ハンス=ホッター他のすばらしさ、「君が代」の伴奏は音楽教諭の業務ではない、音楽を学んでいない橋下徹

〔第84回〕
  今まで、コンサート会場やレコード・CD・DVD、あるいは、FM放送で聞いた声楽の音楽家には、すばらしいと思った演奏家もあれば、「なんだ、こいつ」という気持ちにならされた人もいます。
  ここでは、「すばらしい」方の歌手として、ハンス=ホッター と ブラト=オクジャワ それに、ソプラノのアンナ=モッフォ をとりあげたいと思います。 この3人は、それぞれ、特色は、まったく違います。 (今回は、ハンス=ホッターです。)

  ハンス=ホッター は、ドイツのバス・バリトンの声楽家で、比較的若い頃は、オペラやオラトリオ、あるいは、ベートーベンの第九交響曲のバスのソリストなどもつとめたりしたようですが、声楽家としての晩年になると、リートに絞り、しかも、シューベルトの歌曲集『冬の旅』を生涯の仕事のようにして、歌い続けた歌手でした。 私などが中学生の頃、シューベルトの歌曲を歌う現役の声楽家としては、全盛期を過ぎたかなというハンス=ホッターと、ディートリッヒ=フィッシャーディスカウ、それに、ヘルマン=プライの3人が有名でした。 ハンス=ホッターはバス・バリトン、ヘルマン=プライはバリトンで、ディートリッヒ=フィッシャーディスカウは、バリトンですが、もともと、テノールであったのが、バリトンに変わった人なので、バリトンにしては高音域を得意として、又、声もテノールのような声質であったと思います。 私は、フィッシャーディスカウが、テノールからバリトンに変わったという話を聞き、人間は、「声変わり」というものもあるように、テノールからバリトンに変わるというように、高い音域から低い音域に変わることはあっても、逆はないだろうと思ったのですが、比較的最近になって、プラシド=ドミンゴが、もともとはバリトンであったのがテノールに変わったということを知り、認識を改めました。そういう話を聞いた上で、演奏を聴くと、確かに、フィッシャーディスカウがテノールっぽいバリトンであるように、プラシド=ドミンゴも、ルチアーノ=パバロッティなどが、いかにもテノールというようなテノールであるのに対して、バリトンっぽいテノールのようなところがあるように思えます。
  ハンス=ホッター は、卒業した大学はどこかというと、なんと、ミュンヘン大学の哲学科であったそうで、その後、ミュンヘン音楽大学に行ったらしいけれども、さすがに、哲学科だけのことはあるというのか、「内省的な歌い方」と言われたりもしますが、歌をかみしめるような歌い方というのでしょうか。 歌曲を歌うことを通じて自分の心を見つめなおすような、そういう歌い方であったと思います。 日本の某のような、単に、音声を出しているだけみたいな歌い方とは大きく異なるのです。
  私が、北野高校の生徒であった時に習った音楽の先生から、ハンス=ホッターとディートリッヒ=フィッシャーディスカウの2人の『冬の旅』の演奏会を同じ年に聴いたことがあり、声はディートリッヒ=フィッシャーディスカウの方がいいと思ったけれども、全体の演奏としては、ハンス=ホッターの方が断然すばらしいと思ったという話を聞いたのですが、それは、私が、レコードでこの2人の演奏を聴いて思った感想と同じでした。
  私は、中学校の3年生の時、今はなくなってしまった大阪の肥後橋にあったフェスティバルホールに、ハンス=ホッターの歌曲集『冬の旅』の演奏会を聴きに行ったことがあります。 ピアノ伴奏は、ジョフリー=パーソンズという人で、全部で24曲、それが、決して長いと思わなかった。どうも、日本では、戦争中においては、男で音楽をやる人間は「男のくせに情けない奴だ」というようなことを言われたそうで、戦後においても、剣道をやる人などは、私などの世代の人間でも、「音楽みたいな女々しいものではなく、やるのなら、剣道のような男らしいものをやりたい」などという者がいたりしましたが、私は、ハンス=ホッターの演奏を聴いて、見て、 歌も良かったけれども、それとともに、ドイツリートを歌う声楽は、男性としてかっこいいもので、男性として魅力のあるものであり、「音楽みたいな女々しいものではなく、やるのなら、剣道のような男らしいものをやりたい」などと言う者こそ、何もわかっていない白痴だと理解しました。剣道をやりたいならやっていいのですが、「剣道⇒男らしい、音楽⇒女々しい」という論拠のない決めつけで剣道をやるのなら、その思考はどうかしています。 私は、剣道は嫌いではなく、今も、木刀を一本持って、時間のある時に、自宅で振ったりしているのですが、剣道をやる人には、「剣道⇒男らしい、音楽⇒女々しい」という論拠のない決めつけをする人が時々あるのは好きではありません。
  その『冬の旅』の演奏会で、最後の「辻音楽師」という曲が終わった後、聴衆の拍手に、ハンス=ホッターは何度も舞台に戻り、挨拶をしたのですが、結局、アンコールは1曲も歌うことはありませんでした。 それだけが、少々、不満というのか、1曲くらい、アンコールに歌ってくれてもいいじゃないの、というように、その時、思ったのでした。 帰りがけ、やはり、同じように思った人がいたらしく、ある女性が「もう、けっこう歳だから、24曲も歌ったら、これで限界なんだろうね。」と連れにつぶやいて残念がる声を横で聞きました。
  その時、私も、24曲もある『冬の旅』という歌曲集を歌い上げるのが、声楽家としては晩年のハンス=ホッターとしては、せいいっぱいだったのかと思ったのです。 しかし、最近になって、それは違うと気づいたのです。 声楽でも管弦楽でも、まったく異なる曲を何曲か集めて演奏会を計画した場合は、最後の曲を演奏した後、聴衆の拍手が続くならば、アンコール曲を演奏することはよくあること、というより、演奏する方が一般的だと思います。 しかし、オペラのDVDを見て、オペラの演奏会を何回か視聴に行って気づいたのですが、オペラの場合は、いくら、拍手が続いても、舞台に出てきて挨拶はしても、アンコール曲の演奏をすることは、まず、ないのです。 それは、オペラの全曲の演奏を終えた後、性質の異なる曲を付け加えたのでは、むしろ、マイナスになってしまうからだと思います。 旧新両約聖書の最後の書『ヨハネの黙示録』の最後の部分には、次のように書かれています。≪ この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。 もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。・・・≫(『新約聖書』「ヨハネの黙示録」第22章18節―19節 日本聖書協会口語訳)
  オペラに比べるとわかりにくいところがありますが、シューベルトの歌曲集『冬の旅』は、24曲で完結しており、その中から、1曲、2曲を取り上げて演奏しても、それは、オペラの中からアリアを1曲・2曲取り上げて歌うのと同様のことで、悪いことではないけれども、≪歌曲集『冬の旅』≫として演奏するのであれば、その場合には、そこには、決して、1曲でも付け加えても取り除いてもいけないのです。 24曲は適当にくっつけたものではなく、24曲で『冬の旅』は構成されているのであり、24曲で完結しているのです。そこには、たとえ、1曲でも取り除いても付け加えてもいけない。 だから、ハンス=ホッターは、アンコール曲を演奏しなかったのだと思います。 ホッターは、音楽の専門家でもない聴衆の中に、アンコール曲の演奏をしてほしいと思っている人がいることを、たぶん、わかっていたと思うし、そういう人の希望をかなえてあげたいという気持ちもあったと思うのですが、それでも、≪歌曲集『冬の旅』≫の演奏を完成させるには、1曲でも取り除いても付け加えてもいけないと思って、がまんして歌わなかったのではないでしょうか。 
  その後、今から何年か前、東京文化会館で、岡村喬生(おかむら たかお)の『冬の旅』の演奏会を聞きに行きましたが、岡村喬生はアンコール曲を何曲か歌いました。岡村喬生には岡村喬生の考えがあったのだと思います。 しかし、ハンス=ホッターにとっては、『冬の旅』は、おのれの心を見つめなおし、自分自身の心を磨きあげることとともに生み出す芸術として、聖書には決して何一つ付け加えても取り除いてもいけないのと同じく、『冬の旅』には1曲たりとも付け加えても取り除いてもいけないのだ、と思っていたのではないか、と、今は私は思います。

   確か、ソニーの会長だったかが雑誌で述べていたことですが、何の雑誌だったか忘れてしまいましたが、やはり、シューベルトの歌曲などを歌う声楽家のゲルハルト=ヒュッシュが、「シューベルトの『冬の旅』を歌いたいと思ったら、まず、冬にドイツに行きなさい。 冬のドイツのどんよりとした空を知らずには、『冬の旅』を歌うことはできません。」と語ったというのです。 「音楽」は「音学」ではなく「音楽」なのです。 音を組み合わせることが最重要な学問ではないのです。 「冬のドイツの空を知ること」。 ヒュッシュは、それを求めた。 ハンス=ホッターは、『冬の旅』を歌う時、自分の心を見つめ直し、自分の心の成長・成熟とともに、この歌曲集を歌ったのではないでしょうか。 日本のお寺の坊さんは、お経の意味をわかって唱えているのか、わからずに呪文のようにムニャムニャ言っているのか、どちらなのだろう・・・・というのは、けっこう、昔から言われてきたことですが、ハンス=ホッターの『冬の旅』は、歌うごとに、自分の心を問い続け、清め続けていた結果としてのもののように思えます。 昨年であったか一昨年であったか、ホセ=カレーラスが、個人の演奏会は続けるがオペラは引退する、その理由として、個人で、何曲かを集めて歌う演奏会は体力的に可能だが、他のメンバーと合わせて動くオペラは体力的に無理だと判断したと述べていました。 ハンス=ホッターが最後に『冬の旅』を残したのは、声楽家として晩年になって、舞台で動くオペラは体力的にきつくなったということもあったかもしれませんが、ホッターにとって、オペラやオラトリオやリートなどいくつものことをこなしてきた結果として、最も大事なものは何かというと、それは、シューベルトのリートで、その中でも『冬の旅』であったということではないかという気がいたします。
  ホッターは、『冬の旅』を、4回、録音して、レコードとして出しており、私は、このフェスティバルホールの演奏会の後、ハンス=ドコウピル伴奏の4回目のレコードを購入して聴きましたが、ホッターは、2回目か3回目のジェラルド=ムーアが伴奏のものが、自分としては最も気に入っていると「音楽の友」で語っていたのを読みました。 
  私が買ったハンス=ドコウピル伴奏の4回目の録音の『冬の旅』は、私が東京の大学に行っている間、大阪の自宅に置かれていましたが、そのうち、レコードではなくCDの時代になり、レコードプレーヤーも我が家に無くなってしまい、聴くことができなくなりました。 最近、ジェラルド=ムーア伴奏の『冬の旅』のCDをインターネットを通じて購入して聴きましたが、やっぱり、ハンス=ホッターはいいなあ~あ・・・と思ったのではあるのですが、ジェラルド=ムーア伴奏の『冬の旅』とハンス=ドコウピル伴奏の『冬の旅』では、ジェラルド=ムーア伴奏のものの方が、ハンス=ホッターがまだ若い時の演奏であるので、声はいいのですが、しかし、声楽家として晩年になっての録音であるハンス=ドコウピル伴奏のものの方が、むしろ、何か、人間的に円熟したというのか、精神に磨きがかかったというのか、悟りを開いたというのか、そちらの方がよリ良いような気がいたしました。
  「音楽の友」に批評が載っていて、ハンス=ドコウピル伴奏の『冬の旅』は演奏会での録音そのままであり、レコード用に録音スタジオで録音する場合、演奏が良くない場合には、部分的に演奏しなおしてつなぎあわせるということが現実に行われるらしいのですが、この録音は、演奏会での録音そのままで、修正をしておらず、そのため、ごく部分的に、音程が正しくない部分があると書かれていました。 そして、それでも、すばらしいと書かれていました。私は、その音程が正しくないというのが、どこなのかわかりませんでしたが、たとえ、部分的に音程が正しくないところがあっても、ハンス=ホッターの自分の心を見つめ直すような見つめ続けるような歌い方の『冬の旅』は、本当にすばらしいし、それは、歳をとるとともに、円熟していき、声の衰えがあっても、晩年になるにしたがって、さらに磨かれていったように思いました。
※「YouTube」に、ディートリッヒ=フィッシャーディスカウ が歌う『冬の旅』の第1曲「おやすみ」が入っていました。
→《 YouTube―冬の新宿御苑とシューベルトの「冬の旅」 》 http://www.youtube.com/watch?v=nsHSSoZfUtQ
(私は、『冬の旅』の24曲の中では、特に、この第1曲の「おやすみ(秘めてぞ去らん)」が好きです。こうやって聴くと、フィッシャーディスカウの「おやすみ」も悪くないですね。)

   それに対して、不愉快に思った男がひとりいます。 固有名詞をあげてしまいましょう。 錦織 健(にしきおり けん) という人です。 何回か前のブログ、〔第53回〕《佐高 信(さたか まこと) による 武田 邦彦 批判に対する批判 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201110/article_3.html  で、千葉県の市川市の文化会館での演奏会を聴きに行って、入場料返せと言いたいくらい不愉快に思ったと述べてのは、この人のことです。 どこが不愉快だと思ったのかというと、へたくそだからです。 但し、プロにしてはへたな演奏というのは、声楽にしろ管弦楽にしろ、他の人でもあります。 錦織が不愉快だと思ったのは、単にへたであっただけでなく、聴衆をバカにしていたからです。 ルチアーノ=パバロッティが最後に日本に来た時、有楽町の東京国際フォーラムでの演奏会に聴きに行きましたが、パバロッティは、もう、CDなどで聴いたかつての声で歌うことはできず、ところどころで、声はとぎれてしまい、もう、こういう歌い方しかできなくなってしまったのか、とクルマの中には常にパバロッティのミュージックテープかCDを置いて聴き、毎日のようにパバロッティの歌を聴いて、パバロッティの歌とともに何年間か暮らしてきた者としては、なんとも悲しい思いがしましたが、しかし、それでも、パバロッティは、本当に歌うのが好きで、そして、聴きに来てくれた聴衆に喜んでもらえるように最大の努力をしようとしていて、その姿勢を感じ、聴きに来てよかったと思ったのでした。 それに対して、錦織は聴衆をなめており、バカにしているのです。
   錦織は、イタリア語の歌の歌詞を 1か所間違えて、そして、それを正直に自分で言ったのですが、「正直でよろしい」とほめられる性質のものではないのです。 ハンス=ホッターは、ハンス=ドコウピル伴奏の『冬の旅』で、音程が正しくない箇所があったと「音楽の友」に書かれていたのですが、音程が正確でない歌唱をしてしまうことはあっても、歌詞を間違えるということはしないでしょう。 なぜ、ホッターは歌詞を間違えないかというと、ハンス=ホッターは、歌う際に、歌詞の内容を心の中でかみしめるように歌っており、その歌詞の内容を声にすることで自分の心を見つめなおすような歌い方をしているのであり、そういう歌い方である以上、そう簡単に間違った歌詞を口にするということはないはずなのです。 それに対して、錦織はカタカナで歌っていると思うのです。 カタカナで歌うから間違えるのです。 イタリア語の歌詞の歌を歌おうと思ったら、イタリア人と同じだけイタリア語を話せるというレベルまでいかなくても、その歌詞の内容を理解できるだけはイタリア語を学習しなければいけません。イタリア語の辞書を引き、文法書を読んで、その歌詞に関しては、日本語で理解するのではなくイタリア語で理解できるようになって、イタリア語で歌うようにならないといけません。 カタカナで歌うのではなく、イタリア語で歌えるようになって、そして、その歌詞の内容とその調べについて、自分自身が思い入れを持ち、自分の心をその歌を通じて歌えるようになって、そこまでいって、それでこそ、人様からお金をもらって聴いてもらえる段階になったといえると思うのです。 錦織は、「国立音楽大学の声楽科を卒業してナンタラカンタラソワカー」と書いた肩書を載せて、その上で、適当に歌えば、「これがクラシックの声楽なんだ。ありがたや、ありがたや。」とオッサン・オバサンが喜ぶだろうという程度のレベルの低い認識でいいかげんに歌っていたと思うのです。カタカナで歌うから間違えるんですよ。 イタリア語で歌っていればそんなに間違えないと思いますよ。 それも、そのイタリア語の歌詞の歌について、自分自身に思い入れがあって、自分の心をその歌を通して歌うならば、そう簡単には歌詞を間違えたりはしないと思いますよ。 イタリア語で歌うのではなくカタカナで歌うから、そして、その歌に自分自身の心がこもっていないから、自分が猛烈に歌いたいという歌ではなく、適当に歌えば「クラシックの歌手」の歌なら「高級なものを聴いた」と喜ぶバカがいるから、それでいい、というような情けない認識で歌っていたから間違えるんですよ。 日本の「音楽家」と言われる人たちを見ると、明治維新の直後から少しも進歩していないのではないのかという感じの人が少なからずいるように感じます。 とにかく、西洋のクラシック音楽を取り入れようとして、音楽大学を作って、「音楽家」を養成し、そして、それが「高級なクラシック音楽」なんですよ、ということにした、それに携わっている人間は、「高級な音楽家」なんだ、と勘違いした、という段階から、なんだか、少しも進歩していないのではないのか、という感じがしてしまう人が少なからずいます。 そんな認識で歌っているような歌は「高級」ではないと思いますね。 その歌を通じて、自分の心を歌う、その歌の歌詞と調べを通じて祈りをささげるような、そういう姿勢を持つに至らない者の歌う歌などは、二束三文です。「○○大学の声楽科を卒業して、△△に師事して、なんたらかんたらくんたらソワカー」とチラシに載せても、「ああ、そうですか。」でおしまい。 錦織の演奏会のチラシには「貴公子」などと書かれていましたが、あの汚らしいオッサンのどこが「貴公子」なんだよ、あほくさい、と思いました。 あんな聴衆をバカにしたような歌でも、「ブラボー」とか言う人がいたのですが、あれは「ヤラセ」「サクラ」の類かな、と思いました。「サクラ」を用意するくらいなら、身内だけで「演奏会ごっこ」をやっておけばいいんです。人様にお金をもらって聴かせることのできるレベルの歌ではありませんね。

  私が行っていた時の北野高校の1年と2年の時の音楽では、外国の歌については、先生が、ひとつひとつの単語の意味を説明され、そして、歌詞の日本語訳はこうなると説明していただき、その上で、歌っていました。 それまで、中学校までの音楽では、そういうことはしてこなかったのです。 私は、実は、それまで、外国語の歌の歌詞の意味というのは、そのようなことをしなくても、日本語の歌詞がついているのだから、それでいいのではないのか、と思ってきたのでした。 しかし、北野高校の音楽の授業の時に、外国語の歌というものは、外国語の単語を辞書でひとつひとつひき、外国人と同程度の語学力があるわけでもないとしても、それでも、その国の言葉で歌詞を理解しようとして、その上で歌うものだということを教えられ、そして、その際に、実は、楽譜に、「日本語の歌詞」として添えられているものには、本来のその原語の歌詞とは異なる内容に変えられてしまっているものが少なくないことに気づいたのです。 ひとつには戦争中の影響が今も残っていいる場合がある。 戦争中は、愛だとか恋だとかいう歌詞はけしからんということで、「愛」は「友情」に変えられたりした場合がある。 又、小学生向けの音楽などでは、子供には愛の歌は早いという考慮から、男性が女性に愛を訴えるという歌詞は内容が変えられたり、求愛の部分の歌詞が削除されて人畜無害な歌詞だけが残ったりしている場合もあります。 ロシア民謡などでは、資本家や悪徳地主をいずれ打倒して・・・という歌詞の部分が削除されて、自然をたたえ、きょうもがんばっていこうね、という部分だけが残っているという場合もあるようです。そういうこともありますが、歌の場合は、それだけではなく、原語の歌詞を文章の意味を正確に訳すということと、歌の節に合う日本語にするという両方の要求があり、その両方を同時にかなえるというのが、なかなか難しいということがあるのです。 単に、文学作品、小説を訳すのであれば、文章の内容を正確に日本語にするということが第一に求められるでしょうけれども、歌の場合には、文章の内容を正確に日本語に直しただけでは、その日本語では歌えないという場合があるのです。 その場合に、無茶苦茶異なる内容でないとしても、原語とはかなり違う歌詞の日本語の訳詞になってしまうという場合があるようなのです。 もしくは、そういう事情があるからという大義名分のもとに、骨抜きにされたような訳詞になってしまっている・・という場合もあった、あると思います。
   森 鴎外の『青年』(新潮文庫)に、次のような話が出ています。
≪ 大分話が進んで来てから、(附石は)こんな事を言った。「イプセンは初め諾威(ノオルウェイ)の小さいイプセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴(ヨオロッパ)のイプセンになったというが、それが日本に来ると小さくなる。 ニイチェも小さくなる。 トルストイも小さくなる。 ニイチェの詞を思い出す。 地球はその時小さくなった。 そしてその上に何物も小さくする、最後の人間がひょこひょこ踊っているのである。 我らは幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばたたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄んで(もてあそんで)目をしばたたいている。 何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛がる(こわがる)には当たらない。何も山鹿素行や四十七士や、水戸浪士を地下に起こして、その小さくなったイプセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」 まあ、こんな調子である。≫
ヨーロッパの本来はすばらしい歌でも、日本に持ってきて日本語の訳詞をつけてしまうと、その訳詞は、本来のものとは異なる、本来の歌よりはるかに矮小化されてしまったものになってしまう、なってしまっている場合があります。だから、外国語の歌は、日本語の訳詞がついていても、自分で、辞書を引いて、原語を自分で訳してみる必要があり、その上で、訳詞で歌うのではなく、カタカナで歌うのでもなく、本来の意味を理解した上で原語で歌うべきものです。
   又、日本人の「歌手」「声楽家」が歌うと矮小化された小さな歌になってしまうというケースもあります。 私が、最初にイタリアに行った時、ローマの街を歩いていると、スクーターに2人乗りした二ーチャンが、「オー、ソレ、オオ、ソーレ、ミーオ♪」と、「オー ソレ ミーオ(私の太陽)」というカンツォーネを歌いながら、スクーターを走らせていたのです。 え? スクーターに二人乗りしてこんな歌うの? と思ったのですが、 日本では、「オー ソレ ミーオ」という歌は、演奏会場でタキシードを着てかしこまって歌うもののように思われてしまっているフシがありますが、本来、この曲は、そんな堅苦しい歌ではなく、一般の人間が気楽に歌う歌であったはずで、ローマのニーチャンの方が正しいのではないでしょうか。
※「オー ソーレ ミーオ」については、たとえば、
→ 「YouTube―Luciano Pavarotti - 'O sole mio 」http://www.youtube.com/watch?v=d_mLFHLSULw&feature=related
   何か、日本に持ってくると、本来の歌・本来の音楽とは別の物になってしまうという場合があるように思います。特に、そこで、問題があるのは、「音楽家」「音楽専門家」と称する人が、「クラシック音楽」というもの、もしくは、本来は「クラシック音楽」ではないものでも日本では「クラシック音楽」に分類した音楽は、床の間に置くもの、もしくは、神棚に上げるもの、としてしまって、なんか、わけわからないけど、エライ人のエライ音楽らしい、みたいにしてしまおうとする場合がある、ということで、それは、明治維新の直後にそういうところがあったというのであれば、しかたがないところもあったかもしれないのですが、嘆かわしいことに、今日においても、積極的に、それをやろうとする人がいるという点です。 歌というもの、音楽というものは、神棚に上げたり、床の間に置いたりするものではないのですよ。人がいつも歌ってこそ歌なんですよ。 「オーソレミーオ」にしても、なんで、タキシード来て歌わなきゃならんのです? タキシードなんて、関係ないでしょ。 むしろ、タキシード来て歌えばへたくそでもありがたがられると勘違いする錦織みたいなバカが出現してしまうのではないかと思います。

   大阪のフェスティバルホールに聴きに行った時、ハンス=ホッターはタキシードを着ていたように思うのですが、格好だけつければ、聴衆はありがたがるだろうなどとは思っていなかったと思いますよ。 「歌」にはいろいろな「歌」がありますが、ドイツリートというものは、特に、「内省的」というのでしょうか、歌う者の心を研ぎ澄ますようなところのある歌であるように思います。 そして、その中でも『冬の旅』は、特に、そういう性質があるように思います。

   「歌」とは何か、「音楽」とは何か。 その答えを考えるため、ハンス=ホッター と ブラト=オクジャウワ、それに、アンナ=モッフォ を取り上げて論じようと考えたのですが、ひとりひとりについて、けっこう長くなりそうなので、とりあえず、今回は、ハンス=ホッターのみにして、ブラト=オクジャウワ、アンナ=モッフォ については、次回以降に回し、三部作か四部作として完成させたいと思います。 

   それで、橋下 徹 の方のお話です。  私は大阪府下の豊能地区の公立中学校を卒業して北野高校に行きました。 私が通った中学校は、特に、音楽大学の付属とかではなく、一般の公立中学校でしたが、普通に音楽の授業をおこない、歌の試験もおこなっていました。 中学校の音楽では、歌の試験と笛の試験と筆記試験で成績がつけられていたのに対して、北野高校の音楽では、音楽というものは、理屈でわかっていてもだめで、実際に表現できてこそ音楽だという考えから、筆記試験はおこなわず、歌の試験とギターの試験で成績がつけられていましたが、中学校も高校もいずれも、一通り、音楽の授業がおこなわれ、音楽の試験がおこなわれていました。  それに対して、大阪市の淀川地区の中学校では、豊能地区の中学校でおこなっている音楽の授業のレベルのものをおこなっていない学校が多いようでしたが、淀川地区の中学校の中でも特に学力水準が低いと言われていた 橋下 徹 が卒業した大阪市立中島中学校の出身の人から聞いた話では、(橋下が卒業した)中島中学校では、音楽の試験というと、何でもいいから、好きな歌を歌えばそれでいい、という試験だったというのです。 実際には、歌謡曲を歌う人あり、さらには、「『あ』の歌」と称して、「あ。 終わり。」と言って、それで、通ったというのです。 中島中学校の関係者の方には申し訳ないけれども、それは音楽ではないし、それは歌ではない。 なぜ、そうなってしまったのかはわからないけれども、大変、残念な状況だと思います。 音楽というものは、もっとすばらしいものなんだよ。 そんなものは音楽じゃないんだよ。そんなものは歌じゃないんだよ。  
   TDKから出ているDVDで、リッカルド=ムーティ指揮 ・ ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団の演奏によるプッチーニのオペラ『トスカ』で、マリオ=カバラドッシを演じるサルヴァトーレ=リチ―トラが語っていたが、子供のころ、祖母が三大テノールのファンで、三大テノールのテレビだったかレコードだったかの演奏を、「ここに座って聴きなさい」と言われて聴かされたことがあったという。 その時の三大テノールの歌はすばらしかったと言い、そして、自分もそのように歌いたいと思うようになったという。
   「『あ』の歌」というのを音楽の授業だと称して実施されてしまうのと、三大テノールの歌を聴いて、自分もあんなふうに歌いたいと思うようになるのとでは、後者の方が恵まれているのはあきらかです。 事情はあったのでしょうけれども、「『あ』の歌」を音楽だとしてやっていたのでは、音楽とは何かという正しい認識も得られないでしょう。 
   橋下 徹は、おそらく、「美術」「書道」と「音楽」の3つから1つ選択する北野高校の芸術科目でも、音楽を選択しなかったのでしょう。 そして、生まれてから今日まで、橋下 徹 は、「『あ』の歌」みたいなものが音楽だと思ってきたのでしょう。  だから、「君が代」というものを、人にに強制しようとするのでしょう。 かわいそうにね。 かわいそうだけれども、しかし、橋下が極刑が当然だと言った宅間 守にしても、教育大付属池田小学校でおこなった行為は良くないのは当然としても、そこに至るまでの人生において、そういう行為をおこなおうという気持ちになってしまうという点で、被害者であった面もあったかもしれないのですが、 それでも、教育大付属池田小学校でおこなった行為は免責されるわけにはいかないですよね。 橋下が、今まで受けてきた音楽の授業が、貧困な内容であったというのは、気の毒であったと思います。 しかし、だからといって、音楽とはいえない、歌という価値が無い「君が代」というものを、橋下が人に強制するのは、免責されるものではありません。
  教育長の 中西 正人 も橋下と同程度ということなのでしょうか。ろくな音楽の授業を受けてこなかったのでしょうね。授業の内容が良くないなら、それならそれで、自分自身で学ぶべきでしょうけれども、音楽を、自分で学ぼうという努力をしなかったのでしょうね。 よく、それで、「教育長」などという役職についていますね。 それで、私の何倍もの給料を税金からもらっているのですよね。 けっこうな御身分ですね。

   結論を言いましょう。
 「君が代」などというものは、音楽とは言えない。歌というに値しない。

   卒業式等で、「君が代」のピアノ伴奏を強制されて嫌がる音楽教諭が多く、精神的に苦痛を感じているという話を見聞します。 なぜ、強制するのでしょう。 なぜ、強制することができるのですか?
   「君が代」の伴奏は、音楽教諭の業務ではありませんよ。 
   むしろ、それは、音楽ではない、と、はっきりと述べる方が、音楽教諭の業務だと思いますよ。

   業務でないものに対して、業務命令というものも存在しえません。  「君が代」の伴奏は、音楽教諭の業務ではない以上、業務命令として伴奏を命じるなどということもできません。 業務命令でない以上、業務命令違反ということにもなりえません。

   もしも、「君が代」を歌いたいのであって、ピアノ伴奏が必要であるならば、音楽教諭以外の人がするべきです。
音楽教諭に「君が代」のピアノ伴奏をさせるのは、「『あ』の歌」を音楽だと強弁するのと同様で、間違っています。


   「君が代」が音楽だと強弁する人というのは、ろくな音楽を学んでこなかった人なんだな、と、大変、かわいそうに思います。 但し、「被害者が加害者になる」という事態になったとして、免責されるものではない、ということは理解するべきです。
             
☆ ブラト=オクジャワ と アンナ=モッフォ については、次回以降に述べます。 よろしく。
           (2012.2.17.)

☆  今回のブログは、
〔第90回〕《ブラト=オクジャワのすばらしさ、「君が代」の伴奏は音楽教諭の業務ではない、音楽を学んでいない橋下徹 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201203/article_4.html
〔第102回〕《アンナ=モッフォはすばらしい。及、「君が代」伴奏は音楽教諭の業務ではない。》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201205/article_2.html
 とともに、3部作として作成いたしました。 〔第90回〕〔第102回〕も、ぜひ、ご覧くださいませ。(2012.5.29.)

↓ 上のCBSソニーから出ているCDがハンス=ドコウピル伴奏の4回目の録音で、 下の東芝EMI から出ているCDが、ジェラルド=ムーア伴奏の、ハンス=ホッター自身が最も気に入っているというものです。


シューベルト:冬の旅
ソニーレコード
1997-06-21
ホッター(ハンス)

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シューベルト:歌曲集「冬の旅」
EMIミュージック・ジャパン
1997-11-19
ホッター

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この記事へのコメント

maru
2012年09月07日 23:13
突然のコメント、失礼いたします。
NHKに100名の賛同があると再放送を検討してもらえる番組リクエストのサイトがございます。私はプライが水車小屋の娘全曲を歌った1997年8月の芸術劇場をリクエストしています。もしできましたら、賛同をお願いできませんでしょうか。
賛同の方法はNHKの「お願い編集長」というページで、「お願い!検索」で「プライ」と入力して検索していただき、リクエストのページに入りますと、Eねボタンがありますのでクリックしていただくようになります。
(あるいはhttp://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/4715.html#main_section

伴奏者の名前など記憶にないのですが、大変感銘を受けた放送です。
よろしければ、お力添えをお願いいたします。

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