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zoom RSS 皮むかなくていいから蜜柑より林檎 VS 種無しブドウを皮むいてもらいスプーンですくって食うKOボーイ

<<   作成日時 : 2017/06/04 22:51   >>

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[第299回] 
   前回、《駅弁売場を見ると思いだす。偏食自慢の慶應内部進学。千葉工大は新幹線に乗せて私には出さなかった小堀住研》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_2.html の続きです。

   私が父に感謝していることが2つある。 
   ひとつは、父は相当のスモーカーであったにもかかわらず、私には煙草を喫わさなかったことである。 自分は煙草を喫っても、私には「煙草は喫わない方がいい」と言ってくれたことである。
   自分は煙草を喫っても、それが健康にいいとは思っていなかったようで、できれば喫わない方がいいと思いながら、やめることができなかったらしい。 いいと思わなかったのなら、なぜ、喫ったのかというと、それは、学徒動員で行った軍隊で覚えてしまった、というのだ。 なにしろ、父は戦中世代だったから、「わしらは軍隊で鍛えられた」「満州で苦労した」と日常的に口にしていた。 私は、最初、それを本気にしていて、そして、「満州で苦労した」という方は、映画『二百三高地』に出てくるような「旅順要塞の攻防」みたいなことを、毎日、やっとったのかと思い込んでいたのだ。〔⇒《YouTube-映画「二百三高地」劇場予告》https://www.youtube.com/watch?v=UdTze_0gXb4 〕 しかし、落ち着いて考えてみると、父が満州に行っていたという時というのは、満州事変(1931年)より後、盧溝橋事件(1937年)より後であり、「旅順要塞の攻防」(1904年、日露戦争)なんてやっていたわけではないし、また、満州に行っていた人でも、最後、日本が敗北した時点で(1945年)満州にいた人は引き上げるのに大変だったらしいが、父は満州に行っていたといっても、敗戦の時点では日本国内にいて、明石の高射砲隊にいたというようなことを言っていたので、満州にいた時というのは、ソ連軍が攻めてきて中国人も日本人を敵視して攻撃してきた中を逃げてきたというわけでもなく、具体的な戦闘があったわけでもない時期に満州にいたわけであり、その「満州で苦労した」というやつは、どうも、胡散臭いと気づいてしまったのだ。
   いつであったか、野坂昭如が「終戦記念日」にテレビで語っていたのだが、かつて、戦中には、「怖いものといえば、関東軍」「無茶苦茶やるものと言えば、関東軍」「強いものと言えば、関東軍」と言われたくらい、満州に駐在した関東軍は日本軍においては強力な軍隊だったが、敗戦直前においては、満州にいた関東軍を沖縄に移していて、満州に残っていた関東軍は、もはや、「ハリコの虎で実力はたかがしれている」ものだった。それを軍人は知っていたので、満州から引き上げる時も軍人は列車に乗って日本に引き揚げたが、民間人は知らなかったので、ソ連軍が攻め込んできたとしても関東軍がなんとかしてくれるのではないか、とか思っていた。だから、敗戦の時に満州にいた民間人は大変な思いをして引きあげたが、それより前においては、満州というのは、「満州は日本の生命線だ」と言われて、だから、その「生命線」に行く人というのは、軍人にしても民間人にしても大事にしなければいけない、ということで、満州に行っていた人間というのは日本国内にいた人間よりも食べるものも着るものもいいものを食べさせてもらいいいものを着せてもらっていた、というのだ・・・・・ということは、なんか、父が話していたこととずいぶんと違うわけだ・・・・。 どうも、あのおっさんにしてやられていたみたいな・・・・。冬の満州はものすごく寒く、日本の東京や大阪の冬とは全然違い、外で立小便なんてうかつにしようものなら、地面につくかつかないかのうちに凍ってしまう、とかいう話で、そういう寒さとかいった点では「苦労した」かもしれないが、それ以外の点においては「満州で苦労した」という話は、眉にツバをつけて聞いた方がよかったようだ。
   その「満州で苦労した」という満州に行っていた時、日本の軍隊では、煙草を一人何本と均等に配給されたらしいのだ。喫う人間にも喫わない人間にも。それで、父は煙草を喫わなかったので、煙草を喫う人にそれをあげていたそうだ。 煙草を喫う人にとっては配給される本数では足らないので、もらうとものすごく喜び、そして、ものすごくおいしそうに喫ったという。 それを見て、煙草ってあんなにおいしそうに喫うくらいおいしいものなのだろうか、と思い、均等に配給されているのに、それをただであげるのはもったいないような気がして、それで、そんなにいいものなら、自分で喫わないと損だと思って喫ったのが始まりで、それ以来、煙草を喫うようになり、その後、健康によくないと思ってもやめられなくなってしまった、というのだ。 それで、自分は煙草を喫っていても、できれば喫わない方がいいと認識していたので、自分は煙草を喫っても、私には「煙草は喫わない方がいい」と言ってくれたのだ。
    もうひとつは、イスラム教徒は豚は穢れた動物であるから食べてはならないとされているのと同様(『旧約聖書』の『レビ記』だったかどこかにそういう文章があるらしい)、父は、食べてはならないものというのをいくつか戒律のように持っていたのだが、あくまでも、自分が「食べてはならない」ということであって、私に食べてはならないとは言わなかった、という点である。 大学生であった時、夏休みに、実家に帰っていた時、母が足を捻挫したことがあり、捻挫というのは骨折よりも軽いと思っている人がいるがそうでもなく、しばらくは、自分の足で立って歩くことはできなかった。母は、立って調理することはできないので、夏休みの間、食事の準備と片付けは私がやった。 その際、レタスでも、全体が黄緑色のレタスなら、父は食べるのだが、先端が紫色をしたサニーレタスの場合、父は「これ、気持ち悪い。要らん」と言って食べるのを拒否したのだ。 但し、「気持ち悪い」ものなら、息子にも食べさせてはならないと判断はしなかった。 あくまでも、「気持ち悪い」のは自分がであって、私にはその「気持ち悪い」ものを食べろと言ったのだ。 「これ、気持ち悪い。要らん。あんたが食べなさい」と。 そういう人だった。
    なんか、父が「これ、気持ち悪い。要らん」と言うものは私が食べるもの、ということは、なんだか、私は残飯整理の豚みたい!・・・・・ではあるが、「これ、気持ち悪い。食べてはいかん」と言われたならば、私も先端が紫のサニーレタスは食べない人間になったのではないかと思うが、「これ、気持ち悪い。あんたが食べなさい」と父は言ったので、その結果、私は全体が黄緑色のレタスも先端が紫色のサニーレタスもどちらも食べる人間になった。むしろ、先端が紫色のサニーレタスにはその紫色の部分に他にはない栄養素があるのではないかという感じがして、サニーレタスの方が私は好きだ。 そういう調子で、常に、「これ気持ち悪い。要らん」と父が言ったものは、だから、「食べなさんな」ではなく、「あんたが食べなさい」と言ってくれたおかげで、私は偏食のない人間になったのだ。 「親に感謝」である。 まんまんまんまん。

    父は、炊事などは「女がやることです。甘ったれなさんな」と常々言っていたのだが、その割に「バターライス」なんてものを得意がって作っていたが、なんで? と思うと、軍隊で作ったらしいのだ。 だから、自分が作りたいと思ったものは作っていた。 が、やっぱり、「女のやること」なので、母が足を捻挫したような時に、食事の準備をするのは「女のやること」であるから父はやらないので、私がやることになった。私が性別として男であってもそんなことは何の関係もない。
    その際、「キャベツとレタスは、どっちがいいか」と父に尋ねると、父は常に「キャベツがいい」と答えたのだ。 そして、「リンゴとミカンはどっちがいいか」と尋ねると、これもまた、「リンゴがいい」と父は常に答えたのだ。なるほど、そういう人なんだなと思った。なぜ、キャベツとレタスならキャベツの方がいいかというと、「キャベツはあらかじめ切ってある」のに対して、「レタスは自分でちぎらないといけない」からである。なぜ、リンゴとミカンならリンゴがいいかというと、「リンゴはあらかじめ切ってある」のに対して、「ミカンは自分で皮をむかないといけない」からである。 しかし、「キャベツはあらかじめ切ってある」といっても、誰かがどこかで切っているから「切ってある」のであり、リンゴも「切ってある」のはどこかで誰かが剥いているから剥いてある・切ってあるのです・・・・が、そういう思考は父にはなかったようです。 だから、母が足を捻挫した時には、私がキャベツを切り、リンゴの皮を剥いて、父にわたし、父はそれを食べたのです。 そして、父は言ったのです。「あんたがわしに世話になったことはいっぱいあるけれども、わしがあんたに世話になったというものは、今まで、何ひとつとしてないんやからな」と。なるほど、そういうおっさんでした。私が父にリンゴをむいたのもキャベツを切ったのもその場で忘れる人でした。
    たしかに、生まれてから成人するまで、父が働きに行ってもらってきた給料から生活費を出してもらってきたのであり、その点では大いに感謝もするべきでしょうけれども、しかし、サニーレタスは食べれない、キャベツとレタスなら「キャベツはあらかじめ切ってある」からキャベツの方がいい、リンゴとミカンなら「リンゴはあらかじめ剥いてある」からリンゴの方がいい、というおっさんというのは、なんか、あんまりいいとは思えませんでした・・・が、ところが、ま〜だまだ上手はいたのです。

   慶應大学のあるサークルの合宿に行った時、「幼稚舎から慶應」という男Tが、食事の時、私などが、種無しブドウ(デラウエア)を普通に房からちぎって食べているのを見て、「おまえ、よく、そんなもの、食べるなあ〜あ」と軽蔑したような口調で言ったのです。 「よく、そんなもの、食べるなあ」と。 そんなに変わったものを食べているという意識はなかったので、何を言っているのか意味がわからなかったのですが、その男Tが言うには、「ひとに皮をむいてもらって、お皿にのせてもらって、スプーンですくってなら食べるけれども、そんなもん、自分でひとつひとつちぎって食べるなんて、そんなめんどうくさいこと、そんなおかしなこと、できるかあ。 ミカンでもそうだ。ミカンでも、皮をむいてもらって、カラスにしてもらってなら食べるけれども、そんなもん、自分で皮をむいて食べるなんて、そんなめんどうくさいこと、そんなおかしなことできるかあ」と。 ・・・・・・はあ? それが、「幼稚舎流種無しブドウ(デラウエア)の食べ方」「幼稚舎流ミカンの食べ方」ですか・・・・・。 はあ・・・・、なんか、かわいそうな育ち方してますなあ、あんた・・・・と思った。おかしな教育うけてきてますなあ、あんた・・・・と思った・・・・ところ、その男が言ったのだ。「外部の連中〔慶應の内部進学の人は大学から慶應大学に入ったという人間のことを「(慶應義塾の)外部の連中」とか「(慶應義塾の)外部の者」とか言います〕を教育してやらんといかんからなあ」と、そう言ったのです。 種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮をむいてもらってお皿に載せてもらってスプーンですくって食う男が。ミカンをひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食うという男が・・・・。 ああ、やっぱり、慶應だなあ、いかにも慶應だなあと思いました。 そういう人のことを、「本物の慶應ボーイ」とか「思考が柔軟な慶大生」とか「塾風を身に着けている本物の慶大生」とか「福沢精神を身に着けている」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「自我が確立されている」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのです。 だから、私なんかは、そういうのとは違うわけです。なにしろ、種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって自分で自分の口に運んで食べますし、ミカンは自分で皮を剥いて内皮のまま食べますから。「塾風を身に着けている」とか「福沢精神を身に着けている」とかは決して評価してもらえないのです。ましてや、「ギャルにもてもて」なんてとんでもない。まあ、別にそんな評価なんてしてもらわなくてもけっこうですけどね、そんな種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う男というのが「すてき!」「慶應ボーイ♪」とか言って喜ぶ「ギャル」とかいうのにもてたいなんて思いませんけどね・・・・。
   しかし、それにしても、「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」などと、よく言ったものだ、とあきれました。 おまえが「教育」すんのかあ? 種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う男が「教育」すんのかあ〜あ!?!?!? ・・・・と思いましたが、慶應の内部進学の人というのは、多かれ少なかれ、そんな感じのようです。
   慶應大学卒の男2人で構成された「シャインズ」というのが、「わたしの彼はサラリーマン」という歌を歌っていた時がありましたが、その最後のやつ、「わたしの彼は金持ちぼんぼん」というの。
「 わたしの彼は、金持ちぼんぼん♪
  財布は厚いが、常識うすい〜(うすい〜)!
  クルマも毛皮もみ〜んな、支払いはパパのカード♪
  グルメを気取っているけど、セロリと人参たべられない!
  ・・・・・でも、結婚するには、いいかもしれない♪ 」
というの、あれ、慶應の内部進学の人のことだと思います。〔⇒《YouTube-シャインズ 「私の彼はサラリーマン」 》https://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I  〕
   「種無しブドウ(デラウエア)はひとに皮をむいてもらってお皿にもってもらってスプーンですくってなら食う」、「ミカンはひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食う」というそういう人のことを「本物の慶應ボーイ」とか「独立自尊の精神を身につけている」とか「スマートな慶大生」とか「思考が柔軟」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのですが、卒業後、勤めた会社で一緒になった他大学卒の人にこの話をしてみたところ、「その人、かわいそうにね〜え」と誰もが言いました。 私も「かわいそうになあ」と思いますよ。種無しブドウ(デラウエア)というのは、自分で房からひとつひとつちぎって自分の口に入れて食べてこそおいしいのであり、ミカンは自分で皮をむいて内皮のまま食べてこそおいしいのであり、それができない、そういうことをするのは「異常」であるという「教育」を受けてきた人というのは、本当にかわいそうな人だなあと思います・・・・が、ところが、そういう人というのは、それを自慢にしているのです。 だから、そういう人が「かわいそう」というよりも、むしろ、そういう人に「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」などと言われる「外部の連中」の方こそかわいそうであり、「かわいそうなのは、こちらの方です」と言うべきです。
   先端が紫色のサニーレタスを「これ、気持ち悪い。あんたが食べなさい」と言って残飯整理の豚みたいな扱いを受けた私とサニーレタスを食べれない父とでは、やっぱり、サニーレタスを食べれない人の方が「かわいそう」な人だと思いますけれどもね。

   しかし、それにしても、慶應の内部進学の人間というのは、種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくってなら食う、ミカンはひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食う、というあたり、まったくつくづくかわいそうな人たちだなあと思うし、なんとも、間違った教育うけてきているなあとも思ったのですが、そう思っていたところ、慶應大学商学部の「会計学総論」という講義の最中に、商学部助教授で「中等部から慶應に行ってる」らしい黒川行治せんせいという方(男。当時、30歳と聞いた)が、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。わかってんのかあ。 おまえら、(慶應義塾の)外部の者は、自分たちは偏差値がいい優秀な人間だとか思ってるんだろお。 そんなものは受験勉強だ。害があるんだ。 その点、われわれ内部進学の人間は塾風というものを身に着けているんだ。 我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ! 」と絶叫されたということがありました。 なんだ、こいつ! 種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うのが、それが「塾風を身につけている」かあ?!?! バカでねえの? こいつ、アタマ、おかしいんじゃないのか?!?!?! と思いました。
   だいたい、「おまえらは、自分たちは偏差値がすぐれた優秀な人間だとか思ってるんだろお」などと「中等部から慶應に行ってる」黒川行治せんせえはのたまわれたのですが、私なんか、大学受験の際、「偏差値」なんて考えたことはまったくなかった。 だって、普通に考えてみてくださいよ。 「偏差値」というのは、戦争中に銃が狙ったところと上下にどれだけずれるかというところから考え出されたもので、平均点から上か下にどれだけずれているかという数値であるわけです。 ある模擬試験を受けて平均点よりも高かったとしても、その模擬試験の受験者層の学力が低ければ、自分自身の「偏差値」は高いことになりますが、高くってもしかたがないじゃないですか。 それに対して、東大模試・東大オープンとかいった模擬試験を受けたとしますと、「偏差値」はなかなか高い数値にはなりませんが、そんなことはどうでもいいことなんです。 本番の試験で合格最低点より高い点数をとれば合格なんですから。1989年、巨人の監督に藤田元司が二度目に就任した時、読売新聞のスポーツ欄に掲載されていた藤田元司の言葉が「ボロ勝ち、競り負けは弱いチームのやること」というものだった。大学入試においても「ボロ勝ち」なんて別にしなくてもいいのです。合格最低点より1点でも上回れば合格なんですから。となると、「偏差値」なんてどうでもいいのですよ。 「おまえら、(慶應義塾の)外部の者は、自分たちは偏差値がいい優秀な人間だとか思ってるんだろお。」などと内部進学の黒川せんせいはおっしゃったのですが、私なんか、そんなこと考えたことなんて、まったくないよ。 受験者層の低い模擬試験を受けて「偏差値」が高くっても何の意味もない。東大模試・東大オープン・京大模試・京大オープンといった模擬試験を受けたなら、受験者層の学力レベルが高いため、「偏差値」は高い数字にはならないはずですが、そういう試験で「偏差値」が低くても別にそんなことどうでもいいのです。本番の試験で合格最低点を上回る点数さえとれればそれでいいのですから、模擬試験の「偏差値」が低くてもその模擬試験の受験者層の学力水準が高い模擬試験だというだけのことであり、模擬試験での「偏差値」なんてどうでもいいのです。
   そして、黒川せんせえはこうおっしゃったのです。 「経済学部なら、内部進学の人間の割合が大きいから、外部の者は内部進学の人間に教育してもらうことができるんだけれども、商学部は内部進学の人間の割合が小さいから、内部進学の人間に教育してもらうことができないから、だから、中等部から慶應に行っているこの僕がおまえら外部の者を教育してやってやろうとして話をしているんだ。 中等部から慶應に行っている内部進学のこの僕がおまえら外部の者に話をしてやっているんだから、だから、もっと畏まって聞きなさい。わかってんのかあ〜あ!」と。 こいつ、アタマ、おかしいのじゃないか!?! と思いました。 「ほとんどビョーキ!」て感じがしました。 実際、慶應の内部進学の教授・助教授にはこういう人が大変多い!
・・・・で、思ったのです。こいつも、種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うのじゃないか・・・・と。「内部進学流種無しブドウ(デラウエア)の食べ方」「ギャルにもてもての種無しブドウ(デラウエア)の食べ方」・・・・。 彼らはそういうのを「福沢精神」とか言うのですが、福沢諭吉って、そういう人でしたかねえ・・・・?????

   この慶應の内部進学の人の話を母にすると、母は「慶應の内部進学の人って、うちのお父さんとよく似てるわ」と言うのでした。 しかし、父は、偏食はあったけれども、種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって食べていたし、ミカンもカラスにしてもらわなくても自分で食べていたので、「うちのお父さんは、そこまでのことはなかったんじゃないの。 種無しブドウは自分で食べてたでしょ。ミカンもカラスにしてもらわなくても、自分で皮をむいて食べてたでしょ」と言ったところ、「それは、あんたが生まれてからのことで、結婚したころは、内部進学みたいなものだったのよ。結婚してから、こんなことでは子供のためによくないと思って、私が、少しずつ少しずつ、食べれるようにしていって、それで、あんたが生まれた頃には、自分で皮むいて食べるようになってたのよ」と言うのでした。
   でも、父は慶應の内部進学ではないのです。父は「わしは、同志社大学という立派な立派な大学を出ています」と言っていた・・・・のですが、ある時から「わしは、ほんまは慶應やねんぞお」と言うように変わりました。はあ?あんた、「同志社大学という立派な立派な大学を出ている」とか言ってたのと違うんかい。いつから、宗旨替えしたんや? と思ったのですが、どうも、私が慶應大学に入学してしまったため、父としては息子が自分よりも「上の大学」の行ったというのがとうてい許せることではなかったようです。それで、「わしは慶應やねんぞお。わしはあ」と言い出したのです。でも、行った大学は同志社だったはずなのですが、父が言うには「わしかて、家が貧乏やったから受けさせてもらえなかったから同志社に行ったけれども、あんたみたいに慶應を受けさせてもらえたら、間違いなく絶対に慶應に行きました」というのが、それが「わしはほんまは慶應やねんぞお」という論拠だったようです。
  で、私はどうなのかというと、「おまえは拓殖じゃ!」ということでした。私は「ほんまは拓殖」だそうです。「おまえは拓殖の民族じゃ」ということでした。で、私は「拓殖の民族」で父は「慶應の人格の人間」で「慶應の民族」だそうでした。言われてみると、たしかに、↑の黒川せんせえの御発言なんかと父の思想は似ているように思います。ですから、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』の中で、「精神の貴族」とか「精神の賤民」といったことを述べていますが、父は「精神の慶應」だったのでしょう。「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。おまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ」というそういう類の「人格」の人なんです。
   父は「おまえはロスケでイタコでチャンコロじゃ」と毎日のように私に言っていました。そして、「ニグロでプエルトリコ」だそうです。それに対して、父は「わしはドイツ人でアメリカ人やねんぞお」ということでした。そして、「このわしは、英雄ヒットラー総統やねんぞお」とも言っていました。 父は「ドイツ人でアメリカ人」で「英雄ヒットラー総統」で「慶應の人格」の人間だそうで、私は「ロスケでイタコでチャンコロ」で「ニグロでプエルトリコ」で「拓殖」だそうです。 なるほど、そう言われると、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。わかってんのかあ」とかいう慶應の内部進学の教授・助教授と「わしはドイツ人やねんぞお」とか「わしは英雄ヒットラー総統やねんぞお」というのは似ているように思います。父は「わしいのような優秀な人間に、あんたあが生まれてきたのは、これは生物学上の突然変異学説じゃ」とか言っていましたが、ああ、よかった、突然変異学説のおかげで、あんなのに似なくてよかった、本当によかったと思いました・・・・が、父と似なかったということは、人格的に「慶應タイプ」ではないわけですから、その点で、「塾風」とかを身に着けていないことになります。なんか、あんまり身に着けたくないのですよね、そういう「ほとんどビョーキ」みたいの。

   父は、自分が食べたくないものは、息子にも食べてはいけませんとは言わず、逆に、「あんたが食べなさい」と言ったわけですが、サニーレタスなんかはいいのですが、私が小学校に行くか行かないかの頃、家ですき焼きをした時、脂肪の塊があり、父は「こういうのは、あんたのような若い者は好きなはずや。食え!」と言って私に渡すので、私は「ええ? それ、食べるものなの? 」と言いましたが、父は「そりぁ、食べるものやろ。あたりまえじゃ。こういうのは若い者が好きなんじゃ。食え。食わんか。食え」と言うので、私は気持ち悪くてしかたがなかったのですが、無理に口の中に入れてなんとか喉の奥まで流し込もうとしましたが、どうしても気持ち悪くて食べることができませんでした。 父は、「おまえ、好きと違うんか。けったいなやっちゃなあ。普通はそういうのは好きなもんやのにからに」と言うので、それで、「お父さん、好きなら自分が食べられたらどうですか」と言ったところ、父は「何を言うとるねん。こういうのは若い者が好きなものなんや。わしは赤身を食うんじゃ。赤身を」と言うのでした。 ・・・・父が死んでしばらくした時、山科けいすけ『C級サラリーマン講座』という漫画に兎田係長というのが登場し、その脂肪の塊を食べるのを周囲の人間が見て、「おまえ、それは食べるものではないと思うぞ」という場面がありました。脂肪の塊というのは、それは、あくまでも、鍋に油を敷くためのものであって、そのもの自体を食べるものではなかったのです。 私は30過ぎてそれを知りました。 それを自分は食べることなく、息子に「食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食え。なんで、食わんのじゃ」と父は言ったのですが、そのあたりについては、「親に感謝せえよお。わしに感謝せえよお」と父は耳鳴りがするくらい呪文のように唱えていましたが、その点については、あんまり「感謝」したくないですね・・・・。「生活習慣病」(「成人病」)というのは、「生活習慣病」(「成人病」)になってからの食生活が悪いからなっているのではなく、生活習慣病(成人病)になるまでの食生活に問題があるからなっているのです。 子供の頃に鍋に油を敷くための脂肪の塊を食べたとしても、即座に「生活習慣病」になるというものではなくても、そういう食生活をしていたのでは長い目で見て「生活習慣病」になる方向に進む可能性が考えられます。鍋に油を敷くための脂肪の塊を「食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食え。食わんか」などと言って子供に食べさせようとする父親というのは、「スマートな慶應ボーイ」だか「ギャルにもてもて」だかなんだか知りませんが、あんまりいいとは思いませんね。

    私は、拓殖なんて学校は受けたこともなければ、当然、行ったこともないし、どこにあるのかも知りませんが、父が言うには私は「拓殖の民族」だそうです。 それに対して、父は「慶應の人格の人間」で「慶應の民族」だそうなのです。 ↑の幼稚舎から慶應の種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に載せてもらってスプーンですくって食う男Tとか、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞ。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ」の黒川行治せんせえとかを見て、そういう人を「慶應タイプ」と考えると、たしかに、父は「慶應タイプ」であり、「慶應の人格の人間」であり、「慶應の民族」なのかもしれないという感じがしてきます。 私なんかは、慶應大学の卒業証書をともかくもいただいたとしても、この点では、あんまり「慶應タイプ」ではないし、「慶應の人格の人間」ではありません。なにしろ、種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって食べますから。

   父は慶應に行きたかったらしい。これは姉も言っていたし、慶應に行きたかっただけあって、父が最も好きな大学は「慶應の経済」、及び、「慶應の経済」に似たタイプである「神戸大の経済」でした。 そして、私が最も嫌いな大学・学部というのが「慶應の経済」と「神戸大の経済」でした。 私が思うには、慶應大学は入学試験やらなくていいのじゃないかと思うのです。 入学試験はやらないか、もしくは、入学試験はやっても、経歴を調べて、小学校から高校まで全部私学で親戚に慶應大卒の人間がいっぱいいたなら、入試で零点でも合格、私みたいに、小学校・中学校・高校とすべて公立で、もともと、国立大学に行こうとしていた人間で、親戚中探し回っても東大・京大・阪大卒の人間はいても慶應卒の人間なんかどこにもいない、という者は、入学試験の成績が何点かにかかわらず不合格! とそうした方が、「塾風を身に着けた」人間を採用することができていいのではないでしょうか。 梶原一騎原作『巨人の星』でブルジョワ学校の青雲学園を受けた星飛雄馬が面接で、「きみのお父さんはどういう職業をしているのだね?」ときかれて、「父ちゃんは、日本一の日雇い人夫です」と飛雄馬が答えたところ、教頭が「はて、この生徒、どうしたものでしょうかね。学科試験の成績はほとんど満点なんですけれども」とPTA会長の伴大造に相談したところ、伴大造が「そりぁ、当然、ドロップじゃろ」と言い、教頭が「ドロップ? ・・・ああ、ドロップは『落ちる』ですか。当然、ですよね。日雇い人夫の息子を青雲学園に入れるわけにはいきませんよね。最低でもおかかえ運転手が送り迎えする家庭の息子・娘でないと青雲学園に入れるわけにはいきませんよね」と言うという場面があったが、そんな感じ。 そうやって、「アタマが慶應」の人間は入学試験の成績にかかわらず合格として、種無しブドウ(デラウエア)はひとに皮をむいてもらってスプーンですくって食べるような人の学校にすればいいのではないでしょうか。そうすれば、そういう「教育」は間違っていると考える私のような人間は入学しないことになり、互いに軋轢を生むことはなくなっていいのではないでしょうか。
   父が他界してから10年以上過ぎてから、母は言うことが変りました。かつては、父に同調していた母は、父が他界して10年以上過ぎると、そうではなく、「あの人、家が貧乏やったから慶應に行きたかったけれども受けさせてもらえなかったなんて、よくそういうことを言うねえ」などと言うようになったのです。「あの人、家が貧乏やったから慶應に行きたかったけれども受けさせてもらえなかったのではなくて、慶應を受けたけれども落ちたから行けなかったんじゃないの。何を勝手なこと言ってんの。私、結婚する前からあの人の近所に住んでたから知ってるよ。あの人、慶應を受けたけれども落ちたんでしょうが。よくも、そんなこと息子に言うわ」と。「だいたい、あの人のお父さん、ここのおじいさん、船場の商社でものすごいやり手で新聞の一面に名前が出るような人だったんじゃないの。家に女中さんがいるような家だったでしょうが。何が貧乏やったからよ。よく言うわ。ほんとに」ということでした。〔⇒《YouTube-三年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM 〕 まったく、「よく言うわ」。「バカ言ってんじゃないわ」。
   実際には落ちたから行けなかったくせしやがってからに、「家が貧乏やったから受けさせてもらえなかったんや」とか勝手なこと言うヤツというのは、実際問題としてこの世の中にはいっぱいいるのです。かつ、そうであるのかないのか証明しよう思ってもなかなかできるこどではないので、本人が認めない限り「灰色」ですが、まあ、言いたいやつは好きに言わせとけ!とでも思っておくしかないのですが、それにしても、実際には落ちたから行けなかったくせに「家が貧乏やったから受けさせてもらえんかった」などとそういうことは、あくまでも、よその息子に言うことであって、自分の息子には、「おまえ、あんな話、本気にするなよ」と父親ならこっそり教えてやるものではないのか!?! と私は思ったのですが・・・・、そういう父親も世の中にはあるけれども、そうではなく、よその息子にはいい顔して、自分の息子には「わしはほんまは慶應やねんぞお。わしは慶應。あんたは拓殖」とか言わないとおれない人というのもいたのです。そして、私の父親というのは「わしはほんまは慶應やねんぞお。わしは慶應。あんたは拓殖や。この柘植めがあ!」という方の人だったのです。 大王製紙の二代目社長は北野高校から東大に行こうとして受けたけれども行くことができずに慶應大に行き、そして、息子には何がなんでも東大に行かせてやると思い、そして、三代目は東大に行って卒業した・・・・けれども、なんか、その東大出の三代目がしょーもないことやってしもうたあ〜あ・・・・・と、「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったかにでていた・・・・が、父親というものは、自分ができなかったことを息子にはさせてやりたい、自分が行けなかった大学には息子には行かせてやりたいと思うものではないのかと思ったのですが、そういう父親もあれば、そうでない父親もあったようで、息子に自分よりも「上の大学」に行かれたくないという父親もあったわけです。 私は親ならそんな考えはしないものだと10代の頃は勝手に思っていましたが、勝手な考えでした。

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(↑ 東京駅 駅弁売場)

   新幹線に乗る際、東京駅・新大阪駅の駅弁売場には様々な弁当が売られているのですが、父は「あんたはトンカツ弁当がええ。 わしはいつもウナギ弁当を食うんやけどな」と言ったので、なんで、この人、ひとが食べるものを決めるのだろうか、と思ったことがありました。 父は「世の中には、自分ではやらずに人のやることを決める人間と、自分では決めずにひとに決められたことをせっせとやる人間と両方の人間がおらんといかんのや。神さまは賢明なお方であって、人間をその2つに分けてお造りになっておるわけや。わしは、ひとのことを決める人間やねん。 民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかは命令する民族で、チャンコロは命令される民族や。これは神さまがお決めになったことで、決して変えることはできないものなんや。あんたはチャンコロで常にひとに決められたことをせっせせっせとやることを喜ぶ民族なんや」とか言っていましたので、それで、食べる弁当もまた、「ドイツ人でアメリカ人」が決めてやってやってやってやろうということ、という意味もあったと思います・・・・が、それだけではなく、東京駅・新大阪駅で販売されていた駅弁のうち、トンカツ弁当が一番安かったのであり、ウナギ弁当が一番高かった、という方が大きな理由だったようです。

   「シャインズ」が歌っていた「わたしの彼はサラリーマン」という歌の、「わたしの彼は金持ちぼんぼん、財布は厚いが常識うすい、・・・・グルメを気取っているけど、セロリと人参たべられない♪・・・」というのは、慶應の内部進学の人のこと、大学から慶應に入った人でも「慶應タイプ」の人のことを言うのではないでしょうか。
   但し、「でも、結婚するにはいいかもしれない」かどうかはわかりません。 母は「慶應タイプ」の父と結婚して苦労したと言っていますし、実際、サニーレタスは食べない、脂肪の塊を息子に食べさせようとするという男と一緒に暮らすのは、あんまりいいことないかもしれません・・・・が、今の私よりは高い給料をとってきていたようですから、その点では私なんかよりは「結婚するにはいいかもしれない」。

   三浦綾子『塩狩峠』(新潮文庫)の最初の方に、次のような話がある。
≪  虎雄が信夫の胸をついた。信夫は体の重心を失ってよろけた。
「ああっ!」
悲鳴は二人の口からあがった。
(しまった!!)
虎雄が思った時、もんどりうって信夫は地上に落ちていた。・・・・・
・・・・
貞行はきちんと正座したままで、おだやかに言った。
「いったい、どうしたというのだね」
「実はこのガキが、物置の屋根から・・・・」
「信夫をつき落としたというのだね」
「はあ」
六さんは鼻に汗をうかべている。
「ちがう。 ぼくがひとりで落ちたんだ」
信夫がいらいらと叫んだ。 貞行は微笑して、二、三度うなづいた。 信夫は年下の友だちをかばう度量のあることが嬉しかった。
「そうか。お前がひとりで落ちたのか」
「そうです。ぼく町人の子なんかに屋根から落とされたりするものですか」
信夫の言葉に貞行の顔色が変わった。 六さんはうろうろとして貞行をみた。
「信夫! もう一度今の言葉を言ってみなさい」
 凛とした貞行の声に信夫は一瞬ためらったが、そのきりりときかん気に結ばれた唇がはっきり開いた。
「ぼく、町人の子なんかに・・・・」
 みなまで言わせずに貞行の手が、信夫のほおを力いっぱいに打った。 信夫には何で父の怒りを買ったのかわからない。
「永野家は士族ですよ。町人の子とはちがいます」
 祖母のトセはいつも信夫に行っていた。だから、町人の子に屋根からつき落とされたなんて、口が裂けても言えなかったのだ。・・・・
・・・・
「信夫! 虎雄君の指は何本ある?」
「五本です」
殴られたほおがまだひりひりと痛んだ。
「では、信夫の指は何本か? 六本あるとでもいうのか」
 信夫はむすっと唇をかんだ。
「信夫、士族の子と町人の子とどこがちがうというのだ? 言ってみなさい」
(ほんとうだ。 どこがちがうのだろう。)
 言われてみると、どこがちがうのか信夫にはわからない。しかし祖母はちがうと言うのだ。
「どこかがちがいます」
 信夫はやはりそう思わずにはいられない。
「どこもちがってはいない。 目も二つ、耳も二つだ。いいか信夫。 福沢諭吉先生は天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、とおっしゃった。 わかるか、信夫」
「・・・・・・」
 信夫も福沢諭吉の名前だけはよくきいていた。
「いいか、人間はみんな同じなのだ。町人が氏族よりいやしいわけではない。いや、むしろ、どんな理由があろうと人を殺したりした士族の方が恥ずかしい人間なのかもしれぬ」
 きびしい語調だった。父がこんなにきびしい人だとは、信夫はそれまで知らなかった。・・・・・
・・・・・
「信夫、虎雄くんたちにあやまりなさい」
 厳然として貞行が命じた。
「ぼく・・・・・」
 信夫はまだ謝罪する気持ちにはなれなかった。
「信夫あやまることができないのか。 自分のいった言葉がどれほど悪いことかお前にはわからないのか!」
 そう言うや否や、貞行はピタリと両手をついて、おろおろしている六さんと虎雄にむかって深く頭を垂れた。 そして、そのまま顔を上げることもしなかった。その父の姿は信夫の胸に深くきざまれて、一生忘れることができなかった。≫
   もっとも、福沢諭吉は、『学問のすすめ』の冒頭で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言えり」という言葉をアメリカ独立宣言から引用したのであって、福沢諭吉自身の言葉として言ったのではなく、又、そうであるにもかかわらず、差が出るのは何が理由かというと学問のありなしであるとして、学問を奨励したのであり、また、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)で指摘されていたが、福沢諭吉は『文明論之概略』では、武士の精神が大事と述べたりもしており、いったい、どっちなんだ? と思えるところもあったらしい。 実際には、明治維新の後、「士族の商法」などと言われて商売やってもうまくいかないという士族が、武士・士族の精神なんて何の価値もないと絶望的になることがあったのに対して、そんなことはない「武士の精神」というものは価値があるものなのだと言いたいとともに、学問が大事とも言いたかったということで、福沢諭吉は、片方で学問が大事だと言い、片方で武士の精神が大事だと矛盾することを平気で言っていたということではなく、「武士の精神」は決して無用の長物ではなく価値があるものだと言い、かつ、学問が大事だとも言い、それはどちらも福沢諭吉の考えだったということではないかと思う。
   福沢諭吉は『福翁自伝』で「門閥制度は親の仇でござる」とも述べていたわけで、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言えり」は引用であって、それにもかかわらず差が出るのは学問のありなしによるのであるというのが『学問のすすめ』で述べているものであるとしても、「人間はみんな同じなのだ」という思想を持っていたのは間違いではないであろう。 問題は、「我々内部進学の人間は、おまえら(慶應義塾の)外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ」と叫ぶ人が、「我々内部進学の者は、おまえら外部の者と違って、塾風を身に着けているんだ。我々には福沢精神があるんだ」と叫ばれるという点である。 それ、福沢の思想と矛盾しませんか? ・・・・と思うのだが、そもそも、「経済学部なら内部進学の人間の割合が大きいから内部進学の人間に教育してもらうことができるのだけれども、商学部は内部進学の人間が少ないから、だから、中等部から慶應に行っている内部進学のこの僕が、おまえら外部の者を教育してやってやろうと言っているんだあ。わかってんのかあ」というそういう思想というのは、福沢の思想と矛盾するものではないのかと思うのだが、又、教育というものは、平等な立場の者が「批判・自己批判・説得・討論・学習といった民主的な方法」によっておこなうべきものであり、「我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ」という特権意識のもとに、「内部進学の人間」はいついかなる時も正しくても間違っていても「『教育』する側」であり、「外部の者」というのは「『教育』される側」であるという内部進学の学生や教授・助教授の持っている信念というものは、まず、「教育」というものの前提として根本的に間違っているのではないのか。 最近は、毎日の生活に追われて、20代の頃のような根源的な思考はなかなかできなくなってきたが、片方で、私よりも若い人間で亡くなる者もでてきており、私だって、いつ死ぬかわからんわけだから、そう考えると、また、遠慮して「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「見ざる、聞かざる、言わざる」として生きたところで優遇してもらえるわけでもなく、そういったことを考えると、このくらいは言わせてもらっても悪くはあるまいとも思うのだ。 慶應の内部進学の学生や教諭・助教授が口にする「福沢精神」というものは、それは福沢諭吉の思想とは縁もゆかりもないものである、と。
  彼らが内部進学の学校で得たものがあると自分で思うなら、それはそれでいいだろう。たとえ、それがいくらか独善的な要素があったとしても、「お国自慢」なんてものはいくらか独善的なところがあっても不思議ではない。 しかし、福沢諭吉と何の関係もないもの、福沢諭吉の主張や生き様に逆行するようなものに福沢諭吉の名前を使うのは慎んだ方がよいのではないかと思うのだ・・・・が、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。わかってんのかあ」とかおっしゃるような教授・助教授せんせいに言っても、天地がひっくり返っても理解されることはないだろう・・・・けれども、内部進学は「教育」する側・外部の者は「教育」される側、などとは福沢諭吉は主張していない。 又、種無しブドウ(デラウエア)はひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うものだ、などとは福沢諭吉はどこでも述べていないし、そういったことを福沢諭吉がやったという記録もどこにもないはずである。 ・・・慶應って、なんか変な学校だなという感じが今さらながらする・・・。
   今は昔、慶應大学の4年の時、ある会社の人事部の人が私のアパートに電話を会社の人の方からかけてきてくれたことがあった。決して、「大手」「有名」「財閥系」「一部上場」といった会社ではないけれども、その方が言われたのが、「私はね、世の中で一番嫌いなのが、慶應の内部進学というヤツ。 あなたは違いますでしょ。あなたは出身が大阪だから内部進学じゃないと思って、だから、電話したんですけれどもね。私は世の中でどういう人間が嫌いといって慶應の内部進学のヤツほど嫌いなものはないんです・・・・」と。そう言われる人が世の中にはおり、そう思われる理由が慶應の内部進学の人にはある、ということを知っている人も「幼稚舎から慶應」という人にも中にはおられるようで、そういう人は内部進学とはいえ内部進学の人の欠点を相当克服されている方だと思うのだが、片方で、「私はね、世の中で一番嫌いなのが、慶應の内部進学というヤツ。 あなたは違いますでしょ。あなたは出身が大阪だから内部進学じゃないと思って、だから、電話したんですけれどもね。私は世の中でどういう人間が嫌いといって慶應の内部進学のヤツほど嫌いなものはないんです・・・・」と言う人がいたならば、「そういう人間を教育してやらんといかんからなあ」とか考える人もまた内部進学の人にはいるわけです・・・というよりも、そういう人の方が圧倒的に多いのです。彼らに逆らっても、彼らが考えを変えることはまずないので、あまり関わらないようにするしかないのかもしれません。関わると強姦とかされるかもしれませんし・・・・・。

   サニーレタスは気持ち悪いから食べない、鍋に油を敷くための脂肪の塊を息子に食べさせようとする、駅の弁当は息子には一番安いトンカツ弁当を食わそうとする「慶應タイプ」のおっさんと、種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う「本物の慶應ボーイ」「ギャルにもてもて」とどっちがいいか? ・・・・そういう人が大好きという「ギャル」もいるのかもしれんが、私なんかはどっちもあんまり好きではない・・・・な。どっこいどっこいのような気がするが、それでも、父は種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって食べていたので、その分だけ、軽症かという気もするけれども。 
   (2017.6.4.) 

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皮むかなくていいから蜜柑より林檎 VS 種無しブドウを皮むいてもらいスプーンですくって食うKOボーイ 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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