国立新美術館と「安藤忠雄展―挑戦」【5/6】人生を「挑戦」させてもらった男と、させてもらえなかった男

[第332回] 東京圏の美術館・博物館(12)-5
   で、安藤忠雄の経歴とか見ていて、途中で嫌になって、もう、これ以上、見ることないやと思って出てきた。なんで、この人、言っちゃわるいが、城東工業高校しかでてないのに、ボクサーになると言い出せば、ボクサーの修行させてもらって、世界中の建築を見てまわると言えば、見に行かせてもらって、「建築家」になると言えば、設計事務所させてもらって、なんて、させてもらえるの?
   今は昔、1960年代半ば、正月に父方の叔父の夫婦がいとこ(上が女で下が男)を連れてやってきた。そのうち、私が、その1週間ほど前、クリスマスの時に幼稚園でもらった数字合わせゲームを、それをもらって帰るとその2人が言い出したらしい。 「らしい」というのは、私に直接言ったのではなく、私の母が私に言ったから「らしい」だ。 私は信じられなかった。子供が幼稚園で、クリスマスにもらってきたばかり、まだ、もらって1週間経つか経たないかのものを、それをよその子供に、「これ、あの子たちにあげなさい」などと母親が言い出すというのが。私なんかは、よその家に行った時に、私が持っていないおもちゃをよその子が持っているなんてことは、しょっちゅうあったけれども、「よそはよそ。うちはうち、です」と言われ、よその家に行って、「それ、もらって帰る」なんて言わなかったけれども、もしも、そんなこと、言おうものなら、もんのすごく怒られたものだ。 ところが、イトコはそれを言う人間だったのだ・・・ということは、叔父と叔父のつれあいの夫婦は、子供にそういう教育をしていたということかもしれない。そういうのが「積極的」とか「生存競争の厳しさを知っている」とかなんとかかんとか言っていたのかもしれない。しかし、私は、そういうことを言ってはいけません、そういうことをしてはいけません、と親から教えられてきたから、だから、そういうことは言わなかったのであり、「積極的」じゃないから言わなかったのではないはずだ。 ところが、もしも、私がそんなこと言ったら激怒する私の母親は、「それをあの子たちにあげなさい」と言うのだ。 信じられなかった。
   ひとつには、同じようなものがそこにもうひとつあったということを、欲しがる子供は主張していたようだが、しかし、私には姉が2人あって、その片方が行っていた幼稚園でもらってきたものだ。 だから、我が家は子供が3人あったにもかかわらず、2つしかなかったのだ。下の姉は幼稚園では別のものをクリスマスにもらったらしかった。 私は「それ、幼稚園でもらって、まだ1週間経たないんだよ」と言ったが、母は「それなら、こっちをあげるか」と姉が幼稚園でもらってきた物を持って言うので、「それは、お姉ちゃんのや」と言うと、「それなら、こちらをあげなさい。甘ったれなさんな。どっちもあげないなんてあかん。どちらをあげるのか、決めなさい」と言うので、「それはお姉ちゃんのやから、あげていいかどうかはお姉ちゃんにきいて」と言うと、「それなら、こっちをあの子らにあげるんやな」と私が幼稚園でクリスマスにもらってきたばかりのものを「これ、あげるな」と言う。信じられなかった。「あんたとは違って、あの子らは、こういうのを買ってもらってないようだから」と母が言うので、ひとが幼稚園でクリスマスにもらってきたばっかりのものを、「それ、もらって帰る」などと言って強奪しないといけないくらいなのだから、叔父の家庭というのは、よっぽど貧乏でよっぽど気の毒な家庭なんだなと思ったのだが、後から考えると、叔父は30代のうちに脳卒中をおこして働けなくなってしまったので、お父さんが働けない気の毒な家庭なんだと思ったが、実はその時、叔父はまだ脳卒中になっておらず、むしろ、父と同じ会社で営業の仕事をしてけっこう順調にいっていて調子がよかった時期だったらしい。かつ、住んでいる家は我が家は特に大きな家ではないが戸建てだったのに対して、叔父夫婦の家は集合住宅だったので、借家住いの家庭なんだなと思っていたが、実は、「公団」でも賃貸の公団と売買の公団があって、公団でも叔父夫婦が住んでいたのは購入した持家の公団だったらしい。なんか、話が違うんですけどお~お・・・。
  で、私が大学に進学する時になると、父は「うちは、工学部になんか、行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言ったのだが、それにもかかわらず、私が幼稚園でクリスマスにもらってきたばかりのものを正月にとりあげて持ち帰らないといけないくらい貧乏な家庭のはずのいとこ(男。私より1つ年下)は、なんと、京都工芸繊維大しか行けないできの悪いやつのくせしてからに、土木学科なんてものに行きやがった。それで、私は両親に言ったのだ。 「あいつ、家が貧乏なはずなのに、なんで、工学部なんか行かせてもらえるの?」と。すると、母はこう言った。「あの子らは、あんたと違って、子供の頃から苦労してきてるから、だから、大学は行きたい学部に行かせてもらえるんや。当たり前でしょうが。甘ったれなさんな」と。 なんか、違うような気がしたのだが、これは絶対に違うと思う。 そいつらが、家庭で贅沢なくらしをしていたかいないかはわからないが、「子供の頃」、クリスマスに幼稚園でもらったものを正月にとりあげられたのは私であって、そいつらではないのだ。「子供の頃」、ひとがクリスマスに幼稚園でもらってきたものを正月にとりあげて持って帰ったのは私ではなく、そいつらなのだ。私は、幼稚園から小学校の低学年にかけて、決してぜいたくな暮らしなんかさせてもらっていないし、たとえば、近所にアイスクリームなど売っている店があって、その頃、そこでは、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームが売られていたが、私は10円のものは買ってもらったが、20円のものを1回くらいは食べてみたいと思ったが、我が家は絶対に20円のものは買ってもらえなかった。同級生に「一度でいいから、20円のアイスクリームを食べてみたいなあ」と言ったことがあったのだが、それに対して、同級生は「なんでえ。 そんなん、ぼく、何度でも食べたでえ~え」と答えた。そういうことは何度もあった。
   姉は「あんたは何でもあってええなあ」などと私に何度も言ったが、そんなことはない。彫刻刀でもそろばんでも、一番上の子供はないから新しいものを買ってもらえる。それに対して、3番目の子供は姉のお古が「何でもある」から、それを使うことになる。使えるものがあるのに新しく買うのはもったいないということはわかったが、しかし、新しいものを買ってもらった人間から、お古を使っている人間が「あんたは何でもあってええなあ」と言われるのは承服しがたいものだった。姉のお古でも、彫刻刀とかは特に抵抗はなかったが、嫌だったのは服である。さすがに、スカートははかされなかったが、セーターとかシャツとかは男物も女物もないかのように思えて、実は、どこか違ったりするのだ。だから、男物のお古ならまだいいが、女物のお古を着せられるのはうれしくなかった。しかも、「あんたは何でもあってええなあ。うちらは、なかったからなあ」とか言われながら。
  小学校の1年に入ると、母は近所のヤマハのオルガンを中心とした音楽教室に私を通わせた。我が家には足踏み式のオルガンがあったが、ない家は電動式のオルガンを購入したようだ。「あんたは何でもあってええなあ」と言うが、ない家は新しく電動式のオルガンを買ってもらえたのに対して、我が家には足踏み式のオルガンがあったため、ヤマハの音楽教室の練習をするために、毎日、フンガフンガと足で踏みながら練習した。ある時、父から言われたと言って、そのオルガンを持って行こうとする人がやってきた。「なんで、オルガン、持って行くのお」と私は抗議した。「ぼく、そのオルガンで練習してるんやでえ。なんで、オルガン持って行くのお」と言っても、子供の言うことなんか、まったく、きかずに、その人たちは私がフンガフンガと毎日練習していたオルガンを持って行ってしまった。 その人たちはいったい何者だったのか。母に訊いても、「あの人たち、どういう人だったのだろうねえ」と言って、母も知らないらしい。要するに、父は、会社の人間とか、たまたま、喫茶店で会った人とかで、「オルガンが欲しいんだ」と言う人があると、たまたま、その時、会っただけの人とかに、「それなら、うちにオルガンがあるから、やるわ」とか言い出すことがあったようのなのだ。 その時もそうだったようだ。だから、もらえることになった人が、自動車を用意して、私が毎日練習していたオルガンを持ち去ったのだ。「それ、ぼくが毎日練習してるオルガンやでえ。なんで、持って行くのお」と言っても、その家の主人が「うち、オルガンあるけど、いらんから」と言ったらしく、主人があげると言った以上、そこのガキが「なんで、持って行くのお。それ、ぼくが毎日練習してるオルガンやでえ。なんで、持って行くのお」と言っても、聞く耳なんか持たなかった。
  今、この話を90を過ぎた母にすると、母は泣くのだが、泣くなら、なんで、幼稚園児の子供が幼稚園でもらってきて1週間も経たないものを「それ、あの子にあげなさい」などと言うのか・・・と思うが、今になって母が泣くということは、母は父に命令されて言っていた可能性が大きい。ということは、父は、よその家に行って、自分がもっていない物があると、「それ、もらって帰る」と言い出す行儀の悪い教育の悪い子供がいると、「よっしゃ。うちは、そんなもん、何でも何でも買ってやってやってるんやから、あげたらええ。どちらをあげるのか決めさせなさい」と母に命令したのだろう。 それで、夫に逆らえない女である母はその命令を実行するために、私に「どっちをあげるのか決めなさい」と言い、私が1週間前に幼稚園でもらったばかりの物か、それとも、姉の物かどちらをあげるのか決めるように命令し、そして、私が姉の物はあげていいかどうかは姉にきいてもらわないと私があげていいなどとは言えない、私の物は幼稚園でもらって1週間経つか経たないかのものだと言ったところ、母は、「よっしゃ。そしたら、こっちをあげなさい」とひとりで決めて、姉がもらって来た物の方をいとこに持って行ったということのようだ。 嫌な思いをしたものだ。
   いとこの2人は幼稚園に行ってなかったのではない。叔父夫婦がその頃、金持ちだったか貧乏だったかなんてよくわからないが、いとこの2人はそいつらも幼稚園に行っていたはずであり、その数字合わせゲームは幼稚園のクリスマスでもらわなかったにしても、他の物をもらったはずなのだ。 だから、私が数字合わせゲームを幼稚園でクリスマスにもらったということは、私はそいつらがクリスマスに幼稚園でもらったものをもらわなかった、ということだ。だから、そいつらがクリスマスに幼稚園でもらった物を私は持っていないわけだから、「相互主義の原則」として、もしも、そいつらが、私がクリスマスに幼稚園でもらったものを持っていないという理由で私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりのものを強奪して帰る権利があるならば、私も、そいつらがクリスマスにもらって1週間経つか経たないかの物をもらう権利があるはずだが、そいつらは、ひとの物は俺の物、俺の物は俺の物という姿勢に出たわけだ。(巨人みたいや・・) そういう時に、私が父親なら、「あげることない」と妻には言い、そして、弟に「おまえ、あんまり、いい教育してないな」という一言でも言ってやるところだが、父はそうではなく、「それ、その子らにあげなさい」と母に命じ、そして、叔父夫婦らには言ったのだろう。「うちは、息子には、いつでも何でもどんなもんでも欲しいというものは、何でも何でも買ってやってやってやってあげてるんやから」とか。 実際はちっともそんなことないのに。あの男はそういう男だった。父はそういう態度をとったから、息子が幼稚園でもらってきて1週間経つか経たないかのものを、「それ、あの子たちにあげなさい」というような態度をとったから、だから、父が他界した時、父の葬式に、叔母(叔父のつれあい)は来てくれたが、それをもらって帰ったイトコ(私より1つ上の女と、私より1つ下の男)は、2人とも顔を出さなかった。「わしはエライねんぞお」という態度、「おまえの所はこういうものを子供に買ってやれないのだろうけれども、わしはいくらでもこうてやってやってやあってやっておるんやぞお」という態度(実際はそうじゃないのに)を父親(私からすると叔父)に対してとった男(父)の葬式に顔を出す気にはならなかった、ということか。
   幼稚園から小学校低学年までの頃、同級生の家に遊びに行くと、私は持っていないがその同級生は買ってもらって持っているというおもちゃ・ゲームなどがいっぱいあった。逆はほとんどなかった。但し、父は会社で、「売る側」ではなく「買う側」の部署に勤務していたため、「お子さんに」と言って持って来る人もあったようで、そういうものは、そのへんのおもちゃ屋とかそのへんのプラモデル屋・文具屋とかで売っているものと違うものなので、よそにない物がときどきあった。しかし、全体としては、我が家にあってよそにない物と我が家になくてよそにある物なら、圧倒的に我が家になくてよそにある物の方が多かった。その私よりも買ってもらえないかわいそうな家庭かと思っていたら、イトコは京都工芸繊維大の土木学科なんて行った。父は私には「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言ったのに。 だから、私にとっては、建築学科とか土木学科とかに行くやつというのは、そういうヤツのことなのだ。
  イトコはまだしも、京都工芸繊維大とはいえ、国立大学の工学部に行ったが、不思議なことに、カネのかかる私立大学の工学部に行って、ふんぞりかえっている人間というのがいる。 1980年代後半、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕に入社した時には、私は入社式と研修がおこなわれた大阪まで行くのに、新幹線の代金を払えなかったので、又、父から新幹線などという贅沢なものは利用してはならない、夜行バスでも贅沢だと言われ、「贅沢は敵だ。欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ~あ!」と言われていたので〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕、普通で行ったが、3月下旬、大垣行き夜行はものすごく混んでいて、1ヶ月余の研修期間に備えての大きな重い荷物を持って、通勤ラッシュ以上の混雑の車内で、長距離用電車にはつり革もなく、一晩荷物を持ちながら立って行ったところ、千葉工大のヤツは新幹線でゆうゆうと大阪まで行き、私は、当然のことながら、交通費を出してもらえるのなら、実際に何に乗ったかにかかわらず、同じ立場の従業員なら、もし新幹線指定席の代金を支給するなら実際に何に乗ったかにかかわらず誰もに新幹線指定席の代金、新幹線自由席の代金を支給するなら実際に何に乗ったかにかかわらず誰もに新幹線自由席の代金を支給するものだと思っていたが、小堀住研(株)は当たり前のように新幹線に乗って行った千葉工大のヤツには新幹線指定席の代金を渡して、私には普通運賃しか払ってくれなかった。こんな不公平はないはずだが、そういう会社だった。
   父は私には「甘ったれておってはならんぞ、チャンコロ」と言い、私が東京から大阪まで夜行バスに乗って帰ると、「おまえ、そんな贅沢していいのか。もっと安くする方法を考えなさい」と言ったが、新幹線の普通車自由席・飛行機のエコノミークラス・夜行バス・昼間の高速バス・在来線の夜行寝台急行「銀河」号のB寝台・在来線夜行の普通 と料金を調べても、昼間のバスと夜行のバスは昼でも夜でも違いはなく、むしろ、昼間のバスは名古屋で乗り換えないといけないので、直通の夜行の方が安いくらいで、夜行バスよりも安い手段はなかった。あるとすれば、東京から大阪までバスに乗ったが、大阪行きではなく京都行に乗って京都で降りて京都から大阪府の自宅まで歩くか、日吉から東横線で渋谷まで行って渋谷から山手線で東京駅まで行って東京駅八重洲口から夜行バスに乗ったが、それを乗らずに日吉から東京駅まで歩くか。そのくらいしか思い浮かばなかった。私は夜行バスでも「贅沢すんな、チャンコロ。贅沢してはならんぞ。チャンコロ。贅沢は敵だ! 撃ちてしやまん。一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは」とか言われてきたのに対して、千葉工大の建築学科なんて出たような甘ったれたヤツは新幹線にあたりまえみたいに乗って、そして、小堀住研(株)は私には普通運賃しか払ってくれなかったのに千葉工大のヤツには新幹線代を払ったのだ。
   母は、私が中学生の頃、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けるようにと思って、それで、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言った。私は愚かなことにそんなヨタ話を本気にしてしまった。そして、努力して勉強すれば、自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行かせてもらって、就きたいと思う仕事につかせてもらえるものだと思い込んでいた。今、考えてもつくづく愚かだった。高校3年になると、話が違ってきた。父は「子供を女が産んだなどど思うてはならんぞ、チャンコロ」と言うのだ。女が産んだのでないなら、誰が産んだのだ? シェイクスピアの『マクベス』では、魔女のおつげとして、「女が産んだ者には決して負けることはない」と言われた者が、実は、帝王切開で月足らずでひっぱりだされた男に負けることになるという、そんなん詭弁やんけ! て感じの話があったが、それか? しかし、私はそういう産まれ方をしたとは母から聞いてないぞ。で、どういう意味かというと、父は「女は単なる畑じゃ」と言うのだ。「畑が子供を産んだのとは違うねんぞ。チャンコロ。心得違いを起こすなよ、チャンコロ」と。「畑に種を植えてやってあげていただいてもらってあげていただいてくださったお方のおかげで、種は芽を出すことができてんぞ。畑が芽を出したのとは違うねんぞ、チャンコロ」と。「そんでもってやなあ、種が芽を出したなら、育てるのは畑の役目じゃ。そんでやなあ、芽が伸びて実がなるようになったら、種を植えた人間に権利があるわけや。畑に権利があるのとは違うんや。ましてやナスビやキュウリに権利があるわ~けがない。わかったか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ」と。「感謝しろよ、チャンコロ。種を植えていただいてもらってくださってやってあげていただいたありがたいお方に対して感謝しろよ、チャンコロ」と言うのだが、そんなもったいぶった種なら別に植えていらんがな・・・とも思ったものだが、「種を植えた者」に決める権利はあるというのが父の主張なのだ。「畑」の方はどう言うかというと、「なんでも、お金を出す者に決める権利があるんでしょうが。大学は学費を親が出すんやから、親に決める権利があるんでしょう。あんたに決める権利なんかないでしょうが」と、そう言ったのだ。なんだか、私が小学生や中学生の頃に言っていたことと言うことが全然違うじゃないかと思ったが、我が家はそういう家庭だった。 だから、城東工業しか出てないくせしてからに、ボクサーになりたいと言えば、ボクサーになる方向を認めてもらえて、それで進むのかというと、それをやめてからに、世界旅行なんてうらやましいものやってからに、それから、「建築家」になるとそれも認めてもらえて、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ。わしぁ、日陰の月見草やあ~あ・・・・て感じがしてきて、なんか、途中でむかついてきた。 で、途中で、もう、いいや、と思って帰ってきた。

   「安藤忠雄の書斎」というのが再現されていたが、うらやましいなあと思った。 私も、あのような書棚が欲しい。私も、新刊書では発行されていない本で値打ちのある本をけっこう持っているし、あのくらいの書棚があれば、整理もしやすいのだが・・・・、持てないのだわ。 それだけではなく、「大学」を卒業する頃、苦労してアルバイトして買ったような本が相当あったのだが、実家に持ち帰るとしても、それを置くような場所はないし、アパートに置くとすると、本のスペースだけでも相当のものになるが・・・という時、父がこう言ったのだ。「ほりなさい。全部、ほりなさい」と。 わからない人のために説明すると、大阪弁で「ほる」とは「掘る」でも「彫る」でもなく、「捨てる」という意味である。 ひとが苦労してとりよせて、おのれの命と引き換えのような気持で読んだ本を「ほりなさい」と言いおったのだ。 「ドイツ人」のおっさんは。 安藤忠雄て、ええ身分やなあ、城東工業しか出てないような人間が、あれだけの書斎を持たせてもらって、生きたい人生を生かせてもらって。
   「挑戦する気持ちがある限り、ひとは青年である」て、ええかっこ言っても、実際問題として、「挑戦」させてもらえる人間と、させてもらえない人間、「挑戦」できる条件のある人間とない人間がいるわけだが、なんとも、うらやましい限り・・・・・とか思うと、つくづく、気分が悪くなってきて、くそったれ、やけ食いじゃ~と思って、前回のカフェ「サロン デロトンド」へ行って、ケーキセット食って帰ったのだ・・・・。

   父が会社の人なのかどこかの喫茶店でたまたま会っただけの人なのかに私が毎日練習していたオルガンを「オルガンなんか、要らん」と言ってあげた後、母は「ピアノがあるから、オルガンなんかなくてもよろしい」と私に言ったので、「でも、ヤマハの音楽教室はピアノじゃなくてオルガンやってるんだよ」と言うと、「ピアノの方がオルガンより上でしょ。うちはオルガンよりも上のピアノがあるだから、よそはオルガンはあってもピアノはないんだから、あんたはピアノがあってよそよりめぐまれてるんでしょ」とか言い出したのだ。 そうかな? やっぱり、ピアノはピアノ、オルガンはオルガンだと思うがな。で、そう言われたことから、オルガンというものはピアノの代用品、いわば、バターの代用品がマーガリンみたいなそんな感じ。 もしくは、がんもどきみたいな、あるいは、カニ風味かまぼこのタラ肉みたいな、オルガンとはそういうものかと思うようになったのだ・・・・が、それから数年後の1970年、大阪万博の時に、キリスト教館・バチカン市国館に行くと、パイプオルガンというものがあったのだが、「オルガンはピアノより下」「オルガンはピアノの代用品」「マーガリンみたいなもの」と教えられて本気にしていたので、バチカン市国というのは、世界で一番面積の狭い国だというだけあって、ピアノが買えない国なのかな・・・と思ったら、そうではない、「パイプオルガン」というのはピアノとは別であって、ピアノ以上のものなのだ・・・・そうだった。 なんか、何年か前に言われたことと違うことを聞いたような。 で、足踏み式オルガンとか電動式オルガンというのは、もしも、代用品だとすると、「ピアノの代用品」というよりも「パイプオルガンの代用品」と考えた方がいいのではないか。音色を考えると、ピアノよりもパイプオルガンに近いし、鍵盤をたたいた感触もピアノとオルガンは違うと思う。 たとえ、ピアノとオルガンのどちらか片方があればいいとおっさんは思ったとしても、子供がオルガン教室に通って毎日練習している以上、子供が毎日練習しているそのオルガンを、ある日、突然、会社の人なのか喫茶店でたまたま会っただけの人なのかにあげてしまうというのは、私はその人間性は好きではない。かつ、そうやってあげた人、もらった人というのは、もらったと感謝するかというとそうは考えないことが多いようだ。そうではなく、父は実際よりも自分がエライみたいな言い方をしてあげているので、ものすごく尊大な人間と思われて、そして、物をもらったことは喜んでも、人間としては評価されていないのではないか。そして、毎日練習していたオルガンをとりあげられた子供のことなんて、そのオルガンを大事にしていた子供のことなんて、少しも考えていないだろう。
   ヤマハのオルガン教室に通っていた同じクラスの子供は、家にあらかじめ、オルガンがあった人は少なかったようだが、そういう人は、練習用に電動式のオルガンを買っている。 だから、「あんたは何でもあっていいねええ~え」ということになるかというと、そうではなく、家にあらかじめない子供は、練習用に買ってもらっていたのだ。私は家にあるからということで、足でフンガフンガと踏まないと音が出ないオルガンをフンガフンガと踏んで練習していたのだ。あらかじめ、家にない人は新しい物を買ってもらっていた。どちらがいいのかというと、そりぁ、新しい最新式のものを買ってもらった人の方がいいのではないかと思ったが、そのフンガフンガと足で踏んで音を出していたオルガンを、父は誰だかよくわからん人に、「オルガン欲しいんやったら、うちにあるから、あげるわあ」というようなことを言ったようで、子供が毎日それで練習していたオルガンを、「あげるわあ」と言われた人はクルマで来て持ち去ってしまった。 たとえ、ピアノがあっても、毎日、それで練習していた、よその電動式と違って足でフンガフンガと踏まないと音が出ないオルガンでも、それでも、愛着があったものを、何の前触れもなく、突然、持ち去られたというのはショックだった。
   20歳の時、父は、「あんたには、よそと違うて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でもええもんばっかりどんなもんでも、買ってきてやってやってやってやってきてやったから」などと言い出したので驚いた。「そんなことないですよ」「絶対にそんなことないですよ」と言ったのだが、それに対して父は何と言ったかというと、「こりぁ、ビョーキちゃうかあ」とそう言ったのだ。「何でも何でも欲しいというものはおよそ何でも何でも買ってやあってやあってやあってやってきたのにからに、それがわからんというのは、これはビョーキやわあ」と、そう言いやがったのだ。 小学校の1年から2年の時、担任の先生が、足し算・引き算・掛け算・割り算について、クラスでトーナメント大会を開いて、優勝・準優勝の人間には、連絡帳にそれを記載してくれたということがあった。「父は優勝したらプラモデルを買ってやる」と言うので、頑張って優勝した。 小学校からの帰り道にプラモデル屋があり、ショーウインドウには「ゴジラ」「バラゴン」のプラモデルが置いてあった。同じクラスの人間で、優勝も準優勝もしていないけれども、さっさと「ゴジラ」も「バラゴン」も買ってもらっていた人間が何人かいたので、そいつらにいくらするか尋ねると、ゴジラは4000円ということだったので、そいつの家は、足し算トーナメント大会で優勝なんてしなくても、子供に4000円のゴジラを買う家、4000円のゴジラと4200円のバラゴンを買う家だが、我が家は無理だと思ったので、もう少し安いものでないとだめだなと思った。 しかし、優勝した後、父が「どういうのが欲しいか」と言うので、無理だとは思うが、ともかく、欲しいものを言うだけ言ってみようと思って、「ゴジラがいいけれども、高いから無理だと思う」と言ったのだ。そうすると、父は「なんで、無理やねん。いくらくらいすんねん」と言うので、「4000円らしいから、ゴジラは無理や」と小学校の1年の私が言うと、父は「何を言うてんねん、何を。こうたるがな、そんなもん、4000円くらいしたってえ。何を心配してんねん。このわしがこうたる言うとんねんがな。わしがこうたる言うたら4000円しようがいくらしようがこうたるがな。心配いらんて。何を心配しとんねんな。心配いらんて。わしがこうたる言うたらこうたるがな」と言うので、4000円の怪獣のプラモデルは同級生は買ってもらえる家庭が多いが我が家はこれまでの例から考えて無理だと思っていたのだが、買ってもらえるのかと思い、父と一緒にプラモデル屋に行った。ところが、プラモデル屋に行って、プラモデル屋の奥さんに父が「ゴジラはいくらするんですか」ときくと、奥さんは「4000円です」と答えたところ、父は「ふええ~え。ひええ~え。ぎょええ~え。そんなもん、ゴジラのプラモデルみたいなそんなもんが4000円もするんか。かなんな、そんなもん。とんでもない、そんなもんに4000円も払うやなんて。そんなことしたらいかん。絶対にそんなもんに4000円もつこうたらいかん。 絶対、そんなもんに4000円もはろうたらいかん」と言い出したのだ。話が違うじゃないか。私が「4000円もするから無理や」と言っているのに、「何を言うとるんや、何をお。このわしがこうたる言うとるんやがな、このわしがあ。このわしがこうたる言うた以上は、4000円しようがいくらしようが、絶対にこうたるがな、心配いらんがな。何を言うとんえん、何をお」と言った男が、「ふえええ~え、ぎょええ~え、ひええ~え」と言ったのだ。そして、「もうちょっと、安いもん、ないんか」と言い、プラモデル屋の奥さんが「バルゴンやったら200円です」と言うのを聞いて、「それがええ、それが。それにしなさい」と言ってバルゴンを買い、帰り道々、「そんなもん、怪獣のプラモデルみたいなもん、200円くらいのもんでええんや。4000円もするような怪獣のプラモデルみたいなもん、絶対にこうたらいかん。あんた、バルゴン、買ってもらって、良かったねえ~え。良かった、よかった、よかったね。よかった、よかった、よかったね」とそう何度も何度も言ったのだ。 最初から、「4000円もするものは買えないけれども、何百円というくらいのものはないのか。200円くjらいのものなら買ってやれるけれども、プラモデル屋に行って、200円くらいのものとかないか、きいてみようや」と言って、200円のバルゴンを買ってもらったなら、たとえ、同級生は4000円のゴジラと4200円のバラゴンを買ってもらっているのを、私は200円のバルゴンだけであったとしても、それでも喜んだと思うし、それでもうれしかったと思うが、「何を言うとるんや、何を。4000円したって、買ってあげますって。このわしがこうたる言うとるねんがな、このわしがあ。わしがこうたる言うたからには絶対にこうたるがな。心配いらんがな。絶対にこうたるがな」と言われて、それで言って、プラモデル屋で「ふええ~え。ぎょええ~え。ひええ~え」と言われたあかつきには、あんまり喜べなかった。 当時の値段で4000円もするプラモデル(今の値段なら4万円くらいだろうか)などは、買ってもらえる家庭と買ってもらえない家庭があり、買うのがいいとは限らない、あまりにも高いものは、たとえ、よそが買っても、たとえ、買うお金があっても、買わない方がいいという判断をする親だってあると思う。 貧乏なくせして子供に甘いという家庭もあり、どう見ても金持ちに見えないにもかかわらず、怪獣のプラモデルとかは高いものをいっぱい買ってもらっている同級生もいたが、それもひとつの判断で、貧乏だからこそ、子供にみじめな思いをさせたくないと考える親だってあったのかもしれない。しかし、「4000円したって、こうたるがな。このわしがこうたる言うとんねんがな、このわしがああ。このわしがこうたる言うた以上は心配いらんがな。わしがこうたる言うた以上は、いくらしようが絶対にこうたるがな」と言いながら、「ふええ~え、ぎょええ~え、ひええ~え」とプラモデル屋まで行って言うおっさんというのは、たぶん、同じクラスでも我が家だけではないかと思うのだ。そのおっさんが、私が20歳の時に言いおったのだ。「あんたには、子供の頃から、欲しいというものは、どんなものでも、何でも何でもええもんばっかし、どんなもんでも買ってやあってやあってやあってやってやってやってやったったから」と。そして、「絶対、そんなことないはずや」と言った私に、「はあ~あ。かなんなあ、こんなこと言いおるとは。これは、ビョーキやからそういうことを言いおるんや。これは、ビョーキや。これはビョーキ。 難儀やな、こいつは、難儀やな、こいつは」と父はそう言ったのだ。 プラモデル屋まで行って「ふええ~え、ぎょええ~え、ひええ~え」とか言われたあげく、「あんたには、子供の頃から欲しいというものは、どんなものでも、何でも何でもどんなものでもすべてこうてきてやあってやあってやあってやってやってやってやってやってやってやったったから」とか言われ、「絶対、そんなことない」と言うと、「こりぁ、ビョーキですわ、これは。ビョーキやから、そんなことを言うんや。難儀やな、これは、難儀なやっちゃな。こいつは。こういうヤツのおかげで、わしは苦労するんや、このわしは。人格者のこのわしが、こいつのおかげで苦労させられるんや、こいつのおかげで。何でも何でもどんなもんでも、よそと違うてこうてきてやあってやあってやあってやったったのにからに、それがわからんというのは、これは間違いなくビョーキやわ、こいつは。困ったもんやな、こいつには。ほんまに困ったもんやな。キリストのように人格者でヒットラー総統のように謙虚で、世の中でわしほどエライ人間はないというこのわしが、このチャンコロのおかげで苦労させられるわ、ほんま。まいったな、このチャンコロには、ほんま・・・」とか何度も何度も言ったのだ。 しまった、子供の頃、欲しいというものを買ってもらえないという時、道路の真ん中にひっくり返って「びえええ~え、ぎょえええ~え」と泣きわめく子供がいたが、私はそういうことはしない子供で、そういうことをする子供というのは、教育がなってない家庭の子で、しつけのなってない人間としてほめられない子供だと思い込んでいたが、そうではなく、20歳になってこういうことを言われるのなら、私もあれをやるべきだったか。 人間、「やる時はやります」というように、あれをやらないといけなかった、ということか。 それを私はやらなかったために、それで、20歳になって、こんなことを言われなければならなくなった、ということか、しまった、失敗した・・・・と思ったものだった。
   小学校の1年の夏休み、父の会社の社員旅行で小豆島に行くのに連れてもらったことがあった。その帰り、私は肩からかける子供用の小さい水筒を持ち、高校生だった姉が一般用の水筒を持って行っていたのだが、小豆島の旅館を出る時、姉が「旅館で水筒にお茶を入れてもらっていこう」と口にした時、そこにいた父の会社のある男性社員が「お茶なんて入れてもらわなくていい」と言ったので、姉は「要りませんか」と言い、「要らん」と言われて、「それなら、〇〇ちゃんのこの水筒にだけ入れてもらっていこう」と言って、旅館で私が持っていたアトムの絵が描かれた小さい子供用の水筒にだけお茶を入れてもらってきた。小豆島の港をフェリーボートが出て大阪の弁天埠頭に向かった後、船内で、「お茶あるう?」とある女性社員が言い出したので、小豆島で一緒に遊んでもらった人がお茶を欲しいというので、私の水筒から分けたところ、「私も欲しい」と言い出す人間が何人か出てきて、そして、父が「ちょっと、その水筒貸してんか」と言って、「配給、配給。お茶の配給」と言って、特別、欲しいと言ってない人にまで私の小さい水筒からお茶を入れてまわった。その結果、子供用の小さい水筒に入ったお茶なんてすぐにすべてなくなった。 私は自分が飲む分まで「配給」されてしまうとは思わなかったので、「お茶ほしい。のどが渇いた」と言った時、当然、私の分くらいは残してもらっていると思ったが、小学校1年の私が肩から下げて持って行っていた水筒のお茶は会社の従業員の男女がすべて飲み干していた。父は「売店に行ってジュースこうたろ」と言い、そして、船の売店に行ったが、船の売店はしまっていた。父は「弁天埠頭についたらこうたる。弁天埠頭まで我慢しなさい」と言うので、弁天埠頭までと思って苦しい思いをしながら我慢したが、弁天埠頭につくと、父は「バスきてる、バスきてる。弁天町の駅についたらこうたる」と言い出し、そして、弁天町の駅まで我慢すると、「プラットホームの売店でこうたる」と言って、さらに国鉄大阪環状線「弁天町」駅のプラットホームまで我慢させ、そして、弁天町駅のプラットホームに行くと、「電車きた、電車きた。天王寺の駅についたらこうたる」と言い、そして、天王寺駅に着くと、今度は「阪和線の電車きてる、電車きてる。南田辺の駅についたらこうたる」と言って阪和線の各停の電車の乗せたが、その頃の天王寺駅はターミナル駅・終着駅で電車が来ていてもなかなか発車はしない。「なかなか出ないから。まだ、電車でないから」と苦しみにもだえながら訴えたが、父は「もうでる、もうでる。 もうでる、もうでる」と言ってきかないが、なかなか出ない。そして、阪和線の電車がやっと天王寺駅を出て、2つ目の駅である南田辺駅に到着したところ、もう、ここからは家まで歩く以外、電車にもバスにも乗ることはない、今度こそジュースを買ってもらえる・・・・と思ったところ、父はこう言ったのだ。「もうすぐ、家です。もうすぐ、家!」と。 結局、私は水筒を肩から下げて持って行きながら、その中のお茶はすべて会社の人に飲まれてしまい自分は飲めなかっただけでなく、船の中では「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言われ、弁天埠頭につくと「弁天町の駅についたらこうたる」と言われ、弁天町の駅にバスが着くと「プラットホームでこうたる」と言われ、弁天町駅のプラットホームに行くと「電車きた、電車きた。天王寺の駅でこうたる」と言われ、天王寺駅に着くと「電車きてる、電車きてる。南田辺の駅についたらこうたる」と言われ、南田辺駅につくと、今度は「もうすぐ、家です。もうすぐ、家!」と言われるはめになったのだ。あの水筒はいったい何のために持って行ったのか、と思う。 又、姉が持っていた一般用の水筒に姉が旅館でお茶をもらっていこうと言った時に、「お茶なんか、入れてもらわなくていい」と強く言って入れさせなかった男性社員は、なぜ、自分がそう言ってお茶を一般用の水筒に入れさせないようにしておきながら、子供が持っている小さい水筒のお茶を「ちょっと、お茶ちょうだい」と言って飲んだのか。 それにしても、フェリーボートの中→弁天埠頭→弁天町駅→弁天町駅のプラットホーム→天王寺駅→南田辺駅→「もうすぐ、家です、もうすぐ、家!」 と、なんで、そんなことしなきゃならんのか? そんなことしなきゃならない理由が何かあるのか・・・・と思うが、そういうおっさんだった。しかも、そういうことをしたおっさん、その時だけではなく、それに類することは他にもやってきたおっさんが、私が20歳になった時、「あんたには、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなものでも、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかしこうてきてやあってやあってやあてやってやってやってやあってきたから」などと言い、「絶対にそんなことはない」と私が言ったのに対して、「難儀なやっちゃな、こいつは。 わからんのか。何でも何でも何でもほしい言うもんはこうてきてやあってやってやってやってきてやったのにからに、こういうことを言うというのは、これは、間違いなくビョーキやわ、こいつは。難儀なこっちゃな。キリストのような人格者で、聖徳太子のような聖人で、ヒットラー総統のような謙虚、けんきょ、ケンキョ、謙虚なこのわしにこんなどうしようもないクズが生まれるとは、何でも何でもこうてきてやあってやあってやあってきたことがわからんとは、これは絶対にビョーキやわ、こいつはビョーキや、絶対にビョーキや、こいつは」とそう言われたのだが・・・・、しまった、失敗した。こういうことを言い出す男とは、ここまでとは思わんかった。失敗した。 我慢に我慢を重ね、苦痛に耐え忍んだのだが、そうではなく、「やる時はやります」と、断固として、弁天埠頭において、地面に寝転がって「ぎゃああ~あああああ」と泣き叫ぶべきだった。やる時にやらないと、人間はなめられるということだ。 先の選挙の時にも、「黙ってるとなめられる」と枝野が言っていたが、たしかにそうだ。 欲しいものを買ってもらえないと道に寝転がって「ぎゃああああ」と泣き叫ぶ子供を見ると、なんとも、ききわけのないみじめな奴だと思って軽蔑の眼で見て、私は子供の頃からそういうことはしなかったが、そのおかげで、よその子供は買ってもらっているものを「ひえええ~え」「ぎょえええ~え」とか言われて、小豆島から弁天埠頭に向かう船のなかから南田辺駅まで引っ張られたあげく、「もうすぐ、家です、もうすぐ、家」などと言われて、そのあげく、20歳になって、「あんたには子供の頃から、欲しいというものはどんなものでも、何でも何でもどんなもんでもこうてきてやあってやあってやあってやってやってやってやあってきたから」とか事実と正反対のことを言われ、さらには「そんなこともわからんとは、これはビョーキやわ、間違いなく、絶対にビョーキや」とかそういう口まできかれることになった。
    そして、大学進学については、「わしの権利じゃ、わしの権利じゃ」と父は言ったのだ。 「世の中にはな。わかっとるやろうな。 自分ではやらずにひとがやることを決めるのが向いている階級と、自分のことを自分で決めずにひとに決められて、決められたとおお~り、やるのが向いている階級とがあるわけや。 民族もそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかは人に命令するのが向いている民族。チャンコロは常にひとに命令されて号令をかけられるのを喜ぶ民族。 わしはドイツ人で、あなたはチャンコロとして神さまはお造りになったわけや。そんでもってやなあ。神さまは大変に哀れみ深いお方であってやなあ。チャンコロにはまた、チャンコロとしての人生を用意してくださっておるわけや。即ち、神さまはチャンコロには服従するための人生というものを用意してくださっているわけや。神さまに感謝しろお!」と、父はそう言ったのだ。

    そうやって、小学生から中学生の頃、母が私に言った「親というものは、子供が大学に行く時になって、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けるように、就きたいと思う仕事につけるようにと思って、子供の頃から無理にでも勉強させようとするものなんや」というヨタ話をバカが本気になって信じて、毎日毎日、同級生が遊んでいる時も勉強してきて、そして、その努力の成果は、「畑に種が芽をだしたら、育てるのは畑の役目で、その芽が育って実がなるようになったら、その実は種を植えた者に権利があるんじゃ。チャンコロ」ということになってしまった。 アホくさ。 しまった、失敗した。こんなことなら、小学校の1年から勉強なんかするんじゃなかった。いわば、自分が飲めないお茶なら、そんな水筒を持って行くんじゃなかった、というのと同じく、小学校の時も我慢して努力して、中学校の時も我慢して努力して、高校でも我慢して努力して・・・・すると、「わしの権利じゃ、わしの権利じゃ。チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロ。わしはこの世で最もえらい人間やねんぞ、チャンコロ。このわしはキリストのような人格者で、聖徳太子のように賢明で、ヒットラー総統のように謙虚、けんきょ、ケンキョな人間やねんぞ、チャンコロ。チャンコロとは民族が違うんやぞ、チャンコロ。チャンコロとは人種が違うねんぞ、チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロ。増長するなよ、チャンコロ。わしのようなえらいえらいえらいえらい、ヒットラー総統のように謙虚な人間の言うことは、みんながなんでも、なんでもみんなが、何でも何でも何でも服従せんといかんねんぞ、チャンコロ。つけあがってはならぬぞ、チャンコロ。ヒットラー総統に逆らってはならぬぞ、チャンコロ」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けることになった。失敗した。

   そう考えた時、城東工業高校しか行ってないくせしやがってからに、ボクサーになりたいと思えばボクサーの道に進ませてもらい、それも途中でやめて、世界一周旅行なんて行かせてもらい、そして、「建築家」になりたいと思えば、ならせてもらい・・・・、そういう「挑戦」をさせれもらえる人生を送らせてもらってきた、なんとも、けっこうな男、うらやましい男が、「建築家」として優秀であってもなくても・・・・・、なんか、気分悪くなってきた、なんか、むかついてきた・・・・ということで、途中であほくさくなって、途中からはあんまり真剣に見ないで帰ってきた。
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   (2017.11.21.)


☆ 国立新美術館と「安藤忠雄展」
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_7.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_8.html
3. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_9.html
4.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_10.html
5.〔今回〕
6.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_12.html

☆ 国立新美術館と「ルノワール展」
新国立美術館(港区)(黒川紀章+日本設計共同体)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html

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