新年のご挨拶。 干支の動物。 馬はどこにいるか。 馬事公苑。 体育会は「M女養成所」。

[第198回]
   新年のご挨拶をさせていただきます。 昨年、このブログを読んでくださった方、どうもありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
   新年は、2014年、平成26年で、午(うま)(馬)の年です。

   さてさて。 2012年(平成24年)は辰(たつ)(竜、龍)の年でした。 千葉県の南部、北側が富津市で南側が鋸南町の鋸山の山頂からきれいな富士山を見たことがあった。それで、鋸山http://www.nihonji.jp/ )(鋸山については、[第58回]《鋸山(のこぎりやま)日本寺薬師本殿、及び、大仏、他訪問 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201111/article_4.html 参照)に行って撮ろうと思ってはるばる行った・・・が、見えない。雲がかかっている。 いじわる! そこで、タツ。 竜などという動物は実在しないので竜の写真は撮りようがないのですが、「タツノオトシゴ」という動物はいます。 それを撮ろうと思って、鴨川シーワールドhttp://www.kamogawa-seaworld.jp/index.html )に電話して、「タツノオトシゴはいますかあ?」ときくと、「いますよお」と答えてもらえたので、鴨川シーワールドまで行って撮影しました。

   2013年(平成25年)は巳(み)(蛇)の年。 蛇の写真を年賀状に入れても見栄えがしないので「一富士、二タカ、三なすび」と言うから、蛇年限定で、干支(えと)ではなく富士山の写真を撮ろうと思い、どこに行けば富士山の写真を撮れるかと考え、箱根の芦ノ湖あたりに行けば撮れるのではないかと思って、元箱根から箱根神社http://hakonejinja.or.jp/ )まで行ったものの、見回しても富士山は見えない。 な~んでだ???
   結論。 元箱根から箱根神社のあたりは、芦ノ湖でも北岸にあるため、富士山は箱根の山の向こう側で、富士山を見たければ、芦ノ湖でも南岸に行かなければならなかったのだ。 帰り、バスの中から、一瞬、富士山が見えたがそこまでだった。

   そこで、「千葉県の富士山」の写真を撮ろうと思い、上総富士の写真を撮影した。([第120回]《千葉県の富士山 「上総富士」(君津市)、及び、なかなか素敵なJR久留里線「上総松岡」駅と駅舎》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201301/article_1.html  参照。) その帰り、富津市の東京湾観音http://www.t-kannon.jp/about/ )に行くと、そこからも(静岡県と山梨県の境の)富士山が見えたのだ。

   その前、酉(とり)(鳥)の年、2005年(平成17年)には、谷津干潟(谷津干潟自然観察センター http://www.yatsuhigata.jp/pdf/201312.pdf )に行って「鳥」を撮影した。 正真正銘の鳥である。 


   そして、この新年2014年(平成26年)は、馬。 横浜ベイスターズの駒田が現役なら横浜球場(http://www.yokohama-stadium.co.jp/ )にでも行って撮影してこましたろか・・・と思うところだが、すでに引退している。
  昔は、神社や寺に馬がいることがよくあった。しかし、最近は見かけることが少ない。 たしか、私が子供の頃、大阪市の四天王寺(http://www.shitennoji.or.jp/ )で馬がいたのを見かけた。 母に「なんで、馬がいるの?」と、その時、尋ねたが、「なんで?」ときかれても母もウマく答えることができなかったのだが、その頃は、四天王寺に馬がいた・・が、最近、行くと、四天王寺には、亀はあい変らず、亀の池にいるけれども、馬はいない。
  昔は、農家には馬とか牛がいるのは珍しくなかった・・はずだ。 在来木造の I 工務店に勤めていた時、1990年代後半、福島県いわき市の営業所にいた時、2011年3月11日に事故を起こした福島第一原発のある双葉郡大熊町の見込客のお宅を訪ねていったところ、牛がいた。 もちろん、野牛ではなく、飼われている牛が牛舎にいたのであるが、飼い主不在の時に、誰かわからん男がやってきたということからか、牛が、なんか、胡散臭そうな顔をして「ムォ~ォ~オ」と鳴いたのは、犬に吠えられるより気持悪かった。 2000年頃、 I 工務店の栃木県佐野市の営業所にいた時、渡良瀬川をへだてた南隣りの群馬県館林市の客宅に行った時、クルマを停めると、目の前が牛舎だった。牛は牛舎の中にいるのだが、夜、なんか、でかいのが目の前にいて人はいないというのは、気味悪かった。 2000年にロシア連邦イルクーツク州のバイカル湖畔の村リストビャンカに行った時、バイカル湖に沿った道を牛が歩いていた。 放し飼いにされているのか、普通の道を「どこが悪いねん」て感じで牛が歩いていた。別に襲われないけれども、気持ち悪かった。
※バイカル湖 については、たとえば、
⇒「YouTube-The Holy Baikal - old russian song 」http://www.youtube.com/watch?v=mh89Dsm_4Dk 参照。 
   で、牛じゃなく、馬がそこらにいるかというと、いない。 福島県とか群馬県でも牛は見ても馬は見かけなかったというのは、農作業用には今は牛や馬ではなく化石燃料によるトラクターなどを使うので農耕馬はおらず、そして、牛は乳牛から「牛乳」をとったり「牛肉」として食用にしたりすることがあっても、馬の乳は一般の人間は日常的に飲まないし馬肉は牛肉ほど一般的ではなく需要がないことによるのではないだろうか。 では、馬はどこにいるだろう・・・。
   昔、私が子供の頃、大阪府箕面市の阪急箕面線「箕面」駅から箕面大滝までの間を馬車が走っていた。 そのうち、箕面の滝道は車両通行禁止になり馬車は別の道を走るようになったが、さらにしばらくすると箕面駅の前で馬車を見ることはなくなった。 箕面大滝は役小角が修行して弁財天の助けにより悟りをひらいたという場所で、箕面公園は大滝だけがピンポイントで存在するわけではなく箕面駅から大滝までの経路とその周辺全体が箕面公園であることを考えると、駅から大滝まで馬車で行ってしまって途中をとばすのは本来的ではないでしょう・・・けれども、しかし、子どもの頃は馬車がうれしかった。(箕面大滝と滝安寺、西江寺については、[第25回]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_25.html  、[第29回]《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回 〔引越掲載〕》 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_29.html 参照。) 今、箕面でその馬車を見ることはもうできない。
  で、問題。 動物園に馬はいるでしょうか?  上野動物園(http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/ )にはいなかったと思う。 馬というのは、トラとかライオンとかパンダとかと違って動物園で飼うほどの動物ではないと見られているということか。 牛も上野動物園にはいなかった。 上野動物園にいないということは千葉市動物園(http://www.city.chiba.jp/zoo/ )にもいないだろう・・と思った。
  市川市動植物園http://www.city.ichikawa.lg.jp/zoo/index.html )にもいないだろう・・・と思ったのだ。 だが、今、市川市動植物園のHPの《市川市動植物園飼育動物一覧》http://www.city.ichikawa.lg.jp/zoo/shiikudoubutu.html を見ると・・いるんだわ。 ≪ウシ、ウマ、ロバなど家畜の仲間が暮らしています。≫と書かれている。 市川市動植物園の場合、珍しい動物を見てもらうという性質の園ではなく、動物と身近に接することができるようにという趣旨の園らしいので、上野動物園にいなくても、市川市動植物園には馬はいるらしい。
  だが、上野動物園に馬がいなかったので、馬とか牛というのは動物園にはいないものと思い込んでしまった。いるとすると・・・。船橋競馬場にいるのではないか・・・と思い、船橋競馬場のホームページhttp://www.f-keiba.com/ を見たが、競馬は毎日開催しているわけでもなく開催日は決まっている。 そこに馬がいても、競馬の開催日でなければ見れない可能性が低くない。
  さて、どこに馬はいるか。 横浜市港北区の日吉に慶應の馬術部の馬場があったはずだが(⇒慶應義塾大学 HP 《日吉キャンパス キャンパスマップ》http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.html 参照)、都合よく馬が外にいるとは限らない。 まず、いるだろう、まず、馬を見ることができるだろうと思ったのが、東京都世田谷区 上用賀の馬事公苑(ばじこうえん)http://www.jra.go.jp/bajikouen/ )である。

渋谷・用賀・千歳船橋からバスも出ているらしいが、今回は東急田園都市線「用賀(ようが)」から歩いて行き、帰りは東急世田谷線の「上町」まで歩いて帰りました。 けっこうありました。 馬事公苑の入口は北側にあります。
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  馬事公苑てどこがやってるのかと思いホームページを見ると、JRA だそうです。 JRAというと、日本赤軍の略称です。 へ~え、日本赤軍て、いろんなことやるんだねえ、馬事公苑なんて経営するのかあ~あ・・・というと、さにあらず。 JRAでも中央競馬会の方のJRAです。
日本赤軍というのは、たしか、ジャパン(Japan)ラディカル(radical)アソシエーション(association)かなんかの略だったと思うが、
中央競馬会の方は、ジャパン(Japan)レーシング(racing)アホなおっさんがカネ使いはたしよる(Aho・・・・)の略・・かなんかそんな感じだったと思う。
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↑ 樹木を剪定して馬の形状に造り上げたもの。 おもしろいと言えばおもしろいが、樹木の自然な成長のしかたとは異なるようにも思えます。

  いました。 馬が。↓
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おねえさん、ごめんね。無断でモデルになってもらって。 でも、撮影したかったのはおねえさんじゃなくて、馬の方だから・・・て、いい訳になってないか・・・・。 
  で、年賀状用に使用する写真にも白馬はなかなかいいか・・と思ったのだが、もし、この写真を使用すると、「これ、誰なの?」と言われそうなので、やめました。 ごめんね。勝手に撮らせてもらって。 でも、撮りたかったのは馬の方・・・・・。

   それで、ある親戚のおっさんの手作り年賀状を見せてもらうと、東京の丸の内だったか銀座だったかにシマウマの像があるらしく、その写真が使用されていた。 その手があったか。シマウマもたしかに馬だわ。ウマくやったものだ。 

   昔、慶應義塾大学で、「選択体育」(必修科目)という授業があった。 体育は「体育理論」と「保健衛生」の2つの講義科目と、「基本体育」と「選択体育」という2つの実技科目が必修だった。 どこの大学でも同様かと思って、京大に行っていた人にきくと、京大では「選択体育」なるものはなく、「基本体育」が1年に週1コマ、2年にも週1コマだそうでした。 それで、「選択体育」というのは、名前の通り、何を選ぶか、入学時に「選択」できたのです。 「自動車」なんてのもあって、「自動車」て体育か? とも思ったのですが、後に自動車学校に通って運転免許を取得する際には、日吉自動車学校の先生が「自動車の運転というのはスポーツなんですから」とお話しになり、たしかに、クルマの運転というのは運動神経を必要とするところがあり、スポーツといえばスポーツかもしれないと思いました。 それで、私は、同じ選択するなら、他でなかなかできないものを「選択」しようと思って「馬術」というのを「選択」したのでした。
   それで、今もそうかどうかはわかりませんが、1980年頃、慶應義塾大学の「選択体育」というのは、体育会の学生が指導しておこなわれていたのです。 単なる学生でしかない者が。 体育会馬術部の学生からすれば、自分たちは報酬をもらってやっているわけでもないのに、馬術のことなんか何もわかってないしろうとを指導しなければならないという大変さがあったかと思うのですが、一方で、参加する一般学生からすれば、そういう面もあるとしても、単に学生でしかない者がなにゆえに先生さまになったような態度をとるのか、という印象も受けたのです。 学生同士で指導するならば、そういうものとしての態度というものがあるのと違うのか? と思いませんか?
   私、突き飛ばされたのです。 体育会馬術部の学生に。 ランニングだと走らされている最中に。「こらあ。根性だせえ。」とか言って。 
   慶應の「基本体育」の授業の時に、元・体育会野球部で、元・大洋・横浜の遊撃手・スキンヘッドの山下大輔と二遊間を組んでいた二塁手だったという本職の先生が、「慶應の野球部は最近、弱いけれども、今年、ピッチャーで高校を卒業する年にプロから誘われていたというやつが入ったから、1年の時はだめだと思うけれども3年になればそいつが活躍するからその頃には強くなると思う。」と話されたことがあった。 その「高校を卒業する年にプロから誘われていたというやつ」というのが、福島高校卒で二浪して慶應大に入って、後に西武・広島に入団した鈴木哲投手(⇒《ウィキペディア―鈴木哲(野球)》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%93%B2_(%E9%87%8E%E7%90%83) )で、推薦入学の制度ができて推薦入学で入った甲子園に出場して準決勝だかで桑田・清原のPL学園に負けた神奈川県の桐蔭学園の投手・志村と鈴木哲がいた時は、たしかに慶應野球部は強くて何度も優勝したと思う。 それで、その時、本職の体育の先生が、鈴木哲について、「二浪して入ったから1年の間くらいはだめだと思うけれども、2年の後半か3年くらいからは活躍すると思う」と話されたのだが、慶應義塾大学の新聞に、当時の野球部の監督が、「大学野球では高校野球で活躍した選手が大学に入る時に浪人すると、1浪するともとに戻るまでに1年かかる、2浪するともとに戻るまでに2年かかる、と言われる」と述べていたのも読んだ。 そういうものらしい。 それで、私は運動選手でもなんでもないのだが、もともとは、現役で通るぞおと思っていたのだが、結果としてローニンした。 運動選手でもない者はローニンしても影響ないわけではなく、ローニンすると体力はどうしても落ちる。 運動選手でもない者がローニンして体力が低下していただけでなく、その頃、体調が悪かった。 だから、もともと、運動選手になるような能力はないが、中学・高校と人並みに体育の授業くらいはこなしていたし、高校はインターネットで見ると今でも「文武両道の北野高校」とか言っているらしい北野高校だったから、体育の授業に力を入れない高校の出身者よりは体育はやっていたはずだが、ローニンしたのと体調をくずしていたのとで、ランニングでは後ろの方でついていっていた。 すると、お勉強よりも運動の方が本職の体育会の人間が、突き飛ばしたのだ。 運動選手でもない人間で体調を崩している者を。 「なんだ。根性だせえ。」とか勝手なことを言って。 体育会で運動ばかりやっている人間がそうでない者よりも体力・運動能力があっても当たり前ではないか。 運動を本職にしている者がそうでない者を突き飛ばして、それが、スポーツマンシップだろうか?  これは、はっきり言った方がいいと思うのだが、毎日、運動の方を本業として大学生活を送っている者がそうでない者よりも体力があったとしても、特に体調を崩していない者が体調を崩しているものよりもランニングができたとしても、それは体力があるのであって根性があるということではないと思うのです。 「こらあ、根性だせえ」と言って、単なる学生でしかないくせに私を突き飛ばした男は、私より体力はあったかもしれないけれども、根性があったのではないと思うのです。 根性がある者がしろうとを突き飛ばしますか?
  そして、必修科目の「体育理論」では「教授」がどういうことを述べたかというと、「最近、スポーツの監督が選手を殴った、けしからん、などというおかしなヤツがいる。 どうかしてるんじゃないのか。 スポーツなんだから殴るというのは当然なんだよ。 殴らないスポーツなんて、あるわけないだろうが。 殴るから強くなるんだよ、強いところはみんな殴ってんだよ。 馬鹿か。 特に激しいのが女子バレーで、女子バレーではコーチが選手の髪をつかんでコートの中をひきずりまわしたりするんだよ。それがスポーツなんだよ。そうやるから強くなるんだよ。それが、だめだとか言って。頭、おかしいんじゃないのか。 だいたい、我々、体育会の人間には、『こづく』と『殴る』と『ぶっとばす』の違いがあるんだよ。それを、小突いただけなのに、『殴った』とか言いやがって。 日本語わからないんじゃないか。 殴って怪我したじゃないか、なんて言って。バカか! 殴ったら怪我するのは当たり前じゃないかってんだ。 ふざけんなってんだ。怪我したからなんだってんだ。 殴れば怪我するのは当然だろうが。 何がいけないんだ。 殴った、怪我した、けしからんとか言ってからに。 そういう頭のおかしなやつが最近多くて困るんだよ。一回、病院、入院しろってんだ。」と言いたい放題でした。 それが、慶應義塾大学の「体育理論」という必修科目でした。 なんで、こんな人の与太話を「必修科目」だと言って聞かされなければならないのかと思いました。 そして、「体育会の人間はそうでない者と比べて、学力はないかもしれない。 しかし、そのかわりに根性がある。」とおっしゃったのです。 どういうのを言うかというと、「たとえば、この4月に入部した者でも、4月に入ったばっかりの頃は、グランドを1周するだけでもひいひい言っていたのだけれども、半年もすると、5周しても6周しても平気でいるようになった。 これは、根性がついた、ということだ。」とおっしゃったのです。 はあ? はあ? それって、「根性がついた」のではなくて「体力がついた」のと違うのですかあ??? と言いたかったが、言うとまたうるさそうだったので言わなかった。 そもそも、運動選手が運動選手でない者を突き飛ばすというのが、それが「根性がある」者のやることですか? 「体育会の者はスポーツマンシップというものがある」とおっしゃるのですが、体調の悪い者とか浪人・二浪して体力が落ちている者を運動を本業とする者が突き飛ばすのがそれがスポーツマンシップですかあ? はあ?  はあ~あ?????
   実は私はスポーツの練習法については、少々、関心があったのです。 高校から大学に進学する際に、心身医学に関心があり、座禅とか自律訓練法とかの研究をしたいと思ったりしていたのです。 共通1次試験の時、休み時間になると男性用トイレでは大便用の前に行列ができていました。 音楽会の休憩時間には女性トイレの前に行列ができるけれども男性用トイレはそれほど混まないことが多いのに対し、入学試験の時の休憩時間には、下痢をするのか普段と違った状態になり、男性用トイレは大便用が多くないので行列ができたのです。そういう時にリラックスできればもっと実力を発揮できるのではないかと思うのです。 それは運動選手で練習では成果を出せるのに試合になると成果を出せないという人の状態と共通すると思います。 そういうものを「こらあ、根性だせえ」とか言っても意味はないと思います。そうではなく、どうすれば本番で実力を発揮できるようになるか、もっと科学的に考えてみるべきです。 そのひとつとして、座禅とか自律訓練法など心身医学の手法があると思います。 又、一時、「赤門旋風」と言って東大野球部が4位になったことがあって、その時の監督だったかコーチだったかは東大医学部で体育保健学だったかを学ぶ大学院生で、腕立て伏せなどは毎日やるのと2日に1回やるのとでは効果に違いはなかったので2日に1回にした、野球などの場合、長距離走はそれほどは関係ないのでやめるのではないがはてしなく長距離走のランニングをやるというのはやめた、うさぎ跳びは膝の負担が重く膝の関節を痛めて害があるのでやめた、といったように練習法を改善していったという話が、たしか、「朝日新聞」の「ひと」という欄だったと思うが、でていた。 「殴ることによって根性がつく」という慶應義塾大学の体育会の人の主張は戦前戦中の軍隊の主張と共通しており、ルース=ベネディクトが『菊と刀』で理解に苦しむと述べていたものに共通する。 中国の八路軍では「殴らない」「怒鳴らない」「捕虜を虐待しない」「婦人をからかわない」「人民からは針1本・糸1本盗らない」といった規律を定め、それは、何かと理由もなく殴る・殴られる日本軍のあり方とは正反対のものであった。 その日本軍のやり方を慶應の体育会の人間はやっていたのだ。 体育会の人間だけでやる分には、それを納得づくで入っている人間がやっているということでいいのかもしれないが、「選択体育」として一般学生にまでそれを押しつけていたのだ。
   さらに。 「きょうは、馬術部のOBの方が来られましたので、講義の日とします」と馬術部の人間が言い出し、その年配の男性が「講義」として話しだしたのだが、何をおっしゃったかというと、「スポーツをやっていいことというと何があるかというと、まず、飲み屋で喧嘩した時に勝つ、ということがある」とおっしゃったのだ。 はあ? はあ~あ? はああ~あ??? 「スポーツをやっていいこと」「スポーツをやった成果」って、「飲み屋で喧嘩した時に勝つ」ってえ??? 「飲み屋で喧嘩して勝つ」ためにスポーツやってるのですかあ? はあ~あ???  情けなくなっちゃった。 なんて、大学なんだ、ここは、とあきれた。 それが「必修科目」なんです。慶應の。 「飲み屋で喧嘩した時に勝つ」というのが。 東大野球部の監督だかコーチだかは上に述べたような科学的な練習法を研究して実践することで、東大野球部を4位(すごい! と4位でほめてもらえるのは東大くらい)にしたのに対して、「飲み屋で喧嘩した時に勝つ」・・・・て。 哀しい。 悲しい。 あんた、そんな人生送ってきたのか? こんなアホにしゃべらすなよ、と思ったのだが、「体育会は先輩の言う事は絶対だから」と言うのだ。 ということは「飲み屋で喧嘩した時に勝つ」というのが「絶対」ということになる。 それが「必修科目」なんです。 バッカじゃなかろか・・・・と口に出して言うと、「そんな、東大の野球部がいいとか言うというのは、おまえは東大病だな。」とか言われるのです。 「慶應に入った以上は、もっと、慶應らしくしろお!」とか怒られるのです。私がその時の東大野球部の監督だかコーチだかの発言を評価したのは「朝日新聞」の「ひと」欄だかで述べられていた内容を見て評価できると判断したのであって、東大の監督だかコーチだかが言うことだから評価したのではないのです。「慶應らしく」というのは、体調の悪い人間を運動が本業の運動選手が突き飛ばしたり、「飲み屋で喧嘩した時に勝つ」とかが「慶應らしく」だと言うのですか??? それが「福沢精神」ですか? それが「独立自尊」ですか? 
   で、「体育理論」の講義の方ですが、「殴る、殴られる、という生活を送るから体育会の人間は根性がつくんだ。だから、学力なんてなくたって体育会の人間は社会で役に立つんだ。」と「教授」がおっしゃったのです。 なんか、考え方を間違えていませんか? 
   殴られるということに耐える能力が「根性」ですか?  なんだか、体育会の人たちとはつきあいきれませんね・・・・と思っていたら、最近、あるスポーツ新聞の広告に、その「体育理論」みたいな文句がでていた。店名は忘れたが SMクラブ の広告で、「M女の○○さん・・・ 体育会で鍛えられたので、どんな責めにも耐えられます」 ・・・・。 そう書いてあった。 なるほど、体育会というのは、M女養成所だったのか、なるほど、なるほど。 「体育会で鍛えられたので、どんな責めにも耐えられます」だって。なるほど。
   慶應義塾大学の「選択体育」は害があると思う。 そもそも、体調が悪い者とか、病気治療のために服薬していて薬の副作用で体が思うように動かない者とか、浪人・二浪以上して体力が低下している者とかを、運動が本業の運動選手が突き飛ばすなどして怪我させたりした場合に、大学はどう責任をとるつもりでしょう? 「それは、根性がない者が悪いんだ」とか言い出すのではないかと思うが、一般世間ではそれでは通用しないと私は思う。 京大などのように「基本体育」を1年と2年で週1コマずつで、指導するのは本職の体育教員であるという方が好ましいと思う。 たとえ、学生でしかない者が指導する場合でも、私がその立場なら、学生でしかない者が学生同士で指導するのに突き飛ばすなどという思い上がった行為はしないが、体育会の者の場合は「我々、体育会の人間が一般学生を指導するんだ」という“思想”を持っているらしく、突き飛ばしたりするのも、警察官が一般市民に暴力をふるって怪我をさせるのが認められて当然だと警察・検察が思っているのと同様に、認められて当然だとでも思っているのだろう。
   
   慶應義塾大学は今は「推薦入学」として高校でスポーツが優秀な人間を別枠で入学させているようだが、私が入学した年などは「スポーツ入学」や実質、スポーツ入学の「推薦入学」はなかった。大学というものは学問をするところであり、学問をした上でスポーツもするなら良いがスポーツだけをするというのは大学として不適切だとかつての塾長・小泉信三先生がおっしゃったということで、スポーツ入学はおこなっていなかったと聞いた。だから、その頃、東京六大学野球でも、慶應野球部は、明治・法政・早稲田に比べて弱かった・・が、それだけに、「学力で入学した人間」として価値があった。大洋・横浜の山下大輔もスポーツ入学ではなく一般入試で大学から入ったと聞いている。“怪物”江川でも落ちた。慶應義塾大学は、私が入学した頃は、実質、スポーツ入学の「推薦入学」はなかったが、それより前にも、実質スポーツ入学の制度があった時期もあったらしい。 母の親戚で私の親かそれより上くらいの年齢の人で、高校でテニスができて慶應義塾大学にスポーツ入学で行かせてもらえるという話があった人がいたと聞いた。 その時、その父親が「勉強するために大学に行くなら行けばいいが、運動するために大学に行くなら行くことない」と言って行かせなかったと聞いた。母の家系は学校の先生が多く、勉強する人が好きな家系だった。 「大学はスポーツをしに行く所と違う」「スポーツするために大学行くような者が大学に行くことない」という考えだったらしい。
   実際問題として、スポーツ専業の「学生」と学業で大学に入った者が同居するのは難しい面があるのではないかと思う。
   慶應に体育会馬術部というものがあり、「選択体育」という科目があったおかげで、私は「馬術」というものをともかく経験することができた。それがなければ、私は、馬車の座席に乗ることはあっても、馬の背中に乗ることはなかった可能性が低くない。
   そこで学んだものとして、「馬というものは臆病な動物であり、背後から近寄られると怖いものだから怖がって足で蹴りつける。 馬に近づく時は(女性に近づく時と同じで?)斜め前から近づくというのが原則」と教えられ、な~るほど、と思い、馬に限ったことではなく、犬でも人間でもそうだろうと思った。 又、体にふれる場合は、最初は肩のあたりを軽くたたくと教えられたが、これも馬に限らず、犬でもそんなものだろうと思い、それを住んでいたアパートの大家さんが飼っていた犬にやってみたところ、犬と仲良しになった。 そして、その後、大家さんの犬に限らず、犬と仲良しになりやすくなった。 営業の仕事をして、客宅に行っても、虎みたいな猛犬は別として、過半数の人が嫌がるような犬でも私は仲良しになることができたりした。 犬と仲良しになれるというのは、個人相手の営業では有力な武器である。
   『鬼平犯科帳』で、長谷川平蔵が、膝を怪我した木村忠吾に、「膝を怪我していても、走ることはできなくても、馬には乗れるだろう」という場面があったが、池上正太郎がなのか さいとうたかを がなのかわからないが、これは馬に乗ったことのない人の考えることだ。 馬に乗るというのは自動車に乗るのとは意味が違う。自動車の場合、私も、痛風で左足の親指に激痛が走っていた時でも、椅子に座って、両手と右足で運転して行ったことがあり、アクセルとブレーキを右足で踏むオートマ車なら左足が悪くても運転はできるが、馬は違う。馬は歩くたびに背中の筋肉がごりごり動き、自動車の座席に座っているのとは「のりごこち」がまったく違う。 両足で踏ん張って馬の歩みに合わせて腰を上下させるのであり、膝や足が悪ければ乗れるものではない。 私はまがりなりにも「選択知育 馬術」の時に乗せてもらったのでわかる。『鬼平犯科帳』の作者も馬に乗ってみて書いた方がよかったと思う。
   他にも学んだものはあるが、しかし、「M女養成所」体育会に体育会に入ったわけでもないのに強制的にその「教育」を受けさせられるというのは、マイナス面が大きい。 馬術部の人たちは、自分たちが世話をしている馬に、自分たちと同等の苦労をしていないしろうとを乗せて、しろうとの世話をさせられて、大変だっただろうとも思うし、世話をかけたということについてはお礼を言いたいが、しかし、「M女養成所」を希望もしていないのに経験させられたのは、やはり、うれしくない。

    馬事公苑には無料で誰でも入ることができるが、誰でも入らせてもらえるエリアと関係者以外立ち入り禁止のエリアがある。 「M女養成所」を強制的に体験させられたのはうれしくないけれども、そうはいうけれども、30年少々前、慶應の馬術部の人たちと一緒に馬事公苑に行った時、馬事公苑では、馬術部の人たちと一緒だったので入らせてもらえたエリアもあったようだ。 30年少々前、たしか、小型の馬で、一見、「犬みたいだけれども、食べる物も馬で、出す物も馬」という馬がいたが、今、いるのかいないのかわからないが、いても、関係者以外立ち入り禁止のエリアにいるのだろう。 馬術部の人たちに連れてもらったおかげで、そういう「犬みたいな馬」も見せてもらうことができた。 馬術部の人たちも、義務感だけでなく、できるだけのことをしようという気持ちもあるから連れて行ってくれたのだと思う。 だから、すべてを否定しようとまでは思わないし、すべてを否定するようには言うまい。 しかし、やっぱり、「M女養成所」たる体育会 を肯定することはできない。労力を払ってくれた人には申し訳ないけれども。
   (2016.1.2.) 


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