受験生へのエール【2/ 】「あと5本なら工夫すれば」「後期は阪急に3つ勝てば他は全敗しても」という姿勢か逆かで合否は変わる。「ID野球 弱者の戦術」から考える大学受験における姿勢。拝み屋の「家族の名前を変えなさい」ははた迷惑。

[第490回]
  「野村克也追悼祈念ID野球から考えるYMCA予備校の間違い」を述べるつもりだったが、その前に、「心理テスト」「適性テスト」について述べ、「野村克也追悼祈念ID野球から考えるYMCA予備校の間違い」はその後にまわすことにする・・・が、さらにその前に、とりあえず、
《ID野球から考える、特に「浪人してしまった人」の合格への心得》 を先に2点、述べておきたい。
1.「あと5本なら工夫すればなんとかなるかもしれない」
2.「後期は、阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、他は全敗したっていい」

この2つである。

1.  野村のじいさんが南海ホークスの選手として、レギュラー捕手として一軍の試合に出してもらえるようになってすぐの頃、打率としては2割5分くらいしか打てなかった。レギュラーとして出してもらえたとしても、2割5分では、また、他の選手に捕手のポジションを奪われるかもしれない。3割打てば、「一流打者」と評価される。なんとか、3割打てるようになりたい。2割5分の打者と3割の打者はどこが違うか。それは、100回打席に入って30回ヒットを打つ選手が3割打者で、100回に25回ヒットを打つ選手が2割5分の打者だ。ということは、あと、5本多くヒットを打てば「3割打者」になれるということだ。ピッチャーが投げるすべての球をヒット打たないといけないというようなことなら大変なことだが、そうではなく、「あと5本」と考えれば、「あと5本」ならば工夫すればなんとかなるかもしれない・・・と考えた・・というのだ。
  進学校出身の人間が、高校卒業時に大学の試験に落ちたとしても、「ある程度の学力」はあるはずなのだ。なおかつ、一度、受けて落ちた者は、その際の経験がある。今もそうかどうかは知らないが、私が高校を卒業した頃、京都大・大阪大・神戸大は、合格した者も不合格だった者も、入学試験の点数が何点だったかを出身高校に伝えていて、高校3年の担任の先生にきけば、何点だったか教えてくれた。東大はそれをしなかったので、わかるのは合格か不合格だけで、何点取れていたかはわからなかった。しかし、たとえ、高校に何点だったか大学が教えなかったとしても、自分自身でどのくらいだったか、多少はわかると思う。又、模擬試験も受けているはずなので、模擬試験の点数から考えて、「あと何点くらい」というのは、ある程度わかると思うのだ。
  高校3年の3月に合格発表があって、不合格だとわかっても、その時は、「そうか。しかたないか」くらいに思ったとして、その後、5月から6月前半くらいになると、駅や電車中とかで同じ高校や同じ中学校の卒業生で現役で大学に入学した人間と顔を合わすことがあったり、又、知らない人間でも、大学生らしい人間の姿を見ると、「落ちた」ということ、自分の立場は「浪人である」ということを実感しだすようになる。なんとか、それを取り返したい、なんて思っても、高校の中間考査・期末考査で悪い点数を取っても、「次回、いい点数を取ろう」と考えていい点数を取るということはできても、いったん、浪人してしまったものを、頑張って浪人しなかったことにしようとしても、それはどんなに努力しても、もうできないのだ。
  前回、述べたが、私の場合、特に、高校2年の時の担任だった、旧姓S野礼子から「浪人した」ということを責められたので、それで特に、それを何とか取り返したい、と考えるようになり、そのためにはどうすればいいか、ということを考えて、「次は一番で通ってやる」とか、そんなことを考えるようになった時があった。しかし、東大とか京大とかを目指す者にとっては、「一番で通ってやる」なんて思っても、そんなに簡単に「一番で通る」なんてできるものではない、ライバルもまた手ごわいのだ。そんなことよりも、何より、大学入試および多くの資格試験というのはハードルであって棒高跳びではない。英語の資格試験では、英語検定1級とか準1級・2級といったものはハードル型試験だが、TOEIC・TOEIFLは、棒高跳び型、「この人はこの試験で何点取りました」という試験のようなので、そういう棒高跳び型試験ならば、「より高く飛ぶ」ことに意義はあるけれども、ハードル型試験では「高く飛ぶ」ことに意味はない。合格最低点より1点でも上回ればそれでいいのだ。藤田元司は巨人の監督に、1981~1983年と1989年~1992年の2度なっているが、後の方、2度目に就任することが決まった1988年、「読売新聞」のスポーツ欄に、「ボロ勝ち、競り負けは弱いチームのやること」と藤田が述べていたものが載っていた。むしろ、大学入試やハードル型の資格試験においては、この「ボロ勝ち、セリ負けは弱いチームのやること」という認識でいた方が合格する可能性は大きくなる、と思う。「棒高跳び」ではなく「ハードル」なのに、「一番で通ってやる」なんてこと考えない方がいい。そんなことを考えると、超人的能力を発揮する方法とかを考えないといけないことになる。そうではなく、「あと5本、多くヒットを打つにはどうすればいいか」という、そちらの思考をするべきだ。又、高校の教諭はおかしなことを受験生に言うべきではない。私が高校の教諭になっていたならば、自分が過去に担任を持った生徒に旧姓作野礼子みたいなことは絶対に言わない・・・が、絶対に言うべきでないことを言わないとおれないサガの女というのが高校教諭にいる、という事実を認識できていなかった、というのが浪人中の私の弱点だったし、我が家の欠点でもあった。そのあたり、もし、私が高校生および受験生の時の私の親であったなら、「アホな教諭の言うことなんて気にするな」と一言は言ってやったと思うが、うちの親は父親も母親もそういう能力はなかった。
  YMCA予備校高槻校「京大・東大文系クラス」の「主事」というよくわからん職種だった藤井という男が、4月だったか5月の頭、「現役の時ならともかく、浪人したら、模擬試験で、最低でも、通った人8人・落ちた人2人 というくらいの成績でないと受けたらいかん」と発言。母は「クリスチャンだけあって、良心的ねえ」などと言っていたのだが、「良心的」ではないと思う。 まず、普通に考えて、京大とか東大とかに行こうとする場合、模擬試験で「通った人8人・落ちた人2人」というのは、それはものすごい成績であり、そんなもの、簡単に取れるものではないと思うのだ。そんなもの、取らなくていいのだ。入学試験というのは、合格最低点より1点でも高い点数を取れば合格であり、それを「模擬試験で、最低でも、通った人8人・落ちた人2人 というくらいの成績でないと受けたらいかん」なんて、そんなこと言っていたら、通るものも通らなくなるよ。ほんと。「あと5本なら、工夫すればなんとかなるかもしれん」というものを、それを、「あと5本」ではなく、「ほぼ、全打席ホームランを打てないならば、打席に入ったらいかん」とでも言っているようなものだ。 藤井は「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と1日に最低3度は言わないと気がすまないという男だったが、なおかつ、その文句がYMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」の生徒にどうも通じないというのが不満のようで、「地域によって大学の評価に差がある」とか言うていたのだが、そういう問題ではなく、藤井の言うことが筋が通っていないから、だから、評価されなかったのだった。それを理解したくないから、だから、ますます、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と言いまくり、「地域によって大学の評価に差がある」とも言いまくるのだった。たしかに、何年か前、「週刊現代」だったか「ポスト」だったかに載っていた話だが、大阪府の北部に摂稜高校という私立高校があって、それが早稲田大学と提携して、「早稲田大学摂稜高校」を名のるようになり、「上位3割に入っておれば早稲田大学に内部進学で進学できる」ということだったらしいが、その際、週刊誌の記者が書いていたのは、どうも、早稲田大学の経営者というのは、自分の所を「東大の次の大学」みたいに思っていて、「上位3割に入っておれば、早稲田大学に内部進学で進学できる」と言われれば大喜びするだろう、みたいに思っているようだが、関西人の感覚はそうではない。関西人は、早稲田大学なんて、「関関同立と同じくらい」か「もしかすると、関関同立よりもちょっとだけ上かもしれん」くらいにしか考えていない。そのあたりに、早稲田大学の経営者と摂稜高校を受けるかどうか検討している中学生の父兄との間に認識に差がある、と書いていたが、その通りだと思う。関西人は早稲田大学を「東大の次の学校」なんて思っておらず、「関関同立と同じくらいか、もしかするとそれよりちょっとだけ上なのかもしれん」くらいにしか考えていないしかし、YMCA予備校の藤井が受講生から評価されなかったのは、そういう問題ではなく藤井の話すことが筋の通らないことだらけだったからである。そして、18~19にかけての私は、藤井を見て、早稲田大学というのはくだらない大学なんだなあ~あ、と思ったが、その後、東京に住んで、早稲田大学の学生や卒業生と会うこともありして、あの男の「早稲田の政経でてる」というのは、早稲田は早稲田でも内部進学かスポーツ入学か何かではないか、見たところ、あんまり、スポーツマンてという感じではないから、内部進学かな・・とか考えたのだったが、さらに、それから何十年か経ち、これもまた、そういう問題ではなく、「あんな早稲田ないわなあ~あ」と思うようになった。学歴詐称でしょう、あれは。たとえ、予備校とはいえ、まがりなりにも学校であるのですから、そういう所で学歴詐称する人間なんておらんだろう・・なんて10代の時は思ったのだったが、そんなことはない。世の中、学歴詐称する人間なんて、そのへんにいっぱいいるのである。「いくらなんでも、あんな早稲田ないわ!」特に、「早稲田の政経」というのは「学歴詐称の定番」であるし。(建築業界では「早稲田の建築」は「学歴詐称の定番」だし。)
  

2. 1973年、前後期制を採用したパリーグで、南海ホークスは前期優勝。しかし、後期は、その頃、パリーグにおいては圧倒的に強かった阪急が優勝。5戦のプレーオフで3つ勝った方が年度優勝という制度だったが、前期優勝の南海は、後期は調子を落とし、4位のチームと同率3位。2位ですらないとともに、たしか、勝率5割も切っていた、1つ負け越していたと思う。そして、何より、後期優勝の阪急に、直接対決で0勝12敗1引き分け。プレーオフの前、新聞のスポーツ欄には、阪急圧倒的有利・・と書かれていた。後期は南海は阪急に1つも勝てなかったのだから、5つのうち3つ勝てる可能性は極めて低いのではないか・・と見られた・・・が、ところが、プレーオフが始まると、第1戦、後期、唯一の引き分けの試合で完投した西岡三四郎が早い回に打たれて先取点を奪われるものの、後期、まったく歯が立たなかった阪急 米田から、代打相羽のタイムリーヒットで逆転すると、佐藤道雄~村上雅則から最後は先発投手の江本が救援に登板して、後期1つも阪急に勝てなかった南海が阪急に勝った。後期、五分の勝敗のチームなら「1つ勝っただけ」のところが、後期、阪急にまったく勝てなかった南海が先に1つ勝った、ということで、むしろ、南海の方が有利みたいな感じさえしだした。2戦は阪急が勝ち、3戦目は江本が完投勝ち。4戦目は阪急が勝ち、2勝2敗での5戦目、南海 山内、阪急 山田の先発投手が好投し、8回終わりまで0-0、このまま延長かと思われた9回表、南海は代打スミスがソロホームラン、均衡が破れたと思った直後、1番広瀬もソロホームラン。2-0で南海が勝つかと思われた9回裏、阪急は代打 当銀が佐藤からソロホームラン。さらに、阪急は長打力のある高井が代打。ここでホームランを打たれて同点に追いつかれ延長になれば、やっぱり、阪急の方が強かったか、となるところで、2日前に完投した江本が再度、登板して、三振に打ち取り、2-1で南海の勝ち。3勝2敗、それも、最終戦、最後の最後までどうなるかわからないという試合でなんとか勝った、というものだったが、それでも勝ちは勝ち。これを、その後、野村のじいさんは、あっちやらこっちやらで言いまくり書きまくっていたのだが、「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、他は全敗したっていい」と。「阪急に3つ勝つことができれば」というのはプレーオフで阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、後期は他は全敗したっていい・・というくらいという話。
※ 《『南海ホークスの歌』新・旧バージョン NANKAI  HAWKS》https://www.youtube.com/watch?v=lNXIiEtKlYo
  入学試験も、特に浪人なんてしてしまった場合には、1年後、ここに行くんだという所の試験の対策だけやって、そこだけ合格することができれば、「極端な話、他は全敗したっていい」という姿勢でやった方がうまくいくと思うのだ。実際には、「ここに行くんだという所」に絞って学習しても、それでもそこに絶対に通るという保証はないのであり、「極端な話、他は全敗したっていい」なんて言っても、実際に全敗したならば、さすがに応えると思うし、「早稲田みたいなも~ん」とか「慶應みたいなも~ん」とか思っていても言っていても、その「みたいなも~ん」に落ちる可能性はあるのであり、「まあ、早稲田とか慶應なら落ちることもあるかもしれんけど、関関同立なんて落ちたら目かんで死なんといかん」とか言っていると、それも落ちてしまうということだって可能性としてはありうることであり、それは、「あること」だと認識するべきなのだが、それにしても、「・・みたいなも~ん」だの「目かんで死なんといかん」とかを落ちるとショックだろうけれども、それでも、「後期は阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢で、「ほかはどうでもいい」くらいに思ってやった方がうまくいくと思う。それから、「・・みたいなも~ん」とか「・・なんて落ちたら目かんで死なんといかん」とか、そういうことを平気で言う人もいたが、あんまり、そういう口はきかない方がいい、そういう文句は口に出さない方がいいと思う。そんなこと言ってると、その「みたいなも~ん」とか「目かんで死なんといかん」所とかを落ちるよ、本当に。落ちることはあるよ、本当に。

  時々、実際に行った所以外に、どこそこも通った、どこそこも通った・・・と、実際に通ったのかどうかわからんが、そんなことを言いまくる人というのがいるが、「だから、何なの」ということだ。「ああ、そうですか」とでも言うしかない。父の「親友」だった医者屋のM川という男は、「金沢大医学部卒」と自称していたのだが、それは怪しいと思っているのだが、他にも、「陸士と海兵と両方通った」とか言い、「柔道3段・剣道3段」とか言うておったのだ。「陸士と海兵」なんて言われても、10代後半から20代前半にかけての私は何のことかわからんかったのだが、「陸士」とは陸軍士官学校、「海兵」とは海軍士官学校、海軍士官学校は広島県の江田島にあって、遠藤周作『口笛を吹くとき』とか内田康夫『江田島殺人事件』に広島県の江田島の海軍士官学校の話が出てくる。戦中、募集していて、けっこう難関で、今で言うところの防衛大学校みたいなものだったらしい。うちの父親は、「陸士と海兵と両方通った」と言われて、「えらいなあ。えらいなあ。ものごっつうえらいなあ」とか言うておったのだが、私ら、戦後世代からすると、「陸士」も「海兵」も何のことかよくわからなかったのだが、戦中・戦前世代にとっては、「陸士」「海兵」は「エリート」だったようだ。それに「両方とも通った」が、金沢大医学部の方に進んで薬漬屋になった、「金沢の薬売り」になった・・ということだった。私なんかは、「陸士」も「海兵」も、どうも、ピンとこないので、文字通り、「ああ、そうですか」と言っていたのだったが、うちの父親は「えらいなあ。えらいなあ」と言いまくって感心していた・・・のだが、そうかな。もしも、本当に、「陸士」と「海兵」と両方通ったとしても、実際に行かなかったのでしょ。行かない所に通ってもしかたがないじゃないですか。 むしろ、実際に行かない所の試験に力を分散するというのは、「ID野球 弱者の戦術」としての「戦力の集中」に反するものであろう。
  松島みどり さんが、大臣になった直後、「フライデー」に、松島みどり さんが、かつて、東大の文科二類に1浪で合格した時に、『東大入試合格作戦』(エール出版社)に書いた「合格体験記」に、「私は早稲田大学の試験に落ちてしまい、その時、私は絶対に東大に通って、この早稲田大学という大学を軽蔑してやるんだと心に誓った」とか、そういうしょーもないことを文章にして活字にしてしまうと、「普通の人間」ならそれでおしまいでも、国会議員になって大臣になったりすると、何十年か後にそれを掘り出されて、この女、嫌な女やなあ~あ!・・・と言われることになるので、合格した時にも、「合格体験記」として書くなら、うかつなことは書かないように十分に用心しないといけない・・・が、実際問題として、東大に行きたいと考えた人にとっては、もしも、東大に通ることができたならば、早稲田大学の試験に落ちても、そんなことはたいした問題ではないのだ。 もともと、早稲田大学の入試は、試験科目も東大・京大など国立大学より科目が少なく、なおかつ、早稲田大学の問題は「少々、くせがある」ように私は思った。それは、おそらく、「東大など国立大学に行きたかったが落ちて早稲田大学の試験には通ったことから早稲田大学に入った」という人も入学していいけれども、「早稲田大学に行きたいと思って早稲田大学を受けて通った」という人にも来てもらいたいと考えていて、後者の比率がある程度以上になるようにしたいと考えて試験科目や出題傾向を決めているのではないかと思うのだ。 「少々くせがある」問題だと、そこを本命とする受験生に比べて、東大・京大など国立大学を本命とする受験生は、その大学の試験問題に対する対策にそれほど時間と労力をかけられないので、東大・京大など国立大学の方が本命の人間は、早稲田大学を本命として受ける受験生に比べてその部分で不利になるが、出題者は意図的にそうしているのだと思う。(念のため、断っておくが、これは私が受けた1970年代後半からその後しばらくのことで、今、どうなってるかは知らんよ。これから受ける人は、今の試験問題を自分で見て、吟味検討してもらわないと、私が何十年か前のことについて述べてことを読んで今もそのままあてはまると思ってやったら失敗したなんて言われても、責任とれないからね。但し、早稲田大学が「東大など国立大学を落ちて早稲田大学の試験には通った人」にも来てもらっていいけれども「早稲田大学に行きたいと思って早稲田大学を受けて通った人」の割合をある程度以上確保したい、と考えているのはおそらく今もそうではないかと思うし、試験科目と出題傾向もおそらく今もそうではないかと思う。)これはしかたがない。だから、両方の対策を十分にやろうと考えるよりも、 「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢でやった方が、本命に合格しやすいはずなのだ。 YMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種の藤井という男が「そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はすべての大学に相関関係がある。YMCA予備校の模擬試験でできればどこの大学でも通る。YMCA予備校の模擬試験でできなければどこの大学でも落ちる」などと言ったが、それは絶対に嘘である。それぞれの大学によって試験科目と配点は異なり、それぞれの大学によって試験問題の出題傾向は異なるのであり、「すべての大学の問題に相関関係がある」などという模擬試験はありえない。そんな認識は大学受験に害がある。YMCA予備校と藤井みたいな考え方をしていたのでは「通るものも落ちる」ようになるであろう。
   東大に行きたいと思ったならば、東大の試験にさえ通れば、早稲田も慶應も落ちたってそんなことはどうでもいい。関関同立も落ちてもどうでもいい・・・、東大の試験にさえ通れば・・・なんてこと言ってたら、それも落ちてもうたあ~あ・・・あ~あれえ~え・・・なんてことになってしまうことも、可能性としてないことはないのだけれども、それでも、姿勢としては「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、他は全敗したっていい」という姿勢でやった方がうまくいくと思う。ここに行きたいと思っている所以外の所は、通った方がいいか落ちた方がいいかと言えば通った方がいいのだろうけれども、落ちたとしても、本命に通ることができれば、本命以外は落ちても、そんなことは「どうでもいい」のである。
  ・・だから、もしも、金沢大学医学部に行きたかったのならば、「陸士と海兵」なんてどうでもよかったはずなのだ。そして、M川のおっさんというのは、私の父よりも5つほど年下だったはずで、父は大正の終わりの頃の生まれで、敗戦だか「終戦」だかの年に23だったはずで、陸軍士官学校・海軍士官学校は、ともに、「終戦」の年より少し前に募集はやめていたはずで、M川のおっさんは、年齢から計算すると、大学に入学した年には陸士・海兵というのはもう募集していなかったはずなのだ。「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」てところだが、うちの父親というのは、よその人間の言うことはよくきく男、よその人間の話は簡単に信じる男だった。本当に「陸士と海兵と両方通った」としても、「だから、どうだと言うの」というところなのだが、世の中、学歴詐称する人なんてゴマンといるのだけれども、学生の時の私は、そんなにあっちやらこっちやらにはおらんだろうと思っていたのだが、違うのだ。そのへんにいっぱいいるのだ・・・が、うちの父親というのは「わしは人生経験豊富で何でも何でも知ってる人間やね~ん。そやからやなあ。おまえは、わしのような人生経験豊富な人間の言うことには絶対服従やぞ、絶対服従。何でもなんでも何でもなんでも!!!!」と毎日毎日言いまくっていたのだったが、「人生経験豊富」なわりに、ひとの学歴詐称を見抜けない男だった。
  「柔道3段・剣道3段」なんてものは、実際に柔道教室でも開いているのならともかく、そうでなければ「趣味の資格」であり、「阪神タイガース検定合格♪」みたいなもので、取得したければしてもいいけれども、まあ、たぶん、それも嘘だろうなあと思う。森田健作も「剣道初段」というのは嘘だったらしいが、それでも、俳優だった時代の森田健作は「剣道やってる高校生」みたいな演技はしていて、「助べえ分け」と「剣道」がトレードマークの俳優としてテレビドラマをこなしていたのだから、別にいいかとも思うが、「陸士と海兵の両方通った」とか実際には大学に進学する時点では陸軍士官学校も海軍士官学校もその時期には募集していないのに言うような男というのは、自称「金沢大学医学部卒」というのも、まあ、「そんなもの」、マユにツバいっぱいつける必要がありそうである・・・が、そういう話を次から次へと信じ込む父親というのは、あのおっさん、なんとかしてほしいわあ・・・と思ったものだったが、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「だから、あなたはお父さんがいるから、私なんかよりもずっと恵まれてるんだから」と何度も何度も耳鳴りするほど言うのだったが、父親がいなかったなら、そういうしょーもない話をいっぱい仕入れてくる男もいなかった、ということになったと思う。なんだかんだいっても、あのおっさんの給料で生活費を出してもらって成人したのだから、その点では感謝もするべきなのだろうけれども、他方において、しょーもない話を大量に仕入れてくるというあたりは、「往生しまっせえ、ほんまあ!」て感じだったが、旧姓作野礼子は「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」そういう苦労なんて、知らんようだった。父親にしょーもない話をいっぱい仕入れてこられて苦労する者の気持ちなんて、「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」わからないというそういうバカ女が北野高校の教諭になっていたのだった。

  「サンデー毎日」2020.4.19.号の「2020年 全国3388高校 有名182大学合格者数。 現役合格者を多数送り出す”成長中”の進学校はどこか」で、安田教育研究所 代表 安田理さんという人が、「北野は、大阪府から難関大学進学に力を入れるグローバルリーダーズハイスクール(GLHS)に指定され、東大が視野に入る生徒が多くなることで、東大の合格者が増えています。・・・」と述べているが、そういうものではないと思う。同書を見ると、北野高校の1学年あたりの人数は、私が行っていた頃に比べると少なくなったようだが、私が行っていた頃に比べると、たぶん、女子生徒でも京大などに行こうという人は多くなっているのではないかと思うので、京大・阪大や東大を目指す人の数は同じくらいと考えて、京大合格者数が3桁になったというのは、私が北野高校に入学する前くらい、学区が豊能地区・三島地区・淀川地区の3地域から三島地区が第二学区として北野高校の学区でなくなり、学区が豊能地区と淀川地区だけになる前の合格者数に戻ったような感じですが、京大合格者数は私が行っていた頃より多くなったが、東大合格者数はむしろその頃よりも少ない、というのは、今の北野高校がどんなことをやっているのか知らないのであくまで予想で言うのだが、今も北野高校は「京大志向」もしくは「京大・阪大志向」であって、カリキュラムや高校の模擬試験の問題などは「仮想受験校 京都大学」もしくは「仮想受験校 京大・阪大」でできているのではないかと思う。関西にも、東大・京大・阪大の3大学の合格者数をたした数字で見ると北野高校より少ない高校でも東大合格数は北野高校よりも多い高校というのは、私が高校卒業した頃もあったし今もあるのだが、それはその高校のカリキュラムや高校の試験の傾向がどこを「仮想受験校」としているか、ということを考えると、北野高校は「仮想受験校 京大」もしくは「仮想受験校 京大・阪大」であるのに対して、私が高校生および卒業した頃だと、たとえば、甲陽学院などは京大合格者数や東大・京大・阪大3大学合格者数で見ると北野高校よりずっと少なかったが、東大合格者数はむしろ多かったはずで、それは「仮想受験校」をどこと考えていたかの違いだと思う。進学校でも何でもない高校から東大に行ったり京大に行ったりする人というのがたまにあるのだけれども、そういう人にとっては、東大と京大の難易度はそれほど大きくないかもしれないが、「仮想受験校 京大」の高校からは東大よりも京大の方が間違いなく行きやすいはずです。私自身の経験からそう思う。
  私が受けた頃でも、京大と東大は、どちらが難しいか、というよりも、試験科目と配点と出題傾向が違った。だから、「ID野球 弱者の戦術」として「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢でいくならば、「京大の試験問題にさえ合格点を取れれば、東大の試験問題に高得点を取れなくてもそんなことはどうでもいい」という姿勢、それを徹底した方が京大には通りやすい。もしも、「東大志向」の高校ならば、この「京大」と「東大」を入れ替えて、「東大の試験問題にさえ合格点を取れれば、京大の試験問題に高得点を取れなくても、そんなことはどうでもいい」という文章になります。但し、京大の問題と東大の問題というのは、試験科目と配点、それに出題傾向の違いはあるとはいえ、共通点もあるので、片方を目指してやった結果、他方にも合格点を取れるようになるということはありうることではあるのですが、この安田理さんの表現だと、京大よりも東大の方がより難関で、グローバルなんとかに指定されて学力水準の高い学生が入学するようになったことから東大を目指す人の割合が増えたみたいな言い方ですが、それは東京圏の人間の世界観しか知らない人の言うことであって、関西圏の人間の世界観とは少々違うように思います。もしも、私が北野高校か同タイプの公立進学校に息子が行っていたとすると、親としては、もしも、息子が「京大の試験問題にさえ合格点を取れれば、東大の試験問題に高得点を取れなくてもそんなことはどうでもいい」という姿勢で学習して、高校3年の後半に受けた模擬試験で東大でも通りそうだ、と思えたということであった場合、東大を受験するように勧めるかというとそうではなく、「京大の試験問題にさえ合格点を取れれば、東大の試験問題に高得点を取れなくてもそんなことはどうでもいい」という姿勢でやってきた者が、高校3年の後半になって方針を変えることでペースを崩す危険を考えると、もしくは、「京大の試験問題にさえ合格点を取れれば、東大の試験問題に高得点を取れなくてもそんなことはどうでもいい」という姿勢でやってきた者が東大を受けても通りそうだとしても、それでも、「京大の試験問題にさえ合格点を取れれば、東大の試験問題に高得点を取れなくてもそんなことはどうでもいい」という姿勢でやってきた者が学んできたものは、京大の問題との相関関係は大きくても、東大の問題との相関関係は京大の問題との相関関係に比べて小さいと思われることから、そんなところで方針を変更してペースを崩すと、それが原因で落ちてしまう可能性も考えられ、落ちた場合、1年後に通るかというと1年後にもまた落ちてしまうという可能性だって考えられることであり、大学の入学試験というものは「終戦」、勝ちとか負けではなく、ほかの人間がどうかではなく本人がそこならば行こうという気持になれる所に行って「終戦」できるかどうか、というものだということから考えると、そこで方針を変更するよりも、最初の方針通り進んだ方がいい、とアドバイスしますね。 何より、「東大の入試は、スーパー京大ではない」し、京大を対象とした模擬試験で「京大に合格できるであろうと思われる点数よりもひとまわり上の点数」を取れば東大に合格できるというものでもないし、むしろ、そこは「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、ほかは全敗したっていい」というくらい、受ける所の問題で合格点以上の得点をできるようにすることができたかという点が大きく影響するはずだ。
  そして、北野高校のような公立進学校出身者としては、そこに行けば「親藩」「御三家」はともかく「譜代」になれる京都大学に行くのと、「私立受験校出身者の巣窟」みたいになっている東大に行くのとでは、前者の方が入学後いいのではないか。私は自分自身の経験から、できれば大学は「外様」にされる大学に行くよりも「譜代」になれる大学に行った方がいい、と思うようになった。「私学だってことは、『いいってこと』じゃないか。こんな常識もわからんのか」などと教授が講義の最中にマイクに向かって叫ぶ慶應大学みたいな大学に行って、「慶應義塾カースト」の最底辺に入れられて〔揺り籠から墓場まで慶應⇒慶應内部進学⇒私立大学系列私立高校卒⇒私立高校卒⇒公立高校卒だが小学校・中学校のいずれかが私立⇒小学校から高校まで公立だが親などが慶応大卒⇒小学校から高校まで公立で親戚関係に東大・京大・阪大出身者はいても慶應出身者はいない という「序列」「内と外という観念のある学校」「カースト制度」のある大学・・・に、何もそこに行くとその最底辺になる者がわざわざ物好きに行くことないのではないか、という見方はあるはず〕、内部進学独善主義の下男・婢になりたいなら慶應大学にでも行けばいいが、なんの因果で内部進学塾風強姦主義の下男にならされにゃならんのだ、と思うなら、北野高校のような公立進学校出身者はできれば京都大学に行った方がいい、という考え方があり、「別に東大に行くことないだろう」ということはあるはずで、安田理さんの言われていることは、東京圏の人の世界観の人が言うことということもあるかもしれないが、少々違うように思います。
  相撲の高砂親方(元大関朝潮)が横綱の朝青龍をきっちりと指導できないのは元大関の親方だからではないかと言われた時、スポーツ新聞に載っていた話だが、高砂親方(元大関朝潮)が何かに述べていたというのだが、元横綱の親方というのは「達成した」という気持でいるのに対して、大関まではなれたが横綱にはなれなかった親方というのは、「なんで、自分は横綱にはなれなかったのか」「どうが悪かったのか」「どうすればよかったのか」と力士を引退した後も、いつまでもいつまでも考える。考えるなと言われても考えないではおれない、その気持ちを弟子の指導にぶつけるから成果が出る。だから、元大関の親方が元横綱の親方に劣るということはない、と述べていたというのだが、そういう面はあるのではないかと思う。現実に私は40年以上経った今でも、合格発表の夢を見て、自分の受験番号を一生懸命探していたり、試験の後、何点とれたか、ここはあったと思う、ここは間違えた、ここは何点とれたと思う、ここは部分点をもらえただろうか・・と考えて計算し、1点、2点、3点、4点、5点、6点、7点、8点、9点・・・、1点たらな~い・・・と『番町皿屋敷』みたいなことを夢の中でやっていることがある。目が覚めて、「あれ、俺はどこ、受けるんだっけ」と思い、目が覚めたあともしばらく、点数の計算していたりすることもある。そういう者がその経験から言っているのだ。安田理さんという人は、そんな経験はない人ではないか。agriculture を、agriculture と発音せずにagriculture と発音する人、種無しブドウをひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人(内部進学)から下男の扱いにされて不快感を覚えた経験のある者と、そういう経験のない者とでは考えることも違うと思う。安田理さんという人はそういう経験もない人ではないかと思う。YMCA予備校で古文の講師をやっていた「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教諭」という山之内というおっさんも、あのおっさんも、「主事」の藤井とは違って学歴詐称ではないと思うが、「どこがいかんかったのか」「どうすればよかったのか」と夢の中でまで考える、というようなそういう経験のない男だったはずだ。たしかに、大学にはさっさと通った方がいいのか落ちた方がいいのかというと、さっさと通った方がいいに決まっているのだけれども、また、夢の中でまで合格発表で自分の受験番号を捜したり、試験の後、合格発表までの間、試験の得点を計算するように、1点、2点・・・9点、「1点たらな~い」なんて『番町皿屋敷』みたいなことやる人生がいいということでもないのだけれども、かえって、『番町皿屋敷』を夢の中でやってる人間の方が、試験について理解できる場合もあるとは思う。

  大学入試は「終戦」できるかどうか、であると思う。本人が「完全に納得」までいかなくても、そこならば行こうかという気持になれる所に合格できて「終戦」できるかどうか、である。 私にしても、法政だったか専修だったかに浪人して行った人から、「慶應で納得いかんなんて贅沢やわ。あつかましいわ」とか言われたことがあるが、「おまえと一緒にすんなあ!」と思ったものだった。慶應にいやいや無理矢理、暴力と強制と脅迫で行かされて、留年もしたが、東京都の公立の底辺の方の高校卒で1浪で慶應大学の商学部に入学して留年したT橋という男が私に「もう、俺らは、これで一緒じゃ~ん。仲良くしようぜえ。俺も留年したから、俺見ると仲間だと思ってうれしいだろ」などと言うので、「誰がうれしいか! こんなやつなんかと一緒の大学に行かされとるのかと思って心の底から嫌になるだけのことじゃ。三流高校出身のくせに!」と言ってやったことがあったのだが、高橋は私が冗談を言ったと思ったようだったが、冗談なんか言っていない。冗談みたいな言い方をしたが、正真正銘、本音である。 「冗談を言っているような言い方で、冗談を言っているということにして、本音を言う」という手法というのがあるのだが、相手がそういう言い方をした時に、これは本当に冗談なのか、「冗談みたいな言い方で、冗談を言っていることにして、本音を言っているもの」なのか、どちらなのだろう・・と考えるのが賢明な人間というものだが、東京圏の底辺の高校から1浪で慶應大に行った男というのは、そういう思考能力が欠落していて、「冗談みたいな言い方」で言うと冗談だと心の底から信じる人間というのが大変多かった。T橋など見るたびに、なんで、こんなヤツなんかと一緒の大学になんか行かされなきゃならんのだ、とずっと思ってきた。卒業してから何十年間と思ってきた。今も心の底から思っている。
  父は「本人が納得できんことを無理にやらそうと思うてもあかんわけや。これが一番大事なんや」と言うのだった。「そやからやなあ、そやから、おまえは何でも何でも納得せえ。どんなことでも納得せえよ、おまえは。納得できん言うたらあかんねんぞ! 納得できんことでも納得せえ! これが何よりも大事なんや、これがあ! んが、んが、んがあ!! わかったなあ、おまえは納得できんことでも納得せえ! これが一番大事なことなんや、これがああ~あ!」と何度も何度も言っていたが、それは「本人が納得できんことを無理にやらそうと思うてもあかんわけや」というものとは意味は正反対と違うのか、と思ったが、うちの父親はそういう男だった。

  結果として、2浪なんてしてしまったが、父親の勤め先で、父の部下にあたる人が「拝み屋さん」なんてのまで父に紹介して、父は「拝み屋さん」の女性に会いに金沢まで行って、わけのわからん「お守り」まで受け取ってきて私に「これ、持っときなさい」とか言い出した。「お守り」というものは、本人が自分が持ちたいならば購入して持てばいいが、本人以外の者に持たそうとするべきものではないはずである。それを、家族にまで持たせようというのは、その「拝み屋さん」も迷惑な人である。
  しかも、「家族の名前を変えろ」とも言われてきたらしいのだ。だから、私なんかはそういう類の人というのが好きではないのだ。金沢の拝み屋さんは、父には「お父さんの名前はものすごい強運の名前でそのままにするのがよろしい」などと言い、そして、母から姉から私から、さらには父の勤め先の社長に至るまで、父の周囲にいる人間の名前をことごとく変えるように命じたようだった。「あんたの名前は、きょうから、天津丼や」。父はそう言って私の名前を変更した、つもりだったようだ。「天津丼」が「なんといっても強運の名前」らしい。天津丼おいしいけどね・・・。天津丼は嫌いではないが、ひとの名前を天津丼にしてやろうと考える男は嫌いだ。父は「あんた、『これから、私のことを天津丼と呼んでください』と知ってる人間に順番に言ってまわりなさい」と言うのだった。さらに、父の「親友」の医者屋のM川がそれにまた加担した。M川は私にこう言ったのだ。「きみのこれまでの名前は、それは俗名やったんや」と。「今度、きみの本名として、天津丼という名前ができたわけや」と〔だいたい、私はこのM川という男に「きみ」呼ばわりされる筋合いはないはずなのだが〕。父はそれを聞いて大喜び。「そうや。ええ~えこと、言いはる。さすがはM川先生、さすがは医者や。えらいわあ。その通りや。おまえの本名はこれから天津丼で、戸籍の名前は俗名で本名とは違うんや」と。さらに、医者屋のM川「金沢の薬売り」は「きみには、これからも、本名がいくつかできていくんや」と言うのだった。父は「そうや、そうや。おまえの名前は、て~んし~んどお~ん♪ そんで、これからも、本名ができていくんや」と。どういう名前で呼ばれたか、ということから、一番多く呼ばれた名称を本名だとすると、私の本名は「チャンコロ」であろう。父が私に呼んだ名前では「チャンコロ!」というのが一番多かった、その次に多いのが「ロスケ!」「イタコ!」、それから「浪商!」だった。だから、私の本名は「チャンコロ」で「ロスケ」で「イタコ」で「浪商」で「天津丼」であり、戸籍上の名前はあれはM川が言うように「本当の名前ではない」名前だったのだ。そうか、私は天津丼だったのだ。「て~んし~んどお~ん♪」。「これが強運の名前なんじゃ、これがあ」だそうである。その拝み屋さんからもらってきたという「お守り」を、父は「これをいつも持ってなさい」と言うので、うるさいから、最初は持っていたが、そのうち、めんどうくさくなって、机の引き出しか何かに入れて置いておいたが、父が他界した後、こんなものを置いているからいいことないんだと考え、足で踏みつけた上で「燃えるゴミ」に出して焼却してもらうようにした。おかげで、それまでよりはいくらかは良くなった・・・か、その後もろくなことがないか・・、どちらかわからんが、どっちであったとしても、「お守り」というものは、神社なり寺なりで、本人が「いいことありますように」と思って自分の意志で取得して持つものであって、本人が希望していないのに無理矢理持たせるものではないはずである。
  遠藤周作が『狐狸庵閑話』に書いていたが、かつて、遠藤周作は文化学院という女性の学校の講師をやっていたことがあって、そこに、有名な占い師だった藤田コト姫という女性が生徒で来ていたらしいのだが、彼女は授業にまったく出席しないので、講師である遠藤さんは講師として「もう少し、講義に出席するように」と言いに藤田コト姫の家に行ったところ、案内の人間が間違えて、占いを受けるために来ている人の待合室に遠藤さんを入れてしまったらしい。順番が来ると、コト姫は、遠藤さんに「お名前は」と言う。遠藤さんは「遠藤周作」と堂々と名のったが、そうすると、コト姫は「あ、先生でしたの」とでも行って畏まるかと思いきや、そうではなく、「ご職業は?」と言うので、「作家で教師」と答えると、まじまじと遠藤さんの顔を見て、「小説が売れないのね。かわいそうに」と人を憐れむような顔で見て、「お名前が悪いんですよ。お名前を変えるときっと売れますよ」なんて言ったというのだ。遠藤さんは、小説が売れてるのか売れてないのかわからんが、ともかく、自分の名前は悪くないと思っているので、名前を変えるつもりはない、と書いていた。
   もっと面白いのは、評判の高い占い師がいて、一度、どんなものかためしてやろうではないかと考えて、イトコ(女性)と2人で、恋人同士だということにして相性を占ってもらおうではないかと、その有名な占い師の所に行ったところ、会うなり、イトコ(女性)に「あんた、妊娠しとるだろう」と言い出し、イトコ(女性)は「まあ、失礼ね」と怒り出したが、「妊娠しとらんのか。そうか。しかし、この男の近くにいると妊娠しやすい、と出ておる!」と、そう占い師は言った、そうな・・・(笑)
  なんか知らんが、うちの父親というのは、そういう妖怪変化みたいのを次から次へと引っ張り込んでくるおっさんだった。往生しまっせ、ほんまあ~あ・・・てところだった。だから、そうは言っても、あのおっさんの給料から食べさせてもらって成人したのだから、その点では感謝もするべきなのだろうけれども、そうは言っても、父親というのは、いるから常にいいというものでもなく、いるから大変という場合だってあるのだ・・・が、「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」というのを自慢にする女というのは理解できないようだった。・・・あの女とかかわると、疲れる・・・。

  父の「親友」だった医者屋のM川は父に薬を大量に売りつけていた。セデス・アリナミン・PL顆粒(PG顆粒というのもあって、どっちか)・うがい薬など、薬屋でも売ってる薬を大量に売りつけて、父はそれを「M川先生から、こんなにいっぱい薬をもろた。これ、みんな、タダや。タダでこんなにいっぱい薬をくれはった。あの先生はほんまにええ人や。聖人や。キリストか聖徳太子みたいな人や。こんなに薬をタダでくれはったんや」などと言って喜んでいたが、父は受け取る時にカネを払わなかったかもしれないが、M川はその代金をすべて健康保険組合に請求しており、父の会社が入っていた健康保険組合から「ものすごい代金を請求されていますが、いったい何の病気でかかっているのですか」と問い合わせがきていたらしい。普通、何年か会社づとめをした人間ならば、本人10割給付だった時代に、医者屋の薬売りが「タダで薬をくれはった」なんて言っても、医者屋は健康保険組合に請求してカネを取っているということくらいわかるはずなのだが、そうやって儲けたカネから分配金を、医者屋は「給料」と称して「病院」から受け取り、そのカネがドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学する際の寄付金に化けたのである。「薬をこんなにいっぱいタダでくれはった。ええ人や。ほんまにええ人や。あの人は間違いなく聖人や。キリストか釈迦みたいな人や」とかそういうアホなことを言う男というのは、なんというのかこう、「アホちゃうか」というよりも「アホやろ」てところだが、それがうちの父親だった。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「だから、私はあんたなんかと違って父親がいなかったから」とそれを自慢しまくるのだったが、父親というのは、いるからいい時もあるかもしれないが、いても役に立たない父親もあるし、いるから難儀な時もあるのだが、旧姓作野礼子は「私は父親がいなかったから」と言うだけあって、そのあたりを理解できない女だったようだ。
  私はM川に言ったことがあるのだ。「薬というものは、本当に病気になって服用しないといけないという時に飲むものであって、そうではない時に飲むものとは違うと思う」と。そうすると、医者屋のM川は「それは違うな。そのあたりがきみは思考が硬いんじゃ。生兵法は大怪我の元! とはこのことじゃ」と言うのであった。医者屋のM川が言うには「たとえばじゃな。ほうれん草とまったく同じ成分の薬があったなら、その薬を飲んでもええじゃろうが。そんなこともきみはわからんちゅうのは、きみは相当頭が硬いな。そのあたりがこのえらいえらいえらいえらいわしときみとの違いちゅうもんじゃな」と。父はそれを聞いて「そうや。その通りや! まったくもってその通りや。わかったか。そのあたりが、このえらいえらいM川先生とおまえとの違いなんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!!!」と言うのだった・・・が、しかし、だ。もしも、「ほうれん草とまったく成分が同じ薬」というものがあったならば、それならば、『薬』を飲むのではなく、ほうれん草を食った方がいいと思いませんか? 私ならば、ほうれん草の料理を食うけどなあ。皆さん、そう思いませんか?
  さらに、医者屋のM川は「きみは、そんなこと言うておると、いざ、大病にかかったというような時に、きみのその態度が命取りになって助からんようになるぞ」と言うのでした。M川は「普段から、必要でもない薬を毎日のように飲んでおけば、いざ、大病になって薬を飲まにゃいかんという時に、薬をいっぱい飲むことができる。それに対して、普段、きみみたいなことを言うて薬を飲まん人間は、大病になって薬を飲まにゃならんという時に、ちょっとしか薬を飲むことができずに、それで命を落とすことがあるんじゃ。だから、いざ、大病になった時に薬をいっぱい飲むことができるように、普段から、必要なくても薬を飲むようにしておかないといかんのじゃあ」と。ぼけっと聞いてると「はあん、そうかいなあ」と思いそうになるかもしれませんが、それって、「いざ、大病になった時に、大量に薬を飲むことができる」のではなく、普段から必要でもないのに薬を飲んでいた人というのは、いざ、大病になったという時に、普段から薬を飲んでいたために、その薬が効かないようになってしまって、それで少量ではだめなので大量に飲まないといけないはめになってしまった、ということと違うのか?
  さらには、医者屋のM川は私に「きみは、眠気がした時に、コーヒーと紅茶とどっちが効くか。どっちがカフェインを多く含んでおるか、知っとるか」などと言うので、世間では「コーヒーと紅茶では、コーヒーの方が眠気を去るのに効果があるように思われているが、カフェインの含有量は紅茶の方が多い」とされているものを、医師の資格を持つ者が、わざわざ、そういうことを言うということは、実はコーヒーの方が多いのかと思って、「コーヒーなのですか」と言うと、M川は「違うんじゃ。紅茶の方がカフェインは多いんじゃ。だから、眠気を消したい時に飲むなら、紅茶の方が効果があるちゅうことなんじゃ。きみはそんなことも知らんのやから、そういうことをよう知っとるこのわしの言うことは何でも何でもきけよ。わかっとるな。きみはそんなことも知らん人間なんやからなあ」と言い、父は「そうです、そうです。その通りや。先生のおっしゃる通りや」と言い、私に「おまえはそんなことも知らんのやから、そやから、M川先生のようなえらいえらい人並外れてえらい聖人のおっしゃることにはどんなことでも服従しろよ、おまえは」と言ったのだったが、そんなことを知っていても知らなかったとしても、なぜ、そんなことで、「わしの言うことは何でも何でもきけよ」などという話になるのか、わからなかった・・・が、その頃、世間では「コーヒーと紅茶では、コーヒーの方が眠気を去るのに効果があるように思われているが、カフェインの含有量は紅茶の方が多い」と言われていたのだったが、その後、テレビ番組でこの件について述べられているものを見たのだが、コーヒー豆と紅茶の葉で比較すると、同じ質量あたりでカフェインが含まれている量は紅茶の葉の方が多いらしいのだが、同じ質量のコーヒー豆と紅茶の葉を使用して、実際に人間が飲む液体のコーヒー・紅茶を入れた場合、コーヒー・紅茶の液体の中にどれだけカフェインが出ているかというと、コーヒーの方が多いらしいのだ。実際にコーヒーと紅茶を飲んだ時の感覚としては、コーヒーの方が眠気覚ましには効果があるように思えたが、それは、コーヒー豆と紅茶の葉の比較では紅茶の葉の方が同質量あたりのカフェインの含有量は多くても、実際に人間が飲む液体の状態のコーヒーと紅茶ではコーヒーの方がカフェインの含有量が多いからだった。M川は医者屋のくせして、「こんなことも知らん」かったのだった。その上で、自分の間違った知識をもとに、私に「きみはこんなことも知らんのやから、わしみたいな何でも知ってるえらいえらいえらいえらい人間の言うことは何でもきけよ、何でも服従しろよ。わかったなあ。なにしろ、医者ちゅうもんは他の人間とはちごうてえらいからなあ。」と言い、父はそれを聞いて「そうや、その通りや。おまえは、そんなことも知らんのやから、M川先生とかわしとかのようなキリストの言うことはどんなことでも何でも絶対に服従やぞ、何でも何でも絶対服従、何でも何でも絶対服従。わかっとんねんなあ、このチャンコロ、わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのんか、このチャンコロっ!!! んがんが、んがあ~あ!!!」と言い続けたのだった・・・が、一般の人間がコーヒーと紅茶のどっちにカフェインが多いかなんて知らなくても別にかまわないが、「医師」を名のる者は知らないから知らないことは言わないのならいいが、知らないくせして、「紅茶の方がコーヒーよりもカフェインが多いんじゃ。そやから、眠気がした時に飲むのなら紅茶の方が効果があるんじゃ。どうじゃ、きみはこんなことも知らんのじゃ。その点、わしは医者なもんじゃから、なにしろ、医者はえらいからなあ。どうじゃ、わかったか」とかそういう発言をするのはいかがなものか、「医師」を名のる者がそういう発言をしていいのか、と思ったが、おそらく、その後も、あの男は同様のことを人に言いまくっているのではないかと思う。医者屋というのはそういう人間が他の職業の人間よりも多いように思うが、人にもよるとも思う。
  いずれにせよ、アリナミンだのセデスだのPL顆粒だかPG顆粒だかだのうがい薬だのと、医者屋のM川、あの「金沢の薬売り」は、よくもまあ、あれだけ、必要もない薬を「これ、タダであげるわ」などと言って買わせて、健康保険組合からカネをせしめたものだ。M川のドバカ息子は私立高校から私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学したそうで、M川から「そのあたりがわしが、きみなんかとちごうて思考が柔軟なところなんじゃあ。裏口入学ちゅうことは思考が柔軟ちゅうことなんじゃあ。どうじゃ、わかったかあ!」と言われ怒鳴りつけられたのだったが、そんなに「思考が柔軟」ならば、セデスなんて飲まなくても、私立金権関西医大なんてものに裏口入学なんてしなくても、京大医学部でも東大理科三類でもその「柔軟な思考」を活用して現役で実力で通ればいいのではないのか、と思ったのだが、そう言うと、M川は「そういうことを言うあたりがきみは思考が硬いちゅうことなんじゃ。よく反省せえ!!」と言うのだった。
アリナミン (1971年) (三一新書) - 高橋 晄正
アリナミン (1971年) (三一新書) - 高橋 晄正
( ↑ 高橋晄正『アリナミン―この危険な薬』三一新書 ↑ )

  なんだか、うちの父親の周りには「新興宗教の教祖みたいな人」というのが次から次へと集まってくるような感じだった。それは、そういう人が集まってくるというのは、精神的に弱点があったのではないかと思う。1987年に、最初にイタリアに行き、ローマからナポリに行った時、なんだか、まわりに胡散臭い人がいっぱいいるような感じがしたのだったが、そして、実際、ローマではかっぱらいみたいのに遭遇したのだったが、翌年、イタリア初心者だった前年と違って、脱初心者くらいになって訪問すると、不思議なことに、「胡散臭い人」というのがそれほどいる感じがしなかった。それは、初心者には周りの人が「胡散臭い人」に見える場合もあるかもしれないが、「胡散臭い人」が寄ってくるということもあったのではないかと思った。うちの父親のまわりには、なんで、「金沢の薬売り」なんてのが寄ってくるのか、というと、精神的に弱点があったのではないか、精神的に弱点のある人の周りには「新興宗教の教祖みたいな人」が寄ってくるのではないか、と思う。拝み屋さんを紹介する「会社の部下」の人も、その点について、いかがなものかと思う。私なら、会社の上役に、他の者ならともかく、拝み屋さんなんて紹介しない。遠山啓は『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、「父親というものは家族を外敵から守ってくれる防波堤である」と書いていたが、そういう父親もあるかもしれないけれども、そうでない父親もあるわけである。よそのお父さんを見て、いいお父さんだなあと思って、父親というものはそういうものなのだろうと思って自分の父親に同じことを期待すると期待を裏切られるということは何度もあったのだが、父親にもいろいろあるわけだったが、旧姓作野礼子は「私はあんたと違って父親がいなかったから」と何度も言いまくっていたように父親の無い娘だったから、そのあたりを全く理解できない人間だった。

  次回は、「心理適性テスト」の是非について述べたい。

  父が言うには、私の本名は「ロスケ」らしいので、⇒《YouTube-【ロシア語】ヴォルガの舟歌 (Эй, ухнем) (レオニード=ハリトノフ)(日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=b4jxCRfHwd4
・・・ロシアの歌というのは「ええなあ、うらやましいなあ。わしぁ、貧乏やからなあ。ええなあ、長嶋は。うらやましいなあ・・」みたいな歌詞の歌が実に多い(^^)/

  (2020.4.12.)

★ 受験生へのエール
【1/ 】 『家族の政治学』に苦しむ人へ。高校教諭を信頼するな! https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_2.html
【2/ 】「あと5本なら工夫すれば」「後期は阪急に3つ勝てば他は全敗しても」という姿勢か逆かで合否は変わる。「ID野球 弱者の戦術」から考える大学受験における姿勢。拝み屋の「家族の名前を変えなさい」ははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_3.html
【3/ 】「適性テスト」で向いていると言われても行きたくない学部・向いていないと言われても行きたい学部があると思って受けなかったが、勝手にひとに「適性テスト」をやる女が教諭にいた、という話。飛込自殺した人にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない〔今回〕
【4/ 】 「適性テスト」は受けるべきか。自分の考えに反する診断に左右されたくないと受けなかったが勝手に適性診断やる教諭がいた。飛込自殺にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_6.html
【5/ 】 「適性テスト」「作文のテスト」に読書調査までやって受講生を統制しようとするYMCA予備校は害がある。気に入らない人間には「文学的素養がない」と悪口雑言を浴びせる「敬虔なクリスチャン」。「民族の違い」を作った「神は死んだ」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_1.html
【6/ 】 なぜ、地方国立大学は論文・小論文を試験に課したか。地方大学で「論文」「小論文」「面接」が試験にある大学を受ける場合 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_2.html
【7/ 】
狐狸庵閑話 - 遠藤周作
狐狸庵閑話 - 遠藤周作
わが青春に悔いあり―狐狸庵閑話 (角川文庫 緑 245-12) - 遠藤 周作
わが青春に悔いあり―狐狸庵閑話 (角川文庫 緑 245-12) - 遠藤 周作
《 駒場に占星学者? トービス先生という老人がいる。もちろん日本人で年齢60歳だが自らの家を天文館となづけ、星座によって客の運命を占う。アラビアの予言者のような風貌、学ありげな話しかた、知識人的発声法にかかわらず、どうも私が質問した時は当たったためしがない。いつかも、三月二十七日に地震があるというので、その日一日、家の中で出来るだけ逃げやすい部屋で、待機しておったが、地震などついになかった。私は怒って、
「あなたの占星術は当たらんじゃないか」
と彼に怒鳴り込みにいくと、このトービス先生は悠々として、
「わが占星術が当たらん筈はない。ただ、近頃、人工衛星が飛ぶので、そのために狂うことがあるのはやむをえない」
と答えた。それ以来、私はこの老人が好きになり、真夜中、酒場のマダムやホステスなどをつれていくことがある。けだし、バアのマダムやホステスは占いや易が好きだからである。
  そんな時、わが先生は、真面目くさった顔で星座を描いた球体を片手でなでまわし、じっと沈思黙考、
「ふしぎなこともあればあるものだ」
などとつぶやく。ホステスが、
「どうしてですの」
ときくと、彼はじっと私とホステスの顔をみつめながら、
「今、二人の前世を調べてみたのだが・・・あなたは前世で・・・遠藤さんの奥さんだったのですぞ。こんな奇妙な偶然はない。もう一度、調べてみよう」
そしてまた計算したり球体をなでまわして、
「ふしぎだが、やっぱり、そうですぞ」
深く深くうなずいてくれるのである。私も口裏をあわせて、ひゃア、ふしぎだ、こりぁ驚いたなアと叫ぶが、心中可笑しくて仕方がない。なぜなら先生は、私がつれてきたホステスのどれにも、
「前世で、あんたたちは夫婦であったですぞ」
と言うからだ。
  その次にバアに行くと、それまで冷遇されていた私もそのホステスから手のひらを返したようなサービスをうける。やはり前世で自分の夫だった男にはつい情が移るものらしい。・・・・》
( 遠藤周作『わが青春に悔いあり』1974.10.30.角川文庫 ↑ )
功なき者を活かす―リストラ時代の人材活用法 (カッパ・ブックス) - 克也, 野村, 哲也, 筑紫
功なき者を活かす―リストラ時代の人材活用法 (カッパ・ブックス) - 克也, 野村, 哲也, 筑紫
《 〔野村〕・・私はレギュラーになって二、三年はどうやっても二割五分か六分ぐらいしか打てなかったんです。三割打たないとせっかく取ったレギュラーの座も危うい。また、三割打たないと一流という評価をもらえない。三割打つにはどうしたらいいか。百打席で考えるとヒット25本が二流で、30本打てば一流のバッターですから。五本ぐらいなら何とかなると思って、なお一層練習もし、気迫と集中力で相手投手に立ち向かったんです。しかし、結果が出ない。やはり自分は不器用なんだ。不器用は不器用の生き方をしようと思っていろいろ考えた揚げ句、ピッチャーが投げる前に球種が分かれば打ちやすいわけですから。何とか分かる方法はないだろうかということで、テッド・ウィリアムスの打撃論の本からヒントを得て始めたのが癖の研究なんです。これは小早川にも話したことなんですが、「無くて七癖」と言って投球のときに癖のあるピッチャーが必ずいるんですね。
・・・
〔野村〕 ・・・それと、キャッチャーには配球の傾向というか、配球の癖がありますから、こうした「無くて七癖」を発見したり、研究することで三割を打って、ホームラン王のタイトルも取り、三冠王にもなったわけですけど、・・ 》
( 野村克也・筑紫哲也『功なき者を活かす』1998.3.5.光文社 カッパブックス ↑ )

"受験生へのエール【2/ 】「あと5本なら工夫すれば」「後期は阪急に3つ勝てば他は全敗しても」という姿勢か逆かで合否は変わる。「ID野球 弱者の戦術」から考える大学受験における姿勢。拝み屋の「家族の名前を変えなさい」ははた迷惑。" へのコメントを書く

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