佐高 信(さたか まこと) による 武田 邦彦 批判に対する批判

〔第53回〕 3月11日の福島第一原発の事故以来、中部大学の武田邦彦教授のブログは、時事刻々変化していく原発事故と放射能汚染に対して、しろうとにもわかりやすく、毎日、述べてもらえるものとして重宝してきました。 又、武田教授の著書『原発事故残留汚染の危険性』(2011.4.30.朝日新聞出版)は、大変、わかりやすく書かれており、原発事故直後、とにかく、放射能による被害を防ぐ、軽減するために、とにかく、できることをやらなければならないという状況においては、適した書かれ方のものと思いました。 週刊誌などでの発言も参考になるものが多かったと思っています。

  ところが、「サンデー毎日」2011.10.2.号(毎日新聞社)に掲載された 佐高 信(さたか まこと)氏の「政経外科 連載610」に、≪とにかくペラペラしゃべらず 「沈黙」していてくれませんか≫として、武田邦彦氏批判というより非難が書かれています。 佐高 信 氏については、今まで、なかなか鋭いと思う評論を述べてきた評論家であると私はある程度以上高く評価してきました。 佐高 信氏は、「週刊金曜日・原発震災」2011.4.26.臨時増刊号(2011.4.26.株式会社金曜日)で、「電力会社に群がった原発文化人25人への論告求刑」という文を発表し、「サンデー毎日」誌上の「政経外科」でも「原発文化人」への批判をおこなってきています。
〔「週刊金曜日」では福島第一原発の事故の後、「原発文化人25人」へ原発についてのアンケートを依頼したようですが、回答なしの人が多かったようです。 芸能人であれ運動選手であれ、元・芸能人・元・運動選手であれ、原発を礼賛・推進・賛成する発言をおこなって、その原発が事故を起こして放射能被害が出てきている今、自分がおこなった発言について黙ってしまわないで、ひと言くらい何か言ったらどうかと思いますが、黙って逃げようという人が多いようで残念です。〕 
  そのある程度以上高く評価していた佐高氏による批判なので、3月11日以来、良心的な発言を続けている武田教授にも、問題点があったのかと思って見たのですが、まず、冒頭から、
≪ 前略 便乗反対派、武田邦彦殿
  私の郷里の山形では、舌先三寸で世の中を渡っていく口のうまい奴を“ベロ(舌)屋”と言います。 これ以上ない軽薄な人間のことですが、よくテレビでしゃべっている中部大学教授のあなたを、竹中平蔵と同じく典型的なベロ屋だなと私は軽蔑して見ていました。≫ 
と、かなり過激な攻撃がされています。 今現在、インターネット上においては、ホームページもブログも比較的簡単に作れますし、ツイッターとかフェイスブックとかいうようなものもでてきて、誰でも、簡単につぶやくことができるようになってきましたので、ある程度以上、有名な人の場合、インターネット上において、「フツーの人」から、感想として、ブログやツイッターその他で、「あの人、あんまり好きじゃないわあ」とか言われたとしても、あるいは、「アホ、ばか、間抜け」とか言うような批判にならない悪口・雑言があっても、言われた方も、いちいち気分を害することもないでしょうけれども、佐高 信 氏は、「フツーの人」ではなく、世間に名前の通った評論家であり、発表する媒体が毎日新聞社という日本では知らない人のない新聞社が発行する新聞社系の週刊誌ということであれば、批判は、論拠をあげた上で、こういう理由でこういう結論になるという批判のしかたであれば、賛否はあっても、大いに批判して良いと思うのですが、「フツーの人」ではなく「名前の通った評論家」の佐高 信氏が、論拠も示さずに「アホ、ばか、間抜け」というような悪口雑言を述べるようでは、自分自身の評価の方を下げることになってしまいます。それで、実際の文章はどうなのか見てみます 。


  佐高 信 氏が≪舌先三寸で世の中を渡って行く口のうまい奴≫とか≪これ以上ない軽薄な人間≫とか、そこまで言うだけの論拠が書かれているのか、と思って見たのですが、どうも、この「サンデー毎日」2011.10.2.号に掲載の「政経外科」での武田邦彦氏批判については、佐高氏の“勇み足”ではないかというように思いました。

  佐高氏が武田邦彦氏の問題点として、この「政経外科」であげているのは、
1.≪私はあなたの饒舌さにショックの軽さを見るのです。≫と佐高氏は述べているテレビなどでの話し方について。
2.東京電力から研究費として、合計で九億円もらっていた、という点。≪研究費としてであれ、あなたが東京電力からカネをもらっていたという事実を知ると、「沈黙」しかないのではないかと思います。≫と。
3.≪・・・前記の『ケンカ対談』<武田邦彦・副島隆彦『原発事故、放射能、ケンカ対談』(幻冬舎)>で、三月十一日前のことを指し、反対派がすごく強硬で、「賛成派の多くの人たちは、気が弱い学者だったり、電力会社のサラリーマンだったりするものですから、攻撃されるたびに、何でもかんでも原発推進派として追いやられてきました」と言っていますが、事実誤認も甚だしいですね。 東電から九億円の研究費をもらった「推進派」のあなたと、反対派だったが故に助教という助手のままに据え置かれた小出裕章さんを対比した時、そんなことが言えますか。≫という点。
この3点です。

  この3点のうち、1番目。 人の外見・風貌や話し方について、どう感じるかは、見る人・聞く人それぞれによって感じ方は違うと思います。 外見・風貌や話し方は好きな人も好きでない人もいておかしくありません。
  武田氏の外見・風貌については、何カ月か前、インターネットで検索していて、たまたま見たもので、≪みんな、武田邦彦の言う事をありがたがって聞いているが、どんな人間か知っているかあ?≫というようなことが書かれたものを見ました。いったい、どんな人間なんだろうと思ってクリックすると、≪竹村健一みたいなオッサンだぞお。≫と書かれていました。そのURLも忘れてしまったので、今、見ることができませんが、これは、佐高氏のような「有名評論家」ではなく、「フツーの人」が公開しているもののようでした。 ≪どんな人間か知ってるかあ?≫と書かれていたので、何か問題のある行為でも過去にあったのかと思って見たら、そういうことではなく、風貌が竹村健一みたいだという発言でした。 私は、竹村健一という人については、まったく評価していませんが、それは、「評論家」でも、佐高氏などは、ある程度以上、事実をあげた上で、それに対して、これはこう考えるべきで・・という論理的な評論がなされている場合が多いのに対して、竹村健一という人は、単に無茶苦茶言っているだけ。 そして、佐高氏などは、権力側・体制側についても批判をおこなうことがあるのに対して、竹村健一という人は、あくまで権力側・体制側に立って、反権力・反体制の側をやっつけるという姿勢。 たとえ、体制側に立った発言でも、それなりに論拠があるならば、聞く値打もあるかもしれませんが、竹村健一という人の言うことというのは、無茶苦茶言っているだけでしかないので、あほくさくて聞く気もしなくなります。 但し、それが受けていたというのは、その「体制側・権力側から無茶苦茶言っているだけ」というのを喜ぶ人がいたということなのでしょうけれども。 それに対して、武田邦彦氏は、大学教授として、賛否ある問題もあるかもしれませんが、十分、まともなこと・内容のあることを発言されており、いくらなんでも、竹村健一と一緒にしたのでは気の毒でしょう。 但し、インターネットで≪竹村健一みたいなオッサンだぞお≫と述べていた人(どういう方か知りませんが)も風貌について≪竹村健一みたい≫と言っていたのであって、内容が竹村健一と一緒と言っていたわけではなかったようですが。
  それで、内容は明らかに違いますが、風貌については、確かに言われてみれば、「関西人のオッサン風」の風貌という点で竹村健一と共通するところがあるかもしれないと私は思ったのです。 武田邦彦氏の経歴を拝見すると、都立西高校から東大に行かれたということなのですが、雰囲気として、「関西人のオッサン風」のところがあるのです。  私は、「関西人のオッサン風」でも竹村健一の「関西人のオッサン風」は感じ悪いと思うのですが、武田邦彦氏の「関西人のオッサン風」は嫌いではありません、というより、私自身も大阪の生まれでもあり、「関西人のオッサン風」に親しみを感じるのですが、風貌や雰囲気については、人によって感じ方はそれぞれ違うので、「関西人のオッサン風」の風貌が嫌いという人もいるかもしれません。
  又、たとえば、佐高氏が名前をあげている京大原子炉実験所助教・小出裕章さんと風貌を見比べると、小出さんの方がいかにも学者という雰囲気があるかもしれませんが、それは、武田邦彦氏は、小出裕章氏のように大学卒業後も大学に残って終始「学者」をおこなってきた人ではなく、会社という所に勤めて、それから「学者」になった方なので、百パーセント学者という雰囲気ではなく、会社勤めの人間の雰囲気も持っておられるということではないのかな、と私は感じており、人の人生として一貫して「学者」であった方と会社勤めの経験を経て「学者」になった方とどちらが良いとか悪いとかいちがいに言えるものではないと思いますし、会社勤めの経験というのは、一般的にはプラスの評価を受けて良いものと思っています。
〔  私は、小出裕章さんについては、小出裕章さんの『原発のウソ』(扶桑社新書)も専門でない人間にわかりやすく書かれた本だと思い、読ませていただきましたし、良心的で真面目な方なんだろうなあという印象を受けていますが、若い人に放射性物質の含有量の少ない物を食べてもらうために、ある程度以上の年齢の人間は放射性物質の含有量の多い物を食べるべきだといった発言などは、「学者」しか経験のない人だからそんなこと言うのかなあ~あ・・・と思ったりもしています。ある程度以上の年齢の人間が放射性物質の含有量の高い物をせっせと食べて被曝したとしたら、そのかわりに乳児・小児が被曝しないかというと、そんなことないでしょう。 言ってもきかない人はきかないのです。 私が犠牲になって放射性物質の含有量の多い物を食べたとして、それで、私が「武田邦彦のブログ(http://takedanet.com/ )を見た方がいいよ」と、せっかく言ってあげても、きかないだけでなく、うるさがるようなヤツの子供が、私が犠牲になって食べるのをやめた放射性物質の含有量の少ない食品を食べることになると思いますか? なんで、私が犠牲にならなければならないのか、と思いながら放射性物質の含有量の多い物を私がせっせと食べたとしても、そのかわりに福島県の幼児・小児が放射性物質の含有量の少ない物を食べることになるかというと、そんなわけないでしょうが。 東電の役員とか経産省のエライさんとか原発を推進した「今でも推進派」の“学者”とか推進した政治家とかの親と子供とその一族がパクパク食うでしょうよ。 小出さんのそのあたりの発言については、真面目に努力してきた良心的な人なんだなあ、とは思いながらも、一生、「大学」の中にいたからであるのかどうかはわからないけれども、なんか、人間というものをわかってないなあ・・・という印象を、(あくまでそのあたりの発言についてはですが、)私は受けてしまいます。 (大変良心的な方という印象を受けている小出裕章さんの承服できかねる部分ついては、〔第47回〕《小出裕章氏の放射能汚染食品等に関しての「子供手当」的発想に疑問、他 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201107/article_3.html において、述べさせていただきました。) 〕
  話し方については、佐高氏は、≪私はあなたの饒舌さにショックの軽さを見る≫と述べていますが、私は、たとえば、9月11日の東京都江戸川区船堀での講演会(動画をhttp://takedaatedogawaku.jimdo.com/ で見ることができます。〔第50回〕《 武田邦彦講演会(於:江戸川区。 9/11)を聴きに行ってきました。 及、マンションと戸建住宅の比較。 》 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201109/article_1.html も御参照ください。)などでも、放射能汚染について、言いにくいことでも、事実は事実として言わなければならないとして、断固発言する姿勢について、むしろ、好感を持っています。 しかし、たしかに、インターネットで見たテレビ番組で、原発事故の後、相当深刻な事態の時に笑いながら発言されていた時があり、私も、どうかな、と感じた時もあり、ご本人も、江戸川区の講演会の際にも「私は、どうも、深刻な問題を明るく話してしまうくせがあって、女房からも気をつけるように言われたりするのですが、 これはくせですので、どうか理解ください。」と言われており、そういうところはあるのかもしれません。 「深刻な問題を明るく話してしまう」というのは絶対にマイナスとは限らず、原発事故と放射能汚染の問題はすでに半年を超え、まだしばらく終わる見通しはないわけですから、長期的な問題となってくると、むしろ、深刻な問題であっても、態度は明るくやっていかないと、やりきれないようなところがありますから、そういう意味で「明るく」となると悪いことではないでしょう。 もしかすると・・・と思ったのは、親しみやすい話しかけやすい雰囲気を出そうと努力されたものが、眼鏡をかけておられる為、目元が見えにくいので、人によっては≪ショックの軽さ≫と受け取られてしまうということがあったのかもしれません。
  私は福島県の いわき市に5年間住んだことがありますが、たしか、その時、同じ営業所の いわき市の生まれの人から、「ここは東北だから。 東北の人間というのは、全般的に、あんまりペラペラしゃべる人間というのは、好きじゃないんだ。」と言われたことがあったような気がするのです。 佐高氏は(東北地方に属する)山形県出身ということなので、もしかすると、武田邦彦氏の話し方を見聞して、他の地域の人間が感じる以上に、≪ペラペラしゃべ≫っているように、≪饒舌≫であるように感じたという可能性もあるのかもしれない・・・と思ったのでした。
  いずれにしても、≪内容ではなく表面的な姿、つまり形だけで判断されてはたまらないと、あなたは言うかもしれませんが、≫と佐高氏自身が述べているように、≪表面的な姿、つまり形だけ≫なのか、内容に問題があるのかということになります

  2番目の東京電力から研究費として合計九億円もらっていたという問題について。 ≪ あなたは副島隆彦との『原発事故、放射能、ケンカ対談』(幻冬舎)で、副島に「いくらもらったのか」と問われ、「合計で僕は九億円じゃないかと思いますけどね」と答え、副島から「うわっ」と驚かれていますね。≫と佐高氏は述べており、確かに、私らのような安月給のサラリーマンからすると、「九億円」と言われると、それだけで、「うわっ」と思いそうなのですが、しかし、「賄賂として」とか「袖の下として」とかでもらったのなら「うわっ」ということになるでしょうけれども、「研究費として」もらったという場合、原子力関係の研究費として考えると、その金額というのは高いのか安いのか、私たちそういう問題を専門にしていない者にはわかりにくいのです。 そして、もしも、ある程度高額な研究費を企業にもらわないと研究ができないという状況であったのならば、もらわないで、研究できなくなった方が良いのか、もらいながらも、企業の言いなりにならないように工夫するようにした方が良いのか・・といったことは、判断は簡単ではないように思えるのです。 そのあたりについて、佐高 信 氏は、私のように安月給の会社員が、何の因果かこういうブログを作成しているというのと違って、すでに「評論家」としてある程度以上安定した評価を得て仕事が軌道に乗っている方で取材や調査の時間もかけることができる立場のはずですから、そのあたりについて、吟味検討して説明してもらえてもよかったのではないのか、という気がいたします。 
  「ウィキペディア――佐高 信」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%AB%98%E4%BF%A1 を見ると、佐高 信 氏は慶應義塾大学の法学部法律学科卒業と書かれています。 実は、私も慶應義塾大学の商学部を卒業しました。佐高さんは、私の大学の「先輩」ということになるのでしょう。 私が慶應義塾大学に在学した頃(1980年代前半)、慶應には、《「独立自尊」理論》というものがありました。 「独立自尊(どくりつじそん)」というのは、誰が言い出したかというと、特定の人間が言いだしたとかではなく、もともと日本語として存在する言葉ですが、特に、福沢諭吉が主張した言葉で、私は慶應義塾大学に入学するまで、「精神の独立」とか「やせ我慢の説」などと通じるものかと思っていたのですが、慶應義塾には、この「独立自尊」という言葉の解釈に正反対の2通りの意味があって、ひとつは、その時の権力に服従して言いなりになることなく、自らの良識に従い、あくまで科学的に公正に学問をおこなうべきだという考え方であり、もうひとつは、そのようなことを言っていたのでは生活を失うおそれがあり、自分で独立して生活できるようにするためには、そういう「子供みたいなこと」“「モラトリアム人間」の態度”を取ることなく、すべて、権力・体制に服従し奉仕する姿勢・態度を貫くのが当然であり、権力・体制に奉仕することによって自分の生活・収入を確立するのが「独立自尊」であり、前者の意味で「独立自尊」というようなことを言うような者は「甘ったれている」のであり、「モラトリアム人間」(病)という病気であり「治療」する必要がある、という主張で、現実には、慶應の学生の大部分は後者の考え方をとっており、それを「思考が柔軟な慶大生」とか「福沢精神」とか「慶應ボーイらしいスマートさ」とか「塾風を身につけている」とか、そして、「独立自尊」とか言っていたのです。 たしかに、生活できなくなっては困ります。しかし、権力に媚まくれば生活できるのでしょうか? 前者の意味での「独立自尊」という考え方を完全に放棄して、後者の意味で「独立自尊」という言葉を使うのなら、結局、「独立自尊」などという言葉に意味はなくなってしまうのではありませんか? 英語の “ life ” (ライフ)、ドイツ語の“Leben”(レーベン)には、人生・生活・生命という3つの意味がありますが、後者の「独立自尊」は、いわば、「生活のために人生をドブに捨てろ。それをためらう者はモラトリアム人間(病)というビョーキである。」という主張で、前者は、「生活を考慮しながらも人生を重んじ、生活の為に、時に妥協しながらも人生を保持して生きていく」という考え方です。 私は後者の方の「独立自尊」という態度・姿勢は、本来の「独立自尊」ではなく、福沢諭吉はそんなことは言っていないはずだと思っていましたが、一方で、「人生」を譲り渡すわけにはいかないものの、「生活」を失うわけにもいきません。そういう状況でどうするかは、自分でケースバイケースで決めるしかないわけです。 東京電力からの「研究費」というものを受け取ることによって学問の独立が侵されるのか、「研究費」を受け取っても学問の独立をおかされることなく研究できる可能性があるのか、「研究費」を受け取らずに研究できるのか、この場合、どういう状況であったのか、そして、どの立場を取るのが「独立自尊」になるのでしょうか。 佐高さん、絶対的に、どれが「独立自尊」になるか言いきれますか? 企業からの「研究費」については、少なくとも社会全体の問題としてまったく問題がないとは言えないと思いますが、しかし、このあたりの考察もなく、単に、「九億円」「うわっ」では、この文章は不十分だと思うのです。 そうではないでしょうか。


   そして、3番目の、≪「賛成派の多くの人たちは、気が弱い学者だったり、電力会社のサラリーマンだったりするものですから、攻撃されるたびに、何でもかんでも原発推進派として追いやられてきました」≫という武田教授の発言について。 武田氏は、ブログの《講演メモより 原子力発電所の安全性と水》http://takedanet.com/2011/09/post_7e44.html でも、≪・・・・また、当然ながら事故が起こらないのだから、事故が起こったときの緊急体制についての提案も審議されなかった。このような状態になったことの一つの原因は皮肉なことに「反対派」の社会的力が強く、それに対抗するために危険な箇所の議論をしないという力が働いたことによる。≫と述べられています。 武田教授は、原子力施設の長を経験されたことがあって、そういう際に、「反対派」の人たちが強硬だという印象を持たれる経験が実際にあったのかもしれませんが、そうであったとしても、やっぱり、この点については、私も、佐高氏の言うように≪事実誤認≫だと思います。 この点については、〔第51回〕《武田邦彦氏の問題点―放射能汚染問題に良心的な発言をおこなう同氏の残念な部分 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201110/article_1.html で述べました。「反対派」がそんなに強ければ、すでに、すべての原子力発電所は停止・撤廃されているでしょう。福島第一原発の事故があっても、まだ、動いている原発がいくつもあるということは、「賛成派」の力が、まだ、相当に強力だということでしょう。

   それで、3番目については、佐高氏の批判はもっともだと私は思いますが、2番目については、理想的ではないとしても、どう考えるべきか、難しいというか、どう考えるべきなのかという点について述べなければ、佐高氏は十分に批判したことにならないはずなのです。 この3番目と不十分な2番目からだけで、1番目について≪ あなたの饒舌さにショックの軽さを見るのです≫とまで断定して良いのか、≪舌先三寸で世の中を渡っていく口のうまい奴≫≪これ以上ない軽薄な人間≫≪浮薄さは表ににじみでる≫とまで決めつけて良いのか、というと、どうも、そこまで決めつけるだけの論拠となっているとは思えないのです。

   佐高氏は、≪政府や東電をはじめとした電力会社にこれまで紙面や画面を買い占められてきたメディアは、貫徹反対派だけを連日出すか、反対派100人に賛成派一人の紙面をつくってはじめて公平、公正になると私は思います≫と述べ、最後に、≪ とにかく、ペラペラとしゃべらずに、あなたは沈黙して下さい。≫と述べているのですが、私は、テレビがあまり好きではなく、特に、地デジ対応などという新式のテレビにカネを使うのがばからしいので、地デジ対応のテレビなどというものを持っておらず、8月以来、自宅でテレビというものは見たことがなく、テレビについては、インターネットに収録されている「テレビ番組」を見ることができる程度なのですが、しかし、佐高氏が名前を出している「貫徹反対派」の京大原子炉実験所・助教の小出裕章さんにしても、現在は、けっこう、いろいろな所に登場されており、別に、佐高氏が言う「便乗反対派」の武田邦彦氏が出るから登場できないというようなことはないように思うのです。
   そして、武田邦彦氏が≪よくテレビでしゃべっている≫のは、それは、3月11日以降における武田邦彦氏の発言を国民が支持しているか、支持していない人にしても関心を持っているからで、かつて、(「安全な原子力発電所は推進」という)「推進派」であったからではないはずなのです。 武田邦彦氏がよく登場するのは、3月11日以降における発言について、支持した国民が多く、支持しない人も関心を持っている人が多いからであり、そうである以上、「便乗反対派」であっても何であっても、佐高氏が出るな・出すなというのは不適当でしょう。
   
   そして、現在、問題があるのは、「便乗反対派」ではなく、「この期に及んで推進派」の人たちの方です。佐高さん、そう思いませんか?
   
   最後の≪とにかく、ペラペラとしゃべらずに、あなたは沈黙して下さい。≫という言葉は、これは、感心しません。誰であれ、もし、本当に不適当なことを述べる人がいたとして、その場合でも、≪沈黙して下さい≫と言うのではなく、この人は、このように科学的に間違ったことを言っているとか、このように矛盾したことを述べている、このように前と後とで異なることを述べて、しかも、その点について説明もしないでいるとか、そういった指摘をして、その上で、だから、この人の言う事は信用できないので、私は、聞くに値しない・読むに値しないと考える・・・というように述べるべきであり、どんなに不適当なことを言う人であっても、≪沈黙して下さい≫と言うべきではないと思います。
   武田邦彦氏のブログhttp://takedanet.com/ は無料で誰でも閲覧できますが、たとえ、有料であっても見る価値のあるものであったと思っています。 4年ほど前、千葉県の市川市文化会館に視聴しに行ったあるテノールの日本人「声楽家」の演奏会で、このへたくそ!入場料返しやがれ!という気持ちになったことがありました。(その自称「声楽家」が誰かは、はっきり氏名を述べても別に悪くないと思いますが、それはここでの課題とは異なるので、述べるなら他の場所で述べることとします。) 最後に、後ろの方の席から「ブラボー」とか言う人がいるのですが、観客を馬鹿にしたようなへたくそ演奏会でもおかまいなしに「ブラボー」と言うのはやめるべきです。イタリア語の“bravo”は「ブラーヴォ」であって「ブラボー」じゃないし。 それに対して、その後、浅草神社に行った時、境内で猿の演技をおこなっていたおねえさんがいましたが、別に入場料をとってやっていたわけでもなく、誰でも自由に見ることができたのですが、最後に「できれば、御祝儀をお願いいたします」と彼女が言って帽子を持ってまわった際、私は貧乏人のことなので多くは入れられないけれども、少々のお金を入れました。強制ではないのですが、なぜ、入れようという気になったかというと、市川市文化会館で演奏会をいおこなった自称「テノール」の自称「声楽家」なんかよりも、はるかにお金をもらう価値のある演技を一人と一匹は十分おこなったと思ったからです。 私は、武田邦彦氏のブログは、最近の原発・放射能汚染と無関係なものは読むかどうかその時どきで決めていますが、原発事故と放射能汚染について述べられたものについては、私はほとんど毎日見てきました。それは、見る価値があると思ったからです。 私が見る価値があると思って見ているブログについて、佐高 信 氏に「沈黙して下さい」と言われる筋合いはないのです。公開したいと思う人が公開して、見たいと思う人が見ているのです。 特にブログについては、「沈黙して下さい」と言う方がおかしいのです。 このあたりについては、佐高 信 氏は、言葉の選び方を間違えているように思います。
※市川市文化会館については、
「市川市文化振興財団――市川市文化会館」http://www.tekona.net/bunkakaikan/access.php 他参照。

   武田邦彦氏のブログhttp://takedanet.com/ は相当参考にさせてもらいましたが、無料で誰でも見ることができるもので、助かりました。私は、お寺や神社に行った時、入り口で拝観料を求められるお寺・神社の場合は、賽銭箱に賽銭を入れても入れなくても良いと思っていますが、拝観料を払わなくても入場させてもらえるお寺・神社の場合は、賽銭箱にいくらか入れていくか、もしくは、御朱印をお願いするか何かを購入して帰るかして、結果としていくらかお金を支払ったようになるようにするようにしています。それは、特別な信仰心とかいうことでなく、その場所を掃除している方もおられれば、トイレを借りれば水道代もかかることでもあり、建物の維持費もかかるでしょうから、拝観料を求められない場合は、いくらかでも賽銭としてか、御朱印をお願いするか、何かを購入するかして、実質的に「利用料」としてお金を置いて行くようにしているのです。 武田邦彦氏のブログには相当お世話になったので、拝観料を求められないお寺・神社にいくらかお金を置いていくのと一緒で、少しくらい何か協力させてもらってもよいという気持ちになっているのですが、今回の佐高氏の武田批判に対する批判については、武田教授への協力というつもりで作成したということでもなく、むしろ、今まで評価してきた佐高氏に対して、ちょっと、この批判の仕方はまずいですよ、批判の仕方が拙劣ですよと言いたい、という気持ちの方から作成しました。 何年か前、ホリエモンと自民党の武部なんとかさんの関係でしたかをEメールの記録をもとに追及しようとして自爆した民主党の議員さんがいました。なんか、あの2人、関係ありそうという感じはしたのですが、それを追求しようと思えば、相手が否定しても否定できないようなものを用意してかからないといけないというようなことは国会議員ならわかっていてよさそうで、まったくわかっていなかったようで、永田議員は自殺までしてしまいました。 死ななくても良いとは思いますが、なにやってんの、あほちゃうう~う・・・というような追及の仕方でした。 佐高氏のこの「政経外科」での武田批判も、結局、十分な批判になっておらず、しばしば、鋭い批評をしてきた佐高さんにしては、軽率な文章という印象で残念です。
    
   それから、「筋金入りの推進派」というような人にも、沈黙せずに発言してもらいたいですね。特に、このようになっては困るので原発は停止するべきだという主張をしりぞけてきたからには、このような事故がおこった際にはどうすればよいという考えがないとおかしいはずなので、沈黙せずに、それをはっきりと説明していただきたいですね。

   基本的には、どんなにけしからんことを発言する人についても、「沈黙してください」と言うべきではなく、問題点を指摘した上でそんな人の言う事をいちいち聞く必要はないという言い方をするべきですが、私自身にも、「黙ってろ」と言いたい人たちというのが、実際問題として、います。「サンデー毎日」2011.10.23.号に、岸田 秀(きしだ しゅう)という「精神分析者」が《原発事故は、自閉症的共同体の幻想を捨てるため天がくれたチャンスだ》とかいう文章を載せています。香山リカとかいうおばさんもどこかで何か書いていたように思います。また、やりだしやがったかと、うんざりしました。何でも「精神分析」にしてしまう連中、何でも「精神医学」にしてしまう連中。 「精神医学」「精神分析学」で論じる問題でもないものを何でも「精神医学」「精神分析学」にしてしまうのはやめてもらいたい。 そういう論じ方しかできない人は、そういう論じ方しかできないのなら黙ってろと言いたい。 この《原発事故は、自閉症的共同体の幻想を捨てるため天がくれたチャンスだ》とかいう文章も、この稿を作成するために、無理して読もうかと思ったのですが、あほくさくて、ながめるだけで嫌になってしまいました。 こんな文章を書いているヤツ(岸田 秀他)にこそ、≪ショックの軽さを感じます≫。 《「精神分析」の対象でもないもの「精神医学」の対象でもないものを「精神分析」したり「精神医学」として扱ったりしたくてしたくてたまらない症候群》の「精神分析家」「精神科医」の方こそ、「ほとんどビョーキ」でしょう。
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↑(左)佐高 信《政経外科 連載610 とにかくペラペラしゃべらず「沈黙」していてくれませんか》が掲載されている「サンデー毎日」2011.10.2.号(毎日新聞社)
  (右)岸田 秀《原発事故は、自閉症的共同体の幻想を捨てるため天がくれたチャンスだ》が掲載されている「サンデー毎日」2011.10.23.号(毎日新聞社)

☆ 佐高 信 さんの「政経外科 連載610」を全文読みたいという方は、掲載されている「サンデー毎日」の2011.10.2.号は現在はコンビニやキオスクにはありませんが、公立図書館には、「サンデー毎日」のバックナンバーは、たいていあると思いますので、図書館で見られることができると思います。もしくは、書店か毎日新聞の販売店に頼めば、何週間か前の号を取り寄せることは可能ではないかと思います。
                (2011.10.13.)
(追記) 3番目の、武田教授の『原発事故、放射能、ケンカ対談』(幻冬舎)での発言とブログの《講演メモより 原子力発電所の安全性と水》http://takedanet.com/2011/09/post_7e44.html での発言について批判をおこなった〔第51回〕《武田邦彦氏の問題点―放射能汚染問題に良心的な発言をおこなう同氏の残念な部分》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201110/article_1.html に、ニックネーム「通りすがり」様からコメントをいただき、発言の趣旨を誤解しているのではないかというご指摘をいただきました。その点について、〔第51回〕《武田邦彦氏の問題点―放射能汚染問題に良心的な発言をおこなう同氏の残念な部分》の終わりの部分に、(追記)として、述べさせていただきました。 (2011.10.17.)

(追記) 自称 ニックネーム「哲建チンポ」様からコメントがありましたが、「哲建チンポ」様への回答は、すでに、〔第46回〕《私のブログに「死ね!!」というコメントを入れられた方へ。》 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201107/article_2.html でおこなっております。 どうぞ、そちらを御覧くださいませ。(2011.10.26.)


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