「勤労の権利および義務」憲法27条1項をどう考えるか【2/3】本来は「勤労の権利」実現の為の職安は目的から逸脱している。茨城大卒の男が人事部長なんかなるな。「勤労の義務」は産業報国会の流れ。「病気で働かない者は収容所で強制労働につかせるか死刑にする必要がある」と主張するヨッパラーの「カウンセラー」。早期就職支援センターを叩き潰せ。

[第569回]
  この憲法第27条ですが、
《 第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
(2) 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
(3) 児童は、これを酷使してはならない。 》
(e-GOV 法令検索 憲法 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION  )
  有倉遼吉 監修『口語六法全書 憲法』(1964.11.20. 自由国民社)では「口語訳」として、
《 27条 〔労働する権利と労働する義務・労働条件に関する基準を法律で定めること・児童の酷使の禁止〕
(1)国民は誰でも、労働の能力があるかぎり、労働する権利をもち、労働する義務を負う。
(2)労働者の賃金、就業時間、休息などの労働条件の基準は、法律で定める。
(3)児童のような年少の労働者を、酷使してはならない。 》
と書かれています。
 このの第1項について、
片岡 曻『労働法(1) 総論・労働団体法』(2007.6.20. 有斐閣双書)
阿久沢亀夫『図解 労働法〔補訂版〕』(1981.8.1.補訂版 立花書房)
有倉遼吉 監修『口語六法全書 憲法』(1964.11.20. 自由国民社)
に、それぞれ、どのように述べられているか見てみたい。

  まず、片岡 曻『労働法(1) 総論・労働団体法』(2007.6.20. 有斐閣双書)には、
《 憲法27条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と規定する。この規定の意味は必ずしも明確でないが、一般に勤労間ないし労働権(right to labour, Recht auf Arbeit, droit au travail )については、大きく分けてほぼ二通りの見解がなされうる。
 一は、これを自由権と解し、これによって、国民が自己の欲する労働に従事することを国家または第三者によって妨げられない自由を保障したものとみる。この立場では、労働権は労働の強制を禁止する意味をもつ。
 二は、これを国または地方公共団体に対し就労を請求する権利と解し、また国または地方公共団体がこれに対する義務を履行しない場合には、相当な生活費の支給をなすべきものとする。先に述べたメンガーの立場は、これに属する。
 このうち、第一の立場については、すでにわが憲法が職業選択の自由(憲法22条)を保障し、奴隷的拘束並びに苦役を禁止する(同18条)以上、こうした労働の自由の意味における労働間を重ねて規定する理由はないといわねばならない。また、労働権が、生存権や労働者の団結権等と相並んで規定されていることからも、それは単なる自由権ではなく、自由権に対する反省として生まれた生存権的基本権に属するものというべきである。
 もっとも第二の立場に立とうとする者も、多くは、これを国家または地方公共団体に対し具体的な請求をなす権利とは解してこなかった。生産手段の私有と契約による労働関係の形成を前提とする今日の法制度のもとでは、国家に対し完全就業の機会やそれに代わる生活保障手当の支給を請求しうる経済的基礎を欠くこと、それを実現するための具体的な法的措置を欠くこと、がその主たる理由とされたのである。・・・》
と「労働の権利」の方について書かれているのだが、「労働の義務」の方については、
《 労働の義務に関する規定をどのように解するかについては、困難な問題がある。多くは、これが強制労働を義務づけるものではない点をいおうとして、労働の尊厳性を宣言した倫理的な規定と解する。しかし、今日の社会制度のもとでは、労働者は自己の意思に基づいて労働に服するのが原則であって、労働の義務は、労働を法律的な義務として課したものとは解しがたい。もしこれを法律的義務と解するときは、職業選択の自由や奴隷的拘束・苦役の禁止を規定した憲法(22条1項、18条)の趣旨と矛盾する。
  むしろ、労働の義務の法律的な意味は、労働権の保障との対応において理解する必要がある。すなわち、労働の義務はその限度内で労働権の主張やそれに基づく保障を受けるための前提をなすものといえる。いいかえれば、労働者が労働を履行する能力と意思を有することを前提としてはじめて、さきに述べた労働権の保障が与えられるべきものであって、例えば、職業安定法に基づいて職業紹介を受け、雇用保険法によって失業保険給付を受けるためには、労働の意思と能力を有することが前提となることを明らかにしたにとどまるものである。
と書かれている。
労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中

  だから、軽犯罪法 の第1条 の 第4号に、
《 第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
四 生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの 》
※ 《e-GOV 法令検索  軽犯罪法》https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000039
と書かれていても、それならば、会社のために滅私奉公して勤めてきたのに、経営者がイヌだか草だか「ひまわり」だか「茶坊主」だかばっかり大事にしやがってからに、あるいはろくに働かないメカケの言うことばっかりききやがってからに、滅私奉公を続けてきた者が解雇されてしまったとか、もしくは職場における問題に義憤を感じて立ち上がったがために失業してしまって、そして生活費を失うことから「一定の住居」まで失ってしまったという者は、軽犯罪法違反として犯罪者の類と見なされて「拘留又は過料」に処せられてしまいそうだが、同時に、軽犯罪法には、
《 第二条 前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。》
《 第四条 この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。》
という規定もあり、たとえ、第一条 第四号の規定があっても、単に職業を失い、住居までも失ったというだけで、簡単に人を処罰していいものではないと考えるべきであろう。

  そして、阿久沢亀夫『図解 労働法 〔補訂版〕』(1981.8.1.補訂版 立花書房)には、「第3表 労働基本権」のところで、
《 労働基本権
1.労働権(憲法27条)
2.団結権(憲法28条)
3.団体交渉権(憲法28条)
4.争議権(憲法28条)
5.労働3権の関係 》
とされ、そのうちの「1.労働権(憲法27条)」として
《 1.労働権(憲法27条) 
(1)労働権の意義
 (A)実質的に労働権を保障しているものと解する見解
 (B)宣言的ないし精神的規定とみる見解
 (C)国家の努力義務を規定したものとみる見解
(2)労働間と労働義務 》
と表として書かれている。 そして、
《 労働権(勤労権)は、その時代の経済状態を反映し、さまざまなかたちで主張されてきたが、フランスにおいては、すでに1830年労働権(Le droit au travail )論争が行われ、失業者による深刻な要求として表面化していた。しかし労働権を理論的体系化のもとで完成したのは、ドイツ法曹社会主義とりわけアントン・メンガー( Anton Menger )によってである。 労働権は、労働の自由(La liberte du travail )や、職業選択の自由(憲法22条)などと異なり、労働の意思と能力とがあるものは、自己の属する社会において労働の機会の提供を要求する権利があり、私企業や国が、この要求を達成できないときは、それ相応の生活費の支払を請求しうる権利があると考えられている(石井・労働法の研究 1-62。 峰村・労働法概論40)。
現在における我が国の以上のような理解に対して、アメリカ法における、the right-to-work law という場合は、労働権法あるいは就業権法といわれ、クローズド・ショップを違法とする州法のことである。労働権は、生存権を背景にしながら労働者の就労を国家及びその社会に要求しうる権利である。しかしこの権利が、具体的権利として裁判をもって国において完全就業を要求することは不可能なことであり、それは資本主義社会の否定に結びつくので、憲法27条が、労働権の具体的権利を保障するとみることはできないであろう。いわば労働権の規定は、宣言的規定であると解するのが妥当である。しかし単純に宣言的規定ではなく、この規定のもとで国家は、労働者に労働の機会を与えるべく最大の努力を払う義務を訓示するもので、その努力を尽くさない場合は、国家に責任を生ずることになるといえようか。》
と「労働の権利」の方について述べられている。
  最近では人材紹介業者というものがいくつもできてきているが、その担当者の肩書には「ヘッドハンター」を名乗る人もいるのだが、「ヘッドハンター」という名称だと、どう考えても企業側・採用側の立場に立って、その企業にとって必要な人を捜して捕まえるという言葉になる。それでは、労働者側・失業者側の立場には立っていない言葉だ。労働者側・失業者側の立場になるならば、もう少し別の名称が考えられるのではないか。もちろん、労働者側だけではなく、企業側・採用側にとってもプラスになるものでなければ話はまとまらないであろうし、両者にとってプラスになるものでこそ、就職というものはまとまるものであるが、「ヘッドハンター」という言葉であると、どうも、企業側・西行側に立つ名称という印象を受ける。
  その点、「職業安定所」とか「ハローワーク」というのは国がやっているだけあって、職業にありつこうとする者の側に立った名称だと言える。しかし、問題はその実態だ。
  もう、10年以上前になるだろうか、船橋職業安定所で求人票を見たところ、「時間外労働 なし」と書かれていたものがあったので、「これは、時間外労働はほとんどなく、就業時間内に仕事を終えることができているという意味なのか、それとも、時間外に働いてもサービス残業で時間外手当は支払われていないという意味なのか、どちらですか」と船橋職業安定所職員に質問したところ、職安の職員は何と言ったか。何と言ったと思いますか?
船橋職業安定初の比較的年配の男性職員はこう言ったのです。
「知ら~ん。わから~ん。甘ったれるな」と。
何、それ?
求職者というのは求人票を見て、その内容で応募していいかどうか検討して応募することにしたり、その会社には応募しないことにしたりするのです。そうであるからには職業安定所は「知ら~ん。わから~ん」というようなもので募集してもらっては困るのです。職業安定初はその内容を把握したものを紹介してもらわないと、「知ら~ん。わから~ん」などとふんぞりかえって大威張りで言われてはこまるのです。違いますか?
  それから、失業給付の申込に行くと、職業安定所職員は毎度、言いますよね。「今、求職者は・・で、求人の数は・・です。求人の数は大変少なくなっています」と。それはいったい何を言いたいのか? 職業安定所職員が言いたいのは、だから、贅沢言わずに、ともかく、職業にありつくことができれば、どんな仕事でもありがたいと思いなさい・・と、そう言いたいらしいのです。
  何回か職業安定所に行って、職業安定所職員の話を聞いて、わかった。あいつらは何のために職業安定所をやっているのかというと、まず第一におのれが公務員として悪くない方の給料をもらうためであり、第二に「失業者というのは、そいつが問題があるから失業しているんだ。そいつを解雇した会社は悪くないんだ。そいつが職業につけるような政策的努力をしない国・政府・行政が悪いのではなく、あくまでもそいつが悪いんだ」ということにするために職業安定所をやっているのです。 決して、失業者が困らないようにという目的でやっているのではないのです。
  さらに、早期就職支援センターなるものが職業安定所の一部門としてできましたが、あれはいったい何かというと、早期就職支援センターの職員の早期就職を支援するために行政が設けたものであり、失業者が早期に職業にありつけるように設けられたものではないのです。間違えてはいけません。
  さらに、厚生労働省委託の「求職支援セミナー」というものを、2000年代、最初は東京リーガルマインドが実施して、次いで別の機関が実施していましたが、まったく参考にならないというものでもないけれども、その講師の中にはトンチンカンなことを言う人がいたり、又、なんだか「病的」な印象を受ける人がいたりもしました。
  例としては、「今の時代は就職しようと思ったならパソコンは使えないといけない。最低でもワードとエクセルくらいは完璧に使えるようでないと就職はできない」と「求職支援セミナー」の講師の女性に言われたのです。そりぁ、えらいこっちゃ・・と思いました。今現在は、私は世間一般から考えると、そんなにパソコンはできない方ではないと思っています。
サーティファイ ワード検定3級・2級
サーティファイ エクセル検定3級
建築CAD検定 3級・2級
これだけ、検定試験に合格しました・・ということは、そんなに悪い方ではないでしょう。
でも、今でも、その「就職支援セミナー」の講師の文句が心に突き刺さっているのです。「今の時代は就職しようと思ったならパソコンは使えないといけない。最低でもワードとエクセルくらいは完璧に使えるようでないと就職はできない」という文句が。
このセミナーを受講した後、ある人材紹介会社に訪問した際に、履歴書と職務経歴書を持参して担当者に見てもらったところ、担当者から言われたのです。
「ここに、『パソコンはあまり得意ではありませんが、現在、学習中です』と書かれていますが、パソコンを使えないのですか。そんなこと言っても、ワードでこの履歴書を作ったのでしょう。エクセルでこの職務経歴書を作ったのでしょう。これだけ作れて、なんで『パソコンはあまり得意ではありませんが』と書くのですか」と。
「ですから、求職支援セミナーの講師の方から『ワード・エクセルくらいは完璧に使えるようでないと就職はできない』と言われたのですが、ワード・エクセルとも完璧ではないので」と話しましたところ、
「あんた、真面目だねえ。あなたね、ワードでもエクセルでも『完璧に使える』人間なんてそんなにいませんよ。これだけ作れたら『できます』でよろしい。パソコン学校の講師にでも応募するのなら『ワード・エクセルくらいは完璧でないと』というのもわかりますが、普通の事務とか営業とかなら、これだけできたら十分ですよ」
と言われたのです。
・・そうなると、あの就職支援セミナーの講師のおばさんというのは、あれはいったい何だったんだ・・・ということになりますが、どうも、厚生労働省は「失業者というのは、失業しているやつが悪い」「不採用にされたなら、不採用にされるやつが悪い」ということにしたいみたいなのです。就職支援セミナーの講師はその方針に従って、「ワード・エクセルくらいは完璧でないとまず採用してもらえない」とかなんとか、そういうことを吹き込むのです。
早期就職支援センターの担当者のおっさん、私の履歴書を見て、「あ、ここ、ちょっといがんでる。こんなもので採用してもらえると思うのが甘ったれてる」と、そうぬかしたのです。おまえだろうが! 「甘ったれてる」のは。
私は戸建住宅建築業の会社に長く勤めて、営業の仕事を長くやってきましたが、それについて「県民性が異なる地域で特徴が異なる展示場に勤務して、継続的に平均を上回る営業成績を残してきました」と記載したのを見て、早期就職支援センターの担当者のおっさん、こう言ったのです。「『県民性が異なる地域で特徴が異なる展示場に勤務して』て、こんなもの、いったい何だ」と。「ですから、これまで勤めた会社でも、特定の一社だけに在籍して、特定の県の特定の場所でしか営業の仕事をしていない人は、転職して勤める会社を変わった場合に、それまでの会社では営業成績を残していても、異なる会社・異なる場所では成果を出せないという人がいますが、私の場合はすでに異なる地域を相当経験してきていますから、だから、どういう場所でも対応できる可能性が大きいということを言っているということがひとつ。もうひとつは、一線の営業ではなく、展示場の出店計画とか商品開発とかそういった仕事につく場合には、特定の県の特定の場所しか知らないという人は『井戸の中のカエル』のような思考をしてしまって、全国的視野・総合的視野で考えることができないという人が多いのです。その点、私はすでに何か所かの場所と複数の会社を経験してきているので、全国的視野・総合的視野で考えることができるということを言っているのです」と述べました。ところが、早期就職支援センターのおっさんはこう言ったのです。「フン! そんなもの、当たり前だ。甘ったれるな! あんた、これまでいた場所で、その地域の権力者とコネクションでもあって、複数地域であんたが口きけばどうにでもなるとかあるのか。そうじゃないんだろ。それなら、何か所かにいても一緒だ。そんなもの、何の意味もあるものか。甘ったれるな!」とそう言ったのです。
しかし、その文句はそっくりそのまま、その早期就職支援センターのおっさんにお返ししてやりたいと思います。
早期就職支援センターのおっさんこそ、「甘ったれるな!!!」
私は実際に戸建住宅建築業の複数の会社で何か所かの地域で勤務して実績を残してきた人間であり、その上で、自分自身の経験や周囲にいた人を見たものから判断して言っているのです。実際にその業界の会社に勤めたこともなければ、そこで苦労して働いた経験もない早期就職支援センターのおっさんとは違うのです。なんだ、この勝手なことばっかり言ってる頭の薄い(髪が薄いのではない)男は! ・・と思いましたが、それが早期就職支援センターだったのです。
求職支援セミナーは、東京リーガルマインドが実施したものを3種のものを受け、又、その後、どこだったか忘れたが別の実施団体がおこなったものを1回受けましたが、その後の方のセミナーの講師が終わり頃にアンケートを書いて欲しいと用紙を配り、そして、「これまでに『思いあがるな』と書かれたことがありますが、もしも、私にそう思われたなら、そう書いていただいてもかまいません」と話されたのでしたが、その時のその男性の話は特に「思いあがっている」という印象は私はその時は受けなかったのですが、そういうセミナーの講師をやっている人には、受講者から「思いあがるな」「のぼせあがるな」と思われるような態度を取る人があるのだと思います。かつ、それについて自覚がない人というのもいるでしょう。
早期就職支援センターは害がある。早期就職支援センターの担当者については、私は「そんなおっさんにかかずらわない方がいい」と判断して、2回目だったか3回目だったかの約束をしていたけれども、電話を入れて「もう、けっこうです」と断ったが、そうではなく、船橋職業安定所に対して、「あの人はいったい何ですか」と苦情を言うべきだったと今は思っています。国民の税金から報酬を受け取っておきながら、やってることは何? おのれがアホのくせして、相手は失業中だと思うと、言いたい放題言ってやれ・・とそれでストレス解消でもしているみたいなものだったが、そんなことやってるアホに国民の税金からカネ払うのはおかしい。国民の立場で、そういうものは糾弾すべきだ。

  それから、応募した際だが、応募する側と採用する側とならば採用する側の方が立場は強い、応募する側の方が立場は弱いというのは間違いないことで、しかたがないこととはいえ、「おまえ、いくらなんでも、態度悪すぎるのではないか」というやつというのもいたのです。
  私は人よりも年齢をいって大学を卒業したのですが、東京都の西部のどこだったかに本社があった日立工機(株)という会社。
  日立工機(株)の人事部長のおっさん、私の履歴書を見て「普通、こういうことはできないんだけど」とか言うのでしたが、おまえに言われる筋合いはねえよ! 茨城大学みたいなもん卒の人事部長にそういう生意気な口きかれる筋合いはねえんだよ! ウルトラ超ド級に甘ったれるな! 茨城大みたいなもん、行くな!、茨城大みたいなもんしか行けないようなやつが生意気に大学行くな!! 茨城大みたいなもんにふてぶてしくも行った男が何を生意気な口きいてるんだ、この野郎!・・・と言ってやればよかったな・・・とそれから何十年も経って思っています。「なんで、浪人したんですか」とか言うが、茨城大みたいなもんに行くために浪人したんじゃねえよ!!! おまえと一緒にするな!!! 
茨城大しか出てないようなやつが人事部長になんかなるな!
 日立工機(株)!!! 二流企業のくせに!!! ウルトラ甘ったれるな!
※ インターネットを見ると、現在では、工機ホールディングス https://www.koki-holdings.co.jp/corporate/info.html という名前の会社になったらしい。「日立の子亀」という点は変わらないのではないか。
今も思うのだ。なんで、あの時、あのウルトラ思いあがったウルトラ甘ったれたウルトラつけあがった日立工機(株)の人事部長のおっさん、茨城大の落ちこぼれに、言ってやらなかったのだろう、と。
「茨城大みたいなもんしか行けないようなやつが、ウルトラ甘ったれて大学行くな!!!
 甘ったれるな!!」
  さらには、千葉市のJR・京成「幕張本郷」駅の南側にあったCSランバー という会社の若造。 私の履歴書を見て「この間、何やってたんですか」と言うので、「ですから、大学受験のための浪人です」と言うと、「なんで、浪人したんですか」と言うのですが、浪人したのが気に食わないらしかったのですが、おまえなんかと一緒にされたら迷惑なんだよ。五流私立大学卒なのか「建築専門学校卒」なのか高卒なのかわからんが、おまえの行った最終学校みたいなものに行くために浪人したんじゃないんだよ。おまえこそ、「高校は義務教育ではない」のに、なんで、そんなものにウルトラ甘ったれて行ってるんだよ。義務教育でもないのにウルトラ甘ったれて、わけのわからん学校行くんじゃねえよ! CSランバー!!! わけのわからん高校行くようなやつは高校行かずに中卒で働け! CSランバー!!!
※ (株)CSランバー https://www.c-s-lumber.co.jp/company/office.html
  この若造、我慢して聞いてやってると無制限に思いあがって勝手なことばっかり言いやがって・・と思っても、応募する側は採用する側より立場は弱いのだからと思い、「雨ニモ負ケス、風ニモ負ケス」「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「韓信の股くぐり」と思って我慢してきたが、我慢するべきではなかった。やっぱり、人間、言っていいことと悪いことがあるし、我慢して採用してくれるならともかく、不採用にする会社に、そんな三流企業のしょーもないやつに遠慮する必要もなければ気兼ねする必要もなかった。

  それで、職業安定所は、本来ならば、日本国憲法第27条第1項の「労働の権利」の方に基づいて、国民に労働の機会を確保すべく設けられたものであるはずなので、又、そういう名称を名乗っているのですが、実際はそうではなく、「失業者は失業しているやつが悪いんだ」「労働者は使用者・経営者にはどのような理不尽なことをされても奴隷となって屈従しなければならないものであり、それを許せないと考える者は失業して当然であり、使用者・経営者がどんなに理不尽なことをしても、それに屈従することを拒む者は失業して生活手段を失い、生存できなくなっても、それはそいつが悪いんだ」ということにするために職業安定所というものは存在しており、又、そういう仕事をすることで職業安定所の職員は公務員として世間一般から考えると安定したいい給料を盗っている・・・という、職業安定所というものはそういう所です。
  かつて、小泉純一郎が「民間でできるものは民間で」と言って、職業安定所を民営化しようとしたことがありましたが、職業安定所を民営化してしまうと、どうしても「企業側にとって必要な人材を捜す機関」になってしまい、「国民・労働者・求職者にとって生活手段・労働の機会を確保するための機関」という性質が薄くなってしまうのではないか、それではいけないのではないか・・・と思ったのでしたが、しかし、今現在の職業安定所の実態を考えると、むしろ、「民営化」して職業安定所の職員に、おまえら、そんな態度で給料もらえると思うなよ! ということを思い知らせてやるべきでしょう。
  職業安定所は、もはや、「労働者・国民に労働の機会を確保するための機関」ではなくなっている。「労働者・国民に労働の機会を確保するための機関」ではなく「失業しているやつは、そいつが悪いんだ」ということにするために、せっせと働いている、そういう人格が劣ったヤカラの巣窟であり、そういう連中に国民の税金からカネをくれてやっている機関になっている。そんなものは、ぶっつぶすか、そうでなければ「民営化」して、そんな姿勢・そんな態度では食えないというようにしてやるべきです。

  だから、ここでも、言っておきましょう。
「 職業安定所、及び、早期就職支援センター を叩きつぶせ! 」と。

  それで、阿久沢亀夫『図解 労働法 〔補訂版〕』(1981.8.1.補訂版 立花書房)では「労働の義務」の方についてはどう書かれているか。
《 また憲法27条は、労働の義務を規定しているが、これは明らかに精神規定であって、労働権を規定したことに対応するものである。つまり各労働者の倫理的なものを訓示しているといえる。 》
と書かれている。
図解労働法 (1977年) (図解法学シリーズ〈12〉) - 阿久沢 亀夫
図解労働法 (1977年) (図解法学シリーズ〈12〉) - 阿久沢 亀夫

  それで、この阿久沢亀夫『図解 労働法 〔補訂版〕』(1981.8.1.補訂版 立花書房)という本は左側のページに、各項目の内容を表にして示して、右側のページに解説が書かれている、もしくは右側のページが普通の本の本体の文章で、それをわかりやすいように図解したのが左側のページというように書かれている本で、今では少々古くなったかもしれないけれど、普通の本として読んでも悪いことはないのですが、私の場合、どういう経緯でこの本を読むことになったかというと、慶應大学の三田の講義で「労働法」を履修した際、担当教授がこの本の筆者の阿久沢亀夫慶應大学教授で、その「労働法」の講義のテキストでもあったのです。 慶應大学の法学部には「阿久沢」という先生が2人おられて、もう1人の方は民法の先生で、労働法の阿久沢亀夫教授の方がベテランで年配の方で、私が在学した時、民法の阿久沢先生は大学の先生としてはまだ若手の方の方でした。
  そのベテランの方の阿久沢亀夫教授が「労働法」の講義の際に話されたことですが、《この憲法第27条第1項の「労働の権利と義務」の規定については「あまり義務的に考えてはならない」というのが通説です。》と、そう言われたのです。
  なにより、この「労働の義務」を強調する主張というのは、戦中、産業報国会というものが作られたが、その流れによるものです・・と。
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《  新体制運動は、発足当初には、あらゆる政治勢力から熱狂的な支持をうけた。それは戦争指導の力を失った支配層の混迷がいかに深いものであったかを物語っている。しかし運動が現実化するにつれて、たちまち各方面から批判と註文をうけ、その結果は官僚組織に重ねあわされた政府補助機関という何の目新しさもない、もとの木阿弥にかえってしまった。
  大政翼賛会の成立過程は、日本がファッショ化する形態の特質を示すものであった。ナチス礼讃熱にうかされて、「一国一党」方式や「国民組織」論が云々されても、ひとたび国体や欽定憲法、つまり天皇制機構にふれるおそれありとの批判を受ければ、ひきさがらざるをえない性格を本来もっていた。支配階級が戦争政策を遂行するための支配体制は、現実には天皇制機構を骨組とする以外にはなかった。このような政治力の弱さでは駄目だと誰もが思いながら、それを改革する方策も気力ももたず、従来の体制にしがみついていったのが、これ以後の支配層の姿であった。
  それにしても、大政翼賛会は、天皇制のファッショ化に大きな役割をはたした。本来の官僚に加えて、中央から地方にいたる各段階での民間指導層を大政翼賛会にくみいれて、彼らを補助的な官僚に仕立て、社会生活のすみずみにまで「上意下達」の網をはることができた。大政翼賛会のもとでは、民間の自主的団体を解散させて、これに代わって官製団体をつくる方針がとられた。すでに産業報国運動のはじまっていた労働界では、40(昭和15)年7月に総同盟、東交などのおもな労働組合は、自発的にあるいは警察の圧力によって、いずれも解散させられた。そして11月には大日本産業報国会が結成された。会長 平生(ひらお)釟三郎(はちさぶろう)(日鉄会長)、理事長 湯沢三千男(元内務次官)のもとに、特高官僚や大軍需工場の労務担当者、さらに三輪寿壮、菊川忠雄ら旧 社会大衆党 幹部が役員となった。
  こうした動きは、他の職域でもすすめられた。この時期の反動的空気は、41年初頭の第76議会で、治安維持法が全会一致でふたたび改悪されたことに端的にあらわれていた。国民が政治を批判する道を一切とざした上で、戦時体制をおしすすめたのが、新体制の実態であった。》
( 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』1959.8.31.岩波新書 )
昭和史 新版 (岩波新書) - 茂樹, 遠山, 彰, 藤原, 清一, 今井
昭和史 新版 (岩波新書) - 茂樹, 遠山, 彰, 藤原, 清一, 今井
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《  このような戦争のために必須とされたのが、前記(1)の「戦争経済体制の強化」と(7)の「新政治体制」であった。戦争経済体制の強化とは、ナチス直輸入の「公益優先」の名で、軍と官僚と金融独占資本とが合体して、各業種ごとに「統制会」や「公団」をつくり、全経済を完全に軍と合体した独占資本の支配下におくことであった。
  新政治体制とは、首相を総裁、地方長官を地方支部長とする大政翼賛会、翼賛会の総裁と地方支部長とが議員を任命して構成する中央・地方の「大成翼賛協力会議」、ならびに徳川時代の五人組と同様の「隣り組」をつくり、また労働者の「産業報国会」、農民の「農業報国連盟」、文筆家の「言論報国会」、その他の職業ごとの報国会をつくり、さらに未婚の男女青年は大日本連合青年団に、既婚婦人は国防婦人会と愛国婦人会(のちに合同して大日本婦人会)に、壮年男子は翼賛壮年団に、強制的に加入させる体制であった。こうして国民は家にあっても職場にあっても、一人一人がたえずその生活をがんじがらめにしばられ、戦争に動員された。
  近衛(文麿)は組閣前には強力な新政党をつくると公表していたが、組閣後には、そのような党をつくれば「幕府的存在」となり「国体に反する」として新党結成をやめ、その代り「上意下達」機関として翼賛会を、「下情上通」の場として協力会議をつくったのである。ところが近衛新党の「バスに乗りおくれない」ために、社会大衆党がまっさきに解党し、政友会・民政党の諸派も相ついで解散しており、しかも新党はつくられないことになったから、日本には政治結社は一つもないことになった。・・》
( 井上 清『日本の歴史 下』1966.9.27.岩波新書  「補論」「3.わが国における労働法の発展と特質」)
日本の歴史〈下〉 (岩波新書 青版 606) - 清, 井上
日本の歴史〈下〉 (岩波新書 青版 606) - 清, 井上
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《 わが国における労働法の発展と特質
第二次世界大戦前 ・・・
(3)第二次大戦終結まで  満州事変(昭和6年・1931年)を契機に、わが国は次第に戦時体制のもとに入り、次いで日華事変(
(1937年、昭和12年)、太平洋戦争(1941年~、昭和16年~)と次第に国防国家体制が確立強化されるが、このような推移は、そのまま労働法の崩壊、空文化の過程にほかならなかった。労働者の組織は、昭和11年(1936年)に戦前の最高に達したが(組合員42万人)、戦時体制の確立とともに、自主的労働運動は次第に事業一家・産業報国の理念に導かれた産報運動の中へ解消され(昭和15年・1940年・大日本産業報国会 創立。)、労働法は、その現実的基礎を失って、経済統制立法のなかへ埋没せしめられていくこととなった。・・》
(  片岡曻 著・村中 孝史 補訂『労働法(1) 総論・労働団体法〔第4版〕』2007.第4版。 有斐閣双書。)
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  その話を講義で聞いて、それで、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉が言った文句がわかったのです。
新倉はこう言ったのです。「日本という国は狭い国土に人間がひしめきあって暮らしている国だからねえ。労働基準法を守れなどと言うようなやつは生かしておいてやる必要はないんだよ。日教組の人間とか、共産党の人間、社会党の人間とか労働組合の人間というのは、全員、死刑にするか刑務所に叩きこんでやるべきなんだよ」と。 その新倉の発言というのは、それは戦前戦中の産業報国会の流れを引く思想であり、日本国憲法第27条第1項の「労働の権利と義務」の規定を、強く義務的に解釈するものだったのです。
  そして、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉はこう言ったのです。
「体の具合が悪いとか、そういうことで働かないようなやつは、強制的に収容所に入れて働かせるか、そうでなかったら死刑にしてやるべきなんだよ」と。そう言ったのです。「カウンセラー」は。
恐ろしいですよね。「カウンセラー」というやつは。
恐ろしいですよね。「カウンセリング」というやつは。

  それで、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」は「日本という国は狭い国土に人間がひしめきあって暮らしている国だからねえ。労働基準法を守れなどと言うようなやつは生かしておいてやる必要はないんだよ。日教組の人間とか、共産党の人間、社会党の人間とか労働組合の人間というのは、全員、死刑にするか刑務所に叩きこんでやるべきなんだよ」と言い、「日本国憲法にも労働の義務が定められているんだよ。わかるかね。病気だとか言って働かない人間は強制的に収容所に入れて働かせるか、そうでなかったら死刑にする必要があるんだよ」と。そう言ったのです。「大学で留年するような甘ったれたやつは死刑にするか収容所に入れて強制労働につかせる必要があるんだよ。日本国憲法にそう規定されているんだよ」と。「カウンセラー」がそう言ったのです。それが「心理学」らしいのです。
怖いですね、「心理学」というのは。恐ろしいですね、「カウンセリング」というのは。

  それでね。 私は行きたくもない大学の一番嫌な学部に暴力と強迫と強制で行かされてしまって、留年もしてしまったのですが、日吉台学生ハイツはどう考えてもいいことないと思って、川崎市幸区のアパートに引越したのですが、その際、アパートの家主さんが「慶應大学とは優秀ですね」と言ってくれたので、「しかし、実は留年しまして」などと言わなくてもいいことを言ってしまった・・というあたりは、今から考えてみると、「世間知」がない人間だったと思いますが、そのアパートの家主さんはそれを聞いて、「いや。慶應大学なら何年留年したってエリートですよ」と言ってくれたのです。まあ、あんまり、多く留年しない方がいいとは思いますけれども・・・そういう見方、考え方もあります。実際、「しょーもない大学」に行くやつでも浪人して行ったり、二浪して行ったりしてますでしょ。そういうのに比べたら・・・と言っても比べる相手が悪いかもしれないけれども、たしかに、「しょーもない私立大学」に行くやつに比べたら、ちょっとくらい留年しても慶應大学なら、まだしもその方がいいかも・・・という見方・考え方はあるでしょう。
  また、これは実際に職場という所で勤めてみるとわかるのですが、大学とか学校で決められたことを学んできたというものも悪いということはないのですが、自分で自主的にこれを学ぼうと思って学んだものというのは役に立つものが多いのです。そして、留年なんてのは、すると就職の際には一般には不利だと言われているのですが、しかし、勤めてからにおいては、その留年した時、あるいは留年していた時に学んだもの、身につけたもので役立つものがあったりもするのです。・・ですから、留年したとしても、だからといって「学んでいない」とも言えない。
  浪人はどうかというと、これも、あんまりやらない方がいいとは思いますが、浪人して成功しなかった人は、かえって、そこで何かを学んでいるという場合だってあると思うのです。ですから、大学入試の為という視点で考えるならば、大学入試に成功した方がいいに決まっているのですが、そこで失敗してしまったとしても、それこそ、野村のじいさんが「『失敗』と書いて『成長』と読む」と言うておるように、「人間というものは成功からは学ばんもんなんや」と言っておるように、失敗して痛い目にあったからこそ、そこで何かを学ぶということはありうることです。・・そういったことを考えると、「働いてない」から「収容所に入れて強制労働(=作業療法)させるか、死刑にするかしないといけない」などという考え方はおかしいのです。

  2010年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕〔2013年11月に正式に倒産〕という会社にいたのですが、10月、この会社の従業員で宅地建物取引主任者〔⇒宅地建物取引士〕の資格試験を受けると言って願書を出した人が3人いました。しかし、3人とも合格しなかったようです。
  S井(男。当時、40代前半)は願書を出しておきながら、当日になって、受けても通らないと試験会場に行かなかった。受験料払って願書だしたのなら通るか落ちるかは関係なく試験会場まで行けよ。今は昔、1970年頃、『巨人の星』という漫画があって、星 飛雄馬が所属する青雲高校が神奈川県の有力校で花形満がいる紅葉学院と対戦し、9回、控え投手だった星 飛雄馬が当番すると、紅葉学院の3番打者は星 飛雄馬の剛速球を見て「こんなものすごい球、打てるわけがない」と腰がひけてしまう・・が、ネクストバッターズサークルにいた花形は叫ぶ。「バッター、ともかく、バット振れ!」と。通るか落ちるかは関係ない。「ともかく、バット振れ」てもので、願書だしたら、ともかく受けに行け! 試験会場まで行ったら、ともかく、解けるだけ解け、書けるだけ書け! その姿勢があるかどうかが合格への第一歩であり、「ともかく、バット振れ」である。
  そう言えば、2001年、(株)一条工務店の栃木県佐野市の営業所(展示場)にいた時、女性社員の旧姓須藤M美(当時、20代後半)がインテリアコーディネーターの試験を受けるといって願書を出したにもかかわらず、やはり、「今年は受けても通らないから」と言って受けに行かなかった。あんた、いったい何やってんの・・( 一一) と思ったが、言ってあげてもきかないだろうなあと思ったから言わなかったが、通るか通らないかにかかわらず、受験料払って願書だしたのなら、ともかく受けに行くべきだ。試験を実際に受けてみれば、たとえ落ちても、その試験はどんな感じのものかわかるし、自己採点してみれば、その時点で何点くらい取れるのかわかる。そうすれば、1年後に合格するためには何をどうすればいいかという作戦を考えることができる。野村じいさんは入団3年目に一軍の試合に出してもらえるようになったが、打率は2割5分くらいしか打てなかった。一軍の試合に先発捕手として出してもらえるようになったとはいえ、2割5分ならまた他の捕手にポジションを奪われるかもしれない。ともかく、3割打てば「一流打者」と評価される。どうすれば3割打てるかと考えた時、すでに2割5分は打っているということを考えると、2割5分の打者と3割の打者の違いは何かというと、100回打席に立って30回ヒットを打つのが3割バッターで25本ヒットを打つのが2割5分のバッターだ・・とすると、あと5本多くヒットを打てば3割バッターになれる。ピッチャーが投げるすべての球をヒット打たないといけないとなると大変だが、あと5本ということならば工夫すれば何とかなるかもしれない・・と考え、投手の配球を考えるとか、投手のくせを見抜いて球を予測するとかそういったことをやり、そして、3割打った・・というのだが、入学試験でも資格試験でも満点取らなきゃ不合格という試験は少ない。たとえ、不合格になったとしても、あと何点くらい取れれば合格できるかということを知ることができれば、翌年の試験までに何をどうすればいいかといった対策を考えることができる。それなのに、なぜ受けにいかない?・・・と思ったのだが、言ってあげてもきかんだろうなあ・・・と思って、言ってあげてもきかない人には言わない方がいい・・とこれも私が人生を生きてきて学んだものとして〔まさに「聖なる物をイヌにやるな、真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたがたにかみついてくるであろうから」と『新約聖書』に書かれているが、その通りである〕そこからの判断として言わなかった。
  かじ〇(男。当時、40代前半)は「ユーキャンで勉強下から今年は絶対に通る」ときかれてもいないのに宣言。そして、試験を受けた後、試験会場から帰ってくると「落ちた」・・・て。落ちるのに「絶対に通る」なんて言うなよ・・と思うのだが、「絶対に通る」と宣言して落ちた。なんじゃ、そりぁ。
  そして、H(男。当時、20代後半)は受験後、「通りました」と言って合格発表を見ると、落ちてた・・・。あ~あ。なんで、あんた、合格発表見るよりも前に「通りました」なんて人に言うの? 俺なら言わないな・・・と思うのだが・・というより、合格発表見るよりも前に「通りました」などと言うようなことだから、だから落ちるんだよお!
  あんたら、いったい何やってんの・・・と思うのだが、私がこういった認識を身に着けたのは、実際に大学入試において痛い目にあったから、おのれの骨と肉のきしみで身に着けた認識があるからだ。私なら絶対にやらないと思われることをこの3人は当たり前みたいにやっていたのだ。 私は今でも大学の入学試験を受けている夢を見ることがある。入学試験の後、合格発表までの間に受けた試験問題を思い返して、「ここは正解だ、ここは間違えた。ここは部分点をもらえるだろうか」とか夢の中で点数を計算していることがある。そして、合格発表を見に行って自分の受験番号を捜すが、どんなに捜しても自分の受験番号が見つからない、ないと困るのだが、どんなに捜しても見つからない、しかたがないとあきらめて去るが、やっぱりもう一度見てみようと思って戻って見るが、やっぱり見つからない、どうしたものかと夢の中で考えていたりする。夢から目がさめた後も、しばらく点数を計算していたり、落ちてしまったみたいだがいったいどうしたものだろうかとか考えていて、さらにしばらくして、「あれ、俺、どこを受けたんだっけ」と気づいたりしている。そういう経験のない人間が、資格試験を受けると言って願書をだして、そして、私ならやらないようなミスをしている。この認識は理屈で学んだんじゃないんだよ。おのれの骨と肉のきしみで学んだんだよ。俺と同じだけ痛い目にあってない人間が同じだけの認識を身に着けることができたら、そっちの方がおかしい。
  元阪急ブレーブス投手の山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で書いていたが、1971年の日本シリーズの第3戦、先発した山田は快調に巨人の打線を抑えたが、9回の裏、1ー0 で阪急が1点リードで2死1・3塁から、巨人の4番 王に投げた球は内角低めぎりぎりのストレート、球威も十分、「これで終わりじゃあ」と思ったまさにその時、王は山田が投げたその球を見事にとらえて逆転サヨナラスリーランホームラン。飲んだ後、山田が乗ったタクシーの運転手は巨人ファンらしく、「やっぱり、王はすごいねえ~え」とクルマの中で話し続けた。「でも、阪急のあの山田という投手も、なかなかいいピッチングしたよね」と言った運転手に、降り際、「運転手さん、山田はぼくです。ぼくがその山田です」と話したそうな。失投を打たれたのならわかるが、内角低めぎりぎり、コースは申し分なく球威も十分の球だったのに、あれを打たれたら王にはもう投げる球はない。王は人間じゃない・・と思ったそうな。だが、先輩投手の米田から「もし、山田があの位置をねらって投げたのなら高い球ではないが、もしも、1ミリでもあれより下をねらって投げたのなら、やっぱり高い」と言われ、「内角低めぎりぎりのストライク」を投げたからホームランを打たれたが、「内角低めぎりぎりのボール」を投げておれば、いかに王でもホームランは打てなかったのではないかと考えた。又、8回裏、代打 上田にヒットを打たれたが、あそこを押さえておれば最終回、9回に最強打者の王に打順がまわらなかった。そして、何よりも、あの場面、塁が1つ空いていた・・ということは・・「野球はともかく勝てばええんや」ということから考えると「セリーグ最強打者の王と勝負する必要はなかった」・・と。だから、その後、「ともかく、勝てばええんや」という姿勢がそこから身についた。「男と男の勝負じゃあ」とか言うやつがいると「青いやっちゃな」と思うようになった・・と。ラジオでアナウンサーが解説者の山田に「こういう場面、山田さんが投手ならどういう球を投げますか」と質問したところ、「ボールを投げます」と答えていたことがあった。「ボールを投げます」というのは野球のボールを投げるという意味ではなく、ストライクではなくボールになる球を投げますという意味だ。「ともかく、打ち取ればええんや」という考え方からすれば、ボール球を投げていたならば、いかに王でもホームランは打てなかっただろう・・・と痛い目をしたことから学んだ・・らしい。大学入試は通った方がいいか落ちた方がいいかというと、通った方がいいに決まっているのだが、痛い目にあったことから学ぶというものもある。ここで述べたことは、そんなもの、今さら言われなくても最初からわかってるよという人もいるかもしれないが、ともかく、私は痛い目にあって、それで資格試験であれ何であれ、試験を受ける際の姿勢の厳しさというものを学んだ。理屈で学んだのではなく、おのれの骨と肉のきしみで、カラダでわからされたのだ。そういう体験してないやつは、実際は落ちるのに「今年は絶対に通る」とかアホなことを口にするということだ。
プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
  奨学金とかは留年すると受給できなくなるということが多いようだし、就職に際しては留年したことがあるというのはマイナスの評価を受けることば多いようだが、たとえ、それでも、そこから学ぶものもあったりする。だから、浪人にしても留年にしても、「働かないやつは生かしておいてやる必要はないんだよ。収容所に入れて強制労働につかせるか、死刑にしないといけないんだよ」などと日吉台学生ハイツの「カウンセラー」のヨッパラー新倉みたいなことを言うのはおかしい。
※ 1971年日本シリーズ第3戦 https://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1971_3.html

  一般に浪人・留年はプラスに評価されない、浪人の場合1浪する人間はけっこう人数がいるので「多数は正義」というわけではないはずなのだけれども、現実に「市民権を得ている」みたいなところがあり、「1浪で慶應の経済」「『1浪で慶應の経済』を落ちて『1浪で慶應の文学部』」なんてやつは最初から1浪で入学するのを目指していた人間が多く、私のように現役で大学に合格しようと思えば、どこでもいいわけはないけれども、どこでもよかったら行ける所はあったという者が浪人したのとは違って高校卒業時に行ける大学なんてなかったような者が「1浪で慶應の経済」「『1浪で慶應の経済』を落ちて『1浪で慶應の文学部』」を目指してそれを実現したというやつなんてのがけっこういました。また、そういう人間がえらそうにしてるんだわ・・。
  それに対して、留年・休学はプラスに評価されない・・が、4年で「いいところ」で採用してもらえなかったから、もう1年、4年をやって就職活動をもう一度やり直すなんて人もいましたし、同じ中学校・高校の人間で大阪大学法学部に行ったK村は4年を2回やったようで、2回目の4年の時に司法試験に合格したらしく、それで弁護士になったようです。K村は、何で必要もないのに4年を2回やったかというと、卒業して「無職」という状態で司法試験受験をおこなうよりも「大阪大学法学部4年生」という立場があった方が世間体がいいということと、大阪大学法学部学生の立場があった方が阪大の図書館とか使うのに便利といったこともあったかもしれません。
〔 「うちの息子は司法試験も現役で通りました」とK村のお母さんが近所中にラッパを吹き鳴らして叫んでまわったというのは、それはいかがなものかと思いますけれどもね。「現役で通った」というのは大学入学して4年間の間に通ったものを言うのであって、神戸大学法科大学院大学のK村哲二先生みたいに5年目に通ったものを「現役で通った」とは言いませんし、そいつが4年目に通っても5年目に通っても、私の年収が1万円でも増えるわけでもありませんからね。ギャースカギャースカ言いまくるそのお母さん、ええかげんうるさいだけですから。たとえ1万円でもくれるのなら「ありがとう」くらい言いますけれどもね。くれないんでしょ。くれるんやったらもらうで。〕
  私の知っている人で、慶應大学法学部法律学科に現役で入学して卒業した後、慶應大学法学部政治学科に学士入学して卒業したという人がいました。慶應大学には学士入学と2年次編入との制度があり、転部の場合「2年次編入」の方が一般的らしく、それは各学部の専門科目は教養課程のうちにすでに始まっているので3年からの転部は難しいということのようですが、卒業してからの場合も、まったく異なる学部学科への入る場合は「2年次編入」になるでしょうけれども、法学部法律学科と法学部政治学科は比較的似ていますし、東大・京大・阪大などでは法学部の中に慶應大でいうところの法律学科と政治学科があって、東大などは学科として分かれているわけでもなく、だから、「2年次編入」ではなく「学士入学」で入れたのでしょうけれども、逆に、似ている所になぜ行くのかというと、学士入学で慶應大学法学部政治学科の学生という立場を確保した上で地方公務員 上級 の試験を受けて地方公務員に就職したみたいです。 それなども、いったん、慶應大法学部法律学科を卒業したなら、政治学科に学士入学しなくても「無職」で地方公務員上級試験を受けても良さそうなものですが、「無職」よりも慶應大法学部政治学科学生という立場を持った方が世間体がいいということと、経歴に「無職」の期間を入れない方がいいということがあったのかもしれません。
  そういったことを考えて、それで似たような学科に学士入学する人とか、4年を意図的に2回やる人とかあるようですが、現役で法学部法律学科に入学して、卒業後に政治学科に学士入学して卒業しても、後の方の学科を卒業した時の年齢は2浪で卒業した人間と一緒、1浪1留の者と一緒の年齢ですから、たとえ、地方公務員なり国家公務員なりの試験にうまくいかなかったとしても、民間企業で採用してもらえないかという場合でも十分可能性はあるかもしれません。
  それに対して、浪人も2浪以上になるとマイナスの評価を受けるとか、浪人は良くても留年は良くないとかいう話もあったりしますが、しかし、そこで何を学んだかということになると、かえって、留年とかしてそこで何かを学ぶという場合はあると思います。
  また、3年遅れ以上になると就職には不利になると言われますが、私が今まで勤めた会社でも3年遅れ以上の人と出会ったことがありますが、一般に3年以上遅れた人というのは人間味がある人が多いような印象を受けています。それは3年以上遅れるのがいいということではなく、そこで経験したことから学んだものがあるということではないかと思うのです。
  さらには、東大・京大とか慶應大・早稲田大くらいなら3年以上遅れでもいいけれども、「しょーもない大学」出た人間が3年以上遅れなんて「アホと違うか」「アタマおかしいのと違うか」とか言う人もいるのですが、そういう経験をして、そこから他の人とは違うものを学んだ人だっているのではないかと思うのです。1980年代後半、小堀住研(株)に入社した時の新卒社員研修の営業系社員の合宿研修に、神戸支店でトップクラスの営業成績を残していたという人が「臨時講師」みたいに来てくれたのですが、合宿研修を担当していたTQC推進本部営業部会部長が話してくれた話では「こいつ、最初に入社した時、しょーもない大学を3年も遅れて卒業してからに、どうかしてるんじゃないかて感じだったし、顔を見てもあんまり賢そうな顔してないし、こんなやつ、絶対にあかんわと思ったんだ。そうしたら、案の定、入社1年目、まったく売れなくてな。やっぱり、あんなやつあかんだろうと思ったんだ」ということだった。「ところが、同じ時に入社した人間がみんな、営業成績を残す中でちっとも売れなくて、それでもめげずに取り組んで、1年目、唯一、相手にしてくれていた見込客の人は、関西に住んでいたけれども、九州の出身で定年になったら九州に帰って住もうと計画していて、まだ、定年まで2年ほどあるから契約できないと言われていたんだけれども、こいつ、友達に頼んで一緒に九州まで自分のクルマで行って、そのお客さんの敷地を測量して写真撮って敷地調査してきて報告しよったんや。そうしたら、そのお客さんが『あんた、ここまでやってくれたんか』と言って、それで、奥さんが『まだ、定年まで期間があるけれども、ここまでやってくれたんだから、先に建てて、それまでの間、別荘のように使ってもいいでしょう』と御主人に言ってくれて、それで契約してもらいよったんや。それがこいつの入社1棟目の契約やった」ということだった。それから3年経ち、その人はその地域で誰よりも多く売れる営業になった・・そうだ。そして、自分が売れない期間があったことから、逆に、売れない営業に対して、どうしたら売れるかを指導する能力があるとして、営業課長の中でも高い評価を得るようになった・・らしい。東大・京大もしくは慶應大・早稲田大あたりで3年以上遅れで卒業した人で、それが経験になっている人というのもいますが、「しょーもない大学」で3年以上遅れ・・て「アホと違うか」「アタマおかしいのと違うか」と人から見られた経験を経た人が、むしろ、そういう経験を経て他の人とは違うものを身に着けたというケースはあると思うのです。ですから、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」新倉(にいくら)みたいに「日本という国は狭い国土に人間がひしめきあって暮らしている国だからねえ。労働基準法を守れなどと言うようなやつは生かしておいてやる必要はないんだよ。日教組の人間とか、共産党の人間、社会党の人間とか労働組合の人間というのは、全員、死刑にするか刑務所に叩きこんでやるべきなんだよ」とか「病気だとかいって留年するような人間は強制的に収容所に入れて強制労働をさせるか、そうでなかったら死刑にして殺すべきなんだよ」とか、そういったことを言うべきではないと思います・・し、むしろ、そういうことを言う新倉(にいくら)のような人間の方こそ問題がある人間だと言うべきです。

  ・・・で、その「留年するようなやつは収容所に入れてやって強制労働につかせるか、さもなくば死刑にしてやる必要があるんだよ。日本国憲法にそう規定されているんだよ」と発言した日吉台学生ハイツの「カウンセラー」ですが、その「カウンセラー」の新倉のおっさんというのは、ドバカ息子を底辺中の底辺みたいな私立大学にくそどあつかましくも行かせていて、おのれもまた、その同類の私立大学卒だったのです。 それを考えると、慶應大学あたりで少々留年しても、新倉の息子とか新倉自身みたいに底辺中の底辺の私立大学に行ったやつに比べたらよっぽどいいのではないか、新倉と新倉の息子こそ「強制的に収容所にいれて強制労働につかせてやるか死刑にしてやる必要がある」のではないのか。新倉自身が新倉の方から「強制的に収容所にいれて強制労働につかせてやるか死刑にしてやる必要がある」と発言したのですから、その文句、その基準を新倉と新倉の息子にこそ適用してやるべきではありませんか。そう思いませんか?

  それから、「働く」「働いている」かどうかということの判断ですが、「相当必死に働いているのに給料が安い」という場合と「ちっとも働いていないのに高い給料を取っている」というのでは、どっちが「働いている」ことになるか・・・という問題もあるのです。
  又、どんな仕事にでもついて稼がないといけないという面もあるとしても、逆に、あまりに社会的に低い仕事についてしまうと、次に就職する際に、それを基準にされてしまって、給与にしても役職にしても低い位置を基準に設定されてしまうという場合もあり、そんなことなら、比較的いい仕事につけるまで無職でいた方がかえっていい・・というケースだって考えられないことはないと思うのです。
  さらにそれから、「無職」というと聞こえが悪いのですが、これは、先に述べた厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた求職支援セミナーの講師の女性が話してくれたことなのですが、無職の期間がある程度ある人は「無職」と言わずに「自営」と言うという方法がある・・というのです。勤め先を失ったら、誰しも「自営」なのです、「自営」。
  実際のところ、自営業の人で利益が上がっていない場合というのは、無職とそれほど変わらないのです。だから、逆に、無職だって、自営業としてやっていこうと計画中と考えることだってできるわけで、はっきりと計画して活動していなくても、無職の期間にいろいろと考えたりしていたことが自営業としてやりだした時に生きるという場合はあるはずですから、「自営業として計画中」⇒「自営」で悪いことはないのです。もちろん、収入にならない「自営」だとあまり長く続けられないとしても、そういうことは自分で考えればいいことであって他人からどうこう言われる必要もなければ筋合いもないことです。「カウンセラー」にどうこう言われる筋合いなんかないのです。

  そして、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉は、日吉台学生ハイツから「カウンセラー」として給料を受け取っていたので「無職」ではなかったのですが、「無職」でなかったなら「働いている」と言えるかどうかは疑問です。
  警察官とか消防士とかで、24時間勤務して、次の24時間は休みで、また次、24時間勤務して、また次の24時間は休みという勤務の人がありますでしょ。新倉もそういう勤務形態だったのです。日吉台学生ハイツに来て24時間勤務して、夜は「仮眠」していいことになっていますが、たとえ、夜間の「仮眠」の間でも、入館者が体調不良だとかいうと対応するということになっていて、そのかわり、その次の日は24時間お休みすることができるという、そういう勤務だったのです。ですから、普通の・・と言うとどういうのが「普通」かという問題もあるけれども、毎日、7時間なり8時間の勤務時間、働いて、週休日があるという仕事ですと、夕食後は残業をする場合以外はもう休みですから、夕食時に家で食事とともに酒を飲んでも別に問題はないのです・・・が、新倉の場合は24時間休みの日の場合は夕食時に酒を飲んでもかまいませんが、日吉台学生ハイツに出勤して24時間勤務することになっている日の夕食時に酒を飲んではいかんはずなのです。・・ところが、新倉はべっろんべっろんになるまで酒を飲んで、そして、夕食後の時間帯に日吉台学生ハイツのロビーを徘徊して、入館者(入居者)にヨッパラーがからみまくっていたのです。 「おい~い。〇〇く~ん。いいかねえ。日本という国は単一民族の国なんだよ、単一民族の国。わかってるかねえ。それをソ連が北から喉から手がでるくらいに欲しがってる国なんだよ。それを守らないといけないんだよ。日本という国を守るためにはねえ、労働基準法を守れなどと言うような甘ったれたやつは生かしておいてやる必要はないんだよ。死刑にしてやるべきなんだよ、死刑に! 日教組の人間とか共産党・社会党の人間、労働組合の人間というのは、全員、刑務所に叩きこむか死刑にするのが当然なんだよ。甘ったれていてはいかんのだよ、甘ったれていては。そういう働かないやつは刑務所に入れるか死刑にするのが当然なんだよ。私なんかもねえ、カウンセラーだからねえ。なにしろ、カウンセラーというのはメンタルな仕事だからねえ。メンタルな仕事なもんだから、酒を飲まずにはおれないんだよ。わかるかねえ」と言ってからみまくるのでした。なんとか逃げたと思ったら部屋まで追いかけてきます。部屋まで追いかけてきて、「〇〇くん、いいかねえ。日本という国はソ連が北から喉から手が出るくらい欲しがってる国なんだよ、日本と言う国は。前は樺太もあったし千島もあったし朝鮮もあったし満洲もあったし台湾もあったんだけれども、それを取り上げられてしまったからねえ。ソ連に千島を占領されてるからねえ・・」とかなんとか講釈をヨッパラーが始めるのですが、「すいません。今、やってることありますので」と言ってお帰りいただこうとしても、「いいんだよ。そんなものは!」と言って帰らないのです。ストーカーですよ、ストーカー。べろんべろんの重度のヨッパラーでストーカーなのです、「カウンセラー」というのは。
  ・・・で、「働かざる者、食うべからずとマルクスも言っているんだよ。労働組合の人間とか共産党・社会党の人間とか日教組のやつとかは刑務所に入れるか死刑にする必要があるんだよ。そういう働かないやつは刑務所に入れるか死刑にしてやる必要があるんだよ」と新倉は言うのですが、「カウンセラー」はそう言うのですが、もしかして、新倉こそ「働かないやつ」だということありませんか? 勤務時間中に相当の飲酒をしてべっろんべっろんになって入館者にからみまくっていたのですから、それも、そういうことが一度あったということではなく、日常的にそうだったのですから、新倉こそ、「カウンセラー」こそ「働かないやつ」だったのではありませんか?

( ↑ 横浜市港北区箕輪町1  かつて、日吉台学生ハイツ があった場所。)
  ちっぽけな野郎だなあ・・・と思います。日吉台学生ハイツの「カウンセラー」というのは。思いませんか?

  日吉台学生ハイツ は、元自衛隊の人間が運営していて、又、伊藤忠商事が経営に関係している会社と聞きましたし、少し前に日吉台学生ハイツがなくなった後、今は伊藤忠商事の日吉寮が建ったりしていますが、伊藤忠商事というのは有名大企業だと思ったのですが、おのれは勤務時間中にべっろんべっろんになるまで飲酒して入居者にからみまくる男が「日本という国は狭い国土に人間がひしめきあって暮らしている国だからねえ。労働基準法を守れなどと言うようなやつは生かしておいてやる必要はないんだよ。日教組の人間とか、共産党の人間、社会党の人間とか労働組合の人間というのは、全員、死刑にするか刑務所に叩きこんでやるべきなんだよ」とか「病気だとかいって留年するような人間は強制的に収容所に入れて強制労働をさせるか、そうでなかったら死刑にして殺すべきなんだよ」とか言いまくっていたのを放置していたということは、伊藤忠商事もまた新倉みたいな思想を持っていたということなのでしょうか。それなら、伊藤忠商事もまた問題のある企業だということになりますね。

  それで・・・、私は最初、新倉という男は「カウンセラー」を名乗っていたものの、実際には大学の心理学科・教育心理学科といった所を卒業したわけでもなく、きっちりと「心理学」や「カウンセリング」というものを学んできたわけではなく、「元自衛隊で歳いってる」というだけで「カウンセラー」を名乗っている人間だから、だから、そんな状態であって、本格的に心理学科・教育心理学科といった学部学科で「心理学」「教育心理学」「カウンセリング」といったものを学んできた人は新倉みたいなものとは違うだろう・・・と勝手に思い込んでいたのです・・・が、違うと思います。そうではなく、文学部・教育学部の「心理学科」「教育心理学科」とかを卒業した人、あるいは医学部卒で「精神科」が専門の人というのはまともか・・・と期待していたのですが、違うと思います。
  むしろ、そういう連中の方こそ、もっと問題があるのではないか。


  ・・・そして、もうひとつ、気づいたのは、「心理学」て大学で専攻するとあほくさいな・・・と。 なぜかというと、「心理学者」というのは「精神科医」の下働きではありませんか? そうではないと思っても、実質的に「精神科医」の下働きになってしまいますでしょ。カネとコネがあるとアホでも入れる私大の医学部に行って卒業して内科医やっていたがうまくいかないので「精神科医」に転職すると、内科の治療は苦手だが人を騙すのは得意だから「精神科」はまさに天職♪〔八百長でクビになった相撲取りの転職先として、プロレスだとどうかというと、プロレスラーが言っていたのは「こっちの場合は、八百長はむしろそれが仕事みたいなもんだから、大歓迎ですよ」と(笑) それと似ている。「内科の治療は苦手だが人を騙すのは得意」という内科医というのは「精神科」に転職すると、「精神科」の場合は人を騙すことこそがそれが仕事ですから、まさに天職に巡り合ったみたいなもの・・( 一一) 〕・・・てもので3日前に「精神科医」になったなんてやつの下働きになるのではないか。京大文学部とか京大教育学部の心理学科・教育心理学科、あるいは東大文科三類に合格して入学して文学部心理学科・教育学部教育心理学科とかに進んで卒業しても、結果は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネを寄附して私立金権医大に裏口入学して卒業して内科医やっていたが内科医よりも「精神科」の方が儲かる・・ということで「精神科医」に転職したというようなやつの下働きにならされる。そんなものと違いますか。 そうだとすると、心理学科・教育心理学科てあほくさいなあ・・・と思いませんか。何がうれしゅうて、東大なり京大なり、そうでなくても阪大の人間科学部でも行って卒業した者が私立金権医学部卒で内科医やったが内科の治療は苦手で人を騙すのは得意だから「精神科医」に転職しましたあ・・てやつの下働きにならされるなんて・・・。
  そういうことを考えると、「カウンセラー」なんてのは大学の心理学科・教育心理学科卒業した人間でも、大学院修了した人間でも、実際のところ、「新倉のおっさんとたいして変わらん」か、もしくは、もっと悪質か・・・。
  デビッド=クーパーが『反精神医学』(岩崎学術出版社)で述べていました。「精神医学の技術というものは、セラピストを守るためのものでしかない」と。そうでしょ、そうでしょ。 間違いないですよ。そういうものですよ。 「新倉のおっさん」よりも、それ以上にたちが悪い・・可能性が小さくない・・と考えるべきでしょう。
反精神医学 (1974年) - D.クーパー, 野口 昌也, 橋本 雅雄
反精神医学 (1974年) - D.クーパー, 野口 昌也, 橋本 雅雄

  で、「心理学」「カウンセリング」によると、どうも、「労働法」の通説とはまったく違う解釈になるらしいのですが・・・。やっぱり、労働法については労働法の方の学者の通説の方が通説と考えるべきものだと思いますね。「心理学」「カウンセリング」で法律を考えるのではなく、法律は法律家の思考で考えるべきもの・・だと思いますよ。

  次に、有倉遼吉 監修『口語六法全書 憲法』(1964.11.20. 自由国民社) を見てみたいと思いますが、字数が多くなったので、次回にまわしたいと思います。

 (2022.1.17.)
口語 憲法 (口語六法全書) - 孝輔, 小林, 安三郎, 星野
口語 憲法 (口語六法全書) - 孝輔, 小林, 安三郎, 星野
  1970年代前半、私が誕生日祝いに、すでに働いていた上の姉に買ってもらった『口語六法全書 憲法』(自由国民社)は 有倉遼吉監修 となっていて、執筆者11人の中に星野安三郎・小林孝輔の名前が入っているが、その後、星野安三郎・小林孝輔 監修として『口語六法全書 憲法』発行され、↑ は2004年8月1日発行のもので、今では絶版になって新刊書では手に入らないらしい。
  法令の条文を口語にして書くというのは、いいような悪いようなだと思う。 その「口語」の解釈が間違っているということでなくても、仮に通説の解釈であったとしても、有力対立説とか少数派だが有効な意見とかもある場合、「口語訳」が絶対的な解釈だと誤解してしまうおそれもあるので、そのあたりが問題かと思う。又、法律の条文の意味の受け取り方は「◇◇大学教授」といった人たちや裁判官だけで考えるのではなく、一般市民がその条文を読んで意味を考えるべきもので、実際にはすべての法律のすべての条文を一般市民が読みこなして意味を考えるのは困難かもしれないが、元の条文を一般市民が読んだ上での一般市民の受け取り方と「法律家」の「口語訳」が一致しない場合というものも出てくることは可能性としてはあるわけで、「口語訳」がまったく価値がないわけではないとしても「法律家」の解釈が絶対のものと思考するようになると、むしろ、問題が出てくるかもしれない・・と思う。
  (2022.1.17.)

☆「勤労の権利および義務」憲法27条1項をどう考えるか
1.滅私奉公・夜討ち朝駆けを繰り返してきた安月給の者と従業員を安月給で使って一族だけ高い収入を得ている一族経営者はどっちが「働いている」のか「働いてない」のか。薬漬けで高収入を得ている医者屋というのは「働いている」のか「働いてない」のか。野球やって高給とってる人間というのは「働いてる」のか「働いてない」のか。「職業としての宗教」やってる者は「働いてる」のか「働いてない」のか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202201/article_3.html
2.本来は「勤労の権利」実現の為の職安は目的から逸脱している。茨城大卒の男が人事部長なんかなるな。「勤労の義務」は産業報国会の流れ。「病気で働かない者は収容所で強制労働につかせるか死刑にする必要がある」と主張するヨッパラーの「カウンセラー」。早期就職支援センターを叩き潰せ。〔今回〕
3.国民に強制労働を強いる意味ではない・・が、そういう意味だと主張したい人が日本にはいる。小此木啓吾「モラトリアム人間」論は「労働の権利と義務」を義務的に解釈しようとする人たちの流れのもの、産業報国会の流れのもの。それに気づかない、自分は「レッテル」貼られる側にはならないと勝手に決めつけてる塾風人間。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202201/article_5.html 

☆ 「カウンセリング」「カウンセラー」の問題点については、
慎腹風呂愚
【1】「男は強姦できるから女よりえらいんだよ」と「心理学の学説」たれる「カウンセラー」、「カウンセラーはメンタルな仕事だから酒飲まずにはおれないんだよ」と勤務時間中に泥酔する「カウンセラー」、入居者にからむストーカー「カウンセラー」、若い人間に相手になってもらおうとロビーをうろつく「カウンセラー」・・・ https://shinkahousinght.at.webry.info/202112/article_10.html
【2】 《「いい子で育つ」と問題がある大人になる》という「心理学」の「学説」の間違い。《「叩きこむ」カウンセリング》と「弥陀の本願によりて」身に着く「カウンセリング」の違い。「自分をえらいと思っている人」と人を罵る自分をえらいと思っている自称「カウンセラー」 「セラピスト」の言うことを聞く前に「セラピスト」を見てください。https://shinkahousinght.at.webry.info/202112/article_11.html 

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