国立大の宗教哲学科に行かせてもらえなかった私、経大と東京神学大に行った牧師―早稲田奉仕園【5/6】

[第344回]
   父は、私が子供の頃から、「ロスケはずるい。コスイギンてヤツはこすいヤツやから、だから、こすいギン!」とか、あくまで、家の中でですが、毎日のように言っていた男でした。「そんなもん、海の魚みたいなもん、誰のものでもないんやから、誰がいくら獲ろうが自由なはずや。それをとったらいかんとかいいおってからに。コスイやっちゃな、ソ連は。コスイやつやからコスイぎ~ん」とか言っていたのですが、日ソ漁業協定というものを結んで、この海域においては、日本は漁獲高はここまで、ソ連はここまでと取り決めておきながら、それを破ってそれ以上に獲っていたのは日本の水産会社であり、その点においてはコスイのは日本の方であったはずで、日本政府が取り締まらないから、だから、ソ連が拿捕していたはずですが、ちっともそんなことわかってないようでした。 「日ソ中立条約を破って攻め込んでくるとか、ロスケはいつでもやりよんねん、そういうことを」とか言っていましたが、日ソ中立条約というのが結ばれていても、日本が三国同盟を結んでいたドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻め込んでいたのであり、関東軍は満州国とソ連との境界付近で挑発的な軍事演習をやったこともあったらしいし、国民は知らないが「実は関東軍は満州とソ連との境界を越えて攻め込んだがソ連軍に返り討ちにかってソ連軍は強いとわかったのでソ連に攻めるのはやめたらしい」というのは何に書いてあったかというと『ゴルゴ13』だったのだが、ありそうな話でもあるし、そもそも、太平洋戦争の時に、日本軍は宣戦布告よりも前にハワイの真珠湾を攻撃したのはどうしてかとか言われるが、実は、日本軍は日清戦争の時も日露戦争の時も似たようなことをしていて、日露戦争の時、ロシアのバルチック艦隊が喜望峰の南をまわってはるばる日本までやってきたが、東郷平八郎元帥の作戦により日本海海戦で打ち破ったのが日露戦争の勝利につながったとか言われるが、なぜ、バルト海の艦隊をはるばる派遣しなければならなかったか、ロシアには極東方面には艦隊はなかったのかというと、実は旅順港に停泊していたロシアの艦隊に日本軍の戦闘機が宣戦布告よりも前に爆撃を加えて半分以上沈めて、それから宣戦布告して日露戦争は始まったために、ロシアは極東方面に艦隊が不足して、それで、バルト海の艦隊を派遣してきたらしいく、だから、スターリンは日本のことを「だまし討ち国家だ」と言い、「日露戦争以来、日本には多くの貸しがある」とか言っていたらしいし。(社会主義の考え方からいけば、「貸し」があるとかないとか言い出すのはおかしいはずですけれども。) 戦後の「シベリア抑留」などは国際法から考えても不適切であり、ソ連が社会主義として好ましい状態になっていたかどうかというと、そうでなかった面もあったとしても、「ソ連はずるい」かというと、実は日本もけっこうずるかったりしたはずなのですが、言ってもききそうにないので言いませんでした。 「共産党は死刑にしろお。日教組は刑務所に叩きめえ。朝日新聞の記者は全員刑務所に入れろ」とか毎日のように叫んでいました。あくまで、家の中でですが。但し、「朝日、アカ新聞はけしからんなあ」とか言いながら、我が家は継続的に朝日新聞を購読していたのですが、それはなぜかというと、「巨人はずるい。読売は悪い。けしからん。まったくつくづく、巨人は許せん!」という方が優先されたみたい・・でした。「戦艦長門」のプラモデルを作って、「こういうのが1隻でもあったら、ソ連をやっつけて千島も取り返してやるんやけどなあ」とか言うので、「日本の自衛隊はすでに戦艦長門以上のものを持っているはずですけど」と言ったところ、「そうか? そんなはずないやろ」とか言ってきかないので、もう、勝手にしろ、と思って言うのをやめました。
    そんなおっさんが、私が高校を卒業した頃、突然、「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~る」と強固に言い出したのです。 「朝日はアカや」とか「京大はアカやからいか~ん」とか言うおっさんが、なんで、その部分限定で「教条的マルクス主義者」になるのだろうか? 「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいか~ん。毎日もアカやからいか~ん。マスコミなら産経新聞かNHKにしなさい」とか言い、私が「産経みたいな右翼新聞はいやです」と言っても、「許さ~ん。このわしが、わしが産経がええと言うてますねんで。わしが朝日はいかんと言うてお~る」とか言ってきかないおっさんが。・・・なんか、ようわからんおっさんやな・・・。 そもそも、マルクスさんであれ何さんであれ、その方がおっしゃることがもっともだと思えば、その考え方を採用していいと思いますが、その方の言われることが不適切だと思ったなら、何様がおっしゃることでも従わないといけないことはないはずなのです。 なんで、その部分限定で「教条的マルクス主義者」というわけのわからんものになるのか、まったく、ようわからんおっさんでした・・・が、「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る」というのは、それは父の親友の医者屋のM川が父に吹き込んだことで、私が大学の文学部の哲学科で宗教哲学の研究をしたいといったことを言っていたことがあるのを父から聞いて、それで、そういうことを言い出したようです。 もし、息子がこういう方向に進みたいと考えているものと異なる方面に進んでもらいたいと親が思ったならば、それを話して、互いに主張を述べて妥協点を見つけるようにするべきだと思うのですが、父はそういうことは絶対にやらない人間でした。「わしは、あんたにこういう学部に行けとか、こういうことをしろとかいうことは一切言わん人間やねん。 わしは、ひたすら、息子の希望をきくというそういうお父さんやねん」とか言っていました・・・が、たしかに、「どこそこに行け」といった表現では絶対に言いませんが、「宗教はアヘンであるとマルクスは言うておる」とか「哲学者は全員、精神異常者である」「文学者は甘ったれておる人間である」とかそういう言い回しをすることで行かさないようにしようとする人間だったのです。 「わしは、どこそこに行けなんて言うたことないで」と言うのですが、「たとえば、ニーチェは晩年、精神を病んでいたとかいう話があるが、それは梅毒の3期症状によるものらしく、哲学者だからではない」とか説明しても、絶対に理解しようとしないのです。
   数学者で教育論者の遠山啓は、『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、「父親というものは、子供を守ってくれる存在である」とか「父親というのは、家族で第一の世間知を持っている」とか勝手なことを言っているが、それは小さい頃に父親をなくした遠山啓という人が、よそのお父さんでも、比較的いいお父さん、理想的なお父さんを見てそう思ったことであって、世間のお父さんが誰もがそうであるわけではない。 うちの父親なんて、「世間知」がある人間ではなかった。 「世間知」にうとい男、息子には卑劣な権謀術策を使うがよその人間に対してはおぼこい男の周囲には、その男が喜ぶような「理屈」を吹き込む人間が寄ってくるものである。父の親友の医者屋のM川もそれで、「マルクスは『宗教はアヘンである』と言うてお~る」という「理屈」を吹き込んで父を喜ばせようとしたわけだ。父はそう言われて大喜びで、「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~る。 焼~き討ちじゃあ。焼き討ちじゃあ」と言いまくった。そうして、私が宗教学や宗教哲学を学ぶのを妨害したのである。父親とはそういうものである。我が家においては。遠山啓の頭の中の妄想の父親と現実の父親とはずいぶんと違う。
   「宗教はアヘンである」という表現については、蔵原惟人『宗教 その起源と役割』(新日本新書)にわかりやすく説明されている。
1. マルクスは「宗教はアヘンである」という表現を使ったことがあるのかというと、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で、一度だけ使っている。それ以外の書物では使っていない。エンゲルスはこの表現は使っていない。レーニンもこの表現は使っていない。
2. 「宗教はアヘンである」という表現はマルクスだけが使った表現かというと、そうではなく、マルクスが生きた時代のドイツでよく使われていた表現らしく、わかっているだけでも、マルクスの他に詩人のハイネ・哲学者のヘーゲルがこの表現を使っている。
3. 「宗教はアヘンである」という表現を最初に使ったのはマルクスなのかというと、そうではないと思われるが、誰が最初に使ったのかははっきりとしない。
4. 「アヘン」という言葉には、「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味の2通りの意味がある。世の中には毒薬のような宗教もあるが、マルクスは毒薬のような宗教を批判する時には「宗教はアヘンである」という表現を使用していない。マルクスはキリスト教やユダヤ教のような宗教を、「宗教は貧しい人達のなぐさめである」という意味で「アヘン」という言葉を使用している。「毒薬」という意味では「アヘン」という言葉を使っていない。
5. マルクスとエンゲルスとレーニンではレーニンが最も宗教批判が厳しいが、それは、ロシアにおいては「皇帝教皇主義」(「セザロパピズム」)と言って、ロシア正教会では皇帝が教皇を兼ねていたことから、西ヨーロッパなどと比較しても、宗教と政治の結びつきが強かったことによる。
・・・といったことが述べられており、「マルクスが言った」と言われているが、実際にはマルクスがその表現を使ったというもので、最初にマルクスがその表現を使ったわけではないらしい「宗教はアヘンである」という表現は、「焼~き討ちじゃ~あ」という焼き討ち織田信長大好き人間の言うようなものとは意味がまったく違う。
   そもそも、宗教批判もまた宗教学・宗教哲学・宗教史の対象ですから、マルクスが「宗教はアヘンである」と言った表現がどういう意味であったとしても、だから、私が宗教学・宗教哲学・宗教史を学ぶことを妨害する理由にはならないはずなのですが、父の親友の医者屋のM川とM川にそそのかされた父はそういった言葉を使って妨害しようとしたのです。
   YMCA予備校高槻校の「主事」という藤井が、「聖書みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんや、あんなもん。聖書なんて読むもんと違うんや。聖書なんて絶対に読んではいかん」とか何度も何度も言いながら、そんなことを言っている人間が、なぜか、キリスト教の教会で洗礼を受けて、「ぼくなんかはクリスチャンだから」などと言いまくっていたのを見て、なんで、この人、洗礼なんて受けるんだろうなあ~あ・・・? と思ったものですが、同様に、 「焼き討ちじゃあ。焼~き討ちじゃあ~あ」と言いまくっていた焼き討ち織田信長大好き人間にして、「『宗教はアヘンであ~る』。マルクスがそう言うてお~る」と主張するその部分限定の「教条的マルクス主義者」のおっさんが、なぜか、キリスト教の教会で洗礼うけていた・・・というのも、なんか、不思議だなあ~あ・・・と思ったのです。なんか、もう、わけわからん。

   父は、「わしは同志社大学という立派な立派な大学を出てます」と言っていたのです。ところが、私が慶應大学にいやいや行かされてしまった後、ある時から、「わしはほんまは慶應やねんぞお。ほんまは慶應」と言い出した。同志社と違ったんかい? いったい、いつから宗旨替えしたんだあ? ・・・と思ったが、「ほんまは慶應」だそうだ。「わしは、家が貧乏やなかったら間違いなく慶應大学に行きました。家が貧乏やったから慶應に行きたかったけれども受けさせてもらえんかったんや。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロ」と言うのです。「おまえはなあ、自分は慶應に行ったと思うとるかもしれんけどなあ、おまえがえらいから慶應に行けたのとは違うねんぞ。おまえは何一つ、努力しとらんねんぞ。わしがえらいから慶應に行かせてもらえてんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ」と私の鼻の頭を指さして言いまくったのですが、これは父の親友の医者屋のM川が「わしは息子に言うたりますねん」とい言って父に教えた言い回しを真似ていたらしい。医者屋のM川のドバカ息子は行ける大学がなくて、それで、M川が「患者」に薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで、金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学したらしく、だから、息子が努力して勉強して試験に通ったのとは違う、裏口で入った、そのカネは「わし」が用意した(「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで)ということを言っていたらしいのだが、しかし、私は慶應大に何も裏口で入れてもらったのではない。私は一般の入試に合格して入ったのであって、裏口で入れてもらったわけでもないのに、裏口入学した人と同じ言い回しを言われる筋合いはないはず・・・なのだが、それでも、父は「おまえがえらいから慶應に入れたのとは違うねんぞ。おまえはほんまは拓殖じゃ! わしはほんまは慶應やねんぞお、わしはほんまは慶應。おまえは拓殖じゃ、この拓殖めがあ。この拓殖、たくしょく、タクショク、タクショク!」と私の顔を指さして言い続けたのでした。父にとっては、息子が「自分より上の大学」に行くということは、これはどうしても許せないことだったようです。 大王製紙の二代目社長は北野高校から東大に行きたいと思ったけれども行けなくて慶應大に行ったが、息子には何としても東大に行かせたいと思ったそうで、三代目の社長は東大に行った・・・・がなんかしょーもないことしよった・・・ようですが、そういう父親もいるようで、私は中学生から高校生くらいまで、父親とはそういうものだろうと思いこんでいたのですが、そういう父親もいるようですが、そうでない父親もいるようでした。遠山啓なんかはそういうことがまったくわかっていないようです。
   父が「わしは家が貧乏やったから慶應に行きたかったけど行かせてもらえんかったんや」とか言いまくっていた時、母は同調していたはずでしたが、ところが、父が他界して10年少々経つと言うことが変った。母が言うには、「あの人、大学に行くころ、貧乏じゃなかったよお」と。「あの人、慶應に行きたかったけど、家が貧乏やったから受けさせてもらえなかったのじゃなくて、受けたけど落ちたから行けなかったんじゃないの。私、結婚する前からあの人の家の近所に住んでたから知ってるよ。息子が知らんと思って、よくそんないいかげんなこと言うわ」と。 世の中、しょーもないこと言いはいっぱいいるのですが、こういうしょーもないウソは、普通、よその息子に言うもので、自分の息子には、「おまえ、あんなしょーもない話に乗せられてはいかんぞ」と教えるものではないかと思うのだが、我が家の父親は逆だった。 母が言うには、「私が結婚した時には、戦争でだめになってしまってお金のない家だったけれども、あの人が大学に行く頃は、ここのお父さん(祖父。父の父)は船場の商社でものすごい出世して、ものすごいやり手で、新聞の一面に名前が載るような人だったんじゃないの。な~にが『家が貧乏やったから』よ。 よく言うわ。家に女中さんがいるような家だったでしょうが。 慶應は貧乏やったから受けさせてもらえなかったんじゃなくて、受けたけど、勉強できないから落ちたんでしょうが」と。 どうも、そういうことだったらしい。 よく言うよなあ、普通、よその息子にウソついても自分の息子にそんなことでウソつくかあ~あ・・・と思ったが、つくんだわ、うちの父親は。
   「だいたい、あの人、同志社も裏口と違うの」と母は言うのだ。「裏口」という名称ではなく「推薦入学」で同志社に入ったらしいのだ。 その「推薦」を誰から受けたかというと、教会の牧師さんに「推薦」してもらったらしいのだが、母は「牧師さんに、相当、お金渡したんじゃないか」と言うのです。 母は大阪府箕面市の日本キリスト教団のM教会に通っていたのだが、小学生や中学生の頃、私もクリスマスなどの時に行ったことがあった。その時、牧師さんが「本日、洗礼を受ける方が3人おられます」と紹介された中で、「これはお話してもいいと私は思うのですが、◇◇さんは御両親が教会員で、御本人もこれまでからずっと教会に来ておられたのですが、洗礼は受けておられませんでした。この度、高校を卒業して▽▽短大に推薦入学で進学でしたいと考えられたのですが、そのためには洗礼を受けていることが必要だったのです。それで、この際、洗礼を受けようと考えられたのです。私はこれはかまわないと思っています。」と話されたということがありました。私も「かまわない」と思います。それまでから、教会に通っていた人で洗礼は受けていなかったという人が、キリスト教系の大学なり短大なりに推薦入学で進学したいと思い、その時に、この際、洗礼をうけようと判断したというのは、悪いことではないし、「かまわない」と思うし、又、それを秘密にする必要もなく、話してもかまわないとも思います。 しかし、父の場合は、それまで、キリスト教とも教会とも特に縁があったわけでもなかったらしいものを、同志社大学に入れてもらうために、牧師さんに頼んで「推薦」してもらった・・・ということだったらしく、教会にずっと来ていたわけでもない人を、突然、洗礼を受けさせて「推薦」して同志社に入れるということを牧師さんにしてもらったということは、「相当、カネ渡したのではないか」・・・・て感じが・・・しないではありません。 しかし、父としては、本当に行きたかったのは慶應であって同志社ではなかったのですが、祖父が見つけてくることができたのは、同志社に入るコネクションのある牧師さんであって、慶應に裏口で入るコネのある人を見つけることはできなかったようです。祖父は、もともと、浄土真宗本願寺派だった家の宗教を父の代でキリスト教に改宗することにより、父を同志社に入れたようですが、父としては「わしはほんまは慶應やねんぞお」という思いがあって不満だったようです。だから、私に言い続けたようです。「おまえはほんまは拓殖じゃ。わしはほんまは慶應やねんぞ、ほんまは慶應。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、拓殖ぅ!」と。
   こう考えると、「焼き討ちじゃあ。焼~き討ちじゃあ」と叫びまくる焼き討ち織田信長大好き人間が、不思議なことに、なぜか、キリスト教の洗礼を受けた・・・という理由がわかってきます。なるほど。 で、そういう人ですから、だから、洗礼を受けた「クリスチャン」でありながら、「『宗教はアヘンでR』とマルクスは言うてお~る」と右翼反動産経新聞大好き人間のくせして、その部分限定で「教条的マルクス主義者」になったということか・・・と、そのあたりのからくりもわかってきます。 祖父は父の希望通り、慶應に裏口入学できるコネを捜してくればよかったのでしょうけれども、残念ながら、祖父が捜すことができたのは同志社に推薦入学で入るコネであって、慶應に裏口で入るコネは捜せなかったようです。 その結果、それから何十年も後に、父は私に「おまえは自分が努力したから慶應に入ったのとは違うねんぞ。わしがえらいから入れてんぞ。おまえはほんまは拓殖じゃ、この拓殖めがあ。わしはほんまは慶應やねんぞお、わしはほんまは慶應」と言い続けることになったようです。 関西慶應義塾高校を作ろうではないかという話が慶應の関係者の間で時々でては消えていますが、高校だけではだめだと思います。関西の人間にとっては、「慶應みたいなもん」て感覚ですから、成績のいい生徒にとっては京大・阪大・神戸大の方がいいに決まっています。 もし、作るなら小学校から、関西慶應幼稚舎・関西慶應中等部・関西慶應義塾高校と作れば、小学校から慶應に行かそうという人が出てくると思います。 そして、内部進学で慶應に行った「本物の慶大生」が、「この僕は中等部から慶應に行ってんだぞお。おまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ」と某教授みたいにおしゃるようになるでしょう。めでたし、めでたし・・となるでしょう。そういう文句を聞かされて、私みたいに公立小学校→公立中学校→公立高校・・・から国立大学に行く予定だったのに、「慶應みたいなもん」に行かされてしまったという人間が、うんざりさせられると(う〇こ まみれのザリガニで「うんざり」)、「この僕は中等部から慶應に行ってんだぞお。わかってんのかあ」と教授・助教授はますます調子にのって教壇で叫ばれるでしょう。「ほとんどビョーキ」みたいな人が。


    母は「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学に行けて、やりたい勉強をすることができて、就きたい仕事につけるようにと思って、無理にでも勉強させるもんなんや」とウソッパチを言って私に勉強させたのですが、大学に進学する時になると、父は「甘ったれておってはならんぞ、チャンコロ」と言い、私は日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に行かされてしまいました。 その一方で、母が通っていた 大阪府箕面市の日本キリスト教団M教会の牧師のS田さんは、大阪経大しか行けなかった人なのに牧師にならせてもらっていたのです。 私は、東大の文学部か京大の文学部にでも行って哲学科か宗教学科に進めば、そういった研究をするべく大学院に進んで学者としてそういう道に進むことができるのではないか、さすがに、東大の文学部とか京大の文学部に進んで、そこで良い成績を残せば、父母も理解してくれるのではないかと考えたのですが、そんなことを考える親ではありませんでした。 それに対して、M教会の牧師のS田さんは、私より少し年上でしたが、大阪経大しか行けない人間のくせしてからに、牧師になっていたのです。 正確には「大阪経大卒で牧師になった」のではなく「大阪経大を卒業した後、さらにトーシンダイ(東京神学大学)http://www.tuts.ac.jp/ に行って牧師になった」ようです。 「大阪経大卒」では牧師にはなれません。同志社の神学部とか関学の神学部とか、そうでなければ、トーシンダイとかに行かないと牧師にはなれません。 私は、牧師になりたいと考えたことはあまりありませんでしたが、東大の文学部とか京大の文学部とかの哲学科・宗教学科・史学科で宗教哲学とか宗教史とかを研究する学者になりたいと考えたことがあったのですが、父は絶対にそういうものは認めませんでした。 慶應大の商学部にいやいや入らされた年、商学部の先生でデンマーク語を指導される方があったので、キルケゴールの研究をしたいと思って、白水社から出ていた『デンマーク語入門』を買ってきて学習していたところ、父が日吉台学生ハイツの部屋に来てそれを見つけ、「これは、いったい、何なんや」と言い、「デンマーク語みたいなもん、勉強せんでよろしい」と言うので、「勉強したいんや」と言ったのですが、「デンマーク語みたいなもん、そんなもん、勉強せんでええんじゃ。甘ったれるな!」と言って、とりあげられはしなかったけれども、とりあげられるようなそんな感じになりました。「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学に行けて、やりたい勉強をすることができて、就きたい仕事につけるようにと思って、無理にでも勉強させるもんなんや」などという嘘八百を本気にしてしまった私はつくづくアホでした。
    父は「哲学とか宗教学とかを勉強するとノイローゼになるぞ」とか「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うておるぞ」とか、医者屋のM川から吹き込まれた「理屈」を主張して、私が哲学や宗教学を学ぶのを妨害しようとしたのですが、ところが、M教会のS牧師については、そうは言わなかったのです。 東大の文学部なり京大の文学部なりに行けば、さすがに、そこまで勉強した人間にそれをやめろとは言えないだろうと親も考えてくれるのではないかと私は期待したのですが、そんな期待をすること自体が「甘ったれとる」というのが父の主張でした。「すべてを親こっこっこのためにささげつく~す。わしに尽くすねんぞ、このわしにい。すべてをこのわしのためにささげ尽く~す。とってちってたあ~あ!」というのが父の認識でした・・・が、それはあくまでも私にであって、S田さんには違った。「S田牧師さんは大阪経大やねんぞお。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ。おまえとは違って大阪経大やねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ」と言うので、「なんで、大阪経大みたいなもん、行く人がエライんですかあ?」と言ったところ、父は「わからんのか、チャンコロ」と言うのです。「S田さんは家が貧乏やったから、おまえみたいに慶應なんて行かせてもらえんかったいうことじゃ」と言うのです。慶應(東京のケー大)と大阪経大(大阪のケー大)はいずれも昔から「国立大学よりは高いが私立大学の中では学費は安い方」の大学でしたが、どちらがより安いのかは知りませんが、大阪経大(大阪のK大)に行った人というのは慶應大(東京のK大)に行くカネがないから大阪経大に行ったのでしょうか? 大阪のトウ大(桃山学院大学)に行った人というのは、東京のトウ大(東京大学)に行くと交通費と下宿代がかかるから、だから大阪のトウ大に行ったのか? 「ち~が~う~だ~ろ」。 「家が貧乏やったから」と言うなら、私立の大阪経大に行くのではなく学費が安い国立の東大でも京大でも現役で行けばいいではありませんか。なんで、私立大学に行くのでしょうか。大阪の人間が東大に行くには交通費がかかると言うのなら、阪大(大阪大学)に行けばいいではないか。なんで、わざわざ、私立大学に行くのか? そもそも、大阪経大が私立大学の中では安い方の学費であったとしても、大阪経大を卒業した後、トーシンダイ(東京神学大学)なんて私立大学にまた行ったのでは、2つ合わすと決して安くないはずなのです。「家が貧乏やった」人というのは、なぜ、私立大学に2つ行かせてもらえるのでしょうか?
    S田さんは、「私は子供の頃から、債権者に追われて大変な思いをしてきた。債権者に追われることほど大変なものはない。債権者に追われる経験をした人間は、どんなことだってできる」とか、毎度毎度、「牧師説教」として話されるのですが、毎度毎度、何度も何度も、「債権者に追われたのは大変な経験だった」と話されるのなら、せめて、10回に1回でもいいから、「本来なら払ってもらわないといけないものを払ってもらえずに逃げられた人間の大変さ」というものも、ちょっとは考えたらどうかと思うのですが、そういう思考は欠落しているようです。 「家が貧乏やったから慶應なんて行かせてもらえんかったんや。家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや」とおっしゃるのですが、「家が貧乏やった」のなら日本育英会奨学金で学費分を支給してもらうことができたはずで、日本育英会奨学金を受給できた場合、出してもらえる金額は「学費分」ですから、慶應大と大阪経大で慶應大の方が学費がいくらか高かったとしても、行く人間にとっては一緒のはずですし、慶應大には慶應義塾奨学金というものがあって、日本育英会奨学金で学費を出してもらった人には自動的に慶應義塾奨学金から生活費を出してもらえるという制度があったはずなのです。他の大学に同様の制度があったかなかったか知りませんが、慶應は金持ちの学校みたいなイメージがありますが、大学に関しては貧乏人でも行けるようにという制度が相当ある大学です。S田さんは、もし、慶應大に行きたかったのなら、そういう制度を利用して行けばよかったのです。なぜ、行かなかったのでしょうか? 毎度毎度、「牧師説教」として言うのです。「子供の頃から債権者に追われて・・・」「家が貧乏やったから大阪経大に行った。家が貧乏やったから慶應なんかには行かせてもらえなかった・・」と。それが「牧師説教」です。 そして、言うのです。「祈りましょう」と。

    日本キリスト教団M教会に来ていた人で、私より少し若いくらいの男性が、S田牧師さんが行った大阪経大と同程度の評価の私立大学を卒業して就職したけれども、会社でうまくいかないので、牧師屋に転職したいと考えたが、牧師屋になるためには、関学の神学部とか同志社の神学部とかトーシンダイ(東京神学大学)とかに行かないとなれないので、そういう大学に行き直したいと思ったが、しかし、そうするには卒業するまでの学費と生活費が心配だと逡巡した人がいたらしい。 そこで、大阪経大卒にしてトーシンダイ(東京神学大学)卒の「おまえなんかと違って大阪経大やねんぞお。おまえみたいに慶應なんか行ってへんねんぞお」というおえらいS田牧師さんが、その三流以下私立大学を卒業して会社づとめをしたけれどもうまくいかないので牧師屋に転職するために牧師養成所としての神学部に行くための費用を、教会の人達で「特別献金」しましょうと呼びかけたのだ。はあ? はあ~あ?
    私は、東大の文学部なり京大の文学部なりに行って、そこで一生懸命学習していい成績を残せば、さすがに、宗教哲学なり何なりの研究の方向に進むのをだめだとは言わない、言えないだろう・・・と思った・・・のだが、言うのだわ、我が家の親は。 まず、「京大やったら、家から通うべきや。甘ったれておってはならんぞ、甘ったれておっては」と言い、「京大はアカやからいか~ん」とも言ったのだ。 そうなると、東大に行くしかないことになる。ところが、「法学部以外なら東大に行くことない」とも言い出した。それまで、「下宿して大学に行くのなら、京都で下宿するのも、東京で下宿するのも一緒や」と言っていたおっさんが。 そうなると、あの家を出るためには、そうなると、東大の文科1類(法学部に進学するコース)に行くしかないことになる。 さらには、「あんた、箕面市役所にでも勤めてくれたら、一番ええんやけどな」などと言い出した。最終的に通るかどうかは別として、東大なり京大なりに行こうとする人間に対して、「あんた、箕面市役所にでも勤めてくれたらええんやけどな」て、よく言うよなあ・・・・と思うが、それがうちの父親だった。「甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては」と。
    慶應大の商学部にデンマーク語の指導もされる先生がおられ、白水社から出ていた『デンマーク語入門』を買って来て学んだりしていたところ、父がそれを見て、「それはいったい何や」と言い、「デンマーク語みたいなもん、勉強せんでもええ。甘ったれるな。大学は勉強する所とは違うんじゃ、大学は」と言って、とりあげられはしなかったけれども、とりあげられるような感じになった、ということがあった。 母は「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、やりたいと思う勉強ができるようにと思って、子供の頃から無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていたのだが、そして、アホの私はそんなヨタ話を本気にしてしまったのだが、実際は、我が家はそうではなかった。「てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん。一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ! すべてを親コッコッコのために、ささげ尽く~す。 わしのためにやぞ、このわしのために。『親に感謝』じゃ。 親に感謝の気持ちを込めて、すべてを親こっこっこのためにささげ尽く~す」と、父は毎日毎日言いまくりました。「私よりも父または母を愛する者は私にふさわしくない」とイエスは言われた・・・と『福音書』に書かれていたはずですが、そういうことを教える邪教は決して許してはならない! というのが、クリスチャンでした。
    運動選手になりたいとか、画家になりたいとか言うなら反対されるかもしれないが、そうでない普通の仕事なら、何を選ぶかは本人の自由だ・・・と考えてくれるだろう・・と思っていたのですが、あまりにも、見通しが甘かった。考えが甘すぎた。我が家はそんな家庭ではなかった。 父はこう言った。「親に感謝せえよ、親に。このわしに感謝すんねんぞ、このわしに。わかっとんねんやろなあ、チャンコロ。 チャンコロを生んでくださったのは女やなんぞと思うてはならんぞ、チャンコロ。おまえが生まれたのは、母親のおかげやのうて、このわしのおかげやねんぞ、チャンコロ、わかっとんねんな、チャンコロ」と。 母が産んだのではなく、おっさんが産んだのか? とすると、いったい、私はどこから出てきたのか? ケツの穴から出てきたのか。う〇こ みたいに。 なんか、汚なそうやな。 それとも、ち〇ぽ の先端の穴から出てきたのか。 なんか、出す時、痛そうやな。 父はこう言ったのだ。「女は単なる畑やねんぞ、わかっとんねんやろな、チャンコロ。女に産んでもろうたなんぞと考え違いを起こしてはならんぞ、チャンコロ」と。 「畑にやなあ、種を植えてやってやってあげてあげてもらってもらってあげてやってあげていただいてくださってもらってもらってあげてやってくださってあげてやってやってやってやってやったった方に感謝せんといかんねんぞ。 畑が芽を出したのとは違うねん。茄子でも胡瓜でもそうやろ。種が芽を出してんぞ。そんでやなあ。種が芽を出したなら、育てるのはそれは畑の役目じゃ。 甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては。そんでやなあ、種が芽を出して実がなるようになったらやなあ、その実については、種を植えた者に権利があるわけや。畑に権利があるのとは違うんや。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわ~けがない! わしの権利じゃ、わしの権利じゃ、わしの権利じゃ」と。 そう言い続けたのだった。 茄子には自分自身について何の権利もないらしかった。
   父は、茄子に対しては種を植えた者に権利がある、と考えていたようだった。又、父は「わしはドイツ人やねん。天の神さまは大変賢明なお方であって、人間をひとに命令したり号令かけたりする民族・階級と、ひとから命令されたり号令かけられたりしてせっせせっせと働く民族・階級とに人間を2つに分けてお造りになっておるんや。 わしとかT子さんはドイツ人で、あんたはチャンコロやねん。ドイツ人は命令したり号令かけたりする民族。あんたはチャンコロで、チャンコロは命令されたり号令かけられたりして、せっせせっせと働くことに喜びを感じる民族。 ドイツ人はドイツ人らしく、チャンコロはチャンコロらしくするのがその人間にとっての幸せというものなんや。これは、神さまがお決めになったことであって、決して決して変えようなどとは考えてはならないことやねん。神さまに逆らってはならぬぞ、チャンコロ。ゆめゆめ、神さまがお決めになったことにたてついてはならぬぞ、チャンコロ」と、父は毎日毎日、私の鼻の頭を指さして言い続けた。「ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ」と。
    父と上の姉のT子さんは「ドイツ人」だそうで、「常にひとを支配しなければならない、命令しなければならない、服従させなければならないと神さまから命じられた民族・階級」らしい。 私は「チャンコロ」であって、「ひとから命令されて号令かけられて、せっせせっせせえっせと働くことに喜びを感じる民族・階級」だそうだ。 それなら、母と下の姉は何人なんだ・・・というと、「日本人」だったらしい。 で、日本人は思うのだった。なぜ、「ドイツ人」は「チャンコロ」を支配することが認められるのに、「日本人」は「ドイツ人」と同じことが認められないのか。これは不公平だ、と。「日本人」もまた、「ドイツ人」と同じ条件が認められるべきではないのか、と。 三国干渉でリャオトン半島の租借を「ドイツ人」などから否定されたというのは、これは、「日本人」としては屈辱だった。「日本人」もまた、「ドイツ人」と同等に「チャンコロ」を支配する権利があるはずだ、と。 下の姉は「あなた、T子さんの言うことならきくくせに、なんで、私の命令きかないの。私の命令ききなさいよ」と。 母は「娘は結婚したらよその家のもんやから、こちらが言うことをきかんといかんが、息子はうちの所有物やから、何でも言うことをきかせて当然や。親には息子には所有権という権利があるんやから」と言っていた。 親には息子には「所有権」があるそうだ。だから、「どんなことでも言うことをきかす権利がある」そうだ。 「こいつは、老後の対策のために産んだ子供なんやから、老後の対策のため以外のことなんて、何ひとつとして、させてなるもんかあ」・・・・と、母はそう言った。それが、「チャンコロ」だそうだ。父は、それが、《「チャンコロ」の運命》で、「チャンコロはそういうのを喜ぶねん」と言った。 「私、喜びませんけど」と言ったが、「何を言うとるんじゃ、チャンコロ。つけあがるなよ、チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロ。増長してはなんぞ、チャンコロ。つっけあがるなよ、チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころ、ちゃんちゃんころころ、ちゃんこ~ろころ♪」と毎日毎日私の鼻の頭を指さして言い続けた。
    神さまは、そのように、人間を「ドイツ人」という「ひとを支配し命令し号令をかける民族」と、「ドイツ人」と平等な権利があるはずだと思っている「日本人」という民族と、その双方から支配され命令され号令をかけられるのを喜ぶ民族である「チャンコロ」との3種類に人間を分けてお造りになった・・・そうである。そして、私はその「支配されるための民族」「服従することを喜ぶ階級」として神さまに造られた人間だそうだ。「てってこっこ、てっててぇ! てってこっこてっててぇ♪ てってこっこてっててってらったらったらったらあ~あ!」「どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃ、ちゃ~ん♪」と。〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕

   父は「あんたは、何でも何でもドイツ人のわしに決めてもらうのが一番の幸せやねん」と言っていた。母は「何でもお金を出す者に決める権利があるんや。大学は親がカネだしてんねんから、親にどこに行くかもどういう学部に行くかも決める権利があるはずや」と言った。父は「そうや、そうや。自分が行きたい大学学部に行こうなんぞと言うのなら、新聞配達やって大学行きなさい。甘ったれておってはならんぞ、チャンコロ。甘ったれておってはならんぞ、チャンコロ」と言った。 最初、私は、それなら、せめて、もしも、我が家が日本育英会奨学金を受給できる程度の親の年収なら、日本育英会奨学金を受給できる金額、即ち、学費分だけでも出してもらえないか、そうすれば、生活費は新聞配達なりそれ以外のアルバイトなりをやって自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くのだが・・と思ったが、父も母も日本育英会奨学金で出してもらえる金額だけ出すなどとは夢にも考えなかったようだ。 それならそれで、せめて、高校1年の初めにそういうことを言ってくれれば、たとえば、自治医大とか、学費タダ・寮費もタダで、卒業後、医者として出身地の都道府県のへき地の病院に何年か勤務することが条件という大学に行くとか、そういうことを考えたのだが、高校を卒業する時になって、「何でも、カネだす者に決める権利があるんや。親がカネだす以上、決める権利はすべて親にあるんや。飼い犬に権利があるわけないんや」と二人そろって言うようになった。
    私は、「それなら、学費も生活費も出していりません」と私は言ったのだ。「自分で生活費と学費を稼ぎながら行きたいと思う大学の行きたい学部に行きますから」と、私はそう言ったのだ。「だから、自由にさせてください」と。ところが、母は「そうはいかんやろうが、これまで、育てるのにカネかかってるでしょ。それを返しなさいよ。あんたが生まれてから今までにおカネかかってるでしょう」と言うのだ。そう言うので、「それなら、それは将来返します」と言ったのだが、母はそれでは承知せず、「将来ではいかん。今すぐ返しなさい。今、あんたがはいてるパンツを脱いで返しなさい」と、そういったのだ。となると、今すぐ、生まれてからその日までにかかったカネを返さない限り、強姦魔の大学・慶應に行かされるのを拒否できないということになってしまうのです。私は、何と言っても、強姦魔の仲間入りをさせられるのは嫌だったのです。「仲間入り」でもありません。慶應という大学は「最低でも高校から行っているのが本物の慶大生」という大学で、大学だけ行ったという人間は「本物の慶大生」ではないのです。特に、慶應の教授は私が卒業した北野高校という高校が嫌いで、講義の最中とかにはっきりと固有名詞を出して言うのです。「北野高校の人間というのはねえ。私学よりも国立とか公立とかの方がいいみたいに思っているでしょう」と。慶應の教授にとってはそれが不満らしいのです。「北野高校の人間というのは、『どうして、私学だったらいいんですかあ』なんて言うでしょう。バカか! 私学だってことは、いいってことじゃないか! 北野高校の人間はこんな常識がわからんのかあ! 北野高校の人間というのはどうかしてるんじゃないか」とそうおっしゃるのです。内部進学のおえらい方が。要するに、内部進学というのは、慶應義塾カーストでは上層の人達であり、その下に私立高校出身者というのがいて、公立高校出身者というのは、慶應義塾カーストでは最底辺になるわけです。何も物好きにそんな変な学校に行かなくても、と思いますね。「どうして、『私学だったらいいうってことが常識なんですかあ?』と言いたくなりますが、言うとまた、『私学だったらいいってことは常識だ』という常識もわからんのかあ」とか言い出すでしょうから、だから、そういう「ほとんどビョーキ」≒「本物の慶大生」≒「自我が確立されている」≒「社会で役に立つ」≒「ギャルにもてもて」≒「独立自尊」≒「福沢精神」 なんて、相手にしない方がいいでしょう。福澤諭吉がそういう人だったかというと違うと思いますが、自称「福沢精神」は福澤諭吉の著作や福澤諭吉の伝記なんて1冊も読みませんから、そして、「福沢精神」とは内部進学の人が「福沢精神」であり、私のように福澤諭吉の著作を何冊か読み、福澤諭吉の伝記やその時代の歴史について何冊か読んで、福沢諭吉の思想とはどういうものを言うのか、福沢精神とはどういうものを言うべきかと考える人間というのは、まず、そのこと自体が「福沢精神に反する」ということになりますから。「あなたがたは、我が子が魚を欲しているのに蛇を与えることがあるだろうか」とイエスが言ったという話が『福音書』にありますが、私の親は、私に小学校の1年から努力して勉強して、そうすれば、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けるとだまして、そして、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に行かせて、しかも、そんな所に行かされるくらいなら、もう、大学なんて行かなくていい、慶應みたいなもんに行かされるくらいなら行かない方がいいと私がはっきりと言っても、それでも、「それなら、生まれてから今までにかかったカネを今すぐ返しなさい。あんたが、今、はいているパンツを脱いで返しなさい」と言ったのです。そうでなければ、強姦魔の下男をさせられる大学に行かされるということです。2~3年前だったか、「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったかに、慶應幼稚舎についての特集が掲載されていましたが、そこに、幼稚舎から慶應に行って大学まで卒業したという人が「慶應は大学だけ行けばいい学校だ。小学校から高校までは行く必要はない学校だ、と思います」と話してられた方がありましたが、私は逆だと思います。「慶應は最低でも高校から行くのでなければ、行く必要のない学校だ」と思います。そもそも、小学校の1年から努力して勉強してきたのに、強姦魔の下男・婢をさせられるための大学なんぞに行って、楽しいですか? うれしいですか?
   親のない人、片親のない人は、両親がそろっている人間よりも大変だと言う人がいますが、そういうケースもあるかもしれませんが、そうでもないケースもあります。 大学進学においては、片親の人でも、残っている方の親が大学進学において理解のある親である場合は、両親がいても、両親ともに理解のない親である場合よりも有利であることが多いと思います。 私の親は「親には息子に対しては所有権という権利がある」と主張していたのです。 もし、親が片方だけだったとすると、自分に対して「所有権」を主張する人間が、2人ではなく1人だということですから、その分、負担は軽いことになります。 両親がいた方が学費を出してもらえるから行きたい大学の行きたい学部にいけるなどと突拍子もないことをおっしゃる方がおられますが、違います。片親の人でも、残った片親に年収がある人もいます。親の年収が少ないなら、奨学金もらって行きたい大学に行けばいい。もしくは、自治医大とか防衛大・防衛医大とかいったタダの大学・大学校に行けばいいのです。親がいないことによって学費に困るなら、奨学金をもらって行けばいいことで、慶應なら慶應義塾奨学金として生活費も出してもらえたのです。それでも、生活費に困るなら、働きながら大学に行けばいいじゃないですか。ところが、日本キリスト教団のS田牧師さんは、「自分は家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや。慶應みたいなもん行かせてもらえんかった」とか言うのです。なんで、行けないの?
  (2018.1.16.)

 次回、 私の親が私には出してくれなかったカネを「特別献金」で払ったカネで 私大出の男がトーシンダイに行った。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_10.html 

"国立大の宗教哲学科に行かせてもらえなかった私、経大と東京神学大に行った牧師―早稲田奉仕園【5/6】" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント