東京都美術館と「ブリューゲル展」【4/7】球形オブジェ。「蹴ったらあかん」。私立の美大なんぞ行くな!

[第350回] 東京圏の美術館(13)-4
   東京都美術館は、上野公園の中にあることから、建物の高さに制限があり、そのため、地下1階から2階までの間に展示室が設けられているのですが、その「地下1階」の部分の中央に中庭があって、中庭から光が入るため、実際には、「地下1階」に行くと、なんだか、「地下1階」ではなく「1階」みたいな感じで、穴倉の中に入ったような感覚はありません。
   東京都美術館に南側から進入しると、正面中央に球形のオブジェがあり、左側(西側)の建物の脇に×型のオブジェが配置されています。↓
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   外壁面や床面のタイルは熊本県立美術館と大変よく似ており、外側の外観はその場所(熊本県立美術館の場合は熊本城、東京都美術館の場合は上野公園〔及び、旧寛永寺〕との調和を考え、かつ、美術館の建物に囲まれた中庭の部分に入ると、美術館占有の場所として、美術館の雰囲気が漂うという考慮も熊本県立美術館と東京都美術館は共通しています・・・・が、異なる部分もあります。
   ↑の球形のオブジェ×型のオブジェは熊本県立美術館の中庭にはありません。 つくばセンタービル(磯崎新設計)を見に行くと、あっちやらこっちやらに、いかにも、危なっかしいものが出っ張っています。「しろうとの仕事」じゃないかて印象を受けたのですが、建築屋としては「しろうと」でも「建築家」はそういう「危なっかしいもの」をあっちやらこっちやらに突出させるのが「建築家」で、使い勝手がどうかなんて考えない、耐用年数が同課なんてのも考えないのが「建築家」と考えると、つくばセンタービルは「そんなもの」なのかもしれない・・・・なんてお思って、前川國男設計の東京都美術館東京文化会館を見ると、東京都美術館では外壁にとりつけられた照明器具も背が高めの大人の男性の頭よりも少し高い位置に設置されていますし、 東京文化会館では、入口付近のコンクリートの柱にも「面取り」がしてあって、音楽会がひけた後、一時に多くの人が出てきたというような場合にぶつかっても怪我しないようにといった配慮もなされており、前川國男という人は「建築家」には珍しく、そのあたりの安全性も考えた設計をする人なんだなあと感心したものでした。
   ここでも、とがった×型のオブジェは建物の脇の芝生の上に設置し、丸みがあって少々ぶつかっても怪我することはないと思える球形のオブジェの方を通路の中央に設置するという配慮は、前川國男の設計の美術館だけのことはある・・・・・なんて思ったりしたのでした。[第315回]《東京都美術館と「ボストン美術館の至宝」展【2/6】とがったオブジェは端、場所により違うタイルの貼り方 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_2.html でもその点を称賛したのでした・・・・が。
   しかし、落ち着いて考えてみると、×状のオブジェの方を端に寄せて設置したというのはわかりましたが、球形の方を中庭の中央部に設置したという方については、はて、これって、安全なのだろうか? と思ったりもしたのです。
   まず、
(1) 前川國男という人は、「建築家」には珍しく、
(ア)使える建物を設計する人で、
(イ)自分が設計する建物に周囲が合わすのが当然という「世界の丹下」型ではなく、周囲の自然や先住建物との調和を考えて設計する人で、
(ウ)「世界の磯崎」などとは違って、安全面も配慮した設計をする人で、
(エ)「自己顕示欲の塊建築の丹下健三」などとは違って、美術館なら主役は絵画や彫刻などの美術展示品であって美術館が展示品より目立ってはならないといったことをわきまえた設計をする人でした。
この(ア)~(エ)については、これは「建築屋」なら当たり前のことですが、「建築家」にそれを求めるのは「八百屋で魚を求めるようなもの」だと私は思ってきたのですが、前川國男という人に限っては、そのあたりが「建築家」っぽくないところがあったと思います。
(2) しかし、前川國男は、《ウィキペディア―前川國男》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%B7%9D%E5%9C%8B%E7%94%B7  によると、前川國男は≪1905年5月14日 - 1986年6月26日≫、東京都美術館の設計を1975年、70歳の時におこない、熊本県立美術館の設計を1977年、72歳の時におこなった後(建物の方は竣工の年なので実際に設計の業務に携わったのはもう少し前でしょうけれども)、1986年、81歳の時、東大本郷キャンパスの山上会館の設計をおこなった年に他界しています。 山上会館は、見に行ってみると、悪くはないけれども、晩年の作だけあって、東京都美術館や熊本県立美術館に比べて、どうも、覇気がない、斬新さがないという印象を私は受けたのですが、あらかじめ、晩年の作だと知って見たからかとも思いましたが、穴あきタイルの使用など、悪くはないのですけれども、それまでの作品の繰り返しのようなものが多く、さすがに、80を過ぎて「元気がなくなってきた」かなという印象を受けました。 で、東京都美術館の竣工が1975年、前川國男の他界が1986年です。 ↑↓の球形のオブジェですが、誰がいつ作ったかといいますと、
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( ↑ 東京都美術館 1階中庭の球形のオブジェ。 西側から見たもの。 通行人がいない時の写真も撮影したのですが、美術館の中庭ですから、むしろ、通行人はいる方が自然と考えて、通行人がいる時の方の写真を掲載します。 通行中の人はモデルさんではなく、美術館に入館するべく、たまたま、通っていた人です。 )
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( ↑ 1階中庭の球形のオブジェ。 南側のそばから見たもの。)
井上武吉(いのうえ ぶきち)という方の作品だそうで、1985年の作だそうです。↓
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↑ 題名は「my sky hole 85-2 光と影」というらしい。 なんで、こんなところで、日本人の作品で主として日本人に見てもらうものなのに、なんでわざわざゴダイゴの歌みたいに〔⇒《YouTube-銀河鉄道999 ゴダイゴ》https://www.youtube.com/watch?v=TQZUaFykGEQ 〕「英語まじり」にするのでしょうねえ。なんで、日本語ではだめなのでしょうねえ。たとえヨーロッパ系の言語をまぜるにしても、それならそれで、なんで、英語なのでしょうねえ。 そう思いませんか?
   この「光と影」という球形のオブジェが造られたのは1985年、東京都美術館が造られてすでに10年経ってからですが、前川國男が他界した1986年より1年前。 このオブジェが造られたのが1985年として、ここに設置されたのも1985年なのかどうかはわかりませんが、もし、その年に設置されたなら、前川國男がまだ在命中のことですから、前川國男もここに設置されることを了解しての設置だったのかもしれませんが、どうだったのでしょう。 1975年に東京都美術館ができてから後にも改装工事はされているわけで、私が知っているだけでも、最初に東京都美術館に行った時点では、1階中庭から地下1階中庭に行くのは階段で、エスカレーターやエレベーターはなかったと思います。 そういったものが後から作られていますので、すべてが前川國男の作品とも言えないわけです。
(2) そして、もっと大きな問題。 1階の中庭、美術館に入ろうとする人、美術館から帰ろうとする人が何人もが通る場所ですから、×型のものの方をこちらの場所に設置したのでは、人がぶつかるようなことがあると危ないので、そちらは建物のそばに寄せて設置し、丸みのある球形のものの方を1階中庭の中央に設置したのか・・・・。さすがだなあ、そのあたりの安全性も考えて設置されたんだなあ・・・・と思ったのですが、その評価は正しかったのだろうか・・・・。
   だって、↑の写真を見てくださいよ。 球形ですよ。球形。 土の中に球の半分くらいが埋まっているのではなく、タイル張りの地面の上にのっかってるのです。地面とはどういう具合にくっついているのかというと、↓
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↑ これって、薄べったい台座とその上の球とはどうやってくっついているのだろう? ・・・・あなた、こういうこと、考えたことない~い? どうも、建築屋の仕事をしてきますと、そのあたりが気になってしまうのです。
   「ボンドG17」なんてことないよな。 溶接だろうか? しかし、これだけの大きさのものを、わずかの面積で溶接したとして、永く支えられるだろうか?  地面の下まで基礎が入っていて、球形の中央部くらいまで突き抜けているのだろうか?
   この設置されている場所は、1階中庭の中央部で、この少し北に地下1階中庭に降りる階段とエスカレーターがあるのです。 もしも、ですよ。 南側から、ヨッコイショと押したとして、接着部がはずれたとすると、ゴロンゴロンゴロン・・・・と転がって行って、階段も転がり落ちて、地下1階の中庭にドスンと落ちる・・・・・てところで止まればまだいいのですが、さらにゴロンゴロンゴロンと転がって行きますと、建物の地下1階部分の南側はガラス貼りですから、そこにドッスン! とこの球形がぶつかる・・・なんてことに・・・なったらどうしよ・・・。 これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね・・・・。 あなた、こういうこと、考えたこと、ない~い???
   どうなるか、一度、南側から押してみてどうなるか試してみたい誘惑にもかられるけれども、もしも、本当にゴロンゴロンゴロンと転がって行って、地下1階の中庭まで落ちるとともに、建物の地下1階の南側のガラス壁にドッスン! とぶつかる・・・なんてことになったら困るから、それは、やめとこ。 でも、どうなるんだろ・・・・。これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね・・・・。
   ↑の写真で見ても、上の方に穴があいているのが見えますが、球形の内部は空洞のようで、金属の塊というわけではないようですので、ゴロンゴロンゴロンと転がっていったとしても、地下1階の中庭に落ちてきた場合でも、金属の塊が落ちてくるわけではないでしょうけれども、それにしても、けっこう大きいですから、内部が空洞であっても、ゴロンゴロンゴロンと落ちてきたとすると、けっこう怖そう・・・・・・。 あなた、こういうこと、考えたことない~い?
   で、どうなんだろな・・・・・。

   井上武吉って誰なんだろ・・・と思って、インターネットで検索すると、《ウィキペディア―井上武吉》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E5%90%89  があり、≪井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 1997年)は、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)出身の彫刻家。≫と出ています。 もっとも、↑の写真の球形を「彫刻」と言われると、なんか、ちょっと違うんじゃないのかとも思えます。 だって、そうでしょ。いいか悪いかの問題ではないのですが、 「彫刻」と言うからには、木なり石なりを「彫る」なり「刻む」なりして作ってこそ「彫刻」と違いますか。その作品がいいか悪いかということとは別の問題として、「彫る」「刻む」という作業をおこなっていないものを「彫刻」と呼ぶべきなのだろうか。ブロンズ像なんてのは刻んで作ったのではなく、石膏をこねて形を作ってそこに金属になる液体をドロドロと流し込んで固まるとブロンズ像になるとかいうもので〔⇒[第309回]《国立西洋美術館 常設展とル・コルビュジェの芸術空間展【4/4】前庭のロダンの「考える人」て本物なの? 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201708/article_4.html 参照〕、「彫る」「刻む」という動作がないという点から考えると「彫刻」ではないと感がルこともできるかとも思うのですが、そうはいっても、石膏をこねるという動作を、手作業でおこなうわけですから、「彫る」「刻む」という動作がなくても、広い意味での「彫刻」と考えてもいいのかもしれません・・・・・が、↑の球形なんてのは、そのデザインがたとえ良くても、「彫る」「刻む」の動作もなければ、「こねる」の動作もないのと違いますか。 あくまで、デザインを考えただけと違いますか。 「彫刻」というのは、すばらしいデザインを考える能力と、それを「彫る」「刻む」か「こねる」かどちらかの動作をおこなう能力の2つの能力を発揮できてこそのものだと考えた場合、前者の能力、すばらしいデザインを考える能力だけがあった人、すばらしいデザインを考える能力だけしか発揮していない作品というのは、それが悪いということではないのですが、「彫刻」という分野のものと考えるべきではないのではないか・・・・なんてことを思うのです。 あなた、こんなこと、考えたことない~い???

   球形のオブジェを「作った」のではなく「考案した」らしい井上武吉さんという方だが、《ウィキペディア―井上武吉》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E5%90%89 によると、武蔵野美術学校(現 武蔵野美大)卒だそうな。 武蔵野美大なんて、そんな学校、私なんか、行きたいとも思わなかったけれども、もしも、行きたいなんぞ言おうものなら、「あなた、頭おかしいのと違うかあ」と言われるのがオチだった。よくも、そんな学校行けたものだと思う。相当の金持ちだったのだろうか。 2000年代半ばだったと思うが、失業中、三田会に来られていた方に、私がインテリアコーディネーターやキッチンスペシャリストなどの資格取得者であることから、キッチン関係の会社の社長だという女性を紹介していただいたことがあった。内部進学でもない慶應OBとしては「非主流」であり「異端」である私に、おそらく「主流」の方だと思われる方にご紹介いただいたのだが、ありがたいことだと思う・・・・が、紹介いただいた女性の経営者らしい人からは、「商学部出て建築の仕事をしたいだなんて、ちょっと、おかしいんじゃないのお」などと悪態をつかれ、さらに、「私なんかは、建築の仕事をしたかったから高校を卒業して美大の建築学科に行ったんだけど」などとふんぞり返られてしまった・・・・。「美大の建築学科」などというものは、日本の国立大学には、ない! 慶應には建築学科は昔も今もないし、早稲田にある建築学科は理工学部建築学科である。 彼女が言う「美大」とは、多摩美大か武蔵野美大かなんとか美大かかんとか美大かいう、要するに、試験会場に行って氏名と受験番号さえ書けば合格できて、カネさえあれば入れる私立バカ大学の美術学部のことで、そのバカ私大の美術学部に建築学科があるところがあるらしく、そこに行かせてもらった・・・・というのを、恥と考えるのではなく自慢なさったのだった。 私らには、およそ、考えられないことだった。私が高校を卒業した時、及び、その後しばらく、私の親は「うちは、工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれていやになっちゃうくらいに言い続けた。「国立大学なら工学部でも法学部でも文学部でも経済学部でも学費は一緒や」と私は言ったのだが、母は「いったい、何、甘ったれてますのん、あんたはあ。国立大学なら工学部でも学費は一緒としても、100パーセント、絶対に通るとは限らないでしょうがあ。落ちる可能性はゼロではないでしょうがあ。落ちる可能性がゼロではない以上、落ちた時のことも考えんといかんでしょうがあ。落ちたら私立大学に行かないといけないんだから、工学部みたいなもん、受けてはいかんでしょうがあ。甘ったれなさんな」と言った。父は「うちは工学部みたいなもん、行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな。会社のために死ぬまではたら~く! 会社のために死ぬほど働く、会社のために死んでも働く、とってちってたあ~あ! 撃ちてしやまん、一億火の玉! 欲しがりません、勝つまでは! どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃ~ん♪」〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕と毎日毎日、私の鼻の頭を指さして言い続けた。「おまえはチャンコロやぞ、チャンコロ。民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロ。チャンコロはチャンコロらしくしろよ、チャンコロ。おのれの身分をわきまえろ、チャンコロ。階級の違いをゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ。チャンコロはチャンコロらしくしろ、チャンコロ。とってちってたあ~あ!」と言い続けた。 愛知産業大学の建築学科の守屋先生に聞いた話では、ヨーロッパの大学では建築学科は芸術学部・美術学部にあるものの方が多いらしいが、日本の大学では工学部・理工学部にある建築学科と芸術学部・美術学部にある建築学科では工学部・理工学部にある建築学科の方が多く、国立大学では東大・京大・阪大・神戸大・千葉大はいずれも工学部に建築学科があり、芸術学部・美術学部にあるのは東京芸大に美術学部建築学科があるだけで、私立大学でも早稲田大学は理工学部に建築学科があり、ポン大も工学部と理工学部と生産工学部に建築学科がある。「日大、日大と言うけれども、私立大学の建築学科では一番、歴史があるんだからなあ」とポン大の建築学科卒のおっさんから聞いたことがあるが、それは正確ではなく早稲田大の方が古くからあるが、たしかに「日大、日大と言うけれども、私立大学の建築学科では」日大の建築学科は古くからある方である・・が、それが郡山にある工学部建築学科なのか、千葉県にある理工学部建築学科なのか生産工学部建築学科なのか、よくわからない・・が、日大もまた工学部・理工学部・生産工学部と工学部・理工学部系の建築学科である。で、その「私なんかは、高校卒業する時から、建築をやりたいと思っていたから美大の建築学科に行った」などと自慢されてしまったのだが、その「美大の建築学科」というのは、東京芸大の美術学部建築学科のことではないはずなのだ。タマ美(「きん〇ま が美しいからタマ美」とかテレビで漫才師が言っていたことがあった)か武蔵野美大かそれとも、それ以外にも東京都かその周辺にはわけのわからん氏名と受験番号さえ書けば合格できてカネさえあれば行ける「美大」がいくつかあるみたいで、私らはそんな「大学」なんて受ける気持ちもなければ行く気もなかったし、もしも、そんな学校に行きたいなんぞ言おうものなら、「おまえ、アタマ、おかしいのと違うか」と言われて「治療」される危険もあった。「音楽とか美術とかを勉強したいなんぞと言うようなヤツは、根性がくさっと~る!」とか父は言っていた。「甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ。音楽とか美術とかの大学に行きたいなんぞと言うような甘ったれたヤツなんて大学行くことあらへん。そんなヤツ、自衛隊に入れたらええ、自衛隊に。とってちってたあ~あ!」とか言っていた。私は、その「美大の建築学科」なんぞという私なんかそんな所に行くなんぞおよそ考えられないような「学校」にあつかましくも行かせてもらったような女と比較するならば、小学校の時も中学校の時も高校の時も、数学や物理・化学の成績も美術の成績も、常に私の方がずっと上の成績をとってきたはずだが、40過ぎてまで、そんな女にそういう口をきかれるはめになってしまった。昔、福沢諭吉は、中津藩で勉強していた時、壱岐という同級生が勉強ができないくせして、家老の息子だからということで長崎に勉強に行かせてもらって、自分は壱岐よりもずっと勉強ができたにもかかわらず、下級武士の次男だということで長崎に勉強に行くことはさせてもらえなかった、それが情けなかった・・・という話が、小学生の時に読んだ『良い子の偉人伝 福澤諭吉』とかいう本に書いてあったのを覚えている。要するに、その「壱岐という金持ちの息子」が慶應の内部進学だったり内部進学に匹敵する非慶應の私立高校卒で私立のバカ美大に行くようなヤツで公立高校卒の私がその場面の福澤諭吉だということだ。そして、慶應では「壱岐という金持ちの息子」である内部進学が「我々内部進学の人間はおまえら外部の者と違って福沢精神を身につけている」とか日々叫んでおるわけだ。(もっとも、福沢諭吉については、遠山茂樹『福澤諭吉』東京大学出版会UP選書 によると、その恨みの対象みたいに福沢が言う奥平壱岐という家老の息子が、一緒に勉強してきた福澤諭吉という男は真面目に努力する人間で成績もいいにもかかわらず、貧乏武士の息子だということで長崎に勉強に行くことができず、かわいそうだからなんとかしてやってほしいと話をしてくれて、それで福沢は最終的には長崎に勉強に行かせてもらえた・・・・とかいう話が載っていたと思ったのだが、福沢さんも、なんだか、恩を恨みで返すみたいな文句を言いまくっていたみたいな感じがしないでもないのだが・・・)ともかく、私は慶應大学で内部進学の人間を見て、「奥平壱岐を見た福澤諭吉」みたいな気持ちに何度もなったのだ。 私は、音楽や美術を学ぶなら、東京芸大の音楽学部か美術学部にでも行くならば、そこまで勉強したのならと認めてもらえないかとか考えたことはあった。又、岡村喬雄は早稲田大学に行ってグリークラブに入ってそこから声楽の道に進んだとか、朝比奈隆は京都大学のオーケストラ部に入って指揮者をやってそこから音楽家の道に進んだとかそういう人もあるわけで、それが簡単にできるかどうかは別として、もしも、そういう道で進むことができるなら可能性はあるかもしれないと思ったし、そうでなくても、京大や東大の文学部に行けば、文学部に音楽学科というのがあって、音楽史を研究している先生もおられるはずであり、美術学部というのもあったはずで、絵を描いたりすることよりも絵画や彫刻の研究をするという方の道はあったのではないかとも思ったのだが、父は「うちは大学院になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言うとともに、「大学院に行きたいなんぞと言うやつは、モラトリアム人間病という病気にかかっているから働くのを嫌がるのだ。慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃってる。そんなヤツは本人のために治療してやらんといかん。とってちってたあ~あ」と言って「病気」扱いした・・・が、その基準をあてはめるなら、小此木啓吾こそ「モラトリアム人間病」の「患者」であり「治療」してやらないといけないはずと思うが、小此木啓吾先生については、なにしろ、「幼稚舎から慶應」「ゆりかごから墓場まで慶應」(from cradle to tomb)だから、ひとには「モラトリアム人間病」だの「ピーターパンシンドローム」だの「ウェンディジレンマ」だの「青い鳥症候群」だのとなんたらかんたらくんたらと「病名」を発明して「レッテル」を貼りまくってがっぽがっぽ儲けるが、おのれに対しては絶対に「◇◇シンドローム」だの「☆☆症候群」だのと「診断」したりはしない! という勝手な男だった。なにしろ、内部進学だから! 内部進学独善主義の代表格! とでも言うべき人間であろう。「なんたらシンドローム」「かんたら症候群」とかいう小此木啓吾が大量生産したビョーキ本シリーズの理屈がどうであるかの前に、小此木啓吾という男を見て、思いませんか? 「おまえは、そんなにえらいのか!?!」と。
    で、せっかく紹介していただいたのだけれども、そして、そのこと自体は大いに感謝するべきことではあるのだけれども、やぱり、内部進学の人が紹介してくれる人というのはそのタイプの人で、そのタイプの人からすれば、私のような「公立小学校→公立中学校→公立高校」ときて、「→現役 京都大学」とでも行く予定だったのが、どこでけつまづいたのか、慶應大なんぞに来てしまって、何の因果か卒業してしまった・・やんぬるかな・・という人間なんてのは、そもそも、「公立高校卒」というそれだけでも気に食わん!てところだったのだろう。 慶應大学の教授が講義の最中に言われたことがあった。「北野高校の人間というのは、私立よりも国公立の学校の方がいいとか思っているのと違いますか。まったく、な~にをバカなことを思ってるのか。だいたい、北野高校の人間というのはねえ、『どうして、私立だったらいいのですか』なんて言うでしょ。バカか! 頭おかしいのじゃないか。私学だってことは、いいってことじゃないか。北野高校の人間はそのくらいの常識もわからんのかあ!どうかしてんじゃないかと思うねえ」と言われたことがあったのだが、そのムサ美かタマ美かの建築学科卒の女性もまた、そんな感覚だったのではないかと思う。 紹介してくださった方には感謝している。おそらく、その方は内部進学の人ではないかと思うのだが、内部進学の人でも誰もが独善的で偏狭ということでもなく、私のような内部進学とは縁がない者とでも協調してやっていこうという人もおられるし、めんどうみてあげようという気持ちになってくださる方もあるようであるが、そういう方の知り合いとなると、やはり、公立高校卒の人間を見ると、何も言わなくても、まず、ニオイで感じ取って、気に食わないという気持ちになるようだった。公立小学校→公立中学校→公立高校と進んだ人間が、私立の学校に行った人間を、私立の小学校や中学校や高校になんて行ってからに・・と思うのはわかるが、なんで、逆を思われにゃならんのだ・・・と私は最初は思っていたのだが、そうでもないようだ。 たしか、「週刊ポスト」だったと思うのだが、何年か前まで、長嶋・金田・王の3人による鼎談が毎号掲載されていたことがあり、毎度毎度、長嶋と金田が野村と森の悪口を言いまくっていて、王だけが、さすがというのかなんというのか、そういう悪口を聞いても、それに逆らわず、かつ、同調せずにかわしていたのだが、それを見て、月見草はひまわりが嫌いらしいが、ひまわりが月見草を嫌う必要はなさそうに思っていたのだが、実は、ひまわりもまた、月見草が嫌いなんだな・・・と思ったのだ。それと似た感じかもしれない。「公立小学校→公立中学校→公立高校→現役 国立大学」というコースを歩んで来た人間が、「私立小学校→私立中学校→私立高校→私立ドバカ大学」と進んだ人間を見て、なんやねんと思うのはわかるが、逆はないだろと思いこんでいたのだが、そうではなかった。「私立小学校→私立中学校→私立高校→私立ドバカ大学」の人間もまた、「公立小学校→公立中学校→公立高校→現役 国立大学」というタイプの人間が嫌いらしいのだ。。「北野高校の人間というのは、私立よりも国公立の学校の方がいいとか思っているのと違いますか。まったく、な~にをバカなことを思ってるのか。だいたい、北野高校の人間というのはねえ、『どうして、私立だったらいいのですか』なんて言うでしょ。バカか! 頭おかしいのじゃないか。私学だってことは、いいってことじゃないか。北野高校の人間はそのくらいの常識もわからんのかあ!どうかしてんじゃないかと思うねえ」という慶應の教授の発言にそれがよくあらわれている。だから、「日陰の月見草」としては、「長嶋みたいなヤツ」を見ると、むかつくが、相手も月見草に対して、月見草が特別に何もしなくても、ともかく、月見草であるというだけでむかついているということを認識する必要があるようだ・・・・。
   井上武吉という人は奈良県出身らしい。なんで、奈良県出身の人が、東大か東京芸大にでも行くならともかく、ムサ美みたいなもんに行くのに、東京で下宿してまで行かなならんねん! ムサ苦しいやつやな、よっぽど甘ったれとんねんな。私が高校生の時、父は「東大に行くというのなら、東京で下宿してでも行く価値はある。下宿するなら京都で下宿するのも東京で下宿するのも一緒や。東大に行くか、せめて、慶應か早稲田に行くのなら東京で下宿して大学に行くというのはわかるけれども、そんなもん、亜細亜大やたら拓殖やたら法政やたら青山やたら明治やたら専修やたらいうようなアホ大学に行くのに、東京で下宿してまで行くことあらへん。アホ大学なら大阪にでもいくらでもある。アホ大学に行くようなヤツ、たとえ、行かせてもらうにしても家から通うべきや」と言っていた。私もそう思っていた。 関西にも大学はあるのだから、東大にでも行くのなら東京で下宿して行くというのはわかるが、関関同立より下の私立大学に行くのに、下宿して行くことはない、関西の学校に行けばいいと思っていた。 なんで、この井上武吉て人、東大か東京芸大にでも行くならともかく、奈良県の人間が、ムサ美なんてのに行くのに東京で下宿して行くのお~お? わけわからんな・・・・・! と思うと、なんか、むかついてきて、こん畜生、このタマ、蹴っ飛ばしたろか・・・なんて気持ちにもなるが、うかつに蹴っ飛ばして、接着部分がはずれて、ゴロンゴロンゴロンと転がって行って、階段からドッスンコと落ちて地下1階のロビーにまで飛び込んだりしてはえらいことだから・・・・、それは、まあ、やめとこ・・・。やっぱり、建築屋の仕事をしてきた者としては、「安全第一」やからな・・・・。
   ムサ美かタマ美かなんかそんな所にあつかましくも行くような人だから、だから、日本人が主として日本人に見てもらう作品に、必要もないのにわざわざ英語まじりの題名にする、ということだろう。たとえ、ヨーロッパ系の言語をまぜた題名にするにしても、イタリア語でもなくロシア語でもなくスペイン語でもなくデンマーク語でもなくスウェーデン語でもなく、英語なのだろう。あほくさ。「もっと、日本語を大事にしましょう。」と言いたいが、ムサ美かタマ美かのおっさんやねーちゃんには、言っても理解しないだろう。言うだけ無駄だ。 「ムサくるしいからムサ美、きん〇ま が美しいからタマ美」とかテレビで言ってた漫才師のにーちゃん、もしかすると、タマ美の出身だったかもしれない。
   ムサ美かタマ美かなんかそんな感じの「美大の建築学科」に行ったという女だが、「商学部でて建築の仕事につこうなんてどうかしてんじゃないのお」などと、ひとと約束の時刻に長時間遅刻してきた上で、言いまくったのだが、私は、商学部卒とはいえ、卒業時において「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」みたいな感じで卒業した。「会社という所」に勤めた場合は人事総務関係の仕事につければと考えていた。商学部の科目では労務管理論・労働経済学、法律科目としては労働法や民法など、そして、心理学に関心を持っていた者として、心理学やカウンセリングなどを学習してきた者として、人事総務関係で使ってもらえば役に立つと思っていた。しかし、卒業後、2番目に勤めた(株)一条工務店 では、総務の責任者は「社長の義理の弟の営業本部長の嫁さん」で、総務には他に山本というヌケタみたいな男が「主任」でいただけで他は「高卒の女性」だけだったので、私を使ってくれれば相当役に立つと思ったが、同社の経営者は私をそういう使い方をするつもりはないようで、逆に、営業本部長が、インテリアコーディネーターの資格をとってくれと私に言うので、片方で営業の仕事をこなしながら、相当の努力と工夫と精進の上で合格・登録し、また、「慶應大学卒の人ですから他のひとと違っていろいろな所を経験してもらおうと思いまして」と言われて、他の人間と違って「居住地の変わる転勤」もして負担を払って、市場の状況と県民性やニーズが異なる複数個所を経験し、休暇には身銭を切ってヨーロッパに建築やインテリアの見学に足を運ぶなどしてきたのである。 勤めた会社が私にそういう方向を要求したからそうしてきたのだ。建築であれインテリアであれキッチンであれ、技術面、建築学科的能力とともに、経済学的発想・マーケティング的発想というものが必要である、ということは、大学卒業後に勤めた会社で体験して、骨身にしみてわかった。ドバカ美大の建築学科なんてあつかましくも行った人間には理解できないだろうけれども、建築というのは、「理系」なのか「文系」なのかというと両方の境界域にあるものであり、又、建築学科的発想だけでやったのではうまくいかないものであり、商学部経済学部的発想・認識をもっておこなわないといけないものである。ムササ美だかタマ美かなんかそんな感じのところに厚顔無恥にくそどあつかましくも行ったようなねーちゃんにはおよそ理解できないことだろうけれども、「商学部でて建築の仕事につこうなんてどうかしてんじゃないのお」などという発言は、アホの発言・アホの発想と言うしかない。アホだから、くそどあつかましくも、ムササ美だかタマ美だかに行くのかもしれないけれども。私などは、高校を卒業する年に東大の試験に落ちた後、父から「高校は義務教育じゃないんやから、おまえが高校に行ったのは余計じゃ。義務教育でない以上、行くべきではないはずや、チャンコロ。チャンコロが高校に行ったのは余計じゃ」と毎日毎日、鼻の頭を指さされて言われたものだった。その基準から考えれば、ムササ美だのタマ美だのなんて行ったヤツなんて、「義務教育であろうがなかろうが、中学行ったのは余計じゃ!」ということになる。

   それにしても、↑の球形のオブジェ。どういう具合に地面にくっついてるのだろうな・・・。 一度、押すなり蹴るなりして試してみたいような気も・・・・しないことないのだが、もし、押すなり蹴るなりして、接着部がはずれて、ゴロンゴロンゴロン、ドッスンと階段の下まで落ちて地下1階ホールまで飛び込む・・なんてなっても困るし・・・・。 今は昔、1980年頃、近鉄バファローズの監督だった西本幸男の顔が載って「投げたらあかん」と書かれたポスター、「非行防止」だったか「薬物防止」だったかのポスターが東京駅に貼られていたのを見たことがある。その後、西本幸雄が鈴木啓示に変って、やはり、「投げたらあかん」という文句が掲載されたポスターがあった。鈴木啓示はそのポスターに登場した後、自分自身が「投げたらあかん」と思うようになったのか、引退したのだが、↑の球形のオブジェ。 どうやって地面とくっついてるのか、ちょっと押してみて確かめたい誘惑にかられるが、すぐ横に階段の下りがあるし、なにしろ球形だから、地面からはずれたが最後、ゴロンゴロンゴロン、ドッスンと階段の下まで落ちてしまうかもしれん。 そうでなければ、あちゃ~あ、はずれちゃったあ~あ、となっても「ボンドG17」でも持って行って、こそっとくっつけとく・・・なんて手もあるか・・・・どうかしらんが、ここはまずい。 だから、「押したらあかん」。  「なんやねん。奈良県の人間が、東大なり東京芸大なりに行くならともかく、ムササ美なんて下宿して行きやがってからに。けったくそ悪いな、こん畜生。こんなタマ作りやがってからに、蹴っ飛ばしたろか」・・・・なんて思って、蹴ったが最後、ゴロンゴロンゴロン、ドッスン・・・と階段下まで行ってしまう・・なんて可能性も・・・あるかないかわからんが、もしも、あったら、もう一回、階段の上まで運んでくっつけるのも大変そうだし・・・・。 だから、「蹴ったらあかん!」


   次回、5.正確に描くP=ブリューゲル1世とありえない木造「はなの舞」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_5.html

  (2018.2.8.)


☆ 東京都美術館と「ブリューゲル展」
1.一族と非一族。「ブリューゲル」と「シュトラウス」・「小堀」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_1.html
2.日暮里乗りかえJR上野へ。東京文化会館前の像は安井誠一郎。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_2.html
3.要塞 動物園前交番。仁こそ人の安宅vs裁判所・警察。五重塔 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_3.html
4.球形オブジェ。「蹴ったらあかん」。私立の美大なんぞ行くな!〔今回〕
5.正確に描くP=ブリューゲル1世とありえない木造「はなの舞」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_5.html
6.カラフルな内壁・北口・カフェArt・「真珠をブタやるな」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_6.html
7.倉庫型?博物館動物園駅南出口。エスカレーターは静止して乗りたい http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_7.html 


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