父の日に(19ー3)【2/4】姑息な詭弁で進路を妨害。数学と経済学は逆。ブンケー嫌な人間にブンケー

[第460回]
   もうひとつ、「文系か理系か」という分類はあまりにも乱暴である。東大は文科1類・2類・3類、理科1類・2類・3類として募集してきたし、京大は法学部・経済学部・文学部・教育学部は同じ試験科目・配点・問題で、工学部・理学部・農学部・薬学部・医学部は学科によって微妙に違う学科もあったと思うがだいたい共通していた。しかし、この分類は絶対視しない方がいいと私は思う。
(1)農学部に農業経済学科なんてのもあるが、理科に進んだけれども経済学とか社会科学系の方がいいと思ったとかいう人がよく進む学科のようだ。農業経済学科なんて経済学部にあっても良さそうにも思える。
(2)建築学科は日本では工学部・理工学部にある建築学科が多いが、ヨーロッパでは芸術学部・美術学部にある建築学科の方が多いらしい。日本でも国立大学では東京芸大には美術学部に建築学科がある。建築をあまりにも理工学的なものと考えないでほしいようにも思う。
(3)
心理学科というのは、慶應大学の心理学科は文学部にあるのだが、一般教養の履修科目の選択においては「心理学」というのは「自然科学」に分類されている。慶應の「心理学」は「実験心理学」だそうで、心理学と言われるわりに自然科学的なところがある。 「理系か文系か」という思考は、東大とか京大・阪大を受ける際の便宜的なものであって、絶対的なものとは考えない方がいいと思うのだ。
(4)その頃の慶應大の経済学部は試験科目は英語と数学の2科目だけで、国立大学の医学部を落ちて慶應大の経済学部に行ったという人もいた。慶應大の経済学部の入試科目を決めた人は、経済学部というものをあまり「文系」とは考えていなかったのかもしれない。
北野高校の教諭だった旧姓作野礼子は「あなたはブンケーよ」と決めつけて、「ブンケー」(経済学部・商学部・経営学部)だけは、たとえ首をもがれても行かされたくないと思っていた私を嫌な所に行かせようと最大限の努力をしたのだが、あの女、なぜそういうことをしないと気がすまないのか、と思うが、あの女は、本人につくよりも親に加担することが高校教諭の処世術だというように思っていたようだ。そんな女は、高校の教諭としては害がある。
  「近代経済学は数学を多用する」と言われる。実際にどうかにかかわらず、そう言われている。しかし、だから、数学と経済学は近い存在なのか、特に、数学型人間と経済学部型人間は近い存在なのかというと違うと私は思うのだ。 矢内原忠雄『イエス伝―マルコ福音書による』(角川ソフィア文庫)に所収の矢内原忠雄の息子の矢内原勝によるあとがきによると、経済学者の矢内原忠雄は、近代経済学について「技術的」と言っていたというのだ。矢内原忠雄は小学校から高校まで相当いい成績だったらしく、一般的教養を学び身に着けてきた人でキリスト教に関心をもった人から見ると、近代経済学というものは「技術的」に見えたということではないか。旧姓作野礼子は「あなたはブンケーよ」と勝手にひとを「ブンケー」と決めつけたのだが、私にも、大学入学までに、文学・詩・哲学などある程度以上学んできたものから見ると、近代経済学というのは「技術的」、あるいは「ブタ商人の学問」、別の見方をすると「商業高校のやつのやること」みたいに見えた。「人間の学ぶもの」ではなく「ブタの学ぶもの」、「『慶應タイプの女たらし』が好むもの」に見えた。 実際、「近代経済学」なるものを学ぼうとする人間というのは人間としての程度が低いのではないか・・という印象を受けたし、慶應の経済新人会なんてサークルというのは、あれは「中年クラブ」もしくは「中年おやじクラブ」と違うのか・・という印象を受けた。実際、慶應の「経済新人会」にはそういうところがあると今も思っている。旧姓作野礼子は、「文学や詩、哲学などの本を読んできた人間」⇒ブンケー⇒ブタ経済学部 というように話を持って行こうとするのだったが、それは逆だと思うのだ。実際、「慶應の経済」なんて行った人間、行きたがる人間というのは人間ではなくブタである。自分が人間ではなくブタであることを自慢にし喜んでいる連中である。 東大が「文科」に分類しているものでも、経済学と哲学や宗教学・倫理学はまったく別であり、「ブンケー」としてひとからげにするべきものではない・・・はずだが、ところが、旧姓作野礼子は、それを意図的に混同して、「文学・哲学や詩を好む人間」⇒文系⇒ブンケー⇒ブタ経済学部 というように話を持って行き、平気で生徒の人生に敵対して親の機嫌をとろうとしたのだった。
  「近代経済学は数学を多用する」などと言われるが、経済学と数学は思考が近いかというと逆であろう。経済学と数学は正反対の学問である。ヴィルヘルム=ライヒが『階級意識とは何か』(三一新書)で述べていたが、数学は学問の中で、その時その時の政治の影響を最も受けにくい学問である。その逆が経済学である。私は、小学生の頃から、キュリー夫人とかパスツールとかいった人の伝記を読まされて、そういった人達がやってきた学問というものが大学でやることだという意識があった。キュリー夫人はラジウムという放射性物質を発見した人と言われ、夫のピエール=キュリーとともに研究にいそしんだが、晩年になると、夫のピエールの方は研究に身が入らなくなり、その後はマリー=キュリーだけが研究に精進した・・・ように「子供の偉人伝」には書かれていて、中学校のある先生は「女の方がしぶといいうことや」と冗談で言っていたのだが、実際は、キュリー夫妻は放射性物質というものを発見はしたが、その放射線をうかつに浴びると人間は健康を損なうという点に気づくことができず、放射性物質の石を家のタンスの引き出しなどに特に配慮もなく入れていたことから、まず、夫のピエールが健康を害し、それでも、夫妻はピエールが健康を害して研究に没頭できなくなった原因がわからず、その後、妻のマリーもまた体を悪くした・・・ということだったらしいが。その際のキュリー夫妻のラジウムと放射性物質の研究においても、それを研究してどうもうけようといったものはない。そうではなく、純粋に自然科学について人間が知らなかったものを知るということ自体に目的をもって研究活動をおこなっていたのだ。この研究姿勢、理学部型姿勢というのか数学型思考というのかは、「慶應タイプのブタ人間」の「ギャルにもてもて」とか「自我が確立されている」とかいう近代経済学とは正反対のものである。 経済学にはマルクス経済学と近代経済学がある・・・ということは、ともかく、この2つについて最低限のものは学んでおくべきであり、その上で自分がどういう立場をとるべきなのか考えるべきであろう・・・と言っても、マルクス経済学の立場をとるのか近代経済学の立場をとるのかというのは、これは邪馬台国北九州説をとるのか邪馬台国近畿説をとるのかというのとは意味が違うのだ。
   「慶應タイプ」の人は、「俺は、人間の自由を尊重したい方の人間だから、だから、マルクス経済学は肯定できない」とかそういうことを言うのが得意である。なぜ、「人間の自由を尊重したい」のなら「マルクス経済学は肯定できない」ことになるんだ? 「慶應タイプ」は「俺は自由主義の人間だから、当然、社会主義は否定する」とか言うのだ。なんか、こいつら、人間としてのレベルが低いなあ、と思った。なんで、こんな連中が大学に行くんだろう? こんなヤツ、大学に行くことないのに、とも思った。
  まず、「自由主義」という言葉を整理しておきたい。「自由主義」という言葉は何種類かの意味で使われる。
1.人間個人個人の自由を尊重したいという意味での「自由主義」・・・・資本制社会における「自由」とは企業の自由、資本の自由であり、個人の自由は資本の自由によって抑圧され、それを改善して個人の自由を回復するにはプロレタリア革命により社会主義の経済体制にするしかない・・・と考えた人達がいたのだが、ところが、出現した「社会主義」の国において、個人の自由が必ずしも守られていないのではないかと言われてきた。ヴィルヘルム=ライヒはドイツ共産党員であったが、ロシア革命によって出現したソビエト連邦を見て、「これでは国営資本主義だ」と幻滅を感じ、『性道徳の誕生』では、第1版では、抑圧的な社会=資本制社会とし、人間の自由が確保されるた社会を社会主義の社会としていたが、第3版ではその表記を改めた。いずれにせよ、個人の自由を尊重しなければならないという意味での「自由主義」のことで、個人の自由を尊重できる社会が経済体制として資本制の経済なのか社会主義の経済なのかというのは次の段階の問題になる。
2.「経済自由主義」として、企業活動の自由を尊重する資本制経済の社会のこと、要するに社会主義は企業活動の自由を尊重しない社会で、資本制社会が企業活動の自由を尊重する社会だという表現。
3.資本制経済においても、企業・家計・国家(政府)の経済の3つの主体のうち、西ヨーロッパにおいては、国家(政府)が経済活動に干渉をある程度加えることで経済は円滑に動くという姿勢がとられていたのに対し、アメリカ合衆国においては政府(国家)はそれほど経済に干渉するべきではない、あくまでも企業活動の自由にまかせるべきであるという考え方が主力となり、これはいずれも資本制経済の内部でのことであるが、国家(政府)が経済の動きに積極的に干渉するべきなのか、国家(政府)はあまり干渉すべきでないのか、という点で国家(政府)は経済の動きを自由にさせる方が良いという主張を「自由主義」と言うことがあるようだ。
・・この1~3は、いずれも「自由主義」という言葉が使われるのだが意味はまったく違う。ところが、「慶應タイプ」はわからずにかわかってか、この1~3を混同して使うのだ。1の意味での「自由」を尊重したいという人間だから、だから、2の意味での「自由主義経済」をとりたいとか主張するのだ。結論として、まったく論理性がない。自分は社会主義を志向する人間ではないと言いまくりたいというだけ、そうわめきまくれば企業から歓迎されるだろうという魂胆らしいのだが、日本の企業の経営者とか採用担当者とかいうのは、そういう人間を好むのだろうか? 私だって、自分だけ矢面に立って損したいわけではないが、しかし、↑で述べたような「慶應タイプ」の人間の話というのは、まったく論理性がないのだ。まがりなりにも、大学生・大学卒であるならば、もう少し論理的に話ができないものかと思うのだ・・・・が、そういうことを言うと、慶應という大学では、「おまえは共産党か!」とか、「そんなこと言うと就職先なくなるぞ」とか「おまえと結婚する女はかわいそうだなあ」とかそういうことをぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃら言われまくることになる。・・その結果、「慶應タイプの経済学」は相手にしたくないという気持ちになる。「慶應タイプの経済学」なんてあんなものは学問ではないし、科学ではない。かつて、日本共産党の議長だった野坂参三は慶應大学の学生であった時、小泉信三のゼミにいたらしく、小泉信三は野坂参三を高く評価していたらしい。小泉信三に、野坂参三はあなたとは経済体制についての考え方が違うのではないのかと尋ねたところ、「そんなことは何の関係もない。たとえ、自分と考え方が違う者であっても優秀な者は優秀だと認めるべきである」と小泉信三は語ったといい、又、小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)の序文で、批判をするのなら、一通りのことは理解した上で論拠をあげて論理的に批判しないといけない、ということを述べている。アンドレ=ジッドは、当初、社会主義とソビエト連邦を好意的に評価していたが、ソビエト連邦に実際に行って幻滅を感じ、『ソビエト旅行記』では、もし、今、レーニンが生きていたとしたら、レーニンですらも収容所に入れられることになるかもしれないということを述べているが、1980年代、慶應大学に行って、もし、今、福沢諭吉とか小泉信三という人が大学生で慶應大学に入学したならば、福沢諭吉でも小泉信三でも、「おまえはそれでも慶大生か」と罵られ迫害されるのではないか・・と思った。もし、1980年代の慶應義塾に小泉信三が学生として入学したならば、おそらく、「思考が柔軟な慶大生」「塾風を身に着けている」「「自我が確立されている」「慶應義塾のアイデンティティーを持っている」「ギャルにもてもて」とかいう連中から「おまえは共産党か」とか言われたことだろう。実際のところ、数学科に進みたいと思う人間というのは数学を学びたいと思って数学科に行くのだが、経済学部に行きたいという人間は事情が異なり、経済とか経済学を学び研究したいという意識ではなく、特に「慶應の経済」に行きたいという人間などというのは、経済のあり方について虚心な気持ちから学ぼうという意欲なんてハナからないのである。
  こういったことを考えて自分を分析すると、高校生および高校卒業の頃の私は「数学型人間」「理学部型人間」か「近代経済学型人間」「慶應タイプの経済学部人間」かというと、相当強い「数学型人間」「理学部型人間」だったと思う。北野高校の同級生でも「近代経済学型人間」がいたのだが、そういう人間とは私はウマが合わなかった。その意識は矢内原忠雄が近代経済学を「技術的」と評して好感を持たなかったのと似ている。自分とウマが合わない人間の行く学部に行ってもしかたがないと思った。しかし、父は「そんなことあらへん」と言ってきいてくれなかった。
   社会科学系学部にもしも行くのなら経済学部よりも法学部の方がいいと思った。ところが、我が家の父親は「わしは、あんたにどこに行かなあかんとかどうしろとかそういうことは一切言わん人間やねん。ひたすら本人の希望をかなえてやりたいと思うそういうお父さんやねん」と言い、そして、そう言いながら、実際にはそうではなかった。父は、私が子供の頃、家中でだが、「朝日新聞の記者は全員、刑務所に叩きこめえ! 日教組は死刑であ~る。 共産党は刑務所に叩きこめえ! ロスケどもをやっつけてや~る! とってちってたあ~あ!」とか「コスイギンちゅうのは、これはコスイやつやからコスイギンちゅうんじゃ。コスイやつやから、コスイぎ~ん!」とかしょっちゅう叫んでいるおっさんだった。それを見て、私はああいう人間にだけはなりたくないもんだなあと思ったのだった。考えてみると、私が物心がついた時、我が家には、けっこう高いと思われる戦車のおもちゃがあったのだ。私が物心がついた時にはすでにあったのだ。もし、私が親なら、まだ小学校にも行かないような子供に戦車のおもちゃなんてものは買わない。なぜ、我が家にそれがあったのかというと、父がそういうのが好きだったということではないかと思う。そういうおっさんだったのだ。丸山穂高みたいなやつ・・・というのか、父は戦中世代だったので、「ほとんどビョーキ」みたいなおっさんやなあと思いつつも、「戦中世代の人はかわいそうだなあ」とも思った。(丸山穂高は私よりも年下で、当然のことながら戦後世代のはずなのだが、そのわりに「戦中世代」みたいな口をきくというのは、私立6年制受験校出身者というのは、大学入試ではそれなりの点数をとってもその割に頭の中身に教養がなく、「戦後民主主義」と言われる教育のいいところを身に着けていない人が多い、ということの現れなのか・・・。)又、いつだったか、たしか、「朝日ジャーナル」に載っていた表現だと思うのだが、戦中世代のことを「全然関係ないことを話すのでも、ともかく、『我々は戦争で苦労した』とひとくさり言わないと何も話せない世代」と書いてあったのだが、父もそういう人間だった。「わしは軍隊で鍛えられた」「わしは満州で苦労した」と、ともかく、ひとくさり言わないと何も話せない・・というそんなところがあった。もっとも、「わしは満州で苦労した」という方の話については、最初、それを聞いた時、映画『二百三高地』に出てくるような日露戦争の時の旅順要塞の攻防みたいなことをを毎日毎日やっとったのか・・・と思ったのだが、落ち着いて考えてみると、父が満洲に行っていたというのは、それは日露戦争の時ではないし、父が満洲に行っていた時というのは、そこで毎日戦争していたわけではなく、むしろ、「満洲は日本の生命線だ」とか言って満洲に行っていた人は軍人も民間人も日本国内よりいい生活をさせてもらえていたという時期に行っていたのであり、その「満洲で苦労した」という話はどうも嘘くさいような気がしてきた。さらに、「わしは軍隊で鍛えられた」という方だが、父は「世の中というものはやなあ、ひとに号令かける人間とひとから号令かけられる人間との両方の人間がおらんといかんわけや。わしは自分ではやらずにひとに号令かけるのが得意やねん。そんでもってあんたはひとから号令かけられるのがうれしいねん。適材適所や。そやから、あんたのためを思うて号令かけたってんねがな。それ、てってこっこテッテて~い! てってこっこテッテて~い! 撃ちてしやまん! い~ちおく火の玉~あ! とってちってたあ~あ! どや、うれしいじゃろ、うれしいじゃろ、うれしいじゃろ、うれしいじゃろ、チャンコロッ!」と言うのだった。「お父さんは号令かけるのが得意でうれしいかもしれませんが、私は号令かけられるのはうれしくもないし得意でもありませんけれども」と言い、そして、「そんなに号令かけるのが好きなら自分に号令かけとけばいいのと違うのですか」と言ったところ、「何を言うとるんじゃ、何をお! んが、んが、んがあ!!! 何でわしが号令かけられんといかんのじゃあ! んがあ!!! わしはひとに号令かけるのが専門なんじゃ。そんで、あんたは号令かけられるのが向いとるんじゃ。適材適所や、適材適所。人間というものはやなあ。ひとに号令かけるのが向いている民族とひとから号令かけられるのが向いている民族と2種類の民族がおってやなあ、ドイツ人とかアメリカ人とかいうのはひとに号令をかける民族として神さまから作られた人間で、チャンコロは常にひとから号令かけられるのが向いている民族として神さまがお造りになったわけや。わしはドイツ人でアメリカ人なんや。そんで、あんたはチャンコロでロスケでイタコでニグロでプエルトリコで浪商の民族なんじゃ、わかっとんのんか、このチャンコロ、わかっとんのんか浪商!」と父はそう言うのだった。「わしは軍隊で鍛えられた」というのは、そういう「思想」を軍隊で叩きこまれたということではないか。日本の自衛隊の人間と話をすると、自衛隊の人間というのは似たところがある。
   父はそういう「ロスケどもとやっつけてや~る!」「日教組は刑務所に叩きこめえ」「共産党は死刑にしろお」「朝日新聞の記者は全員刑務所に叩きこめえ」とか毎日のように叫んでいるおっさんだったのだが、毎日のように聞いているうちに、もう、聞き飽きた。そのおっさんが、私が高校を卒業して浪人中、「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る! 焼き討ちじゃあ、焼き討ちじゃあ。焼~き討ちじゃあ~あ! とってちってたあ~あ」とか言い出したのだ。なんかようわからんおっさんやなあ~あ・・・・。なぜ、その部分限定で「教条的マルクス主義者」になってしまうのか? カール=マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』(岩浪文庫)の中で、一度だけ「宗教はアヘン」という表現を使っているが、日本共産党の宗教委員だった蔵原惟人氏の『宗教 その起源と役割』(新日本新書)によると、「宗教はアヘン」という表現はマルクスが最初に使った表現ではなく、マルクスだけが使った表現でもなく、マルクスが生きた時代のドイツでよく使われていた表現らしく、何より、「アヘン」という言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味があり、宗教には毒薬のような宗教も中にはあるが、マルクスはそういう毒薬のような宗教を批判するために「宗教はアヘン」という表現を使ったのではなく、キリスト教やユダヤ教のような宗教について「宗教は貧しい人達にとってのなぐさめである」という意味で使っており、「毒薬」という意味では使っていない、という。ところが、うちの父親は、「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る。焼き討ちじゃあ、焼き討ちじゃあ。焼き討ちじゃあ~あ! 甘ったれておってはならんぞ、甘ったれておっては。とってちってたあ~あ!」と言うのだった。「共産党は全員死刑にしろお~お!」とかしょっちゅう叫んでいたおっさんが、なんで、そこだけ「教条的マルクス主義者」になるのか、マカ不思議だった・・・が、要するに、私が宗教哲学の研究をしたいといったことを考えていたので、それをやめさせようとして、それで、「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る。とってちってたあ~あ!」と言い出したようだったのだ。
   ほかにも、「哲学を学ぶとノイローゼになるぞ」とかいうのもあった。西田幾多郎は京都大学の哲学科で講義をしていて、ある時、教壇の上で突如立ちどまり、ひとこと、「わからん!」と言うと、すたすたと教室を出て帰ってしまった。しかも、それを見て学生が「さすが、西田先生だあ」と誰もが感動した・・・という話があるが、それは哲学科の先生だから感動してもらえるのであって、経済学とか商業学とかの先生でそれをやる人はあんまりないと思うし、むしろ、今は4月末から5月頭にかけて「10連休」などというものができたが、1980年頃だと5月の4日なんてのは一応出勤日だったのだが、小学校・中学校では先生が来ると生徒も来たものだが大学の場合は先生が講義に顔を出しても学生はほとんど来ないという事態になったことから、「5月の連休の間、5月4日に私の講義があることになってるんですけど、講義してほしいですか。私が来ても、毎年、学生で来る人が少ないのでやる気なくすんですけど。休みにしていいですよね・・・。では、日本人はワーカホリック(働き中毒)の傾向がありますから、私は5月4日くらいは休講にしますから」とそれより前の講義の時にあらかじめ言って最初から休みにした経済学系の教授がおられた。「ワーカホリック」なんて用語が登場するあたり、経済学者て感じがしますね。そういう経済学者はいいけれども、教壇の上をあっち行ったりこっち行ったり動物園の熊みたいに歩き回りながら思索にふけりながら講義をしていて、ある時、突然、「わからん!」と言ってすたすたと帰ってしまう・・・・というのは、そういうのは称賛すべきものなのか、「哲学をやったためにノイローゼにかかったのだ。治療したらんといかん」と主張するべきものなのか。いいかどうかはよくわからんが、しかし、別に「病気」と「診断」して「治療」されなきゃならんものでもないように思うのだが・・・・。むしろ、そうやって、自分が気に入らない相手は何でもかんでも「病気」「症候群」「シンドローム」と「診断」しなきゃ気がすまないという人間こそ、「小此木啓吾シンドローム」とでも名付けるべきか、精神的にどうかしてんじゃないかて気がしますね。ニーチェはイタリアのポルトフィーノの岬に登って、そこで思索を重ね、『ツァラトゥストラはこう語った』の構想がそこで生まれた・・・・とかいう話もあり、中学校の担任が話していたものでは、その先生が大学の時の哲学科の先生というのもニーチェか何かみたいに、山の上かなんかに登って思索したり・・なんてする人だったというのだが、俗物はそういうことをする人間が嫌いなのだろう。〔⇒《YouTube-「ツァラトゥストラはかく語りき」 'Also Sprach Zarathustra' Einleitung 》 https://www.youtube.com/watch?v=lXKox3LfO-Q 〕 アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の精神科教授トマス=サズが『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で述べていることだが、身体医学においては病気は発見された、そして、その病気に対してふさわしいと思われる病名がつけられたのだが、それに対して、「精神医学」においては、外傷性のものや薬物中毒によるものなどを別にすれば、「病気」は発見されたのではなく「病名」が発明されたのである。もしくは、「医者」が薬物を飲ませるなどして「病気」にならせているのである。西田幾多郎のように、大学の講義で教壇の上で思索にふけりながら行ったり来たりしながら話していて、ふと立ち止まり、「わからん」と一言、口にだしてすたすたと帰ってしまうという人というのが気に入らない、そうではなく大学の教授というものは体制の枠内で時間内話して帰るサラリーマン教授であるべきで、そうでない人は除外するかサラリーマン教授になるよう加工したいと考える人からすれば、西田幾多郎のような人というのは「病気」と「診断」されることになるのだろう。その後、「病気」だとしてどういう「病名」にしてこましたろかいなあ・・と考え、もし、手ごろなものがなければ、「なんちゃらシンドローム」「なんじゃもんじゃ症候群」といった「病名」が発明されるということだ。そういう発明をして「病名」を大量に生産していっぱいクズの本を書いて儲けまくったのが慶應大学医学部助教授の小此木啓吾だったのである。・・・まあ、帰ってしまわなくてもいいとは思いますけどね・・・(^^)/
  「うちは文学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは医学部に行かすような金持とは違います。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは大学院になんて行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは工学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは学校の先生になんかならすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持とは違います。甘ったれなさんな」「国家公務員は転勤が多いからなってはいか~ん」「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん」・・・となんだかんだ言い続け、「マスコミに勤めるなら産経新聞がええ。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやからいかん」と言うので、「それなら、お父さんが産経新聞社に応募して勤めたらどうですか。私は産経なんて首をもがれても絶対に嫌ですから。私は産経と慶應は産まれる前から嫌いやったんです。私はマスコミなら朝日がいいですから、私は朝日新聞に応募しますから、お父さんが産経新聞に応募すればいいのと違いますか」と言ったところ、「な~にをわけのわからんこと言うとるんじゃ、このチャンコロめが、このチャンコロ! わしほど会社でえらい人間はおらんねんぞ。このチャンコロめが、なんでわしが産経新聞に応募せんといかんのじゃ、ええかげんにせえよ。おまえが産経に勤めるんじゃ、おまえがあ、んがんが、んがあ~あ!」と言うのだった。「私は産経なんてずえったいに嫌です。首をもがれても産経なんて嫌です。マスコミに勤めるなら朝日がいいんです」と言ったのだが、「ええかげんにせんか。このチャンコロめが。よくも産まれおってからに、このチャンコロ、浪商! わしが朝日はアカやからいかんと言うとるんやぞ、このわしが、んが、んが、んがあ~あ! このわしがマスコミに勤めるのなら産経新聞にしなさいと言うとるんじゃ、このわしがあ、んが、んがあ、んがああ~ああああ!!!」と言うのだった。そして、その上で、「わしは、あんたに何にならんといかんとか、どの学部に行かんといかんとか、どういう所に勤めんといかんとかどこには勤めたらいかんとか、そんなことは、一切言うたことはないやろ。そのくらいのことはわかるわなあ」と言うのだった。↑のように何度も何度も叫びまくった上でそう言うのだった。「どの学部に行かんといかん、どこは行ったらいかんとか、そういうことは一切言うたことはないやろ。そのくらいのことは、あんた、わからんといかんわなあ」と言うのだったが、↑を見た上で考えて、言ってないか? 普通は「言ってる」と考えるのと違うかと思うのだが、「わしは、あんたに、どこそこには行ったらいかんとか、どこそこに行けとかいうようなことは一切言うたことないやろ。わからんのか? そんなこともわからんのか? 難儀なやっちゃな、こいつはほんまにい~い! こいつ、おかしいのとちゃうか、こいつう~う」と言うのであった。

  私は、「あなたはブンケーよ」と言われて、「文科」か「理科」かで「文科」を選択しても、哲学科とか宗教学科とか心理学科・教育心理学科・社会学科とかに行くことを前提に、それでいいと思ったのだ。もしも、そうではなく社会科学系学部に行く場合でも、法学部か経済学部かというと法学部の方がいいと思っていた。ところが、旧姓作野礼子はそういうことを思って「あなたはブンケーよ」と言ったのではなかったようだ。そうではなく、父は「会社のために、とってちってたあ~あ!」という人間で、しかも、その「とってちってたあ~あ!」というのは、父が私に号令かけるものであって、父が号令かけられるものではなかったのだった。父は言うのだった。「この世の中というものはな、ひとに号令かける人間ばっかしでもあかんし、ひとから号令かけられる人間ばっかしでもあかんわけや。天の神さまは大変賢明なお方であってやなあ、天の神さまは世の中には、ひとに号令かける人間と号令かけられる人間の両方が必要であるということをご存知で、そんでもって、産まれる時点で人間を2つに分けてお造りになったのである。即ち、わしはひとに号令かける民族で、あんたはひとから号令かけられることを喜ぶ民族なんや。あんたは号令かけられるのが何よりもうれしい、うれしい♪ あんたは号令かけられることに快感を感じるねん!」とそう言うのだった。そういうおっさんだったのだ。だから、「とってちってたあ~あ!」というのは、あくまでも、おっさんが私に号令かける文句であって、おっさんがかけられる文句ではなかったのだ。
  私が小学生の時、父は「そんなもん、一流大学に行って、一流企業に勤めたら、結婚相手みたいなもん、『もろてくれえ』『もろてくれえ』といっぱい言うてきよるわ」と言っていたのだ。それを聞いて、そういう女とだけは結婚させられてなるものか! と小学生の時の私は思ったのだった。だから、その「一流企業」という所に勤めさせられるのは何が何でも避けたいと思ったし、「一流大学」というものにも行きたくなかった。小学校の時も中学校の時も、学校の勉強は面白かったし、学ぶことに意義があると思ったが、「一流企業」に勤めるための「一流大学」というものだけは寒気がした。そもそも、そういう女というのは、男性と結婚するのではなく、その男の年収と結婚する女と違うのか? それは嫁なのか? その女というのは、年収の多い男から報酬をもらっての「性行為付の家政婦」として「結婚」と称する欺瞞をおこなおうというイカモノと違うのか? 「一流企業」に勤めた年収の多い男の「性行為付の家政婦」になりたがる女なんて、むしろ、金持ちのメカケにでもなった方がいいてことないか?!?、
   父は「東京海上火災、東京海上火災」と言うのだった、そんなくだらないもののために今まで努力して学んできたのではないと思った。1980年代前半、宮下あきらという漫画家の『激! 極虎一家』という漫画家で、どう見てもインテリではない方の男が、女性から「私はねえ、あんたみたいな男とは結婚しないのよ。私は東京大学を出て東京海上火災に勤めた人と結婚するのよ」と言われ、周囲の人間は、もともと、この男はそういうようなタイプの人間じゃないからそんなこと言われてもこたえんだろうと思っていると、大変なショックを受けて、「わし、その東京海上火災いう文句に弱いね~ん」としょげかえる・・・という場面があった。そういう、「飛雄馬、いいか、あの夜空に大きく輝く星座があれが巨人軍だ。おまえはその巨人軍という星座の中でひときわ大きく輝く星になれ」とかその調子で、「飛雄馬、おまえはあの東京海上火災という星座の中でひときわ輝く星になれ。おまえは東京海上火災の星になるんだ! そら、東京海上火災養成ギプスだ。月夜の千本ノックだ! 飛雄馬、もっと前で捕れえ!」みたいなそんな調子のことを思っていたようだった。 「とうちゃん。俺、なんだってこんなことしなきゃならないんだよお」なんて言おうものなら、「やかましい~い! 男の子は理屈をこねるなあ! 東京海上火災養成ギプスの強度をもうひとまわり強くする必要がありそうだあ!!!」とか言われることになる。
  そういう「東京海上火災の星」みたいなものにだけはならされてたまるものかと私は小学生の時から思ったのだった。又、父を見て、成人した後、希望した職業につけるかどうかはそれはわからないとしても、ともかく、逆にこれだけは嫌だというものとして、ともかく、「会社」という所にだけは勤めたくないと思った。文学部か理学部に行って教員の資格を取得して「学校」という所に勤めるか、大学院に行って大学の教員になって「大学」という所に勤めるか、もしくは、司法試験に合格して裁判官になって「裁判所」という所に勤めるか、弁護士になって「法律事務所」という所に勤めるか、公認会計士の試験に合格して公認会計士として「会計事務所」という所に勤めるか、医学部に行って医師の資格を取得して「病院」という所に勤めるか、労働基準監督官の試験に合格して「労働基準監督署」という所に勤めるか、国家公務員もしくは地方公務員の試験に合格して「役所」という所に勤めるか、ともかく、「会社」でない所の方がいいと思ったのだ。「会社のために、死んでも働く。会社のために、死ぬほど働く。滅私奉公。撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ~あ」という勤務先は避けたいと思ったのだった。 ところが、父にはそれは何としても気に入らないことで、「ええかげんにせんか」と言うのだった。「会社に勤めるのを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学医学部の小此木啓吾先生というえらいえらいえらいえらい先生がそうおっしゃってる」と言うのでした。しかし、それならば、何よりも小此木啓吾こそモラトリアム人間病と違うのか?!? 小此木啓吾こそ、慶應大学医学部助教授として「大学」と「病院」に勤めていたのであり、《「会社に勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病」の重篤な患者》と違うのか?!? 小此木啓吾独善主義こそ治療される必要があるのと違うのか?!?  クスリ漬け療法(「化学療法」)とか逮捕監禁療法(「入院療法」)とか強制労働・労働搾取療法(「作業療法」)とか言いくるめ療法・マインドコントロール療法(「心理療法」「カウンセリング」)・撲殺療法(「ロボトミー」「精神外科療法」)とか、なんだかんだ「ともかく、なんでも、『療法』と名前をつければ治療になる」という指針、「なんでもやってみようの精神」「治療」と称した「人間による人間の加工」をしてやる必要があるのと違うのか!?!

   北野高校に入学した時、父は、私が頼んでもいないのに、父の勤め先の社長の息子(その後、社長)で会社で唯一の東大卒の社員を家に連れてきた。東大に行くためにはという話を聞かせるつもりだったらしい。その息子が「何になるかにもよりますけど」とかそういうことを言ったような気がする。それで、私は「学校の先生になるのなら」と言うと、父が「なんで、東大にまで行って学校の先生みたいなもんにならんといかんねん」と横から言ったのだ。私の感覚としては、「なんで、これまで、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、会社みたいなもんに勤めにゃならんねん」と思っていたのだが。父はしばしば言っていたのだ。「会社に勤めるには学校でやってることなんて関係ないねん。大卒やいうだけで気持ちが違うだけのことで、学校でやってることなんてな~んも関係あらへん」と。そんな仕事にはつきたくない、つかされたくないと思ったものだった。日本で一番嫌いな大学だった慶應の首をもがれても行かされたくない学部だった経済学部・商学部・経営学部といった学部を卒業させられてしまい、「会社ちゅうところ」に勤めさせられてしまった。小学校1年の時から努力してきたものをすべて奪われた。その時、父はこう言ったのだ。「もう、これで、おまえは亜細亜大のやつと一緒やぞ。わかっとんねんなあ」と。だから、「会社」みたいなものに勤めさせられるのは嫌だったのだ。「亜細亜大のやつと一緒」なら、小学校の時も中学校の時も高校の時も亜細亜大に行くやつと同程度のことをやっておれば良かったのだ。小学校から高校まで、そして、大学においてもちっとも努力なんてしないやつと一緒の扱いにされるのなら、それまでの大変な努力と苦労はいったい何だったのだ。
   父は言うのだった。「おまえはなあ。おまえは慶應大学を出たと思うておるかもしれんけれどもなあ。おまえが努力したから慶應に行けたのとは違うねんぞ。わしがえらいから慶應に行けてんぞ。心得違いを起こすなよ、このチャンコロ。チャンコロはチャンコロらしくしろよ、チャンコロ。おまえはほんまは拓殖じゃ、この浪商! 浪商の分際で慶應に行かせてもらえたというのは、それはこのわしがえらいからであって、おまえが努力したからとは違うねんぞ、わかっとんのんか、浪商! 浪商は高校には行くべきではないねんぞ。この浪商! おまえが北野高校に行ったというのはおまえが努力したからとは違うねんぞ。おまえは何の努力もしとらんねんぞ、わかっとんねんやろな、この浪商めが浪商。チャンコロ、ロスケ、イタコ、プエルトリコ!」と。
  「おまえが慶應大学に行けたというのは、おまえが努力したからとは違うねんぞ。このわしがえらいから行かせてもらえてんぞ」と父は言うのだったが、この表現は父の親友の医者屋のM川がしばしば口にしていた表現を真似たものだった。M川は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネでドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させた、というのを自慢にしていた。「わしは息子に言うたりますねん。『おまえが大学に行けたのはおまえが努力したからとは違うねんぞ。わしがえらいからやねんぞ。心得違いを起こすなよ』とそない言うたりますねん」と。実際には「心得違い」を起こしていたのはM川のドバカ息子よりもM川の方で、M川のドバカ息子が金権関西医大に裏口入学できたのはM川がえらいからではなく、M川に薬漬け・検査漬け・毒盛りされたかわいそうな「患者」のおかげであって、「心得違いを起こすなよ」と言われなければならないのはM川のドバカ息子よりもM川の方だったのだが、それはそれして、M川のドバカ息子は金権関西医大に裏口入学で入ったかもしれないが、私は慶應に何も裏口で入れてもらったのではないのである。ましてや、北野高校というのは大阪府立であって、M川のドバカ息子はどうも高校も私立の高校に裏口入学の可能性が高そうだったが、私は北野高校に裏口で入れてもらったのではないのだ。入学試験で合格最低点より高い点数を取って合格して入学したのである。そもそも、おっさんには高校でも大学でも息子を裏口入学させるような才覚なんてあるわけないのだった。

   (2019.6.20.)

☆ 父の日に(19ー3)
1.子供の頃の話を無視する親。進学の際の適性、「文系」とは何か。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_4.html
2.姑息な詭弁で進路を妨害。数学と経済学は逆。ブンケー嫌な人間にブンケー〔今回〕
3.学校の先生は勉強した者の仕事か否か。子供の水筒を取上げちゃらける父親https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_6.html
4.「何でもわしに絶対服従」という男との間に「中間の立場」はなかったhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_7.html

☆父の日に
「令和」「れーわ」とうんざり、もうえーわ。裁判所の元号強制は不当。グリコと「作業療法」擁護する慶大生 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_1.html
(19-1)いったん「買ってやる」と言ったら買うべき。お年玉は子供から取り上げるべきでないhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_2.html
(19-2)「やふいのん」「やふいのん」と自分が言いまくった記憶の欠落している父親の日 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_3.html 

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