修学院離宮見学(1)修学院離宮と桂離宮、飛雲閣・成巽閣、日光東照宮、ヴェルサイユ庭園との対比について

[第257回]「数寄屋建築」の研究4-1
  ≪日本の建築の建築様式には、次のような造りがあります ≫
古代(上代) 神明造り、大社造り、住吉づくり、
奈良時代  春日造り、校倉造り、
平安時代  寝殿造り、
室町時代  書院造り、
江戸時代  数寄屋造り(茶室)
・・・と  山田伸亮(のぶあき)・井上国博・齋藤裕子・秋山秀猷(ひでのり)『初めて受ける インテリアコーディネーター試験 インテリア基礎編』(1989.9.1.オーム社)に出ていたのだが、これは、インテリアコーディネーターの1次試験(学科試験)に合格するため というレベルにおいてはこの覚え方でいいのかもしれないが、これで正確と言えるかというと、必ずしもそうと言い切れない。
   特に、「数寄屋造り」というヤツだが、1990年前後、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕では、木質パネル構法での高級志向タイプに「新 桂(しん かつら)」という名称をつけていたのだが、これは「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」という趣旨での「桂」の改良版として「新 桂」だったわけで、もちろん、桂離宮と同じようなものを作るわけではなく、「すばらしいデザインを現代に」という趣旨なので、和風(「和のかたち」)もあれば洋風(「洋のかたち」)もあった。〔ちなみに、新卒社員研修に講師役で来て、この「新 桂(しん かつら)」を「しんちゅう」と読んだおっさんがいた。同一人物だったかどうか記憶が確かでないが、「管柱(くだばしら)」を「かんちゅう」と呼んだおっさんもいた。 自分の会社の商品名をまともに読めないというのは情けない。「管柱」を「くだばしら」と読めない人がいても、「しろうとさん」の場合はしかたがないとも思うが住宅建築業の会社の従業員で、しかも、研修の講師役で来て「しんちゅう」だの「かんちゅう」だのと言っているようでは恥ずかしいし情けないと思う。〕 他に、どこだか忘れたが、和風のデザインのもの、「数寄屋風」の建物に「桂」という名称をつけていた会社があったのをチラシで見たことがある。 「桂」とか「新 桂」とかいう名称を商品名としてつけている会社でなくとも、「数寄屋」「数寄屋風」を名のる建物を建てている会社はけっこうあったし今もあるのではないかと思うのだが、そういう会社の住宅展示場に行って、営業さんに、あるいは、設計さんに、「数寄屋ってどういうのを言うのですか?」と質問してみると、「桂離宮のような」という答えが返ってくる。 その返答もできない人もいるかもしれない。「和風の家のこと、和風のこと」とかいいかげんなこと言うおっさんもいるだろう。 小堀住研(株)では1980年代後半に入社した時、新卒社員の研修で「住宅建築業の営業はアホはあかんのや。 住宅建築の営業は、まず、住宅について勉強しないといけない」「住宅建築の営業はお客さんのコンサルタントなのだから、相談されて対応できるように、まず、住宅について勉強しないといけない。そういう勉強ができない者は営業はだめだ」と言われたものだが、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ では営業本部長のA野T夫から「住宅の営業に知識なんてちっとも関係ないで。住宅の営業はアホが気さくでええんや。アホが。 僕にしたって学校でてないから(最終学歴 中卒 だか、定時制高校中退だか…)、だから、気さくで人間味があるんや。そう思うだろ。思うと言えよ。思うだろうが。思わないのか! 『思います』と言え!」と言って、無理矢理、「思います」と言わされたことがあったが、そうやって、無理矢理、「思います」と従業員に言わせるような人間が「気さく」で「人間味がある」かどうかよくわからんし、11年余り同社に在籍した私のさらに倍ほども在籍した某さんにこの話をしたところ、「いったい、だ~れがそんなわけのわからんこと言ってるんだ、誰があ? あの人のいったいどこが『気さく』でどこが『人間味がある』んだ? 誰がそんなわけのわからんこと言ってるんだ、誰があ!」と言う返答をされたのだが、誰が言ってるのかというと御本人である。 同じことを、やはり、同社でベテランの某さん2に話したところ、「そんなの、A野部長の言うことなんて、本気にしちゃだめですよ。なにしろ、あれは、アホですから」と言われた。 まず、(株)一条工務店の営業が誰もがA野さんのような営業をやっているかというと違うと思う。そもそも、A野T夫さんは創業者オーナー社長O澄K二郎さんの義理の弟だということで営業本部長になっていたが、営業としては20代の時に、ちょろっと「特別扱いの営業」を浜松でやったことがあるだけしかないのであり、彼はそれが「一条のやり方」だと思っているかもしれないが、実際はあくまでも「A野T夫さんのやり方」「何十年か前に浜松で通じたかどうかのやり方」でしかない。但し、営業本部長がそういう人であると、そういうタイプの人が幅をきかすようになる面もあったかもしれない。 そういう「一条型」の住宅会社の場合は、なにしろ、「営業はアホがええんや、アホが」というそういう営業がいるので、そういう人間はデマカセ言うのが大好き! だから、「数寄屋ってどういうものを言うのですか?」などと質問しても、「数寄屋とは和風のこと、和風のこと」とでも言えばいい方かもしれない。私はそういうのがいいとは思わない・・・が、「数寄屋とは?」と尋ねて、「桂離宮のような」という答えが「一般的な回答」のように思うのだが、桂離宮に行ったことがない人にとっては、「桂離宮のような」と言われても、「桂離宮ってどんな建物なんですか?」と言いたくなるわけだ・・・が、そう言うと、今度は、「数寄屋建築の代表」とかいうのが「一般的な回答」なのだが、「数寄屋とは?」→「桂離宮のような」、「桂離宮とは?」→「数寄屋建築の代表」 でまた、「数寄屋とは?」→「桂離宮のような」 では、答えたことにならない・・・のだが、実際のところ、「数寄屋とは?」という問いに真剣に答えるのは、実際のところ、なかなか難しい。

   「数寄屋造り(茶室)」という表現はさらにややこしい。 そもそも、「数寄屋造り」と「茶室」はどういう関係にあるのか。 「数寄屋風書院」という言葉もあるのだが、これは、「書院造り」に「数寄屋風」の要素が加わったものということで、「数寄屋風書院造り」を簡略化した用語が「数寄屋造り」らしい。 で、「数寄(すき)」「数寄屋」とは何かというと、「茶道」「茶室」のことを言うらしい。 しかし、有名建築・歴史的建造物でも、「数寄屋」と言われるものと、「茶室」と言われるものは別のような気がするのだ。
「茶室」と言われるものとしては、妙喜庵待庵(千利休)、大徳寺孤篷庵忘筌(小堀遠州)、如庵(織田有楽?)など。
「数寄屋」と言われるものとしては、桂離宮、修学院離宮、西本願寺飛雲閣、金沢城成巽閣、三渓園臨春閣(旧 紀州徳川家岩出御殿)など。
「茶室」と「数寄屋」では、メンバーが違うように思うのだ。
   山田伸亮(のぶあき)・井上国博・齋藤裕子・秋山秀猷(ひでのり)『初めて受ける インテリアコーディネーター試験 インテリア基礎編』(1989.9.1.オーム社)には、≪茶室趣味の様式で、丸太の肌や、土壁の持ち味などを生かして、風流・上品に洗練された表現をもつ造りをいいます。 ≫ ≪桂離宮や修学院離宮、また妙喜庵待庵などの茶室に見ることができます。≫と出ているのだが、住宅建築業の会社の営業さん、設計さんも、せめて、≪「丸太の肌」を表にだしたり、「土壁」風の外壁とかを使い、「風流・上品に」「洗練された」感じの和風の家づくりを≫とでも言えばいいのにねえ・・・・。 そのあたりが、住宅建築会社が言ってる「数寄屋風」だと思います・・・・が、言えねえんだよ、「アホが向いてるんや。営業には、アホが」とか言ってるその程度の経営者の会社の営業は。
   で、戸建住宅における「数寄屋風」はわかったとして、それにしても、桂離宮・修学院離宮と妙喜庵待庵を一緒にするのは、やはり、少々無理があるような気もするのです。
   斎藤英俊・穂積和夫『日本人はどのように建造物をつくってきたか10 桂離宮 日本建築の美しさの秘密』(1993.8.31.草思社)所収の斎藤英俊「解説―桂離宮の御殿の意匠と技法」によると、斎藤英俊氏は桂離宮のような建物のことを、「数寄屋造」ではなく「草庵風書院」と呼んでいるそうで、桂離宮のような建物は様式としては「書院造り」の範疇に入るもので、そこに「草庵」の要素が取り入れられたもので、茶室と関係があるような名称は不適切だとされています。 ・・・となると、妙喜庵待庵と桂離宮・修学院離宮は別なのか?
   さらに、藤井正一・小原二郎編『インテリアコーディネーターハンドブック 技術編』(1994.1.10.インテリア産業協会)を見ると、「数寄屋造」「数寄屋建築」と言われるものにも、≪「ワビ」「サビ」を重視した地味で静寂な空間≫のものと、≪派手でにぎにぎしく、ときには目がさめるような華美な「キレイサビ」の空間≫があり、前者の代表が桂離宮で、後者の代表が西本願寺飛雲閣と金沢城成巽閣だというのです。 俵万智・十文字美信 他『桂離宮』(1996.3.25.新潮社 とんぼの本)所収の俵万智「桂離宮散策」では≪それぞれの建物のある場所をめぐってゆくのは、(修学院離宮も)桂離宮と同じだが、≫ ≪周りの風景を抱き込んで、開放的な演出を見せる修学院離宮、・・≫≪外界を遮断して、緻密な演出を見せる桂離宮≫と書かれているのを見ると、
「ワビ」「サビ」桂離宮 ⇔ 「キレイサビ」飛雲閣、成巽閣
「緻密な演出」桂離宮 ⇔ 「開放的」修学院離宮

という対比を認識してこそ、「数寄屋」なのか「草庵風書院」なのかを理解できるのではないか、と思うに至ったのだが、難儀なことに、桂離宮と修学院離宮は宮内庁の管轄で、一般の寺社と違って、突然、行って見学するということはできない。 なにしろ、宮内庁の管轄なので、まず、入口で日の丸の小旗を渡されて、「バンザイ、ばんざい、万歳、ばんざい!」と叫ばないと入れてもらえないか? 入口でキリストかマリアの絵が刻まれた板を差し出されて「踏めえ~え」とか言われるのか? 踏めなければ「逆さ吊るし」とかされるのか? というと、そんなことはないのだが、あらかじめ、インターネットか往復はがきで申し込んで許可を得て、決められた時刻に行って身分証明証を提示することで見学させていただけるというもので、休みがいつ取れるかわからないジャパニーズビジネスマンにとっては、あらかじめ、何カ月も前に予約するというのは「ちょっと、しんどい」のだ。 行くと、白人の見学者もおれば、中国人らしき見学者もおり、けっこう人気があるようで、かつ、1回の見学人数としては限度いっぱいの人数をすでに認めているようなので、宮内庁の申込のホームページhttp://sankan.kunaicho.go.jp/index.html を見ても相当先までいっぱいになっている。 で、たまたま、至近で空きがあったようなので(もしかして、キャンセルした人があった?)、とるものとりあえず、見に行った。 だめだと言われたって、もう、行っちゃったもん。
〔 京都の大学に行った大学生、京大・京都工芸繊維大・京都市立芸大に行った学生さん。 大学生4年間の間にやるべきことは、何より、桂離宮・修学院離宮・仙洞御所に見学に行くことですぞ。 学校の先生か何かの仕事につけばまた違うのかもしれんが、ジャパニーズビジネスマンになると、あらかじめ、何か月か先の予約をして見学に行くというのは、けっこう大変。 だから、東寺なんてのは京都駅のすぐそばだからいつでも行けるから・・・・なんて思っているといつまで経っても行かなかったりするのだが、大原三千院なんて京都と言ってもけっこう遠いから大変だし、と言っても、ともかく、予約いれなくても行けるのに対し、京都御所は2016年の7月26日から予約なしでも見学できるようになったらしいが(https://sankan.kunaicho.go.jp/info/20160720_01.html )、桂離宮・修学院離宮・仙洞御所は今も予約が必要なので、夏休みとかある大学生の間にぜひとも行っておくべきですぞ!
   別に、京大・京都工芸繊維大・京都市立芸大以外の大学の学生が行っても悪いことはない。 ただ、私の場合、過去の「トラウマ」がある。 今となっては35年近く前のこと、春休みに大阪でアルバイトをした時、そこに来ていた関西大学の学生が「東京でおもしろい所を教えてくれ」と言うので、普通に歩いているだけでも名曲喫茶があり、専門の古書店があり、岩波ホールがあり、救世軍の本部があり、「反体制の本なら何でも置く」としていたが閉店になった「ウニタ書舗」なんてのもあった、『親切な物理』になぜか広告が出ていた研数学館なんてのもあった神田神保町を教えてやったところ、「そこ何があるんや、そこ。ピンサロあるんか」と言われたので、しまった、関大のブタ学生になんか、神田神保町を教えるのじゃなかった、と思ったのだ。 「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな」と聖書に書かれているが、その通りだった。 同じことを慶應大の学生に教えたところ、「おまえ、なんか、東大の学生みたいなことを言うな。慶應の学生なら慶應らしくしろ。 神田神保町と言えば、芳賀書店だろうが。俺の知ってる慶應の学生は、神田神保町に行くとすればみんな行く先は芳賀書店やな。慶應の学生なら芳賀書店に行くもんだ。慶應の学生のくせに、東大の学生みたいなこと言うのはやめろよ、感じ悪いな、おまえは」と言われた。 それ以来、慶應の学生にも、ここはいい所だと思った所を教えるのはやめた。
  かつて、小学生の時、母と一緒に太秦の広隆寺に行った。今、90歳を過ぎた母は、あんたのおかげで広隆寺に行けたと言ってその件について喜んでいる。小学生でも勉強する子は、京都でどこに行きたいかと言うと、広隆寺と言ったから、だから、小学生でも勉強する子は違うと思った、と90過ぎて言うのだが、その時、広隆寺に京大の学生が来ていて、母はそれを見て、やっぱり、京大の子は違うなあと思った、と今も言うのだ。
  東京の神田神保町に「ミロンガ」というタンゴの名曲喫茶がある。神田神保町を歩いていて見つけたのだ。 もう、15年以上前、姉に無理矢理「お見合い」をさせられ、ともかく、この人もせっかくここまで来てくれたのだから、私の「隠れ家」を教えてあげようと思って「ミロンガ」に連れて行ってあげたのだが、向こうからお断りの返事が来ただけでなく、「ミロンガ」などはおもしろくなかったと文句まで行ってきた。その時、悟った。「男の隠れ家」はしょせん、男の隠れ家だったのか、と。 教えるのじゃなかった。関大のブタ学生の女性版みたいなヤツに、親切で教えてあげて、文句まで言われた。 だから、もし、京都の大学に行ったなら、大学生4年間の間に、桂離宮と修学院離宮と仙洞御所には行っておいた方がいいよ、と教えてあげても、人によっては「おそらく、彼らはそれを足で踏みつけ、向き直って噛みついてくる」かもしれない、という気がするのだ。よく、職人とか営業とか運動選手とかいった仕事の人間はおのれの技を人に教えないという話があり、ライバルに教えておのれの立場を危うくしたのでは元も子もないからおのれの立場を守るために教え渋ると解釈されるが、そうではなく、教えると怒られるから教えない、というケースもあると思う。 関大のブタ学生と慶應のエロ学生に教えてバカみた経験はショックだったし、そのトラウマは簡単には消えない。  〕

   建築には「百聞は一見に如かずの法則」というものがある。 しかし、同時に、「2か所見ると混乱するという法則」もまたあるのだ。 1998年だが、ミラノ大聖堂(ミラノのドゥオモ)に訪問して、「なるほど、これが、ゴシックかあ!!!」と感動もすれば感心もした、「やっぱり、建築は『百聞は一見に如かず』だ。ゴシックとは何か、それは言葉でなんたらかんたら言うよりも、ミラノ大聖堂こそゴシックなんだ♪」と思ったのだ・・・・が、よせばいいのに? その後、2001年、パリのノートルダム寺院に行ってしまったのだ。 すると、「はて、いったい、どっちがゴシックなんだ?」となってしまったのだ。 パリのノートルダム寺院とミラノ大聖堂とは、いずれも、「ゴシック建築の代表」と言われているものの、両方見ると、全然違うのだ。 困った・・・・・。
   「数寄屋」だか「草庵風書院」だかも、桂離宮と修学院離宮の両方を見学すると混乱するかとも思ったが、たとえ、混乱しても、それでも、
桂離宮⇔西本願寺飛雲閣、金沢城成巽閣
桂離宮⇔修学院離宮
という対比は確認しなければ・・・と思って足を運んだ。

   修学院離宮について、私にとっては、もう一つの「対比」がある。 それは「庭園」についてである。 北野高校の3年の時、「世界史」の授業で、K先生が、ベルサイユ宮殿とベルサイユ庭園について、「日本では、『庭』とか『庭園』とかいうと、4畳半くらいのせま~い所に、灯篭とか置いてあったり、苔が生えていたりとか、枯山水とか、筧の音がコトコトとか、なんかそういうのが『庭』とか『庭園』とかいうイメージがありませんか。 ところが、ヴェルサイユ宮殿の庭園なんて、庭園は庭園でもそういうのとは、もう、全然違いますよ。ずぅどぉ~おんと広くってねえ、こんな庭園があるのかと思って、もう、ああいう所に行くと、それこそ、もう、人間が変わりますよ。ほんとに。ぜひ、行ってみてくださいよ。ぜひ」と言われたことがあった。 そして、2001年にヴェルサイユ宮殿とその庭園に行った。 まさしく、「人間かわりますよ」て感じだった。 たしかに、「ずぅ~どぉ~んと広くって」、そして、「こんな『庭園』があるんだと思って」、「うわぁ~」と「感動しますよ、本当に」と思った、本当に・・・・、で、その後、2000年代、京都の大原の三千院に行って、三千院の「聚碧園」を見て、「しかし、これはこれで悪くないよな」「これはこれで、いいよな」とも思ったのだ。
   で、日本の庭園でありながら、相当の広さを持つ庭園として、修学院離宮があるわけだ。 ≪広さは桂離宮の約八倍、十六万五千坪というから、ディズニーランド(約十四万坪)よりも広い。≫(俵万智・十文字美信 他『桂離宮』(1996.3.25.新潮社 とんぼの本 所収 俵万智「桂離宮散策」)というからには、日本にあっても「ずぅどぉ~んと広くって」というヴェルサイユ庭園型なのか、
「4畳半くらいのせま~い所に、灯篭とか置いてあったり、苔が生えていたりとか、枯山水とか、筧の音がコトコトとか、なんかそういうの」の庭園
 ⇔ 「ずぅどぉ~おんと広くってねえ、こんな庭園があるのかと思って、もう、ああいう所に行くと、それこそ、もう、人間が変わりますよ。ほんとに」の「ヴェルサイユ庭園型」の庭園

の対比で、修学院離宮は日本にあっても「ヴェルサイユ庭園型」なのか? そのあたりを考えてみたいとも思って訪問した。


   ドイツ人の建築家・ブルーノ=タウトさんは、日本ではタウトさんが設計した建物によってではなく、『日本美の再発見』 で、桂離宮を称賛し日光東照宮をボロクソに言った人として有名であるが、修学院離宮についての言及は見当たらない。 やはり、日光東照宮を≪建築の構成美を忘れて装飾過多に陥ったもの≫と酷評し、≪茶室よりもむしろ書院造の様式を踏襲したものであるが、同じように装飾的要素を徹底的にふり落し、生活の場所としての機能性と力学的な構造美とのみに最大の力をそそいで造られたものに桂離宮がある。≫と『日本文化史 第二版』(1982.3.23.岩波新書)で桂離宮を称賛した家永三郎は、修学院離宮についても、≪ ここで、後水尾上皇の山荘として十七世紀後半に造られた修学院離宮が、洛北の山々を展望する、日本では珍しい雄大な景観を持つ庭園であり、これまた皇室の造営にかかるものであることが考えあわせられよう。現実の勢力を失った古代貴族の末裔が、かえってそのために古代文化の伝統のエッセンスを放出することにより、日本文化の創造に貢献した最後の功績とみることができるかもしれない。≫と述べている。 ≪ただ(俵屋)宗達にせよ、桂離宮にせよ、また修学院離宮にせよ、その卓越した様式が一代限りで終わって、いっそう高い発展への起点となることができなかったのは、やはりその古代貴族的性格が江戸時代の文化として展開されていく適応性を欠いていたからなのであろうか。≫と続くが。
   家永三郎の見方では、
「装飾的要素を徹底的にふり落し、生活の場所としての機能性と力学的な構造美とのみに最大の力をそそいで造られた」桂離宮・「洛北の山々を展望する、日本では珍しい雄大な景観を持つ庭園」修学院離宮 ⇔ 「建築の構成美を忘れて装飾過多に陥ったもの」日光東照宮
という対比があるのだが、そのあたりも見たいと思った。
   そのあたり、次回、 実際の写真とともに述べていきたい。

   『ブルーガイドニッポン 今日から土地の人 京都 いつのころからむかし色』(1996.4.10.実業之日本社)には、≪修学院通りバス停から徒歩15分≫と書かれており、《宮内庁HP 修学院離宮 アクセス》http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/access_map_shugaku.html には、≪ 叡山電鉄 修学院駅から 徒歩20分   市バス 修学院離宮道から 徒歩15分≫と出ている。 叡山電鉄は、私が子供のころは京福電鉄の叡山線・鞍馬線だったが、いつからか叡山電鉄と言って四条大宮から帷子ノ辻・嵐山までと北野白梅町から帷子ノ辻までの京福電鉄とは別になったらしいが、バスに乗りたいか叡山電鉄に乗りたいかというと、やっぱり、叡山電鉄に乗りたい♪ て感じの路線だわな! 「修学院」駅から20分まではかからない。私は15分弱で行った。
  もうひとつ、京都市地下鉄「松ヶ崎」駅から行くという方法がある。「松ヶ崎」駅から叡山電鉄の「修学院」駅までは歩くと20分ほどだが、寺社や名所旧跡・歴史的建造物への訪問は、その場所だけではなく、周囲も含めて訪問であるという認識のもとに、今回、東京から乗った夜行バスで「鴨川十条」という、京都市地下鉄の「十条」駅の近くのバス停で下車したということもあり、京都市地下鉄の「松ヶ崎」駅まで行って、そこで下車して歩き、帰りは叡山電鉄の「修学院」駅から帰った。 「松ヶ崎」駅から「修学院」駅までは特別の道ではないが歩道がある道で特に迷うこともない。 「松ヶ崎」駅付近から「修学院」駅までバスもあるらしいが、特に歩くのに苦痛を感じるような道でもないので、夜行バスで着いた後の早朝なら歩く方がよい。 朝9時からの見学で申し込んだが、11時にするか迷ったのだが、8月の見学では9時からにして良かった。なにしろ、9時からですら、暑い。
   地下鉄「松ヶ崎」駅から叡山電鉄「修学院」駅までは、ともかく東に向かって進むだけ。途中、南側に京都工芸繊維大が見える。 「修学院」駅で叡山電鉄の線路を横切り、東に進むと「白川通り」という南北の通りに出る。 そこを左折、北に向かって歩くと音羽川という小川を渡る橋がある。 音羽川の両側が道になっていて南側の道は人専用らしいので南側の道を東に向かって歩む。 音羽川の北側の道が川から離れて北に進む所では、川の北側の道の方に行き、川から離れて進む。この道を「修学院離宮道」と言うらしい。 カーブを曲がったあたりの正面に修学院離宮の入口が見えて来る。↓
画像




  叡山電鉄の「修学院」駅から修学院離宮までは歩いて15分弱で、けっこうここちよい道なので歩くのに良いと思うのだが、駅名が「修学院」だと、もっと駅の近くに修学院離宮がありそうな印象を受ける。 しかし、落ち着いて考えると、駅名は「修学院離宮」ではなく「修学院」で、「修学院」という名称は修学院離宮があることからついた地名ではなく、≪修学院という名は、10世紀後半にここに修学院という寺が建立されたのが始まりであった。南北朝時代以後この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。≫(修学院離宮でいただいたリーフレット)ということで、京都市左京区修学院○○町という地名がついている地域はけっこう広い。 だから、「修学院離宮前」という駅名がついていたら、なんや、けっこう遠いやんけ・・と言いたいところだが、「修学院」という駅名だから別に偽ってはいない。
   貴船神社に行った時に乗った叡山電鉄は2両連結だったが、今回、帰りに出町柳まで乗った電車は1両のワンマンカーだった。叡山電鉄は宝が池から分岐するが、鞍馬線は2両連結だが叡山線は1両らしい。
画像

↑ 「出町柳」駅にて。 左側が、帰りに乗った1両のワンマンカー。
  (2016.8.11.)

  次回 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_2.html、下離宮・中離宮を見学。

☆ 修学院離宮
1.[第257回] 今回
2.[第258回]下離宮・中離宮 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_2.html
3.[第259回]上離宮 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_3.html


☆ 「数寄屋造」「草庵風書院」について
桂離宮(京都市)
[第11回]やっぱり桂離宮はすばらしい!~私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト 〔引越掲載〕 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_13.html

西本願寺飛雲閣(京都市)
[第113回](西本願寺)飛雲閣、ちょっとだけ~「数寄屋造」の建物(2)、及、金閣・銀閣について検討、少々、など http://tetsukenrumba.at.webry.info/201208/article_3.html

三渓園 臨春閣(旧 紀州徳川家巌出御殿)(横浜市)
[第252回] 三渓園 臨春閣(旧・紀州藩 巌出御殿)1 数寄屋とは? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_1.html
[第253回] 三渓園 臨春閣(旧・紀州藩 巌出御殿)2 第一屋・第二屋 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_2.html
[第254回] 三渓園 臨春閣(旧・紀州藩 巌出御殿)3 第三屋 他 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_3.html
[第255回] 三渓園 聴秋閣・三渓記念館・三渓園天満宮他 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html


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