なぜ、こんな卑しい男を校長にならせないといけないのか?-府立和泉高校・中原徹~「民間人校長」て何だ?

〔第92回〕
  同じ職場の同僚に対して、「君が代」を歌っているかどうか探るスパイ行為とでもいうような卑しい行為をおこなう「校長」がいたというニュースを見た。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
(YAHOO!ニュース)
国歌斉唱「口動いてない」教員、校長がチェック
読売新聞 3月13日(火)7時52分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120312-00001232-yom-soci
  大阪府立和泉高校の卒業式で、国歌斉唱の際、教職員が本当に歌っているかどうかを、校長が口の動きで確認していたことがわかった。
  口が動いていなかった教員のうち、1人が歌わなかったと認め、府教委が処分を検討している。国歌起立条例を提案した地域政党・大阪維新の会代表、橋下徹・大阪市長は「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛。しかし、その徹底ぶりに反発もある。
  同条例の成立を受け、府教委は府立学校全教職員に、起立斉唱を求める職務命令を出していた。和泉高の中原徹校長によると、今月2日の卒業式では、教頭らが教職員約60人の国歌斉唱時の口の動きをチェック。その結果、3人の口が動いていないとして、個別に校長室に呼び、1人が「起立だけでいいと思った」と不斉唱を認めたという。  最終更新:3月13日(火)7時52分
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 
朝日新聞
君が代斉唱時、教員の口の動きも報告 大阪府立和泉高   2012年3月13日13時22分  http://www.asahi.com/national/update/0313/OSK201203130046.html
  大阪府立和泉高校(中原徹校長)の卒業式で、君が代斉唱の際、教員が起立したかどうかに加え、実際に歌ったかどうかを管理職が口の動きでチェックして府教委に報告していたことがわかった。府教委は起立斉唱を求める職務命令を全教職員に出しており、メールで報告を受けた橋下徹大阪市長は「これが服務規律を徹底するマネジメント」「ここまで徹底していかなければなりません」と賛辞を送っていた。   橋下氏は、起立斉唱を義務づけた君が代条例を成立させた大阪維新の会代表。 中原校長のメールによると、教頭が全教員の口の動きを目視で確認。 「3名の口が動いていなかった」と報告を受け、3人を校長室に呼んだ。2人は「斉唱した」と話したが、1人は「起立だけでよいと思った」と話し、歌わなかったことを認めたという。
  中原校長は「他校の校長は『斉唱』まで確認していないと思います」「確認していたとしても『起立していればよい』と仲間をかばって報告していないと思います」 「ちなみに3人とも組合員」と報告していた。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
大阪府立和泉高校のホームページは⇒http://www.osaka-c.ed.jp/izumi/

     
  この和泉高校の校長は、共に職場で働いてきた同僚に対し、口元を調べて回るというそこまでやるのかと、その卑しい根性に驚いたが、↓ の記事を見ると、「校長」という中原 徹 という男は、大学で教職課程を履修して教員試験に通って教員として高校に就職した上で「校長」になった人間ではなく、橋下 徹 の友人で、横浜市出身、早稲田大学卒の弁護士で、「民間人校長」として、2010年から府立和泉高校の「校長」になった者で≪応募前に知事の特別秘書が大阪府教育委員会に「知事の友人が受験するかもしれない」と伝えていたことと、教育委員会が同秘書に合格を口頭で伝えていたことが報道された≫(「ウィキペディア―民間人校長」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E9%96%93%E4%BA%BA%E6%A0%A1%E9%95%B7 )男らしい。 通常、校長になるような年齢ではないにもかかわらず、「民間人校長」として「校長」になったようで、中原 徹 自身が「最年少校長 中原 徹 のブログ」http://ameblo.jp/nakahara-toru/ というブログを公開している。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
産経ニュース 
橋下知事の友人を擁立 府知事選で維新の会、民間人校長・中原氏
2011.9.14 11:50   http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110914/elc11091411530001-n1.htm
・・(略)・・橋下知事の友人の弁護士で、府立和泉(いずみ)高校に民間人校長として勤務する中原徹氏(41)・・・・
中原氏は横浜市出身。早稲田大時代から橋下知事の友人で、平成6年の司法試験で橋下知事とともに合格した。12年には米国ミシガン大ロースクールを修了。米国で法律事務所の共同経営をしていた21年、府教委の民間人校長の公募に応じ22年4月から採用された。
 採用時には、橋下知事の当時の特別秘書が府教委に「知事の友人が受験する」と伝えていたことが問題化した が、府教委は「選考に影響はなかった」として予定通り採用した。・・(略)・・
ーー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
  ≪府教委は「選考に影響はなかった」として予定通り採用した≫というが、≪横浜市出身≫で≪早稲田大時代から橋下知事の友人で、平成6年の司法試験で橋下知事とともに合格した≫という男が、特に縁のない大阪府和泉市の「校長」になったのは、府知事であった橋下と関係ないと考えるのは不自然である。

  
  問題点は4つある。

〔1〕  「君が代」の強制は、明らかに「信教の自由の侵害」であり、人権侵害である。 教職員に対する人権侵害であるとともに、生徒に対する人権侵害でもある。 

   学校における「君が代」礼拝の強制・市役所における「日の丸」礼拝の強制は、戦前・戦中におこなわれた国民の精神に統制の流れであり、「思想信条の自由」「信教の自由」を侵害するものであり、認めがたい。

   戦前、「神社は宗教にあらず」などという詭弁を述べた者がいたが、当然のことながら、神社は宗教である。

  「君が代」「日の丸」の強制は宗教ではないと主張したい人もいるかもしれないが、↓を見ていただきたい。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
YOMIURI ONLINE 読売新聞
 議場では国旗に敬礼、大阪市長が幹部らに指示
「席に着く時」「答弁に立つ時」「休憩後も」 http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120122-OYO1T00187.htm
  大阪市の橋下徹市長は、市議会本会議場で壇上に並ぶ局長級の幹部らに対し、議場での着席時や答弁に立つ際に、国旗への敬礼を徹底するよう指示した。2月議会には、市立施設への国旗の常時掲揚や、市立校の教職員に国歌斉唱時の起立などを義務づける「国歌起立条例案」を提案する予定で、まずは幹部に範を示させる狙いがあるとみられる。
  橋下市長は今月中旬、「議場における国旗への礼」というタイトルで幹部らにメールを送信。「議場の席に着く時には国旗に礼をしてください」「答弁に立つときだけではなく、席につくときに1段あがるときにも」「休憩後も」などと、細かく指示を出した。
  また、市議会本会議での質疑応答が、3月から一問一答方式に変更されるのを念頭に、「一問一答の際、毎回礼をやっていたら議論にならない。最初と最後だけの礼にしようと思う」と、橋下流の作法も示した。
  橋下市長は同条例案で、教職員に対し学校行事での国歌斉唱時の起立を義務づけるほか、市の施設では執務時間中、利用者に見やすい場所に国旗を掲げることも明記する意向を示している。大阪府議会では、橋下市長が知事時代の昨年6月に同様の条例が成立している。 (2012年1月22日 読売新聞)
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
  ↑いったい、これのどこが宗教でないと言えますか? どう考えても宗教儀式でしょう。 違いますか?

≪ 神はこのすべての言葉を語って言われた。
 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。 上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。 それにひれ伏してはならない。 それに仕えてはならない。 あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵を施して、千代に至るであろう。 ≫
(『旧約聖書』「出エジプト記」第20章1-6。 日本聖書協会口語訳)

  橋下 徹がおこなっている「君が代」「日の丸」礼拝の強制は明らかに宗教儀式の強制で、明らかに「信教の自由」の侵害です。  橋下 徹は(元)弁護士であれば、この程度のことは理解するべきです。

  府立和泉高校の「校長」になってしまった 中原 徹 も(元)弁護士だということであるが、(元)弁護士なら、宗教儀式の強制は決しておこなってはならないという法的常識を理解しなければならない。


〔2〕-(1)  「君が代」の強制をどうとらえるか、とは別の問題として、同僚の教職員に対し口が動いているかどうかまで調べて回るスパイ行為をおこなうという卑しい態度を取る「校長」「教頭」をどう考えるか、という問題である。
   そういう卑しい人間性の男を「校長」としてふさわしい人間と言えるか。 そういう「校長」に指示されて、そのまま口元を調べて回る「教頭」を教育者としてふさわしい人間といえるか、教育者としてふさわしい人間性の持ち主と言えるか? という問題がある。

   私自身、高校生の時、学校の教員、特に、高校の教員を目指そうかと考えたことがあった。 ロマン=ロランの『ジャン=クリストフ』(岩波文庫 他)を読むと、少年時代のジャン=クリストフに影響を与えた人間として、叔父のゴットフリートという男が出てくる。 高校生の時の私は、自分にとっても、ゴットフリートのような大人が周囲にいてくれたら希望したが、残念ながらいなかった。 そこで、自分自身が将来の高校生の為のゴットフリートになろうと思ったのである。 高校の教員となって、一方で、高校生として学ぶべき学問を教え、大学受験においても力になり、そして、人間的には『ジャン=クリストフ』におけるゴットフリートに・・・と考えたが、実際に高校の教員になるより、青年心理学などの研究者になる方をより望んだが、我が家は「家庭内ファシズム」のような家庭で、「家族の政治学」に勝利をおさめることができなかったこともあり、目指した大学に合格できなかったということもあり、違う方向に進み、まったく異なる職業についたが、かつてそう考えたことがあった。
   その際、高校の教員になるなら、共学校・男子校・女子校のどれに勤めたいかというと、私は、幼稚園・小学校・中学校・高校とすべて共学の学校に行って共学が普通のように思ってきたし、人間の社会は男性と女性の両方で成り立っているので、男子だけ・女子だけの世界は本来的ではないと思ったので、できれば共学の学校に勤めたいと思ったのですが、共学校に勤めることができない場合は、自分が高校生の時のような存在の高校生の力になってあげたいという気持ちから出たことなので、男子校に勤めたいと思った。
   兵庫県の私立高校である灘高校の勝山という校長が、なぜ、灘高校に勤めたかというと、大学を卒業時、勤務できる学校が、男子校の灘高校ともうひとつは女子高で、女の子にはどう対処していいかわからないので、それで、男子校の方ができるのではないかと思い、灘高校に就職したと述べていたものを読んだことがあった。 高校を卒業するかどうかという頃の私も勝山氏と同様の気持ちがあった。 大学在学時、こういった話をすると「女子校の方がいいんじゃない。やさしいから女の子にいいと思うよ。」と言ってくれる人もいたが、正直なところ、その頃、灘の勝山校長と同じく、女の子にはどうしていいかわからなかった。
   しかし、女子校の教員になりたくないと思った理由はそれだけではなかった。 私の姉のひとりが大阪市内の私立の女子高に行っていて、文化祭などに連れて行ってもらったこともあったが、姉から聞いた話では、その女子高では、朝、通学時に、先生が校門の前で定規を持って立っていたそうである。 なぜ、定規を持っているのかというと、校門の前で高校生の女の子のスカート丈をその定規で測るのだそうだ。 小学生の時に聞いたその話が頭の中に残り、女の子のスカートの丈を定規で測るようなそんなことはしたくない! 女の子のスカートの丈を測るために学校の教師になるんじゃない! そんな情けないことをするのは嫌だ! と思い、それで女子校の教員には絶対になりたくないと思ったのです。
   私などが高校生の頃は、女子生徒のスカート丈というのは、「膝下まで」が普通で、地面にするくらいに長いスカートというのが女子高校生の「不良ファッション」とされていて、「不良」と言いながら、「良」から逸脱するのに、一定の決まった「不良」ファッションがあるのはおかしい、超ミニとかの方がいいのに・・・などと冗談で言われていた。
≪ 森   ところが一方で、制服で統制する学校に反発する非行グループっていうのも、けっこうスーパー制服主義でね、揃いの姿をしたがる。 一人だけ変わった格好ってないでしょ。
 斎藤   ないですね。
  森   必ず一つの非行の標準があって、非行制服へ向かおうという、あれ気色悪いんだなあ。
・・・・・・(略)・・・・・・
  森   日本中が制服志向をしてるんかなあ。
     それに、これはかなり個人的、主観的なことかもわかんないいんだけど、上着を長くしてみたり、あるいはスカートを長くしてみたりというのは、非常に限定された中でやるから、ああなっちゃうんかなあ。 
     たとえばスカートに関してはね、どうせ規則破るんならどうしてミニが出てこないかというのがわかんないわけ。 スカートをどんどん短くしちゃってね、日替わりの色違いのパンティをはくとかね(笑)。 そういうはみ出し方だってあっていいと思うんだけどね。男の子の制服にしたって、・・・・・・・・ ≫
( 斎藤 次郎 ・ 森 毅『元気が出る教育の話』1982.6.25.中公新書 )
  「北野高卒→東大理学部卒→京大教養部教授 」と歩んだ 数学者の 森 毅(もり つよし)氏に限ったことでなく、「不良ファッション」というのが、女子はスカート丈が長くなる、男子はズボンの太さが太くなると決まっているというのも変だというのは少なくない者が思ってきたし、なぜ、スカート丈は短くならないのだろう? という冗談はよく言われたのだが、最近の女子高校生は、冗談ではなく本当に無茶苦茶短い丈のスカートをはいている者をしばしば見るし、そこまで短くしなくったってと思うことがある。 それは「不良」「非行」を志向しているわけでもないらしい。 
   それで、やっぱり、高校というのはお勉強をするところであり、短すぎるスカート丈というのは、私は、昔も今も、いいとは思わないのだけれども、だからといって、校門の前に立って、定規で女の子のスカート丈を測るというのは、なんとも情けないというのか、それが教育者のやることか!?! と、昔も今も思うのです。 もし、あまりにも短すぎると思ったならば、何も定規で測らなくても、「○○さん。 ちょっと、短すぎるように思うんだけれども、そんなことないかなあ。」と口で言えば、それでいいことではないのか? と思う。 定規で測って何かいいことあるか?  私は、いつしか、大学に進学する者の親くらいの年齢になってしまったが、私が親なら、自分の息子が志に燃えて教員になったのに、校門の前で定規持って女の子のスカート丈を測らされているということになったのでは、親として、情けない、泣いても泣ききれない思いがする。 そんな哀しいことをさせるために息子を育てたのではない!  自分自身が教員になる場合でも、自分が教員になろうかという息子の親の立場であっても、定規持って女の子のスカート丈を測るような情けないことはしたくないし、させたくない。 又、そういうことをする教師を、生徒は、尊敬できる教師だと思うだろうか? 私は思わないと思う。

   「君が代」を実際に歌っているかどうか、口元を調べて回るようなことをした「教頭」、それをやれと指示した「民間校長」の中原 徹 という男、 いわば、校門の前で定規を持って女の子のスカート丈を測る なんだか下卑たオヤジみたいな情けない教員 と似ていないか?
   インターネットで検索すると、中原 徹 という男は、「最年少校長」と出ている。 しかし、“ オヤジ ”は年齢によってなるものではないのです。 実際の年齢が若くても、“ オヤジ ”はいるのです。
≪  オヤジは、年齢によってオヤジになるのではありません。
   実は年齢は関係ないのです。
   その年齢できわめて多く分布するというだけで、20代の若者にもオヤジはたくさんいます。
   男性に限りません。
   女性にもオヤジはたくさんいます。≫ 
≪  人間から品性をとったものがオヤジです。
   そもそも品性のない人が「オヤジ」と呼ばれます。
   男性でも女性でも、若くても年をとっていても、誰でもオヤジになります。
   人間は、ほうっておくとオヤジになります。
   品性は努力しなければ身につかないからです。
   だいたい中間ぐらいの状態で生まれてきた人間は、会社に入って、そのままどんどん品性を失ってオヤジになっていくか、どんどん品性を身につけて紳士淑女になっていくかの境目にいます。 ≫
(中谷 彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』2003、1.20. PHP文庫)
中原 徹 が「校長」の中で若いから、他の「校長」よりオヤジでないなどとは言えません。 
  校門の前で、定規持って立って登校してくる女の子のスカート丈を測るバカオヤジ・だめオヤジと、教員の口元をスパイして回るバカオヤジ・だめオヤジとは、いかにも類似しています。
情けない。 

橋下 徹・中原 徹の手下になって同僚の口元を調べて回る情けない「教頭」
おまえら、そんなことするために、教員になったのか?!?

   教育の問題についての、一番の古典というと、やはり、ジャン=ジャック=ルソーの『エミール』(岩波文庫 他)だと思います。
   ジャン=ジャック=ルソー なら、校門の前に定規を持って立って女の子のスカート丈を測るような人間、同僚の教員の口元を調べて回って、 「君が代」という「天皇が支配する社会が未来永劫に続きますように」という日本国憲法の原則である「国民主権」に反する呪文 を、同僚の教員が唱えているか調べて回り、唱えていなければ「処分」しようとする者に協力・加担する裏切り者を、教育者の態度としてふさわしいと考えるだろうか?  
よもや、考えはしないだろう。
   そのような情けない人間にはならないように、というのが、教育の目標のひとつである、と私は思うし、ジャン=ジャック=ルソーも考えるのではないかと思う。
   違うか?    

   だいたい、教員の口元を調べて回って実際に「君が代」を唱えているかどうか調べて回るというのは、それは、「教頭」の仕事だろうか? 「教頭」の業務か?
   府立和泉高校では、こういう疑問すらも持たないような白痴が「教頭」になっているのか?

   中原 徹 という男は、橋下 徹 の友人 だというが、 まあ、しかし、 「類は友を呼ぶ」  とはよく言ったものだ。
ちっぽけな野郎には、ちっぽけな野郎が友人になるということか。

   そして、「民間人校長」というものであるが、なにゆえ、必要なのか、ということだ。
「ウィキペディア―民間人校長」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E9%96%93%E4%BA%BA%E6%A0%A1%E9%95%B7 を見ると、≪ 校長(学長及び高等専門学校の校長を除く。)の資格としては、次の「教育に関する職」に、原則として就いていなければならない。 ・・・・その例外として、国立もしくは公立の学校の校長の任命権者または私立学校の設置者は、学校の運営上特に必要がある場合には、以上に掲げる資格を有する者と同等の資質を有すると認める者等を校長として任命しまたは採用することができると定められている。  この規定は、教頭の資格について準用されている。 ≫と書かれているが、この 中原 徹 という男を、「民間人校長」にならせることに、≪学校の運営上特に必要がある≫とは思えないのだが、この男を「校長」にならせた人は、≪学校の運営上特に≫どういう≪必要がある≫と考えたのだろうか? 
 ならせた人、きっちりと国民の前に説明していただきたい。


 -(2)  かつ、「管理職」として考えた時、中間管理職というものは、「上から下へという立場」である面があっても、同時に、「下から上への立場」もあるはずであり、もしも、「知事」「市長」が「上」であると仮定しても、「下から上へ」という面をまったく持たない、「上から下へ」という面のみしか持たない「管理職」というものを、優秀な「管理職」と言えるか? という問題がある。

   従業員・労働者・勤労者を「ぎゅうぎゅう言うことをきかせる」のが労務管理・・・ではない

   私は、もともと、「青年心理学」等の心理学等を学ぶか哲学を学ぶかを考えていて、そういう研究者になれなかった時は教員を考え、そういう方向に行かないならば司法試験を受けて裁判官か弁護士になることを考えていた者であったが、何の因果か慶應義塾大学の商学部に入学してしまった。 大学に残って研究者になる者、高校の教員になる者、裁判官や弁護士になる者に比べて、経済学部・商学部から企業に勤める者というのは、人間としての志が低い俗物という印象があったが、しかし、否定的な面ばかりでもない。 昔から、各大学に対する悪口というものがあって、東大は「役人養成所」、京大は「教員養成所」、中央大学は「資格試験予備校」、慶應は「サラリーマン養成所」とか「財界の御用大学」とか言われてきた。あくまで「悪口」なので100パーセントあてはまるわけでもないが、まったくあてはまらないとも言えないところがある。 慶應は「使いやすい、使われやすいばかりで、自分自身が指導者になってリーダーシップを発揮することができない人間をわざわざ養成している大学」という批判がある雑誌に掲載されていたことがあったと慶應のある講義の中で助教授が紹介され、悔しいけれども、まったくあてはまらないとも言えないようにも思うと言われたのを聞いたことがあった。(この批判が掲載されていたと紹介された月刊誌を、私は図書館で調べてみたが、見つけることができなかった。掲載されていた雑誌が何か勘違いして紹介されたのかもしれない。) 
   それで、「使いやすい、使われやすいばかりで、自分自身が指導者になってリーダーシップを発揮することができない人間」というのは、基本的には批判であり悪口であるが、実はその良さもあるのです。 「使いやすい、使われやすいばかりで、自分自身が指導者になってリーダーシップを発揮することはできない」というのは、企業の役職では「トップにはなれないけれども、その次か次の次くらいの役職にはちょうどいい」という意味。 たとえば、上から下に「10やれ」と言われると、「ちょっと、いくらなんでも、10は難しいですよお。」とがんばり、下から「いくらなんでも、5くらいしかできませんよ。」と言われた時、「そう言わずに、なんとか、もうちょっとやってくれよ。」と頼み、上に対しては10からいくらか譲歩させ、下に対しても5からいくらか譲歩させて、なんとか7か8くらいの折衷案で妥協させてのりきる・・・というのは、「法律家の判断」では違うかもしれないけれども、「企業人の対応」としてはありではないか・・・。 これだけですべて乗りけれるわけでもないかもしれないけれども、こういう対応の技術も必要なものではないのか、ということです。 こういう「中間管理職」というのは、上を見ないわけにはいかないけれども、だからといって、ヒラメみたいに上ばかり見て下を見ないでいて良いというものでもなく、下を見ない「中間管理職」が優秀な「中間管理職」でもないわけです。 
   中原 徹 という府立和泉高校の「校長」、及び、中原 徹 の手下となって同僚の教員の口元を調べて回るという卑しい行為をおこなった「教頭」。 こいつらは、片方ばっかり向いていないか? 
   「管理職」「中間管理職」として見た時、片方ばかり向いているようなヤツを、はたして、優秀な「管理職」「中間管理職」と言えるか?
   こういう人間を、教職課程を履修してきたわけでもない、教員の経験があるわけでもないのに、教員になろうとして大学で教職課程を履修して教員になった者が何人もその高校にいて、この中原徹よりも年齢が上の者も教員にいるのに、この男を「校長」にする理由がはたしてあるのか? 片方ばっかり向いているようなヤツを、はたして、「管理職」「中間管理職」にする必要があるのか?
   ならせる必要のない男に「民間人校長」にならせているように思うのだが、そんなことはないか?


〔3〕  中原は、≪「ちなみに3人とも組合員」と報告していた。≫ということですが、労働組合というものは資本制経済をとる国におけるひとつのシステムであり合法な存在であり、外国においては、「ユニオンショップ制」「クローズドショップ制」という制度によりその職場で働く従業員は全員が労働組合に加入しなければならないとする場合もあるが、そうなっていない場合でも、資本制社会におけるシステムとして合法な存在として存在する労働組合を、≪「ちなみに3人とも組合員」と報告していた。≫というように、明らかに敵視した態度を取る「管理職」というのは、「管理職」として問題がないかという点である。
  中原 徹 という男は、橋下 徹 と同様、(元)弁護士だということであるが、(元)弁護士ならば、労働組合とは、資本制社会の日本において合法の存在であり、労働組合に加入していること、加入しようとしていること、結成しようとしたことなどを理由としての差別扱いは、労働組合法第7条で「不当労働行為」として禁じられているということくらいはわかっているはずで、中原 徹 のような ≪「ちなみに3人とも組合員」と報告 ≫というような対応が好ましくないということくらいはわかっているはずである。(労働組合法第7条 については、「労働組合法」http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO174.html 参照)
  わかっていてやっているのか?

〔4〕   中原 徹 は「最年少校長 中原徹のブログ」の「2012-03-13 08:24:10  読売新聞の記事について」http://ameblo.jp/nakahara-toru/page-7.html#main で、
≪ 卒業式の際に起立して国歌を「斉唱」する(東京都の)職務命令の適法性については最高裁判所がすでに適法であると判示しています。大阪府の条例は、選挙で選ばれた府議会議員によって決議されています。行政機関は、法の執行者として、議会が成立させた法(条例)を遵守し、司法(最高裁判所)の判断を尊重します。私は校長という教育行政機関の一員として、上司である大阪府教育委員会からの職務命令・指示を遵守しました。これが憲法が要請する民主主義であり、三権分立です。≫と述べています。
   自分のやっていることの正当化に、「最高裁判所」を持ち出すのは、中原 徹 が(元)弁護士でなければ、まだしもですが、中原は(元)弁護士です。 
  「日本の裁判所の判決は、一般に、上級審に行けば行くほど、判決の内容が悪くなる」 と言われています。
   最高裁がどういう判決をだしたか紹介して悪いことはありません。 しかし、 (元)弁護士という「法律家」ならば、最高裁はこういう判決をだしたことがあると述べるだけでなく、それで、「法律家」として自分はその点についてどう考えるということを述べないと「法律家」の意味がありません。 「最高裁」をそのまま錦の御旗として持ち出すなら、(元)弁護士でなくてもアホでもできる。

  中原は≪校長という教育行政機関の一員として、上司である大阪府教育委員会からの職務命令・指示を遵守しました。≫と述べていますが、大阪府教育委員会の命令・指示のように生徒を精神的に加工するのが教員の業務だと言うのですか?
  教育学や教育心理学を学んできた人間でない、「教員」という専門職意識のない「民間人校長」の問題点がここに出ているように思います。

日本国憲法
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 
(「日本国憲法」http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM )
   
  「大阪府の条例」であっても、憲法に違反する条例である以上、その条例自体が無効である。
  中原 徹 は、(元)弁護士であるならば、これらについて十分理解するべきです。

  弁護士であれ裁判官であれ、人間的に感心しない「法律家」と対処する時、気をつけなければならないことがあります。
  「法律用語のジャルゴン の森に引きずりこまれないように気をつける」 こと です。

  ジャルゴン とは。
jrgon (名詞)訳のわからないことば、 ちんぷんかんぷん、 たわごと :
        くずれた言語〔方言〕、 なまりことば ;
        《軽蔑して》 《特殊な人たちにだけ通ずる》通語(cant)、専門語だらけの話 ;
        鳥のさえずり、
   (自動詞)訳のわからないことばを話す、 さえずる。
(岩崎民平 監修『現代英和辞典』1973. 研究社)

  しろうと が本人訴訟をやるような場合に、良心的でない裁判官が担当であると、たとえば、労働裁判ですと、裁判官が、使用者側に有利にしてやろうとして、本人訴訟をやっている労働者に対して、意図的に法律用語のジャルゴンで話して困らせる ことがあります。  本人訴訟をやる者は、決して法律用語のジャルゴンの森に引きずり込まれないよう気をつけなければいけません。

   (元)弁護士という 中原 徹 にも、同様のことが言えます。 一般国民は、中原の発言において、法律用語のジャルゴンの森に引きずり込まれないように気をつけなければいけません。 

   川島 一郎 編『民事訴訟の勧め方-ビジネスマンの訴訟入門』(1990.4. 有斐閣)から引用します。
≪ 弁護士との信頼関係をつちかうために一番必要なことは、その事件をめぐって徹底的に議論し、問題点とその解決のしかたについて、共通の認識をもつことです。 弁護士は専門家ですから、彼の意見は十分尊重する必要はありますが、疑問を残したままうのみにしてはいけません。 なぜなら 法律は常識の上に成り立つもので、常識的に疑問に思うところは法律的にも疑念のある場合が少なくない からです。≫

   最高裁がどう言ったということを錦の御旗のかかげて、中原は「言うこと」をきかせようとしているようですが、 根本的な問題として、
 国民は、最高裁が国民に敵対するような判決を出さないように監視する必要があるのであり、最高裁が出した判決だから間違っていないのだとして国民に命令されるべきものではない のです。

  国民が最高裁を監視することこそ大事 です。

  専門用語で話せば、何でも、一般用語で話すよりも、話の内容まで、高級になるというものではない 。

  もしも、専門用語のジャルゴンの森に引きずり込まれてしまったか と思った時には、一般用語で話せばどうかということを考えてみる、「常識」で考えればどうなるかということを考えてみる、という思考をしてみることです。


   

  この 中原 徹 という男、この男の「最年少校長 中原徹のブログ」http://ameblo.jp/nakahara-toru/page-1.html#main の「プロフィール」を見ると、
≪ 性別:男
   誕生日:1970年4月26日
   血液型:O型
   出身地:神奈川県横浜市
   前職:カリフォルニア州、ニューヨーク州および日本国弁護士  ≫ 
と書かれていますが、インターネット上で、一生懸命探しても、早稲田大学より前の経歴は出てきません。 
カリフォルニア州がどうのこうのはけっこうなので、日本でどういう育ち方をした人なのか自己紹介を聞きたいように思うのですが、述べないところをみるとあまり言いたくない内容なのかもしれません。

  私は、「民間人校長」というものを百パーセントは否定はしていません。 高校の教員は大学で教職課程を履修して教員になるコースを歩んだ人達ですが、教員だけが高校生の進路ではないので、「校長」になる必要はないと思いますが、教員以外の職業についた人で高校生に相談に乗るような立場の人が高校にいても悪くないとも思ってきたのです。 しかし、中原 徹 という男は、そういう役割ができる人間ではないと思えます。 むしろ、高校生のそばにいてもらいたくない人間であると思います。
なぜ、このような人を、教員でもなければ、教職課程を学んできたわけでもないのに、「校長」にならさなければならないのでしょうか?

  だいたい、横浜市生まれの男が、なぜ、大阪府の高校の「校長」になろうとするのでしょうか。 なるならなるで、神奈川県でなればいいではありませんか。
  高校生は、高校を卒業した後、大学・短大・専門学校等に進学するか、就職するかします。 そういう時に、自分はこうやったという経験がある人の方がいいと思いますが、その点で、大阪府の高校を卒業した人と違って、神奈川県の出身の人では、経験がその高校の生徒と違うと思います。 
  私が慶應義塾大学に在籍した時、慶應義塾高校に在籍している生徒が進学するのに「内部の高校の出身の人」という条件がついた家庭教師の求人を見たことがあります。 その条件を付けた親の気持ちはわかります。 私などは一般の高校から一般入試を経て大学に進む場合についてはわかりますが、内部進学の状況は内部進学者の人から聞いた話くらいしかわかりませんから、内部の高校から医学部に行きたい等の場合はそういう経験を経た人の方がいいと思います。 逆に、一般入試で入ろうとする場合は内部進学の人にはわからないと思います。
  私は、中原 徹 という男の「ブログ」などを見て、印象として、もしかして、この男、早稲田の内部進学かなあ~あ・・・と思ったのです。 内部進学が絶対にいいということも絶対に悪いということでもないのですが、内部進学した人には、和泉高校のような公立高校から大学に進学する一般の入試についてはわからないと思いますよ。
  中原 徹 の「最年少校長 中原 徹のブログ」の「プロフィール」は変です。 今現在、高校の「校長」であって、弁護士をやっているのではないのですから、自分はどういう高校の出身で高校時代はどういう生活をおくったということを自己紹介するべきで「プロフィール」として最も重要な部分のはずです。 カリフォルニア州の弁護士どうこうは述べては絶対悪いということはありませんが、高校はどこで高校時代はどういう生活を送ったといったことの方が高校の「校長」の自己紹介としては必要・重要のはずですが、なぜかその部分が欠落しているのです。
〔 『数学受験術指南』(中公新書) の著者・森 毅 氏は、旧制・北野中学校から三高を経て東大理学部数学科に行き京大教養学部の教授で数学が専門と述べており、『東京大学機械的合格法』の著者・柴田 孝之は、三重県の私立の暁高校から東大の文科一類→法学部に行き、司法試験に通って弁護士となり大学受験予備校と司法試験予備校の講師を務めたと自己紹介しており、高校に該当するものについて述べているのに対し、中原 徹 は高校の「校長」にもかかわらず「プロフィール」からその部分が欠落しています。〕

    「最年少校長 中原徹 のブログ」の中原の顔の写真を見ると、なんか気持ちの悪い顔だな・・という印象を受けますが、まあ、顔の印象は人それぞれと思うし、選んだ写真がよくなかった可能性もあり、顔がどうこうは言ってもあまり意味のないことかとは思いますが、中味の方があまりよろしくないようです。

    大阪府民は、この 中原 徹 が「校長」になるために大阪府に来る時に言うべきだったと思います。

   おまえなんか、来んでもええ! ・・・・と。

   今からでもみんなで言いましょうか。
   横浜へ帰れ! ・・・と。


 もしかして、気づいていなかった人、いませんか? 中原 徹の「最年少校長 中原 徹 のブログ」の「プロフィール」に、高校の「校長」であるにもかかわららず、自分自身の高校と高校時代の自分についての記述がまったくない、という不思議な点について。

   わざわざ、横浜から大阪府まできて、教員の口元を調べて回る卑しい男。 
     どういう育ち方したのだろうな・・・・・・。
       (2012.3.19.)
(追記) ニックネーム「オサム」様より、中原徹氏の高校時代についてコメント欄にて紹介いただきました。ありがとうございます。
  もっとも、本来、中原徹氏が、生年月日と「出身地」(いつの時点でいた場所なのかも不明。それ以外の場所にいた時もありそうな感じ)、聞かなくても分かる性別とか特に重要でない血液型、さらに、「資格名」であって「職業名」でない≪カリフォルニア州、ニューヨーク州および日本国弁護士≫を「前職」として述べるなら(「前職」として述べるならば、「△△県 ○○法律事務所所属弁護士(得意分野:◇◇法、◇◇問題)」いった書き方をするべきで、「カリフォルニア州、ニューヨーク州および日本国弁護士」は保有資格名であって職業名ではありません。)と「プロフィール」として述べるなら、私は高校はどこに行き、どういう学生生活をおくり、自分がやったことでここはよかった、ここはよくなかったと思うといったことを中原氏が自分自身で述べるべきですが。
  この中原氏の経歴と「民間人校長」の問題について、このブログでも、後にとりあげたいと思います。よろしくお願いいたします。 (2012.5.5.)
(追記) 「オサム」様から、なぜか、提供いただいた情報の削除の依頼のコメントが入りました。なにか圧力を加えられるようなことでもあったのでしょうか。その直後、「ゆかり」様と「qwerty」様から攻撃的なコメントが入りましたが、それに対する私の見解を兼ねて、〔第101回〕《「民間人校長」は府民・国民に履歴書・職務経歴書の提出が要、及、リコール・国民審査or府民審査制度が要
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201205/article_1.html を作成し公開いたしました。ご覧くださいませ。(2012.5.21.)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた
面白い
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

オサム
2012年04月29日 12:05
お答えします。
彼は東京新宿区の早稲田中学校高等学校に昭和58年から平成元年まで在籍し、成績上位約30%が推薦枠でいける早稲田大学に推薦入学しています。高校当時、約350名ほどいたうちの上位10%くらいの成績で早稲田大学法学部推薦枠15名のなかに入れました。父親が全日空のパイロットでかなりバブルの生活をしていました。軟式野球部に所属していましたが、練習や試合結果はそこそこでした。女好きでよく女子校の文化祭にナンパしに行っていました。大学時代は新車のトヨタレビンを乗りまわしていました。確かに大阪には縁もゆかりもなく、また教職課程もとっていないと思われます。
オサム
2012年05月06日 20:17
誠に恐れ入りますが、先日のコメント削除お願いできませんでしょうか?

何卒事情ご高察のうえ、よろしくお願いいたします。
ゆかり
2012年05月06日 20:46
批判する側にあって、批判される側に無い物な~んだ。


答え:プライバシー
qwerty
2012年05月06日 22:22
どう考えても中原校長支持一択
どう考えても、卑しい白痴はお前
呆れる
2012年09月11日 16:06
国旗国歌は強制でいいんだよ
思想信条というのはあんたが人に喧伝するようなものではない 頭が悪すぎる
紙幣に傷つけたら逮捕されるでしょ
国家を維持するということは同じことだ
中原校長の件はどうかと思ったが、あんたのような増長した人間が最も危険だ
戦争に子供を追い立てるような人間はあんたのような人間だ
無責任極まる

この記事へのトラックバック