が「上座」であろうけれども、小堀住研(株)の設計担当が設計した家には床の間らしい床の間というのがなかったのだ。又、和室であれば床の間はあっていいだろうけれども、洋間に床の間はないし、一般には入口から遠い方、方位としては神聖な方位とされる北が「上座」となるだろうけれども、我が家のダイニングルームはダイニングキッチンで北にキッチンセットが設けられていたのだ。だから、北側を「上座」とするわけにはいかない。西側は玄関に近い側だからこれも「上座」にならない。 ということから、楽屋裏的庭に出る掃き出し窓、洗濯物を出し入れしている掃き出し窓の前を「上座」とおっさんは考えたようだった。このおっさん、そんなこと考えるんだあ・・と思ったものだった。
   住宅建築業の仕事についていると、和室をあまり設けたくないという人と出会うことがある。又、和風の家は嫌だという人がいる。その理由だが、「和室」「和風」にすると、「上座」だの「下座」だのなんだのという話が出てくるので、我が家はそういう封建的・反動的なものは家庭に入れたくない、家庭においては誰が上でも下でもない、誰もが家族の一員として等しくそこで暮らしたいのだ、という考えのもとに、「上座」か「下座」かと考える論拠になりそうなものはできる限り排除したい、という家庭がある。その認識の上で、「たたみの部屋」はあっていいけれども、床の間は要らない、という人もいる。普段は上とか下とか言わなくていいけれども、そうはいっても、床の間のある和室は1室ほしいという人もある。小堀住研(株)の設計担当がそこまで考えたかどうかはわからない、というよりも、住宅建築業の会社に長く勤務して、インテリアコーディネーターなどの資格試験の勉強もして、愛知産業大学の建築学科の課題を学んだりもした者としては、「な~んも考えとれへん」というのか、「いくらなんでも、これはないだろ」というのかの間取りである・・のだが、結果として、我が家のダイニングルームは「上座も下座もない」部屋にできていた・・が、父は「上座」が欲しくて、自分が「上座」に座りたかったらしい。その結果、楽屋裏的庭への出入り口、洗濯物の取り入れ口である掃き出し窓を背中にした補助席みたいな席に「じゃあ、ぼくはそこに座ろうか」と言って、なんで、この人、いじけてそんな補助席みたいな所に座るのお? て感じで座ることになったようだった。変なおっさんやなと思ったが、そういうおっさんだったのだ、今となっては他界してから30年近くなる私の父親というのは。

   [第380回]《父の日に思う【1/3】外敵を集めてくる父親。「父親は防波堤」という遠山啓の妄想。役に立たないY予備校 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_16.html を打ち込んで、そういえば・・と、私が小学校の4年生の時、1960年代の後半、大阪万博の前、父と1泊2日で広島県と山口県に旅行した時のことを思い出した。2日目、広島駅から特急に乗った時、父は駅のプラットフォームの売店にあった「週刊文春」の「太平洋戦争時の艦船配置図」なるものを、「あんた、これ見たないか。あんた、これ欲しくないか」と言い、私に「欲しい」と言わせて買い、その上で、特急に乗車すると、私に「あんた、これ欲しないか」と言って「欲しい」と言わせて買った以上は、私に渡してくれるものと思いこんでいたら、座席に座ると、自分がそれを広げて読み出し、家に帰るまで私に見せてくれなかった、ということがあり、自分が読みたいから買うなら買ってもいいけれども、しかし、それならそれで、何も子供に「あんた、これ欲しないか」と言って、「あんたのために、こうてやってやってやってやったんてんで」ということにして買うことないのではないか。自分が欲しいものなら自分が欲しいから買うということで買えばいいではないか、変なことするおっさんだなあと思い、いや~な思いをしたのだった。それから、5年後、父はまたもや、「あんた、『メサイヤ』のレコード、欲しないか」「欲しいやろ」「なんで要らんねん」と執拗に言ってきたことがあったが、「一度、騙されたなら騙した方が悪い。しかし、二度も三度も同じ手で騙されているなら騙されている方も悪い」と父は言っていたので、その言葉はたしかにそうだと思って、それで、「要りません」「欲しくありません」と断固として言ったのだが、それでも、「なんで、要らんねん。欲しいやろ。欲しいやろ。欲しいやろ~お」としつこくまといついてきたのを覚えている。いやな男だなあと思ったものだった。「親の顔が見たい」なんて言わなくても、祖母は私が小さい頃は同居していたので顔は知っているので、今さら「親の顔が見たい」なんて言ってもしかたがないのだが、いやなおっさんやなと思ったものだった。ここまでは[第380回]で述べた。ここまでは長年、覚えていた。
   [第380回]を打ち込んで、思い出したのは、父は広島駅から大阪駅までの間、前半は「週刊文春」の「太平洋戦争時 日本軍艦船配置図」を見て、後半はそれを閉じた上で自分が膝の上にその本を抱えた上で仮眠をとったのだが、週刊誌を読んだり仮眠をとったりするのなら、息子に窓側の席に座らせてやればよいのに、なんで、あのおっさんは、自分が窓から外を見るわけでもないのに息子に通路側に坐らせたのだろうか? ・・という点である。 そう言えば、行き、大阪駅から宮島口駅まで乗った特急、大阪→宮島口、宮島口→防府、防府→広島、広島→大阪 と4つの特急に乗ったのだが、「みどり」「つばめ」「はと」「しおじ」だったかと思うのだが、どれがどれだったかは記憶がはっきりしないのだが、ともかく、行きの大阪→宮島口 の特急でもまた、父は自分が窓側に坐り、小学生の私に通路側に坐らせた。宮島口→防府 の特急では私が窓側に坐らせてもらったと記憶しているのだが、それは何気なしに乗り込んで私の方が先に指定席の場所を見つけてそのまま坐ったからだ。普通、父親が小学生の息子を連れて旅行したならば、息子に見聞を広めさせるために、息子を窓側に坐らせるものではないだろうか。私が父親の立場ならそうする。又、母とどこかに出かけると、母は、たいてい、私に窓側に坐らせてくれた。ひとつには、退屈してぐずらないように、「外の景色見ておき」ということもあったかもしれないが。 それに対して、父は、なぜ、自分の方が窓側に坐りたがったのだろうか。特に、帰りの広島→大阪 では、父は特急に乗ると同時に「週刊文春」を広げて読み出し、読み疲れるとそれを閉じて膝の上に抱えて寝たのだから、週刊誌を読んだり寝たりするのなら、息子に窓側に坐らせて外を見せてやればいいと思うのだが、なぜ、あのおっさんは自分が窓側に坐りたがったのだろうか?・・・ この点に疑問を感じたのだ。そういうおっさんだったのだろうけれども、「そういうおっさん」は、なぜ、自分が車窓の景色を見るわけでもなく週刊誌を読んだり寝たりするのに、息子を窓側に坐らせずに自分が窓側に坐ったのだろう? 帰りだけなら、たまたまという可能性もあるかもしれないが、行きもそうだったのだ。

   1970年代なかば、北野高校の地理のH先生が、地理の授業で、最初の頃に話されたことだが、「きみらの中で、阪急の『石橋』駅から『十三(じゅうそう)』駅までの間に、藁葺の屋根の家が3軒あるの、知ってる者、何人おる? まず、地理てものは、地理の教科書を読んで勉強するのもいいけれども、まず、電車に乗ったら窓の外を見て、『ああ、あそこにああいうものがあるなあ』といったことを感じないといけない。それが、まず、地理ちゅうもんや」と言われたのだ(今も3軒あるか、今は1軒もないかは知らない)。「日本のサラリーマン、出張でどこかに行った時、電車中で何しとる? 週刊誌読んどるやろ。せっかく、普段、いる所と違う所に行ったなら、窓から外を見ておけばいいのに。そうすれば、あそこにあんなものがある。こちらにこんなものがあるとわかって勉強になるしおもしろいのだ。週刊誌なんて読む必要があるなら家に帰ってから読めばいいだろうが」と言われた。まったく、その通りだと思ったのだが、うちの父はまさにそれをやったのだった・・が、自分が電車中で週刊誌を読むのなら、何も週刊誌を読む人間が窓側に坐らなくても、小学生の息子を窓側に坐らせてやって、自分は週刊誌を読むのなら通路側でも問題はないはずなのだから、自分が通路側に坐ればいいのに、なぜ、あのおっさんは窓側に坐りたがったのか?

   私は、長年、「推理小説」なんてくだらんと思ってきた。私が小学生から中学生くらいの頃、「人生は短い。くだらない本を読んで時間をつぶしたくない」というアナトール=フランスの言葉が書き込まれた岩波書店作成の紙製のカバーを、書店は本を買うとかけてくれたものだったのだが、「人生は短い」のだから、本なんてくだらないものを読んで時間をつぶしたくない、読書に時間をかけるのではなく、もっと現実の人生を生きるべきだ・・・なんて言ったのでは、出版社である岩波書店にとってはマイナスにこそなれプラスにならんのではないか、出版社にとって死活問題ではないのかと思ったのだが、それは意味が違ったようで、アナトール=フランスの言葉は、本を読むというくだらない行為に時間を費やしたくないという意味ではなく、本にも「価値がある本」と「くだらない本」があって、「くだらない本」なんか読むのではなく岩波書店が発行しているような「価値がある本」を読むべきである、という趣旨だったようだ。 同様に、「推理小説」なんて「くだらない本」なんか読んで人生を無駄にしたくない、と私は思っていたのだ・・が、ところが、コンビニの本棚にあった内田康夫の浅見光彦シリーズなどのコミック版をコンビニで買い物をしたついでに買って読んでみると、これがけっこう面白い♪ で、それをコミック版ではなく小説の方で読むと、小説の方がコミック版よりもよくできている。コミック版もそう悪くはないのだが、小説を読んで思い描いた登場人物とコミック版で描かれている絵に差があったりする。特に女性の絵は、なんだか、「少女フレンド」か「マーガレット」に出てきそうな・・・ということは内田康夫の小説の登場人物よりも「少女フレンド」か「マーガレット」の漫画の登場人物みたいな顔をしていることがある。整形したみたいに眼が大きいし。だから、小説の方がいい。テレビドラマでYouTube に入っているものを見ると、けっこういいものもあれば、いまひとつのものもある。やっぱり、小説のものが一番いいと思う。
   内田康夫の「推理小説」がいいのは、(1)多くの推理小説は、刑事をあまりにも「ええもん」にし過ぎているが、内田康夫の作品ではそうではなく現実の刑事に少なくとも他の推理小説よりも近い。「人相の悪い男が」と出てくるとたいてい刑事である。かつ、「人相の悪い男」の刑事は、必ずしも、刑事としてだめということではない。「刑事は嫌われてナンボの仕事だ」「たとえ、蛇蝎のように嫌われても、真相を解明できれば刑事の仕事をはたしたことになる」と。この点、『名探偵コナン』とは全く違う。 (2)「推理小説」でないわけではないが、純文学としても通じるのではないかと思える作品が多い。 (3)多くの推理小説家は、警察→検察→裁判所 についてわかっておらず、現実にはありえない話を書いているのだが、内田康夫の場合は、警察についてある程度知っている人ではないかと思われるのだが、少なくとも他の多くの推理小説かよりも、実際にありそうなことが書かれている。 これらの点で、内田康夫は評価できると私は考えたのだが、残念ながら、この3月に他界された。
   内田康夫は、推理小説を書く際に、連載ものですら、結末を決めて書くのではなく、自分も読者であるかのように、話を展開していって終わりまで持っていくというのだが、そんなやり方でうまくいくのか? 収拾つかなくなったらどうするのか? なんて思うのだが、うまくいっているようで何冊か読むと中にはこの作品はその結果として失敗作かなというものもある。『湯布院殺人事件』は、浅見光彦シリーズではなく、「探偵役」は大学の法学部教授を退いた和田元教授夫妻である。 和田元教授夫妻が「探偵役」の小説は他に『龍神の女(ひと)』がある。 和田教授は法学部の教授で、教え子には現役の検事もいるということで、兄が警察庁刑事局長という浅見光彦とともに、「警察・検察に顔がきく」という立場であることから、「普通の人間」なら警察に因縁つけられて犯人にしたてあげられているか、別件で有罪にされているかというような行為を平気で実行している。
   その和田教授夫妻が「探偵役」の小説『湯布院殺人事件』(2009.8.12.講談社文庫)を読んで、気づいたことがあったのだ。あのおっさ~ん・・・と気づいたのだ。 まず、『湯布院殺人事件』から引用する。
≪  列車が入線してきて、乗り込もうという間際になって、宴会の時に幹事を務めた、平井という世話焼きの学生が、「先生に肝心なことを言うのを忘れていました」と、耳に口を押し上てるようにして言った。
「座席の坐り方ですが、なるべく先生が窓側にお坐りになったほうがいいと思います」
「ほう、なぜだい? エチケットとしては、女性を窓側にしたほうが、よさそうに思うけどね?」
「はあ、常識から言うとそういうことになるのですが、じつはですね、統計上、窓側に女性を坐らせるのは、正式な夫婦じゃないケースが多いのだそうです。五十歳以上の日本の亭主は、おしなべて自分が窓側にデンと坐り、奥さんは通路側に坐りたがるものなのだそうですよ」
「ふーん、そんなものかねえ・・・・」
 近頃の若い者は妙な知識を持っているものである。言われてみると、なるほど、ありそうなことだ。
 車内に入って、いざ座席に坐る段になった時、和泉は麻子に「どっちに坐る?」と訊いてみた。
「わたくしは通路側で結構ですよ」
「やっぱりそうか」
 和泉は感心した。
「しかし、折角の旅行じゃないか、窓側に坐って、外の景色を見たらいい」
「でもいいんですよ。あなたを下座に置くみたいで、なんだか落ち着きませんし、それに、敬老の精神からいっても、あなたを大事にしませんとね」
「ばか、ひとを年寄り扱いするな」
 和泉は笑ったが、これもまた平井の言っていたとおりだ。
 若い連中はともかく、騎士道精神などというものは、恋愛時代か、せいぜい新婚当座までで、日本の亭主らしくあるためには、自ら窓側に坐らないといけないものらしい。
 気のせいか、平井は興味深そうな目でことの成り行きを見つめている。
 和泉は結局、列車がホームを離れるまで、立ったまま、見送りに答礼し、そのあと窓側に坐った。・・・ ≫
    これ↑を読んで気づいたのだ。 1960年代後半、広島駅から乗った特急で、父は窓側に坐ったのだ。窓側に坐った上で、「週刊文春」を広げて読みだしたのだった。私に「あんた、これ、欲しないか」と言って「欲しい」と言わせて買った以上は、買うと私に渡してくれるものだろうと思って、売店で代金を払った後、私がそれを受取ろうとすると、父は「電車に乗ってから」と言って自分が持って私に渡さず、特急に乗ると、父が窓側の席に坐り、そこでその本を私に渡してくれるのかと思うとそうではなく、自分が広げて読みだしたのだった。びっくりしたのだが、そのうち、父は読み疲れたのか、「週刊文春」を閉じたのだが、自分が読まないなら、「あんた、これ、欲しないか」と言って私に「欲しい」と言わせて買った物である以上は私に渡してくれてもよさそうだったが、そうはせず、閉じた「週刊文春」を自分がかかえた上で仮眠をとりだしたのだった。
    そこまでは覚えていたのだ。自宅に帰るまで、結局、「あんた、これ、欲しないか」と言って私に「欲しい」と言わせて買った本を渡してくれなかったのだが、内田康夫『湯布院殺人事件』を読んで、ああ、そういうことだったのか、とわかった。 父は「上座」に坐っていたつもりだったのだ。 電車の対面座席で窓側と通路側、進行方向に向いた席と進行方向に背中を向けた席で、どちらが上座か下座かなんて、はっきりとはしていないと思うのだが、進行方向に向いた席と進行方向に背中を向けた席なら進行方向に向いて進む方が自然だから、進行方向に向いた席の方が上席だろう。 もっとも、中央西線から篠ノ井線、もしくはその逆、あるいは名古屋から岐阜までの東海道線と岐阜からの高山本線に乗ると、塩尻・岐阜で列車は逆向きに走り出すので、どっちが進行方向に向かった席かなんて言えない。
   窓側と通路側では、どちらがいい席か。『ゴルゴ13』では、ゴルゴは窓側に坐った「要人」を高速で走る列車の外から射撃して打ち殺すということをやってのけることがあったので、ゴルゴ13に狙われないようにということなら、通路側にした方が安全そうだ。 昨年、高山本線の特急「ワイドビュー飛騨」に乗って思ったのだが、高山本線の左右はなかなかの景観で、「ワイドビュー」てのは単におまけでつけた名前ではなく、特急「飛騨」は窓を大きくとって高山本線の両側の景色を眺めやすいように作られた列車になっている。それを考えると窓側の方が車外の景色を楽しめるのでいい席だと思うが、隣の席に乗ったおばさんは名古屋から高山まで只管眠り続けた上、高山駅の直前に見事に起きて下車したのだが、これだけきれいな風景を見ずに寝ているのはもったいない・・ような気もしたけれども、それは外来者にとってのことで、高山市に在住の人で高山―名古屋間を何度も乗っている人にとっては、今さらどうでもいい景色かもしれない。そういう人が列車の座席で睡眠を取ろうと思うと、窓側よりも通路側の方が光が入ってこないので眠りを取るには通路側の方がいい。 又、トイレが近い人も、通路側の方がトイレに行きやすい。 
   飛行機の場合、かつて、スチュワーデスさんてのは「若くて美人」てことになっていて、今は昔と違うけれども、そのイメージが残っているのか、「男の人は通路側に坐りたがる」と空港で話していたおばさんがいたが、私なら、飛行機でも窓側の方がいい。スチュワーデスのおばさんが嫌いてわけでもないが、窓側の方がいいが、そうでないおっさんも今もいるのかもしれない。
   自動車の場合、運転者以外に4人乗る場合は、後ろのまん中は補助席みたいな性質があるので、「エライ人」は後ろのまん中には乗せないとか言うが、後ろのまん中でない後ろの席に「エライ人」を乗せるもので、「助手席」は下っ端が座るものだという説があるが、片方で「助手席」に坐りたがる「エライ人」というのもいる。チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の社長の和泉は助手席に座った上で、座席を後ろに最大限下げて座るということをしていたのだが、なぜ、そこまで行儀の悪い坐り方をしたがるのかよくわからない。そこまで下げられたのではその後ろの席に座っている人間は座席にならないと思うのだが、社長ならそのくらいは理解するべきだとも思うのだが、そういうおっさんだった。後ろの席の人間が座席でない座席に坐らされるという問題もあるが、そこまで変則的な坐り方をすると、変則的な坐り方をしているおっさん自身が事故が発生した時など負傷しやすいはずで、運転者は良心的な人間ならそのあたりを教えてあげた方がいいと思うが、・・・言ってもききよらんのかもしれん。
   電車の場合、横4列で進行方向に向いた席では、窓側と通路側ではどちらが「上座」なのか? 列車が横転した場合を考えると、外側の方が危険は大きそうで、そこから考えると通路側の方がいいのかもしれない。もしも、デッキから電話をする用事が何度かあるならば、用事のある者が通路側に坐った方がいいだろう。 窓から外を見たいなら窓側、そこで眠りたいならむしろ通路側の方が窓からの光の影響を受けにくいのでいいのではないか。
   結論として、電車の場合は、どちらが「上座」かなんて決まってないと思うのだ。 「ゴルゴ13」に狙われたら・・・なんて言っても、誰がゴルゴさんに頼むほどの大金だして俺なんか狙うんだよ、誰が・・・とも思うが、ゴルゴさんでなくても、電車の窓めがけて投石する人とかがたまにあったりするから、それを考えると通路側の方が安全かもしれない。 今は昔、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ が、千葉県だったか茨城県だったかでJR常磐線の脇の土地で建築中、常磐線の線路に何だか落として「スーパーひたち」を停車させたということがあったらしいが、そういうアホな工務店が線路の脇の土地で建築工事することもあるだろうから、それを考えると、通路側の方が安全かもしれない。

    それで、だ。 広島→大阪 の特急、大阪→宮島口 の特急で、父は、なぜ、窓側に坐りたがったか。特に、広島→大阪 では、父は前半は週刊誌を読み、後半は仮眠をとったのであって、窓側に坐っても父は窓から外を見るわけでもなかったにもかかわらず。 
    私が親なら、小学生の息子に窓側に坐らせて、窓から外を見させて見聞を広めさせるようにしたと思う。父親ならそうするものと違うのか・・と思ったのだが、それは私が考える父親のことで、うちの父親はそうではなかったようだ。 そうではなく、父の思想によると、たとえ、自分は週刊誌を読むのであっても窓側に坐るべきだったのだ。そういうおっさんだったわけだ。

   大阪→宮島口 で乗った特急では、普通席の指定席をとることができず、グリーン車の指定席を購入して乗った。父は「普通は、こういう席は乗れないものやねんで。わしがえらいからこういう席に座れるねんで」と言っていたが、帰りに乗った普通車の席と比べても特にいいとも思わなかった。 今から考えると、グリーン車の通路側に坐らせられるよりも、普通車でいいから窓側に坐らせてやってほしかった。
   小学校の2年の夏、母方の祖母と曾祖母が和歌山県の椿温泉に湯治に1ヶ月ほど行くのに母と一緒に行き、椿温泉で1泊して、白浜の海水浴場に2日目に寄って帰ったということがあった。その際だが、小学校の途中まで、我が家は大阪市東住吉区の国鉄(現 JR)阪和線の近くに住んでいて、阪和線の「普通」(各駅停車)に乗って天王寺駅まで行くことは何度もあったけれども、その線路を走る特急「くろしお」、急行「きのくに」というものには乗ることはなく、特に、特急「くろしお」というのは子供にとってはスーパースターだった。 白浜に行くというので、うれしくて、特に、あのあこがれの「くろしお」号に乗りたいと思い、父と母に言ったのだ。「急行の『きのくに』に乗るの? 特急の『くろしお』に乗るの? できたら、『くろしお』に乗りたいんやけど。『くろしお』号に乗りたいなあ」と。それに対して、父はこう言ったのだ。「そやけど、おばあさんの意見も聞かんといかん。おばあさんが『きのくに』の方がええと言いはるかもしれんからな。あんただけの意見で決めるわけにもいかんやろ。あんたは『くろしお』がええと思うても、おばあさんが『きのくに』に乗りたい思いはるかもしれんからな」と。私は「そしたら、おばあちゃんに訊いてみて。おばあちゃんはどっちがいいのか」と。父は「そうやな。おばあちゃんに訊いてみよ」と答えたのだが、それからしばらくして、私が「おばあちゃんはどっちがいいと言いはった?」と父に尋ねると、父は「ところが、おばあちゃんはどっちがいいかまだ返事しはれへんねん。早く返事しはったらええなあ」と言うのだ。私は「早く決めないと、切符が取れなくなるかもしれないから、おばあちゃんに、どっちがいいのか早く決めてと言って」と言うと、父は「よっしゃ。おばあちゃんにそう言うわ」と答えたのだった・・・・が、そのうち、「行きは急行『きのくに』で行って、帰りは急行『紀州』で帰ることになったわ」と父は言うのだった。「おばあちゃんは『きのくに』の方がいいと言わはったん?」と訊くと、父だったか母だったかは「おばあちゃんは、別にどっちでもいいって」と言うのだった。「どっちでもいいなら、『くろしお』に乗って行こう」と私が言うと、父は「ところが、『きのくに』の指定席はあるけれども、『くろしお』はもう指定席ないねん。おばあちゃん、もっと早く返事してくれはったらよかったのになあ」と言うのでした。
   実際には、「白浜」は特急が停車したが、「椿」は急行は停車しても特急は通過したので、椿温泉に行くには急行の方が便利だったのだ。「きのくに」と「紀州」の違いは、「きのくに」は大阪市の「天王寺」駅から南紀方面に行く急行で、「紀州」は名古屋から南紀方面に行く急行だったが、中に名古屋から紀勢本線経由で大阪市の天王寺駅まで来る急行「紀州」があったのだ。 行きは、天王寺→椿 で乗ったので、椿駅に停車する急行「きのくに」の方が白浜には停まっても椿は通過する特急「くろしお」よりも便利だったので急行「きのくに」で行っていいと思うが、帰りは、白浜の海水浴場に寄って、「白浜」駅から乗って帰ったので、小学校2年生がそんなに「くろしお」に乗りたい乗りたいと言うのなら、急行料金と特急料金なら特急料金の方がいくらか高いけれども、乗せてやってもいいのではないのかと思うのだ・・・が、あれは、父は、その差額がもったいないと考えて、それで、それならそれではっきりとそう言えばいいところを、そう言うのが嫌なものだから、だから、「おばあさんが、なかなか、返事しはれへんねん。困ったなあ。早く返事してくれたらいいのになあ」と言い、「くろしおは、もう、指定席ないねん。おばあちゃんはどっちでもいいらしいねんけど、それやったら早く返事してくれはったらよかったのになあ。困ったおばあちゃんやなあ」などと言って「おばあちゃん」のせいにした、というそんなところかな・・・と成人してから思ったのだった・・・が違ったようだ。母が言うには、「違うよ。もともと、あれは、◇さんが費用は出して切符も買ってくれたんよ」と。◇さんというのは母の叔父。祖母の弟。曾祖母の息子。年寄2人を湯治に行かすのに、特に曾祖母は高齢なので、誰かがついて行った方がいいが自分が行けないので、それで母に行ってくれと頼み、そのかわりにということかどうかわからないが、母と私の分の費用も出してくれて切符も買ってくれたらしいのだ。父は最初からカネ出してないらしく、「おばあちゃんが、もっと早く決めてくれはったらよかったのになあ」とかいう父の言葉はまるまるウソッパチ。祖母と曾祖母は最初から「きのくに」でも「くろしお」でもどっちでもいいと言っていたらしい。 なるほど、そういうおっさんやった、うちの父親は。
   行きも帰りもひとにカネを出してもらうものだから、だから、急行じゃなくて特急でなんて言えなかったのだ・・・が、それならそれで、その通りに言えば良かったと思うのだ。なんで、「おばあちゃん、もっと早く決めてくれはったらよかったのになあ。困ったおばあちゃんやなあ」などと言わないといけないんだ・・と思うが、そういうおっさんだった。
   記憶が必ずしもはっきりしないが、乗った特急は、大阪→宮島口 が「みどり」、宮島口→防府 が「つばめ」、防府→広島 が「はと」、広島→大阪 が「しおじ」だったのではないかと思うが、もしかすると、広島→大阪も「みどり」だったかもしれない。 いずれにしても、その大阪→宮島口 の特急でグリーン車の通路側に乗せてもらうよりも、白浜→天王寺 で「くろしお」に乗せてほしかったし、それは無理だったとしても、「おばあちゃん、どう返事しはった?」→「まだ、返事しはれへんねん」、「おばあちゃん、考えて返事してくれはった?」→「ところが、まだ、迷ってはるらしいわ」、「くろしおの指定席、なくなってしまうかもしれへん。おばあちゃん、なんで、返事してくれはれへんの?」→「そうやなあ、困ったおばあちゃんやなあ。はよう返事してくれはったらええねんけどなあ」・・・・というのを何回も何回もはてしなく繰り返したあげく、「『くろしお』はもう、指定席ないねん。おばあちゃんはどっちでもええらしいねんけどもな。 もっと、早く返事してくれはったらよかったんやけどなあ。 『くろしお』は指定席とられへんから、行きは急行『きのくに』で帰りは急行『紀州』や」などと嘘つくのではなく、本当のことを言ってほしかった。

   電車の座席が窓側と通路側のどちらが「上座」か「下座」かなんてどうでもいい。私が親なら、小学生の子供に窓側に坐らせて車外の景色を見せてやる。 普通、親ならそうするものではないかと私は思う・・・のだが、父はそうではなかったようだ。そうではなく、自分は「上座」に坐るものだというのが最優先だったのだろう。その上で、別段、自分は社外の景色なんて見たくもないという男だったのだ。だから、週刊誌を買って車内で読んだのだ。かつ、週刊誌を買うのに、自分が見たいから買うのにそれを息子のために買ってやってやってやってやってやったってんでということにして購入した。そういう男だったのだ。そして、自分が窓側に坐って小学生の息子を通路側に坐らせた上で、窓側の席で週刊誌を読み、読み疲れるとそれを閉じて膝の上に抱構えて仮眠を取ったのだ。仮眠をとるのなら、小学生の息子に窓側の席を譲ってやればいい、と私が親なら思うのだが、父はそうは考えなかったようだ。「上座」に自分は座らなければいけないというオキテがあったのだ。
   小学校の5年の時、上の姉の勤め先の会社に滋賀県の長浜市に保養所があって、そこを利用させてもらって、母と下の姉と私とで湖水浴などさせてもらったことがあった。その帰り、時刻表を見ていると、米原駅で時間があったので、私が「米原のあたりてどうなっているのか見てみたい」と言うと、父が「そんなもん。米原なんて何もない所や。米原なんて『見るところ』あれへん」と言い、そして、米原駅での下車はなくなった。その頃から思った。あのおっさんは、「見るところ」というものがあらかじめ決まっていて、そこにピンポイントで行って帰ってくるものだと認識しているらしい、と。 それって、おかしくないか? そもそも、「見るとこ」というのが父の頭にあるらしいのだが、それは、結局のところ、どこかの誰かが決めたものであって、どこかの誰かが決めた「見るとこ」を見にいかなくても、「見るとこ」とどこかの誰かが指定した場所でない場所を見てもいいのではないのか? ・・・・と。
   父は阪急宝塚線を利用して通勤したが、「石橋」駅から「十三」駅までの間に藁葺の屋根の家が3軒あったなんてことも関知しないだろう。 宮島の厳島神社に行って、広島の平和祈念館と平和公園に行き、原爆ドームを見たいとなると、そこにピンポイントで行って帰ってくるのが当然とおっさんは考えたらしい。行きと帰りの特急の車内では週刊誌を読むか寝るかどちらかが当然だったようだ。週刊誌を読むのなら週刊誌を読む者は通路側だっていいはずで、窓から外を見たい息子に窓側の席に座らせてやればいいと思うのだが、それは「素人考え」であって、《「世の中のことは何でも知ってる」「百戦錬磨」「海千山千」「風が吹こうが嵐が吹こうが、地震が来ようが台風が来ようが津波が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようが何が来ようがび~くともしない」「常に沈着冷静」「精神の安定した」という「世の中でもまれに見るえらいえらい」「ドイツ人のお父さん」》にとってはそうではなく、「ドイツ人のお父さん」は「上座」に坐らなければならなかったのだ。 なるほど、そういうことだったのか。『湯布院殺人事件』を読んで、50年近く前のことのからくりがわかった。
   なるほど・・・と思ったが、それにしても、「ドイツ人のお父さん」というのは、なんか、ちっぽけな野郎だなあ・・・て感じがする。 「世の中にはやなあ、ダメ父! もおれば、カス親! もおるわけで、わしみたいな、えっらいえっらいえっらいえっらいドイツ人のお父さんばっかしとは違うわけや。あんた、わしみたいなドイツ人のえらいえらいお父さんをもって、あんた、幸せやねえ~え。あんた、恵まれてるねえ~え」と父から言われてきたのだが、「ドイツ人のお父さん」よりも「普通のお父さん」の方がええわ・・・と思った。言うと怒るので言えなかったけれども、やっぱり、「普通のお父さん」の方が良かった。

   私が20代の時、慶應大学の学生として在籍した時のことだが、夏休みに大阪の家に帰っていた時、母が足をねじって捻挫して、しばらく立つことができない状態だったことがあった。夏休みの間、食事の用意や片づけは私がやった。 父は「わしがあんたにやってやってやったったものはいっぱいあるけれども、あんたがわしのためにやったものは、これまでにも何ひとつとしてないし、今後とも未来永劫あんたにわしが何かやってもらうことは何一つとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ!」と毎日毎日言い続けたが、あんた、私が用意した食事を食ったじゃないか?!? と思ったが、それでも、おっさんは「何ひと~つ! 何ひと~つ!」と言い続けた。
   父は、かつては「このわしは、同志社大学という立派な立派な大学を出てます」と言うておったはずだが、ある時から、「わしはほんまは慶應やねんぞ、わしは慶應」と言うように変わった。なんで、宗旨替えしたんだ? と思ったのだが、「ほんまは慶應」らしい。父が言うには「わしかて、家が貧乏やなかったら、間違いなく慶應大学に行きました。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえはほんまは、拓殖じゃ、この拓殖めがこの拓殖、このチャンコロ!」と言うのだった。私は「ほんまは拓殖」らしいのだ。さらに、父は「おまえはなあ、おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけどな。おまえが努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ。わかっとんのんか、おまえは浪商じゃ、この浪商めが、産まれてこなければ良かったのに、この浪商!」と言うのだった。私は「ほんまは拓殖」で「ほんまは浪商」らしい。で、父は「ほんまは慶應」らしいのだ。「このわしは、普通の人間とは違うねんぞ、このわしはあ。このわしはドイツ人でアメリカ人で慶應やねんぞ、このわしはあ。おまえとは違って慶應やねんぞ、このわしは慶應。わかっとんのんか、拓殖! わかっとんのんか、浪商! おまえは浪商じゃ! この浪商! 浪商は浪商らしくしろ、浪商めが、産まれなければよかったのに、この浪商!」と言うのだった。
   母に聞いた話では、「あの人、家が貧乏やったから慶應に行けなかったのじゃなくて、慶應を受けたけれども落ちたから行けなかったんでしょうが。よく言うわ」と。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=cRwYKs3fHlo 〕
   たしかに、「バカ言ってんじゃないわ」て感じもするが、しかし、たしかに父は「慶應タイプ」だと思うのだ。「慶應ボーイ」て感じがする。「ギャルにもてもて」かもしれない。慶應大学のあるサークルの合宿に行った時だが、「幼稚舎から慶應」という男がいて、そいつが言ったのだ。「種無しブドウなんて、よく、そんなもの食うなあ~あ」と。最初、何を言ってるのかよくわからなかったのだが、彼が言うには「ひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらって、スプーンですくってなら食うけれども、そんなもん、ひとつひとつ房からちぎって食うだなんて、そんなおかしなこと、できるかあ~あ!」と。「蜜柑でもそうだ。ひとにカラスにしてもらってなら食うけれども、そんなもん、自分で蜜柑を皮むいて食うなんて、そんなおかしなことできるかあ~あ!」と。そして、彼は私に言ったのだ。「こらあ! むけえ!」と。私が行った「普通の人間」が行く「普通の小学校」、公立小学校では、先生が「食べ物は、好き嫌いせずに食べるようにしましょう」と誰もに教えたのだ。当然、種無しブドウは自分で房からひとつひとつちぎって口に入れて食べるものです、と教えていたのだ。蜜柑は自分で皮をむいて口に入れて食べるものですと教えたのだ。幼稚園の先生もそう教えたし、公立小学校の先生もそう教えたのだ。だから、私はそれが普通でそれが当たり前でそれが常識だと思って育った。ところが、慶應では違ったのだ。慶應幼稚舎ではそれと正反対の教育をやってきたらしいのだ。そうではなく、種無しブドウは食べるならばひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うものだ、と教えているらしいのだ。蜜柑もまた、ひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらって食べるものです、と慶應幼稚舎ではそういう教育をしているらしいのだ。そういう教育をしている人・そういう教育を受けてきた人のことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか「自我が確立されている」とか「社会で役に立つ」とか「会社で喜ばれる」とか「本物の慶大生」とか「塾風を身に着けている」とか「アイデンティティーをもっている」とか「常識がある」とか、あるいは「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ。私なんかは、そんな変態みたいのがいいと思う「ギャル」になんてもてたくないように思うのだが、そういうことを口にすると慶應義塾では「慶大生らしくない」とか「塾風を身に着けていない」とか「協調性がない」とか「社会性に問題がある」とか「自我が確立されていない」とか「アイデンティテイーを持っていない」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「結婚相手なくなるぞ」とか言われるわけである。なんか、カルチャーショックというのかを強く感じた。公立の小学校での教育と慶應の内部進学の教育は正反対なのだ。そして、内部進学の教授は講義の最中に言うのだ。「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ。その点、我々は塾風というものを身に着けているんだ。我々内部進学の者はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ~あ!」と。 だから、内部進学の教授としては、種無しブドウはひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うのが「塾風」であり「学問」であるわけで、自分で房からひとつひとつちぎって自分で口に入れて食べるというのはそれは「受験勉強の悪影響」で「害がある」らしいのだ。
   母が足を怪我して、私が食事の用意をしていた時、父に尋ねたことがある。「レタスとキャベツならどっちがいい?」と。キャベツは切らなきゃならないが、レタスならちぎって口に入れればいいのでレタスの方がいいと言ってくれればその方が楽だった。父は言った「キャベツがいい」と。なるほど、レタスは自分でちぎらないといけないが、キャベツならあらかじめ切ってあるからちぎる必要はないわけだ。さらに、「林檎と蜜柑とどっちがいい?」と尋ねたところ、父は「林檎がいい」と答えたのだ。なるほど。蜜柑は自分で皮をむいて食べないといけないが林檎ならあらかじめむいてあるから。で、「むいてくれ」と言うのだった。「甘ったれておってはならんぞ、甘ったれておっては」と。レタスでも全体が黄緑色のレタスなら父は食べるのだが、先端が紫色のサニーレタスだと父は「これ、気持ち悪い。あんた、食べなさい」と言うのだった。世の中には、自分が「気持ち悪い」と食べないものは子供にも食べさせないという親があるが、そういう親の子供は食べ物の好き嫌い、食べないもの・食べれない物ができるが、その点、私の父は自分が「これ、気持ち悪い」と言って食べない物は、「気持ち悪いから、これ、あんたが食べなさい」と言って私に食べさせたので、そのおかげで私は好き嫌いなく何でも食べる人間になった。感謝である。「親に感謝」・・と。
  夏休みが終わった後、まだ、しばらくは足が治らない母と父を置いて東京に戻って大丈夫かと思い、「もう1週間か2週間、こちらにいるようにしようか」と言ってのだが、母が「大丈夫や。もう、あんた、東京に帰り」と言うので後期が始まる時に東京に戻ったのだが、その後、やっぱり、心配したようになったらしい。父は、母が食事の準備などできないと言って怒ったというのだ。「わしは働いてやってやってやったっとんねんやおお」と。それはたしかにそうだが、そうは言っても立てない人間に食事の用意をしろと言っても無理だと思うのだが、「女のくせして、食事の用意もせんとは」と怒ったというのだ。 そして、母が病院に行く時、タクシーに一緒に乗って病院までは行ったらしいのだが、病院の前でタクシーを降りて、病院の車椅子に母が乗る所まではタクシーの運転手が協力してくれたらしいのだが、待合室・診察室まで「車椅子を押してください」と母が言ったところ、父は激怒した。「ええかげんにせえよ。ええかげんに、もう~お!」「そんなみっともないことできるかあ~あ!」と。なるほど、あのおっさんらしい。いかにも慶應て感じ。いかにも、「慶應ボーイ」て感じがする。母はどうしたらいいのか困って途方にくれていたところ、病院に通院していたらしい初老の夫婦のダンナが「押しましょう」と言って車椅子を押してくれたそうです。
   父はたしかにいかにも「慶應ボーイ」て感じがする。但し、「ほんまは慶應」であっても実際には慶應に行かなかっただけあって、「本物の幼稚舎から慶應」とは違って、父は蜜柑は自分で皮をむいて食べるし種無しブドウ(デラウエア)も自分で皮をむいて食べる。その点で「本物の慶應ボーイ」とまったく同じではない。

   「かわいい子には旅をさせろ」と言うように、旅行をすると、普段の生活では気づかないところに気づくことがあるのだが、父が、週刊誌を読むのに窓側に坐ろうとしたのは、それはたまたまかとその時は思っていたが、内田康夫『湯布院殺人事件』を読んで、そうじゃなかった、あのおっさんは「上座」に自分が座っているつもりだったのだ、と気づいた。 なんか、ちっぽけな野郎だなあと思うが、そういうおっさんだったのだ。自分のお嫁さんが足を怪我した時、車椅子をさりげなく押すことができる男性と、「そんなみっともないこと、このわしができるかあ! ええかげんにせえよ、ええかげんに」と怒って逃げていくおっさんとなら、さりげなく車椅子を押すことができる男性の方が、私はかっこいいと思う・・が、そのあたりが、「慶應ボーイ」とは考え方が違うところのようだ。私なら、種無しブドウは自分でひとつひとつ房からちぎって口にいれてこそおいしい♪ と思うし、そもそも、ひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う・・・なんて、たとえ、やろうと思っても誰もそんなものむいてなんかくれないから、自分でひとつひとつちぎって食べるしかない。まったくつくづく、「慶應ボーイ」てのは、やることがなんともユニークである。慶應幼稚舎では種無しブドウはひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食べましょうと教育しているらしいのに対して、公立小学校では種無しブドウは自分で房からひとつひとつちぎって自分で口にいれましょうと教えているのだが、慶應幼稚舎の人間のために公立の学校出身者は種無しブドウを皮むいてスプーンに持ってさしあげなさいとは教えていないはずなのだが、慶應内部進学の人間は、公立の学校出身者は自分たちの下男・婢だと思っているらしく、「こらあ、むけえ!」とか言うのだ。そういう人のことを「スマートな慶應ボーイ」「思考が柔軟な本物の慶大生」「ギャルにもてもて」「自我が確立されている」「独立自尊の精神を身に着けている」「福沢精神を身に着けている」とか言うらしいのだ。慶應幼稚舎の生徒なんか見ると、「これがアルマーニか」とか言ってツンツン・・とかやってやりたい気持ちになりかねないのだが・・、人相の悪いボディーガードでもついてるかもしれないのでやめておいた方がいい。あいつらはヤクザと一緒である。
   私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族」らしいので、「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」とは「民族が違う」し「階級が違う」ので、そういうひとの思考は理解できない。私なら、「上座」か「下座」か知らんが、週刊誌読むなら通路側でいいことで、小学生の子供と旅行したなら子供に窓側に坐らせて窓からいろいろなものを見せてやりたいと考える。
   (2018.7.4.)

☆ 《「父の日」に思う》は四部作。
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_16.html
2.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_17.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_18.html
4.〔今回〕

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