「『好投した』は勝った試合で言うこと」と入試に落ちた息子を「しっかりしてますわあ」と言いまくる母親。それを本気にする「尊敬」されるらしい未成熟な息子。

[第562回]
  2021年のプロ野球 日本シリーズは大変面白かった。6試合のうち、1点差が5試合でそのうちの1試合は延長12回での決着、残りの1試合は2点差で、いずれも接戦。最後の最後までどうなるかわからない展開だった。
  2021年のプロ野球開幕前、ヤクルトは最下位に予想する「野球評論家」「解説者」が多かったが、途中から様子が変わってきた。開幕前の予想がはずれても、それがどうしたて解説者が多い中で、まだ、半分もいかないうちに中畑が「申し訳ありませんでした」とヤクルトを最下位に予想したことを謝った。予想がはずれてもそれがどうしたという「解説者」が多い中で中畑はたいしたもんだなあ・・と思ったら、他にも同様のことを言う解説者が出てきた。 そのうち、終盤になって、巨人・阪神・ヤクルトの3チームが上位で他の3チームと大きくゲーム差が離れた時、今度は多くの解説者が「優勝は巨人か阪神か」とか言いだしたので、なんで、この人たち、ヤクルトを除外してんの? ・・と思ったら、除外されたヤクルトが優勝した。開幕してすぐ、つば九郎がスケッチブックにマジックで「うるせえ、うるせえ。評論家ども、うるせえ」と書いていたのがインターネットに出ていたが、まさに「うるせえ、評論家ども」というその言葉の通りになった。
  さらには、日本シリーズの始まる前、多くの「解説者」「評論家」は「オリックスが絶対的に有利」と言いまくり、「オリックスの山本・宮城の2人の投手が先発する試合ではヤクルトはまず勝てない」と予想する「解説者」「評論家」が何人もいたが、結果は違った。さらに、第6戦、「ヤクルトは奥川が先発するならともかく、高梨が先発ならオリックスが相当有利」と予想する「解説者」「評論家」が何人もいたが、「山本の下の奥川のまだまだ下」と評価された高梨が力投! 高梨を無茶苦茶低く評価した「評論家」「解説者」は高梨投手に「ごめん」の一言くらい言うべきだろう。
  ・・それで、今回、ここで述べたいのは主として野球の話ではない。第一戦を負けたヤクルトが第二戦で先発した高橋投手が完封し、ヤクルトが2ー0で勝った後、新聞のスポーツ欄でもヤフーニュースでもYouTubeでも多くの「解説者」「評論家」が「オリックスの宮城も1点取られたとはいえ、好投したんですけれども」と言いまくる中で、スポーツ欄で見たのだが、落合が一言、「『好投した』というのは勝った試合で言うことです」と。「負けたら、好投してもボロ負けでも負けは負けです」と、そう言っていたのだ。・・なるほど。

  それで・・・だ。今は昔、1970年代後半のことだ。 大阪府下の同じ小学校から同じ中学校に行き、大阪市淀川区の府立北野高校に同じように行き、そして、何の因果か・・というか、あんまり一緒になりたくない相手だったのだが、大阪府高槻市にあって今はなくなったYMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスなどという所の、しかも、2クラスあったうちの同じクラスに在籍するはめになったN口 要という男がいたのだが、この男の親というのが私の親とは正反対の親だった。
  どう正反対かというと、私の親というのは父親も母親も息子を悪いように悪いように言わないとおれない症候群の親だったのに対して、このN口 要の親というのは、自分の息子のことをいいようにいいようにラッパを吹き鳴らして四方八方に叫びまくらないとおれないシンドロームの親だったのだ。・・どっちがいいかというと・・、「どっちもどっち」て感じがする( 一一)

  うちの親はどんな感じだったかというと、たとえば・・・。
1990年代半ば、うちの母親が「用事があるから」だったか、うちの母親の体の調子が悪いからだか言って、大阪の家に急いで帰って来いと言うので福島県の勤務地から戻ると、翌日に私が「お見合い」をする予定になっていた・・・というのだ。うちの親というのは昔から、そんな調子で息子を騙さないとおれない性格の親だった。それならそれで、あらかじめ、そのように話せばよさそうなものだが、絶対にそうはしない。騙し討ちのやり口をやらないとおれないシンドロームの人間だった。
  ・・それで、うちの母親は私が嫌いで、同じ学校に行っていたそのN口てやつが大好きだったのだ。なんで、あんなやつがいいのか? ・・と思うのだが、まず第一に「よその息子」だという点がいいみたいだ。うちの親というのは「自分の息子」というのが嫌いなのだ。もうひとつ、「息子とは母親にとってどういう存在か」という問題があって、うちの母親にとっては息子は「この世で一番嫌いな男(夫)の分身」であり「この世で一番嫌いな男(夫)の息子」だったということがある。なおかつ、うちの母親は「夫に逆らえない女」だったが、息子にはそうではないので、そうではないだけでなく「息子ちゅうもんは相談するもんと違うでしょうがあ」と言い、何であれ私には絶対に相談してくれない女で、そんなもので「お見合い」の段取りも私には一言も相談せずに組み、「息子ちゅうもんは何でも言うこときかすもんでしょうがあ」と言う、そういう存在だった。だから、夫は「この世で一番嫌いな男」であっても「夫に逆らえない女」であるのに対して、息子というのは「この世で一番嫌いな男の分身」で「この世で一番嫌いな男の息子」であるとともに「ぎゅうぎゅう言うこときかさないといけないもの」という相手だったのだ。だから、私は「ぎゅうぎゅう言うこときかされる」ことになり、「やっつけてやらんといかん」と言ってやっつけられたのだった。
  ・・で、その話を取り持ってくれたおばあさんが、私と会った後で母に「いいお坊ちゃんですねえ」「かっこいいお坊ちゃんですねえ」と言ってくれたらしいのだが、ところが、そう言われて、うちの母はどう言ったかというと、「ええ? そうですかあ~あ?」「なんで、あんなん、いいですかあ~あ???」と、そう言いよったのだ( 一一) ・・なんか、よっぽど嫌いみたい( 一一)  そして、電話でそう言われた後、私に「あの人、『いいお坊ちゃんですねえ』『本当にかっこいいお坊ちゃんですねえ』と言いはんねん。変なこと言う人やなあ。なんで、そんなこと言うんやろ。ほんまに変なこと言う人やな」と、そう言うのだ。ほんまにほんまに、よっぽど嫌いみたいや・・・( 一一)。
  1970年代終わり、私が浪人中に会ったある40代くらいの男性からも、「いいお坊ちゃんですねえ」と母は言われたことがあったらしいのだが、ところが、それを聞いてうちの母親は「あの◇◇さんという人が『いいお坊ちゃんですねえ』なんて言われたんやけど。なんで、あの人、そんなこと言うんやろ?」とか言って不思議がるのだった。・・・あんた、よっぽど嫌いみたいやなあ・・・( 一一)
  そして、言うのだった。「親というものは自分の息子のことを、いいように、いいように思うもんやから」と。はあ? はあ~あ? どこがやねん、どこが?!?・・・ 世の中にはそういう親もあるだろうけれども、あんたは自分の息子のことを悪いように悪いように思うとるやないか( 一一)  
  「隣の芝生は緑に見える」The grass is always greener on the other side of the fence.塀の向こう側の芝生はいつも青々としている)みたいに、あんたは、いつでもいつでも、よその息子を ええようにええように思って、よその息子をええようにええように言いまくっておるやろうが! 何、言うとんねん!
  どうも、「心理学の学説」で「親というものは、自分の息子のことをいいように、いいように思うものだ」という「学説」があるらしいのだが、だいたい、「心理学の学説」なんてものは嘘だらけなのだ、嘘だらけ!!! 世の中で「心理学」ほど害があるものはない。
  慶應大医学部助教授で内部進学の小此木啓吾なんてのは、「精神分析学」と称して次から次へと「精神医学・心理学的レッテル」を発明して、その「××症候群」「△△シンドローム」「☆☆的人間」という「レッテル」を自分に貼り付けるということは絶対にしないで「自分以外の誰か」特に小此木が気に食わないような人間にぺったんこ・ぺったんこと貼りつけてまわり、そういう本をいっぱい出版して印税でもうけまくっていたが、まさにその ””内部進学小此木啓吾「おまえはそんなにえらいのか」症候群”” ほど害があるものはないであろう。
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫
  「作家で精神科医」の なだ いなだ が、『パパのおくりもの』(文春文庫)で「精神分析教の信者はあまり身勝手な解釈はやめた方がいいだろう」と述べているが私もそう思う。「ある精神分析教の信者はこう言った。フロイトは巨人であった。我々は小人である。しかし、巨人の肩の上に乗った小人は巨人よりもはるかに遠くを見ることができると。しかし、その小人は実状を知ったらそうは言わなかったであろう。巨人の後からついていく小人が見たものは巨人の大きな背中でしかなかったはずである」と述べているのだが、小此木啓吾その他の精神分析教の信者どもというのは、そんなものだろう。
パパのおくりもの (文春文庫 113-1) - なだ いなだ
パパのおくりもの (文春文庫 113-1) - なだ いなだ
  アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授のトマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で、
「彼ら(「精神科医」)が言っていることを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」
とアインシュタインの言葉を引用して述べている。又、
「『精神科医』の言うことを聞く前に、その『精神科医』を見てください」
と言っているがもっともなことだ。
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
( ↑ トマス=サズ『The Myth of Mental Illness(「精神医学」という神話)』岩崎学術出版社 )
〔 アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授の Thomas Szasz の名前は、カタカナで表記した時、Thomas は「トマス」か「トーマス」だが、Szasz をカタカナでどう表記するかは諸説あるみたいで、岩崎学術出版社からの翻訳では訳者は「サズ」と表記しているが、シドニー=ブロック・ピーター=レダウェイ『政治と精神医学ーソビエト連邦の場合』(みすず書房)の訳者はこの本の翻訳の中で「シャシ」と表記しており、↑ で見ると、アマゾンでは「スザッツ」と表記しているようだが、《ウィキペディアートーマス・サシュ》https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Szasz では「サシュ」と書かれています。ハンガリー生まれのアメリカ合衆国人、ハンガリー系アメリカ合衆国人で、2012年9月に92歳で他界したらしい。 〕
〔 ””The Myth of Mental Illness”” が原題で、原題をそのまま訳すならば、of は「同格のof 」と考えて『「精神疾患」という神話』『「精神疾患」という作り話』と訳すのが妥当かと思われるが、この本の内容は「精神疾患」よりも「精神医学」の問題点の方が述べられているものなので、それから考えると『「精神医学」という神話』もしくは『「精神医学」という作りごと』と訳すのが適切か。『精神医学の神話』では「精神医学」業界に対して「忖度」したみたいな訳名のように思える。トマス=サズの著書では『(「精神医学」という)狂気の思想』が新泉社から出版されている〔新刊書は絶版になってしまい、今では新刊書では手に入らないが古書ではアマゾンでも手に入るようだ。〕が、これも『狂気の思想』では「精神疾患」「精神病患者」と「認定」されてしまった人の「狂気」の「思想」について述べたみたいな印象を受けるもので、原題に即して『「精神医学」という狂気の思想』と訳すのが本来的であろうけれども、これも「精神医学」業界に「忖度」して『狂気の思想』になったみたいな感じだ。但し、トマス=サズ(サシュ?)は多くの「精神疾患」は人間関係によるものであり、それを「医学」として扱うところに大きな問題があることを指摘してはいるものの、「精神医学」が扱っているものでも外傷によるもの・薬物中毒によるもの・梅毒の三期症状で脳が侵されたことによるものなど、そういったものについては医学として扱うのが間違っていると言っているわけではないので、『「精神医学」(で扱っているものの中)の神話』でも間違いということはないかもしれない。〕
  「精神医学」の問題として、「精神医学者」というのは思考が自然科学者の思考であり、自然科学を考える態度で、本来なら文学・哲学・社会学といった対象のものを見るところに問題がある・・といったことを言う人があるようだ。そういう面もあるだろう。しかし、「精神科」は医学部にあるのに対して、心理学科は文学部にあり、教育心理学科は教育学部にあるので、「心理学者」はそうではないのではないか・・と私はいくらか期待した時期があったのだが、そうではなく、《「裏口入学で私立金権医大に行って卒業して内科医になったけれどもうまくいかないから3日前に『精神科』に転職した」・・みたいな「精神科医」の下働き》みたいな「心理学者」がおり、又、「心理学者」というのは高校卒業までに旧帝大系国立大学に合格できるレベルにくらいまで「国語」や「社会科」を学習してきた者で文学・哲学・宗教学・社会学といった分野に属する本も読んで学んできた人間がなっているのではないかと期待したこともあったが、「慶應心理学」の場合は小学校から高校まで「国語」「社会科」などを旧帝大系国立大学に合格できるレベルまで学習してきた人間ではなく、逆に「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ。我々内部進学の人間はそういう害があるものはやっていないかわりに『塾風』というものを持っているんだ。わかってんのかあ~あ!」と絶叫されるようなお方(内部進学)とその下男・下女の扱いを受け入れている「外部の連中」がやっているものである。彼らは高校卒業までに「普通の学校」卒の者なら学んできているような文学・哲学・宗教学・社会学といった分野の学習をしてきていない。かわりに「塾風」というヤマトダマシーみたいなもの(内部進学独善主義)を「持っている」人だ。「慶應心理学」はそういう人の世界観でできている。
  「精神医学」ではなく身体医学であっても、医者というのは人間を扱うものだから、私が高校を卒業した1970年代後半から1980年代初めくらいの時期の大学の入試科目では、慶應大医学部・慈恵医大・自治医大・大阪医大は数学1~3、英語、物理1・2、化学1・2のみが試験科目だったのに対して、旧帝大系国立大学の医学部の入試科目には国語・社会科2科目も入試科目にあったので、自分が大学に進学する頃の意識として、鉄とか石とかを扱う学問ではなく人間を扱う学問である医者を養成する医学部の場合は入試に国語・社会科もある大学の方がいいのではないか、国語・社会科も入試にある大学卒の医者の方がいいということはないかと思ったりもしたのだが、その後、自分が身体医学の医者にかかる場合に見ていると、それはあんまり関係ないかな・・と思うようになった。
  ・・が、身体医学ではなく「精神医学」の場合、特に小此木啓吾症候群というのは「幼稚舎から慶應」だそうで、そういう人の世界観を基に、ねったらもったらねったらもったら書き連ねた「精神医学」的レッテル・「精神分析」と称する「精神医学」的レッテルを小此木啓吾および内部進学が気に食わない人間にぺったんこぺったんこと貼って喜んでいる・・というもの・・と考えるべきであろう。小此木のビョーキ本シリーズを買って喜んでいる人間というのが慶應大の学生にはけっこういたのだが、小此木啓吾のビョーキ本シリーズなんてそんなくだらない物を読むのなら、むしろ、フロイト・ライヒ・フロム、あるいはユングといった人の著書を読んだ方がいいのではないか・・と私などは思ったのだが、小此木啓吾のビョーキ本シリーズの信奉者は小此木のビョーキ本シリーズはありがたがって読んでも、フロイト・ライヒ・フロム・ユングといった人の本は読まない。小此木啓吾の本を買ってありがたがっていた人間というのは、大川隆法か池田大作かそういう人の本をありがたがっている人に似ている。 小此木本の信奉者・信者というのはけっこう棲息していて、そういう小此木啓吾の信奉者の特徴としては、小此木啓吾が製造した「精神医学」的レッテルを貼りつけられるのは常に「自分以外の誰か」だと信じきっている( 一一) ・・という点があった。小此木のビョーキ本シリーズを読んで、小此木啓吾謹製の「精神医学」的レッテルについて読み、「そうだ。これは◇◇にあてはまるのではないか」「これは△△がそうだ。△△を『治療』してやるべきだ」とか思い、当然、その「レッテル」を貼りつけられるのは自分ではないと勝手に決めつけてって喜んでいる( 一一)・・というそういう連中、ナチズムとは・・と考えた時に、もしもナチズムの社会に自分が生きたなら自分はヒトラーの親衛隊か何かになっているものと勝手に決め込み、自分がユダヤ人としてガス室で殺される立場になるなんてことは絶対にありえないことだと勝手に思い込んでいるようなタイプの人間であり、それが「慶應タイプ」・「思考が柔軟な慶大生」・「スマートな慶應ボーイ・慶應ギャル」とかいうやつだ。そういう人間のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「診断」する。え? そういうのって逆てことないか? あれ、おかしくないか・・と感じる者、考える者、口に出して言う者には「自我が確立されていないから、そういったことを言うということですね」とか、「慶應心理学」は「診断」する。「慶應心理学」とはそういうものだ。「慶應心理学」は内部進学とその下男・下女どもがやっているものだから、「そんなもの」だ。
  インターネット上に出ていたものによると、小此木啓吾は慶應大学医学部を定年になった後、慶應大よりも定年の年齢が上である私立大学の講師になったらしいが学生の評判は悪かったらしい。あくまで、インターネット上に出ていたものによる話だが、どこが評判が悪いかというと、(1)慶應大よりも学力水準が低い大学の学生を苛める。そして、(2)なにかと慶應に帰りたがる・・( 一一)そうだ。なるほど、小学校:慶應、中学校:慶應、高校:慶應、大学:慶應、勤務先:慶應として生きてきた「サラブレッド的慶應」もしくは「ほとんどビョーキ」、 ””「揺り籠から墓場まで慶應(From cradle to tomb)」シンドローム”” の人だから、慶應的精神空間の外で生きるのは相当大変なのだろう。いわば、ウルトラマンが地球上で活動するようなもの、3分以内に慶應的精神空間に戻らないとカラータイマーが緑から黄色に変わり、黄色の点滅が赤に変わると小此木啓吾症候群はもはや立ち上がれなくなってしまうのだ!・・・て、そんな感じだったのだろう。そういう人の世界観のことを「心理学」では「教養豊か」とか「人間を知っている」とか「思考が柔軟」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「診断」するそうだ( 一一)
※ 《YouTube-ウルトラマンvsゼットン》https://www.youtube.com/watch?v=HwicfkCJz2g
  小此木啓吾は2003年9月に73歳で野垂れ死にしたが、「医学」「精神分析学」と称して勝手なことばっかり言いまくりやがってからに、ずいぶんと長生きしたもんだ。迷惑なやつだった。
  ・・で、うちの母親というのが、私をほめてくれた人、私のプラスに評価されて良さそうな部分を見てほめてくれた人がいた時に「ええ~え? いいですかあ、あんなん。なんで、いいですかあ」とか言うのはその2回だけに限ったことではなく、常にそういう母親だったのだ。
  うちの母親が大好きだった「野口くん」てやつだが、そうやってうちの親からいつでもいつでも応援してもらってきたのだから、うちの親が高齢になって体が不自由になった時には、何かひとつくらい応援してもらったうちの親の為にやっても良さそうなものだが、な~んもしよれへん。・・・そういうやつがうちの親は好きだったようだ。

  うちの父親はどうかというと、私が「爪の垢」を飲まないといけない男というのが4人いて、その4人というのは、
[1]うちの父親の親友の医者屋のM川の息子で、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権関西医大に裏口入学なさったお方。
[2]うちの母親が行っていた日本基督教団の教会の牧師屋で、大阪経済大学卒のおっさん。厳密には、大阪経大卒で牧師屋になることはできないので、実際は大阪経大卒で、かつ、東京神学大学卒のおっさん・・だが。
[3]N口と同様、同じ小学校・同じ中学校から、同じ府立北野高校に行き、大阪大法学部に行って、大阪大に入学して5年目に司法試験に合格したくせしやがってからに、母親が「司法試験も現役で取りました」と近所中にラッパを吹き鳴らしながら叫びまくった・・なんで、それが「司法試験に現役で通りました」やねん、ちっとも現役で通ってないやんけ、嘘つくな、そういう「すぐばれる嘘」つくと裁判官の心証悪くするぞ・・という川村哲二という、今は神戸大学法科大学院大学の先生様になっていらっしゃるお方。
[4]うちの父親の勤め先で、うちの父親の部下にあたるらしいなんとかさんの息子で、大阪の人間なのに東京の大東文化大学だかにお行き遊ばしたお方。
  とりあえず、この4人の「爪の垢」を私は飲む義務があるらしいのだった。
  この4人の私が「爪の垢」を飲ませていただかないといけないおえらいお方とかいう連中については、ひととおり解説してみたいところだが、4つとも述べると、相当の字数にもなるので、それは別の機会にまわすとして、ここでは一例として(4)についてだけ述べることにする。
〔 この稿を公開後、過去にこのわたくしめが「爪の垢」を飲ませていただかないといけない4人の「えらい人」、および、医者屋のK田の息子でアホ大学を2つお行きになったお方について、
[第503回]《「爪の垢」を飲ます側の論理・「爪の垢」を飲まされる側の論理。薬漬けで息子を裏口入学させるのは「思考が柔軟」か? 息子に出さない費用をよその子に出す親と出させる牧師。弁護士は「爪の垢」を飲ませる側の人間―父の日に(4)》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202006/article_4.html で、
[1]うちの父親の親友の医者屋のM川の息子で私立金権関西医大に裏口入学なさったお方の話を[第503回]の【1】で、
M川の同僚の医者屋K田の息子がバカ大学に2つもお行きになったお方の話を[第503回]の【2】で、
[2]日本基督教団の教会の牧師屋さんで大阪経大卒(兼、東京神学大学卒)で牧師におなりになったSさんの話を[第503回]の【3】で、
[3]同じ小学校・中学校から同じ北野高校に行って大阪大法学部に行って据え膳の条件でお勉強なさっておきながら司法試験に現役では合格できず、阪大法学部に入学して5年目に司法試験に合格なさった、かつ、普通は「司法試験に現役で通りました」というのは大学に入学して3年目か4年目に合格したものを「現役で司法試験に通りました」と言うもののはずで5年目に通ったというのを「司法試験に現役で通りました」とは言わないはずであるにもかかわらず、なじかは知らねどお母さんが「司法試験にも現役で通りました」と近所中にラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて吹聴しておまわりになった〔⇒《YouTube-ローレライ (歌詞つき) 鮫島有美子 Die Loreley sung by Yumiko Samejima》https://www.youtube.com/watch?v=zbJy_EuY-mE 〕現 神戸大学法科大学院大学のK村哲二先生様のお話を[第503回]の【5】
[4]うちの父親の勤め先でのうちの父親の部下にあたる人の御子息様で大阪の人間が東京で下宿してまで大東文化大学にお行きあそばしたお方の話を[第503回]の【4】で、すでに公開していたことに気づきました。もし良ければ、[第503回]《「爪の垢」を飲ます側の論理・「爪の垢」を飲まされる側の論理。薬漬けで息子を裏口入学させるのは「思考が柔軟」か? 息子に出さない費用をよその子に出す親と出させる牧師。弁護士は「爪の垢」を飲ませる側の人間―父の日に(4)》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202006/article_4.html も合わせ御覧ください。〕

  うちの父親の勤め先でうちの父親よりもずっと下の役職の人の息子で私よりいくつか年下の男が、大阪の住人なのに、東京の大東文化大学だかに下宿してお行きあそばしたらしいのだ。その男の「爪の垢」を私は飲む義務があるらしいのだ。
  なぜなのか?  「◇◇さんの息子さんは、おまえなんかとは違って大東文化大やねんぞお~お。大東文化大。」と言うのだ。
  「ああ、そうですか」と言うと、「『ああ、そうですか』とは何じゃ、『ああ、そうですか』とは」と言うのだ。いったい、どう言えばいいのだろう。
  私が高校生の時、うちの父親は「東大に行くというのなら東京で下宿してでも行ったらいいし行くべきやし、下宿して行くのは嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんが、もしくは、慶應か早稲田に行くのならば東京で下宿してでも行ったらいいし行く値打ちはあると思うけれども、そんなもん、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたら国士館やたらわけのわからん私立大学に行くのに東京で下宿してまで大学に行くことあらへん。アホ大学は大阪にもあるんやから、大阪の大学に行けばええんや、大阪の大学に。アホ大学に行くようなやつは下宿みたいなもん、することあらへん。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては」と言っていたのだ。だから、私はそれを聞いて、そんなものなのだろうと思っていたのだった。  世の中には色々な考え方があるもので、大学を卒業して勤めてから勤務先で遠方に勤務してもらいたいと言われて会社都合の転勤で遠方に勤務して遠方で生活するのはかまわないが、18歳から22歳もしくは23歳くらいの人間が大阪の人間が京都で下宿するのはいいが東京で下宿して大学に行くというのは費用とは別の問題として良くないという人がおり、逆に、大隈重信(佐賀県出身)は地方の若い人間はその地方にそのままいて地元の大学に行き、その地方のことしかわからない人間として成人するのは良くない、そうではなく、「井戸の中のカエル」みたいな思考・世界観の人間にならないように、若い者は大学は東京か関西かの大学に行って生まれ育った所と異なる所で生活する経験を若いうちに持つべきだと言って東京に早稲田大学を設立したといい、関西の人間でも大学を卒業後は関西に戻るとしても東京圏の大学に行って生活するのはたとえ費用がかかっても意義があると考える人もいるらしかった・・が、東大か慶應大・早稲田大くらいにでも行く人間なら、関西の人間が東京圏で生活する経験を持つのも意義はあるとしても、「しょーもない私立大学」になんか行く者が東京圏で生活する経験なんてもってもしかたがない、むしろ、子供でも「何でも欲しいものは手に入る」という育て方は良くないのと同じく、関西の人間が東京圏の大学に行って東京圏で生活する経験を持ちたいと思ならば、東大かそうでなくても一橋大・東京工大か慶應大・早稲田大くらいまでには行ってこそ、東京圏で下宿して大学に行く経験をさせてもらえるというようにすべきだと考える人もいた。 さらには1990年代初め、霞が関のある官庁で警備員のアルバイトをしたことがあったのだが、そこで警備員をしていたおじさんの息子はフランスの大学に行っていたというのだが、そのおじさんが言うには往復の交通費がかかるけれども、それ以外は日本の大学に下宿して行く場合と特に変わらないそうで、特に「名門」というような大学でなくても、本人が外国の大学に行きたいと言うのなら本人の希望に沿った所に行けばいいとそのおじさんは考えたらしい。英語・ドイツ語・フランス語を使う国で4年間、生活して英語・ドイツ語・フランス語を話せるようになったならば就職にも有利になることは考えられるが、但し、旧帝大系国立大学くらいに進学しようというくらいの人が言った場合には話せるようになれば、それだけでも有利になるだろうけれども、言っちゃなんだが底辺の方の私立大学しか行けないような人が外国の大学で4年間生活しても、「聞く」「話す」はそこで生活すればできるようになっても、「読む」「書く」は自分で机に向かって学習しないとできるようにならないので、見につくのは「聞く」「話す」だけになる可能性が大きそうだ・・が、それでも、本人が行きたいと言うのならば、ともかく本人が行きたいという所に行かせてやるのがいいというのはひとつの考え方だ。私が父親で大阪に住んでいたならば、一般的には京大に行けばいいじゃないかと思うところで、本人がどうしても東大に行きたいと言うのならば、どうしたものか考えるが、言っちゃなんだが「しょーもない私立大学」に行くのに東京ででも京都ででも下宿してまで行く必要はない、自宅から通える大学に行けばいいことだと考える。現実には「しょーもない私立大学」とか専門学校とかに行くのに下宿して行っている人というのはいっぱいいるのだけれども、そういうのは自慢することではないと思う。ともかく、うちの父親は「東大にでも行くのなら東京で下宿してでも行けばいいし行くべきやし、下宿して行くのは嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應か早稲田かに行くのなら東京で下宿してでも行く価値はあるけれども、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたら国士館やたらわけのわからん私立のアホ大学に行くのに東京で下宿して行くことあらへん。大阪にも私立のアホ大学はあるんやから、そういうやつは大阪の私立大学に行けばええことや。何より、そんなアホ大学に行くようなやつが大学に行くというのが間違っている。そんなやつ、全員、自衛隊に入れてやるべきや、自衛隊に。甘ったれとってはいかん!」と言っていて、かつ「京大はアカやから行ってはいか~ん」とか言っていたので、世間には別の考え方をする人もあるとしても、それがうちの父親の考え、うちの父親の基準なのだと私は認識していたし、うちのおっさんは自分で何度もそう言っていたはずだったのだ
  又、うちの父親は「もし、下宿して大学に行くのなら、京都で下宿するのも東京で下宿するのも一緒や」と言っていた。費用という点では、京都で下宿しても東京で下宿しても、住居費はどちらが高いというようなことはない。あるとすると、大阪の人間で東京圏で下宿した者は、実家に帰省するのは年に2回か3回であるのに対して、京都で下宿した人間は ↑ のN口にしても毎週、金曜日の夕方に京都から大阪府に帰り、月曜日の朝に京都に行くということをしていたので、下宿代と別に京都の下宿と大阪府の実家との間の往復の交通費がかかる(大阪府の北摂地区の実家と京都大学がある京都市の百万遍あたりを毎週往復するとけっこうな金額がかかる)ということになり、結果として京都で下宿した方が東京圏で下宿する場合よりも費用はかかることになった〔 大阪府の人間が京都大学もしくは「京都の大学」に京都で下宿して行った場合と、大阪府の人間が東京圏の大学に東京圏で下宿して行った場合とでは、京都大学もしくは「京都の大学」に下宿して行った場合の方が交通費は多くかかることについての具体的な計算については、[第295回]《自分も浪人した・自分も下宿しているという自覚がない大学生1-東京で下宿して大学に行くとカネがかかるか》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201705/article_3.html を参照。〕・・という違いがあった・・が、親によっては、大阪の人間が大学に行くのに京都大学であれ「京都の大学」であれ京都で下宿して大学に行くのはいいが、まだ、18歳から20代初めの年齢の人間が大阪の人間が東京圏で下宿して大学に行くのは良くないと言う人もあった。私も親であってもおかしくない年齢になってみると親の立場としてそう思う。又、二十歳前後の時期に大阪の人間が東京の大学に行って東京の女性と仲良くなりよって結婚する言われたら、東京の人間と夫婦になってしまうから、大阪の人間は京阪神圏の大学に行って女性と仲良くなるにしても京阪神圏の女性か京阪神圏に来ている女性と仲良くなってもらった方が親としてはいい・・ということもあり、又、本人にとっても大阪の男からすると東京の人間は感じ悪い、大阪でなくても京都でも奈良でも神戸でも和歌山でもいいけれども関西の女性の方がいいということもあった、人によっても違いはあるかもしれないが私なんかはそうだったが、それは費用の問題とは別の問題だった。
  私が高校生の時、うちの父親は ↑ のように言っていたので、人によって考え方の違いはあるかもしれないが、おっさんはそう考えているものだと思っていたのだ。だから、この考え方、この基準から考えると、大阪の人間が大東文化大やなんて、そんなアホ大学に下宿までして行くやなんて、それも、医者屋の息子とか社長の息子とかならともかく、うちの父親よりも下の役職のおっさんの息子なんかが大東文化大やなんてそんな私立大学に東京で下宿してまで行くやなんて、「何、考えとんねん( 一一)」て感じだった・・・のだが。
  ところが、うちの父親は私にこう言うのだった。「大東文化大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と・・・。はあ?
  それで、私は言ったのだ。「大東文化大みたいなもんに行ったら、なんか、えらいんですか?」と。
  すると、うちの父親は言うのだ。「わからんのか、おまえは。おまえはそんなことすらもわからんのか!」と言うのだ。
  それで、「はあ・・。どうも、なんやようわかりまへんなあ。なんで、大東文化大みたいなもんに大阪の人間が東京で下宿までして行ったらえらいんでっか?」と、そう言ったのだ。
  すると、うちの父親は「◇◇さんの息子さんはなあ。おまえみたいに慶應みたいなもん、行っとれへんねんぞ。大東文化大やぞお。わかっとんのか、このチャンコロ! おまえみたいに慶應みたいなもん、行かせてもろとれへんねんぞ」と言うのだ。
  「大東文化大みたいなもんにしか行かれへんような人間が、たとえ私立大学に行くにしても実家から通える大阪の大学に行くのではなく、大阪の人間が東京で下宿までして行ったら、何かエライんでっか?」と言うと、
  「わからんのか、このチャンコロ! おまえみたいに慶應みたいなカネのかかる学校には行かせてもろとらんのやぞ。大東文化大やぞお、大東文化大」と言うのだ。それで、
  「私は大東文化大という学校をよく知らないのですが、大東文化大て、安いのですか?」・・・私はそう言ったのだ。
  すると、うちの父親は、
  「わからんのか、このチャンコロ、ロスケ、イタコ!  おまえみたいに慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもろとらんのやぞ、慶應みたいにカネのかかる大学には行かせてもらえんもんやから、そやから大東文化大にお行きになっておるんやぞ。大東文化大に。大東文化大にお行きになった方の爪の垢を飲めえ!!! このチャンコロめが!」
と言うのだった。それで、私は言ったのだ。「大東文化大て安いんですか?」と。
  「慶應は大学に関しては昔から『国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方』の学費の大学で『早稲田大と慶應大なら慶應大の方がかなり安い』という大学ですけれども、私は大東文化大という学校についてよく知らんのですけれども、大東文化大学というのは慶應大よりも安いんですか?」と。
  「それに、そのお方は『慶應みたいにカネのかかる大学には行かせてもらえんもんやから、そやから大東文化大学に行った』とおっしゃっておるらしいのですが、慶應大に行かずに大東文化大にお行きになったのは、それは入学金・授業料が大東文化大学の方が慶應大学よりも安いから、だから、慶應大学にも合格したけれども、大東文化大学の方が学費が安いから大東文化大学にお行きになったのですかあ?」と。
〔 違うと思うけどな・・( 一一) 〕
  「何を言うとるんじゃ、このチャンコロめが。このロスケ、イタコ、チャンコロ! おまえみたいに慶應のようなカネのかかる大学に行かせてもらえんもんやから、そやから大東文化大にお行きになったんやろうが。おまえはその程度のことすらもわからん人間なんか!」と言うのだ。
  「なんや、ようわかりまへんなあ。 慶應は昔から大学については『国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方』の学費の大学で、『早稲田大と慶應大なら慶應大の方が安い』という大学でしたけれども、それでもまだ慶應大の学費を出せないからということならば、何も大東文化大なんて所に大阪の人間が東京で下宿してまで行かんでも、慶應大の学費が出せないからということならば、それなら東大に行けばええのと違うんですか? もしくは、京大なり阪大なりに行かれたら良かったのと違うのですか?
  もしくは、東大や京大には通らないということなら、大阪の自宅から通える大阪経大に行けばいいでしょうが。大阪経大なら通るでしょうし、学費も私立大学の中では安い方らしいし、大阪の自宅から通えるから下宿代はかからないでしょう。なんで、大阪経大に行かないで、わざわざ下宿代のかかる大東文化大なんで行くんですか?」
と。

  昔から、慶應は大学に関しては「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学で「早稲田大と慶應大なら慶應大の方が安い」という学費の大学だった・・が、なぜ、そうなっていたか。推測すると、
(1) 何代か前の慶應の塾長がインターネット上で述べていたが「日本の学校を見ると、小学校の場合は学校の数で見ても生徒の数で見ても、公立の学校の方が私立の学校よりも圧倒的に多いので、小学校については私立の小学校が少々高い学費に設定しても、金持ちではない人は公立の小学校に行けばいいのだから、私立の小学校が学費を高い金額に設定したからといって『学ぶ権利』を奪うということにはならない。それに対して、大学の場合は大学の数で見ても学生の数で見ても、国公立の大学よりも私立の大学の方が圧倒的に多い。だから、大学については私立大学といえども、あまり高い学費に設定したのでは『学ぶ権利』を奪うことになる」・・・と、そう述べていらっしゃった・・のだが、まあ、そういうことから、慶應は大学については「私立大学の中では安い方の学費」に設定してあるということもあるのかもしれませんが、
(2) そんなことよりも、慶應の場合は、小学校・中学校・高校については私は行ってないからそれほどよくは知らないけれども、聞くところによると、慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の学費の大学だけれども、小学校から高校まではそうではなく、逆に「私立の学校の中でも高い方」だという話なのだ。・・・なぜ、そうなっているのか。
  たぶん・・・だが、それは大学については、あまり高い学費に設定してしまうと「金持ちの行く私立のアホ大学」になってしまう危険があり、むしろ、大学は「私立大学の中では安い方」に設定することで「入学試験で合格最低点より高い点数さえ取れば誰でも行ける」ということにすることで大学の価値を下げないようにしているのであり、逆に小学校から高校までは高めの学費に設定することで誰でもは行けないようにしている・・のではないか。・・たぶん、そんなところだと思うな。
(3) なぜ、慶應大の方が早稲田大よりも安いのか・・というのも、慶應大は大学に関しては意図的に「私立大学の中では安い方」にしているということがあるだろうけれども、早稲田大よりも安いというのは、一説には「慶應義塾は債券類でいい物を持っている」という説があり、
(4) 慶應大は「OBが寄付してくれる大学」だという説もあった。OBといっても私みたいな安月給のサラリーマンのOBのことではなく、要するに「財界が寄付してくれる大学」だということで、慶應大学の日吉の槙文彦設計で建てられた日吉新図書館とか、三田の大学院棟とか、それから何やらかんやらは「財界の寄附」でできた建物だとか・・・そういう話があり、だから、慶應の方が早稲田よりもカネがあるんや・・という説があり、しかし、そんなことでは「財界のひも付き大学」になってしまうてことないか? ・・て、何をナマ言うとんねん、そんなもん、とうになっとるやろうが・・・とかいう説もあったり・・・とか。
(5) 財界が寄付するとかどうとかいうのは別としても、慶應のような昔からある大学というのは、新設の私立大学なら土地を買って建物を建ててしないといけないところを、すでに土地もあり建物もあるので、新たに費用をかける必要がないという点もあるだろう。だから、その点で、最近、できた私立大学に比べて学費も安めにしようと思えばできるはずなのだ。
  ・・ちなみに、東京都港区三田の慶應大学三田キャンパスの土地というのは、もともとは島原藩の下屋敷があった所らしいが、下級武士でしかなかった福沢諭吉はどうしてそれを手に入れたかというと、明治維新の後、廃藩置県により「藩」というものがなくなり、それまで「藩」が所有していた物について持主が消失してしまい、誰の物なのかようわからんという事態になった時があり、そういう時に、うま~く安い値段で手に入れた・・と福沢諭吉は『福翁自伝』(岩波文庫)で正直に書いている。さらにちなみに、三菱というのは海運業から大きくなったと言われるが、なぜ、三菱の岩崎弥太郎は船を持っていたのか・・というと、土佐藩が持っていた船を岩崎弥太郎が「ケムに巻く」という「実業家」の得意技を発揮して自分の物にしてしまったということがあったみたいで、それを知っている人は知っていたようで、夏目漱石は「実業家」というものを「胡散臭い」存在として認識していて、『吾輩は猫である』の「くしゃみ先生」も「実業家よりも中学校の先生の方がえらいと考えている人」として登場し、『吾輩は猫である』の中の「お地蔵さんを移動させる話」では、最初、力持ちがお地蔵さんを力任せに持ち上げて移動させようとしたがうまくいかず、次いで「賢い人」がお札やらニセ札やらをお地蔵さんに見せて「欲しいじゃろう。欲しかったらこっちこい、こっちこい」とやってもだめで、次いでヤクザ者が「こら、お地蔵さん、こっちに動かないと怖いぞ怖いぞ」とやってもお地蔵さんは動かず、その後、「実業家」がやってきてお地蔵さんのまわりでパイプに煙草をふかせてプカプカやったがそれでもお地蔵さんは動かなかった・・というのだが、そのパイプで煙をプカプカ吐き出すというのはそれはいったい何なのか?・・というと、それこそが「実業家」の得意技で「ケムに巻く」てやつで、モデルは岩崎弥太郎だそうだった。もしかすると、今でもその「ケムに巻く」という技をやっている人はいるかもしれないが、ともかく、三田の慶応義塾の土地は島原藩の下屋敷の土地を廃藩置県で「藩」がなくなった時にうま~く安く手に入れたと、これは福沢諭吉が自分で正直に書いていることなので、そうなのだろう。
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
  鉄道でも新しくできた私鉄は昔からある私鉄に比べて高いでしょ。北総鉄道と東葉高速鉄道とかは昔からある私鉄に比べて高い。阪急とか東急とか昔からある私鉄は新しくできた私鉄よりずっと安い。横浜みなとみらい線は東急東横線の続きで東横線の電車がそのまま走って行くけれども、横浜みなとみらい線の区間は東急の区間に比べてずっと高い。例外として北大阪急行電鉄は開業直後に1970年の大阪万博で大量に客を運んで「元を取った」ので最初から安かったらしいが、一般に新しくできた私鉄は昔からある私鉄に比べて高いのが一般的でしょ。私立大学もまた、慶應のように昔からある私立大学は比較的最近できた私立大学よりも安い学費に設定できる条件があるはずで、その点で慶應のような昔からある私立大学は比較的最近できた私立大学よりも有利なはずなのです。
(6) 又、たしか「朝日」だったと思うが、もしかすると他の新聞だったかもしれないが、新聞に載っていた話だが、慶應大学の講師の募集に対して、「タダでもやらせてほしい」と言う人がわんさと来た・・・というのだ。タダでやってどないすんねん?・・というと、たとえ1年でも慶應大の講師をやると「元慶應大学講師」という肩書がついて、経歴にハクがつくということで、それで「タダでもやりたい」という人がわんさと来た・・ということだった。タダはともかく、新設の無名の私立大学に比べると、慶應は教員の確保でもやりやすいはずであり、その点でも大東文化大学なんかよりも、費用をかけなくてすむ要因があるはずなのだ。
(7) 慶應は大学に関しては「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の学校で、小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」に学費を設定しているというのは、大学は「金持ちの行くアホ大学」になっては困るので「入学試験でいい成績さえ取れば誰でも行ける」ように安めに設定して、小学校から高校までは高めに設定することで誰でもは行けないようにしている・・ということだろうと思えるとともに、慶應大学は「国立大学と競合になる大学」だからということもあると思う。たとえば、東洋大なんて国立大学と競合になんかならないでしょ。だから、そういう私立大学は国立大学との競合を考える必要はないし考えてもしかたがないけれども、慶應の場合は「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費に設定してあるというのは、国立大学との競合で「慶應の方が学費は少々高いけれども、そのくらいの差なら出しても慶應大に行った方がいい」と考えてもらおうという認識があるのではないか。
  東大・京大と慶應大ならば、まあ、普通に考えて両方通ったら東大・京大の方に行くだろうけれども、阪大だと関西の人間は阪大に行くだろうけれども、東京の人間は京大に行くことはあっても阪大は最初から受けない場合が多く、東大・京大・阪大以外の旧帝大系国立大学と慶應大だと「好みの問題」もあるかもしれないが、どっちにしようか迷う人が多く、旧帝大系国立大学でない地方国立大学ならば慶應大の方がいいに決まってると判断する人が多い・・のだけれども、そういう時に、学費の金額の差が相当大きいようだと、東大・京大・阪大以外の旧帝大系国立大学や旧帝大系でない地方国立大学と慶應大とどっちにしようかという時に、慶應大でない方を選択する人が増えてしまうことになる。そうなってほしくない・・と思うと、国立大学との学費の差をあまり大きくできない・・という事情があるのではないか。
(8) 慶應大と早稲田大なら慶應大の方が学費は安い・・というのは、「慶應は債券類でいいものを持っている」「慶應の方が財テクがうまい」という説があり、「慶應のOBの方が早稲田のOBよりもよく寄附をしてくれる」という話もあるらしいが、ひとつには、慶應は「金持ちの学校」「ブルジョワの学校」というイメージがあるので、大学の学費を高く設定してしまうと「金持ちの息子の行くアホ学校」になってしまう危険があるのに対して、早稲田大は「野人(やじん)」とかようわからんこと言ったり、慶應大よりも学費は高いのに、又、もちろん東大よりも学費は高いのになぜか「庶民の学校」みたいなイメージを振りまいており、慶應みたいに「金持ちの学校」「ブルジョワの学校」イメージがないので、大学の学費は慶應大より早稲田大の方が高くても、早稲田大は「金持ちの行くアホ大学」というイメージにはなりにくい・・という事情もあるかもしれない。
  これは私の勝手な想像だが、間違ってないのとちゃうか・・と思う。そういうことで、慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費・「早稲田大と慶應大なら慶應大の方が安い」という学費に設定されてきた。・・だから、普通に考えて大東文化大なんてわけのわからん私立大学よりも、たぶん、慶應大の方が安いのではないか・・と思うし、それよりなによりも、その何とかさんの息子というのは、慶應大と大東文化大では大東文化大の方が学費が安いから大東文化大に行ったんかあ~あ? ちゃうやろうが。大東文化大みたいなもんしか通らんから大東文化大に行ってんやろうが。何をしょーもないこと言うとんねん、何を・・・( 一一)

  推測すると、そのおっさんは、大阪の人間で会社でもたいして上の方の役職の人間でもなく、それほど給料が高い人でもないのに、ドバカ息子を大阪の家から通える私立大学ではなく、下宿して行かないと行けない東京の大東文化大学だかに行かせた・・・ということから、「へえ、大東文化大学やなんてそんな私立大学に行くのに東京で下宿して行かせなさったんですかあ。相当、お金かかりますでしょう」とか言われるやろうなあ、「東大かそうでなくても、慶應大か早稲田大にでも行くのなら東京で下宿してでも行かせてるのはわかるけれども、大東文化大やなんて、そんなアホ大学に行くのに、金持ちでもないのに、なんで、大阪の人間が東京で下宿させてまで行かせるんですかあ」と言われそうやなあ・・・と思うから、だから、機先を制して「うちは貧乏でっさかいに慶應なんか行かせることができまへんから、そやから大東文化大に行ってまんねん。貧乏なもんやから慶應になんか行かせられまへんから、そやから大東文化大にしか行かせてやれまへんね~ん」とか、言いよったんやろう。まあ、そんなところやろう。世の中、「しょーもないこと言い」はいっぱいおるもんや。
  だから、私が親ならば、そういう「しょーもないこと言い」がおったとしても、「ああ、そうですか」でおしまい。「また、アホが増えたか」と心の中で思うだけ。
  それとも、何か? 「金持ちやないから慶應大には行かせられまへんねんとおっしゃるのなら、それなら東大に行かはったら良かったのに、なんで、東大に行かないんですかあ? なんでですかあ? なんでなのか、教えていただけまへんかあ? なんで東大に行かんかったんですかあ? なんでですのおん? なあんでえ~え???」と言うべきなのか?
  ・・・あほくさいから、そんなしょーもないおっさんに本気で相手になることないやろ・・・と思うのだが・・・。

  もうひとつ。 私は自分が大学を受ける時まで「慶應大と早稲田大なら慶應大の方が学費は安い」ということを知らなかった。イメージとして、慶應と早稲田なら慶應の方が高そうなイメージがあると思いませんか。ところが、違うんですよ。昔から、同じ学部なら慶應大と早稲田大なら昔から慶應大の方学費は安いのですが、これは、実際に慶應大か早稲田大を受けたことがある人、もしくは、受けなかったとしても受けることを考えて入学要項を見た人は知っているのですが、最初から慶應大や早稲田大に行くことなんて問題外で、そのバカ息子が合格できる可能性がある大学というと大東文化大くらいという人は、慶應大と早稲田大では学費は慶應大の方がかなり安い・・とかそういうことを知らないのです。
  かつ、私は大阪に住んでいた時には、慶應の小学校から高校までというのも、学費がどうなのかなんて知らなかった。そのうちの父親の部下らしい大阪府に住んでいるおっさんも、慶應の小学校から高校の学費がどうなのかも知らんでしょう。知らずに言っているのですよ。
  2,3年前だったか、「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったかに、慶應幼稚舎(小学校)の特集が掲載されていて、その記事によると、慶應幼稚舎なんてのに子供を1人行かせると、それだけで年に400万円はかかる・・らしい。そんなもん、かかったら、私らなら食べていかれへんがな。 ・・で、実際に慶應幼稚舎に子供を行かせた人の話として、学費がどうこうよりも、慶應幼稚舎に行かせると「おつきあい」にカネがかかるそうで、お誕生日会とかに家に呼んでもらって子供が行くと、もんのすごいごちそうを出してもらって、そして、来た子供ひとりひとりにものすごい高いプラモデルを用意してもらい、家庭教師のおにいさんが一緒に途中まで作ってくれて、「残りは家に帰って自分で完成するんだよ」と言ってもらってそれを持ち帰ってきて子供は大喜びしているけれども・・・、もしも、立場が逆になった時に同じことをしないといけないのか、と思うと親はぞっとする・・と書いてあった・・が、そういうものらしい。どうも、医者屋とか社長とかそういう悪いやつの息子・娘の行く学校らしいのだ。だから、わたしらプロレタリアートの息子を行かすなどということは、そんなこと考える方が間違っているのだ。しかし、それは小学校のことで、中学校あたりも似た感じで高校もそれに近いかもしれないけれども、大学になると「普通の人間も行く学校」になるようなのだ。
  だから、よく知らない人は、小学校から高校までのイメージが大学にもあてはまるみたいに勘違いしている人がいるが、大学については、むしろ、慶應大と早稲田大と両方通ったけれども慶應大の方が学費が安いから慶應大にしたという人もいたし、本当に親の年収が少なければ日本育英会奨学金を受給すれば「学費分」を供与してもらえたし、日本育英会奨学金を受給して大学に行く場合には出してもらえる金額は「学費分」だったから、慶應大と早稲田大とでは早稲田大の方が学費が高かったとしても日本育英会奨学金を受給して行く場合は一緒、私立大学でも国立大学でも出してもらえたので自分で出して行く場合には国立大学の方が安かったけれども日本育英会奨学金を受給して行く場合には、私立金権医学部に裏口入学する人の「寄付金」なんて出してもらえるわけないが、そうでなければ国立も私立も関係なく「学費分」を出してもらえたので、日本育英会奨学金を受給して行く場合は高めの学費の私立大でも一緒だったはずだ。 慶應の場合は慶應義塾奨学金というものがあって、日本育英会奨学金を受給して「学費分」を日本育英会奨学金で出してもらった人には自動的に慶應義塾奨学金から「生活費」を出してもらえるという制度もあったが、他の大学で同様のものがあるのかないのか私は知らないが、慶應はそういった制度が比較的ある方の大学だったはずだ。さらには、今もあるのか今はないのかわからないが、慶應大は、1980年代には、日吉に、1日朝夕2食付き・風呂は週に2回付で月1万2千円なんて寮もあった。もちろん、運営している慶應義塾としては利益にならないのは明らかだが、慶應はそうやって「貧乏な人でも行けるように」という工夫・制度がある大学だったのだ。だから、「うちは貧乏なもんでっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学になんか行かせられまへんよってに、そやから、大東文化大に行ってまんねん」やなんて、そんなもの、嘘に決まってるだろうが!!! というものだ。しょーもないこと言いやがってからに( 一一)
  だいたい、うちの父親が私が高校生の時に言っていたように、「東大にでも行くのならば下宿してでも行けばいいし、東大でなくても慶應か早稲田にでも行くのならば下宿してでも行く価値はあるとして、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたら、そんな私立大学に行くのに大阪の人間が東京で下宿してまで大学に行くことあらへん。アホ大学は関西にもあるんやから、そんなしょーもないアホ大学に行くようなやつは、たとえ大学に行くにしても家元から通える地元の大阪の大学に行くべきや」と考えるもので、それを大東文化大学なんて所に大阪の人間で社長でも医者屋でもなく、サラリーマンでもたいしたサラリーマンではないのに行かせる親ていったい何や( 一一)  よっぽど、カネ余ってんねんなあ、そいつの給料高すぎるのと違うか? ・・てもののはずだ。

  私は大東文化大学という学校の学費が私立の大学の中で高い方なのか安い方なのかなんて知らない。それと同様に、息子を大東文化大学なんて所に大阪から行かせたようなおっさんは、慶應大学の学費と早稲田大学の学費では慶應の方が安いなんてことも知らないであろうし、慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学だというようなことも知らないであろうし、慶應は大学については「私立大学の中では安い方」だけれども小学校・中学校・高校については「私立の学校の中でも高い方」らしいということも知らないはずだ。だから、知らずに言ってるのだ、そのしょーもないおっさんは。だから、知りもしないで言っているようなしょーもないおっさんの言うことなんて「ほっておけばいい」のだ・・・が、それができないのがうちの父親だったのだ( 一一)

  ところが、普通、そんなしょーもないおっさんの話なんか信じるアホはおらんやろ・・・と思うのだが、いたのだ。どこにいたかというと、ほかでもない、うちにいたのだ( 一一) うちの父親がそうだったのだ( 一一)
  そして、↑ のような話をして説明してあげても絶対に理解しないのだ。そして、「大東文化大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言うのだ。だから、私は行ったのだ。「わかりました。それなら、慶應みたいなもん、行きません。やめます」と。「それでいいでしょ」と。
  その頃、考えたのは、司法試験の二次試験は4年制大学の2年を修了すると一次試験免除で受けることができたが、大学に行かなくても司法試験一次試験に合格すれば二次試験を受けることはできた。たとえば、慶應大に千葉クロマティ高校卒で「1浪で慶應の経済」に通ることができたら「猛烈にラッキー」だがそれは無理だから「1浪で慶應の文学部」に進学した富永てやつが、慶應大の「愛塾」奨励空手会という「空手使いの右翼団体」にいたのだが、富永なんかの場合は不良高校卒で高校卒業まではどの科目もちっとも勉強してなくて高校卒業の時点では通る大学なんてなかったという男が1年浪人して1浪の間に「慶應の経済学部」「慶應の文学部」の試験科目である「数学1・2B」と「英語」の2科目だけ「1浪で慶應の文学部」にぎりぎり合格できるレベルにまで学習してやっとこ「1浪で慶應の文学部」に入学したという男なので、こういうやつは司法試験一次試験に合格しようと思っても難しい。司法試験一次試験というのは相当出題範囲が広い。大学入試でも国立大学、特に旧帝大系国立大学は私立大学よりも試験科目が多いが、私の場合は最後まで理科に進むか文科に進むか迷ってしまって、それが東大の試験に失敗してしまった一因でもあった、野村じいさんが言うところの「弱者の戦術」「戦力の集中」の逆をやってしまったのだが、もしも、司法試験一次試験を受けようということならば、それだけ広い範囲に学習してきたというのは、今度はそれが強みになるはずで、又、私の場合は「体育以外の増位山」みたいなところがあり・・「増位山」というのは私が高校生から大学受験生の頃に現役で、1980年に関脇から大関に昇進した力士だが、相撲で大関までなっただけでなく「そんな夕子にほれました」なんて歌のレコードまで出してヒット曲になり・・、
※ 《YouTube-そんな夕子にほれました 増井山太志郎》https://www.youtube.com/watch?v=15rdABpDY0U
さらには絵も描いていて入賞したとかどこかに載っていたように思うのだが、そこから小学生の間で「主要四科目(国語・算数・理科・社会科)以外の科目の体育・音楽・図画工作」ができる生徒のことを「増位山」と言うようになった時期があったらしいが・・・、私は中学校から高校に行く時には音楽と美術は内申書も「10」で「主要五科目」よりも音楽と美術の方が得意で好きだったくらいの人間であり、司法試験一次試験は国立大学の入試科目よりもまだ広い出題範囲、美術や音楽も出題されたが、そういう広い範囲から出題される試験に通ろうという場合には、高校卒業まで勉強してなくて1浪の間に「1浪で慶應の経済」か「1浪で慶應の文学部」に合格できれば御の字ということで「1浪で慶應の文学部」に行ったようなクロマティ高校卒のやつなんかとは違って、十分合格できると思えた。もちろん、受けていないからには「十分合格できる」と思えたとしても実際に受けてみると予想外の部分が出てくる可能性もあったが、少なくとも「クロマティ高校卒の富永みたいなやつ」よりはずっと通りやすいのは間違いなかった。実際に大学に行かずに司法試験一次試験合格から司法試験二次試験合格で弁護士になった人間としては、最近、YouTube で登録者・視聴者が多いらしいアトム法律事務所の岡野武志氏がそうらしい。
※ 岡野武志弁護士【アトム法律事務所】https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B2%A1%E9%87%8E%E6%AD%A6%E5%BF%97%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A0%E6%B3%95%E5%BE%8B%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80
  『司法試験機械的合格法』『東京大学機械的合格法』の著者の柴田孝之は、高校生の時に司法試験第一次試験を受験したが、その時は司法試験一次試験に合格することはできず、東大法学部に入学して東大の2年を修了して二次試験受験資格ができたことから、司法試験一次受験はやめて二次から受験して東大法学部の4年の時に司法試験二次試験に合格したという話を『司法試験機械的合格法』で述べている。
  私だって、あの時、「M川先生」と「K田先生」とうちの父親が言うように、「M川先生の息子さん」とか「K田先生の息子さん」は「ドイツ人でアメリカ人の民族」で「医者の階級」のお方であるから、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでバカ大学2つ行くのも私立金権医大に裏口入学するのも、それは「天の神さま」がお命じになった使命であるのに対して、私は「チャンコロの民族」で「浪商の階級」の人間であって、「浪商は高校には行ってはならない」というこの世の掟により、高校は義務教育ではない以上、本来は高校に行ってはいけない人間であり、ましてや大学には行くことは「天の神さま」がお許しにならないという民族で階級だったそうなので、うちの父親の指示に従い、大学には行ってはならないということで行かないことにしておけば、今頃は司法試験一次試験合格から二次試験にも通って弁護士でもやっているのではないか・・・という気がするが、それも認めてもらえなかった。

  浪人中にも、私はうちの父親から言われた。「裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい」と。これは ↑ の[1]の話につながるが、うちの父親の親友の医者屋のM川という男〔1970年代終わり頃当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際は私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなかったとしても、「かわいいキンタマ」(川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大)くらいか〕とその同僚の医者屋のK田〔女。1970年代終わり頃当時、40代後半くらいか?〕の2人から私は言われたのだ。「あんたなんかは高校には行ってはいけないはずや」と。それを言われてうちの父親は喜んだのだ。
  なぜ、私は高校には行ってはいけないのか? その理由は、高校は義務教育ではないからだと言うのだ。K田は「義務教育は小学校と中学校だけで高校は義務教育ではないのだから、だから、あんたなんかは高校には行ってはいけないはずだ」と私に言うのだ。そして、「ましてや、あんたは大学には行くなんてことはしてはいかんはずだ」と言うのだ。それにしては、K田のバカ息子はバカ大学を2つも行っていたそうで、K田はそれを自慢たらしく話していたのだったが、K田のバカ息子はバカ大学を2つも行っていいのか?
  いいらしいのだ。最初の大前提の「義務教育は小学校と中学校だけで、高校は義務教育ではない」というところは同じなのだが、結論は正反対のところに持って行くというのが、これが医者屋のテクニックなのだ。「医は仁術」てやつなのだ。K田のバカ息子は「義務教育は小学校と中学校だけで高校は義務教育ではない」のに、それなのにバカ大学2つも行っていいのか? ・・というといいらしいのだ。「2つも大学に行っているのだから、だから、一生懸命、勉強させてやらんといかんということや」という結論になるのだ。M川のドバカ息子は父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして手に入れたカネで私立金権関西医大裏口入学だったようだが、「義務教育は小学校と中学校で高校は義務教育ではない」のに、高校も私立の高校でそれも裏口の可能性が大きく、大学は私立金権関西医大裏口入学で、そんなものに行っていいのか? ・・というと、いいらしいのだ。M川はこう言うのだった。「わしの息子なんか裏口入学なもんやから、そやから、一生懸命、勉強せんといかんし、一生懸命、勉強させてやらんといかんというこっちゃ」と。「それに対して、きみなんか、高校に行ったのは余計なんじゃ。きみは高校には行ってはならない人間なんじゃ。ましてや、きみは大学に行くなんてもってのほかなんじゃ」とM川は私にそう言ったのだ。・・普通、よその親からそんなことを言われると、たいていの親は怒ると思うのだが、ところが、うちの父親はそう言われて大喜びしたのだ。「そうじゃ、その通りなんじゃ。K田先生の息子さんは大学を2つも行っていらっしゃる。えらいんや。そやから、一生懸命、勉強させてさしあげんといかんいうこっちゃ。M川先生の息子さんは裏口入学なんや。裏口で大学に行かれたんやから、そやから、一生懸命、勉強させてさしあげんといかんいうことや。そ~れに対して、お~ま~え~はあ、高校行くな! このチャンコロめがあ! ええか、わかっとるか。おまえは高校には行ってはならない人間やねんぞ、おまえは。義務教育でないからには、おまえは高校には行ってはいかんねんぞ。K田先生がおっしゃってくださったように、おまえは高校には行ってはならない人間なんじゃ、おまえは。それを北野高校におまえが行ったというのは、それはおまえが甘ったれておるからであって、のぼせあがっておるからであって、つけあがっておるからであって、根性ひんまがっておるからであるねんぞ。わかっとんのか。おまえは小学校と中学校は義務教育やからしかたなしに行かせてやってやってやらんといかんけれども、高校には行ってはならない人間であるねんぞ。ましてや、おまえが大学に行くなどということは、およそ、許されんことやねんぞ。わかっとんのか、このチャンコロめが、このチャンコロ、ろすけ、イタコ、浪商!!!」と言うのだった。
  なんで、K田のバカ息子はバカ大学を2つも行き、M川のドバカ息子は高校も私立高校で、おそらくそれも裏口で、大学は私立金権関西医大裏口入学で、「裏口入学でお行きになったくらいやから、それだけ、一生懸命、勉強させてあげないといけないということなんや。ほんま、その通りや」ということになって、私は小学校も公立・中学校も公立で、高校は公立の高校で大阪府では一番の高校に実力でガチンコで行ったのに、それを医者屋裏口八百長民族どもにそういう口をきかれなければならないんだ!!!・・・と思ったのだったが、うちの父親はそういうことを言われて大喜びしていたのだった。

  ・・ちなみに、私はガチンコの人間が裏口八百長の人間を嫌うのは当然だが、裏口八百長の人間がガチンコの人間を憎むのは筋違いも甚だしいと思い込んでいたのだったが、そうでもないということをこの後、知った。実は、裏口八百長族というのはガチンコ族が大嫌いなのだ。
  何年か前、まだ、野村克也も金田正一も生きていた時のこと、「週刊ポスト」に長嶋茂雄と金田正一と王貞治の3人の鼎談が毎回、掲載されていたのだったが、そこで、長嶋と金田の2人が野村克也と森 祇晶(もり まさあき。本名:森昌彦)の2人の悪口を毎度、言いまくり、王にも同調するように誘いかけていたが、王はたいしたものというのか、そういったことを目の前で言われても、なかなかそれに加わらない・・・し、また、王の場合は巨人の選手だったけれども、性格的には「ひまわり」ではなく、むしろ、「月見草」に近い方だったかと思われるところがあったのかもしれない・・が、その鼎談を見て思ったのだ。「月見草」が「ひまわり」「長嶋みたいなやつ」が嫌いというのはわかったが、「ひまわり」は別に「月見草」を嫌うことないだろうと思っていたら、実はそうではなく、「月見草」が「ひまわり」を嫌いであるだけでなく、「ひまわり」もまた「月見草」が嫌いらしい・・・・とわかったのだ。
  相撲でも、ガチンコの力士が八百長力士を嫌うのはわかるが、八百長力士がガチンコ力士を嫌うことはないだろうと思ったらそうでもないらしく、貴闘力チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCNxyWUfEIBTV4I1C9E4OyCg  で貴闘力が話していたものによると、八百長力士から「貴闘力の野郎、今度、四つに組んだらあいつの腕、へし折ってやる」とか言われていたそうで、ガチンコの人間が八百長の人間を嫌うのは当然として、八百長の人間がガチンコの人間を嫌う必要はないだろうと思うとそうではなくて、八百長の人間はガチンコの人間が嫌いらしかった。そして、それは大学入試でも同じことがあったようだ。ガチンコの人間が八百長裏口野郎をバカにもすれば軽蔑もして嫌いもしていたが、八百長裏口医者屋野郎もまた、ガチンコの人間が嫌いだったようなのだ。そのあたりを認識しておかないと、ガチンコの人間は八百長裏口医者屋野郎から攻撃を受けて痛い目に合わされることになる。 私は、高校生・大学受験生の頃、今、思うとおぼこくて「世間知」がない人間だったので、そのあたりを理解できていなかったが、愚かだった。

  それで、八百長裏口医者屋民族のM川とK田から、私は「あんたなんか、高校には行ってはいけない人間であって、ましてや、あんたは大学には行ってはいかんはずなんや」と言われ、うちの父親はそう言われて、「そうや。その通りや。ええ~えこと言いはる。おまえは高校には行ってはいかんねんぞ。おまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれておるからであって、つけあがっておるからであって、のぼせあがっておるからであって、根性ひんまがっておるからやねんぞ。その点、M川先生の息子さんは、おまえとは違って裏口やぞお、裏口。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。わかっとんのか、このチャンコロろすけイタコ浪商! おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と何度も何度も言い続けたものだったが、私は医者屋とは違って《「大学に入ってはならない民族で階級」と「天の神さま」というお方から決められて産まれてきた人間》だそうだったので、それで、私はうちの父親に言ったのだ。「わかりました。それなら、大学という所には一切行かないことにします。それで、よろしいでしょ」と。
  なにしろ、これは「天の神さま」というお方がお決めになったことらしいのだ。うちの父親が言うには「わしは、産まれてくる時点において、天の神さまというお方から『この人間はドイツ人でアメリカ人の民族である。この人間は慶應の階級の人間であーる』と決められて産まれてきた人間、M川先生は『ドイツ人でアメリカ人の民族で、医者の階級』として『天の神さま』から決められて産まれてきた人間であって、おまえは『天の神さま』から『チャンコロの民族で、浪商の階級』と決められて産まれてきた人間やねんぞ。これは『天の神さま』がお決めになったことであって、それを変えようなどとは決して考えてはならないことであって、変えようとしても変えることはできないことであるとともに、変えようとするような者を『天の神さま』は決して決してお許しにはならぬぞ、チャンコロ!」と言うのだった。
  毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに、そう言われ続けて、そして、私は思うようになったのだ。
「不忘民族恨(民族の恨みを忘れるな)」
「不忘階級苦(階級の苦しみを忘れるな)」

そして、
「造反有理(造反には理由がある)」(反逆は正しく、抑圧は間違っている。反逆は正しい。)
「革命無罪(革命は無罪である)」・・と。
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル

  さまざまな悪質な妨害を受けて、その結果、東大の試験に落ちて、慶應みたいなもんに行かされてしまうと、うちの父親は私にこう言ったのだ。「おまえ、アルバイトでキャディーやれ、キャディーを。M川先生の息子さんがゴルフされる時にキャディーやってゴルフバッグをかつがせてもらえ」と。「なんで、そんなもの、させられなきゃいかんのですか」と言うと、「キャディーをやるのを嫌がる人間は、モラトリアム人間病という病気である。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいという先生がそうおっしゃってる。モラトリアム人間病という病気は治療せんといかん、治療せんと。電気ショックやったらんといかん、電気ショック。電気ショックやったるべきや。電気ショック♪」と言うのだった。
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )
  ガチンコの民族は裏口八百長医者屋民族のドバカ息子が、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして手に入れた汚いカネで私立金権関西医大に裏口入学するだけでなく、その汚いカネでドバカ息子にゴルフバッグを買い、その汚いカネでドバカ息子の私立金権医大生がゴルフをする際に、キャディーをやってそいつのゴルフバッグをかつぐ義務があると言うのだ。それを嫌がる人間というのは「モラトリアム人間病」という「病気」であり「電気ショック療法」で「治療」してやる必要があると、うちの父親は言うのだった。
「とってちってたあ~あ」と。
※ 《YouTube-ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка ドゥビヌーシュカ) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8

  「毛沢東は5歳から孔子を憎んだ」と言うが、私は「6歳から慶應が嫌いだった」のだ。特に「慶應の経済」と「神戸大の経済」は大嫌いだったのだ。私は小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのは、「慶應の経済」だの「神戸大の経済」だのといった所にだけは行かされたくないと思って、そのために同級生が遊んでいる時も勉強してきたのだった・・・が、うちの父親はそうは考えない人間だったのだ。「わしが決めることやねんぞ、わかっとんのか。おまえが決めるもんとは違うねんぞ、おまえが決めるもんとは」と。
だったら、行かなくていいよ、大学みたいなもん・・・。
  そう思って言ったのだ。「わかりました。それなら、大学みたいなもの、行かなくていいです」と。

  そうすると、「あんた、ちょっとおかしいのとちゃうかあ」と、おっさんは言うのだ。なんでやねん。おっさんが「おまえは大学という所には行ってはならない民族で階級やねんぞ。チャンコロは義務教育でもないのに高校には行ってはいかんねんぞ。浪商は義務教育でもないにのい高校に行くことないねんぞ。わかっとんのかチャンコロ浪商! こいつめ、浪商のくせしやがってからに北野高校に行くな、この浪商めが!」と、うちの父親が毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして叫び続けてきたはずだったのだ。「わかっとるか。おまえはなあ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商やねんぞ、浪商! わかっとんのか浪商。浪商は浪商らしくしろ、浪商このチャンコロ、ろすけ、イタコ、浪商チャンコロ! 浪商のくせしやがってからに北野高校に行くな、この浪商!」と。
  だから、私は言ったのだ。「ですから、大学には行きません。『浪商でチャンコロの民族で階級』であるわたくしは北野高校に行くという罪を犯してしまいまして大変申し訳ないと思い反省もすれば後悔もしております。K田先生がおっしゃるように、ましてや、わたくしは大学には行ってはならない民族で階級の人間ですから、行きません」と。

  うちの父親は「わしは天高(天王寺高校卒)やぞお」と私が小さい頃から言い続けきたので、本人がそう言うからにはそうなのだろうと思っていたのだったが、そのわりに、なぜか明星高校から同窓会の案内状が来ていたので、なんでやろうなあ・・と思っていたのだが、うちの母親に聞いたところでは、おっさんが実際に卒業した高校は天王寺高校ではなく明星高校らしく、おっさんは「ほんまは天高」らしいのだ。フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』の中で「精神の貴族」と言って精神的にけだかくあれと述べているが、そんな感じで「精神の天高」だったようなのだ。
※ 《YouTube-ツァラトゥストラはかく語りき  Also sprach Zarathustra アンドレ・プレヴィン(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団》https://www.youtube.com/watch?v=9I8u8_-kuSE
母は「お見合い」でうちの父親と結婚したけれども、全然知らない人と「お見合い」したのではなく、近所に住んでいた人と「お見合い」して結婚したらしく、結婚する前から知っていて、なによりも、正真正銘、明星高校卒で早稲田大に進学した母の兄(伯父)とうちの父親は明星高校で同級生だったらしいのだ。かつ、「あいつは勉強のできんやつでなあ」とその伯父が言うておったらしいのだ。それが「精神の天高(天王寺高校卒)」という意味だ。
  大学は「わしは同志社大学という立派な立派な大学をでてます」とおっさんは言うておったはずだったのだが、私が種々様々な妨害を受けて東大の試験に落ちて慶應大みたいなもんに行かされてしまったことから、「同志社大卒」では慶應大よりも下になってしまうので、そこからうちの父親は宗旨替えをしたのだった。「わしはほんまは慶應やねん」と言い出すようになったのだ。「わしはほんまは慶應やねんぞお、ほんまは。おまえは、ほんまは浪商で亜細亜大じゃ、おまえは拓殖じゃ、おまえは浪商で拓殖で亜細亜大。この亜細亜大めが。慶應のこのわしと一緒やと思うなよ、この拓殖・亜細亜大めが、このチャンコロ!」と言うようになったのだ。
  私は「ほんまは浪商」で「ほんまは亜細亜大で拓殖」らしいのだ。それに対してうちの父親は「ほんまは天高(天王寺高校卒)」で「ほんまは慶應」だそうなのだ、「ほんまは」。実際は違うけど。
  ・・・で、この話の続きを述べていくと長くなるので、それは別の機会に述べるとして、ともかく、うちの親というのはそういう親だったのだ。私は親でも特に父親というものは、自分の息子には自分が行った大学よりも上の大学に行かせたいと考えるものだと思い込んでいたし、たとえば、大王製紙の二代目社長は北野高校から東大に行こうとしたけれども合格することができずに慶應大に行ったらしく、息子には何が何でも東大に行かせたいと思い、そして、三代目は筑波大付属駒場高校から東大に進学した・・・けれども、そいつがカジノで「しょーもないことしい」やりよったああ、あ~あ・・ということだったらしいが、ところが、世の中の父親というものは、息子には自分が行けなかった所に行かせたいと思う父親ばっかりではなく、そうではなく、「自分よりも上の大学」に息子が行くということに精神的に耐えられないという父親がいるようで、うちの父親というのはそれだったようだ。
  ちっぽけな野郎だなあ・・と思うが、そういうおっさんだったのだ。

  うちの父親もまた、うちの母親と同じく、「親というものは、自分の息子のことをいいように、いいように思うもんやから」という「心理学の学説」を主張するのだったが、そういう親というのも世の中にはあるようだったが、うちの親は母親も父親もそういう親ではなかった。「心理学の学説」というのは、まったくつくづくろくなものがない。 
  内部進学小此木啓吾 地獄へ落ちろ!!!

  ↑ にもわかるように、「大東文化大みたいなもんに大阪の人間が東京で下宿してまで行かせる」ようなそんな親と息子を「大東文化大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言うのがうちの父親だったのだから。そういうおっさんが、な~にが「親というものは、自分の息子のことを、いいようにいいように思うもんやから」だ。よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ 〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕

   そういううちの親と正反対の親というのが、最初の方で述べた同じ小学校・同じ中学校から同じ府立北野高校に行き、何の因果か、YMCA予備校 京大東大文系クラスの2クラスある同じクラスにまで行くはめになってしまったN口 要というシェイクハンドラケットみたいなぺったんこの顔した男の親だった。
   N口 要の母親というのは変わった親で、””「うちの子はしっかりしてますわあ」だの、「うちの子は大人ですわあ」だのと、そういうことをラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて周囲に言いまわらないとおれない人間シンドローム””の母親だった。「ほとんどビョーキ」というのか””あそこまでいったら「病的」””だった。かつ、本人にその意識がない、「精神医学」用語を使って表現するならば「病識がない」てやつだった。

   最初、私は、それは「お母さんというのは『そんなもの』」と考えるべき症状か? 「自分の息子のことをいいように思いたい症候群」か・・と思ったのだが、それとは違うようだ。「自分の息子のことをいいように思いたい症候群」ではなく「自分の息子のことを、いいようにいいように、ラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて言ってまわらないとおれない人間シンドローム」の方のようだった。
   最初は、この人はそういう人なんだ・・くらいに思っていたのだが、そのうち、「このおばはんも、ええかげん、しつこいなあ」と思うようになった。「ええかげん、うるさいなあ、このおばはんも」と思うようになったのだ。
   特に、うちの親というのは、そういうことを言われると「そんなもん、ほっとけやあ。どうせ、アホなおばはんが言うとることなんやから」と思っておけばいいことを、そう思うことができない親であり、いちいち反応する親だったので、まったくつくづく、あのおばはんはええ迷惑やった。ほんまに迷惑やった( 一一)

   N口 要は、高校を卒業する年、神戸大の医学部を受けて落ちたらしかったが、それを「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」とか叫びまくり、「本当は通ったのに」みたいに思ってもらおうとするのだった・・・・・が、「一発勝負に弱い」のか二発勝負に弱いのかなんか知らんけども、「ほんまは慶應」のおっさんと同様、「本当は通ったのに」と思ってもらいたいのかもしれないけれども、なんだかんだ言っても実際には「落ちてんやろ」・・・( 一一)
   ここで思い出していただきたい。2021年の日本シリーズ 第二戦、ヤクルト スワローズが2ー0 でオリックス に勝った試合の後、多くの「解説者」「評論家」が「(オリックスの先発の)宮城投手も好投したんですけれども」と言いまくる中、落合が言った言葉、「『好投した』というのは勝った試合で言うことであって、負けたからには好投してもボロ負けでも負けは負け」。
   落合はきついようだけれども、間違ったことは言っていない。N口の母親も、この落合の言葉を聞かせてもらえば良かったのに。なんだかんだ言いたいみたいだったけれども、なんだかんだ言っても「落ちたんやろ」。違うのか? 通ったのか? 落ちたんやろうが。もしも通ったのなら「通りました」言うてみんかい、コラ!
   「敗軍の将、兵を語らず」なんて言葉もあるが、落ちた者は静かにしていろ! 余計な口きくな!・・て、普通、母親がわかっていないようならば、父親が自分の嫁に言うものだと思うのだが、N口 要の父親というのは、そういうことを言えない男だったようだ。N口 要の父親は「京大でている」とかいう話があったのだが、嘘だと思う。あんな京大ないって。もしも、本当に京大でているのならば、自分の嫁がそういう「しょーもないこと」をあっちやらこっちやらに、ラッパを吹き鳴らし太鼓を叩きまくって叫びまくり吠えまくるのを見て、「そういうしょーもないことはやめろ」と言うはずであり、言えないようでは「おもろい京大もあったもんやなあ」てことになる。あんな京大ないと思うぞ。あったらおもろいわ( 一一)  実際は「京都の大学」くらいじゃないかな?
・・まあ、世の中には「京都の大学」を「京都大学」みたいなニュアンスで言う人はけっこういるし、「神戸の大学」を「神戸大学」みたいなニュアンスで言う人もけっこういるし、その類ではないかな・・・( 一一)

  世の中、男と女の関係というのはようわからんもんで、横から見ていると「あんな男、やめといた方がええのに」と思う男がいいと思う女というのがおり、「あんな女、なんでええねんやろ」と思う女をいいと思う男がいるのだが、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes.)てもんで、「あんなん、やめといたほうええんやないのお~おん」と言ってやりたい気持ちになることもあるのだけれども、親切心から言ってやっても「どうせ、ききよれへん」であろうから、言わん方がええ・・という場合が多い。
  この「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes.)てやつは 慶應大学文学部教授 高梨健吉著『基礎からの英語』(美誠社)の最初の方に載っていたように思ったのだが、今、同書を見返しても見つからないのだが、どこかに載っていたはずだ。まさに名言だ(^^♪

  このN口 要てやつを「尊敬している」とか言う女が北野高校の生徒にいたのだ。・・「まあ、ええけどな」てのが私の感想だった。なにしろ、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes.)と『基礎からの英語』(美誠社)にも載ってるくらいだから( 一一)  「世の中いろいろ、人間いろいろ」てもんだ。

  考えてみると、このN口 要という男は「器用な男」だ。 私なんかは、世の中が右に動こうが左に動こうが「私は私だ」というものだ。それに対して、N口 要は違うのだ。この男は「常に自分を世の中の真ん中より右側1メートル付近に置くようにする」という男なのだ。あくまでも「真ん中より右側1メートル付近」という位置を常にキープするのだ。器用なやつだ。
  世の中が右側に1メートル動くとどうするかというと、自分もまた右側に1メートル動く、世の中が右側に2m動くとまた自分も右側に2m動く、逆に左側に1メートル動けばその時には左側に1メートル動く・・・というそういう男なのだ。ほんまに器用なやつだと感心する。私にはそれはできない。世の中が危険な方向に動こうとしていると感じたならば、微力ながらもそうならない方向に尽力したい・・とか思ってしまうのだ。そのあたりが、この男とは大きく違う。そういう特徴をN口 要のお母さんは「うちの子は大人ですわあ」だの「うちの子はしっかりしてますわあ」だのと言うみたいだった・・のだが、そういうのって、ほめるものなのかあ? そういうのって、自慢するものなのかあ?
  そういうところを「尊敬している」とか言いだす女がいたのだったが、まあ、なにしろ、『基礎からの英語』(美誠社)にも載っていたように、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes.)だから、まあ、いいか・・( 一一)
  しかし、器用なやつやと思う・・。ああいうのを「しっかりしてますわあ」とか「大人ですわあ」とか言われると、うちの母親は「N口はしっかりしてるのに、なんで、あんたはしっかりせえへんの」と言って怒るのだったが、ああいうのを「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」と言われても、私にはなれないなあ、あんなのには( 一一) と思うのだったが、うちの母親は私が大嫌いでN口が大好きだった。うちの母親はぺったんこのシェイクハンドラケットみたいな顔した男が大好きだった。

  人間の顔と精神構造には相関関係があるという説があって、その説を基にして考えると、ぺったんこのシェイクハンドラケットみたいな顔した男というのは、それに対応する精神構造をしていたのかもしれない・・という気がしないでもない。なにしろ、ひっかかりが少ないから、だから、私みたいに人生を歩むにおいてあっちやらこっちやらでひっかかってつまづく・・てこともないかもしれない。案外、「結婚するにはいいかもしれない♪」ぱっぱやっぱ、ぱっぱやっぱ、ぱっぱっぱあ♪  私なんかと結婚するよりは女性にとってはいいかもしれんなあ・・・。たぶん、そうだろ・・・。でっぱりが少ないから、人生においてひっかかってけつまづくことは私なんかよりもずっと少ないことだろう。

  しかし、それにしても、「うちの子は大人ですわあ」だの「うちの子はしっかりしてますわあ」だの、「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」だのなんだのかんだのと、「ええかげん、うるさいなあ、このおばはんは」と思ったものだったが、「『好投した』というのは勝った試合で言うことであって、負けたからには好投してもボロ負けでも負けは負け」という落合の言葉を聞かせてやりたいところだが、「見ても理解せず、聞いても悟らない」だろうけれどもなあ・・・。実際問題として、「ええかげん、うるさい」「ええかげん、しつこい」。

  母親が「ええかげん、うるさい」「ええかげん、しつこい」だけでなく、「こいつ、嫌なやつやなあ」というところもあったのだ。
  YMCA予備校は1970年代終わりの時点においては、大阪府には、土佐堀・阿倍野(大阪市)・豊中(豊中市)・堺(堺市)・高槻(高槻市)の5校あり、東京圏では横浜市に菊名と関内(かんない)とに2校、計7校あったのだが、駿台・河合塾・代ゼミといった予備校が大阪に進出すると、まさに「あっという間に」淘汰された。駿台・河合塾・代ゼミが大阪に進出すると同時に大阪府の5校が淘汰されてなくなっただけでなく、もとから駿台・河合塾・代ゼミがあった地域の横浜市の2校もなくなった
  YMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからない職種の藤井という男(1970年代後半当時、40代後半くらいか?)ならば、おそらく、「東京のもんがええと思うから」とか言い訳するだろうけれども、関西の人間、大阪の人間には「東京の物がええと思う」などという思考はない。むしろ、東京を売り物にするようなものに対しては拒否反応を示すくらいであり、あっという間に淘汰されたというのは、実際問題として、駿台・代ゼミ・河合塾の方がYMCA予備校よりもいかなる意味においてもいいからだ。これは、実際に、YMCA予備校には本科生として行き、駿台・代ゼミ・河合塾の模擬試験は何度も受けて、駿台・代ゼミ・河合塾の人と接した経験のある者として、その対応が全然違った、YMCA予備校の人間を見て予備校というのはこんななってないものかと思って駿台・代ゼミ・河合塾の人と接するとずいぶんと違うということを実感した者として、YMCA予備校が淘汰されたのはYMCA予備校の経営に誠意がなかったからであって、たとえ、駿台・代ゼミ・河合塾が大阪に進出しなかったとしてもYMCA予備校は他のどこかに追い落とされたであろう・・と思う。

  細かいことだと、YMCA予備校の高槻校は1978年4月から新規開校したのだが、手続きが順調に進まなかったのか、最初の1年目は電車の定期券は通学定期ではなく通勤定期になるということで、その分、電車賃が多くかかることになったのだが、YMCA予備校の入学試験を受けて合格発表があって、入学手続きをしている最中だったか、入学手続きを終えた後だったかにYMCA予備校の職員から電話がかかってきて、「最初の1年は通勤定期になりますが、よろしいでしょうか」などと言ってきたのだ。そんなもの、高槻校では通学定期券を購入できないなんてことをYMCA予備校高槻校 京大東大文系クラスに行くと決めてから言われても困るではないか。そういったことを言うのであれば、募集する段階で言うべきことで、YMCA予備校高槻校京大東大文系クラスの入学試験を受けさせて合格発表も見て入学の意思表示をしたその後になって言いだすというのは〔その時点では他の予備校にも合格したがすでに辞退の意思表示をした人もあったかもしれないし、前に聞いていたならばYMCA予備校でも豊能地区住人なら豊中校か土佐堀校の「文系」クラス、大阪府中南部の住人なら土佐堀校・阿倍野校の「文系」クラスにしたのにという人もあったかもしれない。〕、それはビジネスとしてまっとうなやり方とは言えない。

( ↑ 大阪府高槻市八丁西町5-37  YMCA予備校高槻校 がかつてあった場所。YMCA予備校高槻校はなくなり、建物は今もあるが、現在は大阪医科薬科大学 本部北西部キャンパス になっている。大阪医大は、2021年に大阪薬大と合併して、大阪医科薬科大学になったらしい。)
  なおかつ、「通勤定期券」で「通学」させるのであれば、通学する過程の電鉄会社にも話は通しておくべきであったはずだが、ところがそれもやっていなかったようで、私なども同じクラスの人間と一緒に帰宅する途中に、阪急電鉄京都線「高槻市」駅の駅員から「あんたら、いったい、どこに勤めてんの」と不審だという目で見られて文句を言われたことがあったのだが実際には通学で乗っているのに、通学定期券ではなく、通学定期券よりも高い通勤定期券を購入して乗っている人間が、なんで、電鉄会社の人間から文句言われなきゃならないんだ? 〕、阪急電鉄もまた、通勤定期券を販売する時点において「勤務先」を提示して通勤定期券を購入しているのに購入して利用している最中にそういったことを言いだすというのは、文句を言う時点を間違えていると言えるが、その程度の話も通しておくことができていないというのはYMCA予備校の経営の拙劣さを示しているもののひとつとも言える。
  YMCA予備校高槻校が「予備校」に講師や職員として勤務するのではなく、「予備校生」として「通学」するのでありながら「通学定期」ではなく「通勤定期」を使用させるというのは奇妙なことだったが、少なくとも、YMCA予備校高槻校の最寄駅である阪急京都線「高槻市」駅・国鉄(現 JR)東海道本線「高槻」駅の駅員くらいには話をきっちりと通しておくという、そのくらいのことすらもできんのか?!?・・・と思うが、できないのがYMCA予備校とYMCA予備校職員だったのだ。その程度の会社だから、駿台・代ゼミ・河合塾といった予備校経営に精力的な予備校が大阪に進出するとさっさと淘汰されるのも「さもありなん」てものだった。
  そのおかげで、私などもうちの母親からえらい怒られた。「あんたのおかげで、通学定期じゃなくて通勤定期やなんて高いおカネを払わされて、なんで、そんなもの、払わされなきゃいかんの」と怒られたのだが、怒るのならば私に怒るのではなくYMCA予備校に怒るか、もしくは現実に「予備校」に講師や職員として給料をもらうために通うのではなく生徒として学費を払って通う者に通学定期を認めずに通勤定期で通えと言う阪急電鉄に文句を言うのが筋ではないのかと思うのだが、「文句というものは言いやすい相手に言う」というこの世の原則に従ってうちの母親は私に文句を言うのだった・・・が、私に文句を言われてもどうもできなかったし、YMCA予備校から、すでに試験に合格してそこに行くと決めてから「通学定期が認められないので通勤定期になりますがよろしいでしょうか」とそういう話になるとカネを出す親に言うのではなく、これも「言いやすい相手に言う」というこの世の原則に従って生徒の方に言い、言われた私はうちの親にこう言われたけれども・・と話して、うちの親は「まあ、しかたないね」と私に言ってそれでYMCA予備校高槻校に行くようになったのだったが、行きだすと、「なんで、通学定期じゃなくて通勤定期代を出さなきゃならないの」と親としては思うようになったらしい。
  実際問題として、通勤定期代を自分で出した人というのは多くないと思うし、息子・娘の通勤定期代を出した親というのも多くないはずだ。会社という所に通勤定期で通うならその費用は会社が出すし、学校に講師・職員として通う場合は通勤定期になるが、その費用は学校の方が出すのに対し、学校に生徒として学費を払う立場で通う場合は通学定期になる。通勤定期代を個人で払うなんてことは普通はないはずなのだ。あれはおかしいと思うのだ。その時はYMCA予備校の職員がそう言うのならば・・と思ったが、個人的に阪急電鉄に「現実に予備校という所に職員として勤務して通勤で乗るのではなく、受講生として通学で乗るのに、なぜ、通学定期を認めてくれないのですか」と尋ねてみるべきだったと思う。阪急電鉄に個人的に尋ねてみると、もしかすると、もしかすると、電鉄会社が通学定期を認めない理由となるYMCA予備校の何か問題点がそこから出てきた・・かもしれない。

  この「通学定期券が認められず通勤定期券での通学になる」という話だが、すでにYMCA予備校高槻校京大東大文系クラスの入学試験を受けて、合格発表もすんで、入学の申込も終えた後になってからYMCA予備校の職員が電話をしてきて話したのだが、本来、話すタイミングがおかしい。そういうことは募集する時点で話すべきもので、入学申込が済んでから言うものではないはずだ。私は、その時は、それまで通学定期券が認められるものと思い込んでいたら手違いで、最初の1年目は通勤定期券しか認められないということになってしまった・・ということかと思ったのだったが、その後、自分自身が「会社」という所に勤めて営業の仕事を経験してみると・・違うのじゃないかと思うようになった。
  営業の仕事をやっても、「都合が悪いことは契約前にきっちりと説明をして、その上で契約してもらうべきものだ」と考える営業と、そうではなく、「都合が悪いことは契約前には話さないで、契約書に署名捺印をしてもらって、その後、お客さんが逃げられないようになってから都合が悪いことを話すようにするべきだ」と考える営業がいるのです。1980年代後半、戸建住宅建築業の小堀住研(株)に入社してすぐの研修では「契約前に見込客から、こういうことはできますかと尋ねられたら、できるものはできる、できないものはできませんとはっきりと言わないといけません。できないものを『できます』と答えて契約後にできないと言うなどということは絶対にしてはいけません」と教えられたのですが、それは小堀住研(株)においてだけあてはまることではなく、どこの会社においても当然あてはまることのはずだと私は思ったのです・・・が、ところが、その後、(株)一条工務店に入社すると、1993年初めに契約いただいた千葉県市原市で建てていただいたYさんがリビングルームに実際に薪を燃やす暖炉を設けたいが(株)一条工務店では実際に薪を燃やす暖炉の施工はできますかと尋ねられ、私は社内の各部署にと言わせて、できるという返事をもらい、それをY様に話した上で契約してもらったのです。ところが、契約後、営業本部長のA野隆夫(男。当時、40代前半くらい)が「何やってんだ」と言い出し、「契約前に『暖炉の施工はできますか』と言われて、『できます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。今はもう契約してもらって契約金の100万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉の施工はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。『できないのなら解約する』と言うのなら、それなら契約金として振り込んでもらった100万円をもらっておけばいいことだろうが。何考えてんだ、おまえはあ!」と言って怒鳴りつけられたのです。「それでは、詐欺だっぺえ~え!!!」と私は思いましたし、同社の営業でもそう言う人がけっこういましたが、(株)一条工務店の営業本部長のA野隆夫さんはそれが営業というものだという認識だったようです。
  営業には、営業と詐欺は違うのであり、営業としては、できるものはできる、できないものはできないと契約前にきっちりと説明をした上で契約いただくもので、そういった姿勢をきっちりととっているということを評価してもらおうとするべきものだと考える営業と、
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( ↑ さいとう たかを『ゴルゴ13』「アンダーグラウンド オーバー・ザ・スカイ2」
「ビッグコミック」1998年1・2・3号掲載。
『ゴルゴ13 [OVER THE SKY]』2014 .8.6. 小学館 My First BIG SPECIAL 所収。)
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そうではなく、(株)一条工務店の営業本部長のA野隆夫のように「契約前には『できます』と言って契約してもらえばいいだろう」「契約したからには『うちではできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろう」というようなそんなやり口が「営業力」だと思っている人と、営業にも正反対のタイプがあることを知り、後者の人間というのは実はけっこういて、そういう人にそのやり方はいけませんと教えてあげようと思っても簡単ではないということを知った。(株)一条工務店の営業本部長のA野隆夫の発言を聞き、そういった発言をする人、そういった対応をする人を見てきた上で考えてみると、YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井という男の人柄・人間性がどういうものかということから考えて、YMCA高槻校は初年度は通学定期券が認められず通勤定期券での通学になるという話を、募集時にしないで、入学試験を受けさせて、入学発表もすませて、入学申込もさせた後になってから言いだすというのは、あれは手違いからそうなったのではなく、最初から通学定期券は認められず通勤定期券での通学しかできないということはわかっていながら話さずに試験を受けさせて入学申込もさせて、その後になってから言いだしたというのは、それは意図的にそうした、それが「うまいやり方」だと考えてやった、という可能性の方が大きいのではないか・・と思えてきました。これは、どちらなのか断定はできませんが、あの藤井という男の人間性、及び、1年間通してのやり口から考えると、まず、意図的に後から話したという可能性の方が大きそうに思えます。

  YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスというのは、結論としてイカサマであった。まず第一に、入学手続きをしていたところ、うちの母親はYMCA予備校の職員から「YMCA予備校では東大ではなく京大・阪大の受験を勧めていますから」などと言われたというのだ。はあ? ・・・それなら、「京大東大文系クラス」ではなく「京大・阪大文系クラス」だろうが。すでに入学手続きをすませた相手にその時点でそういうことを言いだすというのはやめろよ! バカにしてんのか!
  駿台予備校でも、東大受験クラスと国立大受験クラスがあったのではないか。私は高校3年の12月に東京の代々木の代々木ゼミナールで代ゼミの東大模試を受けたが、その際に代々木ゼミナールにどういうクラスがあるのか見ていたら、代ゼミにも東大受験クラスというものがあり、それとは別に国立大受験クラス・私立大受験クラスがあったようだが、その内容はそれぞれ違ったようなのだ。それに対して、YMCA予備校というのは「京大東大文系クラス」と名前をつけたクラスを設けても、テキストもカリキュラムも講師も単なる「文系クラス」と一緒であり、「どこが京大東大文系クラスなんだよ!」てものだった。そういう名前をつけると、学力水準が高い受験生を集めることができて、高校卒業時に京大を受けた人間に阪大か神戸大を受けさせれば通ることが多く、それを「YMCA予備校から◇◇大学に合格」と叫べばYMCA予備校の評価が高くなる・・と考えたようだったが、そのやり口はYMCA予備校にとってプラスになるかどうかはさておき、受験生には何のメリットもないことになる。なんだ、このやり口は・・と入学してから気づく者と、予備校でも「学校」という所では「学校」の人(「先生」)には逆らってはならない、「言うことをきく」のが正しい人間だと教えられてきた、なんかそういう、ちっぽけな野郎と両方いたようだったが、そのやり口は、予備校もビジネスであると考えると、あまりまっとうなビジネスとは思えなかった。

  特に、YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスの担当だという「主事」と称するよくわからん職種の藤井という男は良心的ではなかった。「良心的ではない」どころか、この男、よくまあ、これだけねじくれた根性してるもんだ・・とあきれた。
  その藤井という男から、私は「きみは性格が悪くて人間性に問題があるから、だから、会社という所に勤めたら絶対にうまくいかないから経済学部には絶対に行ってはいかん」と言われたのだ。今から考えると、よくまあ、そういうことを言うもんだとあきれる・・・が、その時点では私は経済学部にだけは行きたくないと思っていたし、「会社」という所には勤めたくないと思っていたので、「もっと、言え~え」と思ったものだった・・が、うちの親にはそんなこと言っても、うちの父親は「そんなことない」と言ってきかなかったので効果はなかった。
  経済学部みたいなもんに行かされて会社員にならされるのであれば、何も小学校の1年からあんなに勉強する必要はなかったのだ。うちの親は息子の努力はタダ・・と思っているから、だから、息子がどういう大学のどういう学部に行ってどういう勉強をしたいと思って、その為に努力して勉強しても、その結果としての成績は「親のもの」と思っており、そして、うちの父親はこう言うのだった。「会社という所に勤めるのを嫌がる者はモラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる」と。・・それだと、誰よりも小此木啓吾こそがモラトリアム人間病のはずだ。小此木啓吾こそ、「会社という所に勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病という病気にかかっている人間」であるから、「会社という所に勤めるのを嫌がって」それで「大学」という所と「病院」という所に勤めていたわけであり、まさに小此木啓吾症候群こそ「病気」であり「重病人」であり、「電気ショック療法」とかロボトミーとかで「治療」してやらないといけない人間であるはずだった。

  それで、なぜ、私がYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種の藤井という男から、「きみは性格に問題があって人間性が悪いから」だのと言われなければならないことになったかというと、まず、何より、高校を卒業した頃の私は正直だったという点に原因がある。正直に思ったことをそのまま口にすると、この藤井という男は気に入らないのだった。
〔1〕 この藤井という男が気に入らないと思った受講生は私達の年より前にもいたようで、藤井が教室で受講生全員を前にしても何度も話し、又、私に個人的にも話した人として、京都大学の文学部に行くということで浪人していた女性で、結局、2浪したけれども京大の文学部に通ることはできず、新設の二期校の宮崎医大に行ったという人があったらしいのだが、藤井はその人のことを「YMCA予備校の模擬試験では十分、京大の文学部に通る点数を取っていたのだけれども、文学的素養がなくて人間性に問題があるから、だから、京大の文学部は何度受けても落ちたんだ」などと言うのだ。その人がどんな人なのかは、会ったことがない人なのでわからないが、どんな人であったとしても、まがりなりにも、お金を払って自分の所の予備校に来てくれていた人のことを、何もそんなこと言わなくてもいいではないか・・と思ったのだが、そういうことを何度も何度も言いまくらないとおれない人間シンドロームがYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種の藤井という男だった。そういう男のことを「敬虔なクリスチャン」と教会では言うらしい。
  その人は、高校卒業する年と1年浪人した年には京大の文学部を落ちて、2年浪人した年には京大文学部は落ちたが二期校の宮崎医大には通ってそちらに行ったということだったが、京大の文学部と宮崎医大とでは試験科目が違うわけで、宮崎医大に通った年に関しては、宮崎医大かその類の国立の医大の方に進学することを考えていたのではないか。だから、最後の年については、もしかすると、地方国立大学の医学部の方に行くことの方に重心があったことから京大の文学部は「落ちてもいい」ということはないとしても、必ずしも熱心ではなかったのかもしれない。
  又、実際問題として、京大あたりになると、「浪人したのに落ちる」ということは「あること」だし、落ちたからといって、それで「文学的素養がないから」だの「人間性に問題があるから」だのと言われなければならない筋合いはない。
  そもそも、入学試験というのは「人間性」が優れていたら通るというものでもないし、逆に「人間性がえげつない」人間・「根性きつい」人間なら通るというものでもない。 「このハゲ~え!」と叫んで秘書の男性をボコボコ殴りつける怖いおばさんみたいにならなきゃ東大には通らないのか・・なんて思うと、あんなにならなきゃ通らないのなら東大には行かん方がええかなあ、こわそお~お・・とか思いそうになるが、そういう問題でもないと思う。もしくは逆に「東大合格のために。その1」として、「このハゲ~え!」と叫ぶ練習すると東大に合格できるか?・・というと、そういう問題でもない・・と思う。たぶん・・
※ 《YouTube-このハゲ~ 豊田真由子》https://www.youtube.com/watch?v=vGMd4AdES6Y
どういう人間が通るかというと、入学試験の本番の試験で合格最低点よりも1点でも高い点数を取った人間が通るのだ。「人間性」がどうこうとか、そういうしょーもないことを言っていると、むしろ、そういうアホなこと言っていることが原因で落ちる方向に進むことが考えられる。

  私は、藤井が私と1対1の場でもまた、「前にいた女生徒なんだけれども、文学的素養がなくて人間性が悪い人間だったから、だから、YMCA予備校の模擬試験ではいい成績を取っていても京大の文学部の試験には落ちたんだ」などと言うので、それで、私は言ったのだ。
  「模擬試験にも、それぞれの大学の入試に相関関係が大きい模擬試験とそれほど相関関係が大きくない模擬試験があって、相関関係がそれほど大きくない模擬試験でいい成績をとっていても、本番の試験に落ちるということはあることで、別に文学的素養がどうとか人間性がどうとかは関係ないのと違いますか」と。
  これは、私が実際に高校を卒業する年に大学の入試を受けた経験からの認識であり、経験なしに言っていることではない。北野高校の模擬試験というのは京大・阪大・神戸大には相関関係が大きかったと思われるが、東大には相関関係はそれほど大きくなく、早稲田大にはもっと相関関係はなかったと思われた。
  だから、「模擬試験というのは、いい成績を取れた方がいいけれども、模擬試験で相当いい成績を取れていたとしても、それでも大学の本番の試験で落ちてしまうということは、別に文学的素養があってもなくても、人間性が優れていても人間性が悪くてもどちらであっても『あること』と違いますか」と。そして、「YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れていても、それでも京大の試験に落ちたということならば、YMCA予備校の模擬試験ではいい成績を取れたのなら、悪い成績よりはいい成績の方がいいとしても、YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れていたら京大の試験にも必ず通るというほどの相関関係があるわけではない、ということではないのですか」と話したのだ。もっともなことを言っているはずだ。
  ところが、こういったことを話すと藤井は面白くないらしいのだ。なんだか、了見の狭い男、ケツの穴の小さい男である。さすがは「敬虔なクリスチャン」だけのことはある。「いや、そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はどこの大学の入試にも絶対的に相関関係がある。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取っていたら絶対に通る。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかったら絶対に通らない」と言うのです。
  それで、私は「そんなことはないはずです。どんな模擬試験でも、どこの大学にでも絶対的に相関関係があると言うような模擬試験はない。相関関係が大きい大学とそうでない大学というものがある」と。これは、私が高校を卒業する年に大学を受けた経験からの認識なのです。
  ところが、私がわかりやすいように説明してあげても、どうしても理解しない・理解できない・理解することを拒絶するのです。藤井は
「いいや。そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はすべての大学に絶対的に相関関係があって、YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取ったら通るし、YMCA予備校の模擬試験で悪い成績しか取れなかったら絶対に落ちる」と言うのです。
  私は「しかし、現実にYMCA予備校の模擬試験で相当いい成績をとっていた人が京大の文学部に落ちたのでしょ」と言いました。
  すると、藤井は「それは文学的素養がなくて人間性に問題があるから落ちたんだ。人間性に問題がない人間は京大の文学部には通るんだ」と言うのです。北野高校の同じ学年の人間で京大の文学部に現役で通ったやつが何人かいましたが、あいつら、そんなに「人間性」が優れていたのだろうか? ・・どうも、ようわからんことを言うおっさんだ。
  藤井は「京大の文学部の試験というのは、他とは違って、模擬試験ではいい成績をとっていても文学的素養がない人間とか人間性に問題がある人間というのは落ちるようにできているんだ」と言うので、それで、
私は「それなら、どうしてYMCAの模擬試験は、その『文学的素養がある人間』『人間性が優れている人間』でないととけないような問題を出題しないのですか。京大を受験する人に役立つ模擬試験にしようということならば、YMCA予備校の模擬試験も『文学的素養がある人間』『人間性が優れている人間』でないと解けないような問題にするべきではないのですか」と言いましたところ、
藤井は「模擬試験ではなかなかそうはいかないんだ」と言うのです。それで、
私は「ということならば、YMCA予備校の模擬試験は京大にはそれほど相関関係はない、ということになりますね」と話したのです。
すると藤井は「いいや。そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験ほど京大の入試に相関関係がある模擬試験はない」と言うので、
「しかし、現実にYMCA予備校の模擬試験では相当いい成績をとっていたにもかかわらず京大の文学部の試験に何度も落ちたという人がいたのでしょう」と話したのだ。
  そうすると、この男は何と言ったかというと、こう言ったのだ。
「きみも人間性に問題があって文学的素養がないから京大の文学部は受けても落ちる。それから、きみのような上司に逆らう人間は会社員としては絶対にやっていけないから経済学部は絶対に受けてはいかん」
・・・とこう言ったのだ。要するに、この男は自分がおかしなことを言って、その問題点を指摘されると指摘した人間に対して「文学的素養がない」だの「人間性に問題がある」だのと悪口雑言罵詈讒謗を浴びせるというそういう人間性の男だったのだ。そういう人間のことを日本のキリスト教会の牧師屋は献金さえ払えば「敬虔なクリスチャン」と認定してくれるのだ。
  それから何より、この男はいったいいつから私の「上司」になったのだ!?!  YMCA予備校の受講生というのはYMCA予備校から給料もらって勤めているのではない。YMCA予備校の受講生の方がカネを払っている立場であるはずだ。この男はアホのくせしておのれをいったい何様だと思ってるのだ?
  私は藤井からこういったことを言われて、「こいつ、いったいいつから私の『上司』になったんだ」と不快感を覚えたけれどもそれを口に出しては言わなかった・・が、たぶん、同じようなことを藤井は他の受講生にも話しており、中にははっきりと口に出して言った人がいたのではないかと思うのだ。「なんで、あんたが俺の『上司』なんだ?」と。 それで、その後、藤井は京大東大文系クラスの教室で受講生全員を前にしてこう言ったのだ。「ぼくらは、あくまでもきみらの親からカネをもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんだからな。間違えるなよ。ぼくらは、きみらからは1円としてカネもらってないのだから、だから、きみらの親の為に働く筋合いはあるけれども、きみらの為に働く筋合いはまったくないんだからな。間違えるなよ」と、この男はそう言ったのだ。
  たしかに、予備校の費用というのは大部分の受講生はその費用を親が出していたはずだが、しかし、私が親の立場であれば、親としては、あくまでも、予備校には息子・娘の為に役立ってもらう為にカネ払っているのであって、「ぼくらはきみらの為に働く筋合いはまったくないんんだからな。間違えるなよ」などという口をきくようなヤカラにカネ払った覚えはないのである。
  しかし・・だ。私が親ならば《親としては、あくまでも、予備校には息子・娘の為に役立ってもらう為にカネ払っているのであって、「ぼくらはきみらの為に働く筋合いはまったくないんんだからな。間違えるなよ」などという口をきくようなヤカラにカネ払った覚えはない》と考えるところだったが、ところが、うちの親はそうではなかった。うちの父親は藤井がそういう口をきいているということを聞いて喜んだのだ。「そうや♪ その通りや♪ 親がカネ払ってるんや。予備校というものは親の為に働くもんであって、息子の為に働くもんとは違うんや。ええ~えこと言いはる。その通りや♪」と、そう言って喜んだのだ。・・アホや!

  そして、うちの母親は私に言うのだった。「こいつ、先生に逆らいよる。こいつは『先生に逆らう不良』や。私は不良を育てた覚えはないのにからに、この親不孝者は不良になりよった。この不良めが、よくも産まれてきよってからに」と、そう言うのだった。
  しかし、私が「逆らっている」のだろうか? そうではあるまい。「逆らっている」のは藤井の方であろう。私は、自分自身が高校卒業する年に大学を受験した経験や、自分の周囲の人が受けた状況などから得た認識をもとに話をしているだけであって、大学入試の実状に「逆らっている」のは藤井の方であろう。
  うちの母親はそう言うので、私は「あの藤井という男は『先生』ではないですよ。あの男は事務職員であって『先生』ではないですよ」と説明したのだ。別に「事務職員」であったらいかんということはないが、「先生」というのは、自分自身も京大なり東大なりを受けた経験がある人間で、各科目を「教える」という仕事をしている人のことを「先生」と言うのであり、藤井はその科目も「教える」という仕事をしている人間ではないし、京大や東大を受けた経験がある人間ではなく、京大や東大の受験の経験はない人間であり、かつ、高校の教諭の資格も持っていない人間であり、「先生」という立場の人間ではないから「あの男は『先生』ではないですよ」と説明したのだが、ところが、うちの母親は「先生でしょうがあ」と言ってきかないのだ。さらには「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない」と言ってきかないのだ。さらに「あの人は、クリスチャンはクリスチャンでもYMCAで主事をやっているくらいだから並みのクリスチャンではない。クリスチャンの中でも特別にえらいクリスチャンのはずだ」と言うのだった。この時から私は「クリスチャン」というやつが嫌いになった。特に「敬虔なクリスチャン」とか「特別にえらいクリスチャン」というのは大嫌いになった。

  うちの父親は言うのだった。「専門家の言うこと、専門家。専門家の言うことやがな、専門家。せえ~んむお~んくわあ~あ!」と。それで、私は言ったのだ。「あの藤井という男は専門家ではないですよ。自分自身は京大も東大も通ったことがないのはもちろん、受けた経験もない人間ですよ」と言ったのだ。ところが、それでも「専門家やがな、専門家。専門家やがな、専門家」と言ってきかないのだ。「嘘でも百回言えば真実」みたいに「専門家」を名乗れば「言うことをきく」という人間というのが世の中にはいるものだが、うちの父親というのはそういう傾向が特に強い人間だった。疲れた。そういう人間は、いくら説明しても理解しない。
  T=W=アドルノらによる『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)では、
「専門家」信仰の強い人間≒サドマゾ人格≒ファシズム的傾向の強い人間
といったことが指摘されているが、うちの父親はそれに当てはまる。
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎

  YMCA予備校の藤井という男は、YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとっていたのに京大の文学部の本番の試験に落ちたという人が一人でもいたならば、それでYMCA予備校の模擬試験の値打ちが下がってしまうと考えて、それで必死になって「文学的素養がないから落ちたんだ」とか「人間性が悪い者は京大の試験には落ちるようにできているんだ」とか悪口雑言罵詈讒謗を「これでもかあ!」というくらいに言いまくるのだったが、まず、「模擬試験というものは、いい成績を取れたか取れなかったかといえば、いい成績を取れた方がいいに決まっている」のだけれども、「模擬試験で相当いい成績を取った場合でも、本番の試験で落ちることは現実にある」という事実を認識したくない・認識できないというところにYMCA予備校と藤井の問題点がある。
  そのあたりが、たとえば、河合塾などはYMCA予備校のように狭量ではない。浪人した年、入学試験の後だったかその頃、東京都の東大駒場キャンパスの西、小田急「東北沢」駅の東のあたりにあった河合塾駒場校に行ってみた時に、河合塾の案内書がおいてあって見たところ、河合塾から東大を受けて合格した人、何人かの談話が掲載されていて、その人たちの河合塾が実施した東大オープンでの判定も掲載されていたが、A判定で通った人もいたが、B判定で通った人もあり、中には東大オープンではD判定だったが本番の試験では通ったという人も掲載されていたのだ。河合塾は、決して「河合塾の東大オープンでいい成績をとれば東大に絶対に通る・河合塾の東大オープンで悪い成績だったら絶対に落ちる」などとYMCA予備校の藤井みたいなことは言っていなかった。なぜ言わないかというと、違うからだ。模擬試験はいい成績を取れた方がいいことは間違いないが、現実に「A」判定でも落ちることはあるし、模擬試験で「D」判定だった人でも通った人は現実にいるのだ。模擬試験というのはそういうものなのだ。それをYMCA予備校と藤井は頑固に認めたがらないが、そのあたりからして、YMCA予備校と藤井は模擬試験というものの見方を間違えているのだ。
  私は結果として2浪もしてしまったが、2浪の時の12月に受けた河合塾の東大オープンでは「前年、この模擬試験を受けた人でA判定を受けた人は何人で、追跡調査をしたところ、そのうち、実際に東大の◇科△類を受けた人は何人で、通った人は何人、落ちた人は何人でした。これをパーセントで表示すると何パーセントになります。B判定を受けた人は・・・、C判定を受けた人は・・・、D判定を受けた人は・・・」という書き方をされていました。結論として、河合塾の東大オープンのような東大の入試との相関関係が大きいと思われるような模擬試験であっても、「A]判定を受けていても落ちた人はおり、「D]判定を受けていても通った人はいたのです。しかし、それでも、「A」判定を受けた人の方がパーセント表示で見ると通った人の割合は大きい・・というものだった。模擬試験というものは、そういうものなのです。それをYMCA予備校の藤井という男はまったくわかっていないし、わかるようになる見込みもまったくない。
  だから、私はうちの親に「YMCA予備校の主事の藤井という男は大学入試についてまったくわかっていない人間ですから、どうか、お願いですから、あの男の言うことはきかないで」とお願いしたのです。懇願し、哀願したのです・・・が、うちの親は絶対に理解してくれなかった。大王製紙の二代目は北野高校から東大に進学しようとして受験したが合格できず慶應大に行ったが、息子には絶対に東大に行かせたいと考えて息子の三代目は筑波大付属駒場高校から東大に合格して進学・卒業した・・・がカジノでしょーもないことしよったあ、あ~あ、東大でてもアホやんけえ~え・・( 一一) て話だが、実際、私は自分が大学受験の際、親が東大でているとか京大でているとか、そうでなくても、東大に行きたかったが行けずに慶應大に行ったとか早稲田大に行ったとかそういう親の息子というのは本当にうらやましいと思った。何をやるということではなく、理解があると思うのだ。うちの親なんかとは全然違った。そうは言っても、よその親はしょせんよその親であって、うちの親ではないのだから、しかたがない・・と思っても、それにしても、うちの親はひどいな・・・と思ったものだったが、そういう親だった。

  YMCA予備校の藤井という男は、模擬試験というものの見方がわかっていないというだけではなく、藤井こそ「人間性に問題がある」人間で、精神的に心が狭いことから、藤井の言うことがおかしいことに対して指摘する受講生がいると、な~にがなんでも、こいつをやっつけてやらないといけないという気持になるようで、そこから「文学的素養がない」だの「人間性に問題がある」だの何だのかんだのと言いまくらないとおれないシンドローム になってしまうようだった。まったく、つくづく、ちっぽけな野郎だなあ・・と思ったし、何より、なんで、こんな男が予備校なんて所に勤めているんだ? 他にも仕事はあるだろうに、何もわざわざ適性がない仕事につかなくてもと思ったものだった。
・・そういう男のことをキリスト教会では「敬虔なクリスチャン」と認定するらしい。

[2] 私がYMCA予備校の藤井から「人間性に問題がある」と言われた原因は他にもあるようだ。藤井は「和歌山県立医大は和歌山県以外の府県の高校の出身者が受けても絶対に通らないから受けてはいかん」と言い、「県立医大でも奈良県立医大はそうではない」と言うので、「え? そうですか?」と私は言ったのだ。それだけ。
  「え? そうですか?」だけでも、この藤井という男からすると「上司に逆らう人間だ」という「判定」になるらしかった。だいたい、この男はいつから私の「上司」になったのだ? 「上司」だというのならカネ払え! カネもらってる者が勝手なこと言うな!
  なぜ、私が「え? そうですか?」と言ったかというと、北野高校では高校3年の時に高校の模擬試験というものを実施していて、過去3年間、その模擬試験を受けた人の大学受験の結果を書き出したものを生徒はもらえたのだが、大阪府立の北野高校卒で和歌山県立医大を受けた人は何人かいて、そのうち、「通った人」も何人かいて、「通って行った人」も何人かいたのだ。だから、YMCA予備校の藤井の「和歌山県立医大は和歌山県の高校以外の高校から受けても絶対に通らない」という発言は事実に反していたのだ。
  私は北野高校の模擬試験と進学状況との対照を見ていたので、藤井の発言がそれと矛盾することがわかったので、「え? そうですか?」と思った通りを口にしただけだ。・・ところが、それだけでも藤井としては「上司に逆らう人間」ということになるらしかった。
  会社において、もしも、藤井が私の上司であったとしても、部下が適切な発言をしているのに、それだけで「上司に逆らう人間だ」とか何とか言うような上司というのは「ろくなもんじゃねえ」ということになるであろうし、藤井にこそ「きみは会社という所ではうまくいかないから、きみは経済学部には行ってはいかん」と言ってやるべきであろう。事実、藤井はうちの母親に「自分は会社でうまくいかなくて転職した経験のある者だから」と話していたそうなので、実際、そうだったのだろう。転職する際にYMCA予備校に勤めようとすると「キリスト教の洗礼を受けていること」というのが条件だったから、それで「特別献金」払うことで「クリスチャン」と教会と牧師屋から認定してもらってYMCA予備校に職を得た・・ということか? ・・で、そこから導き出す結論というのがこの男は身勝手で、「だから、私は『うまくいかない経験』というものがある人間だから浪人生の気持ちというものがわかるんだ」とか勝手なことを言っていたが、自分がなぜうまくいかなかったかという分析をすることもなく、「うまくいかない経験というものが私はある」と逆に「セールストーク」にしてしまっていた( 一一)

  北野高校の「世界史」担当の教諭だったK先生が「入試というものは厳しいものであって、成績のいい者が合格して成績の悪い者が落ちるのは当然のことだ」と授業の時に話されたことがあったのだが、それを聞いて私なんかも「そりぁそうだ」と思ったのだが、しかし、それはその先生自身が京都大学卒で、京大に進学する人が多い北野高校の教諭をずっとやってきた人だから言うこと・言えることだと思う。
  地方国立大学だとそうも言ってられないのだ。又、「国立大学」ではなく「県立大学」の場合、特に「県立医大」の場合は、必ずしも、そうは言ってられない事情がある。
  1978年度、1979年の入試から国立大学で共通一次試験が実施されて、同時に一期校・二期校の制度が廃止されたが、その年から地方国立大学では二次試験で「論文」「小論文」を実施する大学が増えて、「面接」を実施する大学・学部も出た。なんでやろう?

  二浪なんてものをすると、時々、「ああ~あ! なんで、ここにいるの?」という人間と出会うことがある。たとえば、大阪市淀川区の大阪北予備校に同校主催の模擬試験を受けに行った時のことだが、「ああ~あ!」と互いに驚いて見あった人がいて、YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスの同じクラスにいた人だった・・・ということもあった。
〔 ついでに、その人からも「去年、行っていたあそこ(YMCA予備校高槻校 京大東大文系クラス)は、ちょっとなあ」という言葉を聞いた。〕
  そして、二浪の時点で共通一次試験を受けに大阪大学豊中キャンパス〔「大阪府豊中市・池田市・箕面市の境目付近の豊中市」にあり、最寄駅の阪急「石橋」駅(現在は「石橋阪大前」駅)は「豊中市・池田市・箕面市の境目付近の池田市」にある。〕に行くと、「ああ~あ! なんで、ここにいるの?」て人間がいたのだ。「感動した!」と小泉純一郎なら叫ぶのではないか・・・。
  どう「感動した」かというと、こちらとしては「二浪」なので、「恥ずかしながら」という立場であり、あんまり知った人間と会いたくないけれども共通一次試験の会場だから会ってもしかたがないか・・なんて思っていたところ、同じ北野高校で1年下の学年の「一浪」のやつがいたのだが、これは、まあ、いるのはわかるからしかたがないとして、「あれ、俺より上の学年の人間がいるじゃないか」・・・て、こちらが「二浪」であるからには、その人はそれよりまだ多浪、「三浪」てことか・・・(^^)/
  「せんぱ~い」とか言いたくなりますでしょ。「浪人行(ろうにんぎょう)」、「浪人」という「行(ぎょう)」の先輩・・に会うと、なんだか、心が和むというのか何というのか・・(^^)/
  北野高校の同じクラブにいた私より1年上の学年の男性は、大阪大工学部を受けて1浪しても落ちたようだったが、それで、早大理工学部も落ちたそうで、「慶應の工学部みたいなもん、行ってもしかたがない」と言っていたので、たぶん、それも落ちたのだろうと思われるのだが(^^)/、それで、二期校の静岡大工学部には通ったらしく、浜松市にある静岡大工学部に行ったそうだが、ところが、一期校・二期校の制度があった時代の静岡大工学部というのは、京大・阪大・名古屋大の工学部、東大の理科一類・理科二類を1浪しても落ちた・・なんて人間だらけで、早稲田大理工学部も落ちてしまった、「慶應の工学部(現 理工学部)みたいなもん、行ってもしかたがない」〔日本語に翻訳すると「慶應大の工学部(現 理工学部)も落ちてもうた〕ということで「浪人しても落ちてしまったことだから」と静岡大工学部に入学したものの、1週間経ち、2週間経ち、1か月経ちするうちに、「なんで、俺はこんな所にいなきゃならないんだ」「なんで、俺がこんな所に行かされなきゃならないんだ」と思うようになり・・・、「ふざけんな! 二浪しようが三浪しようが四浪しようが関係あるかあ! だ~れがこんな所になんか行くもんかあ!」という気持になり、半年も経つと、入学した時にいた人間の半分も残っていない・・・という状態だった・・らしい。「聞いた話」だからすべて本当かどうかはわからないが、そんな感じだったらしい。
  「気持ちはわかる」けれども、しかし、静岡大学工学部としては、せっかく入学させたのに、半年も経ったら半分も残っていないというのでは大学としては困るのだ。 東大でも京大でも入学しておきながらやめてしまうやつというのは中にはいる。東大の理科一類・理科二類に行っておきながら、医学部に行くんだとか言いだして受け直すやつがいる。北野高校の同じ学年の人間で京大の理学部に合格しておきながら、合格すると同時に医学部に行くと言って浪人を決めたという人間もいたが、行く気がないのなら受けないでくれたら落ちた人間から誰か1人、京大の理学部に行けたのに、はた迷惑なやつだ。正岡子規は東大の文学部に入学したものの、東大の文学部の講義に出たところ、あまりにもくだらないと思い、さっさと退学して荷物をまとめて故郷の松山に帰ってしまったとか・・そういう人間も中にはいても、東大や京大の場合はそういう人は少数派であり、入学したなら卒業までいる人の方が割合としては多いはずだ。ところが、一期校・二期校の制度があった時代の二期校、静岡大工学部などではそうではなく、半年も経たないうちにやめてしまう人間の方が多かったというのだ。それでは、大学としては困った・・ということだろう。
  YMCA予備校は「作文」の試験なんて実施していたが、かつ、文章構成の手法について指摘するのではなく、その内容についていいだ悪いだと文句をつけていたが、あれは無意味だ。1979年の試験から共通一次試験実施とともに、地方国立大学で二次試験で「論文」「小論文」の試験を実施する大学がいくつも出たというのは、あれは作文の能力を見るのが目的ではなく、本当に自分の所の大学に入学して卒業までいるつもりがある人間かどうかを見たいということだと思う。北野高校の「世界史」のK先生などは「入学試験というのは成績のいい者から順番に合格というのが当たり前です」と言っていたが、それは京大とか東大とかいった大学の話だ。京大でもせっかく入学したのに「やっぱり東大に行くんだ」とか言ってやめてしまうやつ、「医学部に行くんだ」と言ってやめるやつがおり、東大でも東大の理科一類・理科二類と慶應大医学部の両方に通って慶應大医学部の方に行って入学辞退するやつとか、あるいは防衛医大に通ったからということで東大理科一類・理科二類を入学辞退したやつとかいたみたいだが、そういう人間は全体から考えると少数派であり、「まあ、そんなやつだっておってええやろ」とか言ってすませることができたであろうけれども、地方国立大学の場合はやめてしまうやつの割合が半端ではなかったらしく、入学試験の成績で上から順番に合格というわけにもいかない事情があったらしい。
  そして、「地方国立大学」ではなく「県立大学」の場合、特に「県立医大」の場合は、その県で医者をやる人を養成する為に県の費用を使って設けた大学であり、そうであるにもかかわらず、他県出身の人間に多く入学されて、他県出身者といえども卒業後にその県で医者になってくれるのならまだしも、卒業後は出身地に戻って医者をされたのでは、それではその県としては何のためにその県立医大を設立したのかわからないことになってしまう・・・という事情があったはずだ。
  北野高校の卒業生などは「入学試験というものは成績のいい者から順番に合格というのが当たり前」みたいな感覚を持っていたが、東大・京大ならそれで良くても、地方国立大学や地方の県立大学・市立大学、特に県立医大の場合はそれではうまくいかない場合があった。特に、都市圏出身者と地方の人間ならば、都市圏出身者の方が学力水準は高い場合が多いので、地方の都道府県が県立医大を設立しても都市圏の受験生に合格者の大部分を占められて卒業後には出身地の都市圏に帰られてしまうというおそれは十分すぎるくらいにあったわけであり、それから考えると、その県の出身者が多く合格できるように合否基準に細工をしようと考える県立医大があっても、気持ちはわからないことはなかった。
  但し、和歌山県というのは大阪府の隣であり、内田康夫の小説に出ていた話では和歌山県の県庁所在地の和歌山市の住人は、和歌山市は和歌山県の県庁所在地でありながら「和歌山市だけは大阪府」みたいな意識を持っておるとかで、和歌山市とその南の海南市あたりまでは「大阪府の続き」みたいなところもある県であり、もっともっと東京圏や関西圏からかけ離れた県とは事情は同じではないはずだったし、たとえ、他県出身者といえども大阪府ならば和歌山県の隣接府県であり、大阪府南部の出身者からすれば和歌山市は「すぐ近所」であって、和歌山市の病院とかに勤務することにも特に抵抗はないと思われた。

  それで、北野高校の模擬試験の点数と大学受験結果との対照では大阪府立の北野高校出身者で和歌山県立医大に合格した人間が複数あって、合格して入学した人も複数あったのに、YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井は「奈良県立医大は問題ないけれども、和歌山県立医大は和歌山県以外の府県の高校の出身者が受けても絶対に通らない」と矛盾することを発言して、私が「え? そうなのですか?」と言うと機嫌を悪くして「そうだ」と言い張ったというのは、実際にはどうだったのか。北野高校の模擬試験の点数と受験結果との対照が間違っていたのか? 北野高校の模擬試験の結果は間違いを掲載していたのか?
  その後、私は二浪もしてしまったことから、他の予備校の人から話を聞くこともあったのだが、駿台予備校の人が言うには「他府県出身者が受けると不利な県立医大」は和歌山県立医大ではなく奈良県立医大で、和歌山県立医大は他府県出身者でも十分合格させてもらえる医大だそうだった。駿台予備校の人から聞いた話では、奈良県立医大は受験生の数は奈良県の高校出身者と他府県の高校出身者なら他府県の高校出身者の方が倍だが、逆に合格者になると奈良県の高校出身者の方が他府県の高校の出身者の倍だそうで「どう考えても、奈良県の高校出身者と他府県の高校の出身者で合格最低点に差をつけているとしか考えられない」ということだった。
  どうも、YMCA予備校の「主事」の藤井は和歌山県立医大と奈良県立医大とを逆に理解していたようだった。かつ、なにしろ、頑固な男であり、私が北野高校の模擬試験の点数と受験結果との対照の資料を見た上で「え? そうなんですか?」と疑問を投げかけても、それだけで、「きみみたいに上司に逆らう人間は絶対にうまくいかないから」だの、「きみも人間性に問題があるから大学入試には落ちる」とか呪いの言葉を浴びせないとおれないという、そういう「人間性」の男だった、それが「敬虔なクリスチャン」だった、それが「特別にえらいクリスチャン」だった・・・が、何もそんな男が予備校に勤めなくても他にも仕事はあるのだから、他の仕事につけば良さそうなものだった・・・が、もしかすると、他に採用してもらえる所がなかったから「キリスト教の洗礼を受ける」ということをすれば採用してもらえるYMCA予備校に勤めた・・ということだったのかもしれない( 一一)

[3]  さらには、YMCA予備校の「主事」の藤井は「浪人したからには、京大を受けようと思うなら、模擬試験で最低でも『通った人8人、落ちた人2人』というくらい以上の成績を取らなかったら受けてはいかん」と言い、「東大ならそれ以上だ。東大を受けるのなら、『京大なら通った人8人、落ちた人2人』という成績よりさらに上の成績を取らなかったら東大は受けてはいかん」と言うので、私は「そういうものではないと思います」と言ったのだが、それも藤井は気に入らないようだった。
  これは私自身が実際に東大を受けた経験から言うことだ。「東大と京大はどちらが難しいか」という思考をして、その上で東大の方が難しいと決めつけて、それで京大を受ける場合よりも京大型の模擬試験でさらに上の成績を取らなかったら受けてはいかんなどと考えるならば、そういう思考をするならば・・⇒通るものも落ちる。
  そうではなく、もし、東大に行こうとするならば、まず第一に考えるべきことは、これこれ ↓
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↑ 「東大は簡単だ」・・・
こう考えることだ。これが東大合格への第一歩だ。
但し、「東大は簡単だ」と考えたからといって、それだけで簡単に通るという意味ではない。そうではなく「東大に合格しようと思うならば京大にゆうゆうと合格するレベルよりもさらに難しいレベルの成績を『一般的模擬試験』で取らないといけない」とか考えるのはやめろ! ということだ。・・・だいたい、「京大ならゆうゆうと合格できるレベルの点数」て、そんなもん、簡単に取れると思うか? ・・それを取ろうなどと考えると、なぜ取れないんだとか悩みだしてドツボにはまることになる可能性が大きい。そんなものすごい点数なんてとらなくってもいいんだよ! ともかく、行きたいと思う大学・学部の問題でその問題で合格最低点よりも1点でも高い点数を取れたら合格なのだ。野球でホームランというのは外野のフェンスを越えたらホームランなのだ。「場外ホームランをゆうゆうと常に打てる実力がなかったら打席に立ったらいかん」なんてこと考えていたら、打てるものも打てなくなる。通るものも通らなくなる。
  1973年、前後期制度を実施したパリーグで、前期優勝した野村克也がプレーイングマネージャーをやっていた南海ホークスは後期は後期優勝の阪急に、なんと1分け12敗。1勝もできなかった。しかし、野村は「後期は阪急に3つ勝つことさえできれば、極端な話、他は全敗してもいい」という考え方をとった。そして、後期は後期優勝の阪急に1分け12敗だった南海は、プレーオフでは後期優勝の阪急に3勝2敗で勝ち越し、通年優勝を勝ち取った。その年、プレーオフを別にすれば、通年成績は後期優勝の阪急が1位、前期優勝の南海は2位ですらなく3位で、前期2位・後期2位のロッテが通年成績では2位だったが、ルールにのっとりプレーオフで勝ち越した南海が通年優勝になった。
  これと似たもので、「もしも、東大に行きたいと思ったならば、『東大の試験にさえ通ればそれでええんや』と考えるべきだ」。それ以外の試験なんて「極端な話、全敗したっていい」のだ。〔さすがに、実際に「全敗」したらショックだろうけれども、姿勢としてはその姿勢でやった方が本命の所に合格しやすい・・と思う。〕

  最近、YouTube で、安芸乃島が やく みつる と対談しているのを見たが、そこで安芸乃島が話していたのだが、現役時代、安芸乃島は「自分がともかく強くなればいい」と考えて練習に励んだそうで、「相手がどういう力士で、どういう戦法をとってくるから、自分はそれに対してどう出て・・」といったことはまったく考えなかった、というのだ。そして「今から考えると、アホですね」と。「もしも、相手がどういう力士で、どういう戦法に出てくるだろうから、それに対して自分はどう出て・・といったことを、もっと考えて相撲をとっていたならば大関になれたかもしれない」と。
  それを見て、高校時代の私なんかもそんな感じのところがあったなあと思ったのだ。自分がともかく実力をつければいいのだ・・と思っていて、大学の問題に対する対策なんてものは邪道みたいに思っていたが、試験が近づいて、そうも言ってられないと思って対策も取りだしたが、高校卒業時に落ちてみると、もっと受ける大学の問題を考えてやるべきだった。「今から考えると、アホですね」と。
  特に、東大の二次試験の問題が京大・阪大の問題と大きく違うのは社会科(日本史・世界史)だった。1978年の試験、共通一次試験が始まる前年までの京大・阪大の二次試験での「世界史」「日本史」の試験は「記述式」の試験だったのに対して、東大の二次試験の問題は「論述式」の問題だった。「記述式」と「論述式」はどう違うのか。 もっと入試難易度が低い大学では「選択式」の問題、選択肢があって、そこから選ぶという方式の問題が出されることがあった。共通一次試験はマークシート方式で、選択肢があってその選択肢の番号をマークするというものだった。最近はマークシート方式の試験が増えてきたが、1979年の試験の頃はそれほどマークシート方式は多くはなくて、「選択式」でも、選択肢の番号や記号を記述するという回答方式の試験が多かったが、選択式でもマークシート方式でも、記述式とは違って「読めればいい」「書ける必要はない」試験だ。たとえば、「親鸞」を「しんらん」と読める人は多いが、書けるかというと書ける人と書けない人がいるのではないかと思う。「記述式」だと書けないと正解にできないのに対して「選択式」「マークシート方式」だと読めれば正解できる。
・・・ちなみに、千葉県野田市は「『醤油』書ける率全国1位」が自慢とかいう話があるが、書けて悪いことはないが、だから何なんだ・・という面もある。
  東大の二次試験の「日本史」「世界史」では「・・・について、800字以内で述べよ」とかいった「論述式」の問題が出たのだ。京大・阪大は「記述式」であり、「記述式」は書かないといけないが「・・・について、800字以内で述べよ」なんて問題は出ず、書くのは「権利の章典」とか「フランス革命」とか「大化の改新」とか「坂下門外の変」とかそういう文句・語句を書くか、「1969年」とか「1789年」とかいった年号を書くかであって、「・・・について800字以内で述べる」なんてものはない。 この「記述式」と「論述式」は全然違うのだ。京大の試験では1問くらい「・・・について50字以内で述べよ」なんて問題が出ていたようにも思うが、「50字以内」で述べるのと「800字以内」で述べるのとでは意味が違う。「50字以内」なら特別考えなくても書けるのに対して、「800字以内」となると、その字数でまとめる練習をしないとなかなか書けない。かつ、日本史・世界史の問題集というものはいっぱい出版されていたけれども、「800字以内で述べよ」「700字以内で述べよ」といった問題に正答できるようになるための問題集なんて出版されていなかったのだ。
  私自身、北野高校の中間考査・期末考査の成績でも、他の科目がどうかは別として、世界史・日本史はどちらも悪くない方の成績、高校生全体で見て悪くない方の成績ではなく、大阪府で一番の高校の高校生の中で悪くない方の成績を取れていたし、北野高校の模擬試験でも悪くない方の成績を取れていたし、「業者の模擬試験」でも「全国総合模試」といったような名称の模擬試験では悪くない方の成績を取れていたのだったが、ところが、東大の二次試験の論述式試験、「・・・について700字以内で述べよ」「・・について800字以内で説明せよ」といった問題は、どうも、うまく書けなかったのだ。
  だから、その科目そのものの能力と、その大学・学部の問題を解くことができるかどうかの能力は同じではなく、その大学・学部に行きたいと思ったら、その大学・学部の問題で正答できるような能力を身につけないといけないということになる。
  又、1979年の試験から、国立大学では共通一次試験が始まったが、それまでの試験と比べて、共通一次試験というのは「その科目そのものに対する学習」と「その試験問題に対する対策」とで、「その試験問題に対する対策」が占める比重が大きいように思われた。だから、その意味で共通一次試験の問題というのはそれ以前の問題と比べてあんまりいいことないと、その時の私は思ったのだが、「あんまりいいことない」と思ったとしても、自分が出題する側であれば、よりいい問題を出題するように考えればいいが、自分が試験を受ける側の立場であれば、良くても悪くてもその問題を解けるように対策を取らないといけない。
  こういったことから、考えて、私は「ある模擬試験でいい成績をとっても、大学によってはいい成績を取れない場合がある。 学力テスト型の模擬試験で何点取るかよりも、受けようと考える大学・学部の問題でどれだけ取れるかということの方が大事です。 学力テストのような模擬試験で高い点数を取れるかどうかはそれほど大事ではなく、受けようと考える大学・学部の問題に対しての対策をどれだけ取れるかによって合格不合格は決まると思います」と話したのだ。大いにもっともなことを言ったはずだ。
  ところが、YMCA予備校の「主事」の藤井はそれだけでも気に入らないのだ。
藤井は「いいや。そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れれば東大でも京大でも間違いなくいい成績を取れる。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかったらどこでもいい成績は取れない」と言うのだ。
それで、私は「絶対にそんなことはありません」と言ったのだ。
  私が高校を卒業した翌年、1浪の年から共通一次試験が始まった。高校3年卒業する年までは共通一次試験はなくて、各大学での試験だったのだが、共通一次試験より前は東大の試験は東大が実施する一次試験と二次試験で合否が決められていて、一次試験に合格した者だけが二次試験を受けることができた。この一次試験を「足切り」と考える人がいたが、私は違ったと思う。たとえば、一級建築士・二級建築士・木造建築士の国家資格試験では、1次試験で「学科」が出題され、これに合格すると2次試験で「製図」の試験を受けることができるが、「学科」は「足切り」かというと違うと思うのだ。「学科」の能力と「製図」の能力の両方の能力があると認められた人を合格にしようという試験だと思う。私自身が受けて通った試験としては、インテリアコーディネーターの試験は、1次で「学科」試験が実施され、2次で「製図」「論文」の試験が実施されたが、これも「学科」の試験は「足切り」として「箸にも棒にもかからない」人を除外しようという試験ではなく、「学科」と「製図」「論文」の両方の能力がある人を合格にしようという試験だと思う。キッチンスペシャリスト試験はこれは国家資格ではなく最初から民間資格だったが、これは同日に午前と午後で「学科」と「製図」の試験が実施されて、1995年の試験から「学科」だけ合格した人は翌年から3年間、「学科」免除で「製図」だけ受けるということができるようになったが、これも「学科」が「足切り」ということではない。
  司法試験は私が大学生だった頃もその後しばらくも、二次試験は短答式・論述式・面接(口述式)の3つの試験が実施されたが、1990年代だったか、書店で今はどんな問題が出ているのだろうと思って、短答式試験の問題を見てみたら、なんだか、へんてこりんというのか、「奇問・悪問」みたいな問題が出ていたのだが、合格者による「司法試験の合格法」みたいな本を見ると、「パズルみたいな問題」と書いていた人がいて、その頃の短答式試験というのは、憲法・民法・刑法の試験ということになっていたけれども、法律の知識を問うというよりも、その「パズルみたいな」思考ができるかどうかを問う試験だったようで、憲法・民法・刑法の知識を問う問題であろうと思って見ると「奇問難問悪問」のように思えても、最初からそういう問題を出してそういう問題を解ける能力があるかどうかをそこで見ていたようだった。だから、その場合も、論述式試験に合格できる能力と短答式試験に合格できる能力とは、これはどちらがより難しいかではなく、性質が違う能力が問われていた・・と思う。
  それで・・・、私が高校3年の12月に受けた代々木ゼミナールの東大模試では、実際の東大の試験ならば一次試験で落ちた人は二次試験を受けることはできないが、模擬試験の場合は一次試験に通るも落ちるも関係なく全員が一次と二次を受けたのだが、私は一次試験に関しては、文科一類で「A」の判定で、それも「A」の中でも上の方の「A」だったのだ。だから、もし、その代ゼミの東大模試が模擬試験ではなく本番の試験で、かつ一次試験だけで合否が決められたのであったなら、けっこう上の方の成績で東大の文科の中で一番難しい文科一類に合格したことになる・・・けれども、それは模擬試験であって本番の試験ではなく、かつ、一次試験の模擬試験であり、二次試験の模擬試験の方はどうだったかというと・・・実際問題として「言いたくない」成績だった。特に「日本史」「世界史」がうまく書けなかった。
  それで見ても、問題によって成績は変わるということは明らかだったのだ。1978年までの東大の実際の試験では一次試験に落ちてしまった人は二次試験を受けることはできなかったが、模擬試験の場合は一次に通るも落ちるもないので、一次試験の受験者層と二次試験の受験者層は同じであったが、一次試験では「A」の中でも上の方の成績を取れても二次ではそうではなかったのだ。
  そういった経験を踏まえて、私は「ある模擬試験でいい成績を取れれば、どこの大学・学部の問題でもいい成績を取れるなどということは絶対にない。その大学・学部の問題によって成績は変わるから、受けようと思う大学・学部の試験に対しての対策を取る必要がある」と話したのだ。

  ところが、私がどんなに言ってもYMCA予備校の「主事」の藤井は、
「いい~や。絶対にそんなことはない。YMCA予備校の模擬試験は絶対だ。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れれば東大の試験でも京大の試験でもいい成績を取れる。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかったら東大の試験でも京大の試験でも落ちる」と言ってきかないのだった。
  こいつとは、いくら話しても駄目だ!・・と思ったのだが、ところが、うちの父親は「専門家のおっしゃることです、専門家。専門家の先生がおっしゃることです、専門家。専門家の言うことはきかんといかんがな、専門家のおっしゃることは」と言ってきかなかったのだ。難儀な親だった。「あんなやつ、専門家とはち~が~い~ま~す」と言っても言っても「専門家です、専門家。専門家の先生です、専門家」と言ってきかないのだった。そして、うちの母親は藤井のことを「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわ~けがない!」と言ってきかず、さらには「こいつは先生の言うことをきかない不良や! 不良に育てた覚えはないのにからに、こいつは不良になりやがってからに。この不良めが!」と言ってきかなかったのだ。

  昔、小学校などには「用務員さん」という人がいた。小学校の先生は「教える」職業の人であるのに対して、小学校の様々な「用務」をするおじさんで、男性とは限らないみたいだった。北野高校にもその係の人はいたみたいだったが、生徒はそれほど接する機会はなかったが、いたみたいだった。
  「事務職員」の人も北野高校にはいたが生徒が事務職員の人と接することはそれほど多くはなかったが、修学旅行費を私は親に出してもらうことができず、なぜ、親が修学旅行費を出さないかというと「高校は勉強する所であって修学旅行する所とは違いますでしょ」というのがうちの母親の理屈だったのだが、小学校・中学校でも遠足も運動会も文化祭も学校の行事であり、全体が学校教育であり、「小学校は勉強する所であって遠足する所とは違いますでしょ」「小学校は勉強する所であって運動会する所とは違いますでしょ」と言って、遠足や運動会の日は休んだりすると先生に怒られるものだった。高校でも1年・3年には遠足が2回、2年の時は遠足が1回と修学旅行が1回あったのだが、それは「行くもの」と私は思っていたが、うちの親は「高校は修学旅行する所と違います」と言って修学旅行の費用を出してくれなかったので私は払うことができなかった。ところが、2年の時の担任の旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は私に「〇〇くん、修学旅行費、まだよ。早く払ってちょうだい」と言って催促するのだ。片方で親から「高校は修学旅行する所とは違います」と言われ、片方で担任の教諭から「早く、修学旅行費を払ってちょうだい」と催促されて困った。なんで、この人たち、両方から私に言うのだろうと思った。私は親が修学旅行に行くなと言うのなら別に無理に行かなくてもよかったし、片方で担任の教諭が修学旅行に行けと言うのなら行っても良かった。特別、修学旅行に何が何でも行きたいとも思わなかったが、担任の教諭が行けと言うのなら何が何でも行きたくないということもなかったのだが、担任の教諭から「早く払ってちょうだい」と文句を言われ、親からは「なんで、そんなもの行かないといけないの。高校は修学旅行する所とは違いますでしょ」と言われこの人たち、私を間にはさんで私に言うのではなく、教諭は親に言ってくれないか、親は担任の教諭に言ってくれないかと思ったものだったが、両方とも、あくまでも間に生徒をはさんで、教諭は親には言わないで生徒に言い、親は担任の教諭には言わないという態度を一貫して取り続けた。どうしていいのかわからず、私が中学校1年の時、父方の祖母が他界して、その時、祖母が財布に残していたお金が1万円札3枚あったので、うちの姉2人は成人していたので、未成年だった私と叔父(父親の弟)の子供(イトコ)2人と3人で1万円ずつ分けてもらったものがあったので、修学旅行費は3万円で、3回に分割して払うこともできたので、担任の旧姓S野礼子から何度も催促されるので、しかたなしに、とりあえず、その1万円札を事務室に持って行って支払ったということがあった。 旧姓S野礼子は修学旅行代をだしてもらえない生徒に修学旅行は高校教育の一環であり参加するのが当然のものだという前提で「まだ、修学旅行代、払ってもらってないわよ。早く払ってちょうだい」と税金か公共料金の督促みたいに請求するのだったがサラ金か街金の催促ではあろまいし、高校の担任の教諭なら修学旅行代を親に出してもらえない生徒の立場というものも少しくらい考えたらどうなのか・・とも思ったのだが、そんなもの、考える意志などなく、「まだよ。早く払ってちょうだい」と言うばかりの女というのが旧姓S野礼子だった。高校時代の私が間違っていたのは北野高校の教諭全般というものを実状よりも高く評価してしまっていた、無能なやつらを買いかぶっていたという点だったと思う。
  私が2浪の時、うちの父親の会社の部下の人で、うちの父親に拝み屋さんを紹介する人があった。私なら会社の上役に拝み屋さんなんて紹介しないけれども、そういうものを紹介する人がいた。又、私なら拝み屋さんなんて紹介する部下がいたなら警戒するけれども、うちの父親は拝み屋さんを紹介されて、喜んだのだ。喜んで、そして、わざわざ、北陸の金沢まで大阪から行ってきたのだ。そして、「名前が悪い」と言われて帰ってきた。それも、うちの父親の名前が悪いのではなく、うちの父親の名前は「これ以上にないというくらいすばらしい名前だ」そうで、悪いのは私だそうだ。それで、「これから、あんたの名前を天津丼(てんしんんどん)に変えることに決めた」と言うのだった。「これが強運の名前なんや、これが」と言うのだ。「あんたの名前は、て~んし~んどお~おん♪」と。「これから、あんたの知っている人の家を一軒一軒訪ねてまわって、『これから私のことを《天津丼(てんしんどん)》と呼んでください』と言ってまわりなさい」と言うのだった。そして、「おまえの為を思うて、おまえの名前を『天津丼(てんしんどん)』に変えてやろうと言うてやってやってやってやったっとんねんぞ。感謝しろお!」と言うのだった。かつ、「改名屈 天津丼(てんしんどん)」と紙に書いて、「これを北野高校の事務室に持って行ってきなさい」と言うので、いやいや、北野高校の事務室に持って行ったところ、事務職員の人から、「こういうものは卒業した高校に持ってこられても困ります。こういうものを出すのならば市役所に出してもらわないと、卒業した高校に持ってくるものとは違います」と言われ、「それから、これ、『かいめいとどけ』と書いたつもりでしょうけれども『かいめいくつ』になってます」と言われた・・。まあ、しかし、拝み屋さんなんて所に行くのなら行くで、自分の名前を変えようというのなら好きにすればいいが、「わしの名前はものごっつい強運の名前で、これ以上ないいうええ名前やねん♪」とか言って得意がり、「あんたの名前は、て~んし~んどお~おん♪」て、よくやってくれる・・と思う。
どんぶり職人 天津飯の素 1食 220g 12693
どんぶり職人 天津飯の素 1食 220g 12693
  この2回とあと1回くらい話したことあったか・・、卒業後に高校の先生に用事があって高校に電話をした時に電話に出たのは教職員ではなく事務職員の人だったのではないかと思うが、他にもあったかもしれないが、北野高校の事務職員の人と話をすることはそれほどはなかった。
  大学にも事務職員の人はいるが、本来、教職員と事務職員はどちらが上とか下とかいうものではなく役割を分担しているのだけれども、「病院という所では医者がえらそうにしとる」のと同様に、学校という所ではどうしても教職員の方が中心になる。
  戦前戦中は「大学」というものがそれほど多くなかったので、教員免許を持っていなくても大学卒なら学校の先生になることはできたらしい。但し、何かあった時に教員免許を持っている方が持っていないよりも有利ということはあったようで、山本有三『路傍の石』では次野先生が教員免許を持っていなかったということもあって解雇者のリストに入れられてしまうという場面がある。戦後は教員免許を持たないと中学校・高校の先生にはなれない。大学の場合は事情は違い、桂文鎮が慶應大学で教えたり、伊藤塾塾長が慶應大学大学院講師をやったり、高卒の安藤忠雄が東大の教授になったり、『らーめん再遊記』では、らーめん評論家のアリス涼なんておっさんが私立大学の講師になったりしているが、中学校・高校の教諭には教員免許を取得していないとなれない。そのかわり、今では、高校には95%以上の人間が進学して、大学にも50%くらいの人間が進学しているようで、東大・京大・阪大とかでなくても、私立聞いたことない大学卒でも教員免許は取得できて高校の先生になることはできる。だから、亜拓大東帝国卒でも進学校の高校の教諭になることは制度上できる。大学生に家庭教師を頼む場合は、普通はある程度以上の大学の学生に頼むものだが、高校の先生には東大でても京大でても教員免許を取得していなければなれないのに対して、亜拓大東帝国卒でも関東上流江戸桜卒でも教員免許を取得しておれば進学校の高校の教諭になることができる。かつ、そういう人が「大学によって差別するようなことはあってはならないことだ」とか言って得意がる・・が、今では氏名と受験番号さえ書けば合格できる「大学」がある、「小学校みたいな大学」「幼稚園みたいな短大」がいっぱいあるわけだが、自分自身が高校まで勉強してきていない人が高校の教諭になって「大学によって差別してはいかん」とか言われても・・・・。 はたしてそれがいいのかどうか。
  それで、YMCA予備校の藤井という男は、やっている仕事から判断すると教職員ではなく事務職員であり、卒業した大学は東大とか京大とかではない方の大学であり、高校の教諭の教員免許は持っていない人間であり、事務職員が悪いということではないけれども、そういう人を「先生」とは言わない。 YMCA予備校の問題点として、講師には関西の私立大学の教授とかやっている人、京大・阪大の助手や大学院生といった人をアルバイトで雇っていたが、その人たちはアルバイトであり、YMCA予備校の事務職員から指示されて、「答え合わせみたいな授業」をやっていただけだった。私が予備校の講師をアルバイトでやったならば、たとえ、アルバイトであったとしても、「ID野球 弱者の戦術」ででも「功なき者を活かす」でも「再生工場」ででも、そういう戦術で東大でも京大でも合格させてやろうではないか・・と考えるところだが、実際にYMCA予備校の講師をやっていた人は「アルバイトとして事務職員から指示された通り答え合わせみたいな授業をやってるだけ」という人がほとんどだった。事務職員が教職員に授業の内容を指示・命令するというのは、それは予備校とはいえ学校という所において、おかしいのではないか・・・と私は思ったのだ。ところが、YMCA予備校では事務職員が教職員に授業の内容を指示・命令し、教職員は事務職員に命令されて事務職員から言われた通りのことをやっていたのだ。
  YMCA予備校高槻校で「主事」というよくわからない職種名を名乗っていた藤井は京大東大文系クラスを担当していても、自分自身は京大も東大も行ったこともなければ合格したこともなく受けたこともない人間であり、それなら、亜拓大東帝国卒でも高校の教員免許は持っているのかというと、それも持っていない人間だった。だから、「あの人は先生とは違います」と私はうちの親に言ったのだ。他の仕事ならば「学校に行っていた時はあまり成績はよくありませんでしたけれども、仕事についてからは努力して実績を残しました」ということもあるかもしれないが、予備校で京大東大文系クラスといったコースにおいて、自分自身は亜拓大東帝国かそこらくらいしか出ていない男で教員免許も持っていない人間が、何もわかってないくせしやがってからに、なんだかんだえらそうな口をきくというのは迷惑以外の何でもなかった。
  ・・・ところが、うちの父親は「先生やがな、先生。専門家の先生やがな、専門家。専門家やがな専門家」と言ってきかなかったのだ。「あの人は事務職員であって先生とは違います」と言っても言っても「先生やがな、先生。専門家の先生やがな専門家。専門家の言うことはきかんといかんがな専門家。せえ~んもおお~んくわあ~あ♪」と言ってきかないのだった。
うちの母親は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」と言い、「藤井さんはYMCAで主事になっているくらいだから、クリスチャンはクリスチャンでも並のクリスチャンではない。相当にえらいクリスチャンのはずや」と、「『聖書』みたいなもん、あんなもん、ええことなんて何ひとつとして書いてないんや、『聖書』みたいなも~ん。『聖書』なんて読んではいかん。『聖書』なんて読まんでも、洗礼うけて献金はらって日曜ごとに教会に行って礼拝に出ておけばそれでええんや、それで。『聖書』なんて絶対に読んではいかん」と毎日毎日、””伝道””している男のことをそう言っていた。私はこの男を見てから「クリスチャン」特に「敬虔なクリスチャン」というやつが嫌いになった。

  大学入試は公平ではないと思う。親が東大や京大に行った親、もしくは東大や京大に行きたかったけれども合格できずに慶應大・早稲田大あたりに行った親の息子というのは、うちの親みたいな人間の息子と比べて条件がまったく違う。うちのあのアホな親をなんとかしてもらえんもんか・・・と思ったが誰も何ともしれくれなかった。
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇

  野球のたとえを持ち出すならば、何年か前、横浜DeNAベイスターズの横山投手だったか、8回くらいに投げていた救援投手について、解説者の落合が「私はこういう投手は好きですね。ストレートとフォークボールの2種類しかないけれども、その2つが相当いいという、大魔神 佐々木の小型みたいな投手でしょう。打者としては、ストレートとフォークボールのどっちか片方に絞るしかないですね。片方を狙ってそれで狙っていたのと違う球が来た時には、その時には『ごめんなさい』と言うしかないですよ。それでだめだと言われても、プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙っても、そんなもの打てるわけないのですから片方に絞るしかないですよ」と話していたことがあった。京大と阪大と神戸大は比較的試験科目と配点と出題傾向が似ていたので、「両方同時に狙う」ということをしても合格できた可能性はあったし、実際、京大を目指していたが試験直前に目標修正して阪大を受けて阪大に合格して行ったという人もいた。
  しかし、東大と京大はどっちが難しいかと考えるべきではなく、いわば、「プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールみたいなもの」と考えるべきではなかったかと思う。どっちか片方に絞るようにした方が合格につながりやすく、「両方同時に狙う」と不合格になりやすい。「京大を狙って成績が相当伸びたら東大にする」とかそういう間違った思考は捨てないといけない。(だから、とりあえず、「東大は簡単だ」ということにする。無茶苦茶簡単ということではないけれども。)念のため、断っておくが、これは1970年代後半から1980年代にかけての問題についての話で、今もそうであるかどうかは高校の教諭とか予備校の講師とかをやっているわけではないので、それは知らない。〔これから受ける人は今現在の問題を自分で見て判断してや。俺がここに書いたことを読んで、その結果、失敗したなんて言われても責任はとれんぞ。〕
  YMCA予備校の藤井は「現役の時なら、模擬試験で通った人5人・落ちた人5人というくらいの成績で受けてもいいけれども、浪人したからには最低でも通った人8人・落ちた人2人というくらいの成績でなかったら京大を受けてはいかん」などと言うのだった・・が、落ち着いて考えてみ。「京大に模擬試験で通った人8人・落ちた人2人」て、それは相当の成績やで。そんなもの、簡単に取れると思うか? 「結果として本番の試験で、それが本番の試験ではなく模擬試験であったなら、通った人8人・落ちた人2人というくらいの成績」を取る人は中にあったのではないかと思うが、それはあくまでも「結果として」だ。受ける前から「通った人8人・落ちた人2人というくらいの成績を取らなかったら受けてはいかん」なんて言っていたら、いったいどこに行けるんんだ? ・・ということになる。ましてや、YMCA予備校の藤井は「東大に行こうと思うなら、模擬試験で京大なら通った人9人・落ちた人1人というくらいの成績を取らなかったら受けてはいかん」とか言うのだったが、そんな考え方をしていたら通るものも落ちる! 「どんなもんのすごいストレートでも打てるようにならなかったらフォークボールは打てない」みたいな理屈だ。そうではなく、「フォークボール」を打とうと思うならフォークボールを打つ練習をするべきなのだ。
  京大と阪大は試験科目と配点と出題傾向にそれほど大きくは差がなかったので「両方同時に狙う」やり方でも悪くなかったであろうけれども、東大と京大はかなり違ったので、その点を認識しないで「両方同時に狙う」学習法を取ったならば、それは「プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールを同時に狙う」みたいな結果になってしまうおそれがあった・・と思う。そのあたりをYMCA予備校の「主事」の藤井はまったくわかっていなかったのだ。そして、「勝ちはYMCA予備校の勝ち、負けは受験生の負け」ということにしようとしていたのだ。・・卑怯なやつだ。

[4]  YMCA予備校と「主事」の藤井の問題点を述べだすと何字費やしても書ききれないので、ここではこの程度で留めるが、もっと簡単なもをひとつ述べておくと、YMCA予備校高槻校の藤井は、YMCA予備校に来るのにサンダル履きでは来ないでもらいたいと言ったのだ。
  その点については、予備校生だった時の私もそう思っていた。予備校とはいえ学校であるから、サンダル履きで来るというような不真面目な格好ではなく、特にいいものかどうかは問わないが、ともかく「靴」を履いてくるべきだと思っていた。
  しかし、その理由付けについて、藤井は「過去に、サンダル履きで来た人が階段の所で後ろから踏まれて、それで怪我をしたということがあったので、そういうことで怪我をすると受験にもマイナスになりますから」などと言ったのだった・・・が、ところが、前年、私はYMCA予備校豊中校で実施された「夏期講習」に参加させられたのだったが(私は行きたくないと言ったのだが、うちの母親が「いけません」と言って私の意志に反してYMCA予備校にアルバイトで勤めていた近所の阪大生に頼んで申し込んでしまったのだった)、その時には、藤井とは別の「主事」のおっさんが・・その人は何と言ったかというと、「サンダルを履いて来られますと、廊下を歩く時に、パッカパッカと音がうるさいですから、ですからサンダル履きでは来ないようにしてください」とそう言ったのだった。
  結論を言うと、YMCA予備校としては、サンダル履きでは来てもらいたくないと考えていたが、「なぜ、サンダル履きだといけないのか」と言われると、この理由でとはっきりと答えられるものがなかったらしく、「主事」という役職名をもらっていたおっさん連中でも、「これや」というものがはっきりとあるわけではなかったようだ。それで、それぞれの人間が、それぞれ、だめな理由を考えて、ある「主事」は「廊下を歩く時に、パッカパッカと音がうるさいですから」と言い、藤井は「前に、サンダル履きで来ていた受講生が階段の所で後ろから踏まれて、それで足をふみはずして大怪我をしたことがあって」とありもしない””都市伝説””を捏造して話した・・ということだったようだ。
  私は予備校とはいえ、学校であるからにはサンダル履きで行くというのはあまり良くないと思っていたし、私はサンダル履きで行ったことは一度もないが、しかし、ありもしない””都市伝説””を捏造して話すやつって、何なんだろうなあ、こいつは・・・と思ったものだった。

  サンダル履きについては、仕事で会社に勤める場合、会社への往復は革靴で行き来しますが、仕事の内容によってはサンダル履きでいい場合もあります。営業でお客様と接する仕事ならばサンダル履きでは不真面目と見られてしまうでしょうけれども、建築屋で図面を作成するような仕事の場合、くつろいだ格好で作成した方がいい発想が思い浮かぶということもありえます。建築屋で設計の仕事をしている人が図面を作成する時とか、プログラマーやっている人とかは職場でサンダル履きで勤務している人があるのではないでしょうか。 大学入試の為の学習をする場合ですが、私は自分が高校生や受験生の時は、サンダル履きなんてもってのほかと思っていたのですが、今は必ずしもそうではないかもしれないと思っているのです。
  YMCA予備校高槻校に行っていた1970年代後半においては「エコノミークラス症候群」なんて言葉はなかったけれども、今はたいていの人がその名称くらいは知っています。飛行機に長く蒸機する場合、ファーストクラス・ビジネスクラスといったひろ~い座席ならいいのですが、エコノミークラスという私らが乗るような狭い座席においては、同じ姿勢を長くとっていると足の先端とかの血流が悪くなり、体調に悪影響をもよおすというのです。 私は高速道路を長い距離を運転する場合は、靴を脱いで靴下だけになって運転するようにしています。近距離を運転する場合は靴を履いたり脱いだりするのはめんどうですが、高速道路を長距離運転する場合は、靴は脱いで靴下だけ、できれば靴下も五本指の靴下にすれば、時々、足先を曲げたり足の指を動かしたりして、それとともに手の指も動かすということを行うようにしています。そうすると、眠気が怒りにくいように思うのです。
  眠気だけではなく、人間の身体の先端、足先と手先というのは血管が細く、血流が悪くなりやすいということはないか。そういったことを考えると、足を曲げたり、足の指を曲げ伸ばししたりしにくい硬い靴をはいた状態で授業を受けるよりも、サンダル履きで足先を動かしやすい状態にして授業を受けるようにした方が、眠気も催しにくいでしょうし、頭脳の働きも良くなるということはないか・・とか考えたりもするのです。
  大学入試でも面接がある所を受ける場合は、面接にサンダル履きで言ってマイナスの印象を持たれては困りますから、面接試験には靴を履いて行った方がいいでしょうし、「壁に耳あり、障子に眼あり、人の顔には口がある」と言いまして、筆記試験でも、いったいどこで誰が見ているかわかりませんし、佐藤優氏がモデルの『憂国のラスプーチン』では、佐藤優氏がモデルの憂木 護(ゆうき まもる)という男性が女性弁護士に「昔から、『女の腐ったの』は男にしかいませんから」と言う場面がありましたが、私もそう思うのですが、「女の腐ったの」「女の腐ったようなやつ」というのは女性にいるのではなく男にいますから、ですから、たとえ、筆記試験でもその理由からサンダル履きではなく「靴」を履いて行った方がいいとは思うのですが、実際に試験問題を解く時には、少々、靴下が汚れてもいいから机の下で靴は脱いだ状態で問題に取り組むようにした方が、頭脳の働きは良くなって結果として、いくらかなりともいい成績が取れるということが期待できる・・ということはないか・・とか今は思ったりもしているのです。もしくは、↓ はビバホームで購入した50cm×50cmのカーペットタイルですが、
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これ ↑、もしくは、これをもうひとまわり小さく切断して、それを試験会場に持参して机の下に敷いて、靴を脱いでこの上に足を置いた状態で問題を解くとか、あるいは、こういうモコモコのスリッパ ↓
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↑  さすがに、クマさんの顔がついたやつとかだと「ふざけんな」と言われるかもしれないのでそれは避けて、↑ のようなモコモコのスリッパを1足持参して、試験会場では靴を脱いで ↑ のモコモコのスリッパに履き替えて回答するというようにした方が、足先を締めつけないので足先の血流が良くなり、たとえ、1%でも0.1%でも合格に近づく答案を作成できるのではないか・・とか考えてみたりもします。足先を締めつけるような革靴では足先の血流が悪くなるのではないかという問題があるとともに、片方で「頭寒足熱」と言って頭、特におでこのあたりは涼しい方がいいが、足は暖かい方が判断力・思考力はよくなるという考え方があるので、それで、スリッパでも、モコモコのスリッパの方が暖かいのではないかと考えたのです。靴下もできれば五本指の靴下にした方が足の指先を動かしやすくなって、足の指先の血流が良くなるということはないいか・・とか考えたりもします。
ですから、サンダル履きについては、私は自分が大学受験生であった時には「もってのほか」と思っていたのですが、今は「必ずしも、そうでもないかもしれない」とも思っているのです。↑ のカーペットタイルを持参してその上に靴下履きの足を載せるとか、モコモコのスリッパに履き替えて問題を回答してはどうかというのは、以上の理由によるものなので、決してふざけたことではないのですが、それでも、試験監督官から変に思われたらマイナスになるかもしれない・・と考えるのならば、運動具店でさまざまな靴が売られていますから、靴底もやわらかくて、靴の側面も柔らかい靴で、小さめではなく大きめの靴を用意して履いていく・・といったことを考えてもいいのではないかと今は思っています。
  もっとも、私がこういったことを考えるようになったのは、浪人生だった時よりも後のことで、浪人生だった時は予備校とはいえ学校であるからにはサンダル履きで来るなんてもってのほかと思っていたのでしたが、YMCA予備校の「主事」と称する人というのは、先に「サンダル履きでYMCA予備校に来てもらいたくない」というのを決めて、後からその理由を、それぞれの「主事」が個々に屁理屈を考えるということをしていたのです。
  「廊下を歩く時に、パッカパッカとうるさいですから」と言うのなら、靴でも底が硬い靴なら歩く時に音がします。私は高校生の頃は女性で化粧する人間というのは「不良」みたいに思っていたのですが、女性でも浪人する人はあり、中には二浪する人だってあるわけですし、いったん勤めてから大学受験をやり直す人だってあるわけですし、そういう人が化粧したとしても「不良」扱いするわけにもいかないでしょう。そういう人にはハイヒールなんて履く人もいるかと思うのですが、ハイヒールの靴というのは歩いた際にはゴムのサンダルよりも音がするくらいではないかとも思えます。男でも、ズック靴・スニーカーなら音はあまりしないでしょうけれども、革靴でそこが硬い靴だとサンダルより音がする可能性はあります。ですから、「サンダルだと廊下を歩いた時にパッカパッカとうるさいですから」というのも、なんか言いがかりみたいな感じがします。
  藤井が「前に、そこの階段で、サンダルを履いてきていた生徒が後ろの所を踏まれて大怪我したことがあって」と話したのは嘘に決まっています。「そこの階段で」なんて言っても、YMCA予備校高槻校はその年の4月に開校したばっかりで、その建物も「そこの階段」もその年の3月にできたばっかりですから、サンダルの後ろを踏まれて怪我した人間なんて出ているわけないのです。嘘つくなら、とりあえず、「そこの階段」がいつできたものか確認してから嘘ついた方がいいでしょう。きっと、藤井も言った後で「しまった。『そこの階段で』というのは言うべきではなかった」と思ったかもしれません・・とも思ったけれども、あの男ならそれも思ってないでしょう。
  それでも、往復については、やっぱり、サンダル履きで往復しないで靴を履いてきてほしいというのはわかります・・が、教室では、むしろ、サンダル履きで足先を締め付けないようにした方が頭脳の働きはよくなるということも可能性としてありうることであり、そう考えてサンダルを教室で履くのなら、それもひとつの考え方ではないかとも思えます。
  藤井はそんなこと考えてないでしょう。まったく考えないで、””都市伝説””を捏造して話しているでしょう。

  「頭寒足熱」というのはけっこう前から言われていたが「エコノミークラス症候群」という言葉が一般に知られるようになるのは、私などがYMCA予備校高槻校に行っていた年よりずっと後になってからのことだが、予備校が学習環境について十分に考えているかどうかという点になると、考えていた所とそうでない所があったと思う。 1980年代、「朝日ジャーナル」に載っていた話だが、東京の予備校、駿台予備校・代々木ゼミナール・河合塾の3つについて、「実績の駿台、講師の代ゼミ、机で選ぶなら河合塾」という言葉があると書かれていたのだが、「実績の駿台」というのは東大合格者数とかで見ると駿台が一番で、「講師の代ゼミ」というのはラジオ講座講師とかそういう有名人の講師が多いのが代ゼミで、「机で選ぶなら河合塾」てそりぁいったい何だ? ・・というと、河合塾の教室の机というのはずいぶんといい机がしつらえられていたそうで、それで「机で選ぶなら河合塾」と半分冗談みたいに書かれていたのだった。私は東京の駿台には行ったことはあっても教室の中に入ったことはないが京都の駿台予備校で模擬試験を受けたことはある。代ゼミは東京の代ゼミで模擬試験を受けたことがあり、大阪市北区の中津のあたりにかつてあった代ゼミと提携していた教文研ゼミナールという予備校で模擬試験を受けたことがある。河合塾の模擬試験は何度も受けたが私立大学とか専門学校とかの貸会場でのもので河合塾の教室で受けたことはないが、今はなくなったらしい河合塾駒場校に行ったことはあり、言われてみると、河合塾駒場校に行った時、ちらっと教室の中が見えたのだが、たしかにいい机が配置されていたように思う。「朝日ジャーナル」の文章、「机で選ぶなら河合塾」というのはジョークとして書かれていたのだが、河合塾としては教室の学習環境を良好なものにすれば、その分だけ成果も出ると考えてのものだったのかもしれない

  この類の話も他にもいっぱいあったが、それも書き連ねると、いくら字数を費やしても書ききれるものではないので、ここではこれで留めることにする。

   サンダル履きの話なんかは、私は「なんだ、こいつは」と思っても、別に何も口に出して言わなかったけれども、一言も口に出して言わなくて、ひとつ、藤井の言うことの不適切な点を指摘したことがある者の顔を見ると、「こいつはいいように思ってないな」と藤井は思い込むようだった。だから、私が心の中で思っても口には出さなかったものでも、藤井の方では私から噛んで含めるように間違いを指摘されたような意識でいたようだ。だから、「きみも人間性に問題があるから大学入試は失敗する」だのと呪いの言葉を浴びせ、そして、「きみのように上司に逆らう者は会社員としてはやっていけないから経済学部には絶対に行ってはいかん」と勝手に私の「上司」になったつもりで言いまくるのだった。
   今から考えてみると、まがりなりにもYMCA予備校にカネ払って行っていた受講生に対して、次から次へとよく言ってくれると思う・・・が、しかし、『毛沢東語録』(河出書房新社)には「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない」と書かれているのだ。「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない。もしも、敵によって称賛されるのであれば、我々の行動は敵と同様に腐敗しているということを意味し、敵によって反対され、卑劣な悪口雑言を浴びせられるのであれば、我々の行動は敵とは一線を画しているということを意味するからであり、それは『大変けっこうだ』と言うべきものである」と、そういうことが書かれているが、たしかにそうだ。「YMCA予備校の『主事』の藤井から種々様々な悪口雑言罵詈讒謗を浴びせられるのであれば、我々の態度はYMCA予備校の藤井のような卑劣な態度とは一線を画しているということを意味しているのであり、『大変けっこうだ』と考え喜ぶべきものである」と考えるべきであろう。 だから、京都大学の文学部に行こうとして浪人したけれども、1浪でも合格できず、2浪の時も京大文学部には落ちて二期校の宮崎医大に合格して行ったという女性にしても、藤井が「文学的素養がないから落ちたんだ」だの「人間性に問題がある人間は落ちるんだ」だのと罵詈讒謗を言いまくっていたことについて、私が予備校生であった時は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」とか言っていたうちの母親も、今ではマインドコントロールが解けたのか、「かわいそうに。どうして、そんなこと言わないといけないの」と言うようになったし、私も、その人が実際にどんな人であるかにかかわらず「なんで、そんなこと言わないといけないの」と今も思うのだが、その人についても「YMCA予備校の『主事』の藤井から、ありとあらゆる悪口雑言罵詈讒謗を浴びせられるというのは、YMCA予備校の藤井とは一線を画しているということであり、むしろ、『大変けっこうだ』と考え喜ぶべきものである」と考えて良いのではないか、と思う。
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
  1980年代、ある外資系の銀行に会社訪問で行った時、会っていただいた人は慶應大学経済学部卒で大学卒業時には三井銀行に就職したが、その後、外資系の銀行から頼まれて「顧問」として来ているという方だったのだが、その際、同じ大学の出身だということでその銀行のことと関係のない話も聞かせてもらったのだが、その方が「考えてみると、私も、会社の為にこれは言わないとと思って口に出して言ったことで、ずいぶんと嫌われもしましたし左遷もされましたよ」と言われたのだ。「友人から、『おまえ、どうせ、たいした給料もらってないのだから、会社の為にと思って嫌われるようなこと言わなくてもいいじゃないか』と言われたことがあったけれども、私はそうは考えなかった。そうではなく『どうせ、たいして高い給料もらっているわけでもないのだから、会社の為を思って《それは違うぞ》と思ったならば、言わせてもらおうではないか』と私はそう考えた」と。「その結果、嫌われもしたし左遷もされましたよ」と。「それでも、やっぱり、私は会社の為を思って『それは違うぞ』と思ったものは言わせてもらおうと考えた」と。それで、一時的に嫌われることもあり左遷されることもあったらしいが、その時、けっこう高齢の方のように思われたが、定年なんかは間違いなく過ぎていたと思われたが、定年後も三井銀行ではいてもらいたいと言われ、他の外資系銀行から「顧問」として来てもらいたいと頼まれるという人だったようだ。藤井みたいに「上司」が「雪は黒い」と言えば「雪は黒いですね」と言うのが会社員だから、「いえ、雪は白いのと違いますか」とか言うようなやつは会社員としては絶対にやっていけないとか、そういうようにはその方は考えられなかったようだった。
  現実に、自分が「雪は黒い」と言った時に「いえ、雪は白いのと違いますか」と言うと怒り出すような上役がいる職場というのはあるし、又、上役が「雪は黒い」と言えば「はい、雪は黒いですね」と言うという態度を取る人間を喜ぶ社長の会社というのもいるし、メカケの言うことばっかりきいて、真面目に努力する従業員を粗末にする社長の会社というのもある。しかし、会社というのはそれでいいのか。そんな人間ばっかりの会社に勤めたいのか? そんな会社が発展するのだろうか。中には「勝ちに不思議の勝ちあり」、同業他社のレベルが低いから一時的に「勝ち組」の方になっている会社もあるだろうけれども、しかし、それがその会社にとって好ましいことではないだろう。そういう「沈む船」みたいな会社に勤めたいのか? 藤井は「私は、前に勤めていた会社でうまくいかなかったから、だから、浪人した人間の気持ちがわかるんだ」などと、前職の勤め先で「うまくいかなかった」、評価されなかったというのを逆に「セールストーク」にしていたが、そんな態度だから前職の勤め先で「うまくいかなかった」のではないのか。
  何より、藤井は「上司」ではないだろうが!!!  藤井はカネもらってる側の人間で、受講生はカネ払ってる側の人間だろうが!!!

  ・・・それで、だ。その「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない」、「YMCA予備校の『主事』の藤井からほめられるのであれば、それは藤井と同様に腐敗していることを意味し、藤井からありとあらゆる卑劣な悪口雑言罵詈讒謗を浴びせられるのであれば、それは藤井とは一線を画しているということを意味し、『大変、けっこうだ』と考え大いに喜ぶべきものである」という藤井からほめられていた男、「その男から悪口雑言を浴びせらるならば、その男と同様には腐敗しておらず、その男とは一線を画していることを意味し『大変けっこうだ』と考えるべきであり、その男から称賛されるならばその男と同様に腐敗していることを意味している・・という男からほめられていた男」というのが、それが小学校・中学校・高校と同じ学校に行き、YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスまで同じクラスになってしまったN口 要というシェイクハンドラケットみたいなぺったんこの顔した男だったのだ。
  「敵からありとあらゆる卑劣な悪口雑言を浴びせられるならば、我々の行動が敵とは一線を画しているということを意味し、敵によって称賛されるならば、敵と同様に腐敗していることを意味する」という見方を頭に入れて ↑ の[1]~[3]などを見て考えた時、その藤井という男から「N口はしっかりしてる」とか何とか称賛されていた男というのはどういう人間か・・と考えると、なるほど・・・と思えてくる。そのあたりについて、今は私はわかっているが、かつては十分にわからずにいたのは愚かだった。

  1990年代前半、(株)一条工務店 に勤めていた時、神奈川県の藤沢展示場の所長だったTさんから「お客さんというのは、一般にかっこいい人間とかっこ悪い人間となら、かっこいい人間の方を評価するものだ。人間は眼鏡がある顔と眼鏡がない顔だと、8割の人は眼鏡がない顔の方がいい顔だけれども、2割は眼鏡がある顔の方がいい顔の人がいる。あなたは絶対に眼鏡がない顔の方がいい顔だから、眼鏡はやめてコンタクトレンズにした方がいい」とアドバイスしてもらったことがあり、その後、コンタクトレンズに私は変えたのだったが、N口 要の場合は私とは逆で、絶対に「眼鏡がある顔」の方がいい顔の男だ。「眼鏡がない顔」だと「本当につくづくシェイクハンドラケットそのもの」であり、眼鏡があると眼鏡によって凹凸ができるので、N口 要は「眼鏡がある顔」の方が絶対にいい。
〔 ・・これ、今からでも本人に言いに行ってあげようかな・・・。言ってあげるのが「親切」というものだろう。わざわざ、訪ねて行った上で言ってやって「感謝せんといかんぞ」と言ってやるべきだろうか・・・。〕
  N口 要のお母さんは ””「うちの子は本当にしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」と、ギャースカぎゃーすかギャースカぎゃーすか言いまくらないとおれない人間シンドローム””で、「もう、ええかげん、うるさいなあ、このおばはんはあ!」とうんざりしていた、「う〇こまみれのザリガニ」で「うんざり」だったのだが、ところが、YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井が、これがまた「野口はしっかりしているなあ、野口は」と言うので、なんだろうなあと思い、「そうは思わないですねえ」と私は言ったのだが、ところが藤井は「いいや。野口はしっかりしている。我々は長年、受験を見てきた専門家として言ってるんだ。野口は絶対にしっかりしている」と言って譲らないので、いったい何なんだろうなあ・・・と思ったものだったが、今から考えてみると、私なんかは正直というのか、馬鹿正直というのかで、↑ で述べた[1]~[3]なんかでも、思ったことを事実を基にして論理的に話をして理解を得ようとしたものだったのだが、ところが、N口という男はそのあたりが違ったのだ。あの男はそういうあたりで「うまく立ち回る」男・「うまくあしらう」男だったようだ。それも、今から考えてみると、あの男は小学生の時からそういう人間だったのだ。 だから、↑ の[1]~[3]にしても、私なら正直にそのまんま話したものでも、N口は「大人ですわあ」とお母さんが言いまくるように、「うまく立ち回る」人間で私みたいに正直に何でも言わなかったようなのだ。
  ・・・しかし、そういうのを「大人やあ」とか、「しっかりしてまんなあ」とか言ってほめるべきものだろうか? そういうのは見習うべきものなのか?  ↑ の[1]~[3]についても、私は駿台・河合塾・代ゼミには本科生としては行かなかったけれども、何らかの機会に話をすることはあり、同じように私は話をしたが、藤井みたいに頑固に見当はずれなことを主張して譲らないという人はいなかった。むしろ、河合塾は東大オープンにしても、河合塾として「追跡調査をすると、前年[A]判定だった人で実際に受けた人は何人で、そのうち通った人は何人、落ちた人は何人。前年[B]判定だった人で実際に受けた人は何人で、そのうち通った人は何人、落ちた人は何人。・・・」というように公表しており、藤井が言う「YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取ったらどこの大学でも絶対に通る。悪い成績だったらどこの大学でも絶対に通らない。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取っているのに落ちる人間というのは、人間性に問題があるから落ちるんだ。人間性が悪いやつは落ちるようになってるんだ」などという主張とは逆のことを公表しており、そうであるからこそ、その資料は信用がおけると判断できた。無茶苦茶言うやつを「うまくあしらう」能力というものも、多少は身に着けた方がいいのかもしれないが、あくまでも「多少は」であって、そんな能力というのは、やっぱり、自慢するものとは違うと思うなあ・・・。むしろ、嫌なやつやなあ・・て感じがする。

  法隆寺宮大工棟梁だった西岡常一さんの本を読むと「どんなにえらい先生が言われることでも、『それは違いまっせ』と思うたら言わにゃいかん」と西岡常一さんは述べている。藤井の説に従うならば、そういう人間というのは「人間性に問題がある」とか「文学的素養がない」とか「会社員としてはやっていけない」とか何とかかんとか悪口雑言罵詈讒謗を浴びせられなければならない人間ということになるらしいが、私の場合は、高校を卒業する頃は大学の研究者になりたいと思っていたので、「雪は黒い」と言われて「まことにそうです。雪は黒いです」と言うようなことではいけない、「雪は黒くありません。雪は白いのと違いますか」と言うべきだと思っていたのだったが、会社員としても、「雪は黒い」と言われたなら「雪は黒いです」と答えるような人間が会社員として好ましいのか? 日本の会社の経営者というのは誰もがそんな人間を望んでいるのか? もっと底辺の方の大学に行く人間ならともかく、京大東大あたりに行こうとする人間がそんなことでいいのか? むしろ、藤井はそんな考えの人間だったから前職の勤務先で「うまくいかなかった」のではないのか。

  ロシア(旧 ソ連)の詩人で音楽家 ブラト=オクジャワの歌に「紙の兵隊」というものがある。
「 ひとりの兵隊が住んでいました。美しく勇ましい、紙の兵隊。
・・・
この世を正しくしたいと思って、彼は進んだ炎に向かって。
すっかり忘れてた、自分が紙だと。
彼は焼かれた、紙の兵隊。後には灰さえ残りはしなかった。」
自分が紙だということをすっかり忘れて炎に向って突き進み、焼かれて灰さえ残らなかった「紙の兵隊」とは、
第二次世界大戦の最中、独ソ戦のさなか、グルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソ連からの離脱(独立)運動をおこない、「人民の敵」として銃殺されたオクジャワの父親のことを念頭に歌われた詩で歌らしい。
「その時代の社会のちょうど真ん中より1メートルだけ右」の位置を常にキープする男というのは、そういう炎に向って突き進むとかいった「愚かな行い」はまずやらないであろう。・・女性にとっては結婚するにはいいかもしれない。少なくとも私なんかと結婚するよりはよっぽどいいだろう。この点については絶対の自信がある。
※ 《YouTube-Paper Soldier (紙の兵隊)- Bulat Okudzhava(ブラト=オクジャーワ) 》https://www.youtube.com/watch?v=cUO-quXA9Ts

   何年か前、日経新聞のスポーツ欄に、今は亡くなった元西鉄ライオンズの豊田泰光氏がコラムに、豊田氏が西鉄ライオンズに入団して思ったのは「一軍の選手というのは、実にうまく手を抜く」という点だと書いていた。豊田氏が西鉄に入団したのは1953年、戦後まだたいして経っていない時期で、コーチなどでも軍隊の影響を受けたような人がいて、匍匐前進とか野球と関係のないことをさせる人とかもいて、そういったコーチの言う通りやって体を傷めてしまう選手もいたらしいが、一軍の選手、一流選手というのは「実にうまく手を抜く」技術を持っていて、監督やコーチがこれをやれと言っても自分が要らないと思ったものは「うまく手を抜く」、その一方で監督やコーチがやれと言わないものでも自分が必要だと思うものは徹底してやる。監督やコーチがやれと言うことはやるがそうでないものはやらないというのが二軍の選手で、監督やコーチがやれと言うものでも必要ないと自分が思うものは「うまく手を抜く」ようにして、監督やコーチがやれと言わないものでも自分が必要だと思ったものは徹底してやるのが一軍の一流選手だということがわかった・・と書いていたのだが、それを見て、学校という所でもそれはあてはまるのではないかと思ったのだ。その豊田氏が書いていたことから考えると、かつての私なんかはその技術が不足していた・・ような気がした。
  その点、N口というやつは母親が「大人ですわあ」と言うように、私なんかよりも、「学校」という所の人間、教諭であれ「主事」であれ、そういった人間を「うまくあしらう」技術を身に着けていたのかもしれない。
  もっとも、本人が身に着けたのか、親が教えたのか、うちの親などはそういった「世間知」がない親で、子供が痛い目にあって身につけた「世間知」を教えても理解しないような親だったが、同級生の親を見るとそうでない親がいて、うちの親とは違うなあと思ったことがあったのだが、そっちかもしれない。
  北野高校の教諭でも、もっと「うまく手を抜く」対応をした方が良かったのではないかと思える人がいる。遠山啓(ひらく)が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、父親というものは家族の中で最も「世間知」がある者で息子に「世間知」を教えてくれる存在であるが、父親のない子供(遠山啓は自分自身のことを言っている)は父親からそれを学ぶことができない・・と書いているのだが、そういう父親もあるのだろうけれども、そうではない父親もある。私なども、よそのお父さんを見て、いいお父さんだなあと思う人はいて、うちの父親というのはなんであんなんなのだろうとも思うことがあったが、よその父親はしょせんはよその父親なのだからしかたがない・・が、遠山啓は父親がなかったというだけあって、父親というものをよそのお父さんでも比較的いいお父さんを見て「父親」というものはそういうものと考えているフシがある。実際の父親というのは、「世間知」を教えてくれるお父さん、外敵から守ってくれるお父さんばかりではない。
  うちの父親は「あのYMCA予備校の藤井というやつは、あいつは受験について何もわかっていないやつで、京大東大文系クラスの担当だとしてえらそうな口をきいているけれども、自分は京大も東大も受けたこともない人間であり、どうかお願いですから、あんなやつの言うことはきかないでほしい」と私が何度言っても、「専門家やがな、専門家。専門家の言うことはきかんといかんがな、専門家」と言ってきかなかったし、「あんなやつ、専門家と違います」と言ってもそれでも「専門家です、専門家。せんもんか、専門家、せんもんか」と言ってどうしようもなかった。普通なら、親が「あんなアホの言うこときくな」と教えるものだが、うちの親は逆だった。これはきつかった。本当にきつかった。遠山啓は、父親のない子は、自分自身で人生を生きて何度も痛い目にあって自分で「世間知」を身に着けるしかないので不利だと書いていたが、父親があっても「世間知」のない父親の場合には何度も痛い目にあって自分で「世間知」を身に着けるしかない。
  今から考えてみると、たしかに、N口は母親が「大人ですわあ」と言うだけあって、「学校」関係者を「うまくあしらう」技術を持っていたのかもしれない。私なんかが正面から正直に説明して理解を得ようとしたような時に、「うまくあしらう」態度をとっていたようにも思う。だから、↑ で述べたようなものについても、私みたいに正面からきっちりと説明すれば、まがりなりにもそれを職業としている人間ならわかるはず、わからないなら、わからない者がそんな仕事につくのが間違っている・・というように考えず、「うまくあしらう」「うまく立ち回る」態度をとっていたのではないか。藤井は「N口はしっかりしてる」とか言って称賛していたが、実は自分がN口に「うまくあしらう」態度を取られていたという点に藤井は気づいていなかった。私なんかも、予備校だけでなく高校の教諭に対しても、もっと「うまくあしらう」技術を身に着けていたならば、高校でももっとうまくいったかもしれないとも思えるし、「なんか、YMCAの高槻の主事て、嫌なやつらしいなあ」という評判が、ぐるっと巡り巡って別の所から耳に入ったりもしていたようなそんな男に惑わされて大学受験において痛い目に合うということもなかったかもしれない。
  「『失敗』と書いて『成長』と読む」と野村じいさんが書いていたが、たしかに、大学受験の際に痛い目に合わされたおかげで学んだものはある・・が、痛い目に合い過ぎた。学んだものがあったとしても代償は大きかった。
  「うまくあしらう」技術というものも、多少は身につけないと生きていけないようなところはあるだろうが・・・、もっとも、それでもやっぱり、N口みたいな人間を見ると、それでもやっぱり、ああいうのは自慢するものかあ?・・・と思うなあ( 一一) ああいうのを「尊敬する」女もいるらしいけれども( 一一)
  又、「一軍の一流選手」が「そんなもの要らない」と判断して「手を抜く」技術を適用しなければならないような、「時としてそういうこともある」ではなく「日常的にそんなものばかり」というそんな予備校というのは予備校としていい予備校ではないのではないか。そんな予備校、要らんのではないか・・⇒だから、YMCA予備校はつぶれた・・ということ・・かな。

  N口は、藤井が何度も何度も言いまくった、京大の文学部に行こうとしたけれども二浪しても京大の文学部には合格できずに二期校の宮崎医大に合格して行ったという女性についても、私なんかは「ひどいことを言うなあ」と義憤にかられたが、N口 要はそうではなく、藤井がそういうことを言いだすとやることというと、ともかく自分が攻撃を受けない位置に1m右に動くか2m右に動くか、逆に1m左に動くかするという、そういうやつだった。それを「うちの子は大人ですわあ」とか「本当にしっかりしてますわわ」とかお母さんは言って自慢するようだったが・・・・、そういうのって、自慢するべきものなのだろうか?・・
  私みたいに「この野郎」とか思って義憤にかられるということもない男であり、もしかすると、女性にとっては「結婚するにはいいかもしれない」・・・が、そういう顔のごとく「ぺったんこ」の男だった。

  お母さんが自分の息子のことを「いいように、いいように思う」ことがあっても、それを口に出して人に言っても、少しくらいならば「母親というものは、そんなもの」とか、「お母さんはしかたがないなあ」と思うところだが、しかし、自分の母親が「うちの子は大人ですわあ」だの「うちの子は本当にしっかりしてますわあ」だの何だのかんだのとラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて四方八方に叫びまくるというのを聞いて、自分でそうだと思い込んでいる息子というのはどうだろうか。 もし、千葉工大とかそこらのアホ大学に行ってる息子ならば、アホ大学に行ってるだけあってなあ、その程度の人間なんだろうなあ・・てところだろうけれども、「1浪したとはいえ、京大に行った人間がなあ~あ」て感じがしないか?
  「1浪したとはいえ、京大に行った」としても、「なんか、あんまり値打ちのない京大やなあ」て感じがしないか?

  2021年の日本シリーズは「まだ、野球やってんのお~お」て感じではあったが、しかし、連日、接戦が続き、面白い試合の連続だった。何より私が注目したのは第二戦の後で落合が言った言葉だ。
「『好投した』というのは勝った試合で言うことだ。負けたからには『好投した』もボロ負けも一緒だ」。
  高校卒業時に落ちたやつのことを「うちの息子は本当にしっかりしてますわあ」「うちの息子は本当に大人ですわあ」だの太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして叫びまくり、又、「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」などと言って「ほんまは通ったんや」みたいに言いたがり〔でも、落ちたんやろ、実際は( 一一) なんだかんだ言っても落ちたんやろ、違うのか?〕、もう、ええかげんうるさいなあ、このおばはんはあ!!!・・・というやつ。 この落合の言葉を一度、考えてみた方が良かったのではないか。なんだかんだ言っても、落ちたんやろうが。

「『好投した』というのは勝った試合で言うことだ。負けたからには『好投した』もボロ負けも一緒だ」。

  ・・・それにしても、本当にうるさいおばはんやった。迷惑なおばはんやった。まったくつくづく、はた迷惑なおばはんやった。
  かつ、このN口という男は、そのギャースカぎゃーすか言いまくらないとおれない母親から「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」とか何とかかんとか言われて、それで言われたことを本気にしていた・・・ということは、「1浪したとはいえ京大に行っても、あんまり賢くない」てことか・・・。賢明な人間なら、自分の母親に「もう、そのくらいにしたら」とか「あんまり、そんなこと、言ってまわらないで」とか、一言くらい言うはずであるが、それを言えない男であるだけでなく、””ぎゃーすか言いまわらないとおれない人間症候群””の母親から「うちの息子は大人ですわあ」「うちの息子は本当にしっかりしてますわあ」だの何だかんだのと言われて本気にして得意がっている男というのは、むしろ、それはその男が精神的に未成熟であるということを表しているのではないか。
・・そういう男は、「何人間」「何シンドローム」「何症候群」と「病名」つけてやるのが適切だろうか・・・。

  (2021.11.29.)

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