大学の入学金を払いに銀行に来た者に、銀行員は「おめでとうございます」と言うべきか?

[第356回]
    3月といえば入学試験の季節、試験が終わると合格発表。 そういえば、東大の合格発表の時に、合格した人間に「胴上げ」をやるのがいいか悪いかなんて話があった。 結論としては、あんまりいい趣味ではないと思う。 そもそも、大学はそこに行って学ぶものであり、そこに入るための試験に通っても、それが目標ではないのだから、「なしとげた」なんて思ったなら間違いだろうし、それより、合格できたという喜びはこっそりとかみしめてこそうれしいもので、人前で胴上げなんてしてもらってもそれで喜びが増えるものでもない。 王貞治は、元野球選手にしては、自民党の暴言政治家はちょっとは見習えばどうかと思うくらい、「勝利監督インタビュー」の答え方は慎重で思いやりのある答え方をする。ワールドベスボールクラシックで、最後の韓国戦で勝った方が優勝という試合で勝った後、「韓国チームは、大変、ピッチャーが良かった。又、守備も良かった。だから、なかなか点を取れなかった」と対戦相手を称える発言をした。2003年、長年、Cクラスを続けた阪神と日本シリーズで対戦して、4勝3敗で勝った後も、「阪神には大変申し訳なかったけれどもね」と発言、たとえ、Cクラスでも阪神を応援してきた阪神ファンの無念な気持ちを王は理解できたんだなと思い、王は、そのあたり、たいしたものだなあと思った。自民党のアホ政治家はちょっとは王を見習ったらどうかと思う。新聞に載っていた話では、王は、高校時代、試合に勝った後、大喜びではしゃいでいた時、兄に怒られたらしい。「負けたチームの人間の気持ちも考えろ」と。 その考え方からすれば、合格発表の時に、落ちた人間だって脇にいるはずなのに、胴上げする人間、胴上げしてもらう人間というのは、あまり、品性のいいものではない、ということになるだろう・・・けれども、私自身の経験、これは合格発表の時に自分の受験番号があった方の経験ではなく、自分の受験番号がなかった時の方の経験からだが、私の経験から言えば、自分の受験番号を捜してもなかった、という時、横で胴上げしている人間がいようがいまいが、そんなことはどうでもよかった。そいつのことなんて考える気持ちはまったくなかった。どのみち、通る人間がおり、落ちる人間がいるのであり、そいつが通ろうが落ちようが、どこかで通る人間がいたのであり、そいつが通っていても落ちていても、自分の合否が変るわけでもないのだから。

   母が90を過ぎるまで長生きしてくれたおかげで、忘れていたことを思いだすこともある。同時に、あれから、もう何十年も経つのに、その時は何らかの事情で正常な判断ができなかったとしても、何十年も経ってまだそんなこと言っているのかと思う時もある。死ぬまでにそれは間違いだとわからせてあげたいと思うものもあるが、この人は、結局、死ぬまで理解しないのだろうなあと思うものもある。私が高校3年の時、上の姉が2番目の子供を出産し、その出産の間、上の子供を我が家で預かった。今、考えると、3歳のチビスケは、預けられるのを嫌がりもせず、1ヶ月以上も我が家で機嫌よく過ごしていた。その間、姪は私のおもちゃになった・・・のではなく、私が姪のおもちゃになった・・・ようだった。しかし、預かってもいいが、当たり前みたいに子供を妻の実家に預けるおっさんというのはどうだろう。夫婦というものは結婚するからには、そこからは何があっても自分たちで解決していくというのが基本のはずだ。ひとに助けてもらって悪いということはないが、助けてもらって当たり前と考えるべきではないのではないか。又、預かってもらうという時、妻の実家に預かってもらうのが当然というオットの親の認識もいかがなものか。子供を預かって悪いということはないが、「当たり前」ではないということは理解してもらわないといけないし、もし、理解せずに「当たり前」と思っているようなら、たとえ、預かることができたとしても断るべきではないか。そのあたりについて、私の両親が理解できていたかというとできていなかった。父は最後まで理解することなく、「わしほどえらい人間はおらんねんぞお」と言い続けて他界した。母は父のようなことは言わないが、おそらく、最後までこのあたりについて理解できずに、いつか、天国かなんかそんな所へ行くことだろう。私は、もともとは、「世間知」みたいなものはない方の人間だったが、けっこう痛い目にあって、いくらかそういうものを身につけたので、ここでこのようなことを述べる能力がある。
   高校3年の時、上の姉が二番目を出産して、一番目の子供を預かったが、同時に、下の姉が結婚したものの、肝臓を悪くして、我が家の近所の病院に入院することになった。 母は「あんたの受験で大変な時なのに、子供を預けられて、A子まで体を悪くして世話させられた」と何度も言った。私は、私が大学受験だからといって、母に特に何かしてもらいたいとは思わなかったし、何か特別のことをしてくれなどと言ったことはなかったのだが、母は「大学受験の時には、本人は勉強すればいいし、父親は会社に勤めにいくから気がまぎれるけれども、母親だけはやることないから一番大変なんや」と言ったのだが、大学受験の時に母親は「やることがないから一番大変なんや」というのなら、座禅でもしたらどうなんだ? とか思ったりもするが、そういうことを言うと怒るので言えない。
   私が「大学生」になった時、母は「気分転換に行ったろと思って」とある会社のパートの応募に行くと、面接でものすごい感じ悪かったと言ったのだが、言うと怒るから言わなかったが、私が採用担当でも断ると思った。それまで専業主婦でずっとやってきた人に「気分転換にでも行ったろ」なんてそんな気持ちで応募されても迷惑なんだよ・・・と思ったが、言うと怒るので言わなかった。
   姪は我が家に預けられて、1ヶ月余り、けっこう機嫌よく過ごした。姪は我が家の近くの病院で生まれて、最初1ヶ月ほど我が家で過ごした子供なので、よその家に預けられたという意識はなかったようだ。なにしろ、遊び相手にちょうどいい(?)高校生もいたし。 しかし、肝臓を悪くして入院した下の姉の方は、結婚してすぐに内臓を悪くしてしまったということで本人はつらかったのではないか。私は、病院に何か持って行く用事があるなら、持って行くなりしてもいいと母にはっきりと言ったのだが、母は「受験生にそんなことさせられません」と言いまくり、そう言いまくることで自分は大変なんだとアピールしたかったようだ。「受験生」にとっては、一度や二度、病院に往復したとしても、その時間が取られるだけであって、どうってことなかったが、「私は、あんたの受験で大変なんや」と言いまくられることが、私にとっては精神的に大変だった・・・・が、「病院に持って行くものがあるなら持って行ってもいい」と何度も言ったし、「私に特に何かしてもらわなくてもかまいません」ともはっきりと言ったが、母としては「私はあんたの受験のおかげで大変なんや」と言いまくりたいという欲求があって、その欲求のためには、何としても「あんたの受験のおかげで私は大変なんや」ということにしなくてはならなかったし、その為には「あんたのおかげで私は大変な目に合わされてるんや」ということにしないわけにいかなかったようだ。
   そして、下の姉が退院して我が家で療養するようになると、母は実際に「大変」なことをやりだした。これも、父は我が家で預かるのが「当たり前」みたいに預かったが、夫婦というものは、いったん、結婚したなら、片方が健康を悪くしたならもう片方がなんとかしていくのが基本であり、オットは妻の実家に妻を預けて「何とかしてもらう」というのが基本ではないと思う・・・し、もし、これも「当たり前」と思っているのなら、そうではないと思うぞということを父親は示さないといけない。又、夫の親の認識もまた、嫁というものは健康であるべきもので、結婚後に嫁が健康を害したならば実家が引き取って「修理」して健康な状態にして戻すのが当然・・などと思っているなら、その認識は違うと思うぞ! という姿勢を示さないといけないと思うが、父はそういう対応のできない男だった。
   我が家では、上の姉は「父の同盟者」であり、下の姉は「母の同盟者」だった。母が「嫁入り」した時、我が家では、「父と祖母」対「母と祖父(母からすれば義父)」という構図があったらしい。父は祖父とは口をきかない男で、祖父と祖母は必ずしも仲は良くなかったらしい。祖父(母からすれば義父)は母には優しかったそうだが、母は祖母には「いじめられた」そうだ。 母にとって「かわいがってくれた」義父が結婚して5年後くらいに他界し、「父と祖母と上の姉」対「母」になり、母は弱い立場になったが、下の姉は「父と祖母の同盟者」という有利な椅子は上の姉が取っていたので、しかたなしに次の椅子である「母の同盟者」の位置をしめた。そして、祖母が他界した後は、「父と上の姉」対「母と下の姉」という構図が我が家にはできた。その下にできた息子はどうなったかというと、この構図からははずれて、「支配されるための民族」という立場になった。父は毎日私に言っていた。「天の神様は大変賢明なお方であって、この世の中はひとを支配したり命令したり号令をかけたりする人間ばっかりでも成り立たないし、ひとに支配されたり命令されたり号令かけられたりする人間ばっかしでもいかんのや。そやから、神さまはこの2通りに人間を分けてお造りになっておるんや。民族でもそうやろ、ドイツ人とかアメリカ人というのはひとを支配したりひとに命令したり号令かけたりするための民族。チャンコロは常にひとに服従しひとに命令されるための民族。チャンコロはひとに命令されたり号令かけられたりすることを喜ぶ民族。人間もそうや。わしとかT子さん(上の姉)はドイツ人やから、常にひとに命令しなければならない、ひとに号令かけなければならないと神さまから命じられてこの世の中に生まれてきたんや。それに対して、あんたはチャンコロとして神さまに造られた民族。即ち、服従することを喜ぶ民族、命令されたり号令かけられたりすることに喜びを感じる民族なんや。わかっとんねんな、チャンコロ。おまえはチャンコロやねんぞ、チャンコロ」と言い続けた。上の姉は父のそういう思想・世界観・人間観をよく知らずに育ったと思うが、その意識は身についていたようで、「黙れ、チビスケ」と私に言うことがあったが、それは何十年も昔の話。下の姉は下の姉で、「あんた、何で私の言うことをきかないの」と言うことがあった。なるほど、「言い得て妙」かもしれない。「ドイツ人」は自分たちは支配するための民族・号令かけるための民族であると意識しているので、「チャンコロ」に命令するわけだ。「日本人」はそれを見て、「日本人」だって「チャンコロ」を支配していいではないかと考える。「チャンコロ」が「ドイツ人」には服従しても「日本人」に服従しないとなると「日本人」は怒るのだ。「なんで、私の言うことはきかないの」と。「日本人」は三国干渉によって、「ドイツ人」は「チャンコロ」を支配する権利が認められているにもかかわらず「日本人」が「チャンコロ」を支配する権利を奪われたのが不服だったのだ。我が家はそんな構図の家庭だった。
   私が高校3年の時、「日本人同盟」は「ドイツ人」に対抗しようとした。「対抗」なのか「反逆」なのか「反抗」なのか「反攻」なのか、最適な用語が見つからないが、何かそんなところだ。 母は離婚すると言い出した。たぶん、本気じゃないだろうなとはなんとなく思った。なぜ、「たぶん、本気じゃないだろうな」と思ったかというと、母が離婚すると言い出したのはこの時だけではないのだ。私が小学校に行く前にも言い出した時があったのだ。その時、どうなったかというと、夜、なぜか、上の姉が私に「あんた、お母さん、迎えに行くか」と言い出したので、「どこに言ったの?」と言うと、上の姉が「行っておいで。迎えに行っておいで」と言い、父が「一緒に迎えに行こう」と言うので、買い物に行って荷物でもあるから父が迎えに行くのに同行しろということかと思って行ったのだが、どうやら、母は離婚すると言い出したようで、それを迎えに行かされたようだった。そして、私は言われたのだ。「離婚したかったのに、あんたのために離婚できなかった」と。母は離婚すると言い出したのを引っ込めるために幼稚園児だった私を使ったのだ。父は自分がひとりで行っても母は戻ってこないと思うから、帰らせるために幼稚園児の私を利用したのだ。そういう経験があったから、今度もかな? という意識はいくらかあった。
   母は「私はこの子が成人したら離婚しようと思って我慢してきたのに、こいつ、いくら待ってもハタチになりよれへん」と言って怒るのだった・・・・が、生まれて17年しか経たない息子が20歳にならないと息子に怒っても、どうしろっての? なぜ、あと3年早く産まなかったの? というより、母が言うには私が生まれる前、下の姉が生まれた後、何度も妊娠してそれを人工中絶で何度も流したというのだ。そのたびに父に怒られたという。「まったく、この女はほんまにはらんではらんでしかたのない女やな、ほんまにもう、難儀な女やなあ、ほんまに~い」と。「どうしようもないな、この女はあ。産む産むの女。はらむはらむの女。どうしようもないヤツやなあ、ほんまにい」と。人口中絶で何人も流したが、中絶でふらふらで体が思うように動かない時、父から「困った女やなあ、こいつはほんまにもう~お」と言って怒られたというのだ。私が生まれて17年経つのにハタチにならないと母は私に怒ったのだが、それなら、その人工中絶で流した子供の方を産んで私を流せば良かったのだ。なぜ、私を流さなかったのだ。父は「生まれなければ良かったのにおまえが生まれたおかげで、わしは迷惑しとるんじゃ、このチャンコロめが。よくも、産まれやがってからに、このチャンコロめがあ」と私の鼻の頭を指さして何度も何度も言い続けただが、それなら産まなければよかったのではないのか・・・というよりも母が妊娠するような行為をおっさんがしなければよかったのではないのか?・・と思った。「産まなければよかったのと違うのですか」と父に言ったことがあったが、「何を言うとるんじゃ、このチャンコロ。生まれなければよかったものを産んでやってやってやってやったったんじゃ。感謝しろ、チャンコロ」と父は言うのだった。そして、「女に産んでもらったなんぞと心得違いを起こしてはならぬぞ、チャンコロ」と言うのだった。「女は単なる畑であってやなあ、畑に種を植えてやってくださっていただいたお方のおかげで生まれることができてんぞ、おまえは。畑に感謝すんのと違うねんぞ。種を畑に飢えてやっていただいてもらってくださってあげてやってやってやっていただいたお方に感謝すんねんぞ、チャンコロ」と言うのだった。しかし、そんなに生まれて迷惑なものなのに、なぜ、種を畑に植えたのだ? なぜ、「生まれなければよかった」ものを産むのか今もよくわからない。
   母が離婚するなら離婚してもらってもいいと私は思った。離婚しようが再婚しようが本人がいいようにしてもらうしかない・・・・が、母はそれではすまないようだった。「私は、こいつがお父さんに似てくるのが腹立つんや」と言うのだ。 そんなこと言われても、そのおっさんの息子なんだから、似るところがあってもしかたないではないか。嫌なら、そのおっさんの息子を産まなければいいのだ。産んだのは誰なんだ。自分だろうが。
   母は「こいつの血を全部ぬいたろと思うんや。お父さんの血を引き継いでるから似て来るんや。こいつの血を全部抜いたら人間が変ると思うんや」と言った。えらいこと言いよるなあ・・と思ったが、要するに、母は私が嫌だったのだ。母は私ではなくよその息子を欲しかったのだ。母は「親というものは、自分の子のことをよその息子よりいいようにいいように思うものなんやからなあ」と言うのだったが、我が家の親については、よその息子・娘のことをいいようにいいように思っているとしか思えなかった。 父は私の鼻の頭を指さして毎日言った。「よくも、産まれてきおってからに」と。「生まれなければよかったのに」と。父はそう思っていたようで、思った通り口にしたのだが、母は「生まれなければよかったのに」とは言えなかったが、「こいつの血を全部ぬいて血を入れ替えたったらええと思うんや」と言ったように、母は私が嫌だったのだ。高校の2年になってすぐ、5月の初めの遠足が雨で中止になって、かわりにクラスのコンパがあった時、私がそれに参加して帰ってくると、同じ中学校から同じ北野高校に行ったN口という男が同じクラスにいたのだが、母は「N口は行ったのか」と言い、その時、たまたま、N口はそのコンパには行かずに誰かと他の所に行ったようだったのだが、「なんで、N口が行かないのにあんたは行ったんや」と言うのだった。情けなかった。母は私は嫌で私は息子として要らなくてN口が欲しかったのだった。コンパでも何でも、自分が行こうと思えば同級生の誰やらが行かなくても行けばいいし、自分がやめておこうと思えば同級生の誰だかが行っても自分は行かなければいいと思うのだが(同級生の誰かが行くから自分も行く、そいつが行かないから自分も行かないなどというような独立自尊の精神の欠如した態度では情けないと思うが)、我が家はそうはいかなかった。N口が行けば私がやめておこうと思っても行かなければならなかった。N口が行かなければ私が参加しようと思っても行ってはならなかった。そんなに嫌な息子なら産まなければよかったのにと思ったが、母からすれば私ではなくよその息子が欲しかったようで、そのひとりがN口だったようだ。なぜ私を産んだのだ? 私を産まずにN口を産めばよかったのに。なんとも、親不孝な子供だ。N口に生まれれば母は喜んだのに、私に生まれてしまった。「生まれなければよかったのに、生まれなければよかったのに」と父は毎日毎日私の鼻の頭を指さして叫んだ。「よくも産まれやがったな、チャンコロめが!」と。
   母は、父の血が私に流れているから、だから、「こいつは将来、女を泣かせるから、だから、絶対に現役で大学に合格させてはいかんのや」と言うのだった。特に、「東大なんかに現役で合格されると、女を泣かせる男になるから、こいつ、絶対に落としてやる」と言うのだった。「こいつ、勉強すんなああ~あ!」と言って、夜、自分の部屋で学習していると、後ろからやってきて、服の襟とかをつかんで、「勉強すんなあ、こいつう~う」と言って椅子から引きずり落とした。 これでは勉強なんてできないと思って、母の手を引っ張って部屋の外まで連れていくと、「怖い、こわい、怖い。こいつに暴力ふるわれたあ~あ。お父さんの息子だけあって、母親に暴力ふるいよる。こいつ、怖いこわい怖い~い」とか言うのだった。洗面所にあったブレーカーで私の部屋の電気を落として照明がつかなくする。さらに、箒を持って来て、「こいつ、勉強すんなああ~あ」と言ってボコボコ殴る。その上で、「お~っと、怖いこわい怖い~い」と言って逃げる。さらに、箒をもってきて「こいつ、勉強すんなあ~あ!」と叫んでボコボコ殴る。まさに、「受験で大変やった」というだけあって、「大変」な大活躍だった。 これでは家で勉強なんてできないと思って、高校の図書館で学習して帰ると、インタホンを切って鳴らないようにして、家に鍵をかけて入れてくれない。自分が家に入れないようにしておいて、高校に電話したり姉に行かせたりして、「息子が帰ってきませんねん」と言ったりする。まさに「受験で大変だった」と言うだけあってものすごい大活躍だった。
   そして、父と「別れる」と宣言した母はどうしたのかというと、私が浪人したことにより、「あんたが大学に行ったら離婚しようと思っていたのに、あんたが浪人したおかげで離婚できんようになってしもうた」と言って、離婚はとりやめになった。まったくつくづく親不孝な息子である。「生まれなければよかったのに」。 父はどうしたかというと、父もまた母と同様のことを言った。「こいつのおかげでえらい目にあわされた」と、父はそう言ったのだ。二人してそう言って、そして、父と母は和解した。なんだか、簡単に和解できるようだった。ともかく、「こいつが悪いんじゃ。こいつがあ」と父は言ったのだった。「こいつ」が浪人したおかげで、父も母も「迷惑した」のだった。私としては離婚したければ離婚してもらってもよかった。むしろ、私を理由に離婚すると言い出したり、離婚を取りやめたりしないでほしかった。
   「離婚する」と言い出すのは、これは、刀を抜く行為に似ている。刀というものは、いったん、抜いたなら、抜いた刀で相手に切りかかるか、それとも、抜いた刀を鞘に納めるか、どちらかしなければならない。ところが、切りかかる意志もなく抜いてしまう人がいるようなのだ。切りかかる意志はないのに抜いてしまったなら、鞘に納めるための理由が要る。息子というのは、そういう時に使うのに何とも便利な存在である。私は、抜いた刀を鞘に納めるための理由として二度使われたのだ。私は、離婚しようがしまいが自由にすればいいと思ったが、抜いた刀を鞘に納めるための口実として使われるのが嫌だった。「こいつのおかげで離婚できんようにされてしもうたあ」と。まったく、つくづく、けしからん息子である。産まなければよかったのに。

   母は浪人中もずいぶんと様々な妨害をした。母は「一流大学」に行くと男は「女を泣かせる」と思ったようで、「こいつ、何としても落としてやる」と何度も言っていた。父は「すべてを親コッコッコのためにささげ尽く~す。とってちってたあ」と毎日言っている男だった。私はそういう大学にだけは行かされてなるものかと思ってきた。中学生の時、下の姉が「お見合い」をして、最初、その人と結婚すると言ったものの、途中から嫌だと言い出した時、父は下の姉に「おまえとあの男と学校はどっちが上か下かあ! おまえは◇◇短大しか出てないだろうが。あの男は関西大学卒やぞお。おまえよりも上の人間だろうがあ! 短大しか出てない女が思い上がるなあ! 自分と相手とどっちが上か下か。 おまえの方が下だろうがあ!」と何度も何度も言っているのを聞いた。それを聞いて、私はそういう「上か下かあ」という大学だけは行かされたくないと思った。「会社っちゅうところではなあ」と父は言っていたのだが、私は「会社っちゅうところ」にだけは勤めたくないと思った。「上か下か」という思考しかできない人間というのが嫌いだった。「上か下か」という思考が好きな人間が好む大学というとこれは何と言っても「慶應の経済」と「神戸大の経済」である。父は自分がそこに行きたかったらしい。そこに行きたかったけれども、行けなかったらしい。私は首をもがれてもそういう所に行かされるのだけは嫌だった。「おまえとあの男は、どっちが上か下か」というそういう思考をする人間が嫌いだった。結婚するのに、上だの下だのという思考をする人間というのが嫌いだった。だから、経済学部・商学部・経営学部という学部だけは首をもがれても行かされたくなかった。そういう所に行かされるのが嫌だから小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたはずだった。父を見て、勤めるなら「会社ちゅうところ」でない所に勤めたいと思った。だから、学校の先生になって「学校」という所に勤めるとか、公務員になって「役所」という所に勤めるとか、裁判官になって「裁判所」という所に勤めるとか、弁護士になって「法律事務所」という所に勤めるとか、公認会計士になって「会計事務所」という所に勤めるとか、医師になって「病院」という所に勤めるとか、ともかく、「会社」でない所の方がいいと思うようになった。しかし、父からすれば、「会社に勤めるのを嫌がるようなヤツはモラトリアム人間病という病気にかかっとる甘ったれた人間なんや。慶應大学の小此木啓吾先生というエライ先生がそうおっしゃってる」と言うのだった・・・・が、それなら、「会社っちゅうところ」に勤めるのは嫌だということで「病院ちゅうところ」「大学ちゅうところ」に勤めていた慶應大学医学部助教授の小此木啓吾こそ、誰よりもモラトリアム人間病という病気にかかっている「甘ったれ人間」であろうが。小此木啓吾こそ、モラトリアム人間病である! 小此木啓吾こそ、「治療」してやる必要がある! 薬漬け療法(「薬物療法」「化学療法」)とか逮捕監禁療法(「入院療法」)とか強制労働・労働搾取療法(「作業療法」)とか、大脳破壊療法(「精神外科」「ロボトミー」など)とか、言いくるめ・精神支配(マインドコントロール)療法(「心理療法」「カウンセリング」)とか、次々と小此木啓吾にやって「治療」してやった方がいいのではないか!?! その方が「本人のため」であろう!

    慶應大学には経済学部と商学部がある。内部進学の人は商学部を敬遠し、経済学部に行きたがる人が多い。経済学部に行った人間には経済学部の方が商学部より上だと思っている人間がいたが、商学部の先生が言われるには、慶應の商学部は何もない所に新しく作った学部ではなく、もともと「理財科」と言っていたものを東大などの国立大学と学部名を合わさないと大学と認めてもらえない時期があってその時期に「経済学部」と改名し、戦後、学部の定員を増やそうという話が出た時にいっそ学部を2つに分けてはどうかということになって、経済学部を、他のものも扱うが経済学を中心に学ぶ「経済学部」と、経済学も学ぶが経営学・商業学・会計学などの方に重心がある「商学部」とに2つに分けたのであり、経済学部が理財科の後身で商学部は新たに作った学部ではなく、経済学部と商学部の両方が「理財科」の後身だそうだ。神戸大の場合は、経済学部と経営学部があって商学部はない。これは、慶應では経済学も学ぶが経営学・商業学・会計学などの方に重心があるという学部に「商学部」という名称を付けたのに対し、神戸大は「経営学部」という名称をつけたのだろう。大阪市大には経済学部と商学部と経営学部があるが、これは慶應大や一橋大・神戸大が2つに分けたものを3つに分けたのだろう。東大には経済学部はあっても経営学部や商学部はないが、経済学部に経済学科と経営学科があるらしい。面白いのは・・・というのか、面白いかどうかわからないが、オーナー経営者の会社のオーナーの息子が東大に行った場合、経済学部でも経済学科ではなく経営学科の方に行きたがる(行かせたがる?)傾向があるのに対し、慶應大に行く場合には、東大なら経営学科は慶應大の商学部に該当し、慶應大の経済学部は東大なら経済学科に対応するはずなのだが、オーナー企業の社長の息子が慶應大に行く場合には、商学部よりも経済学部の方に行きたがる(行かせたがる)ことが多いという点である。どうも、そういう人は「名前を欲しがる」ようだ。慶應の商学部は何もないところに新たに作った学部ではなく、「理財科」と言っていたものを「経済学部」と改名して、それを2つに分けて「経済学部」と「商学部」にしたのであって、経済学部が理財科の後身ではなく経済学部と商学部の両方が理財科の後身だ・・と言っても、昔からあるものを2つに分けて、片方に昔からの名前をそのままつけて、片方に新たに別の名前をつけると、昔からの名前を名のっているものの方がいいみたいに思えてしまう・・と考えて、「名前をとる」という選択をするのだろう。商学部の方が経済学部よりも進級するためのノルマが厳しいという説もあり、だから、内部進学の人は進級のノルマが商学部よりも緩い経済学部に行きたがるという説もある。又、内部進学の人間というのは「何かと群れたがる」「何かと、まとまったりまとめられたりするのが好き」であり、それゆえ、経済学部でまとまりたがる傾向があるのかもしれない。そういう選択をする人、「何かとまとまったりまとめられたりするのが好き」という人のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「福沢精神」とか言うらしい。なんで、それが「独立自尊」なんだ? とか思ったりもするが、それを口に出して言うと「自我が確立されていない」とか「わざわざ無理して逆らってる」とか「独立自尊の精神がない」とか「なんとかシンドローム」とか「診断」されるおそれがある。怖いから黙っていた方がいい。経済学部は3分の1は内部進学らしく、逆に商学部は慶應大の学部の中では最も内部進学の割合が少ない学部になっているようだ(私が卒業した後からできた藤沢の新しい学部とか、共立薬大と合併して慶應大薬学部になった薬学部とか、もともとは医学部付属の看護学校だった看護学部とかはどうなのか知らんで)。だから、大学だけ慶應大に行く人間にとっては、経済学部よりも商学部の方がいくらかなりとも「住みよい」かもしれない。

   結局、2浪もしても、東大の試験に落ちてしまった。本郷キャンパスに合格発表を見に行った時のことは今も覚えている。自分の受験番号はなかった。ないと困る・・のだが、それでも、なかった。何度見ても、なかった。しかたがないと思って、といっても、「しかたがない」と思えないのだが、それでも、なかった。立去って、やっぱり、もう一度、確認しておこうと思って、戻って見ても、それでも、なかった。
   ・・・こういう時のバックミュージックとしては、ロシア民謡の「バイカル湖のほとり」なんてのが向いているかも・・・なんてのは、後から思った話。その時はそんなこと考える余裕はない。
※ 「バイカル湖のほとり」⇒《YouTube―По диким степям забайкалья Xор им. Пятницкого Pyatnitsky Choir 》https://www.youtube.com/watch?v=jB5MMfCpj88 

   慶應みたいなもんに行かされるくらいなら、大学は行かない方がいいと思ったし、私は父にはっきりとそう言ったが、認めてもらえなかった。慶應大の商学部の入学金と学費は、東京都港区の三田、電車の駅では、JR山手線・京浜東北線「田町」、都営浅草線・三田線「三田」駅の近くの三菱銀行(現 三菱東京UFJ銀行)三田支店だったか田町支店だったか http://map.bk.mufg.jp/b/bk_mufg/info/BA590437/ 、http://map.bk.mufg.jp/b/bk_mufg/info/BA591987/で支払うことになっていた。あんなに努力したのに・・・・とも思ったし、慶應なら浪人なんかしなくても高校卒業する年に通ったのではないかとも思った。
   三菱銀行三田支店は怪人21面相でおなじみの森永のビルにあった。今もあるはずだ。

( ↑ 怪人21面相と安倍晋三の嫁の実家として おなじみの 森永のビルにある三菱東京UFJ銀行の三田支店・田町支店)
三菱銀行三田支店だか田町支店だかに行くと、若い女性の行員が「おめでとうございます」と言ったのだ。ちっとも、めでたくないのに。嫌だった。なんで、この女、ちっともめでたくない人間に向かって、「おめでとうございます」なんて言うのだろう、嫌がらせか? と思った。ところが、父はそう言われてうれしかったらしい。銀行から出ると、「さすがは三菱銀行。あの行員。ようしつけてある。よう社員教育が行き届いている」と言ったのだった。そういうおっさんが嫌だった。
   「教育」とは何か。それは「教え、育てる」ことのはずだ。「よう、しつけてある」というのは、それは「教え、育てる」こととは異なる。むしろ、逆のものだ。カール=マルクス『ドイツ イデオロギー』には「人間による人間の加工」という言葉が出てくる。「教育」とは「人間による人間の加工」なのか、「教え、育む」ものか。毛沢東は『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』で、「敵味方間の矛盾」と「人民内部の矛盾」の処理の仕方は異なることを述べている。「敵味方間の矛盾」は闘争によって処理するしかないが、「人民内部の矛盾」は「批判、自己批判、説得、討論、学習といった民主的な方法」によって解決されるべきもので、決して「人民内部の矛盾」を「敵味方間の矛盾を処理する方法」で処理しようとしてはならない、と述べる。「教育」は「人民内部の矛盾を処理する方法」、即ち、「批判、自己批判、説得、討論、学習といった民主的な方法」によっておこなわれるべきものであり、「敵味方間の矛盾を処理する方法」でおこなわれるべきものではないはずである・・・が、「よう、しつけてある」といった表現で言われる「社員教育」というものは、これは、どう考えても、その「社員教育」というものは民主的な「教育」によるものではない。父は「わしはドイツ人でアメリカ人やねんぞお。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ。チャンコロとは民族が違うねんぞ、チャンコロ。チャンコロとは階級が違うねんぞ、チャンコロ」と私に毎日毎日言っていただけあって、「しつける」という「社員教育」がなされる時、自分はあくまでも「しつける」側、「社員教育」する側であって、自分が「しつけられる」側、「社員教育」される側になるなんぞということは絶対にありえないと考えていたようだった・・・が、なにしろ、私は「おまえはロスケでイタコでチャンコロじゃ」と父から毎日言われてきた人間であり、父とは「民族が違うねんぞ」「階級が違うねんぞ」という人間だったので、「ドイツ人」から「しつける」という行為をされることには苦痛を感じた。そもそも、ひとを「しつける」ということをやりたがる人間こそ、その貧相な人間性を「教育」される必要があるのではないか、「批判、自己批判、説得、討論、学習といった民主的な方法」により、その貧相な人間観・貧相な人間性を改善した方がいいのではないか。
  私は、結局、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に行って、ともかく、「大卒」の肩書を取得するためだけに卒業した。卒業してみると、そこで学んだものもないわけではないことを認識したが、しかし、今、思っても、そこの大学・学部が一般にいいか悪いかにかかわらず、本人が嫌だと思う所に無理矢理行かせるというのは、どう考えてもいいことない、そこに行きたいと思う所に間違いなく行ければいいけれども、行けないならそれならそれで、比較的本人の希望に近い所に行けるようにすれば「終戦」としては比較的成功だと私は思うが、しかし、「ドイツ人」の父は「無理矢理やる」のを好ましいと思ったし、父は昔から「無理矢理やるのが好きなタイプ」だったので、「お願い、そこだけはイヤ!」「そこだけはやめて!」なんて言おうものなら、なにがなんでもそこにやりたくなる人間だった。「教育」だって、「無理矢理やる」のが効果的だからではなく、「無理矢理やる」ことに快感を覚えるタイプだったと思う。そういう人というのが、世の中にはいるものだ。
   私は、「教育」というものは「批判、自己批判、説得、討論、学習といった民主的な方法」によるべきものだ、と思っていたし、今も思っている。「無理矢理やるのが好きなタイプ」という人間は好きではない。

   日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に行かされて、しばらくした時、横浜市港北区の慶応大日吉キャンパスの近くに日吉台学生ハイツというのがあったのだが(インターネットによると、2017年3月になくなったらしい)、

( ↑「旗」マークが「日吉台学生ハイツ」があった場所。 日光の手前=「今市(いまいち)」 )
食堂で食事をしていた時、向こうの方のテーブルに桃山学院高校卒http://www.momoyamagakuin-h.ed.jp/ で慶應大商学部に在学していた I 上(男。当時、20代前半)がその仲間の男2人と一緒にいた。そいつらが、こういうことを口にしていた。「慶應の学校の名前さえ出せば、女なんか、いくらでも手にはいる。今度、電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を顔の前に突きつけて、水戸黄門みたいに『これが目に入らぬか』と言ってやろうか」と。あきれた。情けない連中だと思った。なんて下劣な男どもだと思った。私はそういうアホウの行く大学には行かされたくないと思って努力して勉強してきたのに、こんな程度の低い人間と同じ大学に行かされてしまった。だいたい、おまえら、学校の名前以外にとりえないのか?!?
   加藤登紀子が東大に行きたいと言った時、お父さんが「東大なんて、女にとっては墓場みたいなもんだ」と言い、男なら東大に行っていいけれども、女が東大に行ってもいいことないぞと話したが、加藤登紀子はそれでも東大に行きたいと思って行ったらしい。私は男でも女でもけっこうそういう人間が好きだ。 慶應大の理工学部に来ていた女性で、高校の担任の先生が「おまえ、女なんだから、東大なんて受けずに御茶ノ水くらいにしておいたらどうだ」と言ったので、絶対に東大に行ってやると思ったが、落ちたので慶應に来た、と言っていた人がいた。 私も、哲学科に行きたいと言うと、姉が「あんた、哲学科なんて言ったら、お嫁さんにくる人ないよ」と言ったので、それなら絶対に行ってやろうではないかと思ったことがあった。そもそも、男性を大学の名前だけで判断するような、そんな女は、たとえ、女の方がいいと言ってもこちらがお断りしたい、と私は思っていた・・のだが、桃山学院高校→慶應大商学部の I 上は、「慶應の学校の名前さえ出せば、女なんていくらでも手に入る。今度、電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を顔の前に突きつけて、水戸黄門みたいに『これが目に入らぬか』と言ってやろうか」などと言って喜んでいたのだ。高校3年の時、母が「東大に行くと、思い上がった人間になって、女を泣かせる男になるから、こいつ、絶対に落としてやる」と何度も言っていたのだが、それは違うと私は思った。むしろ、「女たらしの大学」慶應の方が「女を泣かせる」男が多いのではないかという印象を私は受けていた。東大に行けるだけの勉強をしてきた人間、それだけの努力をしてきた人間が、なぜ、「女を泣かす」のかわからなかった。学問は学問に励めば励むほど謙虚になるものであり、東大に行くだけの学習を積んだ人間が「思い上がった人間」になるという母の主張はおかしいと思った。むしろ、「慶應ボーイ」などと言って「なんや、鼻の下の長いにやけた・・・」というイメージの慶應の方こそ、「女を泣かす」男が多いのではないかと思っていたのだが、やっぱりそうだった! と思った。慶應大学の学生でも、大学だけ慶應に行ったという人間には、私と同じように感じた人間はけっこういたようだ。「慶應の出身者とか慶應の学生で、『東大に行った人間は自分のことをエライと思いあがっている』とか『学校を自慢したがる』とか言う人がいるけれども、実際にはそれは東大の人間よりも慶應の人間の方にあてはまることだ。慶應の人間の方がよっぽどそんなところがある」と言う人はけっこうあった。私もそう思った。もうひとつ、大学の名前が入ったトレーナーというのを矢鱈と外で着たがる大学生の多い大学は1に早稲田、2に慶應。球技などのスポーツの試合でどちらの選手かわかりやすいように学校名の入ったユニフォームを着るのは悪いことではないが、必要もないのに学校の名前をいちいちひとに見せたがる人間というのは愚かであろう・・・と思うのだが、その愚かなことをやりたがる人間の多い大学が1に早稲田、2に慶應であった。桃山学院高校卒の I 上らの態度を見て、やっぱり、慶應の人間の方が「思い上がった男」が多く、慶應の人間の方こそ「女を泣かす人間」であろうと思い、↑の井上らのことを母に話した・・ところ、母はこう言ったのだった。「そう~お。私、そういう人、好き! ものすごい好き、だ~い好き~い! べ~ロべ~ロベエ~エ!」と。母はそういう男が大好きらしい・・が、私はそういう男が嫌いだ。私はそういう「慶應ボーイ」が嫌いだ。私はそういう「慶應タイプ」が嫌いだ。その男 井上は小学校の時も中学校の時も高校の時も私よりも成績は悪かっただろうけれども慶應大には私より先に入って先に卒業して、おそらく私よりずっと出世してずっと高い給料を取っているだろうし、その点で女性にとっては私なんかより彼の方が「でも、結婚するにはいいかもしれない♪」が、そうであっても、母はそういう男が「だ~い好き~い」だそうだが、私はそういう男が嫌いだ。そういう男は好きになれないし、そういう男がいいと思う女も嫌いだ。「電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を顔の前に突きつけて、水戸黄門みたいに『これが目に入らぬか』と言っ」たとして、それが通じるのか通じないのか私は知らないが、通じても通じなくても、もし実際に女性に言うわけでなく自分たちの間で話してみただけでも、そんな文句が口から出るような男というのは、私は昔も今も嫌いだ。

   銀行の話に戻ろう。三菱銀行三田支店の若い女性行員は、私にこう言ったのだ。「おめでとうございます」と。 つくづく、嫌だった。そう言われるのが嫌だった。ちっともめでたくないのに、「おめでとうございます」と言われるのがつくづく嫌だった。
   好きな大学であれ嫌いな大学であれ、ともかくも卒業して、「会社っちゅうところ」に勤めて、「営業」の仕事を経験して、それも、ベテランになるくらい経験して見た上で考えてみると、「教育」として「社員教育」のあり方がどうかという問題と別に、大学の入学金とか学費を払いに銀行に来た相手に、銀行員は「おめでとうございます」とは言わない方がいいと思うようになった。なぜなら、「めでたい」かどうかはひとによって違うのだから。
   たとえ、世間一般には高い評価を受けている大学であっても、本人がうれしいかどうかは別である。私は、大学入試は「終戦」だと思っている。「終戦」とは、勝ちか負けかはっきりしないのが「終戦」である。 そもそも、世間一般の評価は「悪くない方」の大学であっても、本人が納得いかなければ、「終戦」としては失敗である。逆に、世間一般の評価はそれほど高くない大学であっても、本人がそこに行けてうれしい、そこで努力したいという気持ちになれるようなら、その選択は「悪くない方」ではないか。東大に行っても成功とは限らない。 後から、「行かなきゃよかった」と思うかもしれない。たとえ、東大に合格したとしても、東大でも文科なら、文科1類を目指していたが、模擬試験の成績を見て文科2類に受ける先を修正して文科2類に通った、という人もいるはずだし、理科2類に通ったという人でも理科1類を目指していて模擬試験の成績を見て理科2類に方向修正して通ったという人だっているはずだ。「通った」としても、これでいいのだろうか・・・という気持ちは残った上で、入学金・学費の納入期限があるので、やむなく、銀行まで来ているけれども、気持ちの上で、完全にふっきれていないという人間はいくらでもいるはずなのだ。「おめでとうございます」と言われてもうれしくないはずなのだ。あんたに、「おめでとうございます」とめでたいかどうか決められる筋合いはないと思うがな・・・と考えることは少なくないはずなのだ。1970年代後半、私が高校を卒業した頃、理科では医学部が一番難しかった。「理系」では、日本で一番難しいだろうと思われたのは、東大の理科3類か京大の医学部だったと思うが、たとえ、東大の理科3類に合格できたとしても、合格できたのが悪いわけではないとしても、「医学部で良かったのだろうか」とか思ったりすることだってあるはずだ。実際、医学部に入学したけれども、入学してから医者は嫌だと思って工学部に転部したという人もいる。「作家で精神科医」の なだ いなだ がどこかで書いていたが、なだ いなだ のお母さんの家系は医者の家系で、それがお母さんの代で医者が途切れたことから、お母さんは3人いた息子のうち、最低1人は医者にならせたかったが、上の2人は医学部以外の学部に行ってしまい、3人目の なだ いなだ 少年になんとか医学部に行かせたいと思うようになったが、大学に進学する頃、なだ いなだ は医者になりたくなかったそうだ。その時、「医学部に行ったから医者にならないといけないということはないではないか。医学部に行って、卒業する時に、医者になるか他の仕事につくか決めればいいだろう」と言う人があって、そうかと思って慶應大の医学部に進学したが、卒業する時になって、医学部を卒業して医者以外の仕事につくのは極めて難しいということを知った・・・と書いていた。医学部が理系では難関でその難関に通った人といえども、通ったからすべてめでたいと思っているとは限らない。東大の文科では文科1類(法学部に進学するコース)が最も難しいとされるが、文科1類に通ったとしても、文学青年は法学部よりも文学部に進む文科3類にしておけばよかった・・・かな・・とか思っているケースだってあるのではないか。はたして、これで良かったのだろうか・・・と思っている人間はいくらでもいるはずなのだ。そういう時に、無神経というのか、ノー天気というのか、「おめでとうございます」と言われると・・・→ うれしくない。うれしくないだけでなく、「かえって、嫌」だと思うのだ。はたして、それでいいのか、どうか、銀行は関係ないはずなのだ。当事者でもないのに、「おめでとうございます」だのと、余計なこと言うな! て感じがする。
   今となっては30年以上前のことだが、あの三菱銀行三田支店の女性行員は、自分自身の判断で「おめでとうございます」と言ったのか、上役からそう言えと指示されて言っていたのか、どちらだろう。もし、支店長とかがそう言うように指示したのなら、その支店長はあまり賢くないと私は思う。もし支店長が言わせていたのなら、その支店長は営業の経験がない人間と違うか。(もしくはあんまりええ学校でてないか)三菱銀行(現 三菱東京UFJ銀行)には、「一流大学」を卒業した人、落ちて必ずしも納得がいかない大学に行って卒業した人というのもいると思うが、そういう人は自分自身の経験から考えてどう思うだろう。ここで私が述べたことと同様のことを思わないか。銀行に学費を払いに行く時においても、はたして、そこでいいのかどうか、最後の最後まで悩んでいる人間はいくらでもいるはずなのだ。銀行員のマナーとしては、「おめでとうございます」とは、むしろ、うかつに言わない方がいいと私は思うのだが。そう思いませんか?

   (2018.3.5.)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック