東京・朝日が脱原発デモ、日経が民主支持急落等を一面の時、スポーツを一面にした読売・産経・千葉日報

〔第110回〕
   今となっては15年以上前、会社都合で福島県いわき市に赴任していた時、新聞は、最初、毎日新聞の人が勧誘に来たので、毎日を購読しましたが、いわき市から双葉郡にかけては、朝日・読売と福島民報・福島民友の4紙が、ほぼ同数ずつ購読されているということで、地元で仕事をする者としては、地元のことを理解し、地元の人間に同化した方が良いと思って、福島民報をとったのですが、あまりにも福島県中心で、毎日、これを読んでいたのでは、完全に福島県化してしまって、東京に帰った時に“社会復帰”できなくなってしまうのではないかという不安に襲われ、やはり、朝日か毎日か日経を読まないと思い、毎日新聞に戻したということがありました。
   実際、朝日・毎日でも、福島県での朝日・毎日は、東京や大阪での朝日・毎日よりも、相当に、福島県に重心を置いた記事の構成になっていて、福島県で地元の人を相手にしての仕事をするといっても、マア、このくらいがちょうどかな・・と思ったものでした。 
   東京や大阪で生まれてからずっと暮らしてきた人には、新聞は朝刊と夕刊があるのが当たり前と思っている方が少なくないかと思いますが、いわき市などでは、朝日・毎日・読売・福島民報・福島民友はいずれも朝刊だけで、しばらく、そこで暮らすと、「うん、これも悪くないなあ。 だいたい、新聞が朝と夕と2回もあるから忙しいんだ。朝刊だけで十分だ」という気になったりいたしました。
   それで、福島県の朝日新聞・毎日新聞が、どのくらい福島県に重心を置いていたかというと、たとえば、ある日の毎日新聞の一面には、
 「栃東、勝ち越した!」
という記事があったりいたしました。 なんだか、ほほえましい感じがして、うれしくなりました。 今の玉の井親方である元・大関・2代目 栃東 が、まだ、平幕の時のことですが、そのお父さんの元関脇・初代 栃東が福島県の、たしか、相馬の方の出身だったと思うのです。 それで、地元中心の紙面構成として、スポーツ新聞ではなく、一般紙の一面に、
「栃東、勝ち越した!」・・・・・・。
   昔、阪神タイガースが18年間優勝から縁が無く、ほとんどCクラスであった時、関西のスポーツ新聞の一面で、 「浜中、ヒット打った!」  とかいうのを見ましたが、まあ、それは、あくまでスポーツ新聞のことですが、いわき では毎日新聞の一面に「栃東、勝ち越した!」・・・って、・・・・いいところだなあ、ここは・・・と思いました。(この書き方をすると、東京あたりの人間には、福島県人をバカにした書き方をしていると勘違いしてしまう人がいるようですが、決してバカにして書いているのではありません。 そうでないことは、地元の人はわかると思います。 何より、自分も何年かそこに住んで、自分自身が何割か福島県人になったという自覚のもとに、そこは自分の第2の故郷だと思って書いているのですから、もし、バカにしているのなら、自分自身もバカにしていることになります。) (その浜通りが原発事故で大変なことになってしまったのを大変悲しく思います。)

   いわき の毎日新聞で、一面に「栃東、勝ち越した!」という記事が出ていたといっても、それは、一面の一部分に載っていたということで、一面全部を占拠していたわけではありません。 それに対して、2002年の日本と韓国で開催されたサッカーのワールドカップあたりから、サッカーのワールドカップとかオリンピックがあると、連日、朝日・毎日・読売・産経と、日経以外の一般紙は、すべてが、一面全部をスポーツの記事で埋めるという事態になってしまいました。 それまでも、オリンピックがあった時、オリンピックが開始される日と終わる日の2日はオリンピックの記事が一面に載ることはあったと思いますが、それ以外の日に、オリンピックの記事が一面、それも、一面全部を占拠するということは、まず、なかったと思うのですが、2002年のサッカー・ワールドカップあたりから、日経以外の新聞、朝日・毎日・読売・産経が、連日、一面全部をスポーツの記事にするという事態となりました。
   これは異常だと思い、マア、読売は、もともと、あんまりレベルの高い新聞じゃないので・・・というより、言っちゃ悪いけれども、大きな声では言えないけれども小さな声でこそっと言ってしまえば、バカの読む新聞ですから、マア、しかたがないとしても、「インテリの新聞」みたいな体裁をとっている朝日までが、ワールドカップやオリンピックの開催期間中は、連日、スポーツの記事で一面を埋めつくすというのは、どうかしてしまったのではないか、それだけ、日本の社会が民主主義とは逆の方向に進んでいるのではないかと憂慮しました。

   「読売はバカの読む新聞」というのは、誰が言った文句かといいますと、栃木県の佐野市に住んでいた時、私のアパートに来た読売新聞の拡張のおじさんがそう言ったのです。 夏場のこと、アパートの共用の廊下側の窓をあけて机に向かっていた時、「こんにちわあ」と勝手に網戸を開けて顔を出したおっさんが、部屋の中をのぞきこんで、「いやあ、ずいぶんと本を持っておられますねえ。読まれている新聞は朝日でしょう。 これだけ、本を読む人は朝日ですよ。読売なんかとらないですよ。 わかりますよ。 なにしろ、読売なんて、バ~カの読む新聞ですもんね~え。」と言ったのです。 読売の拡張やっている人がそんなこと言ってどうするのかというと、「これだけ、本を読む人には、読売を勧めてもだめです。読売を勧めても絶対とってもらえないというのはよくわかります。読売は勧めません。日経ならいいでしょ。日経とってくださいよ。」という話になったのです。

   それで、2002年あたりから以降、オリンピックとかサッカーのワールドカップとかが開催されている期間は、日経以外の新聞は読む気がしなくなったのですが、今日、2012年7月30日(月)については、しばらく購読している日経と、その他の各新聞の一面はコンビニで見て見たところ、新聞によって、対応が分かれていました。
   「東京新聞」は、↓です。
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↑ 「東京新聞」(中日新聞東京本社 発行)2012年7月30日<朝刊> (クリックすると大きくなります。)
「脱原発の灯 国会包囲」≪ 首相官邸での講義を呼び掛けてきたネットワーク「首都圏反原発連合」の主催。参加者は、東電本店前やJR新橋駅周辺をデモ行進した後、移動。人波は国会議事堂を取り囲み、集会のあった正門前は一時、歩道からあふれ道路を埋めつくした。・・・・・≫という記事が一面の半分以上を占め、
他に、「全額社会保障のはずが・・・」「消費増税で公共事業」≪参院お社会保障と税の一体改革特別委員会で、奇妙な議論が連日行われている。消費税率引き上げで生まれる財政のゆとりを、公共事業に使うべきかどうかが主張テーマになっているのだ。・・・・≫という記事があり、
オリンピック関連として、「柔道中村 初戦敗退」という記事もあるが、そのスペースはわずかです。

   「朝日新聞」2012.7.30.も、脱原発のデモの記事を一面に大きく載せ、他の記事もありましたが、オリンピックの記事は一面には大きくは載っていませんでした。

   「日本経済新聞」(日経新聞)は↓です。
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↑「日本経済新聞」2012.7.30.<朝刊>
↑ 「介護ロボ 保険対象に」「利用料9割補助」 という記事と、
「民主支持急落 18%」「党分裂が影響」「内閣も28%に低下」という2つの記事が大きく、
他に、「セブンイレブン 主婦・高齢者に照準」「来年度 最多1500出店」という記事があり、
小さく「山口県知事に山本氏初当選」の記事があります。
オリンピック関連では、「海老沼が銅」というものもありますが、これは、スポーツ欄にこの記事が載っていますという紹介です。

   この同じ日の朝刊に、読売・産経・千葉日報は一面に何を載せていたかというと、
読売は「○○銅」「○○銀」と、はしからはしまでオリンピック。
産経は、大部分が「○○銅」、
千葉日報は、「○○銀」という記事が大きく載っていました。 スポーツ面にではなく、一面にです。
この「○○」の部分の人名は、すべて違います。

   要するに、東京新聞が「脱原発デモ」と「消費増税で公共事業」という記事を一面に載せ、朝日新聞が「脱原発のデモ」などを一面に載せていた時に、読売新聞と産経新聞はオリンピックで一面を埋めていたのです。 日経が「民主支持 急落」と「介護ロボ 保険対象に」などを一面に載せていた時、読売と産経は、オリンピックの話を一面の大部分に載せていたのです。

   問題は、2点あります。
1. 「スポーツ」に国民が精神面を支配されてしまうことによる反民主主義への歩み。

   いくつか、引用します。
≪ それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。 三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。 運動会はめいめいかってに開くべきものである。 人に見せるべきものではない。 あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思いこんで、会場を抜け出して、裏の築山まで来た。・・・・≫
(夏目 漱石『三四郎』 角川文庫他)

≪ たとえば今日のスポーツは、精神にとって危険な存在と化しました。 私はスポーツを否定はしませんが、そのために新聞や雑誌の特別版が必要だということになると、これは知性のために危険だと言いたいのです。 一種の阿片的役割を果たしかねない。 ≫
≪ ある種の宗教性、党派根性、官僚性、公式主義といったものは、すべて人間のこの弱さにむすびついているもので、弱い精神、考えることの中絶、その空白に向って他社からの限定が到来しやすい。 そして人間は、この限定において一種の強さを示すものなのです。 すべて全体主義、或は独裁主義は、必ず青春の性急さに向って働きかけ、そして必ずスポーツを奨励します。 ≫
(亀井 勝一郎『愛の無常について』 講談社文庫他)

≪ ・・・換言すれば、疑問とは、もしわれわれがこの種の現実(リアリティ)へと戻る道を見つけることができるならば、現実となるのである。 しかしもしそうしようとするならば、われわれは運動競技への熱中とか儀式化されたヨガといった偽りの戻り道を排除しなければならない――運動とかヨガのような儀式は、身体経験を、何か真の関係の外で一定の時間割にしたがって遂行できるようなものへと外面化しようとする家族のたくらみを、ただ強化するだけなのだ。・・・・・・≫
(デビッド=クーパー『家族の死』塚本 嘉壽・笠原 嘉 訳 みすず書房)

≪ スポーツ欲とか、少女たち(そしてまた、逆も同じだが)をよろこばせる軍隊的動作や制服や軍歌への愛好とかが、労働者運動の現条件のもとでは、多くの場合、階級意識の抑止的要素になるのは、政治的反動勢力の方がこの欲求の組織化により多くの機会をめぐまれているからである。 とくに蹴球スポーツは、直接に脱政治化の作用をし、それゆえ反動的諸傾向を促進する役割を果たしている。 けれども、飢え(窮乏)の全能を信じる経済主義的見解をふりすてるならば、これらの傾向の振り替えは可能であり、左翼の側からも活用することができる。≫
(ヴィルヘルム=ライヒ『階級意識とは何か』久野 収 訳 三一新書)

≪森  ・・・・戦前、左翼の学生運動が盛んになったときでも、運動部は利用されたわけね。 ある意味で、軍隊的秩序志向みたいななんが、運動部として常にあるわけね。 あれもまた気持ち悪いんだなあ。
・・・・・
 森  ・・・ オリンピックに対する日本の異常さっていうのは、よく国際的に言われるでしょ。それから国体に対する異常さ、甲子園、高校野球に対する異常さと、全部ひとつながりになっているわけね。 あそこでまた国の名誉とか、学校の名誉とか、賭けたがるわけね。 ああいうことが、やけに崇高に、たとえば国家とか、学校とか、府県とかいう体制を象徴していくわけでしょう。 やっぱりそれは軍隊構造という感じがするんだなあ。 
(斎藤 次郎・森 毅『元気が出る教育の話』1982.6.25. 中公新書)

   今日、スポーツ、特に「見るスポーツ」は、亀井勝一郎が「阿片的役割」と言った事態にすでに、間違いなくなっています。 
   「パンとサーカス」という言葉があって、独裁的政治家が、国民に持たそうとするのが「パンとサーカス」だという説があります。  「パン」とは、ぎりぎり生きていけるだけの生活。 ぎりぎり生きていけるだけのものでしかないので、政治を変革しようとか考える余裕はない状態。 そして、「サーカス」とは、熱狂させて、頭をふわ~っとさせてしまって、関心を政治や社会問題からそらしてしまうもののこと。 現在、オリンピックというものが、この「サーカス」の役割を果たしているのです。


2. 「スポーツ」の記事が一面に載せられていた時、その代わりに何の記事が一面から押し出されたのか? という問題。

   本多 勝一が、どこかで述べていたのですが、それがどこであったか、今、見つけることができません。 もっとも、本多が述べようが述べまいが、誰が述べようが、それは主たる問題ではありません。
   スポーツであれ、その他、「街の話題」とかであれ、新聞に載せて悪いことはないとしても、一面に大きく載せるほどの重要性があるとは思えないものが一面に大きく掲載されている場合、事実に反する記事が載せられているわけではないから良いなどとは言ってられない。 重要性が低いものが一面に大きく掲載されているということは、その記事が一面に大きく掲載される代わりに、掲載されなくなった記事、もしくは、一面から後ろの面に追いやられた 本来、一面にあっておかしくない重要な記事がある可能性が考えられる、というのです。

   この本日の新聞記事であれば、読売・産経・千葉日報で、一面の大部分をオリンピックの記事が占拠している時、東京新聞では、脱原発のデモ、消費税増税分で公共事業をやろうなどという議論がされているという記事が出ているわけであり、仮に、東京新聞の一面を基準とすれば、読売・産経・千葉日報の一面は、オリンピックの記事により、脱原発デモや消費税増税分で公共事業をやろうなどという議論がされているという記事が、削除されたか、後ろの面に追いやられたか、どちらかになっている、ということになります。 なりますよね。

   あるいは、本来、原発をどう考えるべきか、消費税増税についてどう考えるべきかといったことを、国民ひとりひとりが考えるべきである時に、一面をすべてスポーツの記事にして、スポーツこそ何より大事であるかのように、国民の意識を精神汚染させているのが、読売新聞である・・・・・ということになりませんか? 少なくとも、本日(2012.7.30.)の朝刊については。


   武田邦彦教授のブログhttp://takedanet.com/ の「人生の節目・衝撃の一言:お母さん、こんな時は政府を信用した方が良いよ」(2012.7.26.)http://takedanet.com/2012/07/post_ae7a.html に、
≪先日、東京で大きな反原発デモがありました。このことをNHKは報道せず、ヨーロッパの報道から「デモは民主主義の一つの大切な手段で、これほど大きなデモを放送しないNHKの放送姿勢を問う」という批判が出ていました。 ≫と出ていました。 日本の大新聞やテレビが反原発デモを報道しないことを、ヨーロッパのマスコミで批判されたという件は、「日刊ゲンダイ」だったかにも出ていました。 今日は、朝日新聞と東京新聞には、脱原発デモの記事が一面に出ていましたので、その点では良かったのかもしれませんが、国民の頭を、原発の問題などからオリンピックの方に持っていこうとする読売の記事の構成には、毎度のことながら、あきれます。
   上に、「読売はバカの読む新聞」などと書いてしまったので、読売新聞を購読している方には気分を害された方もあるかもしれませんが、はっきり言って、実際のところ、月に1度か2度、コンビニかキオスクで買って読むのは問題ないと思いますが、連日、読売みたいなもの読んでいたのでは、頭つぶれます。 もしくは、読売なんぞ、定期購読するくらいなら、ヤフーニュースで十分です。 私はそう思う。 だから、私は、読売は、「今なら、洗剤、何箱サービス」とか言われても、コンビニやキオスクで買って読むことはあっても、宅配で定期購読はしない。 新聞屋から買うのは新聞であって、洗剤買うんじゃないのだから。

   それから、亀井勝一郎は、≪そのため(スポーツのため)に新聞や雑誌の特別版が必要だということになると、これは知性のために危険だと言いたいのです。≫と述べていますが、私は、スポーツのための新聞や雑誌があっても、別にいいと思うのです。スポーツのための新聞というのは、要するに、スポーツ新聞のことです。あってもいいと思います。 嫌なら見なきゃいいのです。 読売系であれば、「報知新聞」がスポーツ新聞ですね。 だから、「報知新聞」でオリンピックの記事を一面に載せるのは悪くないと思うのですが、どうして、「読売新聞」も「報知新聞」にしてしまうのか、「読売新聞」もスポーツ新聞にしてしまうのか、と思います。  マア、もともと、読売は、朝日・毎日・東京に比べて、スポーツ新聞に近い新聞ですけれどもね。 読売は、スポーツ面のプロ野球の記事だって、「はっきり言って、巨人びいき」ですし、読売のスポーツ欄は、一般新聞のスポーツ欄という感じではなく、スポーツ新聞みたいなスポーツ欄ですし。 

   朝日新聞、東京新聞は、今日だけでなく、今後も、オリンピック開催期間といえども、スポーツ記事で一面を占拠させることのないようにお願いしたいと思います。 私も、亀井勝一郎と同じく、決して≪私はスポーツを否定はしませんが≫。
   一面をスポーツ記事とする新聞 というのは、それぞれの新聞社の系列のスポーツ新聞があるのですから、スポーツ中心の新聞を見たければ、スポーツ新聞を買って読めばよいことですから。

   なお、W=ライヒの著作の書名などから、ライヒを「左翼」とかとらえて、また、右翼的な人から攻撃を受けそうですが、ユダヤ系ドイツ人の精神分析医であったヴィルヘルム=ライヒは、もともと、ドイツ共産党に所属していたが、1917年のロシア革命の後、モスクワに行って、ロシア革命で誕生したソビエト連邦を見て、「これでは国営資本主義だ」と絶望して否定的な見解を持つようになり、その結果、ドイツ共産党から除名され、一方で、ナチスからユダヤ人として追われ、かつては否定していた資本主義のチャンピオンであるアメリカ合衆国に亡命するに至った人であり、ロシア革命以前においては、「社会主義=民主主義、資本主義=抑圧された社会」と見ていたのが、モスクワへ行ってソ連を見て、抑圧された社会かどうかは、資本主義か社会主義かとは別と考えるようになった人です。
  どちらの経済体制をとる場合でも、すべての国民が精神的に抑圧されない社会 をめざすべきであり、国民の関心をスポーツにそらして、ふあ~っとした精神状態にして、支配統制しようとする社会というのは、望ましい社会ではなく、民主主義の傾向の強い社会ではなく、また、そのようなスポーツの扱われ方というのは、スポーツにとっても望ましいものではないと思います。

  新聞の一面が「○○銅」「△△銀」とか載せている間に、原発が再稼働され、放射性物質を含んだ瓦礫の焼却灰が全国各地で埋め立てられていく・・・というのは、おそろしいですね。
  運動選手は、自分たちが、たとえ、自分はそう意図していなくても、そういう動きに、結果として加担させられているということを、少しは考えてみた方がよいと思います。

  もうひとつ。 ビッグローブの ウェブリブログ「テーマ 原子力発電所」https://webryblog.biglobe.ne.jp/5/a/5af37dca33.html (原子力発電所に関するブログ記事を入れた人のものが最新のものから順に並べられるもの) が、2012年4月20日の ≪『 替え歌で楽しかった 第30弾関電包囲行動 』  ブログ: 57歳パート日記≫の後、今日7月30日まで、私も含め、間違いなく何人もが記事を入れているはずであるにもかかわらず、3カ月以上、更新されないのですが、原子力発電所に関するブログを見つけにくくするために、意図的に停止している・・・なんて、ことは、ないでしょうね。 どうも、気になります。 
         (2012.7.30.)
  2012.8.9.ビッグローブの ウェブリブログ「テーマ 原子力発電所」https://webryblog.biglobe.ne.jp/5/a/5af37dca33.html は更新されたようです。 (2012.8.9.) 


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