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zoom RSS 両親が離婚した人間より離婚しない人間は「家族の政治学」で苦労しないか?―受験生へのエール【6】

<<   作成日時 : 2017/03/29 21:42   >>

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 [第278回]
★★ 「両親が離婚した」人間と「両親が離婚していない」人間は、どちらが『家族の政治学』において苦労するかについての一考察 + 「両親が離婚した」人間というのはエライのか? ★★
    北野高校の2年の時の担任であった旧姓S野(女。1970年代後半当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒)は、生徒とその親とが主張が相いれない時にはためらうことなく親の側につくのが教諭としての処世術と確信していたようだが、それでは高校の教諭としての仕事をしていることにはならないと私は思う。 求職サイトとかは、究極的には、会社の側からカネをもらって運営されているので、その立場としては、求職者と求人側では求人側につきたい立場にあるものの、仕事の性質としては、両社が納得するように尽力しないと成り立たない仕事であると思う。 求職サイトで応募した際に、この対応はないのではないかと思った時、求職サイトにEメールなどで苦情を言うと、求職サイトの側から求人を出していた会社に話をしてくれることがある。それは求職サイトの担当者は、究極的には会社の側からカネをもらって成り立っているとしても、両社に納得してもらわないと成り立たない仕事であると認識しているからだと思う。この点でなっていないのは職安である。職安というのは、国民だれもが職業を失わないように設けられているはずであったが、実際はそうではなく、失業している人間、失業した人間というのは、そいつが悪いから失業したのだ、ということにしようとする機関である。不良企業の経営者に責任があるのではなく、失業したヤツが悪いんだ、国の政策が悪いから失業しているのではなく、そいつが悪いんだということにしようとするために設けられている機関であり、民間の求職サイトと比較しても職安が最も悪質である。 北野高校の旧姓S野は、高校の教諭というものは、生徒を犠牲にして親の側に加担すれば、教諭として高く評価してもらえる、あんたはえらい、あんたはえらいと言ってもらえると思っていたようで、そして、実際、私の父は、私の下の姉と同じくらいの年齢であった旧姓S野のことを、「あの人はさすがに北野高校を出て神戸大行った人だけあって、A子さん(下の姉)なんかとは違って、しっかりしている。さすが、北野高校でているだけのことある。さすが、神戸大行っただけのことはある」とか言って称賛していたが、そのおかげで、私は、小学校の1年から努力してきたもの、同級生が遊んでいる時も勉強して努力してきたもの、キリギリスが遊んでいる時もアリのごとく努力して貯め込んできたものを、全部まとめてドブに捨てさせられることになった。
   旧姓S野の最大の「売り」は、「私は両親が離婚したから」というものがあった。 その人の両親が離婚しようが再婚しようが、その人にはその人で事情があったことだろうから、その離婚によって私が何か被害にあったとかいうことがない限り、他人がどうこう言う必要はないことであると思うが、しかし、その一方で、それを自慢するというのは、それは違うのではないか。 両親が離婚した人間というのは、両親が離婚しなかった人間よりエライのか? そうではあるまい。 そもそも、教育者の立場にたって考えるならば、あるいは、本人の立場で考えるならば、「エライかどうか」なんて、どうでもいいじゃないか。 そう思わないか。 えらかろうがえらくなかろうが、本人のためになるようにするのが教育者のやることと違うか?
   慶應大の「近代思想史」という講義を実は私は2つ受講した。 なぜ、同じ科目名のものを2つ受講したかというと、留年すると同じ科目名で別の教員が担当している科目を受講できるからだ。 その片方の「近代思想史」で I 教授が、I 教授は日吉の教養課程に在学した際、サルトルの本を読破することで「安心立命の境地を得た」と言われたのだが、私は、サルトルの本を読んでいくうちに、「善人」とか「エライ人」とかになりたいという気持ちを克服した。 ニーチェは「『・・・のために』を捨てよ」と『ツァラトゥストラはこう語った』で述べているが、理屈でわかることはできても、実感として認識できるに至るには人生をそれなりに生きて痛い目に合う経験を踏んでこそではないかと思うが、私は、ニーチェよりもサルトルの本を読んで考えていくうちに、「善人」とか「エライ人」とかになりたいという意識を克服した。 「そんなもの、最初から思ってない」と言う人もあるかもしれないが、そうかな。そう思う人は、自分に本当にそういう意識のかけらもないかどうか、検討してみた方がいいと思う。 もし、「善人」とか「エライ人」になりたいという意識を完全に克服できていたならば、私も旧姓S野の罠にひっかからずにすんだかもしれないが、高校の2年3年から浪人の期間においてはそれを完全には克服できていなかった。「『悪人』になる勇気」という意味がわかる人とわからない人がある。ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の冒頭には「万人に与える書。何人にも与えぬ書」と書かれているが、これはひとがわからせようとしてわからせることができるものではない。
    旧姓S野は「私は両親が離婚したから」と、両親が離婚した人間はその分だけエライ! と言いたいらしかったが、「えらいえらいえらいえら〜い、あんた天皇へーか、あんた天皇へーか、えらい、えらい、えらい、えら〜い!」とでも言ってやれば喜ぶのなら言ってやってもよかったのだが、普通はそういうことを言われると、というより、この文句は、西川きよし と 横山ノックの漫才で、西川きよし が横山ノックに行って、横山ノックが「なんやねん、それはあ〜あ」と言うギャグだったのだが、横山ノックは「えらい、えらい、えらい、えら〜い。 あんた天皇へーか、あんた天皇へーか。 えらい、えらい、えらい、えら〜い!」と言われると、「な〜んやねん、それはあ〜あ」と言ってその対応を拒絶したのだが、ところが、「えらい、えらい。あんた天皇へーか、あんた天皇へーか」と言われると、喜ぶ人もいるわけだ。 私の父もそんなところがあったが、旧姓S野礼子なんか明らかにそのタイプだ。
    両親が離婚したことから苦労したものがあったのかなかったのか、それは知らないし特別知りたいとも思わない。 離婚しても、引き取った方に経済力があったなら経済的には苦労はしなかったかもしれない。 引き取った側が、京大なり東大なりを出てきたような人、もしくは、京大なり東大なりに行きたいと思ったが行けなかったというような人であったなら、大学受験においてはそうでない人よりも理解はある可能性が高く、その分、両親が離婚していなくても両親ともにたいした大学に行っていない人の息子・娘より有利であることが考えられる。 私の場合、父が他界するまで両親は離婚しなかったが、実は、母は離婚すると複数回言い出したことがあったのだ。 何が理由であったとしても、もし、離婚するのならそれはそれでしかたがなかっただろう。私が嫌だったのは、いったん、離婚すると言い出したが、簡単に離婚してやっていけるものでもないことから離婚はあきらめようということにする際、いったん、抜いた刀を鞘におさめようとすると、鞘におさめる口実がいるのだが、その口実に常に私を利用したことだ。「あんたがいたためにあんたのために離婚できなかったんや」と。 「両親が離婚したから」とさっさと離婚したような人、それを自慢にしているような人は、こういう経験がないのではないか。
    両親が離婚せずに2人ともいたならば、片親しかない人間より常に苦労しないとは限らない。 私は3人兄弟だった。子供が3人いるということは、あるタイプの夫婦において、子供を3人持つということは、「親のない子供」が1人できるということを意味した。私の親が結婚した時、父と祖父は仲がよくなかったらしく、祖父母もそれほど仲は良かったと言えなかったようで、父は祖母とは仲は良かったらしい。そして、祖父は嫁として来た母をかわいがってくれたと母は言う。この時、「父+祖母」対「祖父+母(嫁)」の構図ができた。 ところが、結婚して5年後くらいに祖父が他界して、「父+祖母」対「母(嫁)」になり、さらに、生まれた長女である上の姉(T子さん)は「父+祖母」の側について「父+祖母+長女」対「母(嫁)」の構図になった。 父は、弟が結婚しようという相手を家につれてこさせてごちそうして「いいところ」を見せようとしたが、父の月給は安く、そして、祖母が何何を買って来てと母に命じても母が持っていた財布にはそれを買うお金がなかった。 母は商店街に行っても買うことができずに家に戻って来て、そして、「なんで、買って来なかったんや」と怒られて、「忘れました」と言い訳をしたらしい。 その時、上の姉は常に「父+祖母」の側についていたらしい。 だから、父は、死ぬまで、「T子さんはドイツ人やねんぞ。おまえとは民族が違うねんぞ。チャンコロ」と言い続けた。
   給料が高くないのに、「いいかっこ」したがる父と、その父にやっかいになっている義弟、それを当たり前のように思っている義母に母は苦労したというのだ。 そして、母にとって、生まれてから90を過ぎた今日に至るまでに出会った唯一の「頼もしい男性」「頼りになる男性」「自分を守ってくれる男性」であった義父(祖父)は結婚して5年後に他界してしまった。 「父+祖母+長女」対「母」の構図で、母は父の安い給料で家計のやりくりに苦労して、何何を勝って来いと言われて商店街に行っても買うお金がなく、買えずに家に戻って来て、「なんで、買って来ないんや」と怒られ、「忘れました」と何度も言い訳をしたらしい。 義父(祖父)が他界する少し前に生まれた次女(下の姉)にとっては、「父の同盟者」としての姉(長女)の位置は生まれてきた時点ですでに姉(長女)に占められていたことから、その位置を取ることはできなかった。 その為、下の姉(次女)としては、「空いている椅子」として、しかたなしに、「母の同盟者」の位置をとるようになったようだ。 この時点で私は生まれていないので、聞いた話から構成するとこうなるということである。下の姉(次女)がある程度育ってくると、『家族の政治学』の構図は、「父+長女(上の姉)+祖母」対「母+次女」という構図になった。 その後、母は何度か妊娠したが、父の給料では3人目を養うことはできず、何度も人工中絶をおこない、その度に、「この女は、まったく、はらんではらんでしかたがない女やなあ。ほんまに、ほんまにい」とずいぶんと怒られたというのだ。 そして、人工中絶をした直後のふらふらの体で家事をさせられたそうだ。 そのうち、いくらか給料もあがったのか、そして、社会全体が戦後すぐの貧しい状況から「高度成長」の時期に入ってきたこともあったのか、3人目に私を産むことになった。 ここで、『家族の政治学』の構図は「父+長女(上の姉)+祖母」対「母+次女」対「赤ん坊(私)」となった。 「父の同盟者」としての「ドイツ人」は上の姉がその役を占めている。 「母の同盟者」は下の姉がその役を占めている。 3人目は「父の同盟者」にも「母の同盟者」にもなることはできなかった。
   祖母は年齢をいくとともに若い頃と比べると元気はなくなり、そのうち、老人ホームに入った。ここで、「父+長女〔上の姉〕(+祖母)」対「母+次女(下の姉)」対「子供(私)」となり、父側の力はいくらか弱まった。しかし、「父の同盟者」としては上の姉がいた。だから、父は上の姉のことを「しっかりしたお姉さん」「えらいえらいお姉さん」と言い、「母の同盟者」である下の姉のことを「アッポちゃん」「アッポちゃん」と言った。 下の姉が中学生の時、高校に行きたいと言うと、父は「おまえが高校に行って勉強すんのんか。おまえなんか、パチンコ屋のねえちゃんにでもなればいいんだ」と言ったそうだ。下の姉はそれを言われて勉強をする気を失ったと言っていた。(父が言うには、それは間違いで、私が生まれてきたために、下の姉は勉強できなくなったのであり、悪いのはすべて「チャンコロ」である私らしいが。)
    「父の同盟者」である「ドイツ人」の役は上の姉が占めており、「母の同盟者」である「日本人」の役は下の姉が占めていたことから、3人目は「ドイツ人」の役も「日本人」の役もまわってこなかった。 もちろん、子供はその時点でその構図に気づいていなかった。下の姉を産んでから何人も母は人工中絶したことから、下の姉と私との間には9年の差があった。上の姉は「あんたなんか弟じゃなくて、子供みたいなもんや」と口にしたが、もし、私が父の立場なら「いくつ、歳が離れていようが、おまえは兄弟であって親じゃないんだから、そういう口をきくのはやめろ」と言うが、父はそうは言わなかった。なにしろ、「ドイツ人」としては「同盟者」の権力は保持した方が『家族の政治学』において有利であるのだから。 又、父が私に何か言って私がそれを納得しないと、上の姉はさりげなく寄ってきて、父に加担した。父はそれを聞いて、「ほら、ほら、ほら、ほら。 しっかりしたお姉さんも言いはった、言いはった。 ほら、お姉さんもそう言いはるやろ。しっかりした方のお姉さんも。 ほら、ほら、ほら、ほら。 えらいお姉さんが言いはること。えらいえらいお姉さんも言いはること。 ほら、ほら」と言って、「しっかりしたお姉さん」(「ドイツ人」)も父に同調するように父の主張は正しいのだという主張を私にした。
   下の姉は、上の姉が子供(私)を親のように支配することが家族において認められているにもかかわらず、上の姉と自分は2つしか違わないのに「ドイツ人」として「子供」を支配する権利を自分に認められないことが不服だった。 今、考えてみると、父は自分と上の姉を「ドイツ人」と言い、私を「チャンコロ」と言ったのだが、それは「言い得て妙」であったかもしれない。母は父にとっては必要な存在だった。 私が高校3年の時、母は父のことを「私(母)のことを家政婦だと思っている」と言い、離婚すると言い出し、そして、言い出すことは言い出しても実際に離婚に踏み切る勇気もなければ経済力もなかったので、結局、「離婚する」といういったん抜いた刀は、結局、鞘に収めるしかなかったのだが、その際に刀を鞘に収める口実としては、「あんたが大学に落ちたおかげで私は離婚できなくなったんやないかあ」ということになった。私が「離婚できない口実」として使われたのは、この時が2回目である。 父にとっては「家政婦」としてであれ母は必要であったので、母は「日本人」だった。 それに対して、「子供」は「日本人」ほども役に立たないと父は認識していたので、実質、「チャンコロ」であったわけだ。
   父と「父の同盟者」である上の姉は「ドイツ人」として、当然、子供(「チャンコロ」)に命令したり支配したりする権利があったわけだ。 下の姉は上の姉に認められる「権利」が、なにゆえ、自分には認められないのかと不満であり不服だった。 日本は日清戦争を戦って中国からリャオトン半島を租借する権利を下関条約で得たが、ドイツ・フランス・ロシアによる三国干渉により、日本が中国に租借地を得るのは不当であると干渉されて譲歩させられた。 下の姉は「日本人」みたいなもので、上の姉が「子供」(「チャンコロ」)を父(「ドイツ人」)の同盟者として、やはり、「ドイツ人」として支配することを『家族の政治学』において認められているのに、なにゆえ、自分には認められないのか、と考えたわけだが、このあたり、まさしく、「日本人」の思考である。 このころ、「チャンコロ」としての子供は、まだ、自分の『家族の政治学』における位置づけに気づいていなかった。
   上の姉が結婚して家を出て行き、下の姉も結婚した。 そうなると、『家族の政治学』においては、「父」対「母」になるのか。 ここで、「子供」は、もう、年齢として子供ではない。 しかし、「父+上の姉」対「母+下の姉」対「子供」という構図は、「子供」が年齢として子供でなくなっても、姉が結婚してその家にいなくなっても、この構図はそうは簡単には変わらない。
   下の姉は、しばしば、家に戻ってきて、そして、口にすることがあった。「なんで、あんたは、私の言うことをきかないの」と。「日本人」としては、「チャンコロ」が「ドイツ人」の言うことはきく(きかされている)のに「日本人」の言うことはきかない、というのが不服で不満だったようだ。「ドイツ人」である上の姉は結婚して子供を2人産み、そして、そこで新たな『家族の政治学』ができていく。 上の姉は女の子を産み、次いで男の子を産んだが、上の女の子は、父にとって「かわいい」存在だった。だから、父は言ったのだ。「人間には、それぞれに役割があって、神さまは大変賢明なお方で、生まれる時点で役割をそれぞれの人間に割り当てて人をお造りになっている」と。「T子さん(上の姉)は、しっかりしたお姉さん(だと称して、父が言うことを家族の誰かが納得できない時に父に加担する役)で、ドイツ人。A子さん(下の姉)は、素直な子(便利使いに良いという意味)。Yちゃん(上の姉の女の子)は、これはかわいい(おもちゃ)。あんた(私)はチャンコロであり、常に支配されるための階級、支配されるために神さまから作られた民族」と。それが父の頭の中の家族観であったということだ。だから、「かわいい」人間である上の姉の娘にお年玉をやるために、正月になると、はるばる、大阪から千葉県まで行っていた。 「お年玉というものは、『おめでとうございます』と挨拶に来た人間に渡すもので、挨拶に来ない人間の所にわざわざやりに行くものと違うのと違いますか」と「チャンコロ」は言ったのだが、「やりたいね〜ん」と言っておカネをやりに行っていた。私が慶應大の学生で、東京から大阪に帰るのに、新幹線や飛行機を使うのは贅沢であり、何より、「チャンコロ」が乗るものではないと、「のぼせあがってはならぬぞ、チャンコロ」と父は言い、東京駅の八重洲口から出ていた国鉄バスの夜行に乗って大阪まで帰ると、「もっと安くする方法を考えなさい」と父は言ったのだが、「もっと安くする方法」と言っても、国鉄の夜行バスより安い交通手段は探してもなかった。 「もっと安い方法なんてない」と言うと、「甘ったれるなよ、チャンコロ。増長してはならぬぞ、チャンコロ。 のぞせあがってはならぬぞ、チャンコロ」と父は言ったので、それで、私はもっと安くする方法を考えたのだが、思いついたものとしては、東京駅から大阪駅行きの夜行バスに乗ったが、大阪駅行きではなく京都駅行きに乗って京都駅から北摂地区にあった我が家まで歩くか、日吉から東京駅まで東急と国鉄山手線を乗り継いで東京駅八重洲口まで行ったが、それを乗らずに日吉から東京駅まで歩くか、そうでなければ、その時もおカネがなくて夕食を抜いたのだが、夕食だけでなく昼食もぬくか、そのくらいしか思いつくものはなかった。 父としては、父が養ってやあってやあってやあってやっていたのだから、「チャンコロ」は夕食だけでなく昼食もぬくくらいのことはして当然と思っていたのではないだろうか。 そして、わざわざ、大阪から千葉県までお年玉をやるために行くというのは、それは「やりたいねん」というおっさんの気持ちを実現するために行くのだから、父の自由だったのだろう。 その結果、どうなったかというと、私が大学を卒業して最初に勤めた時、大阪で新卒社員研修があって、その間の日曜日に、「義務ではありませんが出てください」という「遠足」として新卒入社社員全員で京都の金閣寺と太秦の映画村に行った際、映画村で扇子の形をしたネックレスを売っていたので、まだ、最初の給料をもらっていない時点でお金がなかったのだが、その時、中学生だった姪にそれを買ってあげようと思って買って持って行ったところ、どうなったかというと、姪はそれを見て「お金の方がいいなあ」と私に言ったのだ。 「返せ。そういうことを言うなら返せ」と私は言ったのだが、姪としては、「お金の方がいいなあ」と言うと、大喜びする男が小学生から中学生にかけての時期に周囲にいたということで、そう言えば大人の男は喜ぶと思って、喜んでもらおうと思って言ったらしかった。 さすがに、父は「ドイツ人」だけあって、ものすごいことをするものだと思った。
     父の家族観としては、上の姉は「しっかりしたお姉さん」「ドイツ人」と父が認定する「父の同盟者」であり、下の姉は「素直な子」という便利使いで、上の姉の娘は「かわいい」、即ち、おもちゃであり、母は家政婦として必要な存在であるから「日本人」で、中学生から高校生になり、自分の言うことをきかなくなった私は「チャンコロ」であったわけだ。 上の姉には娘の下に息子もできたわけだが、父にとっては、私からすると姪であるYちゃんは「かわいい」というおもちゃとして必要な存在だったが、上の姉の息子の方は、どうも、どうでもいい存在みたいで、あまり話に登場しなかった。
     父は、「神さまは、大変、賢明なお方であって、人間、それぞれに役割を決めてこの世に作られているのでR(アール)」と言っていたのだが、父が「ドイツ人」になろうが「アメリカ人」になろうが勝手だが、父から「チャンコロ」と指定された息子である私は、その「チャンコロ」としての役割を拒否しようとしだしたわけだ。 それなら、どういう役割を求めたのかというと・・・・・・。 ジャン=ポール=サルトルが、ノーベル文学賞を拒否した時、言ったらしい言葉が、「私は、『ノーベル賞作家』などというものによって規定されない。 私は私だ」と。 私は、「私」になろうとしたのだ。 「ドイツ人」でも「日本人」でも「チャンコロ」でもない、「しっかりしたお姉さん」でも「すなおな子」でも「かわいい」でもなく、何より、「支配されるための民族」「命令されるための民族」でもない、私自身になろうとしたのだ。 イプセンの『人形の家』において、最後、ノラが何と言うか。 整理が悪くて、イプセン『人形の家』の本をどこにやったかわからなくなってしまったので、記憶で書くが、ノラは、たしか、こう言ったはずだ。「私は幸せにしてもらう必要はないの」と。「私は自分で幸せになるの」と。
    ノラのこの考えは、「ドイツ人」としてはとうてい認めがたいもののはずである。 父は、毎日のように言っていたのだ。 「この世の中は、人に命令する人間ばっかりでもいかんし、人に命令される人間ばっかりでもいかんのや。 神さまは、大変、賢明なお方であって、生まれてくる人間というものを、わしいのように人に命令するための階級、ひとに命令するための民族と、あんたあのように、ひとに命令されるための階級、ひとに命令されるための民族とに分けてお造りになっているわけや。 これは、生まれる時点において神さまがお決めになったことであって、どんなにあがいても、ひとが変えることはできないし、また、決して変えてはならないものなんや。」と。 「民族でもそうやろ。 ドイツ人とかアメリカ人というのは、ひとに命令するための民族、ひとを支配するための民族でやなあ、ロスケとかイタコとかチャンコロとかやなあ、ニグロとかプエルッとりこ とかは、ひとに命令されるための民族、ひとに支配されるための民族として神さまに造られた民族なんや。わかっとるか、チャンコロ」と。「わしいはドイツ人でアメリカ人やねん」と。「そんでやなあ、神さまは大変、哀れみ深いお方であって、チャンコロにもまたチャンコロとしての人生を用意してくださっておるわけや」と。「即ち、チャンコロには、常にひとに支配される人生、常にひとに服従する人生というものを神さまは用意してくださっているのでR(アール)! 神さまに感謝しろ、チャンコロ!」と、そう私に、毎日、毎日、言い続けたのだ。 こういう感じのことを言う人というのは、血筋としては日本人である「精神のドイツ人」にはけっこういるようだが、しかし、そういう人が認識できていないことが1つある。 それは、「支配するための民族」「支配するための階級」にとっては、「支配されるための民族」「支配されるための階級」というものが「世の中のためには」必要かもしれないが、「支配されるための民族」「支配されるための階級」にとっては、「支配するための民族」だの「支配するために階級」だのというそんなものは必要ないということをである。
    父はそういう人間であったから、「ドイツ人」として、当然、「チャンコロ」である私に対して「支配しなければならない」「命令させなければならない」「服従させなければならない」と認識しており、「それが神さまの命令やねん」「それが神さまがお命じになったことやねん」と言っていた。 母はどうかというと、やっぱり、夫婦て似るものだとおもうが、特に、女性は結婚した相手に似るものだと思うが、母は「親には息子に対しては、所有権という権利がる」と言っていたのだ。 父が嫁である母に対して「所有権」を主張することに対しては抵抗を示し、そのために息子の私に協力させようとしたが、父が私に対して「支配する権利」を主張することに対しては、決して、私の側についてはくれなかった。 そうではなく、「親には息子に対しては所有権がある」と言って、「所有権」を主張したのだ。
    人間は自分自身について、誰に「所有権」があるのか。 母が言うには、「あんた、自分で産まれたのと違うでしょ。親に産んでもらったんでしょ」と。 「親が産んだ以上、産んだ人間に所有権があるでしょ」と、母はそう言うのだ。「産んだ人間に所有権がある」とは、なんか、俺って、う○こ みたいやなあ、と思った。
    父は母とは言うことが違った。 母の見解では、母が子供を産んだ以上、生まれた子供の「所有権」は産んだ者にあるというものだが、父はそうは考えなかった。父は「女に産んでもらったなどと思ってはならぬぞ、チャンコロ」と言うのだ。「茄子でもキュウリでもそうやろ。種を畑に植えてやってあげていただいてもらってやってやあってくださってあげていただいてもらってやってくださったお方がおられたおかげで、種は芽を出すことができたんや」と。 「女は単なる畑じゃ。 心得違いをしてはならぬぞ、チャンコロ」と言うのである。 「畑が芽を出したのとは違うんや。 種が芽を出して生まれたんや。 そんでやなあ。いったん、種が芽をだしたなら、そこから育てるのは畑の役目なんや。 だから、子供を育てるのは女の役目じゃ。甘ったれてはならんぞ、心得違いを起こしてはならんぞ」と、父はそう言うわけだ。 1989年だったと思うが、住宅建築業の会社に勤めて、建築地の法規制を確認するために千葉県の松戸市役所に行った時、そこに、厚生労働省が作成した「子育てをしない男を父親とは言わない」と書かれたポスターが貼られていたのだが、父からすると、厚生労働省のそのポスターを作成した人間、男なのか女なのかわからないがは、「心得違いをしている」「甘ったれとる」人間だということになるはずである。 「男が種を畑に植えてやなあ、その種が畑から芽をだしたら、その芽を育てるのは畑の役目じゃ。 心得違いを起こしてはならんぞ。 心得違いを起こすなよ。 そんでやなあ、畑が育てて芽が大きくなって実を結ぶようになったらやなあ、その実は種を植えた者に権利があるわけや。 畑に権利があるのとは違うんや。ましてや、茄子やキュウリに権利があるわ〜けがない。 心得違いを起こしてはいかんぞ。勘違いするなよ。とんでもない間違った考えを起こしてはならんぞ、チャンコロ」と、父はそう言ったのだ。 毎日、毎日。 今でも、その言葉が耳鳴りのように耳元で聞こえる。
    父が他界した後、私が勤め先のことで母に話した時、母は「Hちゃん(下の姉のだんな)に尋ねてみなさいよ」と言ったことがあったので、「なんで、Hさんなんかにきくんや」と言うと、「何を甘ったれてますのん、あんたはあ。あんたなんかよりも、Hちゃんの方がえらいんでしょうがあ。 私はなあ、うちの子供(上の姉、上の姉のダンナ、下の姉、下の姉のダンナ、私の5人)の中ではHちゃん(下の姉のダンナ)が一番ええんや。私はあ」とそう言ったのだ。 「あんたみたいなもん、おってもしかたがないでしょうがあ」と母は私にそう言ったのだ。 そうか、それなら、産まなきゃよかったのに・・・・。何人も人工中絶して流したように、私も流せばよかったのに・・・・。

    北野高校の教諭であった旧姓S野は「私は両親が離婚したから」と、両親が離婚した人間は両親が離婚していない人間よりもエライのだという主張を絶対に譲らない。しかし、エライと思いたいなら好きに思えばいいし、私は、別段、「エライ人」と評価してほしいとも思わないし、家庭の問題なんか他人に話しても、どうせ、他人がわかるものでもない。私はここで我が家の恥部とでもいうようなものを公開しているが、これでもすべてではないし、すべて公開しても、もとより、他人が理解できるものでもない。 今は昔、読売テレビで、花登筐『銭の花』を原作とする『細腕繁盛記』というドラマが放送されていて、観光案内書によると今は風俗街になったとかいう大阪の宗衛門町は、かつては、高級料亭の並ぶ所で、そこで「南地楼」という高級料亭を一代で築いたというゆうが、孫娘の加代に、ウチワを見ながら語る場面があった。『ウチワを見れば骨がある』と言うのはほんまやなあ」と。 子供の頃の加代が「おばあちゃん、そんなん、当たり前やんか」と言うと、「加代ちゃん、どんな家でも、どんな店でも、外から見たらええように見えても、中に入って、ウチワを見れば骨があるもんですで」と言うのだ。たいていの家庭には「ウチワを見れば骨がある」のだが、「私は両親が離婚したから」という言い回しで、家庭で苦労するのは自分だけで、離婚していない両親の息子や娘は何の苦労もしていないと勝手に決めつけるような女は、高校の教諭になんかならない方がいいと思う・・・・が、なるやつがいるわけだから、そういうやつに家庭内の問題を土足で踏みつけにされることがないように、防衛策を考えないといけない。
    「両親が離婚した」人間と、「両親が離婚していない」人間では、「両親が離婚した」人間の方が「両親が離婚していない」人間よりも、『家族の政治学』において苦労しないとは限らない。 旧姓S野はおそらく死ぬまで理解できないだろうけれども、『家族の政治学』は、両親がいるからこそ大変である場合もある。
    私の両親は離婚しなかったので、そのため、私に対して「所有権」を主張する者が2人あった。 かつ、その2人に、それぞれ、「ドイツ人」の父には「ドイツ人」である上の姉、「日本人」の母には「日本人」の下の姉が同盟者としてついていた。 「両親が離婚した」人は、残った方の親が「所有権」を主張したとしても、「所有権」を主張する人間は1人であるのに対して、「両親が離婚していない」人間は、「所有権」を主張する人間は2人いるわけである。 自分に対して「所有権」を主張する者が2人いるのと1人と、どちらがいいか。 「両親が離婚したから」というのを自慢にしている女からすると、「それは、当然、2人いた方がいいに決まってるでしょうよお」と言うだろうけれども、そう認識している女は、もしも、高校の教諭をするにしても、「両親が離婚した」人の担当だけするようにするべきで、「両親が離婚していない」人間の担任なんかは、頼まれても断るべきである。

    北野高校の教諭であった旧姓S野は、「両親が離婚した人間」は無条件にエライと人からほめてもらう権利があると認識していたようで、「両親が離婚していない人間」は「両親が離婚した人間」よりも『家族の政治学』において苦労することはないと勝手に決めつけていたのだが、もう1つ理解できていない点があったようだ。 彼女は両親が離婚した後、母親の方と一緒に暮らしたらしい。 両親が離婚したり、片方の親が比較的早い時期に他界してしまった人で、母親の方が残ったという人には、父親というものを実際よりもいいと思い込んでいる人がいる。 旧姓S野もそうだったと思うが、実は、父親というものは、いた方が常に絶対に良いというものでもないのだ。
    数学者で教育論者の遠山啓(ひらく)が、『教育問答 かけがえのないこの自分』(1978.7.31.太郎次郎社)で、父親を小さい頃に亡くした自分自身について述べている。
≪  ・・・父は早くから朝鮮に行っていたので、ぼくは父を知らない。・・・・
    ぼくが5歳のときに、父は帰国することになった。それは数か月前に便りがあったので、ぼくはまだ見たことがない父をそれこそ待ちこがれていた。 土産の品々なども小包で先着していた。
    いよいよ帰国の日が近づいたある日、電報がとどいた。 それは父が朝鮮の田舎で腸チフスにかかって、しばらく帰れないという内容のものだった。いまでこそ腸チフスは大した病気ではなくなったが、むかしは死亡率の高い危険な病気だった。 母はすぐさま看病のために出発した。 ・・・・・
    ・・・・7月のはじめのある日、死の知らせがとどいた。・・・・・・いま考えると、5歳の子どもがそれほどの衝撃を受けるとは信じられないくらいだが、やはり、ぼくの生涯でもっとも大きな事件だったといえる。
    ・・・・・・
    だんだん年をとって冷静に考えられるようになり、また、自分自身が父親になってみて、子どもにとって父親とは何か、ということを考えてみたことはある。 生まれたときから父親がいて、いっしょに暮している子どもにとっては、父親は空気みたいなもので、父親とは何か、ということはかえってわからないかもしれない。 その点からみると、ぼくみたいに父親の味を知らないで育った人間のほうがかえってよくわかるかもしれないね。
    父親は家族にとってはなんといっても世間の荒波から防いでくれる防波堤のようなもので、そのなかで家族は安心して生活できる。 どんなに家庭生活を省みない無責任な父親でも、とにかく防波堤の役目だけは果たしているものだ。 ふだんは水面の下に隠れていても、やはり大きな波は防いでくれる。世間は父親のいる家庭には一目おくものだ。 それが父親がいないと、その一目がなくて、どうしても甘くみられる。 ・・・・多くのばあい、父親がいなくなると、まず経済的に困ることになるが、運よく経済的には困らないときでも、この負い目だけはついてまわる。 ・・・・・
    第二に、父親は家族に対する小権力者だ。・・・・
    第三に、父親はなんといっても家族のなかでいちばんの世間学者であり、悪くいうと、いちばんの俗物だ。・・・・
    だから、父なし子はたいてい世間知らずだ。 よくいうと純情だということになるだろうが、そのために、父なし子は世間にでてから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができる。 ・・・・・ ≫
(遠山啓『教育問答 かけがえのないこの自分』1978.太郎次郎社 「2 母ひとり、子ひとりは、どう育つか」 )
    遠山啓は、ここで、≪ 生まれたときから父親がいて、いっしょに暮している子どもにとっては、父親は空気みたいなもので、父親とは何か、ということはかえってわからないかもしれない。 その点からみると、ぼくみたいに父親の味を知らないで育った人間のほうがかえってよくわかるかもしれないね。≫と述べているが、この文章を見る限り、遠山啓は、実際に父親を持ったことがないだけあって、父親というものを知らない、もしくは、実際よりも良いように思っている、あるいは、よその父親の中で、かなりいい方の父親を見て、父親とはそういうものだと思ってしまっていると思える。
   ≪ 父親は家族にとってはなんといっても世間の荒波から防いでくれる防波堤のようなもの≫と遠山啓は書いているが、たしかにそういうお父さんもあるだろうけれども、そうではないお父さんもある。むしろ、「世間の荒波」を呼び込んでくるお父さんというのもいるのだ。
   さらに、≪ 父親はなんといっても家族のなかでいちばんの世間学者であり、悪くいうと、いちばんの俗物だ。≫ などと遠山啓は言うが、実際にはそうではなく、世間を知らない、世間知らずの父親というのもいるのだ。

   私も、友人のお父さんなど見て、いいお父さんだなあと思ったことはあるが、そんなこと言っても、それはよそのお父さんであって自分の親ではないのだから、しかたがない。 特に、大学受験においては、自分自身が東大とか京大とかに行ったようなお父さんの息子・娘というのは有利だなと思ったが、しかたがないではないか。 うちの親とは違うのだから。
   遠山啓の文章を読むと、遠山啓は父親というものを実際よりよいものと思っている、あるいは、よその父親で相当いいお父さんを見て「父親というもの」をそういうものを思ってしまったのではないか。北野高校の教諭であった旧姓S野も、自分が父親がなかったものだから、「父親というもの」を実際よりもいいものと思いこんでいたのではないかと思える。
   私は、結局、日本で一番嫌な大学の首をもがれても行かされたくない学部に無理矢理行かされて、しかたなしに卒業したのだが、浪人したり留年したりしたおかげで卒業時に人よりも歳をいっていて就職は有利ではなかった。 なかなか、採用すると言ってもらえず、その時、父は何と言ったかというと、「知らんで、知らんで。 あんたの就職みたいなもん、わしは知らんで。 うちの会社はあんたみたいなもん、雇えへんで。 あんたの就職みたいなもん、あんたが自分で何とかしいや」と、父はそう言ったのだ。 有名人の話では、たとえば、みのもんた なんてあんなしょーもないおっさんでも、息子が慶應大学を卒業する時、日本テレビの社長に「うちの息子は慶應の商学部の4年なんですけれども、内部進学で学業の方はまったくできないんですが、なんとか、日本テレビで雇ってもらえませんでしょうか」と頭を下げて頼んだというのだ。日本テレビの社長はそれを聞いて、「学業ができないのなら、それなら、近いうちに日本テレビの社屋を移転する予定があるから、引越要員ということで雇えばいいだろう」と言って採用してくれたという。(なんかの新聞か雑誌に書いてあった話なのでその通りかどうかは知らんぞ。) 母は、取引先の会社だってあるのに、なんで、頼めないのかと後になって言うが、頼めないおっさんだったのだ。なにしろ、ひとに頭を下げるのが嫌だという男だったのだから。 そのうち、超優良企業とかではないけれども、来てくださいと言ってもらえる会社がでてきた。そして、さらにその後、他の会社で好意的な話をしてもらえる所がでてきたところ、そうなると、「知らんで、知らんで」と言っていたおっさんは、今度は出てきたのだ。「よっしゃ。 そうしたら、どっちがええか、わしが決めたろ」と。 そういう男だったのだ、うちの父親は。 なかなか、来てくださいと言ってもらえる所が無いとなると、「知らんで、知らんで」と言って逃げて行き、来てくださいと言ってもらえるありがたい所が2社出てきたとなると、今度は「よっしゃ、そしたら、わしがどっちがええか決めたろ」などと言いだす。そやった、そういう人間やった、このおっさんは。 「決めていらんけど」と言うと、「の〜ぼせあがるなよ、チャンコロ。そういう大事なことは、わしのようなえらいえらいえらいえらいドイツ人に決めてもらうもんやろうが。心得違いを起こすなよ、チャンコロ。甘ったれるなよ、チャンコロ」と言うのだった。
    父は、結婚についても、「あんたが、女を何人か連れてきなさい。そうしたら、その中から、わしが『こいつがええ』とええのを決めたる。 もし、その中にええのがおらんかったら、『みんな、あか〜ん』言うたるから、又、あんたが、何人か女を用意しなさい。その中にええのがおったら、『こいつにせえ』言うて決めたるわ。 その中にもええのがおらんかったら、また、『みんな、あか〜ん』言うたるから、また、あんたが何人か女を用意しなさい」と言うので、「決めていらんけど」と言うと、「何を言うとんねん、何を〜を。それは大事なことやぞ、大事なこと。そういう大事なことは、わしいみたいなえらいエライえらいエライえらいドイツ人に決めてもらうもんやろ。あんたが決めることと違うねんで。わかっとんねんやろなあ。チャンコロ」と言うのだった。「の〜ぼせあがるなよ、チャンコロぉ。つ〜けあがるなよ、チャンコロぉ」と。

    そうは言うものの、そのおっさんが毎月受け取ってくる給料から私は生活費を出してもらって成人した。その点においては、「わしに感謝せえよお。わしにやぞお。感謝せえよおお。わかっとんねんやろなあ、チャンコロ。『親に感謝』じゃ、『親に感謝』。戸締り用心、火の用心!」とか父は言っていたのだが、「戸締り用心、火の用心」だの「詩吟と武道を習い心と体を鍛えましょう」だの言われなくても、その点については重々感謝しているのだが、片方で困ったところもあるおっさんだったし、外敵を引っ張り込んでくるところもあり、遠山啓が言うような「世間」を知っている男ではないくせに「わしは世の中のことを何でも何でも知ってる人間やねん」と言いたがる男だった。
    もう1つ、高校生くらいの時の私が気づいていなかった点があった。相撲の高砂親方(元・大関 朝潮)が本に書いたらしいのだが(実際に本人が書いたのか本人が語ったものをもとに文章力のある人間が文章にしたのかはわからないが)、横綱の朝青龍が困ったことを繰り返すのは、親方が大関どまりの親方で元横綱でないからだと、大関どまりであった親方が元横綱の親方に劣るように言う人がいるが、そうではないと思う、元横綱の親方は、自分は達成したという意識でいるが、大関にはなれたが横綱にはなれなかった親方はそうではない、引退した後も、どこが悪かったのか、どこがだめだったのか、どうすれば良かったのかといつまでもいつまでも考え続ける、と。 それを弟子に指導して弟子をなんとかして横綱にならせてやろうという気持ちになるから、だから、大関どまりの親方が元横綱の親方に劣るということはないはずだ、と。
    やはり、有名人の話としては、週刊誌によると、大王製紙の二代目社長は、北野高校から東大に行こうとして合格できずに慶應に行って卒業した人だったらしいが、息子には何としても東大に行かそうとして、そして、三代目社長の息子は東大に合格して入学・卒業した・・・・・・が、その息子がなんかしょーもないことしてしまった・・・・らしい。 その「しょーもないこと」の方はさておき、東大に行きたいと思ったけれども行けなかったという男が息子を持ったなら、こうすれば合格できたのに・・・・と思うことを息子に教えて合格できるようにさせてやりたいと考えるのが普通ではないかと思ったのだ。私は。父親とはそういうものかと、高校生くらいまでの私は思っていた。
    しかし。そういう発想をする父親もあればそうではない父親もあるわけだ。私は、結局、2浪しても東大の試験に落ちてしまい、慶應大の商学部に嫌々入学した。 そのうち、父は言いだしたのだ。「あんたはなあ、自分は慶應に通ったと思うとるかもしれんが、あんたが何か努力したから慶應に行けたのとは違うんやで。わしがえらいから慶應に行けたんやで」と。 何を言ってるのか、今まで私の足を引っ張る行為をさんざんやってきた男が何を言うかと思ったのだが、それは父の親友で医者屋のM川が息子に言っていたらしい文句を真似たもののようだった。父の親友で医者屋のM川はドバカ息子を関西医大に裏口入学させたというのを自慢にしていて、「わしなんか、バカ息子を関西医大に裏口入学させたが、これは思考が柔軟やからなんじゃ」とか言っていたのだ。そんなに「思考が柔軟」なら、「患者」を薬漬け検査漬け毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大なんかに行かさずに、その柔軟な思考力を生かして狂大医学部でも犯大医学部でも頭狂大学医学部でも現役で実力で合格すれば良さそうに思うのだが、「と〜ころがそれが違うんじゃ〜い」と父の親友は言ったのだ。。その男が息子に「おまえが関西医大に行かせてもらったのは、わしがえらいから(「患者」を薬漬け検査漬け毒盛りしたおかげ)であって、おまえは何の努力もしとらんねんぞ」と言ってやるそうだ。 しかし、そのバカ息子はそうかもしれないが、私は、何も慶應に裏口入学させてもらったのではないし、父にはそんなツテなんかないのだ。そのうち、さらに父は言いだした。「わしは本当は慶應やぞお。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ」と。そして、「おまえは本当は拓殖じゃ」と。 たしか、父は、昔、「わしは同志社という立派な立派な大学を出ている」と言っていたはずだったのだが、いつから宗旨替えしたのか? 要するに、私が慶應大に入学したことから我慢できなくなったらしい。「わしかて、もし、家が貧乏でなかったら慶應受けさせてもらって、間違いなく合格したわ」と。それを母に言うと、母は後になって、「よく、そんなこと言うわ。結婚する前からあの人の近所に住んでいたから私は知ってるけど、あの人、慶應を受けたけれども落ちたんじゃないの。貧乏だから受けさせてもらえなかったのじゃなくて、受けたけれども落ちたから行けなかったんじゃないの。よく、そんなこと言うわ」と。父としては「わしは同志社やねんぞお。わ、倭、輪、わかっとんのんか」と言ってきたのに、私が慶應大に入学してしまうと自分の方が下になってしまうというそれが父としては許せなかったようだ。 そして、「おまえは拓殖じゃ! わしは本当は慶應の人間やねんぞお。わ、輪、和、わかっとんのんか、拓殖。 わかっとんのんか、拓殖!」と私の鼻の頭を指さして言い続けた。
    父は自分にそういう意識があることを自分で気づいていなかったかもしれないが、周囲の人間には見抜かれていたようだ。 それで、「東大なんか行かすといいことないでえ」とか「現役で通るよりも浪人した方が人間としていいですよお」とか言われると、そうかいなあと思ったようだった。 そういうアホな話にすぐに引っかかる所を見ると、遠山啓は父親というものは、「世間学者」で「俗物」だと言うが、うちの父はそうではなかった。そんなアホな話に簡単に引っかかるような「世間知らず」のおっさんだったのだ。
    「両親が離婚した」というのを「売り」にして自慢にしていた北野高校の教諭の旧姓S野は、父親がないだけに、自分より上の大学に息子を行かせてなるものかと考えて足を引っ張る父親を想像できないようだった。母は90を過ぎた今になって父のそういう意識を認識できるようになった。息子に自分より上の大学に行かせてたまるものかと考える父親もおれば、現役で東大や京大に合格させると独立自尊の精神を持って親の言いなりにならなくなるので落としてやろうと考える母親もいるということを理解できないバカ教諭は、バカなのだから、もう少しおとなしくしてもらいたいものだったが、バカはなかなかおとなしくはしないものだから困りものだ。

   次回、「会社員型」か「非会社員型」か http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_7.html

    (2017.3.29.)

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両親が離婚した人間より離婚しない人間は「家族の政治学」で苦労しないか?―受験生へのエール【6】 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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