「野菊の墓文学碑」【5/6】野菊庵・短歌の木札。伊藤左千夫は単作作家でない。「性格あつかましい」は自慢すべきでない。本は貸すと返ってこない。「女性版俗物4種の神器」

[第553回]
  市川市下矢切 の 「野菊の墓 文学碑」訪問の5回目です。DSC06374.JPG
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↑ の「野菊の墓 文学碑」の右側に「野菊庵」という建物があります。↓
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↑ クリックすると大きくなるのでクリックして見てください。左の表札みたいな札に横書きで「野菊庵」と書かれています。
内部は、↓
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↑ 奥の方に「蔵のギャラリー 喫茶と器」と書かれた木札があるのが見える ↓ のですが、
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残念ながら、訪問時は閉まっていました。

  「野菊庵」の右側の建物、お寺の建物の一部分? の前に縦長の木札が3枚あって、伊藤左千夫の短歌らしきものが書かれています ・・↓
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・・が、一番右側は、
「釜たぎる 湯気の煙の おぼろげに みかげ見ゆらく ・・・
           左千夫 」
と最後の部分が読めません。
その左は、
「ひしりひしりと人は人 我は・・・ 見し
          左千夫 」
なのか、よく読めません。
一番左側は、恐らく、伊藤左千夫の短歌が書かれていたのだろうなあ・・と推測されるものの、何と書いてあったのかさっぱりわかりません。
できたら、読めるようにしてもらえるとありがたいと思います。

  この短歌が3つ書かれていたのだろうと思われる縦長の木札の右に ↓
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↑ 「史跡 国府台の戦争」「永禄古戦場跡」の説明があります。

  奥野 健男(おくの たけお)『日本文学史――近代から現代へ』(1970.3.25. 中公新書)↓には、伊藤左千夫については「ほんのちょっとだけ」載っています。
日本文学史 近代から現代へ (中公新書) - 奥野健男
日本文学史 近代から現代へ (中公新書) - 奥野健男
《 夏目漱石には教育者の一面もあり、後輩たちをかわいがり、よくめんどうをみたので、多くの文学青年たちが弟子として漱石山房に集まりました。古くからの弟子というより友人であり、地球物理学を専攻する科学者であり、吉村冬彦の名で『藪柑子集』(大正12年)など数々のすぐれた随筆を書いた寺田寅彦をはじめ、『三太郎の日記』(大正3,4、7年)阿部次郎『風土』(昭和10年)和辻哲郎、文芸評論家の赤木桁平、野上豊一郎、安倍能成、小宮豊隆らの有名文化人が輩出しました。しかし彼らは漱石の偉大さに圧倒されたためか、ある漱石に甘えすぎたためか、一流のディレッタントでエピキュリアンでありながら、これという専門的、独創的な業績を残していません。
「ホトトギス」の俳人で『俳諧師』(明治41年)などの小説を書いた高浜虚子歌人で『野菊の墓』(明治39年)などの小説を書いた伊藤左千夫も漱石の周辺の文学者です。・・・・》

  中村光夫『日本の近代小説』(1954.9.20. 岩波新書)にも、伊藤左千夫については「ちょっとだけ」書かれています。
《 夏目漱石は教育者としての資性がゆたかな人で、すぐれた弟子がたくさんいました。寺田寅彦が五高時代から彼を師と仰いで変わらなかったのをはじめ、阿部次郎、安倍能成、小宮豊隆鈴木三重吉、野上豊太郎と野上弥生子、森田草平、芥川龍之介久米正雄など濃淡の差はあっても彼と師弟関係がありました。
・・・・
  そのほか漱石の推薦によって「朝日新聞」に『土』(明治43年)を書いた歌人の長塚節、漱石の友人であり、師の子規を題材に長篇『柿二つ』(大正4年)を書いた高浜虚子漱石の『吾輩は猫である』とほぼ同時に小説『野菊の墓』(明治39年)を「ホトトギス」にのせた歌人の伊藤左千夫など、それぞれ一作によって小説家としても記憶さるべき存在です。》
日本の近代小説 (岩波新書) - 中村 光夫
日本の近代小説 (岩波新書) - 中村 光夫
日本の現代小説 (岩波新書 青版 676) - 中村 光夫
日本の現代小説 (岩波新書 青版 676) - 中村 光夫
  『日本の近代小説』『日本の現代小説』(岩波新書)の著者の中村光夫さんという方は、同書の巻末の著者略歴によると、1911年東京生まれで、東京大学フランス文学科を1935年に卒業し、「現在」・・というのは私の手元にある中村光夫『日本の近代小説』(岩波新書)の第35刷が発行された1980年8月10日、『日本の現代小説』の第14刷が発行された1981年2月10日の時点のことだと思いますが・・明治大学教授という方らしい。
  フランス文学科を卒業された方で、東大のフランス文学科卒ですから、慶應大のフランス文学科卒なんかとは違って「嫁入り道具としてのフランス文学」ではない方のフランス文学科を卒業した方だと思います。 実際のところ、1970年代後半から1980年代、私は大学生くらいの頃、女性でフランス文学科に行く人を見ると悲しくなることがありました。男女共学の進学校だった府立北野高校で私などと同じように学んできた人が、大学という所に行ってからなんだか変わってしまう。あなた、そんなことする為にこれまで努力して勉強してきたの? ・・という印象を受ける人がいた。もっとも、あまり人のことをえらそうに言うと、あんたはどうやねん?・・と言われるかもしれませんが、しかし、フランス文学科・・て、要するに「女性版 俗物4種の神器」やんけ!!!
 「お茶(「お~い、お茶」の方のお茶ではなく、「けっこうなお点前ですこと、オホホ」の方のお茶)・お華・着付け」それに「フランス文学科」この4つで「究極の女性版俗物」。なんか、そういう人に近づくと、ビョーキ移りそう・・・( 一一)
  文学の目的とは何ぞや? 毛沢東『湖南省農民運動視察報告』では、毛沢東は「我々の目的は雪に閉じ込められた地方へ石炭を送ることであって、刺繍に花をつけたすことではない」と語っている。文学・哲学においても「精神的に雪に閉じ込められた地方へ精神的石炭を送る」文学・哲学「刺繍に花をつけたす」文学・哲学があり、さらには「人々を精神的に雪に閉じ込めるための」文学・哲学もある。「お茶・お華(おはな)・着付け・フランス文学科」の4点セットをそろえるタイプの女性のフランス文学なんてものは、実際のところ、「精神的に雪に閉じ込められた地方へ精神的石炭を送る」文学・哲学ではないわなあ・・、普通に考えて。そう思いませんか?
  又、『新約聖書 福音書』「マタイ福音書」には、
《 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、戦いをもたらすために来たのである。わたしは子を” その父と、娘を母と、嫁を姑と” 仲違いさせるために来たのだから。”家族が自分の敵となろう。” ・・・また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたしの弟子たるに適しない。十字架を避けてこの世の命を得る者は永遠の命を失い、わたしのためにこの世の命を失う者は、永遠の命を得るであろう。 》
( 『新約聖書 福音書』「マタイ福音書」第10章34ー36、38ー39。塚本虎二訳『新約聖書 福音書』岩波文庫 所収。)
  《「お茶・お華(おはな)・着付け・フランス文学科」の4点セットの一部分としてのフランス文学》というのは、それは「嫁入り道具のために。その1、その2、その3・・」・・みたいなものか・・。 
  わからない人、わかってくれない人のために説明しますと、「・・のために。その1」というのは『あしたのジョー』に出てくる文句で、丹下段平が矢吹丈にボクシングを教えようとして書いた手紙の文章が「あしたのために。その1。ジャブ」で「攻撃の突破口を開くため、もしくは相手の攻撃を防ぐため、肘を脇から話さぬ心構えで、えぐりこむようにして、打つべし、打つべし、打つべし」というので、「あしたのために。その2.右ストレート」で、「あしたのために。その3」が「クロスカウンター」だったのだが、「嫁入り道具のために、その1。お茶」「その2 お華」「その3 着付け」「その4 フランス文学科」・・・て、そんな「フランス文学」みたいなもの、文学としては二束三文であろう。
※ 《YouTuve-明日への叫び~あしたのジョー2のテーマ》https://www.youtube.com/watch?v=YM-9qTdaS8c
「お茶・お華(おはな)・着付け」とセットになった「おフランス文学」などよりは、むしろ、『あしたのジョー』の方が「実学」としての文学であろう・・・と思う、私は。
  ジャン=ポール=サルトル・フィリップ=ガヴィ・ピエール=ヴィクトール(ベニー=レヴィ)『(鼎談)反逆は正しい』(人文書院)において、サルトルは、
《 サルトル――ぼくが左翼の側で活動しているのは、本来的に作家というものは――ぼくは作家だから言うのだが――自分の読者を最大限に広げるよう、すなわち万人のために書くように試みずにはいられないものだからだ、ところで、現在の社会というのは、作家がどうしても権力の座にある階級のために書くことになってしまう、そんな社会だ。労働者に読まれるということはときとしてありうる・・・けれどもその場合は、読まれるのはブルジョワ的価値を引き継いでいる作家だ。労働者読書委員会というのがかつてあって、彼らは本を買い、経営者もいくらか出していた。たとえばアネシイでだが、連中はかなり巧妙で本の選択にも口を出さず、金を出しただけだった・・・最初はフランソワーズ・サガンということになる・・・・ブルジョワ的価値がまねられていたのだ。この場合には、読書ということにはならない。・・・・》
(サルトル・ガヴィ・ヴィクトール『(鼎談)反逆は正しい 1』鈴木道彦・海老坂武 訳。人文書院 )
という発言をしている。
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
  「お茶・お華(おはな)・着付け」とセットになったような「フランス文学」というものは、それは反逆者になりうるものか・・というと、なるわけないだろう。フランソワーズ=サガン『ブラームスはお好き』なんて悪くないとは実は私は思うのだけれども、しかし、サルトルがここで指摘している趣旨としての《 ブルジョワ的価値がまねられていたのだ。この場合には、読書ということにはならない。》から考えて、そんな「フランス文学」は文学としての価値はそれほどないと言わざるをえない。
  福沢諭吉は「実学」と「虚学」、「虚学を排して実学を学ぶべきだ」という主張をしたが、この文句を意図的に曲解して、簿記とかマーケティングとかは「実学」で文学・哲学は「虚学」だと言いたがる「慶應タイプ」がわんさといるのだが、福沢諭吉はそういう意味で「実学」「虚学」という言葉を使っていないはずだ。むしろ、ヨーロッパの近代思想を学ぶべきだと言っているはずで、文学・哲学を「虚学」だなどとは言っていない。そうではなく、文学・哲学にも実学である文学・哲学虚学である文学・哲学があると考えていたのではないか。「お茶・お華(おはな)・着付け」とセットになったような「フランス文学」などというものは実学か虚学かというと・・、マア、実学ではない方だろう・・と私は思うぞ。こういうことを言うと「慶應タイプ」から怒られるかもしれんけどな・・。
  それで・・・、中村光夫さんが卒業された東京大学文学部フランス文学科の場合は《「お」がつくフランスの文学》ではなく、「嫁入り道具としてのフランス文学」ではないだろう・・というのは、それは東大の場合は文学部とはいえ、嫁入り道具にするような女性はほとんどいない。東大の場合は文学部であっても男性がほとんどの大学で、男女同じくらいという慶應大の文学部なんかとは違ったのだ。但し、最近は女性で東大に行くような人が増えてきて、なおかつ、入学試験の成績は優秀でも精神的には「東大女子学生」なのか「東京女子大生」なのか、「トンジョのねーちゃんのちょっと学力があるようなの」の東大女子学生が増えてきているのではないか・・という印象を受けるのだが、中村光夫さんが行かれた頃の東大文学部はそうではなかったはずなのだ。
  ちなみに、「慶應タイプ」の人間というのは、「刺繍に花をつけたす文学」「虚学の側の文学」「地上に戦いではなく平和をもたらす文学」「ブルジョワの価値観を引き継いだ文学」といったものを尊重し推進し勧奨する人が多い。「慶應心理学」はそういうものを「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「診断」する。
彼らは自由だと思っていた: 元ナチ党員十人の思想と行動 - M・マイヤー, 田中 浩, 金井 和子
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キリストの殺害 (1979年) (W.ライヒ著作集〈4〉) - W.ライヒ, 片桐 ユズル, 中山 容
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  北村透谷は『人生に相渉るとは何の謂ぞ』(『北村透谷選集』岩波文庫 所収)で、「文学の目的」について、「人生に相渉るため」という考え方はおかしいと批判したが、そうは言いましても、人間、食っていかないといけないわけですから「人生に相渉るため」を考えてはいかんということもないとは思うのですが、そうは言いましても、「人生に相渉るため」に専念してしまっては文学は文学として自殺行為となるでしょうから、そのあたりの「忖度」といいますか「塩梅(あんばい)」といいますか、そのあたりが難しゅうおすう・・てものかもしれませんが、「お茶・お華(おはな)・気づけ」とセットにされてしまったような「フランス文学」なんてものは、二百パーセント「人生に相渉るため」のものであって、それ以外の何物でもなく、そうなると、そんなものは文学ではないか、文学であっても二束三文のもの・・だと思うな・・。

  フランス文学科卒でも中村光夫さんは東大のフランス文学科卒ですから「慶應タイプのおフランス」とは違うとは思うのですが、
《 そのほか漱石の推薦によって「朝日新聞」に『土』(明治43年)を書いた歌人の長塚節、漱石の友人であり、師の子規を題材に長篇『柿二つ』(大正4年)を書いた高浜虚子、漱石の『吾輩は猫である』とほぼ同時に小説『野菊の墓』(明治39年)を「ホトトギス」にのせた歌人の伊藤左千夫など、それぞれ一作によって小説家としても記憶さるべき存在です。》
と、「それぞれ一作によって小説家としても記憶さるべき存在です」とおっしゃるのですが・・・、そう考えるべきものなのか。
高浜虚子『柿二つ』は別として、
長塚 節(たかし)・・・『土』
伊藤左千夫・・・『野菊の墓』
という、この2人については、世間に名前が広く知られている作品というと1作だけ・・なのでしょうけれども、しかし、「しろうとさん」が1作だけしか知りません・・と言うのならいいけれども、文学者・文学部教授という立場の方には、あんまりそういう言い方をしてもらいたくないなあ・・と思うのです。
  アンドレ=ジッドて『狭き門』だけですか? ジッドの場合は知られている小説として『狭き門』だけではなく、『田園交響楽』とか『女の学校』『ロベール』『未完の告白』の方こそ、ジッドの名作ではないかと私は思っているのです。『狭き門』が悪いわけではありません。しかし、『狭き門』を愛読書としている人がどれだけ『狭き門』を理解しているか、かなり疑問に思っているのです。
  だいたい、父親が『狭き門』が好きだ、特に登場人物のアリサという女性が好きだということで、亜里紗だか有粧だかいう漢字を充てられて「ありさ」と読む名前をつけられた娘というのを私は複数知っているのですが、20代前半くらいで結婚した男性が「理想の女性」と思った『狭き門』の登場人物のアリサの名前を娘につけたのではないか・・と思うが、それでは「読みが不足している」と思うのだ。但し、別にその男性を責めるつもりはない。もしも、私だって20代前半で結婚して娘ができていたら、そんな気持ちになったかもしれないからだが、幸か不幸か私はそうはならなかったので、娘に「スナックのねーちゃんみたいな名前」をつけることもなかった(^^)/
   『狭き門』は私は高校生の時に読んで「心を洗われるような小説」だと思ったのだが、この小説は何回か読んでみるべき小説だと思うのだ。40過ぎてもう一度読んでみると感じ方は違った。だいたい、どんなに理想的な女性であっても、その女性を通じて神の国に入る・・とか、そんなものあるわけないだろうが。そういう重圧をかけられた女性はどうなったかというと・・・。『狭き門』の結末でアリサは亡くなる。亡くなるといっても誰かに殺されたわけでも自殺したわけでもなく、病気で亡くなるのだが・・・、「病気で亡くなる」というのはツルゲーネフ『はつ恋』のジナイーダ、やはり、ツルゲーネフ『父と子』のバザーロフと共通するのだが、生きる道を失ったか、生きていきにくくなったかした登場人物が「病気で亡くなる」ことで、生きていきにくくなったことを暗示しているように思うのだ。〔そういえば、『野菊の墓』の民子もまた、殺されたのでもなく自殺したのでもなく、産後の肥立ちが悪くて他界している・・が、生きる場所を失った・生きる道を失った者が小説中で「病気で死亡する」ことは文学上、しばしばあるように思われる。〕 遠藤周作が『恋愛とは何か』(角川文庫)でも述べていたが、『狭き門』の最後で、アリサの妹のジュリエットが口にする文句「さあ、眼をさまさなければ」こそ、『狭き門』のもっとも重要な文句ではないか。10代で『狭き門』を読んで「純愛」の小説のように思い込んで娘に「アリサ」と・・「スナックのねーちゃんみたいな名前」(^^)/・・をつけた父親というのは、そのあたりに気づくよりも前に結婚して子供ができた男ではないかと思うのだ・・が、いったん、名前をつけたからには後で「しまった」と思っても父親の身勝手で「あんたの名前をきょうから変えることにするわあ」なんてことは言えない。そんなこと、言いだす父親なんて、まあ、うちの父親くらいのものではないかと思う。だから、当て字で「スナックのねーちゃんみたいな名前」をつけられた人も、それでも、産まれた時に親がよかれと思ってつけた名前なのだから、その名前は大事にするべきだと思う。
  そういえば、「わしに孝行せえよお、わしにじゃ、わしにじゃ、わしに孝行せえ。朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃわしにじゃ、わしにわしにわしにい~い」ということで「孝行」と書いて「たかゆき」なんて名前をつけられたやつもいたな。私がつけられたわけではないから別にいいけれども、なんか、かわいそうな名前つけられとるなあ・・と思った・・が、「スナックのねーちゃんみたいな名前」とどっちがいいかというと「わしに親孝行せえよお、わしにわしに。わしに親孝行せんとバチあたるぞバチあたるぞ、まんまんまんまんま~ん。ち~ん、ど~ん、しゃ~ん♪」と「アリサ」なら「アリサ」の方がいいと思うが、少なくともアンドレ=ジッドの方が開明的だと思うが、それでも「天津丼(てんしんどん)」よりはずっといいと思う。特に、いったん、某哲学者の名前を産まれた時につけておきながら、息子が20歳の誕生日を過ぎてから、拝み屋さんの指示だとか言って、「あんたの名前はきょうから、天津丼(てんしんどん)にするわあ♪ あんたの名前は、て~んし~んど~ん♪ これが強運の名前なんじゃ、感謝せえよ、天津丼(てんしんどん)!」「これから、あんたの知ってる人の家を順番に訪ねてまわって、『これから私のことを天津丼(てんしんどん)と呼んでください』と一軒一軒言ってまわりなさい」と言われることと比べたら、「わしに孝行せえよ、わしに。朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしにじゃ、わしにわしにわしにい~い!」で「孝行(たかゆき)」の方がまだマシちゃうかあ・・・という気もする。
どんぶり職人 天津飯の素 1食 220g 12693
どんぶり職人 天津飯の素 1食 220g 12693
↑ きっと、あのおっさん、「三番街の中華料理屋」で天津丼を食いよったんやと思う。そこから「そうや、名前を天津丼に変えてやったらええのとちゃうか♪」・・と考えよったのではないかと思う。・・ようやる( 一一) と思う。
  それで・・・だ。10代後半、高校生の時には『狭き門』は名作だと思ったのだが、40代になって読むと、『狭き門』は10代の時に読んだものよりも含蓄のある小説だと思ったのだが、それとともに、10代の時に読んだ時には、『狭き門』に比べて、それほど感動しなかった『田園交響楽』の方が、むしろ、人間の心に鋭く切り込んだ小説と思えたし、さらには『女の学校』『ロベール』『未完の告白』というこの3つは連作で3つでひとつの話になっているのだが、こちらの方こそジッドの代表作としてあげるべきではないか・・と思うようになったのだ。
  アンドレ=ジッドの小説というと、一番有名なのは『狭き門』だと思うが『田園交響楽』あたりも知名度はある。『女の学校』はモリエールの『女の学校』と混同しそうだが知っている人は知ってるだろうが、『ロベール』『未完の告白』になると題名を知らない人の方が多いのではないかと思うが、私はこの『女の学校』『ロベール』『未完の告白』の三部作をジッドの代表作としてあげたい。モーリャック『テレーズ・デスケルウ』なんてのも、10代の時よりもある程度年齢をいってから読んだ方が「名作感」を覚えるのではないかと思う。
  モーリャック『テレーズ・デスケルウ』とかアンドレ=ジッド『女の学校』『ロベール』『未完の告白』といったものに感動を覚えるようになった者からすると、伊藤左千夫の小説では『野菊の墓』だけが有名なのだが、『野菊の墓』は詩的な文章であり、下矢切のあたりの情景をも描いているし、決して悪いとは思わないのだけれども、むしろ、『隣の嫁』『春の潮 (隣の嫁続篇)』の方が内容があるのではないか・・と思ったりもする。『隣の嫁』は「ホームスクール版 日本の文学」シリーズの『野菊の墓』(偕成社)で「立教大学教授 塩田良平」が「作者と作品について(解説)」で《 省作という、百姓の不得手なむすこが、隣の嫁であるおとよさんに、少年らしい興味をおこす話である。おとよさんは「女としてはからだがたくましすぎるけれど、さりとてけっしてかどかどしいわけではない。白い女の持ちまえで顔は紅(くれない)に色どってあるようだ。くちびるはいつでも『べに』をすすったとおもわれる。たくさんな黒髪をゆたかにいちょう返しにして帯も半襟もきのうとはかわってはなやかだ」こんな書きぶりに、省作の、女にたいする憧憬のありたけがうかがわれる。「おとよさんがいくらえい女でも、ぬしある女、人の妻」などという表現に、世間ずれのしていない、あきらめのいい、善良な左千夫が感じられるのがおもしろい。》などと書いているが、そんな内容と違うし。「立教大学教授」何を無茶苦茶書いとんねん( 一一)
  伊藤左千夫を《一作によって小説家としても記憶さるべき存在》とは、「しろうとさん」でそう思っている人がいてもしかたがないかもしれないが、「文学者」とか「☆☆大学文学部教授」とかそういった職業についている人にそういう文句は言ってもらいたくないと私は思う。私はこの『隣の嫁』『春の潮(隣の嫁続篇)』はなかなかのものだと思うし、特に本体は後半の『春の潮』、「小学上級~中学生向」だという「ホームスクール版」の方には前半の『隣の嫁』は収録されていても本体の『春の潮』の方は収録されていないのだが収録されていない『春の潮』の方が本体で、その『春の潮』の方が文学作品としてなかなかのものだと私は思う。 

  伊藤左千夫『野菊の墓』は読むと、実際にあった話か・・というような書き方である。だから、最初、伊藤左千夫はこのあたりの生まれで自分自身が若き頃に経験した話を
《 後(のち)の月という時分が来ると、どうも思わずにはいられない。幼いわけとは思うが何分にも忘れることができない。もう十年余も過ぎ去った昔のことであるから、細かい事実は覚えていないけれど、心持ちだけは今なお昨日(きのう)のごとく、その時のことを考えてると、全く当時の心持ちに立ち返って、涙が留めどなくわくのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態(ありさま)で、忘れようと思う事もないではないが、むしろ繰り返し繰り返し考えては、夢幻的の興味をむさぼっている事が多い。そんなわけからちょっと物に書いておこうかという気になったのである。》
で初めて、
《 民子は余儀なき結婚をしてついに世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と僕の手紙とを胸を話さず持っていよう。幽明はるけく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。》
で終わらせて書いたものか・・と思ったら、伊藤左千夫はこの松戸市下矢切のあたりの生まれではなく、現在の行政区画としては千葉県山武市殿台、少し前までの成東町殿台、JR「成東」駅の少し東のあたりの生まれらしいので、『野菊の墓』の話は伊藤左千夫自身の話ではなく、誰か、下矢切のあたりの住人だった男性の手記を見せてもらったか、もしくは話を当人から聞かせてもらったかして、その話をもとに伊藤左千夫の思いをその話に投影して小説にしたものか・・・と私は考えた。しかし、そうではなく、逆に伊藤左千夫の実家は松戸市下矢切ではなく、山武市殿台、JR「成東」駅の東のあたりなので、自分自身に実際にあった話を描くためにあえて場所を変えて小説にしたのではないかと考える人もいたようだ。 山本博文 監修『あなたの知らない千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 )では、
《 小説の舞台は現在の松戸市矢切であるが、左千夫が山武市殿台(とのだい)の生まれであることから、彼の実体験を元にしているという噂が早くからあり、小説のヒロイン民子のモデルについてもゴシップ的な興味からさまざまな推測がなされてきた。
  その一つが、左千夫の遠縁にあたる「川島みつ」説である。みつは幼い頃 左千夫と兄弟のように過ごした女性で、左千夫は結婚を考えていたが親族の反対にあって断念し、みつは他家へと嫁いだという。まさに作品と同じ展開というわけだが、二人の年齢差十二もあることから疑問視する意見も多い。
  また、明治十八年に二十歳の左千夫が一時期滞在した矢切の牧場で出会い、後に市川に嫁いだ「藪崎さき」がモデルという説もある。さきは明治三十六年に嫁ぎ先で死去。左千夫は彼女の死を嘆き『野菊の墓』執筆に取りかかったという。
  一方で、左千夫の中年を過ぎてからの愛人「戸村ふじ」をモデルとする説もある。ふじ はすでに妻も子もある左千夫が真剣に愛した女性であり、青年時代の純愛に託して彼女への愛を綴ったのが『野菊の墓』であるというのだ。淡い恋物語と中年男女の愛憎劇は相容れないようにも思えるが、果たして真相は? 》
と書かれている。 阿部次郎『合本=三太郎の日記』とか、久米正雄『学生時代』の「受験生の手記」、太宰治『正義と微笑』は、いずれも、著者の友人とか知り合いとかの話とか手記を手に入れてのものとかいうことで書かれており、実際に友人か「友人の友人」かの話なのか、そういう前提での自分の話なのか、それとも、自分自身の話だがすべて事実のまま書いているわけではないので、自分の分身は自分の友人みたいなものだということで「友人の話」にして書いているものなのか、はっきりとはわからないが、そういう書き方の作品はある。伊藤左千夫『野菊の墓』も、伊藤左千夫は一時期、この松戸市下矢切のあたりに滞在したことがあるということなので、その縁でこの付近の誰かの話を聞き、それを詩人・歌人である伊藤左千夫の感性で「田園叙事詩」のように仕立てた小説として発表したのかと思ったが、あるいは、この場所に滞在した時に、この場所の景観を取り込んで、自分自身の成東の方での話を場所を引越して小説にした・・という可能性もあるのかもしれない。
あなたの知らない千葉県の歴史 (歴史新書) - 山本 博文
あなたの知らない千葉県の歴史 (歴史新書) - 山本 博文

  西尾 実・猪野謙二・秋山 虔 編著『新版 日本文学史』(1983.3.25.秀英出版 )では、伊藤左千夫は歌人としてのみ掲載されている。
《 彼(正岡子規)によって企てられた短歌・俳句の革新運動は、その後、短歌は伊藤左千夫・長塚節(たかし)らを経て島木赤彦や斎藤茂吉の「アララギ」に、俳句は高浜虚子(「ホトトギス」に拠る)・河東碧悟桐(かわひがし へきごどう)(新傾向俳句)などに受け継がれ、現在に及んでいる。
( 西尾 実・猪野謙二・秋山 虔 編著『新版 日本文学史』1983.3.25.秀英出版 )
と出ている。

  実は、この 西尾 実・猪野謙二・秋山 虔 編著『新版 日本文学史』(1983.3.25.秀英出版 )という本は、高校の「日本文学史」のテキストのかわりとして、渋谷の東急レックスにあった三省堂渋谷店で購入したものだ。なぜ、「かわりとして」かというと、慶應大学に在学していた時に、高校生のボーズの家庭教師のアルバイトをしたことがあったのだが、その際に貸してあげたのだが、返してもらうことなく家庭教師を途中でクビになってしまったのだ。その為、私が高校時代から使用してきた文学史のテキストがなくなってしまったので、それで「かわりとして」購入したもので、「同様のもの」ではあるが同じものではない。
  どうも、本というものは人に貸すと過半数は返ってこないものらしい。私はそれを知らなかったので、私としては大事にしていた本をずいぶん何冊も失った。
  そういえば、母が市の趣味サークルで知り合ったおばさんから、母が購入してまだ読んでいない本を「あ、それ、私まだ読んでいないから貸してちょうだい」と言われて、普通、人が買って読み終えたも本なら「私も読みたいから貸してもらえませんか」と言っても良いが、読もうと思っておカネを出して買った者がまだ読んでいない本を「私、それ、読んでないから貸してちょうだい」と言って買った人間よりも先に読んでやろうなんて、そんなことする人、あんまりないと思うけれども、「あの人、ちょっと、そのあたりが変わってる」と母は認識したようだった・・が、世の中にはそういう態度のことを「しっかりしている」とか思っている人というのがいる。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格した時はうれしかったのだが、卒業して十年以上経って考えてみると、あんまりいい学校ではなかったように思うようになった。但し、それならどこに行けば良かったのかというとそれは良く分からない。どこに行けば良かったかはよく分からないけれども、北野高校の問題点としては、
1.不完全な男女共学。男性と女性で合格最低点が違い、又、豊能地区と淀川地区が学区だったが、豊能地区の女子中学生は男子ならとても合格できない成績でも女子なら合格できるからと、男子なら二番手校も三番手校も合格できない成績の女子が北野高校に進学するといったことはまずやらないのに対して、淀川地区の女子中学生は平気でそれをやっていたので、男子は豊能地区出身者と淀川地区出身者の両方がいたのに対して女子は淀川地区出身者の割合が大きく豊能地区出身の男子にとっては男子校のようでそうではないようで、自分と育ちが違う家庭の娘が女子には多いという学校に行くことになっていた。
2.入学試験の問題と内申書の成績とを合わせて合否を決めるという合否決定方式だったので、中学校の学力レベルが高い地域の中学校出身者よりも中学校の学力レベルが低い地域の中学校出身者の方が内申書の成績が良くなる傾向があり、中学校の学力レベルが高い地域の中学校出身者は、中学校の学力レベルが低い地域の中学校出身者よりも入学試験で高い点数を取らないと合格できなくなっていたことから、公立なので裏口入学はないはずだが、合格レベルは3通りのものがあった
3.私が卒業した後、一時期、北野高校と第一学区の二番手校だった豊中高校で進学成績がほとんど変わらなくなった時期があったが、あれは、ひとつは北野高校の教諭の親方日の丸体質・殿様体質がマイナスの評価を受けたことが原因だが、もうひとつ、第一学区で北野高校だけが第二学区の東淀川区からも行けることになっていて、北野高校は「淀川地区の進学校」・豊中高校は「豊能地区の進学校」になったことから、豊能地区の中学校で成績のいい生徒はたとえ成績の上では一番手校の北野高校に行けても「淀川地区の一番手校の北野高校」に行くより「豊能地区の一番手校の豊中高校」に行ったほうがいいと判断するケースがあったからではないか・・と思う。
  それで、どうも、我が家なんかとは感覚が違う・・という人がいたのだ。2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。1970年代後半当時、20代)にしても、「ちょっと性格いがんでる系女子」であることを自慢にしていたのだが、自慢にすることと違うだろうが・・と私は最初は思ったのだが、うちの親というのは常によその息子・よその娘をいいようにいいように思う親であり、旧姓S野礼子が「ちょっと性格いがんでる系女子」を自慢にすると、なんだか、そうではない人間というのは劣っているかのように言われることになるのだった。
  しかし、たとえば、人が読もうとしてお金を出して買った本を買った当人が読み終えてから、「私も読みたいので、それ、貸していただけないでしょうか」と言うのは言ってもいいが、読みたいと思って購入した人間がまだ読んでいないものを「先に私に貸して」などと言うのは、私の感覚では「非常識」だと思うし、そういうことを言う人にはそれは貸さない方がいいと判断するのだが、ところが、旧姓S野礼子みたいな「ちょっと性格いがんでる系女子」みたいな人はそう理解するのではなく、むしろ、そういう態度を「しっかりしている」とか「積極的」とか「甘ったれてない」とか考えている。だから、そういう人に、そういう人の要求をきいて、まだ自分が読んでもいない本を貸したりすると、貸してもらった、しかも、非常識にも読もうと思って購入した人間が読むより先に貸してもらった・・ということを恩に感じるのではなく、逆になめられてしまう、又、その人より下に見られてしまうことになる。だから、そういう相手には貸してはならないのだ・・・が、うちの親というのはそういった「世間知」がない人間、そのあたりの社会的判断力がない親だった・・が、だからといって、そういう「あつかましい系女子」とか「あつかましい系男子」とかいうのが「しっかりしている」「甘ったれてない」のかというと、そういうことではない・・と私は思うぞ。
  1970年代半ば過ぎ、高校2年の時、同じクラブにいた1年生Mが私が持っていた本を貸してほしいと希望するので貸してあげたところ、いつまでもいつまでも返さないで、「おい、返してくれよ」と何度も催促しても催促しても返さず、あげくのはてに、何をこぼしたのか、液体のものをぶちまけたらしく、ぶよぶよにふやけてしまい、又、変色してしまったものを持ってきて「はい」と私に渡すので非常識な男だなあ・・と思った、何が「はい」だと思ったことがあったが、私などは人から借りた本は自分の本以上に汚さないように気をつけるべきものだと小学校の低学年の頃から母親に教えられてきたものだったが、この男はそれと逆で、人から借りた本を何度も催促を受けても返さず、あげくのはてに、何をこぼしたのか色のついた液体のものを「こぼした」というよりも液体に「つけた」みたいにブヨブヨにして、はっきりと変色させて、それを「はい」と平気な顔して渡そうとする。そういうことをしていいという教育を親から受けてきたのか? どうも、この男の家庭はうちとは違う家庭のようだ・・と思ったのだが、そういうのは、その男が「しっかりしている」のではないと思うのだ。それをされた側が「ぼんやりしている」わけではないと思うのだ。もう、彼にはその後は本は貸さないし、彼はそういったことをしたことで、その後は私から貸してもらうことはできなくなったのであり、そういう態度というのは「しっかりしている」とか「甘ったれてない」とかいうものとは違うと思う。そのあたりについて、北野高校の生徒、特に淀川地区出身の生徒や教諭には私などからすると「非常識」だと思う人がけっこういた。人間はいろいろな人と関わって大人になる方がいいとは思うのだが、片方で自分と似た家庭の人間の行く高校に行った方がうまくいく、自分とは育ちが違う人が多い学校に行くより自分と似た育ちの人間が多い学校に行った方がうまくいくということも実際問題としてあると思う。それから考えると、「淀川地区の北野高校」と「豊能地区の豊中高校」では北野高校の方が第一学区の一番手校で豊中高校が二番手校であったとしても、たとえ二番手校でも「豊能地区の高校」に豊能地区の住人は行くようにした方が良かった、という面ももしかするとあったかもしれないと思っている。
  さまざまな家庭の息子・娘と関わって育った方がいいという考え方はある。鳩山由紀夫が何だったか週刊誌で述べていたが、鳩山由紀夫が学習院初等部(小学校)の時、父親だったか祖父だったかが、小学校・中学校・高校・大学と学校を4つ行くのなら4つとも同じ学校に行くのではなく、最低でも1つは違う所に行った方が色々な人と出会うことができていいとアドバイスしてくれたそうで、それで小学校は学習院の初等部に行ったが中学校・高校は筑波大付属駒場高校に行って、大学は東大に行ったらしいが、小学校:慶應・中学校:慶應・高校:慶應・大学:慶應・大学院:慶應・勤め先:慶應・・なんて人、サラブレッド的慶應というのか「ほとんどビョーキ」症候群というのか「小此木啓吾みたいなやつ」というのかの人を見ると・・そういう「揺り籠から墓場まで慶應」という人というのは「小学生の時から『東大に行くんだ』とか言ってるやつって、俺、気持ち悪いよお」とか胸張って言うのだが・・はあ? その文句を公立小学校⇒公立中学校⇒公立高校⇒国立大学 と行った人間が言うのならわかるが、慶應幼稚舎⇒慶應中等部⇒慶應義塾高校⇒慶應大学⇒慶應大学大学院 と行った人間の口から言われたあかつきには、それやったら「小学生の時から慶應に行ってるやつなんて、気持ち悪くてしかたがない( 一一)」と思うのだが、そう言うと「揺り籠から墓場まで」症候群はたいてい怒り狂って殴りかかってくるのだが、こういうことを言うと「慶應心理学」から「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」とか「診断」されてしまう、もしくは「未成熟」とか「外罰的性格」とかなんとかシンドローム・なんちゃらかんちゃら症候群とか「診断」されるおそれが大きいのだが、慶應の内部進学みたいに似たような家庭の息子・娘とばっかり関わって育つのがそれが「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「思考が柔軟」とか「世間を知っている」「社会を知っている」とか「独立自尊」とか「自我が確立されている」とかいうものとは違うと思うのだが・・「慶應心理学」はそう「診断」するかもしれんが私は違うと思うのだが、しかし、片方で旧姓S野礼子みたいな「ちょっと性格いがんでる系女子」を自慢する人とは、別に無理してつきあわなくてもいいと思うのだ。
  人から本を借りて返さない人とか、借りた本に何をこぼしたのかブヨブヨにして変色させて、いくらなんでも、これをそのまま返すバカはないだろうがというものを平気で「はい」と言って渡す男とか、そういうのは「しっかりしている」とか評価するべきものではないと私は思う。その点で、北野高校の生徒や卒業生や教諭で私と異なる認識をしている人がけっこういたが、特に教諭にそういう態度を取られると、そうなの? ・・と思いそうになるが、それは違うと思う。
  1970年代半ば、高校1年の時の夏休み、クラブの合宿に行った時のことだが、その時、浪人中で、その後、1浪で阪大(大阪大学)の工学部に進学したS本という男(西淀川区の大阪市立U島中学校卒)が、風邪薬だったか腹痛の薬だったかを欲しいというので、私が持参していたものを「これ、良かったら」と言って渡そうとすると、「ほら、旅行慣れしてないやつはこういうものを持ってくるんだ。俺なんかは旅行慣れしているから、そういうものは持ってこないんだ。旅行慣れしている者は、こういう薬は必ず誰かが持ってきているとわかってるから、だから、持ってきている旅行慣れしてないやつからもらえばいいことだから持ってこないんだ」とか得意がって言うので、「え?」と思ったということがあった。人から薬をもらっておきながら、その言い草は何? もらった相手に対して「旅行慣れしてないやつ」呼ばわりて何? ・・と思ったのだが、どうも、淀川地区出身者にはそういうタイプの人間が多いという印象があった。もちろん、人にもよるとは思うが、そういうタイプの人間というのがいた。彼は自分が「旅行慣れしてる」人間だから、風邪薬・腹痛の薬といったものは「旅行慣れしてないやつ」からもらえばいいと信じていたようだが、私の認識としては、そういう口をきくやつには、たとえ自分が持っていても、自分が「旅行慣れしてる人間」か「旅行慣れしてないやつ」かにかかわらず、やる必要はない・・というよりも、そういう口をきかれてまでやったのではアホや!・・・ということになる。だから、もしも、自分が持っていないもので誰かが持っている可能性があるものを分けてもらいたいと思うのならば、そんな口をきいてはいけない・・というのが我が家のような家庭では常識だったのだが、西淀川区の大阪市立U島中学校の人は我が家なんかとは常識が違ったようだった。
  2011年4月に、千葉県千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも2013年11月に正式に倒産〕に社長の嫁の友人だとして縁故入社したT口 恵(女。当時、30代)は、自分が担当の仕事で自分がそれに対して報酬を受け取っている仕事を毎度毎度、担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・時間外無賃労働でさせて、おのれは定時に退社して帰り、私の感覚ならば、一度ならともかく、毎度毎度よくやるなあというものだったし、普通、自分が担当の仕事を担当外の従業員に時間外労働・無賃労働でやってもらったならば、「どうも、すいませんでした」「ありがとうございました」といった言葉を言うものだと思うのだったが、T口 恵は一度として「すいません」も「ありがとうございました」も口にしたことがなかった。あんまりいい家庭の育ちじゃないなあ・・と思ったし、又、前職の職場もまた、社員教育が良くないようだとも思ったし、たとえ社長の嫁の友人であっても、そういう人を会社に入れるということに抵抗を感じない社長も困ったものだとも思ったものだった。もしかすると、T口恵もまた、そういう態度を「しっかりしている」とか思っていたのかもしれないが、T口が担当の仕事を労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせられていた担当外の従業員は怒っており、誰もそんなものをかまわないとは思っていなかったが、T口はやってもらって当たり前と思っていたようだった。特に社長の長谷川S二(男。当時、40代前半)が「T口さんは子供があるんだから、子供がある者は、なんでも子供がない者にやってもらうのが当然じゃないかよお」と暴言を吐いており〔そうではなく、T口恵が担当の仕事が残っているのにT口恵には定時に帰らせて、その仕事を担当外の従業員にさせるのであれば、実際にその仕事をする従業員に時間外賃金を払う事こそ「当然じゃねえかよお」というものであり、自分が担当の仕事を労基法違反の時間外無賃労働でやるのならまだしも、T口恵が担当の仕事を時間外無賃労働でやるというのは決して「当然」ではないはずで、社長ならばその程度のことは理解していないといけないというのが「当然じゃねえかよお」というものだった〕〔本来、社長というものはT口恵のような従業員にはそれを注意するのが使用者の義務であり、T口恵以外の従業員に対する「保護義務」というもので、それを逆をやっていた長谷川S二は「保護義務違反」として債務不履行責任を問われる問題のはずだったが〕、その社長の暴言にのっとり、T口恵は自分は定時ぴったりに退社した上で、まだ結婚できていない人間や、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらもできずにいる人間にT口恵が担当でT口恵がその仕事に対する報酬を受け取っている仕事を労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせた上で、まさにその時間におのれはオットと「妊活」(性交)やって3人目を孕んで出産した。「ええ根性している」・・が、この場合、「ええ根性している」というのは私の感覚では誉め言葉ではないのだけれども、T口恵やそのオットは誉め言葉と理解するようだった。自分が担当でそれに対して報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせておのれは定時に帰ってオットと「妊活」して3人目を孕んで出産する女というのは、「ええ根性している」と思う。当然のことながらこの「ええ根性している」というのはほめているのではない。「トラブルバスター」やったろか・・と思わないか?https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC  その3人目の子供は産まれる時点でまわりの人たちから祝福されることなく、産まれる時点で多くの人間から呪われて産まれてきた子供だ。まさか、産んだ女、その程度のこともわかってないということはないだろうな・・と思うが、わかってないかもしれない。わかってたまるか・・と思っているのではないか。男なら「強心臓」とか「心臓男」とか言われるところで、その女版である。もしも、野球の投手なら、9回の裏、1点リードでノーアウト満塁、打者を3人とも三振に打ち取ったら勝ちだが、フォアボールでもデッドボールでもパスボールでもワイルドピッチでもスクイズでも犠牲フライでも同点、ヒットで2人生還したら逆転負け・・とかそういう場面で救援投手として登板するにはもってこいの人間、
””「リリーフに向いてる」タイプ””
・・・ということになるだろう。なかなか、そこまでの「強心臓」の人間おらんでえ~え( 一一)・・と思うのだが、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に正式に倒産〕にいたのだ。
  かつ、T口恵(女。2011年当時、30代で千葉市在住)はおのれが担当の仕事をおのれは定時に帰って、それを担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせておきながら、そうやって空けた時間に「PTA役員やってます」などと会社のホームページとリンクしたブログに書いて公開までした。はあ~あ? 普通、おのれが担当の仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせた上でPTA役員なんてやるか? ましてや、わざわざそんな話を会社のホームページとリンクしたブログに載せるか~あ? 普通、いくらなんでも、そこまでできる人間、あんまりおらんやろう、ほんま~あ( 一一)・・これもほめてるのとは違いますからね。おそらく、T口はほめられたと思うでしょうけれども( 一一) 「新人類」なのか「異星人」なのか「ほとんどビョーキ」と「診断」するべきなのか、かなりユニークな家庭の生まれの女だったようだ( 一一) この場合の「ユニーク」もほめてるのとは違いますからね・・
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
( ↑「会社に異星人がやってきた」↑ ) 

  次回は、矢切の渡し のあたりに行きます。

  (2021.9.11.)

  2021年9月11日(土)、「マスクしていない猫」が我が家の敷地内に当たり前みたいな顔して不法侵入・無断侵入しており、コロナウイルス対策として駆除したいと思うのだが、駆除していいですよね・・・。
  (2021.9.11.)

☆ 「野菊の墓 文学碑」「野菊苑」「永禄古戦場跡」「矢切の渡し」
1.文学・哲学は毒薬か? 牛乳屋兼歌人・文学者の伊藤左千夫は何か悪いか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_1.html
2.市川側から「野菊の墓 文学碑」への道。「永禄古戦場跡」。「精神保健研究所」て何やってるのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_2.html
3.西蓮寺(真言宗)。『春の潮』に見られる「自我」の主張。結婚式乱入を美化する映画『卒業』は称賛できない。「自我」を持たないことを「自我の確立」と騙す「心理学」「精神医学」ファシズム。小学生用文学全集の是非。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_3.html
4.野菊苑から見た西方の絶景。『野菊の墓』と「文学碑」「野菊苑」の一致する立地。詩的な小説『野菊の墓』。「文学的表現」は文学・哲学ならいいが法律家には誉め言葉にならない。矢鱈と多い「法律家以上でない法律家」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_4.html
5.野菊庵・伊藤左千夫の短歌の木札。伊藤左千夫は単作作家ではない。「性格あつかましい」は自慢することではない。本は貸すと返ってこない。「女性版俗物4種の神器」〔今回〕
6.「矢切の渡」と江戸川。『春の潮』とともに読むべき『野菊の墓』。いいかげんな「解説」を書く文学部教授と権威主義。『野菊の墓』で押しつぶされた「自我」の主張をする『春の潮』https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_6.html

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