21年 大谷本廟【4/4】花噴水。木調縦格子。「着倒れ」京都に行ったら大阪に帰っても食べ物屋がなかった話。事実に反することでも電気ショック療法で認めさせることはできるか。父親はあると常に得するとは限らないという事実がわからないバカ女症候群。

[第558回]
  大谷本廟(西大谷)参拝の4回目。
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↑ 仏殿の右手前、「花噴水」
「 香りは どなたにも どんなときでも 」

《 参拝者からお供えいただいた仏花を、仏殿前の噴水に浮かべています。》( 大谷本廟HP 境内案内 https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/about/guide/ )
※ 大谷本廟HP https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/
 
  本殿の右手前に「本廟会館」があって、中に売店(「開明社」と言うらしい)と喫茶・軽食の店(「喫茶いとう」と言う店らしい)があり、今回、「喫茶いとう」でカレーライス700円を食べてきたのだが、もうちょっと手の込んだ料理はないのか・・と思ったら、別に「お食事 菜の花」という食事が中心の店があるらしい。( 大谷本廟HP 境内案内 https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/about/guide/ ) 次回、行ってみよう。

〔 ↑ 大谷本廟(西大谷) 〕

  大谷本廟の近くの「清水坂」から西本願寺経由で京都駅まで行く京阪バスがあると出ていたのだが、乗場を捜してみたがよくわからなかった。 電車のいい所はバス停と違って駅はこことわかりやすい点だ。 今回も京阪「清水五条」~京阪・JR「東福寺」~JR「京都」駅 ルートで帰ってきた・・が、地図を見ると、京都駅から大谷本廟まで行くのに京阪「清水五条」から大谷本廟まで歩くのなら、京都市地下鉄烏丸線「五条」駅から東に進むと、「清水五条」から大谷本廟までの距離と同じくらいの距離で地下鉄烏丸線「五条」駅から京阪「清水五条」駅まで行くことができるようで、そのルートを通れば、牛若丸と弁慶の像が立っているはずの五条大橋を渡ることもできるだろうし、次回、行く時にはそのルートで行ってみよう。倍歩くことになっても、「京都駅から1駅乗って東福寺で乗り換えて2駅乗る」のと「京都駅から1駅乗って歩く」のとなら、乗換1回と2駅乗るのを省くことができるかわりに歩く距離が倍になるというのは、京都は歩ける街だということを考えると悪くはないかもしれない。

( ↑ マーカーが 京都市地下鉄烏丸線「五条」駅 )

  これまで、五条通りは行きも帰りも道路の北側の歩道を通ってきたが、今回は道路の南側の歩道を通ってみた。
  岐阜県高山市で泊まった ホテル呉竹壮 がこの五条通りの南側にあった。 高山市で宿泊した時の印象は悪くはないのだが、なにせ、本社が(株)一条工務店 発祥の地の浜松市だから、従業員・元従業員に払っておくべき給料をりょろまかして貯めたカネの一部分を「おすそわけ」として行政に渡そうというのを、何ら抵抗を感じることなく受け取った浜松市長の鈴木康友は、どこの大学でとるんじゃい!?!・・と思ったら慶應大学ア法学部卒・・というから、やっぱりなあ・・( 一一) て感じがした。
  労基法違反の札付き企業・何年か前に脱税で国税局から100億円の追徴金を取られた会社・何年か前に安全対策不備により工事現場で人を死なせている会社、おまけに初代社長のドバカ息子で関連会社の社長になっていた男が浜松市在住の女性を刃物で刺し殺して懲役刑になった会社で「男ちゅうもんは何かあったらおのれの腕でやりあって勝負つけるもんなんじゃ」という「梁山泊の精神」というのを主義としている男が「初代社長」の会社から300億円の寄付金を受け取る、そのカネは本来なら従業員・元従業員に払っておくべきカネであるのにそれを行政が横取りする浜松市・・・に本社があるホテル呉竹壮・・というのは、やっぱり利用するわけにはいかんなあ。 「浜松市」という行政機関は「反社会的勢力」と判断せざるをえない。

( ↑ 「ホテル呉竹壮 京都清水五条」。)

  さらに西に進み、鴨川が近くなってきたところで、↓
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( ↑ ホテル アベスト )
↑ 京都の街並みに調和する外観と考えて、この木製調の縦格子・・・。ホテルアベストhttps://www.hotelabest-kyoto.com/ 。 鴨川に近く、祇園とか先斗町(ぽんとちょう)とかそういう場所にも近い、舞妓さんが「おこしやすう」とか言うてる(のかどうかよう知らんけど、言うてもろたことなんてないし、死ぬまで舞妓さんにそんなこと言うてもらうことなんかないやろけど)ような場所の近く・・て高いんじゃないか・・て感じがするが、ホームページを見ると特に高くないみたい。
それで、この木製調の縦格子だが、本物の木なのか、それとも、木目調なのか?
ここは、やっぱり建築探偵団としては「さわっていいものはさわるべし」・・
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↑ 眼を近づけてみても、実際の木か? という感じのものだが、さわってみると金属だった。・・なかなかよくできている。
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↑ こういうところに眼が行くというのは、やっぱり建築屋の職業病か・・・。
実際の木ではないが、なかなかよくできている・・・と思う。

( ↑ ホテル アベスト )
  え? ホテル アスベスト? と聞き間違えそうだが「アスベスト」ではなく「アベスト」・・だが、「アベスト」てどういう意味なのかは、よくわからん。

  そういえば、私が小学校の低学年だった時、うちの父親と母親と一緒に大谷本廟に参り、帰り、どこか1カ所寄って帰ろうということで「国家安康」「君臣豊楽」の鐘で知られる方広寺に行き、さて、昼時になったので食事をしよう・・というと食べ物屋が見つからない。
・・・そんなわけあるかあ!・・と今は思う。そもそも、京都は観光地であり、方広寺というと少し南には京都国立博物館があり三十三間堂がありする所であり、そんな場所に食べ物屋がないなんてことあるわけないだろうが・・と思うのだが、その時は一生懸命探したのだが、食べ物屋がなかったのだ。なぜ、ないのか。「わしは京都の大学に行っておったから京都はよう知っとるんや。『大阪の食いだおれ、京都の着倒れ』と言うて、京都という所は食べ物屋のない街なんや」とうちの父親が言いよるのだった。今から考えると、アホ抜かせ、そんなわけないだろうが。観光地の京都に食べ物屋がないわけないだろうが! 日本で上から何番目かの大都市の京都に食べ物屋がないわけないだろうが! ・・と思うのだが、うちの父親というのはそういうおっさんやった。
  あの時、一生懸命探したのに、なぜ、食べ物屋はなかったのだろうか・・というと、たぶん、ないような場所ばっかり歩かされたのだと思う。ありそうな場所に行かないと、ないのだ。
  そして、「それやったら、大阪まで帰ってから食べよう」ということになったのだが、そうすると、うちの父親がこう言いよった。「あんた、大阪まで帰るのに何に乗りたい?」と。
  それで、「何でもええ」と答えたのだ。大阪と京都の間を走る電車というと、新幹線は別にして、阪急京都線が大阪梅田と京都は四条大宮・四条烏丸・四条河原町、国鉄(現 JR)が大阪駅と京都駅、京阪が大阪では淀屋橋、京都では三条などを結んでいて、大阪側の駅は阪急と国鉄が梅田、京阪が淀屋橋だが、京都側は阪急・国鉄・京阪では阪急「河原町」駅と京阪「四条」(現「祇園四条」)駅が近接している以外は京都でも場所が違うので、「何に乗りたいか」ではなく、京都のどこから乗るのか、京都のどこに行くのかによって便利な電車は異なったのだ。かつ、その頃、住んでいた場所は大阪市内で地下鉄御堂筋線の沿線だったので、大阪駅・梅田駅か淀屋橋駅かどちらについても大阪側の便利さは同じだったのだ。だから、京都でその場所から乗るのに一番便利な電車がいいはずなので、それで「何でもいい」と答えたのだ。《その場所から一番便利な電車なら「何でもいい」》という意味だ。
  ところが、うちの父親は「『何でもいい』ではいかん。何に乗りたいのか言いなさい」と言うので、しかたなしに「阪急」と答えたところ、「は~あんきゅう~う? えらいこと言いよるなあ、こいつは。阪急やなんて、ここからでは逆の方やがな。困ったこと言いよるなあ。あんた、阪急でないとあかんのか」と言うから、「だから、何でもいい」と言うと、「『何でもいい』ではいけません。阪急以外で何に乗りたいのか言いなさい」と言うのだ。それで、「京阪」と答えたのだ。そうすると、「け~いはあ~あん? 京阪ではここからでは遠いでえ。京阪に乗りたいなんて、困ったこと言いよるなあ」と言うのだ。「あんた、京阪でないといかんのか」と言うので、「だから、何でもいい」と言うと、「何でもいいではいかん」とおっさんは言うのだ。「それなら、何ならいいの?」と言うと、おっさんは「そうやな。ここからなら国鉄や」と言うので、「それなら、国鉄」と言うと、「よっしゃ。そしたら、あんたが国鉄に乗りたいと言うから国鉄に乗せてやろう」とおっさんは言って、それで国鉄の快速に乗って大阪駅まで行ったのだ。最初から国鉄に乗ることに決まっていたのなら、何も小学生に「あんた、何に乗りたい?」なんてきく必要はないはずだったが、要するに「あんたが国鉄に乗りたいと言うから、そやから、国鉄に乗せてやってやってやったってんで」ということにするために、そういう言い方をしたのだった。まったく、ちっぽけな野郎だなあ・・・と思う。嫌なことするおっさんやなあ・・と思う。あの男は、いちいちそういうことをやらないと気がすまないという男やった。
  今から考えると、方広寺なら京阪「七条」駅が最寄だが、おそらく、食べ物屋を「ないなあ、ないなあ」と言いながら歩いてJR(その頃の国鉄)京都駅の近くまで歩いてきていたのだと思う。

  いくらなんでも、もしも本当に「京都の着倒れ」と言って京都は食べ物屋がまったくない街であったとしても、それでも京都駅まで来て食べ物屋がないとは考えにくい。いくらなんでも京都駅に食べ物屋がまったくないというのはおかしい。
  しかし、うちの父親はこう言ったのだ。「ここまで来たら、大阪まで行ってから食べよう」と。それで、国鉄の快速にのって大阪駅まで行ったのだ。それまで、阪急京都線の特急・京阪本線の特急には乗ったことがあったが、国鉄の快速に乗るのは初めてだったので、たしかに「国鉄に乗せてやってやってやってやったった」ということに結果としてなったが、それにしても、最初からその時にいる場所なら国鉄と決まっているのなら、言う文句は「あんた、何に乗りたい?」ではなく「ここからなら国鉄が便利だから国鉄に乗って行こう」であるはずだ。

  そして、大阪駅に着いた。大阪駅というと、大阪人の用語では梅田(うめだ)である。大阪で一番の繁華街だし、「大阪の食い倒れ」とおっさんが言う大阪だから食べ物屋がないはずがない。やっと、食べれる・・と思ったら、「心斎橋まで行って食べよう」とおっさんは言うのだ。すでに食事時間は過ぎており、子供がお腹をすかせているのだから、何も心斎橋まで行かなくても梅田で食べる店はあるだろうから、どこでもいいから食堂に入ればいいと思ったのだが、京都の大谷本廟に行った帰りに大阪の心斎橋の大丸に寄りたかったらしく、「心斎橋まで行ってから食べよう」とおっさんは言うのだった。
  たとえ、「京都の着倒れ」と言って京都は食べ物屋がない街であったとしても、大阪まで帰ってきたのだから、それも大阪でも梅田まで来たのだから、すでに食事時間は過ぎて子供がお腹がすいたと言って苦しんでいるのに、何も心斎橋まで行かなくても梅田で食べるべきだろうと思うのだが、地下鉄御堂筋線で心斎橋まで行ったのだ。心斎橋での行先は大丸なので、大丸には食堂が間違いなくあるから心斎橋駅を出てすぐの場所の大丸の食堂で食事させてもらえると思って心斎橋まで我慢した。
  ところが、地下鉄御堂筋線で心斎橋駅に着いて改札口を出ても、今度は食堂があるはずの大丸に入らないで心斎橋筋を歩き出す。小学生の子供は必死で食べ物屋を捜して「あ、そこに食堂ある」と言うと、うちの父親は「あかん! あんな店」と否定する。さらに目を皿のようにして見まわして「あ、そこに食べ物屋がある」と言っても「あんな店、あかん!」と言う。うちの父親の気に入る店というのはな~かなかない! これは「京都の着倒れ、大阪の食い倒れ」で「大阪には食べ物屋が多い」としても、うちの父親の気に入る店はな~かなかないのだ。ほんと、へとへとになって、苦しみにあえぎながら必死で捜して「あ、そこにある」と言っても言っても「あか~ん! そんな店は」と言って、いい店はどこにもない。・・最後、心斎橋筋をずいぶんと長くあるいて、不二家に入ったのだが、午後3時半を過ぎていたと思う。結局、うちの父親がお腹がすいていなかったということだ。だから、長々と歩かされたのだった。
〔 だいたい、「京都の着倒れ、大阪の食い倒れ」という話からしておかしい。京都の人間が「食」に関心がないのかというとそうではなくて、『味いちもんめ』という板前を扱った漫画では、日本料理の古典としての「京料理」を学びに東京の板前が京都に来たりしている。そういう「京料理」の店というのはどこぞの社長とか医者屋とか悪いやつが入る店だろうけれども、そういう店でなくても、京都は観光地であり、清水寺とか三十三間堂とかいった観光地の近くに食べ物屋がないというのはおかしい。観光で来る人以外でも、京都は日本では何番目かの大都市であってへき地ではないのであり、ビジネスで来る人だってある街であり、食べ物屋がないのはおかしい。おっさんは「ないなあ、ないなあ」と言って意図的に食堂なんかないような場所を歩き回らせたとしか考えられない。又、京都駅まで行っても食べ物屋がないわけがなく、子供が必死で食べ物屋を捜しているのに京都駅まで行ったら「大阪駅まで行ってから」と言い、大阪駅まで行ったら「心斎橋まで行ってから」と言い、心斎橋まで行ったら心斎橋の目的地は大丸だったのに心斎橋駅の目の前の大丸の食堂で食事せずに「心斎橋筋で食べよ」と言って心斎橋筋に行き、心斎橋筋でもまた眼の前に食べ物屋があっても「あんな店、あかん」と言って「ないなあ、ないなあ」と言って歩き回らせるというのはおかしい。「京都の着倒れ、大阪の食い倒れ」と言っても、京都の人間が1回食事する間に大阪の人間が3回食事するわけではない。京都の人間も大阪の人間も食事する回数は同じだ。むしろ、関西では大阪は働きに行く所で、京都は観光に行く所みたいな面があるから、京都の方がよそから来る人間に対応しているようなところもある。「大阪の食い倒れ」と言っても会社の接待とかで連れて行くような店があるという話で、そんな店が大阪にあっても私らには関係ない。普段の食事に『銭の花』の「南地楼」みたいな店で食事するわけでもなく、通常の食堂は京都も大阪も同じのはずだ。〕
  私が親ならば、たとえ自分がお腹がすいていなかったとしても、子供と一緒の時には子供の状態を考えて、子供がお腹がすいているならば自分がすいていなくても、どこか食堂に入って食事させるものだ・・が、うちの父親の場合はそうではなく「わしが良かったらええねんで」という考え・信念があったのだ。「お父さんはえらい人」という条件を曲げるということだけは絶対にしてはならない、「わしが中心やねん」という考えだった。だから、その「わし」がお腹がすいてなければ嫁も子供もその「わし」に合わせるのが当たり前やろうが・・という考えだったのだ。私が親ならそうはしないし、子供の体調を考えるのが親の務めだと思うのだが、うちのおっさんはそうではなかった。又、母親もまた、「子供は大人とは体が違うから、子供がお腹がすいているなら親がお腹がすいていなくても食べさせてやるべきでしょ」と言えないといけないし、言えないような夫婦を夫婦とは言わない・・と思うが、うちの両親というのは結婚した時から父が他界する時まで一貫して「家庭内離婚」みたいな夫婦で、母は「夫に逆らえない女」だったから、うちの父親が自分がお腹がすいていなければ午後4時近くまで「食べ物屋ないなあ。食べ物屋ないなあ」と実際には目の前にあっても「あかん、あんな店」と言いまくって歩き回らせるということをしても、「それは、子供には酷でしょ」とは言えない女だったのだ。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子〔女。1970年代後半当時、20代。北野高校⇒神戸大文学部卒〕が「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と両親が離婚したということ・父親がいなかったということを自慢しまくるのだったが、「両親が離婚した」というのは、それは自慢することとは違うと思うのだ。それ以上に、父親というものがいかなる場合においてもいた方がいいとは限らないという事実を理解できないようなバカ女症候群は高校の教諭にならない方がいいと思う。うちの母親は、自分が小学生以下だった時の私と二人で出かけた時には自分の状態をもとに食事をとるのではなく子供の体調を考えて食事をとるようにしていた。ところが、父親と3人で出かけると「おっさんファースト」になるのだった。おっさんがお腹がすいていなければ「食べもん屋、ないなあ、ないなあ」と実際にはあってもカマトト言って歩きまわらせて、小学校3年の子供に午後4時近くまで空腹をかかえて歩き回らせるということを父親の意志に従ってやる女だったのだ。そうはいっても、そのおっさんが毎月もらってくる給料で生活させてもらって成人したのだから、その点では感謝もするべきだろうし、そのおっさんがいたからそのおっさんの給料もあったのであり、父親がいなかったらそのおっさんの給料もなかったということになるのだろうけれども、しかし、父親がいなかったなら「食べもん屋、ないなあ、ないなあ」と実際には眼の前に何軒もあっても「あかん、あんな店」と言って、結局、どこも「いい」ということにならないと最初から決まっていたのだが、そうやって午後4時近くまで空腹をかかえて子供に歩き回らせる・・ということはされなかったのだ。旧姓作野礼子は「私は父親がいなかったから」と、だから父親がいる生徒というのは自分よりも恵まれていて、自分よりも甘ったれていて、自分は父親がいる生徒よりもえらいのだと主張するのだったが、違うと思うぞ。父親がいない旧姓作野礼子は、父親から「食べもん屋ないなあ、ないなあ」と眼の前にあるのに言われて午後4時近くまで歩き回らされるなんて経験はしていないと思うぞ!
  京阪「清水五条」駅から大谷本廟までなら、大人にとって「歩くのにちょうどいい距離」だが、大谷本廟から京都駅までならさすがに大人にとっても少々距離があるが、それを小学校3年の時に「食べもん屋んないなあ、食べもん屋ないなあ」とカマトト言われながら、わざわざ食べもん屋なんかなさそうな所を選んで歩くみたいにして小学校3年生の時だったと思うのだが大谷本廟から京都駅まで歩かされたが、うちの父親は「あんたはこのわしのことを『普通のお父さん』やと思っておるかもしれんけれども、実はそうではなくてわしは『特別にえらいえらいえらいというお父さん』やってんで。世の中には『ダメ父』もおれば『カス親』もおるのに対してわしは『えらいえらいえらいえらいお父さん』やねん。あんた、恵まれてるねえ~え」と言うのだったが、私としては「『特別にえらいえらいえらいというお父さん』よりも『普通のお父さん』の方がええなあ~あ」とずっと思ってきた。よそのお父さんがどうかというと、人それぞれだっただろうけれども、自分が腹へってないからといって子供に大谷本廟から京都駅まで歩かせるお父さんとそうでないお父さんならそうでないお父さんの方が多かったと思う。「普通のお父さん」なら、もしも私が父親の立場なら、自分を「特別にえらいお父さん」と思うかというと別にそんなこと思わないけれども、たとえ、大人なら歩いてみようと思う距離でも子供にとってはきついだろうと思うものを歩かせたりしないし、自分が腹へってなかったら「食べもん屋、ないなあ」などと実際はあるのにカマトトやって京都駅まで歩かせた上で、さすがに京都駅付近なら食べもん屋の1軒くらいあったはずだが、京都駅についても「大阪駅まで行ってから」⇒「心斎橋まで行ってから」⇒「心斎橋筋で」とか言って先延ばしにして午後4時近くまで歩き回らせるなんて、そんなことはしない。・・というより、あんまり、あんなことする人ないと思うがなあ~あ・・まあ、「世の中いろいろ、人間いろいろ」で、もっとひどい親も中にはあるかもしれんけれども( 一一)
  父親がいなかった旧姓作野礼子は京都から大阪まで行くのに、実際には国鉄の快速に乗って京都駅から大阪駅まで行くと決まっているのに、「あんた、何に乗りたいか言いなさい」と言われて「何でもいい」と言っているのに、「何でもいいではあかん。何に乗りたいのかいいなさい」と言われ、「阪急」と答えたら「は~んきゅう~う。阪急に乗りたいやなんて難儀なこと言いよるなあ。困ったやっちゃなあ。ここからでは阪急では完全に逆の方向やがな」と言われ、「だから、何でもいいって」と言っても「阪急以外で何に乗りたいか言いなさい」と言われ、「だから、何でもいい」と言っても「何でもいいではいかん。何に乗りたいのか言わんといかん」と言われて、「そしたら、京阪」と言うと、「け~いはあ~ん! 京阪ではここからでは遠いがな。困ったこと言うやっちゃなあ、ほんまに」と言われ、「そしたら何ならいいの?」と言うと、「ここからなら国鉄や」とおっさんが言うので、「そしたら、国鉄」と言うと、「よっしゃ。そしたら、あんたが国鉄に乗りたいと言うから国鉄に乗せてやってやろう」などと言われる・・・というそんなあほくさい経験なんてしていないはずだ。父親というものはいるからややこしい場合もあるし、何より、いるから食事させてもらえずに午後4時近くまで「食べもん屋ないなあ、ないなあ」などとカマトト言われて歩き回らされる・・なんて経験させられるという面もあるのだ。「両親が離婚して父親がいなかった」という旧姓作野礼子は父親からそういう経験をしたことがないのだろう。そんな女は、たとえ高校の教諭になるにしても、"”「両親が離婚した」「父親がいない」ちょっと性格いがんでる系女子””専門の教諭になるべきで、父親がいる息子の担任なんてやらないでほしいと思う。迷惑だ。

   ↑ の大谷本廟に行っての帰りに「京都の着倒れ」とかあほくさいこと言いよったのは私が小学校3年の時だったように思う。1960年代なかば、私が小学校1年の時、6歳の時には、父親の会社の社員旅行で小豆島に行った時に私と下の姉とが一緒に行かせてもらったことがあった。「一緒に行かせてもらった」と言っても費用を会社の人に出してもらったのではなく、一緒に行ったけれども、費用はきっちりと出して行ったのだ。その際だが、母は下の姉にうちの父親と姉と私用に一般的な水筒にお茶を入れて持たせて、子供は喉がかわいたらかわいそうだということで私に別に鉄腕アトムの絵が描かれた子供用の小さな水筒を私専用に持たせたのだった。大阪市の弁天埠頭から小豆島に行くフェリーボートに乗ると、会社の人たちは誰も水筒を持ってきていなかった。会社の人というのは大人だから、水筒を持たなくても喉が渇いた時にはどこかで飲み物を買って飲めばいい、その方が荷物が少なくてすむと考えたようだった。ところが、うちの下の姉は会社の人が誰もが水筒を持ってきていないことから、自分たち用に持ってきていた水筒のお茶を会社の人に順番に「お茶、どうぞ」と言って分けてまわってしまったのだ。それで、会社の人たちは、この人たちは自分たちのために水筒にお茶を入れて持ってきている・・というように理解してしまった。人に物を分けるのも、相手がどう受け取っているか見ながらにしないといけない。そうでないと、親切で分けてあげて、それが逆効果になる。戦国大名の話が好きなおっさん用のお話に「豊臣を滅ぼしたのは大坂にあらずして関ケ原、関ケ原にあらずして小牧長久手」という言葉あがるでしょう。豊臣家が滅びたのは直接には大坂冬・夏の陣だが、その前に関ケ原の戦いで西軍が敗れたということがあり、さらにその前、小牧長久手の戦いで数では優位な豊臣軍が徳川軍に勝てなかった・・というのが豊臣家が滅びた原因だというのだ。個人の行動にもそういうものはある。
  2泊3日の旅行の帰り、小豆島で宿泊した旅館で下の姉が「それじゃあ、水筒の旅館でお茶を入れてもらっていこう」と有言実行しようとしたのだが、何も口に出して言わなくても黙ってやればいいことなのだが下の姉は口に出したところ、会社のある男性社員が「お茶なんか要らん。お茶は入れてもらわんでええ」などと言うのだった。なんで、この人がそんなことを言うのか? と思った。姉はうちの父親と姉と私のために水筒にお茶を入れてもらうのであり、その男性は関係ないはずだったのに、なぜ、そんな余計な口出しをするのか? これは行きの船の中で姉が会社の人たちに「お茶、どうぞ」と言ってお茶を分けてまわったのが災いしている。行きの船で「お茶、どうぞ」と言ってお茶をもらった人は「どうも、すいません」と思ったのならよかったのだが、そうではなく、このひとたちは自分たちのためにお茶を水筒に入れて持ってきていると理解してしまったのだ。だから、「お茶なんか、要らん」「お茶なんか入れてもらわんでええ」などとその男性社員は姉に言ったのだった。そう言われた時点で、「この人は勘違いしている」ということを姉は理解しないといけない。そこで、むっとするのがまともな反応のはずだ・・が、姉はそうではなく「ええ、お茶要りませんかあ」などと抜け作かましたのだ。そんなことを言うから、だから、「要らん」と「命令」されて、そして、姉は「それじゃあ、〇〇ちゃんのアトムの水筒にだけ入れてもらっていこう」などと、またもや「有言実行」しようとしたのだ。姉はあくまでもうちの父親と姉と私のために水筒を持って行っていたのであり、会社の人はお茶が要るのなら自分で水筒を持参するべきもので、水筒を持っていくよりも喉が渇いたら買って飲む方が荷物を少なくできていいと判断して持たなかったのだから、そういう人は飲み物が必要なら買って飲めば良かったのであり、姉はそういう人から「お茶みたいなもん、要らん。入れてもらわんでええ」などと命令される筋合いはないし、その男性社員はそういう命令をするのはおかしいのだった。又、うちの父親は自分の部下がそういうおかしなことを言っているということは見ていないといけないはずだが、それを見ないのがうちの父親だった。・・アホや!
  そして、帰りの船の中で、ある女性社員が私に「お茶、ちょうだい」と言ってきた。その人は2泊3日の旅行の2泊目の夜に花火をやるのに一緒に遊んでくれた人だったので、子供としては仲間のお姉さんからお茶を分けてほしいと言われたなら、分けてあげたいと思って、1杯分けてあげたのだ。しかし、子供の方は分けてあげたいと思ってお茶を分けるのはいいが、大人はそういうものをもらってはいけない。子供の方から「これ、あげる」と言われても大人はそのままもらってはいけないし、ましてや、大人の方から子供が持っているものを「それ、ちょうだい」などと言うのはもってのほかである。うちの父親の勤め先は化粧品会社でそのおねえさんは美容部員さんだった。美容部員というのは地方の高校を卒業して大阪に出てきて美容部員をやっているという人が多く、その高校も言っちゃ悪いがそれぞれの地域では「下の方の高校」だった。父が他界後、1990年代、家族としても親しくしていた方が家に電話されてきたことがあって、母に「御家族の方、皆さん、元気にしてられますかあ」と言われ、母が「息子は今は福島県のいわき市にいます」と話したところ、「いわき ですかあ。懐かしいですねえ。行きましたわあ」と言われ、「いわき に何しに行かれたんですか」と母がきくと、「美容部員さんの募集ですよ。なかなか来てもらえませんでなあ」と話されたらしい。「Y倉高校とかN高校とか行きました」・・と言われたのだが、申し訳ないけれども、「Y倉高校とかN高校とか」て、いわき市では「最底辺」と言われる高校2つじゃないか。だから、地方の高校卒でも、行っちゃなんだが、磐城高校みたいにその地域では「しょーもない大学」卒よりも磐城高校卒の方が評価は上みたいな高校卒の人ではなくその地方の高校の中で「下の方」の高校卒の人が来ていたのだ。小学校1年の子供からするとずいぶん年上のお姉さんに見えたけれども、地方の底辺の方の高校を卒業して大阪に出てきて2年かそこら勤めたような二十歳くらいのお姉ちゃんだったのだ。だから、そういう人には上役は教えてあげないといけない。子供が持っているものを「それ、ちょうだい」なんて言ってはいけません・・と。それこそ、東大でも出てきたような人間なら新卒入社の人間でも、「それまで泳いだこともないような人間の身体をつかんでプールの中に投げ込んで『それ、泳げえ』と言う」ような使い方でも、それでも無理無理でも泳ぎよるかもしれん。しかし、そういう人ではないのだ。地方の底辺の高校出てきたばかりの人なのだ。会社の上役は教えないといけない。特に美容部員さんというのはどういう職種かというと営業のはずだ。特に営業の職種の人間が子供が持っているものを「それ、ちょうだい」などとは言ってはいけないのだ。上役の子供が持っている物を「それ、ちょうだい」と言う女は、次にはお客さんの子供が持っているものを「それ、ちょうだい」と言いだす可能性がある。だから、会社の上役は「◇◇さん、子供が持っているものは取り上げないでもらえないか」と、きっちりと言わないといけない。きっちりと指導してあげるのがその人のためだ。それができないのでは上役と言うに値しない。・・で、うちの父親の勤め先でその美容部員さんのお姉さんの上役て誰だったのか・・というと、うちの父親だったのだ。あかんわ、あのおっさんでは・・( 一一)
   で、そのお姉さんに1口、分けてあげると、それをうちの父親が見て「ちょっと、それ、貸してんかあ」と言って何をやったかというと、子供が持っている小さな水筒から「配給です、配給です♪ お茶の配給です♪」と言ってちゃらけて、会社の人たちに「欲しい」と言っていない人にまでお茶を入れてまわり、又、入れられた人間も「私はけっこうです」とは誰も言わずにそれを飲んだのだ。そして、子供が「のどか湧いた。お茶欲しい」と言って時には1杯分も1滴も残っていなかったのだ。いったい、私は何のために水筒を肩からぶらさげて持っていったのか。あんなことする父親なんて、あんまりないと思うがなあ~あ・・と思うが、統計的手法を用いて厳密にあるかないか調査してわけではないが、多くはないと思うがうちの家にはそういう父親がいたのだ。
  そして、うちの父親は私に「売店に行ってジュースこうたろ」と言い、船の売店に行ったのだが、船の売店は閉まっていた。「弁天埠頭についたらこうたる」とうちの父親が言うので弁天埠頭まで我慢することにしたが、弁天埠頭に船が着くと「バスきてる、バスきてる。弁天町の駅についたら、こうたる」と言い、そして、弁天町駅にバスがつくと「弁天町の駅のプラットホームでこうたる」と言い、国鉄(現 JR)の大阪環状線「弁天町」駅のプラットホームに行くと「電車きた、電車きた。天王寺の駅についたらこうたる」と言うのだった。大阪環状線というのは「国電」と言われた都市圏路線であり、「電車きた、電車きた」と言わなくてもしょっちゅう電車は来るのだ。1時間に1本しかない地方路線なら「電車きた、電車きた」というのもわからないこともないが、3分おきくらいに来る電車は来てあたりまえなのだ。そして、天王寺の駅に着くと「電車きてる、電車きてる。南田辺の駅についたらこうたる」と言うのだった。最近ではJR阪和線は天王寺駅始発は各停だけで、快速は京橋か大阪駅発で、特急は京都駅か新大阪駅始発になっているが、その頃は阪和線の天王寺駅は各停も快速・区間快速も紀勢線直通の急行「きのくに」も特急「くろしお」もすべての電車・気動車が天王寺駅始発のターミナル駅で、「電車きてる」なんて言わなくても、天王寺駅にはいつでも電車はきていたのだ。いつでも電車はきていたけれども、ターミナル駅だから着いてから発車するまでけっこう長かったのだ。だから、乗ってからもなかなか出発しない。だから私は「まだ、出ないから。まだ、出ないから」と訴えたのだが、うちの父親は「もうでる。もうでる」と言ってきかない。私はジュースを買ってほしいと言ったのではないのだ。喉がかわいたからお茶でも水でもいいから飲みたいと言っていたのだ。そして、その頃の鉄道の駅の便所の水というのは、今と違って上水道が出ていて、飲める水だったのだ。なんでも、天王寺駅だけは昔も今も井戸水だというがけっこうきれいな水らしい。ともかく、お茶でも水でもいいから飲みたいと子供が訴えても訴えても断固として飲ませてなるものかという態度をうちの父親はとるのだった。長く待った末、阪和線の各停はやっと出発して2駅目の南田辺駅に到着した。もう、ここからは家までは歩くだけだから、もう「バスきてる」も「電車きてる」もない・・と思いきや、おっさんはこう言ったのだった。「もうすぐ、家です。もうすぐ、家!」と。そして、結局、小豆島から弁天埠頭までのフェリーボートの中から「売店でジュースこうたる」⇒「弁天埠頭についたらこうたる」⇒「弁天町の駅でこうたる」⇒「弁天町の駅のプラットホームでこうたる」⇒「天王寺の駅でこうたる」⇒「南田辺の駅でこうたる」⇒「もうすぐ、家です! もうすぐ、家!!!」 と騙されて、喉の渇きに苦しみ続けたのだった。
  その頃は、夏場は水分を採るとばてるから水分はあまり採らないようにした方がいいと言われていたが、いつからか正反対のことを言うようになり、「脱水症状を起こすから、水分補給をまめにしましょう」なんて最近では言うようになったが、今の基準でもその頃の基準でも、どう考えても児童虐待だと思う。うちの父親はそういうおっさんだった。1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのが最大の自慢で、自分は父親がいなかったから、だから父親がある人よりも「苦労人」でえらいのだと言いたい女だったが、父親というものは常にあった方がいいというものではなく、もしも、父親がいなかったなら私は小豆島から弁天埠頭までのフェリーボートの中から「売店でジュースこうたる」⇒「弁天埠頭についたらこうたる」⇒「弁天町の駅でこうたる」⇒「弁天町の駅のプラットホームでこうたる」⇒「天王寺の駅でこうたる」⇒「南田辺の駅でこうたる」⇒「もうすぐ、家です! もうすぐ、家!!!」なんてことをされることはなかったはずだ。旧姓作野礼子は曲がりなりにも学校の教諭という職業に就くのなら父親というものは常にいた方がいいとは限らないという事実くらいは理解できていないといけないはずであるし、「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」理解できないようなバカ女は高校の教諭にはならないでもらいたいものだ。実際、あの女に高校2年の時に担任を持たれたのは災難やった!!!

  1960年代後半、小学校4年の時、母が「夏休みにみんなでどこかに行ったらどうやろ」と言い出し、それをうちの父親は聞いて私に「あんた、どこに行きたい?」ときき、私は小学校の4年の「国語」の教科書に「思い出深かった広島」という題名の「紀行文」(小学生が書いたということにして掲載されていた大人が書いたであろう文章)を読んだ後だったので「広島」と言うと、うちの父親が「広島みたいなもん、見るとこ、あれへん」と言うのだった。どうも、うちの父親の頭には「見るとこ」というものが、あらかじめいくつかインプットされていて、「見るとこ」と指定されている所とそうでない所というのがあるらしかった。結局、1泊2日で行きに宮島に行き、山口県の湯田温泉で宿泊して、2日目に秋吉台・秋芳洞に行って、広島の平和祈念公園に寄って帰ることになった。なんで、広島・宮島に行くのに山口県まで泊まりに行かないといけないのか。「山口まで泊まりにいかなくても、もっと近くい泊まる所あるのじゃないの」と私は言ったのだが、「あれへんねん。湯田温泉まで行かんと」とおっさんは言うのだった。どうも、おっさんが湯田温泉に泊まりたかったらしい。それならそう言えばよさそうなものだが、自分がこうしたいからとは言わず、常に「あんたのために・・したってんで」ということにしないとおれないシンドロームのおっさんやった。又、母が「夏休みに家族みんなでどこかに行ったらどうやろ」と言ったのだったが、いつのまにか、うちの父親が私と2人で行く話に変わっていて、要するに、おっさんとしては、家族みんなで山口県の湯田温泉まで往復するカネが惜しかったのだ。それならそれで、もっと近場、温泉地でも有馬温泉とかにすれば家族みんなで行けたのではないかと思うのだが、おっさんとしては家族で旅行したいとは別に思わなかったようだ。
  広島から帰る時だが、広島駅のプラットホームの売店の店頭に「週刊文春」で「第二次世界大戦時の日本海軍の軍艦配置図」という特集号が販売されていて、うちの父親は私に「あんた、これ、見たないか」と言うので、私は「見たい」と言ったところ、「よっしゃ。そしたら、こうたろ」と言って購入した。「あんた、これ、見たないか」と言って私に「見たい」と言わせて買ったのだから、買ったなら私に渡してくれるものだと思ったらそうではなく、「電車に乗ってから」と言い、そして、特急「みどり」だったかに乗車すると、うちの父親はよその親とは違って自分が窓側の席に座り、そして、窓側の席で、今、売店で買った「週刊文春」「第二次世界大戦時の日本海軍の軍艦配置図」を読みだしたのだ。私に「あんた、これ、欲しないか。見たないかあ」と言って「欲しい」と言わせた上で購入して、いったん買ったら自分が見る・・という手法。こんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・とその時は思ったのだが、うちの父親がいつもやる手口だった。
  又、宮島・湯田温泉・秋吉台・秋芳洞・広島平和祈念公園と行ったこの1泊2日の旅行では、周囲で見かけた親と子供とで旅行している人というのは、うち以外の親子は父親でも母親でも誰もが子供に窓側の席に座らせて親子で一緒に窓から外を見ていたのだが、うちだけは違った。うちだけは、うちの父親はいつでも常に断固として自分が窓側の席に座ろうとして、子供に通路側に座らせて、そして、窓側の席で週刊誌を読むのだった。週刊誌を読むのなら通路側でもいいでしょうが。週刊誌を読むのなら私に窓側に座らせてよ・・・と思ったのだが、断固として自分が窓側の席に座ろうとするのだった。
  ・・なんで、そんなことするのかなあ・・と何十年間と不思議に思っていたのだが、内田康夫『湯布院殺人事件』を読んでわかった。フルムーン旅行に出かける年配の夫婦に「どちらが窓側に座りますか」と問いかけるという場面があり、窓側の席が「上座」だという考え方をする人があるらしいということを知ったのだ。わかった。あのおっさんは断固として自分が「上座」に座ろうとしていたのだ。だから、子供に通路側の席に座らせて、自分は窓側の席に座って週刊誌を読んだのだ。おねーちゃんの裸の写真が載っている週刊誌を。
湯布院殺人事件 (光文社文庫) - 内田 康夫
湯布院殺人事件 (光文社文庫) - 内田 康夫
  それでも、1泊2日の旅行に連れてもらったのだから、行かないよりも良かったか? これは何とも言えない。もう一度、あの時に戻れるならば、「行きたくない」と言うと思う。行きたくないもの。
  しかし、あんな旅行なら行かない方がいいという面と、それでもやっぱり、旅行に行けたという面と両方の面があっただろう。 これはうちの母親も同じことを思ったようだ。私が20歳を過ぎて東京にいた時、「世界に冠たるドイツ」が好きなおっさんがドイツに旅行に行くのに母は最初は一緒に行ったらしいのだが、そのうち、あほくさくなって行くのをやめたら、おっさんは一人で行くようになったらしい。母は「よその奥さんにおべんちゃらしよるのでみっともない」と言い、一緒に行きたくないと思うようになったというのだが、小学校4年の時の私も、ともかくも旅行に連れていってもらったという点でうれしかった面がなかったわけではないが、同時に、あんまりこの人と一緒に行きたくないという気持も持った。旅行でなくても、20歳過ぎてから、一緒に食べ物屋に入ると、「ちょっとお」と中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)↓に出てくる、こういうことをする人がオヤジだということをやるし、
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
「慶應タイプ」だけあって、片方で「高級料亭」とかいうのにはもったいつけて入りたがるが、そんな所で食いたくもないのに「連れていってやるがな」とあまりにもしつこく言うのでいやいや言くと「連れて行ってやってやってやってやったった」と恩着せまくるが、片方で大衆食堂に入れない人間で、日吉の街で普通の食堂でも「そこ、入りましょ」と言うと、「やめようや、そんな店」「やめようや」と言って入れないし( 一一)  この人とは、あんまり、一緒に出歩きたくない・・と思うようになった。
  うちの母親も、ドイツに一緒に旅行に行っても、ツアーのよその奥さんにおべんちゃらしよってからにみっともないから一緒に行きたくないと思うようになったというが、父親の方は「連れて行ってやってやってやってやったった」と私にいつも言うように恩着せたようで、恩着せられてまで行きたくないからと行くのをやめたところ、一人で行くようになったらしく、おそらく、一人で行って「いちびり」やっとったのではないか・・という感じがする。
  しかし、父親というものがあるとこういう経験をするのだ。よその父親でうちの父親のような態度ではない人もいるだろうし、うちの父親のような父親ではない父親の方が多いと思うが、しかし、父親というものは常にあった方がいいというものではない・・ということくらいは高校の教諭なら理解するべきだし、理解できないようなバカ女症候群はそのビョーキを治してからでなければ高校の教諭にはならないでもらいたいものだ。そんな女に担任を持たれる生徒は迷惑だ。災難だ。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格した時はうれしかったが、卒業して10年以上経って冷静に考えてみると、どう考えてもいい学校ではなかった。それならどこに行くと良かったかというと、どこが良かったかはよくわからないし、学校というものはどこに行っても絶対にいいという所はないかもしれないが、特に、2年の時にバカ女症候群に担任を持たれたのは災難やった。
ー・ー・ー・ー・ー
 つみびとの歌
  阿部六郎に
わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙く(はやく)、手を入れられた悲しさよ!

由来わが血の大方は、
頭にのぼり、煮え返り、滾り(たぎり)泡立つ。
・・・
〔 中原中也「山羊の歌」より。(『中原中也詩集』河上徹太郎編  1968. 角川文庫 ほか)〕
中原中也全詩集 (角川ソフィア文庫) - 中原 中也
中原中也全詩集 (角川ソフィア文庫) - 中原 中也
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中原中也は父親とのつきあい方に苦労したようで、それをこの「つみびとの歌」に詠んだのであり、「下手な植木師ら」というのは主として父親のことだが「ら」と複数形になっているところを見ると父親だけではなく他にも該当する人がいたのだろう。国語科の教諭というのは、旧姓作野礼子のようにこういったことをまったく考える頭というより感性がない人間がなるのではなく、こういった中原中也のような感性のある人間がなった方がいい職業で、旧姓作野礼子のような無神経で独善的でそれを自慢にしている人というのは、たとえ高校か中学校の教諭になるにしても国語科ではなく他の科目の教諭になった方がいいと思う。旧姓作野礼子はどう考えても国語科の教諭には適性がなく向いていない。

  うちの母親は「親には息子に対しては所有権という権利があるんやからなあ」と言っていた。うちの父親も同様に考えていた。旧姓作野礼子は「私は父親がいなかったから」とそれだけ自分は恵まれていなかったから父親がいた生徒および卒業生に対して優位な態度に出る権利があると認識していたのだが、それは違うと思うぞ。「父親がいなかった」ということは、自分に対して「所有権」を主張する者が2人ではなく1人だということだ。自分に対して「所有権」を主張する者が1人であるのと2人であるのとでは1人の方がまだいいのではないか。うちの父親は「あんたが結婚する時には結婚相手はわしが決めたるわあ」と言っていた。決められてたまるか!・・と思ったのだが、下の姉は「そんなもの、あの人になんかあんたの結婚相手みたいなもの、捜してくる力があるわけないでしょうが」などとチンプンカンプンなことを言っていたが、うちの父親は息子に結婚相手を捜してくるなどとは一言も言っていないし、そんな気持ちなんかまったくない。そうではなく「あんたの結婚相手はわしとM川先生(うちの父親の親友の医者屋)と2人で決めたるから、わしとM川先生のお気にいるような女をとりあえず10人ほど連れてこ~い。そしてら、わしとM川先生というエッライえっらいエッライえっらい特別に特別にえらいえらい聖人がその中から選んで『こいつにせえ!』と決めたるわあ。もしも、その中にええのんがなかったら『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたら、また別に10人ほど連れてこ~い。その中でまた見たるわあ。その中にもまたええのんがなかったら、また『みんな、あか~ん』言うたるから、また10人ほど連れてこ~い」と、そう言うておったのだ。「つきあう前に連れてこいよ。まかり間違ってのぼせあがって甘ったれてつきおうてから連れてきたらいかんぞ」と言うのだった。「要りませんけど」と言ったのだが、「ええかげんにせえよ。このチャンコロろすけっ! おまえはチャンコロでわしとM川先生はドイツ人やねんぞ! わかっとんのかチャンコロ!!! チャンコロの分際でドイツ人のわしやM川先生と同じ民族やなんぞとのぼせあがったらいかんぞ。甘ったれるなよ、チャンコロ! 民族の違いを忘れるでないぞ、チャンコロ! わしは慶應の階級でM川先生は医者の階級のお方やねんぞ。特にM川先生は神様やねんぞ。それに対しておまえは『天の神さま』というお方から産まれてくる時点で『この人間は浪商』と決められて産まれてきた人間やねんぞ。わかっとんのか、浪商! わしは天高(天王寺高校)で慶應やねんぞ〔実際に卒業した高校は明星高校で、実際に行った大学は同志社やけど〕。おまえは浪商やねんぞ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商やねんぞ。わっとんのか、浪商。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級やねんぞ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! わしはドイツ人の民族で慶應の階級、M川先生はドイツ人の民族で医者の階級。M川先生は医者やねんぞ。医者というのは普通の人間よりもえらい階級の人間やねんぞ。わかっとんのか、浪商、このチャンコロ! ろすけ! イタコ! ドイツ人で医者の階級という普通の人間よりもえらいお方であるM川先生と百戦錬磨・沈着冷静・海千山千でスーパーマンのこのわしがおまえの結婚相手を決めてあげてやってやってやってやろうと言うてやっておるんやぞ。『ありがとうございます』と言わんか、チャンコロ、ろすけっ! 『感謝します』と言いなさい」と言うのだった。「感謝しますから要りません、『ありがとうございます』と言いますからけっこうです」と言ったのだ。だいたい、つきあって、結婚しましょうということになったなら、男は女の親に会いに行くべきだろうし、女も男の親に会いに行くべきだろうけれども、「つきあう前にわしとM川先生の所に連れてこ~い」なんて言われても、つきあう前に「ちょっと、うちのおっさんとおうてくれへ~ん」なんて言っても誰か会いに行くかあ? 「なんでやの~ん」てなるのとちゃうかあ?  それに「わしとM川先生のお気に召す女を10人ほど用意せえ」と言うのなら、それでもし「10人ほど用意」したとして、その女は何も私の嫁にしなくても「わし」かM川先生のメカケにすればいいだろうが! ・・と思うのだ。そう思いませんか?
  うちの下の姉が「あんたは、結婚相手はやっぱり4大でてる子でないと嫌やろうから」と言ったことがあったので「そんなことないよお」と言ったのだが、「いや、あんたは4大でてる子でないと嫌やから」と言うので、私が「そんなことない」と言っているのに「あんたは4大でてる子でないと嫌やから」と決めつけるのなら、それなら最初からきかなきゃいいのに・・と思った。
  「別に、高卒でもかまわないけれども、それよりも慶應の内部進学というのは、あれだけは首をもがれても絶対にお断りしたいな。あれだけは、ずええ~ったいにイヤっ! 首をもがれても絶対にイヤっ!!! 天地がひっくり返っても嫌。電気ショックされようともロボトミーされようとも絶対に嫌!!!」と言ったのだ。うちの父親にも「別にどこの学校でてないとだめとかいうのはないけれども、慶應の内部進学というのは、あれだけは絶対に嫌やな、あれだけは、どうしても!」と言ったところ、うちの父親が「なんでやねん。ええやないか。ものごっついええでえ」と言うので、はあん、このおっさん、そういう世界観、そういう人間観の人間やったんやなあ( 一一) と思った。 「い~やあで~すう! 絶対に嫌です。首をもがれても絶対に嫌です。電気ショックされてもロボトミーされても絶対に嫌です」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、何を! 甘ったれるな! ええかげんにせんかあ! このわしが『ええ』と言うとるんやぞ、ほかでもないこのわしがあ! んが! んが! んがぁ!!! おまえが決めることとは違うねんぞ。のぼせあがるのもたいがいにせえよ、このチャンコロめが、このろすけ、このイタコ、この浪商!!! おまえがええかどうかで決めることとは違うねんぞ。わしとM川先生がええと思うたらええねんぞ。おまえが決めることとは違うねんぞ、おまえが決めることとは。のぼせあがるのもたいがいにせんか! 甘ったれるなあ!!!」と言うのだった。・・・まあ、「慶應の内部進学」なんてのは公立高校出身の人間というのを ””ドジン”” と思うておる人間どもで、自分たちを植民地の白人支配者みたいに思っていて自分たちが””ドジン””と考えている私みたいな「公立族」と結婚することはまずないし、そもそも、「慶應義塾カースト」では内部進学から見ると大学だけ行った「外部の者」「外部の連中」というのは自分たちよりもカーストが下であり、特に私みたいな小学校:公立、中学校:公立、高校:公立、大学は国立大学に行くつもりだったのが何を間違えたのか慶應大に行ってしまったというような人間というのは「慶應義塾カースト」の最底辺の人間、いわば「不可触賤民」みたいなもの、内部進学からすると「えた・非人」みたいな存在、お恵み・慈愛によってもうちょっと上の階級の扱いにしてあげるにしてもせいぜい下男かそこらの存在であり、そんなもの、慶應の内部進学女が「慶應義塾カースト」で自分よりも下のカーストの男と結婚するわけないだろうが!!!  もしくは「揺り籠から墓場まで慶應」という人が御三家で内部進学が親藩・譜代だとして、大学だけ慶應の人間でも「私立大学系私立高校」卒の者は藤堂高虎とか仙台の伊達・加賀の前田など関ケ原の戦いで徳川方についた外様、それ以外の私立高校卒は長州の毛利・薩摩の島津など関ケ原の戦いで西軍についたものの存続を許された外様で、それに対して私みたいに小学校:公立・中学校:公立・高校:公立・大学は国立大学に行く予定だったのが間違って慶應大に行かされてしまったという人間で、親戚を探しても東大・京大・阪大卒の人はいても慶應大卒の人間なんかいないという人間(実はよく探してみたらいないこともなかったみたいだけども)というのは、これはもう外様も外様、筋金入りの外様、近江佐和山の石田三成か信州上田の真田幸村(信繁)かというくらいの外様であり、御三家か親藩か、さもなくば徳川四天王、本多・井伊・酒井・榊原なんてのが石田三成と結婚するわけないだろうが!!! ・・てもので、どこかでまかり間違ってかそんな話が出てきたとしても「向こうが断ってくれる」から、その点は心配ない・・とは思った。
  ともかく、「わしとM川先生とであんたの結婚相手は決めたるから、わしとM川先生のお気に召すような女をとりあえず10人ほど用意して連れてこ~い」とか言うおっさんがいたら、うらやましいか? ほしかったらあげるで、そういうのが欲しかったら。それから、「M川先生は神さまやぞ。わかっとんのか。医者というのは普通の人間よりもエライ階級の人間やねんぞ。医者というのはな、人間の顔をパッとひと目見ただけで、その人間の思っていることを読み取る能力があるねんぞ。特にM川先生は名医なもんやから、ぱっと人の顔を見ただけでその人間の将来を予測する能力があるんやぞ。わかっとんのか。よもや、医者というものを普通の人間やなんぞと思うてはおらんやろうなあ。医者というのは超能力者やねんぞ。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは能力も人格も違うねんぞ。おまえとは身分が違うねんぞ。M川先生は医者の身分でおまえとは身分が違うねんぞ。一緒の身分やなんぞと思うたらいかんぞ、一緒の身分やなんぞとは。わかっとんのか、チャンコロ、浪商! 浪商でチャンコロのくせしおってからに医者のM川先生と対等やなんぞとはまかりまちがっても思うてはならんぞ。M川先生は神さまやぞ。神さまに逆らってはならんぞ、チャンコロ!」と言うのだった・・が、そのM川先生てやつ〔 うちの父親の親友の医者屋。男。1980年頃当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。「患者」を薬漬けにして稼いだカネでドバカ息子を私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢にしていたが自分自身も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでないとしても「かわいいキンタマ」(崎医大+知医大+沢医大+埼医大)あたりではないか。〕、ひとの結婚相手を「その相手と結婚していいかどうか決めたる。何しろ、このわしは特別にえらい特別に謙虚な人間なもんじゃから、結婚相手はこのわしのようなえらいエライ人間に決めてもらうのが何より幸せちゅうもんなんじゃあ」と言うのだが、なんか文鮮民みたいやなあ・・と思った。
統一教会のまちがいについて ― 原理福音・勝共運動 - 森山 諭
統一教会のまちがいについて ― 原理福音・勝共運動 - 森山 諭
「M川先生は、パッとおまえの顔を見ただけでおまえが考えていることを読み取る能力があるんやぞ」と言うので、「やめてください。読み取らんといてください」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、何を。感謝しろお! このチャンコロお!!!」と言うのだった。「感謝しますから、読み取らんといてくださいよ、気持ちの悪い」と言ったのだが。そもそも、「パッと人の顔を見ただけでその人間の将来を予測する能力がある」とかいうのは、もし、そういう能力の人がいたとしても、それはユリゲラーとか冝保愛子とか麻原彰晃とか大川隆法とかそういう人の能力であって医者の能力とは違うのではないのか・・医者は関係ないやんけ・・・・。そういう「父親」がいるのがうらやましいのなら、旧姓作野礼子にあげるでえ・・と思ったのだが、旧姓作野礼子はえらそうな口きくばっかりでもらってくれなかった。そういうおっさんをくくりつけられた息子に、高校の教諭なら、それも担任の教諭なら少しくらい助けの手を差し伸べてくれてもいいのではないか・・なんて思ったことがあったが、期待してはいけない相手に期待してしまったのは愚かだった。

  小学校の5年の時、「1970年のこ~んにいちいわあ~あ♪」という大阪万博が開催され、これが小学校5年生には魅力的で、私は6回行ったが、クラスの生徒では12回行ったなんてやつもいて、そいつは全館制覇したらしかった。
  最後、6回目は家族で行ったのだが、うちの父親と母親と下の姉と私と4人で行ったが、最終日は混むのではないかと考えて最終日の1週間前の土曜日に行ったところ、その日が大阪万博の最も入場者数が多い日だった。
  その時点では阪急宝塚線の沿線に住んでいたので、万博に行く時には阪急千里線に十三(じゅうそう)で乗り換えて「万博西口」で降りて行くことが多かったが、今から考えてみると、梅田もしくは南方(みなみかた)で大阪市地下鉄御堂筋線に乗り換えて、御堂筋線と直通の北大阪急行線で「万博中央口」まで行った方が速かったのではないかという気がしないでもない。阪急でも千里線は各停しかないし、千里線は曲がっていて遅いのだ。それに対して北大阪急行は直線で各停しかなくても駅の数が阪急千里線などより少ないから、そちらの方が速かったかもしれない。
   その際だが、うちの父親は私に「どうすればいいか、考えてくれ」と子供に言うのだ。子供といっても小学校5年になっていたから、ある程度以上、考えることはできる。しかし、しょせん、子供の考えることだ。そろそろ、帰ろうと考えた時、万博会場の東の方にいた。モノレールが万博会場を一周していたが、モノレールは反時計回りだったので、西口まで行くいは遠いことから、「歩く歩道」で中央口まで行き、中央口からタクシーに乗ろうと考えた。ところが、中央口を出た所のタクシー乗り場にはもんのすごい列ができていて、逆にタクシーはほとんど来ない。いったい、どれだけ待ったことか。
  その時も、私が父親であったなら、父親として子供と嫁を守るために、どうすればいいか考える。ところが、うちのおっさんはそういうことはまったく考えない。たとえ、大人は耐えられたとしても子供にはきついのではないか・・とかそういう思考は完全に欠落している。
  方法としては、モノレールは逆回りだとしても、それでも「歩く歩道」よりも「モノレール」の方が速かっただろうからモノレールで西口まで行って阪急千里線に乗って帰るか、タクシーに乗るにしても阪急千里線から1駅逆方向に乗って「北千里」で降りて北千里から乗るか。北大阪急行「千里中央」駅からは電車は次々と出ていたのだから、北大阪急行に乗って帰るか、北大阪急行に乗って「千里中央」駅まで行って千里中央駅からタクシーに乗るか。もしくは、タクシー乗り場で待つのではなく、タクシー会社に電話をしてタクシーを呼んでタクシー乗り場と別の場所で乗るか。父親なら何か考えていいのではないか。
  もしくは、そういう時こそ、知り合いでマイカーを持っている人で比較的近くに住んでいる人の所に電話を入れて、「◇◇さん、誠に申し訳ない。今、万博中央口にいるんだけど、タクシー乗り場の列がものすごくてどうもならないんだ。誠に申し訳ないけれども助けてくれないか。クルマで家まででなくても近くの駅まででいいから乗せてもらえないか」と言ってみたらどうか・・と思うのだが。 ところが、うちの父親というのは、普段は人にえらそうにするくせに、えらそうにして「クルマというものは前に乗るものではなくて、後ろに乗るものなんや」とか言いよる男で、言われた者としては親切で乗せてあげたのに、前に乗って自分でクルマを運転する者というのはカイショ無しみたいに言われたら「降りろよ、こん畜生!」という気持になる。母の弟(叔父)が「乗せてやってもええけども、タクシーとちゃうでえ」と言ったというのだが、それは、うちの父親がクルマに乗せてもらっておきながらタクシーに乗ったみたいな態度を取ったか、あるいは親切で乗せてもらっておきながら乗せてくれた相手に向って「クルマちゅうもんは後ろに乗るもんであって前に乗るもんとは違うねん」とかえらそうに言いよったかではないか・・と思う。乗せてもらっておいてそういう口をきくのはおかしい。そして、乗せてもらう時にはそういうえらそうな口をきくくせしてからに、いざ、万博中央口のタクシー乗り場でどもこもならん・・となると、そういう時に「申し訳ない。クルマで迎えに来てもらえないかあ。助けてくれえ」と言うということができない。そういう時になると、1ミリでも頭を下げることができない男( 一一)
  そういうおっさんやった( 一一)
  たしか、あの時、「タクシーに乗って帰ろう」と言ったのはうちの父親だったと思う。うちの父親が一緒にいなかったら電車で帰ったと思う。「タクシーで帰ろう」と言い出しても、そのタクシーが乗りたい人間ばっかり大量に並んでいてタクシーの方がちっとも来ないとなると、それならどうしようか・・と考えるのが父親ではないのか、特にまだ小学生の子供が一緒にいるのだから、子供は大人と一緒というわけにはいかないから何とかしないとと考えるのが父親というものではないのか・・と思うのだが、うちのおっさんはそういう父親ではなかった。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言いまくり、””父親がいる生徒というのはよっぽどいついかなる時も得しまくっているみたいに言わないとおれないシンドローム”” だったが、あのバカ女は現実の父親というものを知らないのではないか。 数学者で教育論者の遠山 啓(ひらく)は両親は離婚したわけではなく、遠山啓が産まれた時点では父親は生きていたが、朝鮮にいて日本に帰ってくることになったが遠山啓と会う前に死んでしまったので父親がない子のように育ったそうだが『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、「父親というものは家族を外敵から守ってくれる存在である」とか「父親というものは家族の中でもっとも世間知を持っている存在である」とか「父親は息子に世間知というものを教えてくれる存在である」とか寝言を書き連ねているのだが、遠山啓は父親がない息子だっただけに、父親というものを現実をかけはなれたおとぎ話の登場人物みたいに思っているようだった。そういう父親も世の中にはあるのかもしれないけれども、うちの父親なんか、そんな存在ではない。外敵から守ってくれる父親もいるかもしれないが、外敵を引っ張り込んでくる父親もいる。「世間知」なんて子供より持ってない父親もいる。おとぎ話はいいかげんにしてもらいたい。寝言だ、寝言! 遠山啓は父親がなかったことから、よそのお父さんでも比較的いいお父さんを見て、父親というものはそういうものだと思うようになったのではないか。私だってよそのお父さんを見て、いいお父さんあなあと思う人はいたし、あんなお父さんだったらいいのになあと思うこともあったが、うちの父親はそんな父親ではなかった。
  又、遠藤周作がどこでだったか忘れたが、父親にとって息子とはどういうものかというと、自分の分身であり、ライバルであっていずれは自分を越えていく存在であり、自分の後継者であり、自分ができなかったことをさせたい相手であるといったことを書いていた。「週刊ポスト」だったか「週刊現代」だかに載っていた話では大王製紙の2代目は北野高校から東大を受けたが合格できず慶應大に行ったが息子にはなんとしても東大に行かせたいと思い、息子は筑波大付属駒場高校から東大に行った・・がカジノでしょーもないことしよった( 一一) ・・ということだったらしいが、私が大学を受ける頃、周りの人間を見ていても、お父さんが東大や京大を出ている人、もしくは東大や京大に行きたいと思ったけれども行けずに慶應大・早稲田大あたりに行った人の息子というのはうらやましいと思ったものだった。父親というものはそういうものだろうと私も子供の頃は思っていたのだが、うちの父親はそういう父親ではなかった。うちの母親がうちの父親が自分を「女中さん以下の扱いにする」と言って怒っていたが、「女中さん以下」というのは女中さんはあまり無茶苦茶な扱いにしたら辞めて帰ってしまうが嫁はどんなに無茶苦茶な扱いにしても辞めないから嫁を「女中さん以下」の扱いにすると言っていたが息子はそれ以下だった。うちの父親にとては息子というのは「成人したなら給料払わなくても自分で働きに行って給料もらってくる会社の部下」であり、実際の会社の部下は無茶苦茶したら辞めるか、自分よりさらに上役に「配属を変えてください」と言いよる可能性もあり、自分より出世して自分より上の役職につきよる可能性もあるが、息子は成人したら給料払わなくていいし、どんなに無茶苦茶しても辞めない、息子はその父親の「会社の部下」を辞めたいと思っても辞められないし、配属を変えてほしいと言うこともできない。息子は嫁と違って父親と離婚することもできない。会社ならその上役よりも上の役職につくということも可能性としてないこともないかもしれないが、息子は父親の父親になれない。 遠藤周作にとって息子はライバルでありいずれ自分を越えて行く存在かもしれないが、うちの父親にとっては息子はライバルではなくエネミーであり、息子を必死で攻撃してやっつけてよその息子に「ええかっこしい」やる。よその息子に「ええかっこしい」やって「わしぁ、聖人やね~ん」と言う。大王製紙の2代目は東大に行きたいと思ったが合格できず慶應大に行き、息子には何としても東大に行かせたいと思ったというが、うちの父親はそうではなく息子に自分より上の大学に行かせたくない・自分より上の大学に行かれたらおもろないという意識が強烈にあった。運動競技のコーチでも、コーチとしては自分が指導する選手には現役時代の自分よりも上の成績を残してもらいたいと思うものではないか、父親は息子には何であれ自分よりも上の成果を残してもらいたいと思うものではないかと、私は子供の頃は思い込んでいたが、そういう父親もあるだろうけれどもうちの父親は違った。息子が自分より上の学校に行くということが精神的に耐えられないという男だった。そんなおっさんでも、そのおっさんの給料で食べさせてもらって成人したのだから、その点は感謝もするべきだろうけれども、片方で息子を「給料払わなくていい会社の部下」と考える男で、息子を「ライバルではなくエネミー」と考えて攻撃して””よその息子に「ええかっこしい」やって「わしぁ聖人やね~ん」というのをやらないとおれない症候群 ”” のおっさんだったのも間違いない。
  旧姓作野礼子は父親というものをものすごいいいものみたいに決めつけて、だから、あんたは私よりも得してきたでしょ! という態度を取りまくったのだったが、私は旧姓作野礼子にあんな態度を取られる筋合いはない! あいつのおかげで迷惑した。さかのぼれば離婚した旧姓作野礼子の両親のおかげで迷惑した。  

  中学校2年の初めに上の姉が結婚した。我が家は大阪の家だったが、上の姉は東京都在住で千葉県に住むという人と結婚した。「なんで、東京の人とお見合いさせたの?」と最近になって私は母に言ったのだが、母は「他に相手がなかってん」と言うがそれはおかしい。
  私より少し年下で母方のまたイトコだかハトコだかでドイツ人と結婚した娘がいたが、子供の頃から知っている娘がドイツに行ってしまったというのは悲しい気もするけれども、それはドイツに音楽の勉強に行っていたら向こうでドイツ人と仲良くなって結婚したいということになったらしく、そういうことなら、ー申し訳ないが奨励はしないがーしかたがない・・と思う。しかし、お見合いをするのなら、何も大阪の女性が東京の男性とお見合いしなくてもいいのではないのか。特に、我が家は母方の先祖はどっちの先祖をたどっても近畿地方出身だが父方は鹿児島県出身で、大阪在住といっても先祖は大阪よりも西の方の家だ。大阪府でなくても、京都府・奈良県・和歌山県・兵庫県・滋賀県あたりなら許容するとして、何もわざわざ、東京の人と、それも先祖は岩手県出身だという東京の人とお見合いしなくても良さそうなものだ。もしも、恋愛でこの人と結婚したい~いと娘が言うのなら、ドイツ人と結婚すると言われてもだめだと言うのはかわいそうだろう・・とは思うが、お見合いするのに、何も大阪の家の娘で先祖は大阪より西の家の者が東京の男性で先祖は岩手県なんて人と思いしなくてもいいのではないか。
  母は「他に話がなかってん」と言うがそれはおかしい。世の中には独身の男性はおり、独身の女性もいる。ないのは「縁」である。何人もの妻を持った一夫多妻のオオクニヌシを祀る出雲大社に恋愛成就を願う男女が参拝するのはおかしいと言う人がいるが、オオクニヌシは何人もの妻を持ったというくらい「縁」がある神さんであり、縁を分けてもらおうということで参拝する。
  姉が結婚する前、化粧品会社に勤めていたうちの父親は勤め先で大阪大学の薬学部だったか何学部だったかの先生と一緒に研究会だかを持ってつきあいがあったはずで、その先生にでも「先生、先生の研究室の方ででもいい方、おられませんでしょうか」と話してみたらどうだったのか。あるいは、勤め先の2代目社長はその頃はまだうちの父親よりも役職は下で、東大経済学部を卒業して銀行に勤めた後に親の会社に入社したという頃だったと思うが、「若さん」に「あんたの友達で誰かええ人、おらんか」と声かけてみたらどうだったのか。又、その頃、会社の社屋を竹中工務店で建て替えたということで、我が家にも竹中工務店の担当者が家まで来て一緒に食事をしたりしていたのだが、その人にでも、「お宅の会社でええ人、おられませんか」とでも言ってみたらどうだったのか・・・と思うのだが、なにしろ、1ミリでも頭を下げるのは絶対に嫌! というおっさん。 そんなん、頭さげるうちに入らんだろうが・・と思われることもできない。そういうおっさんやった。それでいて、福岡県の某町に工場を作るということで行った際に、町長だったか町会議員だったかのおっさんから「うちの娘も▽▽さんと同じ〇市の寮におりますねん」とか言われたらしく、たぶん、「▽▽さんが同じ市に住んでられるとは頼もしいですわあ」とか言われよったのではないかと思うのだが・・、私は知らんかったのだが最近になってから姉から聞いた話だが、よその娘が入っているという女子寮に訪ねていきよったというのだ。・・アホか( 一一)
  女子寮て、男は行ったらあかんねんでえ~え。そんなこともわからんとは( 一一)  私は今までからこの人のことを「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった。内田康夫『黄金の石橋』でも、浅見光彦が「旅と歴史」編集長の藤田の知り合いの娘が鹿児島の短大に行っていて女子寮に入っているのだが、親が心配していて、かつ、親が娘に渡したい物があるから、浅見ちゃん、それを持って訪ねてあげて・・・と頼まれ、「はあ? なんで、ぼくなんですか?」と言う場面があった。他のことならともかく、会ったこともない娘に大学だか短大だかの女子寮に訪ねて行ってくれなんて言われても・・いやです!
  普通、そう思わないか。女子寮てのは男で行っていいのは父親か最大で兄弟まで。兄弟だって、女の兄弟が男子寮に訪ねるなら歓迎されるかもしれんが、男の兄弟が女子寮なんて行っても、どう考えても居心地がいい所ではないと思うのだ。それを親でも兄弟でもないのに訪ねて行きよった・・て( 一一) 私は今までからこの人のことを「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった( 一一)
  たぶん・・だが「▽▽さんが同じ市に住んでられるとは頼もしいですわあ」とかお上手言われたのではないか・・と思う。そう言われたなら、普通は・・というか私なら「いえいえ、何のお役にも立ちませんで」くらい言っておしまい・・かな。もしも、たまたま、その娘とどこかで顔を合わすようなことでもあれば「こんにちわ」くらい言ってもいいだろうけれども、女子寮まで訪ねていきよるとは・・そこまでアホとは思わんかった( 一一)
  ””「よその娘の力になりたがるくせしておのれの娘のためには何もしよれへん」というおっさん症候群”” という男というのは、実は時々いるわけだ( 一一) ・・が、ようやると思う。よその娘のめんどうみたろなんて考える頭があるのなら、もうちょっと自分の娘のめんどうみたらどないやねん!!! ・・と思うのだが、自分の娘のめんどう見るよりもよその娘のめんどう見る方が楽しい? ・・みたいて感じのおっさんシンドローム・・てのがいるのだ( 一一)  こういうアホは治そうと思っても、蚊取り線香を粉にして蕎麦にふりかけて食わせるか、通天閣から突き落とすかするしかないのではないか・・と思う。アホや!!!
  そりぁ、女子寮に男が行っちゃいかんとはわかっているものの、その女子寮にいるおねーちゃんに魅力を感じたという10代かせいぜい20代前半くらいのにーちゃんが、なんとか恋を成就させたいと思って訪ねていく・・というのならまだわからんこともない。しかし、アラフィフのおっさんが何やってんねん・・・と思うのだが、「わしい~いみたいなエッライえっらいエッライえっらい人間に訪ねてもろうたら、うれしいやろ」・・とか、きっと思っておったんだと思う。 この男は天より高くアホ、地の底より深くアホだ。
  ・・で、そういうことはやっても、自分の娘のために、「そうや。あの人にちょっと話してみようか」とか考えるアタマはないし、ましてや気持ちもない。だから、「お見合い」の話も母がひとりで捜していたのだが、母もまた、世間知がないおっさんの嫁だから、あんまり世間知がない。だから、そういった「縁」を取り持っているらしいおばさんに「お願い」する際に「男性ならどんな人でもいいですから」とか言いよったのではないか。そういう言い方をすると、言われた方では「どんな人でもいい」ような相手を紹介することになる。「大阪府の人でなくても、せいぜい京都府・奈良県・兵庫県・和歌山県くらいの人でないと」と言っておけばそういう相手を紹介されるところを「どんな人でもいいですから」なんてことを言ってしまうと、遠方の人を紹介される場合が出てくる。たとえ、嫁に結婚相手を捜させるにしても、ダンナはもしも「世間知」があるならば、そのあたりを教えないといけない・・・が、なにしろ、うちの父親というのは世間知がないおっさんだったから、どのくらい世間知がないかというと、町長だか町会議員だかのおっさんから「うちの娘も▽▽さんと同じ〇市の寮に入って大阪で勤めてますねん。▽▽さんが同じ市に住んでられるとは心強いですわあ」とかなんかそんな御上手を言われたのではないかと思うのだが、「いえいえ、何のお役にも立てませんで」くれい言っておけばいいものを、心の底から本気にして女子寮に訪ねていくようなそんなことまでするくらいに「世間知」がないおっさんやったもんやから( 一一) ・・・何のアドバイスもしないし、アドバイスなんかする能力なんかあるわけなかった。
  それで、結局、父方の先祖は鹿児島県で大阪府の家の娘である姉は、父方の先祖は岩手県で母方の先祖は群馬県で東京に在住で千葉県に住む予定の男性と結婚した。今では孫までできているから今さらいいだ悪いだ言ってもしかたがないが、恋愛でこの人と結婚したい~いと言うのなら、少々遠方の人でもだめだと言うのはかわいそうだろうけれども、お見合いするのに、何もわざわざ、大阪の人間が東京の人間とお見合いすることないだろうが。うちの母が「野球はどこのファンですか?」ときいたら「もちろん、巨人ですよ」とか言われたと言っていたように、先祖代々アンチ巨人の我が家の娘が巨人ファンとお見合いすることないだろうが・・とも思う。
  その結婚式の時、東京駅から近いホテルで結婚式をあげたのだが、前日に行き、中学校2年だった私に東京でどこか1カ所行こうと言うので、私は隅田川下りの船に乗りたいと言ったのだ。今では宇宙船みたいなぺったんこですごい装備の船が隅田川を走っているが、その頃はそうではなく、単なるボート、舟べりのすぐ向こうには隅田川の水がある舟で、浅草から浜松町、浜離宮の横のあたりまでうちの父親と乗った。その後、浜松町の貿易センタービルの展望室に行き、貿易センタービルの中の中華料理店で食事をした・・のだが。
  貿易センタービルに入っている店だから、「日本に来たばっかりの中国人がやってる店」とかではない。ところが、メニューを見ても知っている名前がない。「何を食べたいか言いなさい」とうちの父親が言うのだが、「何のことかわからない」のだ。それで、「あんたが食べたいものを言えばいい」と言うので「ギョウザ」と言うと「ギョウザみたいなもん、こんな店にあるかあ」と言うのだ。「それなら、シュウマイ」と言うと、「アホか、おまえは。シュウマイみたいなもん、こんな店にあるわけないだろうが」と言うのだ。「そしたら、焼き飯」と言うと、「焼き飯なんかあるわけないだろうが。アホかおまえは」と言うのだ。「そしたら、ラーメン」と言っても「何を言うとるんじゃ。ラーメンみたいなもん、あるわけないだろうが」と言うのだ。ついに、中華料理で知ってる名称は尽きた。
  結局、何かわけわからんものを注文したが、あんまりおいしくないし、それにひりひりして舌が気持ち悪い。「お茶を欲しい」と言うと、店員が持ってきたのは日本茶ではなく、ウーロン茶でもなく、プアール茶でもなく、ジャスミン茶でもなく、なんだかわけのわからん気色の悪い変な味と匂いがする液体でお茶ではない。「日本のお茶が欲しい」と言うと、「アホぬかせ。そんなもの、言えるか」とうちの父親が言うのだ。「日本のお茶がほしい」と言ってもないらしいので、「それなら、水がほしい。ひりひりして喉が痛い。水が欲しい」と言っても「アホ言うな。水みたいなもん、あるわけないだろうが」と言うのだ。そして「これを飲め。これがお茶や」と言って、気色の悪い気持ちの悪い変な味と変な匂いがする液体を飲めと言うのだが、そんなもの飲んだら余計に喉と舌とがひりひりする。「ちょっと、トイレに行って水を飲んでくる」と言うと、「あかん! そんなことしたらあかん!」と言うのだ。「そんなこと言われても、喉と舌とがひりひりして痛いんや」と言っても、「あかん! トイレの水みたいなもん飲んだら」と言うので、「トイレの水を飲んだらいかんのなら、日本の普通のお茶、麦茶でも緑茶でもほうじ茶でもいいから日本のお茶が飲みたい」と言うと、「何を言うとるんじゃ、おまえはあ。これを飲まんか、これをお!」と言って気色の悪い変な味と変な匂いがする液体を無理矢理飲まそうとする。それで「もう、いいわ。もう、要らない」と言うと、「な~にを言うとるんじゃ、こいつはあ。せっかく高級料理を加えてやってやろうとしておるのにからに、なんちゅうことを言うんじゃ。食わんかあ!」と言うのだが、本当に苦しい。喉と舌とがひりひりヒリヒリして痛い。ああいうのを「高級中華料理」と言うのなら「高級中華料理」というのは絶対に喉と舌とに良くないと思う。・・その後、20代の時に神田神保町の餃子専門店の「スヰートポーヅ」に行ったところ、そこに書いてあったのは餃子というものは中国では、うちの父親が言うような「安物の料理」ではなく逆に「特別の日のごちそう」だそうだった。そのへんのことを理解せずに、「高級料理」と称している下と喉がヒリヒリする気色の悪い料理をありがたがっていたおっさんというのは、たぶん、その権威主義的パーソナリティーにつけこまれて変な物を食わされていたのではないのか・・という気がする。
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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  私が父親ならば、店員に「すいませんが、水をもらえませんか」と言わせてもらう。だめだと言われても、実際問題として喉と舌がヒリヒリしてそのままでは食べれたものではないのだから。水くらいくれと言って何が悪いか。「あんたは本格中華料理を知らんのか」とでも言いよるのなら言ってやる。「知りまへんなあ」と。日本にある店なんだから、店員は中華料理について詳しかったとしても客の側がよくわかっていないなんてことはあることであり、よくわかっていない客に来られたくないのなら、最初からそういうように看板でも掲げるか、さもなくば日本で店を開くなちゅうんじゃい! ・・というより、あんなまずい料理のどこが「本格中華料理」じゃ、日吉の大衆料理店の「半ちゃんラーメン」の方がよっぽどおいしいわ!

  天婦羅というのは洋食だと私は子供の頃、思っていたのですが、日本食だったらしい。白土三平の『カムイ外伝』にも、カムイが飯屋で天婦羅を食う場面があり、そこでは地域によって「天婦羅」と言ったり「衣揚げ」と言ったりするという話がでています。私はその天婦羅を子供の頃からソース(ウスターソース)をかけて食べていたのです。それを醤油をかけて食べるようになったのは20代になってからです。三田の慶應大学の食堂で天婦羅を注文して受け取ってソースをかけようとしたところ、食堂のおばさんが「それ、天婦羅だから醤油をかけた方がいいですよ」と言うので、「え、変なこと言うな」と思ったのですが、おばさんが醤油をかけて食べるのを勧めるので醤油をかけて食べてみたところ、おいしかったのです。その後、世間では天婦羅には醤油をかけて食べるのが一般的でウスターソースをかけて食べる人というのはあまりないということを知りました。私が、なぜ、ウスターソースをかけて食べていたかというと、うちの父親が家で天婦羅を食べる時にウスターソースをかけて天婦羅を食べていたからです。さらには、「食通」漫画というのが最近けっこうあって、天婦羅の職人の話として「本当に実力がある天婦羅は醤油ではなく塩で食べるものだ」なんて言葉がでていたのを見たことがありますが、結論として自分がおいしいと思う食べ方をすればいいのではないかと思います。ウスターソースをかけて天婦羅を食べるというのは「邪道」なのか・・といっても、おいしかったら別にいいじゃないですか。私は天婦羅を食べる時にかけるのは醤油が基本だと思いますが、ウスターソースをかけて食べたっておいしかったら別にいいと思っています。うちの父親は「わしは慶應やねんぞお。わしはおまえとは違ってドイツ人で慶應の民族の階級。おまえはチャンコロで浪商の民族で階級」と毎日のように私の眼を指で突き挿すように叫んでいたように「慶應タイプ」でしたので、片方で「洋食好み」であって同時に偏食のあるおっさんでしたから、天婦羅も洋食風の食べ方をしたということがあって、私もその影響を受けて天婦羅にウスターソースをかけて食べていたのです。慶應の内部進学の人というのは、種無し葡萄(デラウエア)を食べるのに人に皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うということをします。蜜柑を食べる時には人に皮をむいてもらってカラスにしてもらって食べます。そういうのを「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか言うそうですが、なんか知らんけど、種無し葡萄(デラウエア)というのは自分の手で房からちぎって自分の口に運んで食べてこそおいしいのであって、ひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うなんてそんな「慶應幼稚舎流種無し葡萄(デラウエア)の食べ方」なんてのはそれが「ギャルにもてもて」かもしれませんが、おいしくないと思います。その前に「幼稚舎から慶應」「本物の慶應」の人は「種無し葡萄(デラウエア)を皮むいてもらってお皿に盛ってもらって」とそういうことをやってくれる女中さんか執事かが家にいるのでしょうけれども、私なんかやっていらんけどもやってもらおうとたとえ思っても誰もやってくれませんから、自分で房からちぎって自分の口に入れるしかありません。何年か前、うちの母親が食事をとらなくなってしまい、「種無し葡萄を食べたい」と言うので、10月になってたいていのスーパーにはもう種無し葡萄(デラウエア)は置いていないのを一生懸命何軒もまわって見つけてきたものの、それでも食べないので、私が皮をむいてスプーンで口に入れてあげたら食べたということがありましたが、一粒が大きな葡萄ならまだしも小さいデラウエアの皮をむくというのは大変です。90代のおばあさんにならともかく、10代・20代の元気な男に「種無し葡萄を皮むいてお皿にもって」という作業をした女中さんなのか執事さんなのかどちらなのかわかりませんが、高給もらっているのかもしれませんが、それは人間の仕事ではありませんね。カネ払うのだからさせればいいと思って人にそういうことをさせる10代・20代の元気な男というのは、「本物の慶應ボーイ」で「ギャルにもてもて」か何か知りませんが、そいつは人間じゃないですね。私は慶應でそんな人間とつきあって悪影響うけたら嫌だな・・と思ったのですが・・””伝染(うつ)るんですは困るんです””と思ったのですが、いくらなんでも、そういうのは移りませんね。うちの父親は「ほんまは慶應」らしいのですが、実際には小学校も中学校も高校も大学も慶應には行ってませんので、「幼稚舎から慶應」の人みたいに「種無し葡萄を人に皮向いてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」というそこまでのことはしませんが、私のような公立族と比べると「精神の慶應」だけあって幾分それに近いところがあります。天婦羅に醤油ではなくウスターソースをかけて食べるというのも、その流れかもしれませんが、しかし、スーパーで冷めた天婦羅を買ってきて食べるような場合には、むしろ、醤油よりもウスターソースをかけて食べた方がおいしいようなところもあると思うのです。だから、何何はこういう食べ方をするものだと固定して考える必要はないと思います。『美味しんぼ』では、マグロの食べ方として、醤油で食べるのではなくマヨネーズをかけて食べるというのを山岡士郎がやってみせて、最初、「そんな気持ちの悪い」と言っていた人たちが、実際にマヨネーズをマグロにつけて食べてみると案外おいしい・・というのに驚く場面があります。マグロ漁の遠洋漁業の漁師が船の中での食事でサラダにかけるマヨネーズを間違えてマグロの上に落してしまって食べたところおいしかった・・というところからきたものらしいが、王道の食べ方でなくても食べておいしければいいと考えてもいいのではないでしょうか。・・そして、逆に、「高級料理」だか「高級料理店」だかの料理であっても、食べてみておいしくなければ、そんなものはくだらんと考えるべきではないのか。花登筺(こばこ)『銭の花』では、大阪船場の糸商という糸問屋の若旦那が有名料亭に食べに行って「うもうないな」と口にしたところ、女将(おかみ)から「うちは味が自慢の店です。うもうないと言われるなら、若旦那さんの舌がおかしいんだす」と言われ、かちんときた若旦那はそれから板前の修業をして何年間か経った後、その料亭を訪ねて「わての舌に合う料理はなあ」と言って作らせたという話が出ています。「高級料亭」であろうが「名店」であろうが何であろうが、自分自身が「うもうないな」と思ったら自分にとってはおいしくないのです。貿易センタービルの上の方の階にあった中華料理店というのは、そういう場所にある店ですから比較的高級店だったのかもしれませんが、そうであっても私は「うもうないな」どころか「食えたもんじゃない」と思ったのです。もしかすると、「本格的」中華料理であって「日本風」中華料理を中華料理と思っている者からすると「味覚が違った」という可能性もあるかもしれません。しかし、日本にある店ですから、もし、たとえ、「本場の中国では」高い評価を受ける味であったとしても、日本では「うもうないな」どころか「食えたもんじゃない」料理を出して得意がっているのなら、そんな思いあがった店は評価できませんね。・・私は「食通」でも何でもないので、「本場の食通には評価される料理」なのかどうなのかわかりませんが、あんな料理、日本の普通の場所ではだめだと思いますよ。どうも、うちの父親というのは、そういうのをありがたがる傾向があった。建築業界で仕事をすると「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば人はありがたがって「言うことをきく」と信じて要求する一級建築士病みたいなおっさんがいますが、「だから、何?」て私は言ってやりたい。だいたい、「いっきゅうけんちくしい~い」と矢鱈と言いたがる症候群のおっさんというのは、たいてい「バカでも入れる私大の建築学科」卒か、もしくは「建築専門学校卒」かどちらかです。東大建築学科卒とか京大建築学科卒とかの人はむしろ「バカでも入れる私大の建築学科」卒か、もしくは「建築専門学校卒」で「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば人は言うことをきく・・みたいに思ってるアホと一緒にされたくないと思うから””「いっきゅうけんちくしい~い」と矢鱈と言わないとおれない症候群”” はあまりやりません。そういう「いっきゅうけんちくしい~い」と言われるとありがたがる人というのも問題がありますが、そういう権威主義的パーソナリティー≒ファッショ的傾向 の人というのは日本にけっこういますが、「高給っぽいしつらえ」の料理店で変なものを出されると、むしろ、これは高級料理なのじゃないかとか思ってありがたがったりします。YouTubeで大川隆法の息子が、大川隆法てのはたいしたこと言ってないのだけれども「東大卒」だということから信者で特別の意味があるのじゃないかと勝手に深読みしてありがたがる人がいる・・と言っていましたが、それと似ています。たとえ、本当に「本場の中国では」かつ「食通」と言われる人が食べればものすごい料理であったのであっても、私が食ったらおいしくないのですから、私にとっては価値はないのです。そもそも、水の1杯も出せないような店なんて、そんなもの料理屋じゃないでしょ。・・で、うちの父親というのは、そういうのをありがたがる人≒権威主義的パーソナリティー≒ファッショ的傾向 の人間だったのです。
  そういうおっさんやった・・( 一一)

  上の姉がその東京の男性と結婚した後、「仲人(なこうど)」と言っても話がまとまってから「仲人(なこうど)」の役をやってくださいとお願いしてなってもらった人だが、その人の所へ、相手の男性の両親とうちの両親とが一緒にお礼に行ったことがあったそうだが、その際、相手のお父さんを見て母がびっくりしたと言っていたのだ。帰りがけ、お母さんが「おトイレを貸していただけるかしら」と口にしたところ、お父さんが「☆☆さん、申し訳ありませんが、ちょっとトイレを貸してやっていただけませんか」と言って頼んだというのだ。男性にもいろいろあるもんだと思ったというのだ。うちの父親なら母がそんなことを言ったなら「我慢せえ。みっともない」と怒るというのだ。そうだろうなあと思う。男なら、究極的には立小便でもできるが女性はそうはいかない。だから、男性は女性と一緒に移動するのならそのあたりも考えてあげないといけない。ところが、うちの父親というのは自分のことしか考えない。そこが相手のお父さんは全然違ったらしい。
  喉と舌とがヒリヒリする気色の悪い料理を「食わんかあ」とか言って無理矢理食べさせようとするおっさん、ヒリヒリを増幅させるような気色の悪い液体を「飲め、それが中国のお茶や」と実際は自分もよくわかってなかったと思うのだが、カッコつけて言うおっさんとそうでない父親とが世の中にはいるようだった。
  私が20歳の時になって、うちの父親は「世の中にはな、カス親もおればダメ父もおるわけや。あんたはわしいみたいなエッライえっらいエッライえっらいお父さんを持って恵まれてるねえ~え」と言うのだった。「あんたはもしかするとわしのことを『普通のお父さん』と勘違いしているかもしれませんけれども、実は違うねんぞ。わしは実は『普通のお父さん』とは違ってんぞ。実はわしは『スーパーマンのお父さん』やってん。知ってたか?」と言うのだったが、知らんかった。「わしは実はスーパーマンやってん。知ってたか?」と言うのだが、知らんかった。パーマンかと思うとった。
  それで、言ったのだ。「スーパーマンなんですか?」と。「そやねん。わしはスーパーマンやねん」と言うのだ。だから、「空を飛ぶのですか?」と私は言ったのだ。「アホか。何を言うとるんじゃ。そんなもん、飛ぶわけないやろうが」とおっさんは言うのだ。「しかし、スーパーマンなんでしょ。スーパーマンなら空を飛ぶのと違うのですか?」と私は言ったのだ。「アホか、飛ぶか、そんなもん」とおっさんは言うのだ。「そしたら、スペシウム光線は出すのですか?」と私は言ったのだが、「何をアホなこと言うとるんじゃ、アホなことばっかし」と言うのだった・・・が「アホなことばっかし」言うとるのはおっさんの方ではないかと思ったのだが、その「アホなことばっかし」言うとるおっさんのことを「スーパーマン」と言うらしかった。「空は飛ばないで、スペシウム光線も出さないのですか。そしたら、どこがスーパーマンなんですか?」と言うと、「そやから、スーパーマンなんじゃ、わしはあ」と言うのだった。「空は飛ばない、スペシウム光線も出さないスーパーマン・・ということは、アラレちゃんみたいなもんですか?」と言うと、「何がアラレちゃんじゃ、おまえはあ!!!」と言うのだった・・・が、今もっていったいどこが「スーパーマン」なのかさっぱりわからない。
※ 《YouTube-Drスランプ アラレちゃんOP 》https://www.youtube.com/watch?v=ZtDUKU-lx4w

  1960年代前半、私が幼稚園に行くか行かないかの頃、家ですき焼きをやったことがあったのだが、肉の中に脂身の塊のものが1つあった。私はそれは奇形か病気の部分かの肉が紛れ込んでしまったのかとその時は思ったのだったが、後から考えてみると、あれは鍋に油を敷くためのものとして入れられていたようだった。ところが、うちの父親が「これは、おまえの好物や。おまえ、こういうの、好きやろ」と私に言うのだった。「ええ~え? それって食べるものなのお?」と言うと、「そうやがな。もちろん、食べるものに決まっとるやろうが。おまえの大好物や」と言うのだ。「ほら、食ええ!」と言って私に食べるように要求するのだ。気色悪くて、「これって、食べるものお?」と言うと、「何、言うとんねん。これがおいしいねんがな。ものごっつうおいしいぞお~お。おまえ、こういうの大好きやろ。おまえの大好物や。おいしいぞお~お」と言うのだ。それで、「そんなにおいしいのなら、お父さんが食べられたらどうですか」と私は言ったのだが、そうすると、「何、言うとんねん。こういうのはおまえみたいな若いもんが食べるもんや。若いもんの好物やがな。わしは赤身を食うんや、わしは赤身を。おまえ、これ、食え、食え、クエッ、クエッ、クエッ! 食わんか、食わんか」と言うのだ。「ええ~え、こんなん、食べるのお~お?」と言うと、「そうじゃ。これはおまえが食うもんじゃ。食わんか、食わんか、食わんか。食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食べ物の好き嫌いをしたら立派な人間にはなれんぞ。食わんか!クエッ、クエッ、クエッ!」と言い、それでしかたなしに、なんとか食べようとして口にいれたが、気持ち悪くて、吐きだそうとすると「何を出しとるんじゃ。食わんか。食べ物を粗末にするような人間はろくな人間にはならんぞ。食わんか、食わんか!」と言うので、無理矢理、喉の奥に流し込もうとものすごい気持ち悪い感触に耐えながら無理をして押し込もうとしたが、どうしても喉の奥に押し込めない。「食わんか、食わんか。こら。クエッ、クエッ、クエッ!」と言われて、無理矢理に喉の奥に入れようとするがどうしても飲み込めない。そのうち、うちの母が「もう、食べんでもいいよ」と言ってくれたので、その油の塊は半分くらいのどの奥に入れただけですんだ・・・・が、それは実は食べるものではなく、鍋に油を敷くために肉屋が入れていたものだ・・ということを30を過ぎて『C級サラリーマン講座』という漫画で見てしった。『C級サラリーマン講座』に登場する兎田課長というテカテカのおっさんは、普通の人間なら食べないそういう脂身を食う脂身男であり、まわりの人間が「おまえ、それは食うものとは違うぞお」と言って気色悪がる・・という話だが、それを見て知った。あれは「食べる物」ではなかったのだ。幼稚園に行っていたか行く前だったかは記憶がはっきりしないが、まだ小学校には行っていない時だった。まだ、小学校に行っていない子供にそんなものを食べさせようとする父親て、そんな父親なんてあるのか!?!・・といっても我が家にあったのだ。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそれを最大の自慢にして、そして、父親がある生徒というのは、特に父親がある男子生徒というのは「恵まれている」人間で・「甘ったれている」人間で、「父親がいない」自分は父親がいる生徒から「作野先生はお父さんがおられないだけに、しっかりしてられてえらいわあ~あ」と言ってもらう権利がある、父親がある特に男子生徒は自分に「作野先生はお父さんがおられないだけあって、しっかりしてられて、私なんかと違ってえらいわああ~あ」と称賛する義務があると信じていたが、それはおかしい。父親がいなかったなら、鍋に油を敷くための脂身の塊・脂肪の塊を「おまえ、これがおまえの大好物じゃ。食わんか。クエッ、クエッ、クエッ!」と言って無理矢理、食べさせられるなんて経験をすることはなかったはずだ。なんだか、自分は父親がいないからという理由で父親がある生徒からは「作野先生はお父さんがおられないだけあって、えらいわあ。本当にえらいわあ。尊敬するわあ~あ」と言ってもらわないといけない、自分はそう言ってもらう権利があると信じていたが、アホぬかせ!
  そんなに父親というものがうらやましいと思うのなら、とりあえず、脂身の塊・脂肪の塊を食ってから口きけ、このボケナス・あほんだら・大アホ!
脂肪のかたまり (岩波文庫) - ギー・ド・モーパッサン, Guy De Maupassant, 高山 鉄男
脂肪のかたまり (岩波文庫) - ギー・ド・モーパッサン, Guy De Maupassant, 高山 鉄男
  それから50年以上経つが、今でもあの時の『脂肪の塊』の気色悪い感触は口の中に残っている。
  北野高校は行きたいと思って行った高校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して10年以上経って考えてみると、どう考えても、あんまりいい学校ではなかったと思うようになった。もっとも、それならどこに行けば良かったかというとそれはよくわからないが、間違いなく言えるのは、2年の時に旧姓作野礼子に担任を持たれたのは、あれは何と言っても災難やった。 ・・あの女、そんなに父親というものがあるといいと思うのならば、とりあえず、『脂肪の塊』を無理矢理でも食わせてやろうかい。「私は父親がいなかったから」と自慢しまくったのだから、『脂肪の塊』くらい食うべきだろう。食ってからそういう文句は言うべきだろう。違うか? 違わないと思うぞ。クエッ、クエッ、クエッ!!! と旧姓作野礼子に言ってやるべきだ。あの ””「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」という「普通、そんなもん、自慢することと違うやろ」てことを自慢しまくらないとおれない人間シンドローム”” の重症患者!!!

  さらには私が20歳の時、1970年代末だが、うちの父親は私に「あんたには、これまで小さい頃から、食べるもんでも着るもんでも、何でもええもんばっかし与えてきたし、欲しいというものは、どんなもんでも何でも何でもどんなもんんでも、ええもんばっかしこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってやってきたから!」と言うので、「絶対違う」と言ったのだ。「絶対にそんなことない!」と言ったのだ。・・だって、違うもの、絶対に。
  よく言うわあ・・とあきれた。「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」
〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
  「はあん! こいつ、こんなこと言いよるわ。 あんた、わしはあんたが小さい頃から、あんたが欲しいというものは、どんなもんでも、いつでも何でもどんなもんでも、こうてきてやあってやってやあってやってやあってやってきたという、そのくらいのことすらもわからんのんか!」と言うのだった。
  わからんなあ。まったくわからんなあ。あんた、小豆島から帰る船の中で小学校の1年生から水筒をとりあげて会社の大人に「配給です、配給です。お茶の配給です♪」てやっただろうが。
  そして、大人に売店でジュース買って飲めと言うのではなく小学校1年生に「売店でジュースこうたる」⇒「弁天埠頭についたらこうたる」⇒「弁天町の駅でこうたる」⇒「弁天町の駅のプラットホームでこうたる」⇒「天王寺の駅でこうたる」⇒「南田辺の駅でこうたる」⇒「もうすぐ、家です! もうすぐ、家!!!」とやっただろうが!
  あんた、大谷本廟の帰り、方広寺のあたりから、自分が腹へってなかったら、小学校3年の子供が空腹に苦しんでいてもおかまいなしに、方広寺から京都駅まで歩かせたあげく、京都駅付近でも食事させずに国鉄で大阪駅まで行き、大阪の梅田まで行っても食事させずに心斎橋まで行き、心斎橋まで行っても自分が腹へってなかったら食堂に入らずに「あんな店、あかん」「あんな店、あかん」と言って4時近くまで歩き回らせただろうが!
  あんた、すき焼きやった時に、自分は赤身を食って小学校行く前の子供に『脂肪の塊』を「おまえはこれを食え! クエッ、クエッ、クエッ、クエッ」と言って食わせただろうが! 

それで、「わしはあんたには、小さい頃から、どんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でもどんなもんでも、こうてきてやあってやって、やあってやってやあってやってきたから」とは、よくもそういうことを言えたもんだ。よくもそういう口をきけたものだ。
  「あんたには、食べるもんでも何でもええもんばっかし与えてきたから」などとはよく言ったものだ。『脂肪の塊』を「クエッ、クエッ、クエッ、クエッ!」と言って無理矢理食わせただろうが! よくもそういう口がきけたもんだ。
  私が小学校1年の時だ。近くのヤマハ楽器の2階の教室で「ヤマハ音楽教室」というオルガンを中心とした音楽教室をやっていて、小学校1年から2年にかけての2年間だったが、私は親が行くことに決めて通わされていたのだが、その予習復習に毎日、オルガンの練習を家でやっていた。ヤマハ音楽教室に来ていた子供は私以外はヤマハの電気式オルガンを新しく買ってもらっていたが我が家には足踏み敷きのオルガンがあったから、私はそれを使って練習していた。足踏み敷オルガンでもオルガンとして使えたけれども、新品の電気式オルガンを買ったもらえるやつと比べたら、それは新品を買ってもらえる方が良かったが、それでも私はその足踏み式オルガンで毎日練習を続けて、練習が終わった後は布で鍵盤とオルガン本体を磨き上げていた。ところが、ある日、どこの誰やらわからん男何人かがやってきて「オルガンもらいに来ました」と言ってトラックで持ち去ってしまったのだ。「なんで、オルガン持っていくのお?」「それ、僕が練習してるオルガンやでえ」「なんで、オルガン、持って行ってしまうのお?」「そのオルガンで僕、練習しれるんやでえ」と言っても男たちは子供の言うことなんか完全に無視して、オルガンをトラックに積み込んで持ち去ってしまった。「明日から、いったいどうやって練習したらいいのお?」と私は言ったのだ。旧ソ連の映画『シベリア物語』では、登場人物のピアニストに、戦争に行っていた間にピアノの練習をしたかとピアノの師匠が尋ね、「ルビンシュタインはピアノがない時には板の上で指を動かして練習をしたという」と語る場面があるが、小学校1年生にルビンシュタインと同じことをさせようとしたのか?
シベリヤ物語《完全版》 [DVD] - ウラジーミル・ドゥルージニコフ, マリナ・ラディーニナ, イワン・プィリエフ
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母は私に「うちにはピアノがあるからいいでしょう。ピアノの方がオルガンよりも上や」と言い、それからはピアノでオルガンの練習をやるようになった・・が、ピアノとオルガンでは鍵盤を見た感じは似ているものの、鍵盤を叩いた時の感触は大きく違うし音色も違う。やはり、ピアノはピアノ、オルガンはオルガンだ。ヤマハではヤマハの電気式オルガンの上位のものはエレクトーンと位置づけていて、ピアノがオルガンの上位のものとは考えていなかったし、オルガンをピアノの代替品とも考えていなかった。もしも、「ピアノがあるからオルガンなくてもいいでしょう」というのが通じるなら、ピアノでなくてもピアニカでもアコーディオンでもいいことになるだろう。ルビンシュタインはピアノがない場所では板の上で指を動かして練習したというように、テーブルの上で指を動かして練習してもいいことになる。私が毎日練習していたオルガンをトラックで持ち去った男たちというのは何者だったのか? ・・どうも、うちの父親が「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と思ったらしく、オルガンが欲しいと言う人に「あげた」らしいのだ。それで、「家までクルマで取りに来てもらったらあげまっさあ」というようなことをおっさんが言いよったらしい。母はそれも聞いていなかったらしく、いきなり「オルガン、もらいにきました」と家に男が何人かで来られてびっくりしたらしい。
  その人たちというのは、会社の部下の人かと思っていたのだが、母も知らない人だったらしい。 会社の人、もしくは、会社の取引先の人で相当つきあいが深い人なら母も知っていたのだが、母は知らない人だったらしく、今もどこの誰なのかわからないらしい。いったい、誰なのか? ・・たぶん・・だが、喫茶店に入ったら隣のテーブルに座っていた人が「オルガンがあったらうちの娘(もしくは息子)にオルガンの練習させたいと思うんやけど、オルガン、けっこう値段するからなあ」とか話していたのではないか。それを聞いて、「それやったら、うちに要らんオルガンありまっさかいに、オルガン、あげまっさあ」とかうちの父親が言ったのではないか。・・たぶん、そんなところだろう。私が20代のなかばくらいの頃、私は東京の方にいた時、うちの父親がオーディオ設備を買い替えたことがあり、母が外出から戻ってみると、知らないうちに前のオーディオ設備が誰かに持ち出されてなくなっていたということがあったらしい。それも、喫茶店で隣のテーブルにいた人に「あげた」らしい。どうも、うちの父親というのはそういうことをするようなのだ。だから、私が小学校1年の時に練習していたオルガンを、ある日、突然、「オルガンをもらいに来ました」と言ってクルマで来て持ち去った人も、「喫茶店で隣のテーブルに座っていた人」かそんな感じの人だったのではないか。「わしぁ、聖人やねん」とうちの父親は始終言っていたが、たしかに、喫茶店で隣のテーブルにいただけのおっさんが、いきなり、オルガンくれたらもらった方としては「聖人みたいな人やったなあ」ということになるだろう。その通りかどうかはわからないが、まあ、そんなところだろう。そうやって、私が毎日練習して、練習後には布で磨き上げていたオルガンはよその人間に取り上げられた。うちの父親としては、自分はピアノがあってバイオリンがあれば「オルガンなんか、要ら~ん」と思ったらしかったが、私が親ならば自分は要らなくても子供がオルガンを練習していてオルガン教室に毎週通っているのなら、「オルガンなんか、要ら~ん」のではなくオルガンは要ると判断する。子供がオルガン教室に通って毎日オルガンの練習をしている以上、要るはずなのだ、オルガンは。それを「オルガンなんか、要ら~ん」と言って、そのオルガンで練習している子供に無断で、又、嫁さんにも無断でよその人間にやってしまった。私が毎日練習して練習後には布で磨き上げていたオルガンをもらった人は息子か娘かにそれでオルガンの練習をさせようとしたかもしれないが、息子だか娘だかは私のように練習なんかしないでオルガンは埃を被るだけになったかもしれない。
   ・・そして、それから何年か後、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で、2001年、栃木県南部営業所「副所長」の木下(男。当時、40代前半)は私に「あんたは何の努力もしていないのに宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)もインテリアコーディネーターも通るけれども、ぼくらはどんなにしても絶対に通らない。不公平だ」などという口をきいたのだが、私は宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)にしてもインテリアコーディネーターにしても「何の努力もしていないのに」通ったのではに。ありあまる学習時間を持って学習していたような人も中にはあり、(株)一条工務店でも設計課の人間は据え膳みたいにしてもらって勉強させてもらって二級建築士・一級建築士に通ったり通らなかったりしていたが、私はそうではなく、片方で過酷な住宅建築の営業の仕事を従業員の平均以上にこなしながら、片方で資格試験の学習をやり、ありあまる学習時間で通ったり通らなかったりしているやつ、会社から据え膳みたいにして学習させてもらっている「バカでも入れる私大の建築学科」卒の設計課のやつなんかに負けてたまるか! この巨人みたいなやつ! この長嶋みたいなやつ! と思って努力をしてそれでやっと通ったのだ。「ずるい」とか「不公平だ」とかいうのは「バカでも入れる私大の建築学科」卒で設計課にいて据え膳みたいにして勉強させてもらって通ったり通らなかったりしたやつに言うべき文句だ。私に言うものではない。なにより、私は「何もしていないのに」通ったりしていない。涙ぐましい努力の結果としてやっと通ったのだ。それを何をぬかすか。「ぼくらはどんなにしても宅建主任もインテリアコーディネーターも通らない」と言うのなら、何をやったか言ってみろ。何もやってないだろうが。こういうことをやってみたけれども、どうもうまくいかないんだ、あんた、合格者として私のこの学習法をどう思うか? とか意見をきくのなら、「私はそのやり方ではあまり効果はでないと思います。むしろ、・・・ということをやった方がいいのではないかと思います」とか意見を言ってあげることだってできるが、何もやっていないくせしやがってからに、何が「ぼくらはどんなに努力しても絶対に通らない」じゃ。何も努力してないくせしやがってからに、何をぬかすか、あほんだら!!! ・・というものだったが、さらに総務部長の天野雅弘(男。当時、50くらい?)もまた、「そうだ、その通りだ。木下の言うとおりだ。おまえは宅建主任にしてもインテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても、何の努力もしないのに簡単に通る。俺らはどんなにしても通らんのじゃ、この野郎! 俺らは高卒なんじゃい。おまえが慶應大学でてるというのが、それが何よりも気に入らんのじゃ、この野郎! 俺らはどんなに努力しても慶應大学みたいなもん、絶対に通らんのじゃ、それが気に食わんのじゃ」と言われた・・のだが、「俺らはどんなに努力しても通らんのじゃ」と言うが、あんたも何の努力もしとらんだろうが。私は「何の努力もしていないのに」通ったのではないし、「簡単に」通ったのでもない。努力して苦労して工夫してやっと通ったのだ。よく言ってくれると思う。このハゲ~え! 違うだろ、違うだろ、違うだろ、このハゲえ~え!!! ・・てものだった。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
私から私が毎日練習をしていたオルガンを奪っていった人の息子か娘も、自分が練習しないくせしやがってからに、「ぼくらはどんなに努力してもできない」とか勝手なことぬかしていたのではないか。私が大事にして毎日練習していたオルガンを取り上げるだけ取り上げて、ちっとも練習しよらんで、それでいて「ぼくらはどんなに努力してもできない。あんたは何の努力もしてないのにできる。ずるい。不公平だ」とか木下や天野雅弘みたいなくそ勝手なことばっかりほざいていたのではないか。・・そんなところではないか・・と思う。
 あんた、私からオルガンを奪っていったじゃないか。私から私が毎日練習していた、よその子は新品の電気式オルガンを買ってもらっていたのを私は旧式の足踏み式オルガンで練習していたのに、その足踏み式オルガンを取り上げてよその人間にあげたじゃないか。あんた、私が小学校1年の時に、小学校の1年生が毎日練習して毎日磨き上げていたオルガンを「オルガン、みたいなもん要ら~ん♪」とか言ってよその人間にやっただろうが!
 中学校2年の時には、たいていの親なら「水、もらえませんか」とでも店員に言うところを、「食わんか。それ、飲め」とか言ってわけのわからん変な味と変な匂いのする液体を飲ませただろうが!
  あんた、親子で一緒に旅行している親子連れはたいていの親子が子供に窓側に座らせて親が通路側の席に座って一緒に窓から外を見ていたところを、あんただけは常に親の方が窓側に座って小学校4年生に通路側に座らせて、あんたは窓側の席で裸のおねーちゃんの写真が載ってる週刊誌を見ておっただろうが!
  そして、そういうことを思っていたらうちの父親はこう言ったのだ。
  「こいつ、こんなこともわかりよれへんというのは、これは、こいつが病気やからや。病気がこいつにこういう口をきかせてるんや。間違いない。薬を飲ませてやらんといかん。それもちょっとではいかん。大量に飲ませてやらんといかん。いや、薬ではあかん。薬やのうて、ロボトミーとか電気ショックとか、こいつにやったらんといかん! 電気ショックやったるべきや、電気ショックを!!! 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ こいつに電気ショックやって二度とこういう口をきけん人間にしたらんといかん!!!」
とこう言ったのだった。
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )

  キューバ革命の際、バチスタ政権から裁判で死刑を宣告されたフィデル=カストロは「私に死刑を宣告せよ。そのようなものは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告すると言ったが、まさにその通りだ。その言葉を私も言いたい。ロボトミーでも電気ショックでも何でもやればいい。歴史が私に正義を宣告する。
わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
「自ら虫けらとなる者は、後で踏みつけられて文句は言えない」
決して、自ら虫けらとなってはならない。「あんたには、これまで小さい頃から、食べるもんでも着るもんでも、何でもええもんばっかし与えてきたし、欲しいというものは、どんなもんでも何でも何でもどんなもんんでも、ええもんばっかしこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってやってきたから!」などと事実と正反対のことを認めさせようとされたとしても、たとえ、電気ショックされようとも、たとえロボトミーされようとも、そのような事実と正反対のことを認めてはならない。電気ショックでもロボトミーでもやればいい。歴史が私に正義を宣告するであろう。
権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
現代の医療被害 (1978年)
現代の医療被害 (1978年)
  (2021.10.21.)

☆ 2021年 大谷本廟(西大谷)参拝
1.清水五条駅から。円通橋。なぜ郊外に高層ビルを? なぜ大学をオフィスビル型に変えようとするか? 阪大箕面キャンパスはなぜだめなのか。大学に三四郎池・哲学の道・ポルトフィーノの岬は必要でないのか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202110/article_1.html
2.親鸞像。普通の人間と同じ高さの福沢諭吉像が気に入らない「福沢精神」。総門・太鼓楼・仏殿・五葉松。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202110/article_3.html
3.明著堂・覚信尼公碑文・石窟・ノバホールそっくり無量寿堂。お骨は落すな。母親のお骨を粗末にするな。ルーバー手摺はストリップ階段と違う。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202110/article_4.html
4.花噴水。木調縦格子。「着倒れ」京都に行ったら大阪に帰っても食べ物屋がなかった話。事実に反することでも電気ショック療法で認めさせることはできるか。父親はあると常に得するとは限らないという事実がわからないバカ女症候群。〔今回〕

☆ 2018年 大谷本廟参拝
1.西本願寺・大谷本廟(西大谷)・北御堂が本願寺派。江戸時代の石橋、円通橋 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_1.html
2.総門・守衛所・仏殿・読経所。自宅に植木がなくても寺社に見にいけばという考え方 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_2.html
3.玄関だけ前に出た建物は変か? 会社の電話に私用の電話を他人の女に毎日かけさせる男 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_3.html 
4.納骨の際、お骨を落とすな。普通に電車に乗るのも恩着せようとする父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_4.html
5.自分が空腹でなければ子供にも食べさせない父親。子供に脂の塊を食わす父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_5.html

☆ 2012年 西本願寺 飛雲閣(ちょっとだけ)
(西本願寺)飛雲閣、ちょっとだけ~「数寄屋造」の建物(2)、及、金閣・銀閣について検討、少々、など https://tetsukenrumba.at.webry.info/201208/article_3.html

「慎腹風呂愚」
☆ 2015年 大谷本廟(西大谷)参拝
[第372回]《紅葉の大谷本廟(西大谷)参拝。大谷本廟の庭がこんなにきれいとは。及、ノバホールと無量寿堂はそっくり 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201512/article_1.html

☆2016年 大谷本廟参拝
[第443回]《親鸞の墓はどこにあるか。大谷本廟(西大谷)と御荼毘所【上】、 夏の大谷本廟。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201608/article_5.html
[第441回]《親鸞の墓はどこにあるか。大谷本廟(西大谷)と御荼毘所【下】、 御荼毘所。 夏の大谷本廟。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201608/article_6.html

☆2017年 大谷本廟参拝
[第570回]《大谷本廟(京都市東山区)参拝。円通橋は江戸時代の石造アーチ橋》https://shinkahousinght.at.webry.info/201708/article_5.html

☆ 2011年 浄土真宗本願寺派築地別院(築地本願寺)
[第54回]《築地本願寺 訪問記~なぜ、浄土真宗の寺には「御朱印」がないか。~千葉・東京の建築(3) 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201108/article_3.html 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
  2013年に、
[第192回]《「マルチ商法」と「良い商品」について。原理研そっくり、○○ウェイの勧誘。職場を悪用してのマルチ勧誘。》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201308/article_2.html
で、千葉市中央区鵜の森町 にあった新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産。)で、職場内や車中の相手が逃げられない場所で、アムウェイの勧誘を断っても断っても執拗に続ける男の話を掲載したが、傍若無人なアムウェイの勧誘に困る人は他にもいるようで、インターネット上の産経新聞2021.11.11.に掲載されていました。
《 (ヤフーニュース) アムウェイに違法勧誘 容疑で京都府教育庁職員ら逮捕 11/11(木) 22:01配信
産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f2ef89fd81ec1d8a600b02b5f6960508e41666e
  日本アムウェイ(東京)に入会させる目的を告げずに、マッチングアプリで知り合った女性(23)をエステに連れ出し、入会を勧誘したとして、京都府警は11日、特定商取引法違反の疑いで、京都府教育庁の主事、森口卓也(26)=京都市中京区=と自称自営業の岡田真理(38)=同市山科区=の両容疑者を逮捕した。2人は「勧誘することは事前に伝えていた」などと容疑を否認している。
  逮捕容疑は共謀して3月27日、マッチングアプリで知り合った京都市の女性に対し、アムウェイ入会への勧誘であることを隠して誘い出し、「この化粧水がおすすめ。会員になったら安く買える」などと入会を勧誘したとしている。
  府警によると、女性はその場で入会し、化粧水の購入を契約したが、翌日に府警に相談した。
  府警は森口容疑者がほかにもマッチングアプリで知り合った女性20人以上を勧誘したとみて調べている。
  府教育庁は「容疑が事実であるならば、公務員としてはあってはならない行為。事実を確認の上、厳正に対処する」とのコメントを発表した。》
と出ていた。その人間こそ、教育される必要がある人間であるにもかかわらず、「教育してやらんといかんからなあ」とかウルトラのぼせあがった口をききたがる人間というのは慶應の内部進学に多いのですが、それ以外にもいるようで、京都府教育庁にも教育される必要がある人間でありながら「教育庁」に勤めていた人がいたようだが、毎度、アムウェイと倫理研究所(=倫理研究会)の押しつけには閉口させられる( 一一)
  ・・それから、2001年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の営業所にいた「高木のおっさん」(創価学会員。2001年当時、50代。)は「聖教新聞を購読しろお」と叫んでストーカーとなって執拗に追いかけてきて困ったが、かつ(株)一条工務店という会社は「保護義務違反の(株)一条工務店」で通常ならそういうことをする人には「職場でそういったことはやめてください」と注意するものだが、(株)一条工務店は「あの人にちょっと言ってください」なんて頼んでも絶対に対処しない会社だった。
   アムウェイ・倫理研究所(=倫理法人会)・聖教新聞 、この ””職場の三大押売り”” は勘弁してほしい( 一一)
ー・ー・ー・ー・ー
  「子供」のある家庭にだけ給付金を渡そうという公明党の主張によるものらしい自公政権の対応は、あれはどう考えてもおかしい。
「そこのけ、そこのけ『子持ち』が通る」
「『子供』作れば天下無敵!」

みたいな態度は、どうかしている。
  (2011.11.12.) 

  又、男であれ女であれ、すでに結婚できて子供もできた者に、
まだ、ふさわしい相手と巡り合うことができず、結婚できていない男女、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる男女から奪ったカネを渡せば、それが「少子高齢化対策」になるとか主張する者がいるようだが、
それは、どう考えても逆であろう。

  又、「将来、日本の社会に貢献する子供を育てているのだから」とかのぼせ上った口をきく者がいるが、笑止である。そういう口をきくのは実際に「日本の社会に貢献」というものをやってからにしてもらいたいものである。 実際問題として、その子供が、将来、「日本の社会に貢献」する人間になるか、日本の社会に迷惑かける人間になるかなんて、わからないじゃないですか。もしも、「日本の社会に貢献」しなかったなら、その時には「倍返し」で返してくれるんですか?  実際に貢献していないのに「将来、日本の社会に貢献する子供」などというのぼせ上った口をきくのはやめてもらいたいものです。
  (2021.11.15.)

 ともかく、性交やって子供つくれば、まだ結婚できていない人間・結婚はできたが子供ができない人間を自分たちの召使のように扱う権利がある、まだ結婚できていない人間・結婚はできたが子供はできない人間が払った税金からカネをもらう権利がある・・みたいに心得違いを起こす バカママ症候群・あほパパシンドローム を拡大再生産されても迷惑である。
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
  (2021.11.15.) 

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