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zoom RSS 千葉市美術館(千葉市中央区) と 高村光太郎展―東京圏の美術館・博物館(1)

<<   作成日時 : 2013/07/17 18:41   >>

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[第187回]
   「かたひじはらずに美術館」
   芸術作品を見るぞお〜・・・という大上段に構えた姿勢ではなく、街を歩きながら、ふらっとはいって雰囲気を楽しむ、という、まず、「美術館の雰囲気を楽しむ」というのが第一で、その後に、展示作品の観賞という姿勢。ましてや、「俺は芸術家だぞお」などという態度ではなく、普通の人間が普通に立ち寄り普通にその場で時間をすごすという姿勢。 そういう姿勢で、20代に訪問した美術館・博物館を再訪したり、日常的に行くつもりでふと気づくと何十年経って行けていない美術館・博物館を訪問し、同時に、美術館・博物館の建築をも検討しよう、というシリーズとして、また、訪問したものは文章にしておいた方が自分でも整理できるということから、「東京都の山手線内及びから千葉県のJR総武線の船橋・津田沼あたり」から日帰りで行って帰って来ることができる範囲くらいの地域の美術館・博物館を「東京圏の美術館・博物館」シリーズとして公開していこうと考えました。最初は都内のかつて行ったか行くつもりであった所からと思っていたのですが、今回、千葉市中央区の道をクルマで走っていたところ、千葉市美術館「高村光太郎展」の掲示がでているのを見かけたので、予定を変更して、ここから始めたいと思います。「街中を歩いていてふと立ち寄る」が基本ですが、「クルマで走っていてふと立ち寄る」も範囲に含めることとします。 千葉市美術館の「高村光太郎展」は詩人としての高村光太郎展ではなく主に彫刻家としての高村光太郎展です。 

【1】
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↑ 北東側入口 
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↑ 東側 全景
   たしか、ここは、戦前に建てられた歴史的建造物があった所だと思っていたのですが、それにしては最近の建物のような感じがします。 それはどういうことであったかというと、↓
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↑ 1927年(満洲事変の4年前)に建てられた2階建ての建物の上にかぶせるように新しい建物を作り、新しい建物で昔からの建物を保護するようにし、昔からの建物も活用するというもので、「鞘堂(さやどう)方式」という作り方だそうです。 この写真で見える部分を見ると、なるほど、かつては、このように建っていたのかとわかります。(↑ 写真はクリックすると大きくなります。)
  明治に建てられた建物というのは、旧・川崎銀行千葉支店の建物であったそうですが、川崎銀行というのは、神奈川県川崎市に本店があった銀行ではなく、茨城県出身の川崎八衛門という人が始めた銀行で、後に第百銀行となってけっこう大手であった時期もあるそうですが、三菱銀行に合併されて、現在はなくなったようです。
≪● 昭和2年(1927年)、建築家・矢部又吉(明治21〜昭和16年)の設計により川崎銀行千葉支店として建設され、昭和18年、吸収合併により三菱銀行千葉支店となりました。
●  その後、昭和46年から平成2年まで千葉市中央地区市民センターとして利用されました。
ネオ・ルネッサンス様式をもつ歴史的建造物で、美術館・中央区役所の建設にあたり、“鞘堂方式”により、保存・再生し「さや堂ホール」としてコンサートなど文化表現の場としてご利用いただけます。≫と内部の模型の説明書きに書かれています。
  新しい建物の7階・8階が美術館の展示室で、美術館の入口は8階にあります。私は、普通、下から上がるものかと思ってエレベーターの7階でおりましたが、8階から入って7階で出るようになっています。 建物全体が美術館であるわけではなく、1〜2階は、かつての川崎銀行千葉支店の建物を保存した「鞘堂ホール」となっており、3〜5階が中央区役所、7・8階が千葉市美術館で、10階に美術図書館があって11階に食堂があるようですが、そうなると、6階って何があるんだろう? と気になります。そこには開かずの間があって・・・とか考えたくなったりもしますが、区役所の5階に行ってみると、単に5階の吹き抜けだったりとかいう可能性もありそうです。区役所の5階に行って確かめればよかったのですが、今回は確認できませんでした。


↑ 千葉市中央区中央3−10−8 にあり、最寄駅は千葉都市モノレール「藍川公園」、もしくは、京成電鉄千葉線の「千葉中央」駅。 私はクルマで行ったというより、クルマで東側の道(国道126号)を通ることが何度もあってここにこの建物と美術館があることを知り、今回、他の用事で通っている時に「高村光太郎展」の掲示を見て入館しました。私は、今回、少し北にある有料時間パーキングに停めて行きましたが、地下2階に美術館・区役所などこの建物の施設を利用する人のための駐車場があるようで、建物の西側の道から入るようになっています。

  旧・川崎銀行千葉支店の建物は、東面はそのまま道路側に出ているのですが、南・北・西面は新しい建物の内部に入っています。 この新しい方の建物でいいと思うのは、1927年築の建物である旧・川崎銀行千葉支店の建物と新しい建物がよく調和していて、1階の内部で見ると、最初からこのように建てられたと言われたとしても違和感がないようにできているところです。
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↑ 1階。 旧・川崎銀行の建物を南側から見る。 手前に設置されているのは旧・川崎銀行の全体の模型。
  新しい建物も、なかなか工夫がこらしてあります。たとえば、エレベーターホールですが、↓
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↑ 1階。エレベーターホール。 区役所・美術館兼用エレベーター。 なかなかおしゃれです。 美術館は展示作品の方が主役であり、美術館のエレベーター・エレベーターホールとして、芸術的なセンスを発揮しながらも、でしゃばりすぎないところが良いと思います。
   美術館の建物としては、私は東京・上野の東京都美術館に何度か企画展を見に行った時、最初、上野の建物では、国立西洋美術館がル=コルビュジェの設計、東京文化会館が前川國男の設計、東京国立博物館(の本館)が渡辺仁設計のRC造の建物の上に入母屋の屋根を乗せた戴冠様式という戦中の軍国主義の時代の建物として有名であると知っていたのですが、東京都美術館については知らずに企画展に何度も行ったのです。そして、企画展を見学しているうちに、この建物もなかなかの建物ではないか、というより、「三大巨匠・ル=コルビュジェによる国立西洋美術館」より、むしろ、こちらの方がいいのではないかと思うようになって、東京都美術館は誰の設計なのだろうと調べると、東京文化会館と同じ前川國男の設計だったと知ったのです。 「世界的建築家・誰誰先生の設計なるぞお。下におろお〜お」みたいに言われて見に行って、なんかよくわからんけど、エライ人の設計だといいうからいいんだろう。逆らうとうるさそうだからそういうことにしておくかあ〜あ・・・みたいな建物と違って、私にとっての東京都美術館は、企画展を目的に行き、建物自体が誰の設計かなど知らずに利用しているうちに、この建物いいじゃないかと思うようになったというもので、本来、名建築というものはそういうものであるはずだと思うのです。 先に「世界的建築家」という人が指定されていて、その人の設計だということになると「名建築」だというのは思考がおかしいと思うのです。
※東京都美術館 http://www.tobikan.jp/
 国立西洋美術館 http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html
 東京国立博物館 http://www.tnm.jp/
 東京文化会館 http://www.t-bunka.jp/ 他参照。
   それで、私は≪「建築家」のかけだし≫ではなく、「建築屋」なので、もともと、「世界的建築家の先生」にヨイショヨイショヨイショ〜ォする必要もなければ、ヨイショしたところでゴリヤクもないと思うので、思ったことを述べさせていただきますと(「長いものには巻かれろ、札束には切られろよお〜お」と、昔、『がきデカ』という漫画で「こまわりくん」が言っていたのを覚えていますが、建築雑誌などにもその類か?というのがありそう・・・・)、東京・新宿の西口にできた「世界的建築家・丹下健三設計」のコクーンタワーというやつ。あれ、悪趣味だと思うのです。 どこがかというと、まず第1に周囲との調和ということをまったく考えていない。丹下健三の建物の特徴として、常に、自分が建てる物に周囲が合わせろという傲慢な姿勢があるがコクーンタワーもそう。 最近、それまでの街並みを無視して高層の建物が建てられるケースがよくあり、疑問を感じることが少なくないのですが、新宿西口については、最初から高層ビル群の街にしようという計画でその地域が作られたので、ある地域に高層ビル群という高い岩山を人工的に作って自然を改変するのが良いかという問題はあるとしても、その付近の街並みとしては高層ビル群の街として計画して作られているという点で、中層建築物が建つという前提で作られた街のなかに高層ビルが突然建てられるケースと比べると問題はないと思っていたのですが、コクーンタワーの場合は、前からの高層ビル群によって形成された街の景観を破壊していると思うのです。丹下健三の建物はほとんどがそう。先住建物によって何年かかけて形成されてきた街の景観を破壊して、俺に合わせろ、俺の建物に合わせろ、というそういう姿勢の建物。 丹下健三の建物はそういうものばっかり。
   そして、第2に、コクーンタワーというのが何の建物かという点。コクーンタワーというのは、学校法人モード学園が建設したもので、東京モード学園・大阪モード学園というのは、《ウィキペディア―大阪モード学園》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89%E5%AD%A6%E5%9C%92 によると、ファッション・雑貨・インテリア・美容などのデザイナーを育成する専門学校らしく、大阪モード学園の建物も≪側面が直角三角形の茶色の建物と、一部ガラス張りの直方体が融合しているという、非常にユニークな外観≫らしいのですが、この新宿のコクーンタワーのデザインで建てられてしまうと、そこで学ぶ者はどう思うでしょう。どういう意識を持つでしょうか。建物自体にここまで「芸術」を爆発されてしまうと、別に芸術しなくてもいいという気持ちになりませんか? むしろ、何もない無地の直方体の建物で、各階に外に出ることができる安全なベランダだけ設置でもしてもらえれば、芸術を学ぼうとする者としては、そこを塗ってみようか、刻んでみようか、貼りつけてみようかと考えませんか? な〜んにもない直方体の建物であった方が、むしろ、そこを何とかしようという気持ちになりませんか? コクーンタワーみたいに、「世界の丹下健三なるぞお」とやられたのでは、「はい、はい、これがエライ人の建物なんですね。はい、はい。」みたいなもので、手を加えようという気持ちにならなくなると思うのです。だから、ファッション・雑貨・インテリア・美容のデザイナーを育成する学校の建物としては不適切な建物ではないかと思うのです。 もっとも、愛知県犬山市の明治村にある旧・帝国ホテルの玄関ホール部分を見た時、この建物を、もとあった日比谷の帝国ホテルの場所において、全体を建築・美術関係の学校何校かで共同で保存して活用するということはできなかったのだろうか、こういう建物の中で暮らせば、その波動は建築・美術関係を学ぶ者、業務につく者には好影響を与えるだろうにと思ったことがありました。旧・帝国ホテルについて感じたものとコクーンタワーに感じたものの違いは何かというと、旧・帝国ホテルに感じたのは建築・美術・芸術に対しての精進・謙虚さであるのに対して、コクーンタワーに感じたのは「俺が正しいんだ」みたいな傲慢さです。ライトの旧・帝国ホテルを見ると、自分もこういうものを作りたい〜いという気持ちになるのに対して、コクーンタワーを見ると、「もう、いいよ。」みたいな気持ちにならされる。 もちろん、デザインについては好みの問題もあるでしょうし、人それぞれ感じ方も違うでしょうけれども、コクーンタワーは、芸術・美術をおこなう人を助けよう・協力しようという建物ではなく、良い芸術か否かにかかわらず、自分が芸術を爆発させてしまっている建物で、「出過ぎ」「でしゃばりすぎ」の建物だと思うのです。東京都美術館や千葉市美術館のデザインは展示品の方が主役であるということをわきまえているのに対して、コクーンタワーはモード学園の学生の活動が主役だと認識せず、「丹下健三のコクーンタワー」の方が主役になっている。東京カテドラル聖マリア大聖堂にしてもカトリックの教会におけるミサなど教会の活動が主役とわきまえずに「丹下健三の東京カテドラル聖マリア大聖堂」が主役になろうなろうという強烈な意識が感じ取られる。
  又、コクーンタワーは都庁舎と同じくメンテナンスをどうするかなんかぜんぜん考えていない。私は、20代前半の時、ペンキ塗装のアルバイトでジェットコースターの一番上まで足場用の丸太をかついて登ったことがありますが、その怖いこと怖いこと。「世界的建築家」などという人はジェットコースターの一番上まで丸太かついで登るといったそんな経験、絶対しないでしょ。落ちて死ぬのはとび職とかペンキ屋とかドカタ・労務者の類であって「世界的建築家」というエライ人じゃないとか思ってるでしょ。その根性が気に食わないんだよ!!!
※《ウィキペディア―モード学園 コクーンタワー》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89%E5%AD%A6%E5%9C%92%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC
《博物館明治村―帝国ホテル中央玄関》http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-67.html 他参照。
   東京・目黒にある東京都庭園美術館は、日本におけるアール=デコ建築の代表と言われますが、最初から美術館として作られたものではなく、旧・朝香宮邸を保存して公開した上で、そこで芸術・美術の企画展を開催するというものなので、開催する内容によっては建物と必ずしも調和しないものもでてくるように思いますが、最初から美術館とする目的で建てられたものではないので、多少はやむをえないのではないかと思います。
※《東京都庭園美術館》ホームページ http://www.teien-art-museum.ne.jp/
《ウィキペディア―東京都庭園美術館》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%AD%E5%9C%92%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8 他参照。
   それで、この千葉市美術館の建物がいいと思ったのは、それなりにおしゃれをしてセンスを発揮しながらも、展示される内容を圧迫しない、でしゃばりすぎないデザインだという点です。 その点で、美術館の建築としての条件を満たした建物だと思いました。
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↑ 照明器具もなかなかおしゃれです。
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↑ 1階男性用トイレの小便用コーナー。 クリックすると大きくなるので大きくして見てください。
  いいと思ったのが、この小便器の手前の足型です。 最近、小便器の所に、「もう一歩前へ」とか書かれた紙が貼られている所をけっこう見ます。 私が子供の頃(1960年代)の小便器は、「朝顔」と言って、膝か太腿くらいの高さに小便を受けるボウルがあってそのボウルもけっこう大きかったと思うのです。それがいつしか今のような地面の位置まで落ちる形式でボウルも小さくなったのですが、私は前々から思っているのですが、もしかして、最近の小便器の設計者というのは女性で、男性のペニスというのは、小便をぴったりと思った場所に思った強さで落下させることができる精度でできていると勘違いしているのではないかと疑問に思うのです。男性は女性よりは融通がきくと思いますが、だからといって、それほどぴったりと的確に狙った場所に思い通りの強度で落下させることができるわけではないはずなのです。 最近の小便器の製作者はそのあたりがわかっていないのではないかと思うのです。少なくとも、最近の小便器は、かつての「朝顔」型小便器に比べて、最初から周囲に小便がこぼれやすい構造になっている。なんで、女性に小便器を作成させるのか? という気がします。男性が作成しているなら、なぜ、このあたりがわからないのか。それとも、こぼれた時に掃除するのは女性だと思っているような男性が設計しているのか?  
   もっと変なのが、「世界の丹下健三」が設計した東京都庁舎のトイレの男性小便用コーナーです。 東京都庁舎のトイレを上から下までことごとく調査したわけではなく、私が見たのは展望室の1階下のトイレですが、デザインから、小便用トイレ部分の床に色を変えているのです。 それも小便器によって変えたり変えなかったり。やっぱり「建築家」の建物はだめだなあとそれを見た時、思いました。 「建築家」でない「フツーの人」が設計した建物なら、トイレの小便器の部分は、この場所に立ってくださいというように、小便器に近い部分をトイレの他の部分と色や柄を変えて作っている場合が多い。それに対して「世界的建築家」の設計したトイレでは、そういう問題と関係なしに色・柄を変えるのです。だから、それを見て、私は≪「建築家」の建物なんて、ろくなもんじゃねえ!≫と思ったのです。「世界建築家」なんて、実質上、「世界的ひとりよがり」だと思いました。
   それに対し、この千葉市美術館・千葉市中央区役所の男性用トイレの小便用コーナーの足型はなかなかです。 後からできあいのものを貼りつけたのではなく、床に固定されていました。 但し、美術館の建物のトイレなら、単なる足型ではなく、足の模様をデザインするとか、色彩にくふうを凝らすとかしてほしかったと思います。又、壁のタイルもありきたりで、何か工夫をしてほしかったようにも思いました。 
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↑ 南西側 外観。
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↑ 北西側 外観。
   この建物(新しく建てられた方の建物)は、相当に工夫が凝らしてあり、「建築家の建物」か「建築家でない人の建物」かというと、「建築家の建物」だと思います。
   最も人目につく外観の東面とは異なったイメージを別の面に作成し、南・西にまわった時に、「え、こんな顔してたんだ」と感じる意外性も持たせている、というのは悪くないと思うのですが、東面で見ると、最近の≪「建築家」の建物≫によく見られる凹凸だらけでメンテナンスに苦労しそうな独りよがりの建物と違って、メンテナンスにもそう苦労しないのではないかと思われる凹凸控えめな作りになっていて、そこは良いと思ったのですが、南西・北西から見ると、西面ははけっこう≪「建築家」的無用の凹凸≫があります。
   そして、↓
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↑ 西側最上階部分。
  私が子供の頃(1960年代)においては、木造の建物は寄棟・切妻・入母屋といった「屋根という感じの屋根」をしていたのに対して、コンクリート造(RC造)の建物・鉄骨造の建物は陸屋根(ろくやね)、いわゆる「ぺったんこの屋根」が普通でした。 戸建住宅でも、積水ハウス・大和ハウスなどの鉄骨系のハウスメーカーの建物は「ぺったんこの屋根」が普通で、お客様によっては、「鉄骨の建物だとぺったんこの屋根になるのに対して、木質系の建物なら『屋根という感じの屋根』になるから、木質系の方がいい」と言われる方もありました。 最近では、積水ハウスでもダイワハウスでも「屋根という感じの屋根」(寄棟・切妻)の方が普通で、ツーバイフォーで建てている住友不動産がガルバリウム鋼板を使った陸屋根の建物を広告に使い、それの影響を受けて木造の会社でも陸屋根の建物を「おしゃれ」のつもりで建てたりしていますが、屋根は何のためにあるかというと、雨風を防ぐためというのが第一ですから、その点からいくと、構造が何であるかにかかわらず、勾配がある程度あった方がいい、屋根の作りはシンプルな方がいい、はずなのです。 ガルバリウム鋼板での陸屋根とか、亜鉛メッキ鋼板・ステンレス鋼板による防水をすることによる屋上利用というのが、木造住宅でも可能になってきたようですが、素材の問題と別に、勾配はあった方が水は流れやすいか勾配がない方が水は流れやすいかというとあった方が流れやすいのですから、その点では、コンクリート造(RC造)や鉄骨造の高層建物であっても「ぺったんこの屋根」よりも「屋根という感じの屋根」の方が「雨じまい」はいいはずなのです。
  その点では、私が子供の頃のように、コンクリート造・鉄骨造の建物の屋根は「ぺったんこ」と決まっているというのは、本来は不適切のはずなのです。 しかし、ある程度以上の高層の建物の場合、メンテナンス、清掃・修理を考えた時、特に、壁の側面は、屋上からゴンドラをつるして作業をおこなうことが多く、それを考えると、屋上は清掃・メンテナンスの作業用には「ぺったんこ」であった方が作業をしやすいはずです。
   「屋根は雨風を防ぐためのものである」という点から考えると、木造であろうが鉄骨造であろうがコンクリート造(RC造)であろうが、(1)ある程度の勾配があってシンプルな方がいい、「山」はあってもいいが「谷」はできる限り少ない方がいい、そして、有る程度以上高層の建物の場合は、(2)メンテナンスをおこなうことを考えると、「陸屋根」の方がいい、又、都市緑化の一環として屋上緑化として屋上を利用しようとするなら「ぺったんこ」の方がいい、ということになります。 この2点から考えた時、↑の屋根はどうでしょうか? わざわざ内側をへこませた屋根って屋根と言えるのか? もっとも、これだけの高さの建物なら、2階建てくらいの建物と違って、周辺が低くなる寄棟や切妻の屋根にして樋(とい)なしで地面まで雨を落とすわけにもいかないでしょうから、樋(とい)を中央部のへこんだ部分に設けてそこから排水路を設置するとしているならわからないことはありません。 岐阜県の飛騨地方の民家では屋根に登って雪下ろしをする時のことを考えてわざと屋根の勾配を緩めにした家屋があったというものを高山市の「飛騨の里」http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html で見ました。 又、「雪止め瓦」や「雪止め金物」の設置は積雪量がそれほど多くない地域でやるもので、相当積雪する地域では金属系の屋根材を使用した上で、止めずに落としてしまうのだという話を聞いたことがありますが、一方で、北海道では雪の塊が周囲に落ちないように陸屋根の建物が普通だというようなことを札幌の住宅建築会社の人から聞いたことがあります(⇒「ケントハウス」ホームページ モデルハウス http://www.kent-inc.co.jp/model/  ケントハウスのモデルハウスはすべて陸屋根になっていますが、これは、ケントハウスが構造よりデザインを重視してそうしたのではなく、北海道ではこれが一般的なのだと、同社の方から聞きました)。 千葉県は大雪が降って積もることはそれほど多くはありませんが、しかし、2〜3年に1度くらいはけっこう積もることもありますし、それが2〜3日とけずに凍ることもあります。そういう際に、建物の周辺部が低くなる一般的な寄棟や切妻の屋根の勾配の取り方をすると、積もった雪が凍った塊が周囲の路上に高層ビルの屋上から落下して危険・・ということを考えて、意図的に内側が低くなる作りにして、その部分に排水路を設け、排水路のメンテナンスも屋上の端に排水路を設けるより中央部に排水路を設けた方がおこないやすい、というように作ったというなら、大いにもっともな作りであるのですが、この建物の設計者はどちらだったのでしょう。
   「世界的建築家」「世界の丹下健三」が設計した東京カテドラル聖マリア大聖堂は、天窓のガラスをわざわざ内側がへこむように作り、完工時より雨漏りがしたといいますが、それは「世界的建築家」だからそんなもの作っても「さすがは世界の丹下」とか言ってほめられるのであって、建築屋が最初から雨漏れする建物作ったら、「ぶっこわして建てなおせ」と言われるところであり、そのあたりが「さすがに世界的建築家は違いまんなあ」と、こそっとでも言いたくなるところです。だいたい、「建築家」というのは、屋根を屋根と考えてないところがあります。 「意匠家(建築家)」と「構造家」が分かれているというのが本来おかしいと思うのです。「意匠家(建築家)」は構造を無視して、「建築は爆発だ!」「なんだ、これは」みたいなものを設計して、それでなんとか雨漏りしないように「構造家」が考える、というのは根本的におかしいと思うのです。絵画や彫刻ならデザインさえよければいいでしょうけれども、建築はデザインだけではなく、構造と機能を考えて、その上でデザインも実現してこそ建築であって、構造と機能を無視してデザインを考えて、後は構造家と設備家が考えろという建築などは、いかに「世界的建築家」の「大先生」が設計なさったものであっても、そんなものは「巨大な彫刻」であって建築ではないと思いますよ。 
※「○○は爆発だ。」「なんだ、これは」は、
《YouTube―「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」  岡本太郎は何者? 2/2 》http://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk 参照。
東京カテドラル聖マリア大聖堂については、
[第3回]《「建築家」と「建築屋」と「建築士」はどう違うのでしょうか??? 〔引っ越し掲載〕 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_3.html 
《ウィキペディア―東京カテドラル聖マリア大聖堂》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AB%E3%83%86%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%AB%E8%81%96%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82 他参照。

   旧・川崎銀行千葉支店の建物は千葉市中央区市民センターとして利用され、そして、平成2年(1990年)から平成5年(1993年)にかけて、「曳家(ひきや)」をして動かし、そして、上にかぶせて保護するように新しい建物を作ったと館内1階に説明書きがあったのですが、はたして、RC造(レインフォーストコンクリート造、鉄筋コンクリート造)の建物を「曳家(ひきや)」というようなことができるのでしょうか。 やったというからにはできたのでしょうけれども、どうやってできたのでしょう。 相当に古い木造の寺社などは「移築」ということは珍しいことではなくおこなわれています。 それは、継手(つぎて)・仕口(しぐち)といった木を加工して組み合わせることで作り上げられた建物は、それを解体して、腐りなどで痛んでしまった部分のみを補充して、再度、組み立てることで「移築」するということができるようですし、又、戸建住宅などでも木造・木質系の戸建住宅なら、基礎から建物を持ちあげて、そろりそろりと動かして「曳家(ひきや)」するということがおこなわれることがあります。しかし、ある程度以上の大きさの鉄筋コンクリート造の建物の場合、「曳家(ひきや)」とか「移築」などということは無理ではないのかという気がするのですが、実際問題として、愛知県犬山市の明治村には、東京・日比谷にあったフランク=ロイド=ライト設計の旧・帝国ホテル 玄関ホール部分が「移築」されており、そして、この旧・川崎銀行千葉支店の建物も「曳家(ひきや)」したというのです。どのようにやったのでしょう。これからやるというなら、ぜひ見学したいものですが、残念ながら、すでにおこなわれた後です。
※《社団法人 日本曳家協会 曳家(ひきや)って何?》http://www.nihon-hikiya.or.jp/hikiya.html 他参照。

   この建物には、全体として見た印象と別に、近づいて見ると、また、別のデザインを発見できる良さがあります。
   この新しい方の建物の設計者が誰なのか、見つけることができません。見つけることができれば補足したいと思いますが、もし、御存じの方、おられましたら、教えてください。
  上に述べた《「建築家」的無用の凹凸》がある、構造やメンテナンスを考えない屋根の作りがある、などプラスに評価したくない部分もありますが、
(1)美術館の建物としては、おしゃれなデザインをある程度以上実現しながらも、美術館の展示作品を侵害・圧迫しないでしゃばりすぎないデザイン。
(2)前からの建造物を尊重して、前からの建造物と調和するデザインを実現しながらも、よく見ると、新しい建物独自のデザインも実現している。
という点において、この建物は私は評価したいと思います。


【2】   高村光太郎は、『智恵子抄』で、
「智恵子は東京に空が無いと言う  
ほんとの空が見たいという
・・・ 
阿多多羅山の山の上に 
毎日出ている青い空が 

智恵子のほんとの空だ という」
という詩を作っていますが、彫刻家・高村光雲の息子の高村光太郎は東京の生まれで、妻の智恵子が福島県の現在では福島市の酒屋の娘であったそうで、なるほど、東京の生まれの者からすれば「私は驚いて空を見る 桜若葉の間に在るのは 切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ」と感じる普通の空であっても、福島県の空を知っている者からすれば、東京の空なんか空じゃないという印象を受けたということかと思います。(実際、「安達太良山の上に」出ている空はきれいですし、浜通りの空も中通りの空も東京の空よりはるかにきれいな空だと思います。福島県浜通り・中通り地方が放射能汚染を受けてしまったのは本当に残念に思います。) 妻の智恵子は、晩年、「精神分裂病」を患ったとも言われており、故郷に帰りたいという気持ちがこの言葉にはあったのかもしれません。
   智恵子が制作した「紙絵」が展示されていました。 「すごいわね〜え」と賞賛している女性連れがおられましたが、高村光太郎の父・高村光雲は彫刻家として評価された人で、高村光太郎は「詩人で彫刻家」で、どちらかといえば詩人としての方が有名であるものの、本人は「彫刻家」だと思っていたらしいのですが、智恵子という人が何で有名かというと、「高村光太郎の奥さん」として有名なのであって、芸術家として有名であるわけではないはずなのです。なんでも「すごいわね〜え」と言わなきゃならなものでもない思います。 智恵子という人は、福島の酒屋の娘として生まれて、今でいうところの日本女子大に行き、絵画に関心を持って学んだそうですが、油絵を使いこなすことができず、画家としては大成できなかったらしく、紙絵は、「精神分裂病」にかかった際に、「医者」が「治療」の一環として勧めて始めたもののようで、「治療」の一環としておこなったものではあるけれども、絵画を学んできた人だけに、なかなかの腕前を発揮したというもののようです。 見ていると、「これはなかなか」と思うものもあれば、「このくらいなら私でもできるのでは」と思うものもあります。 心身医学の池見酉次郎『自己分析』(講談社新書)に、自分の心のうちをうまく表現できない患者に、粘土を使った指絵を制作してもらい、そこから心の苦しみを自分で理解できるようにしようという話がでています。芸術というのは、「世界的芸術家」というものすごいものが大見え切ってやるものではなく、自分の心を芸術の技術を通して実現するものであり、≪「治療」の一環としての紙絵≫というのは、それこそが本来の芸術ではないかと思えます。

  高村光太郎は、彫刻が絵画より低く見られていたのを心外に思い、画家と劣らず評価されるロダンに影響を受けたとも言われるそうですが、「彫刻家は職人と同じようにしか見てもらえなかった」のを心外に思った・・とすると、その発言は、職人からすると、かなり心外な発言のようにも思えてきます。 「建築屋」みたいなものは自分たちより下だと思って、使えないものばっかり設計して得意がっている「建築家」みたいなものか? とも、ふと思いましたが、「建築家」に比べれば、彫刻家の方がはるかにまとものようにも思います。 


   高校から大学に進学する頃、音楽や美術などを学ぼうとするような者は甘ったれているという話があって、なぜ、そんなことを言われなければならないのだろうと思ったことがあった。 音楽や美術といった芸術で大成するのはそう簡単ではないかもしれないが、私にとっては、小学校や中学校で美術や音楽を真面目に学習して、その結果として、ある程度以上のものも身につけ、その方面を職業として選ぶか否かは別として、真面目に努力してきたからこそ関心も持つようになったのであり、美術や音楽をまじめに学習しない人間が立派な人間で、美術や音楽もまじめに学習した者が「甘ったれている」というのは承服しがたいように思いました。 
   小学生の頃、『フランダースの犬』という小説を読みました。 絵画にあこがれる少年が、街にある美術館に飾ってある有名な絵をぜひ見たいと思いながら、見学するにはお金がかかり、それを出せないことから、いつか見たいと思いながらすごすのですが、本来、絵画にしても彫刻にしても、「金持ちがやること」という定義づけをするべきものではないと思うのです。 心に悩みを持つ者が指絵・紙絵として、それを作品にしていくものが発展していき、人からも評価されるようになっていったものが芸術・美術ではないかと思うのです。 宮本武蔵が心を落ち着けるために彫刻をするという場面が吉川英治の『宮本武蔵』にもあったように思いますが、武蔵は金持ちだから彫刻をやったわけでもないと思います。


   なお、地図を見ますと、東側道路(国道126号)を隔てた向かいに「ダイヤパレス千葉美術館」なるものがあるようですが、これは、ダイヤパレスが出資した千葉美術館が千葉市美術館の向いにあるわけではなく、千葉市美術館の向かいにあるので「ダイヤパレス千葉美術館」と名づけたダイヤパレスのマンションのようです。
   千葉市美術館は所蔵作品も何点かあるものの、常設展ではなく年間を通じて企画展を開催している美術館のようで、現在の「高村光太郎展」は2013年6月29日〜8月18日で、その後、「琳派・若冲と花鳥風月」8月27日〜9月23日、「ジョルジュ・ルオー展」10月1日〜11月17日、「川瀬巴水展」11月26日〜2014年1月19日 と続く予定のようです。 今回は、「高村光太郎の周辺」として展示されていた作品が千葉市美術館の所蔵作品だったようです。
  
※千葉市美術館 については、
《千葉市美術館》ホームページ http://www.ccma-net.jp/
《ウィキペディア―千葉市美術館》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B8%82%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
《千葉県博物館協会 千葉市美術館》http://www.chiba-web.com/chibahaku/49/ 他参照。
  千葉市には、海の近く、千葉中央郵便局と千葉ポートタワーの間に、千葉県立美術館(http://www.chiba-muse.or.jp/ART/ )がありますが、千葉市美術館とは別のものです。

  千葉市美術館の東側の国道126号を少し南に行くと、京葉銀行本町支店、少し北に行くと、「中央区にある若葉郵便局」があり、その少し北に千葉神社があります。 
※千葉神社については、
《慎腹風呂愚―千葉神社・千葉天神 参拝 〔上〕千葉神社社殿・尊星殿他 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_2.html 他参照。
     (2013.7.12.)

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千葉市美術館(千葉市中央区) と 高村光太郎展―東京圏の美術館・博物館(1) 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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