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zoom RSS 武田邦彦氏の問題点―放射能汚染問題に良心的な発言をおこなう同氏の残念な部分

<<   作成日時 : 2011/10/02 15:36   >>

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〔第51回〕 「サンデー毎日」2011.10.2.号(毎日新聞社)に、佐高 信(さたか まこと)氏が「政経外科 610回」として、中部大学教授の武田邦彦氏を、≪舌先三寸で世の中を渡っていく口のうまい奴を“ベロ屋”と言います。・・≫と批判し、≪とにかく、ペラペラとしゃべらずに、あなたは沈黙していて下さい。 ≫と述べているのですが、たしか、4月くらいに、「日刊ゲンダイ」だったか「夕刊フジ」だったかの記事で、某東大教授が福島市で相当に高い放射線量が測定された日にその福島市の市民に対して大丈夫と言いながら福島市よりもはるかに離れた東京都文京区本郷の研究室で換気扇を止めるように指示したということを武田邦彦氏にブログで暴露されたということが書かれていたのを見て以来、武田邦彦氏のブログhttp://takedanet.com/ は、ほとんど毎回読ませていただき、著書も読み、週刊誌や夕刊紙に掲載される発言も見、9月11日には東京都江戸川区での講演会(動画を http://takedaatedogawaku.jimdo.com/ で見ることができます。)にも参加させてもらい、参考にさせてもらってきた者として、佐高 信氏の発言は、私は、日頃、佐高 信氏について評価しているのですが、この「ペラペラとしゃべらずに、あなたは沈黙していてください」というのは、それは違う、武田邦彦氏が、著書やブログでの発言以外でどうかとか、日常生活においてどういう人柄かなどということは、別に、後をつけてまわっているわけでもないので知らないけれども、とにかく、3月11日以来の放射能汚染について、科学的に正しく放射能汚染による被害から助かるために役立つことを話してくれるのであれば、「ペラペラ」でもどういう話し方でもいいから、沈黙しないで、テレビでもブログでも、今後も話してもらいたい、と思い、前回のブログ、《武田邦彦講演会(於:江戸川区。 9/11)を聴きに行ってきました。 及、マンションと戸建住宅の比較。》 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201109/article_1.html の(追記)でも、そう述べました。
   その人の言う事を聞くべきかどうか、ということについて、今は昔、私が、あるコンピュータ関連の会社の新入社員研修に出た時、「社外講師」としてきた男性は、「私は、本を読む時には、まず、その著者の生年月日を見る。それで、自分よりも年下の人間が書いたものなら、絶対に読まない」などと言っていましたが、それを聞いて、「なんだか、心の狭い人だなあ。年上の人間であれ年下の人間であれ、役に立つことを言う人間の言うことであれば聞けばよいではないか、読めば良いではないか。年下の者の言う事でも、良いことを言うなら聞けばよいだろうが。しょーもない、意地はってからに・・・。」と思ったものです。 自然科学の分野のものについては、その分野を専門としない人間としては、誰の言う事を聞くべきか、信用するべきか、というのは、難しいように、一見、見えます。そこで、とにかく、「体制側」の言う事を信じるべきだという信念を持ってしまう人というのがいるようです。武田邦彦氏のブログで何回か書かれている「バカヤロ―おじさん」というのは、そのタイプの人かもしれない、と思っています。 T.W.アドルノ他による『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)や曽良中清司『権威主義的人間』(有斐閣選書)で、ファシズムにつながる性格でもある「権威主義的パーソナリティー」として指摘されているものと、とにかく「体制側」の言う事を信じよう、「体制側」についておこうという思考は通じると思いますが、原子力発電所について「体制側」が正しくなかったことは、3月11日において、もはや、はっきりと証明されたのです。 その人の言う事が信じられるか、聞くに値するかという判断方法として、「Aであることがわかった。 Aであるということは、それをPと解釈するべきで、その結果、Bであるという判断になる。Bである以上、Cという対策を取るべきだ。だから、Cを実行するように求めたい。」というように述べているか、それとも、「Aであることがわかった。 Aであるということは、それをPと解釈するべきで、その結果、Bであるという判断になる。Bである以上、Cという対策を取るべきだ。だから、Cを実行する必要はない。」というようなことを述べているか、を見て、前者の言う事は聞くに値するが、後者の言うことは、聞かなくても良いのではないか、という判断基準があります。自然科学の専門のエライ先生が後者のようなバカなことを言うか?と思う人もあるようですが、言う方は、いっぱいおられるように思います。こういった基準で見て、武田邦彦氏のブログや著書での発言は、十分、聞くに値するものであると私は思い、又、そう思ったからこそ、講演会にも労力を払って視聴しにいったのです。 
   今後も、「ペラペラと」でも、話し方がどういう話し方でも、この際、どうでも良いので、放射能汚染の被害にあわない、できるだけ軽減するために役立つことであれば、大いに述べていただきたい、と思っています。又、「バカヤロ―おじさん」については、私も思い当たる話があるので、私は、○○大学教授でも何でもなく「フツーの人間」でしかありませんが、このブログでも、一度、説明して、その点については、武田邦彦氏を応援したいとも思っていたところでした。

   しかし、やはり、佐高 信(さたか まこと)氏が言っていることにも、1点、もっともなところがあり、これは、武田先生、考え違いをされている、と言わざるをえないところがありました。
   佐高 信氏の「サンデー毎日」2011、10.2.号に掲載されている「政経外科」の方の話を先に引用します。
≪ あなたは、前記の『ケンカ対談』〔武田邦彦・副島隆彦『原発事故、放射能、ケンカ対談』(幻冬舎)〕で、3月11日前のことを指し、反対派がすごく強硬で、「賛成派の多くの人たちは、気が弱い学者だったり、電力会社のサラリーマンだったりするものですから、攻撃されるたびに、何でもかんでも原発推進派として追いやられてきました」と言っていますが、事実誤認も甚だしいですね。
   東電から9億円の研究費をもらったあなたと、反対派だったが故に助教という助手のままに据え置かれた小出裕章さんを対比した時、そんなことが言えますか。・・・≫
  私は、この佐高氏の引用を見て、ブログや著書で放射能汚染について良心的な発言をおこなっている武田邦彦氏が、こんなことを言うのかと不思議に思ったのです。

   ところが。 武田邦彦氏の最近のブログ、《講演メモより 原子力発電所の安全性と水 》http://takedanet.com/2011/09/post_7e44.html を見て、ある部分で、間違った認識をしておられるところがあるようだ、と気づきました。 この《講演メモより 原子力発電所の安全性と水 》は、大部分については、なるほど、と思えるもので、一般の人間にとって役立つものと思います。 これは違うと思ったのは、《 3−3 危険の議論を避けた安全論議 》のところです。
≪ 原子力の安全に関する議論では事故前には(事故後も同じ)「原子力発電所に危険が存在する」という指摘は取り上げられなかった。筆者は安全研究を促進するために「原子力発電は安全であると考えられていることは理解しているし、実績もそうであることは判る。しかし、多くの人が不安に思っているので、この場における先生方が安全と思っていても、安全研究に資金を出すべきではないか」と質問したことがあるが、採用されなかった。また、当然ながら事故が起こらないのだから、事故が起こったときの緊急体制についての提案も審議されなかった。≫と書かれています。ここまでは良いでしょう。 その後です。
≪ このような状態になったことの一つの原因は皮肉なことに「反対派」の社会的力が強く、それに対抗するために危険な箇所の議論をしないという力が働いたことによる。≫ などと書かれている点です。

   はあ〜あ???  なんじゃ、そりゃ? 
≪ 「反対派」の社会的力が強く≫って、そんなわけないでしょう。 そんなに社会的力が強かったら、原子力発電所は新設もされず、既設のものも停止・撤廃されていたでしょう。 そんなに社会的力が強かったら、3月11日以来の福島第一原発の事故も起こることなく、それまでに、福島第一原発も停止・撤廃されていたでしょう。 小出裕章さんだって、いくらなんでも、助教(助手)のままではなく、助教授くらいにはならせてもらえていたのと違いますか。 山本太郎だって、役を降ろされたか降ろされないかなどという話もでてこなかったでしょう。
≪ それ(「反対派」)に対抗するために危険な箇所の議論をしないという力が働いた≫のではなく、「反対派」と言われた人たちがいなければ、≪危険な箇所の議論をしないという力≫は、もっと働いたのではありませんか? 「反対派」と言われた人たちがいなければ、≪危険な箇所の議論≫なんて、完全にしなかったのではありませんか?
  福島県双葉郡富岡町の国道6号沿いに、東京電力福島第二原子力発電所エネルギー館というのがありました。いわき市に住んでいた時、国道6号をクルマで走った際に、洋式のちょっと変わった建物で、あれは何だろう、と思って見ていましたが、原子力発電所についての展示館だというので、どうせ、「原子力発電所は安全で〜えす」とかいうような“展示”をやっているのだろう・・・と思って、そんなあほくさいもの見に行くかい、とも思いましたが、同時に、どういうように「原子力発電所は安全で〜えす」と言っているのか見に行ってみようか、とも思い、結局、そう思っているうちに、いわき市から他所に転勤になり、そして、3月11日の事故がおこってしまったのですが、見に行ったという人から聞いた話では、「原子力発電所は安全でえ〜す」という展示ではなく、「こんなに安全に気をつけています」という展示であったということでした。これだけの事故が起こったということは、実際には、安全ではなかったということですが、それでも、「これだけ安全に気をつけています」というような展示館を作ってみたりしたというのも、「反対派」と言われたような人たちがいたからで、「反対派」と言われた人たちがいなければ、それもなかったのではありませんか?
  あるいは、1990年代はじめ、私が法務省でアルバイトをしていた時、壁に、「飛鳥の石舞台も長年にわたって放射線を出してきたんだ。 放射能は身近なものも出しているんです。はかってみよう。」とかいうポスターが貼ってあったのを見ました。そして、「はかるくん」という放射線量計を何省がだったか忘れましたが貸し出していたと思います。「反対派」と言われた人たちがいたから、それに対する対策として、こういうポスターが作られ、「はかるくん」の貸出などもおこなわれたのではないでしょうか。「反対派」と言われた人たちがいなければ、それもなかったのではありませんか?
※東京電力福島第二原子力発電所エネルギー館 については、
「施設見学ガイド 東京電力福島第二原子力発電所エネルギー館」http://www.icee.gr.jp/sisetudb/prev.php?id=119 参照。

  武田先生。 この部分については、ちょっと、認識がおかしいですよ。
  これまでも、武田先生のブログや著書は参考にさせてもらいましたし、今後も、放射能汚染について、良心的な発言をおこなわれる限り、支持し、応援したいとも思っていますが、この部分での認識については、どう考えてもおかしい。 もしも、武田先生が、このブログを見られることがあり、私が述べたものが違うと思われたなら、コメント欄に反論を述べられるなり、ご自身のブログで反論を述べられるなりしていただいてもかまいませんし、私のような「フツーの人間」の言うことは無視するというのなら、それでも良いと思いますが、いずれにせよ、この部分は違いますよ。
                (2011.10.2.)
  ブログネーム:モンテ=クリスト伯+中原中也+ヴォーリズ

(追記) 武田教授は原子力施設の長の立場であった時に、「反対派」の人たちが≪強硬≫だと思われる経験をされたということがあるのかもしれませんが、しかし、そういうことがあったとしても、やはり、この≪「反対派」の社会的力が強く、・・・・≫といったあたりの認識については違うように思います。 「サンデー毎日」誌上における佐高氏の批判の仕方の方にも、かなり問題があるようにも思え、その点について、《佐高 信(さたか まこと) による 武田 邦彦 批判に対する批判 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201110/article_3.html を公開いたしました。 そちらも御覧くださいませ。
                (2011.10.13.)
(追記) ニックネーム「通りすがり」様からコメントをいただきました。 ご指摘ありがとうございます。 ご指摘を読ませていただき、もう一度、武田教授のブログの文章を読み返してみたところ、どちらともとれる文章のようにも思えますが、「通りすがり」様の言われるように、「推進派」が≪臭いものに蓋をする体質だった≫ことが原因であるが、≪反対派への反発からたまたまその悪い体質がモロに出てしまった節があった。≫という意味で、≪「反対派が悪いのだ」という含意はない≫と理解するべきであったのかもしれません。 原発事故・放射能汚染に関する問題は関心が高く、私のような学者でも政治家でもない「普通の人間」のブログでも、かなりの方に参照いただいているようであり、誤解の上で批判してしまったとすれば、その点、大変、申し訳なかったと思います。 もっとも、≪「反対派」の社会的力≫が強かったということはないと思いますし、もし、さらに弱かったとしたら、「推進派」は≪危険な箇所の議論を≫十分にしたかというと、そうではなく、議論したふりでしかないような議論をしてすませた(実質的に「議論をした」といえるような議論は、やはり、しなかった)のではないかと思います。
  佐高氏が引用している『原発事故、放射能、ケンカ対談』(幻冬舎)の文章も、「通りすがり」様が述べられているように、≪推進派は(権力はあるが、)気が弱い(=つまり無能ということ)。」≫という意味に理解するべきものなのかもしれませんが、文章をそのまま読むと、≪賛成派の多くの人たちは、気が弱い学者だったり、電力会社のサラリーマンだったりするものですから≫とは、≪気が弱い学者≫て何を言ってるんですか、というように思えます。この引用されている部分だけでは、どちらのつもりで述べられた発言かはっきりとは判断できません。 前後のやりとりも読んで合わせて考えないと、この引用部分だけを読んだのでは発言趣旨を誤解してしまう可能性があるのかもしれないと思いました。  又、もしかすると、佐高氏も、原稿の締め切りに間に合わせるために、十分に読みこまないうちに、文章を提出して印刷・出版されてしまった、という可能性もありうるのではと思いました。  (2011.10.17.)


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内 容 ニックネーム/日時
落ち着いてください
これは「安全対策がおろそかになった責任は反対派にある」ということを意味していないと思いますよ。
どこまでいっても「臭いものに蓋をする体質だった推進派」が100%悪いのであって、残念なことに反対派への反発からたまたまその悪い体質がモロに出てしまった節があった。だからこそ「皮肉なことに」といっているのであって、「反対派が悪いのだ」という含意はないように思われます。
佐高氏の文章は全文拝見しておりませんが、上記の引用から見るに詭弁の類では?
武田「推進派は(権力はあるが、)気が弱い(=つまり無能ということ)。」→佐高「推進派は絶大な権力をもってるし、お前(武田)も金を貰っていただろう!」という言いがかりのようにおもいました。(例:小出先生は権力こそなかったでしょうが、非常に優秀で力強い方ですよね)。しかしこればかりは原文を見ていないので断言はできませんが^^;
通りすがり(後半部について
2011/10/16 21:02

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