サンクトペテルブルグ室内合奏団 コンサート・市川文化会館。室内合奏団+声楽 は誰が指揮すべきか。

[第335回]
   「サンクトペテルブルグ室内合奏団 クリスマス/アベマリア」演奏会 を、12月13日(水)、千葉県市川市の市川文化会館 で視聴してきました。
   サンクトペテルブルグ は、私が小学生や中学生の頃は、レニングラード と言っていました。 ロシア革命の前は ペトログラード、その前は ペテルブルグと言っていました。 「ピョートル大帝の街」ということで、ロシア語の「ピョートル」は新約聖書の登場人物としては「ペテロ」、英語では「ピーター」、当初、西欧化の傾向からドイツ語の表現で、ハンブルグとかのようにペテルブルグと命名されたものの、ロシアがプロイセンと戦争するようになると、ブルグをロシア語で都市・街という意味のゴーラットに変更してペトログラード、ロシア革命の後、皇帝の名前であるピョートルを街の名前につけるのはふさわしくないということで、レーニンの街という意味のレニングラードになった・・・のをソビエト連邦崩壊の後、サンクトペテルブルグになったわけですが、レーニンの街がだめでピョートル大帝の街はいいのか? とも思ったのですが、「サンクト」・・・「聖なる」と頭につくということは、「ピョートル大帝の街」ではなく「聖なるペテロの街」という意味になった、ということでしょうか。

   今回、このサンクトペテルブルグ室内合奏団の演奏会は、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸といった大都市だけでなく、入間(埼玉県)・棚倉(福島県)・八王子(東京都)・大田原(栃木県)・南足柄(神奈川県)、それに市川(千葉県)に、浜松(静岡県)なんて所も行脚するというものです。
   私が視聴したのは、千葉県市川市の市川文化会館でのものです。
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↑ 演奏開始後は写真撮影や録音は控えてください、ということでしたので、演奏開始前は撮らせてもらってもいいということかと思って撮影させてもらいました。座席の色合いも悪くありません。

私は、歩けない年寄を連れていきましたので、自家用車で行きましたが、電車の駅としては、JR総武線「本八幡」・京成本線「八幡」・都営新宿線「本八幡」が最寄駅です。

   演奏曲目は、声楽曲のバッハ/グノー・カッチーニ・シューベルトの3つの「アベマリア」と、バッハの「G線上のアリア」、マスネ「タイス」より「瞑想曲」、マスカーニ「カヴァレリア=ルスティカーナ(いなかの騎士道)」などの器楽曲でした・・・・で、アンコールが2曲。1曲は「きよしこの夜」を女性歌手が日本語で歌いました。
   どうかなと思ったのは、声楽曲の「アベマリア」です。どうも、楽器と声楽がぴったり合ってないという感じ だったのです。というより、歌手としては、もうちょっと伸ばしたいというところで、楽器の方が先に行ってしまうのです。それが一度だけではなく、何度も何度もです。楽器の方の指揮は、コンサートマスターが、バイオリンを弾きながら指揮者を兼ねる時と、バイオリンを持っていても自分では弾かずに指揮者専業でやる時とあったようですが、一番の問題として、声楽曲の時、ソプラノの歌手は「指揮者」よりも前(観客側)に位置して、声楽家からは見えない位置に「指揮者」が立って腕を振っていたという点です。 もし、コンサートマスターが指揮者を兼ねるのか、もしくは、曲によって、指揮者専業として腕を振るのであれば、歌手は指揮者より後ろ、指揮者を見ることができる位置に立つべきです。 声楽家を別として、楽器だけの練習をする時なら、指揮者は楽器の演奏者だけを考えて振ってもいいかもしれませんが、声楽のある曲であれば、声楽家を無視して振ってはいけないはずです。
   根源的な問題として、声楽+室内楽 の演奏の場合、主導権は誰が取るべきなのか・・・という点がありますが、「主導権」なんて言っても、何人かで協力して演奏するのですから、「俺さまの言うことをきけ」なんて態度を誰かがとるべきではなく、演奏に参加する人間みんなが納得する演奏内容になるようにするべきです・・・・が、そうであるとしても、声楽のソリストとコンサートマスターでは、どちらが演奏の際に指揮者の役割を兼ねるべきなのか・・・という問題はあると思うのです。

   今回のコンサートは、「三大アベマリア」演奏会というのがキャッチフレーズというのかコピーというのかでした。「アベマリア」という歌曲は、グノー・カッチーニ・シューベルトの3人が作曲しており、その3つをともに演奏しようというものでした。
   「バッハ/グノー」という書き方がされているのはなぜかというと、《ウィキペディア―アベ・マリア(グノー) 》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC) には、≪1859年にシャルル・グノーがヨハン・ゼバスティアン・バッハの《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の「前奏曲 第1番 ハ長調」を伴奏に、ラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させた声楽曲のである。≫と出ています。一般に「バッハのアベマリア」ではなく「グノーのアベマリア」と言われることの方が多いのではないでしょうか。
   「カッチーニのアベマリア」は、《ウィキペディア―ジュリオ・カッチーニ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B には、≪ 実際には1970年頃ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov 1925-73)によって作曲された歌曲である。≫と出ています。

   こういった「声楽+室内楽」はどちらが主かというと声楽の方が主ですから、コンサートマスターが指揮をするのではなく、声楽家が指揮者を兼ねて声楽に合わせて楽器は演奏されるという方が本来ではないのかと視聴していて思いました。というより、あのコンサートマスター、余計じゃないかて感じがしました。たとえば、ピアノ協奏曲で、ピアノ奏者が指揮者を兼ねている場合があると思います。それと同様、声楽家が歌いながら、楽器は基本的にそれに合わせて演奏し、時として、声楽家が歌のない部分において腕を動かして指揮者の役割をする、というものでいいのではないか。 その場合、声楽家が楽器奏者より前にいて観衆の方を向いていたのでは指揮はできませんから、声楽家は楽器奏者の横の位置に位置するように立つのがいいのではないでしょうか。
   コンサートマスターが指揮者を兼ねるのが絶対に悪いとは言いませんが、その場合、声楽家は、コンサートマスターよりも後ろの位置、もしくは横の位置に立つようにしないと、コンサートマスター兼指揮者 の腕の動きは声楽家に見えません。 今回の演奏会はまさにそれでした。コンサートマスターは、バイオリンを弾かずに指揮者専業になって、そして、声楽家は無視して楽器奏者にだけ腕をふっていたのです。どう考えてもおかしいのではないかと私は思ったのですが、コンサートマスターというのか指揮者というのかは、私が、こりぁ、おかしいよと思うことを平気で続けたのです。
   又、ぶっつけ本番で演奏しているのではないはずで、演奏者がそろって練習はしているはずですから、その際に、どういう歌い方をするのか、どういうテンポで演奏するのか、声楽家と楽器奏者、特に、声楽家とコンサートマスターとの間で納得いくところまで議論し、打合せをして、互いにこれでいいと判断できるところを出した上で演奏するべきだったと思います。今回、どの曲もどの曲も、声楽家はまだもっと伸ばして歌いたい~というところで、コンサートマスターが次に進んでしまって、声楽家はしかたなしにそれに従って追いかけている・・・というそういう歌い方でした。

   ところで。何年か前、橋下徹が「クラシック音楽が好きだという人間はインテリぶりたい俗物だ」と発言したことがあったと思いますが、それは正しいか間違っているかというと、正しいとは言えません・・・・が、そんな人がいるということなら、実際、そういう人はいる、「インテリぶりたい俗物」になりたいために、「クラシック音楽が好きであるふりを一生懸命している人」というのはいると思います。これは、「建築家」とか「デザイナー」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか「なんじゃらアーキテクト」とかなんとかそんな胡散臭いものを名乗りだした 入学試験で受験番号と氏名さえ書けば合格できる五流大学の建築学科とかもともと試験なんかない建築の専門学校とかを卒業して、「ヒゲはやせばラーメン屋」みたいな感じで「ヒゲはやせば『建築家』」みたいにちょろちょろっとヒゲはやしたヤツ・・なんてのに似ています。五流大学の建築学科卒業したとかいうパッパしたヤツてのは、「丹下健三のエピゴウネン」になりたいなりたいとか思ってなるヤツとか、それもなれないヤツとかがいっぱいいるわけです。「慶應タイプの女たらし」になりたいなりたいなりたいとか思ってなるヤツとか、なりたいなりたいと思いながらそれもなれないヤツとかいますでしょ(笑) それと似たもんで、「丹下健三のエピゴウネン」になりたいなりたいなりたいなりたい・・と思ってなるヤツとか、それもなれないヤツとかって、建築業界にはけっこういますよねえ~え・・・そのテのアホが・・・。同様に、「インテリぶりたい俗物」になりたいなりたいなりたいなりたい・・とか思ってなるヤツとか、それもなれないヤツとか・・・ていますでしょ。そのへんに・・、いっぱい( 一一)
   ちびっと話がそれますが、「ヒゲはやせばラーメン屋」てのと「ヒゲはやせば“建築家”」てのは、なんか似てるのですが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区。 社内公用語は大阪弁。〕https://www.freedom.co.jp/ なんて会社には、なんだか、ちょろちょろっと「ラーメン屋みたい」なヒゲはやしたにーちゃんがいっぱいいたのですが、なんで、「ラーメン屋みたい」な格好したがるんだろうなあ~あ・・・? と不思議に思ったものですが、なぜか、そんな人がけっこういます。

   クラシック音楽にしても他のものにしても、「カッコから入るタイプ」て人がいても、別にかまわないとは思うのです。最初は「カッコから」入っても、そのうち、自分なりにその真髄をつかむようになれば、それはそれでいいのじゃないか。 まあ、「ヒゲはやせばラーメン屋」「ヒゲはやせば『建築家』」てのは、なぜ、「ヒゲはやす」という行為が「ラーメン屋」と「建築家」の初歩なのか、今ひとつようわからんのですけれども・・・。本多勝一が、植村直己とか堀江健一とかいった「冒険家」に会ってみると、「普通の顔」をしていて「普通の人」であって、変人でもないし特別に変わった顔をしているわけでもない、むしろ、少年雑誌に登場する「冒険家」みたいな顔をしている人間というのはたいした冒険のできないヤツが多い、といったことを書いていたと思いますが、「建築家」てのも、ヒゲはやしたからといって、別段、それで、「名建築」を設計できるてもんでもないと思うのですが、なぜか、「ヒゲはやせば建築家」「ヒゲはやせばラーメン屋」「ラーメン屋みたいなカッコすれば“建築家”」みたいな人というのがいます。
  そういえば、クラシック音楽の指揮者とか声楽家とかバイオリンのソロ奏者とかって、かつてならレコードジャケット、今だとDVDかCDの表紙の写真に写る際、なんだか、意図的に「芸術家みたいな顔」してますよね。なんで、あの人たちって、「普通の顔」できないのだろうな・・・なんて思うようになったのです。なんで、「特別の顔」したがるのでしょうね・・・。

    この市川市文化会館で、何年か前に、錦織健て男のコンサートを視聴しにきたことがあります。その際は、この大ホールではなく小ホールだったように思うのですが、錦織は歌詞を間違えて歌い、それを、後から告白してにやにやしていたので、この野郎! と思いました。この野郎! カタカナで歌いやがったな! と。歌というものは、何度も何度も歌い、その歌に対しての自分自身の思い入れがあってこそ、そして、その歌の意味を考えながら感じながら歌ってこそ、人さまに聴いていただくことができる・・・というものだと思うのです。外国語の歌詞の歌をカタカナで歌うなんてもってのほかです。 錦織が歌詞を間違えたというのは、カタカナで歌ったから間違えたのだと思われます。そして、間違えて、へらへら笑っていたのです。 笑えることとは「ち~が~う~だ~ろ、このハゲぇ~え」て言ってやりたいところでした・・・・が、実際には、日本にはそのタイプの「音楽家」というのがいるようです。
    スポーツの試合の初めだか終わりだかに、歌謡曲の歌手に「君が代」を歌わせるなんてことをすることがありますが、歌謡曲の歌手なんてもともとアホだからしゃあない・・・なんて思っていると、クラシック音楽の声楽家でも、そういう場に出てきて「君が代」を歌うような人がでてきたりしています。運動選手の場合は、「運動選手なんてアホやからしゃあない」みたいに見られる時もあるのですが、クラシック音楽の場合、「インテリぶりたい」ところからクラシック音楽をたしなんでみたりする人すらあるくらいですから、基本的には「インテリのするもの」という想定のもののはずなのですが、演奏会でもないのに出てきて「君が代」を歌うということに何の抵抗も感じないなどという人というのは、そういう人というのは、それはインテリではないと思います。そして、そんな人の歌う音楽なんてものは、それは音楽と言うに値しないのではないか。ソニーの会長だったかが何かの音楽雑誌に書いていたのですが、バリトンの歌手のヒュッシュから、「シューベルトの歌曲集『冬の旅』を歌いたいと思ったなら、まず、冬のドイツに行ってください。冬のドイツのどんよりとした空を知らずに『冬の旅』は歌えません」と教えられたらしい。発声法がどうの音程がどうのというよりも、歌曲集『冬の旅』を歌うために最も必要なものは、冬のドイツのどんよりとした空を体験したことがあるかどうかだ、と。外国の歌をカタカナで「声楽家」と称する人間が歌えば、日本人の「インテリぶりたい俗物」は喜んで聴くだろう、この人が「声楽家」ですよおと言われた人間の演奏会なら、「世界の丹下健三」とか「世界の磯崎」とかが設計したという建物なら、「丹下健三のエピゴウネンになりたい病」みたいなヤカラはせっせと称賛する・・みたいに視聴者は大喜びして称賛するだろう・・・みたいなヤカラの歌なんてものは、二束三文だ。

   今回、市川市文化会館で視聴していた時には、音響は悪いとは思わなかったのですが、ロビーで販売されていたサンクトペテルブルグ室内合奏団演奏のCD(光藍社 発行)を購入して聴いてみると、どうも、「CDの方がいい」のです。ということは、市川市文化会館の音響が悪いと特に感じなかったけれども、やっぱり、良くはなかったのか? それとも、この「サンクトペテルブルグ室内合奏団+マリーナ=トレグボヴィッチ・ナタリア=マカロワ(ソプラノ)」は、日本でずいぶんとあちらこちらの会場で演奏会を開催するので、それぞれの会場の音響がどういうものか確認せずに演奏会に臨んでいたので、それで、市川市文化会館の環境に沿った演奏というものがされていなかった、ということなのか・・・?

   私は小学校の4年の時に、大阪市内から大阪府の北摂地区に引っ越して転校したのですが、小学生の図画工作の時間に描いた絵を、転校前の小学校の時と、転校後の小学校の時と両方で、大阪府の大会に出したいので絵をもらいたいと先生から言われて渡したことがあります・・・・が、その「大阪府の大会」に出してその後どうなったのかはいっこうに聞かないので入選とかはしなかったのかもしれませんが、絵にしても彫刻にしても好きだったし、小学校の時の図画工作の成績も中学校の美術の成績も悪くない成績を取っていました。小学生の時、近所で高校の音楽の先生をしている方が、土日、自宅でピアノを教えておられて、そこに、毎週、ピアノの練習に通い、その後、北摂地区に転居した後、その先生の妹さんが自宅でピアノ教師専業で教えておられた所に通いました。発表会の時、私が演奏させられた曲は、前年、そのピアノの先生の息子さんがひかれた曲で、母から「先生の息子なんかに負けたらいかん」と言われたのを覚えています。そう言われて練習したのですから、「先生の息子なんかに負けたらいかん」というだけの練習をして、「先生の息子」に劣らないだけの成果を出せば、「先生の息子」と同様に、音大にでも行かせてもらえるのだろう・・と勝手に思い込んだのが運の尽きでした。母はそんなこと、ちっとも考えていかなったようです。最初に行った府立高校の音楽の先生の妹さんは、自宅で相当の人数の生徒を教えていたのですが、今、考えてみると、「たいした先生じゃなかった」。バイエルやって、その後、ツェルニーだかソナチネだかやって、その後、次はそれより難易度が高い物をさせてもらえるだろうと思ったら、またもや、バイエルに毛が生えたくらいのくだらない本を渡されて、「こういう基礎をきっちりとやるのが大事だから」と言われて、野球の素振り・テニスの壁打ちみたいなことばかり大量にさせられたが、今、考えてみると、あの先生は、あの程度のものしか教える力のない人だったということだと思います。「ピアノなんか習って、おまえは女か!」とか同級生から言われるのが嫌でしたが、そんなことは言うやつが間違っていると思っていました。姉2人は、どういう人かよくわからんのですが、ともかくも、「ピアニスト」と認定されていた先生の所に行って指導を受けていたらしい。それにもかかわらず、たいしてできるようにならなかったらしい・・・が、母に、「私にその先生に習いに行かせてほしかった」と言ったことがあります。高校の時、音楽の科目の教育実習に来た北野高校のOGの女性なんかは、突然、どんな楽譜を渡されても、その場でさっさとひいてみせたのです。何の苦労もなく。 ああいう人って、どうやってそういうことができるレベルになったのだろう・・・なんて考えたことがあります・・・・が、ひとつには、ついた先生が違うのではないか。やっぱり、音楽家の中でどのくらいの評価の人かはさておき、ともかく、「ピアニスト」と言われる人に指導を受けるのと、「ピアノの先生」と言っても「近所の子供のお守り」とたいして変わらないような先生、その「教室」の待合室に行くと、「マーガレット」とか「少女フレンド」とかが置いてあって、女の子は半分はそれを見に行っているような「ピアノの先生」(実は、「男の子」も「マーガレット」とか「少女フレンド」がけっこう面白かったりもしたのですが・・・)の指導では、上達はやっぱり違うのではないかと思うようになりました。最近では、DVDというものが一般的になって、ピアノ曲などはピアニストの演奏をピアノの鍵盤の上の手の動きを映しながら見ることができますが、最初に行った先生からは、「手を立ててひきなさい」と言われて、「なんか、ひきにくいなあ」と思いながら、一生懸命、手を立ててひく努力というのをやったが、最近、DVDで「世界的ピアニスト」の演奏状況を見ると、誰だったか、「世界的ピアニスト」は、その頃の私よりずっと寝かせた感じの手の形でひいていたので、あの先生の指導はあんまり適切ではなかったのではないか・・・と思うようになりました・・・・し、やっぱり、「ほとんど、近所の子供のお守り」みたいな先生についていたのでは、「ピアニスト」に指導してもらったのとは上達の度合に差があるように思いました。で、母に言ったのです。私の方が学校の成績だって姉よりできたのに、なんで、姉には「ピアニスト」に習いに行かせて、私には「近所の子供のお守り」みたいな先生の所に行かせたのか、私にその先生の所に行かせてほしかった・・・と。すると、母はこう言ったのです。「男の子だから、どうせ、中学校に行く時には、やめさせるのだから、だから、その程度の先生でもいいと思った」と。人生70年と考えても、人生80年と考えても、真ん中を過ぎた時点になって知りました。母は私に「やめさせるためのものをさせていた」ということを。 「やめさせる予定のものを、『先生の息子なんかに負けてはいかん』と言って誰よりも優秀なできで演奏できるように尻をたたいたということを。「二番ではだめなんですか。一番でないとだめなんですか」なんて言おうものなら、えらい怒られた。「一番になりなさい。あんたよりできる子がいていいわけないでしょう」と言われて。 そう言われて、「二番ではだめなんですか」なんて発想は存在せず、「一番でないと」と思ってやって、その結果、「男の子なんだから、中学校に行く時にはやめさせるものだから」と、母はそう思っていたそうです。やめさせられるもののために、必死になって努力して練習していたようです。

    高校に入学する時の試験は、大阪府の公立高校の場合、数学・英語・国語・理科・社会の5科目は、内申書の成績と入学試験の日の成績を合わせて評価し、保健体育・音楽・美術・技術家庭の4科目は内申書の成績で評価してその総合点で合否が決まりました。 私の場合、実は、内申書の成績でも音楽と美術は10段階絶対評価で「10」でしたし、9科目の中で何が得意かというと、音楽と美術の2科目が得意で好きな科目でした。数学や英語より好きなくらい。で、北野高校の合格発表の後、芸術科目は音楽・美術・書道の3つからどれか1つを選択だと言われて、合格発表の日のうちに決めて申告しないといけないと言われ、「ええ~え」と思ったのです。書道はそれほどやりたいと思わなかったけれども、音楽と美術は「増井山」としてはいずれも捨てがたい。高校でも中学校と同じように音楽も美術もあるものだと思いこんでいたので、その日のうちにどちらか決めろと言われて、そんなのないだろ、せめて、1週間くらい考える期間をくれてもいいだろうと思ったものの、その日のうちに決めて申告しないといけないと言われて迷っていたところ、父が「あんたは音楽や」と私の意思を無視して決めてしまいました。 嫌だった。なんで、そんなもの、おっさんに決められないといけないのか。芸術科目の選択をなぜ本人を無視して親が決めるのか。なんで、「あんたは音楽や」と決まっているのか? なんで、美術ならいけないのか?小学校の1年から4年まで絵の先生の所に週に1回通って学んできたのに、小学校の4年・5年といった頃には、毎日毎日、スケッチブックにスケッチの練習に1枚ずつ書いて練習してきたのに。彫刻などでも優秀作品に選んでもらったりしてきたのに。

   私が小学生や中学生の頃、母は「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、就きたいと思う仕事につけるようにと只管思って、そのために、たとえ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と、そう言ったのです。そう言われて、なるほど、そういうものか・・・・と嘘八百を信じてしまった私がなんともバカでした。実際に大学に進学する時になると、父はこう言ったのです。「うちは医学部なんか行かすような金持とは違います。医学部みたいな6年間行く必要がある大学ではなく4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは理学部だの文学部だのに行かせて学校の先生になんかならすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語の先生でないとなってはいか~ん。数学か英語でないと家庭教師のアルバイトができません。学校の先生なら数学か英語でなければなってはいか~ん」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは大学院なんて行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「大学院に行きたいというような人間は、モラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライ先生がそうおっしゃってる。大学院に行く人間というのは性格が甘ったれた病的な人間やから、だから、大学院みたいなもんに行きたがるんや」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「マスコミに勤めるなら、朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやからいかん。マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。産経かNHKでなかったらマスコミには勤めてはいか~ん」・・・・ということで、「わしは、あんたに、こういう学部に行けとか、こういう会社に勤めなさいとか、そういうことは一切言わん人間やねん。あくまで、本人の意思を尊重する人間やねん。わしは聖人やね~ん!」「わしはキリストのような人格者で、わしは聖徳太子のように賢明で、そんでもって、わしはヒットラー総統にように謙虚な人間やねん。わしほど謙虚な人間はおらんねんぞ、チャンコロ。わ~しほどケンキョな人間はおらんねんぞ、チャンコロ。わかっとんねんやろうな、チャンコロ。チャンコロは服従する民族やねんぞ、チャンコロ。謙虚になれよ、チャンコロ。わしのように謙虚になれよ、チャンコロ。わしはドイツ人として神の命に従って、謙虚におまえのようなチャンコロを服従させてやろうとしとるんじゃ。謙虚やねん、わしは。あんたも謙虚になってやなあ、謙虚にチャンコロとして服従しろよ、チャンコロ。チャンコロは服従するのが神様から命じられた使命やねんぞ、チャンコロ。わかっとんねんやろうな、チャンコロ。チャンコロは服従するのが生きがいやねんぞ、チャンコロ。ちゃんちゃんころころ、ちゃんこ~ろころ♪」と言うようになった。
   結局、2年も浪人してしまったが、2浪の時、東大の試験の前日、すでに何度か行ったことがある場所だけれども、それでも、前日にもう一度、行ってみておこうと考えて、東大の駒場キャンパスに行った帰り、京王帝都電鉄に乗って渋谷駅に着いた時、渋谷の駅に電車から降りようとしたところで、私より1つ年下で、同じ中学校から同じ北野高校に行って東大の文科三類に現役で通ったU君と会った。U君は、「週に1回、渋谷でコントラバスを習っていて、今から行く所なんです」と言い、「頑張ってください。ぜひ、通って来てほしいと思います。来てもらえたらうれしいです」と言ってくれた・・・・が、私はまた落ちてしまった。
   慶應大にいやいや入学したが、夏休み、父は「うちの会社の工場で、あんた、あしたからアルバイトに行くと、『決めてきた』」と言い出したので、びっくりした。普通、「決めてきた」と本人に無断で「決めてきた」りしないと思うのだ。もし、アルバイトの口を紹介することができるのなら、「決めて」くる前に、本人に、「こういうアルバイトに行きたければ紹介できるけれども、行くか?」とまず尋ねるものではないか・・・と思うのだが、もし、それが「普通」なら我が家は普通ではないことになる。「決めるのはわしの役。あんたは決める役とは違うねんで、あんたは。あんたは、わしのようなえらいえらいドイツ人に、な~んでも何でも決めてもろうて、そのとお~り、せっせせっせとやるのがうれしいねん、あんたは。あんたはそういう民族やねん。わしはドイツ人でドイツ人はひとのことを決める民族。あんたはチャンコロで、チャンコロは自分のことを自分で決めずに、わしのようなドイツ人に決められたことを、何でも何でも決められたとお~り、せっせせっせとやるのがうれしい民族。チャンコロは服従するのが楽しいねん。そやろ、チャンコロ。うれしいやろ、チャンコロ。ドイツ人は号令をかける民族、チャンコロは号令をかけられる民族。民族の違いを忘れるな!」と、父はそう言うのだった。
   その父の勤め先の工場にアルバイトに行かされて、夏の暑い中、乳液作ったり、クリーム作ったりという作業をしての帰り、阪急宝塚線「石橋」駅で、同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学の法学部に現役で言ったKと会った。Kが「どこ、行って来た~ん?」と訊くので、「化粧品屋の工場でアルバイトに雇ってもらって働いてきたんや」と言うと、Kは「へえ~え。そんなもん、やってんのお~ん」とバカにしたような口のききかたで言い、そして、私がKに「どこ、行ってきたん?」と言うと、Kは「阪大の図書館に行って、法律の本を読んでたんや」と答えた。国立大学に進学した人間と、私立大学に行かされてしまった人間とでは、同じ「大学生」でも、これだけ、生活が違ったということだ。父はこう言ったのだ。「ええか。わかっとるか。心得違いを起こしてはならぬぞ、チャンコロ。大学は勉強する所とは違うねんぞ。甘ったれるなよ、チャンコロ」と。「大学は勉強する所とは違う」のなら何する所なのかというと、アルバイトする所らしいのだ。そして、母はこう言った。「五流大学に行ったような子は、小学校から高校まで勉強させてもらえなかったから、だから、五流大学にしか行かせてもらえなかったんやから、大学に行ったら、アルバイトなんてしないで勉強させてあげないといけませんでしょうがあ。あんたは、小学校から高校まで勉強してきたんやから、だから、大学に行ったら勉強みたいなもん、する必要ないでしょうがあ。あんたは小学校から高校まで勉強してきたんやから、だから、大学に行った以上は、勉強みたいなもんせんと、アルバイトせんといけませんでしょうがあ」と。そして、父は「てってこっこてってて♪ てってこっこてってて♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん。一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。贅沢は敵だ! とってちってたあ~あ! どんがんどんがらがって、ちゃちゃちゃちゃちゃ~ん♪」と言ったのだった。〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕
   大学に行けば、やりたい勉強をできる・・・などというおとぎ話を信じていた私はなんとも愚かだった。同じ中学校から同じ高校に行って東大に行ったU君は、東大の文学部の勉強をするとともに、週に1回、コントラバスを習いに行ったりしていた。同じ中学校から同じ高校に行って阪大の法学部に行ったKは、アルバイトといえば、週に2回、家庭教師のアルバイトをやっていただけで、夏休みは、一日、エアコンのきいた図書館で法律の本を読んで勉強していた。私は、彼らが法律の本を図書館で読んだり、コントラバスの練習をやったりしていた時間に、私はエアコンなんて効かない工場で乳液つくったり、保養所の下男やったり、新聞配達やったり、ペンキ屋の下働きやったり、そんなことばっかりやっていた。「感謝しろ! チャンコロぉ!」と言われて。私が化粧品屋の工場で乳液を作っていた時に、エアコンの効いた阪大の図書館で法律の本を読んでいたKは、阪大に入学して5年目に司法試験に合格して弁護士になった。司法試験の合格者は新聞に氏名が掲載される。父はそれを見て、その新聞を切り抜いて私の所に送ってきた。「Kくんの爪の垢を煎じて飲みなさい」と書いて。そして、電話してきて、「手紙おくったん、読んだかあ。Kくんの所に行って、『爪の垢を分けてください』とお願いしてきなさい。お願いして爪の垢をわけてもらって飲みなさい。ええか。分かっとんのんか、チャンコロ。Kくんに爪の垢を分けてもらってくるんやぞ。ええか、チャンコロ、ええか、チャンコロ。Kくんはチャンコロとは違うねんぞ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ!」と言った・・・・のだが、実際のところ、Kに爪の垢でも、ち〇ぽ の垢でも分けてもらいたかった。Kの爪の垢でもち〇ぽの垢でも煎じて飲めば、あんなけっこうな生活させてもらえるのなら、爪の垢でもち〇ぽの垢でも煎じて飲みたかった。Kのお母さんは「司法試験には現役で通りました」と近所に言ってまわっていたらしいが、それはウソだ。「現役で司法試験に通る」というのは、大学に合格して4年のうちに合格することを言う。大学の一般教養課程を修了すると一次試験免除で二次試験を受けられるので、3年か4年に在学中に合格すれば、「現役で通った」ということになる。しかし、ある程度、大きな図書館に行くと、弁護士名簿というものが置いてあるのだ。自分で購入したければ一般に市販されているが、けっこう高いし重いしするので、図書館で見れば十分。他の仕事なら、会社に何年に入社したなんて、いちいち、不特定多数に公開しないが、弁護士というのは、弁護士名簿に書いてあるのだ。何年に司法試験に合格したか、ということが。Kは阪大に入学して3年目か4年目に合格したのではない。5年目に合格したのだ。普通は4年で卒業する法学部に5年在籍して5年目に通ったというものを「現役で司法試験に通りました」とは言わない。それでも、(旧型)司法試験という難関の試験に大学入学から5年目に合格というのは、比較的優秀な方ではあるだろうけれども、そんなものを、「司法試験には現役で通りました」と近所に言ってまわる母親というのも、まあ、なんというのか、困った女やなあ・・・て感じがするし、それを止めることができない本人、母親の暴走を止められないような男に、警察・検察の横暴なんて止められるだろうか・・・? ・・・たぶん、無理やろな、その程度の弁護士か・・・て感じがしないでもないが、それにしても、私が乳液作っていた時に、冷房の効いた図書館で法律の本を読んでいた男が司法試験に合格して弁護士になった・・・、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ、うらやましいなあ。わしぁ、日陰の月見草や。ほんまにええなあ。この「長嶋みたいなやつ!」て感じがする。 もしも、K村の爪の垢なりち〇ぽの垢なりを煎じて飲めば、K村みたいに、週に2回、家庭教師をやるだけで、他は全部、学習時間にまわすことが許されるなら、爪の垢でもち〇ぽの垢でも大喜びで飲むわ!!! あんなけっこうな生活していたのなら、司法試験でも違法試験でも何でも通って当然! 落ちたら、よっぽど、アホや!!!  ほんと、K村の爪の垢でもち〇ぽの垢でも、煎じて飲めば、K村と同じ生活させてもらえるものなら、大喜びで煎じて飲みたかった。「長嶋みたいなやつ」の。

     高校生の頃、大学に行けば、クラシック音楽の演奏会なども聴きに行きたいと思っていた・・・・のだが、大学生になると、片方で、同じ中学校から同じ高校に行って東大に行ったUくんなどは、アルバイトなどは何もせずに、週に1回、コントラバスを習いに行ったりしていたのに対して、私はどうだったかというと、「おまえは、チャンコロ~♪ おまえはチャンコロ~♪ おまえは、おまえは、チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころ!」と言われて、「アルバイトせえよお。甘ったれておってはいかんぞ、チャンコロ。 大学は勉強する所とは違うねんぞ、チャンコロ。心得違いを起こすなよ、チャンコロ。 アルバイトせえよお」と言われ、「アルバイトを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気にかかっているから働くのを嫌がるのだ。慶應大学の小此木啓吾先生がおっしゃってる」と言われて、「てってこっこ、てってて! てってこっこてってて♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉! とってちってたあ~あ! 欲しがりません、勝つまでは! 贅沢は敵だ! 甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ」と言われ続けたわけだ。K村は私が化粧品屋の工場で乳液つくったり、新聞配達やったり、ペンキ屋の下働きでジェットコースターの一番高い所まで丸太をかついで登ったり、保養所の下男やってしょーもないおっさんの相手したりさせられてい時に、エアコンの効いた図書館で座って法律の本を読んで司法試験に通った。Uくんは、東大の文学部の勉強をするとともに、コントラバスを習った。私が新聞配達やったりペンキ屋の下働きやったり保養所の下男やったりしていた時に法律の本を読んでいた男は司法試験に通って弁護士になった。さすが! えらい! えらいえらいえらいえらい。爪の垢でもち〇ぽの垢でも煎じて飲むべきですよ、ほんと、さすがさすが、さ、す、がっ!!!  私もKみたいな生活させてもらいたかったわ。
   そう思って考えた時、要するに、クラシック音楽の演奏者というのは、私が化粧品屋の工場で乳液作っていたり、新聞配達やったり、保養所の下男やったり、除草剤の散布作業で有害な薬を扱ったりしていた、まさにその時に、バイオリンだのチェロだのラッパだの太鼓だのを練習していたヤカラだということだ。 そういうことになる。 なんで、そんなヤツの演奏会なんて、カネ払って視聴しにいってやらにゃならんのだ??? あほくさい・・と思うと、視聴しに行くのは、もうやめようかなという気持ちになってくる。
   慶應大の学生であった時、父が、「仕送り、送ったのに、あんたが『仕送りを送っていただきまして、ありがとうございました』と礼を言って来ないから送るのやめたってん」と言って、突然、仕送りをやめたことがあり、1週間ほど、水を飲む以外、何も食べずに、自動販売機の下あたりに50円玉か100円玉でも落ちてないかと思って日吉の街を歩きまわったことがあった。自動販売機の脇に50円玉が落ちていて、それと財布に残っていた10円玉とを合わせて、たしか、80円のメロンパンを買って食べたのだが、そのメロンパンのおいしかったこと、おいしかったこと! 今まであれほどおいしいと思った食べ物は他にない。その時、日吉台学生ハイツで同じ階に住んでいた私より2つ年上で、兵庫県の甲陽学院高校http://www.koyo.ac.jp/ から1浪して東大の文科1類に行き、国家公務員試験1種に通って外務省に入ったK藤が、日吉で一番高いくらいのレストランから出てきたのを見た。 「大学生」でも、これだけ、生活が違うんだなと実感した。K藤は、東大に行った4年間、アルバイトは何もしなかったようだ。その時の私の気持ちを音楽にすると、ロシア民謡の「ドビヌーシカ」あたりが似合うと思う。〔⇒《YouTube-SHALYAPIN(シャリアピン) Folk Song 1910 & 1924 Дубинушка(ドゥビヌーシカ) ШАЛЯПИН(シャリアピン) 》https://www.youtube.com/watch?v=xeLxsBpzYDg&list=PL6BD5C1249C6F676B&index=3 、《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY 〕 ヨハン=シュトラウス2世のオペラ『こうもり』だのなんて、あんなブルジョワの歌なんてのは、1週間、何も食べずに日吉の街をうろついた経験のある者には、嫌悪感を覚えることはあっても、親しみは感じない。「ドビヌーシカ」こそ私の歌だ。

    橋下徹が「クラシック音楽が好きだという人は、インテリぶりたい俗物だ」と発言したことがあったが、それは正しいか間違っているかというと、正しくはない。又、たとえ、最初は不純な気持で入っても、そのうち、その良さを自分自身で感じ取るようになるのであれば、最初の出発点が最適でなくてもいいのかもしれないとも思う・・・・が、実は私自身が、「クラシック音楽は偽善者の音楽」ではないかと思ったことがあったのだ。小学校の高学年から中学生にかけての頃、父を見てそう思った。「わしなんかは、こ~おきゅう~う な音楽を聴くねん」とか言うていた。たしかに、多くの歌謡曲と比べれば、クラシック音楽の方が音楽として価値はあると思うが、それをもったいつけて、それを聴くことで自分もまた「こ~おきゅう~う!」とか言いたがるおっさんというのを見て「偽善者の音楽」という印象を受けたのだ。
    そう思ったけれども、その後、「インテリぶりたい俗物」であるからクラシック音楽を聴きたがるという人もいるかもしれなけれども、しかし、クラシック音楽というものがそういうものなのかというと、それは違うと思うようになった。
    しかし、やっぱり、クラシック音楽というのは、私が化粧品屋の工場で乳液作ったり、新聞配達やったり、ペンキ屋の下働きでジェットコースターの一番高い所まで丸太をかついで登ったりとかしていたその時に、コントラバス習ったりしていた人間のやる音楽ではないのか、エアコンの効いた図書館で法律の本よんで司法試験に通ったようなヤツの音楽ではないのか、私が1週間何も食べずに日吉の街をうろついた時に一番高いレストランで食事して出てきたやつの音楽ではないのか・・・という印象は受ける。
   そう思った時、今は、高齢の母を連れて行くと母が喜ぶので連れて行くが、もし、母が私より先に他界したならば、その時には、私がエアコンなんて効かない化粧品屋の工場で乳液作っていた時に、私が暴風雨の最中に新聞配達していた時に、保養所の下男やっていた時に、人体に有害な除草剤の散布作業をやっていた時に、エアコンの効いた部屋で、バイオリンだかラッパだかの練習やってた人間の音楽ではないのか・・という印象があるのは否定できず、そういう音楽をわざわざカネだして聴きに行く必要はないのではという気持ちになる。
    
   小学生の時、ピアノの演奏会の時、母は「ピアノの先生の息子なんかに負けてはいけません」と私に言ったのだ。 「一番でないとだめなんですか。二番ではだめなんですか」なんて言おうものなら、激怒されたもので、とても、そんなこと口にできなかった。だから、常に「一番でないとだめ」という気持ちでやった・・・・が、ピアノの練習して、発声練習して、コールユーブンゲンまでやって、そして、20歳くらいになると、父はこう言ったのだ。「すべてを会社のために。すべてを会社のために、ささげ尽く~す!」と。そして、「あんた、飲み会で『黒田節』歌え。ええぞお。黒田節 あんたは音楽得意やし歌うまいから、黒田節うたうとええ。さ~あけえわあのおめえのおめ、て」・・・俺は、要するに、宴席で黒田節を歌わせられるために、ピアノの練習やって発声練習やって、声楽は身体を楽器にして声を出すものだからと思って毎日腹筋運動をして体を作って、コールユーブンゲンまでやってきたということか。「チャンコロ」の人生はそういう人生か。もう、一生、歌なんて歌わないでおこうかと思った。
   「クラシック音楽を聴くと気持ちが落ち着く」「クラシック音楽はリラックス効果がある」などと言う人がいるが、クラシック音楽にもよるのではないか。父が家でよくヨハンシュトラウス2世のオペラ「こうもり」の序曲を聴いていたが、「ちゃんちゃんちゃん、茶ちゃかちゃか・・・♪」とか叫びながら聴いていた父の姿を見て、むしろ、いらいらする音楽ではないのかという印象を受けた。「気持ちの落ち着く音楽」て感じはしなかった。〔⇒《YouTube-ヨハンシュトラウス/歌劇(こうもり)序曲/ベルリンフィルハーモニー (指揮 マリスヤンソンス)》https://www.youtube.com/watch?v=BugDZWgVQnY
   中学校に入学してすぐ、父母がカセットテープレコーダーと英語のカセットテープを買ってそれで勉強しろと言った。それはいいが、その際、父が「音楽のテープもひとつかふたつ、持って聴いたらどうや。行進曲とか」と、言ったのだ。父にとって「音楽」とは行進曲で、「とってちってたあ!」だった。あくまで、「とってちってたあ」は私に聴かせるもので、父が聴くのではない。「とってちってたあ」とかが好きな人というのはあくまでひとに言うのが好きなのであって決して自分が言われるのが好きなのではない。「世の中はな。人に命令したり号令かけたりする民族と、人から命令されたり号令かけられたりする民族の2種類の人間がおらんといかんのや。ドイツ人とかアメリカ人とかは命令したり号令かけたりする民族。あんたはチャンコロで命令されて号令かけられるのが好ましい民族、命令されて号令かけられるのを喜ぶ民族。」ということだった。やっぱり、クラシック音楽というのは、そういうひとに行進曲を聴かせて、「とってちってたあ」と言うのが好きな男の音楽だったのかもしれない。それなら、私が聴くべき音楽ではないことになる。 

   平日に、東京都内以外、市川市とかの音楽ホールに聴きに行くと、年寄が多いし・・・。
    (2017.12.28.)

☆ 今回、[第336回]《歩けない母親を外出させる時の問題点。及、「少子高齢化対策」(「子供帝国主義」)は反社会的勢力》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201712/article_3.html とセットで作成しました。 

"サンクトペテルブルグ室内合奏団 コンサート・市川文化会館。室内合奏団+声楽 は誰が指揮すべきか。" へのコメントを書く

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