田園調布と教会【11/14】台(うてな)弘人体実験、吉益脩夫のファシズム精神医学、御用鑑定人中田修。

[第375回] 日本の教会シリーズ
   教会というものは、教会堂の外だけ見るのではなく中にも入ってみるべきで、中に入るだけではなく礼拝その他の教会の行事に参加してみてこそその教会堂について検討・吟味もできる・・という面もあるとは思います・・が、逆に外だけ見て周辺を散策するからこそ周辺について気づく場合もあります。
   日本基督教団 田園調布教会 は、はす向かいに宝来公園という公園があります。 日本基督教団 田園調布教会の西側の道を南にまっすぐに行くと、カトリック 田園調布教会の前に行きます。日本基督教団 田園調布教会北側の道を東に行き、一筋 東側の南北の道を南にまっすぐに行っても、右側にカトリック田園調布教会の入口が見えてきます。日本基督教団 田園調布教会は、東急東横線・目黒線「田園調布」駅と東横線・目黒線・多摩川線「多摩川」駅の中間より少し「田園調布」に近い場所ですが、カトリック田園調布教会は「多摩川」駅の方が近い。日本基督教団 田園調布教会は北西の角地ですが、北側の道を東(田園調布駅の方向)に行き、一筋東の南北の道を南に進むと、建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986.文春文庫)に掲載されている「矢野邸」(第一生命の創始者で田園調布の育ての親とも言われる矢野恒太の息子で社団法人 田園調布会の会長であった矢野一郎邸)が道路の西側にあるはずなのですが、行ってみると見当たらないので、解体されて別の建物が建てられたということかもしれません。


   日本基督教団 田園調布教会の西側の道を南に進もうと歩み出すと、隣家が気になります。隣家の表札には「吉益◇夫」と書かれています。さらにそのもうひとつ南側の隣家も「吉益▽夫」と書かれています。この◇、▽は、私は実際の文字を知っていますが、一般のお宅なので、ここには表記しないことにします。知りたい方は現地に行けば視覚障害者でなければ見えます。一般のお宅なので、写真もとりあえずは掲載しないことにします。
   日本基督教団 田園調布教会の今の牧師の名前は「高橋」さんというようです。1980年代の牧師も高橋泰二さんと言われたのですが、それから40年近く経っており、今も同じ方が牧師を勤めておられるわけではなく、今の牧師さんは高橋和人さんと言われるようです。高橋泰二さんの息子は慶應義塾高校から慶應大学の医学部に行っていたと思ったのですが、もうひとり、息子がいて、父親を見て、「牧師てええ仕事やなあ」と思って自分も牧師になったのか、それとも、単に苗字が同じだけで、親子とか親戚とかではないのか、それはわかりません。「高橋」という名字は日本では比較的よくある苗字ですから、親子とか親戚ではない高橋さんが何代か後に牧師になるということがあるかもしれません。先生業やっている人の息子には、先生業の思考が家庭にあるのか、息子も先生業やる人がけっこうありますが、その一族みんな同じ仕事につくのは思考の多様化をはばむことになってよくないといったことを言う人もありますが、そうは言っても、息子は父親を見て育つところがありますから、似た仕事について不思議はありません。
私の名字などは、あまり多い方の名字ではなく、学校でも同じ苗字の人間が同じクラスにいたなんてことはありませんし、政治家・芸能人・運動選手でも同じ苗字の人はあまりいませんでしたが、最近、有名人で何人かでてきたのですが、そういう人を見ると、吉野・田中・佐々木・佐藤・鈴木・渡辺なんて苗字の人だと自分と同じ苗字の人間がいるということに別に違和感を覚えないかもしれませんが、私などは慣れていないので、どうも、気持ち悪くてしかたがない。

   ところで。「台(うてな)」なんて苗字も、あまり多くないですよね。私の名字よりももっと少ないと思います。けっこう有名な「ウテナ お子様クリーム」て商品がありましたでしょ。あれ、なんで、「ウテナ」なんだろう? て考えたことありませんか?
     「ウテナお子様クリーム」の「ウテナ」は、会社名としては「株式会社ウテナ」と言い、社長は「岩倉具視」ではなく「岩倉具房」と(株)ウテナ のHPの「会社概要」http://www.utena.co.jp/company/outline/index.html  には出ています。
≪事業内容 化粧品・医薬部外品製造販売・不動産賃貸業≫とあります。
「沿革」を見ると、≪1923年(大正12年) 初代社長久保政吉が、美白液「ウテナ」を開発し、婦人雑誌「主婦の友」で通信販売を始める。今日の基礎をつくる。≫というのが最初に出ており、≪1927年(昭和2年) 本郷(現在の文京区)に「久保政吉商店」創業。世田谷区南烏山(現在地)に工場完成。≫と続きます。
これを見ると、久保さんという人が始めた会社のようで、「ウテナ・・・」という商品名の化粧水などを販売していたことから、後に、会社名も「(株)ウテナ」に変更するに至ったかのように見えます。しかし、「ウテナ」は花のガクのことを言うらしいのですが、花のガクのことを「ウテナ」と言うのは、英語で言うのでもなくフランス語で言うのでもなくイタリア語で言うのでもなく、台地の「台」という字を訓読みにすると「ウテナ」で、「ウテナ」とは花のガクのことだと同社のホームページに書かれているのですが、なんで、そんな回りくどい名前をつけるのでしょうね。花のガクのことを言いたいのなら、「うてな」でなくてもいいような感じがしませんか。
   「うてな」なんて苗字はないと私は子供の頃、思っていたのです。同級生でそういう苗字の人間はいませんでした。歌手・タレントとか政治家でもいませんでした・・が、実は、「うてな(台)」という苗字の人はいるのです。
有名人としては、東京大学医学部の「精神科」の「医者」の台 弘(うてな ひろし)。何やった人かというと、日本国民全体では知らない人の方が多いでしょうけれども、知っている人は知っている。 
   「精神病患者」の弱みにつけこんで、「精神外科」だの「ロボトミー」だのと称して脳に暴力を加えるという残虐行為をおこなった東大医学部の「台(うてな) 弘」は、ウィキペディアにも掲載されていて、《ウィキペディア―臺 弘》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%BA%E5%BC%98 によると、≪1913年11月28日 - 2014年4月16日≫と出ています。1913年というと、第一次世界大戦が「行く意志(1914)あるのか、第一次世界大戦」で1914年開始ですから、その前年の生れです。2014年まで、なんと、100歳余り生きたてことですから、悪いヤツてのは長生きするのかもしれません。よくわからんのは、こういう「ロボトミー」とかやるようなヤツというのは、体制側・権力側・右翼のおっさんかと思いがちなのですが、≪社会学者・立岩真也の生存学サイトによると、党派的には代々木系に近い立場とされ、戦前は共産主義の本を読んで投獄された経験もある≫なんて出ています。香山健一なんておっさんは、若い頃は全学連の委員長で、歳をいってからは右翼教授の代表格になったようですから、≪党派的には代々木系に近い立場とされ、戦前は共産主義の本を読んで投獄された経験もある≫なんていっても、その後、どうなるかなんてわかったものじゃないでしょうけれどもね。
   臺〔うてな〕 弘(台 弘)(うてな ひろし)の生年は1913年、美白液「ウテナ」を販売しはじめたと言っている1923年においては、まだ10歳で、「(株)ウテナ」の前身の久保政吉商店が創業したという1927年でも14歳ですから、台弘(うてな ひろし)から「ウテナお子様クリーム」の「ウテナ」が命名されたのではなさそうですが、台弘の父親か祖父も医者屋やっていて「ウテナお子様クリーム」と関係していたなんてことないのか?・・とか考えたくなりませんか? 
 「(株)ウテナ」の前身の久保政吉商店を人体実験の台弘(うてな ひろし)が始めたわけではない。で、「人体実験の台弘」と「ウテナお子様クリームの(株)ウテナ」はどう関係があるかというと、(株)ウテナのホームページhttp://www.utena.co.jp/ を見たって、そんなもの、載っているわけないのです。だから、あまり多い苗字ではないが・・「人体実験の台弘(うてな ひろし)」の父親か祖父かが、やはり、東大医学部の教授やっていて、それと提携して始めて教授の名前を会社名とクリームの名前にして「ウテナお子様クリーム」ができたが、後にその教授の息子か孫かで、やはり東大医学部に行って東大医学部の教授になって、傲慢不遜な人体実験をおこなって「患者」を苦しめた極悪人 台弘(うてな ひろし)が登場したので、化粧品会社としてはその話は具合が悪いと考えて、それで、「ウテナ」とは植物の花のガクのことでありそこから「ウテナ」と名づけられたというお話を作ってホームページにも載せた・・なんて、ありそうな感じがしないでもないし、医学部と化粧品屋は近隣業界でつきあいがあってもおかしくないし・・とか考えたくなるのですが、だから、どういう関係なのかは、よくわからんわけです。そこから先、究明しようと思っても、もし関係あるなら隠すでしょうし、明らかにするのは簡単ではない。しかし、内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦なども、戦後の警察は推理よりも証拠を大事にしろといったことを言うようになったけれども(その「証拠」も相当いいかげんなのだが)、浅見光彦は、そうではなく、特に「動機」から考え、「推理」をするわけです。浅見光彦シリーズでも、浅見は、あの2人、同じ苗字だが・・などといった些細な点にも関心を払い、そこから事件を解明したりもしています。だから、やっぱり、こういう視点というのは大事だと思いますよ。
   怪人21面相に、なぜ、江崎グリコと森永がねらわれたか? たまたまか? たまたまではなさそうに思いませんか? 慶應大学の教授先生なんてのは、たいていが体制側・権力側であろう・・て感じがして、そして、いつもいつも体制側・権力側に立つことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか言うのであろう・・て印象がありますが、しかし、誰もがいつでもそうということでもないようです。私が在学した時、商学部のある教授が講義の中で言われたのですが、「江崎グリコと森永がねらわれるというのは、あれは、森永というのが、森永ヒ素ミルク事件などを起こしたようなそういう会社だから、だから、狙われるんだよ」と。私も、おそらくそうだろうと思いました。

   「グリコ、つぶしたる」と言った人と、「グリコを守れ」と言った人は、どちらが「正義」か、どちらが「正常」か。考えたことありますか?

   1996年8月、消費税がもうすぐ上がる、住宅建築業の会社は、今、契約とらなきゃ、10月以降はとりにくくなる、今、何が何でも契約とらなきゃだめだ! というまさにその時、(株)一条工務店 の初代社長の大澄賢二郎のドバカ息子の大澄隆史(男。当時、20代)が「刃物で女を刺し殺し、官憲に追われ、逃げる」という、まさに「『水滸伝』の登場人物 呼保義 宋江(こほうぎ そうこう)そのまんま」「梁山泊の精神」を実行して、懲役20年の実刑判決を受けました。(株)一条工務店は少しでも営業成績があがらない営業社員がいると「赤字社員だ」と言って責めまくっていましたが、誰よりも一番の赤字社員は大澄社長のバカ息子であった。その際、「週刊朝日」「アサヒ芸能」ほか、スポーツ新聞などにもこの事件は掲載されたのですが、週刊誌など見ても、大澄隆史が(株)一条工務店の社長の大澄賢二郎の息子だとは書いてあっても、(株)一条工務店とその関連会社で何らかの役職を持っていたかどうかについては書かれたものはなかった。それは、できる限り隠したからでしょう。しかし、私は知っている。この(株)一条工務店という会社のオーナー経営者は、私のように自分を犠牲にして会社のために滅私奉公・破私奉公を繰り返した人間は粗末にして、片方でオーナー経営者一族やその子分に媚びるだけしか能のないイヌは大事にするという会社であり、「こいつ、イヌだな」とはっきりわかる不快な野郎とも私はつきあうことはあったのです。(株)一条工務店には、けっこういたのです。イヌであるがゆえに、本来のその男の身の程より高い役職につかせてもらっている人間で、イヌであるということ以外に特に取り柄はない、という人間がいたのです。そういう人間というのは、人間はクズですから、何か従業員のためにやってほしいなんて期待しても絶対にだめですし、会社のためには役立ちませんが、アホのくせして身の程より高い役職についていて、そして、一般従業員は知らないようなことを知っています。そして、片方で人間性はクズで性格は腐っていますが、アホですから口が軽い。だから、けっこう、べらべらしゃべるんです。大澄賢二郎社長の息子の大澄隆史さんは、営業や工事課の人間のクルマの任意保険を入らせていた保険代理店の日信(株)の社長になっていた、と。私なら、オーナー経営者一族が一般社員には言いたくないと黙っているらしい、ということを聞いたなら、それを、いちいち、べらべらしゃべりませんが、私みたいに、会社のために滅私奉公して尽くそうという人間よりも、イヌであってイヌでしかないというタイプを喜ぶ経営者は、そういうことをベラベラしゃべる人間に、そのあたりのカラクリを知る立場につかせることになり、そのへんから、「女を刃物で刺し殺して官憲に追われ逃げる」という「『水滸伝』の登場人物 呼保義 宋江そのまんま」の「梁山泊の精神」を実行して懲役刑を受けた大澄隆史は、日信(株)の社長に仕事は何もしないにもかかわらず就任していた、ということは、社長としての「給料」もおそらく仕事はしていないにもかかわらず、もらっていた可能性が高いと考えるのが一般的である・・ということがわかるわけです。このあたり、「週刊朝日」の記者も「アサヒ芸能」の記者もとらえることができなかったようですが、私はつかんだのです。それにしても、「アホでイヌで口が軽い」という人間と、私のように「大学卒業までに学んできたものをその会社で生かしてオーナー一族にも従業員一般にも両方に役に立つ仕事をしたいという人間」なら、会社は後者の方を大事にするべきではないのかと思うのですが、(株)一条工務店のオーナー経営者一族は「アホでイヌで口が軽い」てのが好きだったようです。アホですね。

   青年医師連合東大支部編著『現代の医療被害』(1978.8.31.三一書房)より引用します。
≪ 1971年3月、石川清氏は台弘(うてな ひろし)氏をその「生体実験」に関して、日本精神神経学会に告発し、同年4月4日の反・日本医学会総会において2500名の市民に明らかにされた。
   台のやり口ったことは、脳組織の代謝の研究のために、ロボトミーの機会に乗じて、手術の直前に頭の骨に穴をあけた所から、ロボトミー用のメスを刺入する部分の周囲に八方手をのばして脳皮組織をかきとり、これを化学的に分析したということである。・・・
   批判点は次のように整理される。
[ 1. 台はこの疾患研究のための基礎実験に際し、受持ちの患者の家族以外からは、同意を得ていない。]
   ・・・・台実験においては拒絶的な患者に全身麻酔をかけて手術を行った例があることが指摘されており、ロボトミーに関しては保護義務者から文書で承諾をとってあるが、実験に関しては台の受持ちの患者については、家族に口頭で趣旨を話してて同意を得たが、他の医師の受持ちの患者については同意をとっていないし、患者自身からも同意を得ていない。またこの同意を得た家族に対してもどのような説明がなされたのかきわめて疑問である。・・・
[ 2. ロボトミーに便乗し、ロボトミーとは関係のない脳皮質のエクトノミーが行われた。
  あらかじめ脳切除を無害と断定している。 ]
  ・・・ロボトミーの重要な点は脳皮質を損傷しないのがポイントであるのに、この時から逆に脳皮質をねらってとった訳である。・・・
「もともとロボトミーは前頭葉機能の脱落を目指していた」という医師や「台実験での皮質剔出はロボトミーの治療目的にかなうものであったから、軟膜を傷つけなければ、皮質をもっととるべきであった」と言う医師は、患者の脳を便乗主義的に研究に利用する台を強弁的に擁護するものであり、台同様に許すことはできないであろう。患者・人民の名において弾劾しなければならない。
   台の強弁は医師の傲慢さと冷たさをあますところなく示している。彼は害があるというのなら害を実証しろというのである。また、実験の対象となった患者のうちに死亡者が出ていることがもとの論文に記載されているが、この点についても、組織をとり出したことが死因につらなるものでなければかまわないと考えているようである。患者のうちに死亡者が出れば、もっと謙虚にこの事態について省察するのが正しい医師の姿ではなかろうか。
[ 3. 心情的な研究目的とその方法 ]
   ・・・また、動物実験による完ぺきな基礎がためをして後に、はじめて人を扱うという生物的医学研究の手順を無視して、まず人を対象にして仕事を始めている。
   台のもとの論文をよむと、目的や結果に多くの疑問が持たれ、彼は要するに人間の生きた脳組織の代謝を研究したかったようにもとれる。・・・≫
  青年医師連合東大支部編著『現代の医療被害』(1978.8.31.三一書房)は、残念ながら、今現在は新刊書としては絶版になってしまっているようですが、中古書はアマゾンなどでも手に入るようです。青年医師連合東大支部編著『現代の医療被害』(1978.8.31.三一書房)の文章を全部、引用することはできないので、同書からの「台 弘(うてな ひろし)人体実験」についての引用はこの程度にとどめますが、関心のある方は、中古書を購入してでもお読みください。
   なお、「ウテナお子様クリーム」の「(株)ウテナ」と「台弘(うてな ひろし)人体実験のウテナ」は関係があるのかないのかは残念ながら今現在わかりません。「本当にあった笑える話」に、桜木さゆみ さんの漫画に出ていた話ですが、投稿者(女性)が「彼氏」と一緒に道を歩いていたら、「桜木」と表札の出ている家があったので、「彼氏」が「ここ、桜木さゆみ の家じゃないかあ。今、いるかな」と言ってインタホンを押しまくったが、誰もでてこなかった・・と投稿していたが、桜木さゆみ さんが答えていたのは、「そこ、私の家じゃないから」て。そもそも、「桜木さゆみ」というのはペンネームで本名は「桜木」ではないらしい。だから、「精神科医」とはいえ東大医学部教授と化粧品屋というのは近隣業界でもあり、関係ありそうな感じがしないでもないのですが、関係ない可能性だって残っているわけです。

   台 弘(うてな ひろし)は≪ 彼は害があるというのなら害を実証しろというのである。≫というのだが、この理屈というのかへ理屈というのかを、私は慶應大学の一般教養の「化学」の講義で教授から聞いた。清野という教授先生である。「最近、遺伝子組み換えがいかんとか言うやつがいて、やりにくくってしかたがない。文句があるなら実際に問題が出てから言えってんだ騒げばいいみたい思いやがってからに。もしも、遺伝子組み換えがいかんと言いたいのなら、実際に人と猿のあいの子ができてから言いやがれってんだ。そうでない限り、黙ってろ! きみたちも、気をつけて、はっきりと猿と人間のあいの子でもできたのでもない限り、遺伝子組み換えはいかんだのということは絶対に言わないように。」と、そう講義の中でおっしゃったのだ。「なんだ、この男は」と思い、「こんなおっさんの講義なんか受けたくないなあ」とも思ったのだが履修登録をしてしまった後だった。その「文句があるなら実際に問題が出てから言えってんだ」という理屈。「原子力発電がいかんと言いたいなら、実際に原発事故が起こって重大な被害が出てから言いやがれ」というのと同じ理屈である。清野教授の「化学」での話を聞いて、慶應大学という大学はこういう程度の低い教授が多い大学だなあと思って嫌な気持ちがしたのだが、他の大学の教授がことごとくすばらしいかというと、そうでもないので、どの大学がという問題でもないのかもしれない。「実際に猿と人間のあいの子ができたわけでもない限り、黙っていやがれ」という清野教授の主張と台弘の「害があるというのなら害を実証しろ」という主張は共通する姿勢のものである。

   で、日本基督教団 田園調布教会 の南隣の家に恐ろしい名前が表札に出ていました。恐ろしい名前とは、「吉益(よします)」。「台(うてな)」とともに、「吉益(よします)」て苗字もあまり多くない名字ですね。私の苗字もあまり多い方の苗字ではないけれどもないことはない。「吉益(よします)」は私の苗字よりもももっと少ないでしょう。 それが、日本基督教団 田園調布教会の南隣の家とさらにその南の家の表札に出ていた・・ということは、その2軒は親子か兄弟の可能性が低くないと考えていいでしょう。
    「吉益(よします)」という苗字の有名人ですが、これも東大医学部の「吉益脩夫(よします しゅうふ)」。名前の方は「しゅうお」と読むのか何と読むのかと思たのですが、《ウィキペディア-吉益脩夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%9B%8A%E8%84%A9%E5%A4%AB によると、「よします しゅうふ」らしい。けったいな読み方やな。ウィキペディアによると、岐阜県大垣市の出身で、東大医学部を卒業した後、松沢病院に勤務し、東大医学部教授・東大法学部講師・東京医科歯科大教授などを勤めた「精神科医」で、≪ 1899年7月11日 - 1974年7月14日 ≫、78歳で他界したらしい。しかし、東大医学部の精神科には、その後も、「吉益」という苗字の「医師」が講師かなにかでいたはずで、あまりない苗字であることと合わせて考えると、吉益脩夫(よします しゅうふ)の息子か何かが、やはり東大医学部の精神科に勤務していた可能性がある。
    こいつもまた、つくづくけしからん男である。高杉晋吾『頭脳支配-おそるべき精神医療の実態』(三一新書)から引用する。
≪ ・・常習累犯に対する不定期刑は、もちろん、F・V・リストの危険な常習犯の概念を基礎としており、宮内裕 京大教授らが刑法学会(60年5月5、6日)において、「たとえば労働運動の指導者は、オルグ活動や争議指導でしばしば公務執行妨害の罪に問われる。このような場合でも常習犯として不定期刑を課される。労働運動の指導者に限らずおよそ政治犯は確信犯であり、確信犯が累犯を重ねるのは当然で、ここにこの規定の危険性がある。かつての治安維持法にあった思想犯予備拘禁のような状態をひき起こす」と反対論を唱えたのは、けだし当然であった。この点では賛意を表明した佐伯千仭(さえき ちひろ)立命大教授も、こと保安処分となると改悪案に賛成にまわるなど、ことの本質の理解は極めて薄かったのである。
   こうして1963年5月、中垣法相は法制審議会に刑法全面改正を諮問し、この準備草案を重要参考資料としてそえた。
   これに対して1961年4月、日本精神神経学会内の一部分子は「刑法改正問題研究委員会」を組織し、1965年10月「刑法改正に関する意見書草案」(第一次案)を発表した。この第一次案なるものが、実に準備草案さえも顔負けするナチス刑法そのものずばりといったシロモノで、政府案さえもその反動性がかすんでしまう類のものであった。
   すなわち、準備草案にさえ、人権侵害のおそるべきれがあるとして採用されなかった「労働嫌忌者に対する労作処分(強制労働)」、「危険な常習犯人に対する保安監置」、「去勢処分ん」を積極的にうち出したのである。この意見書を提起した「委員会」のメンバーは、中田修 委員長(犯罪学会)、吉益修夫(犯罪学会)、野口普二(犯罪学会、ロボトミーをやっている桜ケ丘保養院長)、樋口幸吉(犯罪学会、法務省)、新井尚賢(犯罪学会、東邦医大教授)、林暲(はやし すすむ)(犯罪学会、神経研究所)等の錚々たるメンバーであった。われわれは、これらのメンバーが精神神経学会をいつのまにか「代表」して策動を始めた背景を、よく銘記すべきであろう。このあまりといえばあまりの意見に、さすがに精神神経学会で反対の意見が嗷々(ごうごう)となり始めた。・・≫
≪ ・・アルジェリア革命の秀でれた指導者であったフランツ・ファノンは、その著書『地に呪われたる者』の一節、“暴力”のなかで、被支配者の意識について、鮮やかに描き出している。この一節は、毛沢東の『湖南農民運動の視察報告』において描出した被支配者の支配者への、方向づけられ、噴出した怒りの爆発、行動への転化の、一歩前の状況の描写である。革命家であり、精神病医でもあったファノンの、原則的な、しかも鋭い視線は、的確な、被支配者の意識の「視察報告」となっている。
   私は吉益修夫氏ら日本の犯罪学者が基本的に生来性犯罪説に傾き、社会的所有制=貧富の差から犯罪が惹起されることを否定し、犯罪の原因を個人の遺伝的・生物学的原因に求め、それ故、社会改革を否定し、犯罪を犯す個人の人格廃絶・肉体的抹殺という刑事政策の泥沼い精神医療を次々と浸蝕させ、ひきずりこんでいく姿を見てきた。 ≫
高杉晋吾『頭脳支配-おそるべき精神医療の実態』( 三一新書)もまた、全文を引用するわけにもいかないので、この本はせっかくの名著であるが、現在、新刊書としては絶版になっているが、中古書であればアマゾンなどでも購入できるので、読まれたことのない方は一読されることをお勧めする。
   インターネットで検索すると、吉益暢夫という名前の「医師」は実在し、吉益倫夫は脳神経外科の「医師」で実在するが、吉益修夫と関係あるのか、それが田園調布教会の隣りかはわからない。

   橋下徹の友人だということで、教諭の資格も持たないし教諭の経験もないにもかかわらず、縁故入社か裏口入学のように大阪府立和泉高校の「校長」になった中原徹という男が、和泉高校では校内暴力や非行などした生徒には、どういう行為をしたから罰則としてどうというのではなく、そういう行為をしなくなるまで停学ということにしている・・と述べていた。「サンデー毎日」か「週刊朝日」かそういうもので見たのだが、その本が手元にないので、文章は末端で違う部分もあるかもしれない。ともかく、中原徹の主張は、たしかに、その加害生徒から被害を受けた生徒の立場からすれば、そういう行為をする可能性がある限り登校させないというのはメリットはあるかもしれないが、しかし、このどういう構成要件に該当する場合にはどういう罰則という罪刑法定主義を否定するものであり、必ずしも確かではない誰かが大丈夫かそうでないか判断(もしくは「診断」)するという主張であり、「保安処分」の考え方と同じであって、相当危険な考え方である。元弁護士であるにしては、人権感覚が鈍いと言わざるを得ない。

   青年医師連合東大支部編著『現代の医療被害』(1978.8.31.三一書房)からも引用する。
≪ 1969年の東大闘争以来、医局講座制の解体と人体実験教授 台弘(うてな ひろし)追放の運動が未だ執拗に続けられている東大病院で昭和48年10月のある日 1枚の告発ビラがまかれた。それは「医療被害をなくする会」と「精神医療を考える市民運動の会・城北ブロック」の市民運動団体によるもので、「東大病院脳外科で検査と称して行われたてんかん患者坂本一仁君(当時11歳)への定位脳手術(ステレオ手術)によって全身運動麻痺、話をすることもできなくされた」という内容で、坂本一仁君に対する人体実験を告発し東大脳外科および東大病院の責任を追及するものであった。
   東大病院では、被害を受けた患者・家族が病院前でビラを配ったり、病院内の壁という壁に医療過誤をおかした医師への怨みをマジックやペンキで書きなぐるといった現象は、東大闘争後の新たな状況としてめずらしいことではない。この1枚のビラも、医学生・医師・看護労働者などに強い衝撃を与え、病院内部からの告発への支持ビラや公開質問状などが多数出されるなかで、前記の二市民団体に医学部学生自治会・東大精神科医師連合が加わって公開討論会が行われることとなった。
   公開討論会では坂本君へのステレオ手術の批判は、まず手術の同意をめぐっておこなわれた。保護者である母は「骨に穴をあけて行う検査」としか説明されていないと主張し、それを裏づけるように看護日誌にも母が入院に際し入院目的をそのように理解していた旨が記載されている。これに対し受持医である吉益医師は、母を何度も呼出したが来院しないので電話で説明して手術の同意を得たと言うのであった。同意をめぐる両者の対立は、本当に吉益医師が電話をかけてきたのか否かということにもまして、電話一本で手術の同意を得ることがそもそも可能かどうかという根本的な差異を示した。どのような外科手術であれ、人体にメスを加えることには変わりはない。・・
   ・・坂本君の手術の場合、母への同意が問題になっているが、本人に対してはどうか、吉益医師は「坂本君は精神薄弱で字も書けないし、子供だから同意をとっていない」という。これは治療者の一方的論理である。坂本君への同意は何によって可能か、ということと、「同意がとれない」人への「実験的治療」は許されるかという二つの重大な問いが発せられる。 ・・
   ステレオ手術は直接目で見ながら手術目標に達するのではなく、気脳像(PEG)や気脳室像(PVG)から間接的に手術目標の位置を求めてこれに手術針を刺入して、しかもこの部位を動物実験やその他の刺激実験で確かめた方法と条件で破壊するのであるから、被術者が覚醒しており、脳座標の標準にちかい構造であることが原則である。東大脳外科は嫌がる坂本君を注射で眠らせ、全身麻酔で手術したがゆえに、誘電発位による位置確認ができず解剖学的な推定しかしていず、それさえも脳室拡大があるため手術には視床内外の他の部位を破壊する危険は十分あったのである。・・≫

   身体医学にも問題点はないわけではないが、「精神医学」の場合、「患者」が不服を述べても受けつけてもらえないという問題、「患者」の家族は必ずしも「患者」の味方ではないという点で、より問題は大きい。

   吉益修夫らとともに、「労働嫌忌者に対する労作処分(強制労働)」、「危険な常習犯人に対する保安監置」、「去勢処分ん」を積極的にうち出した意見書を提起した「「刑法改正問題研究委員会」のメンバーである東京医科歯科大学教授の中田修は、裁判における「鑑定」においても悪行をおこなっているようだ。
≪ 「熊谷連続放火」デッチ上げ事件裁判
  反対尋問の例としは典型的とはいえないが、東京高裁二部で行われた熊谷連続放火事件(被告・水谷和弘)控訴審では、御用鑑定人電話ある中田修を、法廷での尋問を通じ全面的に粉砕した。本事件の一審(浦和地裁)で、水谷和弘の有罪(懲役六年)を決定的にしたのは精神鑑定であった。水谷本人は否認していながら、公判技術上の判断から弁護側が心身耗弱論をとる情状裁判を進めた結果、精神鑑定というワナに足をすくわれたのである。東京医科歯科大 犯罪精神医学教室・中田修による鑑定書は、被告とされた者は犯罪を犯しているという予断を前提に、検事側主張を追認することに専心し、水谷を「非行少年」「精神病質」とまったく一方的かつ無根拠に認定、「家庭が面白くないから火をつけて快をむさぼろうとした」と判断した。その問診は、検事のやり方とほとんど同じであった。
  こうして控訴審では、一審での鑑定をくつがえすことが弁護側反証の主眼の一つとなった。そのために弁護側は、ただちに別の専門医(西山詮)に働きかけ、中田鑑定書の分析を求めた。西山との打合せをふまえ、中田鑑定が精神医学の通常のやり方を越えているものであることなどを学問的に確認した上で、78年6月6日中田の証人尋問を行い、弁護側は圧倒的な勝利を得たのである。そして、78年7月22日20日、中田尋問のあとに西山を証人として法廷に呼び、ダメ押しをしたのである。≫
( 反弾圧・反権力連絡会議 編『権力と闘うための法律知識』1979.1.31.三一新書)

   吉益修夫(よします しゅうふ)の話をこの「田園調布と田園調布の教会」シリーズでとりあげたのは、(日本基督教団 田園調布教会の南側の隣家とそのさらに南側の隣家の苗字が「吉益(よします)」であったからである。そのお宅が吉益修夫の子孫なのかどうかは断定できない。まったく何の関係もない可能性もある。
   漫画家の桜木さゆみ さんの漫画に、投稿者(女性)が「彼氏」と一緒に歩いていたら、「桜木」と表札の出ていた家があったので、「彼氏」が「ここ、桜木さゆみ の家じゃないかあ」と言ってインタホンを押しまくったが、誰も出てこなかった・・という話を投稿していた、桜木さゆみ さんは「そこの家、うちじゃないから」と述べていた。桜木さゆみ さんの場合は「桜木」はペンネームで本名は別らしいから、その家は桜木さゆみ さんの家とは関係ないだろう。それに対して、数年前、野坂昭如『蛍の墓』の舞台でもある兵庫県西宮市のニテコ池に行った際、けっこう大きな家で、防犯カメラがついていて、和風のなかなかの建物らしい家があったが、「松下」と表札が出ていたので、松下幸之助の子孫の方の家かな・・とか思ったが、「松下」という苗字の家は1軒じゃないだろうからとも思ったのだが、帰宅してインターネットで検索すると、どうも、松下幸之助の子孫の方のお家だったようだった。 中田なんて名前は普通名詞のようにいくらでもあるので、東京医科歯科大教授で御用鑑定人の中田修と苗字が同じであったとしても、それでどうということはないかもしれない。しかし、「吉益(よします)」という苗字はあまり多くない苗字である。そして、日本基督教団 田園調布教会の南隣の家とさらにその南の家の表札は「吉益◇夫」「吉益▽夫」であり、「吉益修夫」と苗字が同じであるだけでなく、名前の方も「◇夫」という名づけ方が共通している。田園調布の田園調布駅の西側の道路が放射線状になっている地域というのは、地価も安いはずがない場所であり、東大医学部教授とかが住みそうな場所である。会社のオーナー社長か何かでないと住めない場所であり、東大医学部教授やその子孫が住んでいる場所としてはありうる場所である。さらに、ヤフー地図・グーグル地図で見ると、この2軒の裏のあたりに「医療法人 慈人会」なるものが書かれている。そういったことを考えると、人を殺したり障害を負わせたりして高給とってきた男が建てた家がそれか? という可能性はないとは言えない・・が、はっきりとそうだと断定できる証拠までつかんだわけではないので、断定はしないでおいた方がいいだろう・・けれども、吉益修夫とその子孫の悪魔どもも「患者」をいじめまくって貯め込んだカネで、けっこういい場所にいい家に住んでることだろう。私なんかよりずっといい場所でずっといい家に住んでいることだろう。

   内田康夫『鏡の女』(『龍神の女』祥伝社文庫 所収)では、田園調布の家に住む代々精神科医という医者が、他の女に子供を産ませようとして邪魔になった妻を毒殺する。浅見は「HELP:」という訴えを受けながら助けることができなかったが・・。その「精神科医」は「文瀬」という苗字だが、もちろん、小説の中での苗字である。
   『鏡の女』では、
≪ 「家族はどう言っているのですか? 自殺の可能性については」
「むろん否定していますよ。最初は事故死だということも認めたがらなかったくらいですからね」
「なぜですか? 薬物が原因であることは、はっきりしていたのでしょう?」
「そうなんですがね、心臓衰弱だと主張して、ずいぶんてこずりました。なにしろ向こうは医者ですからね、始末が悪い。奥さんの死よりも家名のほうが大事ということでしょうかねえ」
浅見は怒りが湧いてきた。
「他殺の可能性はなかったのですか?」 ≫
  そして、
≪ それにしても文瀬聖一という人物はいったいどういう職業なのだろう? 不動産会社の社長か、政治家か、医者か、それともパチンコ屋のチェーン店でも持っているのか?
  浅見はいろいろと金儲けと脱税のうまい連中を想定した。そうでもなければ「田園調布に家が建つ」ことなど、あり得ないのだ――と信じている。・・・
  少し先の酒屋で、いちばん安いウイスキーを買った。
「あそこの文瀬さんというお宅、ずいぶん立派なお邸(やしき)ですねえ」
酒屋のおばさんに金を払いながら、ついでのように装って言った。
・・・
「ああ、文瀬さんはお医者さんですよ」
「やっぱり・・・」
「近頃は大金持ちというと医者かパチンコ屋に決まっているって、ほんとですね」
「いいえ、文瀬さんのとこは、先々代さまから精神科のお医者さまですからね、近頃のにわか成金とは違いますよ」
・・・ ≫
≪ 第一、文瀬病院は信用も実績もある格式高い病院である。患者には政治家や財界人が多い。大先生は精神病理学会に貢献した重鎮だし、若先生も東大出のホープである。警察だって、事件捜査の際にはいろいろ世話になっていることが多いのだ。早い話、司法解剖に当たった監察医務院の職員の中には、大先生の薫陶を受けた医師もいるのである。夏子若夫人の「変死」をほとんど病死に近い事故死という扱いで、あっさり処理したのには、そうした背景だって働いていたにちがいない。・・≫
≪ 編集者は浅見のほうが驚くほど乗り気になった。
「それいいですよ。ちょうど、昨日の新聞で医者の所得の記事が出ていましてね。なんでもふつうの医者は、一般給与所得者の七倍程度だが、精神科の医師はその二倍もあるらしい。なぜいま精神科なのか――ってテーマでね」
 浅見はそんな事情はちっとも知らなかったが、それはタイムリーだった。・・≫
( 内田康夫『鏡の女』 〔『龍神の女(ひと)』祥伝社文庫 所収〕 )
   内田康夫の小説は、あくまでも小説ではあるのだが、小説であっても「おとぎ話」のようにありえない話ではなく、実際にそのような話があったとしておかしくない話が多い。『鏡の女』に登場するような「精神科医」もどこぞにいたとしておかしくない。
   内田康夫『シーラカンス殺人事件』では、助教授が桜新町の自宅の裏庭に設けた冷凍庫に遺体を入れて、死亡推定月日をはぐらかす、という話が出る。それもありえそうな話である。
≪ 「・・中西家の敷地は北側にやや広い通りと南側の狭い通りに面しているのです。母屋の裏の部分は以前んは庭として、かんたんな野菜などを作っていましたが、その土地に、数年前、鉄筋コンクリートの建物をつくり、現在は研究室として使っているのです。しかも、その建物には道路から直接入れるようなドアがあり、研究資料の搬入もできます。そして、ある程度は予想していたことですが、ここには、検体を保存するための大型冷凍庫まで備えてあるのです」
「冷凍庫も、ですか・・」
  安倍は溜息をついた。岡部はついに死体の隠匿場所まで発見したのだ。・・≫

  次回、今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_12.html

   (2018.6.1.)


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