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zoom RSS 日本の教会建築(6) カトリック大阪梅田教会(元・カトリック北野教会)(大阪市北区) とその周辺

<<   作成日時 : 2014/05/17 02:49   >>

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[第200回]
   東京駅の南東、鍛冶橋駐車場から乗った夜行バスで大阪梅田で降りて、周囲を見回し、「あれ、ここ、どこだあ???」と考えた。 今まで何回か乗った夜行バスでは、大阪梅田では、大阪駅のJRのガード下あたりに着くことが多かった。 今回もそうだろと思い込んでいたが、ところが違った。 公園がある。バスの駐車場がある。デザインにこったビルがある。そして、ハイカラな教会がある。 こんなところ、あったっけ・・・・。
  ↓ こんな教会とかね。
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  ↓ こんなビルとか。
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  ↓ こんなビルとか。
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  ↓ こんな公園とかがある。
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↑ 大阪駅の付近にこんなところ、あったっけ???


   あったんだわ。実は。 大阪から夜行バスに乗る時、ここから発車することが多く、この駐車場にバスが来て、公園で、バス会社のスタッフが「○○バスの△時▽分発◇◇行きの方」とか呼びかけて、この公園が待合場所みたいになっていた北区豊崎3丁目の駐車場に着いたのだった。 夜、乗る時には何度か来た事があったのだが、朝、ここに着いたのは初めてだった。 夜と昼とではずいぶんと感じが違う。



   
   それで、その目の前にある教会↑が、むかしは、カトリック北野教会だったのがいくつかのカトリックの教会が合同して建替えられたカトリック大阪梅田教会だった。 むかしは、北野教会と言って、もっと古びた感じの教会がここにあった。
※ カトリック北野教会 の教会堂がなくなるのを寂しく思った方はほかにもあるようで、インターネット上にも、カトリック北野教会の教会堂について述べておられるものが見られます。
《さよなら中津の北野教会》http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html
たしかに、ここで公開されている写真のような教会堂がありました。
《ビルの谷間の安らぎ空間 聖ヨセフ カトリック北野教会(大阪大司教区)〜大阪市北区豊崎》http://inkpot.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_b85a.html
かつては、周囲のビルも今ほど高くなく、今ほど「ビルの谷間」ではなかったのですけれども。
《千里山ブラウズ 茶屋町のカトリック北野教会》http://blog.goo.ne.jp/senriyama-net/e/fc81e62eb7b03566c90cc5f886c30948


 ↑かつて、この公園はなく、ビルが建っていて、この駐車場は前からあったけれども、かつては夜行バスが今ほど多くなく、この駐車場は夜行バスの発着所ではなかった。  ここは今は大阪市北区であるけれども、北区と大淀区が合併して大きな北区になる前は大淀区で、大阪駅の南側は昔からビジネス街・繁華街だったが、北側はそうではなくこのあたりはビジネス街というほどのビジネス街ではなく、「梅田」というよりどちらかというと「中津」だったのだが、いつしか、梅田が広がってこのあたりも梅田の範囲になった。
   ↑上の写真のビル3つのうち、最初のは、ピアスタワーの地上に近い部分。次の逆T字型というのか、少々、お上品な言い方をすると「勃起したチ○ポ」みたいな形状の外観・・のビルは「ホテル 阪急 インターナショナル」。 3番目の白い窓の少ない「精神病院建築」はESPという専門学校らしい。 
   「精神病院建築」というのは、逃げられないような窓になっている建物という意味である。 住宅の仕事をしていると、「刑務所の塀みたいな」という表現をする人があり、住宅の防犯上、高い塀にした方がよいか、スケスケのフェンスにした方がいいかというと、中にマーシャルアーツとかブラジリアン柔術とか空手・少林寺拳法とかの猛者がいたり、ドーベルマンとかいうようなこわ〜い犬が放し飼いにされていたりするようなエライ人かコワイ人の豪邸なら高い塀も悪くはないとしても、わたしらみたいなびんぼう人のつましい家の場合は、高い塀を設けた場合、乗り越えにくいようにしても、いったん、乗り越えて中に入れば泥棒さんとしては後はらくちんち〜んで、逆に、外の道路を人が通るような場所では、スケスケのフェンスであれば、泥棒さんも外からの視線が気になってやりにくい、というのが一般的な考え方である・・・のだけれども、その際、相当に高い塀のことを「刑務所の塀みたいな塀」と表現する人がお客様の方にも住宅屋の方にもいるのだけれども、「刑務所の塀」を実際に見た事があるかというと、見たこともなしに言っている人がけっこういるのだ。 私は「刑務所の塀」を外から見た事はある。 昔、東京都の府中市に住んでいる友人がいて、JR武蔵野線の「北府中」の駅から東に歩くと、府中刑務所があって、まさしく、「刑務所の塀」がそこにあったのだ。 たしかに、相当高い塀で、ちょっとやそっと背伸びしてもジャンプしても中は見えない。 だから、「刑務所の塀」を外から見たいと思えば、それほど苦労しなくても見ることはできる。 しかし、「刑務所の窓」はどうなっているかは塀が高いのでなかなか見えないからわからない。 実際には、府中刑務所の脇に歩道橋が1か所あって、歩道橋の上からはちらっと内部が見えるので、遠くに建物が建っているのは見えるが、府中刑務所の建物は、建物の方は遠くからちらっと見えたものでは外観は特別の建物でもなかったように思う。 それに対して、「精神病院」というのは、それぞれ違うだろうけれども、一般に刑務所ほど高い塀はない。 そのかわり、逃げることができないように窓が大きく開かないようになっている場合が多い。 かつ、最近の建物では、それを外の通行人に見られてもその点に気づかれないようにデザインのひとつであるかのようにしてごまかしている建物がある。 それで・・・・・、「精神病院」でもないのに、そういう作りにしているビルを時々見るのだが、もしかして、「秘密を知った者はそのまま生きたままで返すわけにはいかない・・・・」というような事情でもあるのかないのか知らないけれども、そういう建物を「精神病院建築」と呼ぶのだ。 誰がそう呼ぶことにしたかというと、私がしたのだ。
   そのESPという専門学校は、何の学校なのか、そのあたりを見回してもよくわからなかった。インターネットでそのHP(http://www.esp.ac.jp/ )を見ると、≪音楽・芸能・楽器・声優について学べる専門学校を東京(原宿・高田馬場)と大阪(梅田)で開校しています。≫というものらしい。
    そういえば、東京都の新宿の西口にどか〜んとできたコクーンタワーという丹下都市建築設計が設計したという悪趣味な建物も、東京モード学園という学校もHP(http://www.mode.ac.jp/ )を見ると≪ファッション分野 ヘアメイク・美容分野 インテリア分野 グラフィック分野≫の学校らしい。 どうも、そういう系統の専門学校というのは、「芸術的」というのか「個性的」というのかの建物にしたいらしいが、コクーンタワーというのは、どうも、「世界の丹下」に気がねして言わない人がいるようだが、それなら、万年反抗期の私があえてここで言おうではないか。 「悪趣味だ!」
    かつ、芸術の専門学校の場合、建物自体が先にとことん「芸術」されてしまったのでは、そこに通う学生は「芸術」しにくくなるのではないのか。むしろ、幾分、白紙・ペンディングの部分が残っていてこそ、私ならこうする! というものがでてくるのではないのか、という気がするのだが、どうだろうか。
    また、新宿西口というのは、高層ビル街としてすでに定着しており、その景観もある程度定着してきているのだが、丹下健三と丹下都市建築設計の特色として、それまでの先住建物がどうであるかなど知ったことじゃない、アイアム ナンバーワ〜ン! と常にハルクホーガンやらないと気がすまない。自己顕示欲の塊みたいな建物。 常に、自分が建てる建物に周囲が合わせればいいじゃないかとう傲慢な建築思想でできているところが、好感を持てない。
※ ハルクホーガン を知らない方は、
⇒《一番 ハルク・ホーガン(Itch Ban / Hulk Hogan) 》http://www.youtube.com/watch?v=BJigJNkwqEo
   で、その専門学校ESP の建物は、↓この白い「精神病院建築」の建物と
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その西側にもうひとつある↓
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が、どうだろうか。 絶対に悪いとは言わないが、しかし、≪音楽・芸能・楽器・声優について≫の専門学校って、いかにも芸術やってますよお〜おって感じの建物にしないといけないものなんだろうか・・・。
↓ 非常階段がデザイン化されているのは、悪くないか・・・。
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   「いかにも・・・」と主張する「丹下健三型」「自己顕示欲旺盛型建築」と対象的に、「めだたず騒がず・・」でありながら、「あっ」とふと気づいて、そういうことか・・・と納得したのが、↓
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↑ 阪急電鉄本社ビル
  左(西)を走っている阪急の車両にも共通する。 阪急の車両は外観にしろ、内部にしろ、派手ではない(というより地味めの色合いである)が、さりげなく上品さとセンスの良さを表わすもので、たまに大阪に行って見ると、阪急の車両のデザインはいいなあと感心する。
  その車両と同系統の色合いを意識して作った? のかどうかわからないが、そういうビルになっている。 たしか、私が子供の頃は、ここにはスケートリンクがあって、阪急の電車から見えていたように思うのだが。 
  阪急の電車の車体の色は「阪急カラーの あずき色」と言われるのだけれども、私の記憶違いでなければ、40年以上前、私が子供の頃は、あずき色はあずき色でも今よりももうちょっと焦げ茶に近い色だったような気がするのだ。 その頃、国鉄の阪和線の各駅停車の電車は、だいだい色の車体のものと焦げ茶の車体のものが走っていたが、その「阪和線の各停の焦げ茶の車体の色に比べれば阪急はあずき色」という程度のあずき色であったのが、それが、だんだんと純粋な「あずき色」、明度の高いあずき色に変化していったように思うのだ。 昔は、この↑の阪急本社ビルの色に幾分近かったような気がする。 いつであったか、南海の電車の車体に鳥のマークがついていて、南海の社内で、「南海ホークスの鷹」だと主張するタカ派と「平和の象徴の鳩」だと主張するハト派があったという話が新聞に出ていたことがあったと記憶しているのだが、阪急の車体の色も焦げ茶派とあずき色派があって、あずき色派が徐々に勢力を拡大してきて、今では「阪急カラーのあずき色」と定着するようになったのかな・・・という気がしている。 たしか、昔の阪急の車体は、あずき色はあずき色でも今よりも焦げ茶に近いあずき色だったように思う。


   それはいいが、↑上の2番目のビルの写真、「HOTEL HANKYU INTERNATIONAL (ホテル 阪急 インターナショナル)」とアルファベットにて書かれている建物だが、この いわゆるひとつの「ち○ぽ 型タワー」はどうだろうか。 この表現、気にいる人と気にいらない人とあるかもしれないけれども・・・。 ↑の写真。 そう見えませんか? 
   南寄りは、梅田芸術劇場メインホール らしい。↓
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↑ 西面の北寄りと南寄り。 

それぞれの面で異なった顔が見られるところはなかなか・・・・と思う・・・・けれども、でも、言っちゃ悪いが、北面は、やっぱり、「ち○ぽ みたい」と違うか?  言っちゃ悪いが、違うか???

   ピアスタワー は、全体の外観は何度か見て、またずいぶんと背の高い高層のビルができたもんだと思って何度か見ていたのだが、↓
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すぐそばで見るのは夕暮れ時にバスに乗車するために待つ夕暮れ時が多かったので、最初の写真のように地上に近い部分でこのようなデザインになっていたのには、今回、改めて気づいた。 よく見ると、中ほどの階でも↓のような変化がある。
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  ↑下の方の影は、向いのビルが窓のガラス面に映っているのであり、そういう材質のものが使われているということだろうか。
  《ウィキペディア―ピアスタワー》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC には、施工:東急建設・大林組・錢高組JV、設計:日建設計とでているが、設計者の個人名はでていない。1996年竣工だというから、最近できたような気がしていたがもう18年経つことになる。
  化粧品会社が作ったビルであることから、「口紅をイメージしたデザイン」だそうだが、言われれば、なるほどそうかなと思うが、言われなければわからない。  ちなみに、東京の浅草の隅田川の東岸のビルの屋上にある「茶色いウンコみたいなやつ」は、あれは、あのビルはアサヒビールの建物で屋上のオブジェは「ビールの泡」を意味するそうだ。地上に行ってみると説明書きがあったが、脇の高速道路を走っていて見ても、「ビールの泡」とはわからない。「茶色いウンコみたいなやつ」としか見えない。

  もっとも、高層ビルで、中ほどの階でこのような変化をつけたり凹凸をつけたりする建物が最近は増えてきたが、清掃・メンテナンスをする場合を考えれば、それはやりにくくなる要因ではないのか、とも思うがどうだろうか。 かつて、ジェットコースターのペンキ塗装の手伝いのアルバイトで、ジェットコースターの最も高いところまで横の金網でできた通路を通って丸太をかついで登ったことがあるが、本当に怖かった。命綱をつければいいだろうと言う人がいるかもしれないが、命綱をつけた状態で移動できるか? 実際、「命綱なんか、つけてたら、仕事できない」と、その時、とび職のおじさんが話していたのだ。 「世界の○○」とか称している「建築家」だという人たちというのは、自分ではそういう経験をしない人たちだと思う。 自分がそういう場所に怖い思いをして登ることはない、たとえ、落ちて命を失くしたり半身不随になったりする人間がいたとしても、それは自分ではないという気持から、デザインだけ造形だけ考えてビル建築を考える「建築家」が多いのではないかという気がするのだが、「一流」の建築家なら、清掃やメンテナンスの作業をする人間の安全も考えてほしいと思う。


   カトリック大阪梅田教会(元・カトリック北野教会)の南の駐車場はけっこう前から駐車場としてあったように思う。その南側の道を、かつて、阪神 北大阪線 という路面電車が走っていた。 阪急京都線・千里線の「天神橋筋六丁目(天六)」駅の所から来てこの道を走り阪急のガードをくぐって阪急「中津」駅の西側に「中津」駅があり、そこから阪神「野田」駅まで走っていた。 たしか、この駐車場の前(南)か公園の前(南)あたりにその路面電車(阪神 北大阪線)の「北野」という駅があったはずだ。
   大阪府立北野高校が今の十三地区(大阪市淀川区新北野)に移る前にあったのは、この西のあたり、阪急のガードをくぐって西側、済世会中津病院(http://www.nakatsu.saiseikai.or.jp/ )の所だったらしい。

堂島にあって堂島中学校と言っていたのを済世会中津病院の所に移ったことで北野中学校と名称をかえて、そこから十三地区に移った後も、北野中学校の名称を続け、淀川区のその場所の地名の方が新北野と変わったらしい。
〔済世会中津病院玄関前にある「大阪府立北野中学校跡 記念碑」の写真は、[第76回]《大阪の (旧制)北野中学校〔北野高校〕と福沢諭吉の史跡、及、『福翁自伝』から見る 橋下 徹 の矮小さ》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201201/article_5.html で公開しています。ご覧下さいませ。〕
   北野病院(http://www.kitano-hp.or.jp/ )というのが、大阪市北区扇町の扇町公園の西にあるが、ここからはけっこう離れている。


    今は夜行バスの発着場になって世に知られるようになったこの駐車場の南前あたりに阪神 北大阪線「北野」駅 があり、駐車場の北側に、今はカトリック大阪梅田教会になったカトリック北野教会があって、阪急のガードをくぐった西にある済世会中津病院の場所にかつて旧制・北野中学校があって、扇町公園の西に北野病院がある。 ということは、このあたりの「北野」といいう地名は、けっこう広い範囲を指す地名であったか、もしくは、隣接地の地名とどちらを名のるかという時に優先して選択される優勢地名だったか。  大阪駅の周囲には、綱敷天神社・福島天満宮・大阪天満宮・露の天神社(お初天神)と天神・天満・北野・菅原系の神社がいくつもあるが、「北野神社」「北野天神社」という名前の神社は見当たらない。 ということは、「北野」という地名は天神・天満・北野・菅原系の神社からついた地名ではなく、かつての大阪の中心市街地の「北の」方という意味からついた地名だろうか・・・・。 綱敷天神社の「御旅社」はこのすぐ南の茶屋町にあるが、同社HPの《社殿と境内 御旅社 本殿》http://www.tunashiki.com/によれば、元は西天満にあった梅塚天満宮が前身だという。綱敷天神社のホームページの「境内と社殿 喜多埜稲荷神社 社殿」http://www.tunashiki.com/を見ると、摂社 喜多埜稲荷神社があり、≪古伝承や古書等の記録を調べるに、北野の地が喜多埜と呼ばれていた頃に由縁する社名であると思われ≫と出ている。 「喜びが多い」とはいかにも後でつけた字のような印象を受ける地名である。 大阪市福島区の福島天満宮について、《ウィキペディア―福島天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、≪社伝によれば、901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜ばれ、この辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけられた。≫と出ている。 今は阪急宝塚線「曽根」駅の北にある萩の寺(東光院)はかつては、大阪市北区の豊崎というのか中津というのかのあたりにあったそうで、同寺のHPの「由緒と歴史」http://www.haginotera.or.jp/outline/history_ep01.php には≪もと当山があった豊崎あたりは、古くから死人が出ると淀川河畔に捨ててしまう風習があり、「浜の墓」とも呼ばれていました。のちに行基菩薩がこの地を訪れたとき、浜に風葬されている光景を見て、民衆に我国で初めて火葬の方法を伝授しました。≫≪行基菩薩は荼毘に付した死者の霊をなぐさめるため、自ら一体の薬師如来像を造り、その仏前に淀川水系に群生する萩を手折り供えました。それを縁に人々の浄財で薬師堂を建立したのが東光院の始まりです。≫と出ている。 飢餓で死者が出る「飢餓島」が「福島」に変わったのなら、「飢餓野」が「喜多埜」や「喜多野」「北野」に変わっても不思議ではない。  「北野」には菅原道真と縁がある神社があるから「北野」とついた地名もあるかもしれないが、それ以前に、「飢餓野」が「喜多野」「北野」に変化した地名もあるのかもしれない。そう考えると、「東野」「西野」「南野」より「北野」の地名が多い理由の説明になりそうにも思える。


   カトリック大阪梅田教会 は、同教会のHPの「教会沿革」http://www.osaka-umeda-church.jp/wp-content/uploads/chuch-history-ja.pdf を見ると、かつて、この場所にあった北野教会、西淀川区姫里 にあった姫里教会、福島区吉野にあった福島教会、西淀川区西三国 にあった三国教会、都島区中野町 にあった桜宮教会 のカトリックの5教会が合同し、北野教会の場所に教会堂を建て変えてできたものらしい。
   かつての北野教会の教会堂の記憶があって、なつかしさを感じる者としては建て変えて異なった建物になったのは残念な気もするが、運営上、やむをえなかったのかもしれない。 新しい建物も教会堂らしい外観の建物だと思います。
   カトリック北野教会 については、《HOLY RING  聖ヨセフ カトリック北野教会》http://holyring.jp/?proc=japaneseslashirslashosaka_kitano に掲載があるようです。

   この教会の北の方に少し行ったところに、河合塾大阪校http://www.kawai-juku.ac.jp/school/scl-top.php?ks=511 )があります。 私が高校生であった時には、河合塾大阪校はまだありませんでしたが、大学に在学中くらいにできました。この教会の西側の道を予備校生が通るのを見かけたことがあります。
   ここから北東のあたりに、代々木ゼミナールと提携していた教文研ゼミナール という予備校があって、何度か模擬試験を受けに行ったことがあるのですが、今、インターネットで検索しても、「教文研ゼミナール」は出てきませんし、地図を見てもそれがどこであったのかわかりません。
   ちなみに、「三つ子の魂、百まで」というのでしょうか。 私、今でも、電車に乗る時、語学の単語帳を持たないと不安です。 20代、前半の時、大学に入れば、当然、それまでの学習の継続としてさらに学び続けるものだと思っていたのです。 井上靖の『天平の甍』では、留学僧として唐に渡る普照という若い僧の、何年も唐で学べると思うからこそ、命をかけて海を渡る気になれるのだ。 1年やそこらのために命をかけることなどできるものか、という思いが語られていますが、私も、高校くらいの時はそう思っていました。 だから、大学に入ると、もう入ったのだから勉強することないだろう、という態度をとる人を見ると、その気持が理解できませんでした。 アルバイト先に来ていた関西大学の学生が、私のその態度を見て、「なんか、浪人みたやなあ」と言ったので、ああ、そうか。勝手にそう言ってろ、と思ったことがありました。 彼にとっては、なんとしてでもこれを身につけるぞと学習する人間というのは、「浪人みたい」に見えたのでしょう。 「万年青年」ならいいのですが、彼には「浪人みたい」に見えたようです。 東京の大学に行っていた私に、彼が「東京でどこかおもしろいところ、あるか」と言うので、名曲喫茶や掘り出し物というのか「男の隠れ家」とでも言うのか、知る人ぞ知る、知らない人は知らない書店やレコード店がある神田神保町の話をしたところ、「そのおもしろい所、一回、連れて行ってくれよ。 ピンサロでもあるんだろ。」と言うので、関大のやつの「おもしろいところ」というのは、ピンサロかと思って、こんなやつに神田神保町の話をした自分が馬鹿だった、と思ったことがありました。 もう、今となっては30年以上前のことです。
   「ちょっと自慢」になるかというと、あんまりならないのではないかと思うのですが、実は、我が家に「代々木ゼミナール」ブランドのボールペンがあるのです。なぜ、あるかというと、模擬試験で「上位成績優秀者」としてもらったのです。 1本だけです。 高校の同級生で東大オープンで河合塾から万年筆をもらったと言って学校に持ってきてみせびらかしたあげく本番の東大の試験で落ちた男がいましたが(まあ、そんなもんだ)、私が代ゼミでもらったのは東大模試とかでではありません。でも、今から考えると、よくがんばったなあと思いますが、それで行きたいと思った所に行ってなりたいと思ったものになったのならいいのですが、なっていないものは、まあ、しかたがない。その模擬試験を受けに行ったのが教文研ゼミナールでしたが、今はなくなったのか見当たりません。 “家宝”としてもうひとつ、《安佐エースからもらった「携帯用ひげそり」》というのもあるのですが、安佐エースというのは何かというと栃木県佐野市のバッティングセンターの名前ですが、打席から見て前方の金網に3か所だったか4か所だったか穴があいていて、そこに打球が入ると「ホームラン」ということで記録され、年間通じて上位何人だったかに賞品がもらえたのですが、私は5位だったか6位だったかで携帯用ひげそりをもらったのです。佐野市で勤務していた時、それだけ、バッティングセンターに通ったということなのですが、 これで「文武両道!」と言っていいかどうか・・・・。 自慢になるものではないけれども、その時、その時に人生をせいいっぱい努力してきた痕跡だから、悪くもないでしょう。
   あれだけやったのになあ、と思いながら歩いた道で、かかっていたのが、映画『あしたのジョー』の主題歌「美しき狼たち」でした。その頃、テレビドラマの主題歌としてかかっていたのがゴダイゴの『ガンダーラ』でした。 「そこに行けばどんな夢もかなうという・・・・」と。 行けなかったんだよ。ボールペンもらったけど。まあ・・・、しかたがない。 大学に入ってからでも電車中で単語帳を見る人間を見ると「浪人みたいや」と言う関大生、「小学校から高校までの勉強は害があるんだ!わかってるのかあ!」と教壇で絶叫する慶應の内部進学の教授。 そういうやつ、嫌いなんだよ、私は。役に立つとか立たないとか以前に、その時、そこでできるかぎりの努力をしようとしないようなやつ、出来る限りの努力をする者をばかにするようなやつ。そういうヤツが何を言おうが、勝手に言っておればいい。きっと、俺より得したブタみたいな人生を送ることだろう。今までも送ってきただろうし、今も送っていることだろう。 ≪このような人びとにとってキルケゴールの著作というのは、キルケゴールが好んで引用したG・C・リヒテンベルクの言葉が見事にあてはまる。「このような作品は鏡のようなものだ。猿がのぞいても、そこには使途の顔は映ってこない。」≫(大谷愛人[ひでひと]・泉 治典『古典入門 キルケゴール 死にいたる病』1980.4.20.有斐閣新書)
※《あしたのジョー〜美しき狼たち》を知らない方は
⇒《YouTube―あしたのジョー「美しき狼たち」(1980)》http://www.youtube.com/watch?v=oaqOX-6P4_0
※《ガンダーラ》を知らない方は
⇒《YouTube―西遊記 エンディング》http://www.youtube.com/watch?v=9XsdE6-mwXs



   東京都文京区関口 の「世界の丹下健三」が設計したという東京カテドラル聖マリア大聖堂(http://www.tokyo.catholic.jp/text/cathedral/cathedral.htm )は、けっこう広い敷地があるにもかかわらず、巨大なオブジェ、巨大なモニュメントとしての会堂が造られ、中に入ってみると、せっかく広い敷地があるのに狭苦しい、十分に採光が採れるだけの隣地との間隔をとることができる敷地があるのに暗い、「世界の丹下健三」の趣味のために犠牲になったような教会堂・・と言うと丹下崇拝者から怒られるかもしれませんが、そういう「教会堂と言えるかどうかわからないような教会堂」でした。 鎌倉の大仏(⇒鎌倉大仏高徳院 http://www.kotoku-in.jp/index.html )は中に入ることができますが、金属製の板状のものを組み合わせて造ったものなので中が空洞になっているため、入りたければ入らせてあげますよ、というものであって、中に入ってそこで何かをおこなうためにつくられたものではない。それに対して、東京カテドラル聖マリア大聖堂は中に入って教会の活動をおこなうためのもののはずであるが、実態は鎌倉の大仏と同様で、十字型の巨大なモニュメントを造ることが主たる目的のもので、内部は鎌倉の大仏の内部とほとんど変わらない。
   ウィリアム=メレル=ヴォーリズは、教会の建物は特別のものである必要はない、と語ったというが、それはまったくその通りで、大事なものは信仰であって教会堂の建物ではないと思うけれども、しかし、東京都の日本キリスト教団 番町教会(http://bancho.m78.com/index.html )の外観を見た時には、同教会の人には悪いけれども、やっぱり、ちょっと味気ない、と思いました。 普通のビルだったのです。東京カテドラル聖マリア大聖堂のような教会としての活動を考慮しない巨大なモニュメントでしかない薄暗い建物がいいとは思えないが、しかし、教会らしい外観が少しは欲しいように思いました。
   それで、このカトリック大阪梅田教会がいいと思ったのは、キリスト教会らしい外観を確保しながら、同時に敷地の有効利用をして、十分に使えるように考えて建てられているように思えたところです。↓
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↑ (上)南面、西寄り。 (下)南面、東寄り。
建物の屋内に駐車場も確保しているようです。都市部での教会の建物のあり方として参考になるのではないでしょうか。  東梅田にある一粒社ヴォーリズ建築事務所(http://www.vories.co.jp/ )が設計したという日本キリスト教団 東梅田教会(http://www1.odn.ne.jp/higashiumeda/ )も、都市部の教会で敷地を十分有効に活用しながら、教会らしい建物となっていると思いました。
  カトリックの教会にせよ、プロテスタントの教会にせよ、敷地の有効活用をおこない、キリスト教会としての活動を十分におこなえる機能を確保し、あまりにもたいそうに外観を主張したり、信仰よりも教会堂のデザインを重視しているのではないかと思えるようなものは良いとは言えないが、特にデザインのためにものすごい費用をかけるのではなく、かつ、それでいて、教会らしいデザインを実現する、というのが都市部における教会の建築の課題でしょう。 
[東京カテドラル聖マリア大聖堂、日本キリスト教団 番町教会、日本キリスト教団 東梅田教会 の外観写真も私が撮影してきたものはありますが、範囲が広がりすぎるので、ここでは掲載しないことにします。]
  (2014.5.16.)

☆ 日本の教会建築 シリーズ
(1)日本キリスト教団 南大阪教会[大阪市阿倍野区](村野藤吾)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html
(2)慶應義塾大学 YMCAチャペル[横浜市港北区](W=M=ヴォーリズ)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html
(3)日本キリスト教団 清水が丘教会[横浜市南区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201309/article_1.html
(4)神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)[神戸市灘区](ウィグノ―ル)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201311/article_1.html 
(5)日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会[神戸市灘区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html
も、どうぞ、ご覧くださいませ。 

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