自分の不勉強を原因に生徒をクラス全員で大笑いさせる教諭。「十三湖(じゅうさんこ)」は干拓地の一例。「十三(じゅうそう)」は「面白くもなんともない地名」で「大歩危小歩危」は「面白い地名」だという理由て何なの? 「中学校の校長先生」の給料は高すぎるのではないか。

[第540回]
  前回、中学校・高校の教諭編を述べたが、この際、小学校編も述べておこうと思い、作成する。
【1】 「十三(じゅうそう)」は「面白くもなんともない地名」で「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」「親知らず子知らず」「立売堀(いたちぼり)」は「面白い地名」という理由は何だろうか。
  これは、すでに、他の稿でも述べたことがあるので、見ていただいた方もあるかもしれないが、1960年代後半、大阪市東住吉区の大阪市立の小学校でのことだ。
  小学校4年の時、「社会科」の授業で、担任の先生が、「日本には『面白い地名』というのがありますが、『面白い地名』を言える人~お」とおっしゃるので、私は、「は~い」と手をあげて、そして、「十三(じゅうそう)」と言ったのだ。

( ↑ マーカーは、阪急「十三(じゅうそう)」駅。)
  「十三(じゅうそう)」は大阪市淀川区に地名で住居表示にあるとともに、阪急神戸線・宝塚線・京都線が「大阪梅田」駅を出て神戸線・宝塚線は「中津」を過ぎて、京都線は同じ場所を走っていても「中津」駅はなくて普通でも「中津」には停まらずに新淀川を渡り、すべての電車が停車して、ここから神戸線・宝塚線・京都線が分岐する駅が「十三(じゅうそう)」駅だ。
  大阪府立北野高校は、この十三(じゅうそう)」駅から西の方に10分ほど歩いた所にある。北野高校がある場所の住居表示は淀川区新北野 だけれども、これは北野高校がこの場所に来る前、最初は「難波御堂に、堂島につぎて北野に」という現在の大阪市北区 、かつては大淀区だった所、現在の済生会中津病院の場所にあって、その場所の地名が「北野」であったことから、堂島にあった時代は「堂島中学校」と言っていたのを北野に引越したことから「北野中学校」と言ったものを、新淀川の北側の現在地に引越した時に、「十三中学校」と名称変更すると、旧制第十三中学校の現 豊中高校と紛らわしいということもあったようで、名前はそのままにして場所だけ引越したことから、地名の方が「新北野」と変更したらしく、変更する前の地名は「十三なんとか町」だった・・と思う。
  十三駅の 西側に、ヴォーリズ建築事務所設計の博愛社 礼拝堂 がある。1936年、「いくさ、長引く(1937)、日中戦争」盧溝橋事件、日中戦争開始の年の前年築で、《博愛社のチャペルであると同時に聖贖主教会(せいあがないぬしきょうかい)という会堂でもある。全体に装飾が少なく質素であるが、それがかえって端正な美しさを生み出している。車輪のようなロマネスク風のバラ窓が少し小さめなのも、そうした印象を引き立てるのに役立っている。・・おもしろいのは塔の上に小塔がついていることだ。2段式の塔はあまり見た記憶がないので珍しいと思う。これは十字架を掲げるための台なのかもしれない。ヴォーリズは十字架を大きくしないことが多いが、これほど小さいものも珍しいだろう。・・》(円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドブック』2011.10.31.エクスナレッジ)というものらしい。
  博愛社のホームページhttps://www.hakuaisha-welfare.net/ を見ると、博愛社というのは《博愛社は、社会福祉法、児童福祉法、老人福祉法、介護保険法で定められている社会福祉法人の団体です。
創設の基本理念であるキリスト教の「隣人愛」の精神にたって運営しており、子どもたちの健やかな育成とともに、高齢者が、生きがいのある心豊かな毎日を送れるよう努めています。》というものらしい。
京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 最新版 - 円満字 洋介
京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 最新版 - 円満字 洋介
  駅の東側に何があるかというと、かつては、駅の東側にあるもので最も有名なものというと、なんといっても、木川劇場・十三ミュージックだった。どんな劇場かというとストリップ劇場だったが、十三駅の東側にあったが、1970年代後半、高校生の時、十三駅の西口の前で、おじさんがサービス券を配っていたのを面白がって見ていたら、おじさんがサービス券を1枚くれた・・が、高校生が見に行くわけにもいかないから行ったことはない。そのうち、なくなってしまったようだ・・・と思ったら、今、インターネットで検索すると、木川劇場は《2013年4月に大衆演劇の専用劇場としてオープンしました。》(「大衆演劇場ガイド 木川劇場」https://gekijo.info/gekijou/kigawagekijo )と出ているので、「大衆演劇の専用劇場」として新たにオープンしたということか。
  北野高校の西隣に新北野中学校という中学校があって、北野高校とどういう関係があるのかというと、別に「系列校」とかいうことではなく、大阪市立の普通の公立中学校だが、北野高校は大阪市北区、かつては大淀区だった中津のあたり、今の済生会中津病院の場所にあった時にそのあたりが「北野」という地名だったことから、その前に堂島の元中津藩下屋敷跡にして「福沢諭吉生誕の地」で後には大阪大学医学部があった場所にあった時に堂島中学校となのっていたのが北野中学校と名前を変えたが、十三(じゅうそう)地区に移った時には「十三(じゅうそう)中学校」としたのでは、旧制第十三(じゅうさん)中学校の現 豊中高校と紛らわしいというようなこともあって、前の場所の「北野」という名前を引越した先でも名乗り、地名の方が「新北野」となって、その場所の市立中学校の名前が新北野中学校という名前になったようだ。新北野中学校のさらに西の方に、「あの有名な」学校法人森友学園の塚本幼稚園があるようだ。
  十三(じゅうそう)駅の西側の商店街を西に進むと北側に酒饅頭で知られる「喜安(きやす)」がある。やっぱり、酒饅頭というと喜安(きやす)の酒饅頭だ。酒饅頭界のブランドもの、酒饅頭界のシャネルかサルバトーレフェラガモのような存在だ・・(^^♪
※ 喜安総本舗HP http://www.kiyasu.jp/
  昔、藤田まこと が「十三(じゅうそう)のねーちゃんの歌」というのを歌ったことから、十三(じゅうそう)というのは、お水・お風の人ばかりがいる所みたいに思っている人がいたが、そんなことはない。お水でもお風でもない人が普通に住んでいる。それから、「十三のホテル」というと、かつての用語で言う「連れ込みホテル」、最近の用語で言う「ラブホテル」だと思っている人がいるが、ビジネスホテルもある。一度、十三(じゅうそう)駅の東のビジネスホテルに泊まったことがあるが、十三(じゅうそう)て便利ええなあ・・と思った。何しろ、阪急の電車はすべての電車が停まるし、梅田には1駅で行けるし、神戸線にも宝塚線にも京都線にも乗れる。駅の両側には商店街があって買い物をするにも便利だし、食事をする店もある。自然環境は豊中市の北半分や池田市・箕面市・茨木市・高槻市・島本町などの方がいいかもしれないが、便利さという点では十三(じゅうそう)は本当に便利だ。梅田は働きに行くなり買い物に行くにはいい場所かもしれないが、実際に住んでいる人には悪いが住むには現在ではあまり便利な場所ではないが、十三(じゅうそう)は大人が住むには本当に便利だ。子供がある人には、イメクラとかあるというのが気にかかるかもしれないが、大人は嫌なら行かなきゃいいのだから、あって困ることはない。
  私が子供の頃、母方の祖父母が神戸線沿線に住んでいたことから、梅田で阪急に乗って行くことがあり、電車の窓から見ていて、数字の「13」と書いて「じゅうそう」と読むとは、「面白い地名」だと思っていたのだった。 それで、小学校4年の時に、担任の先生が「『面白い地名』を言える人、いますかあ」と言った時に手を上げて、「十三(じゅうそう)」と言ったのだった。
  ところが、その先生(女性)は「何を言ってんの。十三(じゅうそう)なんて、面白くもなんともないじゃないの。あんた、何、言ってんの」と言うのだった。え? 「十三(じゅうそう)」て面白い地名だと思ったのだけれどもなあ・・、なんで、「十三(じゅうそう)」を面白い地名と思ったらあかんの? ・・と疑問に思っていると、「ほかに『面白い地名』を言える人~お?」とその先生は言い、「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」「親知らず子知らず」「立売堀(いたちぼり)」と言ったやつがいて、それを聞いて、その先生は「そうよお~お。『大歩危小歩危』とか『親知らず子知らず』とか『立売堀(いたちぼり)』とか、そういうものを『面白い地名』と言うのよお。『十三(じゅうそう)』なんて、面白くもなんともないでしょうよお。あんた、何、言ってんのよお」とおっしゃるのだった・・・が、なんで、「十三(じゅうそう)」が「面白くもなんともない地名」なのか、ようわからんかった。

  「十三(じゅうそう)」という地名はどうしてつけられたか。阪急電鉄の電車の中に出ていた説明書きには、淀川の十三番目の渡し舟があった所だということで「十三」と書いて「じゅうそう」と読むようになった・・・と書かれていたのだが、違うのではないかという気がする。「十三(じゅうそう)」駅のすぐ南側を東から西に流れている川は「新淀川」と言って、これは明治になってから人工的に掘削されて作られた「淀川放水路」だ。東京で隅田川のバイパスとして作られた荒川放水路を今では単に「荒川」と言っているようなものだ。もともとの淀川は毛馬の閘門(けまのこうもん)の所から南に流れて大阪天満宮の南側を西に流れて中之島の北と南で堂島川・土佐堀川と名のり、中之島の西でまた合流して西に流れる川がもともとの淀川だ。だから、淀川の13番目の渡し舟というのは、どうも違うような気がする。
  又、淀川の13番目の渡し舟から「十三(じゅうそう)」という地名ができたのであれば、1番目から12番目はなぜ地名になっていないのだろうか。 栃木県の県庁所在地の宇都宮市は、下野の国の「一の宮」であった二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)があった場所で「いちのみや」が変化して「うつのみや」になったという説があるが、塙 静夫(はなわ しずお)『とちぎ の地名を探る』(1996.11.2. 随想舎)には、
《 宇都宮は式内社 二荒山(ふたあらやま)神社の門前町として開けたので、「一の宮(いちのみや)」が転訛して「宇都宮」になったという説が流布している。しかし、古代に「一の宮」は60余国に鎮座していたから、下野国の「一の宮」のみが宇都宮に転訛したという説は不自然である。ほかに征討(うつ)宮説・現(うつし)宮説・遷宮説・堆(うつ)宮説などの諸説があるが、いずれも承服できるものではない。
  私は以前から宇都宮は「ウツ・ノ(助詞)・ミヤ」という語源から、崩崖・崩落地名説を唱えている。つまり、ウツは「落・棄・打」で、落ちる・棄てる・ばさっと落とす・切り取るの意から、崩落・崩崖を意味しよう。ノは助詞と思われるが、『日本国語大辞典』(小学館)に「古代にノ(野)と呼ばれている実際の土地の状況などを見ると、低木などの繁った山裾・高原・台地状のやや起伏に富んだ平坦地を呼んだものかと思う」とあるので、山丘などの裾部を意味するのかもしれない。ミヤは御屋(みや)で神社の意である。
  これらのことによって、宇都宮の地名は「崩落を起こす山丘上の神社」に由来するものであり、その門前に開けたので神社名がそのまま地名となったと思われる。・・・》
と出ているように、《古代に「一の宮」は60余国に鎮座していたから、下野国の「一の宮」のみが宇都宮に転訛したという説は不自然》で、それと同様に、京都から大阪にかけて、淀川の渡し舟が13以上あって、その13番目だけが「十三(じゅうそう)」という地名になって、1番目から12番目が地名にならなかったというのも、やはり、不自然ではないか。
とちぎの地名を探る - 塙 静夫
とちぎの地名を探る - 塙 静夫
  私は子供の頃、大阪梅田駅から十三駅まで行く時、阪急神戸線・宝塚線・京都線のいずれかに乗った時、淀川を渡る鉄橋が、複線×3 で、3つの鉄橋が連なっている姿を見て、自分が乗っている電車ではない路線を見るのが好きだった。そして、よく見ていると、微妙に線路の高さが異なることに気づいた。宝塚線が一番低くて京都線が一番高い。な~んでだ? ・・・と思ったが、阪急電鉄は最初は箕面有馬電気軌道といって、大阪梅田から箕面と有馬を結ぶ鉄道を敷設しようということで作られたが、有馬までは敷設されず宝塚までになり、箕面は最初は岡町か豊中駅付近から分岐する予定だったらしいが住民の協力を得られず、石橋からの分岐になったらしいが、ともかく、宝塚線が神戸線・京都線より先に敷設され、それから神戸線、そして京都線と作られたことから、後から作られた鉄橋の方が微妙に高い位置にあるようだ。・・それを見ると、宝塚線に乗っている時、ふと思うのだ。もしも、京都線の鉄橋の高さが適切なものであるのなら・・・、宝塚線て大丈夫か?・・・と。しかし、私が子供の頃から今日まで何十年間、宝塚線の鉄橋が水に漬かったということはないので、とりあえずは大丈夫・・かな。
  その阪急の3路線の鉄橋が重層に連なっている姿が「重層(じゅうそう)」で、それに筆記するのに楽な画数が少ない字を充てたのが「十三(じゅうそう)」・・・というのはどうだ? ・・なんて思ったが、十三(じゅうそう)という地名がいつからできたのか、おそらく、阪急電鉄の前身の箕面有馬電気軌道が敷設されるより前から「十三(じゅうそう)」の地名はありそうだから、これは違うか・・・。
  地図を見ると、「十三(じゅうそう)」駅の北西のあたりに武田薬品工業の工場があるなど、「十三(じゅうそう)」駅の北側、神崎川に近いあたりには工場がけっこう建っている。それらの工場がいつからあるかよくわからないが、もしかして、その中に「重曹(じゅうそう)」を作っている工場があった・・なんてことはないか。「重曹(じゅうそう)」とは名前はよく聞くが何かよくわかっている人は多くないのではないかと思うが、《ウィキペディアー炭酸水素ナトリウム》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AD%E9%85%B8%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0 によると、炭酸水素ナトリウム を 重炭酸ナトリウム とも言い、「重炭酸ナトリウム」略して「重曹(じゅうそう)」とも言うということで、消火剤に使われ、食品添加物にも使われるらしい。 この「重曹(じゅうそう)」に、やはり、筆記に楽な画数が少ない感じを充てて「十三(じゅうそう)」になった・・・というのは、話としては面白いのではないかとも思うが、それなら、もうちょっと正式なものに、こういったことが書かれていても良さそうだし、何より、もしも、そうであるなら、その工場の会社が「弊社の工場が《十三(じゅうそう)》の地名に由来なりい~い♪」と言いまくるのではないかと思うが、どこもそんなこと言っていないようなので、これも違うか・・・。
  それで、内田康夫『十三の冥府』を読むと、そこの「十三参り(じゅうさんまいり)」の話が出てくる。
十三の冥府(上) (文春文庫) - 内田 康夫
十三の冥府(上) (文春文庫) - 内田 康夫
十三の冥府 下 (文春文庫) - 内田 康夫
十三の冥府 下 (文春文庫) - 内田 康夫
《 いつ、どこで聞いたのか。容子にはふっと思い浮かぶ唄がある。
   なにわより じゅうさんまいり じゅうさんり もらいにのぼる ちえもさまざま
 記憶の中では、古風な童歌(わらべうた)のような単調な節回しで、ときには楽しげであり、ときには悲しげにも聞こえていた。
 母親の背中で聞いた子守歌(こもりうた)だったのかと思い、和子に確かめると知らないと言う。・・・ 》
《 「さっき僕が歌った『十三詣り十三里』の唄ですが、由衣さんもその唄をよく歌っていたのではありませんか?」
「はあ、歌ってました。その唄は昔、私が子守歌代わりにあの子に歌って聞かせていたのですけど、どういうわけか、お父さんが亡くなってから、由衣はときどきそれを思い出したように歌うようになったのです。津軽においてきたわが子を思い出すのでしょうかねえ。そのうちにまた様子がおかしくなってきて、ぼんやり考え込んでは、あの唄を歌っておりました。・・・・ 」》
《 急ぎ足で行き過ぎる観光客の流れから、一人だけ残されたように、フェンスにしがみつく恰好のおばさんが「めんこいもんだねえ」と呟いた。あまり上等でないワンピースに、つば広の帽子をかぶり、グリーンのリュックサックを背負い、白いズック靴を履いている。姿かたちは小学生の遠足みたいだが、まぎれもなく六十年配のおばさんである。つられるように、容子も隣に佇んだ。
「ねえ、めんこいね」
 おばさんは日焼けした顔を振り向けて、容子に笑いかけた。
「ええ、かわいいです」
 容子も愛想よく頷いた。八戸生まれの八戸育ちの彼女にとってはすっかり見慣れて、珍しくもないウミネコの子育て風景だが、おばさんの感興を削ぐような失礼はできない。おばさんも満足そうに大きく何度も頷いて、そのうちに興が乗ったのか、首を振るリズムに合わせて歌いだした。
「じゅうさんまいり じゅうさんり もらいにのぼる ちえもさまざま・・・・」
 容子は呆気に取られた。あの唄だった。おなじ節回しのようだが、このおばさんが歌うと、まるで別の唄のように陽気に聞こえる。どこがどう違うのか比較はできないが、聴いているほうの気持ちをかき立てる歌い方だった。
  おばさんは繰り返し繰り返し、ウミネコの囀りと競うように歌う。
「あの、その唄・・・」
 恐る恐る声をかけた。おばさんは「ん?」と小首を傾げて、歌いやめた。
「その唄、何の唄なんですか?」
「さあて、何だべな。ともだぢがよく歌ってくれたはんで覚(おべ)でしまった。よく知らねけども、親心の唄でないべが。ええ唄だべせ」
 懐かしさと優しい気持ちがこみ上げてくる唄であった。この唄が決して特別なものでなく、どこでも歌われているのだと思い、そのことを誰かに伝えたくなった。・・・ 
  おばさんが不思議そうに顔を覗き込んで、「なして泣ぐんだ?」と訊いた。・・・ 》
( 内田康夫『十三の冥府』 光文社文庫 )
  「十三詣り(じゅうさんまいり)」とは何か。 《ウィキペディアー十三詣り》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%A9%A3%E3%82%8A には、
《 十三詣りあるいは十三参り(じゅうさんまいり)は旧暦の3月13日前後 (新暦の3月13日から5月13日)に、男女とも数え年13歳でおこなう祝いである。子供の多福・開運を祈り、小学校を卒業して中学校に入学する春に寺社に詣でる形式が一般的。 特に京都嵯峨の虚空蔵法輪寺における虚空蔵菩薩への「十三参り」は有名である。虚空蔵菩薩は十三番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩とされる。これに因み別名、知恵詣りまたは智恵もらいとも云う。 》
と出ている。 内田康夫『十三の冥府』には、
《 ・・南郷インターを下りる頃にとうとう日が落ちた。インターのある辺りは青森県南部地方の南端、三戸郡南郷村というところである。インターを出たところで錯覚があったらしく、気がつくといつの間にか新郷村とは逆方向へ走っていた。こんなことは旅慣れた浅見にしては珍しい。キツネにつままれたか、それとも、アラハバキとかいう魔物みたいなものに誑かされたか――などと思った。
  名にはともあれ今夜の宿を探さなければならない。ガソリンを補充したスタンドで尋ねると、「コクゾウさんの近くに民宿がある」と教えてくれた。「コクゾウさん」とは何かと訊くと虚空蔵菩薩のことだという。日本三大虚空蔵菩薩の一つなのだそうだ。そこに参詣に来る人たちのための民宿らしい。
  まだ残照があるうちにと道を急いだ。行き交う車もない暗い道を七、八分走ると、道路脇に「福一満虚空蔵菩薩」の大きな看板があった。そこから山に向かって参道があるらしいが、真っ暗で何も見えない。民宿はそこから少し先へ行ったところだった。その一隅だけがほっとするほど明るい。・・・》
と、青森県八戸市の虚空蔵菩薩が登場する。
 《青森県 観光情報サイト 虚空蔵菩薩堂》https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000525.html に、《 京都の法輪寺、福島の円蔵寺とともに日本三大虚空蔵菩薩にあげられています。》として、青森県八戸市南郷区大字島守 の虚空蔵菩薩堂 が出ています。但し、インターネットで検索すると、「日本三大虚空蔵菩薩」に、どの3つを入れるかについては諸説あるようで、青森県八戸市の虚空蔵菩薩堂の他の虚空蔵菩薩3か所をあげる説もあるようです。

( ↑ 青森県八戸市南郷区大字島守 虚空蔵菩薩堂。)
   もしも、大阪市淀川区の「十三(じゅうそう)」が十三詣りと関係あるとすると、比較的近い場所の虚空蔵菩薩というと、京都の嵐山の虚空蔵法輪寺でしょうか。
※ 虚空蔵 法輪寺HP https://www.kokuzohourinji.com/

( ↑ 京都市 虚空蔵法輪寺。 )
  1里は約4㎞として、13里は、52㎞。 淀川区の「十三(じゅうそう)」はどこかから52㎞なのか? 福島県いわき市に住んだ時に、クルマを走らせながら走行距離を測ったが、千葉県船橋市から いわき市まで約200㎞で、いわき市から水戸市までがその半分の約100㎞、いわき市から日立市が約50㎞だった。 だから、52㎞というとけっこうある。

  十三(じゅうそう)に虚空蔵菩薩と関係のある寺社があるか? 十三駅の東口の商店街を抜けた北側に神津神社・十三戎神社があるが、神津神社HP http://kamitsujinja.ec-net.jp/ を見ると、「神津」というのは神崎川と中津川の間の地域ということで、神崎川の「神」と中津川の「津」で「神津」だそうで、十三詣りとはあんまり関係なさそうだ。
  母方の祖父母が阪急神戸線沿線に住んでいたことから阪急に乗ることが何度かあって、その度に窓から外を見ていて気づいたのだが、新淀川の南側に、新淀川に沿って、新淀川と堤防で隔てられた川が存在するのだ。これは何だろうかと思ったのだが、それが中津川で、明治の初めに淀川放水路として今の新淀川が人工的に作られる前には新淀川の流れている場所には川はなかったのかというとそうでもなくて、中津川という川が流れていたようで、その形跡というのかで今も新淀川の南側を新淀川に沿って中津川が存在している。 神津神社の「神津」の「津」はその中津川の「津」らしい・・・が、十三詣りとはあんまり関係なさそうだ。

  私が「十三(じゅうそう)」という地名に関心を持ったのは、数字の「13」と書いて「じゅうそう」と読むという点だけではなく、日本では「七」とか「三」は縁起がいい数字とされることが多く、「三大〇〇」なんてことを言うし、「四天王」とも言うから「四」は病院では「し」は「死」につながるとして病室に4号室を入れないことがあるが、「四」は常に縁起が悪いわけでもない。 しかし、「13」というと、あの「年齢不詳、国籍不明。日本人・中国人・日本人とロシア人の混血・日本人とユダヤ人との混血という説があるがはっきりしない。毛沢東の子孫・東郷平八郎の子孫という説もあるがはっきりとはわからない。背後に立たれることを嫌い、鞄から物を出す時には「ゆっくり」出すことを要求する。報酬は高いが受けた依頼は必ず実行する」という国際的超一流スナイパー、「ゴルゴとはイエスが十字架につけられたゴルゴタの丘を表し、13とは、イエスの弟子でありながらイエスを裏切ったイスカリオテのユダを指すという」「う~む。なんと、不吉な名前なんだ・・・」・・という「13」であり、西洋においてはあまり縁起がいい数字ではないと考えられることが多い数字なのに、あえて、その数字が地名になっているという点もあった。
DSC00368.JPG
(↑さいとう たかを/さいとうプロ作品『ゴルゴ13』「ジグソー・コード 後編」。「ビッグコミック」2021.6.10。号 小学館 所収。)
  しかし、もしも、虚空蔵菩薩と十三詣りが関係あるのなら、虚空蔵菩薩は《十三番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩》というところからならば、決して「不吉」でも「縁起が悪い」こともないことになる。

   欧米では「13」という数字はあまり縁起がいい方の数字ではなさそうですが、日本では必ずしもそうでもないらしいく、『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(2008.1.29.小学館)には、「おおさか十三仏霊場」「京都十三仏霊場」「大和(やまと)十三仏霊場」が掲載されている。
《 「十三仏」とは、亡くなった人の供養のために行う13回の忌日法要の本尊となる仏尊のことをいう。》
そうで、
《 十三仏霊場の巡礼とは、その13の本尊仏を拝して、亡き人の冥福を祈る旅である。
  追善供養は、死後49日までは7日ごとに7回、その後は百か日から三十三回忌まで6回と、計13の法要をすることが通例となっている。》
《 「十三仏事」と呼ばれるこの法要で、遺族は故人の冥福を祈る。この風習は中国に起源をもち、日本でも一般に広まったと伝えられている。》
というものらしい。 具体的に、どういう仏様が本尊なのかというと、
1. 初七日――不動明王
法楽寺(大阪市東住吉区山坂1)
智積院(京都市東山区東大路七条下ル)
宝山寺(生駒市門前町1)
2. 二七日(にしちにち)――釈迦如来
正圓寺(大阪市阿倍野区松虫通3)
清凉寺(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)
西大寺(奈良市西大寺芝町1)
3. 三七(さんしちにち)――文殊菩薩
家原寺(えばらじ)(堺市西区家原寺町1)
霊運院(京都市東山区本町15 東福寺山内)
安倍文殊院(桜井市安倍山)
4. 四七日――普賢菩薩
四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺1)
大光明寺(京都市上京区烏丸通上立売東入ル)
長岳寺(天理市柳本町)
5. 五七日――地蔵菩薩
常光寺(八尾市本町5)
大善寺(京都市伏見区桃山町西町)
金剛山寺(こんごうせんじ)(大和郡山市矢田町)
6. 六七日――弥勒菩薩
教興寺(八尾市教興寺7)
泉涌寺(京都市東山区泉涌寺山内町)
當麻寺中之坊(たいまでらなかのぼう)(葛城氏當麻)
7. 七七日(満中陰 まんちゅういん)――薬師如来
全興寺(せんこうじ)(大阪市平野区平野本町4)
平等寺(びょうどうじ)(京都市下京区松原通烏丸東入ル)
新薬師寺(奈良市高畑福井町)
8. 百か日――観音菩薩
太融寺(大阪市北区太融寺町3)
大法恩寺(京都市上京区七本松通今出川上上ル)
おふさ観音寺(樫原市小房町6)
9. 一周忌――勢至菩薩(せいしぼさつ)
国分寺(大阪市北区国分寺1)
仁和寺(京都市右京区御室大内)
長久寺(ちょうきゅうじ)(生駒市上町)
10. 三回忌――阿弥陀如来
大念仏寺(大阪市平野区平野上町1)
法金剛院(京都市右京区花園扇野町)
霊山寺(りょうせんじ)(奈良市中町)
11. 七回忌――阿閦(あしゅく)如来
報恩院(大阪市中央区高津1)
法観寺(ほうかんじ)(八坂の塔)
(京都市東山区八坂坂上町)
玉蔵院(生駒郡平群町信貴山)
12. 十三回忌――大日如来
青蓮寺(せいれんじ)(大阪市天王寺区生玉寺町3)
教王護国寺(東寺)(京都市南区九条町1)
円成寺(えんじょうじ)(奈良市忍辱山町)
13. 三十三回忌――虚空蔵菩薩
太平寺(大阪市天王寺区夕陽丘町1)
法輪寺(京都市西京区嵐山虚空蔵山町)
大安寺(奈良市大安寺町2)
・・・「十三仏霊場」は大阪府・京都府・奈良県のもので、「京都十三仏霊場」の13番目の虚空蔵菩薩は「十三詣り」の虚空蔵法輪寺になっている。 もっとも、「おおさか十三仏霊場」が成立したのは1979年、「京都十三仏霊場」が成立したのは1981年、「大和十三仏霊場」が成立したのは1982年と、比較的新しい。しかし、「十三仏」という考え方はそれより前からあったのではないか。大阪市淀川区十三(じゅうそう)の付近に、十三仏に関係する寺は、今のところ、見つけられないのだけれども、「十三詣り」とともに「十三仏」「十三仏霊場」と関係あるということはないか・・・ということは、可能性として捨てきれないように思うのだが。
週刊 古寺を巡る 49号(2008/1/29) 関西・中部の霊場めぐり 風光明媚な古都の大寺と故郷の寺 (小学館ウイークリーブック) - 小学館
週刊 古寺を巡る 49号(2008/1/29) 関西・中部の霊場めぐり 風光明媚な古都の大寺と故郷の寺 (小学館ウイークリーブック) - 小学館

  「十三詣り」、「十三仏」「十三仏霊場」という仏教に関する「十三」の他に、中国の古典としての「十三」として「十三経」というのがあるらしい。中国の「古典」としては「四書五経」という言い方があって「四書(ししょ)」とは《儒教の教典たる大学・中庸・論語・孟子の総称。》(新村 出 編『広辞苑 第二版』岩波書店)、「五経(ごきょう)」は《儒学で、聖人の連作として尊重する五部の経書。即ち、易経(周易)・詩経(毛詩)・書経(尚書)・春秋・礼記。ごけい。》(新村 出 編『広辞苑 第二版』岩波書店)だが、「十三経」という言い方もあるようなのだ。 肅癒(シャオ=ユー)『毛沢東の青春ーその秘められた日々』(原題『毛沢東と私は乞食だった(MAO TSE-TUNG and I were beggars.)』1959. 高橋正訳。1976. サイマル出版会)に、
《 私たちがすわると、劉翰林は「道中、山賊にでも出会ったのかね?」とまた聞いた。
「いえ、別に」毛沢東が答えた。
「どこからきた? そしてどこまで行くのじゃね?」「長沙から寧郷まで行くところなんです」私(肅瑜 シャオ=ユー)が答えた。
「長沙では何をやっているのかね?」「学生なんです」毛が答えた。
「西洋学校かね? 詩が書けることはわかったが・・・・。あの詩はよくできておる。なかなか達筆だし・・・・」劉翰林は、相変わらずこちらをみまわしながら話した。
「学校では詩のほかに古典もやっております」私がつけ足した。「ほう、古典を勉強してるのかね。で、どんな?」
  毛が「十三経から老子、荘子までやっています」と答えると、老博士は喜んで「老荘を学ぶのに一番よい参考書はだれのだと思うかな?」と質問してきた。
「老子の解釈では王弼、荘子では郭向です」と私が答えた。
  博士はますます喜んで「その通り。わしも同感じゃよ、きみの生まれは?」と私にきいた。・・・》
というやりとりがあり、高橋 正 氏の訳注で、「十三経」について、
《 中国古典(経)― 周易、尚書、毛詩、春秋左氏伝、春秋公羊伝、春秋穀梁伝、孟子、周礼、礼記、儀礼、孝経、論語、爾雅―以上十三の総称。》
と出ている。「五経」に該当する 易経(周易)・詩経(毛詩)・書経(尚書)・礼記・春秋(春秋左氏伝・春秋公羊伝・春秋穀梁伝)、「四書」のうちの孟子・論語の他に周礼・儀礼・孝経・爾雅の4書とで「十三経」らしい。
 ヨーロッパでは「13」は「ふむう。なんと不吉なあ~あ・・・」という数字であっても、東洋ではそうでもないようで、「十三詣り」に「十三仏」「十三仏霊場」という仏教に関するものだけでなく、中国の古典として「十三経」というものもあるようだ。地名としての「十三(じゅうそう)」の由来として、それらのうちのどれかが関係しているということは、可能性としてあってもおかしくないようにも思える・・のだが、はっきりと関係していると示すものは見当たらない。
毛沢東の青春―その秘められた日々 (1976年) - 蕭 瑜, シャオ・ユー, 高橋 正
毛沢東の青春―その秘められた日々 (1976年) - 蕭 瑜, シャオ・ユー, 高橋 正

  楠原祐介『この地名が危ないー大地震・大津波があなたの町を襲う』(2011.12.20. 幻冬舎新書)には
《 昭和四十年代前半までの東京を知っている人なら、現・新宿区西新宿二丁目付近に「十二社」と書いて「じゅうにそう」と読む町名があったことをご存じだろう。
  現・新宿中央公園の北西隅に熊野神社が鎮座するが、この神社に紀州・熊野の三所権現(さんじょごんげん)・四所明神(ししょみょうじん)・五所王子(ごしょおうじ)を相殿にして祀ったから計十二の神々ということで「十二社」と呼んだといわれている。
  なお、「社」を「そう」というのは、草深い田舎に祀られた祠を「叢祠(そうし)」と意識し、その「叢」のソウの読みを借りたものという。・・》
と出ている。
  大阪市淀川区の十三(じゅうそう)も、「十二社(じゅうにそう)」の読みから「に」がはずれて「じゅうそう」になって漢字表記も「十二社」から「十三」に変わったという可能性、あるいは十二社ではなく「十社」で「じゅうそう」と読んだ、もしくは「十三社」で「じゅうさんそう」と読んだのが、読みにくいので「じゅうそう」と読み、漢字の表記も「社」が取れて「十三」になった・・というのはありそうな感じ、少なくとも「淀川の十三番目の渡し」よりは可能性がありそうな感じがするのだが、しかし、その十二社か十社か十三社かというのが、十三(じゅうそう)のあたりにあるかというと、思いあたるものがない。

  青森県には、太平洋側の八戸市に虚空蔵菩薩堂があるが、日本海側に十三湖(じゅうさんこ)がある。十三湖(じゅうさんこ)と十三詣りは関係あるかというと、これは、おそらく関係はないだろう。 内田康夫『十三の冥府』には十三湖も登場する。
  大阪市淀川区の地名が「十三」と書いて「じゅうそう」であるのに対して、青森県の日本海側の汽水湖は「十三湖」と書いて「じゅうさんこ」。しかも、この一部分が日本海とつながった汽水湖は「十三湖」と書いて「じゅうさんこ」と読むが、この付近にかつては勢力を誇った豪族がいて、日本海側の港を拠点としていたというが、その港の名前は「十三湊」と書いて「じゅうさんこう」「じゅうさんみなと」ではなく「とさみなと」と読む。 湖の名前は「じゅうさんこ」で港の名前は「とさみなと」というのはどうしてだろうか。

( ↑ マーカーは十三湊遺跡。 )

  高知県はかつては「土佐」と書いて「とさ」の国だった。高知県には海と山と両方があるが、他県の人間の印象としては海の印象の方が強い。 この「土佐(とさ)」はどこからきた名前なのか・・ということを考えた時、青森県の日本海側の「十三湊(とさみなと)」と共通するも「のがあるのではないか・・と考えた。高知市の海側、中学校の修学旅行で行った桂浜。 坂本龍馬の像が立っていて、「こわそお~お」な土佐犬が綱を係のおじさんがつかんで、一緒に記念撮影をした所があったが、その桂浜というのは、

地図を見ると、川が海に注ぐ河口の部分に両側から砂洲が伸びてきており、その西側から伸びる砂洲が桂浜だが、高知の場合は両側から伸びた砂洲の内側が湾のようになっていて、そこに川が注いでいるのに対して、青森県の十三湖は両側から砂洲が伸びてその内側に十三湖という汽水湖ができている・・・が、地形として似たところがあるように思うのだ。この両側から伸びた砂洲(さす)を、「土砂(どしゃ)」が伸びたということで、「土砂(どしゃ)」が「どしゃ」⇒「としゃ」⇒「とさ」で、それが高知県では「土佐」という感じになり、青森県では「十三」という漢字になった・・ということはないかな。
  それで、青森県の方の港の名前は「どしゃ」⇒「としゃ」⇒「とさ」の港ということで「とさ湊」に漢字を充てて「十三湊(とさ みなと)」となった。湖はいったん充てられた「とさこ」に充てた感じの「十三湖」を別の読み方をして「じゅうさんこ」・・ではないか。
  ややこしいことに、青森県には「十二湖(じゅうにこ)」という湖もある。十二湖(じゅうにこ)と十三湖(じゅうさんこ)があるなら、一から十一までもあるのかというと、それはないようだ。
  十二湖(じゅうにこ)の場合は、《ウィキペディアー十二湖》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%B9%96 によると、《青森県西津軽郡深浦町にある複数の湖の総称》で、特定のひとつの湖の名称ではなく《1704年の能代地震による崩山(くずれやま、標高939.9m)の崩壊で塞き止められた川から形成されたのではないかと推定されている。十二湖という名称は広大なブナの森に点在する33の湖沼が、「大崩(標高694m)から見ると湖沼数が12に見える」ということに由来するとも言われているが、詳しくは分かっていない。ただし、偶然にも面積が10,000m2を超える湖沼数は12となっており、面積が1町歩を超える湖沼数も同じく12となっている。》と出ている。
  「十二湖」と「十三湖」は同じ県にあって似た名前をしているけれども、十二湖(じゅうにこ)の方は「湖沼数が12に見える」か「1万㎡越の湖沼の数が12」なのか、湖の数からついた名前で、十三湖(じゅうさんこ)の方は、砂洲が伸びてできた汽水湖ということから、「ドシャ」⇒「トシャ」⇒「トサ」 で「トサ」に「十三」という漢字を充てた「とさこ」をを別の読み方をして「じゅうさんこ」・・・か。もしくは、同じ県に「十二湖」と書いて「じゅうにこ」と読む地名があるものだから、「十三湊」と書いて「とさみなと」と言っていたのと同様に「十三湖」と書いて「とさこ」と言っていたものが、「十二湖」と書いて「じゅうにこ」と読む地名の影響を受けて「じゅうさんこ」と読むようになった・・・のかな・・。

  この「土砂」「ドシャ」⇒「トシャ」⇒「トサ」 と変化して、その「トサ」に高知県では「土佐」、青森県では「十三」の漢字を充てたというものが、もしかして、大阪市淀川区の「十三(じゅうそう)」の語源という可能性はないか?
淀川が上流から土砂を流してきて、かつ、海の方からも土砂が波で寄せられて、そうしてできた土地に、
「土砂」「ドシャ」⇒「トシャ」⇒「トサ」に「十三」という漢字を充てて、最初は「トサ」と読んでいたものが、そのうち、単に「十三」という漢字を見ると「じゅうそう」の方の読み方をしやすい・・・ということから「十三(じゅうそう)」になった・・・
・・ということは、可能性としてありそうな。 少なくとも、淀川の13番目の渡し舟よりもありそうに思うのだが、どうだろうか・・。

  さらに言うと、語源は1つではなく2つ以上ある可能性だってあると思うのです。
  私は、1990年代、福島県いわき市に5年間、住んでいました。ですから、今でも「在東京圏関西人」であるとともに「何割か福島県人」であり、「何割か東北人」です。 いわき市は「平成の大合併」が始まる前までは全国で一番面積が広い市でしたが、「平成の大合併」が始まって、2位だった静岡市が東隣の清水市と合併したことで、新しい静岡市に面積で抜かれ、さらに他にも、岐阜県高山市とか静岡県浜松市とか無茶苦茶広い面積の市が日本全国でいくつも登場して、《ウィキペディアー日本の市の面積一覧》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B8%82%E3%81%AE%E9%9D%A2%E7%A9%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7 を見ると、2015年現在で12位になったようです。いわき市は1966年に、5市4町5村が合併してできた市ですが〔《ウィキペディアーいわき市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82 〕、住居表示では1966年に合併する前の市の名前が前について、▽▽☆☆町といった名前になっている所が多かった。その▽▽で合併前は何市だったかがわかります。現在のJR常磐線「いわき」駅は旧 平(たいら)市だった所にあった「平(たいら)」駅が改称して「いわき」駅になったのです。スパリゾートハワイアンズや いわき湯本温泉がある所は湯本市だったのかと思ったらそうではなく常磐市だったらしく、福島県では最も大きな港がある小名浜地区は小名浜市だったのかというとそうではなく漢字の磐城市だったようです。私が住んでいた所は旧 常磐市で、勤め先の場所は旧 平(たいら)市だった所でした。いわき市は自然環境がいい所でしたが、東日本大震災とともにいわき市の北隣の双葉郡の大熊町・双葉町にある福島第一原発で事故が発生したことで影響を受けました。今度、福島第一原発事故で発生した放射能汚染水を海洋に流すといったことを言い出していますが、インターネットで見ると、ネトウヨらしき人が、中国や韓国の原発で海洋に流しているものよりも薄い状態にして流すから大丈夫だとか書いているのを見ますが、薄くして流すというのなら、太平洋の海水で薄くすれば薄くなるわけで、相当濃い状態ででも太平洋に流せば薄くなるのであって、それはあまり意味はありませんし、薄くても量が多ければ結果として流される放射性物質の量は多いことになります。
  それで、旧 磐城市だった小名浜地区の名前について述べたいと思います。旧 内郷市 には福島県で唯一の建築の国宝である白水阿弥陀堂がありますが、旧 磐城市 の小名浜は「小名浜」と書いて「おなはま」と読むのですが、福島県で唯一のソープランド街があります。いいとか悪いとかいうことではなく、現実にあります。その地域に住んでいる人口から考えるとけっこう多い軒数の店があるという話ですが、「その地域に住んでいる人口」というのが東京圏や関西圏に比べるとずっと少ないですから、その見方をしなければそれほど多いわけでもないのかもしれません。小名浜地区の一部分にあるということであって小名浜はすべての場所がソープランド街だということではありません。なぜ、その場所にあるのか・・・ということですが、これは私の推測ですが、小名浜は港ですから、海の仕事をしている男が港に上陸した時に相手をする女がそこに集まってできたのではないか・・。それが今に至っているのではないか。それで、「おなはま」という名前ですが、「女がいる浜」で「女の浜」「女浜」「おんな浜」が「おな浜」⇒「小名浜」に変化したのではないのか・・・といったことを考えたのです。こういうことを言うと、小名浜地区の住民で怒る人もいるかもしれないけれども、けっこう、地名というのはそういう所から出てきた地名はあるはずです。
  しかし、楠原祐介『この地名が危ない』(2011.12.20. 幻冬舎新書)を見ると、そうではない方の可能性が述べられています。
《 ・・昭和58年(1983年)刊の『地名用語語源辞典』〔楠原祐介氏が共編著〕の「おな」の項目は次のように処理している。
  おな[女・小名・小那・尾奈]
(1)畦。畦道(《方言》岩手)。 畦畔(けいはん)の大路(小井田幸哉)。
(2)ヲ(峰)ナ(土地)で、「高くなった所」の意。
(3)ヲンナ(女)の略で、女性に関連する伝説関連地名もあるか。
(4)ヲ(小)ノ(野)の転もありうるか。
(5)ヨナ(砂)の転か。――とし、
<解説>(1)(2)はいずれにしても同系同語語源の用例。「女」のつく地名にはさまざまな伝説が付会しているが、その伝説が元になって命名された地名はごく少数であろう。オナガワ(女川・小名川)など(1)、(2)では解釈しにくい地名例もあるので、(4)(5)の新説を立てた。
――と、我ながらすこぶる歯切れが悪い。・・・》
と出ており、そして、
《 このように考えれば、宮城県女川(おながわ)、福島県いわき市小名浜(おなはま)オナ(ヲナ)は、「雄(男)波」のヲ・ナミを下略して津波を「ヲナ」と呼んだ名残だ、と容易に推測できる。
  今回の東北地方太平洋沖地震の大津波で、津波は海岸の堤防を乗り越える前に「まず、川から遡って来る」ことは、読者の皆さんはすでによく実感されたはず。小学生13人が犠牲になった加茂青砂海岸から直線距離で南東に約8キロの近接地、秋田県男鹿市船川港地区に女川集落があり、この地も同様の津波にしばしば襲われた地であろう。
  ・・・
  ところで、福島県いわき市の小名浜港は重要港湾・開港場に指定されており、東北地方屈指の漁港・商港・工業港である。ここも津波が襲う地だったとは、今回の被災で初めて思い知らされたことだった。
  この港は、北東約13キロに美空ひばりの歌碑が建つ塩屋埼や港のすぐ東側には竜ケ崎が突き出ており、今回の地震の震源域との間に立ちはだかっているように見える。ところが、津波は進行前面に障壁があると、その裏側に回り込む(「回折(かいせつ)」という)ように進み、岬の裏側にも甚大な被害をもたらす、という。
  なお、福島第一原発から北に約13キロ離れた南相馬市小高区女場(おなば)は、海岸から2キロ入ったところだが、今回、海から直接ではなく、北側を流れる小高川沿いの低地から津波が侵入してきている。この「女場(おなば)」のヲナ(女)もやはり、津波痕跡地名ということになる。 》  
と出ている。
この地名が危ない (幻冬舎新書) - 楠原 佑介
この地名が危ない (幻冬舎新書) - 楠原 佑介
  いわき市小名浜の「オナ」「ヲナ」とは、雄波←津波 のことだったのか。これはありうることだろう・・と思う。
  しかし、楠原祐介氏の考察はなかなかのものだとは思いますが、しかし、それぞれの地域の住民だったわけではない。小名浜(おなはま)については、小名浜の「オナ」「ヲナ」は津波を意味するという可能性は十分に考えられるでしょうけれども、片方で、
(3)ヲンナ(女)の略で、女性に関連する伝説関連地名もあるか。
(4)ヲ(小)ノ(野)の転もありうるか。
(5)ヨナ(砂)の転か。――
という可能性もまったく考えられないことはないのではないか。
福島県の太平洋側でも小名浜港のあたりは岬の内側の位置にありますから、砂がある浜だったという可能性は考えられ、《(5)ヨナ(砂)の転か》という可能性は考えられるのではないか。
  それから、苗字というのは、その地域によって多い苗字とそうではない苗字があるのですが、佐藤さん・鈴木さん・渡辺さんは全国的に多い苗字ですが、いわき市では東京・大阪などよりも佐藤さん・鈴木さん・渡辺さんの比率は大きい。国井さん・草野さん・藁谷さんは全国的にはそれほど多くはないけれども、いわき市では多い。そして、小野さんも全国的に多い苗字ですがいわき市ではやはり多く、小名浜地区にも小野さんは少なくありません。そして、小名浜港の北のあたりは、それほど無茶苦茶広いわけではない平地がある場所ですから、「小さい野」で《(4)ヲ(小)ノ(野)の転・・》の可能性もあるのではないか。小名浜と湯本の間あたりに「大原」という地名もあります。「大原」と言ってもそれほど広い地域ではありませんが、平地です。大阪府箕面市の東部には「小野原(おのはら)」という地名があります。「小野」「小野原」「大原」は同類の地名で、小名浜の「小名(おな)」は「小野」もしくは「小野原」が港の背後にある浜ということで「小野浜」もしくは「小野原浜」だったのが、「おのはま」が「おなはま」に変化して「小名浜」という可能性はあるのではないか。
  そして、《(3)ヲンナ(女)の略で、女性に関連する伝説関連地名・・》というよりも、船乗りが「女のいる浜」という意味で「女浜」と読んで、それが「おんな浜」⇒「おな浜」⇒「小名浜」と変化したという可能性だって、やっぱり、可能性としてあるのではないのか。
  こう考えると、小名浜の語源は1つではなく複数のものがある可能性が考えられるように思うのです。

  大阪市淀川区の「十三(じゅうそう)」の地名について論じているうちに、福島県いわき市小名浜 の話になってしまいましたが、何を言いたかったかというと、地名の語源は常に1つとは限らないのではないか。2つ以上のルーツがある地名というのもあるのではないか。
  だから、「十三(じゅうそう)」にしても、「土砂(どしゃ)」「ドシャ」⇒「トサ」⇒「十三(とさ)」⇒「十三(じゅうそう)」と変化した可能性は考えられると思うのですが、それ以外のものも語源としてある可能性はないとは言えないし、「十三詣り」だって、もしかするともしかするのではないか・・。

  ・・・こういったことを考えてみますと、「十三(じゅうそう)」て、けっこう「面白い地名」だと思いませんか。

  私が小学校4年の時に、「十三(じゅうそう)なんて、面白くもなんともないでしょうよ。あんた、何、言ってんのよ」とおっしゃった先生が「面白い地名」だと言われたのは「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」「親知らず子知らず」「立売堀(いたちぼり)」の3つで「こういうのを『面白い地名』と言うのでしょうよお」とおっしゃるのでしたが、
  「親知らず子知らず」というのは、《ウィキペディアー親知らず》 には、
《 親不知(おやしらず)は、新潟県糸魚川市の西端に位置する崖が連なった地帯。正式には親不知・子不知(おやしらず・こしらず)といい、日本海の海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで古くから交通の難所として知られる。》
《「親不知」の名称の由来は、幾つの説がある。一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされている。また、以下のような伝承もある。
壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。都に住んでいた妻はこのことを聞きつけて、夫を慕って2歳になる子を連れて京都から越後国を目指した。しかし、途中でこの難所を越える際に、連れていた子供を波にさらわれてしまった。悲しみのあまり、妻はその時のことを歌に詠んだ。
「親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く」
以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったとする伝説もある。》
と出ている。それだけ・・。
  「立売堀(いたちぼり)」は、《ウィキペディアー立売堀(いたちぼり)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%A3%B2%E5%A0%80 によると、
《 立売堀(いたちぼり)は、大阪府大阪市西区の町名。現行行政地名は立売堀一丁目から立売堀六丁目。》
《 『摂津名所図会大成』によると、大坂冬の陣・夏の陣で伊達氏がこの付近に堀をつくり陣地を構えていたこと、その跡を掘り足して川としたことからはじめは伊達堀(だてぼり)と呼んでいたが、そのうち「いたちぼり」と呼ばれるようになった。後に材木の立売りが許されるようになったので漢字のみ「立売堀」と改められた、とのことである。》
とある。それだけ・・・。
  「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」は、《ウィキペディアー大歩危》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A9%E5%8D%B1 によると、
《 大歩危(おおぼけ)は、吉野川中流域に位置する渓谷(先行谷)。吉野川西岸の徳島県三好市山城町西宇地区の歩危茶屋付近から高知県長岡郡大豊町大久保地区の一部までと、その対岸となる徳島県三好市西祖谷山村の一部を指す総称でもある。峡谷そのものを指す場合は大歩危峡(おおぼけきょう)と呼ばれることが多い。夏季には多くのラフティング・カヤック愛好者を集めるほか、百年以上の歴史がある大歩危峡遊覧船で知られている。数km下流の小歩危(こぼけ)と共に、大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)として一括りにされることが多い。国の天然記念物・名勝に指定されているほか、剣山国定公園に含まれている。》
《 一般には「大股で歩くと危険」が「大歩危」の地名由来とされているが本来「歩危(ほき、ほけ)」は山腹や渓流に臨んだ断崖を意味する古語である。「崩壊(ホケ)」とも書き、奇岩や怪石の多い土地を示している。「おおぼけ」という音に対して、文化12年(1815年)編纂の阿波史では「大嶂」の字を充てており、明治6年(1873年)の地租改正の際に当時の三名村は「大歩怪」の字を充てている。地租改正の際に「こぼけ」には「小歩危」の字を充てており、後に「小歩危」に合わせて「大歩危」と表記するようになった。

と出ている。中学校の修学旅行で高知に行ったのだが、大阪府の中学校から阪急バスの観光バスに乗って、神戸港からフェリーボートにバスのまま乗り、高松港で上陸して四国を縦断して高知に行ったのですが、その途中、ここが「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」ですよお~お・・とバスを停めて、一時休憩みたいにして時間を過ごしたのですが・・・、正直なところ、「たいそうなこと言うわりには、たいしたことない」というのがその時の感想でした。それが「十三(じゅうそう)」とは違って「面白い地名」だという「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」でした。
  別に、「親知らず子知らず」「立売堀」「大歩危小歩危」に恨みはないが、しかし、そこまで「面白い地名」かなあ~あ・・という気もする。むしろ、「十三(じゅうそう)」や「小名浜(おなはま)」の方が面白いようにも思うのだが・・・そう思いませんか・・。


【2】 自分が無知、不勉強、かつ、教師として準備不足であることを棚に上げて生徒をクラス全員で笑いものにする教諭。および、中学校の社会科教諭と校長先生。
  「十三(じゅうそう)」というのは、「性別:男性。年齢・国籍:不詳。日本人・中国人・日本人とロシア人の混血・日本人とユダヤ人との混血という説があるがはっきりとしない。毛沢東の子孫・東郷平八郎の子孫という説もあるがはっきりとはわからない。何か国語も駆使し、銃の扱いに長けており、様々な格闘技をこなす。背後に立たれることを嫌い、人が物を鞄から出す時には『ゆっくり』と出すことを要求する。利き手を相手にあずけることになる握手には応じない。報酬は高いがいったん受けた仕事は必ず遂行する。但し、依頼者に嘘や裏切りがあった時にはその命はない。通称としてデューク=東郷と名のることがある。ゴルゴとはイエスが十字架につけられたゴルゴタの丘を意味し、13とはイエスの弟子でありながらイエスを裏切ったイスカリオテのユダをさす」という世界的スナイパーのおっさんと関係はあるのか・・・というと、それはたぶんない・・と思う。たぶん・・・。
  青森県の「十三湖(じゅうさんこ)」は、「レスラーのような体型をしており、カミソリのような眼をしている」という世界的スナイパーのおっさんと関係あるのかというと、これも、たぶん関係ないと思う。・・たぶん・・。
  青森県の津軽地方の「十三湖(じゅうさんこ)」について、最初に知ったのは、1970年代初め、小学校の5年の時、『力の5000題 社会科』(教学研究社)で、日本の干拓地として何か所か出ていたものの中に「十三湖(じゅうさんこ)」が出ていたのを見た時だった。「社会科」の教科書には、岡山県の児島湾・それに九州の有明海・秋田県の八郎潟の3か所が掲載されていて、特に児島湾が大きく取り上げられていたのだが、今はどうなっているか知らんが、その頃、小学生向けの「参考書」として『自由自在 ◇◇』(受験研究社)と『力の5000題』(教学研究社)というけっこう分厚い本があって、私はその『力の5000題 社会科』(教学研究社)の方を読んでいた。後に、うちの母親が言うには、母の弟がラグビー選手で関西のある私立大学の教授先生をなさっておったのだが、教授先生は何を専門として教えておられたかというと、ラグビーだったのだが、その教授先生の息子、私のイトコがいて、その叔父の家に行った所、私が持っていたのとまったく同じ『自由自在』だか『力の5000題』だかがイトコの机の上に置いてあったそうで、違いとして、私が持っていた本は端から端まで読んだ跡があったのに対してイトコの机の上に載っていた本には1頁として開いた形跡がなかったそうだった。運動選手って、そういうものなんだなあ・・と思います。
  その時、『力の5000題 社会科』(教学研究社)に、日本の干拓地の例としていくつかあげられていた中に青森県の「十三湖(じゅうさんこ)」があったのですが、今も「十三湖(じゅうさんこ)」という汽水湖は存在しています。 干拓は計画だけで実行されなかったのか?・・・というと、そうではないようです。内田康夫『十三の冥府』に、浅見光彦が十三湖のほとりに行く場面が出てきますが、十三湖(じゅうさんこ)の付近は、シジミなどが採れる漁場である汽水湖の十三湖(じゅうさんこ)はあっても、水田があまりない場所であったことから、十三湖の3分の1ほどを干拓して水田にして、3分の2は残して今もシジミなどの漁業をおこなっているそうで、「シジミらーめん」が名物で浅見光彦が食べてみたところ大変おいしかった・・・らしい。(実際に食べたのは、浅見光彦ではなく内田康夫だったのではないかと思うが。)
  それで、私は小学校の4年の途中で大阪市東住吉区の大阪市立の小学校から、大阪府下の北摂地区の市立小学校の転校したのですが、その北摂地区の市立小学校でのことです。
  1970年代初め、小学校5年の時、担任の先生が「社会科」の授業中に、私にあてて、「日本の干拓地にはどんなものがあるか」と質問したのです。それで、目の前に広げられている「社会科」の教科書には、児島湾・有明海・八郎潟と大きく書かれていますから、今さらそんなものを質問するわけはないと思って、それ以外にどんな干拓地があるか知っているかという質問だと思って、それで、『力の5000題 社会科』(教学研究社)に掲載されていた「十三湖(じゅうさんこ)」を言ったのです。
  すると、その教諭 「は◇◇◇さ」(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒) は、十三湖(じゅうさんこ)て何や、それえ。それ、いったい何やあ。おまえ、いったい、何をおかしなこと言ってるんやあ」と言うのです。
  何か、おかしなこと言ったかなあ。「日本の干拓地にはどんなものがあるか」という質問だから、かつ、児島湾・有明海・八郎潟は目の前の「社会科」の教科書に大きく書かれているものなので、今さら質問されて答えるような性質のものではないから、それ3か所以外の干拓地として青森県の「十三湖(じゅうさんこ)」をあげたのだが、何かいかんこと言ったかなあ・・・と思ったのでしたが、「何を、おまえはわけのわからんこと言うとるんじゃ、おまえはあ!」と言うのです。「”じゅうさんこ” やて、そりぁいったい何じゃ、そりぁあ。わけのわからんこと言うな。おまえは」とおっしゃるのです。
  そして、「誰か、わかるもんおらんか」と言って他の生徒をあてると、そいつが、「児島湾」だか「有明海」だか「八郎潟」だか答えたところ、「そうや。そうやろうが。日本の干拓地と言うたら児島湾・有明海・八郎潟とそういうものを言うんやろうが。な~にが””じゅうさんこ””じゃ何があ。おまえはいったい何をアホなこと言うとるんじゃ、おまえはあ。おかしいんじゃないか。はははははあ~あ」と笑うとともに、クラス全員に一緒に笑うようにけしかけ、そして、その扇動にのって多くの生徒が一緒になって大笑いした、私はほぼクラス全員から大笑いされたのでした・・・。
  なんで、「十三湖(じゅうさんこ)」でいかんのお??? もしかして、読み方を間違えたか。「じゅうさんこ」じゃなくて「とみこ」とか「とうざんこ」とか「じゅうみうみ」とか読むとかだったろうかと思い、調べ直しましたが、やっぱり、「じゅうさんこ」でした。『力の5000題 社会科』(教学研究社)は、その後もその箇所を何度も見返しましたが、やっぱり、日本の干拓地の例として「社会科」の教科書に掲載されていた児島湾・有明海・八郎潟の他に何か所か掲載されていましたが、間違いなく青森県の「十三湖(じゅうさんこ)」は掲載されていて、読み方も「じゅうさんこ」で間違っていませんでした。

  なんでやろう・・、どこがいけないのだろうか・・と、ずいぶんと考えました。なにしろ、クラス全員で大笑いされたのですから、クラス全員で大笑いされるくらいいけないことを言ってしまったらしいのですから、これは大いに反省して、その後はいけないことはしないように気をつけないといけません。しかし、いったい、どこが悪かったのか、考えても考えてもわかりません。
  山田久志『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)では、阪急ブレーブスの投手 山田久志が、1971年の日本シリーズの第3戦、1-0でリードした9回の裏、巨人の攻撃で、先発して8回まで0点に抑えていた山田が、走者を2人だして、巨人の4番打者の王にスリーランホームランを打たれて逆転負けした場面、王に投げた球は、王が最も苦手とする内角低めギリギリのストライクでコースは最適なコースで球威も十分、あれをホームランにされるのなら王は人間じゃない、あの球でだめなら王に投げる球はもうない、いったいどこが悪いのか、どこが悪かったのか・・と考えて考えてしたところ、先輩投手の米田から、もしも、最初からあのコースを狙って投げたのなら決して高い球ではないけれども、たとえ1ミリでも下を狙って投げていたのなら、やっぱり高いと言われ、決して悪い球ではなかったけれども、「これで終わりじゃあ」と思って「ストライクとボールの境目のストライク」を投げたから、だから、ホームランを打たれたのであり、そうではなく「ストライクとボールの境目のボール」を投げておけば、いかに王といえどもホームランは打てなかったであろうと考えた。さらに、8回に代打ででてきた打者にヒットを打たれて出塁されたが、あの場面でもっと気をつけて打たれないようにしておけば、9回の裏に最強打者の王に打順がまわらなかった。そして、もっと大きな問題として、あの場面、塁は空いていた。「野球はともかく勝てばええんや」ということを考えると、あの場面、セリーグ最強打者の王と勝負する必要はなかった・・・。山田は王から日本シリーズで逆転サヨナラホームランを打たれたことによって、こういったことを学び、その後、若手投手で「男と男の勝負じゃあ」とか言うような人間を見ると「青いやっちゃな」と思うようになった。そうではなく、「ともかく、勝てばええんや」と思って最強打者と勝負する必要はないと考える姿勢こそ「勝負強さ」だと学んだ・・そうだった。・・・で、山田久志は王から逆転スリーランホームランを打たれたことによって、こういったことを学んだらしい・・・が、私もまた、担任の教諭だった「は◇◇さ」からクラス全員で大笑いされたことによって、自分はどこが悪かったのか学ぶことができるのではないか・・・と思い、一生懸命考えたのだった・・・が、考えても考えてもわからなかった。
  それから、何年か経ち、その理由はわかった。要するに、担任の教諭だった「は◇◇さ」(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)は、「日本の干拓地」としては「社会科」の教科書に掲載されていた児島湾・有明海・八郎潟の3か所しか知らなかった。『力の5000題 社会科』(教学研究社)なんて、日体大卒のラガーマンで体育の先生の息子と一緒で読んどらへんのであり、教諭が「日本の干拓地」としては「社会科」の教科書に掲載されている児島湾・有明海・八郎潟の3つしか知らないものだから、「それ以外でどこがあるか」という趣旨の質問だと思って「十三湖(じゅうさんこ)」と答えた生徒をクラス全員にけしかけて、クラス全員で大笑いしたのだった・・・ということがわかった。その程度のおっさんだった・・ということだ。
  それともうひとつ。私は、私立の学校というのは「わたくし」のものであり、その学校の設立者なり寄付者なりの力が及び、「わたくし」によって支配されるのに対して、公立の学校というのは「おおやけ」のものであり、誰か特定の個人によって支配されたりするものではない・・と思い込んでいたのだが、そうではなかったのだ。 これは北野高校を卒業して何年か経ってから、北野高校というのは大阪府立なので、たとえば、兵庫県の私立の灘高校なんてのは、最近は東大などに何人も進学する高校になっているけれども、灘高校卒の人から聞いた話だが、私立なので、毎年、「ははあ~ん」という人(「裏口やなあ」て感じの人)が何人かいるそうだが、北野高校は大阪府立だからそれはない・・はずだったのだが、それはあくまでも入学する時点でのことであって、入学してからは、どうも、教諭と何らかのつながりがあるらしい(生徒よりも親が)という人がいた。高校生の時にはそれに気づいていなかったが、卒業して何年か経ってみて、あいつはなんで?・・・と思って考えてみると、もしかしてもしか・・・と、な~んか怪しそうなケースがけっこうあったのだ。
  それで、大阪府の北摂地区の市立小学校でも、5年の時だが、私なんかとは扱いが違う生徒というのがいたのだ。たとえば、N口 要という女みたいな名前だけれども男がいて、ぺったんこのシェイクハンドラケットみたいな顔した男だったが、この男とか、それからM下という男がいたのだが、この2人なんかは私なんかとは扱いがまったく違ったのだ。だから、「日本の干拓地としてどういうものがあるか」という質問に対して「教科書に掲載されている児島湾・有明海・八郎潟以外に日本の干拓地としてどういうものがあるか」という意味での質問だろうと理解して「十三湖(じゅうさんこ)」と答えたのが私ではなくN口 要であったならば、おそらく、「なんや、それはあ。””じゅうさんこ””やて、おまえ、いったい何をわけのわからんこと、言ってるんや、おまえはあ」なんてことは「は◇◇さ」(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)は言わなかったであろうし、ましてや、「はははは~あ」と自分が笑うだけではなく、クラス全員に一緒に笑えというようにけしかけるということも、決してしなかったであろう。これは間違いないことだった。
  N口 要のお母さんというのが、どうも、他の生徒と親を従えようとする人だったようで、又、何かと恩を着せようと露骨な態度を取る女だった。何の因果かN口と同じ予備校に行くはめになってしまい、自宅の最寄駅にN口と一緒に来た時に、N口のお父さんがクルマを運転してきていたことがあり、お母さんが「家まで乗せていきますから」と私に言うので「けっこうです」と断ったのだが、あまりにもしつこくて根負けして乗せられてしまった・・・ということがあった。「恩を着せよう」という態度があまりのも露骨に出ていたのであり、恩を着せられたいとは思っていませんよという意思表示を私ははっきりとしたと思うのだが、婉曲話法では理解しない人だった。ああいう人には「要らんちゅうたら要らんのじゃ、わからんのかあ!」とでも言うか、もしくは、「他にこの近くで用事がありますから」とでも言えばよかったのかもしれない・・・が、な~にが何でも恩着せたるう~う・・という強い強い意志をもっている女・・というのは、「すいません。この近くで他に用事がありますので」とかそういう婉曲話法で断ったとしても、それでも執拗に恩を着せようとしてきたのではないか・・と思う。
  大学のクラスでは座席の指定はないが、小学校の時も中学校の時も高校の時も、クラスの座席は決められたが、4年の後半と5年・6年の「は◇◇さ」が担任の時以外は、いつも、座席の番号を記載したくじを作って、それを順番にひいてくじの番号の所が席としたのに対して、「は◇◇さ」が担任の時だけは「くじ」で決めるのではなく「は◇◇さ」が座席を指定した。 教諭として授業がしやすいように生徒を配置したかったらしい。その結果だが、私は4年の時には一番後ろの見えにくい席にされ、その時に無理して見たのが近視になってしまった原因の1つだと思っている。そして、5年・6年の時は私は常に脇の位置に配置されたのに対して、N口 要はいついかなる時も「センター」だったのだ。AKBの「センター」は「AKB総選挙」で決められましたし、「は◇◇さ」以外の教諭が担任の時のクラスの座席の「センター」は「くじ」で決められましたが、「は◇◇さ」が担任の時のクラスの座席の「センター」は無条件にN口 要 と決まっていたのです。いわば、N口 要は、いわば「長嶋みたいなやつ」だったのです。「わしぁ日陰の月見草やあ~あ・・」てものでした。もっとも、別に「長嶋みたいなやつ」になりたいとは思いませんでしたけれどもね・・。
※ 《YouTuve-氷川きよしさんと阪神ファンのコラボによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=Vt2yXzBWMiA 
  座席だけではありません。私は小学校の4年の途中で転校したのですが、後半の学級委員を決める時、「は◇◇さ」が「もし、自分が学級委員やりたいというもんがおるなら、立候補してもええけども」と言ったところ、私とけっこう親しくしていたM本が「それじゃ、立候補しようか。学級委員やろうかな」と口にしたところ、「は◇◇さ」は「はあん。Mちんが学級委員やてえ。おもろい学級委員もあったもんやな。はああん」と言い、M本には投票しないようにしむけたのでした。なんで、M本ならいけないのか、私はよくわからなかった・・・というよりも、立候補してもいいのなら、誰でも学級委員をやってみたいという者が立候補して悪いことはないし、立候補して選ばれても選ばれなくても、学級委員は生徒が選挙で選ぶことになっているのだから、誰がなってもいいはずでしたが、「は◇◇さ」は自分が学級委員にならせたい生徒というのがいて、その生徒が選ばれるようにしたかったようでした。4年の時は、5年・6年の時も一緒のクラスだったM下が「は◇◇さ」が学級委員にならせたい生徒で、M本は「は◇◇さ」がならせたい生徒ではなかったようでした。
  4年の時は、各学期ごとに男女1人ずつが選ばれていましたが、5年・6年は前半・後半ごとに男女2人ずつが選ばれることになり、6年の後半は私とM下が学級委員に選ばれ、その時の獲得票数も私とM下は同票数でしたが、それでも、「は◇◇さ」は、学級委員はあくまでもM下であって私は学級委員ではないという扱いにしました。そういう教諭でした。
  「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が選ばれているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と述べていましたが、実際そうだと思います。「は◇◇さ」に評価されていたM下とN口 要 の2人、特にN口 要 は、どうも、親がいついかなる時も「そういう親」だったようです。学級委員に選ばれて悪いということはありませんが、担任の教諭が誰に投票すべきか誘導して選ばせるような学級委員というのは、「どのような人が選ばれているかでその賞の値打ちが決まるのだ」という基準から考えると、あまり価値がある賞ではないし、学級委員に選挙で選ばれたのに、そんな教諭からもう1人だけが学級委員だという扱いにされたとしても、別段、悲しむ必要はない。考えようによっては、そんな教諭から、学級委員に選ばすように生徒を誘導して学級委員にならせてもらった生徒よりよっぽど価値があるくらいである。
娘の学校 (1969年)
娘の学校 (1969年)
  むしろ、『新約聖書 福音書』には、
《 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。小躍りして喜びなさい。褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。》
( 『新約聖書 福音書』塚本虎二訳。岩波文庫 「マタイ福音書」5章11-12節。 )
と書いてあり、
新約聖書 福音書 (岩波文庫) - 塚本 虎二
新約聖書 福音書 (岩波文庫) - 塚本 虎二
又、『毛沢東語録』(和田武司・市川宏訳。河出書房新社)には、
《 個人でも、政党でも、軍隊でも、または学校でもいい。もし、それが敵によって反対を受けない存在であるとすれば、これは、われわれにとって、よくないことであり、きっと敵と同じように腐敗しているのだ、と思う。 もし、それが敵によって反対を受けているとすれば、これはよいことであり、われわれが敵にたいして一線を画していることの証明である。いわんや、敵がむきになって反対し、われわれのことを、バカげた筋の通らないいい方で攻撃してくるならば、これほど結構なことはない。それは、敵と一線を画していることの証明であるばかりでなく、われわれの活動が成果に富んだものであることの証明でもあるのだ。
 < 敵によって反対されることは、よいことであってわるいことではない >(1939・5・26) 》
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
と書かれているがもっともなことである。 「は◇◇さ」にいついかなる時も「センター」に選ばれていた男、その男のお母さんはそういうのを得意にしていて自慢していたが・・・、あんまり自慢するような性質のものでもない・・と思う・・・が、お母さんに持ち上げられてそれで自分でもそんな感じに思うようになっていたようで、あの男、結局、1浪したとはいえ京大法学部に通ったとはいえ、なんか、あんまり値打ちのない京大やなあ・・・て感じがする。 うちの母親は私が嫌いでそのN口 要が大好きだったようで、いつもN口を応援していたが、応援していたわりに、90過ぎたうちの母親にN口は何一つ貢献しないのだが、あれは何だろうなあ・・( 一一)  応援してもらった人間にちょっとくらい何かやってもよさそうなものだがなあ・・( 一一)

  その小学校の5年・6年の時の担任のおっさんは、「そういうおっさん」やった。
  1970年代初め、私が小学校6年の時、大阪教育大の学生だったかの教育実習生の女性が来たことがあったのだが、その人は、教育実習が終わった後も、運動会だったか卒業式だったかの時も来てくれたりして、生徒の方でも、教育実習が終わってからも卒業式にも来てくれたりするのがうれしかった・・・のだけれども・・・。
  世の中には、「女に『ええかっこしい』やりたがる男」というのが存在する。 「いいところを見せる」とか「『さすがやなあ』というものを発揮する」というのと、「『ええかっこしい』やる」のは同じではない。相当違う。特に「女に『ええかっこしい』やりたがる男」というのは、その見返りとして男性従業員に負担をかけたり犠牲にならせたり、あるいは、「女に『ええかっこしい』やりたがる」結果として他の従業員とのバランスが取れなくなったり・・とか、そういうことをやりたがるおっさんというのがけっこう世の中には存在する。
  こういうおっさんに、それを改善させようと思ってもなかなか難しい。
  もう、10年ほど前になるか、何だったか忘れたが週刊誌に載っていた話だが、「会社の男を食って遊ぶの大好きという女性社員の座談会」というのが載っていたのだが、そこで、ある出席者の女性が、遊び相手にしたものの、うるさくなってきて縁を切りたいと思うようになったけれども、男の方が本気になってうるさいという場合に便利なのが「『あんまり賢くない総務のおじさん』よねえ」と話していたのだが、実際、会社という所に勤めると、その類の「あんまり賢くない総務のおじさん」というのが現実に存在する。しかも、そういう「あんまり賢くない総務のおじさん」というのは、そういう使い方をされると、喜ぶ♪
  そういうのを見ると、ああはなりたくないなあ~あ・・・という気持になる。「他山の石」というのは、そういうものを言うのだろうか・・とも思うが、別に、あんなもの、「他山の石」として学ばなくても、あんなこと俺はせんぞお~お・・と思うようなことをやりたがるおっさん・・というのが実在する( 一一)
  それで、だ。 その小学校は1学年4クラスあって、私の担任の「は◇◇さ」(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)が学年主任になっていたのだが、「今井の信ちゃん」と言われていた20代の独身の男性教諭が同じ学年の他のクラスの担任をしていたのだったが、どうも、その「信ちゃん」とその教育実習生の女性が一緒にどこかに行ったりしたらしいのだ。独身の男と独身の女が一緒にどこに行こうが本人が自分自身でいいと判断して行くのは自由で、(私の感想としては、「今井の信ちゃん」みたいなもんより、その教育実習の女性の方がずっといいと思ったし、「信ちゃん」なんか、あんなんええことないぞお~お、あんな~ん・・・と思ったが、それは私が思ったことであって当人が良ければ他人がどうこう言う必要はないことだろうから・・・)何ら問題があることをしているわけではない・・けれども、教育実習の期間内に行く場合には、男の方は気をつけないと、何ら強制するようなことはしていないのに、又、もしかすると女性の方からアプローチしてきたのに、なんだか、男が無理矢理来させたみたいに被害的にギャースカギャースカ言われてしまう・・なんてことになる可能性もあるから、教育実習に来た女性とつきあうのなら、そのあたりは用心した方がいいだろう・・けれども、終わってからなら、もう来なくなってしまうからその小学校に来ている間になんらかの接触をしておかないと、教育実習が終わってからではどうもできなくなってしまう・・ということもあるだろう。
  ・・で、独身の男と独身の女が本人が自分自身で判断してどこかに行ったのだから、他人がどうこう言うことないだろうが。どちらも20歳を過ぎた人間なんだし・・・と思いませんか? まあ、女の父親なら、「どんな男やねんやろうか?」とか気になるかもしれないし、気にしてもいいと思うけれども、他人がどうこう言うことないでしょ。
  ・・・・ところが、「女に『ええかっこしい』やりたがる男」というのは、””そういうのに口出したがるシンドローム””のビョーキを発揮するのだ( 一一)
  「信ちゃんには、『あまり、遅い時間まで女性を連れまわしたらいかん』と言ってるんだけどな」と、「は◇◇さ」のおっさんがその教育実習生の女性に言うのだ。私がいたすぐ横で。 ・・・このおっさんは・・て感じ。そういうおっさんて、いますでしょ。俺ならそんなものに口出したりせんわ、俺なら。だって、自分の娘でもないのでしょうが。自分の娘ならともかく、他人に何を余計なこと言うとんねん・・・と思いませんか? 自分だって男であり、「信ちゃん」は独身だが「は◇◇さ」は妻帯者であり、その女性の立場からすると、「なんで、この人にこんなこと言われなきゃならないのよ」みたいな感じではないか・・・と思う・・・のだが、そういうことを言いたがるおっさん症候群というのが、現実に世の中にはいるのだ( 一一)
  ・・ああ・・、しょーもないおっさん・・( 一一)

  その類の話は他にもまだまだあるのだけれども、それを列挙しようとすると、字数が無茶苦茶多くなるので、とりあえず、その類のことはこのおっさんには、まだまだいっぱいあった・・とだけにここでは留める。
  その教育実習に来た女性とは、小学校の生徒はけっこう仲良くやっていたし、卒業式に出席するのは仕事でもなければ教育実習のうちには入っていないにもかかわらず、卒業式にも来てくれて、生徒としてはうれしかった・・・のだけれども、中には「見習いさん」だけあって、適切とは言えないものもあった。
  どういうものがあったかというと、やはり、「社会科」だが、「ギリシャ」だったか「ギリシア」だったか、答案に記載したところ、ペケつけられたのだ。その教育実習の女性に。 それで、「これは、『ギリシヤ』が正解なのを『ギリシア』と書いたから間違いなのですか」と質問したところ、「はい」ということだったのだ。 「社会科」の教科書に「ギリシヤ」と書かれているものを「ギリシア」と答案に私が書いたからペケだったか、逆だったかだったのだが・・・、これはおかしい。 教科書がどちらの表記にしていたとしても、「ギリシヤ」と「ギリシア」はどちらも正解であって、教科書に記載されていない方の表現だからという理由でペケつけるのは間違いである。
  外国の地名をカタカナで表記する際、どの書き方は正解でどの書き方は間違いとすべきか。 教科書に記載されているものは正解で、1字でも教科書の表記と異なるものはペケというのは、それはその分野を学んだ人間がやることではない。 たとえば、「バグダッド」と「バグダード」はどちらが正解か? これは、北野高校の「世界史」の教諭だったK先生が授業中に説明してくれたのだが、「バグダッド」と「バグダード」はどちらも正解で、「ギリシヤ」と「ギリシア」もどちらも正解であり、それは、もともとのその国の地名を日本語で表現する時に、できるだけ近い発音の表記にしようとして、「バグダッド」にした人と「バグダード」にした人、「ギリシヤ」にした人と「ギリシア」にした人がいて、厳密に言えば、どちらも現地の言葉そのまんまではなく、両方ともが現地の言葉に近いように日本語でカタカナで表現しようとしたものであるから、だから、どちらも正解だというのだ。それに対して、「コンスタンティノール」は正解だが「コンスタンティノール」は間違いだという。その理由は、「コンスタンティノープル」という都市名は、コンスタンティヌス皇帝の都市(ポリス)という意味で「コンスタンティノポリス」と名づけられた都市が「コンスタンティノープル」となったものであり、「ポリス」は決して「ボリス」ではないので、「コンスタンティノール」は明らかに間違いだというのだ。採点する際にはこういう基準で採点しないといけない。
  但し、試験を受ける側の場合、学術書みたいな本に記載されていた表現が教科書の表現と異なった場合、教科書の表現と異なった表記で試験に書くと、自分が普段いる学校の試験でならば、ペケつけられた時に、「せえ~んせえ~え。この本にこう書いてありますよお~お」と言うと、「おっ、なかなかよく勉強してますね」と言ってマルに変えてくれる先生もあれば、「こいつ、かわいげのないやつやな。こん畜生」と思われるか、「は◇◇さ」なら後者だろうけれども、採点された後にペケをつけられた生徒が「リクエスト」してアウトがセーフに変更される可能性もあるけれども、入学試験とかでは採点されたものを受験者が見る機会はないので、学術書に書かれているけれども教科書には書かれていない表現で記載した時にマルにしてもらえるという保証はない・・と考えると、できるだけ、教科書に書かれている表現で書くようにした方がペケにされる危険は小さい・・ということはあるとは思う。
  ・・そういうことはあるとしても、「ギリシヤ」と「ギリシア」なんてのは、小学校の「社会科」の教科書で片方の表記になっていても、地図帳では別の方の表記になっていたり、あるいは、中学校の「地理」の教科書では別の方だったり中学校の「歴史」の教科書では別の方だったりするものですから、そういうものは、両方ともマルとするべきです。
  今となっては、もう、それから50年ほども経ちますから、別にその時の点数なんてどうでもいいのだけれども、「信ちゃんには、『女の子をあんまり遅い時間まで連れまわしたらいかんぞ』と言っとるんやけどな」なんて、「大きなお世話や」てことを言うのではなく、それよりも、教育実習で行った先の小学校の本職の教諭ならば、「『コンスタンティノープル』は正解だけれども『コンスタンティノーブル』は間違いだが、『バグダッド』も『バグダード』も正解であるのと同じく、『ギリシヤ』も『ギリシア』も両方とも正解とするべきです」と教えてあげんかいなあ・・・・と思ったのだが、あのおっさんにそういうことを期待しても、「八百屋で魚を買おうとするようなもの」・・・かな・・。

  それで・・・だ。 風のたよりに伝わってきた・・というのか、うちの母親がどこやらから仕入れてきたのだが、そのおっさん、「は◇◇さ」(男。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)が、中学校の先生に変わった・・・らしい・・と聞いた。 「へえ~え。あの人が中学校の先生なんてやるのお? 小学校の先生なら、なんとかできても、中学校の先生となると、小学校の先生と違って何から何までやらなくてもいいけれども、自分が担当の科目は小学校の先生と違ってきっちりしたことを教えないといけないことになるけれども、あの人が何を教えるのお~お?」と思ったら、なんと、「中学校の社会科の先生」におなりあそばした・・というのだった。ひええ~え! ぎょええ~え! ふええ~え! あの人が「社会科の先生」になったやなんて、ひいいえええ~え!!!・・・と思ったものだった。
  「日本の干拓地」として、「十三湖(じゅうさんこ)」というものを知らなかった・・・だけでなく、他の仕事についている人なら知らなくてもいいけれども、小学校の先生で「社会科」の授業で「日本の干拓地」というものを教えるのならば、その授業の前に予習として、「日本の干拓地」としてどういうものがあるか・・ということを、せめて、『自由自在 社会科』(受験研究社)か『力の5000題』(教学研究社)でも見て確認しておくというそのくらいの下準備くらいして臨むべきではないのか・・・と思うがそれもやらず、その上で、きっちりと「日本の干拓地」で教科書に掲載されているものの他のものを答えた生徒に対して、「””じゅうさんこ””やて、なんや、それええ。おまえ、いったい、何をわけのわからんこと言うとるんや、おまえはあ! アホか、おまえはあ。わけのわからんこと言うな、おまえはあ。はははあ~あ」と言って、クラスの生徒にけしかけてクラス全員で大笑いさせた男。 あの男が「中学校の社会科の先生」やなんて、なんと言いましょうか、「ようやる」て感じがした。

  それで・・・だ。 さらにそのうち、その「は◇◇さ」(男。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)が、そのうち、「中学校の校長先生」になった・・・・と聞いた。 あ~れええ~え! ひいえええ~え! ぎょおえええ~え!!! あのおっさんが「中学校の校長先生」やてええ~え。ひええ~え! ふえええ~え! ぎょええ~え!!!・・・
  PTA会長って、「不動産屋のおっさん」がけっこうよくやりますよね(^^♪  入学式とか卒業式とかなんとか式になると、「校長先生挨拶」に続いて、「PTA会長挨拶」と言った、PTA会長が台上に登って、長々とどっちでもええような話をして、その間、生徒の方は「気をつけ」させられてしんどい思いさせられてしょーもない話を無理矢理聞かされる・・けど何年か経ったら全部忘れてる・・というやつ。
  私が卒業した北摂地区の市立中学校のPTA会長って、不動産屋の社長がやっとったんです。「不動産屋の社長」て、三井不動産(株)とか三菱地所(株)とか野村不動産(株)とかいうような不動産屋じゃなくて、そのへんの「なんとかハウジング」て不動産屋、おっさんと嫁はんとあと1人くらい従業員がおるかおらんかみたいな不動産屋の社長のおっさんが。「不動産屋のおっさん」というと、世間では「ずるい、怖い、厚かましい」と思われれているところがあり、かつ、それでいて、その不動産屋に頼んでもらおうと思うとそう思われたくない仕事でもあるのです。だいたい、「ヤクザでないらしいがヤクザみたいな顔」してる人間が多い業種というと、これはなんといっても不動産屋と警察が双璧だと思うのだが、不動産屋というのは、そういう顔をしていない人でも、そんな類みたいに思われるところがあります。 それで、なんとか信用してもらおうと考えるのですが、千葉市のある不動産屋のおばさん(嫁さん)は名刺に氏名の下に「宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)」と入れるとともに「二級建築士」と入れて、私と会った時には「単なる不動産屋じゃないから。私は大学の建築学科でてますから」と言って、なんだか、「フンッ!」て感じの態度をとりよった・・・のですが、そこのホームページ見ると、そのおばさんは日大建築学科卒だそうでしたが、なんと言いましょうか・・、ポン大の建築学科でてますう・・なんて自慢されても・・、なんだかなあ・・・( 一一)  東京都江東区のなんとかいう不動産屋では「不動産三田会会員」というのが額に入って掲げられていた・・けれども、「慶應大学卒」ですと言われても・・・、やってること言うたら「不動産屋のおやじ」だろうが!!! ・・てそんな人がいます。そういう時に、「PTA会長」というのは役に立つんですよ。「不動産屋のおっさん」というと、「ずるい、怖い、厚かましい」とか「ヤクザの仲間と違うのか」とか思われそうな職業であるところを、「☆☆小学校PTA会長」とか「▽▽中学校PTA会長」の肩書があると、「PTA会長さん」というと、なんか「えらい人」みたいになるじゃないですか・・・。 それで、我が家を貸そうかと考えたことがあって、「不動産屋のおっさん」に見にきてもらったことがあったのですが、その時、気づいたのです。あれ? この人って、もしかして・・・と。 なんか、「あほくさ」て感じ。 このおっさんの話を、私は何度も何度も「きおつけ」させられて長時間聞かされてきたのか・・・・。「あほくさ」・・。「PTA会長」て、要するに「不動産屋のおっさん」やんけ!!! なんか、「マインドコントロール」にかかっていたのだろうか。 「PTA会長」と言われると、よっぽど「エライ人」みたいな感じがしていたが、「不動産屋のおっさん」がいかんとは言わんが、しかし、「不動産屋のおっさん」やんけ!!!
   それで、その「PTA会長挨拶」てのとともに、「校長先生挨拶」てのが、入学式・卒業式に始業式・終業式とか、運動会とかなんとかかんとかになるとあって、長々とどうでもいいような話をくっちゃらくっちゃらされてからに、「長いなあ~あ・・・」と思いながら、生徒は「きおつけ」させられて聞く・・・ということを繰り返してきた。北野高校の I 校長先生は「話が短い」というのが評判で、その点であの校長先生は大好きだったのだが、覚えているのは、福田武夫が総理大臣になった時、「明治生まれの人も頑張っていますね。昭和生まれの人も頑張ってください。大正生まれの人間からの提言です。終わり」というのがあって、「ええなあ、この人はあ」「この人の挨拶、最高やあ~あ(^^♪」と思ったものでした。又、雨天の時、「私の挨拶は短いと評判ですが、運動場ではなく講堂でやったからといって話が長くなるというものでもありません。終わり」というのもあって、「ええわあ。この人の挨拶♪」「この人の挨拶、最高やあ~あ(^^♪」と思ったものでした、しょーもない「校長先生の挨拶」なんてやってる時間があったらその時間に勉強せえ・・てものだったのかもしれません・・・が、そういう校長先生というのは少ない。どうでもええようなことを、くっちゃらくっちゃらぐっちゃらぐっちゃら長々ともったいつけてしゃべりたがる人が多い。
  その「校長先生」に、「日本の干拓地」として「十三湖(じゅうさんこ)」を知らなかった人、特別の学術研究論文を見ないと載っていないようなことではなく『力の5000題 社会科』(教学研究社)に載っていることを知らず、知らないだけならまだしも、これからその部分を「社会科」の授業で教えるという前に予習もしていないで、そして、質問してきっちりと答えた生徒に対して、「なんや。それええ。おまえ、いったい何をわけのわからんこと言うとるんや、おまえはあ。おかしなこと言うな、おまえはあ。ははははははあ~あ」と言って、自分が笑うだけではなく、クラスの生徒に笑うようにけしかけて、クラス全員で大笑いさせた男。 教育実習生が「ギリシア」と「ギリシヤ」は両方とも正解だということを理解せずに、片方にペケつけた時にも、「そうじゃないですよ、『コンスタンティノール』は正解だけれども『コンスタンティノール』は間違いですが、『ギリシア』と『ギリシヤ』、『バグダッド』と『バグダード』は両方とも正解ですよ」と教えてあげることもできなかった男。 ハタチ過ぎた独身の男とハタチ過ぎた独身の女がどうつき合おうが、他人がどうこう言う必要のないことだろうに、そんなものに口出したがる症候群の男。 N口 要には「AKB総選挙」もせずに、毎回、「センター」の席に配置する男。 あんな人が、「校長先生」やってええ~え、あんな人が・・・( 一一)   あの男が「中学校の校長先生」になったというのを聞いて、それで、「PTA会長」とともに「校長先生」というものも、「きおつけ」とか言われて長時間にわたってかしこまって話を聞かされてきたが、くだらないあほくさい存在だということがわかった。

  1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で、福島県いわき市 の営業所にいた時のことだが、東洋大学工学部建築学科卒で新卒入社2年目だったか3年目だったかの男で春田靖(男。当時、20代前半)というのがいて、この男は、新卒入社して2年目だか3年目だかの人間が、ずいぶんとばかでかい、ずいぶんと高そうなオフロードカーに乗っていた。 又、(株)一条工務店では会社都合で転勤した場合、いわき市で会社が借りた家作は、3部屋と駐車スペースが2台分あったが、(株)一条工務店では営業と工事課は仕事で自動車を使うので、自家用車持込で、(株)一条工務店が従業員から従業員のクルマを借りて、それを(株)一条工務店の業務に使用するために元の持主である従業員に勤務時間中、貸しているという扱いにしていたが「設計」の職種の人間は業務で自動車を使用することはないとしていて、寮も、営業と工事課の従業員は、1人1部屋と駐車スペース1台分、「設計」の職種の人間は1部屋としていたのだが、ところが、春田靖は実力行使で2部屋と駐車スペース2台分を占拠・占有していた。 2部屋というのは、いわき市のような所では、「二間続きの和室」というのがどうしても必要と考える人が多いので、家作も、二間続きの和室と、それとは別に和室が1部屋あるものだったのだが、それを(株)一条工務店が借りて「寮」としていたのだったが、(株)一条工務店としては「二間続き」は別に必要ないので、3部屋に3人入れるということで借りたのだったが、春田靖は実力行使で二間続きの部屋を2部屋占拠してしまっていた。駐車スペースについては、これは2台分使ってもしかたがなさそうだが、家作の駐車スペースなんてのは、大型のクルマは入らないようにできており、そこに矢鱈ばかでかい、相当高かったのではないかと思われる、業務では使えない、お客さんの家にそんなものに乗っていったなら、人によっては「ふざけんな」と怒る人もでてきそうなレジャー用のオフロードカーに春田靖は乗っていたことから、そのクルマを駐車させようとすると1台分のスペースでは足らないために、実力行使で2台分を占拠していたのだった。しかし、会社としては、新卒入社2年目だったか3年目だったかの若造に、2部屋と駐車スペース2台分を無料で使用させるとは言っていなかったはずで、新卒入社2年目だか3年目だかたの20代前半の「バカでも入れる私大の建築学科」出たばっかりという男に、そんなことさせる会社なんて、普通、あんまりないと思うぞお~お・・・というものだったが、それを実力行使でおこなっていた。(株)一条工務店という会社は「所長は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違いますから」と総務部長の天野雅弘(男。当時、40代)が言う会社で、所長の草野さんは、そういったものに対して、「おまえ、会社はおまえにそんなものを使っていいなどと認めていないのだから、1部屋だけ使用して1部屋は空けろ。設計には駐車スペースの使用は認めてないのに、なんで、おまえが2台分も会社の仕事に使うわけでもないレジャー用のクルマを停めるのに駐車スペースを使ってるんだ。そんな使い方をしたいのなら、自分で家賃を払って別に借家を借りろ」と注意するべきものであるところを、なにしろ、「所長は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違いますから」と総務部長が言う会社だったので普通の会社なら所長が言うべきものを言わなかった。又、その地域にいる所長が言わないのならば、本社の総務の人間が言う必要があるはずだが、浜松の本社の総務は誰が責任者かというと、初代社長の大澄賢二郎の義理の弟で営業本部長の天野隆夫の嫁の天野順子さんが「総務の責任者」だが役職はヒラで、総務には他に山本というヌケタの男がいて、それ以外は「高卒の女子社員」だけだった。山本くんでは「使い物にならない」というのは最初からわかっていたし、私がわかっただけではなく会社の経営者としても最初からわかっていたはずで、もしも、「浜松の工務店」ならば「社長の義理の弟の嫁」が「総務の責任者」でも悪くないかもしれないが、そうではなく、全国規模の会社・従業員が千人を超える会社になるならば、私のように旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の社会科学系学部卒で、大学卒業までに労働法・労務管理論・労働経済学や心理学などを学んできた者にそういった仕事につけて、会社全体を管理する仕事をさせるようにしないといけない・・はずだったが、ところが、この会社のオーナー経営者は「肝っ玉が小さい」のか「ケツの穴が小さい」のかで、「一族でないような者に人事や総務なんてさせるわけないだろうが!」と総務部長の天野雅弘(高卒)が宣言する会社だった。だから、それにつけこんで「バカでも入れる私大の建築学科」卒2年目だったか3年目だったかの春田靖は会社が認めてもいない、2部屋と駐車スペース2台分を実力行使で占拠して無料で使用していたのだった。こいつ、ええ根性してるなあ・・と感心した。「総務の山本」は私が入社した1992年から私がいわき市の営業所に移った1993年頃は「頭の中がヌケタの山本」だったが、私はこの不良企業に11年余りいたが、入社して11年目くらいに山本と会ったことがあったが、年齢はまだ若いにもかかわらず「頭の内側だけでなく外側もヌケタの山本」になっていた。(株)一条工務店はもう少しマシな人間を総務に置くようにしないと、ヌケタが会社をつぶすことになる可能性も考えられるだろう。
  又、忘年会などを営業所で実施する時には、(株)一条工務店では「一条会」と言って忘年会などのための会計を用意していて、浜松の本社では、上棟に参加した時にお施主様からいただいたご祝儀を営業と工事担当者は「一条会」に渡せと言っていたが、お施主様としては、その人にあげたつもりでいるわけで、本来、御祝儀というものは、この人にあげようと思ってあげたものであり、会社がそれを取り上げるというのはもってのほかで、いわき地区では、御祝儀はご祝儀としていただいておいて、「一条会」の会費を別に月にいくらと払っていた。ところが、春田靖は「設計は忙しいですから」と言って上棟作業に参加したりせず、「一条会」の会費を別に払うこともせず、それでいて、忘年会になったら、「一条会」の会費を払っている営業や工事課の人間と同じように飲み食いしていたのだった。「設計は忙しい」と言うのなら、営業だって忙しいはずだ。所長の草野さんは「春田、おまえ、人のカネで飲み食いするのではなくて、営業や工事課の人間と同じように会費払うか、そうでなかったら、おまえも上棟の作業に参加してご祝儀もらってそこから払え」と言ったところ、「設計がそんなことしたら、図面の作成が遅くなりますよ。いいんですか」などと口にしたのだったが、そういうことを言うのなら、「営業だって上棟の作業に参加したら、その分だけ時間が取られて契約が少なくなるんですよ。いいんですか」という話になるはずだ。その時には、営業は契約取れなかったなら「赤字社員」だと言われて、会社を辞めさせられることになるだけだという主張をするのだった。勝手な男だった。 小堀住研(株)にいた時、工事課の従業員で「俺達が工事現場を管理してやらなければ、営業は契約取れないことになってメシ食えなくなるんだから」と言う人があったそうで、それに対して、営業課長のUさんは「何を言ってやがる。そんなこと言うのなら、営業が契約取ってやらなきゃ、工事課の人間だって仕事がなくなってメシ食えなくなるんだろうが。何をバカなこと言ってやがる」と話していたことがあったのだが、これは(株)一条工務店においてもあてはまるはずであり、「設計が時間なくなって図面を作れなくなったら営業さんが困るでしょ」などと言うのなら「営業が時間なくなって契約取れなくなったら設計さんも仕事なくなって困るでしょ」ということになるはずだったが、それは営業がなんとでも考えろという態度の男だった。営業や工事課の人間が払った会費でただ飯・ただ酒を飲み食いするのが「設計」の権利みたいに思っていたようだが、おまえらいったい何様なんだ! というのが(株)一条工務店の第一設計部だった・・・が、営業本部長の天野隆夫(男。最終学歴:中卒)が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ!」と言うのだった・・・が、この会社を離れてから自覚したが、あの天野隆夫の態度は非「設計」職の従業員に対する人権侵害であり、保護義務違反であり、会社経営者として許されることではないものだった。 私は、営業本部長の天野隆夫から、福島県いわき市の営業所に転勤してもらいたいと頼まれて、「いわき では寮に入ってもらう」と言われて、すでに30を過ぎてまで「寮」に入らなきゃならないのか・・と思いながらも、会社の頼みを聞いていわき市に赴任したのだったが、行くと、その「寮」が3部屋あるにもかかわらず、春田靖が不当に2部屋占拠していたことから住む部屋がなかった。(株)一条工務店と営業本部長の天野隆夫は私が対処するように求めても対処しなかった。今日に至るまで(株)一条工務店と天野隆夫はこの件について私に対して謝罪の言葉がないが、人間としていかがなものか、(株)一条工務店のその時の代表者代表取締役は大澄賢二郎だったが、そんなことだから、ドバカ息子が人を殺して刑務所に入ることになる、ということか。
  総合住宅展示場に出展している各社の展示場というのは、そこに勤務する営業職の為の事務所は設けていいけれども、設計や工事課・積算かなどの従業員が勤務する場所にしてはいけないという規則になっている所が多いはずで、小堀住研(株)でも設計課・工事課や積算をおこなう工務課の従業員は展示場とは別のビルに勤務していたが、(株)一条工務店では、設計課・工事課の従業員も展示場の事務所に勤務していて、私は住友林業のおっさんから「一条工務店さんは従業員の数が多くて駐車場が一条工務店さんのクルマで占拠されてお客さんのクルマが停められなくなってしまっている」と文句言われたこともあるのだが、その設計部の春田靖は、展示場の事務所に勤務していると、朝から晩まで「佐藤さん」という女性から職場に電話がかかり続けて、普通、新卒入社2年目だか3年目だかの20代前半の若造が、会社に女から朝から晩までひっきりいなしに電話が入って、これでは上役から苦情を言われるだろう・・・と思われるところだったが、ところが、(株)一条工務店という会社は「所長は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違いますから」と総務部長で「一族」の天野雅弘(男。最終学歴:高卒)が言う会社であり、それゆえ、所長の草野さんは一言も苦情も文句も指導も言わないでいると、春田靖はその「佐藤さん」という女性に、毎日毎日、朝から晩までひっきりなしに展示場に電話をさせて、私は毎日毎日、何度も何度も、その「佐藤さん」からの電話を取らされたのだった。 普通、私用の電話を他の従業員にとってもらって取り次いでもらったならば、「どうも、すいませんでした」なり「どうも、ありがとうございます」といったことを言うものであり、それも言えないような「新人類」か「異星人」か「なんとかシンドローム」かというのは、会社から苦情を言われて、なんらかのペナルティーを課されるものだが、ところがどっこい、(株)一条工務店という会社では営業本部長で初代社長の義理の弟である天野隆夫が「設計にはどんなことでも服従しろ!」などと言ってますます増長させていた。
  そのうち、この春田靖は、毎日毎日、朝から晩まで(株)一条工務店の職場に電話してきた「佐藤さん」とは別の女性と結婚すると言いだし、そして、私にも「二次会に出てください」と言ってきたので「『用事で欠席』させていただきます」と当然の返事をしたところ、「どうして、出てもらえないのですか」「何の用事があるんですか」としつこく言ってきたのだったが、この男、頭おかしいのと違うか。この男はいったいどういう教育を受けて育ったのか、この男の親というのはいったいどういう人間なのか・・・と思った。毎日毎日、朝から晩までひっきりなしに、親兄弟でもなく配偶者でもない女に職場に電話させて、その電話を取って取り次いでもらった人間に「すいません」も「ありがとうございます」も一言として口にしたことがない男。その男は、その「佐藤さん」とその時は結婚するつもりでいて嫁みたいなものだからいいだろうと思っていたのかもしれないが、結局、その女は配偶者にはならなかったわけであり、結論として、親兄弟ではないだけでなく配偶者でもなく、そして、婚約者でもなく、結局、結果として「赤の他人の女」に毎日毎日、朝から晩までひっきりなしに職場に電話させていたということであり、そういう電話を取ってもらった相手、そういう電話を取らせた相手に対して、その女と結婚せずに他の女と結婚する、その女は結局、嫁でも婚約者でもなんでもなかったということについて「申し訳ございませんでした」なり「どうも、すいませんでした」なり、そういったことを一言として言いもせずに、他の女と結婚しますから二次会に出てください・・・て、そんな結婚式に出てくれと言われて出たのではアホである。そんなものには絶対に出席してはならない。出席したなら、その非常識な「新人類」だか「異星人」だかと一緒になってしまう。それを特に咎めもせずに「用事で欠席」ということにしてあげているのに、「どうして、出てもらえないんですか」て。 アホか! こいつの頭の中はいったいどうなっているんだ。CTスキャン でもして調べてやりたいところだ。本当に、こいつの頭の中はどうなってるんだ、こいつの親というのは、いったいどういう人間なんだ・・・と思った。
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
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  それで・・・、その春田靖の親というのはどういう親かというと・・・、「中学校の校長先生」だそうだ。 な~るほどなあ~あ、「中学校の校長先生」か。それで、営業や工事課の人間が払った会費で飲み食いするのか。だから、勤務時間中に、親兄弟でも嫁でもない女に朝から晩までひっきりなしに会社に私用の電話をさせて、他の従業員にその電話を取らせて、それに対して「ありがとうございます」も「すいません」も一言として言わずに平気でいるのか。なるほど~お、「中学校の校長先生」がおのれが日頃やっていることを、息子にもさせていた!・・とそういうことか、なるほど~お!!! とわかった。
  ただし、最初、よくわからなかったのは、「学校の先生の息子」なら、東大は東大でも「東洋大の東大」ではなくて「東京大学の東大」でも行ったらどうなんだ?!?  そう思わんか? 北野高校で「物理」を教えていたF木先生の娘は私と同じ年齢だったが天王寺高校から現役で京都大学医学部に合格したぞ。うちの父親の知り合いの豊中高校の先生の某さんの息子は北野高校から現役で大阪大学医学部に通って行ったぞ。 うちの母親の叔母のダンナは小学校の先生をやっていたが、その息子(母のイトコにあたる)は天王寺高校から1浪はしたけれども、東大の文科二類(経済学部に進学するコース)に合格して行ったぞ。なんで、「中学校の校長先生」の息子が東洋大学なんて行くの? なんで? な~んでえ~え??? ぼく、頭わるいからなんか、さっぱりわからへん。なんでやのお~ん???
  私が高校3年の時、うちの父親は「東大にでも行くのなら、東京で下宿してでも行ったらいいし、下宿は嫌やなんて甘ったれたこと言うておってはいかんけれども、又、東大でなくても慶應か早稲田なら下宿してでも行く値打ちはあるけれども、そんなもん、法政やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたら、そんなアホ大学に行くのに下宿してまで大学に行く必要あらへん。アホ大学は東京でなくてもあるんやから、行くにしても自宅から通える所に行くべきや。そもそも、そんなアホ大学に行くようなやつが大学に行くのが間違ってる。法政やたら専修やたら亜細亜大やたら東洋大やたらポン大やたら、そんなもんに行くようなやつ、大学に行くことあらへん。そんなやつは、自衛隊に入れたるべきや。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては。自衛隊に入れるべきや。法政やたら専修やたらポン大やたら東洋大やたらなんて行くようなやつなんて」と言っていた。 そして、私には「うちは、工学部やなんて、そんなものに行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うので、私は「国立大学なら、何学部でも学費は一緒のはずです」と言ったのだが、そうすると、うちの母親は「何を甘ったれたこと、言うてますのん、あなたはあ。国立大学に百パーセント絶対に通るとは限らんでしょうがあ。たとえ、0.1パーセントでも落ちる可能性があるからには、工学部みたいなもん、受けてはいかんでしょうがあ。あんたはあ。何を甘ったれてますのん、あんたはあ」と言うのだった。それを聞いてうちの父親は「そうじゃ、その通りじゃ。甘ったれるな、チャンコロ~お。とってちってたあ~あ!!!」と言うのだった。京都大学の工学部建築学科に通ったか、東京大学理科一類なり理科二類なりに通ったかというと、これはわからないが、ともかく、どこか国立大学の工学部でということならば、私はどこか通る所はあったはずだ・・が、それでも工学部は受けさせてもらえなかった。ところが、「中学校の校長先生」の息子の春田靖は静岡県の人間でありながら、東京大学ではなく東洋大学なんて私立大学の工学部の建築学科なんて所に行ったのだ。国立大学の場合は何学部でも学費は一緒だが、私立大学の場合は工学部・理学部は法学部・経済学部・商学部・文学部よりも学費はずっと高い。(医学部はさらに高い。)又、慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費に設定されていたが、東洋大などはそうではないはずだ。慶應はブルジョアの学校みたいなイメージがあるが、大学については早稲田大よりもかなり安いし、私立大学の中では安い方に設定されている。これは、おそらく、小学校から高校までは意図的に高めに設定することで誰でも彼でもは行けないようにして、逆に大学については「私立大学の中では安め」に設定することで入学試験で合格最低点より高い点数さえ取れば誰でも行けるというようにすることで大学の価値を下げないようにしていたのであろう・・と思う。もうひとつ、大学を企業経営として見るならば、慶應の場合は競合相手の大学として国公立大学というものが存在するので、「国公立大学よりも高いけれどもそれほど大きく差があるわけではない」ということなら国公立大学ではなく慶應に行こうという””客層””が存在するので、その””客層””を失わないように大学については安めの金額を設定していたのではないか・・と思う。東洋大などは最初から国公立大学とは競合にならないので学費の設定において慶應のように国公立大学との差をあまり大きくしないようにといった思考もないはずである。特に、春田靖が言った建築学科がある工学部なんかは相当高いはずである。「中学校の校長先生」て金持ちなのか??? もんのすごい大金持ちなのか? 私などは、「いらいらっとしたから仕送り送るのん、やめたってん」とうちの父親が言って仕送りを送るのをやめたことがあって、突然、入金がなくなって、1週間ほど水だけ飲んで何も食べることなく生活したことがあり、その時には、日吉の街を歩いて自販機の下にでも100円玉でも50円玉でも落ちてないものかと思って見てまわり、ある自販機の下に50円玉が落ちているのを見て、道に腹ばいになってそれを引っ張り出して、財布に残っていた10円玉と合わせて80円のメロンパンを買って食べたということがあったが、あの時のメロンパンほどおいしいと思ったものはない。その時、日吉台学生ハイツに住んでいた兵庫県の甲陽学院高校から1浪で東大の文科一類に進んだ加藤という男が、不二家というけっこう高いレストランから出てきた。私が食費がなくて道路に腹ばいになって自販機の下から50円玉を拾っていた時に、加藤という男はこの男は私とは違ってアルバイトなどまったくせずに、それでいて私は「アルバイトをいやがる人間は『モラトリアム人間病』という病気です。病気は治療せんといかん。慶應大学医学部の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってる。電気ショックやったるべきや、電気ショック。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー」とか言われたものだったが加藤は私とは違ってアルバイトなんて何一つやらずに家庭教師のアルバイトすらもやらずに国家公務員1種試験の勉強をして国家公務員1種試験に合格して外務省に勤めたが私とは生活が全然ちがったがその加藤は私が道路に腹ばいになって自販機の下から50円玉を引っ張り出していた時にけっこう高い不二家で友人とメシ食っていたのだった。私は東京から大阪に帰る時も、新幹線や飛行機は高いので夜行バスを利用することが多かったが、夜行バスで東京駅の八重洲口から乗って大阪駅に着くものに乗って帰ると、「夜行バスなんて、贅沢すんな、チャンコロ! 贅沢したらあかんやろうが、チャンコロ! もうちょっと安い方法を考えなさい」と言われたものだったが、夜行バスよりも安い方法なんてなかった。その時は、夜行バスに乗る日の夕食は食べず、夜行バスが大阪についた時の朝食も食べず、夜行バスに乗った日の昼食は日吉の大衆食堂でチキンライスを食べたのだったが、その時、本当はオムライスを食べたかったのだけれども、オムライスのお金がなかったのでチキンライスにしたのだったが、あの時のチキンライスはメロンパンの次においしかった。本当においしかったが、もしも、さらに節約しようとすると、東京駅から大阪行の夜行バスに乗ったが、それを大阪行ではなく京都行に乗って京都駅から大阪府の家まで歩くか、それとも、日吉から東急東横線で渋谷まで行って、渋谷から山手線で東京駅まで行って夜行バスに乗ったが、それを日吉から東京駅まで歩くことにするか、夜行バスに乗った日は夕食は食べず、昼食はチキンライスを食べたがそれも食べることをやめるか・・そのくらいしか思い浮かばなかったが、うちの父親は「贅沢は敵だあ~あ! このチャンコロめがチャンコロ、ロスケっ! 木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ~あ! とってちってたあ~あ!!!」と私の眼を指で突きさすようにして毎日毎日叫ぶのだった。「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! このわしはドイツ人の民族で慶應の階級、おまえはチャンコロの民族で浪商の階級! 民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! とってちってたあ~あ!!!」と、「チャンコロで浪商のくせしてからに、ドイツ人で慶應のこのわしと一緒やと思うてはならぬぞ、チャンコロ浪商!!!」と毎日毎日言われ続けたものだった。 私などはそういう生活をしてきたのに対して、「中学校の校長先生」の息子というのは、東洋大学なんて私立大学の工学部に下宿してまで行って、しかも、相当高いと思われるオフロードカーなんてものに乗っていたのだ。なんで、「中学校の校長先生」というのはそんなに金持ちなんだ??? 「中学校の校長先生」というのは、いくらなんでも給料高すぎるのではないか??? 毎日毎日、「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と言われ続けてきて、そして、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と心の底から思うようになったのだが、 「中学校の校長先生」というのは、「十三湖(じゅうさんこ)」も知らんくせしてからに、ずいぶんと給料高いようだな・・・。もうちょっと、給料へつってやった方がいいのではないのかな・・・( 一一)

  (2021.5.30.)

  小学校の先生編・・を作成はじめたが、今回はその一部分でけっこう字数が多くなったので、その一部分のみを公開する。次回以降で、残りの部分も公開する予定である。
  (2021.5.30.)
脱学校の社会 (現代社会科学叢書) - イヴァン・イリッチ, 東 洋, 小澤 周三
脱学校の社会 (現代社会科学叢書) - イヴァン・イリッチ, 東 洋, 小澤 周三

"自分の不勉強を原因に生徒をクラス全員で大笑いさせる教諭。「十三湖(じゅうさんこ)」は干拓地の一例。「十三(じゅうそう)」は「面白くもなんともない地名」で「大歩危小歩危」は「面白い地名」だという理由て何なの? 「中学校の校長先生」の給料は高すぎるのではないか。" へのコメントを書く

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