慶應義塾大学YMCAチャペル(ヴォーリズ)~日本の教会建築(2)、及、日吉箕輪町方面の現在

〔第105回〕日本の教会建築(2)
【1】ウィリアム=メレル=ヴォーリズ 設計の 慶應義塾大学日吉チャペル(神奈川県横浜市港北区日吉。 最寄駅:東急東横線「日吉」、横浜地下鉄グリーンライン「日吉」) を今回は取り上げます。
  慶應義塾の日吉キャンパスに、建築家でありキリスト教の伝道者であり近江兄弟社の経営者・実業家でもあったウィリアム=メレル=ヴォーリズの設計である慶應日吉チャペルがあることは、山形政昭 監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10. 創元社)で見て知りました。 私は、今となっては、もう20年以上前に慶應義塾大学を卒業させてもらい、日吉キャンパスにも、十分に通ったのですが、在学中も卒業してからも、ヴォーリズの設計のチャペルが日吉にあるというのは知らずにいました。
  インターネットで検察すると、たとえば、
1.「横浜・長津田・青葉旅行クチコミガイド―横浜に残るヴォーリズ建築を訪ねてー 慶應義塾基督教青年会館(YMCAチャペル)」http://4travel.jp/domestic/area/kanto/kanagawa/yokohama/kouhoku/travelogue/10653297/
2.「Let it be ... ―慶應義塾基督教青年会館(YMCAチャペル)」http://docile.way-nifty.com/nwes/2012/03/ymca-3d5c.html
などで、取り上げられており、写真も掲載していただいていますが、
3.慶應義塾大学のホームページの「日吉キャンパス案内」http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.html を見ても、日吉チャペルはどこか書かれていません。 又、
4.「慶應Yのブログ」http://plaza.rakuten.co.jp/keioymca7/ というものも、インターネットで探すと出てきたのですが、これにも、場所は出ていません。
  日吉キャンパスは、けっこう敷地面積が広く、新幹線も、一部、日吉キャンパスの敷地の下をトンネルでくぐっているので、もしかして、日吉駅から最も遠い山の向こう側にでもあったのだろうか、それとも、慶應の日吉にある施設でも、離れた場所にあるものもあるので、日吉でも、駅の逆側(西側)にでもあるのかしらん・・・などと考え、はたして、見つけることができるだろうか・・・・と思って行ってみましたが、案外、簡単に見つけることができました。 
  
  ↓ がそれです。
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↑慶應義塾基督教青年会館(YMCA日吉チャペル) 南西側から撮影したもの。
 
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↑ 慶應義塾基督教青年会館(YMCA日吉チャペル) 南側から撮影したもの。
  南側は公道であり、この2枚の写真は、いずれも、南側から撮影したものですが、入口は北側にあります。 訪問時が午後であったこともあり、正面側からは逆光になってしまうということもあったのですが、正面側には大きな樹木が3本あって、建物自体がきれいに写らないこともあり、背面を先に掲載させていただきました。

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 ↑ 慶應義塾基督教青年会館(YMCAチャペル) 北側 正面側。
  この3本の木、特に西側の2本は、チャペルの建物との関係から考えると、大きいすぎる、又、近接しすぎています。 「Let it be ... ―慶應義塾基督教青年会館(YMCAチャペル)」http://docile.way-nifty.com/nwes/2012/03/ymca-3d5c.html には、西側2本の樹木の葉を刈り込んである状態の写真を掲載していただいているので、同ブログをご覧いただくことをお勧めしたいと思います。
  ヴォーリズさんの建築は、大変すばらしく、親しみの持てるものだと思うし、樹木は、とにかく大きくするのが芸ではないとも思うので、特に西側2本の木は、できれば、もう少し刈り込み、この場所としては、あまり大きくなりすぎならないように手入れをしてほしいように思います。

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(↑ クリックすると大きくなります。)
   ウィリアム=メレル=ヴォーリズ(一柳 米来留 ひとつやなぎ めれる 1880―1964)の建築作品は、学校・教会・住宅が多く、他に、大丸心斎橋店(大阪市中央区)や御茶ノ水の山の上ホテル(東京都千代田区)などの商業施設もありますが、『ヴォーリズ建築の100年』によれば、慶應義塾基督教青年会館(慶應YMCAチャペル)は、1937年(昭和12年)〔日中戦争開始の年〕の竣工とされています。
   「横浜・長津田・青葉旅行クチコミガイド―横浜に残るヴォーリズ建築を訪ねてー 慶應義塾基督教青年会館(YMCAチャペル)」http://4travel.jp/domestic/area/kanto/kanagawa/yokohama/kouhoku/travelogue/10653297/
2.「Let it be ... ―慶應義塾基督教青年会館(YMCAチャペル)」http://docile.way-nifty.com/nwes/2012/03/ymca-3d5c.html には、この建物は、慶應義塾大学基督教青年会の創設者の一人、里見純吉(元・大丸社長)らの寄付で建設され、戦争中は海軍に使用され、戦後はアメリカ合衆国軍に接収され、その後、大学YMCAが使用していると書かれています。
※ウィリアム=メレル=ヴォーリズと作品については、
1.「ウィキペディア―ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA
2.「ヴォーリズ記念館」ホームページ http://vories.com/
3.「一粒社ヴォーリズ建築事務所」ホームページ http://www.vories.co.jp/ 他参照。

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 ↑ これも、南側の公道から撮影したものですが、ヴォーリズさんの建築は、優しさと温かみが感じられます。

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 ↑ 日吉チャペルの場所は↑です。 インターネットで検索しても、なかなか場所は出てきませんが 特に隠す必要のあるものでもないと思います。 (↑ クリックすると大きくなります。)
  慶應義塾の日吉キャンパスの中では、特別に難しい場所にあるわけでもないのですが、慶應義塾大学の卒業生で日吉に住んでいたこともある私が知らなかったのは、ひとつには、日吉駅から東側に一直線に伸びる通路とそのつきあたりにある日吉記念館〔↑の地図では(17)〕より南側は、(18)第一校舎〔慶應義塾高校〕、(21)高校体育館、(22)高校柔道場など、主として、慶應義塾高校のスペースで、大学のスペースは、主として、日吉駅から日吉記念館に至る通路より北側であったので、主として慶應義塾高校のスペースには、ここに慶應義塾高校があるんだなと思って、それ以上は用はなく、かつ、内部の小学校・中学校・高校については、何かと排他的な印象を受けていたので、高校のスペースには入らない方がいいと思って、それ以上は立ち入らないようにしていたからでした。 今回訪問時も、体育館・柔道場にいた高校の体育教諭なのかな? という感じの男性などから、なにか、胡散臭そうな目で見られたので、大学の卒業生とはいえ、内部進学の人が言うところの「外部の連中」(←大学から入った者のこと)である者としては、長居すべき場所ではないと思って、早々に立ち去りました。 マア、「外部の連中」とは失礼な言い草だとは思いますが、「内部」の方にとっては、大学から入った者は、入学して何年経とうが卒業しようが(慶應義塾の)「外部の者」ということになるのでしょう。
  
  ヴォーリズさんの建築は、本当に魅力的ですが、このチャペルも、
1. 特に豪華であるわけではない。
2. 特に巨大であるわけではない。
3. 特に難しい建築技術を使用しているわけではない。
それでいて、魅力的で、温かみを感じる建物で、そこに近寄りたいような雰囲気を感じさせる建物であり、これこそ、まさに建築と思います。
   豪華・巨大・最新の建築技術を使用したのでなければ存在感を表せない建物というのは、「いかもの」であり、特に豪華でもなく・特に巨大でもなく・特に難しい最新の建築技術を使ったものでなくても、建築としての存在感を発揮でき、人に感銘を与えることのできるものでこそ建築であり、その上で、費用を出せる場合に豪華なところがあっても悪いということはなく、巨大であって悪いということもなく、最新の建築技術を使って悪いということもないと思いますが、決して、豪華・巨大・最新の難しい建築技術というものが先にあって、それがなければ何もないようなものではだめで、それでは建築ではないと私は思います。

   「トタンの段葺き」の屋根ですが、現在では、積雪地においては、「トタンの段葺き」の屋根とすることはよくありますが、日吉は積雪地でもなく、積雪地でない地域においては、「トタン」というのは、一般には「安物」という印象を与える素材であるのですが、この日吉チャペルでは、その「トタン」を使用して、決して安っぽいイメージを与えない魅力的な建物が構成されています。

   ヴォーリズは、1905年(明治38年)、24歳の時、滋賀県県立商業学校(後の県立八幡商業高校)に赴任のために来日したが、1908年(明治41年)、27歳の時ににキリスト教の伝道活動のために解雇されたといいます。 日本が、「信教の自由」が認められないような国には、二度となってもらいたくないと思います。

   慶應の日吉キャンパスには、私が学生として在籍した頃、「構内を御通行の皆さまへ。 植木を折らないでください。・・・」といった看板が立っていたように、近隣の住民の方が、駅から自宅へ行き来する際などに、大学の構内を通られるのが日常的で、大学の教員や学生でなくても、誰でも入れて当たり前と思っていましたし、特に慶應と関係のない近隣住民が気軽に通行できるというのは、この大学の良いところだと思っていましたが、今回、「構内へ入らないでください。」という看板を見ました。 ひとつには、大学の校舎なら特別問題はなくても、男子校とはいえ、高校の校舎の中には関係のない人は無断で入らないでもらいたいということがあるかもしれません。 私は大学の卒業生なので、なつかしさもあり、大学の校舎に入ってトイレを借りてきましたが、卒業生でない方でも、爆弾を持ち込むとかいうのなら良くないでしょうけれども、トイレを借りるとかは別に問題はないと思いますが、慶應義塾基督教青年会館(慶應YMCAチャペル)のすぐ近くの建物は、高校の建物なので、トイレを借りるなどの場合は、できれば、大学の校舎に使用されている建物か食堂棟で借りるようにされた方が問題はないかと思います。

   大学を卒業した年の3月だったか4月だったかに、日吉キャンパスに来たことがあり、サークルの勧誘をしていたおにいさんから、「新入生の方ですか」と声をかけられたことがあり、喜んだものか悲しんだものか、どちらだろうか・・と思ったことがありましたが、2年ほど前に、槇 文彦 設計の慶應義塾大学 日吉新図書館を見学に来させてもらった際に、生協の建物の前を通った時、資格試験受験の案内を配っていた人がいて、周囲の学生には誰にでも渡そうとしていたけれども、私にはくれなかったので、それだけ、歳をとってしまったということなのだろうなあ・・・と思いました。今回、どういう対応をされるかな・・と思って、生協の前を通ってみましたが、今回は、そういうものを配っている人はいませんでした。

※ウィリアム=メレル=ヴォーリズ 設計の大丸心斎橋店 について、〔第18回〕《 「屋上緑化」「屋上庭園」「屋上利用」の意義について、プラス、大丸心斎橋店の思い出 〔引っ越し掲載〕 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_18.html  で触れました。ぜひ、ご覧くださいませ。
※横浜市港北区日吉4-1-1 慶應義塾大学の付近の地図は、→(ヤフー地図)http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.55453011&lon=139.64869144&ac=14109&az=31.4.1.1&z=18

  

【2】 「YMCA」とは。
  YMCAとは、「ウィキペディア―キリスト教青年会」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%9D%92%E5%B9%B4%E4%BC%9A によれば、“ Young Men's Christian Association; ”の略で、 ≪1844年に、ジョージ・ウィリアムズら教派を異にする12名のキリスト教青年によって、イギリス・ロンドンで、キリスト者に限らず青年層に対する啓蒙および生活改善事業のための奉仕組織として創立された。≫もので、日本では、≪1880年(明治13年)5月8日、青年牧師有志により日本で最初のYMCAとして東京YMCAが発足した≫のが最初で、≪現在、日本YMCA同盟には、全国34都市にある「都市YMCA」、および、36の大学・高校にある「学生YMCA」が加盟している。≫というものだそうです。
   1979年に西城秀喜が歌っていた「ヤングマン、さあ、立ちあが~れよ、ヤングマン♪ 今、とびだそう~おぜ、ヤングマン♪」だったかの歌詞の「ヤングマン」という歌で、「わ~い、えむ、し、え~♪」という部分があり、西城秀喜とYMCAがどう関係あるのかいなあ~あ・・・と思っていたのですが、「ウィキペディア―YMCA(曲)」http://ja.wikipedia.org/wiki/YMCA_(%E6%9B%B2) のよると、日本では西城秀喜が「ヤングマン」という曲名で歌っていた歌は、アメリカ合衆国では「Y.M.C.A.」という曲名で≪Y.M.C.A.とは、アメリカ合衆国のディスコグループであるヴィレッジ・ピープル(Village People)が1978年にカサブランカ・レコードからリリースしたディスコソングのシングル。≫で、≪ヴィレッジ・ピープルは、もともとゲイをコンセプトに、メンバーが集められた。なお「Y.M.C.A.」(Young Men's Christian Association)とは、キリスト教青年会による若者(主に男性)のための宿泊施設のことを指すが、ユースホステルのようなドミトリー(相部屋)の部屋もあるため「ゲイの巣窟」とされ、「Y.M.C.A.」はゲイを指すスラングでもある。この楽曲も、題材をゲイにおいた「ゲイソング」であり、歌詞の中には様々なキーワードが隠されている。≫そうです。
※西城秀樹の「ヤングマン」を知らない方は、
「YouTube―西城秀樹 YOUNG MAM [Y.M.C.A] 」http://www.youtube.com/watch?v=bAGdqSsJKwg&feature=relmfu
「YouTube―Saijo Hideki - Young Man (Y.M.C.A.) 」http://www.youtube.com/watch?v=VwMimwH8w9U&feature=related  など参照。


【3】 日吉 箕輪町方面。
(1)東京スチューデントハウス日吉台(旧・日吉台学生ハイツ) (横浜市港北区箕輪町)
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 ↑ 慶應日吉キャンパスの南隣にある東京スチューデントハウス日吉台。(手前は消防署)
  かつては、「日吉台学生ハイツ」と言っていた建物ですが、現在では、≪伊藤忠グループの学生会館≫の≪東京スチューデントハウス日吉台≫http://www.itochu-gakuseikaikan.com/hiyoshidai/ となったようです。 昔は、この場所は池だったと誰かから聞いたように思うのだが、誰からだったか忘れてしまった。 私が大学生であった1980年代には、この写真に写っているような耐震補強の鉄骨はありませんでした。 「十字型の地震に強い建物です。」と職員の方から言われたのですが、現在の耐震基準では、この鉄骨の耐震補強が必要になったということでしょうか。 戸田建設のホームページ(http://taishin.toda.co.jp/new_tec/to-stc.html )を見ると、建物を使いながらの耐震補強工事「鋼管カッター工法」の「ブレース増設」の例として、日吉台学生ハイツが出ています。
   この写真で見ると、この建物は、鉄筋コンクリート造(RC造)でも、「壁式(面式、版式)」ではなく「ラーメン式」の構造の建物であることがわかります。日吉に住んでいた1980年代前半は、建築の仕事につくことは考えていなかったので、特に関心もなくわかりませんでしたが、卒業後、建築関係の仕事につくようになり、見え方も変わりました。

   かつて、「日吉台学生ハイツ」と言っていた頃は、この宿舎は、防衛庁・自衛隊関係の人が管理をおこなっていて、入居学生にもそういう関係の人がいて、一般入居者より優遇されていたように聞きました。 
   防衛庁・自衛隊関係の人が運営していただけあって、「カウンセラー」と称する男性が、ロビーをうろついていて、学生(入居者)をつかまえては、右翼的な演説をおこなったりしていました。 「きみねえ、日本という国は、単一民族の国で、ソ連が北からのどが手が出るくらいに欲しがっている国なんだよ。 それを守らないといけないんだ。だからねえ、労働組合の人間とか日教組の人間とか共産党とか社会党の人間なんてのは生きている必要はないんだよ。 共産党とか社会党とか日教組の人間は死刑にするべきなんだよ。きみ。 労働基準法を守れなどという甘ったれたやつは生かしておく必要はないんだよ。わかってるかね。」などと毎度、講釈していました。 たいへん、しつこく、「はい、はい、はい、はい。」と言っても、「まだだよ、わかっとるのか。」と言って、酒を飲んでべろんべろんに酔っぱらった状態でからみついてくるので往生しました。〔「労働基準法を守れなどという甘ったれた人間は日本には必要ないんだよ。」などと言う割には、おっさんは、勤務時間中に酒を飲んでべろんべろんで勤務していたのですけれどもね。〕 この人は、部屋まで押しかけてきて「ソ連がだなあ・・」と講釈はじめることもあり、「すいません。今、やっていることありますので。」と言っても、「いいんだよ! そんなものは。」などと言って講釈を続けるので、まったくかないませんでした。 
   日曜日、私が、上の慶應YMCAチャペルではありませんが、ある教会に行って帰ってきたとき、その日吉台学生ハイツの「カウンセラー」が、「よお、○○くん、どこへ行ってきたんだね。」などと言うので、つい、「ちょっと、教会に行ってきました。」と言ってしまったところ、「それはいかんなあ。それはやめたまえ。それはいかん。」などと言い出したので、「どうしてですか?」と言うと、「きみ、原理研(原理研究会=国際勝共連合)とか、入った者は、みんな、大変なんだよ、知らんのか。」と言うので、「原理研と違いますよ。」と言いましたが、そうすると、わかっとるわ! 原理研と違ってもだなあ。 きみ、わかっとるのか。 日本という国は、天皇陛下の国なんだよ。 それを、キリスト教の教会などというところに行くというのが、非常識だということが、わからんのかあああああああ!!!」とどなりつけられたのです。
   はあ~あ・・・。 「賃貸住宅の管理人が、入居者に向かって、そういうことを言うというのが、非常識だということがわからんのかあああああ!」 と言ってやりたかったのですが、逆らうと余計にうるさいので、「ああ、そうですか。はい、はい。」と言って逃げましたが、日吉台学生ハイツというのは、そういう所でした。 防衛庁・自衛隊というのはレベル低いなあとも思いました。戦中の話ではありません。1980年代前半のことです。

   慶應義塾大仏文科卒の文学者・遠藤周作の短編小説『ガリラヤの春』(遠藤周作『母なるもの』1975.8.25. 新潮文庫 所収)に、戦争中の学校における「持ち物検査」の話が出ています。
≪   支那では戦争が拡がっていた。学校に新しい配属将校がやって来て三年生以上の軍事教練は今までよりも、もっときびしくなった。 クラスのなかには陸士と海兵を受験しようとする連中の数がふえてきた。
    ある日、急に服装検査があった。校庭に生徒を集めて教師たちが持物を調べるのである。煙草をポケットに入れている者や、女優のブロマイドを持っていた者は列外に立たされた。
    教師は私が足もとにおいた定期入れや汗で黒ずんだハンカチの間から、小さな十字架のついたロザリオを引きずり出した。
「何や、これ」
体操の教師である彼はロザリオというものを始めて見たらしかった。
「アーメンか、おまえ」
 それから彼は疑わしそうな眼で、長い間、私を眺め、列外に出ろと言った。そのあとで私は煙草やブロマイドを持っていた連中と一列になって教員室までつれていかれた。
「お前の場合は」と国語の教師はロザリオを返してくれながら渋い顔で「別にわるいもんを持っとったわけやないが、天皇陛下のおられる国で、外国の神さんを拝んどる家庭は、どうかと思うな」
 私は自分よりも母が侮辱されているような気がした。向こうの席で新任の配属将校がこっちをじっと見つめていた。その教官にも礼をして教員室を出た。
・・・・・・・・・・・・≫

   この『ガリラヤの春』という遠藤周作の小説に書かれているようなことは、戦中の話であって、戦後の日本の社会においては関係ないものと私は思っていたし、小学校や中学校でもそのように教えられたはずだったが、日吉台学生ハイツ(横浜市港北区箕輪町)では、今現在の話であり、そして、他人ではなく、私自身が、遠藤が小説に書いているようなことを言われ、怒鳴りつけられた。 日吉台学生ハイツに支払う代金は、部屋代と管理費の2つからなっていて、「管理費」がけっこう高かったが、それは、廊下や階段・ホールなどの共有部分の清掃、エレベーターの運行費用、共有であるトイレの清掃や水道代、共有スペースにある炊事施設でのガス代などのことを指すと、当初、私は思っていたが、日吉台学生ハイツの運営者の意識としては、そうではなく、入居者(学生)を管理する費用と考えていたようで、「管理費」を親からもらっているのだから、十分に学生(入居者)を管理しなければならないと認識していたようで、その結果、「日本という国は、天皇陛下の国なんだよ。 それを、キリスト教の教会などというところに行くというのが、非常識だということが、わからんのかあああああああ!!!」という発言になったようだった。
   日吉台学生ハイツには、エロ本の自動販売機が設置されていたので、私は、そういうものは決して勧めるべきものではないとしても、外で買ってきて読む人があっても、賃貸住宅の管理者が、それを良いとか悪いとか口出すべきものではないと思ったが、しかし、主として大学生、中には大学院生、高校生が住む「学生ハイツ」というところにおいて、相当にどぎついエロ本の自動販売機を、「学生ハイツ」の中に、施設運営者自身が設置するというのはいかがなものかと思ったが、運営者としては、天皇陛下の国において、キリスト教の教会に行くということはけしからんことであるとし、「管理」の対象としてやめさせようとし、それを、業務だと思っていたようだが、相当にどぎついエロ本の自動販売機をハイツの運営者自信が設置するのはかまわないことと考えていたようだった。 「男はねえ、女の体を求めるのは当然のことなんだよお。 男は、女よりもえらいんだよ。どこがえらいかと言うと、なんと言っても、男は強姦することができるんだよ。 これは女にはできないことなんだよ。男は強姦することができるという点で、女よりもえらいんだよ。これは、有名精神分析家が言っていることなんだよ。」と学生ハイツの「カウンセラー」が言っていた。その「精神分析家」とやらの説に従って、エロ本の自販機をハイツ屋内に設置していたようだった。
   又、学生ハイツは、各人の郵便受けに自由にチラシなどを入れさせないように「管理」しようとしたが、それは、社会党・共産党・民青同盟などの人がチラシを入れるのを妨げようとしてのもので、入居者(学生)に、社会党・共産党・民青同盟などのチラシなどを見せないようにするのが学生ハイツが「管理費」として取って業務としている「管理」の仕事の一環と考えているようでした。〔最近、分譲マンションで、集合ポストにチラシを入れさせないようにしようとする管理人がいるが、それは、この学生ハイツがおこなっていた、社会党・共産党・民青同盟などにチラシを入れさせないようにしようとする行動の流れのものです。〕  かつ、私が在籍時、自民党の 船田 元(はじめ) を呼んできて、学生ハイツの中で、「講演会」を開催したことがあったが、その際、「学生ハイツは、我々にとって、住居以外のものではない。船田 元の講演をハイツの中で開催するのはやめよ。」というポスターを貼りだした人があったが、そのポスターはすぐに撤去され、船田 元 の講演会は実行された。 一方で、社会党・共産党などのチラシを郵便受けに入れるのを妨げ、一方で、自民党の 船田 元 の講演会を学生ハイツが主催して、学生ハイツの中でおこない、館内放送で、「皆さん、ぜひ、参加ください。」と呼びかけるというのは、賃貸住宅のあり方としておかしい。 又、物品の販売や宗教の勧誘に外から来訪して各部屋を訪ねてまわる人があり、学生ハイツでは、館内に、物品の販売や宗教の勧誘の為に立ち入って個別に訪問するのはやめてくださいと言い、たとえば、日吉にあったモルモン教の人が来訪した時に、「モルモン教の人が来ていますが、相手にしないでください。」という館内放送をおこなっていましたが、モルモン教の人には、館内で勧誘をしないでくださいと言って、日吉台学生ハイツ管理者は、「日本は単一民族の国でソ連がのどから手が出るくらいにほしがってる国なんだよ。その日本をソ連から守らないといけないんだからねえ。」とかいう話を聞かせに部屋まで押しかけてきたり、「ハイツだより」として右翼的な論調の内容の文を印刷して配布したりというのも、なんだかなあ、と思います。
  かつて、安保闘争がおこなわれた時、反対運動には2通りの反対があったという話を、慶應のある講義の中で教授から聞きました。 ひとつは、日米安保条約に対する反対であり、もうひとつは、日米安保条約に対しての反対ではなく、岸信介首相が、国会議事堂に機動隊を入れて野党の議員を追い出した上で議決を強行したということに対する抗議であり、たとえ、安保条約を認めるとしても、岸信介のその議会政治・民主主義を踏みにじる強行のしかたは認められないとしての抗議で、慶應義塾大学の学生は、昔から、「リベラル」な人が多く、安保条約自体に反対して反対闘争に参加する人は多くなかったが、岸信介の機動隊を国会に入れて野党の議員を追いだしての可決というやり方に抗議して、デモに参加する人が多くでたという話を聞きました。 
   日吉台学生ハイツにおいても、船田 元の講演はやめてもらいたいというポスターを出した人にしても、学生ハイツ内で、講演会を持ちたいと思った入居者が、誰でも、どういう人でも呼んで開催できるようにしているのであれば、船田 元の講演会をも開催して悪いことはないと考えたでしょうけれども、日吉台学生ハイツは、一方で、社会党や共産党のチラシを入れさせないようにして、キリスト教の教会に行かさないように働きかけ、他方で、船田 元の講演会を実行し、どぎついエロ本の自販機を施設内に運営者自身が設置するということをおこなっていたので、そういうやり方に対して抗議したというものであったと思います。船田 元 氏が良いかどうかという問題ではありません。船田氏がその時、どういう話をしたのかも知りませんが、施設管理者が好む人を呼んできて入居者に話をきかそうとして、施設管理者が好まない相手は排除しようという姿勢に問題があるのです。〔船田元氏は、慶應大経済学部卒と聞いていたので、船田中の孫なら慶應でも内部進学かと思っていたら、「ウィキペディア―船田元」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E7%94%B0%E5%85%83 を見ると、栃木県の県立宇都宮高校卒らしい。県立宇都宮高校は、栃木県では略称を「ウダカ」と言って、栃木県中北部では「名門校」と評価される学校と栃木県に住んだ時に聞きました。船田 元 氏も、かつての、日吉台学生ハイツの入居者であったということであり、日吉台学生ハイツの管理者の姿勢を知らないはずはないのですから、あの講演にはたとえ呼ばれても行くべきではなかったと思います。もしも、「反動の政治家」「反民主主義の政治家」ではなく「自由で民主的な社会を目ざす政治家」であるつもりならば。 〕
   又、日吉台学生ハイツには、「フロアリーダー」と指定されている入居者が何人かいて、毎月、「フロアリーダー会」というものが、学生ハイツが食事を出して開催されていましたが、選挙のようなものをおこなったわけでもなく、「フロアリーダー」になりたい方は申し出てくださいという告知がされたことは一度もなく、学生ハイツの管理者が一方的に決めていたものでした。 防衛庁(現・防衛省)・自衛隊に関係する入居者や学生ハイツ管理者と仲の良い入居者が選ばれているようだと言われていましたが、私のような、「天皇陛下の国で、キリスト教の教会に行くなどという」日吉台学生ハイツの「カウンセラー」が言うところの「非常識なこと」をやっていた者は選ばれなかったようですし、学生ハイツは住居以外のものではないのであり船田 元の講演会を学生ハイツ内で開催するのはやめよというポスターを出した人なども選ばれなかったでしょう。これもおかしい。
   施設管理者として、「学生を守るのが、親御さんから子弟を預かっているハイツの任務」というようなことを、「ハイツだより」とかに書いていたようですが、実際のところ、学生ハイツの管理者こそ、問題があるのであり、誰から守らないといけないかというと、何より、学生ハイツの管理者・運営者から守ることが必要であり、私も、大学生であった時、それに気づき、ここは、長居せずに、他に移った方がいいと思うようになって、アパートを捜して転居しました。変な所に住んだものだと思います。
   ≪伊藤忠グループの学生会館≫で≪東京スチューデントハウス日吉台≫という名称になった今はどうなっているのでしょうね。

(2)大聖院(天台宗) (横浜市港北区箕輪町)
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(3)諏訪神社 (横浜市港北区箕輪町)
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  私は、特に観光地でもない所を歩くのが好きだったので、日吉の町も、けっこう歩きまわりました。 お寺の場合は、有名寺院であれば拝観料を請求されるところと無料で入らせてもらえるところの違いはあっても入れますが、特に有名寺院でもない所は檀家でもない者は入ってはいけないかなあ~と気がねしますが、神社というのは、特に有名・大規模な神社でなくてもたいてい誰でも入らせてもらえるので、日吉に住んでいた時には、この諏訪神社にも、けっこう来ました。
   諏訪神社の前のあたりは、私が大学生であった1980年代には、田畑が広がっていたのですが、今は、田も残ってはいますが、かつて畑であった所に住宅が多く建っています。

(4)アピタ(サンテラス日吉。 旧・ユニー) (横浜市港北区箕輪町)
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 ↑ 私が大学生であった1980年代には「ユニー」という名称のスーパーだったものが、今は「アピタ」という店になりましたが、アピタは、ユニーとは別の会社ということではなく、ユニー株式会社が運営する店舗の名称が「アピタ」のようです。
「ウィキペディア―ユニー」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%BC 
   スーパーのユニーと「専門店」が入るサンテラス日吉が慶應日吉キャンパスの南、日吉台学生ハイツの南にあり、今は、「ユニー」が「アピタ」と名称が変ったようです。 その当時、サンテラス日吉の中に、飲食店は、スパゲッティなどの軽食屋が1件とそば屋が1件あったと思います。 日曜日などの昼、ユニーへ買い物に来た時、そこで食事をしたことが何度かありましたが、今は両方ともなくなっていました。
   「軽食屋」の方にあった食事のメニューは、「ナポリタン」と「ミートソース」と、他にカレーくらいがあったように思います。 最近は、本格的なパスタの店が多くなってきましたが、「昔ながらのミートソース」「昔ながらのナポリタン」も悪くないと思うのですが、逆に、そちらの方を出す店が少なくなりました。  大学生であった時、ここの軽食屋に高校生のアルバイトの女の子がいて、ちょっとどんくさそうな感じだったけれども、気持ちの優しそうな子で、親しみを持てる雰囲気の店員さんでした。 それで、何かあったかというと・・・・、何もありません。 彼女がなんとなく親しみやすそうな雰囲気だったので、 何度かここで食事しましたが、日吉のスーパーはユニー(現・アピタ)だけでなく、逆の方角にもあるので、買い物をする時には逆の方のスーパーに行ってサンテラス日吉には1カ月ほど行かないことがあり、その後に行くと、もういませんでした。 それだけです。 大学卒業後、営業の仕事をやるようになって、そして、思ったのですが、「性格がぎすぎすした人」というのは、人が「言うことをきく」ことがあり、特に女性の場合、男性は「言うことをきく」ことがあるため、「押しが強い」かのように勘違いされて「営業に向く」と思ってしまう人がいるようですが、それは違うと思います。 「性格がぎすぎすしている女性」に対しては、男性は、「この人とはかかわりたくない」という気持ちになり、そのために、一度は「言うことをきく」状態になり、そのかわり、その後、つきあわないようにするのです。 営業とは、1回、「言うことをきかせる」かわりに、以後、つきあわないようにされることではないと思うのです。 その後も、その人の所へ行きたい、同じことなら、その人に頼みたいと思ってもらうことだと思うのです。 「サンテラス日吉」の軽食屋にいた高校生の女の子は、営業をやっているつもりはなかったと思うのですが、でも、結果として営業をやっていたと思うのです。 ちょっとどんくさそうだったけれども、でも、親しみやすそうな雰囲気だったので、どちらかというと、サンテラス日吉にあった2件の飲食店のうちでは、その軽食屋の方によく行きました。特に、一時、体調がよくない時があり、そういう時には、親しみやすそうな雰囲気の店員さんの店というのは、そうでない店よりも、居心地がよくて、ほっとするようなところがありました。 もしも、彼女がこのブログを見られることがあったなら、「ありがとうね」・・・・・。
※横浜市港北区箕輪町 の地図は、→(ヤフー地図)http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.55081128&lon=139.64651676&ac=14109&az=37.1.1&z=18
    (2012.6.15.)
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 大飯原発 再稼働は理解できません。 もし、今、さらに、西日本でも原発事故が起こったとしたら、ということを考えないのでしょうか?
(参考)
武田邦彦教授のブログ
「緊急考察・・・大飯原発はなぜ再開されるのか?(1)」http://takedanet.com/2012/06/post_6ad1.html
「緊急考察・・・大飯原発はなぜ再開されるのか?(2)」http://takedanet.com/2012/06/post_d8e3.html 
       (2012.6.17.)
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☆  何人かの方からコメントをいただいておりますが、残念ながら、文字化けしてしまって読めません。 私は必ずしもパソコンとインターネットに詳しい方でもないので、どういう理由で文字化けしたのかわかりませんが、せっかく、コメントいただけるのでしたら、文字化けしないよう考慮いただければと思います。(2017.10.10.)

"慶應義塾大学YMCAチャペル(ヴォーリズ)~日本の教会建築(2)、及、日吉箕輪町方面の現在" へのコメントを書く

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