さらば、静岡茶、さらば、川根茶。~放射性物質検査拒否で自らブランドを捨てた静岡茶へのレクイエム

〔第48回〕 静岡県が、茶葉の放射性物質含有量の検査拒否をおこなったのは悲しかった。 他の地方の他の農産物についても、検査拒否がおこなわれた場合、その姿勢については悲しいと思うが、静岡茶には、私は、特に、思い入れがあったので、特に悲しかった。

   中部大学教授・武田邦彦さんのブログhttp://takedanet.com/ では、2011年5月21日に、《科学者の日記110520 哀しい茶葉の検査拒否》http://takedanet.com/2011/05/110520_e459.html で、
 ≪ 「厚生労働省が、生茶葉を乾燥させた「荒茶」の放射能検査を東日本の14都県に求めた問題で、神奈川、埼玉、栃木の3県は19日までに、検査をしない方針を決めた。
  静岡県知事の川勝平太知事も18日、検査要請に応じないと表明しており、産地自治体の反発が広がっている。」
・・・ 
・・・・・・お茶の業界は1度でもセシウムが検出されたならば、より積極的に「自主的にセシウムを検査する」という動きにでて、お茶の愛好者に安心して飲んでもらうのが筋です。
   このような動きが続いたら多くの人は完全に日本のお茶から離れてしまうでしょう。・・・・≫と述べられています。
   又、7月9日の《夏を乗り切る放射線対策》http://takedanet.com/2011/07/post_f88a.html では、≪●静岡のお茶がパリで輸入を止められました。日本が汚染物質を誤魔化して出さないように全ての産業は、日本の子どもたちが信用のない国に住むことにならないように、誠意を尽くしてください外国に放射性物質を含んだ食材をウソをついて出すのは、実に恥ずかしいことです。≫と述べられています。

  放射能検査を拒否して出荷して飲ませてしまおうという姿勢は、実に「かなしい」。 「かなしい」という言葉には、「哀しい」と「悲しい」という2つの漢字があって、意味も2通りあります。この場合、「哀しい」ことであり、そして、「悲しい」ことでもあるのですが、私の場合は、静岡茶には、個人的に思い入れがあったので、特に、「悲しい」のです。

   「お茶」には、「お~い、お茶」の方のお茶と、「けっこうなお点前ですこと、おほほほほ・・・・」の方のお茶があって、私などは、もともと、後者のようなガラではないと思っていたので、関係があるのは前者の方と思ってきた人間で、後者の方の「お茶」については、「フランス文学科」とともに、つくづくくだらない嫁入り道具だと思ってバカにして来たのです。
   もっとも、フランス文学については、たとえば、毛沢東さんは、「我々の使命は、刺繍に花をつけたすことではなく、雪に閉じ込められた地方へ石炭を送ることである」と、どこであったかでおっしゃっていたと思いますが、嫁入り道具としてフランス文学科へ入学する人というのは、「雪に閉じ込められた地方へ石炭を送る」ような文学ではなく、あくまで「刺繍に花をつけたす」ような文学をなさる方であろうと思ってきたし、「刺繍に花をつけたす」ためにフランス文学科へ行かれる方にそれ以上のものを期待しても無理であると思ってきましたが、フランス文学にも、たとえば、J=P=サルトルの『自由への道』(第1部 ・第2部・第3部。 人文書院)などは、まさしく、精神的に「雪に閉じ込められた地方へ石炭を送る」方の文学であると思いますし、このブログでブログネームの一部分とさせてもらっているアレクサンドル=デュマの『モンテ=クリスト伯』(岩波文庫)にしても、アンドレ=ジッドの『狭き門』(新潮文庫、他)にしても、決して、「刺繍に花をつけたす」ような文学ではないと思いますが、しかし、東大・京大以外の大学の文学部のフランス文学科へ行く女性というのは、なんだか、「嫁入り道具としてのフランス文学」科と認識しているような人が多いという印象を受けます。
   「お茶」というのも、同様に、くっだらない嫁入り道具であって、なんか、よくわからんけど、「お茶」というのをやると、“婚活”にプラス1点になる・・・のかどうか知らんけど、そう思って「お茶」をやる人がいるらしいのです。だから、私などは、大学生であった時、一方で、「テニスとかゴルフとかスキーとか」のサークルというのはナンパサークルであって、「よっぽどバカじゃないか」と思うとともに、「茶道」と「華道」というのも、「“婚活”のために、その1・その2・その3」としてのものでしかないと思ってバカにしていたのです。(『あしたのジョー』の中にでてくる「あしたのために その1 (ジャブ)」「その2 (右ストレート)」「その3 (クロスカウンター)」をもじった表現です。わかっていただけましたか。)

   そして、「お~いお茶」の方のお茶については、水分補給のためのものであったり、食事の時に、のどをつまらせないためのものであったりで、内容については、それほど、関心はなかったのです。 コーヒーについては、、大学生の時に、途中で、家賃は安いけれども一応1間幅のキッチンのある部屋に引っ越した時に、ペーパーフィルター方式でレギュラーコーヒーを入れて見たところ、「ブルーマウンテン」は高いので私が飲むものではないと思って最初から買わず、飲まなかったけれども、キリマンジャロとかコロンビアよりも、モカの方がおいしいようにその時は思って、他の人にとってどうかはわからないけれども、私にとっては、モカがおいしいと思ったことがありました。お茶でも、中国茶については、三田の慶応大学の近所のお茶屋さんで、「鉄観音茶」が売られていたのを買って飲んでみたところおいしかったし、ダイエットになるとかいう話もあったので、ウーロン茶・プアール茶などを、ひとつずつ、試してみたことがありました。 しかし、緑茶については、「お茶はお茶」くらいにしか思ってこなかったのです。

   卒業して、木質プレハブ中心の住宅建築請負業のK社に入社して、K社でも、研修の時に、展示場では、お客様には、できるだけ、座っていただいた方が、内容のある話をできるということで、「座らせトーク」というものがあって、そのひとつに、「うちは、レギュラーコーヒーですよ」というものがあったのですが、お茶については、特にありませんでした。

   「茶道」については、住宅建築請負業の会社に入って仕事をし、インテリアコーディネーター他の資格の学習などをしたりするうちに、認識は変わりました。たとえば、中村昌生『茶室を読む―茶匠の工夫と創造』(2002.10.26.淡交社)を見ると、≪茶の湯の場合、あくまでその亭主は隠者(いんじゃ)であります。町中の喧騒を避け、いろいろ世の中の煩わしいことを避けて山中に侘び住まいして清らかな生活をおくり、花鳥風月を友として世俗を超えた清らかな環境に身をおいている人、暮らしとしては不如意であっても、志の高い生活をするのが隠者の営みです。隠者の身になって客をもてなすのが茶の湯の営みといってよいと思うのです。≫と述べられています。 フランス文学科へ嫁入り道具のつもりで行く人がいたとしても、フランス文学自体が嫁入り道具であるわけではないのと同じく、“婚活”のつもりで「茶道」をする人があったとしても、茶道自体は、もともと、嫁入り道具であるわけではないのです。 「茶道」をする人、「茶室」を造って「お茶」で来客をもてなす人とは、「隠者」であり、「隠者」とはどういう存在かというと、権力者でもなければ金持ちでもない。 むしろ、その逆の方の人間である。権力とも離れ、経済力とも離れ、それで、精神的にも退廃した人間なのかというと、そうではない。権力とも離れ、経済力とも離れた存在であるが、しかし、志は高いのである。 権力はなく経済力もないが、精神的には決して低くない、そういう「隠者」が、カネはかけないが、しかし、それでも、最大のもてなしをおこなう、というのが「お茶」であり「茶道」であり「茶室」であったのです。 だから、本来の「茶道」は私などと認識・姿勢は近いもので、逆に、「財布は厚いが常識うす~い~♪」金持ちボンボンと結婚するためにやる“婚活”としての「茶道」などというものは、最初から「茶道」の精神に反しているのです。
※「財布は厚いが常識うす~い~♪」については、
「YouTube―シャインズ「私の彼はサラリーマン」 http://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I 参照
※(参考)
中村 昌生『茶室を読む―茶匠の工夫と創造』(2002.10.26.淡交社)
日向 進『茶室に学ぶ―日本建築の粋』(2002.5.13.淡交社)


  そして、のどが渇いた時などに、「お~いお茶」の方のお茶をおいしいと思ったことはあっても、「茶道」「お茶」の方のお茶など、そんなものは、格好つけたがる変なおばさんが、実際にはおいしくもないのに「まあ、すてきねえ。おいしいわねえ」とか心にもないことを言うものであって、おいしいわけないと長く思ってきたのですが、何年か前、京都の大原の宝泉院に行った時、そこで出してもらった抹茶は実においしかったのです。宝泉院は、部屋の奥の方に座って庭を見ると、柱・鴨居・敷居が額縁のようになって、その額縁の中に庭が見えるようになっていますが、ヴェルサイユ宮殿の庭園のような広大な「庭」も良いでしょうけれども、一方で、三千院の聚碧園(しゅうへきえん)のような庭や宝泉院の柱・鴨居・敷居が額縁のようになって庭が見える庭というのも、また、これもすばらしいと思ったのでした。そこで、飲ませてもらった抹茶で、私は認識を改めたのでした。かつて、クラシック音楽というものは、自分は“高級”であるということにしたいというあほくさいオッサンが格好をつけるためにだけ聞く偽善者の音楽だと思っていたけれども、そういう人もいるかもしれないけれども、本来は、クラシック音楽はそういうものではないと認識を改めたのと同じく、「茶道」も「お茶」も、本来は、そういうものではないと実感したのでした。
※大原と宝泉院、三千院については、
1.『週刊 京都を歩く 大原』(2003.8.講談社)
2.『週刊 古寺を巡る 三千院』(2007.10. 小学館) あるいは、
3.「ウィキペディア――宝泉院」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%B3%89%E9%99%A2
4.「宝泉院」ホームページ http://www.hosenin.net/  
5.「ウィキペディア――三千院」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%83%E9%99%A2 
6.「三千院」ホームページ http://www.sanzenin.or.jp/
7.「YouTube―デュークエイセス女ひとり」http://www.youtube.com/watch?v=C0pxIcHVu0Y&feature=related
他参照。

  ところで、「お茶」には、単に、のどの渇きをいやすためのポカリスエットと同じ意味でのお茶と「茶道」の「お茶」しかないのかというと、そうではないのです。
  K社の後、在来木造の I 工務店に入社して在籍していた時、 I 工務店は浜松が発祥の会社であったことから、静岡県のお茶を全国の営業所に来客用に出すように送ってきていて、福島県の いわき市の営業所にいたとき、同じ営業所にいた人が「このお茶、静岡茶でもおいしいよな」と言いだし、そして、静岡県出身の人間が同じ営業所にいて、その人間が「静岡茶でも、『本川根』といって、特に、いいお茶を送ってきている」と言い、それで、私も、そう言われてみれば・・・と思い、確かに、おいしいお茶だと思ったのでした。
  川根町で採れるお茶でも、特に良いものを「本川根」と言うのかと思って、地図で見ると、静岡県には、川根町と本川根町があったので、「本川根」というお茶は、本川根町の方で採れるものを言うのだろうか・・・とか思っていましたが、最近、ヤフー地図で見ると、平成の大合併で、静岡県でも無茶苦茶な大合併がおこなわれたらしく、静岡市と浜松市が矢鱈と大きくなって、川根町・本川根町があったあたりも川根本町という地名が見られ、島田市にも川根町という地名が見られて、川根茶・本川根茶が、いったいどこのものなのかもわかりにくくなっています。
※「ヤフー地図―静岡県榛原郡川根本町」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.15988839&lon=138.11915165&ac=22429&az=&z=15 参照

   I 社退職後も、「川根茶」を買って、自分で入れて飲んでみて、確かに、お茶の味は違うと思い、他の産地のお茶も飲んでみて、「お茶」には、「茶道」のお茶とのどの渇きをいやすためだけのお茶以外に、もうひとつ、味わうお茶があると思うようになったのでした。 I 社退職後、賃貸専門の不動産会社E社に勤めた時、千葉市美浜区のK店では、百円ショップで売っている粉のお茶を来客に出していたので、それを見て、非常識なお茶を出していると嘆かわしく思ったことがありました。いいお茶を出せば契約してもらえるというわけでもないでしょうけれども、せっかく、自分の店に来てくれた人に、百円ショップの粉のお茶を出すとは、その気持ちが情けないと思ったものです。E社の千葉市美浜区のK店で店長をやっていたオニーチャンが「お茶なんて、どれでも一緒ですから」などと言っていたが、その認識も情けないと思ったし、客商売をやっている人間として哀しい認識だとも思いました。
  I 工務店に勤務していた時、私は、来客にお茶を出す時には、人数分ともうひとつ碗を用意して、少し入れて自分で飲んでみて、これで出して良いと判断できてから出すようにしていました。 たとえば、『味いちもんめ』という板前を扱った漫画では、花板(板長)に下の者が料理の味を見てもらって、これで出して良いとなってから客に出すという場面が書かれていますが、私は、自分で味見をして、これで出していいだろうと判断できてから、来客にだすようにしていました。だから、少なくとも、そういうことをしていない人に比べれば、私はお茶の入れ方はうまいよ・・・、と思う。そういうことをやってきた人間にすれば、百円ショップの粉のお茶を出すというのは情けないし悲しい。
  静岡茶・川根茶・本川根茶というのは、私にとって、そういう思い入れのあるお茶であったのです。 

  静岡茶というのは、お茶のブランドでも、県名と地域名の両方がブランドになっているお茶です。 お茶のブランドとしては、京都府の宇治茶と静岡茶が、何より知られています。 本来は、京都の方が本場であったらしいのですが、今日では、静岡茶は、京都のお茶に劣らない評価を受けるようになりました。 
京都府の宇治茶の他に、有名なものとしては、 
佐賀県の嬉野茶(うれしのちゃ)、福岡県の八女茶(やめちゃ)、鹿児島県の知覧茶(ちらんちゃ)などが知られていますが、静岡茶の場合は、川根茶・本川根茶がブランドになっているだけでなく、静岡県という県自体がお茶の本場として知られているというところが他の県と違うところです。

  その静岡県が、お茶の葉の放射能検査を断ったというのは理解に苦しみます。 評価の低い商品であれば、検査を断ることで、不明として流通させようという気持ちもわからないことはありません。 しかし、静岡茶というのは、お茶の葉としては、ブランドなのです。「川根茶」「本川根茶」としても、「静岡茶」としても、ブランドなのです。 もしも、ブランド力を守ろうとするのであれば、こういう時には、たとえ、他の県のお茶、他の地域のお茶が放射能検査を拒否したとしても、静岡茶だけは、断固検査をおこなうというようにして、信用とブランド力を守るようにするのが、それが商売の道ではないかと思うのです。
  しかし、静岡県と静岡茶はその道を選ばなかった。二流・三流の商品の道を選んだ。 放射能検査を拒否する道を選んだ。 拒否して、不明なままに流通させて売り、買わせ、飲ませるという方法を選んだ。
  ・・・ということは、自ら、ブランド力を捨てたということである。 たとえ、他の産地が、いいじゃないかとやっていることでも、静岡茶はやらない、静岡茶は他の産地で許すことでも許さない、というブランド力をさらに高めることができるかもしれない場面で、二流茶・三流茶と同じになってもいいから検査は拒否するという姿勢をとった。静岡県が自らそういう態度をとったのであるから、もはや、静岡茶はお茶のブランドではない。 今後、静岡茶が流通したとして、それが、放射能汚染されていようがいまいが、今後は、静岡茶は二流茶・三流茶の仲間である。 違うか?

  私にとっては、上に述べたように、静岡茶には、他のものと違って、特別の思い入れがある。「茶道」としてのお茶でもなく、水分補給にガブガブ飲むお茶でもなく、ゆっくり飲んで、「お茶って、おいしいなあ。」と改めて認識し、「このお茶はおいしいなあ。」「もう一杯飲みたいなあ」という気持ちにならせてくれるお茶。 そういうお茶がある。 そして、「お茶はお茶」ではなく、お茶にはその産地・茶葉によって違いがある、ということを私に認識させてくれたお茶。 それが静岡県の「川根茶」「本川根茶」であった。 だから、その静岡茶が、静岡県がそういう対応をしたのは「哀しい」だけでなく、「悲しい」。 実に、「悲しい」。

  だが、静岡茶が自らそういう態度を取った以上はしかたがない。 先日、スーパーに行った時、「静岡茶」と「鹿児島茶」が並べて売られていた。同じ値段で。 静岡県の茶葉の放射能検査検査拒否のニュースが出た直後のことである。 当然、客としては、どちらを買うかというと、鹿児島茶の方を買いますわなあ・・・。 私も「鹿児島茶」を買いました。 静岡県は「静岡茶」の検査拒否をおこなったということは、「静岡茶は買って要りません」と言っているのとあまり変わらない。 今後、検査によって、静岡茶に放射性物質の含有量が少ないという表示が出たとしても、ある時、検査拒否したお茶であり、含有量が少ないという表示が出たとしても、少ないであろう時に検査したのか、少ない検査結果が出た時にのみ発表したのか、そういう性質のものであろう、と国民は見る。 見ない人もいるかもしれないけれども、見る人は見る。 そういう目で見る人に買ってもらえなくなってもいいから、わからずに買ってしまう人に売りつけろという姿勢を取ったのであるから、二流茶・三流茶になる道を静岡茶は選んだということである。
  スーパーで、「静岡茶」と「鹿児島茶」が並べて同じ値段で売られていた時、今までなら、「静岡茶」の方が評価は高かった。同じ値段なら、静岡のお茶にした方がいいのじゃないか・・・と思う人が多かったのではないかと思う。 しかし、今回は、「鹿児島茶」の方がよく売れていた。
  不動産屋は、賃貸にしろ売買にしろ、見込客に物件を案内する時に、意図的に「決め物、比較物、だめ物」の3つを案内するということをやる場合がある。実際には、必ずしも、その3つにちょうど適したものがない場合もあるけれども、この人には、これが良いのではないかと思われる「決め物」と、比較的その人に適しているけれども「決め物」に比べれば良くない「比較物」と、どう考えてもだめな「だめ物」を案内すれば、特に、「だめ物」をあえて案内することによって、「決め物」が良く見えるから、あえて、「だめ物」を1件案内する場合がある。スーパーで「鹿児島茶」と「静岡茶」が並べて売られていた時、「静岡茶」は「鹿児島茶」をよく見せるための「だめ物」になり下がっていた。
  静岡県は、静岡県知事は、「風評被害にあった」とか言うかもしれないが、そうではない。静岡県が、静岡県知事が、静岡茶のブランド力をドブに捨てたのである。

  だから、愛着のあった静岡茶・川根茶・本川根茶であるが、しかたがない。
さらば、静岡茶! さらば、川根茶! さらば、本川根茶! 

  永遠に、さらば!

  お茶は静岡産以外にもある。 あえて、三流以下のお茶を飲む必要はない。

  7月12日の「産経新聞」の記事に、静岡県知事の川勝平太さんが、静岡茶を冷茶で飲んで見せて、「冷茶はいいですね」などとアピールしたそうである。
※ヤフーニュース「知事、静岡茶アピール」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110712-00000034-san-l22

  よくやると思う。 福島県へ行って、福島県産のイチゴだのサクランボだのをパクゥッと食べて見せるというあほくさいパフォーマンスをやる人のモノマネをやっているらしいが、両方ともあほくさい限りである。

  たとえ、他県が検査拒否したとしても、静岡県は、より厳しい検査をおこなって、安全なものだけ出荷しますとしたならば、出荷できなくなるものが、ある程度は出てきたとしても、「静岡茶」のブランド力は上がったであろうけれども、検査拒否を行って流通させよう、買わせよう、飲ませようという姿勢を取ったのであるから、今後は、静岡茶は二流以下茶である。
  お茶というものは、絶対に飲まなければならないものではない。のどの渇きをいやすためなら水で良いのであるし、静岡県産以外にもお茶はあるのである。 今後、福島県産でも、放射性物質の含有量が高くないとわかったものは売れるようになるかもしれないが、静岡茶は、放射性物質の含有量が高くても低くても、検査拒否の二流以下茶であるという評価は変わらない。検査拒否の姿勢は放射性物質についてのみではないであろう。自分の信用をドブに捨てた者の売る商品を買う必要はないということである。
  
  さらば!

  日本国内においては、静岡茶と静岡県の農産物の評価が下がったというものですが、外国においては、静岡茶のおかげで、日本の農産物と日本の評価までが下がってしまうのではないかと心配します。

※もしも、「レクイエム」とは何かわからないという方は、たとえば、
「YouTube ―モーッァルト『レクイエム』K.626 http://www.youtube.com/watch?v=aQ7rqC23LOE でもクリックしてみてください。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
  本日(2011.8.1.)の「日本経済新聞」夕刊の一面に、《原発「安全確認し再稼働」 政府エネ会議 中長期では依存低減》という記事があり、≪政府は29日のエネルギー・環境会議(議長・玄葉光一郎国家戦略相)で、当面3年の電力需要対策と中長期のエネルギー戦略の論点整理をまとめる。「安全性が確認された原子力発電所は再稼働を進める」と明記。中長期には「依存度を下げていくと打ち出す。・・・・≫と書かれています。 こういう記事を見るたびに思うのは、 福島第一原発というのは、「安全性が確認され」ていないのに稼働させて事故が発生したというのか、「安全性が確認された」と思って稼働させたら、実は安全ではなかったというのか、どちらなのか、ということです。「安全性が確認された原子力発電所は再稼働を進める」と主張する人は、どちらであったというのか、きっちりと述べるべきだと思います。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
    2011年8月1日
 ブログネーム:モンテ=クリスト伯+中原中也+ヴォーリズ


(追記)前回のブログ〔第47回〕《小出裕章氏の放射能汚染食品等に関しての「子供手当」的発想に疑問、他》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201107/article_3.html に、
 「チンカス野郎 ナメンナヨ!!」というコメントを2011.8.11.14:45に入れられた自称「哲建チンポ」さんへ。
 〔第46回〕《私のブログに「死ね!!」というコメントを入れられた方へ。 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201107/article_2.html を御覧ください。 (2011.8.1)


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  • セシウム報道でセシール(cecile)CMが減った?

    Excerpt: 靜岡県の”静岡茶#がセシウム被害にあった。”東京電力”の”福島第1原発事故”による”放射性セシウム”による”風評被害”で、東京電力へ9千万円”賠償請求”をしている。 Weblog: 脳挫傷による見えない障害と闘いながら・・・ racked: 2011-09-04 02:21