パロディ版の麻原彰晃~R研究所(=R法人会)の、一見、漫画チックなファシズム 〔引越掲載〕

〔(建築家+建築屋)÷2 のブログ 第35回〕
  このブログの第25、26、29、30回でも指摘した問題の多い団体のR研究所(=R法人会)は、企業でも、特に、中小零細のオーナー企業の経営者に取り入り、経営者に公私混同をさせて従業員の人権を侵害して従業員に強制的にR研究所(=R法人会)の行事に参加させるという不当なやり方を常套手段にしています。
  それとともに、R研究所(=R法人会)に精神汚染されてしまった哀しい経営者のもとに、「職場の教養」という名の冊子を紙爆弾のごとく大量に送りつけ( 資源の無駄遣い! 地球に優しくない )、それを、やはり、経営者に公私混同をさせて、従業員に従業員の意志を無視して強制的に読ませるようにしむけるということをしています。(職場の強要)  まったく、つくづく、けしからん連中ですが、この「職場の教養」なる冊子は、読んでも、骨にも身にもならないくだらない内容ばかりを、毎月、毎月、性懲りもなく、繰り返し掲載していますが、「骨にも身にもならない」としても、毒でないならば別に良いではないか、と思う人もあるようで、そして、その意識を、R研究所(=R法人会)は利用して浸透をはかっているいるのですが、まず、「骨にも身にもならない」としても毒ではないなら良いのか、というと、そうでもありません。たとえ、毒でなくても、「骨にも身にもならない」ものを、毎日、読まされ続けるならば、その分、骨や身になるものを読まなくなってしまうという問題があります。さらに、たとえ、毒でなくても、読む物を他人に決められるというのは、やはり、おかしいのです。 何を読むべきかということは、すべての国民が自分で考えて決めるべきものであり、それを、特定の人間、特定の団体が決めて、他の者に押しつけるということ自体が、民主主義の側の動きかファシズムの側の動きかというと、そのこと自体が、明らかに、ファシズムの側の動き、民主主義に敵対する動きなのです。まず、こういったことを理解できる人は、その分、教養のある人間であり、理解できない人は、その分、教養のない人間であると言えるでしょう。 
  私が作成している、このブログは、その回によっても内容は異なりますが、住宅建築に関するものとして、住宅を建てよう・購入しようと考えておられる方にとって、あるいは、住宅建築に関する仕事に従事している方、特に、私よりも経験の浅い方にとって、あるいは、それ以外の方にとっても、けっこう役に立つ内容を述べていると私は自負しておりますし、人によってはブログに他人の書いた本・雑誌、あるいは、インターネット上の他人の文章や写真をまる写しして載せたりする人もいますが、私は、すべて、自分が考え・感じたことを文章にして、自分が撮った写真を掲載しており、意見の賛否はあるかもしれませんが、十分、内容のあるもので、どなたであれ、読んでいただいて損はないと思っておりますが、知りあいに対しても「私のブログを読んでください」と「お願い」はしても、決して強制したりすることはしませんし、もしも、強制するようなことがあった時には、その時から、どんなに内容のあるものであっても、その価値は激減するものと思っております。
  R研究所(=R法人会)の「職場の教養」なる冊子は、内容がないだけでなく、最初から、それを経営者に公私混同させることによって従業員に強制的に読まそうという意図で作成されているものであり、その点において、最初から劣悪邪悪な性質をもつ、極めて教養のない冊子なのです。 自分が何かの文章を書いたとして、それを人に読んでもらいたいと思ったならば、自費出版の方法、商業出版の方法、インターネットのホームページやブログによる方法、その他、いかなる方法でも、作成したものを、「ぜひ読んでください」と人に呼びかけるのは良いのですが、それを強制して読まそうとするというのは、特に職場において、経営者にとりいって従業員に強制的に読まそうとするというのは、まず、明らかに、職場の教養を身につけていない人間のやることと言うしかありません。


  そのR研究所(=R法人会)の冊子「職場の教養」なるものが、千葉県内に複数の営業所を持っているリフォーム請負業の会社Wホームでは、社長のHさんが熱心なR研究所(=R法人会)の信者であったことから、職場に置かれていて、特に、本社では、毎日、その馬鹿馬鹿しい本を強制的に音読させられ、さらに、「社長の言う事を何でもきく練習」としての「『はい』の発声」などというものをさせられていたのでした。
  置かれていると、何気なしに見てみたりすることもあったのですが、噴き出してしまったものとして、
≪ 現在の世の中に、他の人とは違った特別な能力を発揮できる人間が3人いる。 ≫などという話があったのです。
その3人とは誰か??? というと、≪ イチローと松井秀喜とR研究所(=R法人会)理事長のM山敏雄〔訂正。M山敏秋〕の3人だ。≫というのです。 あ~ほくさ!!!!!  しかし、よく、こういうことを文章にして書くよなあ~あ・・・・・。

  イチローと松井秀喜については、特別よく知っているかどうかはともかく、名前くらいは、たいていの人が知っているとは思いますが、もしも、知らない人があったら、
「ウィキペディア――イチロー」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC
「ウィキペディア――松井秀喜」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%A7%80%E5%96%9C
でも、御覧ください。

  それで、≪ イチロー・松井秀喜とともに、他の人とは違う特別の能力を発揮できる人であるM山敏雄〔訂正。M山敏秋〕先生に、なぜ、他の人と違う能力を発揮できるのか教えをきこう。≫などということが書かれていたのです。 マア、何と言いますか、なんともまあ、笑っちゃうよなあ・・・・・と思ったのですが、しかし、この≪理事長のM 山敏雄〔訂正・ M山敏秋〕先生は、他の人と違った特殊な能力を発揮することができる≫という文句、≪ 教祖の麻原彰晃という人の血液に特殊なパワーがあるということがわかったんですね。≫とか言っていたオウム真理教(現在は「Aleph」と称するらしい)と、そっくりと違いますか?!? 「職場の教養」とかいうバカ雑誌を「特におかしなことを書いている本ではないのだから読んでもいいでしょう」などと言って広めるようとしている人、このことに気づいていますか?!??!?!?

〔 ※「オウム真理教(現在は「Aleph」と称するらしい)については、
「ウィキペディア――オウム真理教」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99
「ウィキペディア――坂本堤弁護士一家殺害事件」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%A0%A4%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「ウィキペディア――地下鉄サリン事件」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6  他をご参照ください。 〕

 「オウム真理教」(現在は「Aleph」と称するらしい)との違いは、イチローと松井秀喜と3人セットにしているところで、その2人とセットにされると、危険な文句でありながら、お笑いみたいになってしまうというところです。 しかし、よく言うよなあ・・・・・・。あきれた。あきれた。あきれた・・・・・。マア、よく言うわ。 

 ≪ なぜ、R研究所(=R法人会)理事長のM山敏雄〔訂正。M山敏秋〕サンが、他の人と違った特殊な能力を発揮できるか ≫といいますと、別に、今さら、M山先生に教えてもらわなくても、十分、わかっているじゃないですか。 要するに、従業員に給料を払う時にはけちけちしまくるくせに、R研究所(=R法人会)には、せっせと、カネをつぎ込む会社経営者が大量にいるからじゃないですか。 そのカネの力でしょうが。 はっきりしてるじゃないですか。 何を今さら「M山先生に教えてもらおう」ですか。な~にをナマ言ってるんですか! あほくさ! あほくさ! あほくさ!!!

  この≪ 理事長のM 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕先生は他の人とは違う特別な能力を発揮することができる≫というR研究所(=R法人会)の文句は、≪教祖の麻原彰晃という人の血液に特殊なパワーがあるということがわかったんですね。≫という
オウム真理教(現在では「Aleph」と称するらしい)と大変よく似ている、たぶらかしの技術であって、大変危険な主張であるのですが、オウム真理教の文句とは違った問題点もあります。 
  それは、自分はえらいんだぞお! 自分は他の人間とは違う能力があるんだぞお!と言いたいというのも、なんか、あほくさいし、いちいち、そういうことを言いたい人間というのは、むしろ、かえって、なんだか、ちっぽけな野郎だなあ・・・・という気がしてしまうのですが、それを言うのに、世間で有名な人間2人と自分を一緒にすることによって主張しているというところです。

  私の住宅・建築に関する愛読書のひとつである 中村好文『住宅巡礼』(2000.新潮社)の中の《フランク・ロイド・ライトの「落水荘」》という章に、中村好文さんがアメリカ合衆国へ向かう飛行機の中で隣りの席の青年と好む旅行先と性格の話をしたという話が書かれています。
≪・・・ある時、アメリカに向かう飛行機の中で、隣りの席の青年と血液型と性格の関係について話し込むことになりました。
  もとはと言えば、その青年が、「えーと、突然で、アレなんですが、もしかしたらあなたの血液型はAB型じゃありませんか?」と、話しかけてきたのがきっかけでした。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・私はちょっとからかってみたくなって、こう訊ねました。
「じゃあ、あなたなら、人間の気質や志向を分類する方法の《オ―型》《ベー型》《エーベー型》《ホ―型》なんかのこともきっと詳しいんでしょうね?」
 もちろん青年はなんのことか分からず、頭のてっぺんから三つばかり???を出し、怪訝そうな顔付きで私を見返しました。
 私の説明はこうです。
「つまり、旅をするなら絶対にヨーロッパというタイプの人を《欧型》、アメリカが大好きという人は《米型》、英語ならノープロブレムという人を《英米型》、やっぱり人情こまやかな日本が一番という人は《邦型》、という分類法なんですけどね・・・・・・」
  私としては、この駄洒落で「一件落着!」のつもりでしたが、意外なことに血液型青年はニコリとも笑ってくれません。それどころか、いっそう真剣な顔になってまじまじと私を見つめ、キッパリこう言いました。
「あなた、《欧型》ですね」≫
  実際に、私も、好む旅行先と性格には関係があるような気もいたします。私自身は、基本的には、中村好文さんと同じく《欧型》と思っているし、この本を読んで共鳴するところを感じたのも、もしかして、同じ《欧型》人間としての共鳴かもしれないなどと思ったりもしているのですが、最近などは、おカネがないので、結果として、《邦型》、それも、近郊型になっているようなところがあります。 あくまで、血液型と性格にしても、もしかすると、多少は関係があるのかもしれない、というくらいのものであって、はっきりと、こうだとわかっているわけでもないし、「もしかすると多少は関係があるかもしれない」程度で考えるなら、けっこう面白いとしても、絶対視すると、むしろ、弊害の方が多く出てくるもので、この、好む旅行先と性格の関係にしても、あくまでも、「もしかすると、関係があるかもしれない」くらいに思って考えると、けっこう面白いが、決して絶対視するべきものではないと思っています。
  それで、実際に、自分の周囲にいる人、今までの人生で出会った人などを考えて、あいつは○型、あいつは△型かな、とか考えてみると、けっこう、面白かったりします。
  私自身は、基本的には《欧型》だが、他の型の要素をまったく持たない《欧型》ではなく、《英米型》の要素と《邦型》の要素を部分的に持っている《欧型》と思っています。

  実際には、あくまで、半分以上、おふざけでの話であり、何型でも良いのですが、あんまり好きになれないタイプの型の人もあります。それは、ひとつは、《フィリピン・タイ・韓国型》のオッサンで、もうひとつは、《独米型》の人間です。
  誤解のないようにお断りしておきますが、決して、フィリピンもタイも韓国(大韓民国)も、その国やその国の人達が悪いわけではないし、私も、その国の人達がきらいとかいうことではないのです。問題は、何かにつけて、この3国へ行きたがる日本人のオッサンというのが、何をしに行っているのか、ということです。
  在来木造の I 社に在籍した時、ある営業所で、同じ営業所にいたある人から、私は、「○○さんて、外国へ旅行に行った時、お城とか教会とか遺跡とか美術館とか見学に行ったりするんですか? へ~え、変わってますね~え。 普通、外国へ行って、そんな所へは行かないでしょう。 俺なんか、外国へ旅行に行ってすることと言えば、女買うことだけですよ。 普通はそうでしょ。女買う以外に、外国へ旅行に行ってすることなんてないでしょ。 女買う以外に外国へ、いったい、何しに行くんですか。お城や教会やを見学に行くなんて、絶対、普通じゃないですよ。変わってますよね~え・・・」と言われたことがありました。何が普通か、何が普通でないか、というのは、その人の基準がどうであるかによって変わるのであって、普通でない人の基準によれば、普通である人間の方が普通でないことになるでしょうから、普通でないと言われるならば、好きに言ってもらってかまわないのですが、私は、別に、自分が特別に品行方正であるなどと言うつもりはないし、特別に品行方正だとも思っていないのですが、それにしても、先の発言をした人は(その人とは決して仲が悪かったのではありませんが)、半分冗談の言い方で言っているのではあるのですが、実際にやっていることから考えれば冗談でもないのであり、せっかく、外国へ行って、「女買う以外にやることは何もない」というのは、あまりにも哀しい姿ではないでしょうか。 実際には、どの国へ行こうが、たいていの国に、多かれ少なかれ、そういった場所はあるのですが、しかし、その国がどうというのではなく、フィリピン・タイ・韓国の3つの国へ行きたがる日本人の大部分のオッサンというのは、その他の国へ行きたがる人とは、行く目的が違うのです。「フランスが好き」とか「イタリアが好き」というのと、「フィリピンが好き」というのは、「好き」の意味が違うのです。 これは、決して、フィリピンの人達が悪いとかいうことではなく、フィリピンに行きたがる日本人のオッサンの問題なのです。

  そして、もうひとつ、好きになれないタイプというのが《独米型》の人間で、これは、ドイツとアメリカ合衆国が好きという人で、より正確に言えば、アドルフ=ヒトラーとジョージ=W=ブッシュが何より好きという人です。
  慶應大学の学生であった時、一般教養の「近代思想史」という講座を担当されていたある教授が、講義の中で、「私のゼミの人で、『自分は、ドイツのナチズムのようなものは悪くないと思う』と言った人がいたので、私は、『あなた、その考え方は、自分がナチスの親衛隊かなんかになるのが悪くないということだとか思っていませんか。そうではないんですよ。いいですか。ナチズムが悪くないというのは、自分がユダヤ人の立場になって、ガス室に送られて殺されるのが悪くないという意味なんですよ。それをわかっていますか。』と話したのです。」と話されたことがあったのを覚えています。この教授が言われたことは、実際には、わかっている人にとってはあたりまえのことであるのですが、わかっていない人にとっては、極めて難しいことであり、わかってもらおうとしても、なかなかわかってもらえないことなのです。
  その、わかっていない方の人が好きなのが、アドルフ=ヒトラーです。 私のような「戦後民主主義」と言われる時代の教育を受けて育った世代にとっては、アドルフ=ヒトラーという名前は「悪の代名詞」のような固有名詞であったのに対して、私の親やR研究所(=R法人会)理事長のM 山敏雄さんのような戦中世代の人にとっては、アドルフ=ヒトラーという名前は「世界一の英雄」の名前であったらしいのです。 戦中世代の人たちは、戦争を実際に体験して、大変な思いもされたことではあるでしょうけれども、その時代の風潮の悪い面を受けてしまっている人も少なくありません。戦後、それに気づいた人もおれば、いつまで経っても、時代が変わっても、気づくことができずにいる人もおられるように思います。そういった方は、気の毒でもあるのですが、その悪い影響を、さらに他の人間に広めるのはやめてもらいたいように思うのです。
  漫画家の水木しげる の本などでも扱われているように、戦争中、日本は、国力はたいしたことなかったのに、何かと威勢が良い国であった。「鬼畜米英」などと言い、ドイツ・イタリアと三国同盟を結んで、それ以外の世界を敵にして戦うことになったのは、「外交の失敗」であった面があると私は思っていますが、その時、頼りにしたのが、「世界に冠たるナチス・ドイツ」の「ヒットラー総統」であったのです。ヒットラー総統とともに歩めばなんとかなるという幻覚が、ナチスドイツの敗北で崩れ、そして、それにもかかわらず、精神構造は変わっていない人に対して、そういう人のかつてドイツが占めていた部分に、戦後、アメリカ合衆国というものが入り込んだのです。アメリカ合衆国につき従えばなんとかなる、という感覚。そして、そういう独立自尊の精神の欠けた人にとっては、アメリカ合衆国の大統領でも、特に、ジョージ=W=ブッシュのような野蛮人がありがたく感じられる。そういう人が《独米型》人間になってしまうのです。これは、先のフィリピン大好き人間について述べたのと同じく、ドイツやアメリカ合衆国の人達が、すべて、アドルフ=ヒトラーやジョージ=W=ブッシュのような人間であるということではありません。 私は、ドイツには今まで行ったことがありませんが、たとえば、フランスに行った際に、ドイツ人の観光客と出会ったといったことはあり、こちらが日本人だと思うと、英語で話しかけてくれて、そういう人は、ドイツ人であっても、決してナチスやヒトラーのような人ではありませんでした。しかし、日本人でドイツが大好きというオッサンには、ナチスが好きだからドイツが好きというオッサンが多く、そして、第二次世界大戦でのドイツの敗北によって、ドイツへの信仰が崩れながらも、ナチスドイツを頼りにしていた精神構造が変わっていないところに、ドイツの代わりに入ってきた“世界一の国”アメリカ合衆国が好きといいうオッサンが、やはり、いるのであり、アメリカ合衆国が好きという人には、それ以外の理由で好きという人もいますが、「ドイツとアメリカ合衆国が好き」というオッサンには、このナチズムにすがりつく根性から、ドイツとアメリカ合衆国が好きという、なんとも情けない人が、実際のところ、多いと思います。そういう人は、ある面で、気の毒ではあるのですが、それを他人に教えようとしだすと、被害者ではなく加害者になってきます。
  私の身近にドイツとアメリカ合衆国が好きという人がいたのかというと、いました。誰かというと、私の父です。父は、戦争中、大学生及び大学卒業直後であり、特別に権力のある立場にあったわけでもなく、「普通の日本人」の立場で、「普通の日本人」としての影響を受けてきた人で、戦争中の哀しい社会環境の影響を受けてきた人でしたが、その時代の日本と日本人のあり方に対して、疑問を感じるものもあったようでした。父が、まだ、学生であった時、市場に買い物に行くと、朝鮮から「強制連行」で日本に来た人なのかどうか、在日朝鮮人の人が買い物に来た時があり、その時、八百屋が、その人を見ると、その人が何も言っていないのに、「あんた、これ持っていき。これ持っていき。」と言って、腐りかけの野菜を押しつけて追い出したという場を目撃したことがあったと話していました。今でも、スーパーなどでは、賞味期限が迫っている食品を何十円引きというシールを貼って、その分、安く売ったりしていますし、野菜などでも、部分的に傷んできたというもので、まだ食べられる部分があるというものを安くして売っていることがあります。いたんで食べられなくなる直前のものがおいしいという場合もあります。しかし、買い手が、それを理解した上で、それを欲しいと言ったのであれば良いのですが、その時は、その在日朝鮮人の人は、何も言っていないのに、その人を見ると同時に、八百屋が「あんたはこれ。あんたは、これを持っていき。」と言って押しつけたといい、父は、それを見て、「これは、いくらなんでも、ひどいぞ。いくらなんでも、こんなことをしてはいかんぞ。」と思ったと話していました。 又、戦争で満州に行った時、日本の軍隊の人間が、中国人の村に行って、中国人の女性に性的侵害行為を働いた話を聞き、「なんということをするのか。」と、びっくりした、と話していました。そういった、当時の日本及び日本人の問題に疑問を感じることもあったようですが、その一方で、戦後、私になどは「とってちってたーあ」とか言っていましたし、時々は、家の中でですが「ロスケどもをやっつけてやーる」とか叫んだりしていましたし、何かと「根性でやーる。」「気合でやーる。」とか、軍国主義的精神主義みたいなことを言っていました。そして、何より、「わしはえらいねんぞお。わしはあ。わかっとるか!わしはドイツ人なんだぞ、わしはあ。わしはアメリカ人なんだぞ。わしはあ。わかっとるかーあ。わしはヒットラー総統のような英雄なんだぞお。わかっとるかーあ」と、よく言っておりました。かわいそうな人だと思います。自分がえらいかどうかなんて、別に、どっちでもいいじゃないですか。それをえらいと言わないとおれない。えらいと人に認めさせないとおれない。それだけでなく、戦前戦中の「ドイツ人」、戦後の「アメリカ人」と一緒にすることによってしかえらいと言えない、という、なんとも哀れな精神構造だと思います。「聖徳太子、ヒットラー総統、それとわしィ~は、特別の英雄やねんぞお。」とか言っていました。さらに、「この3人は、ドイツ人やぞお。」とかも言っていました。(聖徳太子って、ドイツ人だったんだあ・・・・・???) 父は、晩年になって、「お父さんは、軍国主義の被害者です。」などと私に言いだした時がありました。 私は、「何を言ってるの。あんた、被害者ではなく、加害者でしょうが。あんた、毎日、私に、『とってちってたーあ』と言い続けてきたじゃないの。あんた、加害者でしょうが。」と思ったものでしたが、実際には、加害者となった面もあるとしても、被害者であるがゆえに加害者になってしまった、加害者になるにいたった被害者という面があったのではないかと思います。すべての人がということではありませんが、戦中世代の人には、父だけでなく、そういう人は少なくないように思います。そして、父は、外国では、どこよりもドイツが好きだったのです。
  R研究所(=R法人会)の理事長・M 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕という人が、松井とイチローと一緒になることで、自分をえらいんだと主張するのは、戦前のドイツ、戦後のアメリカ合衆国と結びつくことで自分はえらいんだと主張したがる人、聖徳太子とヒットラー総統と自分をくっつけてえらいんだと主張する人と同じで、M 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕という人は、たとえ、自分はえらいと主張するにしても自分ひとりだけでえらいと主張できない、戦中型の矮小な精神構造の人間のひとりと考えざるをえません。
    M 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕という人は精神構造に父と似ている部分があるように思い、それは、戦中世代の人の多くが陥ってしまった哀しい精神構造であり、ある意味で、M 山敏雄という人も、戦争中の軍国主義の被害者であったのかもしれませんが、その影響を戦後も克服できていない人は、私の父と同様に、被害者が加害者になることもあるのです。そして、父は、息子としては、そのオッサンが会社から受け取ってきてくれる給料で生活してきたのではありましたが、つきあいづらいオッサンでしたし、会社であんなオッサンの部下になった人はけっこう大変であったろうなーあ、と思ったりしますが、父は、特に大企業でもない会社で、少しは出世させてもらったのかな、というくらいの会社員でしたから、その影響は限定的であったのに対して、R研究所(=R法人会)・理事長のM 山敏雄という人は、その影響を与える範囲が広く、限定的ではないところに問題がありますし、R研究所(=R法人会)は、その影響を広めようとしており、かわいそうな人だと思ってあげて許してあげるというわけにもいかないのです。
〔訂正。下の方で説明いたしましたが、戦前の生まれの創立者M山敏雄は、1951年(昭和26年)に他界しており、現・理事長のM山敏秋は、戦前・戦中の生まれではなく、1951年〔昭和26年〕生まれの、正真正銘の戦後生まれでした。〕
   父が「ヒットラー総統、聖徳太子、それに、わしィ、の3人は、特別にえらい英雄やぞお。」とか言っていたことを、最近、母や姉に話すと、「そういえば、そういうアホなことを言っていたな~あ。」とあきれており、たとえ、そういうことを言っていても、そんな話を本気にする人間はあまりいなかったのです。今となっては、ばかばかしい思い出話でしかく、アホはしゃーない、とでも思っておくしかないのです。それに対して、R研究所(=R法人会)の理事長・M山敏雄〔訂正。明治生まれの創立者・M山敏雄ではなく、私の父などの戦中世代でもなく、正真正銘、戦後世代のM山敏秋〕の場合は、「イチロー、松井秀喜、それに、M山敏雄〔訂正。M山敏秋〕の3人が、他の人とは違う特別の能力を発揮できる人間なのです。」と言って、それを、「職場の教養」とかいうバカ雑誌に大量に印刷して、紙爆弾として、何社もの会社に送りつけて、それを、会社経営者に公私混同させて従業員に無理矢理読ませることによって広めようとしているのです。「イチロー、松井秀喜、それに、わしィ~い、が特別の人間」というM 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕の主張は、幼児的・漫画的で、お笑いみたいですが、そんなものを本気になって信じる人がいて、そんなR研究所(=R法人会)に、せっせとカネをつぎ込み、従業員に、そんなR研究所(=R法人会)に入信させようと必死になる経営者が少なからずいるのであり、バッカじゃなかろか、という感じはしますが、バッカじゃなかろかという内容をそう思わずに広めようとしている人が少なくないというその状況、オウム真理教が≪ 教祖の麻原彰晃という人の血液に特殊なパワーがあるということがわかったんですね。≫と主張してそれを信じていた人が少なからずいたのと同様に、R研究所(=R法人会)理事長のM 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕に(松井とイチローとともに)特別の能力があると信じている人が少なからずいるという状況は、もはや、国民として、無視できるものではなくなってきているのです。


  第二次世界大戦後、アメリカ合衆国では、T=W=アドルノらによって、ナチスの時代のドイツにおける人間の精神構造の在り方とファシズムの関係が研究されました。 T=W=アドルノらの研究成果はT=W=アドルノ・E=フレケンブルンズヴィック・D=J=レヴィンソン・R=ネヴィット=スタンフォード『権威主義的パーソナリティー(The Authoritarian Personarity.)』として発表され、日本でも、その一部分が『権威主義的パーソナリティー』(1980.青木書店)として発行され、それらをふまえて、曽良中清司『権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム』(1983.有斐閣選書)が発刊されました。
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 ↑(左)T=W=アドルノ他『権威主義的パーソナリティー』(1980. 青木書店)
   (右)曽良中 清司『権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム』(1983. 有斐閣選書)

  M 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕の自分は他の人とは違った特別の能力のある人間だと主張したがる精神構造、それも、自分だけ単独でではなく、その時の権力についている者や有名人と自分を一緒にすることで自分を特別の人間であるとしようとする精神構造。 そういったものが、民主主義の方向のものかファシズムの方向のものかといえば、それは、ファシズムの方向のものと言わざるを得ないのです。
  松井秀喜とイチローと自分の3人が特別な能力の人間だ、という主張は、あほくさい、漫画みたいな主張で、お笑いみたいですが、単に笑ってすますわけにもいかない、危険な思想の表れであり、そういった人とそういう人を理事長として特別な人扱いをし、そういう人に「倫理を教えてもらおう」「M山先生に倫理を教えてもらいなさい」と主張する団体というのは、民主主義の方向の団体かファシズムの方向の団体かといえば、ファシズムの方向の団体であると判断せざるをえません。

  千葉市長の熊谷俊人が、R研究所(=R法人会)の「セミナー」に講師として出席することにより、R研究所(=R法人会)の宣伝役をおこなっています。 熊谷俊人は、早稲田大学の出身だということですが、熊谷くんは、こういうことを理解できないのでしょうか。日本の大学の中では、早稲田大学という大学は「玉石混交」の度合いが大きい大学であると思いますが、熊谷くんは、いったい、学校で何を勉強してきたのでしょうか。
※千葉市長の熊谷俊人については、
「千葉市 ホームページ 千葉市長プロフィール」
http://www.city.chiba.jp/somu/shichokoshitsu/hisho/profilekumagai.html 他参照。

  R研究所(=R法人会)が、《理事長のM 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕に(松井とイチローとともに)他の人と違った特別の能力がある》と主張するのは、オウム真理教(現「Aleph」)が、《教祖の麻原彰晃(松本智津夫)の血液に特殊なパワーがあることがわかった》と主張するのと酷似しており、
 R研究所(=R法人会)が、本来は、各人が自分で考えて決めるべき倫理を《理事長のM 山先生に教えてもらいなさい》と主張するのは、オウム真理教(現「Aleph」)が、《麻原彰晃教祖に帰依しますか。》と要求するのと酷似しています。
 
 R研究所(=R法人会)は、「今のところ、サリンを散布していないオウム真理教」のようなものです。 
 自分で考えて決めるべきことを、「教祖」や「理事長」にゆだねさせようとするのが民主主義の側の動きでないのは当然ですが、たとえ、今のところ、サリンを散布していないとしても、自分で決めるべきことを「教祖」や「理事長」にゆだねるという精神態度をとるようになった人間というのは、「教祖」や「理事長」が《サリンを散布しなさい。サリンを散布するのが倫理です。》と言えば、それに従いやすい傾向の人間であるということです。 オウム真理教の裁判において、ある裁判官が判決の読み上げの中で、「修行をするというのは良いことですが」と言い、しかし、こういう犯罪をおこなうのは良くない・・・というように話したのが新聞に載っていましたが、その裁判官の認識は正しくありません。なんでも、「修行」と称すれば、「良いこと」になるのではありません。価値判断・倫理の判断を自分でおこなわずに、「教祖」や「理事長」にゆだねようとする「修行」は害があるのです。R研究所(=R法人会)は「社長の言うことは何でもきく練習」としての「『はい』の発声」などというものまでさせていますし、そういう「研修」もおこなっています。社長の言うことなら、なんでも「はーい」、理事長の言うことなら、なんでも「はーい」という態度をとるように「研修」「セミナー」をしているのです。
  そういう団体に加担している熊谷俊人に、千葉市民は、次の選挙において、決して投票するべきではありません。民主主義の側を選ぶのか、ファシズムの側に加担するのか、日本国民は、あなたは、その点をよく考える必要があります。決して判断を間違えてはなりませんし、その判断を「R研究所(=R法人会)のM 山先生に教えてもらおう」などと考えてはなりません。自分で考えなくてはいけません。

  最後に、R研究所(=R法人会)の「特別な能力を発揮するM 山先生に、どうしたらそういう能力を発揮できるのか教えてもらおう」「倫理について、M 山先生に教えてもらいなさい」という主張と正反対の言葉を書き記して、今回のブログの終わりにしたいと思います。

 「前進しようとする青年たちはたいてい指導者を求めようとしている。 けれども私は敢えていう。 彼らは永遠にたずね当てないだろうと、
青年はどうしてあの金看板をかけている指導者を求める必要があろう。
それよりは友を求めて、一しょになって、生存できると思われる方向へ歩くに越したことはない。
(魯迅『両地書』)

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  《理事長のM 山敏雄〔訂正。M山敏秋〕に(松井とイチローとともに)他の人と違った特別の能力がある》と主張し、本来は、各人が自分で考えて決めるべき倫理を《理事長のM 山先生に教えてもらいなさい》と要求する、
精神構造がオウム真理教と酷似している R研究所(=R法人会)のホームページは、
http://www.rinri-jpn.or.jp/index-s.html

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以上は、「私が勤務する建築会社のホームページとリンクした私のブログ」に掲載した、そのブログの第35回のもので、この第35回≪パロディ版の麻原彰晃~R研究所(=R法人会)の、一見、漫画チックなファシズム≫は、2010年(平22年)12月20日に「公開」させていただいたものです。 事情により削除いたしましたが、私は、削除したものは内容のあるものと思っており、又、いったん、「公開」したものは、作成者のみのものではなく、賛否にかかわらず、読んでくださった方・読みたいと考えてくださる方と共有のものという性質をもっており、作成者といえども、「記憶違い」のものの訂正、補足、「入力ミス」の訂正などは良いと思いますが、完全な削除は、好ましくないと考え、ここに、「引っ越し掲載」させていただきます。(建築家+建築屋)÷2 〔より正確には (49×建築家 + 51×建築屋)÷100〕 のブログ 、もしくは、。(建築家+建築屋)÷2のブログ と記したものは、「引っ越し掲載」です。 よろしくお願いいたします。
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  住宅建築業・不動産業の業界におけるR研究所=R法人会による汚染の進行について、心から憂慮いたします。

  上記の文章について、一部、正確でないところがありました。それは、R研究所=R法人会の創立者のM山敏雄 と現・理事長のM山敏秋 とを混同していたところです。私は、もともと、R研究所=R法人会などとは、かかわりたくないと思ってきた人間であり、千葉県のリフォーム会社のWホームで、社長からR研究所=R法人会の研修に行くように「強いお誘い」を受けた時にも、できる限り穏便にお断りさせていただこうと努めたのでした。そのように、この種の団体とはかかわらないようにしようとしてきた人間であるので、もともとは、特に、よく知っていたわけでもなかったのです。
  Wホームにあった『職場の教養』という冊子に書かれていた、松井とイチローとM山○○とが一般の人と違った能力を発揮できる、という話のM山○○という人間は、創立者のM山敏雄のことだと思い込んだのですが、R研究所=R法人会のホームページhttp://www.rinri-jpn.or.jp/profile/founder.htm を見ると、創立者のM山敏雄は、1951年(昭和26年)に他界しており、松井とイチローとM山○○とが一般の人間とは違った能力がある、とかなんとかいうあほくさい主張をしているのは、50年以上前に他界している創立者のM山敏雄ではなく、「PHP INTERFACE 人名事典 丸山敏秋」http://www.php.co.jp/fun/people/person.php?name=%B4%DD%BB%B3%C9%D2%BD%A9 によると1951年(昭和26年)生まれの現・理事長・M山敏秋のようです。 
  ということは、戦前・戦中の教育を受け、戦前・戦中の時代の風潮を受けた、私の父などの世代のある意味で気の毒な人・・・というわけではなく、第二次世界大戦の終結、「敗戦」であれ「終戦」であれ、それは、1945年(昭和50年)であるので、正真正銘、戦後の時代、私とたいしてそれほどは変わらない時期に生まれ、私と同様に、戦後民主主義と言われる時代に育った人間であり、そして、年齢としても、明治25(1892)に生まれて、現在生きていれば119歳という、申し訳ないけれども、もうぼけてきている人が言っているのではなく、2011年1月現在で59歳という、まだ、世間では働いてメシを食っている年齢の人間であり、そういう人間が、松井とイチローとわし~い が一般の人間と違った能力を発揮できる人間、とかいうあくさいことを言っていたのでした。それは2006年のことでしたが、その時点で、55歳という、本来なら分別ざかりともいうべき年齢であり、もはや、このバカに情状酌量の余地はありません。

  ≪ 日本における「宗教右翼」の台頭と「つくる会」「日本会議」 ≫http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1179.html を、ぜひとも、御覧いただきたいと思います。 R研究所=R法人会の理事長・M山敏秋は、歴史教科書を、戦前型の神話から始める、歴史とは言えない、「天皇を中心とする人物中心の歴史物語」に置き換えようとし、第二次世界大戦中の、中国・朝鮮の人たちに対する日本軍の暴虐行為を歴史教科書から削除させようと働きかけてきた、けしからん連中のひとりなのです。 現在、中国や韓国とのビジネスをおこなっている会社・おこなおうとしている会社は少なくないと思います。 第二次世界大戦中の問題点は、きっちりと把握・認識して、その上で、中国・朝鮮の人たち(ここで「朝鮮」とは大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との両方の人達を言っています。)との関係を構築しなければならず、日本に都合の悪いことは削除してしまおうなどという姿勢は許されることではありません。 一方で、中国などとのビジネスをおこなおうと努め、一方で、歴史を書き換えようと働きかけるM山敏秋が理事長を務めるR研究所=R法人会に、従業員までまきぞえにして参加しようという、会社経営者の思考は、理解できるものではありません。

  そして、そのM山敏秋という男は、戦前・戦中の時代の影響を受けた気の毒な人でもなく、単なる恥知らずなバカ・白痴でしかないのです。

  そういうR研究所=R法人会が、建築・住宅・不動産の業界にも浸透してきており、そして、そういうヤヤコシイ団体にとりつかれた会社には長居しない方が良いと、苦労して転職しても、R研究所=R法人会は、転職して移った会社まで、ストーカーのように追いかけて来るのです。 となると、逃げるのではなく、闘わざるをえない、ということになってきます。

  しかし、「宗教右翼」と言われる団体の中でも R研究所=R法人会が悪質なのは、会社、特に、オーナー経営の会社の経営者に取り入り、あるいは、経営者と取引上の便宜と引き換えに、その会社の従業員に、R研究所=R法人会の研修に参加させて、洗脳していこうという戦略を取っている所です。
  「宗教の団体」であれ、「倫理の団体」であれ、「修養団体」であれ、どういう言い方をしようが、これが、卑怯なやり方でないと言えるわけがないでしょう。

  R研究所=R法人会の正体に気づかずに、「人脈を作る為」などという名目でR研究所=R法人会の集会に参加したり、参加させたりしている人がいるようですが、その「人脈」は、長い目で見て、プラスの人脈でしょうか? よく考えてみる必要があるのではないかと思います。

〔 この稿は、「哲建ルンバ」としては、第35回ということになります。 〕

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