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zoom RSS 自分も浪人した・自分も下宿しているという自覚がない大学生2―浪人・2浪して大学に行くとカネがかかるか

<<   作成日時 : 2017/05/26 20:21   >>

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[第296回] 自分も浪人したという自覚がない・自分も下宿して大学に行っているという自覚がない大学生≪2/2≫
   「自分も浪人したという自覚がない・自分も下宿して大学に行っているという自覚がない大学生」の後半です。

【2】  浪人して大学に行くとカネがかかるか。 ・・・・そりぁ、浪人した分だけかかるでしょうな。 しかし、自分自身が、現役で大学に入った人間が言うのなら、まだ、わからないこともないのですが、自分も浪人した人間が何を勝手なこと言ってんだあ? N口の場合は自分自身も浪人して京大に行っているわけです。かつ、私は2浪してしまったが、2浪目は「宅浪」であって予備校には行かなかったのに対し、N口は浪人の時に私立のYMCA予備校高槻校の「京大・東大文系クラス」というのに行っており、YMCA予備校は予備校の中では高い方で「京大・東大文系クラス」はYMCAの中でも単なる「文系クラス」「理系クラス」よりも高かったのです。自分が浪人して私立の予備校に行ってから大学に行っておいて、こいつ、何を言ってるんだあ? と思いました。今も思います。彼は常に自分に都合がいいように解釈するようですが、彼は「国立大学に4年間行った」のではなく「私立の学校(予備校)に1年と国立の学校(大学)に4年行った」のです。「私立に行かなかった」のではないのです。
    今も思いますが、今はN口がそういう文句を口にした理由がわかります。世の中の親には、自分の息子のことをいいようにいいように言ってまわる親というのがいるのです。N口の親というのがそれだった。私の親と逆でした。私の親なんてのは、よその親に自分の息子の悪口を言ってまわる親で、いったい、よそで何を言われているかわからない、という状態でした。それは小学生の頃からそうで、小学校の低学年から中学年の頃、同級生や近所の子供と遊んでいて、よく、「親に言うぞお」と言われたことがあります。「親に言うぞお」とは権力者の息子が自分の親に言いつけるぞおという意味ではなく、「おまえの親に言うぞお」という意味で、おまえの親はいつでもよその息子の味方をするはずだ、おまえの親に言えばおまえの親は俺の味方をして俺に有利なようにするはずだが、そうしてもいいのか、おまえの親に言われるのが嫌なら俺の主張に従えという、そういう意味です。 私の親はそういう親でした。中学生・高校生の時に嫌なのが、懇談とクラス名簿でした。 懇談で学校に行くと、順番が来るまでの間、出席番号が近い人間の親と一緒になるのですが、そこで何を言うやら。 さらに、今は個人情報保護といってクラス名簿として住所・電話番号を公開したりしないようですが、私が中学生や高校生の頃は自動的にクラス名簿が配布されたのですが、その親とはまったく会ったこともない、その生徒とはクラスで特に親しいわけでもない、という相手の家に電話して、何を言うやらわからん、というのが私の親でした。 それに対して、N口の母親は正反対。 「うちの息子は大人ですわ」とか、高校卒業時に大学に落ちた時には「一発勝負に弱いんです」とか言って実際は通ったはずなんだみたいに言いまくり、もう、わかったわかったわかったわかった、もう、いいかげん、うるさい! て感じでした。

    「一発勝負に弱い」のか強いのかなんか知らんが、要するに落ちたんだろうが! 違うのか、通ったのか!?! 落ちたんだろうが。入学試験・資格試験は合格か不合格かどっちか、そこに至る経緯がなんであれ、落ちたものは「落ちた」のであって「通った」のとは違うのだ! なんだのかんだのと言ったところで、結局、落ちたんだろうが!!!  その「うちの息子は大人ですわ」て、私は「子供」だと言いたいのか? 「子供」でえらい悪ましたなあ! N口を見ていると、どうも、「世の中が右に動くと動いた分だけ自分も右に動く、世の中が左に動くと動いた分だけ自分も左に動く、どういう展開になっても絶対にはじっこには位置しない、矢面に立たない」というそういう習癖を持っている男だった。 それが「オトナ」なのか?  たしかに、毎度毎度、矢面に立っていたのでは、人間、生きていけないかもしれない。 しかし、それが「オトナ」なのか? もしも、それが「オトナ」だったとしても、それは自慢するものだろうか?
    旧ソ連の詩人で音楽家 ブラト=オクジャワの歌に「紙の兵隊」というのがある。 紙でできた兵隊は、この世を正しくしたいと思い、そして、自分が紙だということをすっかり忘れて炎に向かって突き進み、そして、焼かれて灰さえ残らなかった。炎に向かって突き進んだ愚かな紙の兵隊とは、第二次世界大戦の時、独ソ戦の最中、グルジアのソ連からの独立運動をおこなって「人民の敵」として銃殺されたオクジャワの父親のことを想って歌われた歌だそうだ。〔⇒《YouTube-Булат Окуджава - Бумажный солдат》https://www.youtube.com/watch?v=NqiYknlH5nI 〕
    たしかに、矢面に立ちまくったのでは生きていけないかもしれないが、しかし、だからといって、「矢面に立たないようにするのが得意」「社会が右に1メートル動けば自分も右に1メートル動く、社会が左に1メートル動くと自分1メートル動く」というのは、それは自慢することか?  矢面に立ちたくない・・・と思っても、ふと気づくと、なんか、自分がその立場に立ってしまっていた、なんて経験をずいぶんとしてきた私なんかは、アホなのだろうし、「子供」なのかもしれないけれども、だからといって、「矢面に立たないようにするのが得意」「社会が右に1メートル動けば自分も右に1メートル動く、社会が左に1メートル動くと自分1メートル動く」という男というのは、エライのか? それは自慢することなのか?
   「矢面に立たないようにするのが得意」「社会が右に1メートル動けば自分も右に1メートル動く、社会が左に1メートル動くと自分1メートル動く」という「そういう人間が社会で役に立つ」とか言う人がいるが、そうか? ある三田会の集会に行った時、フィリピン人の女性が日本に他の名目で来て売春などをやっている人がいる、それをやめさせようと働きかけたという外務省だったかの方が来られて講演されたのを聞いたが、「わたしもねえ、脅迫みたいなことも言われましたし、左遷もされましたよ」と。 ある外資系銀行に会社訪問で行った際、顧問として三井銀行から出向されていたMさんに会っていただいたのですが、慶應大経済学部卒の方で、同じ大学の人間だということで、直接、関係ない話も聞かせてもらいましたが、その時、言われたのが「私もね。今までずいぶんと上役に嫌われたり左遷されたりしましたよ」と。「友人で、『どうせ、ちびっとしか給料もらってないんだから、自分の意見を言って上役に嫌われるのじゃなく、黙ってればいいだろうが』という者もいましたが、私はそうは考えなかった。そうではなく、『どうせ、ちびっとしか給料もらってないんだから、だから、会社のためを思って、それは違うぞと思ったなら言わせてもらおうではないか』とこう考えた」と。「その結果、嫌われもすれば左遷もされましたよ」と。しかし、話を聞いていると、一時的に上役に嫌われることもあり左遷されることもあったとしても、結局、けっこう出世されていたようで、すでにかなり高齢になられ「定年」は過ぎておられたようですが、それでも、外資系銀行から頼まれて「顧問」として出向されていたわけですから、嫌われることもあれば左遷されることもあったけれども、評価される時もあったということではないのでしょうか。 そういったお話を聞いた上で考えると、はたして、日本の会社というのは、「矢面に立たないようにするのが得意」「社会が右に1メートル動けば自分も右に1メートル動く、社会が左に1メートル動くと自分1メートル動く」というそういう「オトナですわあ」とN口のお母さんが言うような人間というのを喜ぶのだろうか? それが「会社にとって役に立つ」人間なのか? ちょっと、違うように思うのだが。
   そして、オクジャワは「紙の兵隊」の歌を自分の父親を想いながら作ったらしいが、自分が紙だということをすっかり忘れて炎に向かって突き進んで死んでしまう「紙の兵隊」というのは、賢明ではないかもしれないけれども、そういう行動をとってしまう人間というのは、笑うべきものだろうか? そういう行動は絶対とらないという人間というのは、それは自慢することだろうか?

   ともかく、N口のお母さんというのは、うちの親とは正反対で、自分の息子のことを、いい息子だ、しっかりしている、優秀だと、あっちやらこっちやらで言いまくる人、言いまくらないとおれない性癖の人だったのだ。 「お母さんはしかたがない」と思うことは時々ある。 男は時として「女だからしかたがない」ということにして女性の言動を許容することがあるが、この場合、「女だから」というのはどういう意味かというと、特別、意味はないのだが、そういう言い回しによって、女性を男性である場合よりもひと回り「大目に見る」ということを現実にする。 自分の息子のことをいいように思いたいお母さんというのはいるし、いいように思いたいのならば思うのは自由であり、それはいいとしても、それをあっちやらこっちやらで言いまくらないとおれない「ビョーキみたいな人」というのもいるわけで、それも、「お母さんはしかたがない」「女だからしかたがない」と、いくらかの範囲において許容したりもするのだが、N口のお母さんの場合、それが許容範囲を越えそうな状況だった。かつ、息子がそれを理解できていなかった。
   そして、お母さんが「うちの子はしっかりしてますねん」「うちの子は大人ですわあ」だの何だのかんだのと、もう、わかったわかった、ええかげん、うるさい! とひとが思うくらいに言いまくった結果、言われている本人が、もし、賢明な人間なら、お母さんが何を言おうが自分の評価とは関係ないと認識するところを、そうではなく、お母さんが何たらかんたらと言いまくったのを本気にしてしまって、自分はエライ! と思うに至ったらしい。 その結果、自分は下宿した上で週末ごとに箕面と京都を往復するという一番カネのかかることをやり、自分もまた大学に行くのに浪人して行っておいて、それでいて、「東京で下宿して慶應なんか行ったら、カネかかってしかたないなあ」などと、そういうことをおまえが言うか!?! というような口を生意気にきくようになった、ということだ。
   N口のお父さんは京大卒だというお話が広まっていたが、実際にそうであるのかないのかわからない。世の中、いいかげんな話を広める人なんてゴマンといる。 N口のお父さんは、私の父親などと違って、息子の進路についてまともな思考ができる人という印象を受けていて、な〜んにもわかってないうちの父親なんかと違って、その点でN口は大学受験において有利だと思ったのだが、しかし、一方において、私自身がその頃のN口の父親より上の年齢になった今、考えると、自分の嫁がそういうアホなことを、あっちやらこっちやらで言いまくっているという状況において、男として、「アホなこと、言うな」と、「しょーもないこと言わずに黙ってろ」と、その一言を言えない、というのは、それは社会人経験のある男として優秀な態度とは言えない。私がN口の父親の立場なら、「しょーもないこと言うな。黙ってろ」と一言は言うところだがN口の父親はそれを言えない人間、言う能力のない人間だった。言う能力がないということは、京大卒というお話が本当であるかウソであるかにかかわらず、その点においては、あんまり優秀な男ではないということだ。おのれの嫁が不適当な言動をとりまくっているのに、それに引きずられまくっている男というのは、それは、どこの大学出ていたかしらんが、どこ出ていようが、あんまり高く評価できる態度ではなく、高く評価できる男ではない。

   「人間の値打ちはどこの大学を出たかで決まるものではない」とか「どこの大学に行ったかではなく、そこで何をどれだけ学んだかが大事」とか何とかかんとか言う人がいるけれども、だ。 それは間違いではないとしても、しかし、そうは言っても、だ。 高校を大阪の第一学区での一番手校にせっかく行っておきながら、大学は二番手校のやつより下の大学に行った、三番手校のヤツと一緒の大学に行った、となると、実際問題として、あんまりおもしろくないものだ。 実際問題として。
   ある阪大生から聞いた話だが、灘高校から阪大に来た人間がいて、それで、みんなで、「灘から阪大やて、灘から阪大やて」と言ってやるんだという話を聞かせてもらったことがある。 それは冗談としてのものであり、言われている方だってわかっていたと思う。私だって、東京の開成高校から浪人して慶應の商学部に来たという男に言ってやったことがある。「や〜い、落ちこぼれ。悔しかったら東大に通ってみろお〜お」と。それを「ひどいことを言う」とか言う人間がたまにあるが、そういうことを言う人間というのは、たいてい、たいした高校の出身でない人間である。東大に多くの人間が合格するというような高校から浪人して慶應に行ったという者にとっては、「人間は大学で決まるものではない」だのなんだのかんだのというへんてこりんななぐさめにならないような「なぐさめ」みたいなことを言われるのは、かえって気持ち悪いものだ。だから、言ってやったのだ。「や〜い、落ちこぼれ。悔しかったら東大に通ってみろお〜お」と。そう言われた方が、それはジョークとしてのものであって、そいつが東大に通ろうが落ちようが私にとってはどうでもいいことではあるのだけれども、言われた方としては、むしろ、その方がよっぽどいいはずだ。(ついでに。 他の男に、「ちょっと。 ◇◇ アホやでえ〜え」「ええ、アホやったあん? なんでえ?」「東大、落ちたやんか」と言ってやったこともある。〔若い人には知らない人もいるかもしれないので説明すると、今は昔、春やすこ・けいこ という女性漫才師が、「ちょっと、知ってるう? 江川、アホやでえ〜え」「ええ、江川、アホやったあん? なんでえ〜え?」「慶應、落ちたやんか」 というギャグをやっていたことがあったのだ。〕) しかし、冗談ですまないケースというものもあるのだ。
   北野高校から京大に行くと、問題はない。 しかし、北野高校から阪大(大阪大学)に行くと、二番手校の豊中高校から京大に行くヤツというのが何人かいるし、阪大に行くやつもいるわけだ。 三番手校の池田高校から阪大に行くヤツというのもいるわけだ。 だから、阪大に行くと、せっかく、北野高校に行ったのに、豊中のヤツより下の大学に行ってしまった、池田高校のヤツと一緒の大学に行ってしまった・・・・という気持ちになってしまう時がある。 しかし、そうは言っても、阪大に行った場合、「北野→阪大」「豊中→阪大」「池田→阪大」なら、この中では「学歴」としては「北野→阪大」の方が「豊中→阪大」「池田→阪大」よりも実際問題として「上」である。だから、「まだ、いい」。 ところが、慶應なんて大学に行くとそうではない。 「北野→慶應」と「桃山学院→慶應」とではどちらが上かというと、当然のことながら「桃山学院→慶應」の方が「上」なのだ。 「当たり前じゃないか。 だって、私学なんだから、私学の方が上に決まったるじゃないか」と慶應の教授先生はおっしゃるのだ。 そもそも、慶應の教授には北野高校というのは最も嫌われている高校である。「北野高校の人間というのは、慶應とか私学を国立の大学よりも低く見ていませんか。 いったい、何を考えてるんだろうね」とか言われる。講義の最中に。固有名詞だして。 だいたい、ひとの出身校を講義の最中に固有名詞だして悪口言いやがってからに、なんじゃ、この内部進学野郎は! とか思うのだが、慶應という大学では一番エライのは内部進学で、次が私学出身で、公立高校出身者というのはドジンみたいなものであるから、ドジンが植民地の支配者である内部進学者さまに逆らうことは慶應義塾においては許されないことである。 昔、「朝日新聞」に載っていた話だが、王貞治は台湾人であり、王貞治のお父さんは、王貞治が子供の頃、「我々はここでは外国人なんだ。だから、周囲の人たちには好かれないといけない。我々は周囲の人たちに決して嫌われてはならないんだ」と教えたというのだが、なんだか、公立高校から慶應大学に行った人間というのは、それと似ている。我々、公立高校出身者というのは、慶應という学校においては外国人、異邦人なんだ、ここでは内部進学者さまにへいこらすることでやっと生きていけるというそういう所なんだ、というそんな感じだった。 「北野高校の人間というのは、『どうして、私学だったらいいんですか』なんて言うでしょ。 バカか! 私学だということは、いいってことじゃないか。北野高校の人間はそんな常識もわからないのか! 頭おかしいんじゃないか」と教授先生がおっしゃるのだ。講義の最中に。 慶應はそういう大学である。講義の最中に、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間は、おまえら(慶應義塾の)外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ!」と講義の最中に教壇で絶叫された助教授もおられた。慶應はそういう大学である。 そういうのを聞かされて、そして、小学校の1年から他の同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、なんで、こんなアホの行く大学に行かされなきゃならんのだ! 内部進学の強姦魔ども、ピン高のアホの下になんか、ならされてたまるか!!! ・・・という気持ちになる。
   国立大学に一期校・二期校の制度があった時、一期校で東大の理科1類・京大・阪大の工学部などを受けて落ちて二期校の静岡大学の工学部なんかに行った人間は、特に1浪くらいで行った人間は、浪人しても落ちてしまった以上、これ以上は浪人はできない・・・・と思って静岡大学の工学部あたりに行っても、半年するかしないかのうちに、ふざけんな! こんな大学行ってられるか! 三浪しようが四浪しようが関係あるか!!! という気持ちになって辞めてしまうという話を聞いたことがある。 慶應なんて大学に行った者も同様、もしくは、それ以上である。内部進学の強姦魔ども、ピン校の白痴どもなんぞにお仕えする人生なんぞ、送らされてたまるものか!!! 3浪しようが4浪しようが関係あるか!!! と思い、受け直して東大なりに行く人間というのがいる。 日吉台学生ハイツの私が住んだ部屋と同じ階に、私と同じ歳で、天王寺高校から2浪で慶應の商学部に入り、商学部に在籍した上で、受け直して、結局、3浪で東大に行ったという男がいた。 在籍した上で受け直すということをさせてもらって東大に行ったのがそいつであり、同じように受け直させてもらえば東大に合格できた可能性は低くなかったが受けさせてもらえず、「北野高校の人間というのは、慶應とか私学を国立の大学よりも低く見ていませんか。 いったい、何を考えてるんだろうね」「北野高校の人間というのは、『どうして、私学だったらいいんですか』なんて言うでしょ。 バカか! 私学だということは、いいってことじゃないか。北野高校の人間はそんな常識もわからないのか! 頭おかしいんじゃないか」「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間は、おまえら(慶應義塾の)外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ!」の大学に行かされてしまい、人生をドブに捨てさせられたのが私である。
   1982年、慶應で、あるサークルに入った時、そこに私より1つ年下で千葉クロマティ高校卒の男がいた。千葉北高校か千葉西高校か千葉東高校か千葉南高校かそのどれかだが、どれだったか忘れた。要するに不良の高校である。そのクロマティ高校だかデストラーデ高校だか卒の男は高校の時から喫煙の習慣があったようで、なるほど、不良高校卒の不良らしいなという感じがした。私なんぞは、喫煙は脳細胞を破壊し思考力も記憶力も低下させる、学問を志す者がタバコを吸うなどはもってのほかであり、タバコを吸うような者が大学に行く必要はない、と認識してきたし、そういう教育を受けてきた。ところが、千葉デストラーデ高校のヤツは違ったのだ。そいつにとっては、タバコは中学校か高校から喫う方が普通だったのだ。それが「常識」であり、それをいかんと言うのは「思考に柔軟性がない」ことになり、喫煙する者の方が「思考が柔軟」で「独立自尊の精神がある」人間らしかった。
   その千葉クロマティ高校卒の男Tが、私に言ったのだ。 「おまえ、なんで、2年も浪人なんかしたんだあ? どうかしてんじゃないのかあ。俺なんかは、きっちりと1浪で大学に入ったんだけれども。なんで、おまえ、2年も浪人したんだあ」と。もちろん、私は慶應みたいなもんに入るために浪人したのじゃない。高校卒業時に受けなかった以上は、受けておればどうかということは言っても仕方がないことであるけれども、慶應なら、受けておれば通った可能性が高いと思う。そもそも、自分よりも年上の人間に向かって、「おまえ」とか、この不良、いったい何なんだと思った。高校3年の時、大学は東大以外は受けないつもりでいたが、父が「練習のために、関関同立のどこか受けてみたらどうだ」と1月に入って突然言い出し、「要らない」といくら言ってもしつこくて、その執拗さに負けて立命館大学のある学部を受けて、それは通ったのだが、その時、試験会場に行くと、「いかにも不良」「見るからに不良」という感じの受験生がいて、休憩時間、「コンビニ前うんこ座り」をして煙草を喫っていたのだが、それを見て、ああいうのとは関わってはいかんと思って眼を合わさないようにするとともに、ああ、今まで、学習する上で、くじけそうになることもあれば勉強を嫌になる時も時としてあったけれども、それでも、くじけずに努力してきてよかった、こんなのと一緒の大学に行かされることを考えると、少々、大変な努力してでも東大なり京大なりに行った方がいいに決まってる、ああ、よかった・・・と思ったのだが、結局、そういう不良と同じ大学に行かされて、その不良から「おまえ、なんで、2年も浪人なんかしたんだあ? どうかしてんじゃないのかあ。 俺なんかは、きっちりと1浪で大学に入ったんだけれども。 なんで、おまえ、2年も浪人したんだあ。おい、なんで、2浪みたいなものしたんだ。説明しろ、おらあ」という口をきかれることになってしまった。実際問題として、二期校の時代の静岡大学の工学部に東大の理科1類・理科2類、京大の工学部・阪大の工学部あたりを落ちて1浪くらいで行った人間が、半年も経たないうちに、ふざけんな! こんな大学行かされてたまるか! という気持ちになってやめてしまうというのは、その気持ちはわかる。 こちらは小学校の1年から勉強してきたのに、小学校から高校までちっとも勉強してきていない、不良高校卒で1年浪人して浪人中だけ受験勉強して試験科目が少ない慶應になんとかやっとこせえで入ったような不良と一緒にされてたまるか! と私も思った。 しかし、人間、「相手の立場に立って考える」ということも必要である。「ひとの気持ちを思いやる」のは大事なことなので、だから、千葉デストラーデ高校卒のヤツの気持ちも思いやって考えよう。千葉デストラーデ高校卒の不良からすれば、自分より格上の高校卒で自分よりも年上の人間が自分と同じ大学で自分よりも下の学年にいるというのは、デストラーデ高校卒の不良としては、これはもう、うれしくって楽しくってしかたがない♪ というものだったようだ。 さらに、千葉デストラーデ高校卒の不良Tは、「ごらあ。タバコに火つけろお」と言って、タバコを加えて私に「命令」したのだが、当然のことながら、タバコを吸うような人間に大学に進学する資格はないと認識している私がライターなんか持っているわけはないのだ。 そして、その人相も悪い不良は、まわりの人間に、「おい、ライター貸せ」と言い、それを私に投げて、「おらあ、タバコに火いつけろお」と言ってきたのだ。 私としては、大学生として、学問を志す者として、そういう不良に加担するわけにはいかないので断ったが、断ると、「こいつ、ごらあ」とか言ってすごんできた。 実際、慶應みたいな不良学校に行くと、男でも、怖い。
    その男の態度については、その時は我慢したのだが、今思い出すと我慢する必要はなかったと思っている。許すべきものではなかったと思っている・・・・が、それはここでは深入りはしない。ここで関係あるのは、その男Tが口にした文句。「俺なんかは、きっちりと1浪で通ったんだけれども」という文句。「1浪できっちりと大学に通った」などという、そんな奇妙な日本語が世の中にあるとは私は思わなかった。「きっちりと現役で通った」なら日本語の意味としてわからないことはない。「情けないことに、1年、浪人してしまいました」「お恥ずかしいことに、1年、笠張しましたが何とか合格できました」ならわからないことはない。北野高校に在籍時、クラブのOBで、浪人中のOB、浪人して合格したというOBが顔を出すことがあったが、浪人中のOB,浪人して合格したOBは、たいてい、そういうことを言ったものだ。「きっちりと1浪で通った」て、それは日本語になってないと思うし、北野高校のクラブのOBでそんな奇妙な文句を口にする者は一人もいなかった。そういう奇妙な日本語は、その千葉デストラーデ高校卒の不良Tの口から初めて聞いた。いいか悪いか以前に、日本語としてそんな日本語があるとは思えないのだが、慶應大学の学生の間では、そういう日本語があったらしいのだ。
   私が高校を卒業した1970年代後半の北野高校では、現役で大学に行く人間と1年浪人で行く人間が半分半分くらいで、2浪以上もいくらかいた、というものだった。 だから、現役で行った人間と1浪で行った人間との間には境目があったが、1年浪人した人間と2浪以上との間には、どうせ、浪人してしまったんだからということで、それほど大きな境目はなかった。 そもそも、自分も浪人しているのに、1年浪人の人間が2年浪人の人間を笑ったなら、それは「目くそ、鼻くそを笑う」の類になってしまう。 「おのれは何なんだ」ということになる。 浪人してしまった人間は、「浪人してしまった」という意識でいるし、そして、そう口に出して言う。 ところが、千葉クロマティ高校ではそうではなかったらしいのだ。 千葉クロマティ高校からは現役でまともな大学に行く人間なんか皆無だそうで、「1浪が普通」だったらしい。そして、私なんぞは、「(千葉クロマティ高校卒の不良のような)高校卒業時においては行ける大学なんてほとんどないなどという男は大学に行かなくてよろしい! 自衛隊にでも入りなさい」と親から毎日のように言われて来た。だから、大学は現役で行くのが基本であり、浪人するにしても、それは現役でも行ける大学がある人間が、東大とか京大とかに行こうとしてするものであって、クロマティ高校卒の不良がするものではないという認識だったのだが、千葉クロマティ高校卒の不良はそういう認識をしていなかった。「大学なんか行かなくてよろしい。自衛隊に入りなさい」とうちの親なら言うような人間である(もっとも、うちの親は私には言っても、よその息子には絶対に言わない親だったが)千葉クロマティ高校卒の不良にとっては「1浪で慶應」というのは世界一の英雄だったらしい。 そして、世界一の英雄(クロマティ高校卒の不良)(中学校からタバコ吸ってた不良)にとっては「1浪できっちり通った」というのは普通の日本語だったらしいのだ。
   北野高校の卒業生にとっては1浪で大学に行くというのは「恥ずかしながら、笠張を1年させていただきましたが、何とか入れていただきました」とでも言うような「恥ずかしながら」のものが、その千葉デストラーデ高校卒の不良 T永 からすれば、「1浪で大学に行く」というのは「きっちりと1浪で通った」というほめられるべきもので、特に「1浪で慶應」というのは世界一の英雄〔⇒《YouTube-ノリントン指揮ベートーヴェン「英雄」 》https://www.youtube.com/watch?v=81fKkMmH8fI 〕「自慢」「大威張り」が当然のこと だったわけだ。 だから、「俺なんかは1浪できっちりと通った」という奇妙奇天烈、摩訶不思議な日本語を平気で口にしたわけだ。

   そのサークルには、もう1人、奇妙な男O木がいた。1982年、4年だったが、静岡県出身で高校卒業時に明治大学に入学したが、浪人して慶應大に入ったと言っていた。私と同じ年齢だったが、私なんかは、高校生の時、「国立大学に行くならともかく、しょーもない私立大学に行くような人間なんか大学行くことないはずや。自衛隊に入れたらええ」と父親と母親が常に言っていた。ましてや、浪人というものは東大とか京大とかそういう大学に行こうとして失敗した人間がするものであって、明治なんてそんな所に行く人間がするものとは違うはずだ。私は、高校卒業時、明治大学なんて受けたいとも思わなかったし、通っても行きたいと思わなかったが、もし、受けたいなんて言っても絶対に受けさせてもらえなかった。「甘ったれるな」より「ふざけんな」と言われただろう。そのおかしな男O木は静岡県庁に就職が決まったと言ったが、これもおかしな話。 私なんぞは、父親から「大学は勉強する所と違うんじゃ。甘ったれるな。アルバイト、あるばいと、アルバイト、! とってちってた」と言われてアルバイトを有無を言わさず決めてこられて、公務員試験対策の勉強なんぞできなかったが、明治大しか通らないアホがなんで公務員試験対策の勉強させてもらえるんだ? 「大学は勉強する所とは違うんじゃ。アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間(病)という病気にかかっておる。慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃってる」と父は言ったのだが、高校卒業時に明治しか通らんような男がアルバイトせずに公務員試験対策の勉強していたというのは、それはどう考えても「小此木啓吾先生がおっしゃるモラトリアム人間病」である。私なんぞは、高校卒業時に東大を落ちると、父親から「高校は義務教育じゃないんだから、おまえが高校行ったのは余計じゃ。甘ったれて高校みたいなもん行きおってからに。おまえは中学校卒業して働くべきやったんじゃ。おまえは高校行ったのは余計じゃ」と毎日毎日耳鳴るがするくらい言われたが、明治みたいなもんしか行けないアホは義務教育であろうがなかろうが中学校行ったのは余計じゃ! 小学校・中学校が義務教育であるのは公立の小学校・中学校の場合で、慶應幼稚舎・中等部・普通部なんて義務教育ではないのだから、「幼稚舎から慶應」の小此木啓吾は、間違いなく小学校行ったのは余計! 「この僕は中等部から慶應行ってんだぞお」の商学部教授 黒川行治さんは中学校行ったのは余計!

   千葉デストラーデ高校卒の不良の気持ちはわかった。やっぱり、人間、思いやりの気持ちを持って相手の立場に立って考えると物事は理解できるものだ。1970年代の北野高校においては「大学は現役で行くもの」であり、「1浪は、ちょっと恥ずかしい」というものだったが、千葉デストラーデ高校ではそうではなく、 「大学は行くのなら1浪で行くもの」というのが彼らの基本で、「1浪で行った」は「きっちりと行った」だったのだ。 要するにそれが不良の世界観だったのだ。 慶應などという不良とつきあわないと生きていけない大学に行くと、デストラーデ高校卒の人間にとってはそういうものだということを理解しないといけなかったのだ。

   しかし、N口はデストラーデ高校卒ではなく、まがりなりにも大阪で一番の高校であった北野高校卒だったのだから、北野高校の人間の感覚としては「大学は現役で行くもの」であり、デストラーデ高校の人間にとっては「1浪と2浪の間に境目がある」のとは違って北野高校卒の人間にとっては「現役と浪人の間に境目がある」はずだったのだ。 それで、自分も浪人して京大に行っておきながら、何が「2浪もして下宿して慶應なんか行ったのではカネかかってしかたないなあ」だあ?  自分が現役で行ったのならまだわからないこともない。 しかし、おのれもまた、浪人して大学に行っておきながら、浪人して大学に行った男が何をわけのわからないことをのたまいさらしてるんだあ???

   これも、今はその意味がわかる。 N口は、お母さんが、「うちの息子は本当にしっかりしてますわあ」「うちの息子は大人ですわあ」「うちの子は本当に真面目なんですわあ」だのなんだのかんだの、あっちやらこっちやらで言いまくる女だったため、そして、父親の方もまた、「余計なこと言うな」と、もし、私なら嫁に言うところだが、そういうことを言わない男、言えない男だったことから、お母さんは無制限にそういう、なんというのか、ええかげんうるさいなあ、もう・・・という文句をあっちやらこっちやらで言いまくり、そして、当人が、自分で自分をそういうものだと思い込んでしまっていた、ということだ。
   「お母さん」はどうしようもない、「女だからしかたがない」ということで許容されることがある・・・・が、男がそれでは情けない。 もちろん、女でもしっかりしている人はいるだろうけれども、それでも、女性は「女だからしかたがない」で通じる時があるが、男は通じない。 N口の父親にしても、あの母親をあれだけのさばらせていたというのは、夫として、男として、社会人として、あんまり優秀じゃないな、ということになる。 N口の父親よりも年上になった今、私はそう思う。
   そして、お母さんにそういったことを言いまくられて、それを本気にしてしまって、自分が現役の高校生の時は「現役で通る人間がエライ、浪人はだめ」という基準を適用し、自分が浪人して大学に行くと「1浪で大学に行くのがエライ、2浪はだめ」と、常に自分が「エライ人間」になるように基準を訂正していくという作業をする人間になった男というのは、それを処世術としてやっていると自覚できていたならば、時として処世術もまた必要かもしれないが、そんなものを本気にして、「常に自分がエライ」と思うようになってしまった男というのは、それで京大生か?  京大行ってもそんなものか!?!? ということになる。

   実は、私はN口の母親と父親に、はっきりと不快感を示したことがある。 浪人中、箕面駅にN口と一緒にいた時、お父さんがクルマで迎えに来て、私がN口と一緒にいたものだから、母親が私に「お宅まで送りますよ」と言ったのだが、日本語だけ聞いていると、一般的にはこれは好意で言ってもらったと思える日本語であるのだが、N口の親の場合は違う。 「恩を着せたいから送ります」と態度にはっきりと出ていた。N口の母親があっちやらこっちやらでアホなことを言いまくったかげで、影響受けやすい私の母なんかは、それで精神的に混乱してしまっていたところもあり、なんとも迷惑な話であり、そのあたりにも不快感を覚えていたのだ。 それで、「けっこうです」と断ったのだ。 「お母さんはしかたがない」「女だからしかたがない」という部分があっても、「男がそれではどうしようもないだろう」という面もあるのだ。「どうしようもない」のはN口の父親である。その断り方を見て、これは嫌がられている、「恩を着せたいから送ります」という態度を見抜かれている、「恩を着せたいから送ります」という態度に不快感を持たれている、ということに気づかないといけない。営業なら、そのあたりを気づくのが仕事であり、気づくことができない人間というのは、会社員としては、明らかにその分だけ無能ということである。
   私は自分が高校生の時、大学に進学する頃、N口のお父さんは私の父親などよりも、大学進学について理解がある親のようだと思い、その点でうちの父親なんかよりも高く評価できる人ではないかと思っていたのだが、そういう面もあるかもしれないが、そうではなく、人が嫌がっているのに気づくことができないアホ、嫁がおかしなことをあっちやらこっちやらで言いまくっているのを止めることもできない無能男という面もある、ということに今は気づいているが、その頃は気づくことができなかった。
   私は今は気づいているが、そこで自分の親からヨイショヨイショしてもらって、それを本気にしてしまった男というのは、今もそれに気づいていないかもしれない。 それでも、私なんかよりずっと出世して、私なんかよりもずっと「結婚するにはいいかもしれない」かもしれないが・・・・。〔「結婚するにはいいかもしれない」については⇒《YouTube-シャインズ 「私の彼はサラリーマン」 》https://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I 〕

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( ↑ 京都大学 吉田キャンパス 「本部」構内。 正門 と 時計台(百周年時計台記念館) と クスノキ)
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( ↑ 京都市バス「京大正門前」(南行き)バス停 と 「京都駅」行きのバス )

   遠山啓『教育問答 かけがえのないこの自分』(1978.7.31.太郎次郎社)を読むと、数学者で教育論者の遠山啓は小さい頃、父親と会う前に父親が他界してしまい、父親のない子供として育ったそうで、そうであるからか「父親」というものを実際よりも「いいもの」と考えているように思える。『教育問答 かけがえのないこの自分』において、≪ ・・・父親はなんといっても家族のなかでいちばんの世間学者であり、悪くいうと、いちばんの俗物だ。 いくら利口な母親であっても、その点ではかなわない。その俗物的な世間知から子どもは多くのことを会得するのだが、父なし子にはその機会がない。だから、父なし子はたいてい世間知らずだ。よく言うと純情だということになるだろうが、そのために、父なし子は世間にでてから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができる。・・・・ ≫と書いている。 しかし、すべての父親がそういう存在ではない。 私の父親なんかは、必ずしも、≪家族のなかでいちばんの世間学者≫ではなかったし、私は父親から≪(父親の)世間知から・・・多くのことを会得≫することはできなかった。 むしろ、父は「子供というものは女が育てるもんじゃ。甘ったれるなよ。女は畑であって、種を植えてくださってやってあげてもらっていただいてくださった方のおかげで芽を出すことができたのであり、種が芽を出したなら、それを育てるのは畑の役目じゃ。甘ったれるな」と言っていたのだ。だから、私は給料を毎月持って帰ってくれて生活費を出してくれる人という意味での父親はあったけれども、≪(父親の)世間知から・・・多くのことを会得≫することができる人という意味での父親は子供の頃からなかったのだ。 そのため、遠山啓が述べている「父なし子」のごとく、≪世間にでてから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができ≫た。相当痛い目にあって。おのれの骨と肉のきしみと引き換えに。
   私は、高校を卒業するかしないかの頃、Nを友人だと思っていた。但し、この場合の「友人」というのは、「管鮑の交わり」「刎頸の交わり」とかいうようなそこまでのものの意味ではない。しかし、同じ学校に行った者として仲良くやればいいじゃないかと思い、あえて、「友人じゃない」などと言う必要はないと思い、その意味で「友人」だと思っていた。 しかし、それは私の方が勝手に思っていたことであってNの方では私を友人だとは思っていなかった。 それが、それから何十年かして、≪世間にでてから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう≫認識を≪身につけることができ≫たのだ。
   京都大学という大学は、「アカデミックな伝統」「反骨の学風」といったことが言われ、学問好きには好まれる大学である。京都大学原子炉研究所の助教であった小出裕章さんは、インターネットに収録されていたインタビューで、京都大学の教員として定年まで「助教」で据え置かれたけれども、「京都大学という大学は破廉恥罪を犯すなどしない限り、たとえ、その時の体制・権力にとってどんなに気に入らないと思われた人間であっても、決して追い出されるということはない大学です。その点で、京都大学は日本一だと思います」と話されていたことがあった(収録後の部分で、「東大だとそうはいかなかったでしょう」という発言もあったという話があった)。 たしかに、そのあたり、「京都大学は日本一」というところはあるのではないかと私も思うのですが、しかし、片方において、「教員養成所みたいな大学」という批判もあるわけです。「アカデミックな伝統」とか「反骨の学風」とか言ったところで、結局、学校の先生みたいな人間ばっかり育成している大学と違うのか? という批判であり、実際問題として京大出身の人というのは、良きにつけ悪しきにつけ、「学校の先生みたい」なところがあるように思う。 マック=赤坂さんにしてもそんなところがあるのではないか。私の場合、高校生の時、最も魅力を感じていた大学は京都大学で、最も嫌いな大学が「慶應の経済」と「神戸大の経済」だったのだが、結局、「家族の政治学」に勝利することはできず、最も嫌いな大学であった慶應大学に行かされてしまい、結局、卒業させてもらった・・・のだが、自分が思った所に行けた方がいいか行けない方がいいかというと、思った所に行けた方がいいに決まっているのだけれども、結果としてどちらがいいかというと、すべてにわたってどちらとはいちがいに言えないことがある。
   私の場合、精神的に遠山啓が言うところの「父なし子」みたいなところがあって、≪ その俗物的な世間知から子どもは多くのことを会得するのだが、父なし子にはその機会がない。だから、父なし子はたいてい世間知らずだ。よく言うと純情だということになるだろうが、そのために、父なし子は世間にでてから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができる。≫というように、実際に痛い目にあって、「世間知」とかいうほどでもないが、身につけてきた。 今でも、別段、「海千山千」でも「百戦錬磨」でもないが、痛い目にあうことと引き換えに、昔に比べればいくらかなりとも賢くなったかと思うのだが、慶應などという「商売人の大学」「大学全体が経済学部みたいな大学」に行ったことで、また、ピン高のヤツとか内部進学のヤツとかクロマティ高校のヤツとかに対し、おのれを殺しおのれを隠して生きるという術を少しずつ身につけてきたことで、いくらかなりとも賢くなった・・・・ような気がする。もしも、「アカデミックな伝統」の「教員養成所みたいな大学」に行って学校の先生かそうでなくても「先生業」についていたならば、お勉強は熱心でも≪(父親の)その俗物的な世間知から子どもは多くのことを会得するのだが、父なし子にはその機会がない。だから、父なし子はたいてい世間知らずだ≫った男は、それほど失敗しなかったかもしれないが、そういう「世間知」とかいったものはまったく身につかなかったかもしれない。 だから、どっちが良かったか悪かったかよくわからない面もあることはたしかである。
   かつてに比べれば、その「世間知」を身につけた今、小学生から高校生、浪人生、そして大学に入った頃まで、自分だけが相手を「友人」だと思い、相手が自分を「友人」だなどとはちっとも思っていなかった、という点を見抜くことができなかったというのは、なんとも、愚かなことだったと思う。 Nの父親は、嫁がアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくっているのを制止する能力もない男で、「恩を着せるために、クルマで乗せて行く」という行為を相手が嫌がって断っているということすらも見抜くことができない、もしも、営業ならこの上もなく低能の営業ということになる男だったが、私は、今はいくらなんでもN口の父親なんかよりも、はるかにそのあたりが見える。 Nもまた、そのあたり、今の私と同等には見えないかもしれない。 10年程前、フェルメール展が開催された時、日経新聞に書かれていたことだが、「絵画というものは、誰にでも同じものが見えるわけではない。 その人の能力で見えるものしか見えない」というのだが、「恩を着せるために、クルマで乗せて行く」という態度、「いかにも、恩を着せてやりたい」という態度を相手が嫌がっているということすらも「見えない」男というのは、どこの大学出ていたのかわからないが、その点では、「見る」能力がない男だったということであり、母親が息子のことを、いいようにいいように、あっちやらこっちやらで言いまくっていることから、その息子自身がそんなヨタ話を本気にしているということも見抜いて注意することができない、その程度の男だったわけだ。昔に比べれば、そのあたり、「見える」ようになったというのは、「アカデミックな伝統」の大学ではなく、「俗物の大学」の慶應に行ったおかげ・・・の面もいくらかはあったかもしれない・・か。
    (2017.5.26.)

   今回は、《 自分も浪人したという自覚がない・自分も下宿して大学に行っているという自覚がない大学生≪1/2≫ 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201705/article_3.html の続きです。 ≪1/2≫ とともにご覧いただきますよう、お願いいたします。 

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自分も浪人した・自分も下宿しているという自覚がない大学生2―浪人・2浪して大学に行くとカネがかかるか 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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