ブログ「哲建ルンバ」開始!~バックミュージックは「マツケンサンバ」で・・・

〔第1回〕   作成者は、かつて、哲学徒であったはず・・でした。 何の因果か商学部に入学してしまって商学部を卒業し、住宅中心に建築業界に勤めてきましたが、人間としては、哲学徒で詩人と今も思っています。ロスタンの戯曲『シラノ=ドゥ=ベルジュラック』では、シラノを「詩人で名剣士、科学者で、しかも、音楽家」と表現しています。若い頃、そうなろうと思った時期がありましたが、そうなったとも言えません。 かつては、『シラノ=ドゥ=ベルジュラック』をいい話だと思ったものですが、今現在では、本当に争わないといけない事の為に無用な争いを避けるという姿勢を見につけていない未熟な生き方と、女性に対して自分を売り込むことのできない「営業力」不足、など、それほどすばらしい話ともキャラクターとも言えないようにも思えてきましたが、かつて、自分のあり方として、「詩人で名剣士、科学者で、しかも、音楽家」と構想した者として、今も『シラノ=ドゥ=ベルジュラック』には思い入れがあります。

  私は、現在、通信課程の大学建築学科に在学中ですが、仕事が忙しく、今のところ、ほとんど、レポートも提出できず、試験も受験できておらず、はたして、卒業できるかどうかわかりません。 20歳台に商学部を卒業してから、住宅建築請負業の会社に勤務し、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・宅地建物取引主任者・2級建築施工管理技士などの資格を取得して、20台で卒業した大学の学部は「商学部商学科」であっても、「自分の意識としての学歴」としては、「商学部建築学科」のように考えています。もし、今、在学中の通信課程の大学を卒業できたあかつきには、建築学科は「造形学部建築学科」であっても、私の場合は、「商学部建築学科」のようになると思っています。

  現在の職場で、会社のホームページとリンクしてブログを作成してほしいと言われて始めましたが、会社のホームページとリンクしたものには、それにともなう制約がでてくるので、あくまで、自分自身のブログとして、これを作成することとしました。

  「哲」は哲学の哲で、「建」は建築の建です。私は、最近の現代建築には心がないと幻滅を感じています。特に、丹下健三のエピゴウネンみたいな「建築家」はろくなものを作らない。 太宰治が入水自殺をした時に、三島由紀夫が≪「冷水マサツ」でもすればいいといったことがあり≫、三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地にのりこんで割腹自殺をおこなった時に、「作家で精神科医」の なだ いなだ氏 が、≪あなたも、「冷水マサツ」をすれば、よかったのでしょうね≫と「朝日ジャーナル」で述べていましたが(なだ いなだ「お静かにお眠りください」 〔「朝日ジャーナル」1970年12月6日号〕)、現代建築には「冷水摩擦でもさせてやりたい」と言いたくなるものが少なくない。 ウィリアム=メレル=ヴォーリズは、変わった建物が良い建物ではない、教会堂は特別の建物である必要はない、と語ったというが、心のある人間なら、特に変わった建物を作ろうとしないで、普通の建物を作っても、そこに、心の奥底からにじみでてくる精神が表現されると思う。 「冷水摩擦でもさせてやりたい」ような「建築家」を見ると、建築の勉強はもうやらなくていいから、それよりも、中原中也の詩集でも読んでみたら・・と言ってやりたくなります。

  「哲建(てつけん)ルンバ」は、「松健サンバ」をもじって命名したものです。 野村克也が楽天の監督時、巨人との交流戦で、9回裏、2点差で楽天リード、巨人の攻撃で、2死走者1塁から巨人の選手が二塁盗塁をはかってアウトになったのを、試合後、「バッカじゃなかろか、ルンバ♪」と語ったことがあったようですが、(私がその記事を見たのは「夕刊フジ」か「日刊ゲンダイ」のいずれかであったと思います。) 建築の仕事をしていて、あるいは、それ以外の問題でも、「バッカじゃなかろか、ルンバ♪」と思ったことも、時として語ることになると思って、命名しました。
※「バッカじゃなかろか、ルンバ」については、
《YouTube――バッカじゃなかろかルンバ! 》http://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM
《YouTube――野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》 http://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 参照。

  小谷敦という人が『『こころ』は本当に名作か』(新潮新書)で、アレクサンドル=デュマの『モンテ=クリスト伯』を通俗小説だと述べていますが、それは、小谷氏の読みが足らないか、もしくは、『モンテ=クリスト伯』の内容を実感できるだけの人生を小谷氏が経験していないからか、どちらかでしょう。『モンテ=クリスト伯』は名作です。最近、『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカバリー・トウェンティワン)なる本が書店に平積みにして置からてあるのを見かけます。高校2年の「倫理社会」の授業の時、倫理社会の先生が、「ニーチェなんかの本を読むと、なるほど、と思いませんか。」と話されたことがありました。私は、高校生の時に、『ツァラトゥストラはこう語った』『この人を見よ』と角川文庫から出ていた『若き人々への言葉』を読み、「なるほと」と思ったような気がしましたが、その後、何十年か生きてきて、それはわかったことにならないのではないか、と思うようになりました。その倫理社会の先生が、どのように思って言われたのかわかりませんが、ニーチェの著作を本当に理解するには、人生の苦しみを経験して、それからであって、高校生が「なるほど」と思ったとしても、それは、わかったような気がしているだけではないのか・・・というような気も今はしています。 それを、『超訳 ニーチェの言葉』のように、それぞれの書物から部分部分を抜粋して集めたものを読んでも、わかったことにならないのではないか。 むしろ、一冊でいいから、最初から最後まで読んだ方が、まだしもよく、かつ、読書と人生経験との両方で理解できるもので、断片を読んでも理解できるものではないのではないか、というような気がします。 『モンテ=クリスト伯』もまた、読んで、本当に感激するには、多少なりとも、「モンテ=クリスト伯(ダンテス)」のような思いをする経験が必要なのかもしれません。

  私が大学を卒業する頃には、「就職の面接で良く尋ねられる質問」として、「尊敬する人物は誰ですか」というものがあり、それに応えられるようにしておかないといけないし、「尊敬する人物」がないようでは情けないし、父親だのと言っているようではだめで、他に尊敬できる人物はあるはずだ、と大学の就職ガイダンスで言われたのを覚えていますが、最近では、支持政党を訪ねる、信仰している宗教を訪ねる、今住んでいる家が持ち家かどうか尋ねる、などの質問とともに、企業に対して、「面接で訪ねるべきでない質問」とされていると、厚生労働省の関連の就職支援のセミナーで聞きました。 私が、6カ月在籍した、千葉県八千代市の、建築もおこなっているが不動産の方が中心というT住宅では、面接の時に、その当時の社長Kさんから、「今の家は持ち家ですか」と質問されて、何のつもりできいているのか、特に、常務(現在は社長)の人相が悪かったこともあって、その「持ち家ですか」という質問をされたことに、気味悪さを感じたのを覚えています。T住宅は、持ち家かどうか、面接で尋ねて、いったい、どうしようというのでしょう。 支持政党を尋ねてはいけない、とされていても、尋ねる会社はあり、私が大学を卒業するころには、その質問に対して「逃げる方法」として、「新自由クラブのようなものに魅力を感じたりすることもあります」などという答え方があるらしい、と「朝日ジャーナル」の記事に掲載されていたのを見たことがありました。支持政党を尋ねる、宗教を訪ねる、などは、思想・信条の自由、信教の自由という点から好ましくないと思いますが、しかし、「尊敬する人物」については、私が、採用する側である場合には、ちょっと、尋ねてみたい気もいたします。たとえ、面接用に準備した「尊敬する人物」の名前であっても、どういう人を「尊敬する人物」として用意するのかで、その人の人柄が、ある程度わかるようにも思いますし、「千里の道も一歩から」と言うように、ある人を尊敬する人物と考えている人というのは、その人自身が、その「尊敬する人物」と似た人、近い人であることが少なくないように思います。 私にとって、実在の人物ではなくアレクサンドル=デュマの小説の主人公の名前ですが「モンテ=クリスト伯」、そして、詩人の中原中也は、「尊敬する人物」というよりも、私の分身のような気がする人物であり、ウィリアム=メレル=ヴォーリズは、建築を仕事としてきた者として、最も、親しみを感じる「建築家」であるので、「ブログ用ニックネーム」を「モンテ=クリスト伯+中原中也+ヴォーリズ」とさせていただくこととしました。

  建築屋が仕事なので、建築・建築屋の話題が多くなるかもしれませんが、話題はそれに限りません。 私は、高校の頃、哲学・心理学を専門に学びたいと考えていた人間で、それが何の因果か商学部に行って卒業したという者なので、卒業後、建築の業界に勤めて、建築・住宅・インテリアを学んでも、その根底には、一方で、哲学・心理学があり、別の一方に、マーケティングや経済学があります。だから、心に哲学も詩もなく、顧客のニーズも無視して、「建築は爆発だあ~あ」みたいに、わざわざへんてこりんなものを作って、それで、芸術家になったようなつもりでいる「建築家」を見ると、「バッカじゃなかろか、ルンバ♪」とでも言ってやりたくなります。

  「マツケン(松健)サンバ」については、
「YouTube-Matsudaira Ken 2005」 http://www.youtube.com/watch?v=sKFGJegccPI&feature=related 他をご参照ください。松平健は、歌手ではなく役者だけあって、歌は時々音程が狂いそうになりますが、演技はうまいと思います。
  なぜ、≪バックミュージックは「マツケンサンバ」で・・・≫かと言いますと、苦しい時こそ、笑い飛ばそうではないか、苦しい時こそ、苦しい顔をしないようにしようではないか、という考えです。
  今の勤め先で採用してもらうまで、何社も不採用にされた時、ルチアーノ=パバロッティの歌うCDの中に、レオンカヴァッロ(R=Leoncavallo)のオペラ『道化師(パリアッジオ)』の中のアリア、「衣装をつけろ」があって、これを聞き、さらに、プラシド=ドミンゴがタイトルロールを演じる『道化師』のDVDを買ってきて見て、さらに、楽譜を用意して、このアリアを歌ってみて、それで、・・・・こんなもの歌っていたら、かえってだめだ、と思ってやめました。

  ≪妻のネッダの浮気を知った旅回りの道化一座の座長カニオが、怒りと悲しみに震えながらも、道化はそんなときでも客を笑わせるのが仕事と、・・・うたうアリア≫で、
   芝居をするか!
   逆上しているこの最中に
   俺は何を言っているのか、何しているのか自分でもわからない
   それでもやらにゃあいかんのか
   我慢してやるんだ!
   ああ、それでもお前は人間か?
   お前は道化師なんだ!
   衣裳をつけろ、白粉(おしろい)をぬれ
   お客様は ここに金を払って笑いにくるんだ。
   もしアレッキーノがコロンビーヌを盗んでいっても
   笑うんだ道化師よ、それでお客様は拍手喝采さ!
   苦悩と涙をおどけに変えて
   苦しみと嗚咽(おえつ)を作り笑いに変えてしまうんだ。
   ああ! 笑うんだ道化師よ、お前の愛の終焉(しゅうえん)に!
   笑え、お前の心に毒を注ぎ込む
   その苦悩を!
     (永竹 由幸 訳 。 『3大テノール愛唱歌集』2000. 音楽之友社 所収)
という内容ですが、なかなか、勤め先が決まらないと、どうしても、気分もうっとうしくなり、表情も暗くなりがちですが、そうなると、面接の際に良くないので、たとえ、どんなに暗い状況であっても、道化師が、妻の浮気に怒りと悲しみに沈んでいる時でも、客を笑わせようと陽気にふるまおうとするごとく、明るくしようと、プラシド=ドミンゴかルチアーノ=パバロッティが歌うように、上の内容の歌詞の歌を歌ってみると、・・・なんだか、なおさら、うっとおしくなってきて、こりゃあ、だめだわ・・・と思うようになったのでした。

  小学館から隔週発行されている漫画雑誌『ビッグコミックスペリオール』に、何年か前、『笑門(わらかど)』という漫画が載っていたことがありました。「笑門(わらかど)」とは、「笑う門には福来る」を略したものらしいのですが、まがりなりにも、お寺の住職のくせに、大阪市浪速区の今宮戎神社の十日戎の時に、福笹の販売をアルバイト(?)でやっているオッサンが、うっとおしい・暗い・沈んだ顔で今宮戎神社に来た自営業の男に、「こらあ! お前、何をうっとおしい顔しとるんじゃあ。 お前は、事業がうまくいかないから、うっとおしいしみったれた顔してると思っとるやろうけれども、逆やぞお。お前みたいな、うっとおしい、しみったれた顔しとったら、客も逃げてしまうわ。お前が、そんな、うっとおしい、しみったれた顔してるから、事業がうまくいかないんじゃあ。いいか、こらあ。とにかく、笑え~え!」と話す場面がありました。
  それで、思ったのです。「笑うんだ道化師よ、・・・お前の愛の終焉に! 笑え、お前の心に毒を注ぎ込む その苦悩を!」「俺は何を言っているのか、何しているのか自分でもわからない それでもやらにゃあいかんのか 我慢してやるんだ! ああ、それでもお前は人間か?」というような文句の歌を、真剣に歌っていたのでは、ますます、うっとおしくなってしまうし、オペラ『道化師』では、実際に、一幕の終わりでこの歌を歌った座長・カニオは、二幕の終わりに、妻・ネッダを刺し殺すことになるのです。 
  それで、どうすればいいかというと、マア、オペラ『道化師』の中のアリア「衣裳をつけろ」みたいな歌を真剣に歌うよりは、何の意味か良く分からないけれども、あんまり深く考えないで、大きな声で、「しょーばい、はんじょーで、笹もってこーい。」「しょーばい、はーんじょーで、笹もってこーい。」とでも叫んだ方が、マア、なんとなく、いいんじゃないか・・・と思ったのです。
  ・・・・ということで、今も求職活動中で苦しんでいる方は、『道化師』の中のアリア「衣裳をつけろ」を歌うよりは、「しょーばい、はーんじょーで、笹もってこーい」とでも叫んだ方が、どちらかといえば、いいような気がいたします。

  それで、マア、今までの人生で、いいことがあったかというと、あんまりなかったような気もするし、今、とにかく、仕事にはついているけれども、これからうまくいくかどうかわからない。そういう時には、「しょーばい、はーんじょーで、笹もってこーい」みたいに、あんまり深く考えないで、景気良く笑いとばそうではないか。真剣に考えながらも、一方で、陽気に笑おうではないか、ということで、バックミュージックというのかテーマソングというのかは、「マツケンサンバ」とさせてもらおう・・・と考えたのでした。

  もし、このブログを読んでくださっている方で、失業中で、何社か不採用にされて、面接を受けに行くけれども、明るい顔をしろと言われても、暗い状況で、できないという方がおられたならば、「しょーばい、はーんじょーで、笹もってこーおい」と叫ぶか、もしくは、「マツケンサンバ」を振付・踊りつきで歌ってみるといいかもしれません。私の経験から考えて、オペラ『道化師』の中のアリア「衣裳をつけろ」よりはいい・・・と思います。

 苦しいこと、悲しいこと、腹が立つこと、を述べるときでも、それでも、マツケンサンバのリズムと踊りで述べていこう、という考えで。

  ・・・ということで、「マツケンサンバ」をバックミュージックとして、ブログ「哲建(てつけん)ルンバ」の始まりです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

    作成者ニックネーム : モンテ=クリスト伯+中原中也+ヴォーリズ

※参考文献
ロスタン『シラノ・ドウ・ベルジュラック』(岩波文庫)
「朝日ジャーナル ’84/4月15日増刊号 《朝日ジャーナル》25年の軌跡」(1984.4.15. 朝日新聞社)
中村 稔『中也のうた』(1970. 社会思想社 現代教養文庫)
小谷 敦『『こころ』は本当に名作か』(新潮新書)
アレクサンドル=デュマ『モンテ=クリスト伯 (一)~(七)』(岩波文庫)
ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき 上・下』(新潮文庫)
ニーチェ『この人を見よ』(新潮文庫)
(ニーチェ)『若き人々への言葉』(角川文庫)
『3大テノール愛唱歌集』2000. 音楽之友社


「マツケンサンバ」については、
「YouTube-Matsuken Sanba II 」http://www.youtube.com/watch?v=5PdIrUfe4qo  他をご参照ください。

「ウィリアム=メレル=ヴォーリズ」については、
「一粒社ヴォーリズ建築事務所」ホームページ http://www.vories.co.jp/
「ヴォーリズ記念館」ホームページ http://vories.com/
「ウィキペディアーウィリアム・メレル・ヴォーリズ」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA 他をご参照ください。


(追記)「死ね!」というコメントを入れられた方へ。 《〔第46回〕私のブログに「死ね!!」というコメントを入れられた方へ。》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201107/article_2.html を公開いたしました。 よろしくお願いいたします。 (2011.7.20.)

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この記事へのコメント

哲建チンポ
2011年07月18日 17:20
死ね!!

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