「地方の受験生は根性がある」か? 受験生に嘘情報を吹き込む予備校―YMCA予備校の間違い≪7≫ 

[第229回]私のドラゴン桜(7)
【8】 嘘の情報を受験生に伝えると、大学受験にプラスになるか?
(1) YMCAが、私に「上役に逆らう人間」「人間性に問題がある」「文学的素養がない」と罵り、「人間性に問題があるから大学入試は成功しない」と呪詛した理由は、過去にYMCA予備校にいた女生徒で、YMCA予備校の模擬試験では相当良い成績を残していたが、京大の文学部の試験には2浪しても落ちたという人について、YMCA予備校が罵る悪口雑言が筋が通らないと思ったので、それは違うのではないかと思ったことを言えば、こういうことがあるからと説明してくれるかと思って思った通り口にしたことが気に入らなかったというのが1つの理由だったようですが、それだけではなかったようです。
   ひとつは、YMCA予備校の「主事」の藤井が、「奈良県立医大は他県の高校の出身者でも合格できるが、和歌山県立医大は他県の出身者は合格できない。 和歌山県立医大は、他県の出身者に対する合格最低点と和歌山県内の高校の出身者の合格最低点で、他県の高校の出身者の合格最低点は倍の点数をとらないとだめだ」と言ったので、私はそのあたりは聞いたことがなかったので、「え? そうなんですか」と言ったのです。 それだけなんです。 和歌山県立医大が他県出身の人間は通らないという話はそれまで聞いたことはなく、北野高校の出身者でも和歌山県立医大に合格して行った人は何人かいたはずで、知り合いの知り合いのような人で、大阪府の人間で和歌山県立医大卒の人もいたように思ったのです。
   それで。 結局、2浪しましたので、翌年も受験生生活を送ったのですが、2浪目に駿台予備校の人からは、「和歌山県立医大は、他県の高校の出身者でも大丈夫のはずです。 他県の高校の出身者が合格しにくいのは奈良県立医大です。 和歌山県立医大は大阪府の高校の出身者でも大丈夫です」と聞きました。(これは、1970年代後半から80年代初めにかけての情報ですから、今もそのままかどうかはわかりません。これから受験しようという方は、今の情報を何らかの方法で取得されるようにしていただきたいと思います。私がここで述べたことをもとに判断して失敗しても責任のとりようはありませんので、どこが今も共通していて、どこが今は違うかは自分で判断して修正して考えていただくよう、お願いします。) おそらく、そちらが正しいのではないでしょうか。
   そもそも、「倍の点数をとらないと入れない」て、仮に自県の高校の卒業生の合格最低点が満点の半分の点数であったとしても、他府県出身者が「倍の点数」なんてとったら、満点とることになってしまうじゃないですか。大学入試の問題で満点とるようにできている問題が出ているとは考えにくい。「倍の点数をとらないと入れない」て、いいかげんなことを言うヤツです。実際のところ、YMCA予備校の嘘・出まかせにはうんざりしました。
   で、私は、YMCAの藤井と話した時は、和歌山県立医大と奈良県立医大がどうかといったことはよく知らなかったのです。 よく知らなかったけれども、それまで聞いたことがない話だったので、「え? そうなのですか」と尋ねただけなのですが、それだけでも、「上役にさからった」ということになってしまうらしいのでした。 なんで、こいつ、「上役」なんだろうな。 カネもらう「上役」なんてあるのかな・・・と思いました。 普通、サラリーマンは会社で嫌なことがあっても納得いかないことがあっても、給料もらうためには「堪え難きをたえ忍び難きを忍び」とか思って勤めたりするわけですが、YMCA予備校はカネをもらう側であって、YMCA予備校がカネを払っている側ではないはずなのですが、YMCA予備校が言うことに異を唱える、もしくは、単に聞き返しただけでしかなくても、異を唱えられたとYMCA予備校が受け取ると、「上役に逆らう人間」と決めつけられ、「きみのような人間は会社員としてはやっていけないから、経済学部には絶対に行ってはいかん」とか言われるのです。 和歌山県立医大と奈良県立医大の話は、実際にはYMCAの藤井が間違った認識をしていたようですが、私の方は、それは間違いですよと言ったつもりはなく、単に聞き返しただけなんですけれども、ね。 そういう男がYMCA予備校の「主事」という職種についていました。そんな経営で成り立つのかと思ったら、YMCA予備校はつぶれました。 やっぱり、カネをもらう側の立場なのに、そんな態度をとっていたのでは予備校商売もうまくいかないようです。2年程前にインターネットで検索したら、YMCA予備校は天王寺(阿倍野)に1校だけ残っていたようですが、今、検索すると、YMCA予備校というもの自体が出てこないので、それもつぶれたのかもしれません。ざまみろ。
〔  「入試というものは、試験の成績の良い者から順番に合格とするのが当然」という京大型の思考に慣れている者にとっては、その都道府県の出身者と他県の出身者で合否の扱いが違うというのは不合理のように感じるかもしれませんが、県で費用を出して医科大学を設立したその県の立場にたてば、その県で医者をやる人間が不足しているから、県で費用を出して医者を養成しようとしたわけですから、隣接県くらいからならまだしも、まったく離れた都道府県の出身者でその県にまったく縁のない人を合格させて、卒業後、隣接県くらいならまだしも、まったく離れた県で勤務したいと言われたのでは、何のために県で費用を出してその医大を作ったのかわからなくなってしまいますから、その理由で、その県の出身者を優先的に合格させたい、という方針をとる県立医大があっても、その事情はわからないこともありません。〕

(2)  そして、共通一次試験の後、自己採点したものに対し、どの大学なら「合格可能圏」「挽回可能圏」といった点数を予備校や模擬試験実施業者が無料でおこなっていました。 週刊誌でも掲載していた誌がありました。 私が申し込んで出してもらった2社とYMCAの出した数字では、特別大きな違いではありませんが、どの大学学部でもYMCAの方が厳しめの数字になっていました。 ところが、YMCA予備校の「主事」の藤井は、私に「地方の高校では、YMCAの出した数字よりも厳しい数字を出してるんだ」と言ってきたのです。 嘘です。 私は、1浪の時とはYMCAを含めて3社、2浪の時も3社で出してもらい資料をもらいましたが、どこと比べてもYMCAは「特別に大きな差ではないが、YMCAの方が厳しい数字」を出していたのです。 こいつ、人をなめてるのと違うか、他の業者の判定を申し込んでない、他の業者の資料を見ていないとでも思ってるのか?!? と思いましたが、そういうすぐばれる嘘を言わないとおれない男だったのです。 YMCA予備校の「主事」の藤井という男は。
   その時は、私は、「また、嘘を言い出しやがった」と思いましたが、言ってもだめなヤツと思っていたので何も言わなかったのですが、こちらが何も言わなくても、嘘をついている人間の方では、自分が「嘘を言っている」と思われているようだなと気づくようで、そのあたりも、YMCA予備校の嘘なのか「主事」の藤井の嘘なのか、どちらであるにせよ、そういった嘘に気づく人間というのは、「上役に逆らうヤツ」で「会社員としてはやっていけないから経済学部には絶対に行ってはならない」人間で、「人間性に問題がある」人間、かつ、「文学的素養がない」人間で、「人間性に問題があるから大学入試は成功しない」という人間だ! ということになるそうでした。 よく、言ってくれると思います。 
   和歌山県立医大と奈良県立医大の話もそうですが、いいかげんな話を受験生に聞かせて混乱させる手口というのは、感心しませんね、というより、そういうことをする者に、なぜ、カネを払わないといけないのか、ということになるのですが、そうなると、今度は、「きみらは1円もカネは払ってない」と言い出すのでした。 でも、うちの親は払ってるんですよね。 私が親なら、そういう嘘を言いまくられるためにカネ払ってるのじゃない、と言いたいところです。


【9】  「地方」の受験生は「根性がある」か?  「地方」の受験生は「泥臭い答案」を書くのか?  「地方」の受験生は模擬試験の成績が悪くても本番の試験では「根性」を発揮するか?
   「進学ガイダンス」と称して、YMCA予備校高槻校の「主事」藤井は、100人ほどの受験生を前にして、「国立大学でも地方の国立大学だと易しいと思う者がいるようだけれども、地方の国立大学というのは地方の優秀な受験生が受けるんだから、地方の国立大学なら易しいなんてことないんだからな。 数学の問題の答え方にしても、地方の受験生は、泥臭い答案だけれどもきみらみたいな都会の人間と違って根性があって泥臭い答え方でも解答できているということが多いんだからな」と発言しました。 この発言、正しいと思いますか?

(1)   「『地方の国立大学』が『都市部の国立大学』に比べて入りやすいなどということはない」か? というと、そうではありません。 昨年でしたか一昨年でしたか、受験・合格発表の季節に「サンデー毎日」に「十大国立大学」という言葉が出ていて、10とはどこを言うのかと思ったのですが、旧帝大系の北海道大・東北大・東大・名古屋大・京大・大阪大・九州大と一橋大・東京工大・神戸大で10だそうです。 このうち、東北大は旧帝大とはいえ、東大・京大・阪大と並ぶ大学というよりも、岩手大・秋田大・山形大・福島大・茨城大と並ぶ大学ととらえた方がいいような面もあります。 福島県いわき市に5年間住んで、そう思いました。 東北大は東大・京大と並ぶ大学ととらえるより、福島大・山形大・岩手大と並ぶ実質・宮城大学という性質があるように思います。北海道大もそうかもしれません。だから悪いということではありませんが、旧帝大だからということで、東大・京大のような大学だと思っていると違うと思います。
   それで、「地方国立大学」といってもそれぞれ同じではないのですが、入りやすいかどうかということだと、私にとって比較的なじみのあるところで いわき市の周囲にあった福島大・茨城大・会津大とかと京大・阪大・神戸大と比較すれば、そりぁ、入試の難易度としては、福島大・茨城大・会津大の方が入りやすいでしょう。 「地方国立大学だから入りやすいなんてことないねんぞ」なんて、そんなことありません。 合格難易度としては、京大・阪大・神戸大より入りやすいでしょう。間違いなく。

   「地方の国立大学」は、一般的には、京大・阪大・神戸大などより入りやすいのですが、しかし、試験科目が違ったり、出題傾向が違った場合、実際の試験問題を前にした時、思っていたより「易しくない」ということはありえます。 こちらの方を予備校は説明してあげるべきですが、YMCAには説明する能力がなかったようです。 これは「根性」があるとかないとかの話とは別の問題です。

(2)   で・・・、「地方国立大学はその地方の進学校の優秀な生徒が行くんだから、都会の大学より易しいなんてことないんだからな」というのは正しいかというと、そんなことないのです。 結論を言いますと、「地方の進学校」というのは、都会の進学校と比較すると「たいしたことない」のです。 ひとつには、最近は交通の便がよくなったこともあり、たとえば、福島県浜通りでは、いわき市の磐城高校は福島県では安積高校・福島高校とともに「福島県では進学校」とされる学校で、磐城高校の周囲には高校生向きの下宿屋もあったりしました。 大阪府の北野高校の周囲に下宿屋なんてありませんが、福島県の磐城高校の周囲に下宿屋があったというのは、それは、浜通りの北部から浜通りで一番の進学校の磐城高校に行こうとすると通学が大変なので、下宿して行った人があったのでしょう。 ところが、交通が発達してくると、そのあたりが変化してきて、1990年代にいわき市にいた時に地元の住人に聞いた話では、福島県の浜通りの人間でも本当に成績のいい生徒は磐城高校ではなく、東京の開成高校あたりに行ったりする人間がいるというのです。 その結果、かつては磐城高校から東大に毎年、何人かは合格していたのが、最近は磐城高校から東大に行く人間があまり出なくなったと聞きました。 考えて見ると、どのみち、下宿しないと行けない学校なら、いわき市の磐城高校の近所に下宿するのも、JR常磐線の始発駅の上野駅の隣の隣の西日暮里駅の近くにある開成高校に下宿して行くのもたいしてかわらない、という考え方もあるのです。 考えてみると、東京の6年生私立受験校で、一般的には山手と下町なら山手の方が学業成績は良い場合が多いのに、山手にある麻布高校より下町にある開成高校の方が東大の合格者数が多いのはなぜかと、気になりませんか?  開成高校は東北・上信越方面、あるいは北関東から下宿して行っている高校生が何人かいるということはありませんか。 いわき市からは東京の私立高校に下宿して行く高校生がいるという話はいわき市生まれの住人から聞きましたが、それ以外は調べた上での話ではありませんが、そういうことってありませんか。 そういった経緯で、地方の昔からの進学校・名門校ではなく、開成高校など東京あたりの私立受験校に行く生徒が出てきたことから昔からの「地方」の進学校・名門校のレベルが下がったケースがあるということもあるようですが、そうでなくても、こういう言い方は地方の人に申し訳ないけれども、言っちゃ悪いが「地方の進学校なんて、都市部の進学校に比べれば、進学校じゃない」のです。 言っちゃ悪いけど。 だから、YMCA予備校の「主事」の藤井が「地方の国立大学は地方の進学校の生徒が行くんだから、地方の国立大学だから易しいなんてことないんだからな」というのは間違いです。
    大阪府では、戦後、府立高校は、たとえば、男子校であった北野高校と女子校であった大手前高校が生徒を半分ずつ交換して両方が共学校になりました。 これがいいかというと、私はあまり良いとは思いません。 どこが「良いとは思わない」かというと、共学でも、「大学型の共学」、即ち、男も女も関係なく、入学試験の合格最低点を上回った人間は合格で入学できるという共学ではなく、男女の人数比がそれほど変わらないようにするために、北野高校などは長年に渡って、男は第一学区で最も入学が難しい高校であったのに対し、女子はほぼ無試験で誰でも入れる状態が続いたのです。 高校でも、その学区で一番の進学校くらいは、小学校型の共学ではなく大学型の共学にするべきだと今は思いますね。 で、話が少々それてしまいましたが、それはそれといたしまして、福島県では、いわき市の磐城高校も郡山市の安積高校も長年、男子校だったのです。何年か前に磐城高校などは共学になったそうですが、それまでは磐城高校・安積高校などは男子校で、いわき市には磐城女子校、郡山市には安積女子校という女子校があって、それが女性の一番の進学校だったのです・・・・けれども、一条工務店のいわき市の営業所にいた時、向かいの席に座っていたおっさんが言うには、「うちの近所にも磐城女子高に行ってるやつ、いるけんどもお、なんだか、パ~ンツの見えそうな短いスカートはきやがってからに、どう見たって、進学校の生徒なんて感じしねえなあ」だそうです。 そんなもんなんです。 「地方の進学校」というのは。 私はいわき市に5年間住んで、いわき市は第二の故郷だと思ってきましたし、いわき市の人は親切で気持ちの優しい人が多くて好きでしたが、言っちゃ悪いが、「進学校」と言っても、いわきの進学校、福島県の進学校なんて、そんなもんなんです。 だから、結論として、YMCA予備校の「主事」とかいうヤツは何もわかってない。 何もわからずに出まかせ言ってるのです。

(3)    「地方国立大学は地方の進学校の生徒が行くんだから、地方の大学だから易しいなんてことないんだからな」よりも、もっと他に言うべきことがあると思います。  関西圏の高校生・大学受験生は、国立大学というと、京大・阪大のような西日本を中心とした全国大学、神戸大のような関西圏を中心とした西日本大学、東大のような東京圏を中心とした全国大学のようなものが国立大学だ、とか思っているのではないかと思うのですが、地方国立大学というのは、そういうものと違うんです。 いいか悪いかではなく、もっと「地方密着」なんです。 だから、東京圏なり関西圏なりに住んでいるけれども、もともと、東北のどこかの県の出身の家庭で、その高校生・受験生は東京圏・関西圏で育ったけれども、親の親なり祖先、親戚が今も東北のその県に住んでいて親戚・知人がいて子供の頃から行き来していてその県のことを良く知っているとかいうなら悪くないと思いますが、まったく「地方」とつながりがない人が、国立大学だから京大・阪大・神戸大と変わらないだろうなどと思って「地方国立大学」に行くと、そのギャップにショックを受けると思いますよ。 「地方国立大学」に行くのなら、東京圏なら、早慶でなくても、上智・立教・青山・中央・明治など、関西圏なら関関同立の方が、まだしも、「都会の大学」で「全国大学」の性格を持っているので、行った時に、大学として行くまでに思っていたものとのギャップが小さいのではないか、その人が「大学」に期待していたものに近いのではないか、という気がします。 これは「地方国立大学」が悪いということではなく、「地方国立大学」の「地域密着」の性質を、都市部の出身者が行った時に馴染むことができるかどうか、という方の問題です。 卒業後に勤めた会社で転勤で行ってくれと言われて「地方」に行くのとは、また、事情は違います。 転勤で行ってくれと言われて行く場合は、いわき市などでも、なんだか、地元生まれの人に聞いた話では、昔から、けっこういい大学を卒業した人で、東京あたりで勤めた会社から転勤で行ってくれと言われていわき市に来て、「ここはいいところだなあ~あ」と思った結果、いつしかそこに根づいて東京に戻れなくなっちゃった・・・という、いいのか悪いのかわからない話とかありますが、それとは事情は違います。 阪大・神戸大あたりに行きたいと思ったけれども、模擬試験の成績が思うように伸びないということで、「地方国立大学」ならどうだろうと考える人が出るのはわからないことはありません。 そういう人に、「地方の大学だから易しいなんてことないんだからな」などと言うのは間違いです。 阪大・神戸大などよりは入学試験の難易度は間違いなく易しいです。 しかし、地方の国立大学に都会の人間が行った時に、どんな気持ちになるか。 「地域密着」の地方国立大学だと卒業生の就職先を見ても、「地元の会社」が多いはずです。 その地域の出身の人にはそれで悪いことは何もないのですが、都会で育った人間にとっては、たとえ、入学しても、日に日に、こんな所にいるのは嫌だ・・・という気持ちになってきてしまうということはないか。 そういう気持ちにならないのならかまいませんが、そういうこともあるということを、よくわかっていない受験生に、一言は言ってあげるのが予備校の人間の仕事ではないのかと思いますが、YMCA予備校高槻校の「主事」は言わなかった。 言わなかったというより、言えなかった、言う能力がなかったのだと思います。

(4)  「地方の受験生はきみら都会の受験生と違って根性があるから、数学の問題の解き方なんか見ても、泥臭い解き方だけれども、なんとか、根性で解答に結びつけるところがある」とYMCA予備校の「主事」の藤井は発言したのですが、「地方の受験生」は「都会の受験生」と違って「根性がある」て、本当ですか? それは、何を論拠に言っているのでしょう。
   まず、入学試験と「根性」の関係についてですが、模擬試験で良い成績をとっていたにもかかわらず、本番の試験で落ちてしまったという場合に、「精神面が弱い」とか「根性がない」とか言われてしまうことがあり、「一発勝負に弱い」などという言い訳をして、実際はそれ以上の実力があるんですうと言いたい人もあったりします。先に述べたYMCA予備校に来ていてYMCA予備校の模擬試験では良い成績をとっていたが京大の文学部の入試には2浪しても合格できなかったという女性などは、「文学的素養がないから落ちたんだ」「人間性に問題があったから落ちた。人間性の悪いやつは模擬試験で良い成績をとって入学試験の本番の試験では落ちるんだ」とか、YMCA予備校の「主事」の藤井は罵ったわけです。 実際はどうかというと、模擬試験の成績は良かった方がいいか悪かった方がいいかというと良かった方が良いのですが、もとより、模擬試験の結果としての「判定」(合否予想)はそこまで信頼できるものでもないのです。 模擬試験には「実力テスト型の模擬試験」と「模擬試験型の模擬試験」があり、前者は「全国総合模試」というような名称のもので特定の大学学部の試験問題を前提としないもので、後者は河合塾の東大オープン・京大オープン、駿台・代ゼミの東大模試・京大模試などで、資格試験の模擬試験は一般に後者で資格試験で前者の模擬試験というものはあまりありません。 それで、「模擬試験型模擬試験」を何のために受けるのかというと、その試験でどのくらいの点数をとれるかを見て、その大学学部を受けてよいかどうか判断するためである場合もありますが、「模擬試験型模擬試験」の場合、その試験のどこができてどこができないかを知り、できない部分を改善するために受けているという面もあるわけです。 ということは、模擬試験を受けて問題点がわかり、その部分を改善することができたなら、模擬試験での合否予想での「判定」があまりよくなくても、問題点が改善された以上はその「模擬試験型模擬試験」を受けた時よりも良い成績をとれる可能性が十分にあるわけですから、合格できる可能性もあるわけです。 又、私が大阪府の高校を受けた時の高校受験の際の模擬試験は、中学生が全員に近いくらい誰もが受けていましたから、そうなると、各学区の1番手校に行こうという人間と下の方の人との差は大きく、その高校に行けるかどうかはともかく、一番上と一番下が入れ替わるということはあまりなかったわけですが、大学受験の模擬試験は「実力テスト型の模擬試験」でも、その模擬試験を受ける層は模擬試験ごとに傾向がありますし、東大模試・京大模試といった「模擬試験型模擬試験」になると、その大学を受けようという人が受ける模擬試験ですから、A・B・C・Dといった「判定」がだされても、良い方がいいとしても、その差というものが、それほど大きくないことが考えられます。「それほど大きくない」といっても、「D」の方から「A」に上げるのは簡単かというとそうでもないのですが、「A」の「判定」が出れば「合格確実」かというと、そこまでのものではないと思うのです。 そして、A・B・C・Dといった分類をするくらいは良いのですが、分類すると、それに何かコメントをつけたくなってくるものですが、「合格確実」「合格可能性十分」「合格圏に突入」とかいった文句に何か意味があるかというと、かえってそんな文句は良くないと私は思います。 「合格可能性80%以上」「合格可能性60~80%」「合格可能性40~60%」「合格可能性40%以下」とかいうコメントも、実際にその範囲に入った人の合格率がそのパーセントであるのか調べた上でのものではないはずで、そこまでわかっているわけでもないものを実際以上にわかっているかのように表記するのはあまり良いとは私は思わないですね。 もうひとつ、「何パーセント」とかいう表記をされると、どうしても通りたいと思うと「合格可能性80パーセント以上」という成績を模擬試験でとらないといけないかのように勘違いしてしまいそうですが、その模擬試験が模擬試験ではなくその大学学部の入試の本番の試験であったなら合格最低点はどこなのかということを考えて、合格最低点を上回ったならば、「60%の合格」ではなく100%合格ですし、合格最低点を少し下回ったなら「40%合格」「60%不合格」ではなく100%不合格なのです。 模擬試験の結果についての「コメント」は何もない方がよいかというと何とも言えませんが、「コメント」については最適なものでない場合が多いし、「合格確実」なんて、そもそも、模擬試験でどんなに良い成績をとっても「確実」なんてものがあるわけないでしょう。 「A」判定もらって落ちた人間なんて珍しくもないし、私だって「A」判定もらって落ちた大学はあるし。結論として、模擬試験で良い成績をとっても本番の試験で落ちるということは、「あること」であり、「精神面が弱い」とか「根性がない」だの言う性質のものでもなく、ましてや、「人間性に問題があるから落ちたんだ」だの「文学的素養がないヤツは落ちるんだ」だのと悪口雑言を浴びせられなければならない筋合いなんかありません。
   もしも、「根性」をつけたいとしたら、どうすれば良いか。 どこかの山中にこもって滝に打たれて修行するか。 毎日、座禅をするか。 腕立て伏せを何十回、何百回とやるか。 腹筋運動を何十回とやるか・・・・。 私、高校生の時、合計4時間、学習する時、2時間やった後で、腹筋運動を30回、腕立て伏せを20回やってました。それで、気分を変えて、また、後半の学習に入ったのですが、そういうのはやりたければやって良いと思います・・・が、何百回もやったら疲れませんか。 私などはスポーツは嫌いではないが「根っからのスポーツマン」ではないので、スポーツにはまり込むことはないのですが、「根っからのスポーツマン」の場合、「根性を鍛えるため」とか言って、結局、スポーツをやりたいからやってるだけと違うの・・? みたいなことする人がいますよね。慶應に「体育理論」という必修科目があったのですが、そこで、体育会の教授が「体育会の人間は学力はないが根性がある」とおっしゃったのです。 はあ・・・。 で、どういう根性があるかというと、「今年、入ってきた人間でも、4月の初めにはグランドを1周走るだけでもハアハア言っていたのが、半年経った今では何周走っても平気でいる。 これは、根性がついたということだ」とおっしゃったのです。 ・・・それって、根性がついたのではなく、体力がついたのと違うのですかあ~あ・・・と言いたかったのですが、逆らうとうるさそうだったので言いませんでしたが、なんか、体育会とかスポーツ関係者にはそういうことを言いたがる人って、けっこういますよね。 私は「根っからのスポーツマン」ではないがスポーツは好きですが、そういう根性論というのか、「体力がついた人間は根性がある」みたいな考え方というのか迷信というのかはあまり好きではありませんね。 根性があったら、模擬試験で50点の点数をとってる人間が本番の試験では「根性を発揮して」90点とりますか? もし、そうなるなら、「根性を鍛える」練習をした方がよさそうにも思うのですが、まあ、腕立て伏せとかジョギングとかやりたければそれほど長時間にならない程度やっても悪くないとは思いますが、「根性」とかとはあまり関係ないと思います。 入学した時にグランドを1周走るだけでもヒイヒイ言っていて人間が体育会に入って毎日練習を続けたら半年後には何周も走っても平気でいるようになったというのは「根性がついた」のではなく「体力がついた」のだと思いますし。

    「根性のようなもの」があるとすると、試験を受ける姿勢が身についている人とそうでない人の差というのはあるかもしれません。 10年ほど前から、千葉県市川市が職員の採用に年齢制限をなくしたことで、30歳代・40歳代の人間が受けるようになったのですが、実は、私、まったく何も勉強しないで受けて1次に通ったんです。2次で落ちましたけれども。 どうやって通ったかというと、「根性で」・・・・・・・。
    試験対策としての勉強をまったくせずに合格してしまったのですから、何で通ったかというと、「根性」とでもいうしかないのですが、分析すると理由はあります。 英語などは、大学を卒業してから英語を使う仕事についていないので英語力は低下し錆びついているのですが、それでも、「昔とった杵柄」というのか、わかるものもありました。 そして、
「マークシート方式の試験では、わからないと思っても、必ず、どれか塗る」
「マークシート方式、もしくは、択一式の問題では、これが正解とわからない場合でも、どれか適当に選ぶのではなく、これは明らかに違うというものを除外して、残ったものの中から、いくらかでも正答である可能性が高いと自分が思うものを選ぶ」
「択一式の問題では、たとえば、5つの選択肢から1つ選ぶ場合、出題者の心理として、正解は後ろから2番目にあることが最も多く、次に前から2番目が多い。 一番前と一番後ろは正解が配置されていることは確率的に低い。 選択肢から選ぶ問題がいくつか並んでいた場合は、他の回答に自信があるなら、他の問題で選ばれていない選択肢に回答があることが確率的には高いと思われる」とか、
「記述する問題は、わかろうがわかるまいがともかく書く」
「試験問題を最初に見て、だめだ、とけないと思っても、しばらくながめていると、解法が思い浮かぶ時もある」とか、
「○○字以内で述べよという問題の場合、字数オーバーは問題外だが少なすぎるのもよくない。最後の行の途中で終わるのがよい」とか、
そういった「試験を受ける場合の鉄則」と「昔とった杵柄」とで通った。 試験時間の途中で退出することが認められていましたが、試験が始まるとそれほど経たないうちから、あきらめて出て行く人が何人もいました。 すでに仕事を持っていて試験用の勉強をする時間が持てないが受けるだけ受けようとして受けた人には、だめだと思えばいてもしかたがないと思って帰られた方があったのではないかと思います・・・が、なにしろ、こちらは過去に2年も浪人した「受験のベテラン」ですから、そこは、試験会場で椅子に座ると、“ 熱血甲子園 ” てなもんで、試験に「体が反応する」のです。 もう、10年くらい前でしたでしょうか。 ペタジーニがヤクルトにいた時か巨人にいた時か忘れましたが、テレビの野球中継を見ていたところ、大量点差がついた試合後半でもペタジーニはぎりぎりのところのボールを見送ったのを見て、解説者の掛布が「この点差がついた場面で、あのボールを見送るというのは、ペタジーニはすごいですねえ。 どうしても、集中力が散漫になってしまう場面ですが。ボール球は打たないという姿勢が体にしみついてるんですね」と言っていましたが、そんなものです。 「受験のベテラン」は試験問題を前にして座ると、試験時間終了までともかく全力を尽くすのです。 なにしろ、「受験のベテラン」ですからね。 年季が違う。 だてに2年も浪人してない・・・て、自慢にならんがな・・・・。
   で、「受験のベテラン」というのは、あんまり自慢にもならないのですが、試験に慣れていない人は、試験問題を見て、だめだと思うと精神的にあきらめてしまう場合があるのに対し、「百戦錬磨」・・・・てちっとも自慢にならないのですが、の者は、ともかく書こうじゃないか、と考えたりします。 あるいは、「記述式の問題を回答する場合は、実際にどうかにかかわらず、『聖人君子が採点しているのではなく、並みか並みの下くらいの人間が採点している』という前提で書く。並みか並みの下くらいの人間が合格と判断したくなる書き方をする」とかいう「試験合格のために。 その1」「その2」「その3」前提にすると、わからなくても、ともかく「なんか、正解みたいな感じがするものを書く」とか(それで正解に認めてもらえるかどうかはさておき)、そういったものが体にしみついている者とそうでない人との差は出たのではないかと思います。 そういうのを「根性」と言うのなら、それはいくらかあるかもしれません・・・・が、そうなると、「地方」の人間と「都会」の人間なら、むしろ、「都会」の人間の方が、試験に慣れている度合いは大きいくらいであり、そうすれば、「地方の人間は根性があるんだからな」というYMCA予備校の「主事」の藤井の発言は事実と正反対だということになります・・・が、もともと、デマカセを言っているのですし、毎日、嘘を言わないとおれない性分の男の言うことですから、そこまで真剣に考えるものでもなかったかもしれません。 ただ、こちらの知らない間に親にも同様のことを話しているようで、こちらは騙されなくても、親の方がしてやられていることがあり、卑劣なヤツだと心の底から怒りを感じました。
   「地方」の人間で、兼業農家、たとえば、私がいわき市にいた時にお会いした方なんかは、息子が小学生の時からトラクターを運転していたりとかやっていたようですが、私なんかは、小学生の時に、土日に「農作業」をさせられたといっても、会社員が少し庭がある家に住めたのでそこで茄子つくったりキュウリ作ったりする作業をさせられたというもので、トラクターなんて運転する場所はありませんから、もしも、トラクターを運転する技術の試験とかされたなら、農家の息子の方が「根性を発揮する」ということはあるかもしれませんが、大学の入学試験の筆記式の試験問題に答えるのにトラクターの運転は関係ありませんから、グランドを何周も平気で走るようになったのが「根性がある」ということで「体育会の人間は学力はないが根性がある」ということで試験で良い成績がとれるかというとそうでないのと同様に、トラクターが運転できたからといって大学入試の試験で「根性を発揮する」ことができるかというと、そういうものではないと思います。 慶應のある先生から聞いた話では、慶應大学の体育会野球部から大洋ホエールズ→横浜ベイスターズに入団した遊撃手のスキンヘッド山下大輔は、慶應大学には一般入試で合格して入っており、入学した時の成績は入学者の中でも良い方の成績だったそうですが、体育会野球部に4年間在籍してプロから誘われるところまでいったわけですが、体育会で「根性がついた」から試験の成績も良かったかというと、入学する時点では入学者の中でも良い方の成績で入学した者でも、さすがにプロに誘われるほど毎日野球の練習に力を入れて4年間過ごすと学業の方は卒業はできたけれどもあまり良い成績ではなかったそうです。 「体育会で根性がついた」としても、やっぱり、野球の「根性」と学業の「根性」は別だったようです。 だから、「地方」の農家の息子がトラクターを運転できても、農家の「根性」と試験問題をとく「根性」は別だと思いますよ。

   「根性」とは少し違うと思いますが、進学校でない方の高校の人が京大とかを受ける場合、模擬試験では相当良い成績をとっていても、進学校でもないその高校からは1人だけ「一流高校」の生徒と一緒に試験を受ける、ということに「気おくれ」して、模擬試験と同様の成績がとれない、ということがある、という話は聞いたことがあります。 これはあると聞きます。
   私は大阪で生まれ育った人間だったので、東京の大学を受ける場合に、よく知らない土地で受けるという点で、受験以外の面で気苦労のようなものはありました。 大阪の人間にとっては京都や神戸は地元と変わりませんが、東京圏の大学を受ける場合は、よく知らない場所で受けるという問題があるので、もし、関西圏の高校生が東京圏の大学を第一に行きたい大学として考えるのなら、3年になってからではなく、高校の1年くらいから年に1回ずつでも2回ずつでも東京に行って、東大なら東大の駒場と本郷のキャンパスに足を運んで試験を受けたような気分を体験するようにした方が良いかもしれません。 これは「根性」とは別の問題と思いますが。

(5)  「数学の問題の解き方なんか見ても、泥臭い解き方だけれども、」 という発言は正しいか? 「地方」の人間は「泥臭い解き方」で「都会」の人間はエレガントな解き方だというのでしょうか。
   (答え)違います。
   数学の問題の答え方に、「泥臭い解き方」とそうでない解き方、「優雅なときかた」「エレガントな解き方」「あかぬけた解き方」があるのかというと、YMCAの「主事」の藤井はどうせ出まかせで言っていたので何もわかっていないと思いますが、まったくないわけではありません。
   市販の数学の「問題集」には解答が詳細に載っているものと、結論だけしか載っていないものがあって、結論だけしか載っていないものというのは、高校などでテキストとして使用して、学校で学生が解いてみせるか先生が解いて見せるかするようにできており、過程を含めて詳細に解答が書いてあるものは自習用です。 自習用のものとして、旺文社から出ていた『傾向と対策』というシリーズは、「一般的な解き方」だったと思います。 より正確な表現をすると、解き方が「一般的」か「泥臭い」か「優雅」「エレガント」「あかぬけた」「おしゃれ」かということではなく、解き方はそれほど大きく変わらなくても、回答の表現が、「なんか、かっこいい」表現である場合があるのです。 で、「なんか、かっこいい」解き方の「問題集」「参考書」として、『大学への数学』(東京出版)http://www.tokyo-s.jp/products/d_gekkan/ という月刊誌とその別冊がありました。 私なんかは、高校生、特に高校3年生はこの「大学への数学」を毎月購入して、「日々の数学」という問題を解かなければならないものと信じてやりました。 それはそれなりに力になったのではないかと思いますが、「大学への数学」に載っている解き方を「エレガントな解き方」と表現していたのは、柴田孝之の『東京大学機械的合格法』です。 で、柴田は「大学への数学」に載っている解き方を「エレガントな解き方」と表現した上で、結論として「要らない」と決めつけていたのです。 「要らない」と言われてしまうと、柴田より年上で、けっこうこれを喜んでやった者としては、そこまで言うか、て気もするのですが、柴田が言うのは、「エレガントな解き方」で解かなければならないことはない、というのです。
   『大学への数学』の「日々の問題」だか『日々の演習」だかで毎日1問ずつ解くようになっていたのをノルマのようにやり、力になったとは思うのですが、あれは、今から考えるとやる必要はなかったかもしれないと思います。 あれは、進学校でない高校に行っている人で、ある程度以上の大学に行きたいと思う人にとっては「ペースメーカー」になるもので、進学校の高校に行っている人間にとっては、高校の授業と高校の課題が「ペースメーカー」の役割を果たしていますから、それと別の「ペースメーカー」は要らなかったかなともと思います。 但し、「大学への数学」は大学受験に直接に役立つかどうかと別に、「読み物」として見ても面白いので、月に1冊、雑誌を購入して読んだからといってそれで受験に落ちるというものでもないからと考えて、購入してやりたいところだけやっても悪くはないかと思います。 東京出版から出ている「大学への数学」の別冊の問題集などは問題集として悪くないものと私は思います。柴田の言う「要らない」は言い切りすぎのような気もしますが、「大学への数学」が要らないのではなく、「エレガントな解き方」というものが絶対に必要ということはないという解釈でよいかと思います。 
   私の場合、高校の授業で他の生徒が解いたり先生が黒板に書いて見せたりした解き方と『傾向と対策』(旺文社)に出ていた解き方は似た解き方(表現の仕方)で、それを「一般的」と認識していたのですが、「大学への数学」の出ていた表現は、たしかに「エレガント」と言われればそうかもしれない表現で、これは、比較的早い時期からこの雑誌を見てきたので、自分自身も取り入れてきていました。 ところが、高校の3年の12月に受けた代々木ゼミナールの東大模試の答案が採点されて返却され、模範解答を見ると、試験のできが良い悪いとは別に、どうも代ゼミの模範解答の表現が自分がそれまでに書いてきた表現と違うような気がしたのです。 それで、東大模試での模範解答なので、もしかして、東大の試験ではこのような書き方をしなければならないのだろうか、と不安になったということがありました。 しかし、これは不安になる必要はなかったと思います。 問題集・参考書でも、予備校など模擬試験の模範解答でも、作成者によって数学の答えの表現方法は多少違うと思うのですが、結論を言うと、数学の問題というのは、「解ければよい」、かつ、「採点者が正解と判断する答案であればよい」のであって、それが「エレガントな表現」であって悪いことはないし「エレガントな表現」でないといけないこともない、「泥臭い表現」であっても解けていて採点者が正解と判断できるものなら良いし、「泥臭い表現」でなければ悪いこともないのです。 YMCA予備校の「主事」の藤井が、「地方の受験生は数学でも泥臭い解き方だけれども、根性があるから解ける」と言った「泥臭い解き方」というのは、この類の話をどこかから仕入れてきて不十分に理解した上で、いつものデマカセを加えて話したものと思われます。 
   「泥臭い解き方」か「エレガントな解き方」かというのは、「地方」に住んでいるか「都市部」に住んでいるかによるものではありません。 柴田孝之が「エレガントな解き方」と言う「大学への数学」(東京出版)は「地方」の書店の店頭にあるかどうか知りませんが、なければ取り寄せるか、今ならインターネットでも購入できるのですから、「大学への数学」に載っている「エレガントな解き方」をしたければ取り寄せて学習すれば良いだけのことで、「地方」の受験生でも「エレガントな解き方」は習得できます。 「都市部」の受験生でも「泥臭い解き方」の方が好きなら、それでも良いのです。 入試に関しては、数学の問題は、「解ければよい」「採点者が正解と判断する答案であればよい」というのが基本で、まあ、「大学への数学」を見ると、「エレガントな解き方」をしたくなってきますし、模擬試験の模範解答が自分が表現してきた表現法と違うと、一瞬、どきっとしますが、「泥臭い解き方」か「エレガントな解き方」かはそれほど重要性は高くないと思います。 そして、 「泥臭い解き方(表現)」で数学の答案を書く人間が「根性がある」わけでもありません。
   (2015.11.22.)

☆ YMCA予備校はどこが間違っていたか
1.「特高右翼」YMCA高槻による思想調査 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_7.html
2.パチンコを勧める予備校。 聖書を奪い取る「敬虔なクリスチャン」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_8.html
3.「通った人8人、落ちた人2人の成績」を取らないと受けてはならないか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_9.html
4.1つの模擬試験はどこにも通じるか、「弱者の戦術」たる「戦力の集中」か? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_10.html
5.「文学的素養がない人間」・「人間性に問題がある人間」は落ちるか(上) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_11.html
6.「文学的素養がない人間」・「人間性に問題がある人間」は落ちるか(下) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_12.html
7.「地方の受験生は根性がある」か? 受験生に嘘情報を吹き込む予備校 〔今回〕
8.英文はいちいち日本語に訳して書くべきか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201512/article_1.html

★ 「YMCA予備校の間違い」は、まだまだいっぱいあります。 一通り、まとめて公開しようと考えて作成を始めましたが、一通り作成してからというと、いっぱいありすぎて、いつできあがるかわかりません。 それで、ともかく、途中ですが、ここで、一度、公開させていただくことにいたします。
   まだまだ、道半ば。 よく、これだけ、いいかげん、無茶苦茶なことを言いまくりやがったな、やりまくりやがったなと思います。
   高校生・受験生の方で読んでくださった方は、ここで、これは間違いだと指摘した点について、そういう間違いに陥らないようにと考えてやっていただければ、その分だけプラスになると思います。 わかっている人にとっては「当たり前」「なにを今さら」というものでしょうけれども、わかっていない人にとっては、「相当役立つ」話だと思います。 但し、ここで述べたものと試験の内容や制度は変わっているものがあるはずですから、どこが今も共通してどこは今は違っているかということを考えて、今は違う部分については修正して考えていただく必要はあると思います。 間違ったことは述べていないはずですが、ここで書いてあることを信用してやって失敗したと言われても、責任のとりようはありませんので、結果に対しては自分自身で責任をとるしかないと認識して判断していただきたいと思います。

★《YouTube―西城秀樹 YOUNG MAN(Y.M.C.A.) (1979) 》https://www.youtube.com/watch?v=g_tbndqhoqg
    (2015.11.22.) 

HMS Euryalus 様へ
  コメントありがとうございます。
(1)  奈良県立医大と和歌山県立医大について、YMCA予備校の藤井主事は「和歌山県立医大は和歌山県以外の高校の出身者が受けても絶対に通らないから受けてはいけない」と言い、「奈良県立医大はそんなことはない」と言ったのですが、それに対して私は正直な気持ちとして「え? そうなんですか?」と言ったのですが、どうも、それだけでもおもしろくなかったようでした。私が「え? そうなんですか?」と言ったのは、北野高校の高校が実施する模擬試験というのがあって、過去3年間でその模擬試験で何点取った人がどの大学のどの学部を受けて、通って実際に行った(「◎」)、通ったけれども行かなかった(「〇」)、落ちた(「×」)と記載された資料をもらったのですが、それを見ると、和歌山県立医大を受けて通った人(「◎」「〇」)・通って実際に行った人(「◎」)が何人かいたのです。ですから、「和歌山県立医大は大阪府の高校の出身者は受けても絶対に落ちる」と言われると、「え? それなら、北野高校からもらった資料に書かれていた、北野高校出身で和歌山県立医大に合格した人というのは、あれはいったい何なんだ?」と思ったのです。 何年も前のことなので記憶がはっきりしないところもありますが、北野高校の模擬試験の資料では奈良県立医大は受けた人自体を見なかったように思います。我が家は医者でもなく、又、うちの親もあまり世間知がある方の人間ではなかったのですが、北野高校の同学年の人でも医者の息子とかは、医学部の内部事情について親がよく知っている人がいたようで、同級生で開業医の息子で、お父さんが阪大医学部卒らしい高校1年の時から阪大の医学部に行きたいと言っていた男が3年の後半になって徳島大医学部を一期校で受けることにしたと言い、併願で二期校でどこか忘れてしまいましたが地方国立大学の医学部と慶應大医学部を受けると言い、結局、徳島大医学部に通って行きましたが、なるほど、彼のお父さん、よく考えてるなあと思いました。保坂正康氏の『大学医学部』『続大学医学部』『医界、腐食の構図』(現代評論社)のいずれかに載っていたと記憶しているのですが、大学医学部は、東京圏では東大医学部と慶應医学部を頂点として、その植民地医学部と植民地病院があり、千葉県限定で千葉大医学部を頂点とするものがあって、関西では京大医学部と阪大医学部を頂点としてその植民地医学部と植民地病院がある・・らしく、最近、慶應大と合併して慶應義塾大学歯学部になると新聞に出ていた東京歯科大学も、千葉県市川市にある東京歯科大学市川病院は歯科以外の科は慶應医学部卒の医者が多いと言われていた病院で、もともと慶應大医学部とつながりが深かった大学のようですし、そういった「系列」のようなものがあるらしく、そして、徳島大学医学部は阪大医学部の「系列」だったようで、阪大医学部から徳島大医学部に方向修正した男などは、阪大医学部なら少々きついが徳島大医学部なら合格可能性が高いと判断して、浪人して阪大医学部をめざすよりも現役で徳島大医学部に行った方がいいという判断をしたのだろうと推測しているのですが、お父さんが阪大医学部卒で医者をやっていた人だけあって、そのあたりの判断ができた、かつ、徳島大医学部というのが京大医学部の系列なのか阪大医学部の系列なのかなんて私なんかは知らなかったのに対して、お父さんが阪大医学部卒で医者をやっていた人だけあって、そのあたりを知っていたのでしょう。いいお父さんだなあと思いましたし、そのあたり、うちの親なんてあかんなあ・・と思ったものでした。
  他にも、同年代の人間で医者の息子で医学部に行った人には、なぜ、そこなのか・・という選択で親が情報を教えて指導したのかな・・という感じの人が何人かおり、うらやましいと思ったものでした。高校の先生というのは、高校の先生自身がそういったことを知らなくても、卒業生にはいろいろな方面に進んだいろいろな人がいるのだから、高校生に文化祭に講演に来てもらいたい人としてアンケートを取ると、手塚治虫とか森繁久彌とか野間宏とかそういった漫画家・俳優・作家といった有名人の名前が出てくるのですが、先生が配慮して、各方面に進んだ人に来てもらって、医者の息子ではないが医学部に行きたい人とか、それ以外の方面でも、親がたいした親ではない息子でも進学において、情報を得られるように、各方面に進んだOBに文化祭の時でもそれ以外の時でもいいから来てもらって話をしてもらうとかやればいいと思うのですが、そういうものはなかったのです。あえて言えば、3年の時に「化学」の先生が教育実習に来た京大・阪大の大学4年の生徒3人に鼎談として京大・阪大の理学部・工学部はどんなものかといった話をしてもらうという機会をもったということがあった、又、高校2年の時だったか3年の時だったかの文化祭に、北野高校から京大法学部に進んで弁護士になった、北野高校野球部が戦後、選抜大会で全国優勝した時に4番を打っていた山本さんという方に来てもらって、京大法学部に進学して弁護士になった話をしてもらったというくらいで、漫画家・俳優・作家といった人にお願いして講演に来てもらうのも悪いことはないけれども、もうちょっと「普通の職業の人」にも来てもらって、進路を考える上での参考になる話をしてもらうようにしてはどんなものか・・と卒業してから思うようになりました。
  それで、YMCA予備校の藤井さんは、どうも、心が狭いのか、藤井さんが発言したことに、「え? そうなんですか?」と言うだけでも、「きみみたいに逆らう人間は会社員としてはやっていけないから、経済学部には絶対に行ってはいかん」とか言いだすのでしたが、私としては別に「逆らった」つもりはなかったのです。和歌山県立医大は北野高校の資料では大阪府立の北野高校から受けて合格した人が何人かあって、合格しただけでなく実際に進学した人もあったので、それで、「え?」と思ったから、思ったことをそのまま口にしただけでした・・が、それだけでも、藤井さんはおもしろくないようでした。
  奈良県立医大というのは、奈良県のその頃の奥田知事が縁故でなんかやったとかいう噂があったり・・なんて耳にしたこともありますが、噂はあくまでも噂であって実際にどうなのかはわかりませんが、YMCA予備校に行っていた年の翌年、駿台予備校の人から聞いた話では、奈良県立医大は奈良県出身の受験生と奈良県以外からの受験生では、受験生の数は奈良県以外の受験生が奈良県出身の受験生の倍であるのに対して、合格者は奈良県出身者が奈良県以外の出身者の倍だそうで、どう考えても、合格最低点に差をつけているとしか思えない・・というのです。だから、奈良県以外・・というのは、奈良県以外の高校の卒業生という意味なのか住民票が奈良県以外という意味なのか、どちらなのかわかりませんが、ともかく、奈良県以外から奈良県立医大を受けるのは奈良県の受験生が受ける場合に比べて不利だから、だから、最初から受けない方がいい・・という意見でした。その駿台予備校の人の話では、奈良県立医大は奈良県以外からの受験生で合格した人がないわけではないけれども、奈良県からの受験生と奈良県以外からの受験生とでは、奈良県以外からの受験生の方が倍いるのに、合格者は奈良県出身者の方が他県出身者の倍ということは、やっぱり、何かあると考えるべきではないか、そう考えると、他県出身者は他にも奈良県立医大と同じくらいの社会的評価で同じくらいの入試難易度の大学医学部はあるわけだから・・というよりも、とりあえず、和歌山県立医大と奈良県立医大では、模擬試験で見る「難易度」は大きく違わなくて、和歌山県立医大は和歌山県出身者と他府県出身者では合格率に大きく差はないので、和歌山県立医大なら大阪府の高校出身で大阪府在住者でも不利ではないと思われるので、もしも、大阪府の高校出身で大阪府在住者が近県の県立医大を受けようと考えるのならば、奈良県立医大よりも和歌山県立医大にした方がいいと思う、という意見でした。
  北野高校のある「世界史」の先生が「試験というのは厳しいものであって、入学試験というのは成績のいい者が通って成績の悪い者が落ちるのは当たり前のこと」と言われたことがあって、私も「そうだよなあ」と思ったものでしたが、しかし、その先生は京大文学部史学科卒の方で、京大のものの考え方から言われたのだと今は思います。京大でも私と同じ歳の人で、せっかく京大理学部に通ったのに、医学部に行くんだと言いだして浪人したという人がいましたし、中には京大に合格しておきながら、やっぱり東大に行くんだとか言いだす人とかいるらしい・・けれども、そういう人というのは少数派であって、そうでない人の方が割合としては圧倒的に多いので、だから、京大は、中に京大の理学部とか工学部に合格しておきながら医学部に行くんだとか言いだして入学辞退するやつが出たり、入学しておきながら、やっぱり東大に行くんだとか言いだしてやめるやつが出たりしても、「まあ、そういうやつがいても、別にええがな」みたいなものではないかと思うのです・・・が、地方国立大学の場合はそうはいかないようで、1つ年上で、阪大工学部だったかを落ちて二期校の浜松にある静岡大工学部に1浪で行ったものの、途中でやめて、結局、3年遅れで阪大歯学部に行ったという人から聞いた話ですが、一期校・二期校の制度だった時代の静岡大工学部は、京大・阪大・名古屋大の工学部や東大の理科一類・二類を落ちて静岡大工学部に来たという人間が大量にいて、そういう人間は「浪人もしたことだし、それでも落ちてしまったし、早稲田の理工学部も落ちてしまったことだし(慶應の工学部〔現 理工学部〕も落ちてしまったし)、落ちたのは落ちた自分が悪いのだろうから、静岡大工学部でもしかたがないかあ」と思って入学しても、1週間経ち、2週間経ち、1か月経ち、2か月経ちするうちに、「ふざけんなあ」「なんで、俺がこんな所にいなきゃならんのだあ」「だ~れがこんな所、行くもんかあ」「2浪しようが3浪しようが、そんなもん、関係あるかあ」・・という気持になって、そして、1人減り、2人減り・・していって、半年も経ったら4月に入学した人間の半分も残っていない・・という状態だった・・そうで、大学としては、京大みたいに、医学部に行くんだと言って理学部に合格しておきながら入学辞退するやつとか、入学しておきながら「やっぱり東大に行くんだ」と言って辞めるやつとかが少数いても、そんな人間はあくまでも少数派だということなら「まあ、そういうやつだって、おってもええがな。人間いろいろ」とか余裕こいて言っておけばいいけれども、いくらなんでも、半年も経たないうちに半分以上も辞められたのでは、やっぱり困るようでした。1978年に共通一次試験が実施されるのと同時に一期校・二期校の制度をなくしたというのも、二期校に配置された国立大学の立場としては、旧帝大系国立大学を落ちた受験生に合格されて入学されたのはいいけれども、半年も経たないうちに半分以上も辞められたのではたまったもんではない・・ということがあったのではないかと思います。又、1978年に共通一次試験実施・一期校二期校の制度廃止とともに、地方国立大学で二次試験に「小論文」とか「面接」を試験に入れる大学がいくつも出たというのは、おそらく、実際にその大学学部に行く意志がある受験生を合格にしたいということが地方国立大学にはあったのではないか、合格にしても半年も経たないうちに辞めていくやつは合格にしたくない・・ということがあったのではないのかな・・と私は思っています。
  又、最近、「早稲田と慶應」だかそんな感じの題名の特集の雑誌で見たのですが、慶應大医学部というのは「内部進学が4割」と決まっているそうで、それを聞くと「うわあ~あ、4割も内部進学がいるのかあ」と大学だけ行った者としては思う(・・というより、正直なところ「ぞっとする」)のですが、その内部進学が「4割」という数字は、おそらく「内部進学者が主導権を握ることができる」という数字で、同時に「だからといって、大学から行く人間が『あほくさい、そんな所、行ってもしかたがない』とまでは思わない」というぎりぎりの数字・・ではないかと思いました。おそらく、そんなところで、その「内部進学が4割」というのは決められているのではないかいなあ・・と思います。
  同様のことが、県立医大にもあるように思うのです。県が医大を作るというのは、何の為に県の費用をかけて作るかというと、その県で医者をやる人を育成する為に作るわけですから、隣接県くらいならまだしも、相当離れた都道府県出身の人間に入学されて、卒業後は出身地に戻って医者をやられたのでは何の為にその医大を作ったのかわからなくなってしまいます。しかし、だからといって、他県出身者の入学を拒否するとまではしないとしても、何とか自分の所の県の出身者が多く入学するようにしたい・・ということがその県立医大によってはあったのではないか。それで、駿台予備校の人は、奈良県立医大は奈良県出身者と他府県出身者で合格最低点に差をつけているのではないか・・と考えたようでしたが、その可能性もありますが、慶應大医学部が「内部進学が4割」と最初から決めているように、「奈良県出身者が3分の2以上」となるように合格者の「奈良県枠」を設けていた・・ということはないか・・といったことを思うのです。
  最近では女性でも東大に行ったり京大に行ったりする人が増えてきたので、私が高校に進学した1970年代半ば頃とは違ってきたかもしれませんが、私が高校に進学する頃は、北野高校や天王寺高校というのは、男子はその学区で最難関でしたが、女子は「受ければたいてい通る」高校でした。私が北野高校を受けて合格した年も、男子は落ちた人が何人かいましたが女子は全員が合格でした。これは高校の男女共学は大学の男女共学とは違い、大学の男女共学というのは、男でも女でも関係なく、成績のいい者から順番に合格というものであるのに対して、公立高校の男女共学というのは、学校では男女が共に学ぶべきだという戦後の考え方からきたもので、男女比がそれほど大きく変らないように合格者を決めるようになっていて、男子の合格最低点と女子の合格最低点は違い、北野高校や天王寺高校は男子はその学区で最難関の高校でしたが、女子は「誰でも受ければたいてい通る高校」だったのです。もしかして、奈良県立医大というのも、「奈良県枠」みたいなものがあって、慶應大医学部は「内部進学が4割」とあらかじめ決められているように、あるいは大阪府の公立共学高校では「女子枠」が決められていて、女子は何人以上は合格にしなければならないとされていて、男子で落ちる受験生がいても、男子で落ちた人間よりも入学試験の成績が下の女子でも合格になったように、「奈良県出身者が3分の2以上」になるように「奈良県枠」があった・・ということはないか。だから、駿台予備校の人が言ったように、奈良県以外の受験生と奈良県の受験生では奈良県以外の受験生が奈良県の受験生の倍なのに、合格者は奈良県の受験生が奈良県以外の受験生の倍になっている・・という事態になっていたのではないでしょうか。
  それで、奈良県立医大は、奈良県出身者に比べて他県出身の受験生は不利だと思われるので、他県出身者でも絶対に通らないということはないけれども、駿台予備校の人などとしては他県の受験生には受験をあまり勧めたくない、奈良県立医大の他にも国公立の医学部・医大はあるのではないかと思う・・・が、他県出身者でも受けて通って行った人がいないわけではない・・ということ・・かな・・と私は思っています。
(2) 藤井主事が話した「地方の受験生はきみらみたいな都会の人間とは違って根性があるんだからなあ」という発言は、私は《 予備校生に気合をつけさせるため一種の脅し 》ということではなく、下目の大学を受けさせようとしてのものではないか・・と思っていました。
  高校を卒業する年に京大を受けて落ちた人間に、1年浪人して阪大か神戸大・・か滋賀大でも受けさせれば合格する可能性が大きいので、それで、高校卒業する年に京大経済学部を受けたような人間に、1浪で滋賀大経済学部を受けさせて合格させて、それで「YMCA予備校から合格」「YMCA予備校のおかげで合格」と言いまくれば、それでYMCA予備校の評判が上がるだろう、それが予備校業としての商売にプラスになるだろう・・と考えてのもの・・かと思っていました。
  実際問題として、高校卒業時でも京大に合格できる可能性があった受験生でも、1年浪人したなら必ず通ると決まったものでもなく、1年浪人しても成績は横ばいという場合もあれば、逆に浪人して成績が下がってしまう場合だってあります。高校卒業した年に受けた大学よりも「下の大学」を受けるというのは浪人した受験生としてはつらいものですが、2浪もしたくない・・と考えると、「苦渋の決断」として高校卒業時に京大を受けた人が浪人した上で阪大を受験することにして阪大に進学した・・というケースというのは、同じ北野高校の同じ学年の人でも複数いましたし、高校卒業時に京大の工学部を受けて落ちて浪人したという人には、1年浪人した後、京大工学部だときついか・・ということから阪大工学部に変更するのではなく京大農学部に受験先を変更して京大農学部に行った・・という人もあったようです。これは「実際にあること」で、高校を卒業する年に受けた所よりも易しい所に変更するというのは、そこなら高校卒業時に通ったかもしれない・・と思うと、いったい何のために浪人したのか・・と思い何ともつらいところではあるのですが、そういう決断をする人もあるようです・・・が、高校卒業時に京大経済学部を受けて落ちた人間がYMCA予備校に1年間行って、1浪後に滋賀大経済学部を受けて行った・・という人というのは、現実に北野高校の卒業生でそういう人がいたのですが、「あんた、いったい何やってんの」と言ってやるのはかわいそうかもしれないが、しかし、実際、「あんた、いったい何やってんの」という感じです。それはYMCA予備校と主事の藤井が下目の大学を受けさせることによって合格者を出して、それを「YMCA予備校から◇◇大学に合格」という「実績」を作るためだった・・と私は理解しており、いわば、YMCA予備校と藤井の被害にあった・・というものであろうと私は見ており、YMCA予備校と藤井という男はなんとも卑怯なやつだな・・と思ったのでした。
  YMCA予備校高槻校の主事の藤井は、共通一次試験受験後、共通一次試験の自己採点から、それぞれの大学学部について「合格可能性十分」「挽回の可能性あり」「挽回の可能性は厳しい」だか、その文句は忘れましたが、そういう文句ではなく「A」「B」「C」「D」だったかも忘れてしまいましたが、そういう「判定」を出していたのですが、その予備校に行っていなくても、その「判定」を出してくれる予備校があり、又、予備校ではなく、模擬試験実施団体で「判定」を出してくれるところがあり、私は、1浪の時も2浪の時も3社で出してもらったのですが、ところが、YMCA予備校の藤井は「その判定だけれども、地方の公立高校ではYMCA予備校よりも厳しい判定を出しているようなんだ」と嘘を言うのでした。まったくつくづく、いちいち、受講生に嘘を吹き込まないとおれない奇妙な性質・性格の男なのだとあきれました。なぜ、嘘だと私が考えたのか・・というと、共通一次試験よりも前の試験制度ならば、公立高校でも模擬試験を高校で実施して、その模擬試験の成績から合格可能性を予測することはある程度できましたが、共通一次試験という全国規模の試験が実施されると、そうなると、全国規模の予備校か、全国規模で模擬試験を実施している団体かでないと、そういった「判定」は出せないもので、「地方の公立高校」がそんな「判定」は出せないはずで、「地方の公立高校」だって、共通一次試験の自己採点から「合格圏に突入」なのか「挽回の可能性十分」なのか「挽回の可能性あり」なのか「人事を尽くして天命を待て」なのかなんて「判定」できませんから(その頃、京大は最初から「共通一次試験で合計点400点未満は足切り」とはっきりと表明していましたし、さすがに400点未満では二次試験でいくら高得点を取っても京大の試験に挽回は『極めて困難』(ほぼ無理)でしたから、それはわかったでしょうけれども)、全国規模の予備校か全国規模で模擬試験を実施している団体かのものを利用しているはずなのです。また、なぜ、大阪府の予備校が「大阪府の公立高校」ではなく「地方の公立高校では」などと言うのかというと、「大阪府の公立高校では・・」などと言ったのでは、出身高校と連絡がある1浪生には嘘がばれると思ったから、だから「地方の公立高校では」などとナマ言ったのでしょう。
  共通一次試験の自己採点からの「判定」は、私が記憶しているものでは、2年間のうち、大阪予備校・大阪北予備校、それから進研ゼミが判定を出してもらった記憶があり、河合塾・駿台・代ゼミのどこかと旺文社か学研だったか、そういう所で出してもらったような気がするのですが、どうも記憶が曖昧になってしまいましたが、ともかく、1浪の時はYMCA予備校の他に3社で「判定」を出してもらったのですが、その3社の「判定」は似たようなものでしたが・・そして、大阪府の北野高校では共通一次試験の自己採点からの「判定」なんて高校では出していなかったのですが、YMCA予備校の「判定」は、あくまで若干ですがその3社よりも厳しめだったのです。要するに、藤井はYMCA予備校の「判定」の方が厳しめであるにもかかわらず、「地方の公立高校はYMCA予備校の判定より厳しめの判定をしている」とYMCA予備校の受講生に嘘を言うことで、下目の大学を受けさせて、それで「YMCA予備校から合格」「YMCA予備校のおかげで合格」という結論にしてやろうと考えていたのであろう・・・と考えられました。汚い野郎だなあ・・と思いました。まったく、「敬虔なクリスチャン」というのは、つくづく、ろくなもんじゃねえなあ・・と思いました。そう考えてのものだと断定まではできないかもしれませんが、そんな感じでした。
  又、4月にYMCA予備校に入学してすぐの頃、藤井さんに「北野高校の担任の先生は《高校の模擬試験で『通った人5人、落ちた人5人』というくらいの成績なら、『受けていいんじゃないか』と私らは言うのですが》と言われたのですが、YMCA予備校では、どのくらいのものを言っているのですか」と私が言ったところ、藤井さんは「そんなもん、予備校ではそんなわけにはいかん。浪人したからには『通った人5人、落ちた人5人』なんて成績では受けてはいかん。最低でも『通った人8人、落ちた人2人』くらいでないと受けてはいかん」と言ったのです。それを聞いた時点では、現役の時よりも浪人した場合はより合格可能性が高い状態で受けるようにするべきだということなのだろう・・と思ったのですが、後から落ち着いて考えてみたら・・・、そんなもん、京大とか東大とかに行こうとする場合に「通った人8人、落ちた人2人」なんてそんな成績、簡単に取れるか・・・というと、そんなものすごい成績、簡単に取れるものではないだろうが・・と思うようになったのです。結果として、本番の試験で「その本番の試験が本番ではなく模擬試験だったとすると、『通った人8人、落ちた人2人』というくらいの成績」を取って合格した人というのは何人かいると思います。しかし、それはあくまでも「結果として」だと思うのです。1989年に藤田元司が巨人の監督に2回目に就任した時、読売新聞のスポーツ欄で「『ボロ勝ち、競り負け』は弱いチームのやること」と述べていたのを見ました。又、1973年に野村克也が南海ホークスの選手兼任監督で、前後期制を実施したパリーグでプレーオフで後期優勝の阪急に3勝2敗で勝って優勝したことを、後に「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、他は全敗したっていいと考えた」とあっちやらこっちやらで書きまくっていましたが、大学入試においても「ともかく、勝てばええんや」「ともかく、通ればええんや」と考えてやるのと「最低でも『通った人8人、落ちた人2人』というくらいの成績を模擬試験で常に取っているのでなかったら絶対に受けてはいかん」などとアホなこと思っているのとで、受験の成功か失敗かが変わってくると思います。「ともかく、勝てばええんや」「ともかく、通ればええんや」という考え方というのは、これは、落ちそうな所でも受けろというのとは意味は違います。浪人して受ける場合は高校卒業時よりもより合格できそうな所を受けるようにした方がいいのではないか・・というのと、「最低でも『通った人8人、落ちた人2人』というくらいの成績を模擬試験で常に取っているのでなかったら絶対に受けてはいかん」というのは全然意味が違います。そんなアホなこと思っていたら、通るものも通らなくなる・・と思います。
  入学試験以外でも、私は1992年に宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の試験に合格しましたが、50点満点で自己採点で35点だったか36点だったかで、過去数年間の合格最低点は試験が難しかった年で30点、試験が易しかった年で35点で、私が受けた試験は過去数年間の問題と比較して易しい問題だったとはまず思えなかったので、おそらく合格しただろうと受験後に思ったのですが、後からその年の合格最低点は30点だったと聞きましたので、そうだとすると、十分余裕をもって通ったことになります。又、1995年にインテリアコーディネーターの1次試験(学科試験)に通り、翌年に2次試験(製図・論文)に通りましたが、1次試験(学科試験)はマークシート方式でしたので自己採点できたのですが、過去の合格最低点はこのくらいと言われていた点数よりずっと高い点数を取れていたので、試験後、合格できた可能性が高いと思いましたが、宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)試験にしてもインテリアコーディネーター試験1次試験にしても、私は合格最低点をけっこう上回る点数を取って合格できたようでしたが、しかし、それはあくまでも「結果として」であって、受験のための学習をしていた時は、本番の試験でその本番の試験が本番ではなく模擬試験であったなら「通った人8人、落ちた人2人」なんて成績を取ろうと思って学習していたのではなく、「ともかく通ればええんや」と思い、「野球でホームランというのは外野のフェンスを越えたらホームラン、それ以上、いくら遠くまで飛ばしても同じ。場外ホームランなんか打ってたまるか」「入学試験・資格試験というのは走高跳ではなくハードルであり、走高跳なら高く飛ぶことに意義があるけれども、ハードルは高く跳ぶ必要はない。ハードルはともかく越えればそれでええんや」と思い、「合格者最高得点答案」なんてそんなもん、書いてたまるか!・・と思って受けたのであり、その結果として「十分に合格最低点を上回る点数」を取って合格できたのです。そんなもの、京大とか東大とかに通ろうとする者が「通った人8人、落ちた人2人」なんてそんなものすごい成績を模擬試験で常に取らなかったら「受けてはいかん」なんて言われたら、その条件で受けることができる人間て、いったいどれだけいるのか? もしかすると何人かはいるのかもしれませんが、そんな点数取れる人間なら、別に予備校なんて行かなくてもいいのではないか・・。私はそう思います。実際、4月にYMCA予備校の藤井からそんなことを言われたおかげで、実は8月に駿台予備校が実施した東大模試で合否ぎりぎりくらいの成績だったのに、なんだか、ものすごい悪い成績を取ってしまったみたいな気持ちになってしまい、それが受験にマイナスの影響を及ぼしたと思っているのですが、「ともかく、通ればええんや」と思っているのと「最低でも、通った人8人、落ちた人2人というくらいの成績を模擬試験で常に取っていなかったら受けてはいかん」などとそんなアホなこと思っているのとで、結果が変わってきます。
  だいたい、高校卒業時に京大経済学部を受けた人、京大法学部を受けた人が浪人して阪大経済学部に行くとか阪大法学部に行くとかいうくらいはわかりますし、京大工学部を受けた人が阪大工学部に行くとか京大農学部に行くとかいうのもわかりますが、私の知っている人間で高校卒業時に京大経済学部を受けて落ちた人間が、YMCA予備校に1年行って浪人後に滋賀大経済学部を受けさせられて行ったという男がいましたが、それを藤井は「滋賀大経済学部というのは元彦根高商でいい大学なんだぞ」とか言うのですが、そりぁ、最初から滋賀大経済学部に行くような人なら「いい大学」かもしれませんが、高校卒業時に京大か阪大くらいに行けるのではないか・・という人間を浪人後に滋賀大うけさせて行かせて「YMCA予備校から合格」「YMCA予備校のおかげで合格」とぎゃーすかぎゃーすか言いまくる・・というのは、それが良心的な態度か・・というと違うと思います。やっぱり、YMCA予備校の藤井という男の頭というのか心というのかはおかしい。
  又、YMCA予備校に入学してすぐの4月に藤井は「模擬試験ばかり受けたのでは学習時間がなくなってしまいますから、最低でも夏休みが過ぎるまではYMCA予備校以外の模擬試験は出身高校の模擬試験以外の受験は禁止します」と発言したのですが、そういうことを言いたいのなら、YMCA予備校に応募する前に言うべきことで、入学してから言うことではないはずですし、実際問題として、たとえば、夏休みが終わるより前の8月頭に駿台予備校が実施した東大模試を受けに行くとYMCA予備校の同じクラスの人間が平気で受けに来ていましたが、それなども、他の団体が実施する模擬試験を受けると、YMCA予備校の「主事」が言うことと違う内容が他団体の模擬試験を受けた結果として出てくるので、それで情報を遮断しようとして、YMCA予備校以外の模擬試験は出身高校の模擬試験以外は受けるなというようなことを言ったのでしょう。卑劣なやつだと思いました。本来、予備校というのは受験生に受験のための情報を提供するべき機関のはずですが、YMCA予備校は逆に情報を遮断しようとしたのです。
  (2021.8.17.) 

☆ ここで述べたことは、私が大学を受験した1970年代後半および、その後、1980年代くらいのことを前提として述べたものですから、これから大学を受けようという方が読んでくださった場合には、今でもあてはまるものと、今ではあてはまらないものとがあるかと思いますので、中に今ではあてはまらないものもあるかもしれないということを認識して見ていただきたいと思います。
  (2021。8.17.)

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